学級の子どもたちの「もつれた糸」を、どのようにすればときほぐすことができるでしょうか

 担任Sのクラスの女生徒Aさんが9月中旬になっても学校を休み続けている。理由は「親しかった友だち3人とのトラブルで、クラスのみんなから無視され耐えられないから」ということだった。
 担任がAさんの家に電話すると、母親は「クラス中が無視するなんて、ひどすぎます。子どもと話し合った結果、転校した方がいいということになった」と話し、家庭訪問も断られた。
 若い担任Sは困って、学年会で知恵を借りたいと言ってきた。学年主任の私は次のことを提案し了承された。
(1)
すぐに転校と、あせって結論をださないように、少し待ってもらうこと。
(2)
「一方的ないじめ」ととらえずに、両者の誤解にもとづくものとしてとらえ、もつれた糸をときほぐすのが、私たち教師の仕事と考えること
(3)
事実関係を3人の女の子から慎重に聞くこと。
 担任はAさんとトラブルがあった3人の女の子たちから事情を聞いた。すると「ぜんぜんそんなことはしていない。直接本人と会って話がしたい」ということだった。
 誤解があるということがわかったので、誤解をとくという方法だと、明るい見通しが持てるようになる。
 でも、誤解を解くにはAさんに学校に来てもらわなければならない。担任に電話してもらったが「子どもの気持ちが整理できていないので」と断られてしまった。
 私は困ったときには、子どもたちに聞いてみるようにしています。私のクラスの女子グループに聞いてみた。
 すると、Aさんのことが心配でAさんの家に行って話をしてきたそうで、内容は
「イジメがあったみたいなんだけど、私も経験あるから、そんなことでくじけちゃだめよとはげましたら、転校って、だんだん言わなくなってきた」ということです。
 その後も説得を続けてくれた。おかげで数日後には、Aさんは校門のところまで来て担任と話ができるようになった。
 担任は最後のチャンスと思い、長時間Aさんと話し合い、翌日に対立関係のある3人の女の子たちと話し合いができるようになりました。
 私は両者とよい関係にあったので、話し合いに立ち会いました。私ははじめにつぎのように宣言しました。
(1)
この話し合いは、両者とも明日から気持ちよく学校に来てもらうために開いた。
(2)
私は両者の言いたいことと事実をひとつずつ整理し、誤解があるなら、それを解くためにいる。だからどちらの味方にもならない。
(3)
ここでは「自分の出会った事実」が優先し「人から伝え聞いた話」は信用度が低いと考える。
(4)
自分が誤解していたり「悪かったな」と素直に思えたときは「ごめめんなさい」を言ってほしい。
 こうして、事実の一つひとつについて確認し、そのときの自分の真意を言ってもらうと、3人の女の子たちは知らないうちにAさんをキズつけることを言っていた。
 一方、いじめられたというAさんも、自分の思い込みや、他人のうわさをそのまま信じていたことがわかってきた。
 一つずつ解決していったが、両者は「なかよくなれそうにもない」という答えが返ってきた。私は
「そういうのを相性が悪いって言うだよね。大人の世界でもよくあることだよ」
「じゃあ、これからは事務的なことはしかたがないけど、それ以外は関係ないでやってください」
「この学年には170人もいますから、明日からは、それぞれに『仲の良い友だち』をつくってください」
「ただ、関係ないとはいっても、またいつか仲良くなる可能性も残しておいてね」
 あれから1か月、Aさんには新しい友だちができ、元気に学校に来ている。一方、3人の女の子たちにも笑顔がもどった。
 Aさんのお母さんが参観日に私のところまで来て「何とお礼をいったらいいか」と涙を流していた。私は「よかったですね」と言った。
(
山路敏英:元東京都公立中学校教師、明星大学の講師
)

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ふれあいのあるクラスづくりをするには、具体的にどうすればよいのでしょうか

 ふれあいのあるクラスは伸びやかな、楽しい雰囲気が生まれ、人間関係や学力の向上が見られる。
 ふれあいのあるクラスは、子どもたちが楽しそうで、のびやかである。教師も明るい。子どもたちも明るく、笑い声が絶えない。
 何かをするときは、集中して、真剣に行う。緊張感がある。終われば、和やかな雰囲気になる。
 ふれあいのないクラスは、子どもたちの顔がこわばっている。どこかぎこちない。差別がある。どこか暗い。さめている子がいる。どこか真剣みがない。
 今、子どもたちはクラスとしての意識がないままバラバラな状態で学校に来ている。
 今こそ、ふれあいのあるクラスづくりを行う必要がある。
 ふれあいのあるクラスづくりの根底にあるものは、子どもたち一人ひとりを受け入れるということである。
 どの子に対しても、どんな場合でも「ほめ、話しかけ、励まし」続けることである。
 ひと言をプラスして、ふれあいのあるクラスにするには、どのようにすればよいのでしょうか。
1 教室でのあいさつは「おはよう+ひと言」でふれあう
 子どもの名前を呼んで子どもをほめる。
「〇〇さん、おはよう。今日も元気に来たね」などと、気づいたことを、元気の出る言葉にしてほめることである。
2 握手+ひと言でふれあう
 係の仕事が終わったら報告させる。そのとき、握手をしながら「ありがとう(ご苦労様)、助かったよ」と、目を合わせ笑顔で対応する。
3 ワークテストは「点数+ひと言」でふれあう
 ワークテストを返すとき、ひと言書き添えて返したい。短い言葉でズバッと書くのがよい。保護者も見るので、担任の姿勢を見せることにもなる。丁寧な字で書きたい。
 例えば「おめでとう、よくできたね!」「おしかったね!」など、もらってうれしいひと言を添えるのがコツである。
4 ノートには「名前+ひと言」でふれあう
5 お誕生日は「学級通信+ひと言」でふれあう
 お誕生日のお祝いのひと言は、本人とクラス全体のきずなを深める貴重なメッセージである。
 誕生日には、学級通信(号外)をだしている。次のことを載せている。
(1)
本人の「がんばりたいこと・すきな遊び・得意なこと・できるようになりたいこと・ゆめ・たからもの」を載せる。
(2)
本人の写真(友だちも周りに集まり笑顔で撮る)
(3)
「先生から」「学級全員」からのお祝いの言葉
お祝いの言葉を読み上げると、本人もうれしいし、クラスの仲間もにこにこしている。
6 欠席する子どもに「お見舞いカード」+ひと言でふれあう
 欠席した子が一番心配なのは、どんな勉強をしたかである。その内容を伝え励ますのが「お見舞いカード」である。
 カードの記入は、欠席した子がいる班が書く。
(1)
一時間目からの教科名と授業の感想と書いた子の名前
(2)
先生からのひと言
(3)
おもしろい出来事と書いた子の名前
(4)
連絡事項
 届けるのは、カードと、その日に配布したプリント類。近所の子か担任が届ける。
7 授業で指名するときに「ひと言+名前」でふれあう
授業で教師の発問で子どもを指名するとき
「姿勢のりっぱな〇〇くん」
のように指名すると、ただ名前を呼ばれた時よりも、ずっとうれしそうである。
「聞き方のいい人に当てようかな」などと言って、指名すると学級全体が引き締まる。ちょっとした緊張感が教室を包む。
 ときどき「このクラスは、みんながにこにこしていて教えるのがとっても楽しいね」と、クラス全体をほめることも必要である。
 このように、個人とクラス全体を意識して、ひと言を添えるとクラス全体が明るくなり、楽しくなる。
8 黒板に「キャラクター+ひと言」でふれあう
 教師が早く教室に行けないとき、黒板にキャラクターの絵を描いて、ふきだしにひと言書くのである。私の場合は「きりん」がメッセージを伝える。
「今日の朝学習は、プリントです。日直さん渡してね」
「みなさん、おはようございます。今日もあつくなりそうですが、元気にがんばりましょう」
 こうすれば、朝の活動をスムーズに進めることができる。また、教師が出張でいない時もメッセージやお願いを伝えることができる。
9 帰りの会のあと「見送り+ひと言」でふれあう
 毎日はできないが、帰りの会の後、校門まで子どもを見送る。週末や学期末などに行う。
 ふだん会話が少ない子や家でのくらしが気になる子などに「これから、帰ってなにをするの」「だれと遊ぶの」と声をかける。
 時には、子どもたちと一緒に校門の外にまで出れば、誰と帰るのか友だち関係もよくわかる。遊びながら帰るのかがわかる。ふだん見えないことが見えてくる。
 子どもたちも先生に見送られていると思うと、うれしいし安心する。教室でさよならするよりも、ずっと親近感が増す。
(
平藤幸男:1960年生まれ、岩手県公立小学校副校長)

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子どもをほめることは、叱ることよりも難しい、ほめ方がうまくなるにはどうすればよいか

 人の短所は、見ようとしなくても見えてしまいます。しかし、長所は意識しないと見えません。「ほめる」ことを意識すると長所が見えてきます。
「ほめたいのだが、ほめるところが見つからない」という教師は「できて当たり前」と考え、評価基準が高すぎることはないでしょうか。
「欠席しない」「忘れ物をしない」「元気がよく、活発である」など、本気でほめたいと考えているならば、どんなことでもほめる要素は無尽蔵にあります。
 教師は、子どもと信頼関係をつくり、子どもの個性や夢を引き出し、実現させることが大切です。
 ほめるというのは、この信頼関係を築くためです。信頼を得るまでには、手間も時間もかかるものです。
 教師も人間です。「どうしても気が合わない」という子どもがいたら、どうしますか。
 気が合わない子どもは、なおさら、悪いところばかり目についてしまうので「気の合わない子どもの長所を探しながら見る訓練」をします。
 長所は行動に表れますから、その行動をつぶさに観察し、記録しましょう。私は一日に三つ、子どもの長所を記録しています。
 さらに、私は気が合わない子どもをほめるとき、ほかの子どもを使ってほめています。
 そのほめ言葉が、回りまわって、本人の耳に入り、人間関係の修復に役立つことがあります。
「うなずき」や「あいづち」は、ほめしぐさです。
 話をしているとき、相手が「うんうん」と、うなずいてくれると気分がいいものです。話を理解し肯定してくれていると感じるからです。
 やや前かがみになり、目を見て、タイミングよくうなずいてください。話に熱が入ったところなどには、より深くうなずきます。
 教師が子どもに信頼されるためには「あなたの存在を感じていますよ」と、子どもを認知することから始めます。
 それによって、人間関係の土台ができれば、ほめる効果は確実に積み重なっていきます。
 子どもを喜ばせることばかりを意識すると、わざとらしいほめ方、口先だけのほめ方になりがちです。これでは、子どもに不快感を与え、逆効果になってしまいます。
 教師の心理状態は無意識のうちに、表情やしぐさににじみ出るものです。言葉だけでどんなに繕っても本心が見抜かれてしまいます。相手を心からほめる気持ちを持つことが大切です。
 子どもから信頼を得るためには、次のように順序があります。
(1)
子どもの可能性を認める
(2)
子どもの行動や気持ちに注意を払ったり、気にかける
(3)
子どもの立場や気持ちをくみとる
(4)
子どもの良い点も悪い点も受け入れる
(5)
子どもの実績をほめる
どんな子どもでも、高く評価してくれる教師の話には熱心に耳を傾けます。
 教師は、子どもをほめることを通して、新しい発想ができるようになり、能力を高め、人間力も高まります。
(
神谷和宏:1960年生まれ、愛知県公立中学校教師。 読売教育賞などを受賞。教育コーチング、心理カウンセラー)

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教師の話し方は教師の武器だ、大切なポイントとは

 話は誰でも簡単にできる教師の武器である。しかし、効果的に使うとなると奥が深い技術です。よい教師の話し方は 
(1)
話し方に「切れ」がある
 教師の話には「切れ」が必要です。例えば
「今月は〇〇さんと△△くんの誕生日だね。おめでとう! 拍手―!」
「今月は五月(さつき)だね」
「この時期や、梅雨の間の晴れの日を『五月晴れ』って言うんだよ」
「『五月の鯉の吹き流し』という言葉を知っているかな?」
「鯉のぼりのように腹の中に何もない、さっぱりした性格のことで、江戸っ子の気質を表しているんだよ。いい性格だね」
なとど、切れのよい話題を添えて祝ってあげられるかどうかで、人気度は変わってきます。
 逆に、よくない教師の話し方は、例えば、
 言葉がうまく出てこないとき「エー」が乱発される話し方ほど、聞きづらいものはありません。
 同じ話題の中で2回以上「エー」と言わない教師になりますという誓いでも立ててもらいたいくらいです。
「いわゆる」「つまり」「ですから」が口癖になっている教師もいます。
(2)
話の最初(つかみ)を30秒以内に収める
 話の最初(つかみ)を30秒以内に収めることも大切な技術です。
 30秒かかっても、子どもを引きつけられない話題は、面白くない話題です。
例えば国語で
「昨日読んだ『ごんぎつね』では、きつねが兵十の撃った鉄砲で死んでしまって悲しかったね」
「でも実は、きつねは今も生きているかもしれないよ!」
「知多半島の山で、きつねの巣みたいな穴が発見されたっていう新聞記事がありました」
というような入り方を心がけたいものです。
 つまり、子どもを驚かせる意外な話題から入ることをお勧めしたいのです。
 どんな授業でも最初の30秒が決めてになります。「今日、先生はどんな授業を用意してくれているのかな?」と楽しみに待たれるくらいの教師になりたいものです。
 教師は自分のオリジナルの「つかみ」を何種類か開発してください。
(3)
授業にノッてくる指名のコツ
 指名は、教師と子どもの信頼関係を強める機能があります。授業にノッてくるためのきっかけにもなるので、教師に必要な力量として身につけたいものですね。例えば、
「まず、最初にAくんを指名して答えてもらおう。そうすれば、引きずられてCさんも手をあげるに違いない」とか
「最初から答えに近づく回答がでると授業の深化が図れないので、まずBくんに意見を出してもらい、ほかの子に共通化してから、さらに別の子どもの意見を引き出そう」
といった、授業の流れをつくるための指名の順序の方法を考案したいものです。
(3)
ほめじょうずになる
 例えば、算数の時間で簡単な問題を間違えています。何と声をかけたらよいでしょうか。
「がんばっているね。ここは間違っているけど、ひとつ前の問題はできているね。先生はうれしいな」
 子どものがんばりを認め、できたところまでをほめてあげる姿勢が大切です。
 その子の力で「ここまで、できたね」と認めてあげることがポイントです。
 朝のあいさつは笑顔でほめる。
 朝のあいさつこそ、笑顔でしたいものです。口角をちょっと上げて微笑み、目に力を少し込めて「オハヨー」と子どもたちを見わたします。
 そして、見わたしながら、子どものしぐさの変化(よい点)に気づくように心がけます。
「〇〇くん、今日もあいさつ元気いっぱいだね」と、具体的にほめてあげましょう。
「先生が、自分を見てくれた」とうれしさで教室がぱっと明るくなり、一日のスタートがうまく切れるでしょう。
(4)
子どもの話をよく聴いて、認めてあげ、教師の気持ちを伝える
 子どもが教師に伝えようとしているときは、
 教師が子どもの言った言葉をオウム返しのように繰り返してあげることで、子どもは「先生はちゃんとぼくの話を聞いてくれている」という安心感を抱くようになります。
 さらに、教師が「先生は、いつも〇〇くんのことを心配しているんだよ」と自分の気持ちを伝える言葉をかける。
 子どもにとって「そうか、先生に心配をかけちゃったんだ。じゃあ、どうしたらいいかな」と子どもが自分自身で考えるきっかけとなります。これはとても大切な指導です。
(
寺本 潔:1956年熊本市生まれ、筑波大学附属小学校教師、愛知教育大学教授を経て玉川大学教授。中央教育審議会専門委員(社会)等を経て日本社会科教育学会評議員)

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保護者の中には「話してもわからない人もいる」のだ、と心得ておくことも、教師のメンタルヘルスを守るうえで必要です

 ある中学校の女性担任の学級には、不登校の生徒が複数いました。
 学級の中に、グループのリーダー的な存在の女子生徒がいました。
 少々暴走して周囲の生徒に服従をしいたり、いじわるをしたりするので、グループから敬遠され気味になっていた。
 保護者会にその女子生徒の保護者が出席し
「不登校の生徒がいるから、クラスの雰囲気が悪いのではないか」
「先生のせいで、不登校の子が学校に来られないんでしょ」
と、一方的に担任を責め始めた。
 その保護者は、わが子の暴走が行き過ぎて、友だちに敬遠され始めたので、担任に「グループの仲間との仲をとりもってほしい」というお願いではなく「わが子は悪くなくて先生が悪い」という主張であった。
 担任は「話せばわかるはず」と、誠実に対応していた。しかし、担任はうまく事を収拾できないので、自分自身を責めた。
 保護者の執拗ないいがかりに、担任があわやつぶれそうになる寸前で、他の保護者が見かねて
「先生は、がんばっておられると思います」
と、保護者全体の前で担任をフォローしてくれたので、糾弾会の色合いが失せ、担任Aはなんとか勤務を続けることができた。
 ぶの悪くなった保護者は、その後、他の保護者のいる保護者会には出ず、矛先を管理職に変えて訴えをくり返し、わが子を正当化しようとした。
 こういうタイプの保護者は、わが子から直接、話を聞いて痛みをわが子と共にし、一緒に今後を考えようとしない。
「子どものために、学校を訴える」やり方にすり替えることで、わが子のために、親ががんばっている姿をわが子に見せることで満足を得ているようです。
 また、学校が悪いことにして、自分の弱さを見ることができないようです。未熟なパーソナリティを抱かえた親という見方もできます。
 熱心な担任は、誠実さを逆手にとられた形となりました。誠実だったからこそ、他の保護者が助け船を出してくれたケースですが、管理職や同僚教師に早めに相談しないと、紙一重でダウンしていたと思われます。
 教師は、保護者の「問題のすりかえ」に気づき、子ども本人と話をできるルートを見つけたいものです。
 このような保護者は、自分が不安なあまり、執拗に教師を責めてきますから、教師側に余裕のないときは、管理職や同僚教師と共に問題にあたり、担任が抱かえ込みすぎないようにすることが大切です。
 この世の中には「話してもわからない人もいる」のだ、と心得ておくことも、教師のメンタルヘルスを守るうえで必要です
(
井上麻紀: 臨床心理士。公立学校共済組合近畿中央病院メンタルヘルスケア・センター主任心理療法士。学校教職員の専門病院で、教員に特化したメンタルヘルスケアや職場復帰支援している)

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学級が荒れたとき、学年団の教師の協力を得て乗り切ることができた

 中学校では教科担任制のため、学年団でのチームプレーが欠かせない。そのためには「報告・連絡・相談」(ほうれんそう)をつねに意識することである。
 私は中学校1年生の担任になった。この学年は小学校とき、かなりひどい学級崩壊を経験している。
 生徒たちは、教師への暴言が頻繁にあり、教師に対する不信感が強かった。学年の教師は日々闘っていた。
「大きな声が聞こえたら、すぐさまその場に駆け付ける」というキャッチフレーズがあったほどだ。実際に大きな声が聞こえたら、飛んでいった。
 どこかの教科が崩れると、全体が崩れていくこともある。
 学年の教師集団で学年の生徒に対応することを確認して実行していった。
 そのためには、クラスで起きたこと、授業での出来事で必要なことは、早く学年団に報告する。
 そして、自分が行った指導や、こうしていこうという指導の見通しを伝える。指導のことで迷ったり、悩んだりしたら学年団に相談する。
 学年団に報告し、相談することで、気にかけてもらったり、いざというときに助けてもらえる。教師の力不足なところを補ってもらえるのだ。
 クラスで「こんないいことがあった」ということも、どんどん伝えると、学年団の教師は幸せな気分になれる。
 私のクラスの女生徒Mは異性に興味が人一倍あり、いろんな男の子にアタックするので嫌がられ避けるようになった。
 Mがそばに来たとき、わざと体をよける。嫌なあだ名をつける。通りかかったとき「きしょい」と言う。持ち物に傷をつける生徒もいた。
 多くの男の子は「Mは悪いから、嫌なことをしてもいいのだ」と思うようになった。
 クラスの生徒のMに対する「嫌がらせ」は重大な事件であると私は考えた。
 私は、Mに対する嫌がらせをなくすために、クラスの生徒と対決することにした。
 学級活動の時間に対決するので、学年の教師に協力を依頼し、時間の空いている教師に来てもらった。
 そこで、私は生徒からもらった手紙を読んだ。
「このクラスに苦しんでいる人がいます。『きしょい』と言ってしまったとき、悪いことを言ったなと思ってほしい。自分はどこが悪いか考えてほしいと思います」
「『きしょい』という悪口をいわないということをクラスの約束にしてほしいと思っています」
 私は担任として「人の不幸の上に自分の幸せを築き上げることが許せない」と話した。
 私は目を見開いて、一人ひとりの生徒の目をゆっくりと見ながら、私は
「中学校に入って、人に対して『きしょい』と言ったり、悪口を言ったり、嫌がらせをした人は立ちなさい」
と言った。男子生徒の半数、女子生徒が二人立った。私は
「もしかすると、その人にも非があるかもしれません。しかし、相手がどうであろうと、やってはいけないことは、やってはいけないのです」
 学年の教師が1時間、ずっと教室の後ろにいてくれ、少し話をしてもらった。おかげで何とか乗り切ることができた。
(
月安裕美:大阪府公立中学校教師
)

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教師はクレームの前さばきがヘタだ、保護者の怒りのエネルギーはどこから来ているのかが分かれば「関わり方、解決の糸口」が見つかり始める

 保護者と教師は敵ではありません。子どもの成長に関わる当事者として、子どものために手をつなぎあえる存在です。
 しかし今、保護者と教師の関係性が難しくなっています。
 少数ではありますが、解決することが難しいケースも確かにあります。
 学校内外で起きたトラブルを弁護士に相談して対処するために「学校法律相談制度」(スクール・ローヤー)が、2007年6月に東京・港区で発足しました。
 私のところにコメントしてほしいと言ってきたので、私が述べたことは
(1)
それだけ事態が深刻化していること
(2)
これによって教師の心理的な負担が軽減され安心感につながる
(3)
しかし、学校に持ち込まれる要求の9割以上は、法律家が出る幕がない「ぐち」や「不満」のようなものであり、違法とか不法行為ではない
(4)
この制度が本当にいいものになるかは、もう少しの経過観察が必要だ
ということでした。
 私が主宰している学校保護者関係研究会の弁護士が
学校の先生は前さばきがヘタだ
と形容したことがあります。
 前さばきとは相撲用語で「差し手争い」のことですが、それがヘタなためにがっぷりと四つに組まれて、抜き差しならなくなる状態を意味しています。
「それは不当な要求です」と言えば簡単に済むことを、いたずらに放置することによって、法的な恐喝問題にまで発展させていったりする。
 他方で、精神的にも追い詰められたり、きちんと向き合えばすぐに解決できそうなことを、逆にこじらせていくことを意味しています。
 学校や教師には
(1)
向き合うべき課題
(2)
聞き流すだけでいい話
(3)
適切な距離を保つ必要のある問題
 それを見定めるには、まずは保護者の話を聞きながら
「怒りの源」
はどこにあるのかを見て取る姿勢が必要なんだろうと思います。
 どんなクレームかということよりも、
「そのエネルギーはどこから来ているのか」が分かれば「関わり方、解決の糸口」が見つかり始めます。
 そのことによって「踏み込んでいいもの」と「踏み込んではいけないもの」といった関わり方にも気づくことになるでしょう。
 執拗で繰り返しの要望があるとすれば、それは表向きの要求であって、真意や背景事情は別にあるかもしれないということが推測できることもあるでしょう。
 ある場合には「積極的に応じる」のではなく「適切な距離を置きながら接する」ことによって、関係当事者双方がそれ以上に事態を深刻化させないことも必要です。
 部分的な解決しかのぞめなかったり、解決できず平行線のまま終わることも当然あるわけです。
 普通には考えられない行動を繰り返す背景として、何らかの精神疾患などからくる影響だけでは説明がつかない場合、人格障害が考えられます。
 玉井邦夫は著書で
「学校現場が人格障害の問題に直面し、困難を極めるのは、保護者に人格障害が認められるケースであろう。モンターペアレントなどと呼ばれることもある」
「常識では考えられないような要求や抗議を持ち込んでくる保護者のなかには、こうした人格障害に該当するケースが考えられる」
「教師に対する激烈な攻撃や、相手の感情などしんしゃくしない挑発、自分の言動に対する極端な無責任さ、他者に対する激しい好き嫌いや、気分の変動、強い被害の訴えなどが示される」
と書かれています。
 玉井邦夫は、こういった傾向をもつ保護者と接するばあいは
(1)
早急に教育委員会や専門機関(医療・福祉・警察など)の協力を得て、今の起きているトラブルを管理者と学校現場が共に共通理解すること。
(2)
学校ができる範囲は明確に管理者から伝えること。
(3)
教師の個人的資質の問題ではないことを確認すること。
以上のような大原則を踏まえて、関係機関とのチーム対応を続け、見立てや解決の方向を探ることになる。
「良かれ」と思って親身に関わっても、何度も裏切られ、振り回され続けて、何ともならなくなるような事態に陥ることがあります。
 そうならないために「適切な関係性」や「適度な距離の維持」が大切なわけです。
 すなわち、会う場所や時間を限定していくことや、一人で対応せずに共同で向き合うなど、すべて分かり合えるという前提には立たないということが大切です。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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自分らしさを生かした学級づくりは、どのようにすればよいのでしょうか

 教師が自分らしさを学級づくりに生かしていくと、学級内のルールも人間関係も安定します。
 自分の生き方や教育観を学級づくりに取り入れて、自分なりのやり方で集団をまとめるとよい。
 そのために、教師は、自分はどのような傾向があるのかを把握しなければならない。
 教師が子どもたちに毎日行っていることは二種類ある。
 教育の専門家として子どもたちを教える「指導面」と、子どもたちの心情面を支え、子どもたちが自ら活動することを支える「援助面」である。
 教師には、ルールを重んじる「指導面」が優位な教師と、子どもたちとの人間関係を重んじる「援助面」が優位な教師がいる。
「指導面」が優位な教師と「援助面」が優位な教師に分かれるのは、その背景に教師の性格や価値観があるからである。
 あなたは、どっちのタイプの教師ですか。
(1)
指導タイプの教師
 まずは、学級をまとめたい。しっかり授業を受け、休み時間はしっかり遊ぼう、けじめが大事といったタイプの教師。
 このような教師は、子どもたちとの関係づくりにも取り組むようにするとよい。
(2)
援助タイプの教師
 まずは、子どもたちと仲良くなりたい。わからないところはないかな。一つずつ確認しながら、ゆっくり楽しくやっていきたいといったタイプの教師。
 このような教師は、ルールの定着にも取り組むとよい。
 どちらがいいというものではなく、大事なのは、教師が自分の傾向を把握して、状況に応じて二つの対応のバランスをうまく調整するとよい。
 この二つのバランスと、学級集団にルールと人間関係を定着させることは密接に関係している。
 子どもたちに人気の高い教師とその理由は
(1)
人間として魅力的
 子どもたちは「私のことを受け入れてくれる」「私のことを認めてくれる」など。
(2)
教師として魅力的
 子どもたちは「あの先生は、わかりやすく、楽しく教えてくれる」「熱心に指導してくれる」など。
 現代の子どもたちを育てるには
(1)
教師は子どもたちと肩ひじを張らずに接する
 現代の子どもたちは教師に対しても、一人の友だちとしてつきあう傾向にある。
 したがって、教師が子どもたちに、親しい関係の中で穏やかな物腰と言葉で話しかけないと、子どもたちは、抵抗を感じて、聞こうとしなくなってしまう。
(2)
子どもたちと親しくうちとける
 そこで、教師は子どもたちと親しくうちとけるようにする。それから徐々に、子どもと教師のつきあいを増やしていくと、指示も通りやすい。
 ただし、教師が子どもたちに気に入られることだけを考えて、ルールと人間関係への対応を疎かにしないように気をつける。
(3)
罰や強制は最小限にとどめる
 子どもたちを罰や強制で動かそうとすると、早い段階で教師を信頼しなくなり、指示に耳をかさなくなる。
 子どもに行動をさせたいときや、行動を改めさせたいときは「罰や強制」だけに頼らず、「ほめる」「適切に注意する」などの基本技術を活用して対応する。
  
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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板書のうまい教師はいい教師、子どもの注意や意欲を刺激する板書のポイントとは

 板書は、大切なポイントを黒板に書いていく作業ですが、この板書には何を書いて、何を書かないか。書くべきことも、どれだけわかりやすく短くまとめるか。そうした選択と省略と凝縮の技術が必要になってきます。
 教師にとって、この選択と凝縮の技術がいちばん求められるのが板書です。
 板書の上手な教師は、かならず的を射た内容の選択や凝縮が行われていて、そのときに教えたいことの必要最小限の要点がわかりやすいかたちで記されているものです。
 余分なことは省かれていながら、核となる部分や勘どころはきちんと書かれているので、それを読み返せば、教えたことの内容や流れがしっかり理解できる。そういう板書です。
 よい板書は、要領よく、美しく、構造的に書かれています。
 一方、板書がへたな教師は、書きすぎる傾向があります。省略や凝縮の技術が甘いのです。
 要点を絞って、単語に近いような簡潔な文で記すのが板書技術の大原則なのです。
 板書は授業内容の簡潔な記録です。
 それは、教わる子どもたちの学習意欲を引き出したり、考えを深めたり整理したりするための記録である。
 また、板書は教師と子どもたちの「交流」の場でなくてはなりません。
 交流がない、すなわち教わる子どもたちの意見の反映のない板書は、生きた板書とはいえません。教わる子どもたちの反応を、教師がどう受け止めたか。その双方向的な記録が欠けているからです。
 したがって、板書は、学習内容の要点のほかにも、授業中の発言内容のポイントも記されている必要があります。
 また、その発言を全体と関連づけ、全体のなかで位置づけてあげることも大切です。
 このように、板書は、子どもたちの意見や考えも拾い上げて、全体に反映する場所でなくてはなりません。
 学習内容とそれに対する、教わる子どもたちの反応。それが交錯する場が黒板なのです。
 板書のうまい教師は、いい教師といっても過言ではありません。
 板書は、何をいつどこに書くか、授業の流れ沿って書く順番やタイミング、場所などを事前にイメージして、その完成図を頭に描いているものなのです。
 下書きを紙に書く場合もあれば、実際に黒板を使って予行演習する場合もあるのです。
 私も教師になって何年間かは、ノートを利用してページの半分に授業内容を書き出し、残り半分のスペースに平行して板書をするという勉強をつづけたものでした。
 とはいえ、事前の計画どおりに板書がなされた授業というのも、けっしていい授業とはいえません。
 事前の予想どおりに進んだということは、すなわち、予想どおりにしか進まなかったということであり、それは教わる子どもたちの発言が少なく、交流にも乏しい、ダイナミズムに欠けた授業であることの証しだからです。
 したがって、板書は、その授業が子どもたちの理解が進んだいい授業であったかは、板書を見れば、ほぼ一目でわかるものなのです。
 黒板は教わる子どもたちと教師の交流の場ですから、ていねいな板書をすれば、教わる子どもたちのノートも自然にきれいになります。
 板書の大切さはもっと見直されてしかるべきだと思います。
 板書の技術をつぎにあげると
(1)
黒板を広く使う
 黒板の全面をいっぱいに使うのが板書の原則です。
 ただし、黒板の両端の左右の下端は、子どもたちの視界に入りにくいので、大切なことを書かないようにする。
 大事なことは、一番目立つ、真ん中の上部あたりに書くようにするのが原則です。
(2)
文字は大きく書く
 板書の文字が小さすぎる教師が多い。教師が自分で書きやすい大きさで書くと、子どもたちの目には必ず小さすぎるものなのです。
 あくまで、子どもたちの主体に考えて「少し大きすぎるかな?」と思えるくらいの大きさでちょうどいい。
 板書がへたな教師は、たいてい字が小さいものですし、大きな字を書いているうちに板書もうまくなってくるものなのです。
(3)
板書の消し方を工夫する
 授業の途中や最後で、終わった部分の板書を「もう用ずみ」とばかり、消してしまう教師がいます。そういう場面を見るたびに「何と、もったいないことを」と私は思います。
 消し方を工夫することで、学習内容の確認や復習をさせられるのです。
 たとえば、白で書かれた部分を消し、赤の重要な部分や、黄色の「はてな?」部分だけを残して、それを復唱させる。
 逆に、重要ポイントだけを消して「いま消したところに、どんなことが書いてありましたか?」などとたずねる。
 教え終わったあとも虫食い状態の板書を残しておいて、つぎの時間の始めに埋めさせてから消すという方法もあります。
 こうした方法によって、子どもたちの理解力はより深まります。また、板書というものを子どもたちはとても大切に考えるようになり、ノートの取り方にも反映していくのです。 
 よい消し方ができるということは、よい板書のしかたをしているということであり、よい教え方をしているということの証なのです。
(4)
子どもの注意や意欲を刺激する
 私は授業の最初に、黒板に日づけを記入するとき、いろいろ変化をつけていました。
 たとえば、バカでかい文字で書いたり、極端に小さく書いたり、やたらと細長く書いたり。六月なら水無月と書き、十月ならオクトーバーと書いてみる。そんな工夫をしました。
 そうすると、よそ見していた子どもも黒板を注視するようになります。それが集中力や学習意欲につながっていくのです。
 わざと日づけを間違えて書き、子どもの注意を喚起することもありました。
 授業中に、子どもたちの気持ちがダレているかなとか、集中力を欠いているなと思えたときに、たとえば数字の6を8と間違えて書き「先生、数字が違っているよ」などと指摘させることで、彼らの注意力を再喚起させるような方法もあります。
 そういう場合、私は子どもといっしょに、お笑いのコントを演じる芸人のようなつもりでした。
 そうすることで、教室にオープンでくだけた空気を醸し出し、授業を少しでも楽しく、おもしろく感じさせる工夫をしていたのです。
 このようなユーモア、明るさや楽しさというのは、教える行為のかなり重要な部分なのだと思います。笑いは教わる子どもたちを学習好きにするための潤滑油であり、添加物でもあるのです。
「授業が楽しい」「勉強するのがおもしろい」と感じられれば、子どもの学力は自然に伸びていくからです。
 逆に、一時間の授業のうちに、一度も笑いがない、ユーモアの要素がない教室は、子どもにとって牢獄に等しいものでしょう。
 日本の教育現場にもっとも不足していて、もっとも必要とされているのが、その笑いでありユーモアなのです。
「笑いを持ち込むと教室の空気が緩んでしまう」「笑わせたら、子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。
 しかし、笑いの効果はそれとはまったく逆のものです。
 教師がすました顔で、ユーモラスな話をすれば、教わる子どもたちは身をのりだして聞くはずです。そのときにも集中力や注意力、学ぼうというエネルギーが生まれているのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要があります。
 教えるという行為は「空気」がするものです。子どものやる気を刺激する空気、楽しく学べる空気、はつらつとできる空気。そういう空気をいかにつくり出してやるかが教える教師の大事な役割なのです。
 そんな空気を醸成するのは、しかつめらしい、もったいぶった態度ではありません。楽しく明るい、フランクな姿勢です。
 ユーモアや笑いは学びの敵どころか、大いなる援軍なのです。そのための秘訣は
(1)
教師が「自分を笑う」こと
 教師が自分の失敗やとんちんかんな言動を笑いのネタにするのです。自分を笑っているかぎりは誰かを傷つけることもありません。カラッとした自虐ネタはユーモアの原点だといえます。
(2)
教師が「自分が笑う」こと
 子どもを笑わせようとしたら、まず教師が自分から笑うことが大事です。それだけで教室の空気はなごむのです。
 子どもたちが何かおもしろいことを言ったときには、いの一番に教師である自分が大いに笑うように私は努めていました。
「子どもといっしょに笑える教師は子どもといっしょに歩める教師であり、子どもとともに進める教師だ」という信念が私にはあったのです。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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子どもを指導し、指示するときのポイントは何でしょうか

 子どもに対する強制的な指導や指示は、子どもたちに受け入れられにくくなっている。
 それゆえ、強制的な指導をするときには、その前に、まず、子どもたちに意味・理由を、しっかりと説明しなければならない。
 子どもたちは、これを了解することで指導を受け入れやすくなる。
 また、強制的な指導は、一貫性をもち、規則的に行わなければならない。
「私が怒られたのは、先生の機嫌が悪かったからだ」とか「同じことをしても、私ばかり怒られる」
といった気持ちを子どもがもったとしたら、その時点で教師との関係は崩れてしまう。
 教師が本当に自分のことを思って、怒ってくれていると子どもが感じるには、それ以前に教師と子どもとの心の交流や、子どもたちにも伝わるような明確な基準が必要である。
 それなくしては、怒るという指導をする意味がなくなってしまうのである。
 また、強制的な指導によって、子どもにやらせる以上、子どもが「やってよかった」と思える結果をださなければならない。
 つまり、そのような結果を出せる課題を与える必要がある。
 強制的にやらせたあとは、子どもが結果を出し、その努力をほめることによって、はじめて子どもは「やらされたけど、やってよかった」と思えるのである。
 そこまで面倒を見ていく覚悟なくして、強制的な指導をしてはならないのである。
 教師は、日頃、休み時間や放課後に自己開示をしながら雑談をし、ユーモアを交えて話をすることで、話しやすさと、教師の人間性を子どもに表現し、子どもたちと関係をつくっていくとよい。
 教師は学級の雰囲気をつくる大きな要素である。明るく元気に子どもたちに声をかけよう。
 子どもたち全員の、小さな努力、わずかな変化も見逃さずにほめる。言葉にして伝えることが大切である。教師が感動したことや楽しかったことを、素直に言葉や表情で表現する。
 その繰り返しの中で、時に強制的な指導をし、そこで生まれた子どもたちの努力をほめ、子どもとの絆が深まるのである。
 子どもの間違った行為に、すぐに叱責せずに、正しい行動をとるための具体的な指示を与え、期待通りの正しい行動をとろうと努力したときに、ほめるという寛容さが大切である。
 子どもにはプライドがある。叱るときは個別に呼んで、じっくり話すようにする。
 反対に、ほめるときは、全体の前でみんなに伝える。多くの人に認められるのはうれしいものである。
 本人のいないところでは、批判せずに、ほめて、ほめ言葉を広めるようにする。
 教師の専門職としての技術は、子どもたちを指導する際に、いかにわかりやすく伝えるかという技術でもある。
 
私が担任をしていた学年の教師Aの言葉はソフトで、しかも信念に満ちた語り口であった。
 彼の周りには女子生徒が集まり、さまざまな相談がもちかけられていた。彼の持つ温かさという「人格的魅力」とともに、その信念からくる安心感、つまり教師としての魅力だったのだろう。
 私は多くの失敗もし、先輩教師や子ども、保護者からたくさん学んできた。
 そんな私が教師にとって、もっとも基本的であり、必要であると実感している技術は「話す技術」と「指示を出す技術」である。
1 話す技術
(1)
両足に均等に体重をかけ、すっきりと立つ
(2)
子どもたちの顔を見回して話す
 子どもたちの顔を後方の右・中・左の三ポイントを見渡しながら話す。
(3)
声は適度な音量で
 声は小さすぎず、大きすぎず、適度な音量で、メリハリをもつ。
(4)
体で表現する
 話を強調するときは、手で示すなど、ジェスチャーで伝える。
(5)
表情で話す
 話を盛り上げるときには笑顔で、注意するときは厳しい表情で。
2 指示する技術
(1)
最後の行動まで示す
 最終的に、どうするかということまで示す。
(2)
一度の指示では一つのことを
 いくつもの内容を一度に言わず、一つのことのみを言う。
(3)
一つの動きが終わったら確認する
 一つの動きが終わったら、全員ができたかを確認する。
(4)
全員ができるまで次の指示を出さない
 全員の動きが終わるまでは、次の指示を出さずに、待つ。
(5)
指示を出したら、評価する
 指示をして、子どもたちを動かしたら、自分の気持ちを語って評価する。
(
若菜秀彦:1961年生まれ、中学校教師、教育委員会指導主事、千葉県公立中学校長を経て同公立高校校長)

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学級の荒れや崩壊を予防する妙手とは

 教師は、学級の荒れや学級崩壊の危機にさらされている。
 学級の小さなほころびを放っておいたツケがたまって荒れはじめる。
 学級は。組織を作ったから動くわけでなく、子どもたちはルールを理解したからといって守るわけでもない。必ず少しずつほころんでくるのである。
 おおむね、六月ごろに子どもたちは荒れはじめる。小さなことも見逃さない執念で、とりくむ覚悟が必要だ。
「先生は絶対やると言ったことは通すんだ」と、徹底する執念があるかによって学級が崩壊するかどうかが決まると言ってよい。
 掃除、給食当番などの班で行う活動がうまくできないなどは、学級崩壊への予兆である。
 子どもたちは、お互いの行動について注意しあうことができない関係になっているためである。
 こんなとき、学習活動にペア学習を取り入れるとよい。学習の中で協力しなくてはいけない場面をつくる。
 たとえば、発問で選択肢を三つほどだし「二人で相談して、一つの意見を選びなさい」と指示を出すのである。
 子どもたちが向き合うようにしむけることが必要なのです。
 次に「子どもたちの持つ力を利用して導いてあげる」ことである。
 教師が子どもたちを仲よくさせるのだが、教師が頑張るのではなく、子どもが頑張るようにすることだ。
 子どもたち集団のもつエネルギーは計り知れない。明るい方へ、自然と導いてあげられれば、おのずとクラスも明るくなるのである。
 学級にはさまざまな子がいる。当然、どの学級でも問題行動が発生する。そんなとき、教師は気落ちしてしまうものである。しかし、見方を変えれば「ピンチはチャンス」である。
 教師が動揺し浮き足立てば、まずい対応となり学級の荒れや崩壊を招く。心にゆとりを持った対応が求められる。
 問題が発生した場合は、まず冷静に事実を受け入れ、事実確認をし、それを突破する方策を考えることである。
 子どもだから、つまずきは当たり前であるという度量を教師が持つ必要がある。
 問題行動を通して、子どもが考え、学ぶことができる貴重なチャンスなのである。
 指導者である教師は本筋をとらえた好手を次々に打っていかなければならない。
 本筋は、子どもに過ちを反省させることである。過ちをしてしまった本人に話させるようにすべきなのである。
 その指導にはコツがある。それは「子どもの自発的な発言を中心に対話を組み立てる」ということである。自発的な発言は子どもの内省を促すことができるからである。
例えば、
「何か悪いことしたでしょう。先生に話してごらんなさい」
「他の人から、いろいろな話を聞いたのだけど、先生は〇〇さんの口から、そのことを聞きたいと思ったんだ」
「そう、偉い、よく言ってくれました」
「でも、先生の話してほしいのは、そのことではありません」
「まだ、他にあるでしょう」
と、詰めていくのである。
 この指導のコツを知ってから、子どもと事件を共有し、怒鳴ることなく指導することができるようになった。
 真相が分かった段階で「そうしてしまったことをどう思いますか?」と反省を促し、注意すればいいのである。
 学級には、ボス的な存在の子どもがいる場合がある。そんなときは、その子一人だけの指導にこだわってはいけない。
 どうしても目立つ子が気になるが、その他大勢の子どもたちへの対応に力を注ぐことが、遠回りのようで、近道となることがある。
 授業に力を注ぐようにして、まじめに学習している子どもたちの信頼を獲得するようにする。
 戦うときは一対一で「その他大勢の子どもたちを味方につける」ことが大事なポイントとなる。
 叱ることについてもルールが必要である。何をどこまでしたら、注意なのか、それとも叱ることなのか、といったことである。
 教師は自分の中にしっかりと持っていないと、子どもたちは敏感である。見ていて、差があると、あっというまに教師への信頼を失う。子どもたちは差別に敏感である。
 もし、教師に授業の腕があれば学級崩壊はありえない。授業が退屈で、わからないと反発するのは当たり前である。
 授業を良くすること、子どもたちにとって価値のあるものにすることが、学級経営の王道である。
 しかし、残念ながらこればかりは、本を読み、研究授業をし、サークルに通い、汗と恥をかくしか上達の近道はない。
 教師が成長をとめると、子どもたちも、ついてこなくなる。
 子どもたち一人ひとりの長所が学級の風土になり、一人ひとりの子どもを伸ばそうと教師が考えているか。教師の姿勢や心構え、指導方法をチェックし、方策を講じることが何よりも大切である。
(
中島主税・矢田広和・大久保奈生子・大沼靖治:北海道公立小学校教師
)

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保護者に好かれ、信頼される教師の話し方とは

 保護者会で保護者に好かれる話し方は、どのようにすればよいのでしょうか。
(1)
にこやかに話す
 暗い表情は保護者に第一印象として、よくない印象を与える。
 子どもに接するときと同じように、明るい表情はどの場面でも必要だ。
 やはり、何事が起っても、にこやかに話すということは大事だ。
 にこやかに話していくと、きつい話が混ざっていても、さらっと聞き流してくれる。
 例え、問題が起こったときでも、教師は希望を持っているという意志も示さなければいけない。
 そういう冷静さを保護者に感じさせる必要があろう。
 あ、この先生はいい先生だな、と言うことを第一印象にしたい。決して冷たさを感じさせないようにしたいものだ。
(2)
丁寧な言葉で
 丁寧な言葉遣いは、にこやかに話すのと同様に悪い印象は与えない。
 保護者が自分と同世代だからとか、自分より若いからと、砕けた話し方はいけない。
 仲間同士の話のように話していると、親しくなれたような気になるかもしれないが、教師だけがそう思っているだけなのかもしれない。
 聞いている保護者に合わせて、話し言葉も変えないといけない。
(3)
自信を持って話す
 保護者は子どもを安心して任せられる教師かどうかを見ている。
 丁寧に話をしていても、自信のない話し方をしていると
「この先生は、頼りがいのある先生なのだろうか?」
と、思わせてしまう。
 教育のプロとして、自信を持って話をすべきだ。
 教師は、教育に対して、どのような思いや理念をもっているのか、どのような子どもに育てたいのか、どのような実践をしているのかを明確に持って、保護者に話をしたい。
 特に、こういう実践をしたら、子どもがこうなったということを、自信を持って話したい。
(4)
謙虚に話をする
 教師は、自信を持ちすぎると、謙虚さに欠けることがある。
 若い教師なのに「教育について全部知っています」というような態度は逆に反発されるときもある。
 一歩さがって、保護者の言うことにも耳を傾ける謙虚さが必要である。
(5)
ポイントを抑えて話す
 どんなによい話でも、だらだらと話をしていると、よい印象は与えない。
 いろいろと話したいことがあっても、ポイントをしっかりまとめておいて、話したい。
 ポイントがたくさんあると、覚えきらないし、だらけてくる。ポイントを絞って簡潔に話をしたい。
(6)
資料をもとに話す
 資料を作って、資料をもとに話すと、話も整理される。聞いている保護者には、長くなる話も、だらけずに聞くことができる。 
(
磯貝定徳:神奈川県公立小学校教師
)

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「押しつけや、いや味」のない説教をするには、どうすればよいのでしょうか

 私は小さい頃から、ずっとお説教というのが嫌いでした。
 お説教されると、すぐ逃げ出したい気分になります。私は、お説教の中に「押しつけ、見せしめ、いや味」などの臭いを感じてしまうのです。
 ところが、そんな私がお説教する場面に立たされたのです。
 学年の廊下に貼りだしていた100枚ほどの「遠足のスナップ写真」の見本のうち5枚が消えてしまったのです。
 その日、朝の職員の打ち合わせで、昼休みに中学2年生全員を体育館に集めて話をしようということになったのです。
 ベテランと呼ばれても不思議でない年齢になってしまった私がお説教する役に選ばれたのです。子どもたちにつぎのように考えて話しました。
1 お説教の目標
 目標は、話が終わった時に、多くの子どもたちが「なーるほど、そういうことで、集会になったのか。それなら、しょうがないか」と思ってもらえることです。
(1)
見せしめの集会にはしない
 教師は、説教を「見せしめ効果」に使ってしまいがちです。学活や道徳の時間、授業の時などにやりがちなことです。
 だけど、この「見せしめ効果」には、充分気をつけてください。
 やられる側にしてみると「悪いことして、ゴメンネ」という気持ちになることもあるけれど、多くの場合は
「教師たちめ『みせしめ』なんて汚い手を使いやがって、俺たちを『悪者』に決めつけ、みんなの前で恥をかかせて、頭にくる。チクショウめ」
などという反感を持たせてしまうものなのです。
 その結果、集会の後に、より悪質ないたずらが勃発するということがしばしばあるのです。
(2)
必ず「問題を起こした子ども側」の気持ちにも触れる
 この事件に限らず、問題を起こした子どものことを、頭ごなしに「悪者」扱いにしてのお説教は、ただ反発を買うだけですから注意してください。
 必ずといっていいくらい本人には「もっともな言い分」があるものなのです。
 だから、どんな問題の時も、必ず「やっちゃった側」の気持ちは一度はちゃんと聞いてやるべきなのです。
 聞くのは一番始めの時が絶対にいいのです。「言い分」を充分に聞いてあげましょう。
 そして、その次に「事実の確認」と「その善悪についての判断」をさせてあげたいのです。この順番は、絶対に間違えないようにしましょう。
 子どもたちが「この先生、俺たちの気持ちを分かろうとしてくれている」と思ってくれたりしたら、教師の話も心を開いて聞いてくれるかもしれないからです。
 私は、集会で話す時間を5分以内と決めました。
2 出だしの話
 私は本題に入る前に、こんな感じでスタートしました。
「みんなにとっては、遊べる貴重な休み時間だというのに、すごいガッカリだよね。僕も同じ気持ちです」
3 なぜ集まってもらったかの説明
「みんなに話さなければいけないことが起きたので、ここに集まってもらいました。少しだけつきあってください」
「実は、廊下に貼りだしておいた遠足のスナップ写真の何枚かが失くなってしまったんです。それで困っているんです」
「もしかして、この学年の人のいたずらでないかもしれません。もし、そうだったらゴメンなさいね」
「でも、学年の廊下での紛失事件なので、とりあえずみなさんに集まってもらいました」
4 問題を起こした子どもの気持ちに触れる
「ところで、写真をとった人って、きっとほんのイタズラ心でやったんだと思うんです」
「あるいは、写真を見ているうちに、この子、かわいいな。この写真ほしいなーと、つい手が伸びちゃったとかね」
「とにかく、すごい悪いことをしたわけじゃない。ちょっとした出来心でやっちゃったことだと思うんです」
5 結果として、どんなマズイことになったか話す
「ところで、写真をとった人は、ほんの出来心でやっちゃったことなんでしょうが、それは結果として、次のことでまずかったんですよねー」
「まず、まだあの見本の写真を見ていない人に迷惑をかけているんですよ。消えてしまった写真からは選べない。だから、困っているんです」
「それから、写真屋さんにも迷惑をかけていることにもなる。あの写真は写真屋さんの私物なんです。いたずらでも、これは『盗難事件』です。これはまずいんですよ」
まずい点については、短くさわやかにハッキリと教えてあげたいですね。
6 これからどうあってほしいのかを伝える
「僕の願いとしては『できたら失くなった写真が戻ってくるといいなー』ということです。写真を戻してくれる人が現れたら、僕はすごくうれしいですよ」
「ただ、戻そうと思っても『戻しづらいなー』ということもあるものです。そんな時は、ほんと、どこにでもいいですから、そっと返しておいてくださいよ」
7 私の気持ちを子どもたちに伝える
「僕は、こういう会ってあまりやりたくないですねー。だつて,僕が一番さみしいなーと思うのは、教師が子どもたちを疑ったり、互いに不信感を持ったりすることです」
「また、子どもたち同士がお互いに不信感を持ち合うこともさみしいことですね。なんとか避けたいですね」
「できたら、お互い笑顔のたのしい関係がいい。だから、今度は、たのしいことで集まりたいですね」
「貴重な時間をつぶしてしまいました。ごめんなさいね。でも、まー、僕なりに『お互いがイヤーな気持ちにならないように』と一生懸命に話したつもりです」
「そんな僕の気持ち、分かってもらえたらうれしいです。僕の話、これでおしまいです」
 ところで、この数日後、なんとあの失くなった5枚の写真が戻ってきたのです。
「俺たち、とっちゃった」と代表のYくんが返してくれたのでした。
(
小原茂巳:東京都公立中学校教師を経て明星大学教授
)

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掃除をさぼる生徒がたくさんいたが、アドバイスを受け、やり方を変えるとさぼる生徒が徐々に減っていった

 掃除の時間は、掃除をさぼる生徒を探すことに私は全力を注いでいた。しかし、さぼる生徒の数が減らなかった。
 掃除の時間になると、掃除に行かず遊んでいる生徒や、ほうきを持ったまま掃除をしない生徒などがたくさんいた。私は掃除の時間が苦痛だった。
 私は、まじめな生徒に掃除を任せ、掃除場所にいない生徒をいつも呼びに行っていた。他のクラスの生徒から「また探しているんだ」と言われた。
 さぼっている生徒を見つけると「早く掃除をしないさい!」と注意し、大きな声で怒鳴ったこともあった。
 しかし、生徒は「うるせー」「しつこい」「掃除なんか、めんどくせー」という言葉しか返ってこなかった。
 このようなやりとりをしているうちに、20分が経ち、掃除終了の時間となった。
 掃除が終わると、班長が清掃点検表に記入し、班員全員で反省会をすることを学級のルールにしていた。
 ほとんどの班は、1~2名のさぼりの生徒がいたので、班長に呼びに行かせても戻ってこないときは、私が呼びに行った。
 反省会に全員がそろわないと終わらないことを知っているので、しぶしぶ戻ってきた。
 毎日がこの繰り返しであった。当然、帰りの会は、いつも学年で一番遅かった。
 あるとき、隣のクラスの先輩教師に
「掃除をやらない生徒ばかり目を向けるのではなく、まじめにやっている生徒をほめてあげなさい」
アドバイスを受けた。
 今までのやり方では、一向にまじめに掃除をする生徒が増えないということがわかった。しかも、まじめな生徒ばかりが損をし、しかもほめられないという最悪の状態だった。
 そこで、次のように、やり方を思い切って変えてみた。
(1)
生徒といっしょに掃除をする。
(2)
反省会はしない。
(3)
まじめに掃除をする生徒を思いっきりほめる。
 授業終了のチャイムと同時に、私は授業を終わらせ、すぐに教室に向かう。
 教室に入ると、すぐに「さぁ、掃除だー」と、近くにいる生徒たちに明るく声をかけ、掃除ロッカーからほうきを取り出し、どんどん掃いていく。
 まじめな生徒たちは、私の様子を見て、あわてて掃除に取りかかった。机が運ばれていなければ、率先して運んだ。
 掃き終われば、ちりとりを持ってきて、ゴミを集めた。教室の出入口の溝など、生徒が掃除をしないような所も雑巾で拭いた。雑巾が汚れていれば、もう一度洗い直した。
 教室には、ゴム手袋を常備した。とにかく、掃除の時間は、生徒以上に動き働いた。
 すると、どうだろう。いちいち注意を与えなくても、
 教師の動きを見て、すばやく掃除に取りかかる生徒がいた。
 今まで、動きが鈍かった生徒たちも、少しずつではあるが動くようになってきた。
 掃除にまじめに取り組んでいる生徒の様子が事細かにわかるようになった。
 清掃点検表を見て、まじめに取り組んでいる生徒たちを帰りの会や学級通信で取り上げ、ほめまくった。ほめられれば、さらに働いてくれた。
 その他の生徒たちも、刺激を受けたのか、掃除をさぼる生徒が徐々に減っていった
 教師が率先して動くようになったことで、掃除をまじめにする生徒に目が向き、それをほめることだけで、学級全体の掃除に対する取り組みが確実に変化していった。
 今では、私は生徒たちにどんどん指示を出すようにしている。
「こっち、掃いてー」「机どんどん運んでー」「次にこっち!」
というように、絶えず私自身が動き、生徒の動きをあおっている。
 そんな私は動きにつられてか、生徒の動きもどんどん早くなってきている。
 おかげで、掃除・帰りの会の終了は、学年一番になった。  
(
我妻佳代:宮城県公立中学校教師
)

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いまの若い教師の最大の不安は「保護者とうまくやっていけるか」です、どうすればよいか

 いま若い教師の間では、ちゃんと授業を教えられる技量があるかどうか、子どもや教職員とうまくやっていけるかどうかより「保護者とうまくやっていけるか」が最大の不安材料になっています。
 最初から保護者対応力を持っている新米教師はまれだからです。
 保護者対応力は経験によって身につくことが多い。
 学校現場での具体的なトラブル解決の臨場感の中で、また、職場の同僚性の発揮の中で、あるいは、教師自らが家庭を持ち子育てに関わる経験によって、はじめて身につくことが多いのです。
 最初から保護者対応力を持っている新米教師はまれな存在にすぎません。保護者対応能力を、教師としての値踏みに使わないようにしてもらいたい。
 学校現場では、苦情を受ける人は、実際に問題を引き起こした教師であり、
「〇〇先生の対応の仕方が悪いからこうなったんだ」
と、個人の問題ととらえられやすい傾向をもっています。教師個人が名指しで責められやすいという特徴があり、それがもっとも辛いといえます。
 だから「トラブルを抱かえていることを他の人に知られたくない」という意識を生みだしやすく、周りが気づいたときは「傷が深くなっている」という状態が起こりやすいわけです。
 企業の場合は、苦情対応が担当者の力量を超えてしまった場合は、別の人間に代わってもらうことができます。
 しかし学校では、苦情を申し立てる保護者の側からすれば、学級で起こっていることは担任が対応するのが当然という意識があるため、担当者が交代するのは難しい。
 そのため、学校では「相当深刻になってから」交代おこなわれることが多い。
 交代するのは、続行不可能となり、担任を降りるとか休職という、極めて不幸な形となってあらわれることになります。
 学校には、苦情対応を専門にしているプロはいません。教頭などが、それらに当たる場合が多いが、他の雑多な膨大な仕事を抱かえながらの同時並行作業です。
 担任も同じで、ふだんの仕事と併せて、苦情対応をおこなわなければならないために、負担が強くなります。
 それがさらに本業である教育指導に多大のマイナスの影響を及ぼしたり、注意力が散漫になるため、より悪循環に陥りやすいわけです。
 この4年間で教育委員会に上がってくる保護者などからの苦情やクレームが、79件から25件に次第に減少している市があります。
 その市は、教職員のスポーツ大会はあるし、宿泊を伴う職員旅行が残っています。
 そのことと、苦情が減少したこととの間に相関関係があるかどいかは、調査をしないとなんともいえません。
 ただ、トラブルが起こったときに、教職員を孤立させないようにする配慮の体制は、教育委員会の学校支援を含めて、整えています。
 少なからず、どこかで誰かとつながっているという気持ちが、それぞれの教職員の頭の片隅にあるかどうかが、一つのわかれ目のように思います。
 私は講演先で
「一見すると、ムダと思われた時間と空間がどんなに大事なことか。皆さん方の職場に、宿泊を伴う職員旅行は残っていますか」
「一学期に1回でもいい。汗を流し、笑いあうようなバレーボール大会、ソフトボール大会・・・残っていますか」
「職場の同僚性や共同性は、汗と笑いの中からしか、生み出されないのです」
と、訴えかけています。
 手探りでその日その日を、なんとか乗り切っているのが若手教師かもしれません。
 近くに頼れる先輩教師がいて、そういった人たちとうまくコミュニケーションができていますか。
 ふたんから職員室に笑い声があふれていますか。
 つらいこと、しんどいことが起きても「なんとかなる。みんなでやろうぜ」という声がかかりますか。
 若い教師は、元気いっぱいに子どもたちと向き合ってください。先生たちが元気でないと、子どもも楽しくありませんし、保護者も不安になります。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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子どもに好かれ、学級を育てる、成長する教師と、その逆の教師との違いは何でしょうか、 子どもに好かれ、学級を育てる、成長する教師になる秘訣とは

 子どもに好かれる教師と、そうでない教師とがいます。また、活気に満ちた学級を育てる教師と、学級を育てられない教師がいます。
 どこに違いがあるでしょうか。
 子どもに好かれ、学級を育て、伸びる教師と、その逆の教師との違いと、子どもに好かれ、学級を育て、伸びる教師になる秘訣を紹介します。
1 子どもに好かれる教師
) 厳しくて、おもしろくて、力をつけてくれる教師
 子どもたちが期待している教師とは「厳しい」と「おもしろい」を兼ね備えた教師です。そして、力をつけてくれる教師です。
(1)
厳しい教師
「厳しい先生」を子どもたちは、きらってはいません。このことを私たち教師は、もう一度、考え直してみる必要があります。
 ダメなことをした時には、きちんとダメであることを指摘し、そのわけを教えてくれるのが教師です。
「正しいこと」と「ダメなこと」とをあいまいにする「まあまあ教師」を、子どもたちは決して期待していません。
(2)
おもしろくて、力をつけてくれる教師
 ユーモアがあって、楽しい話をしてくれる教師。何よりも、授業をおもしろくしてくれる教師を子どもたちは歓迎し尊敬します。
 授業がおもしろくなかったら、子どもたちは毎日が退屈です。子どもたちは、勉強して力をつけたいと願っています。
) 明るく、やさしい教師
 ニコニコしていて、元気で落ち込まない教師。カッと怒らないで、話を聞いてくれる、やさしい教師が好かれます。
 教師は、一人ひとりの子どもを人格的、知的に成長させるために、もっと専門性を高め、人間力を磨かなければなりません。
2 嫌われる教師
1)
子どもが気にしていることを平気で口にする「嫌味」を言う教師。
2)
お気に入りの子どもをかわいがる「えこひき」をする教師。
3)
元気がなく、表情も暗い感じがする「暗い」教師。
4)
失敗をいつまでもネチネチと言う「しつこい」教師。
5)
気分によって話の中身が変わる「言うことが変わる」教師。
 子どもたちの指摘を素直に受け入れて、明るい元気な教師になるように努めたいものです。
3 学級をダメにする教師
1)
物事を悲観的に見る教師
 物事を悲観的に見る教師は、子どもを伸ばせません。「子どもに、やる気がなくて困ります」といっていつも悲観的に考えている。教室の雰囲気も暗くなり、学級は沈滞していきます。
2)
まじめすぎる教師
 まじめすぎる教師も、学級を育てることができません。まじめすぎるあまり、許容範囲が狭くなり、子どもが少しでもはめを外すと「ダメ」と禁止します。
 子どもたちは、いつも窮屈な雰囲気の中にいることになり、学級に活気がなくなります。
 教師自身もまじめ過ぎるため、ストレスも溜まりやすく、暗くなることが多くなり、学級は育たなくなります。
3)
友だちのような教師
 友だちのような教師は、学級が崩れ、学習も成立しなくなってきます。
 子どもたちは、しばらくは「優しい先生」と身を寄せてきますが、何となく頼りがいがなく感じ、いつしか離れてしまいます。
 気軽に話せること、子どもと一緒に遊ぶことは、子どもと教師との関係を保っていく上では大切なことですが、気軽さが信頼を生むものではありません。
 子どもは信頼できる教師についてきます。
 子どものことを真剣になって考えてくれる。問題や悩みがあるとき、どのような方法で解決していけばよいかを的確に愛情をこめて示してくれる。
 子どもが「この先生なら大丈夫」という安心感を持てたとき、初めて教師を信頼するのです。
 子どもは、教師のプロとしての力量を鋭く見抜きます。力量が低いと見破ると、教師の指示を受け入れなくなり、学級が崩れ出します。
 目をさまし、プロ教師をめざして精進していきましょう。
4 学級を育てる教師
1)
強い意志と気迫がある教師
「すご腕の教師だ」と感心させられる教師は、「すごい学級に育てるぞ」「いじめは絶対ださないぞ」「国語の大好きな学級にしてみせるぞ」という、強い願いを体中から発散しています。心に秘めた強い意志と気迫が感じられます。
2)
子どもを乗せるのがうまい教師
 また、学級を育てる教師は、子どもの乗せ方が大変うまいことにも気づきます。
 がんばっている子を見て「いい調子だ。その調子でやればどんどんよくなるよ」と持ち上げる。すると、その気になって伸びていきます。
3)
授業がじょうずな教師
 また、授業がじょうずなことも大事な条件です。
 1日に1時間は、子どもが目を輝かせる授業をする。これを本気でやり通すことで子どもの目の輝きが変わってきます。
4
)向上心のある教師
 学級を育てる最終のポイントは、教師が「自らも成長しようとする向上心」です。
 教師が腕で上げよう、成長しようと努力している姿が子どもの目に映り、子どもの成長に大きな影響を与えていくものです。
 私が授業の録画を撮り、放課後に教室で再生し見ていると、子どもたちは「先生もがんばっているね」と励ましてくれました。
5 まねをする教師は、伸びる教師
 私は、若手教師とサークルを立ち上げ、研究活動をしています。たくさんの実践報告が飛び交います。
 実践報告を、すぐに、どうどうとまねをする教師がいます。
 一方、まねをするのですけれど、自分で考えた方法でないので、引け目を感じ遠慮しながら実践をする教師がいます。
 また「どうもあの方法には問題があるようなので」と実践に取り入れない教師もいます。
 どうどうとまねをする教師は、まねている間に新しい考えを出したりします。新しい実践をつくりだします。
 遠慮しながら、まねている教師は、一つの方法を身につけますが、新しい方法を見つけ出せません。
 まして、理屈を先行させ、まねをしない人は、残念ながら伸びずに終わります。
 どうせ、まねるのだったら、どうどうとまねをして実践力を高めた方が有効です。
 実践力を高めるために、明るく堂々と他人のよい実践をまねましょう。それが、あなたの実践力を高める早道です。
6 教師よ、自信を持て
 自信のある教師は伸びるし、自信のない教師は伸びません。
 学級や子どもを伸ばすエネルギーの源は、教師が自信を持つことです。
 まず、教師自らが自信を持たなければ、学級も子どもも育ちません。
「私は、すごい教師です。明るく、元気で、子どもをぐんぐん伸ばしていく教師です」
と声に出して言ってみませんか。
 これが、子どもを伸ばす最大のコツなのですから、誰もいないところで、堂々と声を出して言ってみましょう。
 誓いの言葉を述べるように叫んでみましょう。想像しているだけで、体が熱くなってきせんか。
 ある学校の研修会で、この呼びかけをしました。終わって廊下に出たとたんに「先生の話を聞いていたら、体が熱くなってきました」と、若い教師がかけよってきました。
 学級づくりの細かなコツは学べば分かってきます。しかし、肝心の教師が元気でなければ、学級づくりのコツは生きてきません。
 いつも物事を暗く考え込んでしまう教師は、すぐに考えをやめることです。少々無理をしてでも「私は、子どもを伸ばす名人です」と叫んでみてください。何かが変わり出しますよ。
 元気を出して明るく対応していけば、難局を乗り越えることができ、大きく成長します。
 また、周りにはあなたを支えてくれる仲間がいます。一人で問題を抱え込まないで、素直に助けを求めればいいのです。
(
山本昌猷:1942年生まれ、元石川県公立小学校校長、教師の交流館「わいわいハウス」開設
)

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荒れた学級を変えるには授業のとり組みが重要である、そのためには、みんなで知恵を出し合い、想像し、発見していく共同の学びの授業を創っていくようにするとよい

 荒れて集中できない学級では、静かにさせてから、授業をしようと思ってもだめです。
 授業をしながら、授業そのもの中で、集中するようにしていかないといけないのです。
 おしゃべりが止むまで待っていたら、いつ授業が始まるかわかりません。
 子どもたちも、授業の入り口で注意されたり、説教されたりすることは嫌なのです。そんなことをしていると、ますます授業にのらなくなります。
 子どもたちが深く学ぶためには、緊張が必要だと思います。
 その緊張を外からつくろうとしても、なかなか育ってはいきません。授業中の「きまり」をいくら作ったり、教師が怒鳴ったりしても、うまくいきません。
 授業で大事なことは、内的な緊張です。
「あっ、おもしろそうだ」「なぜ、そんなふうになるんだろう?」というような、内面の働きの中で、自然に自分自身で緊張をつくっていく「内的緊張」こそ大切だと思っています。
 この「内的緊張」を授業の入り口でグーンと高めていくことが、私たち教師の大事な仕事のひとつです。
 教材研究でまず大事なことは、いかに教えるということよりも、むしろ教師自身が授業で扱うことについて、どれだけ深く知り、どれだけ知的好奇心を高めることができるか、ということです。
 子どもたちが楽しく、おもしろく、深く学べるようにするためには、この教材研究が不可欠です。
 荒れる子どもたちが、授業で目を輝かすことができるかどうかは重要なことです。
「何のために、わざわざ学校に通って学習するのか」という問いに応えるような授業とは
「みんなで知恵を出し合い、想像・推理し、発見していく、共同の学びを創っていく授業」です。
 荒れた六年生の子どもたちに、私は次のような授業をおこないました。
 六年生の最初の授業は「日本における考古学の始まり」を扱いました。
 この一時間目をどのような授業にするかは、これからの一年間の学習にとっても重要な意味をもつものと思われました。この一時間が楽しければ、社会科の学習に対する姿勢が変わってくるはずです。
教師「1877年(明治10年)の6月18日のことです。横浜の港に一艘の外国船が着きました。この船には、どんな人が乗っていたでしょうか?」
子ども「外国人」「アメリカ人」「イギリス人」「外国から観光に来た人たち」「何か調べるために日本にきた外国人」
教師「実は、この船には、モースというアメリカ人が乗っていました。横浜の港についた動物学者(貝の研究)モースは、東京へ向かう列車の窓から景色を眺めていました。あるところまで列車がきたとき、ここは大昔の人びとの生活がわかるものが埋まっているはずだと思いました」
教師「モースが見たものは、いったい何だったんだろう?」
子ども「海」「魚」
教師「そういうものからは、大昔の人々の生活はわからないと思う」
子ども「貝がら」
教師「どうしてそう思ったの?」
子ども「大昔の人たちが食べた貝がらだから」
子ども「大昔の人たちが食べたものや、いらなくなったものを捨てたゴミ捨て場」
教師「そう、貝がいっぱい捨ててある場所なので、ここを掘れば大昔の人々の生活がわかるものが出てくるはずだと考えたのでした」
教師「そして、この年の10月、東京大学の教授たちといっしょに、モースはその貝塚を発掘したのでした」
教師「さて、実際に発掘してみたら、貝の他にどんなものが出てきたと思いますか?」
子ども「土器」
教師「そうです。土器もでてきました。土器はどんなことに使ったんだろうね」
子ども「食べ物を入れておいた」「煮たりするときに使った」
教師「他にどんなものが出てきたと思いますか」
子ども「魚や動物などの骨」「石でできた道具」
教師「そうです、石器も出てきたんです」
子ども「つり針」
教師「骨で作った針が発見されています」
子ども「人の骨」
教師「そうです。人骨も発見されているんです」
教師「その人骨がばらばらな状態で発見されたんです。モースはそれを見て、どんなことを考えたでしょうか?」
子ども「他の動物に食べられた」「殺されバラバラにされた」「人が人を食べた」
教師「そうです。モースは、発見された骨の多くは、真ん中ぐらいで折られているものが多かったこともあり、人が人を食べたのではないかと考えたのでした」
教師「モースが列車の窓から発見したこの貝塚は、大田区にある大森貝塚です。発掘によって、何千年も前の大昔に、人々が住んでいたことがあきらかになりました」
教師「この発見がきっかけで、日本においても、大昔の人々の研究が進んでいったのです」
 授業が進むにつれて、子どもたちの表情も変わってきました。
 全員が集中したわけではありませんし、発言も限れていましたが、子どもたちにも「学んだ」「楽しかった」という実感があったようです。
 最初は「社会科が嫌いだ」という子どもたちが圧倒的に多かったのですが、授業を積み重ねる中で「大好き」という子どもが多くなりました。
 楽しければ、深くかかわれば、子どもたちの学習の姿勢はぐんぐん変わっていきます。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)
 

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授業参観で保護者に信頼されるには、どうすればよいか

 私が、わが子の授業参観に行くようになって、保護者が授業参観に期待するものがわかった。それは
「楽しい授業」
「わかる授業」
「向上のある授業」
である。
 授業参観は、保護者が「わが子を見にくる」と言われているが、
「うちの先生は、どんな授業をしてくれているのかな?」
「どんな工夫をして、楽しく教えてくれているのかな?」
「先生の指示を、うちの子は聞いているのかな?」
「〇年生は、どんなことを勉強しているのかな?」
と、わが子と教師の授業を見ているのである。
 授業が保護者に信頼されるための原則は
1 保護者も一緒に授業を受けている
 保護者は授業を参観しながら、一緒に授業を受けているのである。子どもと同じ視線で考えているのである。
 指示が出ると、わが子は
「指示に従って、ちゃんとやっているかな。話を聞いているかな」
と、わが子の様子を見る。
 このとき、教師の指示が保護者にわからなかったら、保護者は
「今の意味どういうこと?」
と、保護者同士が顔を見合わせる瞬間がある。
「今の質問じゃわからないわ」
「どう答えたらいいのかしら?」
そうすると、保護者の評価は
「うちの先生の授業、むずかしいわ」
「うちの子、きっとわからないわ。勉強についていけるかしら。心配だわ」
2 わかる授業
「わかる授業」は、見えないものが見えてくる授業である。
 授業は、新しい学びをする場である。
「できた」「やった!」がふんだんにある授業は、子どもの笑顔がある。
 やる気が満ちている、子どもたちの様子は、保護者が一番うれしい場面である。
3 楽しい授業
「うちの先生の授業は楽しいわね」
「うちの子が『学校は楽しい』って言っている意味がよくわかりました」
と、保護者から言葉をもらうのは、教師冥利につきる。
「こういう学習をしているから、わかるのね」
「こういうふうに、仕掛けをするからできるのね」
と、教師のプロの技を期待している。
 例えば、音読。竹の子読みを披露しよう。
「追い読み、半分こ読み、1行交代読み、2行交代読み、竹の子読み」と、自分の気に入ったところだけを立って読むシステムである。
 挑発されて、どんどん行数を増やしていく。子どもは、知らず知らずに夢中になって覚えていく。子どもたちが立つ様子は、竹の子がにょきにょき生えるように楽しい。 
「こんなに楽しい授業で学ばせてもらっているなら安心だ」と、読むほうも、見るほうも満足する楽しくて、工夫があって、力のつく参観授業一押しのネタだ。
4 日頃が大事
「全員がわかる指示」は簡単ではない。だから日頃が大切なのである。
 どうやれば、やんちゃくんが話を聞くのか、指示に従えるのか、毎日真剣に悩み、改善をした教師だけが手にすることができる。
 授業が楽しい教師なら、保護者は十分味方になってくれるのである。
(
鈴木恭子:神奈川県公立小学校教師)



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子どもが問題行動を起こしたとき、親は子どもにどう接すればよいのでしょうか

 子どもが問題行動を起こすと、親は突然の豹変ぶりに驚きあわてる。しかし、子どもの心の中では、以前から変化が生じていたのに、親はそれに気づかなかったことが多い。
 親から「こういう場合、何と言ってやれば、子どもはなおるのでしょうか」とよく聞かれる。
 子ども問題行動の多くは、それまでの親子関係を徐々に組み替えることで解決に向かっていく。
 ひと言で子どもが立ち直るといった魔法の呪文はない。
 しかし、子どもが変わるきっかけとなることはある。
 問題行動を起こしている子どもが、それを周囲の誰かのせいにしているうちは、そこから抜け出せない。
 自分の問題として引き受けたとき、はじめて回復に向かうことができる。
 子どもの問題行動を解決するには、子どもの心に働きかける必要がある。もつれた子どもの心の糸を解きほぐすのは容易ではないが、愛情と時間を惜しまなければ必ずできる。
 いつか回復することを信じて接すれば、親子の絆を取り戻すことができるのだ。
 その過程は決して平たんではないが、試練を通して、子どもが変わり、親も変わり、精神的に成長するだろう。親子の絆は以前よりずっと強くなっているはずだ。
 子どもが問題行動を起こすと、落伍者のレッテルを貼られることが少なくない。親が自分の子どもをそんな目で見てしまうのだ。
 子どもを支えるはずの親が説教したり、非難したりしがちになり、ますます子どもを追いやることになる。
 そんなときこそ、親は子どもを信頼してほしい。子どもへの信頼が何よりも大事なことは、私がスクールカウンセラーを始めたばかりのころ、一人の教師から教えられた。
 子どもに建て前を振りかざして説教するのは、親子のギャップを広げるだけだから、子どもの気持ちを動かそうとしたら、子どもと向き合い親の本音をストレートにぶつけるしかない。
 誰でも子育ては試行錯誤の連続だ。親は自分が子どもだった頃を思い出してほしい。
 思春期の頃は覚えているはずだ。そのころ、何を考えながら過ごしてきたのか、どんなことで悩んでいたのか、親との関係はどうだったのか、などを振り返ってほしい。
 振り返ってみると、親に期待していた言葉を言ってもらえなかったり、無神経な言葉に傷ついたことがあるに違いない。もちろん、楽しかった思い出もあるだろう。
 それを実感とともに思い出せば、いま自分の子どもにどう接すればいいか見えてくるはずだ。
 子どもが悩んでいたら、自分が同じ年頃のときに何を悩んでいたかを子どもに話してみるといい。子どもに本音で接することになるだろう。
 子どもの問題行動でカウンセリングに訪れる親を見ると、ほぼ例外なく、心の余裕を失っている。
 私はカウンセリングで、相談者に目のさめるようなアドバイスをしたりできるわけではない。じっくり相手の話に耳を傾け、その言葉の裏側にあるものを理解し、本当に訴えたいことを導き出そうと努めているだけだ。
 誰でも、自分の心の中にある、言いたくても言えなかったこと、それまで気づかなった本当の問題、一人で抱かえていた悩みや苦しみなどを口にしたとたん、半分は解決したのも同然だ。
 心の中で葛藤したり迷ったりする時間が必要だったのだ。
 子どもの話に耳を傾け、言いたいことを聞き出すのは、親や教師、友だちなどもできる。
 親にお願いしたいことは、子どもが問題行動を起こしたとき、子どもの様子がおかしいときは、子どもの話に耳を傾けてほしい。
「いまの気持ちを話してくれるとありがたいんだけど」
「お前もつらかったんだね」
という具合に聞き役に徹し、重い口を開いてもらう。 
 人は話すことで自分の気持ちを整理したり、言葉にすると気づくことがある。子どもも話しているうちは、自分の心を見つめることができるようになる。
 子どもが親と口を利きたくないようなら、子どもの友だちを家に呼んだり、親戚のお兄さんやお姉さんに来てもらって、話し相手になってもらう。
 心の中の葛藤というのは、何本もの糸が絡まり合った状態だ。それを言葉にすることによって、絡まった糸を一本ずつ抜き取り、ほぐしていく作業になる。
 問い詰めずに、話しやすい雰囲気をつくり、言い出すまで待つことが大切だ。
「言いたいことがあれば、今日でなくてもいいから、言いたくなったら、言いにきなさい」と促せばいい。
 自分の気持ちや言い分を言葉にすることを通じて、子どもは失いかけていた自分を組み立て直す必要がある。
 そのうち子どものほうから、言い出したら「じゃあ、どうしたらいいか考えてみよう」と親子で話し合えばいい。子どもが自分で解決策を考え、自分で選択することが大切なのだ。
 子どもの選択は最善でないかもしれない。しかし、子どもの心は大きく成長するはずだ。たとえ間違った選択でも、自分で選択したことならやり直しができる。
 子どもと気持ちのいいコミュニケーションができないという人は「私メッセージ」を発するといい。
 相手を主語にするのではなく、自分を主語にする。叱るのではなく、自分の気持ちを伝えることになる。たとえば
「あなたは、掃除するそばから、散らかすんだから!」
と叱るのではなく、
「せっかく掃除をしたのに、もう散らかって、お母さんはがっかりだわ」
と言うことになる。
 運動部のコーチに言わせると、子どもは叱るよりも、ほめたほうが伸びるが、ここ一番というときは、叱ったほうがいいことがあるという。
 例えば、いい結果が出ると、慢心する子がいる。練習に熱が入らず、手を抜く。そんなとき「少し上達したからといって、つけあがるな」と雷を落とす。
 そういうときは、やさしく言って聞かせるより、ガツンと叱ったほうが効くそうだ。
 子育ても同じで、いつも叱っていては効果は薄い。9割はほめて、1割は叱る程度でちょうどいい。
 子どもが叱られても、納得できるタイミングをとらえ、ここ一番というときに叱るのだ。ただ、叱るときは、逃げ道を残してやる必要がある。
(
吉田勝明: 1956年福岡県生まれ、横浜相原病院院長)

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「うちの子と遊ばないように言ってほしい」と言う保護者に、教師はどう対処すればよいか

 小学校4年生の授業参観の日のことです。授業が終わった後に、A子の母親が相談したいことがあると言ってきました。
 A子は、物静かでなかなか自己主張できない、おとなしい性格です。
 相談の内容は、友だち関係についてでした。
「クラスの中に、わが子があまり好きでない子がいるのだが、その子は遊びの時間になると、わが子を誘ってくる。それがいやで、困っている」
というものでした。
 その子から、いじめを受けたり、何かいやなことを言われたりしているのかを聞いてみましたが、そういうことはないようです。
 ただ「あまり好きでない。他に遊びたい子がいる」と言っているだけだそうです。
 A子に聞いてみると、好きでない子の名前は、すぐに教えてくれました。B子でした。
 B子は活発に行動する子で、仕切りたがりのところがあります。おそらく、A子はB子のそういうところが好きにはなれなのだろうと思いました。
 また、遊びたい子というのはC子でした。C子はおとなしく、いつも静かに教室で本を読んでいることの多い子です。
 いつも寂しそうな表情をしているC子を思い浮かべました。家もA子の近くであり、幼い頃はよく遊んでいたそうです。
 A子の母親は、わが子がB子に振り回されているのがいやなようです。
「先生からB子ちゃんに、わが子と遊ばないように言ってください」
「そして、C子ちゃんに、わが子を遊びに誘ってくれるように言ってください。わが子は自分で言えないので、先生に言ってほしいのです」
と要求してきました。どう対応すればよいのでしょうか。
 小学校4年生の女の子は、もう自我が芽生え始め、自己主張も始める頃です。
「自分でB子の誘いを断り、C子に声をかけ、共に遊ぶようにさせる」ことが大切です。友だちは自分から求めることが基本です。
 とは言っても、まだ自我の芽生えない子もいますから、教師が友だちづくりの手伝いをすることも、ときには必要でしょう。
 まず、C子にA子への気持ちを聞き、同意を得たら、A子にC子へ声かけをさせることです。
 そして、次に、B子の誘いを「今は〇〇をしたいの」と、やわらかく断る体験をA子にさせ、それを教師が見守ってあげることです。
 どちらか一つでも、できたらA子をほめてください。徐々に自信を持つでしょう。
 母親にもそのことを伝え「もうA子さんは、自分でできますよ」と見守ることを教えてください。
(
諏訪耕一編集:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの相談室」を開設した
)

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管理職と協力関係をもち、信頼される教師になるには、どうすればよいのでしょうか

 教師になる前に会社員だった私にとって、上司への報告は必要不可欠だった。
 どんな小さなことでも、短く報告することの大切さは、身にしみていた。
 何かあったとき、最終的な責任を負うのは、やはり上司であったからだ。
 この
「たった一言の短い報告こそが、職場でのコミュニケーションをつくり、信頼関係をもたらす」
のである。
 雑談で相手の考えや、今まで知らなかった一面が出てくることもある。
 しかし、多くの場合、仕事そのものを通してコミュニケーションがはかられ、一緒に仕事をする中で信頼関係がつちかわれていった。
 私自身も、その仕事ぶりこそを判断材料にした。
 私は幸いなことに職場の人間関係で悩むことがあまりなかった。
 私は、今までに3校の学校に勤務した。
 5人の校長先生と教頭先生、合計10人と出会った。
 意地悪をされたことは一度もない。
 ある校長先生は、私の研究授業の協議会でわざわざ司会をかって出て下さった。
 指導案を机に置くと、どんなに忙しくても、必ず見に来て下さった校長先生もいらした。
 私は、いつも、どの管理職にかわいがっていただいた。
 私は、何をしたか。
「特別なことは、していない」でも、
 朝は「おはようございます」
 帰りは「失礼します」
 年休は「年休をいただきます」
 途中で帰るときは「申し訳けありませんが、今日は失礼します」
と挨拶をした。
 教師と子どもの関係も一緒だ。
「教師と子どもの信頼関係は、その中心的活動である授業で作られる」
 子どもは、教師をその「授業」で判断する。その判断はかなりの確率で正しい。
 授業は子どもを変える。
「できないことを、できるようにした、たった一つの授業」
「わからないことを、わかるようにした授業」
は、子どもを変える。
 授業を中心にした誠実な仕事があるからこそ、私は県の研究会の授業をさせていただけることになった。
 校長先生から打診があった。
 私は「校長先生が向井にとおっしゃっていただけるなら、謹んでお受けいたします」と答えた。
 授業を確実におこない、与えられた仕事を責任をもって果たし、社会人としてのマナーを守る。そして、それを続ける。
 これこそが、信頼関係の第一歩である。
 誠実な仕事とおこないは、何よりも力となる。
(
向井ひとみ:兵庫県公立中学校教師
)

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学級が指導困難になり親の抗議で新任教師が自殺し、裁判で公務災害に認定された事例とは、どうすれば防ぐことができるのでしょうか

 私が何人かの自殺されてしまった教職員の事例を見てきた中で感じるのは、同じ学校の職場がつちかうべき「共同性」の大切さです。
 窮地に陥っている教師がいたとき、親身になって助けられなくてもいい、助けられるような人のところに、きちんとつなぐというバトンリレーが働いているかどうかが重要です。
 それさえも無くなったときに、職場にギスギス感が漂い、教師が孤立感と絶望感に立ち尽くしていても、職場がそれを見殺しにするという最悪の事態に陥りかねません。次のような事例があります。
 2004年9月に、静岡県の小学校4年の担任である新任の女性教師が、自らの車の中で灯油をかぶって焼身自殺をしました。教師になってわずか半年後のことでした。
 授業がうまくいかない、指導が難しい子どもが何人もいる。それに、上司や先輩教師たちからの激しい叱責、職員室の希薄な人間関係が、孤立へと追い込んでいきます。
 職場の同僚教師は言います「隣の教師の悩みを、この1年知らないこともある」「悩みを打ち明ける時間もない」と。
 相手も忙しいから、自分の相談を持ちかけるのは申し訳ない、という気持ちが働き、距離ができてしまうのだろう。孤独状態は、あっという間に孤立感に変化する。
 自殺した教師の携帯には「子どものことは大変だし苦労するけど、一部の先生の言葉や態度に傷つく。苦しめられる」と残されていました。
 子どもや保護者対応に悩んでも、職場の雰囲気さえよければ、言葉が交わされ、会話も生まれます。
 新任の女性教師は日々の対応に困惑する中でうつ病を発症していました。事件の前日に、子どもの母親からの指導に対する抗議の手紙を受け取り、その翌朝に自殺しました。
 両親は娘の死を無駄にせず、若い教師が誇りと安心をもって働けるような状況に職場を見直す必要があると、公務災害認定を申請しましたが、棄却されたため静岡地裁に提訴しました。
 判決は、自殺について本人の性格上の脆弱性を否定し、当初から子どもの問題行動が相次ぐ中で、職場の支援体制が不足していたことを指摘し「公務災害であった」とする勝訴判決でした。
 判決では
「着任してわずか1か月半の期間に、数々の問題が解決する間もなく、立て続けに生じた点に特徴がある」
「状況が改善される兆しもなかったから、新採教員には緊張感、不安感、挫折感を継続して強いられ、強度な心理的負荷を与えた」
「こうした状況下では、当該教員に対して組織的な支援体制を築き、他の教員とも情報を共有した上、継続的な指導・支援を行うことが必要である」
「にもかかわらず、学校側は問題の深刻さを認識せず、また疲弊し続けていたことは十分察知できたにもかかわらず、情報が、周囲の他の教員と十分な支援が行われていたとは到底認められない」
として公務災害と認定しました。
 教師の病気休職の第1位は精神性疾患で大半はうつ病です。さまざまなストレスが精神性疾患の背後にあります。
 仕事の多忙化、人間関係のストレス(子ども対応、保護者対応、職場の人間関係)が、いまの学校の教師に覆いかぶさってきています。これに不眠状態が加わると事態は一変します。
 睡眠薬を飲んででも寝ることは、決して悪いことではありません。
 精神科の医師は「グチをこぼす」ことが重要だと言っています。先生方にお願いです。グチをこぼす場を3つ作ってください。
(1)
家族
 親でも、奥さんでも旦那さんでもけっこうです。家族が聞いてくれるだけで、どれだけ心が晴れるかが、わかります。
(2)
職場の同僚
 仲が良い、悪いなど様々あるでしょうから、3~4人でもけっこうです。飲み屋さん等で話をすることも決して悪くはありません。
 ただし、周りに他の誰かいないかをよく確かめてから話をするようにします。
 他人に話をするときは、コトのあらすじを整理しなければいけません。それが大事です。
 すると「本当は、あのお母ちゃんの思いは、ここに有ったんじゃないかな」とか「あの父ちゃんの願いは別のものだったのかもしれない」と気づくことがあるのです。
(3)
職業の違う友人
 飲み屋の大将、美容院のママさんなど、気のおけない関係を2,3人つくっておくことです。するとこう言ってくれます。
「先生も大変やな。でもな、あんたの悩んでいること、私らから見たら、どうでもええことで悩んでいるように見えるで(笑い)
 そうです、自分の姿は自分ではわかりません。鏡となるものを置いてこそ、はじめて自分の姿が見えるのです。
 先生、よく寝てください。多少教材研究が中途半端でもええじゃないですか。
 朝、子どもたちに「〇〇くん、おはよう! △△さん、元気?」と、はつらつとしていること、それが大事です。
 学校に登校して、先生方が元気じゃなかったら、誰が大人になろうと思いますか。先生方は大人のモデルです。未来への希望の光なのです。
 教師としての最大の資質は「はつらつとしている」ことです。
(小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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教師の仕事が苦手な人が、ステップアップし、人気のある教師になるためにはどうすればよいか

 子どもも保護者も、まずは「教師という仕事に本気で取り組む、元気で明るい教師」を求めています。教師という仕事に生きがいを抱き、人生を生きてほしいものです。
 教師が疲れていたり、沈んだ表情をし、怒りやすかったりすれば、子どもたちに影響を与えます。
 教師として満足いく仕事をするために、心と体の健康が一番です。健康な体をつくるための心得は「早寝、早起き、朝ご飯」が教師にも当てはまります。
 性格的に悩みやすい教師は、仕事以外の世界(趣味や娯楽、教師以外の人間関係)に自分の居場所を持つことも、一時的にはやむを得ないでしょう。
 教師という仕事は、どこまでやればよいということは、はっきりできない仕事です。要は、いかにメリハリのある仕事術を身につけるかということです。要領や段取りの悪い教師は、人気教師にはなれません。
 人気教師は、人気人間にもつながります。大人としても魅力度の高い人間になってください。
「えこひいき」しない態度こそ、人気教師への第一歩です。
 コミュニケーションで最も大切なことは「えこひいき」しない態度を一貫してとることです。
 どうしても、素直で明るい子、ものわかりの早い子、可愛い子を教師は好みますが「どの子もいい子なんだ、公平に扱おう」と自分の心に呼びかけるようにしてください。
「この子は〇〇だから」と決めつけることも誤りです。
「この子は落ち着きがない」「うそを言ったことがあるから」とマイナス面ばかりを見たり「△△さんは、ピアノがうまいから演奏してね」とその子の実力以上の課題を与えてしまうこともあります。
 子どもにレッテルをはらず、常に自然体で接するように心がけたいものです。ほかの子と比べたり、できて当たり前という見方ではなく、その子の力で「ここまで、できたね」と認めてあげることがポイントです。
 子どもの話を聴いてあげ、子どもの言ったことばをオウム返しのように繰り返してあげることで、子どもは「先生は、話を聞いてくれている」という安心感を抱くようになります。
 さらに、教師が「いつも、心配しているんだよ」と、自分の気持ちを子どもに伝えると、子どもが「先生に心配をかけたんだ」、「じゃあ、どうしたらいいかな」と自分で考えるきっかけとなります。 
 連絡帳に保護者からの連絡コーナーを設けることも大切です。(学級通信の末尾に設けてもよい)
 プライベートな問い合わせや急ぎの用事でない保護者からの連絡事項などは、子どもの連絡帳に書いてもらうように、お願いします。
 そうすることで、連絡帳を介した保護者と教師との見えないつながりをお互いに意識できます。
 小学校の教師は多くの教科を受け持っています。授業で勝負する人気教師ほど、教材の収集には熱心です。
 理科で電池の仕組みを教える場合、電池を数種類準備しています。社会科で江戸時代の学習する場面でも、参観交代の様子が描いてある和菓子の包装紙を持っていたりします。
 人気教師は学習内容に応じて教材が用意できる、豊かなストックを持っているものです。
 授業の名人と言われた教師が、大型(A3)の封筒を教室の棚に置いておられたことを思い出します。
「中身は何ですか?」と尋ねると「古い新聞記事や、教材に使える各種のパンフレット類だよ」と教えてくれました。
 短い期間では収集できないが「これは教材にならないかな」という目で日常生活を送っていれば、案外見つかるものです。
 資料の一部を隠して提示することによって、注目させるやり方があります。
 例えば、社会科で、日本の水産業の学習で、漁獲高の推移を示す折れ線グラフを、ある年代から先を隠して黒板に貼り、
「この後、遠洋漁業の漁獲高はどうなったでしょう?」
と問いかけるのです。
 歴史の学習でもこの方法が使えます。絵巻物や絵図の一部を隠して提示すれば、子どもは隠された部分に関心を持ちます。
 このように、教材提示の方法を工夫することで「じっくりと見て、考える力」を育てることができます。
 人気教師のクラスは話し合いも活発です。特に国語や社会などでは「話し合い」が学びの基本になります。
 学級全体で「話し合い」を深めていく場合、子ども同士で意見のやり取りを円滑に進めるために考案されたのが、挙手するときの「ハンドサイン」です。
「わかった(5本指)」「わからない(グー)」「質問(3本指)」「賛成(2本指)」「つけたしの意見(1本指)」の5種類があります。
 これを図にして黒板の横に貼って確認させながら挙手をうながすと、積極性が育まれます。小学校3年生くらいから導入できます。
 教師は、ハンドサインの形を眺めて「質問」や「つけたしの意見」などの子どもが何名であるかを即座に把握します。
 話し合いの状況を見て、最初にどのサインを取り上げるかを判断します。
 授業への参加をうながし、話し合いの視点を深めるために「質問」や「つけたしの意見」を最初に当てれば、うまくいきます。
 社会科の授業で「秀吉が行った刀狩りは良い政治と言えるでしょうか?」などと質問し、ハンドサインで答えさせると「考える」授業にも導入できます。
 さらに「わたしは反対の意見です。その理由は・・・・・・」と、自分の意見をはっきりとさせ、理由も述べさせる指導をこころがけたいものです。
 人気のある教師になるためには、キャラクターグッズがあげられます。
 子どもの提出物に、特注で自分の顔をキャラクターにしたスタンプで、確認の印を押すのです。
(
寺本 潔:1956年熊本市生まれ、筑波大学附属小学校教師、愛知教育大学教授を経て玉川大学教授。中央教育審議会専門委員(社会)等を経て日本社会科教育学会評議員)

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学級づくりのために、5~6月にするとよいこととは何か

 新学期に入り、5~6月になると、気心が知れた仲間が増え、当番・係やルール・マナーが定着し始めます。
 そこで、多様なグループ活動を通して、みんなと協力することの楽しさを感じさせ、仲間とかかわる意欲を引き出すようにするとよい。そのためには
1 グループを排他的にさせない人間関係づくり
 グループの結束を固めるために、秘密を持ったり、共通の敵をつくったりする時期です。
 放っておくと、グループ同士が対立し、学級の雰囲気がギスギスし始める。
 そこで、多様な相手と協力する活動や、認め合う活動を行い、人間関係を広げ、目的に応じて自在にグループづくりができる集団にする。
 具体的には、すべて生活班で活動するのではなく、教科や課題によって異なるメンバーで協力する経験をさせ、その都度、認め合いを行う。
2 係・当番活動でのなれあいをチェック
 活動のやり方を理解し、自分の責任を果たすことが習慣化すると同時に、ゴールデンウィークで気がゆるみ、なれあいも生じやすい時期である。
 同じ子どもが怠ける、分担を無視して楽な仕事をやろうとする、仕事がいいかげんになるなどの問題が表れてくる。そこで、
(1)
教師が、子どもたちの活動を少し離れた位置から見守り、最初のルール破りを見逃さない。
(2)
経緯を全体に説明し、あたりまえの責任を果たす大切さを考えさせる
3 行事を活用して全員が認められる場をつくる
 春の運動会、社会科見学、遠足、移動教室などの行事は、学習面では成果を出せない子どもを認めるチャンスである。
 特別な成果だけでなく、与えられた仕事や役目を普通にやりとげた努力に目を向け、子ども同士の認め合いを工夫する。
 行事の後やグループを解散する前に、つぎの「いいとこ四面鏡」のワークシートを利用して、いいところを探し全員を認める機会をつくるとよい。
 具体的には、
(1)
4~6人のグループになり、ワークシートに自分の名前を記入する。
(2)
グループでワークシートを回し合い、メンバー一人ひとりについて、該当する項目に〇を3つつける。ワークシートに記載されている項目の例は、
「進んで自分の仕事をしていた」
「最後まであきらめず行動した」
「楽しみながら活動していた」
「みんなのことを考え気配りをしていた」
「みんなをまとめようとしていた」
「楽しい雰囲気をつくろうとしていた」
「自分の意見を伝えようとしていた」
「困っている人を助けようとしていた」
「かたづけや整頓をがんばっていた」

「苦手なことにもチャレンジしていた」
等、20項目。
(3)
自分のワークシートを見て感じたことを伝え合う
4 子ども同士のトラブルを活用する
 人間関係が広がれば、子ども同士のトラブルも起こってくる。それがいけないのではない。むしろ人間理解のチャンスである。
 子どもたちによる問題解決力を育てるには、つぎの対応をするとよい。
(1)
教師が質問をして「当事者の気持ちと行動」と「周囲の気持ちと行動」を関係づける橋渡し行う。
(2)
さらに学級全体に返して、対人関係のマナーやルールを理解させる。
5 適度な息抜きでリラックスする
 新学期から緊張が続き、疲れが出始めたり、マンネリ感を感じる時期でもある。
 なれあいや、怠けに発展しないように、みんなが楽しめるような息抜きが必要である。
「さあ、夏休みまで後、1か月、がんばるぞ」という気持ちの切り替えができるようなものがよい。
 例えば「グループ対抗のゲーム」「スポーツ大会」「学年合同のイベント」を行う。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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クラスが荒れ、授業中に私語する子どもたちが、集中して取り組む授業をすれば「子どもたちが何のために学校に通って学ぶのか」に応えることができる

 クラスが荒れ、授業中おしゃべりしたり、マンガを読んでいる子どもたちも、集中して取り組むような授業はできないものか。そんな思いで取り組んだのが、つぎの授業です。
 荒れていた子どもたちも、全員が集中して学習ができました。
 授業の始めに、家から持ってきた手さげ袋をみんなに見せながら
「実はこの袋の中に、授業で使うものが入っているんだけど、何だろう?」
と切り出すことから授業を始めました。
 すると、かなりの子どもたちは目を、袋に集中します。先生は何を持ってきたんだろうと、興味しんしんなのです。マンガを読んでいた子も、うれしいことに私の方へ目をむけているのです。
 子どもたちは、頭の中で想像します。ある子は「算数の時間だから、〇〇だろう」と考えるだろうし「あの袋に入るものだから、△△じゃないか」というように予想する子もいます。その内面の活動が集中(内的緊張)を生みます。
 次はどうなるか興味が湧くようなところで、「間」をとることによって、イメージがぐーんと広がっていくものです。
「じつは、これなんです」と言って、最初に白い皿のように見える容器を見せました。
 すると、子どもたちから「植木鉢などの受け皿」じゃないか「プリンの容器」「ゼリーの容器」など、いろいろな意見が出されました。
 底の模様を見せると、知っている子がいて「それはカマンベールチーズ」の容器だと、すぐ当てました。
 次に紙袋から取り出したのは、新聞紙に包んだものでした。提示の仕方も、ワンパターンではなく、変化をもたせるようにします。
 子どもたちは、もちろん何かわからないのですが、大きさから推理していきます。人間ってすごいものです。どのくらいの大きさかがわかれば、予想して当ててしまうのですから。
子ども:「湯飲み茶わんでしょ」
教師:「近いけど違います」
子ども:「コップ」
教師:「とっても近いです」
教師:「みんなのお家の人で、これをよく使う人がいるんじゃないかな。先生もこれを使って飲むのが好きです」
子ども:「グラス」「ワイングラス」
教師:「そう、ワイングラスだよ」
と言って、新聞紙からワイングラスを出します。
 どの子も知的好奇心が高まり、集中して授業に参加しています。当たった子は、うれしそうにニコニコしています。
教師:「次のものは、重いものなんだけど」
と言いながら、紙袋に手を入れて重そうにしていると、
子ども:「先生、それつけものの重石でしょ」
という声。
教師:「確かにつけものの重石のかわりにもなります」
と語ると
子ども:「鉄でできているのですか」
という質問が出されました。
教師:「そう」
と言ってうなずくと
子ども:「それは、筋肉を鍛えるダンベル(アレー)でしょ」
と見ぬいていきます。
こんな感じで木で出来ている花瓶も、子どもたちは当てていきました。
 この四つのものを黒板の前に並べ、その断面図をそれぞれのものの上の方に板書しました。
教師:「じつは、これらのものに共通して言えるものがあるんだけど、何だろうか?」
と言うと、共通ということがピーンとこないような表情をしている子どもたちが、かなりいるのです。
 こういうときは、子どもだけではなく、教師も学びを深めるときです。
 そこで、共通ということは、どういうことかを、とらえさせるために、とっさに思いついたのは、手もとにあった「ホッチキス」と「のり」と「サインペン」の三つでした。
 あらかじめ準備していたわけではないので、教室の机の上にあるものを使う以外に方法はなかったのです。この三つのものを見せて話し合うことにしました。
教師:「この三つはそれぞれちがうけど、共通するものの、似ている点や同じ点があるのでしょ」
と質問すると、子どもたちから出てきたのは「文房具」「材料がどれも、プラスチックでてきていることが同じ」だという意見。
教師:「材料に注目したところがいいね」
教師:「ノーベル賞を受賞した湯川秀樹という物理学者は、物事の違いの中に共通なものを見つけることが、創造にとって重要だという意味のことを言っているけど、みんなも、一瞬のうちにとらえてしまうから、すごい能力だね」
とコメントすると、子どもたちはうれしそうな表情をしています。
教師:「ほかにあるかな?」
子ども:「先生、使えばどれもなくなる」
教師:「さすがです。量に注目したところがいいね」
というような、やりとりをするなかで、子どもたちは「共通」ということを、だんだん理解していきました。
教師:「それじゃ、今黒板の前に並べたものに共通しているものはなんだろう?」
と問いかけると、今度はかなりの子どもたちは気がついたらしく、すぐ手があがりました。
子ども:「真ん中に線を引くと、左と右の形が同じになる」
という意見がだされました。そのうちに一人の子が
子ども:「同じ形にならない場合がある。中心を通らないような線を引くと、同じ形にはならない」
教師:「そうだね、ある考えが成り立つ場合を考えることも大切だけど、その考えが成り立たない場合の条件を考えることも、とっても大事なんだよ」
 子どもたちは鋭い感性で、大事なことをぽんぽん見つけていきます。
 その考えがどんなに重要な意味をもっているかを、ひとこと語ることで、子どもたちは対象を深く見つめる視点を自然に学んでいきます。
教師:「今みんなが発見したように、左と右、あるいは上下が同じ形になるようなものを線対称な形といい、この線を対象軸と言う」
ことを確認して学習を終わりました。
 子どもたちは、今日、線対象について学習することはまったく知らなかったのです。この日は、線対称の学習の第一時間目でした。自分たちの力で線対象を発見したことは、とってもうれしいことだったのです。
 いつも誰か集中しない子がいるものですが、この日は全員が参加した授業ができました。授業したなあという実感をもつことができました。
 推理し想像しながら、みんなで発見していくような授業は、子どもたちも大好きです。学習意欲に欠けるような子が、このように目を輝かせて学習する事実に、私たちは着目していかなければなりません。
 子どもたちは、知的好奇心が高まり、未知の世界との出会いがあるような学習には、むしろ飢えているのです。
 共同で学ぶことで、一時間前には想像もできなかった世界と出会うことができる。
 学級の友だちと対話・討論することで、自分も賢く人間としても豊かなになってきている。
 この実感の積み重ねこそが「何のために学校に通って学ぶのか」という問いに応える、道ではないかと思っています。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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子どもが問題を起こし注意するたびに、教師と子どもとの関係が悪くなる、どうすれば子どもが問題を起こしても関係がよくなるようになるか

 学校では、子どもたちが、いろんな問題を起こします。
 問題が起きるのは当たり前のことなのですが、私たち教師は、つい
「あ~ぁ、また、あいつか!」
などという態度で、問題を起こした生徒に対応しています。若い頃の私も、そんな教師のひとりでした。
 教師が「また、お前か」という対応の場合は、たいてい生徒も、いやな感情を抱きつつ、教師と向き合うことになります。
 そんな教師の態度に子どもたちが反感を抱いて、子どもたちとの関係が最悪になってしまうことがあるのです。
 私はある時、生徒との関係が毎年ギクシャクしてしまう若い同僚教師から相談を受けたときがありました。
「私だって、生徒に嫌われたくないんですよ。だから、今年こそは、うまくやりたいと思っていても、生徒がいろいろ問題を起こしてしまうので、そのたび注意することになる」
「すると、そのたびに生徒との関係がどんどん悪くなっていくんですよ」
「だから、生徒が問題を起こすたびに、ドキッとしてしまうんです。どうすりゃいいのかなーってね」
 これを聞いて、私は「生徒が問題を起こすたびに生徒との関係が悪くなって、悩んでいる教師がいっぱいいるんだ」と思いいたったのです。
 どうすれば、生徒と「いい感じ」で対応できるのでしょうか。
 私は、問題を起こした生徒に向かって
「あれっ、どうしたのよ。きみとしたことが?」
「なんか、よっぽどのことがあったんでしょう」
と、声がかけられる時は、いい感じで対応できるときなんです。
 こんな声かけが言えた場合は、生徒も
「そうなんだよ、先生。おれ、頭にきたんだよ。だって、・・・・・」
などと、話はじめてくれたりするのです。心を開いてくれる感じでね。
 そうなったら、うれしいですね。後は
「そうか、それは頭にくるよね」
などと、同情すべきところは同情する。
 反省してほしいところは、
「でもねー。この点は、まずかったよね」
と反省してもらう。そして、
「この先、どうしようか?」
と。一緒に考える。
 つまり「良き相談相手」の立場に立てるわけです。
 子どもたちにしても、
「あー、まずいことしちゃった。困ったことになったなー」
と困惑しているはずですから、こんな時、大人の相談相手の出現はうれしいことなのです。
「あれっ、どうしのよ。きみとしたことが?」と言うセリフは、言いづらいですよね。
 たとえ、言えたとしても、生徒に教師の心を見透かされ「見え透いたオセジ」になってしまう危険がいっばいです。
 そこで、やはりふだんから、お互い相手を認められる関係でいられるかどうかということが大切になるのです。私が心から言えたのは教師になって3年目でした。
 心から話かけられるようになるには、どうしたらいいのでしょうか。
 友だち同士だったら言えますよね。
 私の場合「今、生徒といい関係だな」と実感をもてるときは、私と生徒が心から授業を楽しめているときなんです。
「へぇ、こう考えるといいんだ。新しい世界が見えてきて、うれしいな」
「みんなで学び合うって、すごくたのしいな」
「あいつ、やるじゃない。見直した」
「私の、予想どおり、私ってすごいのかも」
 こんな感じで、教師と生徒が
「授業のたのしさ」
「自分のすばらしさ」
「他人のすばらしさ」
の発見の喜びを共有し合える。
 そんな授業を1時間でも多く体験できるといいな、思っているのです。
 私の場合、それが仮説実験授業で実現できているのです。
(
小原茂巳:東京都公立中学校教師を経て明星大学教授
)

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新担任のとき親からほめられ、とてもありがたかった、だからこそ保護者の話を聞き、ほめ、励ますのも教師の仕事なのだ

 おかげさまで、個人面談のために、個人カルテを作り、話す内容も準備も、話し方も、まあまあうまくなり、そつなく個人面談ができるようになった。
 経験というのはありがたいもので、苦労なく親とも話せるようにもなった。
 私に、まだ子どももいない20歳代の頃は、母親はどんな人であっても、恐怖だったけれど、それもなくなった。
 だから、若い先生も、きっと経験年数とともに、親とのつき合い方は、上手になると思う。心配はいらない。
 私が保護者との面談は、一番長いときは2時間を超えた。そのときは、問題がたてこんでいて、早々に切り上げるわけにもいかなかった。
 保護者が不安定であったり、いらいらした気持ちでいると、子どもに伝染してくるから、不思議なものである。
 このような場合は、ほとんどの母親は
「先生、実は、いろいろ夫婦の問題がありまして・・・・・」と、なっていく。
 2時間の面談になった母親も
「なにもかも、私が家を支えていて、大変つらいのです。頼りない夫に怒りさえ感じてしまうのです」
 といった感情を、相手かまわず、担任の私に話すのだから、もはや母親の気持ちも非常に不安定なのだ。
 そんなときは、仕方ないから「そ」のつく言葉をたくさん言って、気のすむまで話をしてもらうしかない。
 母親の気持ちが少しでも気楽になれば、自分の大事な教え子を救えるってものだ。
「そうですね」
「そうかもしれません」
「そうだといいですね」
「そうするのがいいですよね」
「そうすると、どうなりますかね」
「そういったときは、誰にでもありますから」
「そんなに深刻に考えなくていいですよ」
「そんな気がするだけですよ」
「それでも、うまくいかないかたが多いですよ」
「そんなときは、眠った方がいいですよ」
 子どものことではなく、母親の相談をしているような気もするが、仕方がない。最後は必ず、
「区の教育相談にかかると、お母さんの気持ちをよく聞いてもらえますよ」
「そうすれば、子どもにもイライラする気持ちが減りますよ。ご案内しますよ」
と伝える。
 人に自分の悩みを伝えるだけの相手であっても、そのような人がどこにいるのか、知らない親も多い。
 苦労した保護者もいたが、毎年、年賀状をやりとりして20年になる保護者もいる。私が初めて担任をしたとき、クラスの役員を引き受けてくれた母親だ。
 若かった私を頼りないなどと一言もいわず、
「先生が休み時間に、一緒に遊んでくれるので、楽しいよと娘が毎日のように言いますよ。だから、先生、このまま頑張ってくださいね」
と、大げさにほめて励ましてくれました。
 どれほどありがたかったことか。だからこそ、保護者をほめ、励ますことだって、私たち教師の仕事の一つなのだ。
(
大場寿子:1961年静岡県生まれ、東京都公立小学校校長)

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昭和を代表する教育実践者である斎藤喜博が考えた、教材研究と授業とは

 教材研究をよくしていったとき、子どもたちは、よく動くものである。
 力のある先生が話をすれば、子どもたちは自然に真剣にきくものである。
 子どもたちがうるさくするのは、先生に力がないからであり、先生の教材研究なども足りないからである。
 集会の話なども同様である。よい話なら「静かにしなさい」などといわなくても、全員がよく聞くのである。
 それを自分の力不足、教材研究の不足と思わないで子どもたちを叱るのはもってのほかのことである。
 ある若い女性の先生が「私は教材研究のよくできていないときは自習させる」と言ったことがある。
 この先生はいかにも怠け者のようにみえる。けれどもそれはまちがいである。こういう先生はかならず良心的な努力家である。
 教材研究がよくできていないのに、できているような顔をして、子どもたちの前に立つ不遜な教師にくらべて、どれだけ良心的な謙虚な真摯な教師であるかわからないのである。
 しかも、この態度は自分を尊重し、子どもを尊重し、自分の仕事を尊重する態度である。そういう態度でなくて、どうして教育ができるであろうか。
「先生は、今日はよく調べていません。これから調べますから、皆さんも調べてください。いっしょに調べましょう」
 これでよいではないか。こういう態度こそ、真に子どもを教育するのである。
 授業は、どんなに教材研究を精密にし、方法プランを正確に立てても、それだけでうまくいくものではない。
 教材研究や方法プランをつくることはできる。しかし、それは最後には教師自身の身体から出たものになっており、教師の強い主張になっていなければならない。
 授業が展開し、教材や子どもと衝突するにしたがって、教師や子どもの解釈や思考が否定されたり、変革されたり、方法がより必然的な方向に変更されていったりしなければならないものである。
 よい授業は、教師が生身の人間としての教材解釈を持ち、方法プランを持っており、それを生身の人間である子どもと授業のなかで激突させ、そのなかで自分の解釈も方法も変更していくような質の授業である。
 だから、授業は、生身の人間を感じるようなものであり、授業に迫力があり、授業のなかにつぎつぎと新しい問題が生まれ、それが否定されたり、発展したりしていくものである。いつでも何かを追い求めているような授業になっているものだ。
 人間が豊かになるためには、明確になった科学の法則を授業という生身の集団のぶつかり合いのなかで、相互に発見し合い、生きたものにしていく、そういう作業のなかで教師や子どもが豊かになっていくのである。
 そのためには、教師はつぎのような順序で、教材と授業を考えてみる必要がある。
(1)
教材を解釈するすじみち
 教師として、一人の人間として、教材をどのようなすじみちで解釈していくか。
(2)
授業を構造化する
 その教材の解釈を、どのようにして学級の一人ひとりの子どもとつき合わせ、かみくだいていき、授業を構造的なものにしていくか。
(3)
教材を分析する
 教材にはかならず授業展開の核とか中心とかになるものがあり、どのようにつかまえていくか。授業はそれを手がかりにして展開していく。
(4)
授業展開のなかでの新しい発見
 実際の授業展開になると、教材に対する新しい発見をするものである。
 授業展開のなかで教材や子どもと衝突することによって新しい発見をしたとき、教師はどのように対処したらよいか。
 以上のようなことが、ひととおり行われたとき、すぐれた授業展開は保障されるのだと考えている。
 この四つのことを、できるだけ正確に、精密に、法則的にとらえておくことが授業者として心がけておかなければならないことだと考えている。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)


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私の教師としてのスタンスをつくるうえで、決定的に影響を与えことは何だったか 

「小学生の頃から教師になりたかった」と言う教師によく会います。
 私は、そういうタイプの人間ではありませんでした。さほど「人間好き」ということもないし「子ども好き」ということもないのです。
 大学4年生のとき「自分にとって、中学生と一緒にいることが私にとって幸せなことだし、ほんの少しは彼らを励ませるかもしれない」と考え、教師になる決心をしました。
 私が教師になった1980年代は、全国的に中学校が荒れ、私が生徒に「席について」と言っても、何人かはすぐに席にはつかなかった。
 私は「やさしい先生」から「恐い先生」に変身しようと必死になっても、そううまくはいかなかった。
 給食時には肉が飛び交うこともあり、私は教室の真ん中に仁王立ちし、プリンが誰かに取られていないか、食べ物を床に落さないかを監視する日々が続きました。
 やんちゃな二人を中心にしていじめが起きていました。問題も続発しました。
 私は「教師になんて、なるんじゃなかった」と思い悩み、いじめられる子どもを「体を張ってでも守ろう」と思いました。
 私は胃かいようになり、何日も学校を休みました。お見舞いに生徒や教職員が来てくれました。うれしくて、情なくて涙が出ました。
 生まれてから現在までの私をふり返ってみると、いろいろな体験や、そのとき考えたこと、乗り切ったことが、自分の教師スタイルを形づくっています。
 私が、教師としてのスタンスをつくる上で決定的に影響を与えたことをあげると
(1)
 教師っていうのは、学習しないと、前にきりひらくことができない
 特に学校が荒れているときに、思ったことは「教師っていうのは、学習しないと、前にきりひらくことができない」ということです。
「いうことを聞かない子」「攻撃的な子」「学ぶ意欲がない子」など、教師はいろんな子に出会います。
 そんなとき「どうしょうもない子」と思い、その子を責めたりします。本当ならば、
「その子どもが、なぜそのようなっているのか」
「そこからぬけ出て行くために、教師はどんな手をうったらよいのか」
という発想を常に持っていたいと思います。
 子どもたちを客観的にとらえ、指導方法を研究していく。そのとき、自分が研修し、学ぼうとしているか、いなかは、教師としての飛躍を勝ち取れるかどうかという点で決定的なことです。
 荒れた子どもたちがいても、教師をやめなかったのは、研究サークルの学習会に参加できたからでした。今でも、1年間に50日はさまざまな研究サークルの学習会で学んでいます。
 教育は創造的な仕事であるからこそ、これからも学びつつ教師をつづけていきたい。
「今度は、どんな実践をしようか」と、時に流されないで、実践を創っていく教師人生を過ごしていきたいと思います。
(2)
他人の喜びを自分の喜びに
 私が育ってきた中で影響を受け、教師としてのスタイルをつくったものを、一つあげるとすると、受験競争のもとで過ごした中学校時代でした。
 常に競争していて、他人の喜びが自分の喜びにならない自分だったのです。
 時には、他人の成功がやっかみになり、自分の劣等感を刺激することもある。そんなとき、理性では制御できない自分に、苦しさを感じることもあります。
 子どもたちを前にして、いつも考えていることは
「どうしたら、いろいろなタイプの子どもたちの交わりが、さかんになっていくのか」
「違ったタイプの人間を認め合える集団をつくるには、どうすればよいか」
ということです。そして、子どもたちには、
「自分のことだけではなく、まわりの友だちのことも考えられる『自分』になってほしい」
ということを、子どもたちに要求します。
 このことが、子どもたちを前にしたときの私の信条になっていると思います。
(
本山 明:元東京都公立中学校教師、教育科学研究会常任委員)

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授業中に立ち歩く子がいる、どうすれば立ち歩かなくなるのでしょうか

 私は1990年代に初めて小学校1年生の担任になった。入学式の来賓の話の最中に、4,5人の子どもたちが派手にけんかを始めた。私は、こりゃ困ったことになったと思った。
 新年度、4月のスタートは、いくつかの約束事を決め、学級の秩序を作っていく時期である。
 私は「〇〇しようね」と約束したことが、定着するまで次の決まりごとは、できるだけ控えた。子どもへの指示は、その都度1回にするとか、いくつかの原則を守りながら進めた。
 だが、入学式のような騒ぎは日常茶飯事であった。一向に改善される兆候もない。
 学校は集会など、並ばせる場面が多い。
 やがて上級生になることを考えると、早くきちんと整列できる能力を子どもたちに養っておくべきだと思い、整列の指導をやったのだが、この子たちには通じない。
 せめて、授業中は、この子どもたちを席に着かせたいものだと考えた。
 私なりに「楽しい授業」をしたいと思っても、子どもたちの立ち歩きや、おしゃべりを何回も注意しているうちに、私自身のノリが半減してしまい面白くなくなってしまう。
 私は、子どもたちと過ごすことが楽しいと思い、教師になった。しかし、私も年を取り情熱がなくなってきたのかな、と考えているうちに、ふと先輩教師の姿を思い浮かべた。
 その先輩教師は、毎日、子どもたちが帰った後で、教室を掃きながら、子どもたちのことを、あれこれ想い、ぶつぶつ独り言をつぶやく教師だった。
 先輩教師の姿を思い浮かべて、私は「掃除だ!」と、ひらめいた。掃除を自分が率先してやろうと思ったのである。
 私は、子どもたちに、わずらわしい掃除分担などをしないで、ひたすら子どもたちと一緒に掃除に取り組んだ。掃除の時間は他の仕事は一切やらないと心に決めたのである。
 やる気のある子が手伝ってくれればいい、やらない子は放っておいた。
 そのうちに、私と掃除をすることを楽しんでやる子どもが出てきた。
 意外にも、ちゃらんぽらんで学習に集中できないと思っていた子が大変じょうずに掃除をした。その逆の子もあった。
 掃除をやりながら、いろんな話をする。誰の絵は面白いとか、じょうずだとか、おしゃべりした。おもわぬ情報源になった。
 また、雑巾の洗い方、絞り方から始まり、雑巾を使った床の拭き方、机や棚の拭き方も教えた。大声をあげて全体指導をする必要はなかった。
 掃除している子を見かけたら、その都度、やって見せて教えた。子どもたちは素直に学んだ。みんなで床拭き競争もした。
 掃くとき、小さなほうきを使ってチリ取りに乗せる方法をその都度、教えた。
 子どもたちが掃除をうまくできなくても、私は叱らなかった。
 掃除は私の仕事であり、子どもは手伝いと考えることにしたからである。
 もちろん、このことは子どもたちには言わない。自分たちの使った教室をきれいにするのは当然と話した。
 教室の掃除を、私の仕事と位置づけてからは、教室の見方が変わった。
 それまでは、教室と言うと、掲示物などばかりに目を注いでいたが、掃除することで、それだけではないことがわかった。
 掃除は教室の床をきれいにするだけではない。机や椅子を整え、物をもとにあった所に戻し、整理することである。
 これは、教室に秩序が存在することを、毎日、無意識のうちに、子どもたちに教えることになる。
 秩序を時間的に見れば、物事には順序があるということだ。
 これは、子どもたちが並んだり、発言の順番を待ったりすることの土台になる意識であろう。
 また、教室に秩序があれば、当然、教室の時間の秩序もある。授業中に終わりのチャイムが鳴れば、途中でも、私は必ず授業を止めるようにした。
 子どもたちの前では、決めたこと、約束したことは必ず守った。守れない約束はしなかった。
 そして、二学期になり、授業中に立ち歩く子どもは、いなくなった。しかし、相変わらず、にぎやかな子どもたちである。
(
尾崎光弘:元東京都公立小学校教師
)

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「ムカつく」子どもを「ムカつかない」子どもにするには、どうすればよいか

 小学校五年生の担任です。遅刻や忘れ物が多く、学習に集中するのも苦手な子どもがいます。最近「ムカつく」という言葉を頻繁に口にするようになりました。
 「どうして、そんなことしなきゃいけないの」と言い「ムカつく」を連発します。どのように対応していったらよいのでしょうか。
 怒りの処理のしかたで大切なのは「怒るな」と怒りを抑制することではないのです。
 怒り終わるまでの時間を短くすること。怒りを周囲の人が了解できるかたちにして表現することなのです。
「ムカつく」子は、周囲の状況に不満を感じやすいことと、周囲の人が了解できるかたちで表現できないことが問題であるようです。
 教師として「子どもが怒りをコントロールする」ことを、子どもにどう教えればよいかを心得ておくとよい。どうすればよいのでしょうか。大切なことは、
(1)
怒りをおさめた瞬間を大切にする
 ムカついて、怒ることに注目せず、怒りをおさめた瞬間に注目するのです。
「素敵な顔に戻ったね」と、いう気持ちで、その瞬間に合った言葉をかけます。
「ムカつく」と言うのをおさめて、指示されたことに取り組もうとする瞬間に注目するのです。
 にっこりほほ笑むだけでもかまいません。
 このときに、時間に余裕があれば
教師:「自分でどう思ったから、やる気になれたのかなあ」「よかったら教えて」
と、声をかけます。
 ムカついていた子が、例えば
子ども:「いつまで怒っていてもしょうがないもの」「いやなことだけど、いやなことは早くすませなきゃと思った」
などの言葉が出てきたら
教師:「そうか、そう思えばできるんだよね」
と、認め応じます。
 その言葉が子どもから出てこないときは
教師:「今度、こんな感じになったときに、どう自分に言ったらムカつかなくなったのか、その秘密を教えて」
と、お願いをします。
 気持ちを切りかえるために、自分が「自分自身に向けている言葉」が重要な役割を果たしていることを意識化させるのです。
(2)
気持ちを切りかえるまでの時間に注目する
 気持ちが切り替わり、指示された作業に取り組むまでの時間に注目をします。
 その時間が短くなったことに注目し、評価します。
教師:「取りかかりが早くなったね」「気持ちの切り替えがうまくなったね」と評価するのです。
 教師は子どもに「あなたは、それができる子なのだ」という気持ちで声をかけます。
 これが、子どもに「自分で自分の感情をコントロールできる」という自信を培うのです。
 子どもが「自分は自分の感情をコントロールできる」という感覚が、ささいなことに怒り出さない、ということにまで、影響を及ぼします。
(3)
「子どもが、背伸びをせずに、自分らしくしている」瞬間に注目をする
 子どもは「注目してほしい」「目をかけてほしい」という欲求が強く持っています。
「ムカつく」という場面だけでなく、子どもが「背伸びをせずに、自分らしくしている」瞬間に注目をすることも一つの方法です。
 無理をせず「普通の姿でよいのだ」というメッセージを送ることが大事なように思います。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

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叱り続けるとすぐにクラスが荒れ、教師が動き、ほめる状況をつくるとクラスは落ち着いてくるようになる

 私は、初めての担任で、教師として気になる生徒の行動を叱り続け、子どもとの関係が悪化した。叱ることばかりで、ほとんどほめることをしなかった。
 よいところに目を向け、ほめる場面を作っていたならば、温かい学級をつくることができたと思う。
 初めて私が受け持つ子どもたちと対面したとき、姿勢正しく座り、おとなしく話を聞く子どもたちであった。
「何と良い子どもたちなのだろう」「絶対にうまくやってける」と、私は希望にあふれていた。
 しかし、クラスが荒れるのには時間がかからなかった。教室にはゴミがあふれ、生徒は係の仕事をしなくなった。
 トラブルは増え続けた。今考えれば、いくつかの前兆があったのだろうが、当時の私はすべてを見逃していた。
 クラスが荒れた原因が、今なら分かる。
「できる子ども、まじめな子どもしか、ほめていなかった」
 例えば、係の仕事を責任もってやりとげる子。きちんと授業の準備をして席に付いている子。教師の話をきちんと聞く子。
 といった、教師にとって都合のいい子しか、ほめていなかった。
「厳しくすることが学級経営のコツだと考えていた」
 私が教師として気になる、子どもたちの行動を、叱り続けた。
 例えば、給食時に教室にいない。日直の仕事を最後までやりとげない。不要物を持ってきた。化粧をして登校してきた。机に落書きした。
 など、今なら、授業に遅れてくる子がいても、決して叱らない。時間がくれば、待たずに内容をどんどん進めてしまう。
 授業に遅れた子どもは周囲の状況を見て、焦って席に座り、急いで授業の遅れを取り戻そうとする。
 教室にゴミが落ちていれば、私が拾って歩く。生徒の中にも、慌ててゴミを拾う子が出てくる。
 机の落書きは、私が放課後消してまわる。自然と落書きは減る。
 生徒以上に教師が動き、ほめる状況をつくるようにした。
 例えば、給食の時には、次のことを心がければよい。
 私はできるだけ早く教室に戻り、運搬台にのった食器を教室の給食台の上にのせていく。
 教師が動けば、当番であるなしに関わらず、必ず手伝ってくれる生徒がいる。私が笑顔で「ありがとう」というと、うれしそうな表情をする。
 配膳が始まると、時間がかかるので、私は助っ人に入る。お茶碗にご飯をどんどん盛って、並んでいる生徒に渡していく。
 以前なら、当番の子に「早く準備をしなさい」と叱っていたが、当番の子がやってきて「先生、替わります」と言えば、私が「ありがとう」と言うと、生徒は気持ちよく仕事をしてくれる。
 教師が動けば、子どもも自然と動く。どの子にも、やらなければならない状況ができる。
 子どもが仕事をする姿を見れば、自然とほめる場面が増える。
 少しの変化に目を向ければ、ほめるのは簡単である。
 例えば「昨日より準備が早いね」「エプロンきちんとつけているね」「手際が良くなったね」と、さりげなく、かつ心を込めてほめることが大切である。
 子どもを叱らなければならないことも当然ある。
 例えば、誰かを傷つける言葉を言ったり、傷つける行為をしたときなどは、叱らなければならない。
 叱るときに、心がけることは「長い説教はやめて、短く叱る」ことだ。
 例えば、授業中、教師に暴言を吐く子には「〇〇くん、立ちなさい。失礼です」
 私は以前、自分の思いを伝えるためには、長い説教が必要だと考えていた。
 しかし、私の長い説教に、始めはおとなしく聞いていた子どもが、次第に反発するようになった。教室から飛び出す。無断で早退する。指導した子どもだけでなく、保護者との関係も悪化した。
 私が短く叱るようになってからは、子どもが教室から飛び出したり、反発されることは無くなった。
 長く、だらだらと叱るよりも、短く端的に叱られた方が、子どもにとっては効果的なのである。
 生徒と信頼関係ができれば「かかとがつぶれているよ」と、穏やかな口調で言っても生徒は反応する。それを繰り返していけば、笑顔で生徒のかかとを指さすだけでも効果がある。
(
落合志保:福島県公立中学校教師)

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保護者の思い通りにならないと、連絡帳や電話、保護者会で不満を述べる保護者がいる、どう対応すればよいでしょうか

 保護者の視線がわが子に向くのは保護者として自然なことだろうと思いますが、自分の思い通りにならないと、あれこれと不満を言いたてる保護者がいます。
 保護者と教師の信頼関係が強ければ、こうした問題は生じることも少ないと思われますが、つぎのような対処を考えるといいでしょう。
1 連絡帳に書かれた場合、内容によって、連絡帳で返事をするか、会って話をするかは慎重に考えましょう。返事の仕方で、またまた誤解を生みやすいからです。
2 電話についても同様で、用件によっては、電話で話すか、後日会うかを即断しなければ、対処を誤ります。
3 校長に話が持ち込まれた時は、校長に、事の経過と状況を率直に話さないと、校長が判断を誤りますので、くれぐれも気をつけます。
「嫌な報告ほど早く、良い報告は後で」「私情を混じえず事実を報告」が、こうした際の鉄則です。
4 保護者と話をする場合
(1)
保護者と話をする際は、緊張した表情で、構えた姿を見せないことです。相手の話を聞きとろうとする受容的な姿勢と謙虚さが基本です。
(2)
相手の言い分をよく聞きとり、その後に、こちらの真意をわかってもらえるように話す。
(3)
感情的に対処したり、紋切り型の話し方をしたりしないようにする。
(4)
相手の誤解を解くように努めると同時に、自らのミスは素直に認める態度が必要である。
(5)
「言葉じり」をとらえた話になってしまわないよう、言葉を選んで対応する。
(6)
話の内容によっては、学年主任や教頭に立ち会ってもらい、後日、問題が残らないようにする。
 最近は、保護者会で保護者からいろいろと意見が出るようになりました。担任の話や提言についても、質問したり反論したりする保護者もいます。
 保護者の意見や質問が続くと、教師が面くらってしまったり、非協力だなどと思ったりします。
 そうしたことに不慣れな教師もいるでしょう。
「このごろは、面倒になった」「最近は煩わしくなった」
と不満を語るより、保護者と協力して、力を合わせるには、どうしたらいいかを考え、それを実践することです。
 保護者会で、あれこれ意見が出たり、注文がついたりしたら、どうすればよいのでしょうか。次のように対応するとよいでしょう。
(1)
教師は困った表情、怒った表情、不快な表情を見せないようにする。
(2)
相手の言っていることを、的確に聞きとるようにする。
(3)
保護者の意見に対しては、穏やかな言葉で回答(反論)し、切り捨てるような態度をとらない。
(4)
保護者の誤解は、わかりやすく説明し、それを解くようにして、協力の雰囲気を醸成する。
(5)
保護者の意見で、もっともなことは、取り入れていくようにする。いつもそうした態度を示す。
(6)
学校として検討・対応する必要のあることは、直ちに校長に報告する。
 保護者会で、教師が説明したり回答する際に、どのように話すか、話し方の工夫はとても大事なことです。例えば、
1 具体的な事例を用いながら話す
 具体的な事例を用いながら話すと、聞き手の理解は容易だし、よくわかります。
 しかし、気をつけなければならないことは、聞き手は話の中に登場した具体例にこだわって、視野を広げてとらえることがしにくくなりがちなことです。
一般論を中心に話を展開する
 視界が広がるし、問題の所在がどこかなどに、気づくこともできることは確かです。
 しかし、話が抽象的になりがちなので、具体的な事柄が、聞き手はなかなか把握しにくいこともあります。
 難しい話を聞かされたと感じることもあります。したがって一般論で話を通すことは避けた方がよさそうです。
3 具体的な事例と一般論を併用するとよい
 話をする内容は、具体的な事例と一般論が組み込まれているのがよいのです。次のような順序で話が進むと聞きやすいし、理解も容易です。
(1)
具体的な事例が登場して、こうした問題があるから、何を考えたらよいか気づいてもらう。
(2)
具体的な事例の話から、自分や身近にそうしたことがあるか、どうかを考えてもらう。
(3)
そこで、一般論が示されて、なぜこうしたことがおきるか、どうしてかなどを考えてもらう。
(4)
一般論と具体的な事例を重ねながら、どんなことに気をつける必要がありそうかを知ってもらう。
(5)
話の内容から、学校と家庭が力をあわせることの大事さをあらためて考えてもらう。
 話し方が訓示調では、聞き手の反発をかうことがあます。くだけた話し方だと、説得力に欠けます。
 教師の話し方は、きちんとし、だらだらと長びかない話がよさそうです。それが、信頼感を得る根源かなとも思います。
(
飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長、千葉県浦安市立小学校校長を経て、千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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子どもの話を最後まで聴くだけでなく、助言・指示・支持・説得の技術を使いこなさないと教育はできない

「情熱だけでは教師はつとまらない」というのが私の持論である。教師になりたくて教師になったのに、子どもたちは、笛吹けど踊らずという毎日が続くと、自信喪失に陥り、自分は教師不適格者だと思い込み、教職を去る人がいる。
 その人の人格や性格に問題のある場合もあるが、教育の技術が見つからなくて絶望する人も少なくない。
 教師と子どもの関係づくりは、子どもの話を最後まで傾聴するという受け身的な技術だけでなく「助言」や「指示」や「支持」、「説得」など、能動的技術を使いこなさないと、教育はできないと思っている。
 子どもの話を聞き、状況に応じて是々非々を明示したり、どうすべきかを指示したり、教師が自分の考えや感情を開示しなければならないことが少なくない。
 教師がなじんでおいたほうがよいと思われる技術は
1 かかわり行動
 教師が「私はあなたに関心・好意を持っている」ということを、子どもに伝える技術である。ねらいは、教師と子どもとの関係づくりである。例えば、
(1)
笑顔でうなずきながら、子どもの話を聴く。子どもに視線を合わせて会話する。聞き取りやすい声で話す。
(2)
子どもを呼びつけないで、自分の方から近づいていく。子どもたちと一緒に遊んだりする。子どもと廊下ですれちがうとき声をかける。
2 質問する
「学校はおもしろい?」などと質問するのは、教師と子どもとの関係づくりと、子どもを理解することが目的である。
 教師が何も質問しないと「この先生は、私に関心がない」と子どもが誤解することもある。人は誰でも関心をもたれていると感じるのは快いものである。
3 はげまし
 子どもは「何を話しても聴いてもらえる」と感じると「この先生は私の見方である」という信頼感が生まれる。それには、子どもと会話しているときに、
1 )
受容
「なるほど」などとあいづちをうつ。
2 )
うながし
「それで?」「たとえば?」と、話を促進する合いの手を入れる。
3 )
繰り返し
 話の中のキーワードを繰り返す。
4 )
言い換え
「~ということ?」と確認する技術のことである。
 子どもは「わかってもらえた」という感じがするから、教師への信頼感が高まるし、子ども自身の自己理解につながっていく。言い換えの種類は、
(1)
事実
例「仲間はずれにされたわけだね」
(2)
感情
例「悲しいわけね」
(3)
意味
例「何も悪いことをしていないのに、仲間はずれにされたので悲しいのね」
(4)
三種類の応答技法を使って会話する
 子どもは事実ばかり語ることがあるので、
「それについて、どう思っているの?」と質問し
「どちらの味方にもなれないのね」と意味への応答し
「どうしてよいか困っているのね」と感情に応える
ようにするとよい。
 こういうふうに、3種類の応答技法を使って会話すると、子どもは自分の状況がよく見えてくる。つまり心が整理されてくるので、
「先生と話していると気持ちがすっきりしてくる」
と言うようになる。
5 )
意識化
 子どもがうすうす気づいていることを、先手をうって言葉にする技術である。明確化ともいう。
 子どもに「自分が取り組むべき問題が何かを理解させる」のが目的である。
 子どもの立場に教師が自分を置いてみて、自分ならどう感じる(考える)だろうかと、ふり返ればだいたいの見当はつく。
 例えば、ぶすっとしている子どもがいれば「何か機嫌が悪そうだが・・・・」と。
 教師自身に、いろんな感情体験のない教師は察しが悪くなる。いろんな苦労を乗り越えておかないと、コンプレックスになるから、この技術を素直には使えないと思われる。
 すなわち自己嫌悪の人は他者嫌悪になりがちだからである。
6 )
手ほどき(助言・指示・フィードバック)
 援助の手をさしのべないと、子どもにすれば、どうしてよいかわからないことがある。
「助言・指示・フィードバック」をするときの留意点は、具体的であること。具体的でないと実行しにくいからである。
7 )
支持
 支持とは、子どもの思考・感情・行動を認める言動のことである。例えば「なかなかよい考え方だ」「よくできるじゃないか」などである。
 ねらいは、子どもに自信をもたせることにある。
「私に何かしてほしいことはないか?」「私にできることが何かないかなあ」と行動をともなう支持をすることもよい。
 気をつけなければいけないことは、
(1)
無理に支持しようとすると、お世辞にひびくことがある。
(2)
支持する根拠をもつことである。根拠がないと、単なる気休めになる。
4 説得
子どもの話しを聞くだけでは問題が解けないことがある。
説得して考え方や行動の仕方や、場合によっては感じ方まで変えることが求められることがある。
 子どもに抵抗されないよう、どう説得すればよいのでしょうか。
 説得する場合「子どもがどうなることを欲しているのか」をつかむ必要がある。そのためには、子どもの話をよく聞くことである。
 説得するためには、教師と子どもとの間に、よい人間関係をつくらなければならない。
 人間関係をつくるには
「この先生は、私の味方である。私のためを思ってくれる人である」
と、子どもが感じるような、相手の身になって話を聞くことである。 
 説得が抽象的だと行動にはつながらない。具体的で、小刻みに指示するとよい。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長などを歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)

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無理難題な要求など、普通では考えられない言動を繰り返す保護者には、どう対応すればよいか

 学校では保護者対応で、きれいごとでは済まない厳しい問題が時として起こる。
 保護者と話せば「分かるはず」だし「分かってもらうように努力しなさい」って言われるが、それが通用しないこともある。たとえば、
 ある学級では、学習指導の苦情から始まって、保護者の要求がエスカレートし、学校訪問が頻繁になった。
 無理難題な要求を学校が飲まなければ「わが子を学校に行かせない」と子どもを人質にとり、学校に長時間居座り、教師の自宅に深夜まで長電話を繰り返した。
 今年に入ってすでに2人の担任が倒れた。いま、3人目の担任がなんとか持ちこたえている。学校全体が壊れそうな状態にある。小野田先生、私の学校を助けてください。
 これは私の創作の文章ですが、これに似た相談を私は全国各地で、この10年間で100件以上受けました。
 人は、それぞれに性格があります。それが偏っていることは誰にでもあります。
 しかし、その偏りが、社会生活を営む上で困難さを抱え始めると、障害ととらえられます。
 人格の偏りがいちじるしく、社会生活を営む上で適切に人間関係を結びにくくさせている障害に「パーソナリティ障害」というのがあります。
 精神医学で、他人とのコミュニケーションがうまくとれず、それによりトラブルを起こしてしまう人を「PD(人格障害)」と診断されることがあります。
 PD(人格障害)は、偏った考え方や行動パターンのため、社会生活に支障をきたした状態です。
 普通には考えられない行動を繰り返す背景として、何らかの精神疾患などからくる影響だけでは説明がつかない場合、このPD(人格障害)が考えられるわけです。
 玉井邦夫は著書で
「学校現場が人格障害の問題に直面し、困難を極めるのは、保護者に人格障害が認められるケースであろう。モンターペアレントなどと呼ばれることもある」
「常識では考えられないような要求や抗議を持ち込んでくる保護者のなかには、こうした人格障害に該当するケースが考えられる」
「教師に対する激烈な攻撃や、相手の感情などしんしゃくしない挑発、自分の言動に対する極端な無責任さ、他者に対する激しい好き嫌いや、気分の変動、強い被害の訴えなどが示される」
と書かれています。
 他の人が書かれた専門書の中でも、同様の指摘がなされていますし、コミュニケーションのとりづらさから、大人の発達障害がうかがえるケースや、うつ状態といった精神的な不安定さからくる、様々な難しい言動への対応の仕方が説明されるようになりました。
 玉井邦夫は、こういった傾向をもつ保護者と接するばあいは
(1)
早急に教育委員会や専門機関(医療・福祉・警察など)の協力を得て、今の起きているトラブルを管理者と学校現場が共に共通理解すること。
(2)
学校ができる範囲は明確に管理者から伝えること
(3)
教師の個人的資質の問題ではないことを確認すること。
以上のような大原則を踏まえて、関係機関とのチーム対応を続け、見立てや解決の方向を探ることになる。
「良かれ」と思って親身に関わっても、何度も裏切られ、振り回され続けて、何ともならなくなるような事態に陥ることがあります。
 そうならないために「適切な関係性」や「適度な距離の維持」が大切なわけです。
 すなわち、会う場所や時間を限定していくことや、一人で対応せずに共同で向き合うなど、すべて分かり合えるという前提には立たないということが大切です。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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授業がうまい教師と授業がへたな教師は、何がちがうのでしょうか

 人間性にも優れ、技術も優れている人が「プロ教師」である。
 技術もなければ、人間性もないというのは、指導力不足の教師である。
 授業がうまくいかない教師は
「子どもの声や表情、つぶやきなど」の「子どもの反応を集約・焦点化する」という「対応の技術」がへたな教師である。
 授業がうまいということは
「対応の技術が優れている」ということである。
「よい授業」というのは、全体的に「ゆとり」がある。ゆったりしているように見える。
 それなのに、肝心なことは、しっかりとおさえている。 
 教師の表情も、スマイルが多く、パフォーマンスも適当にあり、話術もうまい。
 教師の人間性といってよいものが、どうしても授業に出てくる。
 教育の技術というのは、最後は、教師の「人間性」に集約されてこそ生きて働くものになる。
 ものまねでは、うまくいかない。人間性も同時にみがいていく必要がある。
 授業で大切なことは
1「これだけは何としても教えたい」という「ねらい」を鮮明に持つ
 しかし、これを教えてはならない。
2 子どもを「学びたい、追及したい、調べたい」という気持ちにさせること
3 教材7分に腕(技術)3分の授業
1)
教材
 教材のよしあしが授業の死命を制する。
「よい授業」は「教材がよい-子どもが熱中するもの」を提示している。これは鮮明な事実である。
 私が取り上げた教材は、つぎの5つのどれかに入るものであった。
(1)
固定観念をひっくり返す教材
(
)大井川に橋をかけなかったのは「幕府の政策ではなく、橋をかけさせなかった人がいたからだ」という考えを提示し、固定観念をひっくりかえす。「教科書に書いてあることが違うのか?」と子どもたちの反論はすさまじかった。
(2)
意表をつく教材
(
)大名行列の大名のかごかきは、必ずヒモを横か後ろにたらしていた。これはなぜか?
 大名にお尻を向けていいのは動物だけで、ヒモをさげて動物に見立てたのだ。「人間を何と思っているのか」と、子どもたちの猛烈な反論で盛り上がった。
(3)
新鮮な出会いをさせる教材
(
)江戸時代、どうして午前4時などという早朝に出発したのか?
 これは、早く宿に入り、相部屋だからよい場所をとり、一番風呂に入るため。これも反論がすさまじかった。
(4)
思考のあいまいさをつく教材
(
)新橋~横浜間の列車は「3分の1は海の中を走っている」と言うと
  子どもたちは「そんなバカな」といいながら絵を見直す。
(5)
事実を確かに見させる教材
(
)一寸法師のモデルは誰か?
 「モデルがいたの? そんなバカな」といいながら、子どもたちは必死に調べるのである。
 このような教材の提示によって「追及の鬼」を育ててきた。原点は「教材の面白さ」である。間口は狭く、奥行きの深い教材である。
2
)腕(技術)
 教材がよいとよい授業ができるかというと、そうとも言えない。「3分の腕(技術)」が必要である。
3 最低限の授業の技術は
(1)
発問・指示
「発問・指示が鮮明である」ということがよい授業の大切な条件である。
 発問のしかたによって、授業は全く変わったものになる。
(2)
板書
 つまらないことを板書していては子どもは面白くない。ほれぼれするような「芸術的な板書」をせよ。
(3)
資料活用
 よい授業には「わかりやすくて、問題をはらんだ資料が提示されている」ということである。
 資料収集、作成、提示の技術がものをいう。
「見せたいものは、なるべく見せるな」といわれ、見せ方が大切な技術である。授業の上手なひとは、さり気なく、周到に準備して提示している。
(4)
話し合い
(5)
話術、表情、パフォーマンス等
4 人間性(人間力)
5 愛をもって、子どもに向き合う
 しかし、技術のない愛は力を発揮できない。
6「めあて、見通し」をはっきりもって研修する
(1)
どんな状況のとき
(2)
どんな内容を
(3)
どのように活用すべきか
と、いうことをつかんでおくことである。
6 力のある教師
 子どもの状態に合わせ、クラスの実態に合わせて
(1)
ふさわしい言葉をかけ
(2)
ふさわしい指導を行い
(3)
ふさわしいほめ言葉をかけ
(4)
ふさわしい方向性を示す
教師であろう。
 今の社会を見ると、人間性より技術の優れている人を腕があると見ている。
 しかし、私の考え方は、人間性の方に重点を置きたい。人間性の方を技術より上に置きたい。
 私の考えは、人生最大の財産は、ユーモアのセンスであり、人間性そのものである。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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学校で体験したことからいえる授業力を高める方法とは

 教師は誰でも「少しでもよい授業をしたい」と願っています。
 授業力を向上させるということは、教師力を高めることです。
 授業力を高めるには、教育とは何かという理念を明らかにすることが必要です。
 授業は、どうあるべきかを考えることも大切です。授業の原則を明確にすることです。
 教師は即効性を求めようと、ハウツウものに引かれます。技術や方法から学ぼうとするものです。経験から導き出されたものですから、生かさない手はありません。
 ところが、それらの技術や方法は子どもの状況によって、一様にいかないことが多々あります。
 それに、授業がドラマチックになりにくく、問題場面の対応や子どもたちの把握が十分にできなくなる恐れがあのます。
 私の好きな言葉に「原則を明確に、実践を多様に」というのがあります。
 授業の理論と技術を結びつけることによって、確かな授業観が確立していきます。
 一人の教師の生きざまを知ることにより、授業論が明らかになるのではないかと考えます。
 私は小学生のときに体験をとおして学んだことは、いまも記憶していることが多いように思います。記憶中心の授業には、よい印象がありません。小学校の教育を考えるヒントになると思います。 
 私の教師人生は、社会科をとおして授業と一体でした。いまにして思えば厳しい教師修行、授業研修だったと思います。
 1970年代のわが国は公害が問題になっていました。5年生で三重県の四日市ぜんそくを教材に公害の学習に取り組んだとき、ぜんそくに苦しむ中学生の写真を活用して研究授業をしました。
 そのとき、感受性の強い一人の子どもが写真に共感し泣き続けていました。そのとき、人間の生きる姿を直視させることにより、社会が見えてくるようになるのだなと痛感しました。
 子どもたちにとって、教材は共感的に理解したり、批判的に検討したりしながら、時には楽しみ、悲しみ、憤ります。子どもたちは学びを実感します。
 子どもたちの発言などがはっきりと私の頭に蘇るのは、授業に深い思い入れがあったからだと思います。
 私は授業に当たって教材研究と子どもの理解を深めます。それにもとづいて指導計画を作成し、授業に臨みます。実践の場は、子どもとの真剣勝負です。
 授業は一過性であり、消え去っていきます。私は授業での教師の発言や子どもの発言などを記録するために、録音しました。
 録音したものを何度も聞き返しながら、授業を文字にする作業は容易なことではありません。45分の授業でも7から8時間はかかります。
 録音した授業を聞いていると、いろいろなことに気がつきます。例えば、
(1)
同じことをくどくど何度もしゃべっている。
(2)
子どもたちが理解できないことを言っている。
(3)
子どもたちの思考や関心とは無関係に問いかけたり、資料を提示している。
(4)
取り上げるべき、子どもの発言に気づかずに通り過ぎている。
(5)10
分の作業時間を与えているのに、5分間でストップをかけている。
(6)
せっかちな指導をしている。
これらは、すべて自分の指導の実態です。録音は、すべてをさらけ出してくれます。「自己反省」の連続です。
 授業の記録を分析していると、例えば
(1)
子どもの思考はどのようなときに、ゆさぶられるのか。
(2)
資料の提示の仕方をどのように工夫すると、より効果的になるか。
(3)
子どもの発言をどのように取り上げていくと授業の質が高まっていくか。
など、記録から多くのことを学びます。
 これらのことは、すべて自分の授業力の向上に影響を与えたのではないかと思います。
 授業の記録を取ることによって、授業が見えてきます。分析する目が自らの授業力を高めることにつながるのではないかと思います。
 私が特に目をつけるところは、教師の一つの発問に対して、子どもたちから多様な考えを引き出された部分です。
 教師がたくさんの答えを用意すると、どの子も生かされます。教室に居場所ができます。
 そこに教師のふところの広さと、その学級の子どもたちの発想の豊かさを感じるからです。
 一つの発問に一つの答えしか出されないような授業はあまり感心されません。まして、一つの答えに「同じでーす」と、子どもたちが反応する学級に拒否反応さえもちました。
 授業の中で友だちの意見を聞き、それを評価しながら、自分の意見を述べている子どもにもに注目しました。
 友だちの意見に学びながら、自分の意見を変えること、修正していくことはとても大事なことだと思います。
 学び合うとは、自分と違った考えをまず認め、友だちの優れた考えから学び、つまずいている友だちの支え合いが、展開されることです。
 こうした関わり合いを大切にした人間関係の中から、学び合う心や能力や態度が育っていきます。これは子どもたちの言動や表情に現れます。
 学校参観者が多い学校に勤務したとき、私に突然、授業を参観させてやってくれないかと言われることがたびたびありました。いつ参観者があってもいいようにと、毎日が緊張の日々だったように思います。
 第三者が教室に入ると教室の雰囲気が変わります。授業に緊張感が生まれます。
 教師は無理な質問や無駄な言葉が少なくなります。子どもたちの発言や行動を大事にしようと努力します。
 いたずらに叱ったり怒ったりするなど、子どもの意欲を削ぐような言葉かけはいっさい慎みます。たとえ、子どものつたない発言でも、精一杯生かそうと努力します。
 子どもを生かした授業を展開するようになり、子どもたちが育っていきます。
 教師の授業力を高めるためにも、第三者に授業を公開することです。これが私が実感した体験的な授業力向上論です。
 授業をするとき、私はつねに緊張します。しかし、授業は苦痛なものかと問われれば「そんなことはない」と即答します。
 その学級の子どもたちを知りつくしている教師しか味わうことができない、授業の醍醐味を味わうことができるからです。
 私の発した発問に対して、子どもたちがどれだけ多様な反応を示すかということが一番の楽しみです。子どもたちが私の予想を超えた反応をすることも楽しみでした。
 授業を子どもたちと一緒につくっていることを実感したとき、授業の面白みを感じます。子どもたちが少しずつ授業に参加するようになることも授業の楽しみでした。
(北 俊夫:福井県に生まれ、東京都公立小学校教師、東京都指導主事、文部省初等中等教育局教科調査官等を経て、国士舘大学教授)

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教師や学校に身勝手な批判や理不尽な要求をする保護者に、どう対応すればよいのでしょうか

 中学校に入学して、保護者会に一度も出席しない親がいます。そのかわり個人面談を申し込んできます。そこで話されることは、教師や学校の批判ばかりで4~5時間は席を立ちません。
「いい子だったのに、この学校に来て悪くなった」
「まわりの友だちが悪く、それを指導できない教師や、その子たちの親に問題がある」
と言い始めます。
 年度末には、次年度に一緒にしてほしくない子や、教科担任にしたくない教師を指名してきます。
 この保護者と面談するのが、本当に気が重くなってしまいます。どうすればよいのでしょうか。
 大変な思いをされていると思います。話はできるだけ聞くようにし、真摯な対応をされているのだろうと思います。
 話し合いのルールを決めようとされたこともあるでしょう。けれども「私の話を聞かないのか」という、批判になって返ってきたのではないでしょうか。
 自分の意向に添わない人間は敵であり、それ以外の方向を許さない保護者なのだろうと思います。
 他の保護者と、どのようなトラブルがあったのかはわかりません。ですが、このような「身勝手さ」ゆえに反目し合うことになったのは容易に想像がつきます。
 このような保護者が変化するための条件はあるのでしょうか。
 この保護者の場合、相手の神経を逆なでして怒らせて「自分を世間の人は理解してくれないのだ」という確認をしているかのようです。
 この保護者が、長年、時間をかけて身につけた、対人関係の振る舞い行動パターンのように思われます。
 このような人を本質的に変化させる可能性はあまりありません。
 この保護者自身が変化するためには、そのことについて困り、自分自身で変化をしたいと強く願わねばなりません。
 そのうえ、その願いに応じられるだけの忍耐強い人がいて、その相手と信頼関係を築いた経験がなければ、変化は生じにくいのです。
 このような条件が整うのは稀有なことだと思います。
 それでは、どうすればよいのでしょうか。
 その保護者を「治そうとするな、わかろうとせよ」ということです。
 理不尽と思われる要求に、腹を立てないことです。そして保護者に「そちらが変われ」というメッセージを出さないことです。
 基本中の基本ではありますが、要求に応じられるとは応じ、応じられないところは機嫌を損ねないようにしながら断ります。
 一番の問題は、この保護者とのおつきあいに教師がくたびれてしまうということです。会うのに気が重たくなることです。これを何とかしたいものです。
「複雑な事情を抱えている人ほど、表現が屈折している」と、考えることです。
 成育歴上、大変な思いをされてきていることも少なくありません。少なくとも、学校や教師との関係で、幸福な経験をされているとは思われないのです。
 事情がわかれば、腹も立たなくなります。
 この保護者がそのように表現せざるをえない事情、それがどこにあるのか、そこを教えてもらう心持になることです。
 その保護者の子どもにも、気になるところがあると思います。
 しかし、それを保護者に指摘し、家庭で考えてもらうようにしては、よい方向には変化していきません。
 むしろ、お子さんの長所を見いだし、それを保護者に伝えることです。
 また、お子さんに改善してほしい点については「現在、改善途上である」というかたちで伝えます。
 例えば「最近、〇〇がなくなってきています。この調子でもっとよくなるとよいですね」
と、願いのかたちで伝えるとよいでしょう。
 そのことが、お子さんによい刺激となって返っていくように思われます。
(小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

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学級のルールやマナーは、どうすれば簡単につくれるでしょうか

 学級のルールやマナーを子どもたちと一緒につくっていくには、どうすればよいでしょうか。
(1)
ルールをつくる
 私は学級のルールは、教師が強制するのではなく、子どもが起こす「事実」からルールを作っていくというのが原則です。
 子どもたちが「生活していくうえで、体験した困ったこと」をルールにしていくのです。
 例えば、Aくんはいろんなところでトラブルを起こします。教室から出ようとすると、友だちを押したりします。そこで、私は子どもたちに聞きます。
教師:「友だちに押されるのは、いいの? いやなの?」
子どもたち:「いやだ! ケガする」
教師:「じゃあ『友だちを押してはいけない』というのをクラスのルールにしていいですか?」
子どもたち:「いいでーす」
そこで一つのルールが生まれます。
 もし、ルールを守れなかったときは、教師が子どもたちに
教師:「やってはいけない、とわかっているのに、やってしまうのはなぜだと思う?」
と、子どもたちに「なぜ」と問いかけます。
 子どもの行動の裏側を探る材料にしていくのです。
 友だちを押す原因が、友だちと関わりたいというメッセージであれば、みんなと一緒にできる遊びを提供する。興味・関心のある事で、友だちとつながる通路をつくってあげる、など、工夫していくとよい。
 ルールづくりで、もう一つ大切なことは
「クラスの半分以上の子どもが賛成すればルールを変えることができる」
など、ルールを変えるためのルールをつくることです。
(2)
マナーをつくる
「進んでしよう」というのが、マナーです。例えば
教師:「友だちに、あいさつしてほしい子?」
子どもたち:「してほしい!」
教師:「じゃあ『あいさつをする』というのをクラスのマナーにしていいですか?」
子どもたち:「いいでーす」
そこで一つのマナーが生まれます。
 特に私のクラスは、あいさつの前に必ず、名前をつけようということになっていて、朝、先生に会うと
子どもたち:「斎藤先生、おはようございます」
と言われると、私はいったん立ち止まらなければならない。
 ただの「おはようございます」では通り過ぎてしまうのですが「〇〇先生」がつくと、教師も立ち止まって「〇〇さん、おはよう」と返します。
 子ども同士でも、
「太郎くん、おはよう」
「みどりちゃん、おはよう」
と、あいさつするようになります。
 そして、私が教室に行くと、ドアを開けたとたん、
子どもたち:「斎藤先生、おはようございます」
そんなふうに言われると、とっても気持ちがいいですよ。
 その瞬間、いやなことも忘れてしまいます。あいさつだけで、教室が和やかになります。
(
斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)

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ストレスに強くなるにはどうすればよいか

 ストレスで、いつまでも落ち込んでいる人と、次の日には立ち直っている人がいます。何が違うのでしょうか。
 答えは「ストレスに勝とうとしないこと」です。ストレスを受け流せる人こそが、ストレスと上手につきあえる人なのです。
 ストレスに強い人とは、どのような心の持ち主なのでしょうか。
 私は「ダルマさん」のような人だと考えています。「ダルマさん」はストレスに強い人を体現していると言ってよいでしょう。
 ダルマさんには手がありません。手がないということは、ストレスに対して闘おうとしない。ムダな抵抗をしないということなのです。
 次にダルマさんには足もありません。逃げることができません。倒されたりしても、何事もなかったように起き上がる、図太さがあります。
 ストレスがあっても無理に闘わず、逃げることもせず、一時的に落ち込んでも確実に起き上がり、すぐに回復できる「心の復元力」が大切なのです。
 ストレスに強い人というのは、どんなストレスがあってもへこたれず、落ち込むことがない人ではありません。落ち込んでもいいのです。大切なのは、落ち込んでも立ち直ることができる「心の復元力」を持っているかどうかです。
 この「心の復元力」があれば、どんなストレスも怖くなくなります。
 また、ダルマには片目が描かれています。トラブルに目をそらさず、本質を見つめています。私たちはどんなときも、心の目だけは閉じてはいけないのです。
 心の目を開いて、自分の殻に閉じこもらず、相手の気持ちや心を推し量る。それができる人こそ、真に図太い人だと思います。
 個人的な目標や夢を実現することに、しゃにむになるのではなく、世の中で幸せになるには、他者とコミュニケーションをとり、共感する力を磨いていくことが必要です。
 ダルマは倒されても、すぐ起き上がれるのは、ダルマの腹の中に「重し」が入っているからです。人間にとって、この「重し」の役割をしているのがセロトニンです。
 セロトニンの分泌量が少ないと、ちょっとしたストレスでも落ち込みます。うつになりやすい人は、その原因のひとつがセロトニン不足なのです。
 セロトニンがたっぷりと脳内に分泌されている人は、ちょっとやそっとのストレスでは動じません。
 嫌なことがあって、気分が沈んだり、腹を立てることはあっても、それは一時的なこと。すぐに気持ちを切り替えて、立ち直ることができます。
 セロトニン神経を活性化させれば、幸せと感じます。スッキリ爽快な意識をつくりだし、平常心を維持します。
 セロトニン神経を活性化させる具体的な方法は
(1)
朝、太陽の光をあびると爽快感が味わえます
(2)
運動(散歩、ジョギング、スクワット、自転車乗り、水泳、ヨガ、登山)
(3)
リフレッシュ(カラオケ、スポーツ観戦、座禅、アロマ、泣き笑い)
(4)
スキンシップ(気の合う人と会話する、マッサージ、ペット)
で、2030分続けるのが理想的です。大切なのは、毎日続けることです。
 ストレスに強くなるには、質のいい睡眠も必要不可欠です。夜更かしは質のいい睡眠を阻害する脳の大敵です。
 人は、自分が不幸と思うのは「他の人と自分を比べたとき」です。
 本当の幸せは、毎日のちょっとした出来事にささやかな幸せを感じ
「うれしい」「楽しい」「ありがたい」
と思えたら、もうこれ以上の幸せはありません。
(
有田秀穂:1948年東京都生まれ、脳生理学者、医師。専門は呼吸の脳神経学、セロトニン神経の機能と活性法、坐禅の科学。「セロトニン」が心身の元気とハピネスに関係する脳内物質であると主張。東邦大学医学部名誉教授。セロトニンDOJO代表)

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子どもを注意したとき、反発されないためには、どうすればよいのでしょうか

 教師の注意や叱責が子どもに受け入れられず反発され、教師が子どもと感情的にやりあってしまうことがあります。
 その子どもに対して失敗であるばかりでなく、周りの子どもたちにもマイナスの内容を学ばさせていることになります。
 学級には一人か二人くらい、教師の感情を逆なでするよう発言をしたり、教師をバカにしたような態度をする子どもがいます。
 このようなとき、事前に対応する行動や言葉を教師は身につけておけば、感情的になることを防ぐことができます。
 教師は子どもの性格や特徴に合わせて効果的な注意をすることが必要です。そのためには、
(1)
その子どものプライドを傷つけない配慮が必要
 他の子どもが見ている前で、厳しく注意を受けたばあい、子どもはプライドを傷つけられたと感じます。教師に反発してしまうかもしれません。
 注意する場合は、その子どものプライドを傷つけない配慮が必要です。そのためには、タイミングと場所、注意する時間の長さをその子どもに合わせることが必要です。
(2)
注意するときの子どもの抵抗を軽減する
 子どもが教師の言葉を素直に聞く姿勢を形成するようにします。
 最初に、子どもの抵抗や反発を少なくするため、
「きみも気づいていると思うが・・・・」
という具合に前置きし、いきなり叱責しないような配慮が必要なのです。
(3)
注意する内容は現在の行動や態度だけにする
 掃除をサボったことを注意するときに、以前のこともひっぱりだして叱ってしまわないことです。
 これでは、人間性も否定されたという感情を子どもに持たせてしまい、自ら反省しようという意欲をなくさせてしまいます。
 注意するときは、現在の問題にしぼって短くすることが大切なのです。
(4)
注意の後のフォローも計画に入れて注意する
 注意した後のフォローは、とても大切です。
 子どもたちの感情の高まりを静め、冷静にどう行動すべきか考え、行動に移す意欲を起こさせます。
 その子どものプライドを高める言葉も効果があります。たとえば、
「このレベルのことは、他の子には注意しないが、きみには、もっと高いレベルをめざしてほしかったんだ」
(5)
今後、どのように取り組めばよいか考えさせる
 注意して「ごめんなさい」と、あやまらせても、子どもが同じことを繰り返すかもしれません。
 例えば、掃除のさぼりを注意されたら、今日の掃除のさぼりにどのように責任をとるのか、明日から、どのように取り組むのかを考えさせ、確認することが必要なのです。
(6)
感情を教師にぶつけてくる子どもは、対応策を事前に持っておく
 教師に感情をぶつけてくる子どもに対して、感情的に対応してしまったら、これは指導ではなくなります。
 学級には何人か、教師をまきこむような子どもがいます。
 このような子どもには、事前に巻き込まれないという意識を教師が持つことが必要です。
 まず、教師が、このような子どもに感情的になってしまう自分の問題は何かを考えます。
 例えば、教師が自分のなかの嫌な面をその子の中に見つけてしまい、感情的になってしまうという場合も少なくありません。
 次に、まきこまれそうになったら、それを一旦、切る言葉がけや対策を事前に決めておくことです。例えば、
「これ以上話していたら、先生も本気でキレちゃうから、あとはお昼休みに相談室でじっくり話しましょう」
と、いう具合に、その場を一旦収めてしまうのです。間をおくことによって感情の高まりを静めるわけです。
 こうすれば、子どもも教師も感情的になるのをおさえられます。
(7)
反抗的な子どもは、しゃべらせ、対応策を選ばせる
 最初に、どんどんしゃべらせる。その後、具体的な事実を提示し、認めさせます。
 そして、対応策を教師がいくつか示して、その中から選ぶようにさせます。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者会で保護者の心をつかむにはどうすればよいか

 保護者が来校するときの教師の服装はスーツなど清潔感のあるものであれば十分です。大切なのは、第一印象から徐々に評価を上げてもらえるような人間性や熱意です。
 ちょっとした工夫で、教師を見る保護者の目が変わってきます。
 たとえば、きれいに整った教室であれば、それだけで「しっかりしている先生」と保護者は安心してもらえます。
 人は見たものを、三秒で良し悪しを判断すると言われます。私が掲示物で意識しているのは
(1)
カラフルである(色紙やカラープリンターを活用)
(2)
見やすい(文字の大きさ、字体を配慮する)
(3)
まっすぐ貼る(貼るときは、整然とまっすぐに)
と、いう点です。
 保護者会で保護者の心をつかむにはどうすればよいのでしょう
1 座席
 保護者会の座席の配置は「コの字」型をおすすめします。お互い顔を見て交流しやすいからです。
2 お茶菓子や写真、BGM音楽を用意する
 保護者会が始まるまでの時間は、気まずいという方もいるので、クラスの様子を写真に撮りパソコンのスライドショーを流したり、ヒーリングミュージックを流したりしてはいかがでしょうか。
 これらがちょっとしたきっかけになって、保護者同士の会話が弾むかもしれません。
3 保護者の自己紹介
 保護者の自己紹介の中に、わが子の様子や情報を盛り込んでもらうと、自然と話が盛り上がっていきます。
 今まで、やったことのない教師は、ぜひ試してください。盛り上がりすぎて、自己紹介だけで終わりそうになったこともあるほどです。
 保護者会で一番盛り上がるのは、保護者が保護者に対して話をしている場面だからです。
4 アンケート用紙を用意しておく
 保護者会の全体の場では言いづらいこともあります。気になることを書いてもらい、事後に対応できるようにします。
 配布資料の中に空白を設け、その場でいろいろな情報を書き込んで、提出してもらうとよい。
 そうすると、保護者会に参加しているという意識を強く持つことができ、満足度が高くなるのです。
5 必ず「お土産」を準備する
 保護者会に「参加してよかった」と、思えるものを準備します。たとえば、
(1)
他の保護者と仲よくなれた
(2)
ここでしか聞けない話を聞くことができた
(3)
子どものためになる情報を得ることができた
(4)
悩みを先生と個別に話すことができた
6 保護者会に臨む教師の心構え
 保護者会で、ぜひ意識してほしいことは、
(1)
教師と保護者で双方向のコミュニケーションをとる
 教師が一方的に話す時間はなるべく減らすほうがよい。主役は保護者だからです。
 保護者の様子を伺いながら、あまり発言できていない方に、質問を振るというのも教師の大切な役目です。
(2)
保護者会は子どものよいところを伝える場
 わが子をほめられてうれしくない親はいません。子どもたちの長所や頑張っているところは事前にチェックしておきましょう。
(3)
「忙しかったけど、わざわざ学校に行ってよかった」と思ってもらう
 そのためには、時間通りに終わるなど、ちょっとした気づかいを積み重ねることが重要なのです。
(
栗田正行:1976年千葉県生まれ、教師、料理人、熟講師を経て私立高校数学教師。コミュニケーションを学び、わかりやすい授業、子どもや保護者への気遣い対応により、塾講師として9割以上の子どもから満足を得た)

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予備校の講師による授業の上達法とは

(1)大きな声で、はっきりと話すこと
 ウジウジと話す教師は絶対に嫌われる。教室がざわついたりするもの大半は教師の声が小さいからだと思って間違いない。
 うるさいくらい大きな声のほうが好感を持たれるのだ。教師の声がうるさいので、生徒はざわつきようがない。
 第一、聞いていて気持ちがいいじゃないか。エネルギーがあって、いかにも一生懸命に教えています、という感じになる。
 人間の心というものは不思議なもので、大きな声を出していると、精神まで高揚してくるのだ。
(2)
教師が身体を前傾姿勢にして授業をする
 教師は、身体の前の方に重心を置いて、前のめりの姿勢で授業をするとよい。これは、いい授業の絶対的な基本だ。
 教師が前傾姿勢をとり、生徒の方へ身を乗り出すようにして授業をする。
 教師が前のめりになっていれば、生徒だって身を乗り出してくるはずだ。
 逆に、足のかかとの方に力が入っていると、生徒を見下ろしている感じになる。生徒から見ると、えらそうに、ふんぞり返っているように見えてしまう。
 それでは熱意が伝わらない。ふんぞり返った教師の授業なんて誰だって受けたくないだろう。
(3)
板書しながら、生徒の目をよく見る
 板書する際、背中を生徒の方に向けてはいけない。教科書を見ながら板書はしない。
 その日に授業で黒板に書くことぐらいは暗記しておけってことだ。
 板書をしながら、生徒一人ひとりの目を見渡していくと、不思議に生徒たちも授業に参加しているんだという気になって、勉強に取り組む姿勢がよくなる。
 さらに、生徒たちの表情を見ることによって、この子は集中力がなくなっているとか、そろそろ一息入れてやるとか、の判断ができるのだ。
 慣れてくると、黒板を見なくても板書ができるようになるが、そこまでやる必要はないだろう。
(4)
ときどき生徒を指名して質問する
 生徒たちは、せっかく塾まで来てもらっているのだから、彼らの声くらい聞いた方がいい。
 お互い人間なんだから、コミュニケーションを取るべきだ。できれば全員に当てること。それも簡単に答えられる質問をするのがいい。
 彼らは機械じゃないのだから、答えがなかなか出ないのなら、私といっしょに考えようぜ、という気持ちで接することだ。
 生徒ができるか、できないかが問題ではなく、あくまでコミュニケーションの問題であることを忘れるな。
(5)
その日の学習のポイントを繰り返す
 何度も何度も、その日の学習のポイントを口がすっぱくなるまで繰り返し連呼する。ここがポイントだよと、訴えかけるように。
 要するに、メリハリの利いた授業によって、生徒たちが
「オッ、今日はここが重要なんだな」
と、すぐにわかるような構成を毎回行うことが大切なのだ。最低5回は言った方がいい。
(6)
毎回小テストをして、生徒の学力状況を把握する
 教えたことが生徒たちにどのくらい定着しているかは、小テストで簡単に判定できる。
 授業の最初には、毎回5~10分程度の小テストを課すことが大事だ。各生徒の学力が把握できるし、その子に今、何が必要なのかもわかる。
 生徒の親が相談に来たとき、具体的な話もできるだろう。そうなれば、親も信頼してくれるものなのだ。
(7)
教材の準備
 授業が成功するかどうかは、教材準備にかかってくる。
 授業は落語と同じで、一番大事なのは生徒を乗せることである。何とか、その日の勉強の取っかかりをつけさせることである。そのための仕込みが教材というわけだ。
 その方法について、常に創意工夫を凝らし、ときには冒険や新しいことにチャレンジしていく意気込みが大事なんだ。
 教科書を読むと、明日教えることについて、どこがあやふやな部分なのか、どこが疑問点になるのかが、見えてくる。つまり、授業で取り上げる材料が表れてくるのだ。
 生徒がつまずく部分、理解しにくい部分、誤解しやすい部分、そういったものがはっきりと浮かびあがってくる。
 予習は何のために必要かとい言えば、生徒に何を語るかではなく、どう語るかを知るために必要なんだ。
(
吉野敬介:1966年生まれ、予備校(東進ハイスクール客員)
 
古文講師)

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授業崩壊を予防する方法と、授業崩壊している場合、どうすればよいか

 授業中にほとんどの生徒がおしゃべりして、授業に参加していない状況が授業崩壊である。
 授業中、教師の話を聞かず、おしゃべりが続くのは、始めからそうだったわけではない。
 原因は教師にある。おしゃべりを許してきた経過があるのだ。
1 授業崩壊を予防するには、
(1)
姿勢が横向きになっている生徒に教師が接近して、緊張感を与える。
(2)
友だちと相談する時間を授業時間内で取り、生徒が「聞きたいこと、わからないことがあったら、挙手して先生に聞くこと」を教える。
(3)
生徒の心をつかむ指導や言葉がけをする
「今、何を話していたんですか」と、まずは、その子の状況を把握する。
 私は「ハッと感じたことは、すぐにメモする。そして生徒に語る」ようにしています。生徒への語りは、中学生には効果的だ。
 中学生は「〇〇してはいけません」と、注意されても納得しなければ動かない。そのために、教師は生徒に語るべきエピソードをためておくことだ。
 ハッと思ったことは生徒に語って聞かせ、その上で
「私は、こう考えるけど、みんなはどう思う?」
と、投げかけてみることだ。それに反応する生徒の姿をよく見るとよい。
 生徒の考えを知り、教師が何を考えているのか理解し合うチャンスにもなる。
 このとき、大事なことは、生徒の考えをまず、一度は受け入れる度量だ。そこから、お互いの考えを納得するまで語り合うとよい。
 中学生は押しつけられるのが嫌なのだ。自分が納得して動きたいと思っている。だから、エピソードと「私はこう考える。みんなはどうか?」と伝えることだ。
 生徒は自分のことを理解してくれる人のことは信じるようになる。
(4)
教師に注目させ、注意を与える
 生徒を起立させる、などして一旦教師に注目させる。
「今、おしゃべりしていて先生の話を聞いていなかった人、立ちなさい」と注意する。
 立つ生徒は改善の余地が大いにある。
 言っても立たない生徒には
「自分のやっていることが、周りの人にどんなに迷惑を与えているのか、わからない人です」
「視野が狭く、人に迷惑をかけても平気で、仲間を傷つけても平気でいられる鈍感な人です」
「そんなクラスに、なりたくはないものです」
(5)
生徒と信頼関係をつくる
 信頼関係をつくるには、一人ひとりの生徒をどれだけ愛し、クラスをどれだけ愛することができるかが勝負である。それを行動で示すことだ。生徒のためにどれだけ行動するかだ。
 笑顔で接することで生徒は安心する。教師が笑顔で話しかけるだけで、生徒はその教師に心を寄せ、関心を持つようになる。
 信頼関係を築くためには、生徒の良さや行動を認めることだ。自分のことを認めてくれる大人の言うことなら中学生は従う。
 教師の人間としての器が小さいと生徒とトラブルが起きる恐れがある。教師は人間性を高める必要がある。
 そのためには、読書(教育、ビジネス、自分の好きなジャンルの本)をする。人間の生き方についての良書を読むことだ。
 セミナーに参加する。まず、セミナーで教育技術を身につけるとよい。「なぜ、このように指導するのか」という考え方と人生観を学んでほしい。
2 すでに授業崩壊している場合
(1)
急には授業が変わることはないから、真面目に授業を受けている生徒の学習を保障するために、たんたんと授業を行う。
(2)
あまりにも私語がひどい場合は、生徒指導主事などに相談し、空き時間の先生方に協力してもらい、一緒に授業に入ってもらう。
(3)
教師は、自分の授業技量の向上をめざす
 先輩教師に相談する。教育サークルへ参加する。セミナーに出席するなどして、自分の授業技量を上げること。
(
垣内秀明:1965年長野県生まれ、長野県公立中学校教師。教育サークルTOSS中学信州代表
)

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クラスの子どもたちを変えるにはどうすればよいでしょうか

 学級づくりと授業づくりを分けて考えたのでは効果はでません。授業の中でこそ、学級づくりをするという意識が大切です。
 クラスを育てるには、最初から全員を同時に育てようとするよりも、まずは一人に絞って取り組んでみます。
 その一人の変化を教師が拾って、それを周りに広げていくほうが効果は出やすい、と私は思っています。
 たとえば、子どもたちの「発表できる力や説明できる力」を育てたいというとき、
「ちょっと勉強はわかっているけれど、発表しない子」
「もうちょっとやれば、何とかなりそうなのだけれど、控えめな子」
に、的を絞って取り組んでみます。
 さらに、的を絞った子の隣に、よく発表する子がいたりすれば、
「隣の〇〇くんも発表ができるようになると、いいなと先生は思っているんだ」
「今日は、〇〇くんが説明したら、しっかり聞いてあげて、ほめてあげてね」
その子に協力を頼むこともあります。
 そうして、一人に変化が起き始めると、周りの子が
「あの子が発表できるんなら、私もできるかも」
と、どんどん広がっていくのです。
 発表できない子どもを、発表できるようにしたいなら、つぎのようにします。
(1)
教師が最初の発問をする。
(2)
まずは、誰か他の子どもに発表させる。
(3)
「今の〇〇くんの話、おもしろかったね」と、みんなに聞く。
(4)
「うん、おもしろかった」と返ってきたら
(5)
「どんなことが?」と問い返します。
 これなら、先に発表した子が話した内容があるので、自分で考えたことを発表するのが苦手な子どもも言いやすくなります。
 もし、深く考えていなくて「えーっと、えーっと」となったら「じゃあ、もう一回説明してもらおうね」と言って、発表者にもう一度説明してもらいます。
 算数の授業で発表を途中で止めさせ、ほかの子どもに続きを言わせる方法もあります。全部聞かせてしまうと、ほかの子どもが考える余地がなくなってしまうからです。
 そうさせないために、クラス全体のバランスを見ながら教師が意識して子どもたちを動かしていくのです。
 話す力を育てたいなら、まずは話している相手に正対しようとする態度を育てる必要があります。そうすれば、聞く力が育つのと同時に、話す力も鍛えられます。
 授業で話さない子どもというのは、自分の立場をもとうとしません。まず先に人の意見を聞いてしまいます。どうすればよいのでしょうか。
 たとえば、クイズ番組で答えが発表される前に、子どもに答えを考えさせるということは、自分の立場を決めるということです。
 立場を決めてから答えを見れば「ああ、悔しかった」「やっぱり当たった」などと、ドキドキする瞬間を味わえます。
 そんな楽しさを経験すると、次もまた参加しようと思うはずです。そうして、場に参加する気持ちを育てるということが大切です。
 考えることは練習が必要です。考える練習ができれば、きれいに話せるようになります。
 その練習の一つが「ペア活動」です。
 授業中、子どもが発表する前に「ペア活動」を仕組み「今、自分が当てられたら、どんなことを話そうと思う?」
と告げ「隣同士で練習してごらん」と、やるわけです。
 子どもたちがペアで話し合っている間に、私は発表が苦手な子のそばに行き、話し合いの内容をそれとなく聞いておきます。
 そして、上手だなと思ったら「その説明はいいね。発表してほしいな」とささやくことにしています。
 それから全体の前で「はい、誰か発表してみたい人?」と聞き、発表してもらいます。
 発表者にもう一度話してもらうのも「思考の練習」になります。
 たとえば、誰かの発表が終わったあと
「みんな、お話ちゃんと聞いた?」
と、周りの子に尋ねて、もし「うーん」とあいまいな返事が返ってきたら
「じゃあ、もう一回聞いてあげようね」
と、戻すのです。
 こうして、話すほうにも、もう一回チャンスを与えます。すると、子どもも
「よし、こんどはもう少し上手に言うぞ」
と思うので、二度目の発表は上手になっています。
 聞き手は、次に自分が指名されたら何を言おうか考えながら必死に聞きます。
 そういう聞き手の姿が見えてくれば、話し手が聞き手に合わせて話そうという意識も強くなり、ますます上手に話せるようになります。
 このように話す力は、さまざまな局面から育てていくことができるのです。
 聞く力を育てたいなら、相手に正対する態度を育てることが大切です。私たちが授業をする上でも意識しておきたいことです。
 授業でいえば、目のまえの子どもの反応を見ながら授業を進めていくということです。
 子どもの素直な反応から教材や授業を組み立てていくというのは、私がふだんからよく行っていることです。
(
田中博史:1958年山口県生まれ、山口県公立小学校教師を経て筑波大学附属小学校教師。専門は算数教育、授業研究、学級経営、教師教育。全国算数授業研究会会長・日本数学教育学会出版部幹事・学校図書教科書「小学校算数」監修委員
)

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子どもが「けんか」をしたとき保護者が安心するには、どのように指導すればよいのでしょうか

 子どもたちが生活していれば、意見のぶつかり合いが生じ「けんか」が起きます。
 子どもが「けんか」をしたとき、
「けんかしてはいけません」
「けんかは両成敗です。どっちも、いけません」
と、納得させずに「けんか」を止めさせれば、不満が残って保護者の誤解を招く恐れがあります。
「相手のどこに腹が立ったのかな?」
「相手も同じ気持ちだったんじゃない?」
と、お互いの気持ちを理解させることで、納得して仲直りできるようにします。
「けんか」は、大切な学びの場です。
 大切なことは、当事者の子が
「相手の言い分もわかる」
「自分の悪いところを反省する」
ことです。
 お互いが、理解できれば、納得したり、仲直りすることができます。
 子どもが納得し、仲直りして下校すれば、保護者も安心してわが子の話を聞くことができます。
 大切なことは、子どもが納得して仲直りして下校させることです。
「けんかは大切な学びの場であること」を、日頃から学級通信や保護者会を通じて伝え、理解してもらうようにします。
 教師の考えを理解してもらうことが保護者を安心させることにつながるのです。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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「わかる授業」「子どもたちの願いに応える授業」をすれば、学級の荒れ、学級崩壊は起きない、どう創っていけばよいか

 学級の荒れや学級崩壊の克服というと、子どもたちの集団づくりや生活指導、どう子どもたちを管理するかということになりがちです。
 子どもたちの責任にしてしまわないで、私たち教師の責任としてとらえなければなりません。
 子どもたちにとって授業が楽しくて、わかる授業であれば「学級の荒れ」や「学級崩壊」は起こりません。
「わかる授業」とは、どんな授業なのでしょうか。
私は
「基礎・基本を大切にする授業」
「子どもと共に創る授業」
「子どもの、わかりたいという願いに応える授業」
だと考えています。
 教師の思いだけで授業をすすめてはいけない。
「教材解釈で、子どもたちがこの教材をどうとらえるだろうか」
「子どもたちの実態から、どんな発問をしたらいいだろうか」
という、子ども中心にした教材研究をしなければならない。
 例えば、六年生の社会科で歴史学習「工場ができる」の研究授業をしたときのことです。
 教材資料を練り上げて、発問を考え、子どもたちが理解できる工夫をしました。
 担任が「私のクラスは、こんなに発言する子が多かったのか」と言われるほど積極的に発言しました。じっくり考えることもできていました。
 それだけではなく「授業のねらい」も的確にとらえられていて、教材研究と発問の大切さを改めて感じたようでした。
研究授業の後で、子どもたちに声をかけると
「授業は楽しかった」
「先生や友だちの言っていることがわかった」
「何を勉強しているのかが、わかった」
「発表できた」
「考えられてよかった」
と言うのです。
 子どもたちと共に創りあげる授業、子どもたちみんなが「楽しい」「わかる」授業とは、どういう授業なのかというヒントが、ここにあるように思います。
授業づくりするうえで、大切なことは、
「主人公である子どもを中心にした教材研究」
「子ども現状をしっかりととらえること」
「基礎・基本と、子どもの思い、願いを大切にした授業」
「子どもたちの願いに応える授業」
「子どもたちと共に創りあげる授業」
です。
私は、子どもにとって「楽しい、わかる授業」とは
「子どもたちが授業で活発に発言する授業」
「子どもが動く授業」
「じっくり考える授業」
「落ち着いて学習する授業」
だと考えています。
 つまり、子どもたちが、どう「わかっているか」ということです。
 教材研究を進めるには「同じ職場」「サークル」「気の合った教師」「組合」の役割も大きいと思います。
「みんなで、わかりたい」
「みんなと一緒に勉強したい」
という、子どもの願いを、子どもたち自身に気づかせること、その願いをみんなで実現できる授業をすすめること、それが「学級の荒れ」「学級崩壊」を克服する授業です。
(
大川克人:1952年和歌山県生まれ、元和歌山県公立小学校教師、和歌山大学教育学部非常勤講師)

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保護者に教師の細かなミスや立ち振る舞いなどを批判されたとき、どうすればよいか

 保護者は、しっかりとした指導のできる教師を望んでいます。
 そのため、教師の言動一つひとつに注目しています。少しでも気になるところがあれば、不安になり、教師不信につながります。
 教師には、自分はがんばっているという気持ちがあるので、保護者から細かなミスや立ち振る舞いなどを批判されると、納得できず、つい、言い訳をしてしまいがちです。
 保護者が指摘したことを教師が聞き入れないと、保護者は教師の指導に対して不信感を高め、教師や学校に批判的な言動になってしまいます。
 問題を解決するためには、校長や教育委員会に訴える以外の方法はないのではないかと考えてしまいます。どうすればよいのでしょうか。
(1)
一人で抱かえ込まない
 教師が一人で抱え込まない。複数の教師で問題解決に臨むことが必要です。
(2)
謙虚な態度で受け止める
 保護者から細かなミスや立ち振る舞いなどを批判されたときには、謙虚な態度で、それを受け止めます。
 保護者を不安な気持ちにさせたことに、お詫びします。教師に非があると感じたときには、素直に謝罪します。
(3)
保護者の話を十分に聞き、不安な気持ちや不満を受け止める
 まずは、保護者の話を十分に聞き、保護者の訴えを真摯に受け止める姿勢を見せることで、保護者の不安や不信感を少しでも軽減させます。
(4)
問題を整理し、保護者の期待する対応を確認する
 教師の細かなミスや立ち振る舞いなどを批判する保護者の多くは、教師の指導や対応に不満や不信感をもっています。
 話を受け止めつつ、問題点を整理し、保護者のほんとうの要望が何かをつかみます。
(5)
今後の改善の方向を示す
 今後の対応を説明するときは、自分の力量を踏まえ、確実にできることだけを約束します。
 実現できそうにないことを約束してしまうと、保護者の信頼をますます失います。
 その際、管理職や学年主任も同席し、学校や学年として、一緒に対応していくという方向性を示すと、保護者も安心します。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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なめられているのか、叱ってもすぐに私語や悪ふざけが始ります、どうすればよいのでしょうか

 中学二年の担任です。生徒とよく話しをするように心がけています。親しみを感じてくれる子も多いと思っています。
 けれども、クラスは落ち着きがなく、まとまりません。行事の練習は、指示が通らず勝手なことをやっています。怒鳴ってもすぐ、私語や悪ふざけが始まります。
 提出物の期限は守らない。掃除もサボる子が多く、私の指導や願いが通じていないという無力感でいっぱいです。どうすればよいのでしょうか。
 このクラスは、バラバラな印象をうけます。子どもたちは、仲間にどう思われるか不安で、その場の雰囲気、仲間の動きに合わせているだけなのでしょう。
 担任は生徒一人ひとりと接する努力しています。それは基本的に大切なことです。
 クラスは、他人同士が生活するところで、お互いが快適に過ごすために相手のことを理解し、トラブルが生じないためのルールをつくる必要があります。
 今の子どもたちは、親しい関係を作って居心地のよい場を積極的に作ろうとはしません。
「まじめ過ぎず、表面は明るく、友だちからは嫌われたくない」という気持ちが強いのです。クラスは仲間に気をつかう煩わしい場になってきています。
 子どもたちが互いに結び合っていない集団に対して、担任が厳しい態度で指導するとどうなるでしょうか。
 そのような子どもたちは強い者には従います。いっけん、クラスはまとまったかのようになります。
 表面上は従いつつも、クラスは居心地の悪い場になります。結果として、いじめのようなかたちでストレスのガス抜きが行われる恐れも出てきます。
 では、どのような工夫が考えられるのでしょうか。
 答えは、子どもたち「仲間同士の親密な関係の形成」ということになると思います。
 お互いがどのように感じ、考えているのかを出し合い、近づけるような機会を多くもつことが必要だと思います。
 学級活動の中などで人間関係の安心感を演出するようなさまざまなゲームを試みます。
 また、深く知らない者同士が、ある程度、本音を出して真剣な話をし、それを受け入れてもらえる経験を多くもつようにするのです。
 授業でも討論の時間を多く導入するなどします。しかも、それは楽しく快適な体験となるように工夫することが大切です。
 また、クラス内の小さな仲よし集団にも注目し、そこに働きかけるのはどうでしょうか。
 その仲よし集団の中でリーダー格になっているような子をクラスに参画してもらうように働きかけ、仲よし集団を互いに結び合わせていくこともできるように思います。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

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授業態度が悪い、提出物を出さない、時間を守れないなどの子どもの乱れを教師が保護者に伝えるとき、不信感を持たれないようにするには、どうすればよいか

 授業態度が悪い、提出物を出さない、時間を守れないなど、生活態度の乱れが気になる子どもがいます。
 自己肯定感が低い、授業についていけない、正しい生活習慣が身についてないなどの問題が考えられます。
 教師が子どもの悪い面を一方的に保護者に説明し、原因が家庭にあると考え、家庭で指導を要請する形にならないようにくれぐれも注意します。
 教師から、わが子の生活態度の乱れを知らされると、保護者はわが子が教師から嫌われているのではないかとか、乱れの原因は保護者にあると言われているように感じて、教師に不信感を持つようになります。
 保護者は子どもの問題を素直に受け止められなくなってしまいます。
 さらに、わが子の生活態度の乱れを、教師の授業や指導に原因があると考え、その力量に疑問を持つようになります。
 では、教師は保護者にどう対応すればよいのでしょうか。
 子どもの生活態度が乱れる原因はたくさんあります。
 子ども自身、家庭、友だち関係、教師の指導や関わり方など、多くの問題が複雑に絡み合っています。
 原因の追究だけで話し合いを終わらせることなく、具体的な対応策を提示し、優先順位をつけて
「まず、これから一緒にやっていきましょう」
と、明確に示すことができると、有意義な話し合いになっていきます。
 具体的には、
(1)
子どもの生活態度の乱れの事実を保護者に客観的に報告し、家庭でのようすを聞く
 学校で実際に起こっている事実をいくつかに絞って伝え、家庭でのようすを聞き取ります。
(2)
教師は「子ども自身が困っている」という視点で保護者に話す
例えば
「授業中、集中できず、立ち歩いたりするので、学習がわからなくなっているのではないか」
「宿題などの提出物が出ておらず、やり方がわからないのではないか」
など、困っているのは子ども自身であるという視点で話をし、教師が心配していることを保護者に伝えます。
(3)
今後の指導方針を展望し、家庭での配慮を引き出す
 例えば、教師が
「授業中、〇〇くんができていることに声をかけるようにします」
「宿題を学校で1,2問、一緒に解いてから帰すようにします」
など、教師ができることを提示し、
「ご家庭でも一緒に取り組んでもらえるとありがたいです」
と、保護者の協力をうながすようにします。
 問題の解決に向けて教師と保護者が一緒になって取り組んでいくという姿勢を見せることが大切です。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)


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«授業が上達するには、どう考え、工夫していけばよいか