保護者に子どものよいことを伝える「電話感謝デー」で、教師と保護者の信頼関係をつくる

 子どものよいことを電話で保護者に伝える「電話感謝日」をはじめた。
 2週間に一回、木曜日に私は名簿を見ながら保護者に電話をかけている。つけた名前は「電話感謝デー」です。
 
「もしもし、溝部です。今日はいい電話ですよ」と言って話し始める。
 
「ええっ、そんなことがあったんですか」と、お母さんの喜ぶ声がうれしい。
 1軒目、2軒目、3軒目と進む。だいたい5軒目あたりが本命だ。はじめはウォーミングアップをかねて軽やかにかけるものの、5軒目あたりが近づくとちょっぴり手に汗がにじむ。
 あれは、たしか11月頃のことだった。電話感謝デーも4周目くらいになった時、いつものように、子どもの「よい出来事」をお話しし、電話を切ろうとした。
 すると、お母さんから「本当にそれだけですか?」と、聞き返された。
 
「そうですよ。今日は電話感謝デーといって、よいことを連絡する日なんですよ」と言うと、
 
「そんなことはないでしょ。それだけで学校の先生が連絡してきますか」と、きつい調子で問い詰められた。
 ああ、本当はこれが言いたかったんだ。それを半年もがまんしていたのか。
 それでも、お母さんが本心を話してくれたことがうれしかった。
 
「お母さん、本当によいことをしたから電話したんですよ。悪いこともお知らせします。でも、それと同じくらい、よいお知らせもしたいんですよ」と、私も本心を話した。
 大人同士が信頼の糸をつなぐには時間がかかる。けれど、思いが通じるとうれしいもの。
 6軒目、7軒目。これでおしまいだ。最後のほうには、いい夢が見られそうな保護者を入れる。これくらいのクールダウンは、許してくださいね。
 これを続けていると、
 
「うちにも、電話感謝デーの日がきましたか。待っていました」と、そう言って、喜んでくれる保護者も出てきた。
 電話で保護者が少しでも喜んでくれるのなら、やってみようじゃありませんか。
(
溝部清彦:1958年大分県生まれ、小学校教師。全国生活指導研究協議会指名全国委員)

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教師と学校に文句を言ってくる親が協力するために、大事なことはなんでしょうか

 学校に文句を言ってくる保護者は「困った親」として、クレーマーとかモンスターペアレントとして敬遠されます。
 教師は親の様子を嘆き、親は教師の状況を嘆き、お互い批判的な眼差しを強めます。学校と保護者との関係は実によそよそしいものになってしまいます。
 「困った親」を「困っている親」として見るという見方に立てるかどうかが肝心なことではないか。
 「困った子」「困った親」といった見方から、保護者と教師、子どもと教師とのすれ違いが生じてきてしまうのです。荒れる、暴れる、ものを壊す、人を傷つけるなど、問題を起こす「困った子」は、実は本人が困っているのだという認識が必要です。
 私は、親と共同して子どもを育てるために「対話」を大事にしました。対話は、直接会って話をする方法と、連絡帳を使って文章で対話する方法とがあります。
 対話による会話は、消えていってしまうという点が利点でもあり、欠点でもあります。おしゃべりは、やがて忘れられます。都合のいいことだけが頭に残ります。
 気持ちや考えが試行錯誤の状況であるときは、会話による意思疎通が大事です。新しい発見があったりするでしょう。
 連絡帳は、文章で確実に思いを伝えていくことができます。くり返し読み返すので、忘れないどころか、読むたびに印象が深まっていきます。
 私が対話を大事にして「困った親」を解決していった実践例を紹介します。
 私はクレーマーの保護者A(以降A)がいる小学校の二年生の担任になりました。
 前年の一年生のとき、つぎのような出来事がありました。
 Aさんの子ども(以降a)が自己中心的で他の子どもの気持ちを考えない言動に、まわりの子どもたちから言葉による攻撃がありました。
 Aさんから「aがいじめられて、学校に行きたくないと言っているので休ませる」と、電話があり、その後、aさんは学校を休み、Aさんから担任への抗議の電話が続きました。
 担任が家庭訪問しても、一方的な担任批判となり、登校させる話にはなりません。学校に来て校長にも抗議するようになりました。
 やがて、Aさんはわが子がB子にいじめられたと弁護士を立てて、B子の親を相手に損害賠償請求したのです。B子の親は子どもを裁判に巻き込ませたくないので金銭的な和解に応じました。
 年度末の三学期になり、Aさんは「B子を転校させろ」と言ってきました。それで異例の学級編成替えをすることになりました。
 私は二年生を担任するにあたって、aさんが四か月におよぶ長期欠席の後、登校できるのだろうか。親と学校の間に生じた不信感をどのように乗り越えていったらよいのか考えました。
 
「困っ子」は「困っている子」、「困った親」は「困っている親」だという思いを強く胸に抱いて指導する準備を始めたのです。
 親とのていねいな対話が大事なので、連絡帳を預かり、翌日応答するようにしました。aさんのよい言動を連絡帳に書くようにしました。また「子どもたちは、子ども同士のトラブルから学ぶ」ということも連絡帳に書きました。
 友だちづくりを中心にした集団づくりの成果が表れて、aさんは成長してきました。aさんの学校での様子のよいことを中心にAさんに具体的に伝えました。問題点も伝えましたが、こみいったことは会って話したり、電話をしたりしました。
 7月になって、Aさんの問題点が表れました。子どものトラブルを、わが子のいい分だけ聞いて客観的に判断しないのです。Aさんから私に電話があり「Cくんのわが子に対する不愉快な言動が変わらないなら、私は何らかの方法を考えざるを得ません」と、前年と同じ脅しをしてきました。
 私と会いたくないということから、電話でのやり取りとなりました。私は、Aさんのわが子の言い分だけで判断している客観性のなさと、Cくんへの偏見について考えを改めるように迫りました。Aさんも言いたいことを言いました。
 十分聞いたので「aさんの成長をだいなしにしないように」と言って、こちらから電話を切りました。
 やはり、子どもは子どもの中で育つものです。aさんの場合もそうでした。朝の会、帰りの会を大事にして、苦情を出させ、不満を家に持って帰らさないようにしました。
 子どもたちの中で起きたトラブルは、話しい合いを通して解決させていくようにしました。そのうち、1日を振り返って、友だちを認めたり、感謝することが増え、認められる喜びを知ることになったのです。
 二学期の合同誕生日会で、aさんは班の出し物で、ナレーター役をして、ひょうきんさを見せ、みんなを笑わせました。aさんがいると学校が楽しいという声がでるようになりました。aさんはCくんとも仲よくなっていきました。
 12月の生活科のイベントで、誘いを受けてAさんも他の保護者と共に生き生きとお手伝いをするようになり、保護者同士の輪づくりが実ってきました。
(
大和久 勝:1945年東京都生まれ、元東京都公立小学校教師。大学講師、全国生活指導研究協議会常任委員、『生活指導』隔月刊編集長)

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規律のある学級にするために、すぐできる方法とはなにか

 荒れた学級では、教師の指示が通らない。学級を荒らさないためには、規律を打ち立てる必要がある。
 規律を打ち立てるためには「しつけを一つずつ徹底して教えていく」と、効果的である。まずは、一つを徹底するのである。
 しつけで有名な三原則(哲学者森信三が示した)は、
(1)
あいさつをしっかりする
 あいさつがきちんとできるようになるだけで、学級の雰囲気がピリッと引き締まったものになる。
 そして、教師の指示があったら、さっと動ける子どもになっていくのである。
 例えば、朝のあいさつで、隣の子とおしゃべりをして、声を出していない子どもがいたら
「とってもいい声で、あいさつできている人がいました。が、残念。三人は声を出していませんでした。朝のあいさつを気持ちよくすることから、一日が始まります。もう一度しましょう」
 教師が、あいさつができているかどうかを鋭く見て、できていない子どもの数まで言うから、子どもたちはドキッとする。「この先生には、ごまかしがきかない」と思うようになる。
(2)
返事をする
(3)
後始末をする
である。
 あいさつ、返事、後始末にこだわってみる。これが学級経営の急所である。
 あいさつ、返事、後始末を一つずつ教え、だんだんとできるようになってくれば、学級の雰囲気がガラリと変わる。規律ある学級に変化してくる。
 この三つのしつけ以外にも、私がこだわっているしつけがある。それは、
(1)
目の前に落ちているゴミを拾う
 できていない事実をとらえ、全員に指導する機会をもちたい。
 例えば、図工の授業の後で、ゴミが落ちていたとする。誰もそれを拾わずにほうっておいたら、指導のチャンスである。
「大変残念なことがありました。教室にゴミが散らかっているのに、誰も拾おうとしないのです。そんなみんなの姿を見て、残念に思ったのです」
「そんな人に、何か大きな目標が達成できると思いますか」
「小さなことにすら気づけない。気づいてもめんどうだと思ってやらない。そんなことで、自分の夢をかなえるための努力ができると思いますか」
「今日は残念でしたが、次は、みんなならきっと拾えると思います。先生が拾って片づけるようではダメなのです」
 そして、拾っている子やゴミを落とさずに片づけている子をほめる。こうして、小さなことを大切にする子に育てていく。
(2)
提出物の向きをそろえて出す
 宿題やプリント、ノートなどの提出物を、教師の方に向けて出すことができるようにしたい。目上の人への最低限の礼儀だけは教えておきたい。
(3)
机をそろえる
 座席を離れるときや、授業が始まる前、帰る時などに、さっと机の向きを整えるようにする。
 すぐに机の位置と向きがそろえられるように、机の下にマーカーで印をつけておくとよい。
 これらは、たいへん小さなことである。だが、こういった小さなことができるようになると、大きな変化が子どもに訪れる。
 やることが、だんだんと丁寧になり、不思議と落ち着いてくる。
 教師が大切にしたいしつけを、一つずつ教えていくことで、規律あるクラスへと変わっていく。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)


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若い教師が、難しい場面も苦しくならずに乗り切るためのコツとは

 若い教師は、まず、子どもたちと接するのと同じように、保護者とも早めにつながることを意識するとよいでしょう。
 懇談会が苦手であれば、学校の子どもたちの様子を写真をスライドにして流すなどして、伝えるとよい。保護者とつながるよい方法は「よいことで電話をする」ことです。教師のことを信じてくれる保護者は増えると思います。
 子どもたちはキレたり、暴れたり、泣いたり様々なことをします。子どもたちは、うまくいかなかったことがあったり、苦しんだりしながら成長していきます。
 子どもたちが何か問題を起こしても「よし、子どもが成長できるチャンスだ」と思って指導できるくらいの気持ちで臨んでいきたいものです。
 クラスで気になる子どもは必ずいます。その子しか意識できなくなり、叱ってばかりいると、クラスはどんどん悪い方向へすすんでいきます。こうしたときほど、一人の子に固執しないことが大切です。私は叱らないで関わる時間を増やすようにしています。
 そんなときほど、周りの子を見るという意識を持つ必要があります。クラス全体に指導していくことが大切です。指導の仕方を工夫し、ほめたり、促したり、誘ったりしながら、子どもたちが納得できる方法で行いましょう。
 休み時間は様々な方法で子どもたちと関わってみましょう。遊んだり、子どもたちの興味関心のあることをおしゃべりしたりすると、子どもたちとのつながりも強くなります。
 保護者でも同僚でも、自分の応援してくれる人を増やしていくようにします。とにかく、報告・連絡・相談をして、いろいろな人に聞いて学ぼうとする姿勢を大切にしてください。謙虚に一生懸命に頑張っていれば、応援してくれる人は増えていきます。
 学ぶ姿勢がなくなったら、教師としては失格だと私は考えています。勉強だけでなく、あらゆることを学びたいという気持ちがかかせないのです。
 授業には様々な方法や考え方があります。その方法や考え方にしたがって取り組んでいくと、必ず成果が出てきます。しかし、気をつけなくてはいけないのが「子どもたちが見えているか」です。
 どんな素晴らしい方法でも、「いつもそうやってきたから」と疑問をもたず、その方法のために子どもたちを動かしてしまってはいけません。
 大切なことは、子どもを第一に考え「子どもたちのために方法や考え方がある」ということです。
(
長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立小学校教師、岐阜県公立小学校・中学校教師を経て京都市私立小学校教師。2004年に「第40回わたしの教育記録」(主催/日本児童教育振興財団)新採・新人賞を受賞。授業づくりネットワーク理事、教育サークル「未来の扉」代表代行、『教師になるには』編集代表、クラス・マネジメント研究会代表)

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荒れた子どもや学級を立て直すためには、どのようにすればよいのでしょうか

 キレやすい子どもたちは、動物的な勘のような鋭さで、自分に迫ってくる危機を感じとり、自分が傷つくまえに「ウルセエ、むかつくんだよ。くそババア」と攻撃的な姿勢をとるような気がします。
 自分に迫るものをつねに危機として感じとるというのは、他者に対する不信、自分の存在に不安をかかえているように思います。
 教師にその思いはなくても、子どもがくり返し傷つけられ、自分の存在にたいする肯定的な感情を育んでこなかったからでしょうか。。
 正義感をふりかざした顔でだれかが近づいてくると、「もうぼくを傷つけるのはやめてくれ」と鋭く反応し、正しいことであっても、人間的な感情で受けとめきれず、反発してしまうのではないでしょうか。
 私は、この子どもたちとともに生きていくにあたって、命令や怒声、罰などをふりかざす「力による教育」はいっさいやめようと思いました。
 それが子どもたちの心を傷つけ、人間への信頼や連帯から遠ざけ、攻撃性をいっそう助長してしまうであろうことが予測できるからです。
 まず、「あなたが、あなたでいることを、私はそのまま受け入れるよ」。そういう気持ちで子どもたちと生きていこうと思いました。
 特に学級の指導で気をつけていたのは、子どもたちの攻撃的な感情を助長するような雰囲気をつくらないこと。ゆっくりとした時間の流れのなかで対応することをこころがけていました。
 朝の会で一人ひとり名前を呼んで、「守るくん、ねこのチャトラは元気ですか」と、ふと思いついたことを語りかけます。それから、心にのこったことを一つ二つ話します。
 そして、一日の予定について話します。子どもたちのいらだちや攻撃性は、この一日の予定を知ることでかなり弱められるようです。見とおしをもつことが人間らしい努力を生みだす力になっていきます。
 体育の授業は、おにごっこ、手つなぎおに、「網投げた」などの遊びを全員で楽しみました。笑顔がこぼれてきます。
 とくに「網投げた」のあそびを子どもたちは好みました。遊び方は簡単です。最初わたしが漁師になってあと全員魚になります。体育館の一方の端に魚となった子どもたちが並び、漁師となった私がもう一方の端に立ちます。
 
「網投げた!」と大声をあげて、子どもと私は体育館を交差するように駆け抜けていきます。そのとき、漁師である私にタッチされたらアウトです。捕まったらこんどは反対に漁師に加わります。
 横にステップを踏んでタッチをかいくぐることは許されますが、後ろに逃げることは許されません。スピードとフェイントの勝負です。
 漁師の数がどんどん増えてきて、そのなかを逃げきるのはスリルがあって楽しいのです。どんなすばしっこい子も最後は、クラスみんなにワーッととり囲まれて捕まってしまいます。汗びっしょりで。
 こうして、からだを動かすことをめんどうくさがっていた子どもたちが、マットなどに全力を出しはじめました。
 子どもたちの気分や感情とていねいにつきあっていくのですが、普通のクラスからみれば荒れているように見えます。しかし、一概にそれが悪いとは言えない気がします。
 感情の処理をていねいにしきれない子どもたちが、お互いの要求をぶつけあいながら学び学校生活を送るということで、教師から命令されるのではなく、自分から自覚していく時間が必要だろうということです。
 教室で、体育で、遊びやゲームをよくしました。「無人島」とか「人数づくり」とか「ジャンケンゲーム」とか「シェーハ」とか。短い時間をちょっとつかって楽しみました。
 学校にはこういうゆったりとした時間が流れることが必要ではないかと、思いました。
 いらだちやむかつきを表現し、傷つけあうことばが飛びかっていた教室に、授業への集中や読書への集中の快さを創りだすことはとても大切なことだと思いました。
 一週間に一度だけど、図書室でみんな静かに本を読むようになりました。文字を読み、イメージを広げ、夢中になって心躍らせる体験は、子どもたちの内面を充実させていくでしょう。
 絵本の読み聞かせをしました。右手の指できつねの”コンちゃん”をつくって一人芝居をしました。
 
「やあ、みんな、こんにちは。ぼく、コンちゃん。先生、本読んでよ」
 「よし、じゃあ、読むとしよう。『三びきのやぎのガラガラどん』、始まり、始まり」
 心をこめて小さな声で読みつづけていきました。シンとして聴いてくれます。「おもしろかったあ」読み終わると、みんな、ほうっと肩の力を抜いて笑っていました。六年生の教室であることがうそのようです。
 子どもたちがわたしに信頼をよせ、心を開きすっかり身をゆだねてくれているのです。こんな瞬間、子どもたちがとてもいとおしくなります。子どもたちは、人間として一人ひとり尊敬され、ていねいにあつかわなければならない。そんなふうに強く想うのでした。
 教室に何冊もの本を持ち込んで紹介しました。「1年1くみ1ばんワル」「キャプテンがんばる」「それゆけズッコケ三人組」など。
 子どもたちは、少年や少女の時代を輝いて生きたいと願っているように見えます。荒れているように見えて、じつは少年たちの生きることへの願いのようにも思えます。
 しかし、荒れている状況を放置するわけにはいきません。荒れの向こうに見える子どもの要求を聞きとりながら、人間的に生きることへの喜びに結びつけていかなければなりません。
 子どもたちは希望をもつことではじめて人間的な生き方に心をよせ、みずからを変えることに挑戦しはじめるのですから。 
 こんにちの子どもと教育の危機のなかで、希望と未来が一度に切り拓かれるような指導のマニュアルはありません。
 私たちにできることは、子どもに徹底して寄り添い彼らの深い要求を聴きとること、そして自己の停滞を打ち破り教師としての新しい一歩を踏み出すことではないかと思います。
 誰もが歩いたことのない未知の草原や荒野を、道草を楽しみながら子どもとともに歩み、希望を創りだしていくのです。
(
山崎隆夫:1950年静岡県生まれ、元東京都公立小学校教諭。都留文科大学非常勤講師、「学びをつくる会」「教育科学研究会」会員)

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保護者からのクレームがなく、保護者の信頼を得る対応をするにはどうすればよいか

 私は保護者からのクレームをほとんどもらったことがない。なぜ、クレームが出なかったのだろうか。それは「子どもが頑張っている」「子どもが伸びている」という事実があったからである。
 子どもが成長している事実があればクレームは出ない。これがクレームを未然に防ぐ第一条件である。
 子どもが伸びたという事実を一つ一つつくっていれば、クレームはでないものである。教師として「子どもを伸ばしているのだ」という筋を通せばよいのである。
 年度始めのクレームを未然に防ぐには、先回りして、教師の意図を説明しておくとよい。学級通信などで説明しておけばすむことである。
 担任のことがよくわかっていないので「宿題はもっとださないのですか」といった「よくわからなくて不安だ」という気持ちから保護者のクレームがでるのである。
 担任していると、子どものトラブルのことでクレームがくることがある。もしもクレームが出た場合、私が必ず心がけていることがある。
 それは「迅速に」「誠意をもって」「解決に徹する」である。大切なのはスピードである。クレームを聞いたその場で、すぐに解決のための行動を始めるのである。
 ポイントは「保護者が納得するまで、細かな点まで配慮して解決にあたる」ことである。
 例えば「子どもがけんかをして、本人がとても気にしている差別的なことを言われた」といったとき、差別的な発言を許すような雰囲気の学級経営をしていることに保護者が怒っているのだ。
 だとしたら、誠意ある解決のための教師の行動は、
(1)
けんかの理由を聞き、悪かったところを、お互いに謝らせる。
(2)
差別的な発言は、理由があろうと許されないことを話す。
(3)
クラスの子ども全員に差別的な発言をしていないか、振り返る機会をとる。
 こうした対処を、その日のうちにとったうえで、保護者に連絡する。担任の誠意が伝わるよう連絡帳でなく、電話か直接会うのがよい。
 
「このように対応しました。ご心配をおかけし、大変申し訳ございませんでした。以後、差別的な発言が出ないよう、担任として注意してまいります」と。
 迅速、かつ誠意ある対応に、保護者は担任に対する信頼を増すことになる。クレームがきても落ち込まないことだ。それよりも、クレームを、信頼を勝ち取る機会にしてしまえばよいのである。
((
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)


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百ます計算などの陰山式学習法は、どのようなものだったのか

 陰山英男が兵庫県朝来町立(現在は合併により朝来市立)山口小学校在職当時、同僚教師や保護者なども巻き込んで基礎学力向上のためのメソッドの開発を進め、岸本裕史先生が提唱した百ます計算やインターネットの活用、科学実験、そして日常の生活を見直すチェックシートの活用など、さまざまな工夫を重ねて、成果を上げる。
 陰山学級の国語と算数の偏差値が全国平均を大きく上回った。山口小学校を卒業した陰山学級で学んだ50人ほどの子どもたちが、1999年高校を卒業し、その2割が国公立大学に合格した。NHKのクローズアップ現代に取り上げられた。
 百ます計算は足し算、引き算、かけ算、割り算の四種類があり、低学年用には、25ます計算や64ます計算もある。
 任意に記された縦・横10個の数字を、ます目にそって左から右へ、全部で100個の計算を解く。そして同じ数字が配列された問題を二週間、学校と家庭で行い、計算速度を記録する。
 目標タイムの基本は二週間で初日の半分に縮めること。もしくは、2分(割り算の場合は5分)にすること。できた子どもの所要時間を告げる。
 
「まだまだ君たちのタイムは伸びる」と子どもたちに言う。早くできた子どもは、プリントを裏返し、同じ数字を10回足したり、引いたりする「エレベータ計算」を始める。
 数字は百ます計算を始める前に黒板に書いておく。百ます計算で得られることは、計算力アップで子どもに自信をつけさせること。集中力をやしなうこと。
 特に勉強ができない、行動に問題のある子どもたちは元となる計算力が弱いぶん、成長するときは格段の伸び方を示す。百ます計算は、陰山は岸本裕史先生より学んだ。学年ごとに段階的に百ます計算を進展させる。
 新しいクラスを担任すると、陰山は子どもたちに
「これから、この百ます計算のプリント(同じ数字の並びを毎日やることが大事)を、時間を測ってやってもらいます。先生は予言します。2週間後にあなたたちのタイムは半分になっています」
と言うと、子どもたちは半信半疑で取り組みますが、陰山は経験的にそうなることを知っています。
 百ます計算の時間が短くなっていくと子どもたちをほめます。ほめると子どもたちはやる気になってまた伸びます。子どもたちは自信ができると、意欲的になり、飛躍的に成長します。百ます計算によって鍛えられた集中力によって思考力も伸び、文章題も解けるようになります。
 百ます計算を実践しても効果がでないのは、百ます計算の本質を知らないまま使っているからだと陰山は言います。
 学力をつけるには、まず子どもたちの生活習慣を健全(早寝・早起き・朝ごはんを食べる)にして、そのうえで基礎基本の学習と読み書き計算のトレーニングを行い、さらに多様な学習をするようにする。そのことをしっかり理解してほしいと述べています。
 百ます計算さえさせればよいと、早寝・早起き・朝ごはんの正しい生活習慣なしに、寝不足のまま、朝ごはんも食べないで百ます計算をさせたらキレる子どもがでてきても不思議ではありません。
 百ます計算を行うことで子どもが伸び始めると、それを見て保護者も変化し、学校の言うことを信じて子どもの生活習慣を正してみようと協力的になると陰山は言います。
(
陰山英男1958年生まれ、元兵庫県公立小学校教師、広島県公立小学校長を経て、立命館小学校副校長、立命館大学教育開発推進機構教授。元大阪府教育委員委員長)

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子どもに主役意識を持たせることが大切、そのために教師の主役意識が育っているかが問題である

 よほど気をつけないと、授業ではよく挙手する子を中心に進め、どんどんやれる子に活躍の場を与えてしまいます。その方が効果があがると思うからです。
 教育の効果は、まだよく育っていない子が、よく育つことです。
 学習などの場面で出番を与えられなかった子は、教師の目の届かぬ場面で主役になって、学級や学校を崩壊させていきます。そんなことになったら大変です。
 どの子も、一人ひとりがかけがえのない役を負っているのだということを教え、それを実感できるように、子どもに主役意識を持たせることは大事です。
 子どもに「あなたも主役なのよ」と担任が励まし、少しでも勉強に成果が見えると「なかなかやるじゃない」と、ほめます。ほめることの教育的な効果はてきめんです。
 そのためには、子どもよりも先に、教師に主役意識が育っているかが問題です。ただ一度きりの人生の主たる舞台である職場に、生き甲斐に満ちていなかったら、人生はつまらないものになってしまいます。
 他校から転任して日の浅い人は、校長の言うことが前任校と違う、学年の人と親しみにくい、子どもの気風が肌に合わない。そのたびに「前の学校はよかった」と思う。よくあることです。
 でも、一日も早く「この学校は私の学校、この子どもたちは私の子ども、私こそ、この学校の主役」と、心からそう思う修業が大事です。
 どこを探しても、完ぺきな理想の職場など、まずありません。出来のよくない子ども。肌の合わない同僚、方針の明確でない管理職。不足だらけの施設・設備。こなしきれないほど多い仕事など。
 赴任しての第一印象をそう語る人もいます。主役意識の育っていない人はそれでもう、やる気を失ってしまいます。
 そして心の中で「ひどい所に来たもんだ。この学校はこれまでいったい何をやってきたんだろう」と、次の日から職場生活は味気ないものになってしまいます。
 ところが、主役意識の育っている教師は違います。「これまでの人たちはここまでやったんだ。今度はいよいよ私の出番だ」と、次の日から張り切って出勤してきます。
 教師の仕事のほとんどは、教師と子どもが触れ合う場で行われるのです。主役とは、教育という仕事の主役です。教育の仕事の対象は子どもです。
 子どもは教育という仕事の最も権威のある評価者です。ほかの誰からもほめられなくても、子どもからほめられるのが教師の仕事の醍醐味です。
 子どもから「うまい!」「よくやる」「先生、大好き!」と言われることをこそ目ざすべきです。教師の主役意識はそうして育ちます。
 主役意識の育った教師のもとでは、必ず子どもの主役意識が育ちます。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校会長を務めた)

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学級崩壊を立て直すには、教師として何が求められるのでしょうか

 学級崩壊や授業崩壊を克服した教師は例外なく「学び続ける」人である。原理原則を学ぶのみならず、常に新たな情報を求めて動いている。その蓄積の中で知的に磨かれ実力も高まっていく。
 私も学級崩壊の「立て直し請負人」ともいうべき教師たちを知っているが、どの教師も例外なく魅力にあふれている。自らを高めることで周囲を幸せにしている。それが彼らの魅力を形作っているのだ。
 学ばない教師は教える資格がない。学ばないことは「ゼロ」ではなく「マイナス」の結果さえ生み出すことになるからだ。
 新採教師で激しい学級崩壊を立て直した鈴木恒太小学校教師を私なりに整理した。
激しい学級崩壊を立て直す教師の三つの条件は
1 芯の強さがある
 学級崩壊した学級を担任すると精神的に疲弊する。それは半端なものではない。神経を擦り減らす。
 毎日、ギリギリの緊張感を経験しながら、子どもたちに変容をうながす指導をしていくには、圧倒的な心の芯の強さがないと、まず無理だ。
 その芯の強さは、激しく荒ぶる子どもの事実を目の前にして「絶対にこの子どもを育てる」という「強烈な信念」から生まれる。
 使命感を持って仕事をしている人間は、よくない結果を人や環境のせいにはしない。あくまで自分自身の責任であると決め、改善の努力をする。
2 人間として魅力的で知的で格好よさがある 
 子どもたちは教師に知性を求めている。発する言葉の一つひとつが知的であるか。対応はスマートであるか。知的好奇心を満足させてくれる教師を求めている。知性のきらめきは見た目にも表れる。自信となって、である。自信のある人は魅力的だ。
 人間としての明るさ、清潔感は絶対条件だ。単にイケメンや美人であればよいとうことではない。イケメンや美人でも学級崩壊する。
 荒れた子どもたちは感受性が鋭い。教師に対する感性も人並み以上である。教師を見る目は厳しい。
 学級崩壊を立て直す教師は、この絶対条件を持っている。この条件をそなえていない教師には、荒ぶる子どもたちの前で語る土俵にさえ立てない。
3 子どもに対する対応力、教師自身への対応力がある
(1)
子どもに対する対応力がある
 激しく荒れた子どもたちは、「・・・・しなくてもいいか?」など、無数のアドバルーンを教師に叩きつけてくる。かれらは、教師に対する喧嘩のプロである。
 巧妙に教師を挑発する暴言や問題行動を繰り返す。かれらは教師の心を深くえぐり、傷つけるコツをよく知っている。
 これらに、いかにイライラせずに、子どもの言動を叱りつけるだけでなく、手を変え品を変えて指導の手を入れ続けられるか。
 対応力の具体的なスキルがなければ、激しい荒れには対応できない。対応力は当意即妙な「語り」や、一瞬のしぐさや返事でなされることもある。今までどれだけ嫌な思いや人生経験をしたかにかかっているところもある。
 基本的な授業力や楽しい授業ができるというのは、当たり前の条件である。
(2)
教師自身への対応力がある
 
教師は悩む時期、苦しい時期が必ず来る。その時、自分自身を許すことが大切だ。学んだからすぐにできるわけではない。努力が形に表れるまでには時間がかかる。
 それまで、「がんばっているが結果がでない自分を許す」のだ。「大丈夫。きっとよくなると唱える」のである。それで笑顔が戻る。私にもそういう時期があった。
(
長谷川博之:1977年生まれ、埼玉県公立中学校教師、埼玉教育技術研究所代表理事、TOSS埼玉志士舞代表。全国各地のセミナーや学校で講演や授業を行っている)

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私語で騒がしい教室を変えるには、どのようにすればよいのでしょうか

 まず考えられるのが、最低限のルールについて、その善し悪しを明示して毅然たる態度で叱ることです。学級崩壊が広く知られるようになった現在でも、教室の秩序維持に貢献しています。
 ただし、叱ることが効力を発揮するのは、教師の言葉に十分な説得力がある場合に限られています。
 例えば、ザワザワしている子どもたちに「静かにしなさい」をくり返しますが、「なぜ静かにする必要があるのか」を子どもたちが納得できるように説明できる教師は案外少ないのです。
 そういう言葉の力の弱い教師が、いくら「毅然とした態度」で子どもたちを叱っても、逆効果になることが多いのです。
 叱ることだけが「騒がしい教室」をなくす方法ではありせん。
 例えば、子どもたちがザワザワし始めた教室で教師が、子どもたちが楽しくなるような「つかみネタ」をぶっつけてみて、子どもの関心を教師に向かせます。
 国語の授業であれば、授業の冒頭でちょっとした漢字遊びをします。「3分間で木のつく漢字をできだけたくさん集めましょう」というような遊びです。ちょっとした漢字遊びが子どもたちの気持ちを授業に誘導します。
 あるいは、黒板にクイズ型の問題を板書して「夏目漱石の作品として間違っているのはどれ?①吾輩は猫である②舞姫③坊ちゃん」というように、こんな三択なら、だれでも参加できます。
 面白い学習クイズをしてみたりして、教室のザワザワを学習に向けた集中へと導く空気づくりをすることは十分に可能です。
 さらに「騒がしさの中で学ぶ」方法があります。
 従来の「静かに」「座って」学ぶスタイルから「明るく」「アクティブ」な学び合いに変えるのです。
 例えば、合法的な立ち歩き活動です。「何かを見て、短い感想文を書く」「賛成・反対の理由の文を書く」「ふり返りの文を書く」ときです。
 教師が教える授業も必要です。しかし、子ども同士が学び合うグループ学習も必要です。グループが苦手な子も慣れると楽しく学べます。
(上條晴夫:1957年山梨県生まれ、小学校教師(10年)、作家、教育ライターを経て東北福祉大学教授。NPO法人「授業づくりネットワーク」理事長、お笑い教師同盟代表、専門は教育方法学・表現教育)

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教師になって三年、「前の担任と比べて授業がへただ、担任を代えてほしい」と言われた、どうすればよいのでしょうか

 私は教師になって三年目です。小学校四年の担任をしています。少し教師の仕事に慣れ、保護者との関係づくりのコツも身についてきたと、自信も持てるようになっていました。
 しかし、二学期末の保護者会でA子の保護者から「前の担任と比べて、あなたは授業がうまくありませんね」と言われたのです。
 
「えっ」と思い、とまどっている私に、前の担任と私を比較し始めました。
「理科の授業は、前の担任は実験もしっかりやらせてくれ、子どもも興味深く授業を楽しみにしていました」
「先生は説明してドリルをやらせるだけなので、子どもも理解しないまま教科書が進んでいくようですね」
「前の担任は、学級通信も毎日出してくれましたが、今は週に一度だけですね」
などと言われ、私の気持ちは沈んでいきました。
 その後、学校に来て、校長に「担任を代えてほしい」と訴えました。保護者の間で私の力のなさが噂になっているかと思うと、私はますます自信がなくなりました。子どもたちの顔を見ていても、その後ろに親の非難する姿が見えてきて、私は神経がまいってしまいました。
 先輩教師からアドバイスをもらい、三学期は授業の準備を今まで以上にしっかり行ったり、学級通信も毎日出したりして、がんばってみました。学級通信には担任への要望を書く欄を設けて、親の声を聞くようにも努めました。
 三学期末の保護者会は個別懇談ではなく、学級懇談で、この一年間の子どもたちの成長や学級の様子を伝えました。
 けれども、意見交換のときにA子の保護者に「先生の努力はわかりますが、私は学校に期待していませんから、学力は塾の先生につけてもらっています」と言われました。
 全体の場で言われたことで、私は教師を続ける気も失せ「いったい、この私にどうしろと言うのですか」と捨てゼリフの一つも言いたくなりました。
 このような場合、どのように対応したらよいのでしょうか。
 以前でしたら、このような発言は、公の場ではまずありませんでした。もちろん教師の未熟さもありますが「学校に期待していませんから」は、その人の考えであり、それを全体の場で公言するのは、人をおとしめるのが目的のクレーマーです。
 無理な抗弁をせず、先輩に相談したり、カウンセリングを受けたりして、新年度からの再起を期して準備をととのえ、再挑戦してください。
(
諏訪耕一編:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの塾」、「浪合こころの相談室」を開設した)

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教え上手な教師はモデルとなる子どもを想定して授業をする 

 クラスを、できのいい人、中ぐらいの人、思わしくない人の三つのグループに分け、それぞれのグループで一人ずつ典型的な人を想定します。すぐれた教師はこういうモデル抽出を活用しています。
 上中下に分布したうちの、上ランクの子しか授業内容が理解できていないようであれば、もう少し掘り下げて、中ランクの子まで届くようにし、下のランクの子どもへの手当ては授業の後半に集中させようといった策をとるのです。
 今日の授業のねらいを達成するためには、Aくんのやる気を刺激してみようとか、B子ちゃんにわからせたらこの授業は成功だなどと、特定の一人を選んで、その子の意欲を引き出し、理解を深めるよう授業を行うのです。
 教材を発掘するときにも、ある特定の子どもを思い浮かべて「あの子を熱中させるのに、このネタは適切だろうか」などと考える。
 また、授業中にモデルの子に質問を集めて
「そんなことまで知っているのか、キミはすごいなあ」
「でも、あとでもう一回質問するぞ。もうちょっとむずかしいことを聞くからな」
などと、その子を中心にして進めていく。そうすることで、理解をほかの子どもに広げていくのです。
 こうしたやり方は、授業を一人の子どもだけに偏らせはしないかと思う人がいるかもしれません。しかし、代表的な「個人」を通じて全体は見えてくるものです。
 モデルの子どもを基準にすることで、ほかの子どもの理解度などもよくわかってくる。だから、グループ全体への理解を図りたいときこそ、全体を代表する個人への浸透を心がけなくてはなりません。
 むろんモデルにすべき一人は、いつも特定されているわけではない。ケースバイケースでそのつど選択します。
 私の経験からいうと、最大公約数的な平均的な子どもをモデルに選んだときは、授業が無難なものになり、おもしろみに欠けることが多い。全体の理解度も中程度で終わってしまいがちです。
 もっとも大きな成果が望めるのは、やはり意欲が薄い、ノリが悪いといった子どもをターゲットにして
「この子の心をつかむにはどうしたらいいだろう」
と、工夫する場合のようです。
 それは失敗するリスクも大きいのですが、うまくいったときの全体への波及効果は最大となり、教師の技量向上にも通じていくからです。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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新任の教師が追いつめられるのは、どのようなときでしょうか

 新任の教師が追いつめられるときには、つぎの二つのことが関係しているようです。
(1)
子どもとの関係がうまくいかないとき
 新任の教師は、子どもを愛しながら日々を送るのですが、子どもたちは、だれもが素直に教師のいうことを聞いてくれるわけではありません。
 それに、困難な事情を抱かえる子どもがいると、教室は落ち着きを失っていきます。このことが「みんな、私が悪いのだ」と、若い教師の心をさいなみます。
(2)
子どもの指導に、保護者や管理職から批判されるとき
 新任の教師なら、子どもの指導をめぐって誰もが悩みを抱かえるものです。学級が落ち着かないと、管理職から指導の弱点や問題点の指摘、責任の追及がはじまります。
 これに、保護者の批判の声が重なると、若い教師には、それが心を病むほどの鋭い痛みや傷となります。
 例えば、授業参観で、子どもの笑顔があったのに、参観の後、保護者から「いったいあの授業は何ですか」という感想があると、深い挫折感でいっぱいになります。
 こうした、日頃の指導に対する意見には、心がつながる仲間の教師にグチを言ったりしながら、それなりに乗り越えていくことができます。
 しかし、モンスターペアレントと思われる保護者からの執拗なクレームがあると「もう、辞めたいな」と思うことがあります。
 例えば「うちの子がいじめられているのでないか」「先生は、わが子の言い分をちゃんと聞いてくれているのですか」といった内容の連絡帳や電話が毎日のように続くと、電話の音を聴いただけで、身の縮む思いがして、暗い淵に落ちこんでいくような気がします。
 このような問題は一日や二日で解決できないことが多くあります。数か月かけて子どもの納得や笑顔をとおしながら信頼を得るように、教師が精神的に苦しみながら打開しなければならないことがあります。
 だからこそ、学校の責任者である管理職は「クレーム」を寄せられている教師たちの声を聞きとり、支えていかなければならないのです。
 必要なときは、管理職が担任に代わって保護者の前に立ち、保護者の子育ての悩みを聞き取りながら、学校と保護者が共同して歩むようにしていかねばならないと思います。
((
山﨑隆夫:1950年静岡県生まれ。元東京都公立小学校教師。学びをつくる会世話人、教育科学研究会常任委員、都留文科大学非常勤講師)

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叱り方に悩んでいる人は、どうすれば「よい叱り方」になるのでしょうか

 子どもを叱ったり、怒ったりするのは、子どもに伝えたいことがあるからです。ですが、感情的になったり怒鳴るだけだったりすると、子どもはなぜ叱られたのか、その理由がわからないままになることがあります。
 そこで、私はつぎのようにしています。
1 叱る前に「見る」
(1)
タイミングを見る
 声をかけるタイミングをみます。何かに夢中になっている途中では、話しかけられたくありません。
(2)
過程を見る
 結果だけを見ないで、その過程をみます。すると、かける言葉が変わってきます。
2 先にいいところを伝える
 言いたいことがあるときは、先にいいところを伝えてください。すると、その後の本当に言いたいことが伝わりやすくなります。
 人は聞きたくない話には耳を閉ざします。だから、先にうれしい話をして耳を開いてから伝える。すると、案外、聞き入れてくれるようです。
3 正論より共感
 人は共感してくれる人に心を許します。子どもの気持ちに寄り添うと「わかってくれているんだ」と思うでしょう。共感の気持ちが安心や信頼につながります。
4「あなたが悪い」でなく「ここが悪い」
 叱るときは、子どもが悪いのではなく、やったことが悪いのだと伝えてください。例えば「壁に落書きするのは悪いことよ」とやったことを否定するのです。
 子どもを叱るときには、子どもの自尊心を傷つけないようにしましょう。自尊心を傷つけない叱り方とは、本人を否定しないで、やったことを叱ることです。自分という人格を否定されたことにならないから、劣等感には結びつきません。
 大切なのは、子どもの気持ちを尊重する接し方です。とくに「叱る」ときには、子どもの失意、失望、自己否定などの負の感情をもたせないよう心がけてください。
5 原因の追究より次の行動
 私は以前、子どもの問題行動を「なんでこんなことをしたんだ?」と問いつめていました。子どもは「だって・・・・・」と言いわけするしかなく、会話は悪循環になるだけでした。
 そこで「なんでこんなことをしたんだ?」ではなく「どうしたらいいのかな?」と、聞いてみることにしました。「なんで」では、解決につながりません。
「どうしらいいのか」「何をすればよいのか」と、するべき行動が具体的にわかれば、子どもたちの体も気持ちも動きやすくなります。
 そのためには「どうする?」です。子どもはきっと、自分なりのアイデアで問題解決していくでしょう。
6 叱るときには深追いをしない
 叱るときは、ひきずらないように叱ることが大事です。叱るときには決して深追いをしない。人と比較しないで「さらっとひと言で」が秘訣です。
 叱られたところから、自主的に立ち直れるようにしてあげないと、子どもはいつまでも叱られた悲しみから抜け出すことができなくなってしまいます。
 子どもを「叱る」ことで悩んでいる人は、日々の暮らしのなかで、一回でも多く「ありがとう」と言いましょう。大人が子どもに言うのです。「ありがとう」は相手をほめることにつながります。
(
佐々木正美:1935年群馬県生まれ、児童精神科医。様々な大学や機関を経て、川崎医療福祉大学特任教授、横浜市リハビリテーション事業団参与。子どもの発達について幼稚園等と勉強会を重ねている)
(
若松亜紀:幼稚園教師を経て親子の集いの場「陽だまりサロン」オーナー)

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「叱らない」と「叱れない」とは違う、「叱れない」教師が増えている、どうすればよいか

 「叱らない」と「叱れない」を一緒にしてはいけません。「叱れない」から「叱らない」では困ります。
 叱る必要のある時にさえ「叱れない」と、クラスの雰囲気が悪くなります。
 でも「叱れない」教師は確実に増えています。叱れないとき、どうすればよいのでしょうか。
(1)
教師になるまで他人を叱る経験をしてこなかったので、どうやって叱ったらいいのかわからない。
 
「叱る」をテーマにした本を手にとって学んだり、同僚の教師に教えてもらったりしたらいいのです。
(2)
「叱る」と子どもに嫌われそうだから、叱ることができない。
 実際、きちんと叱られた場合には、そのことが原因で教師を嫌いになるなんてことは、あまりないのです。
 遠慮はいりません。子どもに遠慮しているという空気が伝わることの方が問題です。叱ることを恐れてはいけません。
(3)
「叱る」ことは、よくないから我慢している。
 叱る必要がある時に「叱れない」と、逆にクラスの雰囲気が悪くなります。叱ることを恐れてはいけません。
(
俵原正仁:1963年生まれ、兵庫県公立小学校教師、笑顔の教師が笑顔の子どもを育てる実践はマスコミにもとりあげられた。教材・授業開発研究所「笑育部会」代表)

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新採4年目で5年生の担任になり学級が荒れたが、キレた子の事件をきっかけに良くなっていった

 「高学年の子どもはこわいが、でも向き合える教師になりたい」という、ずっと抱えていた決意に挑戦するため、新採4年目で5年生の担任になりました。
 この子らは二年生のときに担任したので、きっと良いスタートができるだろうと、期待して始業式を待ちました。
 学級開きの日は、どことなく子どもたちと距離がある感じでした。ドギマギしながら「みんなで力を合わせて楽しく過ごせるクラスにしようね」と言う私の言葉は上滑りな感じでした。
 子どもたちの心の中が知りたくて「始業式の日」という題の作文を宿題で書いてもらいました。翌日、読んでみてショックをうけました。
「担任の先生が若い女の先生だと知って、お母さんが『大丈夫かなあ』、お姉ちゃんが『なめられないといいけどね』と、言っていました」
「わたしは、前の先生がいちばん好き」
など、私に対する不安や傷つく言葉を綴った作文がいっぱいありました。
 さらに、みんなで遊んで楽しい雰囲気をつくり出そうとしても、半数近くの子が「えーっ、やりたくない」といって、校庭の隅に座り込んでしまう。
 授業中は課題にとり組まず「ぼぉーっ」としている子が数人。注意すると「勉強する意味がわからない」「めんどくさい」という言葉が返ってくる。
 また、授業中のおしゃべりが止まらない男子が何人もいて、お説教で授業を中断することもしばしば。女子同士のいじめやいざこざも、後を絶ちません。
 でも、私が決意したことを落ち込むたびに思い出し、前に進む道を探しました。学習会に参加したり、教育書を読んだりして、高学年について学ぶと同時に、学年の教師に相談して具体的な指導方法などを教えてもらい、支えてもらいながら、日々を乗り越えていきました。
 クラスにささいなことですぐキレ、友だちを殴ったり物を投げたりするAくんがいました。教育相談の教師に相談すると「キレる問題」で校内研修会をしてもらうことになりました。
 研修会では「まわりの子どもたちの共感力が必要」「キレた後は、気持ちが落ち着くまでそっとしてあげたほうがいい」「その子が認められるような場をつくる」などの意見が出されました。
 私は「Aくんの切なさに、なんで寄り添おうとせず、逆に追いつめてしまっていたんだろう」と、胸が締めつけられ「つぎは過ちはくり返さないぞ」と心に誓いました。
 その研修会の直後、休み時間に、Aくんがキレて机を投げ、友だちの背中を殴るという事件が起きました。私が教室にかけつけたときは、Aくんは保健室に行ってしまった後でした。
 「Aくんのことをみんなで考えるチャンスだ」と思い、すぐに子どもたちを席につかせ、話し合いを始めました。何があったのか事実を確認した後「どうしてAくんはキレてしまったんだと思う?」と問いかけると「悪口をいわれたから」と子どもたち。
 子どもたちかAくんを非難し、話し合いが悪い方向へいったらどうしようかと思いましたが、子どもたちと真剣に話し合ってみるしかないと覚悟をきめました。
 
「悪口をいわれてキレてしまうAくんの気持ち、みんなわかる?」と聞いてみました。すると「わかるよ」という子が出てきたのです。「ほかにもいる」と聞くと、ほとんどの子が手をあげました。
 
「どうしてわかるの?」と聞くと、多くの子から次々とキレ体験がでてきました。そこにAくんが教室に帰ってきました。私は「気持ちが落ち着ける場所に行ったのは、えらい」と、ほめました。みんなのキレ体験をAくんに伝えました。
 
「みんなAくんの気持ちがわかるって。大丈夫だよ。キレちゃっても、今日みたいに気持ちを落ち着ければいいんだからね。みんなわかってくれるから」とAくんに言うと、Aくんは静かにうなずきました。
 クラスのみんなの気持ちがAくんに届いた瞬間でした。「このクラスの人たちはみんな優しいね。とても素敵なクラスだよ」と話しました。
 その後、不思議なほどAくんのキレる回数が減り、キレてしまったときも、自分からその場を離れました。そして自分から迷惑をかけた友だちに謝ることができるようになりました。何に腹が立ったのかを少しずつ言葉で伝えることもできました。
 友だちに共感してもらえるということが、こんなに大きな変化をもたらすということを私は実感しました。これから、いろいろあっても、クラスの子どもたちを信頼して前に進んでいこうと思えた出来事でした。
(
大山しおり:1979年生まれ、東京都公立小学校教師)

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親から不登校の相談があったときどのように対応しているか

 親から不登校の相談があったとき、つぎのように対応している。
 原因がどこにあろうが子どもが学校へ行かないということは、多くの親にとってはつらいことである。親として自信をなくし日常の会話さえも神経を張り巡らしておられ、それがまた子どもの神経を苛立たせるという悪循環もあります。
 不登校の親から相談があったときは、私は
「学校のことは、子どもさんから話されない限り話題にしないでください。それ以外のことは今まで通り、叱ることは叱って、ほめることはほめてください」
「学校のことを子どもさんから話され、返事のいるときは、お母さんはこう思うと、思っていることを伝えてください。わからないことはわからないと」
「返事のいらないことであれば、否定せずに聞いてください」
「あせらずに一緒にどうしたらよいか考えていきましょう」
と話します。
 親はすぐに結果が出なくても親の気持ちに寄り添って、話を聞いてくれる人を求めておられるのではないか?
 話の中で一つでもいいから、よい対応がないか見つけようと耳をこらし「お母さん、その対応はよいと思います。すごい!」と共に喜べる感覚が大事だと思う。
 親には「あせらないで」と言いながら、教師が「よい結果」と思えるものを出そうということにばかり気持ちが傾いたとき、親と同じペースで一緒に対応できずに、ときには親を「責めている」ように映ってしまうこともあるだろう。
 自分のこととして取り込まず、冷静な判断と共感する気持ちを併せ持つことの難しさをいつも感じている。
(
佐藤友子:元京都府公立高校養護教諭)

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親から不登校の相談があったときどのように対応しているか

 

 親から不登校の相談があったときどのように対応している。
 原因がどこにあろうが子どもが学校へ行かないということは、多くの親にとってはつらいことである。親として自信をなくし日常の会話さえも神経を張り巡らしておられ、それがまた子どもの神経を苛立たせるという悪循環もあります。
 不登校の親から相談があったときは、私は
「学校のことは、子どもさんから話されない限り話題にしないでください。それ以外のことは今まで通り、叱ることは叱って、ほめることはほめてください」

 「学校のことを子どもさんから話され、返事のいるときは、お母さんはこう思うと、思っていることを伝えてください。わからないことはわからないと」
「返事のいらないことであれば、否定せずに聞いてください」
「あせらずに一緒にどうしたらよいか考えていきましょう」
と話します。
 親はすぐに結果が出なくても親の気持ちに寄り添って、話を聞いてくれる人を求めておられるのではないか?
 話の中で一つでもいいから、よい対応がないか見つけようと耳をこらし「お母さん、その対応はよいと思います。すごい!」と共に喜べる感覚が大事だと思う。
 親には「あせらないで」と言いながら、教師が「よい結果」と思えるものを出そうということにばかり気持ちが傾いたとき、親と同じペースで一緒に対応できずに、ときには親を「責めている」ように映ってしまうこともあるだろう。
 自分のこととして取り込まず、冷静な判断と共感する気持ちを併せ持つことの難しさをいつも感じている。
(
佐藤友子:元京都府公立高校養護教諭)

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担任を通りこして、校長に苦情が持ち込まれたら、どうすればよいのでしょうか

 だれしも自分の悪い点を指摘されることは快いものではありません。
 ましてや自信をもって子どもを指導しているつもりの教師にとって「意見があるなら、直接言ってくれればいいのに」と、怒りの気持ちがわいてくる心情は無理からぬものと思われます。
 しかし、担任は常に子どもの「いたらぬ点を指摘」する側で、「自分の言動を振り返ることが少ない」ことを忘れてはならないと思います。
 担任である自分に対する数少ない苦情にさえ、落ち込むほどなのですから、1日に何度も注意を受ける子どもの気持ちは、どうなのかと考えてみることも必要と思います。
 
「子どもに善悪の判断を身につけさせるため」とか「この時期に、この子のいけない点を直しておかなければ」という大義名分が先立ち「性急に指導していなかったか」「長所より短所に目を向けていなかったか」を振り返るとよい。
 また直接、担任に苦情を持ち込んだら、よけい、わが子が辛い目に合うのではないかという、保護者の気持ちがあるではないか。
 担任にとっては辛いことですが、素直な気持ちになって、自分が指導者として大きく成長するための試練と受けとめ、学級運営を改善するよい機会にしていくよう、発想の転換を図ることが大切です。
 では、どうすればよいのでしょうか。
 子どもが元気な顔で毎日「ただ今」と学校から帰ってくると、保護者は安心して苦情など持ち込まないものなのです。
 子どもが毎日、楽しいと感じ、満足する学級にするには、
(1)
子どもの学習意欲がわく授業づくり
 授業は教師にとって「いのち」ともいうべき大切な切り札です。子どもが主体的に取り組み、一人ひとりの個性が生かされるような授業を意識した教材研究に取り組むことが求められます。
 子どもが興味・関心をもつ教材開発や、子どもの探究心が満たされ、調べ学習へと発展する教材研究などが必要です。
(2)
きめ細かな観察に基づく子ども理解
 子ども一人ひとりの個性が異なります。それぞれの好きなものや特技だけでなく、休み時間や登下校の様子に目を向けると、乱暴だと思っていた子がやさしかったり、友だち同士になると態度の変わる子がいたりするものです。気のついたことはメモしておきましょう。
 そして、子どもの良い点は、機会があったら、ぜひ保護者に伝えてあげましょう。 
(3)
学級内のもめごとに対する適切な処理
 子ども同士のいさかいはよくあることですが、一方がけがをさせられたりしたときは、その日のうちに解決し、仲直りさせてから帰すようにしましょう。
 相手の人権を著しく傷つける言動のあったときも、十分納得させることが大事です。常に公平な目で見、冷静に両者及び第三者の話に耳を傾けて解決していく教師の姿勢が、子どもや保護者の信頼をかち得るものです。
(4)
学級経営の方針や担任の誠意や人間性を平素から理解してもらうようにする
 学級経営の方針を理解してもらうよう、1年間の見通しをもって、学級懇談会や学級便りなどを利用して、具体的に知らせていく必要があります。
 また、連絡帳への返事の書き方、電話での対応、病気やけがをしたときの連絡やきめ細かな配慮を通して、教師の誠意や人間性が自然に伝わっていくものです。
 さらに、どんなに忙しいときでも余裕ある表情で接することを忘れなければ、この先生ならどんな小さな相談にも乗ってくれるのではないかと思われ、保護者は心を開いてくれることでしょう。
(
岸 ゆう子:元千葉県公立小学校管理職)

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教師になって約30年、私はどのようにして、楽しく教えることができるようになったのか

 私は、新任の着任式で子どもたちに「先生は・・・・」と挨拶したら、ある年輩の教師から「自分のことを『先生』などとは言わないのですよ。『私は』と言うのよ」
「先生という言葉は、相手が尊敬して言ってくれるものなのよ」
「自分で『先生は・・・・』なんて言ったらおかしいでしょう。言語感覚を身につけるといいわね」
と、たしなめられたことを思い出します。
 私は、言葉について敏感になりたい。授業で一番嫌いで不得意だった国語を自分なりに何とか向上させたいと思いました。そのために、研究会に参加したり、よい授業をたくさん見たりしていきました。
 新人時代には月一回、地域の国語研究会に参加しました。この教材文はこう解釈するといいんだとか、主題はこう読み取って、要旨はこう読み取らなくてはならない、主題や要旨に迫るために、どんな発問をしたらよいか、ということを勉強しました。
 国語は簡単な教科だと思っていたのが、急に難解な教科に変わりました。結婚して転勤するまでの二年間教えてもらいました。
 次の学校では、国語の授業に堪能な教師がいました。
「発問したら、子どもがどのように反応するか、考えなくてはいけない。想定する答えをいくつも考える必要がある」と教えてくれました。子どもの答えによって、その次の発問を工夫していくのです。
 そして、主要発問とそうでない発問を分けて考え、主題や要旨にせまっていくのだと教えてもらいました。
 その教師は「私は、悲しいお話では、必ず子どもたちを泣かせるの。それだけのめりこんで読ませることができるのよ」と言っていました。
 
「授業でそんなことができるなんてすごい」と憧れを感じました。この学校には一年間しかいませんでしたが、大きなものを学んだような気がしました。
 次に行った学校(六年間)では、私自身が子育てをしていたので、学校の外で学ぶことはできませんでした。しかし、教材文を読んで、どのように子どもに教えたらよいか、ある程度わかってきていました。
 次の学校(三年間)では、何をどのように教えたらよいか明確に指導してくれる教師に出会い懇切丁寧に教えてもらいました。国語の授業はどう作ったらよいのか、どういう発問がよいのかなどを教えてもらいました。
 長期研修生のテストを受けてみないかと、その教師に勧められ受け、合格して筑波大学の内地留学生(1年間)となりました。
 そこで学んだことは驚きの連続でした。当時、私は、子どもの側に立って学習を組織していくという単元学習の考えは全くありませんでした。
 授業をいかに、うまく流すか、子どもの感想をうまく取り上げて発問を組み立てて、いかにしたら自分の思っている方向に授業を組み立てたらよいかなど、私は授業を教師側の発想で作ろうとばかり考えていたからです。
 どうやら今までの自分の国語授業についての考えが根本的に違うのだということに気づいたのです。
 内地留学が修了し、転勤しました。そこの小学校の近くにある千葉大学の研究室に1年間、日参して教えを請いました。単元の作り方にヒントをもらい、子どもの作品をどう読むか、どう理解したらよいか学びました。
 自分の不出来さに何度も悩み、苦しみましたが、子どもたちとの学習はとても楽しく、こんな学習の世界があったのかと思うほど、一人ひとりの学習に効果的で、しかも意欲的・主体的に、学ぶ姿をたくさん見せてもらうことができました。
 今までの授業技術を求めていた時からは、全く考えられない、子どもが伸びる充実した学習ができました。教科書にしばられないで、眼前の子どもの姿を見ながら、国語の力を伸ばすための単元を、アドバイスを受けてつぎからつぎへと作っていきました。
 その後、私はどうしても、自分の実践を発表する場を持ちたくて、大学の教授をお招きして国語の勉強会をはじめました。隔月一回、どのように単元を作り、どう子どもを支援したらよいか教えを受けました。
 毎回、私の実践紹介があります。時には、私の実践に教授から容赦のない批判を受けることもあります。そういう時は、いい気になっていたり、子どもを間違えてとらえていたりした時でした。
 そういう時は大変ショックですが、また気を取り直して、よい実践をしようと勉強をしていきます。順に会員の実践紹介があります。会員は毎回レポート提出(A4判一枚)をします。
 会が終わると、全員、心地よい疲れと、明日への新たなパワーをもらって帰ります。
 私は、新人教師時代から今まで、国語教育にのめりこんで、どうやら何とか楽しく教えることができるようになりました。ひとつの教科をずっと研究してきたので、自分でも満足感があります。
 新人教師も自分の研究教科や研究分野を見つけて、長い期間研究していくのも興味深いことだと思います。そして、いつの日か、楽しく実りある授業をしてください。
 子どもが満足感を覚える学習をさせられるように、毎日が自分の力量を高めていく一歩だと思ってがんばってもらいたいと思います。明日の日本の教育は新人教師の手に委ねられているのですから、健闘を祈ります。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)

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教え上手な教師とは、どのような教師でしょうか

 子どもを育てる教え上手な教師は、多く教えることよりも、少なくしか教えないことに知恵を絞る。なぜならそれが、子どもをより深く考えることに、導くきっかけになるからである。
 少なくしか教えないことが大切になってきます。花も水をやりすぎては根腐れしてしまいます。水は足りないくらいのほうが花もよく育つのです。
 けれども、私たち教師は、つい水をやりすぎてしまう。親切で熱心な教師ほど「なぜ、これがわからないんだ」と、あれこれ口をはさみ、手を出す、過剰な指導をしてしまう。
 子どもが自ら「はてな?」と疑問を抱き、好奇心を働かす前に、エサを口に運ぶように教えてしまう。
 そして、その教えすぎが「また、先生が教えてくれるだろう」という頼る心を植えつけて、子どもの主体性を損ね、依存性を育ててしまうのです。
 したがって、答えをすぐには教えない忍耐力が必要になってきます。
 子どもが考えはじめたら、しばらくだまって見守る。迷路に入ったり、堂々めぐりをはじめたら、少しだけヒントを与えて押してあげる。ふたたび考え出したら、また、しばらく見守る。
 この「待つ」と「押す」のくり返しが教える技術のツボであり、本当に子どもを育てることになるのです。
 教えていることが、教わっている子どもに、いかにも見え見えなのは失格です。「見えない」のが理想です。
 答えを隠したり、答えるまで遠回りさせたりしながら、大事なことほどすぐには教えない。最短距離では教えないことが肝要なのです。深く教えようとしたら、回り道を恐れないことが大切なのです。
 ただし、回り道するときに気をつけなければいけないことは「教え惜しみ」をしすぎないことです。解決がいつまでも得られないと、途中でざせつしてしまいます。限界が見えたら、解答を与えて疑問を氷解してあげることが肝心なのです。
 思考を深める高度な発問をする前に、子どもが思考の入り口まで誘導するやさしい質問が重要になってくるのです。「ポストの色は何色ですか」と、だれでも手をあげられる場面をつくるようにします。すぐれた教師ほど「どんな子どもも答えられる」問いをいくつか用意しているものです。
 あえて、やさしい課題に取り組ませて成功体験をさせて、それを次の、よりハードルの高い課題への意欲につなげていく。こうした「布石」は、必ず必要になってくるのです。
 少ししか教えない、大事なことほど教えない、正しいことばかり教えない、という「教え惜しむ」指導法によって、子どもたちの学ぶ意欲を引き出し、その考えを深く豊かに耕すのです。
「教え惜しみ」の技術の内容をかいつまんでいえば、
・答えをすぐには教えず、自分の頭で考えさせる
・すぐに答えを要求せず、ゆっくりと考えさせる
・あえて大事なポイントを隠してヒントだけ与える
・わざとあいまいなことや間違ったことを提示して、固定観念や既成概念に揺さぶりをかける
そのような「自ら考えさせる」技術を使うことで、子どもたちを深い思考へと誘導するのです。
 学校は、子どもを育てようとして、熱心な教師ほど、かゆいところに手を届かせるようにして、懇切ていねいに過剰に教えてしまうものです。
 しかし、何もかも教えようとすると、かえって少なくしか伝わらないものです。また、教えすぎは教わる人の考える主体性を奪ってしまうことにもなります。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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子どもにヤジられ、自信をなくした教師はその後どのようになったか、ストレスに悩む教師はどうすればよいか

 教師になって五年の小学校の女性教師だが、子どもに対して、赤面・視線恐怖を生じていた。授業でも、目のやり場に困る。顔が赤面し言葉が上ずってきるのがよくわかる。
 教師に向かないと思って、親に相談していたが「そのうち馴れるから」となだめられて、イヤイヤ授業を続けていた。子どもたちが騒ぐので叱ったところ、逆に子どもたちにヤジられて、すっかり自信をなくしてしまった。
 彼女は体調が悪いといって、学校を休みだした。一度休みはじめると、ますます自信を喪失し、出勤する気が起きなくなった。彼女は教師を辞めようとかと思ったが、一度、対人恐怖に効果的だと聞いていた森田療法を受けてみたいと思って来院した。
 森田療法の治療は「気分はあるがままに受け入れ、やるべきことを目的本位・行動本位にやる」ことである。彼女は、三カ月間の入院治療によって完全によくなって退院した。
 対人恐怖は、人嫌いではない。むしろ人好きである。人とよい関係を持ちたいと熱望している。人を恐れるのではなく、対人関係を恐れている。自分の視線が相手を傷つけたりして不快感を与えはしまいかと恐れている。
 よく思われたいと思う人の前に出ると緊張して、対人恐怖を起こすのである。彼女は「よい授業をしたい。子どもたちから、よい教師と認められたい」という願望が強すぎたためと思われる。
 逃げれば逃げるほど、症状は追いかけてくる。症状は自分の力ではどうにもコントロールできないものである。「赤面するな」「視線を気にするな」といくら自分に言って聞かせても、その通りにはならない。気分は「あるがまま」に受け入れることである。
 気分はともかくとして、行動は正常に保つことはできる。「できない」のではなく「しない」のである。赤面をしながら授業を続けることである。
 赤面して何が悪いのだろう。むしろ純情さの現われではないか。視線のやり場に困るというが、子どもを指すときはその子の顔を見ればいい。視線をそらしていれば、周囲から変な目で見られることになる。
 人の心の中は、わからない。しかし、その人が何をするかは、よくわかる。心をいじらないで、健康人らしく振る舞うことである。
 神経症はだれにでも起こってくるのだが、起こりやすい性格がある。それは神経質傾向の持ち主である。神経質な傾向とは、小心・取り越し苦労、勤勉、強い自己内省心、強い向上欲を持った性格である。
 この性格を前向きに発揮すれば、よい仕事もできる。つまり、周囲からもよい評価を受ける。
 ところが、何かのきっかけで、それまで外に向いていた精神的エネルギーが、向きを変えて自分の心身の変化をもたらすのである。
 人によって刺激をひどいストレスと感じる人もいれば、同じ刺激でもたいしてストレスに感じず、平然と受けとめている人もいる。
 強いストレスを受けて起こす反応は、人によってさまざまである。病的なまでに深刻になると、精神科的な診断がつく。ストレスがその人の価値観や存在意義をおびやかすものであれば、深刻である。
 
「私の責任だ。何とかして早急に解決しなければ」と思うと、居ても立ってもいられない。 しかし「こんなことは、よくあることだ。教師だけの責任じゃない。そのうちどうにかなるだろう」と放置しようと決めてかかると、大したストレスにはならない。
 問題を一人で抱かえ込むか、多くの人たちの協力を得るかによっても、ストレスを感じる程度が異なる。多くの人が協力してくれるとなると、気が楽だし、一人で考えるよりもよい結果が期待できる。
 ストレスはどこかで解消する必要がある。仕事以外に趣味を持つことも大切である。趣味は、時間と金を浪費することになる。しかし、リラックスするためには必要な潤滑油である。
 一般に職場で受けたストレスは、家庭で解消するのが普通である。家庭は憩いの場であるべきである。しかし、ストレスに悩む教師は、家庭がストレス発生の場であることが少なくない。
 平素から、家庭内の人間関係を中心に、家庭の平和を保つことに努力すべきである。独身の教師は、家庭がなければ、友人や学校の子どもたちとの交流を通してストレスの発散を心がけるべきである。
(
大原健士郎:1930年‐2010年、精神科医。浜松医科大学名誉教授。専門は自殺研究、森田療法など)

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私の12年間の教師としての歩みが学級通信の中にいっぱいつまっています

 私が大阪市立小学校に新任として赴任しとき、学級通信を発行しておられた先生が一人いました。30歳くらいの女の先生でした。その先生は「一枚文集」のような形や、ザラ紙四分の一ぐらいに学級のようすを少しのせたり、連絡を書いたりする内容でした。
 しかし、当時の私の目から見て、あまり学年の先生から「いい目」では見られていなかったように感じていました。保護者からは人気がある先生だったように思います。私は、その先生の実践は「すごいなぁ」と思っていましたが。
 
「学級通信をだしているから、学年の足なみがそろわない」といった、なんともいえない雰囲気を感じたのです。
 そして、二年目、四年生の担任になったとき「学級通信をだして非難されたら」と、私は非常に悩みました。
 おもいきって、年輩の先生に相談すると
「若いうちは、自分のやりたいこと、好きなことをやりなさい。あとは、私らがしりぬぐいしてあげるから」
「子どもたちは、いろいろな先生の特技や個性、専門から学びとっていくのだから。あなたの持っている力をだしなさい。学級通信はできたら管理職に見せなさいよ」
と言われました。この言葉に非常に勇気づけられ、目の前がパッと明るくなったようでした。
 学年としての足なみをそろえることは必要です。でも、学級はその担任のイメージなり、独自性もあるはずです。
 私は今でも、その女の先生のがんばりと、年輩の先生の言葉は、私を育ててくれたと思っています。こんな思いから、私の学級通信はスタートしていきました。
 私は、学校や学級は子どもが生き生きとできる場にしなくてはいけないと思っています。なんとか、楽しく、生き生きと生活できる場にして、わかる喜びを教えてあげよう。
「明日も来たい」「明日も何かあるぞ」そんな、ワクワクした夢や希望を持って帰らせたいと、私は思っています。
 ささいなことを認めてあげるひと言が必要だと思います。また、友だちのがんばりやよろこびや活躍に「拍手」を送れる子どもたちも必要です。
 二年間担任したAさんの作文は「毎日、学校へ来るのが楽しみでした」と次のように書いてくれました。
「前田先生は、怒ったらこわいけれど、やさしいところもいっぱいありました。けん玉やいろいろなコンクール、鉛筆削り大会、百人一首大会・・・・、いろいろなことをやったので、何か得をしたような気がします。二年間、とても楽しかったです。毎日、学校へ来るのが楽しみでした」
 私の12年間の教師としての歩みが学級通信「あせ・どろ」の中にいっぱいつまっています。
 子どもたちの学校生活の様子を保護者は切実に知りたがっています。私は、学級というのは、絶対に保護者からの支えがなくては豊かになっていかないという思いを持っています。
 学級通信「あせ・どろ」1000号を迎えましたが、新任以来、書き続けてきたのも学級を、教育を豊かにしていきたいという、私の願いからです。
 保護者がわが子だけでなく、学級の取り組みや学級のすべての子の生活に関心を持ち、時には意見や感想をいい合える関係って、すばらしいことです。子どもたちの成長にとっても大切なことです。
 学級通信が保護者同士の交流の場としても、共通の話題を提供するものとして必要なものになっています。
 学級通信は、私にとっては自分と学級づくりのバロメーターなのです。子どもの姿が見えなくては、子どもの願いが実感として伝わってこなくては、学級づくりはできません。
 学級通信は一人ひとりの子どもの姿や声が浮かんでこなくては書けません。
 学級が生き生きと活動しているとき、すばらしいこと、くやしいこと、ドラマが生まれたとき、発見・成功・失敗・感動があったとき、子どもの伸びる芽を確信したとき、もう書く内容は決まっているのです。
 教室の中には、書く素材なんていっぱいあるのだから、子ども一人ひとりの言動や願いを「とらえる目」を身につけることが何よりも大切だと思っています。
 初めて担任したとき、学級通信を仕上げるのに二時間以上かかっていました。今は一時間以内で書けるようになりました。
 でも、学級がうまくいっていないときや、子どもたちの生活が事実として浮かんでこないとき、やっぱり書けませんね。
 みんな、うまくいったことばかりではありません。私自身の失敗したことも多くありました。また、子どもたちとしっくりいってない時もありました。でも、どんな時でも、
「子どもたちを信じてやらないといけない」
「子どもの否定面だけを見て、判断したらいけない」
そう思い、とにかく12年間やってきました。
 これから先も、子どもたちの前で「愛やロマンを大きく膨らませ」子どもたちに語れる教師として、偉大な先輩たちに学び、子どもたちや保護者に学びながら、教室の中にとびこんでいきたいと思います。
(
前田睦夫:1954年大阪市生まれ、大阪市立小学校教師)

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教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのかを知り、自分を変えるとよい、また、まわりの教師の指導を見て学ぶことである

 教師は力量をつけるためにどのようにしてつければよいか。
(1)
教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのか、知り自分を変える
 教師の顔つき、からだつきから「怒るとこわい先生」とみられ、そのことが指導の武器になっている教師もいる。
 また、美人・美男子もそうで、逆の教師より指導の入りがよい。声の大きさ、明瞭さ、すてきな笑顔もそうだ。
 これは、嘘のような話だが、指導力不足に悩んでいた教師がいた。「太い縁取りのめがねをかけろ」と助言した人がいて、そのとおりにしたら指導が成立するようになったという。
 ということは、教師は、あらゆるものを用いて教育していることになる。
 とすると、自分のどこが子どもたちに受け入れられているのか、反対に、どこが拒否されているのか、知ることである。
 その結果、ユーモアに欠けるとすれば、その力をつけるように努めることだ。
 自分をらち外において「わたしの教育がうまくいかないのは、子どもの質が悪いからだ」と、子どものせいにしてはならない。
 自分を知り、自分を変えることである。
(2)
まわりの教師の指導を見て学ぶ
 一人ひとりの教師は、まさに個性的な存在で、それぞれが得意技をもっている。
 たとえば、率先して模範を示し、子どもを引っぱっていく教師もいれば、「泣かせの何とか先生」という説諭の名人がいて、この教師にこんこんと諭されると、どんな子どもも、泣きだしてしまうという芸の持ち主もいる。
 あるいは、討議、話し合いに長けていて、子どもたちと「ああだ」「こうだ」と激しく論争しながら、指導を貫いていく教師もいる。
 お母さんのようにやさしく包み込む教師もいる。
 それぞれの教師が、指導について、得意の型をもっている。あらゆる指導に精通し、使いこなせるようになればよいのだが、そんなことはできることではない。
 だから、とりあえず、得意な指導法を身につけることである。学校は教師が集団として教育しているわけだから、一人ひとりの得意技をだしあい、教師集団としての指導を確立すればよいわけである。
 といって、「これは苦手だから、だれかにやってもらおう」といつまでも逃げていてはいけない。それでは一生上達しない。授業や学級づくりなど、一人ひとりの教師に必要な指導力は、身につけなければならない。
 したがって、ほかの教師の指導法や得意技を盗み、まねしながら、自分の力量として身につけ、みがいていくようにしたい。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)


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子どもの学ぶ意欲を保護者と教師が共同して育てるにはどのようにすればよいのでしょうか

 わが子の学ぶ意欲に関心のない親は一人もないといってよいでしょう。どこの懇談会でも話題になります。
 懇談会で 「うちの子はできが悪くてね。親が親だからしかたがないのかねェ」と言う親に懇談の場面で私は何度も出会いました。間違った情報が流れているのです。
 そういう親は、能力の低い親からは能力の低い子どもしか生まれないと思っているのです。私はそうしたとき、懇談している親にきっぱりと「能力は遺伝ではありませんよ。学力は伸ばせますよ」と。
 そして懇談では、つぎのことを必ず話題にしなければならないと思ったのです。
 私が教師をしてきた50(小学校、中学校、高校、大学)の体験から、遺伝どころか親を越えて力を伸ばした子は数えきれないほどいます。
 決して遺伝がどうこういう問題ではありませんでした。親子であっても、それぞれ違う人格なのですから、ちがう可能性があるのは当然のことなのです。また塾へ行かず、自学自習で目的を遂げた子どももたくさんいます。
 では、何が大切だったかと考えてみると、二つありました。 
 一つは、子どものもっている取り柄に気づかせ、そのことを自信にして学習意欲に結びつけていくこと。
 もう一つは、学習するとき「質問とくり返し」を大事にすることを教え、支援してあげるということです。
 つまり、自信をどう育てるかに眼を向けることが何よりも必要です。そのためには
「勉強以外のことで自信をもたせ、それをバネにして学習意欲に結びつけていくといいのですよ」と。
 たとえば「友だちが多い」「持久走が得意」「後かたづけができる」というようなことです。これを子どもに意識化させ「できるぞ、やれそうだ」と自信になるように励ましていくのです。
 でも、これたけでは、すぐに学習の意欲には結びつきません。さらに示唆を与えるのです。
「友だちが多いんだから、わからないことは質問したり、教え合ったりするといいよ」 
「持久走が得意でねばり強いんだから、学んだことをくり返し覚えていくといいよ」
「後かたずけができるんだから、きちんとした計画を作って学習すると力が伸びるよ」
というようにです。
 すると、子どもは勉強以外のことが学習に結びつくことに気づき、しだいに「やる気」をだしていくようになるのです。
 また、このことは、ほんとうの学力を身につけるうえでも重要な意味があります。というのも、本当の学力は成績のことをいうのではありません。自分で疑問を持ちながら真理・真実を解き明かしていくことの力のことをいいます。
 また、他の人と学び合いながら、そこで体得する認識・行動・感性の総合的なものをいうのです。
 したがって、子どもが自分の生活と行動に自信を持って認識の獲得に挑むようになることは、ほんとうの学力に迫る土台となります。それは、子どもの将来にわたって、学ぶ意欲を持続させる土台ともなるのです。
 親に「学習の方法がわからないので、つまずいているみたいです。どうしたらよいでしょう」と、相談されることがあります。
 大人たちが少し考え合ってみれば、子ども自分でやれることが二つ見つかります。それは
(1)
わからない点を友だちや先生に質問すること
 質問は、わからないことを見つけだして他の人に聞くことです。ですから「わかるため」というだけでなく、その子の自発性を培うのに大きな意味をもっています。
 また、疑問が解けて知的要求が満たされれば、自分の努力の成果ですから感激も大きいのです。
 
そして、友だち同士でやれば友情も深まりますし、先生に教えてもらえば多面にわたって見識を身につけることができるでしょう。まさに一石二鳥いや四鳥にもなるわけです。
(2)
学んだことをくり返しながら身につけること
 人間は何もかも覚えている人などいないでしょう。ですから大事なことは、くり返して覚えなければどんどん忘れてしまいます。一度学んだだけですぐ身につくということはありません。
 そこで、くり返し覚えるのですが、その過程で新しい発見をしたり珍しいことに出会ったりすることもたくさんあります。たとえば「保険」という漢字をくり返し覚えているうちに「検査」「倹約」のけんという字は「へん」がちがうことに気づいたという子どもがたくさんいます。
 ですから「くり返し」は記憶を確かにするだけでなく、想像・創意を豊かにする役割ももっているということができるのです。
 今の子どもが「くり返し」ができないのは「速くて便利な方法」を追求してきた社会が「やればできるはず」の子どもの力を封じ込めてしまっているのです。大人たちこそ反省しなければならないことなのです。
 懇談で親たちは「言われてみれば、そのとおりですねェ」と、うなずいてくれました。私は「今からでも決して遅くはない」ということを強調したいのです。
 それには教師が授業で「質問」を大事に扱い、それを「子ども同士の学び合い」で解決できるように指導することが大事です。
 また、親は「質問とくり返し」の大切さをわが子に話してあげ、時間と手間をかけて実行できるように励まし援助してあげるとよいでしょう。
 親と教師が共同して、その努力をすれば、必ず子どもの力を呼び起こすことができます。それが実行できてくると、生きる力となる学力が子どものものになっていくと思います。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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他職を経て教師になり12年、経験したこととは

 私は教師になるまでの十年間を地方公務員として過ごしました。直接子どもを教える仕事ではありませんでしたが、この間の経験が、後の教職生活の基礎となったと思います。
 教育センターでの仕事が私の人生を変える二の大きな出来事に出会いました。
 一つ目は、教育の現場を外側から見るという経験をしたことです。教育センターのロビーは展示室を兼ねています。市内の学校の展覧会などが開催されます。子どもたちの資質にそれほど大きな差があるとは思えないのに、作品にはかなりの違いがみられます。子どもたちの力を伸ばし発揮させる教師の影響力の大きさに驚きました。
 二つ目は、教育センターに勤務されていたF元校長との出会いです。人間性に触れ、教育のすばらしさを味わい、私もまた現場に出てみたいという思いが強くわきあがってきました。
「教師になりたい」という私の願いは家族から猛反対されました。教師である夫からは、教師は決して甘いものではない、母からは五歳と二歳という幼ない子がいるのに、という母親の立場からでした。
 人生はたった一度しかなく「今」という時間は二度ともどってこないので、夢はあきらめることはできませんでした。
 昼は仕事、夜は家事や育児、みんなが寝静まってからの勉強。しかし無事合格し、教職について赴任したのは奥多摩の緑豊かな小学校でした。自宅から一時間半ほどかかりました。
 教職はやりがいのある仕事で、毎日が充実し、遅くまではりきって働いていました。でも、母とわが子には苦労を強いてしまいました。
 半年たつと、道徳主任になり、東京都小学校道徳教育研究会(都小道)に入会しました。これが私と道徳教育の出合いとなったのです。
 転勤して、二校目で自分を変えた三つの契機は
(1)
教師としての力を高めようと努力した
 良い教師になるには、まず何か一つ、専門とするものを持つことだと思います。人間の力には限りがあります。「一徳は万徳に通ず」です。私にとっては、道徳教育がそれに当たります。
 道徳は人間が人間としてより良く生きていく心を育む大切なものです。教師と子どもがともに語り合い、考え合い、感動し合う心のふれあいの時間でもあります。
 私がつたないなりにも教師としての技量を高めることができたのは、都小道で、すばらしい授業を数多く見せていただいたおかげだと思っています。授業を見ることほど勉強になることはありません。
 また、東京都の教育研究員として研究をしていたとき、同じ研究員の教師と語り合い、教育にかける情熱にふれさせていただきました。私がくじけそうになったとき「私もやらなくては」と思いを新たにして、元気になって帰ることができました。
(2)
待つことを学んだ
 五年生の担任になったとき、一人の女の子が転校してきました。その子がいじめられました。
 いじめた子はすぐわかり、いじめた子と保護者を交えて真剣に話し合い、またクラス全員にも指導しました。しかし、心から納得していないような何かいやな雰囲気が残りました。
 クラスがいったん嫌悪な状態になってしまうと、元にもどすことは大変です。そうなる前に、先手を打っていかなければなりません。
 この出来事をきっかけに、私は教育相談の大切さをひしひしと感じました。深い子ども理解と、先を見通して問題を解決していく力を身につけることは、教師にとって欠くことのできないものだと思いました。
 そこで、スクールカウンセラー講座を受講する決心をしました。一年間通い続けた結果、自分が大きく変わっていったことを発見しました。それは「待つことができるようになった」ということです。
 私は「俺についてこい!」タイプの教師であったように思います。それまでの私では考えられないほど、ゆったりと子どもを見られるようになりました。子どもの個性の違いにどう対応し、どう伸ばしていくかを考えるようになってきました。
(3)
学校全体に目を向けることを学んだ
 校長先生から、保健主任などの仕事を任され、常に細やかな指導を受けました。自分のクラスのことだけでなく、学校全体を見渡せる人間になるようにという配慮であったと思います。
 私の教師としての理想は、体全体で子どもとぶつかり合うことです。そのためには、教師としての専門的な力量を磨くと同時に、人間として魅力のある人になりたいと願っています。
 ふり返ってみれば、あっという間に過ぎてしまった12年の歳月でした。うまくいかないときの方が多いような気がします。もともと根は楽観的な方ですが、落ち込むこともあります。
 悪いことのくり返しになったら、きっぱりと悪循環をたち切らなければなりません。そんなとき、私は一度、立ち止まってみることにしています。そして、次の二点を点検します。
(1)
子どもへの要求が高すぎないか
(2)
子どもへの要求が多すぎないか
 目の前のこの子たちの現在の実態をしっかり把握し直して、少しずつ目標を高めてやることが大切です。
 先輩が教えてくれた言葉に「教師の力以上の子どもは育つが、教師の想い以上に子どもは育たない」というのがあります。
 教師の意識が低いときや、もうこのへんでいいやと思ったとき、そこで止まってしまうような気がします。何としても、こんな子に育ってほしいという夢は、大きくもっていたいと思います。
 ずっと高学年を担任していますが、毎回子どもたちは違います。同じことのくり返しではなく、子どもたちの変化に柔軟に対応していけるような「しなやかさ」をもっていきたいと思います。
(
平林和枝:東京都公立小学校教師。道徳教育の著作多数あり)

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子どもとコミュニケーションをとり、毎日無理なくつながるには、どうすればよいか

 「子どもたち一人ひとりを大切に」というスローガンは日本中の学校で掲げられているでしょう。大切な考え方と言えます。
 しかし、子どもたち一人ひとりを大切にするために、具体的にどうしていけば良いか、あまり語られていないのが実情です。具体的にどう取り組めばよいのでしょうか。
 子どもたち一人ひとりを大切にするために、まず一番に心がけなければならないことは、毎日1回はクラスの子どもたち全員と一対一のコミュニケーションをとるということです。一日に1回も関わらないで、その子を大切にしているとは言えません。
 では、どうやって子どもたち一人ひとりとコミュニケーションをとるのか。おすすめなのが授業中に「机間巡視をしながら子どもに声をかける」ということです。
 机間巡視しながら「おっ、いいね」「すごい」などと、ほめたり、「もう少しでできるね」と励ましたりします。「おもしろいデザインの鉛筆だね」など、たまには授業と関係のないことを話しかけるのも良いでしょう。
 とにかく、1時間の授業で1回は子どもたち一人ひとりに声をかけるのです。これを一日5時間の授業で行えば、5回も声をかけることができます。
 その際、子どもとアイコンタクトをとって、優しく微笑みかけることができれば、さらに言うことなしです。目をあわせたほうが、子どもは教師とコミュニケーションをとったという実感を持ちます。
 こうしたことを行うために、1時間の授業で子どもたちの個人作業の時間を最低でも10分は取るようにします。
 教師が話をしてばかりの授業ではこうした取り組みはできません。子どもたちがじっくりと考える時間を確保するようにしましょう。
 この時間を確保することは、学力の向上にもつながります。ぜひとも教師がクラス全体に向けて話す時間を削り、子どもたち一人ひとりに声をかけるように心がけるとよいと思います。
(
滝澤 真:1967年埼玉県生まれ、1992年より千葉県公立学校教諭、台北日本人学校派遣教員等を経て、袖ケ浦市立小学校教頭。木更津国語教育研究会代表)

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通知表の成績について保護者に抗議されたとき、どうすればよいのでしょうか

 わが子の成績が、なぜこのような評価になるのか、根拠を示してと保護者に激しくせまられたとき、どうすればよいのでしょうか。
 通知表の成績について抗議する保護者には、次のような傾向があります。
(1)
わが子の努力や成果が評価されていないことで不満
(2)
塾などではよい成績なのに、学校の成績が塾のように評価されていない不満
(3)
日頃の教師の指導が行き届いていないのではないかという不安
(4)
日頃のテストなどではよい点数を取っているのに、その成績が通知表に反映されていないのではないかという疑問
 保護者の心の奥には、通知表が悪いということだけでなく、日頃授業で、本当に子どもを見てもらっているのかという不安もあるわけですから、安心してもらうように時間をかけて話し合うようにしていくことが大切です。
 不満を訴える保護者は、教育に関心がある人が多いものです。日頃の指導法について関心があるわけですから、授業中のことや、子どものことについて話し合い理解を深める機会にするといいでしょう。
「このごろ少し大きい声で本を読めるようになってきました。家でも読む応援をしてくださるからだと思っています。底力があるのだと思います」
というように、子どもの様子、特に親の気づかないよさを話題にして、家での様子をたずねると、保護者も心を開いて話に乗ってきてくれます。
 通知表への不満を解きほぐし、よさや可能性について話題を広げていくようにします。
 通知表の評価について教師の自信のない反応は、保護者に不信と不安を与えることになります。逆に放漫な態度はかえって反発されます。
 子どもがよくなるためには、どうしたらよいかについて考え合うために留意することは
(1)
優れているところ、得意にしている所を伸ばし自信をもたせる
(2)
もう少し努力をすれば、力が発揮できるところを見つける
(3)
親に協力してもらうところ、教師が引き受けるところはどこかを理解し合う
 保護者の一面的な思い込みで誤解をされないようにするには、子どもにとって今何が大切か、学習という話題で話し合うと理解が得られるものです。
 保護者の抗議に、感情的に対応してはなりません。腹がたっても、それをおさえることができてこそ、教師なのだと思うことです。
 保護者の言い分をよく聞いて、その後に教師が発言するといった、慎重さも大事です。問答無用といった姿勢をみせれば、わかり合える話も、わかり合えぬまま終わってしまいます。保護者との信頼関係は、一歩一歩築いていくものでしょう。
(
吉永高司:元大津市立小学校管理職)

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小学生が学級崩壊を経験し、その学級崩壊から学んだこととは

 小学二年生のとき、父の転勤で東京から地方の学校に転校しました。無口な男の担任の先生がいないところで、僕を含め四人ぐらいがいじめられていました。
 僕は小学三年生のときに学級崩壊を経験しました。毎朝学校に着くと、すぐけんかが始まって、若い女の担任の先生が来ても止まりませんでした。
 その担任の先生は「けじめをつけましょう」と口では言うけれど、叱るときもぐちぐちと迫力がないし、授業にめりはりがなくて、みんな学校に来るだけでストレスがたまっていました。
 初めは、いじめの中心だった三人の男の子が授業中に関係のないことを大声でいったり、先生を無視したり、トイレに行って帰ってこなかったりしました。
 特に、ストレスのたまりやすいAくんが爆発して、休み時間にみんなに八つ当たりをすると、みんなもどんどん爆発していき、何も対応できない担任の先生の授業を無視し始めました。この状態が一年間続きました。
 四年生になり、学校内では厳しいと言われている男の先生にかわると、ぴたりと止まりました。
 その担任の先生は休み時間になると、みんなと遊んでくれました。授業もメリハリがあっておもしろくなりました。
 子どもたち一人ひとりの話もよく聞いてくれました。僕たちに心のゆとりと、本当の優しさを教えてくれました。
 それからは、授業の妨害も、いじめも、けんかも、なくなりました。
 いま僕は六年生です。四月に父の転勤でまた東京の学校に転校してきました。
 今思うと、担任の先生が子どもたちに、どう接していくかで決まると思います。先生と子どもたちとの距離です。先生と子どもの心のピントが大切だと思います。

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先生の意識を変えると生徒が変わり伸びる、先生や学校を変えるには、どうすればよいか

 学校を変えるためには先生の意識を根本から変えなければいけない。私はシンプルなことから始めました。それは挨拶です。
 先生は教室に入ったとき生徒に挨拶します。学校は思い出や感動を生み出す場所です。それには先生の根底に「元気」が必要てす。元気の素になる最初の行動が「挨拶」です。
 私はいろいろな学校に行くことがあります。その学校の雰囲気は挨拶に一番表れます。先生が挨拶できないと生徒に伝播します。
 挨拶は、それだけでお互いにいい気分になります。人間はいつもちゃんと挨拶してくれる人のほうが好きになってしまうところがあります。
 挨拶は習慣です。単純に勇気も必要です。人としての徳においても大切です。人間関係を築くための最初の一歩が挨拶です。
 私は「先生は経験ではなく、志で決まる」と考えています。「志が高く、先生としてのあり方」が身についた先生は視点をはずしません。年齢にかかわらず、「志が高い先生」がいい教師です。
 志の高い先生は、その生徒のためにしてあげられることを常に考えています。志の高さは意識が高さといってもいいでしょう。「こうしたほうが、もっとよくなるだろう」「ここを変えていったらいいだろう」とすぐ気づきます。そして行動します。
 生徒を注意するときも、生徒がよくなるための注意と、先生の怒りを発散させるだけの注意ではまったく違います。志の低い先生は、その場その場で自分の怒りを発散させるだけの注意になりがちです。
 志の高い先生は生徒のことを考えた結果であり、その子のために必要だから注意をします。そうやって「志の高さをずっと持って、真正面からじっくりと生徒に向き合う」のがいい先生なのです。
 先生の志の高さは、三学期が終わったクラスの状態を見ればわかります。クラスの生徒は担任を映している鏡です。終業式のクラスの状態がその担任の状態を表しているのです。
 そのときに人格が豊かな、志の高い、心の温かい子どもたちに満ちあふれていたら、それは担任がそういう人だからです。
 反対に表面だけを追うような、表層的な部分だけで行動したり、ものごとを考える担任がいたとします。そのクラスは三学期の終業式のときには、そのような表層的な部分でしか生きられない子どもばかりのクラスになってしまいます。
 それは長年の教員生活で見ていて、すぐにわかります。よく「何年かたたないと教育は結果が出ない」と言います。そんなことはありません。たまたま悪いクラスにあたった、ということも先生から聞きます。 クラスがよくなるのも悪くなるのも担任しだいです。
 その結果、担任の志の高さが終業式の生徒に表れるのです。そして、学校の志の高さは卒業式を見ればわかります。卒業式は生徒も先生も涙して、なかなか帰りたがらないとき、それを見て私は、すべての担任のクラスがうまくいっている、と思います。
 私たち先生の仕事は3Kに近いものです。きつくて、汚くて、危険です。教材研究、ふだんの業務、部活動を完璧にこなそうとすると、ほとんど休みはありません。教室がいつもきれいな状態であるためには、泥まみれになって掃除もします。
 しかし、こんなに崇高な仕事はないと思っています。仕事してきて「よかった」「うれしかった」と卒業式に生徒と一緒に泣けるような仕事は他にありません。自分の幸せにも直結します。そんな素敵な卒業式を迎えられるように、先生は生徒と日々向き合っています。
 私は生徒を大事にするとともに、先生を大事にしました。先生を大事にしたら、先生が生徒を大事にしてくれます。
 職員室で、校長が先生の良いところをみつけて「ほめ」スターのようにスポットライトを当てて光輝かせてあげる。先生たちが職員室で輝けば輝くほど、先生は教室で子どもたちをスターにするのです。
 人は認められるとうれしくなります。自分を知ってもらえると安心します。校長である私は、先生のことを全部わかってあげなければいけません。
 新しい学校に赴任したとき、先生と面談して「どんな学校にしたいか」とじっくりと話しを聞いた。「生徒と真剣に向き合い、生徒一人ひとりを伸ばしていくことのできる学校」と先生の答えは皆同じだった。
 そして、学校の進むべき道を明確に決め、「子どもが安心して通えて、私たち先生を信用して、信頼して頼れる学校」とした。
 いばっても人は絶対に動きません。いくらかっこいいことを言っても、実際に態度で大事にしているという気持ちが伝わらなければ動きません。全部わかってあげて、真剣に向き合っていきます。私の志が先生に投影されて、先生が変わっていきます。その先生がそれぞれのクラスを変えていくのです。
 私は先生を大事にしましたが、そのなかでも特に着目したのは学校が好きな先生です。情熱があり、学校が好きな先生というのは、生徒が好きで、そして自分を伸ばしたいという表れでもあります。学校が好きな先生たちを中心に変えていったほうが、すべてうまくいきます。
 では、どうやって学校を変えていったのか。まず、学校が好きな先生に「授業をするから見に来てください」と言いました。授業はこうやるんだということを全部話しました。授業のやり方を覚えてもらい、もう一度、本来の自分を取り戻してほしかったのです。
 その後、学校が好きな先生から一気に広がり、授業を見にくる先生は、ものすごい勢いで増えました。しだいに、先生たちも恥ずかしさを捨てて、もうがむしゃらに学ぶんだ、というふうになっていきました。
 情熱的でない先生も、わかりやすい教え方を知ったとき、目を輝かせていました。やはり、先生になる人はみんな心に熱いものを持っていました。
 先生という職人は、腕のたつ職人の言うことはよく聞くものです。そのためには、校長が圧倒的にうまい授業や生徒指導をして見せる必要があります。そうすれば、職人である先生は、頭領である私についてきます。
 学校を変える主役は先生です。
 先生をまず変えます。生徒を変えるよりもまずは先生を変えます。重要なことは先生にワクワクしてもらうこと。先生が自己改善をし続けること。先生が変われば授業が変わる。授業が変われば間違いなく生徒が変わります。
 先生が一致団結しないと学校は変わらない。学校としてみんなが同じ方向に向かって努力すると、先生が伸び、生徒が伸び、学校が伸び良い結果が生まれます。
 学校の進む方向や道は、幅広く設け、ここで先生に好きなようにやってもらう。
 先生はそれぞれでやり方が違う。進む道が狭いと個々の先生の個性を殺してしまうので許容範囲を広くとる。目指すところが同じなので、共通の目的・哲学を根本的な部分で共有するようにします。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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教師になって20年経ち、経験したこととは

 教師になって20年経ち、少しは広い視野で学校というところを見られるようになって初めて、小学生でも中学生でも、ましてや高校生に至っては、気持ちのほとんどが学校生活以外を向いているという子どもが結構多いということがわかってきました。
 私の教員生活の中で、何となく気分がすぐれず疲れていたように感じていたのは、そういう学校に目の向かない子どもや、その保護者たちとの対応だったのではないかと、今なら思い当たるのです。
 学校嫌いの子どもが学校に来て、学校の仕組みからはみ出したとき、その子を指導したり、相談にのったりすることは、私にとってそれはとても難しいことでした。
 二つ目の学校は東京都立高校の伝統校でした。生徒の気質も私に合っていて、自分はいきいきと毎日を送りました。教師になって十年目、30歳前半のことです。
 授業もいろいろ工夫ができました。同じ世代の数人の教師で、お互いの授業を見せ合いました。そんなことが出来たのは、国語科の教師同士、仲が良かったからです。
 二人の教師が東京都の高校の国語教育研究会の研究授業をすることになったとき、自然と予行演習をしようということになりました。
 まず同僚たちが生徒の役になって模擬授業をしました。そのときには、実際の授業よりずっと質の高い質問が飛び交い、研究授業する教師は冷や汗です。
 しかし、本当はそういう授業を皆やってみたいのです。時間の経つのを忘れ、本当に充実したいい時間でした。
 こういう楽しさはもう二度と味わえないかもしれませんが、このことは今でも私の授業を支える基礎になっています。
 国語科はあたたかく、常に磨き合うという雰囲気でした。授業も共通教材でやっていました。解釈の仕方、文学や言語にかかわる専門のことや、授業についての言葉が飛び交っていて、日々活気がありました。
 このような、人生を楽しんでいるような教師たちの空気は生徒たちに伝わります。こういう状況下では、生徒は何でも教師に話してくれます。生徒の情報が学年の教師に伝わってきます。
 ○○という生徒が△△先生の時間にどんなことを言ったか、また何をしたかみんなわかっていますから、教師と生徒との絆が強くなります。
 こういう良い関係があると職員室にいるだけで、生徒の抱かえている悩みや迷いがある程度わかるのです。そして、教師自身もまた、自分の知らない分野に対して妙な劣等感を抱いたりしなくても済むようになっていきます。
 しかし、20年間の教員生活は順風のときばかりではありませんでした。初めての出産後、半年の育児休業をとっている間に、入学してくる生徒の様子も変わり、教員の構成が異動で大きくかわりました。
 さまざまに変わったところに戻ったとき、私は自分の居場所がなくなってしまったように感じました。
 二年の担任をしている途中で産休に入ったのですが、代わりに入ってくださった教師に遠慮し、復帰したあとは、この学年の授業にでることも控えたのですが、それがかえって自分の居場所をなくす結果になりました。
 このときは、初めての育児、そして仕事の両立という個人的に初めてぶつかる困難も重なったのだと思うのですが、退職したいと校長に申し出るところまで自分を追い込んでしまいました。
 しかし、申し出たあとで、とてもとても淋しく感じました。もうこの仕事ができないと思ったとたん、自分が教師という仕事を本当に好きだったと気付きました。
 そう感じていたとき、校長と教頭が、それは丁寧に引き留めてくださいました。今しみじみありがたいと感謝しています。
 自分は国語の教師として生徒といい授業を展開したいのです。あの国語科の若々しい雰囲気をどこかで追い求めている気持ちがあるのかしれません。
(
原田あけみ:東京都立高校国語科教師)

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保護者とどのように接すれば、クレームを生まず、信頼関係が深まるのでしょうか

 いま、保護者への対応に苦慮する教師が増えています。時代が変わっても、保護者はわが子を心配し成長を願っています。教師は「自分がこの子の親だったら、どう思うだろう」とその親の気持ちをしっかり受けとめる必要があります。
 日ごろから、保護者とどのように接すれば、クレームを生まず、信頼関係が深まるのでしょうか。それには
(1)
すばやく対応する
 すばやい対応は、教師の情熱が保護者に伝わり、保護者の信頼を深めるきっかけになります。「先生は真剣に考え、動いてくれた」となるのです。
 教師は、問題を把握した瞬間から解決に向けて行動を始めなくてはなりません。機を逸してはすべて無になります。対応の遅れは、保護者の教師への不信を増長させる原因になります。
 教師は保護者から苦情や相談を受けた後は、対策を立ててすぐに行動に移ります。保護者に「このようにしました」と連絡することが大切です。
 その成果は、子どもの変化に現われます。例えば「あれから、友だちと仲良くしています」と伝えましょう。子どもの変容という事実こそが、保護者の信頼を得る最大の方法なのです。
(2)
気になる子どもは、すぐ連絡を
 友だち同士のトラブルや教師の指導については、必ず子どもに納得させて帰らすのが基本です。たとえ完全に納得しなくても、下校前には、その子に目をかけて丁寧に接してあげましょう。「先生に心配してもらった」と感じれば、保護者も悪い気がしないはずです。
 子どもがスッキリしない顔で下校し「これは納得していないな」と感じたら、必ず保護者に連絡を入れるようにします。そうすれば、事情を正確に保護者に伝えることができます。手間を惜しまず連絡することが大切です。
 保護者に事実を正確に伝えるためには、当人だけでなく、周りで見ていた子どもたちからも情報を集め、原因や経緯を正確に把握する必要があります。必ずメモを取りながら行います。
(3)
保護者が来校するときは、笑顔で迎える
 苦情などで保護者が来校することがあります。そんなとき、保護者は、不満そうな顔で何か言おうという雰囲気が漂っています。それを見て、教師が緊張して身構える姿勢を見せれば保護者をさらに興奮させます。
 保護者が来校するときは、笑顔で対応し冷静になってもらうことが必要です。不思議なもので、笑顔で対応されると、それまで苦情を言おうと燃え上がっていた気持ちも、調子がくるい、少しは冷静になるでしょう。
 子どものケガや病気など特別な場合を除いて、「忙しいのに、子どものために、ようこそ」と、笑顔で保護者を迎えましょう。
(2)
保護者の勝手な言い分も、余裕を持って、共感しながら聞きましょう
 保護者の話を否定的に聞くと「自分の気持ちがわかっていない」と、保護者ますます教師を責める危険があります。
 保護者は自分勝手でわがままなことを言ってくることもあります。しかし「その気持ちわかります」という教師のひと言が、保護者の気持ちを和らげ、保護者との距離を縮め、話し合いを円滑に進めることにつながります。そのためには、余裕を持って保護者に対応する必要があります。
(4)
保護者が感情的になっても、冷静さを保つ
 保護者が感情をあらわにし、威圧的な態度を取ると、教師は慌ててパニック状態になることもあります。
 感情をぶつけてきた保護者に対しては「相手のペースにのらない」ことを心がけて対応します。相手の言葉をまに受けてカッとなったり、慌ててパニックを起こしたりしないようにします。
 教師は、自分が保護者の話し相手ではなく「誰かに話をしている」と考えるようにします。保護者の感情が「おさまるまで待とう」というくらいの気持ちで、心を落ち着かせることを第一に考えましょう。
 感情的になっている保護者の気持ちを分析しながら相手にしていると、冷静さも保てますし、後の対応にとても役立ちます。こちらが、冷静に対応していると、相手も冷静さを取り戻すようになります。話し合いはそれからでも十分にできます。
(3)
一人だけで対応しない
 一人で対応すると、後で思い違いが生じたとき「言った、言わない」と水掛け論になり、さらに大きなトラブルになる恐れがあります。特に経験の少ない教師は、複数の教師で対応するようにしましょう。
 話し合いに参加してもらう教師は、記録を取ってもらい、話し合いが一通り終わったら、話し合った内容を「ということで間違いありませんね」「これからは、この方向で指導することになりますね」などと、再確認してもらいましょう。
(4)
記録を残す
 後日、話し合いの経過や結果の確認が必要になることがあります。記録を残すことで、正確な事実確認をすることが可能になります。
 保護者が気分を害さないよう、話し合いをする前に「大事なことを忘れないように、メモを取っておきます」と、ひと言ことわっておきます。
 ずっと下を向いてメモを取っていては失礼です。「これは大切だ」という言葉やポイントをサッとすばやくメモするように心がけましょう。電話での対応も記録をします。
(5)
保護者への返事は慎重に
 保護者からの相談や苦情についての対応は、必ず学年主任や管理職に報告します。
 話の内容によって、その場で即答できるものもあれば、学年主任や管理職の指示を仰がなくてはならないものがあります。慎重さを欠いた安請け合い的な返事は、後で大きなトラブルのもとになります。
 学校のきまりはどうなっているのか。学年全体として考えずに、一人の担任の立場で返事(約束)をして良いのか。その場の雰囲気に流されていないか。早くその場から逃れたい気持ちがないか。など、気になることが出てきます。
 迷ったら即答しないのが鉄則です。回答を待ってもらい。主任や管理職に相談したうえで、回答しなくてはなりません。
(6)
保護者と一緒に考える
 保護者から子育ての悩みを相談されることがあります。親と教師は共に子どもの成長を考える協力者として対応しなくてはなりません。
 保護者から相談があった場合、保護者と一緒に考える姿勢を示すことも大切です。「どうすれば良いか」を保護者と一緒に真剣に考えるのです。
 教師が大まかな方針を提案し、具体的な方法を一緒に考えるようにします。例えば、わが子が「勉強がわからないと言っている」というものであれば、
「集中力が身に付けば成績も上がると思うので、良い方法を考えましょう」といった具合です。
 ズバッと解決策を示すよりも、一緒に考えながら導いてあげるほうが、保護者には心強く感じられ、後々頼りにもされるようになります。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良市立公立小学校教頭。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」という主張のもと、「叱り方」研究会を立ち上げる。講演会や専門誌での発表活動を行っている)


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話しの通じにくい保護者には、どう対応すればよいのでしょうか

 話しの通じにくい保護者に、多くの教師が苦労していることを私は知っています。信じられないような話も、全国各地で聞きました。
 例えば、子どもが学校でケガをしたので家へ電話したところ、それほどのケガではないのに母親が救急車を呼び、教師たちが唖然としたという話があります。こうした事例は枚挙にいとまがありません。
 大人たちのモラルや良識の崩れは、子どもの荒れどころではないとさえ思います。もちろんこうした保護者とのつきあいは、容易なことではありません。
 電話などでは無理でしょう。つごうをやりくりして、家庭訪問して、直接話し合うのがよいと思います。若い教師は一人ではなく、ベテランの教師に同行してもらうのも必要なことです。
 子どもや保護者に信頼される学校づくりを強く意識して取り組まないと、保護者との深いつきあいをつくりあげることはむずかしいと思います。
 教師が保護者に気づかうべきことを具体的にあげると
1 話の通じにくい保護者には
(1)
話の通じにくい保護者ほど正確な情報がつかみにくい環境にあったり、保護者の生育過程が苦難の多かった場合が多い。したがって、時間をかけ、あきらめずに合意づくりを続けるようにする。
(2)
電話や家庭訪問がむずかしい場合は、手紙がよい。とりわけ厳しい生活状況下にある保護者には、励ます手紙が必要といえる。
 手紙で成果を生んだたくさんの実例があります。例えば、わが子に暴力をふるう父親が、女性教師の幾度となく出した手紙によって改心してくれたという話。
 ツッパリの子を放置していた両親が、教師の手紙によってわが子に目を向けるようになったという話など、明るい話があります。
(3)
教師だけで話が通じない場合は、他の人の仲介で合意づくりをするのもひとつの方法です。間接的に他の人がかかわってくれたことにより、教師の願いが実現した例もあるからです。
(4)
話の通じにくい保護者でも、わけへだてなく対応することが重要。「いつかわかってもらえる」ことを期待しながら。
(5)
子どもへの虐待のおそれがある場合や、保護能力に欠ける保護者には、当然のことながら児童相談所、人権擁護委員会などとの協議が必要です。児童福祉施設での保護も必要となってきます。
 自分だけで判断し対応するのは、決して好ましいことではありません。一刻も早くその子を苛酷な状況から救出するために、全教職員で話し合い、全校的な問題として考え合うことが大切です。
2 日常的な保護者とのつきあい
(1)
子どもに何か問題があったときだけ電話などで連絡するのではなく、進歩したこと、成長したことも伝えるとよい。
(2)
病気などで欠席した場合、すばやく電話してようすを聞くことが大切。保護者とのつきあいの大事なチャンスにもなる。
(3)
連絡帳・学級通信・学年便りなどは、事務的な連絡だけでなく、子どもの姿を記し、教師の思いや心が伝わる工夫をするとよい。
(4)
大事なことについては、電話でなく、必ず訪ねて対話する。
3 学級懇談
(1)
保護者が話しやすいように、日常の班・グループを活用した座席にすると効果的。
(2)
懇談のはじめは子どもたちの進歩してきた事実を伝え、家庭での進歩のようすも聞いてみる。そして、欠点や課題については、後半で話し合う方が充実する。
(3)
勉強について話題にするときは、具体的な資料を用意し、保護者に「よい点・悪い点」がよくわかるようにする。また保護者が何をすればよいかが理解できるように、具体的に提案する必要がある。
(4)
話すことに抵抗のある保護者が多い場合、小さな用紙を配布して「話したいこと・聞きたいこと」を書いてもらい、それにもとづいて懇談するもの工夫のひとつ。
(5)
学級の行事(お誕生会・レクレーション・体験学習など)には保護者の参加を求め、共同してすすめるよう工夫する。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)


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子どもと「楽しいやりとり」でつながると、指導効果が上がり教室が明るくなる、どうすればよいか

 教師の皆さんは、授業を楽しんでいますか。教師にとって、授業は最も難しいものであり、最も楽しいものでもあります。
 その授業の楽しさの一つに「子どもたちとのやりとり」があります。教師からの問いかけに、子どもの意外な発言に思わず大笑いしたことは誰しもあると思います。
 楽しい「子どもたちとのやりとり」で子どもたちとつながると、教師の指導の効果があがり、教室が明るい雰囲気になります。
 子どもたちと「やりとり」する際、次の2点に注意する必要があると思います。
(1)
教師が子どもとのやりとりを心の底から楽しむ
 人が他人から受けとる情報の7割は、非言語コミュニケーションといわれています。
 目を大きく開けて驚いたり、手をたたいて大きな声で笑ったりするなど、表情、身ぶり手ぶり、声の変化などをフル活用して、子どもたちとの「やりとり」を心から楽しむことが、子どもたちとつながろうとする意思を示すことになります。
(2)
子どもたちの反応をよく見る
 教師だけが楽しんで、子どもが楽しんでいないのでは、意味がありません。子どもたちをよく観察し、タイミングをよく考えて取り組むといいでしょう。
 なかには、乗ってこない子もいるということも承知で取り組むといいでしょう。「これをやったら絶対にうまくいく」というものはありません。子どもたちと共にペースを合わせながらやってみてください。
 授業に多少の無駄な部分を意識的に設けることで、授業にメリハリができ、楽しい雰囲気ができて、子どもたちのやる気を引き出すことができます。つぎのように、子どもたちとの「やりとり」を楽しんでみてみださい。
(1)
ダジャレでおもしろい雰囲気を                        
 ちょっとしたダジャレで、子どもたちとの「やりとり」をつくりやすくなります。例えば、図形の学習で「平行四辺形はこうやって書くんだよ。へえ、こう書くのか、ってか」
(2)
反応が悪かったときこそチャンス
 授業で発問したとき、反応がなかったり、挙手が少なかったりするとき
「ごめん、今のは英語だった。きみたちにわかりやすいように、日本語でもう一度言うね」
と、もう少しかみ砕いた言い方で問いなおします。
 また、ダジャレに反応がなかった場合、教師が「今のは笑うところなんだけど」と言って笑顔で強制したりします。
(3)
グッスは魔法の道具
 子どもたちと「つながる」ためには、グッズなど使うと便利です。
 厳しく指導したいとき雰囲気が悪くなる恐れがあります。そのとき、ハンドパペットを使って、そのキャラになって話すと、感情的にならずに指導することができます。
 節分のときに、鬼の面をして授業をしたりすると、子どもたちは大喜びして盛り上がります。
(4)
雑談でつながる
 授業中の雑談が子どもたちと教師が「つながる」ことがあります。授業の流れの中で、教師自身の体験談や失敗談を話すと、教師の人間味や生活背景を子どもたちに示すことになります。
 また、子どもたちに人気のアニメやテレビ番組などについて雑談をすると、親しみをもってくれるようになります。
 授業内容に関連する歴史上の人物の人柄やエピソード、理科の実験の豆知識を話したり、流行りのキャラクター、時事ネタを混ぜて話したりすることで、子どもの頭に残りやすくなります。
(5)
隠すとワクワク感が
 教材を紙袋に入れて教室に持ってきて、わざと子どもたちに見せないと、子どもたちは「何々~?」と興味を引かれます。
 板書で重要な所を四角囲みに白抜きすることで知識をあえて隠すと、子どもたちの知的欲求を引き出すことになります。
(6)
板書をわざと間違える
 わざと間違えると、子どもたちは必ずといっていいほど反応してきます。そこで「そう、実はここはよく間違えやすい所だから、あえて間違えたんだよ。よく気付いたね」と、趣意を説明して正しい書き方を指導します。
(7)
子どもたち一人ひとりとコミュニケーションする
 子どもたちのやる気を引き出すには、個別に声をかけることが最も効果的です。教師に声をかけられ、ほめられたいのです。
 子どもたちに活動させたり、ノートに書かせたりするときは、机間巡視をしながら個別に声をかける大きなチャンスです。 
 ちょっとした声かけを毎日積み重ねていくことが、子どもたちのやる気を引き出すことにつながります。
 私たち教師がずっと不機嫌な顔をしていたら、子どもたちは当然、嫌な気持ちになるでしょう。子どもたちが気持ちよく過ごせるように、教師は毎日、笑顔で上機嫌に過ごす必要があります。
 でも現実には、仕事の忙しさ、子どもたちのトラブルなどで、余裕が失われ、笑顔でいられないときは、たくさんあります。しかし、笑顔で居続けようと意識することはできるはずです。
 
「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」という言葉があります。笑顔でいれば、自然と楽しい気持ちになり、声のトーンも明るくなり、優しい口調で話せるようになります。
 そのためにも、ふだんから、鏡の前で笑顔の練習をしましょう。続けることで、自然と笑顔でいられるようになってきます。
(
堀内拓志:三重県四日市立小学校教師)

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初任者や若い教師が授業の腕をあげるには、どのようにすればよいか

 ある初任者指導研修会で、私は次のように初任者の先生に問いかけた。
「あなたがたは、これから授業をいっぱい積み重ねていけば、そのうち授業の腕が上がっていくと思っていませんか?」と。
 すると、ほとんどの初任者の先生はこっくりとうなずいている。
「ああっ、やっぱりそうだったんだ!」と私は思った。
 このことが幻想であることは、すぐわかってくる。いっぱい授業を積み重ねている中堅やベテランの先生たちが、たいして上手な授業をしていない現実に気づいていくはずである。
 授業の腕をあげるためには「意図的な授業づくり」を試みていかなくてはならない。  
 初任者の先生の一番の不安は、どのように授業をこなしていったらいいかということである。初任者の先生がどんなところで悩み、つまずくのでしょうか。
 授業の準備はどうすればよいか。どんなに忙しくても授業づくりで「はずしては、いけないこと」がある。それは「この1時間で、子どもにたちに何を学ばせていくか」。これが抜けてしまうと、焦点がぼけてしまうので、子どもたちは学んだことが身につかない。どうするか
1 まず、ノート一冊を準備しよう。 
2 1時間目からの授業メモを記入する。 
(1)
その授業の本時目標をメモする。
(2)
「始め-中-まとめ」での発問や活動などをメモする。
(3)
授業後の反省を簡単に書く。
例えば、国語(物語文「大造じいさんとガン」)の教材研究は
1 教科書を、最低2回は読み、場面分けすることが必要。
2 指導書で次のことを確認する
(1)
単元目標を確認する
  場面の移り変わりに気をつけて、中心人物の行動や心情の変化を読む。
(2)
指導したいこと(具体目標) 
 大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化を読み取る。
(3)
時数を確認-6時間
 指導書を調べることや、ネット検索が教材研究だと誤解しないことである。大切なことは、自分なりの教材研究ができるように力量を高めていくことである。
 初任者の授業を見ていると、共通しているのが、授業の8~9割を教師がおしゃべりをする。せめて教師のおしゃべりは5割に収めていく必要がある。残り5割は、子どもに次のような活動をさせる。
(1)
ノートに書かせる(書く活動)
(2)
どんどん発言させる(話す活動)
(3)
話し合いをさせる(話し合い活動)
(4)
作業や体を使う活動
 初任者の授業は、ほとんどが、一部の子どもが「挙手発言」する授業になっている。授業は、子どもの「全員参加」をどのように組み込んでいけるかにかかっている。全員参加すれば授業は安定していく。
それには、授業の基本的なかたちとして
(1)
学習課題を確認し、説明し、発問して子どもに考えさせる。
(2)
子ども一人ひとりが、自分が正しいと思う解答をノートに書く。
(3)
発表する。(教師がペア、グループ、座席の列などで、子どもを指名し発表させる。複数の発問で全員が発表できるようにする)
 授業をしていて、初任者が心配なのは「子どもたちに学力が身についているか」ということである。
 初任者は最初、初任者なりの授業しかできない。これは仕方がないこと。しかし打つ手はある。「基礎・基本」を毎日繰り返し練習させることである。
 どうするのか。例えば、国語は「漢字・音読」、算数では「計算、公式」をさせる。国語は新出漢字を毎日2,3字扱っていく。本時の音読を必ず5分取っていくようにする。
 算数は、授業の最初と終わりに5分間復習する。毎回することによって基礎的な学力が確保できるようになる。
 初心者が次のような状態で授業ができるようになったら、まずは合格である。
(1)
子どもたちの顔を見ながら授業をしている。
(2)
きちんとはっきりした声で子どもたちに話している。
(3)
子どもの間を机間指導できている。
 授業がまずいと、ざわざわし、落ち着かない子、つまらなさそうにしている子も目立つ。どうしたら子どもたちをひき付ける授業になるのだろうか。
 はっきりしているのは、すぐには授業技量を上げることはできないということである。指摘をうけても克服することは、なかなかできない。
 意識して積み重ねないと授業技量は向上しない。授業技術は、繰り返し行い、意識しなくていい程度の状態になって、初めて身につく。
 確実に授業技量を上げて行くには「一人研究授業」を私は提案したい。どうするのか?
 簡単に言えば、自分の授業を録音して、それを聞くことである。録画という方法もあるが、まず、肝心なのは自分の指導言「発問・指示・説明」である。そのことに集中したほうがいい。
 授業では、教材研究の成果は「指導言」に集約されるからである。それを向上させていくことが、授業技量を上げて行く大きなポイントになる。では「一人研究授業」は具体的にどのように行うのか。
1 自分の授業を録音する
(1)
研究授業ではなく、普通の授業がいい。
(2)
子どもたちには「先生が勉強するために録音するだけだから」と断ればいい。
2 がまんして聞く
(1)
はじめは最後まで聞き通すことは難しい。
(2)
自分の声、あいまいな発問や指示、説明に嫌気がさすためである。でも、その授業を、子どもたちは毎日聞いているのである。そう考えて、がまんして聞く。
3 自分の指導言「発問・指示・説明」の問題点(口癖、無駄な言葉など)をチェックし、きちんとメモをする。
 これを「月に一回」行う。でも、時間に余裕があれば、もう少し短時間に回数を繰り返しできればもっといい。
 例えば、1回目で次のような反省がメモされたとしよう。
(1)
話が一本調子で、暗い感じで話している。
(2)
だらだら話していて、指導言がめちゃくちゃだ。
(3)
フォローがほとんどない。
 2回目は、次のような視点を設けて、授業に取り組んでみよう。
(1)
指導言「発問・指示・説明」をきちんと区別できるようにしよう。
(2)
フォロー(いいね。すばらしい、その調子、ステキ)を入れるようにしてみよう。
 この研究法で技量が向上するのは「自分の授業を客観視することができる」からである。
 最初に録音した授業を聞くと、自分の声や話し方に嫌気がさす。あまりにも自分でイメージしているものと違っているからである。
「私は、こんな声や話し方をしているのか?」と、がく然としてしまう。
 でも、ここからである。この感想から、どのように立ち上がれるかが、これからの教師生活を決めてしまう。それくらい大きなできごとである。
(
野中信行:1947年生まれ、元横浜市立公立小学校教師、学級組織論を研究、実践を私家版で発行した。全国各地で教師向けの講座やセミナーを行っている)

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責任を他人のせいにする母親が増えてきています、よい父親になるにはどうすればよいか

 自分の子が具合の悪いことをしたとき、その責任を他人のせいにするのを他罰主義と言います。このところ他罰主義的傾向の母親が相当増えてきています。
 他罰主義的な傾向の強い母親は、たいていのことは自己中心的に物事を処理します。授業参観で授業中だというのに、顔見知りの親同士で、まったく授業とは無関係な話を平気で交わしています。
 他罰主義的な言動を親が示していると、子どもは自分の行いのよしあしをきめる指標を持たなくなっていきます。
 そのため、子どもは自己中心的な考えの子になってきています。自分が悪いのではなく、教師とか、友だちが悪いために、自分がその犠牲になっているのだというとらえ方は、子どもの心を貧しく、手前勝手な人柄にしてしまいます。
 他罰主義は、子ども心に「ぼくの言うとおりにしなかったから、殴ったり蹴とばしたのだ。悪いのはあいつだ」と、すべて自己中心的な見方や感じ方を助長することに手を貸すことになります。
 友だちをいじめたりしても、自分の不都合さは棚上げにして、すべて相手のせいにしたりします。成績が悪いのも、教師の教え方が拙いためだとし、自分が勉強を怠っていることに原因があると思わないようになります。
 そして、自分から努力していくことこそ、もっとも大切なことだということを知らないままで過ごすことになります。これでは、子どもの成長がひどく歪みます。
 よい父親になるにはどうすればよいのでしょうか。子どもにとって快いお父さんになるのは、かんたんです。
 ひとつは、わが子が大好きということです。もうひとつは、わが子のすてきな面や、すぐれたところを実感として知っていることです。
 そうすれば、わが子を尊敬するようになります。いつのまにか、ものの言い方も変わってきます。おのずとていねいな話し方をするようになります。
 そして、お父さんの得意技を伝授したり、幼少のころの遊びや風景や行事などを語って聞かせるようになります。
 悪い成績でも「いまは、あまり勉強していないからだよ。だから30点しか取れないのだよ。でも、これから百点まで伸びていく楽しみがあるじゃないか。こんどは50点ぐらいの点を取っておいでよ」と、プラス思考でわが子を認めていくようになります。子どもから見て、安心できることが、良きお父さんなのです。
 子どものよいところを知っているというお父さんは、愛情面だけでなく、理性面においても成熟した父親だといえます。
 大人の世界でもそうですが、相手のすぐれた点や、長所が分かるようになってくると、相手の人も自分を信頼してくれるようになってきます。そして、仕事もはかどり、職場の雰囲気ものびのびとしてきます。
 また、母親に対しても、
 
「しつけは、愛情と根気がいるよ。どなりつけたりしないことだ。微笑と優しさを通じてしつけるべきだ。うちで欠けているのは慈しみじゃないかな」と、少し機嫌のよい時を見計らかって、おだやかに妻に言うべきでしょう。
(
岸本裕史元:19302006年、神戸市生まれ、小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)結成し、代表委員)

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教育は子どもとの関係づくりから始まります、どのようにすればよいのでしょうか

 子どもと大人が、よい関係をつくるのは大人の役です。学校で教師と話の通じない子が一人でもいたら、それは教師の責任です。教育はまず、子どもとの関係づくりから始まります。
 私が山深い里の学校から秋田市の学校に転勤しました。初めての町の子どもたちが、担任の私をわざと無視して繰り返すいたずらに、その都度、神経質に注意し説教をしていたのです。
 新参者の私は、同僚たちに負けてなるものかと、精一杯に立派な説教、厳しい注意を心がけました。
 ところが不思議なことに、同僚たちの平凡な注意に、ガキ大将たちがよく言うことを聞くのです。どうしてなんでしょう。
 教師と子どもとの間柄には、わずかの言葉で注意しただけで素直に従うという関係もあるし、教師が立派なことを言えば言うほど軽蔑し、厳しく注意すればするほど反発する関係もあるということを、私は子どもたちから、しっかりと教えられました。
 教育は、教師の知識や技術、発言する言葉によってではなく、教師と子どもとの信頼関係によって成り立つものであったのです。教育は、教師と子どもの人格の出逢い、人間性の触れ合いとして行われるものであったのです。
 知ったかぶりをして、おしゃべりをする私は、授業もキザであったし、子どもを支援する心遣いも不十分で、考えてみれば、子どもに尊敬され、信頼される実績は何もなかったのです。
 ただ、説教と注意だけは同僚に負けないほど立派だったと思うのですが、一人ひとりの子どもに対する愛の実績の伴わない言葉は、子どもの心に少しも響かなかったのです。
 必死に説教する私の言葉を、子どもたちは「関係ない」とはねつけていたに違いないのです。私が毎日のように注意し説教する子どもとの間には、熱い血の通う人間関係など何もありはしなかったのです。
 では、教師と子どもとの人間関係づくりは、どうればよいのでしょうか。
 それは、その子の上に、教師が温かい心を雨のように降り注いであげることです。できる限りの善意と親切の手を差し伸べてやることです。千回裏切られても愛することをやめないことです。
 
「ああ、こういう大人もいるのか、大人も信頼できるものなのか、私の先生はいい先生だ」と、疑い、警戒しながらも、子どもの心がそんなふうに動いてくれば、その子は教師の話を少しは聞くようになります。少しは話すようにもなります。
 子どもと教師との間柄は、人間関係が出来ている分だけ話が通じるのだと私は思います。人間はお互いに助け合って生きていく生き物ですから、いちばん助けてほしいところに助けの手を伸べてくれる人と人間関係が出来るのだろうと思います。
 問題行動を繰り返す子どもの心の奥には、大人の理不尽な仕打ちに傷ついて、血を流して泣いている所があるのです。問題行動は、助けを求める信号に違いないのです。
 いちばん助けてほしいところに助けの手を伸べてくれる大人がいれば、子どもはその人に温かい人間を感じ、凍った心も溶け出して少しずつ話をするようになるのだと思います。
 長い間に形成された大人不信を抱いた子と、心のつながりを持つことは、並大抵のことではありません。いっときの親切や、気の向いたときの言葉かけなどでは、人間関係はできません。
 それに、教師と子どもとの間にも相性みたいなものがあるらしくて、人によって、心の通じ合うのに長い時間がかかることもあるのです。
 そういう時こそ教師仲間の出番です。教師みんなの結束や、学年の連帯で、お互いに、自分ではやれない所を助け合うことです。
 ほかの教師のよさを子どもに語るのには、何の遠慮もいりません。ほかの教師が子どもに「○○先生は、陰ではお前のことをほめていたぞ」など、本人が言えば鼻持ちならぬ言葉も、他人が言えば美しいのです。悩みぬいている同僚のために、これぐらいのことは言ってあげられます。
 こういう教師集団の中で、未熟な教師も次第に成長し、いままでは通じなかった説教や注意が、その子の心の中に染み込むようになるのです。話の通じる関係づくりには、教師仲間の力添えも欠かせません。
 学校におけるその子の親は担任です。周りの教師は、決して自分だけがいい子になることなく、多少は悪者になっても、その子と担任の絆が結ばれるように手助けしてあげるのが人の道です。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校長会長を務めた)

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授業中、不安を感じる子や、おしゃべり、立ち歩く子がいるとき、どうすればよいのでしょうか

 授業時間は学校生活の中で多くの時間を占めるため、授業で子どものやる気を引き出すチャンスはたくさんあります。うまくいかないときがあっても、別の時間に取り返すことができます。
 1時間、1日の授業だけで、子どもたちとの関係が築かれるわけではありません。毎日少しずつ積み重ねていくことで、子どもたちとつながっていくのだと思います。子どもたちに安心感を与えられるように、子どもたちと粘り強くしっかりと向き合っていきたいものです。そのためには
1 授業に不安を感じている子どもたちには
 たくさんの子どもたちが集まる教室では、楽しいと感じ授業に臨む子どももいれば、「できるかなあ」と不安を感じている子どももいるはずです。
 私は「できるかなあ」と不安を感じている子どもたちが「大丈夫。一人じゃない」という気持ちを持つことができるようにしたいと思っています。
 授業でわからない課題に出会ったとき、仲間に聞いてもいいし、教師に聞いてもいい学級にしたい。
 
「一人ではできないことも、みんなと一緒だったらできるかもしれない」と、思えば、難しいことでも挑戦できるかもしれません。
 仲間の力をちょっとずつ借りながら、無理だと思っていたことも達成できたら「自分にもできた! 次もやってみようかな」と、次の意欲へとつながります。このような成功体験の積み重ねが自信へとつながると考えています。
 教科によっては、ある知識について「○○博士」と言われるくらい、とても詳しい子どもがいます。そのような子どもが活躍できる場面を意図的につくります。
「歴史博士の○○くん。よかったらみんなに、織田信長のこと教えてほしいんだけど」とお願いします。そして発表後「教えてくれたありがとう」と、たくさん学べたことを伝えます。
 教師自ら子どもに「教えて」と聞く姿勢を見せることで、「聞くことは恥ずかしいことじゃない」と子どもたちに思わせることができます。それと、認められた子どもと教師がつながります。このような場面を、いろいろな教科で少しずつ繰り返していきます。
 ペアやグループ学習で、わからないところを「教えて」とたずね「これは・・・・」と伝えている姿がみられたときは「いいね、こういう場面がたくさん出てくるにしたいよね」とすぐに子どもたちに伝えます。
2 授業中におしゃべりする子どもがいるとき
 授業に参加せずにおしゃべりをしていたり、ノートに絵を描いていたりする子どもがいます。以前、私は「サボっている」と、腹を立てて、その子を叱っていました。
 しかし、子どもの視点に立って、どうしてやりたくないんだろうと考えました。そうすると「やらないのではなく、やれない理由があるのかも」と思いました。
 勉強の内容がわからない。しかし、教室にいなくてはいけない。「どうしたらいいの? つらいよ」という訴えが、おしゃべりなどの行動に出ているのではないかと考えるようになりました。
 だから、叱るのをやめました。できるだけ寄り添うように声をかけ、どこでつまずいているのかを理解して支援するようにしました。具体的には次のようにしています。
(1)
そばに行って「○○くん?」と名前を呼び、授業に意識を向けさせる。
 
「はっ」として取り組み始める子もいます。「あ、しまった」と自分で気付いてできるようになる子もいます。
(2)
「今ね、この問題やっているんだけど、どうかな、できそう」と、やることを確認する。
(3)
やろうとした努力の跡を見つけて「ここまで頑張ったんだね」「ここから、わからなくなっちゃった? 一緒にやろうか」と、やろうとした意欲やできているところを認め、最後まで取り組めるように支援する。
 教師は気付かないうちに、教師という色のついた「メガネ」をかけてしまっているのではないでしょうか。ありのままの子どもの姿をとらえ、支援していくことで、子どもは「先生、わかってくれた」と感じ、やる気を出すことができると思います。
3 集中力がなく、立ち歩く子どもがいるとき
 声をかけても、それだけでは難しい子どももいます。先生に注目されたと感じ、注意されても繰り返します。
 以前の私は「なんとかしなければ」と、つい手をかけすぎて、一人の子どもにつきっきりになってしまったことがあります。しかし、子どもの行動は全く変わらず、学級も落ち着きがなくなってしまいました。
(1)
授業中に立ち歩いたり、不適切な発言には対応しない。自分の気持ちが抑えきれずに怒り出した場合も対応しない。
(2)
その子が頑張ったことや適切な行動ができた場合は、小さなことでも認めて思いっきりほめる。
 集団の中で不適応を起こす子に対して、私は「どんなあなたでも、先生は大切に思っている」という気持ちをもつようにしています。そして、子どもが「先生は自分の味方」と思えるように粘り強く寄り添います。
 適切な行動ができたときには思いっきりほめることを繰り返していくうちに、少しずつ変化が見られるようになるでしょう。
 毎日少しずつ積み重ねていくことで、子どもたちとつながっていくのだと思います。そして、子どもと教師の間に信頼関係が築かれ、安心感が生まれます。安心感はやる気へとつながります。
(3)
学級の他の子どもたちを大切にする。
 授業に参加しない子につきっきりになってしまうと、学級の他の子どもたちは、一生懸命に授業を受けているのに待たされることになります。「先生は○○くんをひいきにしている」という気持ちが出てきて、教師との関係が崩れてしまいます。
 教師はそれ以上は対応せず、他の子どもたちと楽しく授業を進めていくことも必要だと思います。子どもたちは、この対応を見て「先生は私たちのことも大切にしてくれる」と感じることができるからです。学級の雰囲気も温かくなります。
(
白根奈巳:愛知県名古屋市立小学校教師)


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学力を身につけ勉強大好きという子どもに変えるには、どうすればよいのでしょうか

 計算練習をやっても、たいして頭を使うわけではないし、考えをつけるうえでほとんど役に立たない。だから文章題とか、もっと難しいことをやらないと頭がよくならないと思っている人はとても多い。
 おそらく9割以上の人はそう思っていることでしょう。そういう思いは、親だけでなく、多くの教師もそう思っています。私もそうでした。
 しかし、川島隆太教授()が、ごく単純な計算に取り組むと、計算をつかさどる左頭頂葉だけでなく、前頭葉・頭頂葉・後頭葉と、脳全体が活動していることが発見されたのです。
 脳神経細胞同士のつながりが強化され、太くなり情報が非常に流れ易くなっていく。計算練習は、まさにそういう働きをする勉強でと言えます。
 読み書き計算の力は、毎日毎日の短時間集中型の勉強を継続して取り組むなかで、子ども自身がびっくりしたり、感動したりするほど、目覚ましく伸びていくのです。
 学力を身につけるには、毎日、ほんの少しの時間でよいのです。そう、小学校一年生であれば、日に10分、三年生なら30分、六年生であれば60分、それだけの時間を、読み書き計算の練習に当てるのです。
 こつこつと続けてさえいけば、一学期間に驚くばかりの伸びを示します。この体験は、子どもを勉強大好きという子に変えていきます。取り組んだ子には、自信と誇りをもたらします。「やったらできる子なんだ」と、その子の人格の発達に好影響を及ぼします。友だちに親切で、学級の仕事もよくやり、信頼される子どもへ成長します。
 子どもたちの未来は、確かな読む力、書く力、計算力という学力の基礎をしっかりと身につけるかどうかにかかっています。
 読み書き計算という地味な勉強は、子どもが根気よく、粘り強く、勉強や仕事を続けていく心性を育てあげていく効果的な学習です。読書好きの子にすること、書き取りの練習を毎日続けていくこと、計算が正しく早くやれるように、こつこつ勉強を積みあげていくことは、学力と人格をつくりあげていきます。
 読書は、文字や文章を読むことによって、新しい知識や考え方を吸収していくことができます。内容そのものは、活字を読むことを通して理解していくのです。ということは、書かれている文章の中身を明確にイメージ化しないと理解できないということです。
 テレビといった映像文化は、読書という文字文化に比べると易しい文化です。目で見、耳で聞くことを通じて瞬間的にわかる文化です。
 文字文化は、読み書き計算といった学力の基礎を身につけなければ理解すらできません。その習得には月日がかかり、相当な習練を要します。その獲得の過程では、集中力・持続力・継続性といった力がしっかりと身についてきます。
 貧しい家庭の子どもでも、多少恵まれた家庭の子どもでも、学力や人格が発達するするためには、学力の基礎としての読み書き計算の力が確かであるということが土台になります。それなくしては、高い水準の学力や知性をわがものとすることができません。
 学力を身につけるには、毎日、ほんの少しの時間でよいのです。そう、小学校一年生であれば、日に10分、三年生なら30分、六年生であれば60分、それだけの時間を、読み書き計算の練習に当てるのです。
 漢字は新しく教わるとき、漫然と同じ字を百字帳に書き続ける練習は効果があがりません。できれば、その字の成り立ちや意味もいっしょに教わると、たいてい一生の間、その記憶は保持されます。
 漢字が読めるというだけでなく、書くことも、その意味も、そして文の中での使われ方も併習させていくことが適切なやり方です。
 実際の文章の中での使い方も一回きりではなく、日を置いて何回か練習させたり、別の使い方をすることによって、子どもの身についた力に体化していくのです。
 物語文学などの読み物は、子どもの心を豊かにします。優しさ、思いやり、美しさや正しさなどを教えてくれます。すぐれた感動的な物語を読むことで、他の本も読みたくなったりするものです。
 文学の授業では、子ども同士が自分の体験に照らしあわせての意見や感想を出しあうことで、教師も含めて、その作品を深く理解していくことができるのです。せかせかした授業では、決して読み物好きの子にすることはできません。
 日本語では概念的・抽象的思考をするとき、必ずといってよいほど熟語を使います。熟語の意味が分からないでは、読み通すことすら困難となります。
 計算の練習も、やはり広い意味での世界を認識するうえでの初歩的な勉強になっているのです。
 例えば、小数や分数を教わるとき、それまでの四則演算だ得た認識では、想像もできなかった数の世界がひらけてきます。小数で、1より小さくて、0より大きい数があるということを知ります。
 また、ある数に小数をかけると、答えが元の数より小さくなってしまいます。これは、子どもにとっては、全く新しい世界の発見であり、知的ショックそのものとなります。
 計算力も算数の学力を伸ばすうえで、分析と総合の能力をつけていく大切な勉強なのです。
 特に顕著なのは、わり算練習です。これは全体と部分をつかむ力、それに分析と総合の力なしでは、正しい答えを求めることはできません。例えば、61403÷768を計算するとき、正しい答えは8よりもちょっと少ないかなと見極めてから、実際の演算に移ります。暗算で概算して、見当をつけてからやると桁間違いしません。
 習熟してくると反射的にできるようになりますが、そこまでになるには、反復練習を続けて練習しないと、すらすらできるようにはなりません。
 わり算が自由自在にできる域に達した子は、算数のよくできる子になります。その反対に、わり算でつまずいた子は、勉強の嫌いな子になっていきます。
 計算力は、練習密度の濃さに比例して伸びていきます。だらだらとしたやり方では力はつきません。わきめもふらず少なくとも10分は集中して続けます。それを毎日やっていくことです。
 かけ算九九は、ゼロの段を含めると全部で100題あります。その100題を正しく書き切るには、小学2年で2分、3年なら100秒で完答します。この速さでやれるようになるには相当量の練習を積まなければなりません。10000題は必要です。多いように思われますが、10分で500題やれる子であれば20日でできます。
 家族の人よりも速くできれば、大喜びするようになります。勉強嫌いだった子も勉強大好きの子に蘇えってくれます。この100マス計算は、子どもに自信を持たせる最良の勉強法です。
 最も基本となる一けた同士のたし算や、くり下がりのある15ひく7といったひき算には、いろいろなやり方があります。他の友だちの知らないやり方を見つけたり、いろいろと工夫して発見した方法を発表すれば、先生も、友だちも心からほめてくれます。子どもの向学心を高めてくれます。
 計算の練習に時間を浪費すべきではないといった考えの教師や大人は意外に多いですが、実は漢字や計算の練習によって、能力や勉強への気力を格段に高めていくのです。
 学力の優劣は、学力の基礎である読む力・書く力・計算力にほぼ規定されます。学力の高低は、その土台である言語能力によってほぼ定まります。なかでも、書きことばにどれだけ習熟し、活用できるかが学力の指標になります。
 書きことばの習得は、教科書だけでなく、広汎な読書への取り組みによってなされます。
 小学校4年あたりからは、学校で教わる勉強も、日常的・体験的な世界から、非日常的・理論的・抽象的な勉強が多くなってきます。そのとき用いるのが、漢字の合成によってできている概念語・抽象語です。漢字は、論理的・抽象的思考の世界へ向けて、子どもたちを離陸させるうえで不可欠な力として機能します。
 計算も、いままでとちがった小数とか分数など日常的に使わない数などが出てきます。計算練習は、抽象度の高い考えや処理ができる能力がおのずと発達してきます。
 毎日こつこつと学級で10分ほど、また家庭でも10分ほど基礎基本の計算練習をしっかりやっていくと、やがて小学生なのに、大人を追い越すぐらい正しく速くできるようになります。
 計算練習を毎日の基本的な生活習慣として取り組ませるとよい。計算は練習の過程で、努力や集中力にほぼ比例して、正確性と敏速性が上伸します。その中で計算のやり方や意味も分かるようになってきます。
 計算練習は、打ちこみの度合い応じて、計算力がぐんぐん伸びていきます。当初の1か月ぐらいはあまり著しい進歩はありませんが、100日ほど、毎日10分ぐらい練習を続けていくことによって、子ども自身が自らの伸びを実感することができます。
 そして、ある日、親や兄姉をみごと追い越すまでになります。このときこそ、子どもが勉強大好きな子に変身します。子どもに誇りと自信をもたらします。
 自らの集中力×持続力×継続によって、こんなに計算がすらすらできるようになったのか、その喜びと感動は、自分を見直す契機となります。
 小学生時代の6年間は、子どもの発達を主導するのは、学力の獲得と習熟にあります。低学力のままでは、人格の発達もはかばかしくありません。
 教わることがよく分かり、読み書き計算の力を、毎日こつこつ続けてやっていくことにより、学力が身についていく-学力の体化がなされていくのです。
 学んだことが分かる、覚えたというだけでは、体化した学力にはなりません。反復的・再生的・応用的な練習を通じて学力は体化します。練習が少なくては、せっかく覚えたものも身にはつきません。
 読み書き計算という学力の基礎がしっかりと身についてくると、すべての知的活動にゆとりがもたらされる。読書速度も速くなります。知的好奇心が多様に広がり読書分野も広くなります。
(
岸本裕史元:19302006年、神戸市生まれ、小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)結成し、代表委員)
(
) 川島隆太:1959年千葉県生まれ、東北大学加齢医学研究所教授、医学博士。子どもたちが将来やりたいことができる大人になるには、(1)早寝早起きで、小学生であれば夜9時までに寝ましょう。(2)朝ごはんをおかずと一緒にモリモリたくさん食べること。(3)家にいるときは、家族と話をしたり、本を読んだりするように意識すること。(4)学校などでしている勉強も公文も、自分たちのさまざまな能力を上げる力を秘めている。

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若い教師は日常、学級づくりなど、どのように実践しているのでしょうか

 若い教師たちと話し合っていると、仕事の忙しさ、「授業の進度や掲示物を学年で合わせるように」と注意されるなど同僚の教師との関係づくりのむずかしさや、保護者が怖いという声も聞かれました。
 今日の学校がおかれている厳しい状況をそのまま反映したものですが、それにしても、若い教師が感じている窮屈さは尋常ではありません。
 その一方で、これほど厳しい状況のなかでも
「聞くことと、待つことを大切して子どもと関わっていきたい」とか
「子どもと通じ合えたと思える瞬間があるから、この仕事はやめられない」
といった、子どものそばに立ち続けたいという強い意志を、若い教師たちが持っていることに感動をおぼえました。
 おそらく、全国には、同じ思いを持つ若い教師たちが、泣き、笑い、そして少しずつ成長する日々を送っていることでしょう。
 どんなにすばらしい実践でも、その教師と子どもたちとの教室の文脈のなかで生まれたものです。同じやり方をしたからといって、自分の教室でうまくいくとはかぎりません。
 それよりも、悪戦苦闘しながらも、自分らしく生きようとしている「教師仲間たち」の思いにふれることが、困難な現実と格闘している若い教師たちをはげますことになるのだと思います。
 若い教師仲間たちがどんなとり組みをおこなっているのか集めてみました。そこには、若い教師の教育観や子ども観を垣間見ることができます。
1 座席の決め方
(1)
席替えはクラスの大事なイベントです。新しい人間関係がそこで生まれます。最初は名簿順、その後の席替えは「いろんな子と関係を作ることが大切」と伝えて、必ずくじ引きにします。
(2)
席替えは「くじ引き、先生の案、好きな人どうし」など、毎回どれにするか子どもたちと相談してから決めます。メリット・デメリットを話し合い、子どもたち自身で方法を決めるので、後から文句をいいっこナシになります。クラスの状況によって、けっこう変わります。
2 朝の会・帰りの会
(1)
1年生でも日直ができるよう、セリフの書いた紙を見えるところに貼っておきます。
 スピーチは朝、日直が必ずやる。原稿の型をつくっておき、前日の空いた時間や放課後に子どもを呼び、いっしょに考えるようにした。自分で考えられる子は原稿だけを持って帰った。
(2)
帰りの会で「今日、輝いていた人」「今日あった、いいこと」などを出させます。「今日、○○ちゃんが手伝ってくれた」とか、私が気づかなかったことを話してくれます。
(3)
今日、よかったことを言ったり、係からのお知らせを言います。帰りの会は短く。
(4)
帰りの会で「今日のステキ」というコーナーをつくった。
 友だちについて「やさしくしてもらったこと」「頑張っていたこと」「ステキなところ」を発表しあう。友だちからほめてもらえることで、自己肯定力が芽生える。「ステキな行動をしよう」とクラスのみんなに広まっていく。
3 給食
(1)
毎日、担任は一グループずつ回って子どもといっしょに食べる。お誕生日の子どもがいたら、係の子が前にでて、牛乳でカンパイ。
(2)
一班4人にして、一人一役リーダー制にすると、全員が責任もつことができてよかったです。給食リーダーが班員に声をかけて机を移動、マットを準備させ、静かに座ってるようにします。準備OKの班から日直が呼んで給食を取りに行くようにすると、静かでスムーズに早くできます。
(3)
デザートなどがあまったときには「おかわり券」方式にしました。一人一回使ったらもうそれ以降は使えない。このおかげで「今日は使わない」という子がいるので、じゃんけんで争奪戦という場面がありませんでした。
4 掃除
(1)
「キレイになったよ。ありがとう」と声をかけて回る。
(2)
一生懸命やっている子たちをとことんほめます。「このクラスは掃除が早くてうまい」とクラス全体をほめると、掃除のやる気もアップするし、みんなで協力するようになっていきます。
(3)
「天国と地獄」「剣の舞」など、テンポのよい曲を15分くらいかけます。毎回15分意識して掃除ができます。 
5 休み時間
(1)
外遊び(おにごっこ、ドッヂボール・・・・)します。
(2)
けん玉、ビー玉、おはじき等を教室に置いています。
(3)
外で遊ぶ時間にします。家に帰ったら外で遊ばない子が多い。体を動かすことはとても大事なことです。
(4)
とにかくいっしょに遊ぶ。子どものありのままの姿が見えるし、信頼関係ができる。先生が遊びに入ることでクラスのみんながいっしょに遊ぶようになる。男女仲よくなる。
6 教室掲示
(1)
子どもたちが集中しにくくならないよう、教室前面黒板の周辺は、あまりいろいろ貼らずスッキリさせる。
(2)
学習した内容は廊下側の壁に、各教科ごとに模造紙にまとめて掲示しています。子どもたちが前に学習したことを思い出すのに役立つようです。
 後ろの壁には、全員の「顔写真」と「めあて」がはってあります。
 そのそばに付箋紙がたくさん置いてあり、友だちのがんばっているところや、ありがとうを伝えたいことなど、自由に書いて、顔写真の下に貼っていけるようにしてあります。 書いてある内容は、帰りの会や学級通信でも紹介します。
7 係活動
(1)
面白かったのは「給食の時間を楽しくするお笑い係」で、曜日代わりでコントや「などなど」をやってくれました。
(2)
係があることでクラスが楽しく、明るくなる。みんなで必要な係を考え出し合って決めます。例えば、レク係、ギネス係、音楽係、お笑い係などです。できるかぎり自分がやりたい係になるようにします。
8 楽しい生活づくり
(1)
学級通信に子どもの作品をたくさん載せるようにした。高学年のとき、ユーモア詩を載せたことで、クラスの空気が変わった。
(2)
お誕生日会を2,3カ月に一回計画している。席替えしたときに、班対抗ジャンケン大会をする。
(3)
学期に1,2回お楽しみ会などの集会を開きます。司会進行、飾り付けなど、すべての仕事を子どもたちに任せ、教師はサポート役に回ります。やる前「みんなで楽しむ会にする!」と確認します。
9 叱る
(1)
頭ごなしに叱って、心が通じなくなってしまったことがよくあった。
「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたい?」と最後に問うと、子どもから「謝る」など出てくるので、お互い納得した解決ができたと思う。
 叱る言葉は一切言わず、聞くことに徹したことで、本心が出てきて解決の糸口が見つかった。
(2)
子どもに理由や願いを聞く。方法が間違っている場合は、間違っていると言い、願いは認める。納得するまで話は聞く。
(3)
ゆっくりていねいな言葉で話すように心がけています。感情的、一方的にならないよう努力して聞く姿勢を大切にしています。
(4)
先生が叱るときのポイントを子どもたちに提示しておく。
「命に関わる危険なことをしたとき」「人を傷つけた、いじめをしたとき」「うそをついたとき」
この3つがあったときは本気で叱る。
(
佐藤/隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

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保護者に信頼されるにはどのように接すればよいか、そのポイントとは

 学校と家庭の協力は、対等の関係で協力し手を結ぶものです。これまでは、学校や教師の言い分に保護者が従い、協力するものと思い込んできた傾向があります。
 今は、学校は教育サービスを提供する場だと考える必要があると思います。したがって指示的な話し方などは避けるようにします。
 教師は話し方や、話の聞き方など、保護者に対しては社会人として接し、それでいて気配りもできる。つまり、世間の常識を心得ている人になればよいと思います。
 教師は子どもを指導することが仕事ですから、その指導が確かなことが保護者から信頼される第一条件です。
 そして、保護者の意見に耳を傾けることのできる柔軟さも、教師には大事だと思います。保護者の意見の適否は後から考えればよいでしょう。
 保護者が発言すると、文句か批判としか受けとれないようなかたくなな教師の態度は、保護者との心の距離を広げてしまいます。教師は、人間関係づくりに巧みになってほしいし、それをおっくうがらないことです。
 ささいなことで、人間関係がつくられもするし、崩れもします。保護者の問い合わせに対する返事や連絡はすみやかに行うようにします。
 返事することを忘れたり、そのままにしたりすれば、誠実さが無いと思われます。大人同士のかかわりでは「忘れた」では済まされません。誠実さは、人間関係の土台です。
 言い訳、釈明、言い逃れはしない、爽やかさも必要なことです。詫びるときは詫び、主張することは、言葉を選びながらもきちんと話しましょう。
 大ふろしきを広げて「あれも、これも実践する」などと公言せず、できることから小出しに実践する慎重さも必要です。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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授業はテレビを見るように面白くないとチャンネルを替えられる、エンターテイメントとしての授業をものすごく要求されている

 全国有数の名門といわれる私立中学校の家庭科の女性教師。赴任して五年目。担任は受け持ったことはないが、女の子たちの話し相手になっている。「親しみやすい、上品なお姉さん」という印象だ。その教師にインタビューした。
 うちの学校は教師一人ひとりに専門性を強く求めていますから、授業も自由にできるんですよ。「わたしはこれについては誰にも負けません、だからこういう授業をやります」とアピールして、教務主任か校長がOK出せばできます。
 その一方で、教師どうし、お互いにアドバイスも何も言わない。「はい、今日からお願いね」という感じでしたから。「自由にやってみて」と、聞いても教えてくれない。 
 もうパニックでしたよ。他校の先生を訪ねて、資料を借りたり、テスト問題の作り方も指導してもらってました。
 今の学校に赴任するとき「他の学校の子よりも、礼儀正しくて、聞き分けがいいんじゃないか、大人みたいな感じなのかなあって」。だけど、そんなことなかったですね。
 いま、1,2年生のクラスの女子20人ぐらいを相手に授業をやってますけど、年々幼児化っていうんですか、進んできていますね。
 教室に行ったら、クラス全員がベランダの陰に隠れてたこともありましたよ。反抗しているわけじゃなくて、遊んでほしいんですね。無邪気ないたずらなんですよ。授業やりたくないから、五分でも10分でも、そうやって時間を短くしたいという気持ちがあるんでしょうけど。
 まあ、いちがいには言えませんけど、甘えてくる子の多くは、家が厳しいですね。「この学校に入れるには、受験準備をして、厳しくしつけておかないと」という親の思惑があるのか、家でのしつけが厳しい分、その反動が学校で出てきてる気がします。
 でも、中学校に入ってから、いわゆる落ちこぼれる子もいるんですよ。算数が数学に変わって、むずかしくなって、できなくなる場合もあるし、中学に入ったとたん、努力しなくなる子もいます。
 テストはできても、授業中に教師の話を聞かない子が年々増えているみたいです。そういう子は、塾に行ったり、家庭教師をつけてるんですよ。授業は聞かなくても、あとで教えてもらえばいいやという感じですね。
 いちばんしゃべりたい年頃ですから、授業中にしゃべるのは、しょうがないんでしょうけどね。でも、それを
「いつもあんたたち、騒いでる!」なんて言おうものなら、もう、大変。ふてくされちゃって、シラーッとしちゃいますからね。
 何で騒いでいるのか、把握してから注意しないといけない。
「前の授業が大変だったかもしれないけど、そろそろ気分を切り換えたら?」
45分、じっと話を聞いているのは、大変だと思うけど」
とか言ってあげると、「○○先生の授業は聞こう」となる。
 授業自体だって、テレビを見ているような感覚で聞いていますからね。おもしろくなければ「チャンネル替えちゃえ」みたいな、エンターテイメントとしての授業をものすごく要求されるわけですよ。
 たとえば、授業でビデオを見るとき「今日のは、ちょっとホラービデオになってるよ」と言うと「なんだろう、なんだろう」って、子どもは興味を示したけど、実際見たのは、食品添加物の安全性を考えるビデオ。
 教科書や参考書に書いてあることだけでなく、子どもたちが好きそうな言葉を使ってあげたり、最近話題のテレビの話を織りまぜないと、ついてこない。
 教材研究はもっぱらテレビでやっています。ドラマでも、クイズでも、お笑い番組でも、よく見るようになりました。
 いま、テレビではどういう情報が流れているのか。家庭ではどんなことが話題になっているのか。それを全部想像して、授業でしか教えられないことはいったい何だろうって考えるんです。
 たしかに時間も手間もかかるけど、わたし自身、そのほうがおもしろい。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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学級崩壊を起こさない注意の方法や、指導が難しい子はどうすればよいか

 注意や叱責で子どもたちを動かそうとする教師は意外と多くいます。最初は教師の注意が怖くて、子どもたちは注意されたことに従うことが多いでしょう。
 しかし、それは教師の怒りを収める対応にすぎないので、子どもは同じような行動を繰り返します。そして、子どもは教師の注意や叱責にだんだんなれてきます。
 したがって、注意や叱責で子どもを動かしている教師は、だんだんと自分の指示が通らなくなってくるのです。これは学級崩壊で苦しむ八割近くの教師が陥る盲点です。
 注意や叱責だけで子どもたちを動かそうとしないことが大切です。注意のあとの指導が大事なのです。 
「何を怒られたよく分からなかったけど、先生はとても怒っていた」と、教師の怒りだけに子どもたちの注意がいってしまうのは、注意の仕方としては失格です。
 そう考えると、注意や叱責で子どもを動かそうとするよりも、ほめて子どもを動かすほうが、次の指導に向かわせやすいすいことがわかるでしょう。
 学級集団に対して注意をするときは、子どもたち一人ひとりが自分の問題ととらえるようにするようにします。自分は関係ないという子どもがいると、学級全体に注意が浸透しないのです。
 その意味では、教師が行う注意が、学級全体になされるべきなのか、個別グループの子どもたちになされるべきなのか、個人になされるべきなのかという事前の吟味は必ず必要です。
1 学級全体に注意するとき
(1)
子どもの不安の強さに応じた注意をする
 教師の注意は、すべての子どもに同じように受け取られているわけではありません。平気な子どももいれば、注意に委縮する子どももいるわけです。強く注意し過ぎたなと思ったら、委縮した子どもをフォローしてあげることが必要です。
 従って、不安な子どももその内容を理解できるレベルがいいのです。
(2)
注意は短く簡潔にする
 人から注意されるのは嫌なものです。したがって、教師は注意する目的をしっかり定め、その方法を吟味し、簡潔に伝えることが効果的なのです。
(3)
気の緩みのミスは注意し、試行錯誤の失敗はその原因を分析させる
 怠慢やさぼりから起こってしまったミスは、なあなあで済ませると、ルールが崩れてきますから、小さなことでもキチンと指摘し、注意することが大切です。
 しかし、試行錯誤したうえの失敗は、意欲をほめ、次はどのようにすれば失敗しないかを分析させることが必要です。
(4)
子どもが気づかない問題は、注意するのではなく、質問や例え話をして考えさせる
(5)
教師の感情をつけ加える
 注意する内容を冷静に説明したあと「先生はとてもかなしかったな」と、自分の感情をサッと付け加えることで、子どもが反省する意欲を高めるのです。しかし、グチは逆効果になります。
(6)
注意したあとは、単純作業を
 注意したあとは、教師も子どもも気まずいものです。そこで、子どもが一人で作業ができるドリルなどを30分くらいやらせるのです。作業しながら教師の注意について考え心に定着させていくのです。 
 そしてその後は、その問題に言及しないで、次の授業に取り組むようにするわけです。
2 子ども個人に注意するとき
 教師の注意が子どもに受け入れられずに反発され、教師が特定の子どもと感情的にやりあってしまうことがあります。頻繁にあると、子どもたちの教師に対する信頼感が徐々に低下してしまいます。
 学級には、教師の感情を逆なでするような発言をしたりバカにしたような態度をする子どもがいます。このようなとき、事前に対応する言葉がけを身につけておけば、感情的になることを防ぐことができます。
(1)
注意するタイミングと場所、時間を考える
 他の子どもが見ている前で注意を受けた場合、子どもはプライドをひどく傷つけられたと感じます。
 注意する場合は、子どものプライドを傷つけない配慮が必要です。そのためには、注意するタイミングと場所、時間の長さを、その子に合わせることが必要なのです。
(2)
子どもの抵抗を軽減する
 まず、子どもが教師の言葉を素直に聞く姿勢をつくり、子どもの反発を少なくする関わりが大切です。例えば「きみも気づいていると思うが・・・・」という具合に前置きして、いきなり叱責しないような配慮が必要です。
(3)
注意する内容は現在の行動や態度だけにしぼって短く
(4)
フォローの仕方も計画に入れて注意する
 注意のあとのフォローは、子どもたちの感情の高まりを静め、冷静にどのように行動すべきかを考え、行動に移す意欲を喚起します。
(5)
責任のとり方、今後の対応の仕方を確認する
 例えば、掃除のさぼりを注意されたら、今日のさぼりをどのように責任をとるのか、明日からどのように取り組むのかを考えさせ、確認することが必要なのです。
3 指導の難しい子どもの対応
(1)
教師に感情をぶつけてくる子ども
 教師が感情的に対応したら指導ではなくなります。まず、教師が感情的になってしまう自分の問題は何かを考えることです。
 次に、感情的にならないよう、いったん断ち切る言葉がけや対策を事前に決めておくことです。例えば「これ以上話していたら、先生もキレちゃうから、あとはお昼休みに相談室でじっくり話しましょう」と、その場をいったん収めてしまうのです。
(2)
反抗的な子どもへの対応
 反抗的な子どもには、教師が途中でその言動を否定しないで、最初にどんどんしゃべらせるのです。その後、具体的な事実を提示し、そのことについて認めさせます。
 そして、対応策を教師がいくつか示して、そのなかから選ぶようにさせます。最後に、その内容を復唱させて、終わりにします。
(3)
注意すると言い訳ばかりする子どもへの対応
 注意しても言い訳ばかりして、徹底的に自分の責任を回避し、教師の言葉じりをつかまえて、逆に攻撃してくるような子どもです。
 こういう子どもには、少し淡々と接し、言いたいことを言わせた後に、「ではどうすれば いいの」と逆に質問します。
 答えられなかったり、「別に」とごまかしてきたら、「案がなければ先生が言ったようにやってみて。あとで違うやり方を思いついたら、伝えに来てください」と終わりにするのです。
(4)
聞く耳を持たない子どもへの対応
 このような子どもへの対応は、必ず一対一になれる場所と時間を確保してからする必要があります。教師はその子どものそばに寄り、感情面を中心にトーンを落として淡々と語ってあげます。
 最後に「きみはどう思う」と質問します。返事がなかったら、「先生の言ったことを考えておいてね」と伝えて帰します。
 反応がないからといって、その子どもに必要な注意を怠ってしまうと、それは他の子どもたちに転移します。教師が他の子どもを注意したとき「A男は同じことをしても、何も言われないじゃないか」と反発され、新たな問題行動を起こした子どもにも、注意しづらくなるのです。
(5)
自分は悪くないと言いはる子どもへの対応
 友だちをなぐって泣かしてしまったのに、自分は悪くないと言いはるタイプの子どもです。このような子どもは、まず心を十分に受け入れることが必要です。
 
「きみがA男をぶってしまった気持ちは、先生もわかるような気がするよ。もし先生が君の立場だったら、絶対にぶたなかったとは言い切れないものな。そのとき君はどういう気持ちだったんだい」
という具合に子どもの感情や思いを引き出し、受け入れてあげるのです。
 その後、今度同じようなことがあったら、どうすればよいのか二人で話し合い、暴力に訴えない他の行動の仕方を二人で確認するのである。
(6)
「別に」と言って心を閉ざす子どもへの対応
 このような子どもは教師に対して強い抵抗を持っています。子どもは、自分が説明したところで、教師にはわかってもらえないだろうというあきらめや、自分は教師に嫌われているのだという強い思いです。
 したがって、教師の質問に無理やり答えさせようとする必要はありません。しばらく待って「何か言いたくなったら、いつでも言いにおいで。きみが心に嫌なことがなく生活できるほうが、先生もうれしいからね」と伝えて帰します。
(7)
うぬぼれの強い子どもへの対応
 勉強やスポーツができる、家が金持ちであるなどという理由で、うぬぼれの強い子どもがいます。こういう子どもは、教師を軽んじ、注意してもたかをくくって、受け答えする場合があります。
 こういう子どもには、うぬぼれることへのいましめを一般論として、そして教師の感情も合わせて伝え、子どもの考えを語らせるのです。
 例えば「少し勉強ができるからといって、成績の悪い子どもをバカにするのは情けないと先生は思うんだけど、君はどう思う」という具合です。
(8)
あまのじゃくな子どもへの対応
 教師の注意に反抗して、反対なことをするタイプの子どもです。
 このような子どもには「こういうと君は怒るかもしれないけどね・・・・・」と言って、機先を制した前置きをゆっくりし、怒らないで話を聞こうとする姿勢を促すことも有効です。
(9)
プライドの高い子どもへの対応
 このような子どもは、最初にプライドを傷つけられると、注意をまったく聞かない状態になります。
 したがって、事前にプライドを満たす言葉がけをしておき「あとA、Bができるともっといいね」とより高いレベルになるためのアドバイスのような形で注意するのが有効です。
(10)
ものごとを投げやりにする子どもへの対応
 
「面倒臭い、もうこれでいいよ」と取り組みに対して投げやりで、その結果もおもわしくない子どもがいます。
 その投げやりな態度をいくら指導しても、なかなか変わらないと思います。逆にふてくされて、取り組むこと自体を放棄してしまうことも少なくありません。
 こういう子どもは、自分がいくら頑張ってもたいした結果は残せないんだとあきらめている子どもです。したがって、できる範囲で頑張ったらいい結果に結びついたとか、教師や周りの子どもから認められたという体験を積み重ねることが大事なのです。
 そのため、取り組む際に個人指導で「この辺を工夫するととてもおもしろいよ」という具合にビジョンを与え、意欲を喚起してあげることが必要です。
 そして、こまめに取り組んでいる態度をほめてあげたり、質問したりして取り組んでいることに教師が興味を持っていることを伝えてあげることが大事です。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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どのように叱れば子どもは変わるのでしょうか、そのポイントとは

 僕の怒りは本物です。でもこの怒りは、僕にとっても子どもたちにとっても必要な感情だと思っています。
 子どもたちに成長してもらいたい。子どもたちに自分の可能性を信じてほしい。だからこそ、子ども自身があきらめようとする時に、僕は悔しさと共に怒りを感じる。それは愛情の裏返しなのです。
 でも僕は、その怒りをそのまま子どもにぶつけることはしません。本来の目的は、子どもたちの可能性を引き出すことだからです。怒りを冷静にコントロールして、子どもたちの成長のために使うこと。これが、僕にとって「叱る」ということです。
 叱った後には必ず、子どもたちにフォローを入れています。フォローとはつまり、なぜ叱ったのか、理由を明確にして、本人が納得できるまで話し合うということです。
 そして、叱られた子どもが大切なことに気づき、少しでも成長が見えたら、必ずその子をほめます。「叱る」は「ほめる」と、セットになって初めて意味を持つものだからです。
 子どもたちがルールを守らない、やるべきことをやっていない時に叱らなかったら、子どもは本当に大切なことに気づけない。成長するチャンスを失ってしまうと思うからです。
 子どもたちを叱ろうとする時、僕にはすでに、叱った後で子どもたちが自信にあふれ、笑顔で動き出すシーンのイメージができ上がっています。
 ポイントは、子ども自身に考えさせることです。「きみのやったことに対して、きみ自身はどう思うんだ」と、まずは問いかけてみる。
 叱る側の愛情に裏付けられた怒りが伝われば、子どもは必ず誤りに気づいてくれます。そして、間違いを正すにはどうするべきかを、自力で考え始めるのです。
 考え始めたら、自分で答えを出すまで根気強く待ってあげること。一緒に考えてあげるという姿勢が重要です。
 根底にあるのは、もちろん子どもへの愛情です。子どもの可能性を信じ、成長を願う心です。
 叱るのにはとても大きなエネルギーが必要ですが、子どもの成長はきっと、その何倍もの希望を僕たちに与えてくれます。それは、叱ることで得られる、僕たちにとっての最大のご褒美なのだと思います。
 子どもは一人ひとり個性を持っています。ですから、こういう叱り方がいいとはいちがいには言えません。
 まず、子どもをまっすぐに見て、その子にとって今一番必要な「叱り方」がどういう形かを見きわめることが大切です。
 では、どうやって子ども一人ひとりの性格を見きわめるかといえば、それは「感じる」ということです。見た瞬間パッとわかる子もいれば、コミュニケーションを重ねて、なるほど、そういう性格なのかとわかる子もいます。
 大切なのは、こちらが愛情と関心をもって見ること。そうすれば、その子の性格が自ずと見えてきます。
 また、叱り方は、その子の性格だけでなく、僕との信頼関係の深さによっても変えます。
 たとえば、その子が自分に自信を持っていて、かつ僕を信頼してくれているという関係であれば、あえて「テニスをやめろ!」というような叱り方をすることもあります。叱咤激励することで、発奮してくれるからです。 
 中には、叱るべきでない子もいます。たとえば、その子が何をすればよいか自分で判断できる場合です。叱ることで何かに気づかせる必要がない子です。
 もうひとつは、いじめなどがある場合です。精神的に想像以上のダメージを与えてしまうこともあります。
 こうした背景を含めて、まずは子どもをしっかりと見つめ、今、何を一番必要としているのかを見きわめてあげてください。
 子育ては、とかくストレスがたまるものです。一度はわからせたつもりでも、子どもはつい同じ間違いを繰り返してしまう。すると、つい感情的に叱ってしまいます。
 感情的に叱らないために、自分自身を「客観視」してみることです。第三者的に自分を見ると、気持ちは落ち着いてきます。
 実際に叱る前に、心の中で叱る言葉を言ってみる。すると、もう一人の自分が教えてくれます。「それは、自分が感情的に怒っているだけじゃないのか」と。
 冷静さが自然に戻ってくる。すると、子どもを成長させたいという本来の思いにも気づくことができます。
 ひと呼吸おくというクセをつけておくのもよいでしょう。自分を心理的に落ち着いかせてから、子どもと向き合うと、意外と冷静に叱ることができます。
 どんな状況であれ、絶対に使ってはいけない禁句があります。
(1)
子どもの可能性を否定する言葉
 「お前には無理だ」「あなたにはできない」こんな言葉を言ってしまったら、子どもの可能性を伸ばすために指導しているのに、可能性は消えてしまいます。
(2)
身体的なことを否定する言葉
 身体的なことは、自分の意志では変えられません。身長が高い低い、太っている痩せている、といったことは個性です。身体的なことを否定するべきではありません。コンプレックスとして心に植えつけられてしまいます。
(3)
兄弟や友だちと比べる言葉
 子どもに劣等感を抱かせる言葉です。子どもは自信とやる気を失ってしまいます。
(
松岡修造:1967年東京都生まれ、元男子プロテニス選手、スポーツキャスター、スポーツ解説者。日本テニス協会理事強化本部副部長)

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授業中に立ち歩く子どもがいると他の子に影響がある、どうすればよいのでしょうか

 授業中に歩き回ったり、教師の指示を聞いていないなどの問題行動の多い子どもは、一昔前までは、落ち着きのない子どもなどとも思われていた。
 現在、このような子どもの中には、発達障害と診断される場合もあり、その原因は「心の持ちよう」や「しつけ」とは関係のない脳機能の障害であることが一般にも知られつつある。
 その症状の度合いや内容は様々であり、子どもの反抗や自己中心的な態度との区別が難しく、教師の判断も困難である。
 勉強についていけないことや、他の子と衝突を繰り返すことで、自信を失ったり、学校生活を楽しめない状況に陥ることも考えられる。
 授業中に歩き回る、教師の話を聞いていない、理解していない、などの問題がみられた場合、どのような理由に基づくものであるのかを観察し、保護者や養護教諭、スクールカウンセラーなどと、共によく検討する必要がある。
 学習に困難を伴う学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(AD/HD)では、視覚や聴覚からの刺激に影響を受けやすいことや、集中できる時間が短いことがある。
 教師による観察では、どのような教科や活動で立ち歩きが目立つのか、など記録しながら把握するのが有効である。そのうえで
(1)
視覚から入る情報を減らすために、
 黒板と教師に近い座席に配置する。カーテンを閉め、外の景色を見えなくするなどの方法をとる。
(2)
学級全体の指示のあとに個別の指示を出す、などの方法で注意を促すとよいとされる。
また、
(4)
休み時間に体を動かす。
(5)
立ち歩きしそうになったら、プリント配布を手伝ってもらう。
など、体を動かしエネルギーを発散させることも有効とされる。
 立ち歩きなどの多動行動は、年齢が進むにつれて目立たなくなる傾向があるとされる。そこで、保護者は悲観的にならず、発達障害の子どもを専門に教育する学習機会の場と連携することで、子どもの能力を伸ばしていくことが必要と考えられる。
 多動行動は、一人で校庭や屋上への飛び出しや衝動的な行動もあることから、本人および周囲の子どもの安全を守るための注意が必要となろう。
 授業中に立ち歩く行動は、他の子に影響を及ぼす。他の子もふざけて立ち歩いたり、教師の注意に反抗的な態度をとるなど、授業や学級運営に支障がでる。
 多動行動のある子も含め、教室内のルール(チャイムがなったら席につく。授業中に立ち歩きしない。必要な場合には教師の許可をとる。など)を確認する必要がある。
 同調する子どもの中にも、授業の内容が理解できていない、興味を持っていない場合もある。授業内容の工夫や、学校組織によるサポート体制など検討する必要がある。
(
畑中綾子:東京大学高齢社会総合研究機構客員研究員、東京大学公共政策連携研究部特別研究員、香港大学上席客員研究員)

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やる気がない子を前向きにするにはどうすればよいか

「最近の子は、どこか冷めていて、やる気が感じられない」という声をよく聞きます。これまでの指導のやり方が通じず、なにを言っても驚かず、受け流されてしまう。そう悩む人が多いようです。
 しかし、本当になにを言ってもやる気を出さないのでしょうか。「決してそんなことはない」と、私は思っています。やる気を出すことはできるのです。やる気を引き出すためのコツがあるのです。そのコツは
(1)
「何度言ったらわかるんだ」と叱るのではなく「分からないんだな」と受け止める
 たとえば、高校野球で「なんだ、その投げ方は」と選手の悪いところを指摘して、より良い方向にもっていこうとするのは悪いことではありません。
 しかし、悪いところばかりを指摘していると、人は自分の欠点ばかりに意識が向いて、どんどん自信を失っていきます。積極的な心をなくして、人は成長できないのです。
 
「叱るのではなく、ほめて伸ばせ」と、よく語られています。しかし、ほめるには、何らかの良い結果を出していないと、ほめることはできません。無理にほめようと形だけのほめ言葉は、相手に見抜かれて効果は少ない。
 その代わり「認めてあげてください」。事実をそのまま受け止めてあげるということです。何度説明しても理解していない状態だったら「そうか、わからないのか」と言ってあげてください。
 そのうえで「どんなところが分からないんだ?」と聞けば、質問や相談をするようになります。認めてあげれば、安心感を感じて、積極的な気持ちになります。
(2)
「なぜ、できないんだ」と聞くのではなく「なにが理由だ?」と聞き「うまくいっているイメージ」をつくるようにする
 「なぜ、できないんだ」と聞くのは、言葉の裏に相手を責める意味合いが含まれています。
「なぜ」を「なに」に置き換えてみましょう。「なにが理由だ?」と質問されると、言われた方も理由を答えることに意識がいきますから、冷静に自分の行動をふり返りやすくなります。答えやすい雰囲気ができます。
 
人が行動するときには、どんな場合でもイメージが先行しています。脳はイメージ通りに実現しようとします。
 
「できなかった自分」をイメージしてしまうと、どうしてもそのイメージに引っ張られて失敗してしまうことになります。
 それよりも、うまくできたときの達成した状態をイメージできて、そのときの喜び状態を感じることができるようにサポートしてあげてください。イメージトレーニングの原則は
①すでに実現した状態、あるいは実現しつつある状態をイメージする
②細部までリアルにイメージする
③そのイメージに自分の感情を加える
(3)
「やりなさい」ではなく「やったらどうなるか」を伝える
 やらなければならないことはわかっているのに、なぜかやる気が起きないという人はよくいると思います。
 そのような場合は「やったらどうなるか」をイメージさせて、ワクワク感を与えれば、想像以上に頑張り出します。「頑張れば、その先に楽しいことが待っている」とイメージさせる必要があるわけです。
 目指す姿が明確になると、やるべきことは自然と浮かびあがります。
 
「楽しいこと」をやっていると脳の中にドーパミンという物質が分泌され、やる気や行動力が高まるようになります。
 人間の脳はワクワク感がないと「やるべき」という義務感だけでは集中できない仕組みになっています。
 なにか一つをやりきらせてみるとよい。いったん「なにかをやりきる」経験をさせると、自信がつき、あとは放っておいてもどんどん加速して成長していくものです。その最初の一歩を踏み出すサポートをしてあげることをこころがけましょう。
(4)
「夢がかなうかも」という気持ちにさせれば、どんどんやる気が高まる
 本当に何も夢を持ってない人はいません。ただ、叶うと思えないから、夢を持たないようにしているだけです。
 
「夢を考えてみよう。あくまで夢だから『これならできそう』というものでなくてもいい。『こうなったらいいな』ということを、自由に考えてみて」と私は言います。
 次に「夢だと思っていたけど、実現できるかもしれない」というイメージを持ってもらうための質問をします。具体的に細かく段階を区切って、夢を描いてもらうのです。
 最終的な夢が叶うまでの途中経過をイメージさせることで「夢が叶っていく過程」を頭の中で疑似体験してもらうのです。このワークをやると、単なる夢だったものが、どんどんリアリティを増していきます。
 夢を聞いても、漠然とした言葉しか出てこない子もいます。そういう子には「憧れの人」を聞くことで「こうありたい」とイメージを具体的に描くサポートをしてあげましょう。
「あの人のようになりたい」という気持ちが人を成長させます。
「あなたが尊敬する○○さんだったら、どんなふうに解決すると思う」「○○さんからどんなアドバイスがあると思う?」と問いかけて解決策をサポートすることができます。
 
「このように行動すれば、憧れている人のようになれる」というワクワク感は、自分の殻を破って成長するために大きな力になるのです。
 どうしてもワクワクする目標が見つからない子には、得たい感情を聞いてみるのも効果的です。たとえば「気持ちがいい」「うれしい気分」「やったぞという感じ」など。
 得たい感情が明確になれば「どうすればその感情が得られるようになるのか」を考えられるようになり、自然と目標が生まれ、モチベーションが上がってきます。
(
飯山晄朗:メンタルコーチ、経営コンサルタント。中小企業診断士、SBT1級コーチ、金沢大学非常勤講師、人財開発フォーラム 理事長、銀座コーチングスクール金沢校・福井校代表。家電業界でトップセールスマン、商工団体の経営指導員(11年間)を経て起業後は講演・研修講師)

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子どもたちとうまく対応している教師の共通点とはなにか

 教師の感覚と、今の時代に育った子どもたちの感覚がずれていても、それはごく自然なことです。子どもたちの心情を察することが難しくなったのもうなずけることです。
 大事なことは、かかわろうとする教師のほうで、自分たちの感覚とはずれているという事実をまず受け入れることです。
 今の子どもの特徴を前提とするのです。前提と考えておけば、必要以上に腹を立てることも、少なくなります。そして、そういう状態の子どもに見合った対応を、そのレベルからしていこうとするのです。
 私の調査したなかで、子どもたちとうまく対応している教師たちがいます。その先生方に面接した結果、大きな共通点があったのです。それは、
ささいなかかわりの中でも
「小さな言葉がけのレベルで、最近の子どもたちの実態をとりあえずそのまま受け入れ」
そのうえで
「それに対する対応を具体的に実施していた」
ということです。
 特に印象に残った中学校の男性教師がいました。一見厳しそうな先生でしたが、通りかかった生徒たちが、気さくに先生に声をかけていました。彼は
「叱れば、子どもたちがよくなろうと努力するなら、しつこく叱る」
「でも、今の子どもたちは頭から叱ると、へそを曲げて、叱った内容について努力しないばかりか、余計やらなくなる」
「子どもをよくしてあげたいと思ったら、子どもが自分から努力する方向に心を向けてあげないといけない」
「その方法を工夫しないといけないと思う。自分はそのことを、十年前に痛感した」
と言っていた。
 ただし、強調しておきたい点が一つあります。それは、子どもたちとの対応がうまい教師と、そうでない教師とには、能力的に大きな違いはない、という点です。
 子どもたちの実態を受け入れ、それに応じて、一つ一つ具体的な対策を取り入れているかどうかの差なのです。
 事前にそういう心構えをし、具体的な対策を立てておけば、子どもを叱りたくなる場面が少なくなり、自然とほめることが多くなります。
 このようななかで、教師と子どもたちとの人間関係が、だんだんと良好になっていくのでしょう。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者と連絡をとっていても、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか

 子どものことで、保護者と連絡をとり合っているのですが、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか。
 
「保護者とのやりとりを記録する」ことと「保護者の言動の冷静な分析」が対応のポイントになります。
(1)
保護者との毎回のやりとりを記録する
 毎回、態度や反応が異なる保護者と連携を図るためには「記録を残す」ことが必須です。
 
「言った」「言わない」という争いや、「何も対応してくれない」というようなクレームに備えて、保護者とのやりとりはその都度記録しておくべきでしょう。
 やりとりするごとに、必ず記録をとるようにしてください。詳細でなくても構いません。日時、対応方法(連絡帳、電話、来校、家庭訪問)、内容などをメモに残します。記録を重ねていくことで、反応のパターンなどがつかめてくるはずです。
(2)
態度や反応が異なる原因が分かるだけでも楽になります
 保護者に精神疾患などがあれば、薬など処方されているはずですので、保護者が「落ち着かない」ことの原因の一つとして考えてみるとよいでしょう。
 その他にも、家庭内や仕事のことでうまくいっていないなど、一見不可解な態度にも、必ず原因があるものです。
 原因が分かったからといって、すぐに事態が改善されないかもしれませんが、こちら側の気持ちとしては楽になることも多いはずです。
(3)
保護者の言動を冷静に分析することで、必要な対応を把握するようにします
 連絡するたびに保護者の言動が異なり、精神疾患が原因であることが予想される場合でも、さまざまな手段で、積極的に情報を引き出すようにしてください。
 保護者が比較的落ち着いている状況の言動がどこにあるのか。また、情報を把握する中で、子どもへの対応の様子も見えてきますし、保護者の言動を一時的なものとして受け止めることもできるようになるでしょう。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)

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授業や学級経営がうまくいくために、教師はどのような力が必要なのでしょうか

 子どもに多くの知識を与え説明し、さまざまなものごとを覚えこませるのが授業であると思われがちです。
 教師の人格は、授業において言葉や態度から、まなざし、後ろ姿といった、しぐさにおけるすべてを通して子どもに伝わります。授業を通して子どもに伝わるものは、私たち教師の人格そのものです。授業の内容と、その授業を行う教師の人格とは表裏一体です。
 たとえば、同じような授業をしても、A教師の授業はわかるけど、B教師の授業はよくわからない、ということがあります。
 それは、子どもがB教師を拒否しているからです。A教師の授業がよくわかる、というのはA教師が好きだからです。教材を通して、A教師の豊かな人格が伝わったからです。
 授業のあるべき姿は、徹底した教材研究に基づく授業内容を追及する。人間性の豊かな教師が、子どもの可能性を引き出す授業を展開することです。豊かな人格を持った教師が、どうすれば子どもに伝わるか、いつも真剣に考えていれば、必ず子どもにわかる授業になります。
 その典型的な例が寺小屋です。人格者である指導者が読み書き算盤を教えるのが寺小屋方式です。松下村塾がいい例です。吉田松陰というすぐれた人格者が教えたからこそ、時代を変えていった数々の人材を輩出したのです。
 本当の意味での寺小屋方式のように、子どもに「どう生きていけば幸せになれるのか?」という問いと真剣に向き合う力を与えるのがすぐれた授業です。教師は人格を磨き、幅広い知識と豊かな人間性を身につけなければ、子どもを磨くことはできません。
 教師に必要な力とは、どういう力なのでしょうか。授業や学級経営がうまくいっていないと思ったら、つぎのことを確認してください。うまくいってないときは、そこに自分の弱さがあるのだと思います。
(1)
子どもの心を動かす力を持っている
 ただ「勉強しろよ!」と言っただけで子どもに伝わるでしょうか。子どもに自分から動いてもらうためには、教師には、子どもの心を動かす話術が必要になります。
 そのためには、どれだけ感動する話を持っているかが重要です。感動する話は、実際の人物の例を挙げていくのが一番いいと思います。新聞、雑誌、本などからもたくさんネタがあります。心が動くと、やる気を出します。やる気が出ると、自ら勉強するようになるのです。
(2)
子どもの心をつかむ力がある
 授業は、出だしの5分間がすべてを決めると言っても、言い過ぎではありません。動機づけがとても大切です。子どもの心をつかむかどうかで、授業のよし悪しが変わってきます。
 教室に入るときは「おはよう」と明るく、大きな声で入ります。笑顔と気合いの入った顔で入ります。やる気のない顔で、暗い感じで入ったら、それだけで授業はダメになってしまいます。
 うまく導入するために、私は絶対に話をしてから授業に入ります。授業が始まっていきなり「はい、36ページを開いて、今日はここからやります」と言う教師には「そんな授業だったら、やっていただかなくて結構」と私は言っています。
 導入は教師の人格が一番表れます。その人格によって、どのような題材を選ぶかです。
「今日、学校に来る途中、電車のホームを見たら、みんな朝からメールをやっていたんだよ。会話しなくていいのかなあ? みんなどう思う」
「そうだよねえ。メールだけじゃなく会話も必要だよね。英語も一緒でね。話したほうがお互いの意思の疎通がよくできるんだよ。じゃ、ちょっと今日は会話をしっかりやろうか」
というふうに日常と授業をつなげていきます。子どもの心をつかまなければ、どんなにいい授業をしても意味がありません。
(3)
子どもを認める力がある
 子どもにはそれぞれ生き方があります。人は自ら伸びていこうとするものです。それを認めてあげなければいけません。教師は子どもが自分なりの生き方を見つけられるためにサポートをしてあげるのです。
 カウンセリングのコツは、子どもの言うことを承認して、オウム返ししてあげることです。自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 子どもも、まだまだ未熟な面がたくさんあります。どうしても守らなければいけないルールを教えるようなときは、強く引っ張っていく必要もあります。
 そのようなときも、子どもの自分のなかで育っていこう、という気持ちをサポートすることを忘れてはいけません。完全に支配下において、一方通行にならないようにする。子どもが自ら考え、自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 根底には常に子どもを認めていなければいけません。子どもも自分が認めてもらえると安心して、初めて教師という人間を認めるのです。
(4)
子どもをほめる力がある
 子どもに「わかる喜び」があると勉強しようとします。その「わかる喜び」は、ほめ方しだいで倍増します。
 例えば、子どもが正解して「はい、正解です」と言われるよりも「すごい、この問題は相当難しいんだよ!」と言われたほうがうれしくなるでしょう。私はそれを必ずやります。
 これは子どもにはうれしいものです。子どもの気持ちが乗ってきます。
(5)
子どもをフォローする力を持つ
 子どもが答えを間違えたら必ずフォローが必要です。子どもは自分の存在を認めてもらえるとうれしいのです。例えば、
教師「Aさん、この問題はどうですか?」
Aさん「わかりません」
教師「Bさん、この問題はどうですか?」
Bさん「○○です」と正解
教師「Bさん、よくやりましたねえ!」「Aさん、わかった?」
とAさんに戻ってフォローしてあげなければいけません。「Aさん、わかった?」があるだけで、自分のことを構ってくれていると思えるのです。
(6)
子どもを励ます力がある
 教師は子どもを「怒って動かす」のではなく、子どもが「自ら心を動かせられる」言葉、「子どもを信じ切る」言葉を、私たち教師は持っていなければいけません。
(7)
あきらめない情熱 前進する力がある
 教師に必要なことは、たっぷりと子どもに愛情を注いで、しっかりと向き合って、ひるまないことです。
 以前「とても怖くて、あの子には話ができません」と言ってきた新任の教師がいました。それを聞いて、厳しいと思われるかもしれませんが、私は
「じゃあ辞めてくれ。子どもと向き合えなかったらダメだ。ひるんであきらめるようだったらダメだろう」と言いました。
 子どもと向き合えなかったら何も始まりません。ひるんだり、見て見ぬふりというのは、教師として最もやってはいけないことです。
 絶対にひるまない、絶対に向き合っていく、そのためには私たち教師が決してあきらめないことです。いったん逃げると逃げくせがつきます。人を教え、育てるのに平たんな道などありません。いくつもの険しい山がそびえたっています。
 しかし、目の前にある山を登りきると、そこにはそれまでに見たことのない景色が広がっています。山を越えた分だけ、いろんなことがわかってきて、いろんなことが見えてくるので、進んでいく道を切り拓いていけるのです。
 子どもが伸びていくには「やればできる」と信じて、あきらめさせないことが大切です。そのためには、教師自身も、子どもに対してあきらめてはいけません。子どもが逃げたくなるときにサポートしてあげるのが私たち教師です。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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始業ベルがなっても教室に入らない子どもや、私語をなくすには、どうすればよいでしょうか

 教師が少しも変わらずに、子どもだけが変わることを願うのは無理です。教師が変わった分だけ、子どもが変わるのです。
 あなたの授業がその子にとって心躍る授業に変わり、あなたがその子から「先生大好き」と慕われる教師に変わることが、始業ベルが鳴っても教室に入らない子どもをなくし、私語をなくす道だと私は思います。
 始業ベルが鳴っても教室に入らない子は「先生、私にもわかるように面白い授業をして!」と言っているのです。
 あなたが、その子にとって心躍る、楽しい授業をするようになれば、その子は始業のベルを待ちかねて席につきます。
 私の信条は 「面白くも、おかしくもない授業など授業でない」です。
 筋の通った格調の高い、面白くない授業よりは、筋はそんなに通らなくても、多少格調に欠けるところがあっても「面白い授業が子どもを育てる」のです。
 この信条は、教師であるあなたと同じ悩みを何度も繰り返したあげくの私の信条です。
 
「出来」の異なるすべての子どもに行き届くように授業をすることは正直に言って不可能です。だから、授業は、子どもを「ひとり学びに突き放す過程」と考えるのがいいのです。
 自分の足で歩けるようになった子には余計な口出しをせずに、行く先(目あて)だけをしっかり教えて、道順さえも自分で考えさせて、ひとりで歩かせてやるのがいいのです。 
 授業に心躍る思いもなく、面白さもおかしさも知らぬ子は、まだひとり歩きのできない子どもです。
 子ども40人に教師が一人であるならば、教師はまず、そのひとり歩きのできない子に寄り添うのが人の道であろうと私は思います。
 同じ授業でも、面白いと思う子もいれば、面白いと思わぬ子もいる。肝心なのは誰のために面白い授業を工夫するかだ。
 頼みとするたった一人の教師が、もし、授業がわかって面白いと思う子だけを連れてどんどん歩いていってしまったら、残された子はどう思うでしょう。
 授業に取り残された子は、しかたなしに仲間と私語をし、退屈しのぎに漫画を読み、オレたちも居るぞと、少し大きな声を出して、出来る子をやじったりする。すると教師は叱責する。
 そういう毎日を繰り返していたら、学習の意欲を失って、学校を嫌い、教師を憎むようになるでしょう。そんな教室には入りたくないと思う子が出るのは当然です。
 面白くておかしい、心躍る授業は、その子のために工夫すべきだと私は思います。「キミのため、工夫した面白い授業が始まるゾ」と、始業ベルは鳴るべきものだと思います。
 ところが教師はどうか。授業がわからない子も仲間に入れ、励ましを与えているか。
「わかった人」を連発して、わかる子、出来る子と教師だけで授業を進めていないか。もしそんなことをするならば、それは「弱い者いじめ」「えこひき」です。
 教室でわかる授業を受けられなかった子は、きっと「弱い者いじめ」を始めます。やがて自分よりも弱い教師や親をもいじめるようになります。始業ベルは、教室に入りたくない子には何と無情に響くことか。
 始業ベルは、まだ、自分でひとり歩きして勉強することが出来ない子のために鳴るのです。どの子どもにも生きる喜びと勇気を与えるために鳴るのです。
 廊下に座り込んでいる子には「さぁ、今日もキミのために面白い授業を始めるぞ、きっとキミに声をかけてやるぞ」と鳴るのです。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校会長を務めた)



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