保護者の理不尽クレームに教師が精神的に追いつめられないためには、どうすればよいか

 すべての問題を学校に持ち込む現代社会。特に社会問題となっている「モンスターペアレント」。精神性疾患で休職した公立学校の教師はこの10年で3倍に上り、半数以上が保護者とのトラブルに起因するという。
 教師を追い詰める、保護者の無理難題クレームに教育界はどう対応すべきなのでしょうか。
 保護者と教師は対立する関係ではなく、ともに手をたずさえ子どもの成長を支援するパートナーであり、両者の信頼関係を構築しなければならない。
 私は10年ほど前(2000年頃から)から東京都の公立中学校の教頭・校長として保護者や近隣住民の苦情対応の窓口を務めていましたが、この問題に関心をもち事例を収集していくうちに、「これは放置できない」と強く思うようになりました。
 医療の世界では、医師や看護師の離職者の増加と、就業者の減少が話題になっていますが、教育の世界でも同様のことが起こっています。
 多くの現役教師が「壊れていく」一方で、教職に魅力を感じなくなった若者の「教師離れ」がいっそう加速されることが予想されています。
 幸い、この問題に多くの人々が関心を寄せ、真摯に取り組もうとしています。
 このわずか半年の間に、多くの方と意見交換をする機会に恵まれ、より広い視野からこの問題を考えられるようになりました。
 また、マスコミ関係の方の取材を受けるなか、クレーム問題の奥に日本の社会が抱える課題を見据えようとする、真剣な取材姿勢に何度となく心を打たれました。
 保護者の訴えがいかに理不尽に感じられても、教師に心にゆとりがあるとよい。
 保護者は「話したいのだろう。ともかく、しっかりと聴いてみよう」という、教師の心のゆとりがあれば「お母さんも、がんばって」という気持ちで話を聴くことができます。
 親の訴えを、教師が心にゆとりを持ち、きちんと受け止め、それを心のなかに蓄えることができる「心の保水力」が必要です。
 ところが、こうした「心の保水力」を持たない教師が増えたと言われています。教師の表現力や人間関係調整力の能力の充実、向上が必要とされています。
 それ以上に期待したいのは管理職としての「心の保水力」の上昇充実です。クレームを受けた教師の前に「壁として立つ」くらいの心意気がなければ、教職員の信頼感は薄れるばかりです。
 クレームを捕える学校体制があれば、一人の教師が追い詰められることを防ぐことができます。組織的対応の要として、管理職の組織マネジメント力が試されています。
 その一つが学校内における生徒指導・教育相談体制の再構築です。
 子どもや保護者からの相談に対して、迅速・適切に対応できる体制が整っていれば、苦情や要求にも迅速に対応できます。
 また、困難な事例に対しては、校内サポートチームを立ち上げ、組織的な取り組みを円滑に実施できます。
 スクールカウンセラーの積極的活用や地域人材の積極的登用も、管理職としての手腕が試されます。
 学校と保護者の「つなぎ役」となる人、両者の関係改善に努めてくださる人はきっといます。
 日ごろから、PTA、学校評議会、地域の健全育成団体などと連携・協働に努め、学校の心の保水力を高めることを期待します。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学教授)

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授業中、間違えた答えに、あざ笑う言動があったとき、どうすればよいのでしょうか

 このような嘲笑は、個人によるものであれ、集団的なものであれ、人間として大切にされていないことや、人間関係がすさんでいることの表れである。
 授業中、教師が質問し、挙手して答えた子どもが間違えたことを、あざ笑う言動があったとき、どうすればよいのでしょうか。
 あざ笑った子どもへのアプローチをまちがえると、いうことを聞かない、反抗的な態度をとる、自閉的になるなど、指導不成立を招くことが多い。
 むろん、子どもへの指導は、その教師とその子どもとの関係によって決まる。
 つまり、子どもが教師を信頼し、指導をすすんで受け入れようとする関係ができているかが前提である。
 このように、子どもへの対応には、一律のセオリーがあるものではないが、経験にもとずく成功例、失敗例をあげると、
例1
 すぐに授業を中止する。
「○○くん、きみは今、△△くんの発言を笑った。みんなも一緒に笑った」
「叱るのではないよ。みんなに、考えてほしいんだ」
と前おきし、
「先生が子どもの頃、答えを間違った子に『そんなものも、できねえのか』と、笑ったことがある」
「そしたら、そのとき、数学の先生は、とても難しい問題を板書して『解いてみろ』と言ったのだ」
「中学生だった、先生は解けなかった」
そしたら、その数学の先生は
「『人を笑う者は、人に笑われる』と諭してくれたんだ」
と説話をして、再び授業を続けた。
 放課後、○○くんを呼んで
「きみ、△△くんに対して、何かいやなことでもあったのかな」
と言うと、
「人をバカにする気はないのだが、つい言ってしまった。次からは気をつけます」
と言った。
例2
 その場で
「間違えた発言を笑ってはいけない」
「学級目標は、みんな安心してものが言えるクラスではなかったのか」
と、重い声で言い、授業を再開した。
 クラスは集団的に嘲笑が起こる状態であった。その日の放課後、学級委員や班長によるリーダー会を開き「間違えた発言を笑う状態をどう思う」と意見を聞いた。
 みんなは「これではいけない」と言った。
「ではリーダー会として『クラスのここを改めよう』と訴えたらどうかな」
と助言した。
例3
 
「今、笑ったのは誰だ」と、いきり立って怒ると、ひやかした子どもは、ますます反発を強める。雰囲気の重さに、良心的な子どもたちは声をあげにくくなり、絶望的な気持ちを強める。
 嘲笑の背景や集団の力関係をさぐり、教師からだけでなく、子どもたち同士の働きかけとあわせて、解決にあたりたい。
(
重水健介:1958年生まれ、長崎県公立中学校教師。日本群読教育の会事務局長)
(
酒泉湧人:岩手県公立中学校教師)

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3学期の学級づくりで課題となることは、なんでしょうか

 学級づくりの最終ステージの3学期は、日にちも少なく、感覚的にも早く日が経ちます。
 3学期は、新しい年の始めでもあります。「今年の抱負」などを書かせ「カルタ」にするなど、工夫を凝らして発表させ、1年のスタートの動機づけにするとよい。
 
「3学期はクラスの仕上げの時期だ」ということを、教師と子どもたちが共有し、3月の終業式(卒業式)時における学級づくりの到達点をイメージしながら、そこにいたる筋道を教師が子どもたちに示すことが必要です。
 まず、子どもたちが、2学期末までを「振り返り」、明らかになった課題一つひとつについて、3月までに学級で「やるべきこと」「やれること」を考えます。
 例えば「男女がまだ仲良くできていない」とするなら、男女仲よく遊べるようなイベントを考えます。「グループ学習がうまくいっていない」なら、グループ学習の強化をめざします。
 こうして、教師と子どもが共に「3月までの間に何をしたらいいのか」ハッキリさせ、確実なスタートをさせることが1月の学級づくりの課題です。
 2月に入れば、いよいよ終わりだという意識が子どもたちにも芽生えます。
 4月からの1年の終わりが近づいた2月のクラスの有り様の中に、この1年が凝縮されるかも知れません。
 4月当初に決めた学級目標に照らして、いまだ達成できていないことはないかを学級で話し合うとよい。
 まだ達成できていない課題が見つかれば、それを達成できるよう、班長会などで具体的な成果が見えるような取り組みを考え、学級に提示します。
 学級としての具体的な課題に加えて、一人ひとりの子どもに「終業式(卒業式)まで○○をがんばる」というような具体的な目標を考えさせ、それを「メッセージ・カレンダー」にして掲示するのもよい。
 その一方で、この時期は「残り少ない」ことから、緩みがちになる時期でもあります。これまでできていたことが、ときには急速に崩れるのもこの時期です。
 子どもたちに、4月当初に比べて「学習」や「生活」に対する意識や姿勢が崩れていないか、自己点検します。
 
「学習」に取り組む姿勢や「生活」の崩れている子どもには、家庭訪問を含めて、個別の話し込みなどで、自分を見つめ、その原因をさぐり、次の学年に向けて今一度、意識や姿勢を立直すよう働きかけることが必要です。
 朝学習、給食(昼食)、掃除、終わりの会、日()直、係り活動など、学級活動が学年当初に比べ崩れていないか点検し、緩みがみられる時は、今一度、立て直して学年を終えられるようにします。
 子どもたちの中には「4月からがんばるから」と「今」を避ける子も少なくありません。教師もまた、残り少ない中で「まあいいか」と思ってしまいがちなので、要注意です。
 4月からいいスタートを切ることができるためにも、最後まで緊張感をもって、学校生活を送れるようにすることが重要です。
(
磯野雅治:1947年京都市生まれ、大阪府公立中学校教師。2008年定年退職。学級づくり交流センターるるる塾を主宰) 

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子どもを大事にし、子どもから学ぼう

(1) 子どもはつまずきの天才 
・子どもはつまずきの天才である。
・3と3は5だとつまずく子は、その子なりの理屈、論理が必ずある。
・「子どもの論理」を知らないでは、私たちの仕事は実を結ばない。
・3と3は6だということを、感動をもって分からせる授業をしようと思ったら、3と3は5だとつまずく子を大切にすることだ。
・授業は「つまずいている子」の目玉が光ってくるようなものでないと、「つまずいていない子」にとってもたいくつなものだ。
(2)
子どものために学校がある
・川は岸のために流れているのではない。川のために岸ができているのである。子どもは学校のために来ているのではない。子どものために学校があるのである。
・子どものために「学校」があり、子どものために「教師」があり、子どものために「教育」がある。
・「いくらまわされても、針は天極をさす」、私の天極は子どもです。
・そういう中で信じることのできるものは、子どもだけだった。
・子どもは日本の未来である。
 
「民主々義」や「近代の精神」に子ども達を奉仕させるのではない。子ども達の幸せのために、すぐれた思想を奉仕させるのだ。
・「この子さえいてくれなければ……」と考えたこともある子どもを「この子がいてくれるおかげで……」と位置づけたときから教育は始まる。
・子どもの中に、ボス退治などと言って退治しなければならないような子どもはいません。
・学校の名前なんかちっともあがらなくてもいいんです。子どもが「あの学校に学んでよかった」と言ってくれるような学校をいっしょうけんめい築いていきましょう。
・国語研究の学校とかの看板をあげる必要はすこしもありません。強いてあげるなら、子どもを大事にしているという看板をあげましょう。
(3)
子どもから学ぼう、子どもの感動に学ぼう。
・子どもの胸の中の「ドキドキ」をキャッチする心を持とう。
・かわいい者たちのいじらしい程の善意を見てやろう。
・「子どもこそは、大人の父ぞ」(ワーズワース )
・幼い子どものことばに耳を傾けよう。そこには、私たちの心の帰着点である心のふるさとがある。 していることで子どもはものを言っている。
・私たちは「ことば」に頼り過ぎていないか。「体でものを言う」「生き方でものを言う」というのが、ほんとうの「ことば」であろう。
・Aちゃんは、ものは言わない。しかし、その動作の一つ一つは美しいことばだ。
・暴力も、あれは子どものことばだ。
・大人の目から見ると、困ったことばかりしている子どもでも、なぜそういうことをせずにおれないかという、そのわけを伝えたがっているのだ。
・「非行少年」というのは、ほんとうにわかってくれる人にめぐりあえないで迷っている「不幸少年」といえる。
(4)
子どもも生かされている
・私は教師になってからも、なかなか子どもという奴はかわいい奴だと思えませんでした。「かわいい」と「憎い」のどちらに近いかというと「憎い」方に近い、そういう私でした。
  
一番適切なことばは何だろうかと考えてみると「ずいぶんやっかいな奴だ」ということになるような気がしたものです。
・子どもが「やっかいだ」というのは、子どもが生きているからである。生きているからこちらの思うようにはなってくれないのであって、それはたいへん結構なことであるとわからせてもらったのはずっと後のことでした。
・生きているものは、みんな伸びたがっているし、花をつけたがっているし、実を結びたがっているとわからせてもらったのは、またその後のことでした。
・そして、生きているのではなくてどうやら生かされているようだぞ、と分からせてもらったのはさらに後のことでした。
 どす黒い、いやな荷物を、子どものくせにすでにいくつもいくつも背負っているけれども、それなりに光を求め、うるおいを求め、安らぎを求めずにはおれないように生かされているようだぞと分からせてもらったのです。
・生きているものは、光っている。
 どの子も子どもは星。みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいてまばたきしている。
・子どもといういのちの袋の中には、いろんな宝物が入っている。その宝物は、子ども自身さえ知らずにいる。
・意味というものは、こちらが読み取るものだ。ねうちというものは、こちらが発見するものだ。すばらしいものの中にいても、意味が読みとれず、ねうちが発見できないなら、瓦礫の中にいるようなものだ。
・人間にくずはない。人生にむだはない。
・子どもは抵抗をほしがっている 
 反抗してみて、子どもは大きさに目覚める。
・子どもの中でも、早く引き抜いてしまわなければいけない「雑草」の方が、私たちが育てようとしている「作物」よりも、相当力が旺盛だ。
・子どもを大切にするということは、子どものわがままや衝動をのさばらせることではありません。本来の生き生きしたものを客観性のあるものにしてやること。
・個の尊厳を守るということと、「エゴイズム」を許容することとは違う。
・志が確立して、体力も能力も光を放ちはじめる。
・志を立てるということは、生活現実に密着した決断である。それは、生き方、何を目ざしてどのように生きるかという「現実との取り組み方」が問題となる。
・志を立てるのに大きな教育力になるのは、親や教師の現実への取り組み方、生き方である。
・中学校などの成績は、頭のよしあしの違いや、体力の違いなどよりも「志」のあるなしが基本である。
・「ぼくの十年先を見ていてください。」ということにならないと、人間はほんとうの人間になれない。
・志が確立して、体力も能力もその本来の光を放ちはじめる。
・志があいまいなものである間は、その人間に転換を与えるものにはならない。
・甘い夢は、毎日の生活現実まで変えていく力にならない。
 そればかりか、ちやほやされるスターになるとか、みんなからさわがれる歌手になりたいとかの夢は、具体的な生活現実をよけいつまらないものとして見るようにさえなる。
・教育という仕事は、子どもを自分の脚で歩けるようにしてやることだ。
(
東井義雄:19121991年 兵庫県生まれ 小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)

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モンスターペアレント問題はどうすれば解決することができるでしょうか

 モンスターペアレントとは、学校や教師に対して、無理難題を突きつけてきたり、理不尽なクレームを訴えてきたりする非常識な親を指して用いられています。
 モンスターペアレントの実態は、一般の方の想像をはるかに超えています。たとえば、ある学校で、ガラスを割った子どもの家に弁償が必要になる旨の連絡をしたところ、
 翌朝、その母親が職員室に駆け込んでくるなり、つぎのようなことを言ったそうです。
「うちの子が悪いなんてとんでもない。子どもが手に取れるようなところに石を転がしておいた学校側の責任でしょう」
「今日、そのことを説明するために私はパートの仕事を休んで学校に来たのですから、その分の休業補償をお願いします」
 これは、あるテレビ局が実施したアンケートによって浮かび上がったきた実話です。
 耳を疑いたくなるほど身勝手な主張だと思われた人が多いことでしょう。しかし、これと似たような例は、ほかにいくらでも挙げられます。
 モンスターペアレントの中には、自分のストレス発散のためであったり、金銭目的である場合もあります。
 理解し合えるとは思えないような事態にまで発展することがありますが、根本的な部分を考えると、多くは、子どもの教育をめぐる考え方の違いなどからトラブルが発生しています。
 教師と保護者の関係がどれだけもつれようとも、根本の願いが「子どもへの愛情」にあって、同じであるとするならば、教師と保護者が理解し合えなかったり、結び合えないことはないはずだ、ということが一番のポイントになるわけです。
 教師と保護者は、わかり合える「子どもへの愛情」というベースを持っているのですから、いつまでも交じり合えない平行線の上を進んでいるわけではないのです。
 私は教師や保護者に「どうすればモンスターペアレントの問題を解決することができますか」とアンケート調査(2007)をしました。その調査結果(複数回答)
1 親と教師の相互理解が高まるよう努力・工夫する  51.6
2 親の子育てを孤立させない  34.4
 (地域にサポートセンターを作る)
 (教育的リーダーシップの発揮)
4 教師にゆとりを求める  23.9
5 学校問題解決支援チームを作る  23.3% 
 (医師・警察OB・臨床心理士・精神科医・弁護士など) 
6 教師の相談にのる教員OBの配置  6.8
となりました。
 保護者側の回答だけを見ても「親と教師の相互理解が高まるよう努力・工夫する」の割合がもっとも高く、55.8%となり、もっとも重要なのは「親と教師の相互理解」となっています。
(
尾木直樹:1947年生まれ、教育評論家。高校・中学校教師22年間を経て退職し臨床教育研究所「虹」を設立。早稲田大学客員教授、法政大学教授などを経て、法政大学特任教授)

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孤立感、孤独感を抱くなどで、子育てに問題が生じる保護者は、子どもにどのような影響を与えるのでしょうか 

 子育てに問題が起きる多くのケースを見ると、孤立感、孤独感を保護者が抱いている場合が少なくない。
 保護者が付き合う人々の中で、自分が認められ、他人から支えられている実感があればよい。
 しかし、例えば、夫婦関係が微妙にすれ違うようになるなど孤立感、孤独感などがあると、子育てに問題が生じることがある。
 子育てのやり方によって、子どもに問題が生じる保護者には、つぎのようなタイプが考えられる。子どもにどのような影響を与えるのでしょうか。
1 わが子が優れていることにこだわり、子どもを支配しようとする保護者
 世間からの評価を重視します。そのために、世間から「よい親」と認められることをめざします。他者の評価を気にするので不安感が高い。
 いわゆるお受験は、その代表である。「よい学歴がなかったら不幸な将来が待っている」という思いにとらわれ「よい子」に育てることに必死になる。
 不安を背景として「よい子」作りに保護者が躍起になると、そこで育つ子どもは、感情を抑制する傾向が強くなる。
 そして、保護者が高い不安を持つので、子どもも不安そのものは高い。
 したがって、感情が一定以上高まると、もはや自分ではどうにもコントロールできなくなる。
 さらに、常に保護者の「指示」にさらされているので、他者を「指示」して、コントロールしようとする傾向も強くなる。
 一見、よい子だが、つぎのようなタイプの子どもが育まれてくる。
(1)
学校でだけ問題を起こす外弁慶タイプ
(2)
一度感情を害すると、なかなか気持ちの修復が効かない
(3)
言葉によって仲間を傷つけて、それが当然であるかのように振る舞う
2 自分やわが子だけが尊重されることを第一と考える保護者
 保護者がわが身だけが尊重されること第一と考える。同じように、わが子も尊重したいと考える。
 子どもを受容し「子どもの感情を害しない」ように考える。
 子どもから「よい親」と思われることをめざす。他者の評価を気にするので不安が高い。
 このタイプの保護者は、子どもの感情を乱すことは嫌で、子どもに嫌われたくない。それゆえ、子どもを叱らず、子どものご機嫌を取ってしまう。子どもの意見を尊重する。
 しかし、本来、子育ては、子どもの、不快な感情や、願いがかなわないときに生ずる、怒りや哀しさを保護者がしっかりと受け止めてあげなければならない。
 子どもが感情を害しても、子どもに「ダメなものはダメ」と言い、保護者はニッコリと笑って、子どもに向き合うようにしなければならない。
 これが、保護者が子どもと向き合い、子どもを受け入れることの本来の意味なのだ。
 だが、子どもの不快感に保護者がうろたえると、子どもは不安を覚える。不安と不満がくすぶり続ける。
 しだいに、子どもの不快感を出すことで、大人を動かす道具になっていく。そこで、ますます大人は、子どもの要求に譲歩をし続ける。
 このようにして、ストレスに弱く、感情のコントロールが苦手な子どもが育っていく。
 いろんな場面で、不快感を出すことで、大人をコントロールしようとする癖を持つ子どもになっていくのである。
3 自分の生き方を優先する保護者
 子どもの世話そのものを疎ましく感じる保護者がいる。
 保護者が「生計を立てる」ことに精一杯で、子育てにエネルギーを振り向ける余裕をなくしていることもある。
 風呂に入っていない、学校に腹を空かせて登校するなど、保護者から基本的な生活上のケアをうけていない子どもがいる。
 このような保護者に育てられた場合、そもそも感情のコントロールの仕方を学ぶことができない。
 生活の基本そのものについても、子どもは学ばないまま捨て置かれているからである。保護者から敵意さえ持たれ、関わりを拒絶されているのだ。
 そこで、子どもは愛情に対する飢餓と、他者に対する不信、さらには強い不安と怒りを混在させるようになる。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教職大学院教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

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子どもが見えない教師が多い、子どもの感想文を読むと、ものを見る目は確かである

 林竹二氏は宮城教育大学の学長であった時から、全国の学校で授業を約300回してきた。
 ソクラテスの研究者として高名な林氏を授業におもむかせたものは
(1)
教員養成大学の学長に就任し、ただ理論だけを講義していては、学長はつとまらない。授業の実際を知らねばならない。そういう思いがつのってきたこと。
(2)
病気で療養中に斎藤喜博全集を読んで、斎藤氏が授業の中で子どもたちにしていることは、質問によって子どもの意見を引き出し、それを吟味にかける。それがソクラテスの教育の方法と一致していたこと。
 林氏は、つぎのように述べている。
「授業のなかでは、否定が決定的な重要性をもつ。ただし大切なのは、その否定の質です。おしつけられたものではだめです」
「子どもは、教師との格闘を通じて、自分自身で、低い通俗的な意見なり、解釈なりを否定する」
「子どもが、最初に立っていた低い地点から、抜け出すことによって、自分を高め、新たにし、変革してゆくことができるのです」
 林氏は、行った自身の授業の考察を、
(1)
授業中の子どもの表情
(2)
授業後に書かれた子どもの感想
(3)
撮影された授業中の子どもの写真
によって行った。
 小学校の子どもたちの、林氏の「人間について」の授業の感想は
「始め、ぼくは『はやく授業がおわらないか』と思っていましたが、でもすぐにおもしろくなって、はやく終わらない方がいいと思いました」
「わかりやすく説明してくれて、70分もかかったとは思わなかったし、70分なんかあっけないと思った」
「私は、一つのことをもっと、もっとと、深くなっていく考えかたが、こんなに楽しいものかと、びっくりした。勉強していて、どこで終わるのか心配になってきたほどだ」
 私は、子どものそれぞれの指摘に驚く。どの子どもも、深く学ぶことをこよなく求めている。
林氏は述べる。
「私は、子どもたちの、ものを見る目の確かさに一驚した」
「時間がはやくすぎるのは、授業への集中があるからである」
「重みのある問題に、打ち込んで取り組んだ経験を、子どもたちは楽しいと感じている」
「私が見た、おびただしい子どもたちの証言は、一致してそう語っている」
「私は、子どもはみんな手ごたえのある学習に飢えているのだと信ずるようになった」
 しかし、林氏の授業を見た教師たちに、冷ややかな反応をする人が多かった。
 それに対して、林氏は
「先生方は、後ろの方で授業を見ていて、子どもを見ていない。そして、子どもの発言と教師の発言のその量だけを問題とする。すくなくとも、それを軸として授業をとらえようとしている」
「子どもに、わずかしか発言の場を与えていない。一方的に教師がしゃべっていて、まるで講義のようだ。あれは授業ではない。小学校では無理だというのが先生方の結論です」
 このような授業の認識しかできない教師たちに、林氏は愛想をつかした。
 そして、晩年は、定時制高校や工業高校等で、生徒たちが隠しもつ「学ぶ力」を目ざめさせる授業をすることに、限っていくのであった。
 現代の教師の原罪は、子どもを見ない、見えない、見ようともしないことだという、林氏の告発を私は忘れることができない。
(
林竹二:19061985年 教育哲学者、元宮城教育大学学長。斎藤喜博の影響を受け、全国の学校を回って対話的な授業実践を試みた)

(
佐久間勝彦:1944年生まれ、神奈川県川崎市公立中学校教師、千葉経済短期大学教授、千葉経済附属高校長、千葉経済短期大学長を経て千葉経済大学学長)
 

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保護者からの苦情はチャンスだ、うまく対応できれば信頼され、味方になってくれる、その方法とは

 誰しも保護者から苦情を受けるのは嫌だろう。しかし、うまく対応できれば、信頼が上がる。苦情はチャンスだと思うべきだ。そうとでも思わなければ、やってられない。
 保護者から苦情の電話があれば、まず「はい、はい」と声に出して、うなずきながら聞く。
 そして、ときどき、保護者の言葉をくり返す。たまに「なるほど!」「そうですよね」などの言葉を入れるとよい。
 共感的に話を聞いて、保護者の気持ちを落ち着かせる。保護者が話し終わるまで、しっかり聞き続けるのがポイントだ。
 そして次に、保護者に対応策を説明し、相談して確認する。
 保護者の苦情に対して、教師がどう対応しようと思うのか説明して、保護者の意見を聞く。
 保護者の意見を取り入れて対応策を決めたら、くり返し言って確認する。
 そして「これでよろしいですか?」と保護者の許可を得る。許可を得れば「お墨付き」の対応策であるから、うまくいっても、いかなくても、自信を持って対応できる。
 最後に、最も大切なのが、実際に子どもたちに対応した後だ。必ず、保護者に報告の電話をする。
 
「昨日はお電話、ありがとうございました」と、昨日の電話のお礼を言ってから、報告の話を始める。
 子どもたちに対応した時の様子などを説明した後は、
 
「まだ子どもなので、また同じことをくり返すかも知れません。その時には、また、お電話いただけると私も助かります。ぜひ、よろしくお願いします」
と、言っておく。もちろん、もう二度と電話がかかってこないことを祈りながらである。
 電話を切る前に、
 
「今回は本当に申しわけありませんでした。お電話、本当にありがとうございました」
と、謝罪と感謝の言葉を言う。
 対応後の報告の電話に驚かれる保護者が多い。それだけ、報告の電話を省略してしまう教師が多いということだろう。
 対応後に、報告の電話をしよう。それが、保護者の信頼を勝ち得る一番のポイントである。
 苦情の電話を受けたら、ピンチはチャンスだと思い、策略を練って対応しよう。うまく対応ができれば、保護者は、きっとあなたの味方になってくださるはずだ。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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先生を見ていて、先生に向いているなと感じる人はどのような人でしょうか

 その先生がいると、指示されたわけではないのに、子どもが自然と黙って、すっと聞き入る。そういう先生はすごいなと思いますね。
 先生が前に出て行くと、ざわついていた子どもたちがスッと静かになるというのはすごい力ですよね。
 何かあったときに、聞くだけじゃなくて、聞き出す力のある先生はすごいなあと思います。
 私が子どもたちに聞いても言わなかったことも、そういう聞きだす力のある先生は、その先生が聞けば、子どもたちが言う、ということがけっこうあった。
 子どもに対して絶対に気をぬかないし、他の先生との人間関係なんかも、適度に声をかけて、やる気にさせる人。
 情熱がすごい。子どもたちを育てて、一人前の人間にしたいという情熱がひしひしと伝わってくる。
 教育に対する情熱。今の子どもたちをこうしなきゃいけない、みたいな責任感。それは情熱から生まれてくるのかなって気がします。
 何かあったときに、その現象の根っこが何なのかを見抜ける力がある人。気づく力、洞察力がある。
 子どもたちを生かす力のある人が先生に向いていると思います。
 協調性とか、人に対してしっかり挨拶ができるとか、ていねいだとか、報告・連絡・相談がしっかりできるとか、社会人として、立ちふるまいができるということも、教師に向いている人の大きな特徴だと思います。
 その人にしか出来ない授業ができる人。
 子どもと保護者、教職員とでコミュニケーションの仕方をかえる人。特に対保護者とのコミュニケーション能力。
 子どもの背後には保護者がいますから、子どもに何か言うことは、保護者に対して言うのと同じだなと、強く思います。
 話しが上手な人。どんなに頭で考えていることが素晴らしくても、熱い思いがあっても、話は上手じゃないとだめだな、と思います。 
 授業においても、上司とのコミュニケーションにおいても、誤解させずに、うまく伝わらなかったら意味がない。
(
学校の先生はじめました編集委員会編)

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保護者に不信感を持たれ、嫌われ、反発される、改めたい教師の態度とは

 自分のあり方を棚にあげて、子育てがうまくいかないのは、すべて学校や教師の責任だとする親、わが子を正しくとらえられない親、非常識な親、身勝手な親がふえてきた。
 教師にしてみれば、いろいろと親に言いぶんはあろう。しかし、親のあり方を声高に追究したところで、教師不信にわをかけるだけで、事態を変えることにはならない。
 まずは、教師の保護者に対する次のような態度を改めることから出発したい。
(1)
専門的態度
 教師は教育の専門家だから、しろうとの親はよけいな口だしをするな、教師にまかせておけといった態度である。
(2)
啓蒙的態度
 一段高いところから、教育の知識がとぼしく、教育の道理が理解出来ない親を、教えてやるのだといった態度である。
(3)
事務的態度
 冷ややかな対応、木で鼻をくくったような誠意や愛情のない態度である。
(4)
観力的態度
 いわゆる、いばった態度である。親を学校に呼びつけ、頭ごなしに叱りつけたり、親の責任を追及したりする態度である。  
(5)
独善的態度
 教師は、子どものためになる、正しいことをやろうとしているのだから、親は学校に協力するのはあたりまえだ、とする態度である。
 例えば、指導に手をやく生徒がいると「親の顔がみたい」などと、原因のすべては、親のせいだとする風潮もこうした態度から生まれるのだろう。
(6)
脅迫的態度
 学校の方針にしたがい、教師の言うとおりにしないと、成績や内申書にも影響して、生徒の進路指導に責任はもてない、どうなっても知らないぞ、といった態度である。
 以上について、教師は日頃の自分の保護者に対する態度をふり返り、問い直す必要がある。
 教育は、保護者とともにすすめる仕事である。教師と保護者が手をとりあって、仲よく教育しなければ、子どもの成長は保障されない。保護者と教師は「共育」のパートナーなのである。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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放課後、保護者からのクレームがこないようにするには、どうすればよいか

 子どもたちが下校して、ホッとする放課後、くつろいだ気分で、同僚と話をしていると、電話が鳴ります。
 すると、それまでの空気が一変して職員室にいる全員の顔が一瞬、キュッと引き締まることがあります。
 放課後、保護者からのクレームがないように先手をうつには、どのようにすればよいでしょうか。
(1)
子どもたちを笑顔で下校させる
 学級の帰りの会で楽しい話をしたり、ちょっとしたゲームをしたりして、子どもたちが気分よく下校できるような工夫をしましょう。
 子どもたちが集まる教室では、トラブルは起きて当たり前です。しかし、トラブルが起きたとき、瞬時にしっかり対処し
「いろいろあったけど、楽しい1日だった」
と、しめくくることができるよう、子どもたちを元気にさせるようなひと言をかけて下校させるようにしましょう。
 子どもたちが気持ちよく下校できれば、保護者からのクレームはほとんどないと思って間違いありません。
(2)
気になることは必ず保護者に連絡する
 友だちとのトラブルやケガ、教師が厳しく叱ることがあった場合は、必ず連絡帳や電話で保護者に報告しておきます。場合によっては、家庭訪問の手間を惜しんではいけません。
 教師から先に連絡することで、保護者の気持ちが随分違います。
 ほとんどの場合、好意的に考え、理解を示してくれます。「忙しいのに、わざわざすみません」と、恐縮してくれることも珍しくありません。
(3)
クレームの電話は、受け入れる姿勢で対応する
 もし、保護者からのクレームの電話がかかってきたら、保護者の話を受け入れる姿勢で対応します。
 解決を急いで、先にこちらの言い分を押しつけることのないように注意しましょう。
 相づちを打ちながら、じっくり話を聞けば、相手の気持ちもおさまってきます。こちらの説明を受け入れる余裕もできてきます。
 保護者の気持ちをいったん受け入れながら、理解を求めていくことが、苦情への対応の基本です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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もし学級崩壊が起きても、心や体を壊さず、辞めずに生き残るためには、教師や同僚はどのようにすればよいか

 教師は真面目な人が多い。真面目だから教師になったと言っても良い。
 だから、学級崩壊してしまったら、自分を責めてしまう。そんな人ばかりだ。そして、心を壊す。体を壊す。辞めてしまう人もいる。自殺してしまう人だっている。
 学級崩壊は運である。私だって十二分に学級崩壊を起こす可能性がある。
 人間は、誰しも相性というものがある。もし、私がものすごく相性の悪い子どもや保護者の担任になってしまい、その子どもや保護者がものすごく影響力を持っていれば、私のクラスだって、学級崩壊してしまうのだ。
 もちろん、教師の努力で学級崩壊に陥る確率は下げられると思っている。しかし、学級崩壊の確率を下げたところで確率がゼロにはならない。学級崩壊してしまう可能性は誰にだってあるのだ。
 運悪く学級崩壊してしまっても、自分を責めてはならない。人のせいにしてでも、生き残れ。教師として1年間、生き残りさえすれば、次の年は楽勝に感じられるはずだ。
 とにかく1年間をしのぎきり、生き残ることが大切なのだ。
 これは、将来、学級崩壊に当たってしまった時の私自身へのメッセージである。
 学級崩壊が起きても明るく、元気に働き続ける、つぎのような教師の例がある。
 毎年、学級崩壊を起こしている女教師と同じ職場になったことがある。彼女の様子から、かなり学級崩壊に慣れているのが感じられた。
 彼女は明るい。職員室での振る舞いを見ていると、学級崩壊しているクラスの担任だなんて、とても思えない。よくしゃべり、よく笑う。学校を休むこともない。彼女は、毎日元気に働き続けていた。
 なんでこんなに元気で明るいんだろうと、不思議に思っていたが、彼女の話を聞いていて、よく分かった。
 彼女は、自分が悪いとは全く思っていない。悪いのは全て、子どもであり、保護者であり、世の中なのだ。
 だから彼女は傷つくこともなく、明るく元気に働き続けられる。すごいことだ。
 私は、純粋に彼女に学ぶべきだと思っている。
 人のせいにすれば、病気にならなくて済むのだ。辞めなくて済むのだ。
 少しはそうやって、人のせいにしてみよう。そうすれば、少しは心が軽くなるのではないか。
 また、彼女がずっと元気でいられたのは、周りにいた同僚の力も大きい。
 同僚たちは、人のせいにばかりする彼女の発言をとがめなかった。
 それどころか「うん、うん」とうなずき「そうだよねえ」と共感的に聞いてあげた。
 誰か一人でも学級崩壊を彼女の力量のせいにしていたら、彼女だって、きっと心が折れていたはずだ。
 彼女が元気で居続けられたのは、職員室の力が大きいと思う。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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人生はいつだって、今が最高のときなのです

 人生は、あなたの思っているよりも、十倍も愉(たの)しいところです。あなたの人生観を不愉快から愉快と言う字に書き直してください。
 するとあなたは、気がつくことでしょう。人間というものは、愉快なこと、明るいことを好むものだということに、気がつくでしょう。
 私はふだんから、明るく生きていく習慣を持っていたいと思っています。それは、ちっとも難しいことではありせん。何でもものごとを明るく陽気に考えるようにすることなのです。
 私は、ものごとを否定的に考えるのが好きではない。私が「気分は最高です」と言えば明るい気分になる。部屋の中にも明るい空気が流れる。言葉には魔力があるのである。
 自分のことを「運のよい人間だ」と思うようになってください。きっと自分の思った通りになりますから。運というものは、自分で拓()くものです。
 出来ると確信さえすれば、どんな不可能と見えることでも可能なのです。人間の心というものが、そういう不思議な働きを持っているのです。
 私は割合、人を信じるほうです。「私が相手を信じた分量だけ、相手も私を信じる」というのが私の持論です。
 これは私が若いときに人を好きになったとき「私が相手を好きになった分量だけ、相手も私を好きになる」と信じた。はずれることはなかった。人間同士の張っているアンテナにも、正確に電流が通じるのです。
 陽気な人は人に好かれる。生きていくことが上手な人は、何よりも快活な人である。すぐそばの人にうつる大きな力を持っている。
 ありのままの人間をそのまま愛し、その人をまるごと受け入れることが真の愛である。
 自分が変わると、相手が変わって見える。私が、からを脱いだセミのように変わると、相手が変わって見えるのである。
 人と人との間は、悪意も善意もそのまま伝染する。それが善意であると、受け取った人も、相手に善意を感じる。
 言い争いになったときは、じっと辛抱して、ちょっと笑顔をして見せるとよい。相手の笑顔を見て、腹を立てることは誰にもできない。
 
「あなたは、とても偉い人です」と言われて、よい気持ちにならない人はありません。相手はよい気持ちになって喜ぶからです。この方法は、私がなが年の間に獲得した、人に元気を与える方法なのです。
「あなたはやさしいのね」「あなたの表情は美しいわ」「あなたの声はすてきね」、これらの言葉は魔法使いである。
 人間の考えることは、ものごとを否定することと肯定することの、二つしかありません。あの人はいい人だ、素敵な人だ、と思うことは肯定することです。肯定する習慣くらい人間にとって幸福なものはありません。
 人の顔つきも習慣である。笑顔が習慣になれば、しめたものである。
 私は辛いと思うことがあると、その辛いことの中に、体ごと飛び込んでいく。飛び込むと、辛いと思う気持ちに体が馴れてきて、それほど辛いとは思わなくなる。これが私の、生活の術なのである。
 悩みや心配ごとから解放されるコツはこだわらないこと、これ一つです。
 私は、自分に興味のあること、したいことを追い求めて忙しく生きてきた。過ぎたことをくよくよしているひまはなかった。
 思い出したくないことは、つぎつぎ忘れ去ってしまった。この忘れるという特技が自分自身を救う一種の精神的治療法になったような気がしている。
 実際、人間って、そこが雨降りだと、世界中どこへ行っても雨降りだと思う。
 世界中どこへ行っても雨降りみたいな気になりやすいものですけど、実際にはそんなことはありません。
 別の場所では、よいお天気なところもあるのです。ちょっと気を変えて、一刻も早く、別の新しい道を一歩踏み出してみる。
「おや、こんなところに出たわ」と自分でも信じられないほど、明るい場所に出るものです。
 何事をするにも「それをするのが好き」という振りをするとよい。ものまねでもいい。すると、嫌いな人もなくなる。自分自身を救う最上の方法である。
 物事は何事にもよらず、夢中になってそのことに熱中すると、必ず何かを生み出してくれます。
 何でも、面白さを見つける。その中に入っていく。私はどこでも自分流のたのしみ方を見つけて生きる名人です。
 
「忙しい」というのは、追いかけられることではない。追いかけられて暮らすのは禁物である。自分が追いかけるような気持ちでいることである。
 どんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちがよい。ストレスを感じる暇がない、という状態になったら、しめたものである。
 私は、何か思いついて、新しいことをし始めると、生き生きと熱中して、夢中になってしまう癖があるのでした。
 私の生涯の中の不幸も幸福も、今になって考えると、この熱中癖から生まれたものが大部分なのではないかと思います。熱中しているうちに過去は消えます。
 人生はいつだって、今が最高のときなのです。
(
宇野千代:1897- 1996年、小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていた)

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教師が「子どもの心をとらえる」には、どうすればよいか

 教師の言葉が、子どもの心を元気づけます。教師の笑顔が、子どもの心に安心感を与えます。
 何が子どもの心をとらえるのか。その答えは、子どもを思う教師の心の中にあります。
 担任した瞬間から、自分のクラスを好きになる。その思いが、やがて子どもから返ってきます。
 教師が自分のクラスをほめ、子どもたちに自分のクラスへの肯定感をもたせる。
 教師が思っているだけでは、子どもたちには伝わりません。だから、思いを言葉にしてはっきり伝えます。
 教師がこのクラスでよかったと心から思えるようになるまでには、時間が必要かもしれません。そんなときは「このクラスもいいところがあるな」くらいの感覚でもいいのです。
 多少、無理してでも「いいクラスだね」「先生も、うれしいな」と、クラスを認め、ほめる言葉を、教師が意識して子どもたちに話すようにします。
 これを続けていくと、自分のクラスのいいところがたくさん見えてくるようになります。
 教師と子どもたちとの間のコミュニケーションが成立するきっかけは、子どもの素朴な質問や話を忙しくても、無視しないことです。
 思わず笑ってしまいそうな質問にも、ていねいに笑顔をそえて答えてあげましょう。世間話がきっかけで、子どもたちとの関係が深まっていきます。
 子どもが教師に安心感をいだくときは、手のぬくもりや、心のこもった言葉です。子どもの安心感はそこから生まれます。
 例えば、子どもは、どこか体の具合が悪いと「先生、気持ち悪いです」と言いにきます。
 こんなときは「先生のことが気持ち悪いの?」と、軽く冗談で返して、笑顔で額に手を当てます。
 熱がないようだったら「大丈夫みたいだよ」と話してあげます。これだけのことで、元気になる子が多いのです。
 もちろん、熱があるようだったら、すぐに保健室に連れて行って体温を測ります。そして保護者への連絡等を迅速に行います。
 軽いスキンシップを交えながら、共感的な対応をしてあげます。そうすることで、子どもは「先生は、自分を受け入れてくれている」という思いを持つようになります。
 不安な気持ちになっているときには、ほんの少しのスキンシップや、さりげない温かい言葉がうれしいのです。
 その結果、子どもは、自分を認めてくれる教師の存在を認め、自分の居場所を学級に感じるようになります。
 担任との関わりの中から、安心感を持たせていくことが大切なのです。
 私は、日記を宿題として毎日、子どもたちに書かせています。最初はいやな顔をする子もいます。
 けれども、書いていくうちに習慣となります。習慣は、ある心地よさや、満足感を与えてくれます。「楽しくなった」という子もあらわれて、子どもたちに変化が生まれます。
 私は毎日点検して一筆書いて、その日の内にノートを子どもたちに返します。その作業を私は給食の時間から昼休みにかけてやっています。慣れると快感になります。
 時間的に厳しいのであれば、一日おきに日記を書かせたり、班ごとに提出する曜日を分けたりするなど工夫すればよいでしょう。
 日記は教師と子どもの交換日記です。教師からの返事は、ほんの一、二文ですが、行き交うノートが教師と子どもの心を伝え合います。
 日記が、教師と子どもとの心をつないでくれるのです。
(
佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

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教師と子どもたちがつながるためのメッセージとは

 「教師の言うことは聞かなければならい」と思う子どもたちは、中学生では2割を切りました。教師の話は聞かなければと思う子どもたちは減っています。
 子どもたちのそのような見方がある中で、教師が「生徒がこうあるべきだ」という考えで高圧的に強く指導したとしても、うまくいかなかったりすることがあると思います。
 中学生にとって、教師よりも、友だちからどう見られているかを重視します。
 現代の学校の生徒指導には「この先生の話だったら、聞きたいな」という、教師と生徒の信頼関係が必要です。
 生徒は自分を理解してくれている教師の言うことを尊重します。教師は生徒理解を大切にし、信頼関係を結び、生徒と「つながる」ことが必要だと思うのです。
 次のようにことがありました。
 私が赴任した学校は、集会をするとき、整列するにも時間がかかり、私語が止まない。
 集会が終わるとお菓子のゴミが散乱し、空き教室では携帯電話から流れる音楽が爆音を響かせる。一般の生徒も、平気でお菓子を食べている姿がありました。
 私と同時に赴任して来たY先生が、私と同じ学年の学年主任をされました。
 学年集会でY先生が学年主任として、次のように話しました。
「つながってくれぇ!」という体育館に響きわたる大きな声を出し、驚いて多くの生徒がY先生の方を向きました。すると、
「ありがとう、つながってくれて」と、Y先生は言いました。 
 やんちゃな生徒が「何言ってんだ、うるせーぞ」と言うと
 Y先生は「ありがとう。反応してくれて」
 私語をせず話を聞いてくれている生徒に
「こっちを向いてくれるひと、ありがとうな」
「今、目が合ったひと。ありがとう、つながってくれて」
 Y先生は、話の中で何度も
怒鳴るような声で「つながってくれぇ!」
微笑みながら、優しく、ささやくような声で「ありがとう」
を繰り返しました。
 私は、あっけにとられました。おそらく、生徒もあっけにとられたでしょう。
 年度始めの学年集会でY先生の存在を生徒たちに大きく伝え、Y先生の価値観を伝えることになったと思います。
 集会で整列し、私語をせずに話を聞いている生徒たちを見逃さず、
「ありがとう」
「きちんとしている、あなたたちの姿を見ているよ」
というメッセージを伝えたのです。
 そして、反発する生徒にも
「反応してくれて、ありがとう」と言って
「反発することも反応のひとつ」であり、「つながる」という意味を広くとらえ、感謝する価値があるというメッセージを生徒と教職員に伝えることになったと思うのです。
 さらに、
「反発する生徒もふくめて、学年全員が大事な存在なのだ」
「教職員は、『お前たち生徒を一人も見放さないぞ!』」
という、Y先生の信念を生徒たちや、教職員に伝えることになったと思うのです。
(
山本宏幸:新潟県上越市立中学校教師)

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保護者のイチャモンは、教師が子どもと「ふれあう時間」が減少すればするほど増える

 私が2000ぐらいの事例を集めた結果からいえる大原則は
 
「子どもとふれあう時間が減少すればするほど、イチャモンが増える」
 当たり前のことですが、保護者はわが子がどのようにあつかわれているかに最大の関心を持っています。
 担任がわが子のことをじっくりと見ていてくれるという安心感があれば、多少のトラブルは、すぐに解決に結びつくことが多いと思います。
 しかし、合理性がどこまであるのか疑わしいような教育改革が、学校現場で渦巻いています。教師は職員室で書類に目を通しているか、パソコンに向き合っている状態です。
 私が学校現場を歩き回ってみて、教師が子どもと接する時間が大幅に減ってきている実態を実感しています。
 子どもと教師が接する時間が減れば減るほど、行きちがいが発生する可能性が高くなります。
 また、同じように忙しく立ちまわっている保護者と子どもの間にもズレが生じることでしょう。それは教師と保護者とのズレにもなります。
 もし、子どもと教師が接したり、話したりする時間があれば、かりにトラブルが生じたとしても、それが大きくこじれることはないと思います。
 しかし、その時間やゆとりが学校現場から急速になくなっていることが問題です。
 重ねていうと、だからこそ、子どもたちの前に教師を「戻す」ということがいま、緊急に求められていると思います。
 保護者のみなさん、学校というところに、ぜひ一日でも二日でもいいから、先生に小判ザメのように張りつくかたちで、いっしょに動いてみてください。
「そんなヒマないわ」と思われたら、一時間でも結構です。
 いま学校の教師が、どのようなサイクルで、どう行動しているか、見ていただくと、よくわかるはずだと思います。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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学級崩壊を回復する具体的な取り組みとは

 

 学級崩壊を回復するにはどうすればよいでしょうか。それには、
1 校内体制づくりをする
 まず、管理職が、崩壊学級を全教職員で援助することを伝え、協力を取りつけます。
 管理職は担任を責めてはいけません。
 問題解決のため、チームをつくり、支援体制を確立します。
2 緊急の保護者会を開く
 できるだけ早く、緊急の保護者会を開きます。学校が積極的に対応する姿勢を示し、協力を要請します。保護者会の内容は
(1)
学級の実態を伝える。
(2)
保護者の言い分を十分に聞く。
(3)
学校から、決意と具体策を示す。
(4)
保護者に協力を呼びかけます。
 子どもたちも「なんか先生がやるみたいだぞ」という雰囲気になってきます。
3 学級生活を総括し、再契約をする
1)
多くの子どもが傷ついていること、学習が遅れていることを説明します。
2)
学級生活をふり返り「このままでいいのか」「今、学級にどんなことを思っているか」を紙に書かせます。
3)
教師がそれをまとめ、学級の現実をみんなで確かめます。
4)
教師から今後の対策を提案します。
(1)
居心地のいいクラスにするために、ルールを見直す。
(2)
いったん学級を小グループに分割する。
 理想的には1グループ6人くらいです。私が介入に入った学級は3グループ(担任、教頭、教育相談担当)で各10人でした。
 座席はグループごとに座り、他のグループと距離を置き、グループ単位に進めます。
(3)
個人的な話や悩みの受付け窓口をつくる。
5)
クラスを分割して協力する教師の立ち会いで、再契約を宣言します。 
6)
授業
 プリントを使った個別学習から始めます。グループごとに教師がついて面倒をみます。
 プリントの内容は、教科書の大事なところだけに精選します。
 授業は担任が全体に指示を出し、各グループを担当する教師が子どもたちを指導します。
 早く終わった子には、発展教材をやらせたり、本を読ませたりします。
 全員が終わったグループは、おしやべりをするようにしてもいいです。
4 対応の留意点
 子どもたちは、徹底的に教師にくってかかります。
「自分たちは、先生から悪く思われている」と思っています。だから、絶対に叱ってはダメです。常に説得的に語ります。
 一つの作業に集中して取り組みません。一回の作業量を減らし、細かくチェックしながら進めます。
 始めは、子どもが自分で丸つけをするか、教師がチェックします。
5 指示と注意、話し方を変える
(1)
「これからどうするか」という視点をもつ

  過去のことを持ちださないで「こうしたほうが○○だよ」と言います。
(2)
グループ活動ができるようにする
 教師の指示に従わず、反抗する悪循環を断ち切っていきます。
 グループのように小さい集団だと、教師の指示が自分のこととして感じられるので、練習すると、グループ活動ができやすくなります。
(3)
教師全員が歩調を合わす
 教師全員が同じ方法で注意を与えるようにする。ポイントは、受け入れやすいように、子ども一人ずつ、叱らずに説得するように語りかけます。
(4)
担任が指導方法を練習する
 子どもたち「一人ひとりの存在を認めながら、子どものためを思って指導している」ことを、的確に伝える練習をします。
6 グループでゲームや遊びをする
 簡単なルールのゲームや遊びをして、人間関係の緊張を和らげる。
7 各グループを集めてゲームや遊び
 担任がリーダーシップをとって、人間関係づくりとルールを守る体験をする。
8 グループで共同活動をする
 各グループで調べ学習や詩集をつくり、まとめて発表会をする。
9 学級全体での生活を再開する
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者は苦手という教師が多い、保護者によい教師だと言われるようになるにはどうすればよいか

 保護者は苦手という教師が多い。そういった教師に共通する傾向は「どうつきあっていいのかわからない」からである。次のようにつきあってみたらどうだろうか。
(1)
保護者との会合をふやす
 保護者の本音は、教師と仲よくしたいのである。その願いにこたえるには、しばしば顔をあわせて、人間的な接触を深めることである。
 教師も保護者も、ともに交わりの能力が衰えてきているから、顔を合わせることを増やしていかなければ、相互理解は深まらない。
 学級通信だけ配布していれば、保護者との協力関係がすすむというものではない。
 しばしば顔をあわせていると、本音なとどがでて、両者の垣根も除かれていく。
(2)
ざっくばらんに率直に接する
 若い教師のなかには、保護者の前に出ると、
 
「バカにされないようにしよう」
 
「ケチをつけられないようにしよう」
 
「保護者が感心することを言おう」
 と、そんなことばかり気にしている例が多い。
 そうではなく、もっとざっくばらんに率直に接することである。
 わからないことは、わからないと正直に言えばよい。
(3)
教師くささを捨てる
 教師くささを捨て、一般的な社交儀礼にのっとって、交際すればいいのである。世間知らずの教師では、いまどきの保護者と楽しく談笑できないだろう。
(4)
子どもの悪口はいわず、子どものなかにある良い面を知らせる
 教師の接しかたひとつで、保護者の態度も変わってくる。それには、保護者に子どもの悪口を言わないことである。
 親は教師からの、わが子の非難の言葉にうんざりしているのである。
 保護者に子どもの話をするときは、子どものよい考えや行為を取り出して、知らせるようにする。
 そうした子どものとらえかた、人間観が保護者を変え、教師への信頼を回復させるのである。
(5)
保護者と一緒に考えていく
 教師が子どもの指導で困っていることは、実は、保護者も困っていることが多いのである。
 だから、保護者の責任を追及したってはじまらない。
 保護者といっしょに学習し、研究しながら「どうしたら、子どもがよくなるか」さぐることである。
 こうやってつきあっていくうち、お互いの気心も知れて、保護者の不信感、警戒心もうすらぎ「教師にだけは隠しておきたかったこと」も「先生にだけは話しておく」ようになる。
 親が「いい先生だ」といえば、子どもも「いい先生だ」となりやすい。子どもの指導が成立する条件が整うことになる。     
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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私は教師として「プロならこの場面、どう指導するのだろうか」と考えるようにしている

 私は「プロならこの場面、どう指導するのだろうか」と、常々、考えるようにしている。
 例えば、子どもを叱る場面。プロならば、子どもによって言う言葉を変えるだろう。その子の心に響く言葉を言うように努めるだろう。
 教師が指導をする前に、一呼吸置いてみる。そして、プロならば、どう指導するかを考えてみるのだ。
 私の場合は、周りに実力のある教師がいたので、その人ならどうするかを考えるようにしていた。
 そして、行動した後で、自分の指導を振り返るようにしていた。
 例えば「あの場面で、あとひと工夫、何かできなかっただろうか」と、放課後に、一人で反省していた。
 そして、今日一日の行動を日誌に記録していった。今日の指導の姿をつづっていた。
 日誌には「あの場面は、別の行動のほうがよかったのではないか」という自己反省の記録も多く残されている。
 新任の教師は、つい感情的に指導したり、行き当たりばったりで指導したり、といったこともあるだろう。
 しかし「プロならどう行動するだろうか」と考えれば、それだけでも進歩である。プロの言動を考え、今の自分よりも少し上の行動をめざす。
 こうすれば、前よりも少しましな指導ができるようになるだろう。
 こうしたことを繰り返して、プロらしい指導がだんだんと板についてくるのだと考えている。
 若い教師は、他のクラスの学級運営が気になるものだ。すばらしい学級運営をしているように見えるものだ。
 若い教師は、自分のクラスだけが、何だか、がちゃがちゃとうるさい。そんな劣等感をもちやすい。自分の周りの教師がすばらしく見えるのが若い頃である。
 しかし、実はどのベテラン教師も、苦労を重ねてきたのだ。おおっぴらに話せない過去の一つや二つはある。
 学級崩壊をしたとか、いじめで困ったとか、保護者のクレームに悩まされたとか、様々な困難に出会って、それを乗り越えて今のすばらしい姿があるのだ。
 だからこそ、今、必死になって学級経営をして、良い学級になっているのである。
 それを若い教師は
「力を抜いて学級経営をしているのに、すばらしい学級ができている。自分には力がないのだろうか」
「自分も余裕ある振りをしよう。努力しなくてもいいのかもしれない」
と、勘違いする。偽りの余裕でごまかそうとする。
 ベテランを見て真似すべきは、余裕の裏に隠れている必死さである。
 若い教師は、もっと貧欲に学び、もっと汗を流して行動した方がいい。
 今、しなくてはならないことに全力投球している教師が、子どもからも保護者からも慕われる実力派の教師になっていくのである。
 いかなるプロと言われる教師も、ある日、突然プロ教師になったわけではない。自分の理想を必死で追い続けようとする教師だけが、プロ教師になるのである。
 私は、そういう意味で、プロといわれる教師が歩んできたプロセスこそ、注目すべきだと考えていた。
 そして、めざすべきプロ教師が、自分と同じ年齢のときに、どのようなことをしていたのかを知るように努めてきた。
 そして、同じ年齢のときの実践や教育への情熱に負けないよう、意識して行動するように努めた。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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子どもが反抗期で、ちょっと注意しただけでも「うるせぇー」と怒鳴ります、どうすればよいのでしょうか

 中学生になった息子は反抗期で、ちょっと注意しただけでも「うるせぇー」と怒鳴ります。
 こんな息子の言動が理解できず、何を考えているのか聞いても、親には口をきこうとさえしません。
 毎日、はれものに触るようにして毎日を送っています。どのように対応したらよいのでしょうか。
 子どもは反抗期を通して、精神的にも身体の面でも、子どもから大人へと成長していきます。
 反抗の表れ方には個人差があります。子どもの性格、育ち方、親子関係のあり方などによって表れ方が異なると考えてよいでしょう。
 親への反抗が激しい子どもは、理由がなくても常にイライラしています。
 甘えられる、支配できる、信頼できる人には、理由がなくても感情をついぶつけてしまいます。
 後になって「あんなこと言わなければよかった」と、自己嫌悪が起きたりします。さらに自分に腹を立てたりしてしまう。そんなことを繰り返しています。
 この「甘え」は母親に対して最も強く起こります。口をきいても「小遣いよこせ」「めし早くしろよー」「うるせー」の三種類ぐらいで、命令形です。
 そんな子どもの態度や言葉づかいを親がむきになって、直そうと注意しても、反抗期にはほとんど効果はありません。
 反抗期の子どもを持つ親は、対応の線引きをしっかりつければ、気持ちのうえでも楽になります。線引きのポイントは、
(1)
小学生あつかいしない。中学生として許せる範囲をひろげる。
  その分、責任も生じることを日ごろから理解させておく。
(2)
外食に、親と一緒に行くか、行かないかなどの、非社会的なことは、本人の意思を尊重する。
(3)
法律に触れる行為には、親が絶対に許さない姿勢が大切です。
(
牟田武生:1947年生まれ、民間教育施設「教育研究所」を設立し、特に不登校の子どもの援助活動を中心に行う実践家)

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高圧的に文句を言ってくる保護者に、どう対応すればよいのでしょうか

 Aくんは、級友に何度もちょっかいをだしたり、悪口を言ったり、いたずらをしたりします。教師が注意をすると、ふてくされます。
 そのAくんの父親が、突然、学校に怒鳴り込んできました。
「うち子が悪いわけではないのに、他の子と一緒に怒られたと言っている」
「いったいどういうことだ。怒った教師を出せ」
 まず、落ち着いてもらおうと、会議室に案内しました。
 教頭、学級担任、教科担任など、指導に関わった先生数名で話を聞くことにしました。
「グループで何か調べている時に、遊んでいる子がいて、グループ全員が怒られた。うちの子は遊んでいなかったと言っている。どうして怒られるのか」
「社会科の時間に図書室でグループで調べていました。Aくんのグループはふざけっこを始めたので、注意しました。しばらくしてまた始めたので、もう一度注意しました」
「うちの子はやってないと言っている」
「その時、本人もふざけっこをしていたと言っていたのですが」
「前にも、やっていないことで怒られたと言っている。どういうことだ」
「それは、いつ頃のどんなことでしょうか」
「いや、それはよく分からない」
 話をしているうちに、父親は子どもから聞いている話との食い違いや自分の思い込みに気づいたようで、少しずつトーンダウンしてきました。
 高圧的になる人は、高圧的にならざるを得ない理由があります。弱みを隠そうとして高圧的になるのです。
 自分の弱さや辛さを守るために高圧的になっています。
 高圧的な保護者が守ろうとしているのは何かに気づくことです。
 それは、子どものことかも知れません。保護者自身や家庭のことかもしれません。
 まず、保護者が守ろうとしていることに共感しましょう。
 その際、守ろうとしてことを、それとなくほめるようにします。
「お子さんが学校できちんとやっているかどうか、いつもご心配してくださっているのですね。ありがとうございます」
などです。
 そして、保護者が落ち着いたところで、あらためて事実をはっきりとさせます。冷静に事実のみを確認していきます。そして、了解をいただくようにします。
(山中伸之:1958年生まれ。栃木県公立小・中学校教師。実感道徳研究会会長 日本群読教育の会常任委員)

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教師が子どもたち一人ひとりとつながり、子ども同士もつながるにはどうすればよいのでしょうか

 若かりし頃の私は「学級を統率しよう」と権力を握るため躍起になっていました。周りの権力をもった教師は腕力が強く声の大きい威圧感のある男性教師でした。
 私も腕を組んだり、腰に手をやったり、命令口調で荒っぽい言葉を使ったりしました。
 だが、二十歳代のただのお姉ちゃん教師が、生徒たちを不必要にムカつかせ、あえなく権力闘争に敗れてしまいました。私は自信をなくしてしまい、教師も辞めようと思いました。
 そんな時、私を救ってくれたのは、愛知学院大学教授 深山富男氏の
「生徒を人生を生きる仲間と感じて生活していきなさい」
という言葉でした。今でも先生の表情も声の感じも、はっきりと覚えています。
 
「共に生きる仲間」というふうに生徒のことを考えたがありませんでしたから、衝撃でした。それからは、生徒との関係がスムーズになっていきました。
 生徒をコントロールする対象とは考えず、共に苦楽を分かち合う人生の仲間と感じられれば、学級が教師も含め最高のチームになるのは時間の問題です。
 教師が生徒とつながるために私は、本音で話し動く、口ではなく実行する、生徒が間違った言動をすればその理由を尋ね、道理を理解させ、どうすればよいか考えさせる、ようにしています。
 教師と一人の生徒がつながると、そのつなげ方を、他の生徒はじっと見ています。自分と重ね合わせて見ています。
 教師のつなげ方が生徒たちの心にバチッとはまったら、見ている生徒ともつながるし、生徒同士もつながってしまいます。
 共に生活している者たちが互いに理解しあい、思いやりを持ち合い、温かいチームになることができます。
 そのためのコツは、痛みと弱みを共有することです。
 人はできたり、強かったりする部分だけではありません。弱い痛みをもっています。人に見せたくない部分を見せ合えば、あとは何も怖いものはありません。
 まず教師が自己開示することが一番効果的です。私には弱みや痛み、傷がいっぱいあります。大学をも教員採用も浪人している。若い頃はダメな教師、息子はいじめを受け私は母として捨て身で戦った。
 いじめや人権の道徳の授業で息子の話をしたとき、何人もの生徒たちが教卓に寄ってきて、涙を浮かべ「先生、実は私の弟もそうなんです」
 そうなると「親が離婚して、母と二人暮らしなんだ」「おれんちは別居中」などと、本当の気持ちの交流になっていきます。
 クラスが安全基地、ここに来れば癒され、立ち上がれる。クラスがそんな家になっていくのです。
 心が揺れている中学生が聞いても役に立たないのは一般論です。ではどんな言葉がけがよいのでしょうか。
 それは、教師が一人の人間として、わき上がってきた感情や思いを「私はこう思うよ」と伝えることです。導くのではなく、一人の人間として対峙するのです。
(
堀川真理:1963年生まれ、新潟市公立中学校教師。学校心理士、カウンセラー。カウンセリング・ワークショップ「サイコドラマ新潟」主宰) 

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転勤して担任を受け持ったたが、学級の荒れや保護者対応に、身も心も疲弊してしまった

 A教師は授業も特別活動も熱心に取り組み、熱意を持って子どもに接してきた。転勤するまでは特につまずくことなく、農村部で3校の学校を経験し教師の仕事に燃えていた。
 都市部の大規模校に転勤し、5年生の担任となった。教育熱心な親が多かった。
 1学期途中から、女子3名が問題行動を起こすようになった。禁止している物を学校に持ってくる、授業中に出歩く、エスケープする、集団で万引きをした。
 保護者の協力を得ることが必要と考え、問題を起こす子どもの親を呼んで話をしたり、家庭訪問もしたが、一向に改善されなかった。
 1学期後半には3人に追随する子どもも出てきたので学級会で考えさせたり、校長と相談し、保護者会を開催した。
 しかし、保護者会では
「男の先生なのだから、しっかり子どもたちを締めてくれると期待していたのに」
「担任や学校の指導が悪い」
と学校批判の会のようになってしまった。
 A教師は弁解に終始するしかなく「よそから来た新米教師として、親から値踏みされている」ような嫌な感じを抱いた。
 その後、学年主任が中心になってA教師をサポートし、子どもたちへ様々な働きかけを行った。しかし、3人が「それ嫌だ」と言い出すと周りの子も同調したり、注意してもその場限りで効果がなかった。
 学級の指導に行きづまりを感じるようになっていった。まじめな子の親から「何とか早く学級を立て直してほしい」と苦情が寄せられた。
 
「にっちもさっちもいかない」という気持ちが強くなり、疲れがとれずに、だるい感じが続き、出勤したくない気分に襲われる日が多くなった。真剣に教師をやめることを考えるようになった。
 転勤直後ということが、対応を難しくした。慣れない土地柄や学校風土の違いから、それまでの自分のやり方がうまく通じない。
 
「少しでも早く周りの期待に応えて、しっかりとしたクラスにしなければ」という焦りから、子どもや保護者への対応が空回りしてしまった。
 そうなると、全体を見渡したり、長期的に考えたりして行動することができなくなり、行きづまりばかりが浮きあがって、身体も心も疲弊してしまうことになった。
 結局、1年間、精神的に苦しい状況が続き、やめたいという気持ちが常に頭から離れなかった。
 クラスの子どもが6年に進級したときに、違う学年の担任になったことで気持ちが楽になった。そのまま6年にもち上がっていたら、教師をやめていたかも知れないとA教師は語った。
(
古川 治:1948年生まれ、大阪府公立小学校教師・指導主事・校長、東大阪大学教授を経て、甲南大学特任教授)

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子どもにトラブルがあったとき、教師が保護者に謝罪のことばを軽々しく口にしてはいけないのでしょうか

 新任の教師に「あなたの困っていることは?」と問うアンケートの結果を見ても、圧倒的に「保護者対応」が一位を占める状況にあります。
 保護者が訴訟を口にするような世の中です。今や教育の現場で「訴訟のための保険加入」を勧める動きがあり、結構な数で個人加入者が増えていると聞きます。
 教師が「自分の身は自分で守らなければ、誰も守ってくれない社会になっていることを自覚せねばならない時が到来している」のだと思うと、悲しい気持ちになります。
 教師の研修会で法律の専門家は、何か事件があったとき
「教師は、保護者にすぐに『すみません』という言葉を言ってはいけません」
「それが法廷では、法的な謝罪を意味することになります」
「非常に危険だということを教師は分かっていない」
と、講演した。
 ほんとうに、そうなのでしょうか。
 その研修会を受講した教師たちは
「もし、法律の専門家の言うようにやっていたら、学校と保護者の関係がもっと大変なことになるのではないか」
「学校現場では通用しないのではないか」
と話していた。
 私たち教師は、法律の専門家が言われるように、保護者に謝罪してはいけないのでしょうか。
 私は保護者に謝罪してはいけないとは思いません。むしろ、子どもに最初に発する言葉として
「○○ちゃんにも辛い思いをさせて、お母さんにも心配かけたねえ。ごめんね」
と謝罪するのが適切ではないかと思うのです。
 教師が、そうした場面に直面して、子どもや保護者の気持ちに寄り添うことばかけをするからこそ、まるく収まるものがあります。
 例えば、もめごとで、△△ちゃんが○○ちゃんにケガをさせたとき、法律の専門家が言うように
「○○ちゃんと、△△ちゃんの、もめごとで、○○ちゃんがケガをしたのですね」
「因果関係が立証されていないので、正確に時系列で調べてから、お返事します」
と言うと、保護者の怒りは倍増すること間違いなしです。
 初期対応で、ケガをした子どもとその保護者に癒しのことばをかけないと、問題が大きくなります。
 ケガをした子どもとその保護者へ癒しのことばをかけないから、問題が大きくなり、初期対応に失敗したと言われます。
 私たち教師は法律の専門家ではありません。
 したがって、道義的な謝罪のことばも法的には「謝りを認めたこと」になるのかもしれません。
 しかし、学校では日常、子どもや保護者の心に添うようなことばがけが大切だということは、学校では当たり前のことだと思います。
 謝罪のことばがあるからこそ、対応が進むのではないでしょうか。 
 管理職が教師が謝罪したことばの真意を伝え、法的にも守れるような働きかけをしてくださるのが、法律の専門家と言われる人たちの立場ではないでしょうか。
(
西林幸三郎:大阪市公立小学校教師、大阪市教育委員会教育相談室長、校長を経て、大阪芸術大学初等芸術教育学科教授。児童虐待防止協会執行理事、大津市いじめ事件に関する第三者調査委員会委員、「NPO法人こころの子育てインターねっと関西」運営委員、臨床心理士)

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私が新任で担任して起きた、いじめ、保護者のトラブル、パニック事件とは

 初任で小学校4年の担任になりました。夏休みに子どもたちは大きく変化しました。ギャングエイジに突入し、先生よりも友だちが最強な時期となったのです。
 9月になって、子どもたちは落ち着きがなくなりました。
 話には聞いていたものの、子どもたちの変化に驚き、戸惑いました。どう接したらよいのか、迷いが生まれました。
 運動会が9月下旬にあるので、熱いさなか、連日練習ざんまいの日々でした。
 運動会当日の朝、子どもたちは興奮して騒がしくしていました。
 Aさんを真ん中にしてクラスの4名がキャッチボールをしていました。Aさんにわざと当てて、いじめているような様子が見られました。
 あわててやめさせましたが、十分な指導をすることができず、保護者を交えた指導にまで発展し、11月頃まで尾を引きました。
 運動会の準備や学年の仕事、初任者研修などに追われ、子どもたちと向き合う時間が少なかったこと、子どもの変化に気づけていなかったことを思い知らされた事件でした。
 いじめ事件が発生した後、落ち着くまで時間がかかったこともあり、クラスの中にはぎこちない雰囲気が漂っていました。
 Cさんの母親は、わが子がクラスの中で浮いているのではないかと気にしていたようです。その中で、BさんがCさんの母親のことを「○○さん(男性ミュージシャン)に似てるね」と言ったことが大きな問題になりました。
 Cさんの母親は、わが子のみならず、自分もバカにされているのではと、感情的になったのです。最終的には「弁護士を呼ぶ!」との騒ぎにまで発展してしまいました。
 この件を経験して、保護者が孤立し、思い悩むことのないよう、日頃からの連携が大切であると、しみじみ感じることになりました。
 2月のある日の掃除の時間に、いつもリーダーシップを発揮するDさんが「オバケがいる!」と叫びました。私は「大丈夫、いないよ」と言って、5時間目の準備のために職員室へプリントを取りに行きました。
 教室に戻ってみると、クラスは大騒ぎになっていました。やんちゃな子がクラス中に「オバケがいる」と言いふらし、恐がりな子たちは泣き、他の子どもたちも「見える」と言いだし、パニック状態になっていたのです。
 パニック状態がエスカレートし、45分間泣き続ける集団ヒステリー状態になり、私はなすすべもなく立ちつくしてしまいました。指導教員から学級崩壊と言われました。
 私が、クラスの統率力がなかったせいで収束できなかったのか、もっと効果的な話し方があったのか、今でもどうすればよかったのかがわからない事件となりました。
(
山田桃子:小学校教師)


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子どもの指名や評価に「ひいきがある」と保護者に言われたとき、どうすればよいのでしょうか

 教師は教育実践上の具体的な指導方法については、法的に一定の裁量権が認められています。
 指名の方法、評価の方法について著しく不合理で裁量を逸脱するような場合を除いて、保護者の意見に従う義務はありません。
 法的な観点から、学校は意見のあった事項について、評価の根拠や特定のつながりがないかを検証し、裁量の範囲内のものかを判断することになります。
 通知表の作成については、直接定めた法律上の規定はなく、記載内容は学校(校長)の裁量権の範囲内にあります。
 教師Aは学級のどの子にも公平に接しているつもりでしたが「○○さんをひいきにしていませんか」と、ある保護者に言われてしまいました。どのようにすればよいのでしょうか。
 教師A自身、そんなつもりはないと思っていても、周りがそのように見ていることはよくあります。
 もちろん、指摘してもらった保護者には、感謝を表します。
 もしかすると、教師A自身、指名や評価の方法に何か問題があるかもしれません。
 指名については、挙手している子どもだけでなく、座っている子どもへも積極的に行い、誰を何回指名するかも教師がコントロールすべきです。
 また、評価の基準については、子どもたちや保護者に可能な範囲で事前に公表し、特に年度始めには「○○だったら、△△」と具体的に伝えましょう。
 また、「ひいきされている」と思われている子どもへの配慮も必要です。
 周囲の子どもたちからそう思われていることで、嫌な思いをしていないか、嫌がらせを受けていないかなどを把握する必要があります。
 特定の子どもをひいきにしていると思われても、教師は「自分は公平に子どもたちに接している」という気持ちをしっかりと持ちましょう。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)
(
大西隆司:1976年奈良県生まれ、弁護士)

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教師は電話の対応や保護者対応を誰からも教えられない、保護者のクレーム電話にどう対応すればよいのでしょうか

 教師は電話の対応を誰からも教えられないし、保護者との対応もほとんど学ばない。教師は自己流や見よう見まねでやっている。
 当然、保護者からクレームの電話があると、その対応にとまどう。どう対応すればよいのでしょうか。考えられる対応の方法をつきに示すと、
(1)
保護者の言いたいことを真摯に受けとめようと努める。
(2)
保護者の言い分を否定したり、さえぎったりせず、保護者が話したいことをじっくりと十分に聞く。
(3)
保護者の話を聞き終わったら「ご迷惑をおかけしました」など、保護者の気持ちを、やわらげる言葉をかける。
(4)
保護者の感情的な言葉に惑わされたりして、教師が感情的にならない。
(5)
教師は保護者を理屈でやりこめないで、穏やかな表現を使う。
(6)
教育の専門用語などを使うことは避ける。
(7)
高圧的な言葉づかいをしない。
(8)
用件をメモし、自分一人で急いで解決しないようにする。
(9)
教師は自分の手に負えないと判断したら、すぐに応対できる人に代わる。
(10)
面談の機会をつくり、じっくりと話し合うようにする。
(11)
クレームがあったことを主任、教頭などに伝達する。
(12)
回答を求められれば「いつ頃までに」「誰から」「どんな方法で」伝えるか話す。
(13)
処置はスピーディーに行う。
 教師は保護者との日常の関係を良好にしていることが大切である。何か起きたからと、その場のみ、コミュニケーションに努力しても効果があがらない。
 信頼感は、日常の取り組み態度から判断されることが多い。信頼される教師は努力して信頼されるようになろうとした結果である。
 保護者に信頼されようと努力することがコミュニケーション技術を高めるのである。そのためには、
(1)
保護者の立場を考え、率直、開放的に話し合いができる雰囲気を教師がつくる。
(2)
保護者が理解しやすい言葉づかいや行動をとる。
(3)
保護者に誠実な印象を与える。
(4)
問題解決に役立つように話し合いを進める。
(5)
良い結果になるよう、導く努力する。
(
高階玲治:1935年生まれ、小・中学校教師、北海道立教育研究所、盛岡大学教授、国立教育研究所企画調整部連絡協力室長、ベネッセ教育研究所所長、ベネッセ未来教育センター所長を経て教育創造センター所長)

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子どもが楽しむ笑いのある授業にするには、どう演出すればよいか

 授業をしている教師は脚本家であり舞台監督であり、演出家でもあると私は思っています。
 授業のシナリオを書き、必要な環境を準備し、子どもの動きや反応に向き合いながら、子どもが夢中になってくれるよう演出していく。
 遊び心を持ってつくる授業にはその思いの分だけ熱のようなものがこもります。
 その熱が子どもに伝わるからこそ、子どもたちが夢中になる授業が実現できるのではないか。そう思って様々な演出を夢中で試行錯誤しています。
 作文の授業で、私が次の一文を板書します。「悲しくて(    )歩いていました」
 さて、この(  )の中にはどんな言葉が入るかな、と聞くと(トボトボ)と書いた子どもがいました。
 その子どもを指名して前に出てきてもらい「どんな感じなのか歩いてみてくれる?」と実際にみんなの前でやってもらうと、その子は肩を落として、下を向いて、歩いてくれました。
 すかさず私が「確かに悲しそうやなあ」とコメント、子どもたちから笑い声がおき、教室がわきました。
 動作やジェスチャーなどを子どもたちにさせることは、授業を盛り上げる一つの演出になるのです。
 授業中に子どもを指名して発表させるとき、私は状況によって次のように使い分けるようにしています。
(1)
賛成か反対か挙手させる
(2)
まず、意見をノートに書いて、それを読みながら発表させる
(3)
隣同士で話し合いを合をさせてから、どちらか一人に「ペアの意見」として発表させる
(4)
意見が分かれたら人数の少ないほうから発表させる
(5)
一つの列を選んで順番に発表させていく
(6)
言いたい子全員を立たせて発表させる
(7)
教師は指名せず、言いたい子どもに自分で起立して発表させる
 授業中、脱線気味の子どもを注意すれば教室の空気が壊れることがあります。
 同じ子どもに何度も注意していると、次第に空気が淀んできます。クラスの雰囲気を壊さないために、「さっぱりとしたユーモア」を交えて次のように注意するようにしたのです。
「○○ちゃん、もし次、後ろ振り向いたら、きみの真横に森川先生のパネルを立てるから」
「○○ちゃん、スイッチ押したら、穴があいて落ちていくよ」
 笑いの素材は「子どもの言葉」の中にあります。授業における「笑い」で大切なのは「子どもの言葉で笑わせる」ということです。
 笑いをつくるきっかけは教師のツッコミであっても、笑いの主役はあくまで「子ども」にしたいと思うのです。
 子どもがツッコミを入れるからおもしろいのです。例えば、赤ちゃんの話は私のクラスの子どもたちの大好物です。少し、いたずらを仕掛けてみましょう。
「高い高~い。かわいいよね。赤ちゃんは。○○くん、きみもこうやって大事に育ってきたんやで~」「ほ~ら、高い、高~~~い」天高く赤ちゃんを放り投げるジェスチャー。
 子どもたちは、間髪入れずに「あかんやん」クラス中が大爆笑です。
 ここでこの子なら「こう言ってくれるだろう」「こんなことをしてくれるはず」というようなことを想像できるのは担任だけです。
 そのために、授業中の空気をよみとり、その子がお笑い担当なのか、笑いの受け手側にいるのか。子どもの性格や、生活の調子がいいときか、悪いときか、細かな観察が必要です。
 言葉に温かく対応できるクラスをつくろうとする教師の思いが、教師のツッコミを生み、笑いにつながる「子どものひと言」を生むのです。
 子どもたちが一番聞きたいのは自分のことやクラスの友だちが出てくる話です。
 話の中に個人名を入れて、鮮度が高いうちに具体的なエピソードを話してみましょう。子どもたちの食いつきは明らかに変わってくるはずです。
 教師の話し方を磨いてくれるのが、子どもたちの反応です。大きな笑いが起こった。反応が薄かった。子どもたちの様子を見て、ウケた話は記録しておくようにして、次に生かします。
 子どもたちが話を聞くとき、教師が一方的に話をすると、途中で飽きてしまうことがあります。そうならないようにするには、どうすればよいでしょうか。
 例えば、教師が子どもに「わかる? わかるよね? どうなったか!」といった「話の中に共感できる」ことが出てくれば、子どもたちを話に巻き込むことができます。話すときは「共感」の飛び石を置きましょう。
 話力をつけるために大切なことは、日ごろから「ストーリー思考」でいることです。
 遭遇したおもしろい話を「いかに子どもたちにリアルに話すか」を念頭に置きながら頭の中で話すことをくり返します。
 子どもたちはここで笑ってと、冒頭からオチまでをまず考えます。私は毎日のように、どう話したら子どもたちが笑ってくれるだろう、ということを考えています。
 授業で、うわあ、これはうまい伝え方だなあ、子どもがノッているなあ、という場面では必ず「話し方」に工夫があります。
 教師がそれまで蓄積してきた技が凝縮されてその空気をつくりだしているのです。話がうまくいったときはメモをします。常に意識していなければ話し上手になることはありません。
(
森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

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「お前は絶対に必要な人間なんだ」と言われれば、そこが子どもにとって安心して過ごせる居場所になる

 私がスクールカウンセリングをはじめた頃、すべての教師に反抗的な態度をとる女生徒のカウンセリングを引き受けた。
 女生徒は青春の孤独と悩みを抱かえていた。カウンセリングをはじめて半年ほどして退学した。
 最近、その女生徒が8年ぶりに私の病院を訪ねてきた。大学を卒業し、今は就職して親から自立して暮らしていると報告してくれた。明るく前向きに生きる大人の女性になっていた。
 「生徒指導のN先生と、吉田先生の二人が私の味方になってくれたから私は絶望せずにすんだし、いまこうして生きていられるんです。そのことをお伝えしたく、お訪ねしたんです」
 彼女が退学したとき、私は無力感にとらわれた。が、ささやかながら力になれたことを知って、肩の荷がおりた気分だった。
 どんなに意を尽くし、こころを込めて接しても、子どもがわかってくれない。しかし、そう見えても、心の中で徐々に変化が起こっている。外からは気づきにくい。子どもの成長とはそういうものだ。
 大事なことは、そうした子どもの回復力を信じて接することだと私は思っている。
 子どもがどんなに親に反抗しても、親は自分の子を見捨てないでほしい。どんなに手を焼かせる子でも、いつか必ず親の心情を理解するときがくるのだから。
 思春期の子どもは、自分は親や社会にどう見られているのだろうか、本当に必要とされているのだろうか、という不安を感じている。
 そんな宙ぶらりんの心理が問題行動の背景になっていることが少なくない。
 親や周囲の大人から「お前は絶対に必要な人間なんだ」と言われれば、そこが子どもにとって安心して過ごせる居場所になる。
 そんなことは口で言わなくても、わかっていると思うかもしれないが、子どもの様子が心配なら、あえて言ってほしい。何よりの支えになるはずだ。
(
吉田勝明:1956年福岡県生まれ、精神科専門医)

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新任で担任を受け持った一年間は困難や苦悩に満ちたものでした

 私の新任教師としての教師生活そのものが困難で苦悩の日々でした。
 経験不足や仕事がわかっていないことからくるものでした。指示や指導が適切でなく、子どもたちがどうすればいいのかわからなくて、困っている状況は毎度のことでした。うちのクラスだけ遅かったりしました。
 職場の教師は 「わからないことがあれば聞いてね」と言ってくれるけど、すべてがわからないので時間がかかり、それにつきあってもらえるという雰囲気がないから、結局何も聞けなくなってしまう。
 
いつ、どのタイミングで何を聞いていいかもわからなくて、そのことが次の失敗へとつながっていきました。
 新任者研修の出張の日に、T男が学校を抜け出しました。その日からT男との格闘の日々が続きました。
 私を小バカにし「あっそ、よかったね」「無理ー、拒否ー」「こっち見んといて」「なんで先生がきめんねん」「死ね」と暴言を投げつけてきます。
 クラスの子にも暴力、暴言、落書き、嘘をついたり、学校で一番の問題児となりました。
 そんなT男がいるクラスで、私はまともに授業も指導もできないのですから、子どもの不満はたまってきます。正直に言って、T男がいなければどれだけ楽だろうかと思った。
「クラスの雰囲気づくりには遊びが有効よ」と言われ、ドツジボールをしてみると、ケンカが始まります。
 何をしても悪循環に陥る中で、私と子どもたちの関係は悪化していきました。
 子どもの不満は保護者にも伝わり、保護者も不満を持つようになりました。口に出して攻撃してくる保護者がほとんどいなかったことが救いでした。
 T男とのことは苦悩の一つだったけど、それでもなんとかやってこられたのは、二人とも阪神ファンだったことです。T男と野球をしているときは、あの挑発的で憎々しいまでの表情が嘘のような、子どもらしい表情でした。
 これから先、今までと違う関係をつくっていけるかも知れないという前向きな気持ちを持たせてくれた。
 T男の家を家庭訪問したとき、家での楽しみがほとんどないことを知りました。T男の問題行動の背景には、育ちの中でのしんどさがあることが見えてきました。
 それが困難を受けとめるクッションのようになり、学校でどんなことができるか前向きに考える回路が出来るようになりました。
 初任者研修で私と同じように苦悩を抱えている教師がいることを知って、希望や勇気を与えてくれました。
 その教師は保護者対応でトラブルがあった。でも、親の言い分を理解しようと努め、その親の生活を知ることで、自分の考え方をもう一度とらえ直していった。
 
「あ、私だけじゃない。やっぱり、その子や親の生活を知るって大切なことなんやな」と安心させてくれました。
 学校の職場では、じっくりと同僚教師と話す時間がありません。そんな中で、サークルや研究会の仲間たちとのつながりは本当に大きなものでした。
 それらの場で、自分の困難や苦悩を語り、吐きだしていました。そのために、その時感じたことをメモに書き残していました。書き残したことで、自分の状態を客観的にみることができたのだと思います。
 それと、サークルや研究会で仲間が必死に生きていこうとしている姿や話を聴くことで励まされ、勇気づけられました。
(
石垣雅也:1974年生まれ、滋賀県公立小学校教師。滋賀教科研会員)

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学級崩壊の原因に子ども、保護者、教師がどのようにかかわっているか

 学校現場では学級崩壊の原因は何であるか問われます。まじめな教師は自分自身の問題と、常に問われているような感覚に陥って精神的にまいってしまうこともあります。
 学級崩壊が生じるときの原因は、大きくわけると、子ども、保護者、教師、社会と4つに分けることができます。その内3つについてとりあげてみます。
1 子ども
(1)
子どもは内面にいらだちや不安を抱いている
 学級崩壊の発端となる子どもとしてあげられるのは、内面に「いらだちや不安を抱いている」ということです。それが教師に対する反抗やいじめなどの行動で表現するわけです。
(2)
周囲の子どもたちは楽な方に流れる
 正義感はあるが、立ち向かわない。周囲の子どもたちが、まあ楽な方がいいやと、学級崩壊を助長する傾向があります。自分に火の粉がかからないようにしようというタイプの子どもたちが多いときに起こりやすい。
(3)
ルールを守らない
 ルールなんて守らなくていいんだ、という感覚を持っていて反発する子どもがいます。
 ルールを守らないと他の人と仲良くすることが難しくなる、という経験が少なくなっています。クラス全体にそういった空気が漂うと学級崩壊が広がりやすくなる。
(4)
教師の言うことは正しく、守らないといけないという気持ちが減少している
(5)
集団行動が困難な子どもたちが増えている
 身辺の自立ができないような子どもが増え、きちんとすることができず、集団が苦手な子どもたちが増えている。
(6)
幼児期に受けた教育やしつけなどの個人差が大きくなっている
 幼児教育や家庭でのしつけなどが、以前よりも子どもたちの間で差が大きくなっている。
(7)
年上の人を敬い尊敬する感覚が乏しい
 大人をばかにしている子どもたちが増えています。父親的な権威が失墜して教師を敬わなくなっているのです。教わるという関係が崩れ、軽く受け取られて、学級崩壊が起こりやすくなっています。
(8)
生活経験が乏しくなり、対人関係がへたになっている
 少子化時代で、きょうだいケンカして仲直りするといった経験が少なくなっていて、対人関係がへたになっているのです。
2 保護者
 保護者が教師を尊敬していないと、子どもたちは敏感に反応して真似ていることがあります。
 そういう意味では、学級崩壊の発端となる子どもの保護者は教師や学校に対しての信頼感が少ないという特徴があります。
 現代社会は知らない者同士が寄り集まっていて、誰しも疑心暗鬼になっています。
「今年の担任は大丈夫だろうか?」と信用していないために、教師への質問や要求は多くなります。こういう状況の中では、ささいなことでトラブルに発展していきます。
 結局、担任を信用していないので、話し合って妥協するとか、解決するということが、なおざりにされて、どっちが正しいのかと迫ってくる保護者が多くなっているのです。
 ますます教師が安心して教育することが出来にくくなっています。
 家庭でのしつけの部分を教師におしつけたりする保護者も学級崩壊につながる子どもたちの親としてあげられます。
3 教師
(1)
教師への求心力が低下している
 以前、教師は信用され尊敬されてきたので、自ずと求心力は備わっていたのですが、現代では教師が自ら努力して身につける必要が起こっているのです。
 教師という仕事は、対人関係を中心としていて、子どもたちみんなを引き上げる力を必要とする職業なのです。
(2)
柔軟性に欠ける
 
「○○でなければならない」「△△するべきだ」が強すぎるガンコな教師は、現代の学校ではうまく指導できなくなっています。
 最近の保護者のあり方とずいぶん食い違ってきているためにズレが生じているのです。
 それは、子どもたちにも反映されてきていて、強く指導しようとすると子どもたちに反発されて、うまくいかないことがしばしば起きています。
 
「以前うまくいっていた指導が通らくなった」という教師の言葉が聞かれます。
 子どもたちの姿と教師の姿に大きな隔たりがあるとうまくかみあわいのです。柔軟性が求められます。
(3)
人間関係が苦手
 子どもたちとうまくいっていても、保護者のほうから問題が投げかけられてくることもあります。
 それは信頼関係づくりの失敗ということになるのですが、教師自身、対人関係、特に大人との人間関係が苦手な教師にそういう事態が起きるときがあります。
 そういう場合は、決まってその教師は管理職や周囲の教師間でも孤立していて、周りから不信感を持たれているのです。つまり学校の中で信用を失っているときも学級崩壊の発端になります。
 また、それは学校全体の雰囲気に問題があったり、教師間の連携に障害があったりもしますので、管理職の責任でもあります。
(
川畑友二:長崎大学附属病院、関東中央病院神経精神科医長を経て、クリニック川畑院長。児童分析臨床研究会代表)

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子どもが問題行動をしたとき、子どもを理解して叱るためにはどうすればよいのでしょうか

 まず、子どもの起こした問題行動に対しては、親自身が心を平静に保つことが求められます。そのためには
「ア」:あわてない
「イ」:いらいらしない
「ウ」:うろたえない
「エ」:遠慮しないで、全容が分かるまで冷静に話を聞く
「オ」:怒らない。何も理解しないうちに子どもを怒らない。
「ニ」:逃げないで、子どもと一緒になって解決していきましょう。
 問題が起こった時には、その背景を理解することによって、子どもの心の動きや問題の深さがわかります。そしてそのことが、今後の問題行動の予防にもなります。
 子どもが悪いことをしたら
「そのような悪いことをする気持ちがどうして起きたのか」
「どうして、そのような間違った行動をしたのか」
「その時、葛藤、苦しみ、良心の痛みがなかったのか」
を親が理解し、子どもの問題点を整理することが大切です。
そのためには、
「カ」:過去のことを整理する。問題行動に関連する過去のことを整理しましょう。
「キ」:気持ちを聞く。感情を深く分かってあげる。
「ク」:苦しみを理解してあげる。
「ケ」:結論をなぜ出したのか。
「コ」:行動した気持ちや思いの変化を考える。
 そうすることの中に、子どもが自然と誤りに気づくテクニックが潜んでいるのです。
 子どもが問題行動を起こした時に、その気持ちや苦しみを親が理解して「誤りを正す」のと、何も理解しないで「頭から誤りを正す」のとでは、親と子どもとの信頼関係は全く異なってきます。
 最後に、「悪いものは、悪い」と、親の考えを明確に伝えることにしましょう。子どもを叱るときには、
「サ」:先取りした注意をやってはいけません。
   「もう一度、同じことをしたら承知しないよ」
   といった、先取りした注意は「親は私のことを信用していない」と、子どもの心を傷つけます。
「シ」:しっかりとした態度で叱る。
「ス」:すっきりと分かりやすく。
「セ」:責任の所在を明確にする。
「ソ」:「相談はいつでものるからね」と伝えてあげましょう。
 たとえ、親が受容し、子どもを理解しても、子どもに反省がなければ、人間として成長できません。悪いことをしたときは、子どもを叱ることが必要になります。
(
牟田武生:1947年生まれ、民間教育施設「教育研究所」を設立し、特に不登校の子どもの援助活動を中心に行う実践家)

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教師に反抗的な態度をとる子に、どう対応すればよいのでしょうか

 教師の揚げ足をとったり、指示をわざと聞き流したりするような子がいる場合、他の子どもたちもその雰囲気にのまれないよう、教師は毅然とした態度をとることが必要です。
 教師に反抗的な態度をとる子は、教師がイライラするような言動をあえてとります。
 教師が感情的に対処すると、その子との関係が悪くなり、周囲の子どもたちも「振り回されている教師のせいで、学級の雰囲気が悪くなる」と感じています。
 どう対応すればよいのでしょうか。
(1)
学級のルールを明確にする
 反抗的な子どもに対しては「なんだ、その態度は!」と言うのではなく
 
「みんなでこのルールを守ろうと決めました。だから、これは認められません」
と言えるように、おりに触れ、ルールを学級全体で確認したり、教師の考えを学級全員に伝えたりする時間を設けます。
 それと、子どもが教師に反抗的な態度をとったとき、教師とその子との一対一の対立構造にせず「これは正しいことですか?」と、みんなでルールを確かめるようにします。
 多くの子どもたちが同じように判断する中では、教師に対して無茶なことを言いづらくなります。
(2)
教師は子どもたちに対する言葉づかいに気をつける 
 教師が子どもたちに言った言葉に
 
「さっきは、こう言ったくせに」
 
「あの子にはこう言ったのに」
 などと、反抗のきっかけにします。
 教師は、ていねいな言葉づかいを心がけます。話す速さもゆっくりと
「○○さん、それはこういうことですね」
と、落ち着いた口調で、その都度違うことを言わないように気をつけながら話します。
(3)
ながながと説教しない
 その場で、態度を改めさせ「ごめんなさい」と言わせようとすると、話が長くなり、雰囲気も悪くなります。待たされている子どもたちもうんざりします。
 それが反抗的な態度を助長します。さらに、周囲の子どもたちまで同調してしまうと、指示が通らなくなってしまいます。
 深追いをせず、いけないことを「いけない」と伝えたら、すっと切り替えて授業を進めます。時には反抗的な言動をあえて取り上げないようにします。
 周囲の子どもたちを意識することが、実は、反抗的な態度を取る子どもへのアプローチになるのです。
(4)
一対一でゆっくり話せる場を設ける
 まずはその場で「どうしてそう思うの?」などと、子どもの話を聞く姿勢を見せます。時間をとり、一対一でゆっくり話せる場を設けます。
 その子が安心して自分の思いを話せるようにします。マイナスの感情を言っても、一度は「わかるなぁ」と共感的に受けとめます。内容によっては「悪かった」と謝ることも必要です。
 教師とその子との関係だけでなく、いろいろな面から原因を考えていきます。
 たとえば、教師の言動に不満を持っている、強く見せたいと思っている、どこまで許されるのか探っている、自分を認めてもらえなかった経験が多い、もっと注目して欲しいと思っている、ことなどが考えられます。
(5)
その子が認められる場を作る
 その子のよさが認められる場面を意識的に作ります。また、休み時間に、その子の興味あることを、他愛なくおしゃべりすることもその子にとって嬉しいことです。受けとめてもらえ安心感にもつながります。
(6)
周囲の子どもたちの受けとめる力を育てる
 「みんなもイライラすることってない?」と問い、本音を子ども同士で聞き合う場をつくると、行動の背景を想像しようとする子が育ち、共感的な温かい声かけを子ども同士でもできるようになります。
(
横田陽子:北海道公立小学校教師)

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授業中に問題を起こす子どもにかかわりすぎるな

 一番こわいのは問題を起こす子どもではなく、問題を起こす子どもに教師がかまいすぎることによって、その他大勢の子どもたちから、反感を持たれることです。これが学級崩壊の始まりにもなります。
 ですから、子どもたちが集団のとき、特定の子どもに関わり過ぎてはいけないのです。「問題を起こす子どもにかかわりすぎるな」が基本原則です。
 古いタイプの指導というのは「まじめな子どもたちが、教師が他の子を指導しているのを待ってくれる」という前提でやっていたのです。この子たちに、いわば甘えて指導していたのです。
 でも、今の子どもたちは、すぐ我慢できなくなっています。これが小学校低学年から中学年の学級崩壊の基本パターンです。
 ですから、教師は問題を起こす子どもに振り回されてはいけません。
 問題を起こす子どもにも一応指導はします。いったん指導を入れたら、集団場面では、できるだけかまい過ぎないことが大切です。
 なぜならば、問題を起こす子どもたちは刺激が欲しくて問題を起こしているからです。かまってあげるとエサをもらったようなものです。
 では、どうすればいいかというと、できるだけ、まじめな子ども、頑張っている子どもにかかわることです。
 一斉授業というのは、基本的に全員の子どもたちが静かに聞いてくれるということを前提にして成立しています。
 ですから、問題を起こす場面では、一斉授業はできるだけやめにします。個別学習や班学習の時間を多くします。
 教師は机間巡視を多くし、まじめに頑張っている子どもと心の結びつきを深めていきます。
「まじめに頑張っている子どもがかまってもらえる学級づくり」が何といっても一番大切です。
 でも、この当たり前のことが、学校であまりやられていない。教師は問題を起こした子どもに一生懸命にかかわります。それで、まじめな子どもが放っておかれることになります。
 そうすると、まじめに頑張る気がしなくなります。これが学級崩壊のきっかけとなるのです。
 問題を起こしたりする目立つ行動をした子どもに指導を入れるとしたら、個別場面で入れてください。
 個別場面での指導をていねいにやりましょう。こういった子どもは愛情不足だったりするのです。しっかり個別場面でかかわってあげましょう。愛情不足の心にエネルギーを補充してあげましょう。
 個別場面でやるべきことを、集団の場面でやってしまうと学級全体がおかしくなります。このことを押さえておいてください。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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教師が新たな自分に出会う喜びを得るには、どのようにすればよいか

 教育がむずかしくなったと言われます。「子どもが変わった」「親が変わった」「学級崩壊」と思い当たることは、いくつもあります。
 確かに状況の深刻さは予想以上であると、私も危機感を強めています。しかし、私はこんなときだからこそ教育はやりがいのある仕事だと思いたいのです。
 私は悪戦苦闘という言葉が好きです。子どもは教師にとって、思うようにならない存在です。生きて動いています。泣いたり笑ったり、喜んだり悩んだりしています。日々その連続です。
 そんな中で子どもを人間として自立させていく営みは、まさに悪戦苦闘の日々です。「どんなことが子どもにとってよいのか」と問い続ける教師の姿です。
 それは教師自身が自らの在り方を問い直し「自分を変えようとする営み」を抜きにして語れません。
 そうした実践の中で私たちは、あるときフッと、またあるときは徐々に「教師としての新たな自分にめざめていく」のではないでしょうか。
 それが「教師としてのやりがい」につながっていったときは、教師冥利に尽きます。
 私も校長として三校の小学校に勤務してきました。まさに悪戦苦闘であり、試行錯誤の連続でありました。具体的に取り組んできたことは
(1)
教職員と、学校経営や授業実践、学級経営などを雑談的に語り合っている。
(2)
教室訪問を気軽に行き合ったりして、教師同士が互いにひらかれた実践活動を心がけることのできる職場づくりをする。
(3)
職員室だより「あじさい」を発行し、職員の真摯な実践活動に私自身が学んだことを掲載し、互いに「学び合う教師」として精進する。 
ということです。
 
「明るく元気に実践し、学び合う教師」は、私の憧れです。私はこれまで、そんな教師たちとたくさん出会ってきました。
 厳しさの中で挑戦し、困難から逃げることなく、楽しむかのごとく実践する多くの教師との出会いでした。
 子どもを主人公にした学校づくりに汗を流し、実践してきた何人もの教師の姿を思い浮かべることができます。
 また、自らを変えようと、ひたむきに実践して、教師としての新たな自分に出会い、めざめていった教師もいます。
 学校は零細企業だと私は思います。事務職員を含めた教師一人ひとりが、その学校の子どもたちを育てる当事者なのだという意識こそ大切です。いまこそ、学び合う教師たちでなくてはならいと私は思います。
 教師は、まず同じ学校現場にいる仲間の教師に学びたいものです。仲間と学び合ってこそ、その学校を活性化させ、教師の資質を磨き、めざめさせていくのだと確信するからです。
 しかし、それはキリキリと胃が痛む思いで、実践することではありません。むしろ、明るく元気に「まっ、いいか」と肩の力を抜き、取り組む中で「新たな自分に出会った喜び」「熱中して燃える、やりがい」を得ることができるのだと思うのです。
 私が校長として教師を見ていると苦しく、つらい思いを持った教師が多かった。そんな中で「学び合う教師集団」としての本領が発揮されていたと思う。
 
「信頼される教師になるために」「教師として情熱を燃やすことのできる自分になるために」と、先生方の努力はひたむきであったなと思います。
 そして、徐々に、またはある日突然「新たな自分」に出会い、みずみずしい感性、しなやかな姿勢、ひらかれた大きな度量を感じ取っていく教師たちであったな、と思うのです。
 学校は一枚岩の実践を大切にします。しかし、それ以上に大切なことは、一人ひとりの教師の願い、持ち味が、学校の連帯の中で生かされているかどうかだと、私は思います。 
 学校は校長のリーダーシップによって変わると言われます。
 そのリーダーシップも校長がぐいぐい引っ張っていくような経営ではなく、教職員の知恵や願い、夢やロマンを引き出し、それを学校づくり(子どもを育てる営み)に生かし実現していくものでありたいと私は念じています。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)

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手のかかる子どもと出会うことで、あなたを真の意味で教師にしてくれる

 ある年、ADHD(注意欠陥/多動性障害)の障がいをもつ子を担任した。医師は「薬の服用なしでは、教育は極めて困難」と診断した。にも関わらず薬の服用はしていなかった。こだわりがあり、嫌なことや苦手なことは絶対やろうとしない子だった。
 体育の授業を無理やりやらせるとパニックになると聞いていた私は見学することを認めた。しかし、周りの子が納得しないから、用具を倉庫から出すなど、できる範囲で手伝いを頼んだ。手伝いができたときはしっかりとほめた。
 私は高跳びの授業の基礎としてゴム跳びをやっていた。ゴム跳びなら自分にもできそうだと、やりたいと言い始めた。できたことをほめると、少し自信が出てきたようであった。
 二学期の運動会の練習のため、私は体育の時間に一学期から倒立を少しずつ行った。次々と学級の子どもたちは倒立ができるようになっていく。それを見ていて自分も頑張りたいという気持ちがでてきたのだ。
 やがて倒立ができるようになった。その小さいとも思える成功体験があったからこそ、これまで欠席していた運動会に参加する意欲が生まれた。これまで嫌なことから逃げていた子が、運動会の練習を休むことなく頑張り、運動会に参加し組体操を成功させたのである。
 強引な指導が一切通用しないという、この子を担任したとき、私の教育観はかなり変化した。
 
「教育とは、成功体験をもとにして、子どもの内なるやる気を引き出し、そして弱い自分に打ち克つように激励してやることが大切だ」ということを腹の底から学んだのである。
 問題を抱かえていた子を担任したときに、初めて教師は今までの指導法をふり返り、反省し、そして成長していくのだということを学んだのもこのときである。
 小学校高学年で低学年の計算ができない。そんな子を担任したこともある。今日できるようになったと思ったら、次の日には計算の仕方を忘れている。漢字も同じ。様々なやり方を試行錯誤しても進歩が見られない。
 そんなとき、カタカナ一つ、文字の発音一つ習得させるのに、数か月も一年かけてやる実践があるのを知った。糸賀一雄さんの障がい児の教育記録である。
 教えても教えても、また忘れてしまう子どもを前にして
 
「いかなる深渕も、一個また一個と、絶ゆる間もなく小石を投じていれば、やがては淵も平地と化すであろう」
 という言葉が印象に残った。
 ここまでの覚悟をもって教育する気概があるのかと、自分に問わざるを得なかった。
 問題を抱かえた子を目の前にして、指導を続けていく中で、今までの教育観がゆさぶられ、教師としてのあり方を根本から問い直さざるを得ないことがある。
 わずか一ミリの成長に全力を費やせるかどうか。
 手のかかる子があなたを、真の意味で教師にしてくれるのである。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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生徒指導が得意になるためには、どのような秘訣があるでしょうか

 生徒の指導に迷いはつきものです。叱るのかほめるのか、突き放すべきか寄り添うべきか、厳しく接するのか優しく接するか、断固として貫くべきか自主性を尊重すべきか、などと迷います。
 考え方が明確でないから迷うのです。
 生徒の指導というものにはマニュアルが存在しません。10人の生徒には10人の物語があり、10種類の指導が必要です。
 10種類の処方箋を身につけるのではなく、処方箋のつくり方を知るほうが早道なのです。だからこそ考え方が大切なのです。
 生徒指導にマニュアルが存在しないので、先輩の実践から学ぶことです。ただ真似をしても、生徒が違えばうまくいきません。
 マニュアルはなくても「考え方」はあります。この考え方を身につけると大きな失敗を減らすことができます。これから起きるだろうという問題も予測し、早めに的確な対応ができます。
 教師の経験だけでは指導できません。
 先輩の実践から「ここだ!」という秘訣やコツを会得するのです。ここが自分とは違う優れたところを見つけるのです。それをメモすれば、指導力は磨かれます。 
 教育書を読まずに経験だけに頼っていては、考え方はいつまでも増えません。
 教育書で学んだ考え方は、自分流に修正します。新たな考え方で実践し、また修正します。別の考え方があれば、つき合わせてさらに修正して実践します。教育という仕事はこのくり返しです。
 生徒を指導するには、原因となるものを見つけて方針を立てます。それには、困った場面や困った生徒をよく観察することです。
 教師が生徒の話を聞き、それを読み解くことに意味があるのです。読み解くには時間と根気が必要です。
 表面的な原因ではなく、根っこを見つけるのです。根っこだと思う根っこを指導すればよいのです。
 生徒の指導に行き詰ったときの打開策をあげると、
 先輩教師に相談する、実践家の本を読む、保護者に相談する、生徒の友だちに知恵を借りる、学級でアイディアを募集する、学級通信を使って世論を喚起する、などが考えられます。
 あの先生が言うと指導が入るのに、自分が言っても生徒は従わないことがあります。ここには簡単な原理が働いています。
 好きな人から何か言われても「そうかも」と思ってしまうのに、嫌いな人から同じことを言われてもムッときて反論したくなります。
 ましてや尊敬している人から言われると、反省してしっかりやろう、という気になってしまうものです。
 仮に、いろいろな技術に熟達していても、生徒に好かれ尊敬されていないと、生徒は納得してくれません。
 特に、生徒指導の場面では、どうしても「好かれて尊敬されている」ということが大切になるのです。
(吉田 順:1950年生まれ 37年間横浜市立小・中学校に勤務した。担任32年、生徒指導部長16年、学年主任13年などを兼任した。生徒指導ネットワークを主宰。生徒指導コンサルタントとして全国の学校と関わる)

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さまざまな失敗や保護者とのトラブルから学んだことは何か、どうして教師を続けてこられたか

 私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。教師になって失敗と自信喪失の連続であったと、六年間をふり返って表現できるかもしれない。
 教師生活二年目に小学校三年を担任した。A子が教室の後ろの席でおしゃべりしていたので「おしゃべりしたいなら、家に帰ってすればいい。教室にはいらない」と注意したら、かばんを持って教室を飛び出した。
 あわてて呼びもどしたとき、私に対する不満が爆発し「先生なんかきらい!」と言われた。A子は泣きながらも胸の内を話してくれた。
 家では母親に姉と比べられ自分はダメだと思うようになっていた。学校でも家でも怒られてばかりだと。
 この件で保護者と話し合う必要性を感じ、職員室でA子の母親と話し合った。
 私は今回の出来事の詳細を説明し、今後の支援のあり方を相談するつもりであった。しかし、私への不満が矢継ぎ早に飛び出してきた。
 母親は「家では先生の悪口しか言いません」「先生のことは最初からあきらめていました」と言われた。
 胸につきささる言葉で、ぼう然自失で母親の目を見ることもできなかった。教師として言ってはいけない言葉を発したことを、わびることで精一杯であった。
 4月からA子や母親から発せられていた私への不満の信号を、その場その場できちんと受け止め、解決しようとしていたら、こんな事態にはならなかったかもしれない。思い返せば、心当たりはいくつもあった。
 自分の発する一つ一つの言葉の重み、それが子どもや親にどれほど大きな影響を与えるか、ということを痛感させられる貴重な機会であったと今は思う。
 教師になって四年目、自分に欠ける「一人ひとりの子どもをじっくりみる」ということを支援学校で勉強してみたいと考えるようになった。
 支援学校に赴任して、C男というADHD(注意欠陥多動性障害)の子の担任になった。登下校で乗るスクールバスの中で暴れ、けがを負わせるという事件が起きた。
 その後も学校や家で自傷、他害行為を繰り返し「もう、どうしたらいいのかわかりません」と母親が言ったが、まさに私も同じ気持ちであった。
 なぜC男が暴れるのか、ストレス源となっているのは何なのか、どうすれば落ち着いて過ごせるのか、母親と何度も話す機会をもった。
 母親からは、家で暴れる原因は学校でのストレスではないかとか、私のC男へのかかわり方のまずさを責められたこともあった。
 落ち込んでいる暇はない。とにかく考えられるありとあらゆる手だてを一緒に考えていった。「約束カードを作って、守れたらシールをはろう」「C男の好きな歌を一緒に歌ってみよう」など、そのたびに一喜一憂した。
 ここまで一人の子どものことを考えたのは初めての経験であった。格闘を繰り返す中で、C男のよだれを汚いと思わない自分がいた。
 親になったことのない自分が、親と同じ気持ちで子どもに「こうなってほしい」と願った。C男の行為がおさまってきたとき、母親と一緒にC男の成長を喜ぶことができた。
 C男との出会いによって、私は教師としてはじめて本気で一人の子どものことを考えることができたのだと思う。
 言い換えれば、一人ひとりの子どもに「こうなってほしい」という、強い願いをもっていなかったということである。
 こんなふうに、私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。そのときは、私は教師に向いていないと自信を失い、もうやめてしまいたいと思った。
 何度も泣いたし、辞表の書き方を考えたこともある。そんな私がなぜ、今も教師をやめずに続けてこられたのか。
 それは「教師をやっていてよかった」と、思える瞬間があるからだ。
 まず、子どもの笑顔を見たとき。落ち込んだ状態で教室に行ったときも、子どもの笑顔を見ると「がんばらなきゃ!」と気合いを入れ直すことができる。
 「できた!」というときの子どもの顔も私の心の支えである。
 私は学級通信に保護者の意見や感想を無記名でアンケートをつけています。手厳しい意見もありますが「うちの子が明るくなりました。先生が担任でよかった」といった、励まし、認めてもらえる声を見つけたときは元気がでます。
 このような言葉は、今でも落ち込んだとき、やめたくなったときに、思い出しては自分を励ましています。
 こうして振り返ると、私は失敗をしてこなければ、何も学べなかっただろうということである。まさに「失敗の中から学ぶ」教師生活であった。
 教師という職業はつらいことや嫌なことが百あれば、うれしいことは一つかもしれない。 
 でも「教師をやっていてよかった」と思えることが一つでもあるのは確かである。その一つを求め、私はこれからも教師を続けていくつもりです。
(
山崎準二編著。B女性教師、小学校、支援学校、教職歴6年)

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叱ると怒るの違いがよくわかっていない子どもや教師が多い、どうすれば理解できるようになるか

 叱ると怒るの違いをよく分かっていない子どもや教師が多い。
 怒るとは「自分中心の感情で相手に接すること」
 叱るとは「相手の存在を認め、成長を願って強く意見をすること」
 です。
 教師が子どもに怒ってしまうから、教師と子どもの関係がマイナスになってしまう。
 叱った内容がどれだけ浸透するかは、どれだけほめたかによるものなのです。
 よく、子どもが教室で「先生に怒られた!」と口にします。
 私は、その度に
 
「あなたたちは、先生が叱っているのに『怒られた』という言い方をする。違いますよ」
 
「怒ったんじゃなくて、叱ったんだ」
 と、正します。
 もし「怒ると叱る」の区別を子どもたちがわかっていないときは
 
「ごめんね、先生が正しい叱られ方を教えていなかったからだ」
 と、言います。
 子どもたちは「怒ると叱る」の違いは理解すべきことなのです。
 崩壊した学級の子どもたちは、教師に強く注意されると舌打ちして、反抗したりします。教師の陰口を言ったりします。
 だから私は、クラス全員の前で「正しい叱られ方」は何かを聞きます。
 正しい叱られ方は五段階あります。
(1)
受容
(2)
反省
(3)
謝罪:悪かったと思って、おわびする
(4)
改善:良くするために改善する
(5)
感謝:ありがとうございましたと思う気持ち
です。
 子どもたちに「五段階ある正しい叱られ方は何だと思う?」と尋ねます。
 
「一つ目は受容、二つ目は反省。三つ目は何だと思う」と聞きます。
 子どもたちはいろいろ言うけど、分からないときは「それは、謝罪だ」と。「これが言えることは、とてもすばらしいことだ」と教える。
 
「四つ目は何だろう」と尋ねます。
 子どもたちは分からない。「それは、改善だ」と。「悪かったと思って、お詫びするんだったら、良くするために改善しないとね」と。
 
「最後の五つ目は何だと思う?」
 ここだけは時間をかけます。で「感謝だ」と、言います。「ありがとうございましたと思う気持ち」
 これが正しい叱られ方だと。
さらに、こう付け加えます。
「ほめることと、叱ることは同じことをめざしているんだ。だから叱られても、ありがとうと言えれば、あなたたちはぐんぐん伸びていける」
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

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若手教師は授業を時間通り始められないことに悩んでいます、どのようなアドバイスをすればよいのでしょうか

 多くの若手教師は、授業を時間通り始められないことに悩みを抱かえています。しかし、現実的には、それができない状況にあります。
 まず、若手教師が、始まりの時刻を守って始める努力をしているか見きわめます。教師の心構えが子どもたちに映るからです。
 授業の始まりの時間になっても。座席についていない子どもが多いと、授業を始め、授業に集中させるのに時間がかかります。時間通り授業を始め、授業に集中させることはとても大切なことです。
 私は、どのような指導をすれば、授業が時間通りに始まり、子どもたちが集中するのだろうか、と考えて、工夫しながら取り組んでいます。
 ここで注目したいことは、若手教師の意識が「授業の始まりのみに焦点が集まっていないか」ということです。
 子どもたちが、学習に対して受け身になっていると、仲間としゃべっていたり、他の事をしたりしています。
 このような子どもたちの姿があると、授業の始業がそろっても、授業をすぐに始めることはできません。
 授業をすぐに始められない原因が、子どもたちの授業に向かう姿勢だと認識する必要があります。
 物事を始める前には、私たちは必ず「3つの準備」をしています。授業ならば
(1)
物の準備
 教科書、筆記用具、その他学習用具をそろえる。
(2)
身体の準備
 座席につき、姿勢を整える。
(3)
心の準備
 学習のめあてや願いをもつ。
 事前に授業の学習内容を明確にし、子どもたちに見通しをもたせておけば、必要な準備をし、座席に着いて、意欲をもって学習に取り組むことができます。
 重要なこととは、必ず「3つの準備」をしているということです。
 若手教師の場合、みんなそろって授業を始めることにばかりに焦点があたり、子どもたちが座席につき、姿勢を整えることしか意識していないことがあります。
 そのため、「身体の準備」がそろえば、
「必要な物はそろっているか確認しよう」
「勉強を始める気持ちになっていますか」
と、子どもたちに働きかけ「3つの準備」がそろってから、授業を始めます。
 このことを確認するために、若手教師に「授業を始める前に必要な準備は何か」と、尋ねるようにします。
 
「3つの準備」を答えられなければ、運動会や遠足などへの取り組み準備など具体的な例を示すとイメージしやすくなります。
 その後、若手教師が「3つの準備」を意識して、子どもたちへ指導を行うことになります。
 どのように指導したらよいか、わからない場合は、
「座席について姿勢を正していたことは、身体の準備ができているということ」
「机の上に○○があれば、物の準備ができたということ」
「ノートに日にちを書くことは、心の準備ができているということ」
というように、子どもの行動と「3つの準備」を結び付けるように支援します。
 「身体」「物」「心」の「3つの準備」を意識させ、子どもの行動と「3つの準備」をつないだ支援をしましょう。
(
須田敏男:1954年岐阜県生まれ、元岐阜県公立小学校教頭・全国教頭会副会長)

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力のあるたくさんのプロ教師と接してきたが、プロ教師の共通点と、素人教師との違いとはなんでしょうか

 私は全国の研究会をまわり、力のあるたくさんのプロ教師と接してきた。プロ教師にはつぎのような共通点があることに気づいた。
1 仕事が早い
 メールを送ったら、すぐ返信されてくる。手書きの手紙を送ったら、即返事が返ってくる。誰に対しても返事が早いというところがすごいのである。
2 常に向上し続けるための手だてをとっている
 学ぶのを止めたら、力は下がっていくと考えている。
 必ず何かを自分に課している。若いうちから、実力を磨こうと人一倍努力している。 
 本を読む。セミナーに参加する。文科省の答申を隅々まで読む。教育論文をチェックする。
 自分の授業を録音や録画して、自分をチェックしたり、自主的に研究授業を定期的に行い100回達成することをめざしている教師もいる。
 ある教師は研究授業を一度見ただけで、検討会で授業者の言葉を全て再現してみせた。プロ教師は素人にはできないことができるものだと、ほれぼれしたのを覚えている。
3 人間的に甘えがない
 信念をもとに行動しているから、自然と芯の強さが表れる。
 何ごとも自分が主体となって、独立心を持って自分で何とかしようとし、できない言いわけをしない。
 プロ教師の考え方で、私が印象に残った言葉は
「実力は、上がるか下がるで、現状維持はない。つまり、プロとして生きるか、アマとして生きるか、二つに一つしかない」
 学び続ける教師の実力は向上し続ける。やがて、子ども、保護者、同僚から信頼を集めるようになる。
 すると、次々と重要な仕事を任されるようになる。こうして、ますます実力が上がって行くサイクルができあがる。
 反対に、学ばない教師の実力は、現状維持にはならず、下がり続けるのである。プロとの差が開きすぎると、困ったことに自分とプロの差が見えなくなり「自分はまんざらでもない」と思えるようになる。
 教師の世界は、実力の世界である。どんなに経験を積もうが、どんなに年をとろうが、最終的に「子どもを伸ばしたかどうか」で判断されてしまう。
 だからこそ、教師の実力を高めることが大切だと、プロ教師は考えている。そして、高い理想を追い求めている。子どもたち全員を伸ばしたいと本気で考えている。
 子どもは誰でも可能性をもっており、それを伸ばせないのは教師の力量不足の問題だととらえている。
 高い理想を追い求めているからこそ、プロ教師の行動は、他の教師と変わってくるのだろう。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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子どもと関わるときに、してはいけないこと、すべきこととはなんでしょうか

 昔から言われている子育ての知恵をごぞんじですか。
 乳児は肌を離すな。幼児は肌を離して手を離すな。少年になったら、手を離して目を離すな。青年期に入ったら、目を離して心を離さないようにと。
 思春期の子どもと向き合うときに、してはいけないことがあります。
1
 子どもと対等になって衝突しない
 子どもが罵詈雑言をぶつけてきたときカチンとくるのは、子どもと同じ精神年齢になっているからです。子どもと同じレベルになると、衝突が起きるので、同じレベルにならないことが大事です。
2 子どもを傷つける言葉を使わない
 今の多くの子どもたちは荒い言葉を使います。子育てで「荒い言葉しか、かけられてこなかったのだろう」と私は思います。大事にされなかった子どもは、相手を大事にすることができません。
 子どもに優しい言葉をかけるようにしてください。
3 ガミガミ言わない
 過去にさかのぼって怒らない。話が長引くと、いやになってしまいます。目の前のことだけを短く(3分以内)さとすこと。
4 子どもを追いつめたり、つきはなしたりしない
 やりすぎは禁物です。「勝手にしなさい」といった言葉は子どもの心を深く傷つける。
 子どもが思春期になれば、安心して生活できる環境を整えましょう。「待ってやること」が大事です。
 だから、距離をとって「いつも見守っているよ」というメッセージは伝えてください。
 大人が子どもに話を聞いてもらいたいのであれば、大人が子どもの思いを聴いてやることです。そのうえで話すと、最低ひとつは、子どもの心に入っていきます。
 子どもの問題行動に大人の問題が隠れていることはよくあります。
 大人がそれに気づくと、子どもへの対応が違ってきます。大人が自分をふり返り、ありようを考えることで、再生のきっかけになることはたくさんあると思います。
 子どもを変えようと考えないで、大人がちょっとした工夫や努力をしてみてください。子どもの態度にも変化が生まれてきます。
 気持ちが揺れる思春期だからこそ「ほめる、認める」が必要なのです。そのためには
 まず、子どもにまなざしを注ぎ続ける。つぎに子どもの言葉にじっと耳を傾ける。
 そうすれば、必ずといってよいほど、ほめるべき言葉が出てきます。子どもをほめていくうちに、大人の喜びも増えるはずです。
 「どうせ自分なんて」と口ぐせの自己肯定感の低い子どもには、できてあたりまえのことでもほめるようにします。
 そういう子どもたちは、反抗的な態度をとって強がっていても、精神的には弱りきっています。
 成長するには水やりが欠かせません。ほめることは愛情という水やりです。
 Iメッセージで「がんばりを見ていて、私も励まされたわ」と、子どもの行動をどう感じたか伝えるとよい。
 できるだけ肯定語で「さとす」ことも大事です。「○○するな」ではなく「○○しようね」とか「○○をしてみるといいよ」という言い方を心がけましょう。
 何よりも大事なのは、叱った後には、その何倍も「その子の良いところ」をほめてあげることです。大人が「心から心配しているんだ」というメッセージが伝わってこそ、子どもは素直に謝ることができます。
 子どもと向き合うとき私が心がけていることは、声を荒げないこと。目を見て話すこと。
 声を荒げると、子どもも声を荒げます。強い言葉を出しても、子どもの心に入っていくわけではありません。
 目を見て穏やかに話すことは、子どもと向き合う出発点です。「私はこれをあなたに伝えたいのよ」という思いを込めてていねいに話してください。
 そして、必ずほめて終わること。「最後までよく聞けたね」「がんばったね。ご苦労さん」と声をかけて終わります。
 子どもの自尊感情を高め、お互いの絆を確かめる言葉かけは、とても大事です。
(
土井高徳:1954年福岡県生まれ、里親。心に傷を抱かえた子どもを養育する「土井ホーム」代表)

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保護者が学校に来てすごい剣幕で不満をぶちまけるとき、どう対応すればよいのでしょうか

 ともかく聴くことです。すぐに弁解しようとせず、説得しようとせず、逃げずにひたすら聴くことです。
 保護者が自分の思いをぶちまけないうちは、教師が保護者に何を言っても反発されるでしょうから。
 教師が保護者の話をひたすら聴けば、そうやって教師が正面から聴いてくれたことに感謝されることもあると思います。
 保護者に誤解がある場合もあるでしょうが、誤解をとくのは保護者の話の最後の方でもできます。
 また、やり場のない怒りや不安を保護者がぶつけに来ておられるのだと思えば、聴く方にも余裕が生まれます。
 ただし、学校に反省すべきところがある場合は、むろん素直に認めてください。
 聴く教師は大変でしょうけれど、保護者と学校とのあいだに信頼関係をつくるチャンスでもあるのです。
(竹内健児:1962年生まれ、徳島大学准教授、立命館大学心理・教育相談センターカウンセラー、法政大学学生相談室主任心理カウンセラーを経て、奈良大学臨床心理クリニック専属実習指導教員。臨床心理士)

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子どもが思うように変わらないとき、子どもを変えるには、どのようにすればよいのでしょうか

 子どもが思うように変わらない。学力を伸ばすことができない。問題行動が減らない。
 こういう時に、教師の人間性というものがあらわになります。
 ある教師は、それをどこまでも子どものせいにします。職員室で子どもの悪口を言い、自分がどれほど一生懸命にしているのかを声高に言ったりもします。
 しかし、残念ですが、そうした教師が子どもを変容させるということは少ないようです。
 逆に、それとはまったく正反対の教師がいます。そういう教師は、まず周りの教師に質問しに行きます。
「物語の指導がどうしてもうまくいかないんです」
「子どもの忘れ物が減らない時はどうすればいいんですか」
「絵の具の塗り方は、何をどう指導すればいいのですか」
というように、同僚の教師にたずねてまわっているのです。
 そして、教えてもらったことは、とにかくすべて実際におこなって確かめていきます。
 つまりは、まず自分の方法を疑い、改善しようとしているわけです。
 自分の現在持っているやり方だけにこだわって、うまくいかなければ、子どものせいにしている教師は、盲腸の手術の技術しか持たない医師が、胃潰瘍の患者に対して「あんたはどうして盲腸じゃないんだ。盲腸なら治せたのに」と言っているように滑稽です。
 子どもを変えるために、自分を変える覚悟を持ちたいものです。
 うまくいかない時は、まず、自分の教育方法を疑って、やり方を変えてみるのもよいのではないかと思います。
(山田洋一:1969年北海道札幌生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。「北の教育文化フェスティバル」代表、「お笑い教師同盟」副代表、「実感道徳研究会」副代表)

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荒れる学級から学び、新任教師を成長させたものは何でしょうか

 四月、中村先生が新任教師として私の学校に赴任してきました。緊張感の中にも笑顔の素敵な女性で、すがすがしい雰囲気を漂わせていました。
 小学校三年の担任になり「教師になることが夢だったんです。子どもの可能性を生かしてやりたい」と嬉しそうに語ってくれました。
 しかし、そんな抱負もつかの間、顔が引きつってくるのに時間はかかりませんでした。教師としての技量はまだまだ未熟でした。子どもたちはまったく言うことを聞かなくなってしまったのです。
 授業が始まっても席に着こうとしない、人の話を聞かない、あっちこっちでケンカ騒ぎが起こってしまう。教室は混乱し、中村先生はパニック状態になってしまいました。
 中村先生は連日のように起きるトラブルで、毎晩寝る前、ふとんの中で涙を流していました。
 荒れる学級をなんとかしようと、次第に管理する姿勢に変わっていったようです。言葉づかいも荒くなり、行き詰った状態になってしまったのです。とうとう体調不良でダウンしたまま夏休みを迎えたのです。
 夏休み明けの彼女は、それまでのロングヘアーをばっさりカットしてきました。同時に大変身しました。知ったかぶりしていたのをやめ、わからないことは子どもたちに教えてもらおうと努力よるようになった。
 肩の力が抜けてきて、とってもリラックスして子どもたちに向かうことができるようになりました。
 四月から「いいクラスにしたい。他のクラスに負けないでやりたい」と、頑張る中村先生に子どもたちは反発するようになりました。
 中村先生は「子どもたちにバカにされているようで、自分の弱さをさらすと、子どもになめられてしまう」と思った。
 それが、子どもたちと悪戦苦闘する中で、子どもたちのやる気を引き出すコツを見つけたと言えるでしょう。
 四月当初、中村先生は固く硬直した教師でした。子どもたちにとって魅力的な教師になれないと私は思っていたのですが、柔軟な思考やユーモアがでるようになってきました。
「私、教師になってよかったと思う」と中村先生は回想しながら言います。
「一学期のころの私は、バカにされてはいけないと見栄を張って子どもに向かっていました。そんな私を子どもたちはちゃんと見抜いていたのです」
「いつも、これ以上、学級が目茶苦茶になったらどうしよう、子どもに嫌われたらどうしよう、バカにされたらどうしようと思う日々でした」
「怒ってばかりで、それでいて叱るべきときには、叱れずにいたような気がします」
「子どもたちと心から笑ったり楽しんだりすることができなかったように思います」
「学年主任の先生に『子どもと一緒に悩んでやったり、遊んでやったり、いっしょに掃除をしたりできる先生に』と、諭されたことが、いまようやくわかってきました」
「三学期は、子どもと一緒に長なわとびをして毎放課後、遊んでいました。それは『遊んでやっている』という気持ちではなく、みんなと一緒に遊んで楽しんでいるという気持ちに変わってきたような気がします」
「子どもと自然に関わり、いろいろ話をすることができました」
「自分が心から笑わなけりゃあ、子どもも心から笑みは見せないのです。わからないことを『わからない』と子どもに言うことは、ちっとも恥ずかしいことではないのですね」
 教師の仕事は情熱に技術が伴って本物です。どこか肩の力の抜けた彼女の振る舞いに、私たちもほっと安堵の胸をなぜ下ろしたのでした。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)


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学級崩壊を最後に食い止めるものはなにか、どこで食い止め、どう対応すればよいのでしょうか

 小学校六年のある学級で子どもたちが反抗し、授業や、学級で行う活動がいっさい成立しなくなりました。
 管理職が協力し、卒業式までにはなんとか普通のクラスにもどし、整然と卒業式に参加できるようにという目標を立て、教頭と学年の教師、生徒指導主任から二人が常時はりつきました。
 授業をする担任のそばでにらみをきかせ、子どもたちの行動や態度を厳しく指導し続けました。二か月の集中的な対応で、学級はひとまず整然となり、なんとか格好がつくようになりました。
 しかし、子どもたちが担任にぶつける不満が強まりました。張り付きの教師がいなくなる給食の時間など、反抗がエスカレートしました。
 結局、子どもたちが学校にいる間は、二人の教師が必ず担任に張り付くという形で卒業式を迎えました。
 私の友人の教師も学級が荒れ、担任して始めての経験だと言って苦しんでいました。私が見聞したところ、学級の崩壊の程度は「なれあい型の中期」くらいでした。
 学級のルールが崩れ、教師の指示がいきわたらず、教師に反抗したりして教師に対する信頼が低下していました。
 友人の教師が子どもたちとの絆の種を必死にまき、育てていたので、完全な学級崩壊にはならないと私は確信しました。
 担任と子どもたちの関係がうまくいかないと、とかく担任は子どもたちと距離をとりたくなるものです。
 しかし、友人の教師は、こんがらがった子どもたちとの関係の中で、自らかかわり一つ一つ対応していました。
 私が学級を見学していた時、廊下に出ていた男の子に「担任の先生はどうですか?」と聞くと
「細かいところまでいちいち注意したり、考えさせられたりと面倒くさいけど、俺たちのことを心配してくれているんだよな」
とポツリと言いました。
 管理職も同僚教師も、教師のそういう姿勢に打たれ、できるかぎり援助したいと言っていました。
 教師と子どもたちとの心のつながりを、つらいからといって教師が切らないこと、それが完全な学級崩壊を食い止める最後の砦だと私は思います。
 学級崩壊の当事者の教師はとてもつらい。周りの教職員は話を聞いてあげたり、がんばりを認めてあげることで、教師と子どもたちとの間の心の絆を育てる意欲を失わないように支えたいものです。
 学級崩壊にいたったら、教師は子どもたちが起こす事件と被害を食い止めるだけで精一杯です。
 崩壊した学級の子どもが言いました。
「勉強が遅れていることはわかっているよ。でもあのクラスにみんなでいると、自然とああいうふうになっちゃうんだ」と。
 学級集団のマイナス回転を止め、プラス方向に回転させるためには、よほど効果的な対応を持続させなければなりません。
 だからこそ、学級が「少し変だな」と感じたら、すぐに具体的な対応を施し、子どもたちとの絆を保ち、子どもたちの学習権と人権を保障すことが必要なのです。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者からのクレーム対応「さしすせそ」とは何か、クレーム対応のポイントとは

 保護者からのクレーム対応の「さしすせそ」とは
「さ」最初が肝心:ボタンのかけ違いからトラブルに発展することがある。
「し」しっかり傾聴:十分に時間をとって、要求を聴き、背後の真意を読む。
「す」すばやく対応:ズルズルと対応と回答を遅らせない。
「せ」正確な記録:「言った」「言わない」の事実誤認から問題がこじれる。
「そ」組織で対応:一人で抱え込み、悩み、職場で孤立しないようにする。
 保護者からの理不尽なクレームは今後も増え続け、病気休職する教師も増加すると9割の教師が考えている。
 保護者の理不尽な言動は、学校全体として受けとめて、管理体制を組む必要がある。管理職や生徒指導の教師が一緒になって理不尽な要求を言う保護者に、どのように対応していくのか適切か考えなければいけない。
 保護者と面談するときは、管理職を含む複数の教職員で対応する。場所は会議室などにし、教室で担任が一人で面談しないこと。
 教室は密室空間になり、精神的安易さから後で「言った」「言わない」のトラブルのもとになり、問題解決がこじれる原因になる。
 保護者と気持ちよく面談するためのコツは
(1)
部屋の入口まで迎えに出る
 保護者は子どもをサポートする教師のパートナーになってほしい相手である。だから、来校されたことをねぎらい、歓迎の気持ちを示したい。
(2)
保護者と教師は机の角をはさんで90度の位置に座る
 90度は親しみを感じさせる位置である。多くの人にとって、利き手側に教師がいると、落ち着きやすい。
(3)
話の最初は、子どもの最近の肯定的なエピソードから
 子どものがんばっている姿や成長の様子などを具体的に話すと、子どもをちゃんと見てサポートしている学校の姿勢を伝えることになる。
 保護者対応のポイントは
(1)
初期対応
 保護者の話は感情を抑えて素直に聞く。相づちはやや低めの声で、語尾を下げて「はい」などと発音する。
 あわてずに、クレームの真意を読み、冷静に説明する。弁解がましく説明しない。
 学校側に非があれば、素直に謝罪する。誤解があれば、説明不足でみなさまにご迷惑をおかけして申し訳ございませんと。
(2)
事実の確認
 こみいった内容は、連絡ノートでやりとりせず、直接面談し、笑顔で話し合う。
 事前に打ち合わせ、聞き役、調整役などを分担し、周到な準備をする。
 教師然とした態度や上から目線的な話し方、ため口は避けること。言葉尻で保護者は怒り出す。
 面談内容は正確に記録(5W1H)する。可能なら録音もとる。
 最後に「このたびは貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございました」
(3)
組織的に早期対応する
 学年の同僚教師、管理職へ速やかな報告をし相談する。
 管理職、学年の同僚教師、生徒指導、養護教諭、カウンセラー等の複数の教職員で早期対応する。
 関係教職員による「ケース会議」を立ちあげる。
(4)
教育委員会・専門機関と相談・連携する
 保護者が教育委員会へ通告しそうな場合、あらかじめ事前連絡し、助言・支援をもらう。
 保護者が裁判所に訴えることがあるので、教育委員会の顧問弁護士、警察へ相談する。
(
古川 治:1948年生まれ、大阪府公立小学校教師・指導主事・校長、東大阪大学教授を経て、甲南大学特任教授)

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教師は子どもや保護者との対人関係能力が重要となっている、どのようにすればよいか

 教師の仕事は子どもとの関係はもちろん、保護者との関係を抜きにして考えることはできない。
 最近は、子どもや保護者との信頼関係の構築が課題となっている。そうした点からすれば、人間関係の視点を正面にすえて教師の仕事をとらえ直す必要がある。
 全国の学校で目立ってきているのが保護者による教師へのクレームである。なかには無理難題を要求するようなケースがある。
 保護者のクレームには担任だけでなく校長が対応することが多い。ある小学校の校長が語った、ごく日常的なクレームの事例を次に示します。
 若い親はわが子のことに必死ですから、たとえば担任に次のような注文をつけることがしばしばあるのです。
「先日、運動会の短距離走を保護者席から見ていると、うちの子が一等のはずなのに、どういうわけか二等にさせられた。うちの子を一等にすべきだ!」
と言う激しい物言いにつられて担任がつい
「そんなことを今さら言われてもゴール到達結果はすでに判定されたわけですから、変更はできません」
などと返答してしまうと、水かけ論になってしまいます。
 確かに混戦だったので、眺める場所によって結果が違って見えたのかもしれません。しかし、問題は判定結果がどうかということよりも、その対応次第では保護者との関係がこじれてしまう点にあります。
 このクレームへの対処法について、校長は次のように語っています。
 このクレームに対しては、担任はとっさに次のような判断を下せるかどうかがポイントだと思います。
 注文の内容とその口調から、その親のわが子かわいさの気持ちの表れだと受け止め、親としての気持ちにそうことが第一だと判断する。
 そこで、その気持ちにまず耳を傾けるという態度を取る。同時に、短距離走の判定は係りが厳正に見て下していると明確に伝え、結果をいじれば当の本人も周囲もどう感じるだろうか、問いかける。
 そして、一等に近かったその子のがんばりを評価し、次の機会にまた挑戦しましょう、と励ます。
 こうした話し合いの手順を丁寧に踏んでいけば深刻なもめごとにはならず、おそらく保護者も最終的には納得してくれるはずです。
 この語りから、基本的な対処法を導き出すことができよう。
 まず、クレームに対しては、少しでも距離を置きながら冷静に接すること。クレームの背後に潜む本音は何であるかを探ること。
 保護者の欲求に共感しつつ、同時に学校の基本方針や判断も明確に伝えること、などである。
 こうした対処は、とりもなおさず保護者との信頼関係を、教師自身が最初から創り出していく手立てにほかならない。
 子どもや保護者に寄り添いながら、さまざなニーズに応え、抱かえる問題を解明し、問題解決に向けた手だてを講じて、子どもや保護者の生活を充実させ、喜ばれ満足するような関係を築きあげなければならない。
 そこで、この対人関係という視点に絞って求められる教師の資質・能力は
(1)
誠実な人柄で、個々の状況に応じて適切に対処できること
 その上で、個々の状況に応じて適切に対応できる対人関係能力を欠くことははできない。
 日常的なことばのやりとりなどを見直しながら信頼関係を図り、相手の潜在能力を引き出す、コーチング手法も参考となる。
(2)
対人関係能力は教職についてから、学校現場の経験によって磨くことができる
 人間性の資質に弱点があったとしても、経験を通じて習得される対人関係能力はある程度カバーできるだろう。
(3)
対人関係能力に決定的に問題があって、学校現場の経験をいくら積んでも対人関係能力を磨くことがきわめて難しい場合には、教職には不向きである。他の職種を選択したほうが当人にとっても幸せであると判断される。
 教師は常に研究し探求していく態度が求められていると思います。
 探究心がないと、授業の教材研究であれ、生徒指導、学級経営、保護者との人間関係であれ、教師の職務すべての領域で発揮される実践の原動力が弱くなり、実践すべてが振るわなくなるだろう。
(
今津孝次郎:1946年生まれ、名古屋大学教授・附属中高校長を経て名古屋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校臨床社会学、発達社会学)

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いじめが疑われているとき、いじめが発覚したとき、どうすればよいのでしょうか

 いじめが疑われている場合、調査がいじめ把握に有効な手法の一つであることは間違いありません。
 よく話題になるのが記名か無記名か、どちらにするかです。
 私は新聞社の方に質問されたときは「記名か無記名かの問題ではありません。教室で答えさせるとしたら、その集団がありのままに答えられるか否かの雰囲気によります」と。
 いじめアンケートの項目例(小学校)をあげると
(1)
学校に行きたくないとおもうことがありますか( )
(2)
学校で、じぶんのものがなくなったことがありますか( ) 
(3)
友だちから、いやなことを言われたことがありますか( ) 
(4)
友だちに、じぶんのものをかくされたことがありますか( ) 
(5)
今、心配していることがありますか( ) 
(6)
学校に、いじめる人がいますか( ) 
(7)
先生にはなしたいことがあったら、なんでもいいから書いてください
 いじめの実態把握は
(1)
いじめの対象(1名だけか、別の被害者はいないか)
(2)
いじめの構造(加害者の中心、加害行為を行う者、集団の力の構造)
(3)
いじめの態様(いじめの方法、人数、頻度、程度等)
(4)
被害者及び加害者の保護者の認知(いじめの実態把握、感情等)
 聴き取り調査での配慮事項は
(1)
口裏あわせを防ぐため、複数の教師が一斉に実施する
(2)
加害者と決めつけることなく、和やかな雰囲気づくりに努める
(3)
知っていることを教えて欲しいという姿勢を貫く
(4)
虚偽の疑いがあっても、まずは聴く
(5)
矛盾点や疑問点は「もう少し詳しくきかせてくれる?」と再質問する
(6)
「そういう気持ちだったのか」などと、心理的事実に焦点をあてる
(7)
「つらい思いをしている子を助けてあげて欲しい」と伝える
(8)
聴き取りが不十分であっても、誠意を伝え次の面接を約束する
 いじめが発覚したときは、被害生徒に事情聴取し、保護します。保護には、被害者の生徒と信頼関係が確立している教職員が当たります。生徒が話したいときに耳を傾けることが最も効果的です。
 いじめ対応の大原則は被害者保護です。全校指導体制を構築して被害を受けることのないよう、全員で「守る」必要があります。
 被害生徒が支えられているという安心感を実感できるよう目に見える具体策を実行します。
(1)
校内巡視
(2)
授業引き継ぎし、いじめられている生徒から教師が目を離す時間帯をつくらない
(3)
必要に応じて、被害生徒または加害生徒を別室で指導する
(4)
保護者及び地域等との連携による登下校時の監視
(5)
被害生徒への担任等による個別面接の継続
(6)
被害生徒との信頼関係のある教職員との電話・メール等のやりとり
(7)
被害生徒と関係の深い生徒等による支持的かかわりの依頼
(8)
ピアサポート活動による被害生徒への支援
(9)
PTAと一体となった取り組み
(10)
いじめ相談カードの配布等、相談機関の周知
(11)
犯罪行為として取り扱ういじめの警察等へ通報
(12)
加害生徒への指導状況を被害生徒・保護者へ報告
 いじめが起こった場合、被害生徒の二次被害で最も憂慮されることは、絶望感からの自死問題と、攻撃に転じた復讐です。被害生徒との間に誰かが絆を切らないように繋がることが求められます。
 加害生徒からの事情聴取と指導を行います。生徒指導主事が加害の中心となっている生徒から事情を聴きます。いじめは絶対に許されないという毅然とした態度を持ちつつ、自らの非に気づけるようにすることが目標となります。
 被害生徒の保護者に報告をします。
 直接会って話します。来校の労をねぎらい、保護者の気持ちを受容します。判明している事実を系統的に説明します。保護者の心情を理解し、訴えに十分耳を傾けます。
 被害生徒を守り抜く具体的な実行策を説明し、決意を理解してもらう。教育相談による「心のケア」、家庭との定期連絡などの提案を行います。
 加害生徒への指導、加害生徒の保護者への協力要請、学級指導等について、保護者の意向を確かめながら、今後の指導を確認していきます。
 加害生徒の保護者への基本的な対応
 加害者の保護者に来校を求め「今できることを一緒に考えましょう」という姿勢で臨みます。判明した事実を伝えます。保護者の言い分には耳を傾けます。
 話し合いは「いじめの非」に対しては一歩も譲ることなく、保護者と共に加害生徒の立ち直りをめざした支援について知恵を出し合うようにします。
 被害者への謝罪は、事前に被害者の保護者の意向を聴いておきます。
 いじめたことを真に反省し、被害生徒の受けた不利益を取り戻すために何ができるかを話し合います。
 被害生徒とその保護者への謝罪方法、手順等を決めます。
 被害生徒が暴力で傷害を負った場合は、治療費等、恐喝では金品の弁済が問題になります。さらに刑法に触れる違法行為があった場合には、警察への告訴が予想されます。
 このような問題については、過去の事例を挙げるなどして保護者に心の準備をしてもらう必要があります。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学客員教授)

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生徒指導の「カキクケコ」とは、なんでしょうか

 生徒指導は、生徒の理解に始まり、生徒理解に終わるとも言われます。
 私が大切にしている、生徒指導の言葉が「カキクケコ」です。
「カ」:いろいろな場面における子どもの様子を観察(かんさつのカ)する。
「キ」:観察した結果を記録(きろくのキ)する。
「ク」:接し方を工夫(くふうのク)する。
「ケ」:少なくとも一年間は、継続(けいぞくのケ)する。
「コ」:一人ひとりのよさの発見を主眼とし、子どもたちの心(こころのコ)をとらえる。
 子どもたちの行動が、どのような背景によってもたらされているかは、日々の検証・省察なしには理解できません。
 問題をすぐに解決しようと思っている時ほど、生徒指導はうまくいきません。
 生徒指導の記録を時系列で取っておくとよい。
 私は、表計算ソフトに、子どもたちの行動、指導の内容、家庭への連絡内容、その時の教師の考えや気持ちを時系列で記録しています。
 記録を取っておけば、どの部分で指導がうまくいったのか、また、逆にうまくいかなかったのか、複数の教師で検証・省察することが可能になります。
 子どもたちを見取る自分自身の目や子どもたちへの日々の関わりに自信をもつことは大切です。
 しかし、生徒指導がうまく立ちゆかなくにったとき、そこで手詰まりになることを避けねばなりません。
 記録をもとに検証・省察することができるようになれば、次の一手が見えてくることもしばしばです。
 その記録から、子どもたちの強みや学校生活に生かしたい点、課題や支援を要する点、また、どの教師が関わった時に指導が通ったのかなどを検証・省察していくのです。
 生徒指導は、人と人との関わりが根底にありますから、このようにすればこうなるという定石のようなものはありません。
 教師は自分自身がどのような姿で子どもたちに見えているか、客観的に見る必要があります。鏡に向かって、怒った顔をしたり、思い切り悲しい顔をしたりするとよいと思います。
 教師は日頃の生徒指導で、自分自身のキャラクターと生徒指導が合致しているか、考えなければなりません。
 生徒指導をしていると、同じ指導をしていても、指導効果が違うという場面を何度も見ます。
 教師のキャラクターと生徒指導のねらいがうまく合ったとき、相応の教育効果が得られるのだと思います。
 生徒指導は日々、検証・省察する根気のいる仕事です。
 記録による検証・省察を繰り返すことで、子どもたちのよさを発見し、学校生活に生かすことができるようになるでしょう。
(
小川拓海:1986年名古屋市生まれ、名古屋市立中学校教師。「明日の教室」名古屋分校代表、授業づくりネットワーク理事)

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«教師という職業柄、もっとも必須とされるスキルとは何か、保護者に信頼されるにはどうすればよいか