どのように叱れば子どもは変わるのでしょうか、そのポイントとは

 僕の怒りは本物です。でもこの怒りは、僕にとっても子どもたちにとっても必要な感情だと思っています。
 子どもたちに成長してもらいたい。子どもたちに自分の可能性を信じてほしい。だからこそ、子ども自身があきらめようとする時に、僕は悔しさと共に怒りを感じる。それは愛情の裏返しなのです。
 でも僕は、その怒りをそのまま子どもにぶつけることはしません。本来の目的は、子どもたちの可能性を引き出すことだからです。怒りを冷静にコントロールして、子どもたちの成長のために使うこと。これが、僕にとって「叱る」ということです。
 叱った後には必ず、子どもたちにフォローを入れています。フォローとはつまり、なぜ叱ったのか、理由を明確にして、本人が納得できるまで話し合うということです。
 そして、叱られた子どもが大切なことに気づき、少しでも成長が見えたら、必ずその子をほめます。「叱る」は「ほめる」と、セットになって初めて意味を持つものだからです。
 子どもたちがルールを守らない、やるべきことをやっていない時に叱らなかったら、子どもは本当に大切なことに気づけない。成長するチャンスを失ってしまうと思うからです。
 子どもたちを叱ろうとする時、僕にはすでに、叱った後で子どもたちが自信にあふれ、笑顔で動き出すシーンのイメージができ上がっています。
 ポイントは、子ども自身に考えさせることです。「きみのやったことに対して、きみ自身はどう思うんだ」と、まずは問いかけてみる。
 叱る側の愛情に裏付けられた怒りが伝われば、子どもは必ず誤りに気づいてくれます。そして、間違いを正すにはどうするべきかを、自力で考え始めるのです。
 考え始めたら、自分で答えを出すまで根気強く待ってあげること。一緒に考えてあげるという姿勢が重要です。
 根底にあるのは、もちろん子どもへの愛情です。子どもの可能性を信じ、成長を願う心です。
 叱るのにはとても大きなエネルギーが必要ですが、子どもの成長はきっと、その何倍もの希望を僕たちに与えてくれます。それは、叱ることで得られる、僕たちにとっての最大のご褒美なのだと思います。
 子どもは一人ひとり個性を持っています。ですから、こういう叱り方がいいとはいちがいには言えません。
 まず、子どもをまっすぐに見て、その子にとって今一番必要な「叱り方」がどういう形かを見きわめることが大切です。
 では、どうやって子ども一人ひとりの性格を見きわめるかといえば、それは「感じる」ということです。見た瞬間パッとわかる子もいれば、コミュニケーションを重ねて、なるほど、そういう性格なのかとわかる子もいます。
 大切なのは、こちらが愛情と関心をもって見ること。そうすれば、その子の性格が自ずと見えてきます。
 また、叱り方は、その子の性格だけでなく、僕との信頼関係の深さによっても変えます。
 たとえば、その子が自分に自信を持っていて、かつ僕を信頼してくれているという関係であれば、あえて「テニスをやめろ!」というような叱り方をすることもあります。叱咤激励することで、発奮してくれるからです。 
 中には、叱るべきでない子もいます。たとえば、その子が何をすればよいか自分で判断できる場合です。叱ることで何かに気づかせる必要がない子です。
 もうひとつは、いじめなどがある場合です。精神的に想像以上のダメージを与えてしまうこともあります。
 こうした背景を含めて、まずは子どもをしっかりと見つめ、今、何を一番必要としているのかを見きわめてあげてください。
 子育ては、とかくストレスがたまるものです。一度はわからせたつもりでも、子どもはつい同じ間違いを繰り返してしまう。すると、つい感情的に叱ってしまいます。
 感情的に叱らないために、自分自身を「客観視」してみることです。第三者的に自分を見ると、気持ちは落ち着いてきます。
 実際に叱る前に、心の中で叱る言葉を言ってみる。すると、もう一人の自分が教えてくれます。「それは、自分が感情的に怒っているだけじゃないのか」と。
 冷静さが自然に戻ってくる。すると、子どもを成長させたいという本来の思いにも気づくことができます。
 ひと呼吸おくというクセをつけておくのもよいでしょう。自分を心理的に落ち着いかせてから、子どもと向き合うと、意外と冷静に叱ることができます。
 どんな状況であれ、絶対に使ってはいけない禁句があります。
(1)
子どもの可能性を否定する言葉
 「お前には無理だ」「あなたにはできない」こんな言葉を言ってしまったら、子どもの可能性を伸ばすために指導しているのに、可能性は消えてしまいます。
(2)
身体的なことを否定する言葉
 身体的なことは、自分の意志では変えられません。身長が高い低い、太っている痩せている、といったことは個性です。身体的なことを否定するべきではありません。コンプレックスとして心に植えつけられてしまいます。
(3)
兄弟や友だちと比べる言葉
 子どもに劣等感を抱かせる言葉です。子どもは自信とやる気を失ってしまいます。
(
松岡修造:1967年東京都生まれ、元男子プロテニス選手、スポーツキャスター、スポーツ解説者。日本テニス協会理事強化本部副部長)

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授業中に立ち歩く子どもがいると他の子に影響がある、どうすればよいのでしょうか

 授業中に歩き回ったり、教師の指示を聞いていないなどの問題行動の多い子どもは、一昔前までは、落ち着きのない子どもなどとも思われていた。
 現在、このような子どもの中には、発達障害と診断される場合もあり、その原因は「心の持ちよう」や「しつけ」とは関係のない脳機能の障害であることが一般にも知られつつある。
 その症状の度合いや内容は様々であり、子どもの反抗や自己中心的な態度との区別が難しく、教師の判断も困難である。
 勉強についていけないことや、他の子と衝突を繰り返すことで、自信を失ったり、学校生活を楽しめない状況に陥ることも考えられる。
 授業中に歩き回る、教師の話を聞いていない、理解していない、などの問題がみられた場合、どのような理由に基づくものであるのかを観察し、保護者や養護教諭、スクールカウンセラーなどと、共によく検討する必要がある。
 学習に困難を伴う学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(AD/HD)では、視覚や聴覚からの刺激に影響を受けやすいことや、集中できる時間が短いことがある。
 教師による観察では、どのような教科や活動で立ち歩きが目立つのか、など記録しながら把握するのが有効である。そのうえで
(1)
視覚から入る情報を減らすために、
 黒板と教師に近い座席に配置する。カーテンを閉め、外の景色を見えなくするなどの方法をとる。
(2)
学級全体の指示のあとに個別の指示を出す、などの方法で注意を促すとよいとされる。
また、
(4)
休み時間に体を動かす。
(5)
立ち歩きしそうになったら、プリント配布を手伝ってもらう。
など、体を動かしエネルギーを発散させることも有効とされる。
 立ち歩きなどの多動行動は、年齢が進むにつれて目立たなくなる傾向があるとされる。そこで、保護者は悲観的にならず、発達障害の子どもを専門に教育する学習機会の場と連携することで、子どもの能力を伸ばしていくことが必要と考えられる。
 多動行動は、一人で校庭や屋上への飛び出しや衝動的な行動もあることから、本人および周囲の子どもの安全を守るための注意が必要となろう。
 授業中に立ち歩く行動は、他の子に影響を及ぼす。他の子もふざけて立ち歩いたり、教師の注意に反抗的な態度をとるなど、授業や学級運営に支障がでる。
 多動行動のある子も含め、教室内のルール(チャイムがなったら席につく。授業中に立ち歩きしない。必要な場合には教師の許可をとる。など)を確認する必要がある。
 同調する子どもの中にも、授業の内容が理解できていない、興味を持っていない場合もある。授業内容の工夫や、学校組織によるサポート体制など検討する必要がある。
(
畑中綾子:東京大学高齢社会総合研究機構客員研究員、東京大学公共政策連携研究部特別研究員、香港大学上席客員研究員)

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やる気がない子を前向きにするにはどうすればよいか

「最近の子は、どこか冷めていて、やる気が感じられない」という声をよく聞きます。これまでの指導のやり方が通じず、なにを言っても驚かず、受け流されてしまう。そう悩む人が多いようです。
 しかし、本当になにを言ってもやる気を出さないのでしょうか。「決してそんなことはない」と、私は思っています。やる気を出すことはできるのです。やる気を引き出すためのコツがあるのです。そのコツは
(1)
「何度言ったらわかるんだ」と叱るのではなく「分からないんだな」と受け止める
 たとえば、高校野球で「なんだ、その投げ方は」と選手の悪いところを指摘して、より良い方向にもっていこうとするのは悪いことではありません。
 しかし、悪いところばかりを指摘していると、人は自分の欠点ばかりに意識が向いて、どんどん自信を失っていきます。積極的な心をなくして、人は成長できないのです。
 
「叱るのではなく、ほめて伸ばせ」と、よく語られています。しかし、ほめるには、何らかの良い結果を出していないと、ほめることはできません。無理にほめようと形だけのほめ言葉は、相手に見抜かれて効果は少ない。
 その代わり「認めてあげてください」。事実をそのまま受け止めてあげるということです。何度説明しても理解していない状態だったら「そうか、わからないのか」と言ってあげてください。
 そのうえで「どんなところが分からないんだ?」と聞けば、質問や相談をするようになります。認めてあげれば、安心感を感じて、積極的な気持ちになります。
(2)
「なぜ、できないんだ」と聞くのではなく「なにが理由だ?」と聞き「うまくいっているイメージ」をつくるようにする
 「なぜ、できないんだ」と聞くのは、言葉の裏に相手を責める意味合いが含まれています。
「なぜ」を「なに」に置き換えてみましょう。「なにが理由だ?」と質問されると、言われた方も理由を答えることに意識がいきますから、冷静に自分の行動をふり返りやすくなります。答えやすい雰囲気ができます。
 
人が行動するときには、どんな場合でもイメージが先行しています。脳はイメージ通りに実現しようとします。
 
「できなかった自分」をイメージしてしまうと、どうしてもそのイメージに引っ張られて失敗してしまうことになります。
 それよりも、うまくできたときの達成した状態をイメージできて、そのときの喜び状態を感じることができるようにサポートしてあげてください。イメージトレーニングの原則は
①すでに実現した状態、あるいは実現しつつある状態をイメージする
②細部までリアルにイメージする
③そのイメージに自分の感情を加える
(3)
「やりなさい」ではなく「やったらどうなるか」を伝える
 やらなければならないことはわかっているのに、なぜかやる気が起きないという人はよくいると思います。
 そのような場合は「やったらどうなるか」をイメージさせて、ワクワク感を与えれば、想像以上に頑張り出します。「頑張れば、その先に楽しいことが待っている」とイメージさせる必要があるわけです。
 目指す姿が明確になると、やるべきことは自然と浮かびあがります。
 
「楽しいこと」をやっていると脳の中にドーパミンという物質が分泌され、やる気や行動力が高まるようになります。
 人間の脳はワクワク感がないと「やるべき」という義務感だけでは集中できない仕組みになっています。
 なにか一つをやりきらせてみるとよい。いったん「なにかをやりきる」経験をさせると、自信がつき、あとは放っておいてもどんどん加速して成長していくものです。その最初の一歩を踏み出すサポートをしてあげることをこころがけましょう。
(4)
「夢がかなうかも」という気持ちにさせれば、どんどんやる気が高まる
 本当に何も夢を持ってない人はいません。ただ、叶うと思えないから、夢を持たないようにしているだけです。
 
「夢を考えてみよう。あくまで夢だから『これならできそう』というものでなくてもいい。『こうなったらいいな』ということを、自由に考えてみて」と私は言います。
 次に「夢だと思っていたけど、実現できるかもしれない」というイメージを持ってもらうための質問をします。具体的に細かく段階を区切って、夢を描いてもらうのです。
 最終的な夢が叶うまでの途中経過をイメージさせることで「夢が叶っていく過程」を頭の中で疑似体験してもらうのです。このワークをやると、単なる夢だったものが、どんどんリアリティを増していきます。
 夢を聞いても、漠然とした言葉しか出てこない子もいます。そういう子には「憧れの人」を聞くことで「こうありたい」とイメージを具体的に描くサポートをしてあげましょう。
「あの人のようになりたい」という気持ちが人を成長させます。
「あなたが尊敬する○○さんだったら、どんなふうに解決すると思う」「○○さんからどんなアドバイスがあると思う?」と問いかけて解決策をサポートすることができます。
 
「このように行動すれば、憧れている人のようになれる」というワクワク感は、自分の殻を破って成長するために大きな力になるのです。
 どうしてもワクワクする目標が見つからない子には、得たい感情を聞いてみるのも効果的です。たとえば「気持ちがいい」「うれしい気分」「やったぞという感じ」など。
 得たい感情が明確になれば「どうすればその感情が得られるようになるのか」を考えられるようになり、自然と目標が生まれ、モチベーションが上がってきます。
(
飯山晄朗:メンタルコーチ、経営コンサルタント。中小企業診断士、SBT1級コーチ、金沢大学非常勤講師、人財開発フォーラム 理事長、銀座コーチングスクール金沢校・福井校代表。家電業界でトップセールスマン、商工団体の経営指導員(11年間)を経て起業後は講演・研修講師)

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子どもたちとうまく対応している教師の共通点とはなにか

 教師の感覚と、今の時代に育った子どもたちの感覚がずれていても、それはごく自然なことです。子どもたちの心情を察することが難しくなったのもうなずけることです。
 大事なことは、かかわろうとする教師のほうで、自分たちの感覚とはずれているという事実をまず受け入れることです。
 今の子どもの特徴を前提とするのです。前提と考えておけば、必要以上に腹を立てることも、少なくなります。そして、そういう状態の子どもに見合った対応を、そのレベルからしていこうとするのです。
 私の調査したなかで、子どもたちとうまく対応している教師たちがいます。その先生方に面接した結果、大きな共通点があったのです。それは、
ささいなかかわりの中でも
「小さな言葉がけのレベルで、最近の子どもたちの実態をとりあえずそのまま受け入れ」
そのうえで
「それに対する対応を具体的に実施していた」
ということです。
 特に印象に残った中学校の男性教師がいました。一見厳しそうな先生でしたが、通りかかった生徒たちが、気さくに先生に声をかけていました。彼は
「叱れば、子どもたちがよくなろうと努力するなら、しつこく叱る」
「でも、今の子どもたちは頭から叱ると、へそを曲げて、叱った内容について努力しないばかりか、余計やらなくなる」
「子どもをよくしてあげたいと思ったら、子どもが自分から努力する方向に心を向けてあげないといけない」
「その方法を工夫しないといけないと思う。自分はそのことを、十年前に痛感した」
と言っていた。
 ただし、強調しておきたい点が一つあります。それは、子どもたちとの対応がうまい教師と、そうでない教師とには、能力的に大きな違いはない、という点です。
 子どもたちの実態を受け入れ、それに応じて、一つ一つ具体的な対策を取り入れているかどうかの差なのです。
 事前にそういう心構えをし、具体的な対策を立てておけば、子どもを叱りたくなる場面が少なくなり、自然とほめることが多くなります。
 このようななかで、教師と子どもたちとの人間関係が、だんだんと良好になっていくのでしょう。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者と連絡をとっていても、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか

 子どものことで、保護者と連絡をとり合っているのですが、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか。
 
「保護者とのやりとりを記録する」ことと「保護者の言動の冷静な分析」が対応のポイントになります。
(1)
保護者との毎回のやりとりを記録する
 毎回、態度や反応が異なる保護者と連携を図るためには「記録を残す」ことが必須です。
 
「言った」「言わない」という争いや、「何も対応してくれない」というようなクレームに備えて、保護者とのやりとりはその都度記録しておくべきでしょう。
 やりとりするごとに、必ず記録をとるようにしてください。詳細でなくても構いません。日時、対応方法(連絡帳、電話、来校、家庭訪問)、内容などをメモに残します。記録を重ねていくことで、反応のパターンなどがつかめてくるはずです。
(2)
態度や反応が異なる原因が分かるだけでも楽になります
 保護者に精神疾患などがあれば、薬など処方されているはずですので、保護者が「落ち着かない」ことの原因の一つとして考えてみるとよいでしょう。
 その他にも、家庭内や仕事のことでうまくいっていないなど、一見不可解な態度にも、必ず原因があるものです。
 原因が分かったからといって、すぐに事態が改善されないかもしれませんが、こちら側の気持ちとしては楽になることも多いはずです。
(3)
保護者の言動を冷静に分析することで、必要な対応を把握するようにします
 連絡するたびに保護者の言動が異なり、精神疾患が原因であることが予想される場合でも、さまざまな手段で、積極的に情報を引き出すようにしてください。
 保護者が比較的落ち着いている状況の言動がどこにあるのか。また、情報を把握する中で、子どもへの対応の様子も見えてきますし、保護者の言動を一時的なものとして受け止めることもできるようになるでしょう。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)

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授業や学級経営がうまくいくために、教師はどのような力が必要なのでしょうか

 子どもに多くの知識を与え説明し、さまざまなものごとを覚えこませるのが授業であると思われがちです。
 教師の人格は、授業において言葉や態度から、まなざし、後ろ姿といった、しぐさにおけるすべてを通して子どもに伝わります。授業を通して子どもに伝わるものは、私たち教師の人格そのものです。授業の内容と、その授業を行う教師の人格とは表裏一体です。
 たとえば、同じような授業をしても、A教師の授業はわかるけど、B教師の授業はよくわからない、ということがあります。
 それは、子どもがB教師を拒否しているからです。A教師の授業がよくわかる、というのはA教師が好きだからです。教材を通して、A教師の豊かな人格が伝わったからです。
 授業のあるべき姿は、徹底した教材研究に基づく授業内容を追及する。人間性の豊かな教師が、子どもの可能性を引き出す授業を展開することです。豊かな人格を持った教師が、どうすれば子どもに伝わるか、いつも真剣に考えていれば、必ず子どもにわかる授業になります。
 その典型的な例が寺小屋です。人格者である指導者が読み書き算盤を教えるのが寺小屋方式です。松下村塾がいい例です。吉田松陰というすぐれた人格者が教えたからこそ、時代を変えていった数々の人材を輩出したのです。
 本当の意味での寺小屋方式のように、子どもに「どう生きていけば幸せになれるのか?」という問いと真剣に向き合う力を与えるのがすぐれた授業です。教師は人格を磨き、幅広い知識と豊かな人間性を身につけなければ、子どもを磨くことはできません。
 教師に必要な力とは、どういう力なのでしょうか。授業や学級経営がうまくいっていないと思ったら、つぎのことを確認してください。うまくいってないときは、そこに自分の弱さがあるのだと思います。
(1)
子どもの心を動かす力を持っている
 ただ「勉強しろよ!」と言っただけで子どもに伝わるでしょうか。子どもに自分から動いてもらうためには、教師には、子どもの心を動かす話術が必要になります。
 そのためには、どれだけ感動する話を持っているかが重要です。感動する話は、実際の人物の例を挙げていくのが一番いいと思います。新聞、雑誌、本などからもたくさんネタがあります。心が動くと、やる気を出します。やる気が出ると、自ら勉強するようになるのです。
(2)
子どもの心をつかむ力がある
 授業は、出だしの5分間がすべてを決めると言っても、言い過ぎではありません。動機づけがとても大切です。子どもの心をつかむかどうかで、授業のよし悪しが変わってきます。
 教室に入るときは「おはよう」と明るく、大きな声で入ります。笑顔と気合いの入った顔で入ります。やる気のない顔で、暗い感じで入ったら、それだけで授業はダメになってしまいます。
 うまく導入するために、私は絶対に話をしてから授業に入ります。授業が始まっていきなり「はい、36ページを開いて、今日はここからやります」と言う教師には「そんな授業だったら、やっていただかなくて結構」と私は言っています。
 導入は教師の人格が一番表れます。その人格によって、どのような題材を選ぶかです。
「今日、学校に来る途中、電車のホームを見たら、みんな朝からメールをやっていたんだよ。会話しなくていいのかなあ? みんなどう思う」
「そうだよねえ。メールだけじゃなく会話も必要だよね。英語も一緒でね。話したほうがお互いの意思の疎通がよくできるんだよ。じゃ、ちょっと今日は会話をしっかりやろうか」
というふうに日常と授業をつなげていきます。子どもの心をつかまなければ、どんなにいい授業をしても意味がありません。
(3)
子どもを認める力がある
 子どもにはそれぞれ生き方があります。人は自ら伸びていこうとするものです。それを認めてあげなければいけません。教師は子どもが自分なりの生き方を見つけられるためにサポートをしてあげるのです。
 カウンセリングのコツは、子どもの言うことを承認して、オウム返ししてあげることです。自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 子どもも、まだまだ未熟な面がたくさんあります。どうしても守らなければいけないルールを教えるようなときは、強く引っ張っていく必要もあります。
 そのようなときも、子どもの自分のなかで育っていこう、という気持ちをサポートすることを忘れてはいけません。完全に支配下において、一方通行にならないようにする。子どもが自ら考え、自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 根底には常に子どもを認めていなければいけません。子どもも自分が認めてもらえると安心して、初めて教師という人間を認めるのです。
(4)
子どもをほめる力がある
 子どもに「わかる喜び」があると勉強しようとします。その「わかる喜び」は、ほめ方しだいで倍増します。
 例えば、子どもが正解して「はい、正解です」と言われるよりも「すごい、この問題は相当難しいんだよ!」と言われたほうがうれしくなるでしょう。私はそれを必ずやります。
 これは子どもにはうれしいものです。子どもの気持ちが乗ってきます。
(5)
子どもをフォローする力を持つ
 子どもが答えを間違えたら必ずフォローが必要です。子どもは自分の存在を認めてもらえるとうれしいのです。例えば、
教師「Aさん、この問題はどうですか?」
Aさん「わかりません」
教師「Bさん、この問題はどうですか?」
Bさん「○○です」と正解
教師「Bさん、よくやりましたねえ!」「Aさん、わかった?」
とAさんに戻ってフォローしてあげなければいけません。「Aさん、わかった?」があるだけで、自分のことを構ってくれていると思えるのです。
(6)
子どもを励ます力がある
 教師は子どもを「怒って動かす」のではなく、子どもが「自ら心を動かせられる」言葉、「子どもを信じ切る」言葉を、私たち教師は持っていなければいけません。
(7)
あきらめない情熱 前進する力がある
 教師に必要なことは、たっぷりと子どもに愛情を注いで、しっかりと向き合って、ひるまないことです。
 以前「とても怖くて、あの子には話ができません」と言ってきた新任の教師がいました。それを聞いて、厳しいと思われるかもしれませんが、私は
「じゃあ辞めてくれ。子どもと向き合えなかったらダメだ。ひるんであきらめるようだったらダメだろう」と言いました。
 子どもと向き合えなかったら何も始まりません。ひるんだり、見て見ぬふりというのは、教師として最もやってはいけないことです。
 絶対にひるまない、絶対に向き合っていく、そのためには私たち教師が決してあきらめないことです。いったん逃げると逃げくせがつきます。人を教え、育てるのに平たんな道などありません。いくつもの険しい山がそびえたっています。
 しかし、目の前にある山を登りきると、そこにはそれまでに見たことのない景色が広がっています。山を越えた分だけ、いろんなことがわかってきて、いろんなことが見えてくるので、進んでいく道を切り拓いていけるのです。
 子どもが伸びていくには「やればできる」と信じて、あきらめさせないことが大切です。そのためには、教師自身も、子どもに対してあきらめてはいけません。子どもが逃げたくなるときにサポートしてあげるのが私たち教師です。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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始業ベルがなっても教室に入らない子どもや、私語をなくすには、どうすればよいでしょうか

 教師が少しも変わらずに、子どもだけが変わることを願うのは無理です。教師が変わった分だけ、子どもが変わるのです。
 あなたの授業がその子にとって心躍る授業に変わり、あなたがその子から「先生大好き」と慕われる教師に変わることが、始業ベルが鳴っても教室に入らない子どもをなくし、私語をなくす道だと私は思います。
 始業ベルが鳴っても教室に入らない子は「先生、私にもわかるように面白い授業をして!」と言っているのです。
 あなたが、その子にとって心躍る、楽しい授業をするようになれば、その子は始業のベルを待ちかねて席につきます。
 私の信条は 「面白くも、おかしくもない授業など授業でない」です。
 筋の通った格調の高い、面白くない授業よりは、筋はそんなに通らなくても、多少格調に欠けるところがあっても「面白い授業が子どもを育てる」のです。
 この信条は、教師であるあなたと同じ悩みを何度も繰り返したあげくの私の信条です。
 
「出来」の異なるすべての子どもに行き届くように授業をすることは正直に言って不可能です。だから、授業は、子どもを「ひとり学びに突き放す過程」と考えるのがいいのです。
 自分の足で歩けるようになった子には余計な口出しをせずに、行く先(目あて)だけをしっかり教えて、道順さえも自分で考えさせて、ひとりで歩かせてやるのがいいのです。 
 授業に心躍る思いもなく、面白さもおかしさも知らぬ子は、まだひとり歩きのできない子どもです。
 子ども40人に教師が一人であるならば、教師はまず、そのひとり歩きのできない子に寄り添うのが人の道であろうと私は思います。
 同じ授業でも、面白いと思う子もいれば、面白いと思わぬ子もいる。肝心なのは誰のために面白い授業を工夫するかだ。
 頼みとするたった一人の教師が、もし、授業がわかって面白いと思う子だけを連れてどんどん歩いていってしまったら、残された子はどう思うでしょう。
 授業に取り残された子は、しかたなしに仲間と私語をし、退屈しのぎに漫画を読み、オレたちも居るぞと、少し大きな声を出して、出来る子をやじったりする。すると教師は叱責する。
 そういう毎日を繰り返していたら、学習の意欲を失って、学校を嫌い、教師を憎むようになるでしょう。そんな教室には入りたくないと思う子が出るのは当然です。
 面白くておかしい、心躍る授業は、その子のために工夫すべきだと私は思います。「キミのため、工夫した面白い授業が始まるゾ」と、始業ベルは鳴るべきものだと思います。
 ところが教師はどうか。授業がわからない子も仲間に入れ、励ましを与えているか。
「わかった人」を連発して、わかる子、出来る子と教師だけで授業を進めていないか。もしそんなことをするならば、それは「弱い者いじめ」「えこひき」です。
 教室でわかる授業を受けられなかった子は、きっと「弱い者いじめ」を始めます。やがて自分よりも弱い教師や親をもいじめるようになります。始業ベルは、教室に入りたくない子には何と無情に響くことか。
 始業ベルは、まだ、自分でひとり歩きして勉強することが出来ない子のために鳴るのです。どの子どもにも生きる喜びと勇気を与えるために鳴るのです。
 廊下に座り込んでいる子には「さぁ、今日もキミのために面白い授業を始めるぞ、きっとキミに声をかけてやるぞ」と鳴るのです。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校会長を務めた)



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担任に不満を持つ保護者との出会いが私の教員人生に大きな影響を与えた

 初めて学校に赴任したとき「自分こそ世界で一番優秀な教師だ」と、私は思っていた。
 新任で五年生を担任し、初めの頃こそ、若い教師ということで、多くの保護者から笑顔で歓迎を受けた。
 しかし、時が経つにつれて「学習の進度が遅い」とか「教室が汚い」とか「子どもの言葉づかいが悪くなった」といった不満が保護者の間から出てくるようになり、それとともに保護者の顔から笑顔が徐々に消えていった。
 私自身も保護者に会うのがおっくうになり、保護者会の日は私が不登校になりそうであった。
 そのような状況を感じて私なりに、子どもと休み時間、一緒に遊ぶとか、子どもが提案してきた早朝のマラソン練習に付き合うなど、少しずつ努力をしていたが、保護者にはならなか理解してもらえず、苦情はいっこうになくなることはなかった。
 五年生も終わりに近づき、学年末の保護者会が行われた。学年末ということもあり、保護者の私への批判は、ますます拍車がかかった。
 次々に出される私の実践への不満、保護者会の雰囲気は重苦しいものになっていった。そして、いつも私に一番厳しい苦情をいう学級代表のお母さんがスッと立ち上がって発言を始めた。
 私は、路整然と完膚なきまでに私の批判が語られると想像した。重っ苦しい気持ちを通り越して「どうにでもなれ」と、開き直ってしまった。
 しかし、その母さんから語られた言葉は
「皆さん、いろいろとご意見があると思いますが、先生が担任されて、私たちの子どもがたくましくなったのは、どなたも感じることではないでしょうか」
「私は、先生のこの面を大切に見守っていきたいと思います」
ということだった。
 今までの重っ苦しい教室内の空気がこの発言でガラッと変わった。発言の最中に何人かの保護者のうなずく姿も見えた。
 私はこのお母さんのひと言を聞いて
「ああー、私はこのひと言で生きて行ける。これからの教員生活、死にもの狂いで努力していきたい」
と、思った。
 教師は誰でもみんないい教師でありたいと願っている。ただ、一生懸命努力しても人間関係のゆがみや、相互理解の不足などによって、自分の持ち味が発揮できない場合がある。
 そのようなとき、保護者のひと言でやる気を起こしたり、反対に意欲を失ったりする。私の場合、あの厳しい学級代表のお母さんがいたおかげで、やる気が出て努力する教師になれたと思う。
 このお母さんが厳しかったのは「本音で私の実践を見つめてくれていたからだ」と、思うようになった。
 
「子どもや保護者と、ともに本気で、人生を一緒に生きることの大切さ」を、私はこの母親との出会いで学んだ。
 その後、六年生の担任として、自分の実践を保護者にしっかり伝えようと、学級通信を毎日出した。その結果、子どもに毎日、日記を書かせることになった。
 また、学級通信が授業の資料にもなった。さらに、学級通信に後押しされて、実践を最後まで頑張りぬいた。
 初めのうちこそ、苦手だった保護者会が、私の学級経営の重要な柱の一つになった。
 一人の母親との出会いが私のその後の教員人生に大きな影響を与えたのである。
(
西島興蔵:元東京都公立小学校管理職)

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担任に対し悪口を連絡帳に延々と書いてくる保護者にどのように対応すればよいか

 学校教育の具体的な内容については、法律的にも社会的にも、原則として学校に裁量権があり、個々の保護者は学校に対して意見を具申、あるいは苦情を申し入れる以外に、学校教育に反映させる方法はほとんどない。
 逆に、保護者の意向を完全に無視して学校教育が成り立つかはやや疑問のあるところであり、学校の活動に肯定的な理解を得るためにも保護者の意見を求めることが有益な場合もある。
 また、学校教育として不十分な点についても、学校外から苦情が寄せられる形で学校が状況を把握することが通常であるから、苦情により学校教育をより適切なものとするための契機として位置づけることは、一般論として建設的である。
 以上のことから、保護者からの苦情については
(1)
その内容が的確であり、かつ、改善等を要求する内容が学校教育にとって建設的なものである限り、十分に尊重すべきものである。
(2)
保護者がわが子に対する評価や処遇などの優遇措置を求めたり、保護者個人の悪感情を学校に攻撃的に向けてきた場合や、学校の適切な教育内容に対して誤った観点から修正を求める場合は、教師の受ける悪影響に対して十分な配慮が必要である。
 保護者からの苦情に対して学校は、速やかに事実を確認し、対応を検討していることを伝え、
(1)
特定の子どもを優遇することを求める場合
 
「子どもの健全な成長のためにそのようなことをすべきでない」と考える旨を伝えたうえで、少なくとも実施しないことが合理的である。
(2)
担任などに対する不合理な個人攻撃の場合
 担任に対し悪口を連絡帳に延々と書いてくるような、不合理な個人攻撃に対しては、学校として直ちに止めるよう強く申し入れることが必要であり、申し入れにもかかわらず、なお攻撃が続く場合は、法的対処を辞さない態度を明確に示すべきである。
 不合理な攻撃に対しては、標的となっている教師が学校内で孤立することのないよう学校として配慮し、組織として一体となって対応すべきであり、教師が個人として法的対応をとらざるを得ない状況に陥ることは、極力避けることが重要である。
(
星野 豊:1968年東京都生まれ、筑波大学准教授。研究分野は民事法学 、新領域法学)
(
「先生のための学校トラブル相談所-59の事例で学ぶ危機管理 」)

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若い教師が子どもとよい関係になり、魅力のある教師になるにはどうればよいか

 私は若いころ、毎日昼休みに子どもたちとバスケットボールに興じていました。サッカーをすることもありました。年齢を重ね、子どもたちとバスケットボールに興じながら築いた子どもたちとのつながりは、もう経験できません。若いからこそ、できる教育というのが確かにあるのです。
 フットワークが軽いということは教師に必要な資質です。何か生徒指導する場面が起こったら、すぐに現場に直行する。そして、とにかく子どもの横に寄り添う。その姿勢が必要なのです。
 常に現場にいると、先輩教師がどういう対応をするのか、自分の目で見ることができます。その空気を肌で感じることができます。この肌で感じるということが大切なのです。あとで話を聞いたとしても、その空気までは決してわからないものです。
 子どもたちと接する感覚を肌感覚で身につけられるか否かは、先輩教師の指導場面にいかに立ち会ったかで決まります。
 現場に立ち会っていれば、年齢が近いからこそできるフォローがあります。とにもかくにも、その子とじっくり話をしてみる。その姿勢が大切です。
 現場に直行するときは、どこからでも応援を呼べるよう携帯電話を持つ。筆記用具とメモ用紙は必ず携帯する。靴はかかとのあるもの。怪我用ハンカチやティッシュを持つ。子どもと格闘することもあるので尖ったものを身につけないようにする。
 子どもたちと人間関係を築くには、まずは一緒に大笑いする機会を日常的にもつことが大切です。人は一緒に笑い合った分だけ、仲よくなるものです。
 常に子どもたちと一緒にいて、バカ話をしたり、ゲームに興じたり、運動したり、遊び型コミュニケーションをとり続けることが大切です。
 子どもたちが悩みなど相談しやすいのは、やはり若い教師です。自分たちと感覚の近い人じゃないとわかってもらえないと感じるからです。相談に乗っても、教師が解決してあげようなどと思ってはなりません。
 子どもたちから相談をもちかけられたとき、大人として振る舞ったり、子どもに迎合したりするのではなく、教師自身が「中学生くらいのときに、感じていたことが感じるようになってきた」「まだ結論が出ていない」といったスタンスの話し方が最も子どもたちの心に響きます。
 相談に乗り始めたら、最後まで見捨てないという覚悟が必要です。途中でやめると、相手を傷つけることがあります。まれに、相談依存症の子どもがいます。距離をおいて一線をこえさせないことが大切で、常に周りの教師と情報交換しておくことが重要です。
 子どもたちから聞いた話は決して他の子に漏らしてはいけません。子どもとの人間関係が決定的に破綻します。
 教師も人間です。合う子、合わない子がいるのは当然です。「やんちゃな子を指導できなければ教師じゃない」といった思い込みは捨てましょう。
 自分にできる生徒指導、自分が得意な生徒指導の領域を増やしていく、そういう意識を持つのです。やんちゃな子の指導につきっきりになって、他の子どもたちが放っておかれると、普通の子どもたちがおかしくなってきます。普通の子どもたちを対象に目配り、気配りをすることも大切です。
 ウマが合う子であろうとなかろうと、楽しませることが大切なのです。あなたと接していて楽しさが説教を上回っていれば、子どもとの関係が壊れることはまずありません。
 若いうちは失敗して当たり前です。それを糧にして成長すれば良いのです。同じ失敗をくり返さないことに意識をむけましょう。失敗を経験すると周りの人たちの優しさが見えてきます。そんな経験も必要なのです。
 失敗をしたとき、隠すのが一番いけません。管理職や周りの教師の信頼を徹底的に失います。落ち込んでいる暇などありません。まずは解決に全力投球です。反省はあとでもできるのです。
 若い教師は可愛がられる人間になろう。
 若い頃に先輩教師に可愛がられた教師は、間違いなく、後輩を可愛がる教師になっていきます。子どもたちを可愛がる教師になっていきます。保護者ともコミュニケーションをとれる教師になっていきます。可愛がられることは教師にとって必要な能力なのです。
 将来、仕事ができると言われる教師は「なんでも楽しめる」という資質をもっています。壁をつくらず、まずは何にでも挑戦し、その楽しさを味わってみることです。
 人間的魅力とは「いろんなことを楽しめること」「それを独占せずにみんなで楽しもうとすること」のかけ算で測られます。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)


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いい授業を見て、具体的な目標を創り、工夫しながら勉強する教師は必ず伸びる

 私が新採の頃は、まばゆいばかりの教師が身の回りに何人もいた。この教師たちはどんな勉強のしかたをしているか観察した。
 その結果の一つは「アンテナを高く広く張りめぐらしていた」ということである。
 その教師の机の上には、いつも見たことのない本が置かれていた。時には哲学書であり、教養書であった。小説もよく見かけた。その教師は子どもに
 
「勉強しない人は伸びない。先生も本を読んだりして一生懸命勉強しているんだよ。きみたちも先生に負けないように勉強して、立派な人になって下さいね。勉強ほど楽しいものはないからね」
と話していた。
 これに比べ私の机の上は、辞書と子どものノートだけであった。どんな本を読めばよいかわからなかったのである。私が多少、本を読むようになったのは若い頃、身の回りにいた教師の影響である。教育雑誌をいくつか購入し、広告で本をさがした。
 とにかく「情報入手のアンテナを張りめぐらせる」という感じであった。これが長年続いていた。
 では何のために本をさがし求め、情報を入手するのか。それは教材研究をするためであり、指導方法の研究をするためであり、カリキュラムを作成するためであった。
 教育大学附属小学校に入ったとき「これがプロだ」という集団に出会った。
 ある算数の専門の教師は、新刊が書店に出れば購入するという徹底ぶりであった。徹底的に読んで自分のものにし、新しい教材解釈に取り入れていた。
 研究授業のときは、いつもユニークな教材解釈を披露して見せてくれた。指導法も、新しい方法を取り入れ、自分の工夫を加味していた。しかも、その人らしさをなくすことなく。
 私は、その教師によくゆさぶられた。その教師のいわんとすることは「常識を疑ってみよ」ということであった。「あまりに常識的な解釈、ものの見方・考え方では、子どもが面白いと思わない」といいたかったようだ。
 理科の専門の教師は「毎日の授業そのものが研究だよ」と言っていた。
 あるとき、その教師のノートを見たら、左ページに授業の計画が書かれていた。右ページは白紙のままであった。「無駄なノートの使い方するな」と、その時思った。
 これは、浅はかなことであることが間もなくわかった。右ページは授業の経過や結果がぎっしりと書かれているのを見たとき、びっくりしてしまった。
 なるほど、これが「毎日の授業が研究だよ」といった意味だったのだと悟った。これは、早速まねしてやり出した。忘れないうちに休み時間に右ページを書いた。これは忙しくて大変だった。
 その理科の教師は放課後や時間のある昼休みなどに書いていた。「時間がたったら忘れてしまうのでは?」とたずねたら「忘れてしまうような授業なら、大したことはない証拠だよ。いい授業はいつまでも覚えているものだよ」と言った。私は脳天をぶんなぐられたようなショックを受けたことを、つい昨日のように思いだす。
 たくさんの授業を見て感動することも多いが「こんな授業をしてみたい」ということも結構ある。
 教師になって五年、マンネリになっていることに気づき、県外の研究会に参加した。奈良女子大学附属小学校で長岡文雄先生の授業を見た。そこには人があふれていた。教室には手づくりのポストがあった。
 授業が始まって五分もたたないうちに「これは面白い。まねをしてみたい」と思った。うわさのとおり「これぞ授業だ」という、すごい授業であった。
 その授業の指導案を見ると、学習活動は次の通りであった。
(1)
グループで作ったポストの模型について発表し、くらべ合う。
(2)
ポストで、うまく作ってあると思うところをみつけて、そのわけを話し合う。
(3)
ポストをあける郵便屋さんのまねをする。
 簡単すぎて、何をどうするのかわからなかった。ユニークな授業が展開されることなど、全く読みとれなかった。やはり、授業も、指導案も、見る人の実力ほどにしか見えないものだと後で思った。
 授業は、欠陥のあるポスト(例えば、屋根がない、投かん口の上のひさしがない、取集時刻がない、など)を使って「欠陥があると、どのように困るのか」考え合うのである。
 一般的なことを言う子どもは一人もいない。みんな体験にもとづいたものばかりで、実にユニークな発言である。
 長岡先生は「屋根なんかなくていいよ!」と、とても教師とは思えないことを言うのである。正しいことを教えるのが授業だと考えていたので、驚くばかりであった。
 教師がゆさぶるたびに、子どもがものすごい反論をする。教師の言うことに従うのが子どもだと考えていたので、これにも驚いた。
 それまで、教材は完全なものでなければと考えていた。ところが、欠陥ポストを使っての授業を見ているうちに、意味がわかってきた。
 欠陥のあるものは目につきやすい。それを発見させて、どうすれば完全なものになるか、考えさせることが、子どもの思考のすじ道からしても自然なことに気がついたのである。
 翌日、続きの授業を見た。多く子どもたちが郵便屋さんをつかまえて聞いたり、観察してきたりしていた。その観察のしかたの鋭さに舌をまいた。
 「これが本物の授業」だと思った。私に授業を求める心があったからこそ、この出会いがあったのだと思う。
 つまり、私が目ざしていたものが「具体的な形で見えた」ので「よし、こんな授業をしてみたい」ということになった。
 どんな子どもを育てればよいかも見えてきたのである。こうして、長岡文雄という一人の先人を追い続けることにしたのである。
 教師は子ども対象であるため、お山の大将になりやすい。お山の大将に共通していることは
第一に「視野が狭い」ということである。狭い世界で「自分が一番だ」と思いあがっている。
第二に「目あてのレベルが低い」ことである。大したことないのに、すごいことをやっていると勘違いしている。
第三に、周りの人々が嫌っているのに、全く気づいていないことである。
 教師は「いい授業を見る」「いい授業の話を聞く」などして情報を入手し「自分なりの、やってみたい授業のイメージを創る」とよい。目あてに近づけば、目あてのレベルを上げればよい。
 これができるかどうかが、お山の大将にならずに伸びるかどうかの分かれ目である。
 幸か不幸か、私には今も目ざしたい授業があり、それを追っている。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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子どもを育てるときの「ほめ方」「叱り方」の鉄則とは何でしょうか

 私は長い警察官生活の中で、道を踏み外した子ども、そしてその子を育てた親と接し、たくさんの話を聞きました。
 話を聞くと、一緒に住んでいるのに気持ちはすれ違い、かみ合ってないことや、お母さんが子どものために良かれと思っていたことが、子どものためになっていないことなど、家庭でさまざまな問題を抱かえていたことが分かってきます。
 子どもたちに不幸を生まないためには、子どもの頃からしっかりと、しつけを行うことが必要なのです。
 子育てにおいて愛情が基本なのは当然のことです。しかし、愛情に溺れず、どこかで冷静に距離をおいて子どもに接するのが親の役目なのです。
 叱るときも、本気で叱りながらも、怒りをぶつけてはいけません。あくまで親という役割の必要性からそうしているのです。
 子育ては、時代が変わっても押さえるべき「子育ての鉄則」は変わりません。私の長年の経験から確信をもって言えることです。やろうと思えば誰にでもできることです。
 子どもを育てるとき、子どもの「ほめ方」「叱り方」の鉄則とは
(1)
かわいがることと溺愛は大違い
 かわいがられたことのない子は、よい子に育ちません。しかし、溺愛ほど有害なものはありません。溺愛だけで「しつけ」のない親があまりにも多い。
 今の親は甘やかす傾向が強く、必要以上に子どもに迎合する親や「友だち親子」になっていて、叱らなければならない時に、それができず、むやみにかわいがってばかりいる親が多いのが懸念されます。
 子どもに甘く、子どもの要求をやたらに受け入れる親は、理解のある親だと思われたいのでしょうが、とんでもないことです。
 子どもが転んだら手を貸して起こしてやるといった子育ては避けるべきです。親が先回りしてやってしまうと、何かに耐えたり、我慢したりする、生きていく上で大切な力が子どもの身につかないのです。
 自分で立つことを学ばせることはとても大事なことです。それが「しつけ」であり教育なのです。
 子どもがキレて、わめくと「ああ、分かった、やってあげるからね」と助けてしまう。すると、子どもは駄々をこねれば何でも通るということを覚えてしまうのです。
 そんな子に育っていくのが最も恐ろしい。やがて親にとっていちばん苦労する子になってしまうのです。
(2)
叱ることを恐れない
 まるで腫れ物にさわるかのように子どもに接している親がいます。これが一番よくないと私は言っています。必要以上に子どもの機嫌をとってはいけないのです。
 叱るということを、あまり恐れてはいけません。叱り方さえ間違えなければ、子どもは親から離れることはありません。
 親は子どもに「間違ったことをしたら叱られる」のだということを教えるべきです。子どもは世の中のことを知りません。間違ったことをやって当たり前です。
 叱るべき時は厳しく叱る。そのかわりよいことをしたら、とことんほめる。抱きしめてほめてあげてください。その時に、親と子の結びつきができるのです。「叱る」「ほめる」という行為は、そういう意味でも大事なことなのです。
 気をつけることは、叱るときに感情的になると「怒る」ことになります。その分だけ愛情が抜けてしまうのです。子育てにおいて、感情と愛情はなかなか同居しにくいものなのです。そのことを忘れないでください。
 叱る時には、絶対に人の前で叱ってはいけません。子どものプライドを軽視してはいけません。ほかの子と比較はしない。自尊心を傷つけます。
 叱るときは肌を接して叱ってほしい。特に厳しく叱る時は、必ず子どものどこか(手を握るとか、頭に手を乗せるとか、肩を組むなど)に触っていてください。親が考えている以上に、子どもは孤独感と恐怖感を覚えるのです。
 叱ったあと、後味の悪さを引きずったままでは、親子の関係が離れ、やがて結べない距離になってしまいます。「きつく叱ったな」と思ったら、必ず「なり直し」(フォロー)をやってあげる。
「ね、分かった? お母さんの言うこと」「うん」などと、気持ちを寄せ合って、子どもが不安を引きずらないようにしましょう。
 毎日の子どもとの触れ合いの中で「叱る」より「小言」が多すぎると、子どもも「またか」と、うんざりするだけで、言うことを聞こうという気持ちにはなりません。
 これは、子どもに近づきすぎていることが原因です。子どもとの距離を少しとって口を出したいと思っても、子どもを信じて黙って見守ってみてください。
 自分で問題を解決することにより、子どもはものごとの処理能力を身につけた大人へと成長していけるのです。
(3)
子育ての責任者は親である
 何のために子どもをしつけるのでしょう。子育ての目的は、社会生活をするために必要なルール、作法や物事の善悪を判断する力を身につけさせること。
 そして、この子育ての責任は親にあることをよく自覚していただきたいのです。このことが分からず、他人や学校に文句ばかり言う親がいますが、子育ての責任はあくまで親だということを忘れないでほしい。
(4)
まずは、さきに「ほめる」
 
「ほめて」よいところを伸ばしていけば、やがて黙っていても悪いところは立ち枯れるものです。「よくがんばったね」と、よくできたところをほめた方が効果的です。
 ほめて自信をつけさせて「やればできるのだ」と暗示をかけて育てる方が大事ではないかと思うのです。やがて、この暗示が本物になるのです。
 
「あなたのいけないところはこれ、早く直しなさい」と、先に悪い点を言う親が非常に多い。そうではなく「今日はよいこと一杯できたね。明日はここをがんばろうね」と、よいところを指摘しながら励ますようにします。
(
星 幸広:1944年生まれ、千葉県警察官、千葉県鉄道警察隊長、警察庁警備局、千葉県少年課長、 千葉県警察署長、地域部参事官等を歴任し、千葉大学ジェネラル・サポーター。「子育て、しつけ」や「学校危機管理」に関する講演を全国的に展開 している)

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保護者との駆け引きがうまくできるようになれば、教師として一人前

 中部地方の公立小学校に勤務する40歳代半ばの教師。子どもや親からの相談にも気軽に乗る「頼りがいのある先生」でもある。その教師にインタビューした。
 教師側からすると、全般的に昔に比べて、保護者がうるさくなってきている。
 管理職から「親とのトラブルだけは避けてください」って言われます。それはどういうことかといえば、やっぱり「親に合わせろ」ってことなんです。
 でも、親に合わせろといっても、いろんな親がいるわけでね。だから具体的には「こまめに親と話をしなさい」というわけです。「とにかく連絡を取りあいなさい。親の要望を聞きなさい」と。
 つまり、子どもが具合悪くなったら連絡しなさい。ケガしたらすぐに連絡して病院に連れていきなさい。そういったことです。
 だから、私はとにかく親にはこまめに連絡を取るようにしている。何かあれば電話をかける。例えば、
「ちょっと今日は、気分が悪くて給食あんまり食べられんかったから、お家でもよく見てあげてください」とか。昔だと感謝されたんですけどね。今はもう何もないですわ。
 親は、やっぱり不安なんですね。子どもを毎日学校に預けるわけですから。それに今の学校はいじめやらいろんな問題があることを親だって知っている。
 だからこそ教師に期待するわけです。いろいろな問題に対処してほしいと期待するから注文も多くなる。
 でも期待の中身の半分は、じつは「しつけ」なんですね。親自身が子どもの「しつけ」に自信がないんです。いわゆるいい子のイメージは親の頭にあるんだけど、それにわが子がついてこない。
 私なんか小学校一年生ぐらいで、おとなしく教室で座っているほうが不思議だと思うんだけど、お母さんたちは、それが許せないんですね。
 それで、最初の授業参観なんかで、子どもたちがウワーって騒いでいるのを見ると
「これは先生に力がないんだ」
と思うわけです。きちんと座ってないのがすごく不安なのですよ。
 私が親とつきあううえで原則にしていることが三つあるんです。
 一つめは「何か問題が起きたときには、親と一緒に考える」ということです。
 ぶっちゃけた話、学校でのことだから私も頑張るけど、お母さんが、もし教師の私の立場だったらどうしますか。同じような事態になったとき家でどう対応していますか。と一緒に親に考えてもらう。
 つまり、こっちも覚悟を見せたうえで、親も巻きこんじゃうわけです。まあ、それでたいていのトラブルは解決しますね。
 二つめは「問題をひとりで抱かえない」ことです。
 親からクレームなどがあれば、できるだけ同僚や管理職に声をかけ、同僚も巻きこんで学校全体で取り組むということ。
 授業の空いている教師がいたら、集まってもらって話し合う。すると、結構いいアイデアが出てきたりするんです。
 だから私は日頃から口をすっぱくして言っているのは、どうしようもなくなってから人を呼ぶなよと。
 学級崩壊なんかになったら、もう対症療法しかないんだから「ちょっとやばいな」と思ったら早く言えよと言っているんです。
 三つめは「仲のいい親からは情報をどんどんもらいます」ということ。
 親たちとパイプをつくっておいて、ちょっとへんだなと思ったら、裏を取ってすぐに対応します。そうすれば大きな問題にはなりませんね。
 まあ、社会が変化して学校や教師に対する親の見方も変わってきたし、同時に親もすごく変わった。親だって子育てがうまくいかないとか、いろいろ悩みはあるでしょう。
 たとえば、手のかかる子がいて、その親が「いつもお世話になっています」と、ひと言いえるかどうかの差はすごく大きいと思うんですよ。
 やっぱり教師だって人間だから「お世話になって」って言われれば、じゃ、もうちょっと頑張ろうかなって思うわけですよ。そのへんがうまくないというか、自覚していない親が多いんですよね。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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子どもを叱っても言うこと聞いてくれないとき、どうすればよいのでしょうか、その発想のポイントとは

 子どもをどう「しつけ」たらいいか分からない。いくら叱っても、子どもが言うことを聞いてくれない。言いたくないのに、いつも子どもに小言を言ってしまう。子どもと楽しく過ごしたいのに、気がつくと子どもを叱っている。
 私は、23年間の教師生活の中で、このような親たちの相談を何回も受けてきました。多くの親たちがこのような悩みを抱かえながら、毎日を手さぐり状態で生活しています。
 これらは、教師である私自身の悩みでもありました。私も教師になったときから、ずっと同じようなことで悩んできたのです。
 叱りすぎて。子どもの心が離れてしまったこともありました。毎日子どもと顔を合わせるのが、嫌でたまらなかったこともありました。
 そのような悩みと苦しみの中で、だんだん分かってきたことがありました。分かってくるようになってからは、毎日の子どもとの生活が楽しくなってきました。
 そして、子どもたちもグングン伸びていくようになりました。
 以前、わからなかった「子育てやしつけ」のポイントが少しわかるようになったのです。ほんの少し発想を変えるだけでいいのです。この「発想を変える」ことがとても大切だと思います。発想を変えて、初めの一歩を正しい方向に向けることがとても大切なのです。
 「子育てやしつけ」の発想のポイントとはどのようなことなのでしょうか。
(1)
「しつけ」より愛情
 
「しつけ」は愛情の後に来るものです。まず、子どもの心を親の愛情でいっぱいに満たしてやることが一番大切です。
 自分が愛されているということを実感させてやってください。子どもが親の愛情を実感し、心が満たされているとき、初めて、しつけも可能になるのです。
 子どもが愛されているという実感がないと、いくら子どもをしつけようとしても、何一つ身につきません。私はそういった例をたくさん見てきました。
 親たちも、みなそれぞれに愛情を持っているのですが、子どもが実感として親の愛情を感じることができていない場合があります。
 実際にコミュニケーションやスキンシップなどの触れ合いを通して、心と体で愛情を実感することができないと満たされないのです。
 自分が本当に親から愛されているのだということを、子どもはいつも実感していたいのです。それは、一度にまとめて受け取り、蓄えておけるようなものではないのです。
 親に愛されていると日々実感している子は、心が満たされます。心が満たされている子は、素直になれます。ですから、親の言うことを受け入れることができるのです。
 生活のしつけや決まりも、素直に受け入れることができるのです。
(2)
叱ることで「しつけ」ようとしない
 親がコミュニケーションやスキンシップなどの触れ合いを心がけているにも関わらず、親の愛情を子どもが実感できないでいるという場合があります。
 多くの親は、叱ることで「しつけ」ようとしています。でも、子どもはその度に嫌な気持ちになっています。その度に、少しずつ親の愛情への疑いが育っていくのです。
 子どもが人間として許されないようなことをしてしまったとすれば、「叱る」ことも必要でしょう。例えば、誰かを傷つけたり、卑怯なことをしてしまったとか、弱い者をいじめてしまったなどという場合です。
 でも、大人が感情的になって、声をあらだててとがめる必要が毎日あるでしょうか。
 私は、以前は、声をあらだてて子どもを叱ることがよくありました。私も、その度にいやな気持ちになるのが常でした。
 叱られる子どもは、うなだれて、しょんぼりしています。私を見る目も微妙に違ってきます。つまり、子どもの中で教師としての私の価値が低くなっているのです。
 感情的に叱ったり怒ったりするたびに、子どもたちが言うことを聞かなくなっていきます。指示や指導は効き目がなくなっていきます。なぜなら、指示や指導には、その人自身の人間性の裏付けが必要だからです。
 生活の中に「叱ってしまう流れ」から「叱らなくてすむシステム」を作ることに力を注ぐようにします。 
 例えば、私は叱らなくてすむように、小黒板を利用していました。小黒板に朝の流れを書いて、毎日帰り際に、係の子どもが教室の前の黒板に張りつけます。
 
「朝、八時までに、提出物を出しましょう」「係の仕事をがんばりましょう」「外で元気に遊びましょう」
 こうしておけば、朝、学校に来たときに、誰もが目にし、朝の八時までに提出することが出来るわけです。もうひと工夫して、教室にいる子どもたち全員で読むようにします。これはとても効き目があります。誰の耳にも聞こえるからです。
 たいていの場合、これで、どの子も朝の仕事がきちんとできるようになります。それぞれの問題に応じた方法を工夫すればいいのです。私は「改善」と言いながら工夫してきました。
(3)
子どもの短所に目をつぶり、長所を伸ばす決意をする
 
「しつけ」ようとしても、どうしてもできない子どもには、どうすればよいのでしょうか。目をつぶればいいのです。短所に目をつぶる代わりに、長所を伸ばす決意をするのです。実はこの短所に目をつぶるということが、大人にはなかなかできないのです。
 成長するためには人間は、どこを持って持ち上げてもいいんです。得意なこと、好きなこと、長所を持って上げてやればいいんです。
 人間全体が上がれば、苦手だったことや短所も、いつの間にか上に上がるんです。その子は幸せになるのです。
(4)
肯定的な言い方で、子どもをやる気にさせる
 ちょっと言い方を変えると、聴いている人は気持ちよくなります。
「脱いだ靴が揃えられていると気持ちがいいね」
という言い方は、肯定的な言葉を使っているので、聞いている人は気持ちがよくなるのです。それで、聞いている人は前向きにやってみようかなという気になるのです。
(5)
子どもをほめる
 人は誰でもほめられるとうれしいものです。心が温かくなって、やる気が出てきます。私は担任として、子どもを意識的にほめるようにしていました。
 子どもをほめられない人は、日頃の考え方がマイナス思考の人が多い。子どもをほめられるようになるためには、自分自身をプラス思考の性格に変えることです。生活や仕事を楽しんでいる人は、みんなプラス思考だということです。
 物事の肯定的な面を見つけ出して「いいね、いいね」「あなたのいいところはここね」と、それを話題にするようにします。
(
杉山桂一:1958年生まれ、公立小学校で23年間教師を務め2006年に退職。教育評論家として講演、執筆活動、無料メールマガジン(メルマガ大賞の教育・研究部門で5年連続第1位)の発行を続けている)

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教師が教育のプロとなるための条件とは何でしょうか

 指導力不足の教師がいる。子どもが大きく変化しているのに、教師の方が変化できないでいるのだ。わたしは、ほんのひとにぎりの教師が指導力不足に陥っているのであって、多くの教師は、そうでないと考えている。プロをめざしてがんばっている教師がたくさんいる。
 教育のプロとは、何だろうか。教師の場合、真のプロとはどんなところをみればよいのだろうか。幅が広くて、これとこれというようにはいかない。でも、何といっても
プロ教師の第一条件は
「子どもを引きつける授業ができる」 
ことであることは間違いない。
 授業ができないのに、理屈ばかりいって専門家ぶっているのは、本物ではない。
 わたしの夢は、子どもの前に立っただけで、子どもが集中し、語りかけてくるようなプロ教師になることである。
 子どもを引きつけるには、一つは、人間性である。子どもが「面白そうだ、何か話しかけてみたい」と、思うような存在感のある人間性でありたい。これをみがかなくてはならない。
 
「先生の笑顔をみただけで、勉強が面白そうに思える」
といった雰囲気をもった人間性である。こういう雰囲気をつくり出さなければならない。
プロ教師の第二条件は
「新しい角度からの『発問』ができる」  
ことである。例えば、
 
「どうして海の中を列車が走っているのでしょうね」
といった発問は、さり気ない発問のようにみえるが、実は深く広い教材研究の中から、にじみで出たような発問である。
 日本最初の新橋から横浜間の鉄道は、その三分の一は海の中に盛り土をして、その上を走らせたのである。
 明治のはじめの、しかも家も沢山ないような海岸を走らせるのに、どうして反対したのか。たぶん反対があってこのようになったのだ、といったことに気づかせるための発問である。
 発問のしかたで、授業は一変する。
「この紙で郵便ポストを作りたいのだが、どうだろう」
「バスの運転手は、どこをみて運転しているのでしょう?」
「東京23区に、牧場はあるでしょうか」
こういった発問は、子どもをゆさぶり、授業のあり方を変えてきた。
プロ教師の第三条件は
「明確な指示ができる」
ことである。
 明確な指示ができていれば、子どもはきちんと対応する。
 よくみかける指示は、何を指示しているのか、わからないものが多い。プロ教師の指示は明確である。
プロ教師の第四条件は
「オリジナルな教材をどれだけ持っているか」
である。
 教師は教え方のプロではあるが、教える内容のプロではなくなってしまっている。教科書ばかりに頼っている間に、自分らしい教材開発を忘れてしまったのではないかと、わたしは心配している。
 輪郭のはっきりした、その人らしい教材をもつことだ。これなくしてプロとはいえない。
 わたしが訪問する学校の教師たちは、毎年、新しい教材で授業をしてみせてくれる。ほんの少し努力しただけで、教材開発ができるのである。あとはやる気の問題だけである。
 面白いことに、一つの面白い教材を開発すると、次々に面白い教材がみつかる。教材を開発するには、関係的な見方・考え方をすることが得策である。
 例えば、いちじくを教材化すると、みかんや柿、りんご、梨、ぶどうなどが自然に教材化されるのである。
 つまり、一つみえるようになると、他のものがみえるようになるのである。
プロ教師の第五条件は
「対応の技術を持っているか」
ということである。
 子どもが発言する。それに対して教師がどれだけプロらしい対応の技術をみせるか、である。
「間」が大切である。
間ぬけになったり、間のびした対応ではどうしようもない。適度な「間」で、適切な対応をすれば、子どもはやる気を出して追及する。
 バスガイドの中には「対応の技術」にたけた人が多い。客を喜ばせるコツを心得た対応をする。
 ふだんから、子どもとのやりとりのしかたを工夫することだ。工夫しているうちに、あるときコツを会得することができる。
プロ教師の第六条件は
「板書の技能」
をあげたい。
 しっかりした板書ができなければ、とてもプロ教師とはいえない。
 わたしは、常に「芸術的な板書」をしたいと願って努力している。子どもを引きつけて離さない板書技能をみがきたいものだ。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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保護者に「この先生でよかった」と思われるための保護者会・懇談会のポイント

 保護者会・懇談会で信頼を得るためには、笑顔で対応し、具体的にほめることが信頼につながる。ここで大切なポイントは
(1)
笑顔
 何といっても笑顔だ。人間の印象はほとんど会った瞬間で決まるといわれる。それも、話す内容ではなく「表情」や「声」によって左右されるらしい。
 保護者もはじめは緊張している人が大半だ。笑顔はそうした保護者の緊張をほぐす役目も果たす。
 忙しい中、時間を割いてくれた保護者に感謝の言葉を述べ、常に笑顔で対応することが信頼につながる。
(2)
エピソードを語る
 学級で起こったさまざまな出来事、その中で特に子どもが活躍した場面や子どもの優しさが表れた場面などを具体的に語り、ほめていくのである。
 
「この先生、クラスのことをよく見てくれている」と保護者が思ってくれれば成功である。
 どうしても語るのが苦手だ、というのであれば、録画を用意するという手がある。休み時間や給食、掃除時間などに撮った録画を流すのは、保護者にとても喜ばれる。
(3)
時間を守る
 ほとんどの保護者は忙しい中、時間を作って出席している。そこで「保護者会は○時○分まで行います」と最初に告げた上で、その時間にぴったり終わるようにする。
(4)
学期末の懇談会で大切なのは、子どもの成長をほめること
 できるだけ具体的にほめなければならない。「朝の会」「授業中の発表」「ノート」「行事などでの活躍」など、場面を切り取り、具体的な描写を入れてほめるようにする。
 そのために日々、その場その場で少しずつ子どもたちの記録をつけていくようにする。
 
「もっと頑張ってほしいこと」や「保護者へのお願い」は、ほめた後、ほんの少し言うだけに留める。信頼関係があればこそ、担任の「お願い」も聞く気になるのだ。
(5)
日々のクラス運営が大切
 このような子どもの事実を作るには、やはり日々のクラス運営が大切だ。
 当然のことだが、保護者は「保護者会の教師」だけを見て信頼できるかどうか判断するわけではない。
 それまでに「今年の先生はどんな先生か」ということは、子どもを通して保護者の耳に入っているのだ。
 
「笑顔で対応し、具体的にほめる」ということは、保護者会や懇談会だけでなく、クラス運営にとっても大切なことだ。
 子どもに対しても、笑顔でほめ続ける。まずは、子どもから信頼されることが、保護者の信頼を得ることにつながるのだ。
(
岡倉光悦:大阪市立小学校教師。:TOSS大阪てんじん代表)

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若い教師は、どうすれば「子どもたちが必要とする」教師になることができるのか

 私が新任だったとき、教え子との決定的な出会いがあった。A子という強烈に個性的な子を、中学一年で担任した。彼女との出会いが、私の教師人生を決定づけたといってもいい。
 教師になる半年ほど前から、地域の子ども会の指導員のアルバイトをしていた。当時小学六年生だったA子は「いやだ」と言ったら「てこ」でも動かない。キレたらすべてを投げ飛ばす。
 口は誰にも負けないほど達者で、ちょっとした教師の弱みや隙をねらって、突いてくる。嫌いな教師は徹底して嫌い、こびようとする教師は鼻先で笑う。
 大きな体を揺らし、肩で風を切って学校中をかっぽしていた。でも、憎めないお人好しで、親分肌で、寂しがりや。勉強がからっきしダメ。読み書きもろくにしようとしない。鉛筆を持たせるだけで1時間かかることもあった。
 授業中はいろんな教師とぶつかった。教室を混乱の渦に巻き込み、挙句の果ては教室を飛び出した。これほどのスケールの子はそうそうお目にかかるものではない。
 先輩教師から「教育とは『今日行く』ということ。家庭訪問して足で稼ぐのが同和教育や」と言われ、子ども会指導員時代にすでにA子の家にも、頻繁に家庭訪問した。
 家庭訪問した翌日、A子はがんばってくれるだろうと、甘い期待を持って教室に入っても何も変わっていない。あいかわらずのわがまま勝手。
 
「お母さんの気持ちが分からんのか」と説教すると「うるさいんじゃ、おまえに何が分かるねん」とはね返された。
 一学期も終わる頃、A子の授業拒否、授業妨害はピークに達していた。授業妨害をめぐって、他の教科教師から苦言が来るし、学年会でも話題になった。
 私なりに、A子が「勉強を分かりたいけど、どうしようもなく分からない」と、苛立ち、押しつぶされそうになっているのが痛いほど分かっていた。
 放課後、残って勉強を教えることもあったけれど、長続きしない。クラスの子がかかわろうとするが「うるさいんじゃ、ほっとけ」の一点張り。ついにA子に匹敵するくらいのパワーの持ち主であるB子と正面衝突して、修羅場となった。
 仲裁に入った私がB子側に立っていると思ったらしい。裏切られたと感じたA子が「お前なんか、うっとおしいんじゃ、もう学校に来るな」と吐き捨てられた。
 わたしは悔しくて悔しくて、体を震わせた。「こんなに一生懸命、この子のことで昼も夜も考えている私が、どうしてこんな暴言を吐かれるのだ」と、私は教室を飛び出した。
 職員トイレに駆け込み、ドアを閉めて思いっきり号泣した。どれだけトイレに籠っていたのだろう。やっと気持ちが落ち着いて「今日はもう、帰ろう」と、トイレのドアを開けた。
 すると、そこにヌッとA子が立っていた。私の号泣を1時間以上聞き、ずーっと声もかけられずに立ちつくしていたA子がいた。でも、私は未熟だった。顔を背けて無言で出て行ってしまった。どうして「心配してくれてたんやね」と言えなかったのだろう。
 そして、次の日も、まるで何ごともなかったように、A子とのバトルは続いた。でも間違いなく、A子との友情は深まっていったと思う。
 私がA子を愛し、A子も私を必要としてくれていると感じられることがあれば、少々乱暴でもいいんじゃないかなあと考えている。
 新任まもなく結婚した私の結婚式にも、A子はクラス代表として数人の子らと参加してくれた。長男が誕生したときも、ベビー服を持って訪ねてきてくれた。
 間違いなくA子は、私の教師人生のスタートを方向づけてくれた教え子だと思う。
 日々、子どもたちとバトルをくり返しているあなたへ。「もう、教師を辞める」と思っては、気を取り直して頑張っているあなたへ。すっかり自信を失っているあなたへ。
 おめでとう。「大物」の子どもと出会えたあなたは、とてもラッキーな教師生活のスタートを切ることができたということ。格闘の日々の中で、これからの教師人生で宝物になるものを、きっと見つけられるはずです。
 若い教師がはじめから、子どもに「自分を開く」なんて、怖くてできないし、そんなにうまくいくはずもない。教師らしく説教しようとか、教師としての格好をつけても滑ってしまうこともしょっちゅう。
 
「どうして分かってくれないのか」なんて、恨みがましく思うより、真っ正面から直球勝負を挑んで、そして子どもにスカーンとホームランを打ち返されたらいいと思う。
 大事なことは、あなたがその子の存在を放っておけないということ。それは、その子のいいところも悪いところも、ひっくるめて、いとおしいと思えたら、もうこっちのもの。
 
「この日を迎えるために、自分は格闘してきたんだなあ」と、思える日がきっと来る。自分を信じて、子どもを信じて、進むしかない。
 私は「子どもとぶつかって泣くのは、プライドが許さない」「私はこんなに一生懸命なのに、どうしてあの子は分かってくれないのか」なんて、傲慢で薄っぺらな気持ちは、いつの間にか跡形もなく消えて、子どもの前で大泣きする教師になっていた。
 
「教師は、子どもたちによって教師にしてもらう」のだと、私は思う。
(
新保真紀子:徳島県生まれ、大阪府公立中学校教師(11)、大阪府人権教育研究協議会(7)等を経て神戸親和女子大学教授)

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いじめを早期発見するための具体的な方法とは

 「わが子がいじめられているのではと相談したけれど、担任の先生は具体的に何もしてくれなかった」などいう親のコメントをいじめ報道で目にすることがあります。
 教師が親の相談に対して何も行動を起こさなかったとすれば論外ですが、大抵の場合、デリケートな問題であるため事実関係をつかむのに時間がかかり、その結果、親との温度差が生じてしまい、教師不信となるケースが少なくありません。
 学校は「あってはならないいじめを早期に発見する」という視点で緊迫感のある対応をすることが望まれます。
 ですから、相談を受けた段階では、いじめは深刻な状態に進展していると考えるべきです。決して対症療法的な後手、後手の対応をしてはならないということです。
 それには、意図的、計画的に早期発見するため、つぎのような具体的な手だてに取り組むとよいと思います。
(1)
「帰りの会」で、自由に発言できる雰囲気をつくろう
 帰りの会で学級の諸問題を自由に発言しあえる雰囲気を醸し出したいものです。担任の一つの眼でなく、学級に担任以外の眼が育てば、いじめを早期に発見することもできるでしょう。
(2)
学級に「心のポスト」を設置しよう
 子どもたちの悩みや心配事を自由に投函できる「心のポスト」を設置すると、人前では発言できない子どもたちが担任に知らせることができます。毎日確認し、どんな些細なことでも即座に対応することが大切です。
(3)
週に一度、簡単なアンケートをとろう
 週に一度、曜日を決めてアンケートをとり、チェックをすれば、子どもたちの変化をつかむことができます。
 例えば、表題 「心のかがみ」
 つぎの項目に、はい、いいえのどちらかに○をつけましょう
 このアンケートは心の中にある悩みや不安をうつしだすかがみです。_ _組 名前_
「体調は良いですか」(はい)(いいえ)
「よく眠れますか」(はい)(いいえ)
「食欲はありますか」(はい)(いいえ)
「友だちとの仲は良いですか」(はい)(いいえ)
「いじめられていますか」(はい)(いいえ)
「いじめられている子がいますか」(はい)(いいえ)
「悩んでいることがありますか」(はい)(いいえ)
 など。子どもに、○だけを記入させるだけなので、用紙の配布から回収まで二分程度でできます。
 実施する曜日は、子どもたちの悩みや不安が蓄積される週の後半が望ましいと思われます。木曜日の下校前などが適当でしょう。回収は二つ折にして直接担任に手渡すようにします。
 問題があれば、その日のうちに電話をかけて、詳しく話を聞いてみることです。状況によっては、翌日に個別に話を聞ける機会をつくり、何気なく面談をすることが必要です。深刻な場合は家庭訪問して親を交えて話し合う必要があるでしょう。  
(4)
月に一度、個人面談をしてみよう
 月末の三日間くらいは、子どもたちと個人面談してみましょう。休み時間に空き教室などを利用して、一人一分程度、直接話し合います。質問は
「最近悩んでいることや心配なことはありませんか」のただ一つ。「ある」と応えた子には、その場ではなく、その日のうちに自宅に電話をかけてじっくりと悩みを聞きましょう。
(
小谷川元一:1959年千葉県生まれ、千葉県松戸市公立小学校教師、松戸市指導主事等を経て東京福祉大学准教授。子育て・教育支援スペース「こたにがわ学園」理事長)

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保護者に「若い先生だから」と信頼されていないと感じるとき、信頼されるにはどうすればよいのでしょうか

 若い教師は、経験が少ない、若いということで保護者は不安に思います。まず「ちゃんと教えてくれるか」という不安でしょう。教師に期待するのは、学習面や生活面の指導力です。
 それと同時に、子どもが先生が好きか、学校が楽しいかどうか、ということもあります。学校が楽しく、先生のことが好きで、一生懸命勉強している子どもの姿が見られることが、保護者からの信頼を得るポイントであると言えます。
 そこで、子どもががんばっている様子を家庭に伝えるようにします。そのことが、学校への理解や協力を得るための近道にもなります。
 
「今、何を学習しているか」「子どもたちがどんな点でつまずいているか」といったことを学級通信などで保護者に知らせていきます。
 一週間に一度でも学級通信を発行し、継続していくことでも「うちの担任は、学校の様子をよく知らせてくれ、子どもの様子もよくわかる。若くてやる気があるな」と、若さを評価してもらえることもあります。
 学級通信で大事なことは、子どものがんばりを多面的にとらえて伝えていくことです。そのもとになるのは、日頃の授業への取り組みや子どもとの関わりです。
 楽しい授業、わかりやすい授業を工夫していると、子どもを通じてそれが保護者に伝わるものです。「今日、先生とくじら雲に乗ったんだ」などと、子どもが家庭で楽しそうなに学校の話をすることで、担任の取り組みが保護者にも伝わっていきます。
 また「先生がわかるまで丁寧に教えてくれた」「できなかったけど、手伝ってくれたんだよ」など、一人ひとりの子どもに合わせた対応ができていれば、子どもの満足感にもつながります。
 このように、若くても、一人ひとりの子どもを大切にして、授業をおろそかにしなければ、保護者からの信頼は得ることができます。
 さらに気をつけたいことは、子ども同士の人間関係です。集団生活ではトラブルはつきものです。いじめや学級崩壊など、保護者は子どもの学校生活に敏感になっています。
 トラブルになったときのポイントは、子どもや保護者の言い分を十分に聞くことです。トラブルになる一番の原因は「先生は何もしてくれない」と思われてしまうことです。
 保護者や子どもから訴えがあったときには、時間を取って十分に話を聞きます。そして、相手が訴えたいことを、まずは受けとめることが重要です。その上で、具体的で目に見える対応をしていきます。
 その後、子どもと保護者が納得してくれたか確認することも必要です。個別のトラブルにどう対応してくれたか、ということが教師への信頼感につながってきます。
 子どもの人間関係のもとになっているのは学級です。子どもたち一人ひとりが楽しいと感じられるような学級集団づくりを意図的に行っていくように努力していく必要があります。
 学級集団づくりのもとになるのは、ルールとリレーションです。
 
「友だちの嫌がることをしない」「友だちの話は最後まで聞く」「掃除はきちんとやる」など学級にしっかりとしたルールが定着していると、子どもたちは傷つけあうことなく安心して生活することができます。
 したがって、いじめなども起こりにくく、授業もスムーズに進み、お互いを高めあうことができるのです。
 また、子どもたち同士の人間関係が希薄だと、温かみのあるふれあいは生まれません。ゲームや遊びを通して子ども同士がふれ合えるような取り組みをどんどん入れて、子どもたちがクラスのいろいろな友だちと接する機会をつくることが必要です。
 今の子どもたちは自分たちで人間関係を作っていく力が弱いように思います。子どもの実態に合わせて、教師のほうで人数や場所、やり方を決めて、子どもたちが安心して関われる場を作ってあげればよいのです。
 以上のような指導や援助を心がけていけば、子どもの姿を通して保護者からの信頼を得ることができるでしょう。
 子どもからの信頼を得やすいのも若いうちだからこそ、教師は自分の持っている資源を十分に生かし、保護者がわが子のことを思う気持ちを十分受けとめ、子どもに真剣に向かい合う姿を大切に、勉強を続けていってほしいと思います。
(
浅川早苗:山梨県公立小学校教頭。上級教育カウンセラー。日本カウンセリング学会認定カウンセラー。学校心理士。河村茂雄教授に師事し、Q‐Uを活用した学級経営について、校内研究会や各種研修会で講師を務めている)

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荒れている学級を担任して、どのようにして立て直していったか

 五年生は荒れている学級だった。ティームティーチングでなんとか学年末まで持たせてきた子どもたちだ。
 子どもたちの気持ちは担任から離れるばかりであった。二学期末から三学期にかけて臨時保護者会が何度か開かれ、保護者も二月頃は毎日授業参観に来ていた。
 問題は、担任が子どもたちの心をつかみきれず、体を張ってでも、とことんかかわってくれなかったことへの不満が出ていたようだ。
 その荒れていた学級の子どもたちが六年生になり、私が担任することになった。新しい学年になり、担任が代わったときは、学級を立て直すよい機会である。
 私は、つぎのような取り組みをした。
(1)
始業式の一日で子どもたちの名前を覚え、出席簿を見ないで呼名をして一声かける。
(2)
子どもの不満に耳を傾けながらも、YESとNOをはっきりさせる。
(3)
子どもが登校する前に教室で仕事をするようにして、子どもたち一人ひとりと挨拶をかわして迎える。
(4)
チャイムが鳴る前に教室に行き、チャイムと同時に授業が終わるようにする。
(5)
休み時間は子どもたちと一緒に遊ぶ。
(6)
掃除は一緒にする。雑巾がけなどいやがる仕事は、担任が先に立ってやり、範を示し、声をかけ一緒にやる。
(7)
できることは何でも一緒にする。
 ボスのKを取り巻く四人はなんとか理由をつけて手を抜こうとする。そんな時、命令だけでなく共に作業をする。
(8)
専科の時間も専科教師に了解を得て、ティームティーチングをさせてもらう。
(9)
やる気のない子には個別指導を続け励ましながら完成させる。
 諦めずかかわっていると「わかったよ。やるよ、先生もういいよ」と、どの子どももわかるときがくる。
 指圧や針の世界では、体の部位にツボがある。ツボをはずしていくら治療をしてもききめがない。荒れた子どもの心をつかむのも同じである。その子によってツボが違う。
 ボスのKは意外と情にもろいところがあり、話をしていて反抗的な態度のときと、涙もろく素直なときがある。
 あるとき子どもたちに、私が小学生のとき、母親に反抗したときの体験話をした。「母が悲しんで一人涙している姿を見て、私はとてもショックを受けた」と子どもに話した。「母の涙を今も忘れられない」と。
 その話を聞いて、ボスのKの目から大粒の涙がこぼれ落ちたのだ。母思いのKの一面を見た。Kの母親と連絡をとり、何度か家庭訪問をして、Kと母親と私の三者面談をして、自分を見つめさせる話し合いを持った。
 母親を悲しませたくないと思いながらも、級友の前ではワルを演じているのである。母親の思いに気づかせたことは、K自身をみつめさせ、自分に気づかせるのに役立った。
 教師は個々の子どもにかかわり、その子の心のツボをつかむことが大切だ。
 口や指示や命令だけしていて、教師が動かないのでは子どもはついてこない。子どもが見えていないだけ、子どもの心は教師から離れていくのである。
 一つできるようになったらよしとして、あれもこれもと望まない。たとえば
「着席して授業ができるようになったからよし」
「ノートや教科書が出ているからよし」
「人が話をしているとき、おしゃべりがなくなったからよし」
 小さな達成できそうな目当てを、子どもたちと話し合いながら決める。
 みんなで約束したことが、できるようになったかを確かめて、次のステップに移る。
 学び合い、支え合う雰囲気づくりの実践には、教師のおおらかさとねばりが基本である。
(
塚田 亮:元東京都公立小学校長)

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授業中に暴言を浴びせられたときどう対応すればよいか、予防するにはどうすればよいでしょうか

 かなり言葉づかいの荒い子どもがいます。教師を挑発することに快感を覚える子もいます。「クソジジィ」「クソババァ」といった罵声を浴びせられたことがある教師もいると思います。
 あまりにひどいので大声で叱ることがあります。大声で叱っても本人は平気なので、何度も叱っていると、その度に授業が中断し、学級が荒れてしまうおそれがあります。どうすればいいのでしょうか。
 教師も人間です。子どもの暴言にカーッとなることもあるでしょう。しかし、そこが勝負どころ。感情のままにまくしたてるのはやめて、ゆっくり深呼吸しましょう。   
 子どもの挑発に乗ってはいけません。相手のペースにはまって、ケンカを買わないことが重要です。
 なぜなら、教師がカーッとなって子どもと売り言葉に買い言葉のようになってしまうと、学級が一気に荒れてくるからです。
 学級を荒れさせる原因のひとつに「授業の中断」があります。子どもの挑発に教師が乗ってしまうと、授業が中断してしまいます。
 荒れる学級は、ヒートアップしやすく、熱気を帯びやすい。どうやってクールダウンさせるかがポイントです。
 まず、教師自身が子どもの挑発に乗らず、カーッとしないようにすること、自分自身をクールダウンさせることが大切です。
 子どもの挑発に乗らずに、一瞬、間をあけて、一呼吸置くことです。心の中で「1,,,・・・・・」と数えて、頭にのぼった血が下がっていくのを確認しましょう。
 そして、少し低めの穏やかな声で話かけます。例えば「○○さん、私はクソババァではありませんよぉ」と穏やかにたしかめるのもよいと思います。ヒートアップしている学級の雰囲気をスローダウンさせていきます。
 子どもを注意する時も、できる限り、授業を中断させない工夫が必要です。一斉授業の形をとらず、グループ学習や個別学習の時間を多くとるようにするのも一案です。
 荒れない学級をつくるには、ふだんから学級をクールダウンさせておくことが大切です。
 そのためには、たとえば、子どもの言葉づかいが荒くても、教師は一貫して、子どもを「○○さん」と「さん」をつけます。
 教師は子どもに「です、ます」調で話すようにするなど、ていねいな言葉づかいを保つことで、穏やかな雰囲気づくりを心がけたいものです。
 言葉づかいの荒い子どもが、どんな気持ちでそのような行動に出ているか、その背景にある「気持ち」を確かめてみるのもよいと思います。
 気持ちを確かめてもらうと、その子は「先生は自分を信じてくれているんだな」と感じて、教師の言葉を素直に受け取りやすくなります。「ああ、悪いことしたな、オレ」と思うかもしれません。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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保護者との個人面談でよい関係をつくるにはどのようにすればよいでしょうか

 保護者に笑顔がない場合でも、教師は笑顔で迎えたいものです。いきなり本題に入らず、子どもについてのさりげない話題から入ると、保護者の緊張感も和らぎ、話し合いもスムーズに進みます。
 学校生活の中で、子どもたちがふとつぶやいた一言や、ふと見せた意外な一面などを、さりげない話題として、日ごろから記録することを心がけておくとよいと思います。
 さりげない話題がきっかけとなって、家庭での子どもの様子を保護者が話してくれることもあります。
 面談中は努めて明るく話すようにします。子どもの失敗や直してほしいところなども、明るく話した方が保護者に安心してもらえ、好感度が上がります。
 個人面談は、教師が保護者に学習面や生活面で子どもの顕著な様子を伝えるのが目的ですが、保護者の中には話したいこと、聞きたいことがある人もいます。
「お子さんのことでご心配なことが、何かありますか」
「お聞きになりたいことや、ご要望が、何かありますか」
 と聞いて、必ず保護者の話を聞く時間を設けます。
 保護者の話を聞くとき最も大事なことは、共感的に聞くということです。話の内容や話している人の気持ちを受け入れながら聞くようにします。そうすれば、保護者は安心し信頼感を高めます。
 共感的に聞くには、うなずきながら聞く。時々、言っていることを確認し復唱する。保護者の気持ちを復唱するようにするとよいでしょう。
 保護者が聞いてあまりうれしくないことは言葉でさらりと伝え、よいことは具体的なエピソードにしたり、写真で見せたりします。こうすると保護者は子どものよい面が記憶に残ります。
 あまりよくないことを伝える際には、どうすればよくなるのか、その方法を伝え「ここを改めれば、こう伸びていきます」というように、よくなった未来の姿をイメージして伝えるようにします。こうすれば、よくないことも、よいイメージで伝えることができます。
 理想的には、よいことを伝えてから、よくないことを伝え、最後にさらによいことを伝えて終わるとよい。
 保護者に親しみを覚えてもらうには、くだけたところ、だめなところ、などを見せることが必要です。時には、保護者と世間話をしたり、趣味の話をしたり、ざっくばらんなところもあるとよいでしょう。ただし、肝心な話をさしおいてというのはいただけません。
 それは、保護者との距離感を縮め、関係をつくるための必要なコミュニケーションとも言えます。世間話や趣味の話ができるくらいに親しくなれば、学級経営もやりやすくなります。
(山中伸之:1958年生まれ。栃木県公立小・中学校教師。実感道徳研究会会長 日本群読教育の会常任委員)

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子どものよさを毎日黒板に書くことや、まちがいを大切にした学び合う授業が、子どもたちを変えた

 私(吉澤良紀)は、小学校六年生の担任になりました。六年生は始業式の前日に登校し、入学式の準備をすることになっていました。
 私はクラス全員の名前と顔を一致させ、まだ担任が誰になるか知らない子どもたちの働く姿を見て、よいところを見つけていきました。
 そんな子どもたちの素敵な姿を黒板いっぱいに書き、始業式を迎えたのです。それを見て、子どもたちは、この先生は何かちがう。もしかしたら、わたしたちは変われるかもしれないと、前向きになっていったのだと思います。
 どんなに反抗的な態度をとる子でも、どんな荒れた学級でも「自分を認めてほしい。愛してほしい」という人間としての欲求をもっています。
 子どもたちの内面にある成長したいという願いを読みとることができるのか、教師の心構えが問われているのだと思います。
 子どもたちの、その欲求にこたえ、実現する学級をつくっていくことが教師の役目なのだと思います。
 日々、子どもたちのよいところを見つけて黒板に書くという「黒板メッセージ」は一年間、ほぼ毎日続けていきました。
 新しく見つけ出した自分たちのよいところを学級のなかで学び合い、学級のよい文化となっていきます。
 学級づくりの柱になるものは、やはり授業です。
 授業で、まちがいや失敗が大切にされることで、新しいものを創り出し、自分の新しい可能性を見つけ、自分を変えていくことができるのです。
 発言を苦手としている子は、まちがえて何か言われることがはずかしく、発言することに強い抵抗感を持っています。この心の壁を取り払わなくてはいけません。
 そのために、私は授業で事実と体験をつくっていきました。
 
「自分の意見を聴いてもらい、うれしくなった体験」
 
「まちがった意見が授業の中で生かされていく体験」
 こんな体験が「まちがい」の大切さを気づかせ、子どもたちの心の壁をとっていくのです。
 ちがう意見がなくては、新しいイメージや発見が生まれないことを子どもたちは体験から知っていくのです。正解だけがよい意見ではないのです。
 本質的な内容の学習は「ちがう意見=多様な意見」を必要として、それらがつながりあっていかなくては解けないものが隠れているように思います。
 だからこそ、学級という集団が必要であり、多様な考えをもつ子どもたちが必要になります。そこでは、まちがいもまた一つの新しい視点として生かされて、授業を深める貴重な宝物になっていくのです。
(
吉澤良紀:1978年東京生まれ、東京都公立小学校主任教諭)

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若い教師は保護者からのクレームにどのように対処すればよいのでしょうか、その鉄則とは

 保護者からのクレームはつきものだ。必ずくるものだと覚悟しておかなくてはならない。若い教師がクレームにあたふたとしている場面によく出会う。
 問題が大きくなり、管理職を交えて延々トラブルが続いていく場合がある。最初の対処法がまちがっていたのである。
 クレーム対応で一番失敗するのは、保護者の怒りがピークにある時に、教師が主張してしまうことである。これではいけない。だから、十分に保護者の言い分を聞いた後に、
 
「おっしゃることは、よく分かりました」
 
「お気持ちは、十分に理解いたしました」と謝罪するようにする。
 保護者が、わが子の言うことを鵜呑みにしていて間違っていたら、
 
「私は、こういう事実がありましたので、このように指導いたしました」
 
「ちょっと行き違いがあったかもしれません。私も、もう一度よく話を聞いてきちんと指導いたします」
 学校の現場は、苦情にあふれている。苦情への対応策を持たないとパニックになっていく。
 クレームは、全て否定的にとらえる必要はない。ある面、チャンスになる場合も多々ある。クレームの対応しだいで、保護者が教師の支援者になってくれることはよくあることである。
 保護者からの苦情に対して、どのように対処していけばいいか。その鉄則を知っておかなくてはならない。それは
(1)
初期対応が最も大切だと心得よ
 苦情への対処法で最も大切なのが、素早く対処する初期対応である。ずるずる先延ばしにしてはならない。
(2)
保護者からの苦情には、電話で絶対対応しない。面と向かって話し合う
 学校への苦情は、ほとんどが電話である。しかし、これに乗ってはいけない。
 
「申し訳ありません。学校へ来ていただける時間がありませんか」と、連絡をして、面と向かって話し合うことである。
(3)
とりあえずあやまること
 保護者が学校に来られたら、保護者より先に教師の言い分を言ってはいけない。最初は謝ることである。
 
「今回のことは、指導が行き届かないで申し訳ありませんでした」と謝るのである。
 教師の方が正しいと思っていても、まず謝ることら始まる。保護者は、今回のトラブルのことで息巻いている。
 だから、ちょっとした言葉にも、保護者は過剰反応する。一呼吸おいて話に入る必要がある。
(4)
保護者の話をよく聞くこと
 そして、保護者の話をよく聞くことだ。
 
「私の指導したことが、行き違いになっているかもしれません。○○さんが、どのようにお母さんにお話したのか」と聞くことである。だいたい、子どもは自分に都合よく親に伝えているものである。
(5)
保護者の苦情に対して、心から同情を示すこと
 つぎに必要なことは、すぐに教師の言い分を述べないことだ。保護者はわが子を信じているのである。すぐに、苦情に対して「あなたの子は、自分の都合のいいことばかりを言っています」と否定したら、保護者は逆上する。
 保護者の話を聞いたら、教師は「おっしゃることはよく分かりました」と心から同情を示すことである。
 
「だいたい4分30秒」が保護者の怒りのピークだと言われている。それが過ぎると、怒りはだんだんおさまっていく。
 怒りがおさまってきてから、はじめて教師が指導したことを話す。
 
「私は、こういう事実があったので、このように指導しました」と話せばよい。
(6)
感謝の気持ちを表すこと
 大切なことは、最後である。この決め言葉が大切である。
 
「ご連絡していただいて、本当にありがとうございました」
 
「今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
(
野中信行:1947年生まれ、元横浜市立公立小学校教師、学級組織論を研究、実践を私家版で発行した。全国各地で教師向けの講座やセミナーを行っている)

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素直な心で懸命に仕事に取り組み反省を重ねると経営のコツが得られる

 素直な心で懸命に仕事に取り組み反省を重ねると経営のコツが得られるでしょう。
 いかに学問、知識にすぐれ、人格的に非のうちどころのない人であっても、経営者として成功するかといいますと、必ずしもそうとはかぎりません。
 成功するためには、それに加うるに経営のコツというものをつかんでいなければならないと思います。
 ある繁華街に、レストランが二軒あるとします。同じ料理のレストランをやっているのですから、同じように繁盛していいはずなのが、一方はいつも満員、もう一方は客がはいらないというようなことがよくあります。
 それも結局は、一方の店の経営者が経営のコツをつかんでいるが、もう一方はそうでない、というところから生じてくる、ちがいといえましょう。
 そのように経営者が経営のコツをつかんでいるかどうかによって、商売にしても企業経営にしても、発展に天地のちがいが出てくることになると思うのです。
 それでは、経営のコツとはどういうところにあるのか、どうすればつかめるのか、ということになりますが、これがまさにいわくいいがたし、教えるに教えられないものだと思います。
 経営学は学べますが、生きた経営のコツは、教えてもらって「わかった」というものではない。いわば一種の悟りともいえるのではないかと思います。
 お釈迦さまは、山にこもって修業されましたが、それでも悟れなかった。山を下って菩提樹の木のもとで乙女の差し出す山羊の乳を飲んで、ホッと悟られたといいます。フッと気がつかれたわけです。
 私は経営のコツをつかむのも、そんなものではないかと思うのです。つまり、日々、経営者としての生活の中で、一つ一つの仕事に一生懸命とり組みつつ、その都度、これは成功であったな、とか、ここのところは完全ではなかったな、という具合に反省を重ねていく。
 そしてそれが、やがて意識しないでも考えられるというか、反省できるようになることが必要だと思います。
 そういうことを刻々にくりかえしていると、だんだんまちがいをしないようになる。ということは、経営のコツがわかってきた、ということになるのではないかと思うのです。
 そして、さらにいえば、一つの心がまえとして、やはり素直な心にならなければいけないと思います。自分の利害や感情、欲望といったものにとらわれない素直な心にいつもなるということです。そうすれば、人から意見を聞いたような場合でも「そうですか。じゃあ一つやってみましょう」ということが、ごく自然にいえます。
 ところが、なまじ学問をして知識や技術を知っていますと、それにとらわれて、人のいうことでもなかなか素直に聞けない。そのために経営のコツを悟るのにも時間がかかる。そういった姿が少なくないのではないでしょうか。
 つねに素直な心になることができれば、人間というものは、物事のほんとうの姿、実相を見ることができるようになって、あたかも神のようにといってよいほど、強く正しく聡明になることができると思います。
 そうなれば、商売や経営において何が大切かといったことも的確につかむことができましょうし、人を生かしていくにはどうすればよいかというようなことも、その時どきに応じて正しく判断できるようになるでしょう。それは経営のコツを会得した姿にほかならないと思います。
 その意味では、素直な心になるところにこそ経営のコツを得るコツがあるといっても決して過言ではない気がしています。
(
松下幸之助:18941989年 パナソニック創業者、経営の神様と呼ばれ、日本を代表する経営者)

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健康診断では異常ないのに疲れやすいとき、どうすればよいのでしょうか

 疲労感や倦怠感は、過労、身体的不調、精神的ストレスなどとの関連が強い自覚症状です。不安や緊張が強い時にも感じます。
 倦怠感や疲労感がなかなかとれない場合は、まず体の病気を考慮しなければなりません。一般的には、身体疾患では疲労感が仕事の後、午後から夕方にかけて強くなりますが、うつ病などの精神疾患では朝からのだるさを訴えることが多くみられます。
 うつ病のような明らかなこころの病気でなく、体の症状に現われやすいストレス病の場合も疲労感はみられやすいものです。
 性格的に疲労を感じやすく職場になじめず休みがちになってしまう場合が多く、性格要因と職場の環境要因が大きい問題といえそうです。
 精神的ストレスによる疲労では、ストレス状態への「気づき」を図り、その上で気分転換することがもっとも大切です。ふだんから自分なりの気分転換、リラックスの手段をもつことをお勧めします。
1 ストレスを回避する
 ストレスを解消するために正面からぶつかることは、大きなエネギーと苦痛を伴います。むしろ、ストレスを予測して、回避する方が楽です。そのポイントは
(1)
予測する
 ストレスになりやすい場面や状況を予測し、そうならないように対処法を前もって考えておくことが大切です。無用なストレス状況に巻き込まれないためには必要なことなのです。
(2)
自分のクセを知る
 自分の苦手な場面はどういう場面なのかを知っておくことも大切です。ストレスとしないためには、現実的な状況判断と自分なりの目標をもつようにします。
 ストレスをためやすい自分のクセを知り、それを修正するような努力も大切です。ロールプレイングや自己主張訓練等の研修に参加し、対人関係の練習や上手な自己主張の方法などを学ぶことにより、ストレスに対処する力を身につけたい。
(3)
相手のクセを知る
 人には、攻撃的な人など、いろいろなクセがあります。相手がどういう人か特徴やクセを知っていると、無用なストレスを背負うことも減るでしょう。
 子どもとの関わりでは、その子がどういう気性で、どういう行動をとりやすいかを知っていること。
 ともかく、自分の思いだけで事を進めようとすると、とかくトラブルのものになるものです。こじれてから不満をいうのではなく、事前に対処することがストレス回避には重要なことです。
2 ストレス解消
 ストレスを回避できればそれにこしたことはないのですが、やむなく巻きこまれる場合も多々あります。解消する方法は
(1)
休養する
 ストレスをためこみ、気分が落ち込んだ場合は、まずは休養をとることが有効です。
 休息や睡眠をとる、仕事量の軽減などの身体的な休養と、くよくよ考えない、発想の転換をするなどの精神的な休養とがあります。
 たとえば、今必要でないことは後回しにする。おいしいものを食べ、いつもより早く寝る。休日は仕事のことを忘れ。ゆったり過ごす、マッサージなどで体を癒す。
 ただし、几帳面でまじめなタイプの人はむずかしいことかもしれません。そうした考え方を思いきって変えてみるようにしなければ、事態を一層深刻にしてしまうことがあります。
(2)
発散する
 休養だけではストレスが解消しないことがあります。そういう時は、体を動かすストレッチのようなものなら取り組みやすいかもしれません。
 もう少し元気があれば、水泳やジョグングなど動きのあるものが体を通してストレスを発散させてくれます。
 おしゃべりやグチを聴いてもらうだけでずいぶん楽になるものです。カラオケやアルコールを飲むことも気分を明るくさせてくれ、よい発散になります。
(3)
吸収する
 健康を保つエネルギーが体に貯まっていないと、今ひとつ元気が出ないことがあります。そういう場合、エネルギーを得るには、食べること、寝ること、体を動かすなどをして体内のエネルギーを賦活させます。
 スポーツや旅行、音楽、絵画、本など好きなものならば、楽しさや充実感や刺激を得ることができます。自分の得意な分野に挑戦して自信を得ることも大切です。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師)

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親になって教師の幅が広がり、荒れた学級を立て直すことができるようになった

 教師になって18年目の女性小学校教師。子どもが安心しそうな優しげな容貌に似ず、かなりタフな精神の持ち主のようで、これまで学級崩壊した学級を受け持ち、みごとに立て直した経験もある。
 二児の母親として子育てと教師の仕事とのはざまで苦しんだが、親となって得ることができたことについて次のように語ってくれた。
 子どもが生まれてたいへんな反面、親になったことで教師としての幅が広がったかな、と思えることがあります。家庭訪問や親子面談のときなんか、親の心理が手にとるようにわかるのも強みです。
 何年か前、非常に問題の多い一年生の学級を受け持ったことがあった。その時の学級にも暴力的な子とか、いじわるする子がいた。
 その中のボス格の男の子が「俺のランドセル持ってけよ。持っていかないとぶっ殺すぜ」と、他の子を脅してたのね。家に帰って親に「○ちゃんに、ぶっ殺すって言われた」と言うと、親はびっくりしてすぐ学校に電話をかけてくる。
 そこで「ランドセルは自分で持つこと。それから、ぶっ殺すなんて言ってはいけません」と指導すると「おまえ、先生に言いつけただろ」とまたいじめる。しまいには学級の大半の子が情緒不安定になっちゃって、手に負えなくなってきた。
 そこで私、思い切って学級全員の親を学校に呼んで個別面談したの。一人30分ずつで三週間かかったけど、それなりの成果はあった。
 状況を、順を追って説明することで親の不安が解消されるし、親とよく相談のうえ、親と教師の連携プレーで根気よく指導すれば、子どもはちゃんと言うことを聞く。
 ただ、ボス格のいじめっ子のお母さんはかなり手ごわくて、納得させるのに一時間半かかった。最初の30分は私に対しての反感。「上の子はおとなしいから、この子は腕白なくらいでいいんです!」って、すごい剣幕。
 話を一通り聞いた後、私は
「こういう子は、四年生か五年生になったあたりで、いじめられっ子になりますよ」
「今は体格も力も優っているけど、みんなが成長して横並びになったとき、恨みつらみが噴出して、いじめっ子が、いじめられっ子に転ずる」
「私は、そういう例を過去に何度も見ているから。これ、脅しでもなんでもなくて真実なんですよ」
と、強調して言った。
 面白いのは、このへんから、お母さんの心理状態が「反感」から「戸惑い」に変わっていくのね。で、たたみかけるように
「そうなっては困るので、お母さんもどうぞ、家でお子さんの言動に気をつけてあげてください」
「まだ、間に合うんです。二年生以降の記憶は消えないけれど、今、お子さんが変われば、一年生のときのことは同級生の記憶に残らないと思います」
 面談の最後の30分は、もう「深い共感」ね。そうなればしめたもの。そのお母さんは
「これからは、うちの子が何かしたら、なるべく早く私に教えてください」って、態度が軟化した。
 論理的な説得力をもって最後は親心に訴える。ここで、他ならぬ「親」としての私が生きることになります。
 でも、こうした親との駆け引きがうまくできるようになったのは、じつは私の上の子が小学校に入学してから。一年生の時の担任が連絡帳を本当によく読んでくれて、どんな些細なことでも、学校で何かあると逐一連絡してくれる先生だった。
 まさにかゆいところに手が届くという感じで、親が先生にこうしてほしいと思うことを全部してくれた。それを見てすごーく勉強になったのよ。
 以来「親として先生にしてもらいたいと思うことをしてあげたい」というのが、私の座右の銘になった。逆にコレはしてほしくないなと思うことは決してするまい、と心がけている。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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私はなぜ政治を志し、学校を創立して成果を出すことができたのか

 私(田野瀬良太郎)は、政治や教育とは縁もゆかりもない環境に育ちました。私の母親は、今で言うシングルマザーです。私が政治家になろうと決めたのは旅の途中です。学校づくりのきっかけは政治家になってからです。
 私の母は、4人の子どもを食べさせていくだけで精一杯でした。私は自分で稼いだお金で大学へ行きました。必死にアルバイトし30万円を貯めると大学に休学届を出し、海外放浪の旅へと飛び出したのです。
 
「足りなければ現地で稼げばいい、旅の移動はヒッチハイクにしよう」と無謀でしたが、外国を見て体験する期待感のほうが、大きかったのです。
 当時の学生は社会主義のソ連に憧れを抱いている人が多かった。モスクワは見ると聞くとでは大違いでした。「働いても、働かなくても給料が一緒だから」と、みんな無気力でした。人間は頑張ったなりに報われなければ、意欲や生きる気力を失ってしまうのだと痛感しました。 
 当時、日本の成長が著しく、旅のあいだ先々で「日本はどんな国か」と聞かれました。出発のときは「世界を見てやろう」と思っていましたが、フタを開けたら日本のことばかりを考える毎日となりました。
 タイにたどり着いたとき、ほぼ1年が終わろうとしていました。私は旅の総括をしました。「たしかに、日本には良いところも悪いところもあるが、やれば報われる今の自由な社会を守っていかなければならない」と。
 その考えをみんなに伝え、日本をもっとよい国にしていける仕事ってなんだろう。思いついた答えは政治家でした。大学を卒業して薬品会社に就職した後、30歳で市会議員になりました。
 39歳で奈良県の県会議員になった私は、学校不足に悩む奈良県の窮状を知り、議会で議論していくうちに、机上の空論ではなく、学校現場に飛び込んで実践をしてみたいと強く思い、学校づくりにチャレンジしました。
 奈良県に西大和学園を開校(1986)した当初は中堅公立高校のすべり止め、教師もまた公立学校教員採用試験の不合格者だった。
 開校2期生の教員採用試験で、私は特に面接を重視しました。ポイントに置いたのは「ところできみ、お酒は飲めるの?」といった雑談です。
 もちろん、お酒が飲めない人はダメというわけではありません。重要なのは、コミュニケーション能力があるか、ないかです。
 私は「自分の教科を教えるだけではあかんと思う。一つの教科を10年も教えたら、誰だってスペシャリストにもなれるし、東大の問題だって教えられる」
 
「でも、人間力というのは、必死に勉強して身につくもんやない。人間的に魅力のある教師でなければ、生徒を引っ張れない」と考えていました。
 そんな中で日本一の進学校を目指した。そこから、わずかな年月で東大、京大、国公立大学へ多数の合格者を出す進学校になった。
 実は開校した年は、私の長男が高校へ進学した年でもありました。私も高校生の親。だから保護者の声はどれもうなずけるものばかりで、可能な限りその要望に応えてきました。
 
「保護者の声をかなえる学校」というランキングがあったら、開校から現在までの30年間、西大和学園はトップの座をキープし続けていたのは間違いありません。
 
「熟や予備校で勉強するぶんまで学校がカバーする」という、他の進学校では珍しいやり方も、もともとは保護者の要望から始まりました。
 子どもを一番愛しているのは、なんといっても親です。その親が出す意見に理があるのは当然です。ならば、耳を傾け、かなえることが私たちの仕事ではないでしょうか。
 西大和学園が進学校として急激に伸びたのは、この保護者の声をかなえる仕事をやり続けてきたからだと私は自負しています。
 私は高校を手始めに中学、食堂、寮、武道場などの施設を充実させていきました。そのほとんどは借金です。
 親の大切なお金は、親や子どもたちが満足するように生かしていく。それも、学校に限らず経営の基本だと思うのです。
(
田野瀬良太郎:1943年奈良県生まれ、大学時代に1年間アルバイトをしながらヨーロッパや中近東、アジアなど33か国を歴訪。政治を志し、市会・県会・国会議員になった。教育が重要と痛感し、保育園・中学・高校・大学を創立した)

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保護者対応で困ったとき、法律などを根拠に保護者に切り返すにはどうすればよいか

 保護者からのクレームや困った要求を受けたとき、法律や判例を根拠にどう切り返せばよいのでしょうか。例えば
(1)
教育委員会に連絡すると脅されたとき
 保護者が要求を通すため教育委員会へ連絡すると言う場合があります。
 教育委員会に苦情を言うことが不当な要求となるものではないため、
 
「教育委員会への連絡を行っていただく必要もないかと思いますが、連絡をとられるということであれば、当方としてこれをお止する権限もございません」
といったフレーズになります。
 保護者のこのような発言により、学校に責任がないにもかかわらず、学校の対応を変えることのないように注意する必要があります。
(2)
子どもの持ち物が紛失したとき
 子どもの持ち物が紛失したとき、教師や学校に過失がなかった場合は、事実関係の調査の結果を保護者に報告し、
「学校側に過失がない以上、紛失した物の弁済には応じかねます」
と、責任についての見解を伝えます。
(3)
連日2時間を超えるような面会や長電話をしてきたとき
 事案により緊急に一定の対応をするべき場面もあるかと思いますが、そのような対応をとる必要がない場合は、学校側の施設管理権を行使して、
「時間も遅いため、対応については□時までと限定させていただきます」
と、これを拒む意思表示をすることが重要です。
(4)
「土下座をしろ」と保護者から謝罪要求されたとき
 謝罪の方法として土下座などを要求されても応える義務はなく、通常の方法で謝罪することで十分です。
 学校側に非があった場合も、相応の対応を超えての要求に応える必要はないため、
 
「執拗な要求は強要罪にあたる可能性があるため、お控えください」
といったフレーズを使用します。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)
(
大西隆司:1976年奈良県生まれ、弁護士)

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授業が楽しいと子どもに感じさせれば、学級崩壊など起こるはずがない

「学校がつまらない、休みたい」と子どもが思うようになったら、赤信号です。休み時間や給食だけを楽しみにしているという子どもがいるなら、黄信号です。
 しかし、授業が楽しみだ、という子どもが多ければ、その学級は青信号です。ですから、子どもたちに授業に充実感や達成感を感じられるようになれば、学級崩壊など起こるはずがないのです。
絶対にしてはいけない、駄目な授業の典型は
(1)
講義型授業
 一方的に教師が講義する授業です。小学生にこれを行うと致命傷になります。
 教師が知っている知識や情報をただダラダラと話しまくる。子どもの反応などお構いなしに自己満足にふける。子どもたちの空気が読めなくなると危険。
(2)
板書型授業
 板書した文字を子どもにひたすら写させ、穴埋め問題を子どもたちに答えを求めさせる。プリントを配布して穴埋めさせる方法も同様である。
 一見、静かで集中しているようにみえても、頻繁に行うことは絶対にさけなければなりません。このような授業では、子どもが学ぶ意欲も起きませんし、本当の力はつかないからです。
(3)
硬直型授業
 教師が無理やり導きたい方向に子どもたちを持って行こうとするあまり、教師も子どもも表情が硬く、学習のめりはりや盛り上がりが感じられません。
 子どもの実態に寄り添った教材研究が必要でしょう。
(4)
放漫型授業
 教材研究もせず、経験だけで何とか乗り切ろうという、場当たり的な授業をいいます。教師の情熱と迫力が伝わらないため、子どもたちも満足感が感じられず、退屈しのぎに学習以外の楽しいことを探そうとします。人前でも平気になった途端に授業妨害まで一気にエスカレートします。
(5)
放任型授業
 授業の妨げになる子にばかり注意していると先に進まないので、無視して学習を進めるようになります。これを繰り返していると、まじめに学びたいという子の集中力が減退し、逸脱行為がいたるところで出現し、授業が成立しない状態に陥ります。
 
「楽しくなければ授業じゃない」胸に響く言葉だと思います。
 教師は余裕たっぷりに冗談などを織り交ぜながら、笑いの中から集中力を高める。そんな授業を子どもたちはきっと心待ちにしています。
 子どもたちの意欲や集中力が高まるのは、教師の余裕の表れからの、遊び心や授業への万全な準備があって初めて可能となります。
 
「授業が楽しい、うれしい、気持ちいい」と子どもに感じさせられるようになれば、学級崩壊の危機に怯えることはなくなるでしょう。
 授業が不成立となるのは、教師の子ども掌握技術が貧弱であること。教材研究が不十分なことに起因するものであることは明白です。
 どんな腕利きの寿司職人であってもネタが悪ければ、うまい寿司にはなりません。教材研究はどのようにすればよいのでしょうか。
1 一教科15分間の教材研究を実践しよう
 毎日、寝る前の一時間程度に、翌日の教材研究を行うものです。一教科15分と時間を決める。
(1)
学習の中身(既習事項や関連教材・学年の系統性についても)をつかむ(約3分)
(2)
学習のねらいを整理し、めあて(学習問題)を設定する(約2分)
(3)
主発問を吟味し、誘導発問を精選する(約3分)
(4)
板書計画をたてる(約2分)
(5)
子どもたちの反応を予想し、指名・巡視計画をたてる(約2分)
(6)
インパクトのある導入方法について検討する(約3分)
なかでも、(5)(6)に時間をかけられるようになってくれば、自分でも驚くほど、授業はよどみなく流れるようになります。短時間でも毎日継続することで本当に必要な教材研究の中身がみえてきます。
2 こだわりの教科の教材研究を
 力量を磨くためには、こだわりの教科をつくることです。長期休業や休日までも利用してたっぷりと教材研究したいものです。
 時間を忘れて教材開発をし、授業で子どもたちの目が輝いた瞬間、それまでの苦労はいっぺんに飛んでいきました。
 こだわりの教科を持つことができれば、子どもは授業を心待ちにするようになります。たとえ一教科でも、子どもたちが学習の中で自己実現を図れれば、学級崩壊の危機は未然に防ぐことができるでしょう。
 私は、自分の授業を録音・録画して授業改善に役立てることができました。自分では感じていなくても、ダラダラと同じ話を繰り返していたり、耳障りな悪い口癖を連発していました。
 若い教師は授業のチェックを試みてはいかがでしょうか。
(1)
しゃべり過ぎていませんか
(2)
同じことを何度もくり返して言っていませんか
(3)
耳障りな口癖はありませんか
(4)
声のボリュムや抑揚にめりはりはありますか
(5)
表情や動作は豊かでしたか
(6)
視線は特定の子どもなどに偏りはありませんか
(7)
発問は的確でタイミングをとらえていましたか
(8)
指名は特定の子どもに偏りはありませんか
(9)
ほめ言葉は何度使いましたか
 教師ほど人前で話をすることの多い職業はないでしょう。私は落語や漫才の話術の魅力にとりつかれ寄席のリピーターとして何度も足を運んだものです。
 卓越した話芸に触れることで、しゃべることを生業とする教師は、もっと話術を磨かなければならないと強く感じさせられたものです。
 子どもたちが教師の話にのめり込み、集中して学習することができれば、おのずと授業改善は図られるのですから。彼らの達人芸を見習うことも私たち教師には必要なことではないでしょうか。
(
小谷川元一:1959年千葉県生まれ、千葉県松戸市公立小学校教師、松戸市指導主事等を経て東京福祉大学准教授。子育て・教育支援スペース「こたにがわ学園」理事長)

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教育現場を取材していると「さすが子どもに接するプロだな」と感心させられる教師がいる

 埼玉県志木市教育委員会が行った「一度出来たら一生もの授業」を取材しました。今回は一輪車の授業です。
 会場は大にぎわい。はじめは「できるかなあ」と不安げな表情の子どもたちでしたが、1時間もすると「できた!」の声があちこちから上がるようになりました。
 なぜ、わずか1時間でできるようになるのでしょうか。先生の教え方が上手なのはいうまでもありませんが、指示の出し方、集中のさせ方にも秘密があるように思えました。
 よく観察してみると
 
「前を見て」「姿勢を正しく」「こっちにおいで」
 の3つの言葉が聞こえてきました。
 この言葉以外はほとんど聞こえなかったように思います。
 長年、子どもたちを教えてきた教師らしく手慣れたもので、発する言葉は少なくても、じっと子どもを見すえ、子どもに安心感を与えながら指導していました。
 体育館や屋外での指導では危険も伴うので、声を張り上げないといけない。だらだらと話していては、子どもはあきてしまうどころか、ふざけてケガをしかねません。
 要領よく、子どもを集中させるためのポイントは
(1)
要点をまとめた単語を強く印象づける
(2)
子どもをよく見すえる
これは、一輪車の会場で見て思ったことです。
 他の競技にも同じことがいえると思います。子どもたちが、全員動きを伴う場合は、とても有効だと思います。
 この会場には先生方が、その指導方法を学びにたくさんこられていました。
 自信がないと、言葉を多く使いがちです。子どもをしっかり見るためにも、何の言葉が必要なのか、再確認してみるとよいと思います。
 私はマスコミの仕事をはじめて以来、ずっと現場で徹底取材を貫いてきました。ラジオ番組の教育担当として取材に伺った場所は1000カ所を超え、数えきれないくらいの人たちに出会ってきました。
 最近、取材を通して感じるのは、先生方にゆとりがなくなってきているということです。「子どもたちとゆっくり話す時間がなかなかとれなくて」という声を聞くことがあります。
 たとえ短い時間でも、子どもたちが先生とコミュニケーションにとても満足している姿を見ることもたくさんあります。
 
「さすが先生は、子どもに接するプロだな」と感心させられてしまうような、コミュニケーションのコツを心得ている先生方がいらっしゃるのです。そうした先生方は、保護者への接し方もとても上手でした。
(
中村弥和:1968年福岡県生まれ、LICフレグランス代表。アロマとハーブの予防医学の第一人者として20年の経歴、教育ジャーナリスト、人材育成講師として活躍。熊本放送アナウンサーを経て、TBS,ニッポン放送などレギュラー番組を持つ)

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22 87 プロ教師をめざすにはどのようにすればよいか

 何といっても「意欲」のある教師は伸びる。教師修業の原点は「真のプロ教師になりたい」という意欲を持つことだ。
 自分なりの目標を決めて、どうしたら自分らしい学びができるか、どうしたらよりよく学べるか、考えることだ。グループを作って学び合うのもよい。あちこちの研究会に身銭を切って出かけるのもよい。本や雑誌から学ぶのもよい。
 しかし「学び達人」といわれる教師に学ぶと効果が大きい。「まね」をしながら自分の方法(学び方)を創り常に工夫するくせをつけることだ。「あこがれ」(達人の学び方)を持ち、それに近づくにはどうしたらよいか、と常に工夫し、常に何かを試してみることだ。
 そして「学ぶことは、人生、一番最高の贅沢な遊びである」と考えるようにすることだ。学び、研究し、工夫することほど楽しいことはないと思えるようになったとき、その人は大きく成長しているといえる。
 私(有田正和)の場合、どのようにしてきたか振り返ってみる。
 私が高校に入って本格的な歴史を教わり「これはおもしろい」と思った。テストでよい点を取れていたので、ますます面白いと思うようになった。しかし、大学の歴史は全くおもしろくなく興味関心はなくなっていった。
 教育実習に行ったとき、担当の教師が社会科専門で、社会科の面白い授業を見せていただき、社会科への興味関心が再び高まり現在まで続くことになった。大学で満たされなかったものが、一気に満たされた感じがした。
 教職二年目に郡の社会科研究会で研究授業をすることになった。そこで「社会科の授業ではない」とこぴっどくたたかれた。社会科的な発言や考え方が全くできていない。教材が地域の事実に基づいたものではなく、足で取材した教材ではなかったことを叱られたのである。資料が抽象的で理解できるものではないことも指摘された。
 私は変わった。バイクを購入して、教材になりそうなところを見て回るようになった。実力者教師のまねをして、本や雑誌を購入して読むようになった。
 この努力が認められたのか、郡のテストを作成する委員になった。またもや、みそくそにいわれ、作り直しを命じられた。内容、つまり教材の研究がなされていないテストであったのだ。基礎基本を問う内容のないテストだったのである。
 指導法ばかり研究して、かんじんの教材研究を本気でやっていないことに気づいた。そして、奈良女子大付属小学校の研究会で長岡文雄先生の「ポストの授業」と出会い「授業とは何か?」と考えるようになった。
 
「自分を変えなければ」と最初に思ったのは、教師になって初めて卒業生を送り出すときであった。卒業しようとしている子どもから「先生は暗い。もっと明るく、おもしろい先生になってほしい」といわれた。
 この時、ジックを受けるとともに「絶対に明るく、おもしろい教師になろう」と思った。これから、ネアカ修業を始めた。
 明るく、おもしろい先輩教師を見習い、ユーモアやジョークの本を読みあさった。落語を聞き、漫才を聞くことを楽しむように努力した。
 しかし、ネアカ修業の時、ユーモアの最大の先生は子どもであることに気づくまでには、時間がかかった。例外はあるが、子どもはもともとネアカで、おもしろいことが大好きである。この先生に学べるかどうか。それが、成長できるかどうかのポイントである。 
 31歳の時、福岡教育大学附属小倉小学校へ転勤することになった。小倉の町のことを全く知らないのに、11回も地域教材を取り上げた研究授業を行わなければならなかった。
 研究授業のたびに完膚なきまでたたかれて、それまで自分で築いてきたものが音をたてて瓦解するのがわかった。夢にまで批判の様子が出てきて、うなされる毎日であった。
 社会科・学習・指導・案・単元・教材・内容とは何か、発問と質問はどう違うのか、本質とは何か、等々基礎的基本的なことを問われ、何も答えられなかった。
 つまり、社会科とは何かわかっていない自分を発見した。教材研究するといいながら教材とは何かわかっていなかったこともわかった。これまで築いてきたことは、と問いかえすと、何もなかったことに気づいたのである。
 附属小倉小学校に入って、たたきのめされ、自分を変えるしかなかった。30歳まで何をしていたのだろうと思った。大したものをもっていないのに、自分ではかなりのものを体得したと思っていたのだ。
 そこで、今までのものはきれいに捨てさり、新しい自分と、新しい自分らしい社会科を創り出さなければ、これからさき生きていけないと考えた。他人から批判してもらうことが、成長のカテになることに気づき、思いきり批判してもらった。
 そこで、基礎的な勉強をすることになった。「入門書」をさがし求めて読んだ。同時に、小倉の町を歩き回り、教材になるものをさがした。水道の断水があり「断水の歴史」を調べて教材化したりした。
 
「社会科とは何か?」と自問自答しながら、自分らしい教材、自分らしい社会科授業を新しく構築していこうとしたのである。
 
「小倉の町のごみ」という単元をつくり、子ども(三年生)とともに追及した。これは大変おもしろかった。「教材がおもしろければ子どもは追及する」ということがわかった。「ごみ日記」を書いたりする子どもも出てきた。予想もしなかった動きを子どもたちがしたのである。
 この実践をまとめて、共著で「市や町のしごと-ごみの学習」という本にまとめることもできた。ほんの少し自信らしきものができた。しかし、修業は続いた。続けなければ「有田社会科」の輪郭が描けない。まだ入口にきた程度であることがわかっていたからである。
 本当に苦しく、厳しい九年間であった。だが、この小倉時代がわたしの基盤になっている。修業につぐ修業の九年間であった。
 私に多少の資質・能力があるとしたら、それは「努力と挑戦」ができることだろうと思う。私と同じような環境におかれても、全く変わらない人もいる。こういう人は「今の自分でいい。今の実力で十分だ」と考えているのだろう。
 
「生きる力」というのは、生涯にわたって成長できる力であり「努力と挑戦」を続けることができる力である。
 子どもが変われば、それに合わせて自分を変えなければ、時代の変化にとり残されることになる。「成長という時計」を止めないのが本当の教師である。
 しかし、止めている人に時々出会う。そんな人をみて、自分を反省し、努力と挑戦をしたい。 
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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教師はストレスがたまりやすい、簡単なストレス解消法にはどのようなものがあるでしょうか

 教師はストレスのたまりやすい仕事です。こまめに解消して、心の健康を保つ工夫がきわめて重要だと思います。
 では、教師におすすめのストレス解消法には、どのようなものがあるのでしょうか。
 休日に一気にストレスを解消しようとするのではなく、できれば休み時間の一部などを使って「ストレスを小出しに解消すること」が、長く教師生活を続けていくための秘訣と言えます。
 すぐにできるストレス解消法を紹介します。
(1)
同僚や友人にグチをこぼす
 ストレス解消に最も効果のある方法です。できれば、同じような悩みを抱かえている同僚とグチをこぼし合いましょう。
 悩みを話せる同僚がいなければ、家族や学生時代の友人など、気心の知れた人に話を聴いてもらうのもいいでしょう。日頃から「弱音を吐ける相手」がいることは、とても大切なことです。
(2)
一人カラオケ
 ストレス解消には、大声で叫ぶことが大変効果的です。そこでおすすめなのが「一人カラオケ」です。
 学校の帰りにカラオケボックスによって、30分程度、思う存分一人で歌うのです。他人の目を気にする必要がなくて、かなり気分転換を図ることができます。
(3)
服装を変える
 いつもと違う服を着るだけで、気持ちが引き締まったり、リラックスしたり、気分を変えることができます。
 
「気分が落ち込んでいるな」と感じたら、たとえば黄色など、意識的に明るい色の服を着ることで、エネルギーがわきやすくなります。
 また、週に1~2回、ふだんはあまり身につけないタイプの服を着てみると、動作や振る舞いも変わります。いつもと違った気分で授業に臨むことができるでしょう。
(4)
アロマスティクを持ち歩く
 アロマもストレス解消に効果があります。おすすめしたいのが、いつも鞄やポケットの中にアロマスティクを携帯しておくことです。
 ちょっとした時間に、香りを嗅いでリフレッシュすることが可能です。また、その時の気分によって、香りを変えてみるのもいいでしょう。
(5)
声を出しながら紙を破る
 新聞紙や広告紙など、不要な紙をちぎっていくのも、なかなか効果的です。その際「ワー!」と大声を出しながら、ちぎっていくとより効果的です。
 実際に声をあげながら紙をちぎると、気持ちがスッと楽になります。嫌なことを紙にすべて書き出して、細かくちぎって捨ててしまうのも効果的です。
 
「紙をちぎる」のは、子どもたちのストレス解消にも役立ちます。別室や保健室で子どもたちといっしょにやるのもいいですよ。
(6)
クッションやぬいぐるみにパンチ!
 教師は子どもから暴言を吐かれても、立場上、対抗することができません。これは大変なストレスだと思います。
 自分の中に蓄積された怒りを発散するには、いらなくなったクッションやぬいぐるみなどに怒りをぶつけるのも一つの方法です。
(7)
ダメな自分を「心の虫」に置き換える
 たとえば、教材研究をしたくなかったりすると「自分はダメな教師だな」と自責の念にかられることがあります。
 こんな時、自分の心に「なまけ虫」がついたせいだと考えてみるのです。「自分」と「問題」を切り離すことで、自分を否定することなく、目の前の問題とつきあっていくことができるようになります。
 気分が乗らない時は「あー、また、なまけ虫がとりついた」と思い「この虫と、どうしたらうまくつきあえるのか」を考えるのです。
(8)
息抜きや休息のノルマ化
 教師の仕事はどこかで「区切り」をつけなければ際限がありません。とくに責任感の強いまじめな教師ほど、自分自身に高いノルマを課しがちです。
 そのようなまじめさを利用して「息抜きのノルマ」をしてみてはいかがでしょうか。
 例えば、週に一回はDVDを借りて観る。月に一度は温泉や行楽地へドライブに出かける。年に一回は海外旅行をするなど、週・月・年・生涯単位で、息抜きのスケジュールを立てて、ノルマにしていくのです。
 息抜きも仕事、楽しむのも仕事と考え、ふだんの仕事で張りつめた意識をじっくりもみほぐしてあげましょう。
 
「休む」のを「仕事」にすることで、初めて安心して「休むことができる」。これが多くのまじめな教師の特徴です。
 
 どうぞ「ご自分にとってベストなストレスの解消法」を見つけてください。
(諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授,専門はカウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学。現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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若い教師が教職を通して自分を確立していくには、どのようにすればよいか

 若い教師が教職を通して自分を確立していくためには、日々の教職の仕事のなかにどれだけ「教職のやりがい感」を見出せるかが重要になります。
 教師が感じる「教職のやりがい感」には
(
) 子どもとの関わりと職場環境の満足感
(
) 対外的な評価への満足感
(
) 働く内容への満足感
(
) 労働待遇への満足感
の分野があります。
 このなかで、() () ()は、若い教師の発達の問題を考えるうえで特に重要になってきます。この三つが、若い教師がアイデンティティを形成するための核となり、自己の確立につながっていくからです。
 したがって、若い教師が、この三つのなかのいずれかを実感できるかがポイントになるわけです。
「教職のやりがい感」を実感するには、どのようにすればよいのでしょうか。その方法は
(1)
教師仲間と一体感を実感する
(2)
周囲から認められる
(3)
自分なりに、やれていることを確認する
(4)
自分の関心の視野を広げる
ことが考えられます。これを若い教師に当てはめてみると、
「心を許せる同世代の教師仲間を、生活環境のなかで確保する」
ことが大事になってくるでしょう。
 心を許せる教師仲間が、たとえ一人でもいれば、(1)(4)はそれなりに満たすことができると思います。例えば、こんな具合です。
(1)
教師仲間と一体感を実感する
 悩みを語り合うことで、うまくいかないで悩んでいるのは自分ひとりではないんだ、ということを理解し合える。安心し、同じ苦労をしている仲間同士ということで、一体感を感じることができるのです。
 時には愚痴りあって、学校のストレスを発散し合うのもいいでしょう。一緒に食事したり、飲みに行ったり、カラオケをするのもいいでしょう。
(2)
周囲から認められる
 同じ職場の先輩教師からほめられなくても、自分なりに苦労してやったことを語り合い、それを同じ目線で聞き合って、言葉にし合って認め合うのです。
 同じ世代、同じ教職経験の者同士ならば、相手の言いたいこと、認めてほしいことは痛いほどわかるものです。
(3)
自分なりに、やれていることを確認する
 大きな行事の後とか、学期の筋目の時期などに、それまでの期間に取り組んだ内容について一緒に語り合うのです。
 できた成果を自慢し合うのではなく、取り組んできたこと、そのなかで感じたことを率直に語り合うのです。
 このような語り合いのなかで、自分なりにやれていること、自分の取り組んでいることの意味がより明確に意識されてくると思います。
(4)
自分の関心の視野を広げる
 夏休みや連休など、少しまとまって時間がとれるときなど、一緒に連れ立って、教育委員会主催でない研修会やシンポジウムに参加してみるのです。教育から少し離れてもいいと思います。
 教師としての自分に、日常の現場とは少し違う面での刺激を与えてくれるものがいいのです。
 地方の教師ならば、東京や大阪などで開催される大きな大会に、宿泊を伴って参加してみるものいいでしょう。研修会で知的刺激を得るだけでなく、会場でのいろいろな人との出会いも楽しみなものです。
 研修後は、みなで連れ立って,研修内容をサカナにして食事や飲み会で交流するのも、とても楽しいことです。
 心の許せる教師仲間が職場にいれば最高です。しかし、そうでない場合のほうが多いのです。そのような場合には、自分からつながっていく行動がとても大切だと思います。同じ町の同期の教師、大学の知り合いの教師と連絡をとる、などです。
 小学校、中学校、高校と、たとえ学校種が違ってもいいのです。つながるなかでの交流が大事なのです。メールを交換しあうのもいいと思います。
 心を許せる、自分の教育観を語り合える、本音の思いを開示し合えるような教師仲間との交友はぜひ取り入れてほしいのです。
 そのような関わりを通して、お互いに育っていくものなのだと思います。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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教師は批判を嫌う、保護者にどのような態度で対応すればよいのでしょうか

 教師は批判をいやがる体質があり、自分のしていることに対して注文をつけられることを嫌う傾向があるようです。
 もう一つ、教師は自分の都合ばかり言いたてたり、自分の都合に相手が合わせて当然とでも思っているような対応をしがちだったりすることがあるのではないかということです。
 こうした教師の態度や話し方は、話し合いの際に表れがちなのです。
 教師は、協調性が大事だと、子どもに語りかけたり説いたりします。協調性が大事なら、他人の意見に耳を傾ける度量がありそうなものなのに、それがなかなかできない人もいるでしょう。教師が批判に耳を傾ける、しなやかさの持ち主になれるかが課題なのです。
 
「教師は何をしているのか、どうするつもりだ」などと、教師批判はこれでもかと続いています。このようなときは、冷静に聞くことこそ、大事なのでしょう。
 教師が誠実に日々の仕事を果していれば、だれに何を言われようと卑屈になることなどありません。被害者意識のようなものを、もたなくていいのです。
 それと同時に、どのような職業であれ、あれこれと注文や要望はあるものだと承知しておくことも必要かなと思います。ですから、仕事に誇りをもって、人の声に耳を傾ける謙虚さだってとても大事です。
 教師が被害者意識をもつと、身構え、ついつい言動が感情的になってしまうことはないでしょうか。「そんなことはできません」などと口にしてしまえば、相手との関係修復は困難でしょう。
 教師の仕事は、相手が子どもであれ保護者であれ、長期戦の構えが必要なことはしばしばです。
 どこの世界でも尊大で横柄な態度の人は、好かれることはないでしょう。無愛想な態度も決して評判はよくないでしょう。
 でも困ったことに、そうした人のだれもが自分を、尊大だ、横柄だ、無愛想だなどと、気づくことがないので、態度を改めることも、あまり期待できないのです。特に教師は、批判や忠告を嫌うので、それが難しいと言われています。
 教師は高い志を抱くことを期待されている職業でもあるでしょう。高い志を抱いて、腰を低くしたら、人間関係はうまく整えられるでしょう。
 教師は「志は高く、腰は低く」と言いかえることもできそうです。如才ない人と評判が立つ方が、どれほどいいかわかりません。教師は子どもや親といった人を相手に仕事を進める職業です。これはいつも忘れないでいただきたいことです。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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コーチングの考えで子どもを叱ると、子どもは受けとめてくれます

 コーチングは「子どもを認める」ことから始まります。どんな状況でも子どもの良さを見つけて承認することが大切です。それこそが、子どものやる気を引き出すのです。
 叱ることの本来の目的は、考えさせ、反省させ、改善への努力をさせることです。
 叱るべき行為があったとき、教師は本当に事実なのか、叱る必要があるかを考える。教師が確認した事実を伝えて、子どもの認識と違っていないか確認する。違っていなければ問題点を伝える。
 わからない子には、問題点を理解できるように教える。「先生は・・・と考えている」と伝え、子どもの気づきを深める。
 反省させて「じゃあ、どうしたらいいと思う?」と今後どうすればいいかを考えさせる。
 叱るとき、言葉は慎重に選びたいものです。命令や禁止形で言われた子どもは反発を感じやすい。「○○しましょう」と奨励形を多く使うよう心がけたいものです。
 コーチ先生は子どもの人格を尊重する言い方をします。「あなたらしくないぞ」と叱ります。このひと言が子どもの心にしみこみ「自分は先生に認められている」と実感させます。
 朝、遅刻してきた子どもに対して、コーチ先生は「先生は、あなたを待っていたんだよ」と言います。いけなかったなあ、という反省を子どもにうながすことになります。
 子どもにとって、何を叱られるより、誰に叱られるかの方が重要なのです。この先生ならわかってくれているという信頼関係が何よりも必要なのです。
 教師は子どもの行動を変えたいとき、子どもの自尊感情を大切にし、きちんと教師の意思を伝えるようにします。すると、素直に聞き入れてもらえるようになってきます。そして、お互いに信頼関係が生まれ、学校がますます好きになっていきます。
 注意をうながすのであれば、気づいたらすぐ叱るようにしましょう。コーチ先生は、その場で、あっさりと叱ります。先ほどまで叱られていた子どもが、その直後にはもう一緒に笑い合っています。
 最近の子どもたちは、注意しても素直に受け止められず、教師との関係をこじらせてしまうケースも多くなっているようです。
 授業中、おしゃべりをやめない子がいたとき、YOUメッセージでは、例えば
「うるさい。○○くんの発言が聞こえないじゃないか。静かにしなさい」
と言うと、子どもにとって非難に聞こえやすく、反発を誘発する危険があります。
 コーチ先生は、Iメッセージを使います。
「先生は○○くんの意見が聞きたいんです。静かにしてください」
となります。Iメッセージのほうが素直に聞こうとする感じがしませんか。これは、自分に主体性を持たせることで、相手が受け止めやすくなるからです。
 学校生活で叱らなければいけないことがあります。そのときは理由を付け加えるようにします。
 例えば、清掃後の雑巾が濡れたままで散乱していたとします。
「何だこれは、どうなっているんだ」と叱ることがあります。問答無用の叱り方では理由がわからない。これに、ひとこと理由を示すと、叱り方の印象がまったく違ってきます。
 コーチ先生は「雑巾を濡れたまま散らかしっぱなしだとカビも生えるし、次の人は使いにくいよね」と叱ります。子どもの意識はまったく違ったものとなります。
 叱られた内容をきちんと説明し、何を反省したらよいかを明確にすると、子どもは反省して行動することができるようになります。
(
神谷和宏:1960年生まれ、愛知県公立中学校教師。 読売教育賞などを受賞。教育コーチング、心理カウンセラー)

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子どもとの関係がこじれ気味のとき、改善するには、どうすればよいでしょうか

 いまの子どもの中には、教師であろうと「先生、もっと勉強した方がいいよ」など、けっこうなことをいう子がいます。ここで「失礼だな、まったく!」といちいち腹を立てていては、教師の仕事はやっていられません。
 教師が何か話をしても、反応が薄くシラッとしていたりするときは要注意です。教師と子どもとの関係がこじれてきていると考えていいでしょう。
 早急に、子どもとの関係を改善するようにしなければ取り返しのつかないことが起こる可能性があります。
 
「注意や叱責」以外の言葉かけを増やすのが大事なポイントです。では、どのように対応すればよいのでしょうか。
1 厳しいタイプの教師 「子どもに要望を書いてもらい、再出発する」
 多くの子どもが教師に対して不満を感じているようだったら
「みんなの中に、私に対してこうしてほしいという要望や願いをもっている人がいるようです。私は、みんなといい関係を築いていきたいと思っています」
「いまのままでは、やりずらいと思うので、みんなの要望や願いを教えてもらいたいと思います」
「口では言いにくいこともあるでしょうから」と、ハガキの大きさくらいの紙を配って、書かせるといいでしょう。そのときに必ず名前を書かせます。匿名だと不満が暴走しかねません。
 書き終わったら、読み上げて(名前は読みません)、メッセージを受けとめたことを示します。
 明らかな誤解があったら言い分けにならないように意図を説明します。子どもが不快な思いをしたことについては、謝ります。終わりに、教師が反省し、今日から新たに再出発することを誓います。
 教師と子どもとの人間関係づくりは、常に子どもとコミュニケーションをとることが大切です。円滑にコミュニケーションがとれていれば、子どもは多少の失敗をしても許してくれますよ。
2 優しいタイプの教師 「子どもと遊んで過ごす」
 子どもがよそよそしいと、優しいタイプの教師は、とても悲しい気持ちになります。そういう教師にお勧めは「子どもと遊ぶ」ことです。子どもに受け入れられていないなあと思ったら、まず、遊びます。
 私は、かつて反抗的な子どもたちを担任したとき、とにかく遊びました。朝と放課後はおしゃべり。休み時間は遊びでくたくたになりました。つらい時期をどれくらい我慢して遊べるかがポイントではないかなと思います。
3 楽しい・しっとり・じっくりタイプの教師 「特技を見せる」
 感受性の豊かな子どもたちには、教師の特技を子どもに披露することが、子どもとの関係をつくる最高の方法になります。
4 元気なタイプの教師 「子どもとの楽しいコミュニケーションを増やす」
 これといって特技がないけれど、明るい雰囲気が好きな教師にお勧めです。
 子どもが反抗的なときは、注意や叱責が多くなっています。そこで、子どもとの楽しいコミュニケーションを増やします。例えば
(1)
怖い話
 多少「斜めに構えた」子どもにも、けっこう喜んで聞いてくれます。本屋に怖い話の本はたくさんあります。
(2)
家族の話・子どもの頃の話
 それも失敗したときの話がいいです。子どもがほっとします。人間臭さを感じるエピソードを話すことにより、教師の魅力がアップします。
(3)
誕生日を祝う
 私のクラスには、発泡スチロールで作った模造ケーキがあります。子どもの誕生日になるとケーキの上に、ろうそくの火を灯して、ギターを弾いて「ハッピー・バースデー」を歌います。
 教師が子どもを「好きだ」というメッセージが伝わると、それなりに喜んでくれました。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。アドラー心理学アプローチの学級経営を研究。現場の教師を勇気づけたいと願い、研究会の助言や講演を実施して全国行脚している)

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最近、学級が騒がしく授業がうまくいかないし子どもがいやになった、どうすればよいでしょうか

 最近、教師として、つぎのようなことはありませんか。
 学級が騒がしく授業がうまくいかない。保護者からの問い合わせや批判が多くなった。いつもは許せる子どもたちのいたずらも冗談として受けとれない。子どもの言うことを聴くのが苦痛に感じられて、つい怒ってしまう。
 教師は子どもを相手にする仕事であるため、エネルギーをとても必要とします。授業で、子どもたちをうまく乗せていくのに、相当エネルギーを消費します。いろいろな学校行事や校務分掌が重なるとさらに大変です。
 問題を抱かえている子どもを受けもつと、子どもや保護者との対応などにも、かなりの時間や精神的なエネルギーをとられてしまいます。
 ですから、教師であるためには、なによりも余裕が必要です。自分に余裕のない時は、子どもたちのペースに合わせられなくなります。
 授業がうまくいかなくなり、イライラしてついきつい口調になったり、全体を見通せる力が弱くなるために、学級がバラバラになったりします。
 ふだんは、子どもたちの活力を子どもたちから受けとっていることが多いのですが、余裕のない状態が続くと悪循環におちいってしまい、エネルギーを浪費して消耗しきってしまいます。
 いったんそうなると、以前は子どもたちのことが大好きだったのに教室に行くことさえ苦痛を感じるようになったりします。保護者から苦情の声が出てくると、ますます追い込まれたように感じます。自分のことで精一杯になって、何ごとも集中できなくなっています。
 もともとイライラしやすいタイプの人にもよくありますが、真面目で不器用な、少し融通性に欠ける人にも生じやすい状態です。もちろん自分の身辺に何か気にかかることがある場合も同じような状態になります。
 一人で問題を抱えこんでしまい、周囲の同僚がアドバイスしにくい雰囲気になっていることも少なくありません。
 こうした状態が長く続く場合には、精神的疲労による「抑うつ状態」が疑われます。こういう時は、自分自身へのエネルギー補給が必要です。
 問題解決に努めるために管理職や同僚、あるいは家族に相談してみることは大切なことです。話を聴いてもらうだけでも、疲れたこころが癒されることでしょう。
 しかし、問題解決に懸命になればなるほど、悪循環におちいりやすく、疲れをためてしまうこともあるので、時には仕事と距離をおくことをお勧めします。
 一人で静かに過ごしたり、職場とは全く関係のない人間関係のなかで趣味を楽しむ時間をもつことが有効です。また、休暇を利用して旅行に出かけるのもよいでしょう。
 いつもと違った新鮮な気持ちになり、ゆとりを取り戻すことができるかもしれません。
 そして、「子どもたちの笑顔を見たり、子どもたちの成長に気づく」ことで、エネルギーがもらえることを、教師としての目標とすることも、よいのではないでしょうか。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師)

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学級を荒らす教師、荒れた学級を回復させる教師とは

 学級を受け持つと学級が荒れる教師がいます。そのような教師には、社会性や人間関係を学ばないまま教師になった幼稚な人。昔の時代に逆戻りしたような教師と子どもの関係を押しつける人などがいます。
 一週間もたずに学級が崩れ出した教師がいました。学歴は優秀ですが、その教師は表情が乏しく、どこを見ているかわからないし、声が小さい。マイペースで、子どもたちにやらせっぱなし、言いっぱなし。
 課題を出して、子どもたちができたら、持ってこさせて丸をつけるけど、次の指示を出さないから、終わった子はふらふら遊び出す。できない子はしゃべりだす。
 全体を統率するどころか、見渡すこともできない。「ケンカしています」と言われると、その場に行って「どうしたの」って話を聞く。その最中に、後ろでケンカが起きていても、それが見えてないし、感じてもいない。
 ふつう、教師はいろいろ工夫するものです。どうしたら、子どもたちは乗ってくるだろうか、集中するだろうかって。でもそういう配慮がないんです。
 保護者から学校や校長に電話がジャンジャン鳴り、臨時保護者会が何度も開かれました。結局、二学期の途中で担任をおろし、代わりに教頭が入ることでおさまりました。
 それに対して、荒れた学級の後を何回も引き継ぎ、回復させる教師がいます。
 その女性教師は、歯に衣着せぬ語り口、元気でさばさばした性格。学級の子に、背や肩に手を置きながら話しかけるようにしている。その子の緊張度が手のひらを伝わってくるからだ。そんな細やかな一面ももっている。その教師に学級運営の話を聞いた内容は次のようであった。
 小学校の高学年は難しくなっているけど、何らかの対処はできるはず。ハチャメチャと思えることをしたほうがいい。今までの概念に縛られていたらだめです。
 座らない子が多いのなら、机をとっぱらって授業をしてもいいわけだし、保護者を教室に入れてもいい。そういう工夫はいくらでもできる。
 集団の中で、勉強や人間関係についていけない子はかならず出てくる。そこから荒れが始まる。でも、そういう子どもたちを、なんとか、つないでいくのが担任だと思います。
 教師に、子どもがちゃんと見えていれば、いいんじゃないでしょうか。子どもたちはみんな、自分のことを見てくれる、聞いてくれる教師を求めているのですから。
 荒れるのは、教師が一部の子しか見ていないからです。はみ出した子を担任が拒否すると、問題が倍増して、他の子どもたちへの被害も大きくなる。問題行動があったとしても教師が最終的にその子を受け止めていてくれたら、崩れることはないでしょう。
 暴れる子、刃物を振り回す子、不登校の子、いじめのある学級を受け持つことが多く、すごくたいへんでした。
 でも、一年間かければ、問題があってもとりあえず平穏だったり、なにか起きても対処できる状態になったりします。
 どんな子とも、人間関係が築けるまでになりました。なぜできるか。それは相手との距離、レベル、限界といったことを計ることができるからかな。
 私自身が子どもの頃、学級のトラブルメーカーでした。問題が起こるごとに、担任の先生がいろんな形で収めてくれて、そういう先生にいっぱいめぐりあってきたのが大きいと思います。
 人間関係にもまれてきた経験からくる、野生の勘ですかね。教わってわかるとか、マニュアルで学ぶとかできないでしょう。
 トラブルメーカーだったとか、不良だったとか、そういうふうに過去のある教師ほど、学級経営はじょうずですよ。 
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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学級崩壊に陥ると回復が難しい、どのようにすれば予防し回復するようになるか

 学級がうまく機能しない状況になると、ある調査によれば、約半数の学級は回復せず継続する。
 学級がうまく機能しない状況を予防するための、各学校の取り組みを、多い順でみてみると、
1 学校としての取り組み
(1)
組織的対応ができる体制づくりをした
(2)
TTや担任以外の教師による授業を多くした
(3)
教育相談体制の一層の充実を図った
(4)
学年内の指導体制の充実を図った
(5)
職員会議や校内研修会で取り上げた
2 地域及び家庭との連携
(1)
校内の情報を積極的に家庭に知らせるように努めた
(2)
校外指導者や地域のボランティアの導入を図った
 学級がうまく機能しない状況を回復するためにとった学校の取り組みを多い順でみると、
1 TTなど複数教師による指導の実施
2 臨時職員会議等の開催
3 臨時保護者会等の開催
4 他の教師による授業の実施
4 非常勤講師の配置を要請
6 臨時公開授業の実施
7 児童相談所・医療機関等関係機関との連携
8 担任の交代
 学級がうまく機能しない状況に陥ったが、回復するようになった事例を幾つかみてみると
1 教師の指導観の転換により回復した
 学級が全体として落ち着かず、いじめや暴力がはびこっていた。3,4年生の時は50歳代の男性教師が力でおさえて持ちこたえていた。
 しかし、5年生の時の担任はやさしい教師で、丁寧に接する教師であったが、授業は不成立となり、いじめや暴力が出始めて、これを苦に不登校になる子どもも現われた。
 6年生になり、子どもは教師の話は聞かない、自分たちで勝手に話し、整列もしない状態に陥った。
 6年生の担任になった教師Aは
(1)
子どもたちが癒されたり、自己肯定感を味わえるような授業
(2)
誤った答えを大事にする
(3)
授業を工夫し、楽しく学習できるようにする
(4)
良い学級にするための話し合いをする
このように考えて指導するようにした。
 楽しい授業にするよう、推理や想像を働かせる楽しさを体験させた。そして、子ども同士をつなげるコミュニケーションを増やし、話し合いや討論をするようにした。子どもたちが互いに主張できるようになり効果があった。
 一人ひとりを大切にする。自尊感情を回復させる。一人ひとりに自信をもたせる。といった、一人ひとりが楽しくなるような具体的な指導方法を考え実践することこそ、授業困難から回復させることになるのではないか。
2 学年合同授業、相互支援で回復した
 30歳代の女性教師Bが3年生の担任になった。5月頃からR男が授業を妨害しはじめた。物かくしなどのいじめが現われ、男子3名がこれに加わって授業困難状態となる。
 この学校には生徒指導会議がある。担任Bは指導力が弱く、学級が前年も落ち着いていなかったこともあり、全校の支援を受け入れるようにした。B担任の要請により、全校で支援体制がとられて回復した。
 担任BはR男を否定的に認識し、接していた。しかし、算数を指導する教師や、他の教師がR男の別のよい面を認め、評価したことでR男の気持ちが変わり、回復に向かわせたようだ。
 問題児はとかく、すべての教師に否定されかねない。良さを発見し、認めることの大切さを示した事例である。
3 担任が交代して改善された
 転任してきた男性教師Cが6年生を担任した。子どもたちは落ち着きがなく、話を聞かず、悪口を言ったりしていた。
 教師Cは高圧的な指導で解決しようとした。勉強が苦手な子どもを多く指導したが、平等に教えてほしいと言われた。教師は厳しい指導を続けた結果、授業がボイコット状態となった。教師は6月末で休職した。
 9月に新担任の40歳代の女性教師Dと交代する。教師Dは「子どもが怒られ、自尊心が傷つけられている」と考えて
「一方的に叱らない。子どもたちの気持ちを聴くように努める。放課後の教室で雑談などをする。子どもといっしょに遊び、ふざけ合う。授業を楽しくする。勉強の大切さを伝わるように話す」
といった方針で子どもたちと接した。
 こうして11月頃には落ち着いた学級となった。これらは、子ども理解や子どもと教師の相互理解・信頼こそが教育の基本であることを示している。
 学校を安心できるところ、楽しいところだと子どもが感じることが、回復への道でもある。授業が困難であっても、子どもが変わったことを示しているといえる。
(
金子 保:1936年埼玉県生まれ、大宮市公立小学校教師、埼玉県立教育研究所・埼玉県立北教育センター指導相談部長、国際学院埼玉短期大学教授を経て、さいたま市教育相談センター所長)

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私が教師になって大切にしていたこととはなにか

 私は「人間は自分のために生きなければ生きられないが、他人のために生きる意志のない者は決して幸福になれない」という言葉を自分の座右の銘にしています。
 教育というのは、教師が体を張って実践し、その教育実践の中から理論を構築していくものであると思うのです。
 教育は実践の裏付けのない発言というのは、まずいのではないでしょうか。私はこれまで、体当たりで教育実践、カウンセリング、教育相談をやってきました。
 これを理論化することで、世の中の悩めるお父さん、お母さん、教師たちに、現場からの生々しい体験談を送り続けたいと思っています。そうすることにより、教育のひっそく状況に風穴をあけたいと思っています。
 私は教師になってからずっと、国語の力こそ、どの学力にも通じる知力になると考えていました。音読・読み聞かせは、どの学力にも通じる知力になると。
 たくさんの本を読む経験が考える力を伸ばし、想像力や感性を磨き、ものごとに柔軟に対処できる能力を育むのだと、今も確信している。
 だから、授業には必ず読書を採用した。毎日必ず5分か10分、音読授業をするのである。
 私が音読授業に必ず取り入れたのは、宮沢賢治と金子みすゞの作品だった。一草一木にも生命が宿るという、その優しいトーンに包まれるとき、子どもたちは深く心を打たれるようである。
 クラス中が一番しーんと静まりかえって、48人の子どもたちのうち、46人が涙したというほどの衝撃的な物語は、
宮沢賢治の「よだかの星」であった。
 ほかの生きものを殺して食べなければ自分が生きていけないというカヌマに苦しみ、いじめに苦しんでも生きなければならない「よだか」。
 それは宮沢賢治が晩年肉食を絶ち、矛盾に苦しみながらも清い心で奉仕を怠らなかった生き方にも通じて悲愴である。
 よだかの眼を通してすべての事象をとらえ、物語の世界にはばたけるのだ。深い余韻が残る名作である。
 そのほかに、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、夏目漱石の「こころ」も楽しめた。
 ハリー・ポッターの物語も、両親がいない悲しさ、いじめに耐える辛さを描きながら、その中にはあふれるほどの夢と希望をちりばめて、愛と勇気と正義をたたえている。
 また、イギリス社会の厳格なしつけ・悪に対峙する正義・死生観が随所に見られて興味深く、楽しく夢中になれる。
 ハイネの詩集を朗読したときは、「こんな恋愛をしようよ」という話になって、みんな真剣だった。
 読み聞かせや音読授業を始めてみると、子どもの理解力の深さに舌を巻いてしまうのが常である。
 素晴らしい物語を声に出して読むこと、友だちと一緒に感動を共有することは、何よりも心の肥やしになる教育であると私は思っている。
 それに、私は子どもたちの能力を伸ばすために、優れている点を見つけて表彰するようにしていました。
 私の授業は、ほめてほめまくることで子どものよさを引き出し、それを勉強や遊びのエネルギーにしていたので、子どもたちの成績はどんどん伸びた。
 初等教育では、とくに励ますこと、ほめることが非常に大事である。「やればきっとできるよ」と、言ってあげたら、子どもはどんどん伸びるものなのである。
 子どもたちのいちばん優れている点を見つけて、チャンピオンに任命することにした。 勉強面ばかりにこだわらず、その子のいいところをほめてやろうと思ったのだ。
 例えば、計算のチャンピオン、マラソンのチャンピオン、我慢強さのチャンピオン、水泳のチャンピオン・・・。
 どの子にも必ず、人に負けないいいところがあるはずだ。そういう思いで子どもたちを見ていると、誰もが一つどころではない、たくさんの優れた面を秘めていた。
 友だちに優しい子など成績として評価できなくても、それを賞として与えることで、友だちを見直したり、励まし合ったり、張り合ったり、相手のよいところを認め合えるようになってきたのだ。
 チャンピオン賞を始めてから子どもたちが確かに変わった。生き生きして自信を持つようになり、じつに楽しそうなのである。
 当時、毎日新聞から取材(昭和57年、見出しは「チャンピオン」)があったので、内容をつぎに引用する。
 チャンピオン賞の対象は勉強、運動だけでない。「おもいやりのチャンピオン」というのもある。だれもが一目おく長所を一人ひとり見つけてほめてやるのだ。
 先生が表彰状を読みあげると、みんなが拍手する。多少テレながらも目をキラキラさせて心からうれしそうに受け取る。
「その表情を見たさに一年間がんばっているようなものです」と
濤川先生。
 教師になりたてのころは、子どもの良くない点を直すのに叱ってばかりいたんです。でも、叱るだけでは私の言うことが子どもの心にスッと入らないと気がつきましてね。
 良い点を見つけてほめると、子どもに自信を与え、ほかの能力も伸ばすことがわかりました。子どもはみんな「宝物」を持っています。それを見つける眼力が教師には必要です。
(
(なみ)川栄太:19432009年、20年間の小学校教師を経て、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者、40年間つとめた教育相談では、悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

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教師が保護者から信頼を得るためには、どのようにすればよいか

 教師が保護者から信頼を得るために大切なのは保護者の話しを心をこめてじっくりとお聞きすることです。「この先生は信頼できそうだ」という気持ちを抱いてもらえるまで、信頼関係づくりに徹することが重要です。
 学校に批判的な親に対して、まじめな教師ほど正論で説得しようとする傾向があります。しかし、親のほうとしては「どうしてわかってくれないの」と被害者感情を募らせてしまいがちです。
 教師の保護者対応でいちばん大切なのは、「おもてなしの心」です。おすまし顔の教師は嫌われます。歯をだして笑える、気さくな雰囲気を醸しだしましょう。
 保護者の中には被害者感情や不遇感の強い人がいて、「私はもっと大事にされるべきなのに、大事にされていない」という気持ちを抱きがちなのです。
 私は、さまざまな職種のクレーム対応係の方にお話しを聞きました。みなさんが口をそろえておっしゃるのが、「おもてなしの心で、何かを教えていただくという気持ちで接するしかない。あとは持久戦です」ということです。
具体的には、
(1)
学校の玄関までお迎えに行く
 おもてなしの心はまずお出迎えです。学校まで保護者が足を運んでこられたことへの労をねぎらいます。そして応接間など、冷暖房のきいた居心地のいい部屋にご案内します。
(2)
お茶とお菓子を出す
 お客として、もてなされていると思っていただくために、重要なのがお茶とお菓子です。コーヒーは相手をシャキっとさせるので、冷たいお茶をだして、クールダウンしてもらいます。こころがなごむような甘めのお菓子をだすのがよいでしょう。
(3)
対応の服装はスーツで
 教師がジャージ姿で対応したら保護者は「自分は軽んじられている」と思われても仕方がありません。
(4)
必ず一人ではなくチームで動くこと
 必ず二人以上で対応します。一人だと保護者に振り回されることになりがちです。
(5)
場所と時間の原則を守る。自宅や携帯の電話番号は教えない
 面談の時間も例えば、保護者が夕方六時に来るとすると、「今日は七時から用事があるので、一時間しかお時間がありません」と、最初に言うことが肝心です。
 面談は学校で、電話も学校でしかとらないという原則を守ること。自宅の電話と住所を保護者に教えたために家庭崩壊に陥った教師を私はたくさん知っています。
(6)
親の思いを受けとめる
 応対の時間は一時間から一時間半が目安です。聞き方のコツは、相手の目を見て、うなずきと相づちをしっかり行うこと。
 相手を説得したり、論破しようとせず、言い分をよく聞き、その思いを受けとめることが肝心です。また、なにかお願いをしたいことがあるときは、指示をしようとせず、お願い口調で伝えることが大切です。
(7)
子どもの「うそ」には事実で対応
 子どもが「うそ」をついているとしか思えないようなとき、「この子がうそをついているんです」と保護者を責めてしまうと、ますます怒りを買うだけです。
 たとえば、子どもが同席しているとき、子どもの「うそ」は一切指摘せず、ただ淡々と同席している子どもに「事実」を確認する質問をします。
 「そのときどうしたの」「次に何があったの」「それで、そこに何人いたの」「名前は」・・・と、このように、質問だけをしていって、子どもに事実を答えさせるのです。「うそ」をついているときは、話に矛盾がでてきます。
 このようにして、信頼関係づくりができたところで、保護者に「一緒に考えていきましょう」と、共に問題解決を考える姿勢を打ち出していきます。
 さらに十分な信頼関係ができたら、「学校として、一つだけお願いがあるのですが」と学校側の要求を切り出していくのです。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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資産10億ドルの実業家になれるかどうかは、内面の心や精神で決まる

 世界の資産10億ドルを保有する実業家の実態を調べた人はいない。そこで、透明性のある市場において、自力で富を築いた120人について調査した。すると、一般的に信じられている次のような間違いがあきらかになった。
(1)
若くして成功した
 7割以上が30歳代以降に成功のきっかけをつかんだ。
(2)
IT長者である
 業種は19種類におよび、ITも含まれるが目立って多いわけではない。
(3)
一発当てた人
 9割以上は複数の事業で大きな成功をおさめている。
(4)
モラルが低い
 同業者にくらべて社会的責任への意識が高い。
(5)
一夜にして大成功をおさめた
 長いあいだ試行錯誤を重ね、成功するために多くを投資してきた。半数は18歳以下で仕事を経験し、30歳以下で起業した人が75%もいる。
(6)
天賦の才能に恵まれている
 早くから働き仕事の経験を多く積んでいる。仕事を通じてスキルを磨き、努力して才能を伸ばしたのである。
 では、資産10億ドルを保有する実業家の本当の特徴とはいったい何なのだろうか。
 共通点は外的な要因ではなく、その人の内面、すなわち心や精神にあるらしい。莫大な富を生み出す秘密は心や精神にある。長い年月をかけてその能力を磨き上げてきたのである。
 その心や精神とは「矛盾や対立を包含する思考」なのである。
 顕著なのは、普通の人がばらばらに捉える物事を、ひとつにまとめる能力だ。
 一般的には、対立する概念を排除し、問題を切りわけて単純化するほうが簡単だ。裏を返せば多くのことを見逃している。
 矛盾する考えや行動を排除せず、頭のなかに大きな器を用意し、すべて投げ込んでしまい、自分のなかでうまく共存させる。正反対のものを抱かえながら、それでも思考が混乱しない。
 内面には対立を抱え込む器があり、異なる概念、視点、尺度といったものを無理なく持ち続けることができるようだ。つまり
(1)
現実をありのままに把握しながら、自由奔放に想像を広げることができる。
(2)
全速力でプロジェクトを進めながら、忍耐強く時機を待ちつづけることができる。
(3)
自分の考えとは正反対の人を受け入れ、力を合わせて高い成果を上げることができる。
 資産10億ドルを保有する実業家の思考や行動の習慣が身につけば、日常のあらゆる問題を複合的に捉えることができる。習慣になっている行動をするとき、とくに意識しなくても体が動くのと同じだ。
 もっとも重要な5つの特徴とは。
(1)
共感力と想像力で未来を描く:「アイデア」
 現実の顧客が抱かえているニーズを読み取る共感力を持っている。実際の体験や出会いを通じて、人々が潜在的に求めているものを感じとる能力だ。
 すぐれたアイデアのきっかけは共感力だ。共感力はビジネスの勘を養い、顧客のニーズを見抜くことを可能にする。
 それと、誰にも思いつかないような製品をイメージする想像力も持ち合わせている。共感をベースに、その先を思い描く能力だ。その共感力と想像力の融合が爆発的な大ヒットを生みだすのである。
 既存の情報をもとに、さまざまな考えを自由にめぐらせ、どんどん思考を広げてまだ見ぬアイデアにたどり着く。
 決定づけるのは、情報の質と多様さ、想像力の強度である。すごいアイデアは幅広い知識から生まれる。情報収集を欠かさない。
 知識を蓄え、経験を積み、ひとつのことにじっくり取り組んできた成果として、あるとき最高のひらめきが訪れるのだ。
(2)
最速で動き、ゆっくりと待つ:「時間」
 ビジネスはタイミングが命だ。タイミングが予測不可能であることを知っている。だから「短気」と「気長」の両面を同時に持ち合わせている。
 チャンスをつかむために最速で動く一方、機が熟すのを誰よりもゆっくりと待つのだ。成功の影には、地味で苦しい待機期間が隠れている。
 つねに手と頭を動かし、試行錯誤と改善をくり返しながら、アクティブにチャンスを待ちかまえるのだ。
 長期的な視点をつねに持ちながら、あたかも目の前の仕事しか存在しないかのように行動する。
(3)
創造的にルーティンワークをこなす:「行動」
 クリエイティブなアイデアを考えるのと同じくらい熱心に日々の仕事にも創造性を発揮し、新たな価値を生みだすことができる。
 大きな夢を見るだけでなく、小さな実行をけっしておろそかにはしない。製品や業務のデザインを一から見直すことで課題を乗り越えることが多い。
 自分で経験したことのない人には、売るというのがどういうことかけっして理解できないだろう。若いうちに営業を経験した人が多く、実に8割の人が営業を経験している。
 仕事で多くの人を説得するなかで、相手を見抜く術を経験的に身につけている。
 売り方をデザインすることによって、これまでにない製品やサービスを世の中に広めていく。
(4)
現在の金銭的損失よりも将来の機会損失を恐れる:「リスク」
 今あるお金を失うリスクよりも、将来の可能性を逃すリスクを何よりも気にする。未来のために失敗を恐れず何度でもチャレンジする。爆発的なヒットをつかむまでに複数の事業を立ち上げている。
 失敗は恐れるべきものではなく、成功のための大事なステップなのである。
 自分が本当にほしいものを見失なわず、より広い視野でリスクを評価するから、見かけ上のリスクにだまされることがない。
 すべてを賭けて自分を危険にさらさず、うまくいかなかった場合にどうするか、次善の策を考えている。確実な収入源や資金源をどこかに用意しておく。
(5)
自分と正反対の人を仲間にする:「仕事相手」
 大半が対照的なタイプの人間と長期的なパートナーシップを結んでいる。
 並外れた成功を手にするためには、ありとあらゆる能力が必要になる。だから自分にないものを持った人を仲間に引き入れる。ビジネスの限界を突破するのだ。
 かならず実務に長けた相棒が存在している。自分と正反対の人物を受け入れ、協力関係を築き上げている。補完的な能力を持つ人と組むことで、得意分野に専念することができる。
(
ジョン・スヴィオクラ:元ハーバード・ビジネススクール助教授。世界的コンサルティングファームPwCパートナー。多数の企業に助言を行う)

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よい学級をつくるコツは「朝の会・帰りの会」を充実させることである、そのポイントとは

 朝の会は連絡する場ではない。一日の指針を示し、子どもたちにやる気を起こさせるところである。
 帰りの会は子どもたちへの注意・連絡する場ではない。一日のまとめをし、生活の前進面を評価しつつ、明日からの課題を子どもたちにつかませるところである。
 私が実践してきた「朝の会・帰りの会」のポイントとは
1 朝の会のポイント
(1)
連絡:3分
 教師・子どもからの連絡。短時間ですむように正面黒板に色別に書く。今日すぐ必要なことは赤。放課後までに必要なことは黄色。翌日または2~3日中に必要なことは白のチョークで書く。
 そして短い説明をしたうえで「緊急に質問したいことがあったら、ここで聞きなさい。あとですむことは、休み時間に聞きにきなさい」と言うのである。
(2)
教師の話:7分「2つほめ、一つ課題を与える」
 これを重点におく。前日の生活から「ほめること」を2つ、「課題とすること」を一つ選び出して話す。 
 前日の生活の中から、学級や班や個人のすぐれた行動や頑張った事実をとり出し、まず2つほめる。そしてその後で、克服すべき課題を一つ話すのである。ほめたことと結びつけて課題を示していくのである。
 実践ノートに書いていくと、4~5ケ月してみてはっと気づかされることがあった。それは、私のものの見方・感じ方・考え方がノートに如実に書かれている。
 これは私の道徳教育の記録でもあり、人間の価値を子どもたちに示しつづけてきた日々の記録でもあったということができる。私はこのことに力を注いだ。
 しかし、これを毎日続けるにはたいへんな困難と試練があるのである。教師が忙しさに追われて学級への指導を手抜きしていたり、マンネリ化した日々を送っていたりすると、ほめたくてもほめる事実がとらえられないのである。
 したがって「毎日、2つほめる」ためには、つねに教師が学級と子どもたちに新鮮な課題を示し、意欲的な取り組み、活動をつくり出し、展開させることが必要なのである。
 そうした挑戦がない限り、教師は朝の会でやる気を起こさせるどころか、注意・叱責ばかりをすることになる。
 また注意・叱責をしない場合でも、ほめることに具体性や感動がなくなり、形式的なことしか話せなくなってしまうのである。つまり、自分自身の「実践での勝負」がいつも必要だということである。
2 帰りの会のポイント
 子どもたちは一日の中でいろいろ活動しているため、連絡や要求が多いので多くの時間をとる。教師の話は短くする。
(1)
連絡・要求:7分
 班長、班、係、班長会、委員会、日直、当番などからの連絡、要求。
(2)
教師の話:3分
 教師の連絡、きょうのホームラン。
 帰りの会で注意しなければならないことは
(1)
できるだけ10分間で終わらせるように努めることである。
 子どもたちは部活、帰宅、友だちとの約束があったりして「早く終わらせてほしい」という要求を強く持っている。それを無視してダラダラやっていると、帰りの会への意欲と期待を失わせてしまう。
 そこで、口で言わなくてもすむことは、小黒板に書かせる。重要な連絡や要求だけを言葉で話させるようにする。
(2)
教師の話も短くする。
 帰りの会では、教師の長い話には抵抗を感じている。短くてスカッとした話し方を好むのである。だから最も必要なことだけを評価したり、語ったりするのである。
(3)
きょうのホームランは何か
 その日全体の中で、クラスの発展や一人ひとりの頑張りとして評価すべきことは何だったか、それを帰りの会の最後に発表し合うのである。
 学級がスタートしたばかりの頃は、何がホームランか、子どもたちは気づかないでいる。だから教師が
「さあ、きょうのホームランを言うぞ。一つは五班だな。国語の朗読大会で一位にはなれなかったけど、団結賞をとった。これが光っている」
「二つめは保健委員だ。養護の先生が、きょうの体重測定のとき、みんなもよく協力したが、保健委員の二人がずいぶん気を使っていたといっていたよ。これも光るな」と、見本を示すのである。
 このように教師が事例を示しながら一週間ほどしたら
「どうだ、きみたちが発見したホームランはないか?」と、子どもたちに自発的に発表させるのである。それに教師が気づいたことを加えながら、子どもたちと教師が共同でホームランを見つけ出すのである。
 さらに二か月ほどすれば、もっと高いレベルの方法を取り入れるとよい。それは、1~2分程度の班会議をして「わが班のホームラン」を発表する。さらに進歩したら他の班のホームランを発見して発表する。
 これは、集団の中の相互評価である。この相互評価が質の高いものになればなるほど、学級も発展する。そのような充実した帰りの会になれば、多少の時間延長は苦にしなくなる。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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学校現場は厳しい、子どもも教師も思いっきり笑える授業にするにはどうすればよいか

 教師は年間1000時間を超える授業を行っています。それらの授業の全てに力を入れて準備することは不可能でしょう。
「今日の授業は、ちょっと準備不足だったかな。子どもたちのつまらなさそうな顔が耐えられないな」なんてことがありますよね。
 笑いがあるネタを使いこなせるようになれば、退屈そうな子どもたちの顔が笑顔になります。そして、子どもたちがやる気になります。日常の授業がたのしいものになるに違いありません。
 笑いがあるクラスは、雰囲気がぐっと良くなり、子どもたちは意欲的に発言するようになります。
 学校現場は相変わらず厳しいです。授業がうまく成り立たないことに傷つき、自分を責め、休職、退職していく教師が後を絶ちません。
 私は、子どもたちも笑顔、教師も笑顔、全国の教室に笑顔があふれることを強く願っています。
 子どもたちが笑顔になるネタにはどのようなものがあるのでしょうか。
 授業の導入に笑いで子どものやる気を引き出すには、ツカミが大切です。最初の3分間で、子どもたちの心をキッャチしましょう。
 
「おっ、この授業は面白そうだぞ」と思わせれば、こっちのもの。その後は、楽しい授業が展開されるに違いありません。例えば、
(1)
どでかチョーク
 教師が大きなチョークを使うだけの超簡単ネタです。いつもと違う大きなチョークに子どもたちは笑顔。楽しい授業を予感させます。
 進め方は、教師が100円ショップで売っている大きなチョークを買っておく。授業の最初、教師は無言でそのチョークを取り出し、字を書こうとする。(それだけで、「デカッ!」と子どもたちからツッコミが入る)
 教師は黙ったまま、黒板いっぱいの大きな字を書く。(「字もデカッ」とツッコミが入る)
 教師は頭をかきながら「チョークが大きいから、字も大きくなっちゃった」と言うと、子どもたちが笑顔になる。 
(2)
いきなり熱唱
 授業の始まりと同時に、教師がいきなり熱唱します。「何が始まるんだ?」と、子どもたちは教師に注目し、授業への関心がぐっと高まります。
 進め方は、たとえば、5年生の社会科、水産業の授業の最初。教師は「サザエさん」の歌を熱唱する。躊躇せず、本気で熱唱すると、子どもたちがより注目する。
 歌を途中で止めて「さあ! この歌は何の歌でしょう?」とクイズを出す。
 いくつかクイズを出しながら「このアニメには、どんな登場人物が出てくるでしょう?」と学習内容に近づけていく。「カツオくん」が出たところで止め、授業に入る。
 歌は授業の内容につながるものにする。例えば、日本の国土の北国の暮らしの学習なら「北の国から」、理科の星の学習なら「見上げてごらん夜の星を」、月の学習なら「天才バカボンの歌」など。
(3)
物知り博士からの出題
 授業の導入で、物知り博士が登場し、課題を提示します。子どもたちは毎回、博士の登場を楽しみにするようになります。
 
授業の最初、教師は
「今日はみなさんに紹介したい人がいます」
「これからみんなと一緒に勉強する・・・・物知り博士です」と、黒板に博士の絵を貼る。
(
クラスの雰囲気が明るくなる)
「おっ、博士が何か問題を出すようだね」と、博士の横に吹き出しをつけて問題を書く。
(
博士からの出題にワクワクする)
 季節に応じて博士の服装を変えたり、旅行に出た設定にしたりしても楽しい。博士を繰り返し登場させると、子どもたちは博士が好きになる。そして、授業に意欲的に取り組むようになる。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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教職2年目の若手教師が経験したこと、めざそうとしていることとは

 教職1年目、小学校四年生の担任となった。初任者指導の教務主任に私の授業を見ていただいた。そのときの私の授業は、子どもたちは落ち着きを失い、勉強に集中できるような状態ではなかったことを憶えている。そのあとの教務主任の授業は、授業が進むにつれて子どもの表情が柔らかくなり、集中できるようになってきた。
 子どもたちは楽しそうで、それでいて課題に対して一生懸命考えている。教務主任の温かい雰囲気に引きこまれているように思えた。私は「こんな授業がしたい。この先生を目標にしよう」と心に決めた。授業、温かい人柄ともに師匠と今も思っている。
 私が教師になって一番のテーマにしている「子どもをどれだけ大事にできるか」は、この師匠に教えていただいたことである。
 二学期に大きな壁に当たった。夏休み明けの子どもの変化へのとまどいである。一学期にきちんとできていたことすら、できなくなっていた。
 そのとき、私は叱るばかり。子どもたちとの距離を感じ、自分ではどうしていいか、わからなくなってきた。そこで何度も学年主任に相談したのである。
 そのとき教えていただいたことは、子どもたちとたくさん話をして、今、子どもたちはどういう状態にあるのかを見きわめ、そして、学校での目標をしっかり設定してあげる。その中で、少しずつあせらず指導していくことだった。
 そのときから、教師の思いを一方的に伝えるだけでなく、ありのままの子どもたちの姿を理解し、受け止め、今の子どもたちにどう声をかけてあげればいいのか、何をしてあげればいいのかを考えるようになった。
 こうして、丁寧に子どもたちの表れを理解していくことが教師としての私の成長につながるのではないかと思うようになった。そこで、子どもと一緒に成長する材料として、行事を子どもたちと楽しむことを選んだ。
 行事が成功して、子どもたちの自信にあふれた笑顔を見せてもらい、教師という仕事の喜びを感じることができた。
 教職二年目の学級づくりがスタートした。私は三年生の担任になった。その始業式で私は面食らった。ほかのクラスはピシッと体育座りをしているのに、自分が受け持つクラスは寝そべっている子、ずっと隣としゃべっている子、なかには隣の子とケンカをして泣き出す子もいた。「こりゃ、すごいクラスだな」と思った。
 四月、五月は殴り合いのけんかは起きる、物はなくなる、授業を始めても数人が教室に帰ってきていない、毎日だれか一人は泣く、そうした状態であった。一つ問題が起きるたびに子どもたちの話をよく聞き、そして、ときには大声で叱ることもあった。
 学年主任からは「今年は、よく怒鳴り声が聞こえるね」と、言われた。だが、私は決してやたらと怒鳴っていたわけではない。私自身、去年より怒鳴ることが多いのは気になっていた。だから、子どもの表情や行動を見て、怒鳴るようにしていたのである。
 あまり怒鳴りすぎると、子どもたちは私の顔色ばかりをうかがうようになる。また、怒鳴られることに慣れてしまい、怒鳴っても言うことを聞かなくなる。
 そうなるのが一番怖かったので、怒鳴っても後には決して引きずらない、怒鳴る回数よりもほめることを増やすなど、クラスの雰囲気が悪くならないように努めていた。
 そうして学級経営をしている中で、子どもたちからは「先生は、悪いことしたとき怒鳴ってくれるから好き」という声も出てきた。
 そのことについて考えてみると、クラスでの集団生活の中で、何か悪いことをしたとき、それを毅然とした態度で指導してくれないと、子どもたちは安心して生活できないのだと思う。
 怒鳴ることが必ずしもいいこととは思わないが、怒鳴ることが必要なときもあることを感じている。今では、ほとんど問題は起こらないようになったし、それでいて、元気に授業中に発言したり、外で走り回ったりしている。
 四月、五月の状態を思い返すと「この子たちも、すごく成長したなあ。私もがんばろう」という思いがこみ上げてきて、私もやる気が出てくる。こうしたとき、子どもからエネルギーをもらっていると感じる。
 
「子どもを大事にするということはどういうことか」と問われたら、私の場合、その時々にできる細心の配慮をすることであると思う。  
 どんな小さな問題も真剣に考え、どんな授業も全力で取り組む、問題に対して前向きに取り組む、というのが私の姿勢である。
 この考えに気づいたのが、学生時代の教育実習であった。実習が始まり私は悩んでいた。「おれって、力ないな。頭が悪いな」こんな思いが頭から離れなかった。ある瞬間、パッと考えがひらめいたのである。
 
「自分の力についてあれこれ考えるより、明日の授業をどうすればいいか考えるほうが生産的なんじゃないか」
 
「もともと力があるわけないんだし、今やらなきゃいけないことを一生懸命に考えればいいんじゃないか」
 と、思ったのである。このときのことは今でも鮮明に覚えている。そして教師になった今でも授業や学級経営について悩むことはあっても、自分の力について悩むことはない。 
 
「自分の力について考えるよりも、今、目の前の問題をどうするかを考えたほうが楽だよ」と思っている。
(山崎準二編:1953年生まれ、静岡大学教授などを経て学習院大学教授。専門は教育方法学・教師教育論)

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子どもの作り話と思わず保護者から苦情があったとき、担任はどうすればよいか

 子どもは、自分に都合のいいように話を作ってしまうことがあります。
 特に「先生がそう言っているから・・・・・・」などと、子どもが話を作って、保護者に話をするとどうでしょう。作り話とは思わず、教師に不信感を抱いてしまう保護者もあります。
 子どもに問いただしたり、冷静に考えたりしてくれればいいのですが、担任にいきなり電話をかけてくる保護者もいます。
 電話を受けた担任にすれば、身に覚えのないことで苦情を言われるのですから、まことに困った事態です。
 さりとて「お宅のお子さんの作り話です。困ったお子さんです」とも言えないのではありませんか。
 言ったこともないことで抗議されれば、だれでも憤慨するでしょう。しかし、教師は冷静さを失わないようにしたいものです。
 こうした際は、保護者の言い分を全部聞いてしまいましょう。相手の言い分を全部聞いてから反論することが、トラブル解決方法です。
 電話で対応するより、面談した方が誤解は解けるかと思います。そして、そうしたことは話したことがない旨、きちんと説明して納得してもらいます。話はなごやかに終わらせたいものです。
 なお、顛末は教頭の耳に入れておきます。また、後日でいいから、子どもに事情をたずね、今後のことについて注意を与えておくようにします。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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いじめ問題が起きたとき、保護者にどう伝え、かかわればよいのでしょうか

 いじめであるかもしれないことがわかったとき、保護者にどう伝えればよいかは難しい問題です。
 対応が遅れるほど、取り返しのつかない結果になったり、不登校につながる可能性が高くなります。だから、いじめを学校だけの問題にせず、保護者とも連携をとっていく必要があるのです。
 いじめられている子どもの保護者に伝えるときは、電話ではなく、直接会って話し合うのがよい。このときに大切なのは、いじめの事実を伝えるだけでなく、学校がいじめられている子どもを、どれだけ守り、解決する姿勢でいるのかを強調することです。
 また、保護者に伝えるときには「わが子どもが悪い」と受け取られないようにすることも大切です。保護者が「もっとこうすれば、こんなこと言われないのよ」という言葉は、子どもの心を閉ざし、さらに傷を大きくしてしまいます。
 いじめられると、子どもは深刻な心的外傷後ストレス障害を引き起こします。いじめの残酷な行為は、受けた子どもにとって大きな心の傷になり、後々の発達にも影響を与えます。
 学校にスクール・カウンセラーなどの専門家がいる場合には、その子のトラウマ(外傷体験)をきちんと処理をしてもらうように依頼する必要があるかも知れません。いない場合は、地域の専門機関に依頼して心の傷を癒してもらう必要があるでしょう。
 いじめている子どもの援助も必要です。何らかの悩みや問題、そうせざるを得ない事情を抱かえている場合が多いからです。
 いじめはしてはならないことで、厳しく言う必要があります。しかし、その子の人格を否定してはいけません。そうせざるを得ない気持ちに寄り添い、とことん聴くようにします。
 その結果、家庭での寂しさや、家族の厳しさなど日常生活上の大変さが浮き彫りになるかもしれません。だれにも言えず、いじめのような行為に出ることも多いのです。
 難しいのは、いじめている子どもの保護者に事実を伝えても「うちの子に限って、そのようなことはない」と、わが子をかばう保護者もいます。
 また、事実を受けとめても、わが子に厳しい保護者はますます厳しく接するようになる可能性もあります。
 いじめている子どもの保護者に伝えるときも、子どもの場合と同様です。いじめをせざるを得なかった子どもの気持ちを、子どもの了解を得たうえで伝えます。保護者と一緒にどのような援助をしていくことが、その子どもに必要であるのかを話題の中心にすえるのです。
 その上で、保護者の気持ちも十分に聴きます。保護者自身も、辛く大変な状況であることが多いのです。その状況のままで「わが子がいじめをした」という話を受けとめるのは、困難な場合もあるのです。
 ですから、保護者自身の抱いている気持ちを丁寧に聴くことで、保護者が誰にも言えなかった気持ちを出せるようになります。そうすることで、ようやく、わが子の苦しみに向き合う姿勢が生まれてくるのです。
(
青山洋子:東京都港区立教育センター教育相談員、筑波大学学校教育部技官を経て、駿河台大学講師。専門は臨床心理学・学校心理学)

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「ほめ方、叱り方」で子どもをダメにする教師、伸ばす教師とは

 どうしても叱らなければならない場合があります。そんなとき、どうすれば子どもの心を傷つけずに叱れるかがポイントになります。
 子どもに教師が「あなたは、どうしてできないの」「こんなことばかりして、ダメな子ね」と、言っていると、子どもは自分に対してマイナスのイメージしか持てなくなる。
 人間としての人格を否定される言葉を聞き続けて育つと、健全な自己イメージは育ちません。
 そうではなくて 「あなたは本当は良い子なのに、何がこうさせたの? 先生は良くないと思うよ」というように注意します。
 行為が悪いのであって、その子が悪いのではない。「本当は良い子」と言われた子どもは素直に反省するようになるでしょう。
 子どもを承認することは大切なことです。承認とは、ほめることだけではありません。叱ることも承認することになります。
 この二つのことを自動車の運転に例えれば、ほめることは「アクセル」、叱ることは「ブレーキ」になります。ほめることは、子どもの推進力になります。ちょっとだけほめても、前には進みません。常にほめ続けることが必要です。
 叱ることも必要です。常にアクセルだけでは、自動車は事故を起こしてしまいます。正しい方向に向かわせるブレーキが必要です。
 必要な時にほめ、叱らなければなりません。山本五十六の有名な言葉「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ」とは、育てることの真髄です。
 保護者や教師から「子どもたちはやる気がない」という相談をうけます。そのお話を分析してみると、ほとんどの場合、保護者や教師の対応に問題があります。細かいことにいちいち口うるさく指示を繰り返しているのです。
 
「遅刻しないように早くきなさい」「早く席に着きなさい」「ゴミを落とさないで」などなど、朝から夕方まで言われ続けます。
 子どもとしては、一日中言われ続けたら、もう聞く気になりません。注意されることに慣れてしまうのです。
 だから「叱られても、どうせこれくらいは大丈夫さ」と、教師の対応を見透かされているのです。だから、叱っても効果がなく、叱れば叱るほど効果は薄れていくのです。
 叱られてばかりいる子はやる気をなくすだけでなく「人の話をいい加減に聞く」態度まで身につけてしまいます。
 一日叱ってばかりでなく、何かひとつのことを改めてくれたらいいという気持ちで、ポイントを絞って叱るようにします。八割ほめて、二割叱るぐらいがよいのです。
 ほめることは、叱ることより難しいことです。人の短所は見なくても見えてしまいますが、長所は意識して観察する目が必要なのです。
 子どもを喜ばせることばかりを意識すると、わざとらしいほめ方、口先だけのほめ方になりがちです。これでは、子どもに不快感を与え、逆効果になってしまいます。
 子どもに信頼を得るためには順序があります。まず、子どもの存在を十分に認知し、その上に徐々に、関心、理解、承認、賞賛のほめ方を考えてあげましょう。この順序を間違えてしまうと効果的ではありません。
 子どもをほめることは、教師の能力を高め、新しい発想ができるようになります。優れた教師は日頃から「子どものほめるところは、どこにあるのだろうか」という目で観察します。また、的を射たほめ言葉にするために、子どもの言動を注意深く観察しています。
 すべての子どもは、すばらしいところを持っています。すべての子どもに対して興味・関心があれば、どんなことでもほめることができます。
 
「どうしても気が合わない」という子どもがいたら、子どもの長所だけを見る訓練をしていきます。さらに「○さん、友だちの靴、そろえていたよね。えらい」と、ほかの子どもを使ってほめます。回りまわって、本人の耳に入り、関係の修復に役立つことがあります。
 
「ほめたいのだが、ほめるところが見つからない」という教師は、子どもをほめることに対してハードルが高い。
 とりわけ高いハードルとして、さまざまなことを「できて当たり前」と考えて、評価基準が高すぎることはないでしょうか。特別なときにほめようと思っていませんか。
 
「欠席しない」「元気がよく、活発である」など、本気でほめたいと考えているならば、どんなことでもほめる要素は無尽蔵にあります。
(
神谷和宏:1960年生まれ、愛知県公立中学校教師。 読売教育賞などを受賞。教育コーチング、心理カウンセラー)

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掃除がきちんとできていないとき、子どもたちをどのように指導すればよいか

 掃除を、きちんとやっている子どもがいるが、さぼっている子どももいる。掃除が終わった後を見ると、ゴミがあちこちに落ちていることがある。
 子どもたちに対する掃除の指導はどうすればよいのでしょうか。
1 厳しいタイプの教師-やり直す
 掃除がきちんとできていなかったら、やり直しをさせる。その際の指導のポイントは
(1)
事実を指摘する
 具体的な事実に基づいて、やり直しの理由を明確にします。「ゴミが捨てられない」など、現場で事実を見せながら理由を明らかにします。
(2)
責めない
 できてないことを責めると、子どもは誰かのせいにしたくなります。だから「一人では気づかないことあるから、掃除が早く終わった人は、終わってない人を手伝いましょう」といって、全員で協力して掃除をすることにしておきます。
(3)
掃除後のイメージを持たせる
 
「きれいにする」ことに、教師と子どもにイメージギャップがあると「きれいにしたのに、先生にやり直しをさせられた」と思う子どもが出ないとは限りません。
 ですから、一度、子どもと一緒に掃除をし、こうなっていればよいという状態を明らかにしておきます。
(4)
ほめる
 やり直しをさせた後は、きっちり、ほめたり、感謝の気持ちを示します。「さっきよりぐんときれいになったね。これでみんなが気持ちよく使えるね。ありがとう」と教師が喜びを示すことが最も大事です。
2 優しいタイプの教師-よかったところを注目して反省会をする
 掃除が終わったら、掃除中の「自分のよかったところ」「がんばったこと」をカードに書くようにします。
 掃除をちゃんとやっていないと書けません。だから、子どもは掃除をがんばるようになります。
 書き終わったら、数名のカードを発表します。
「○掃除の△さんは、机を10個も運んだそうです」     
「棚の上を2回も水ぶきをした人がいます。誰でしょう」とクイズ形式にすると盛り上がります。
 悪いところに目がいきがちな掃除の反省会を、よさに注目させることで、楽しいものに変えることがポイントです。
3 じっくりタイプの教師-個別反省会
 全体に働きかけだけでは、不十分な子どももいます。そういう子どもには、個人的に声をかけて反省会をします。
 例えば、掃除時の態度がよくないと□さんに苦情が多く寄せられるようになったとします。□さんに事情を聞きます。「自分の掃除の仕方についてどう思う?」などと聞きます。
 次に「そういう態度を続けていたらどうなるか」を考えさせます。それから「どうしたらいいか」聞きます。
 □さんが考えついた方法を「いい考えだね」と認めるようにします。□さんが、考えつかなかったら、教師と一緒に解決策を考えます。
 次の日からときどき「どう、うまくいっている?」と声をかけて聞きます。うまくできたときは、ほめ喜びます。だめな日が続くようなら、改善策をまた一緒に考えます。見守っているというメッセージを示すことが大切です。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。アドラー心理学アプローチの学級経営を研究。現場の教師を勇気づけたいと願い、研究会の助言や講演を実施して全国行脚している)


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