こだわりの強い子は、どのように支援すればよいのでしようか

 日常生活に支障が出るほどのこだわり行動をする子がいる。
こだわり行動のみに注目し「やっちゃダメだよ」と無理やり封じ込めようとしても、よけいに強いこだわりになったり、他の形で出るようになったりすることがある。
 
「禁止」することよりも、まずは、なぜそんな行動をしなくてはならないのか、その意味や意図を「理解」することから始めたい。こだわり行動の果している役割があるはずだから。
 こだわり行動を理解するには、どのような条件、状況、環境において出るのか、子どもを観察する必要がある。
 こだわりは、その子にとって「信念」「価値」「プライド」「人生を支えているもの」の場合もあるので、大事にしたい。
 こだわる理由や苦しさを理解し
「これをすると、すっきりして気持ちがいいんだね」
「安心するんだよね」
と声をかけて、その子の満足感をわかってあげるだけでも、悪化を防ぐことにつながる。
 効果的な支援をあげると
(1)
こだわり行動ができる時間と場所を保障する
 自閉症の小学六年生の子は「下品な言葉」にこだわりがあり、みんなが嫌がる表情をすればするほど、喜々として言い続けていた。
 そこで、通級での活動メニューの中に「下品な言葉タイム」を設定し
「今から思う存分、下品な言葉を言っていいよ」
と、聴くようにしていると
「何か、言う気持ちがなくなった」
と言うのをやめたのである。
 保障されたことで、執着がなくなったようだ。
(2)
見通しを持たせたり、練習したりする
 急な変更にどう対処してよいかわからず、パニックになる子もいる。
 よく変更があるのは水泳の授業であるが、晴れていても水温が低い場合は、プールに入れないこともある。
 そこで、未然に混乱を避けるために、水温計を示して「この水温より高かったらプール、低かったら体育館」と、ルールを明確にした。  
 伝えたいことは、写真や絵など、視覚的なものを提示するとわかりやすい。
(3)
こだわりを生かしたり、活用したりする
 ゲームやアニメが好きな子は、登場人物の名前を漢字で書く練習をしたり、主人公が登場する問題を作って解いたりした。
 一つのことにこだわれる、ということは、強みにもなり得て、その道の第一人者として活躍できる可能性も秘めている。
(4)
別の行動や物に替える(代替え)
 代替え行動は、本人にとって魅力的である必要がある。そうでなければ、また元の行動に戻ってしまう可能性が高い。
 その子の好きな他の行動に切り替えることも効果的である。
(5)
「○○でなければダメ」を「○○でも大丈夫」という言葉に変える
 こだわりの強い子は「○○でなければダメ」という思考パターンであることが多い。
 それを「○○できたらいいなぁ」「○○でも大丈夫」「まぁ、いいか」という言葉に変えていくだけでも、少し楽になれる。
 頑なに一つの方法にこだわっている子には、変化していくことは成長であるという価値観も教えてあげたい。
「自分でコントロールできるって大人だね」と声をかけていくのも、効果的である。
 大好きな人の言葉、信頼している人の言葉は、すっと入るものである。
 うまくいかなくても「失敗は成功のもとだよね」「失敗体験も役に立ったよね」と声をかけてあげたい。
 そうすることで、安心して新しいことにもチャレンジしていけるようになっていくのである。
 やはり、一番大切なのは「理解者」と、「安心して生活できる環境」なんだろうな、と私は感じている。
 これからも、子どもたちにとっての安心できる人、場所であり続けたい。
(
森 亜矢子:静岡県総合教育センター指導主事)

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大正自由主義教育と綴り方教育とは、どのようなものであったのでしょうか

 大正デモクラシーにより、明治時代の画一的で注入主義の授業に対する批判から、教育方法の改革をさまざまな形で試みられるようになった。
 大正新教育運動は、欧米諸国の人材育成を目的とした教育改革の影響を受けていた。たとえば、子どもの自発性を重視するデューイの児童中心主義などに象徴される新教育運動の影響である。
 日本の教師は、これらを背景にした新教育運動のもとで、子どもの自発性を尊重しようとする自由主義的な教育実践を展開することになった。
 大正新教育運動は、子どもの主体性などの思想を教育実践に組み込もうとしたものであった。
 第一次世界大戦を経て、日本の経済が発展し経済的に安定した中間市民層が創出されて、大正新教育を支えることになった。
 私立学校が相次いで設立された。1917(大正6年)の成城小学校の発足を皮切りに、羽仁もと子の自由学園、明星学園、池袋児童の村小学校などが設立され、教師は様々な実践を展開したのである。
 大正新教育のもうひとつの特徴は、師範学校の附属小学校を中心として、その実践が展開したことである。
 たとえば、明石女子師範附属小学校主事であった及川平治は、経験主義の立場から、児童の生活経験を基盤として自律的な活動である「分団式教授法」で、知識や技能を身につけさせようとした。
 奈良女子高等師範学校附属小学校における木下竹次の「生活即学習」という考えに基づく「合科学習」、千葉師範付属小学校の手塚岸衛の自由教育などの実践が展開された。
 しかし、これらの自由主義的教育運動は、その後、日本が軍国主義へと傾斜していくなかで衰退してゆかざるをえなかった。
 これを象徴する事件が川井訓導事件である。
 松本女子師範附属小学校の訓導であった川井が、修身科の授業改革に取り組み、副読本の文学作品を用いて実践していた時、視学官に国定教科書を使用していないことをとがめられ、休職処分にまで追い込まれたのである。
 彼は、国の教育方針に背くつもりはまったくなく、教育方法の改良を図ろうとしたのにすぎなかったが、教育における国家主義を脅かすものとみなされたのである。
 大正自由主義教育運動は、明治時代に日本に移入されたヘルベルトの5段階教授法に見られる形式主義を批判するものとして、大きな意味をもつものであった。
 しかし、国家主義により教育目的の自由な議論が封じられて、教授方法に限られ、方法主義的にならざるを得なかったのである。
 昭和初期の1920年後半から30年代初頭は、たびかさなる経済恐慌の影響を受けて国民生活は窮迫した状況となった。
 この時期の教育運動として特筆すべきは、生活綴方(せいかつ つづりかた)教育である。
 生活綴方とは、子どもたち自身に、生活上の出来事や、それに関わる思考や感情を作文に素直に綴らせるのである。
 その作品をみんなで検討する作文指導を通じて、生活現実のリアルな認識や文章表現力、自己意識や仲間との連帯感、主体性などを育てることをめざす教育方法である。
 その担い手となったのは、農村部の若い教師たちで、貧困という窮迫した生活を生きる子どもたちを、作文教育を通じて生活指導を進めていったのである。
「綴方生活」や「北方教育」などの雑誌は教師たちの交流の場となった。
 生活綴方の運動は1920年末から30年代に各地で展開されたが、特に東北地方で盛んに行われた。
 しかし、生活綴方の運動は、子どもたちに悲惨な生活の現実を直視させることで反政府的な思想を育てるものとして警戒され、1940年以降、治安維持法により綴方教師は検挙されていった。
 戦後、1951年の無着成恭編「山びこ学校」の刊行などを契機として運動が復興し、その実践は新たな展開をみせながら現在も継続されている。
(
櫻井 歓:1972年生まれ、日本大学准教授。専門は教育学、哲学・倫理学)
(
岩本俊一:法政大学非常勤講師)

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学校の外部からの苦情やクレームにどう対応すればよいか

 教師は生徒とのやりとりでも疲れるが、学校の近隣など、外部からの苦情やクレームがあったときも、その対応に精神的に消耗する。たとえば、
「おたくの生徒が商店街を横に広がって歩いている」
「今、おたくの生徒が、ウチが経営している駐車場にはいってボール遊びをしている。車に傷がついたら校長が弁償してくれるのか」
「おまえの学校の生徒が、自転車でオレの車の前を横切った。急ブレーキをかけたから事故にはならなかったが、おまえの学校はどういう指導をしているんだ」等々 
 学校により差があるが、こういう電話が毎日のようにかかってくる学校も少なくない。
 こういう電話の主は、ほとんどの場合、名前を名乗らない。また、その場で直接、生徒に注意しようとする気持ちもないようである。
 だから学校に電話をかけてくるのである。にもかかわらず、学校に対しては非常に高圧的である。
 こうした電話がかかってきた場合の対応としては、まず
(1)
自分の名前を名乗る
(2)
相手の名前を聞く
(3)
場所や状況について細かく質問する
(4)
「今すぐに、そちらに伺いたい」
と言うのがよいと思う。
 要するに、事件として冷静に対応すればよいのである。
 相手の感情や迫力に押され、事実確認もしないまま、名前もわからない人間に対し電話口で平身低頭するのは下の下である。
 学校に文句が言いたいがため、クレームをつけたいがために電話してくる人がいないとも限らないからである。
 たとえば、数年前こんなことがあった。男性が執拗にクレームの電話をかけてきた。
 内容は、自分の住むアパートの階段に生徒が座り込み、パンなどを食べたうえ、物を散らかすので困るといったことなどである。
 名前も名乗らないし、場所もハッキリとは言わない。ただ、話の内容から大体の場所が推定できたので、私は空き時間を利用し、そのあたりを歩きまわってみた。
 数日後、またクレームの電話がかかってきた。私は住宅地図を手にしながら、こう聞いた。
「最近、三丁目を中心に巡回していますが、あなたがお住まいのアパートというのは、○○アパートではありませんか」
 相手は一瞬、言いよどんで「違います」と言った。
 しかし、私はズバリだと確信した。
 さらに「今、そこに生徒が来ていますか?」と聞くと、今はいないという。
 そこで、私は
「学校も巡回を強化していますが、もし生徒がご迷惑をおかけすることがあったら、あなたのほうからも、一言注意していただけませんか」
「それでも聞かないようでしたら、学校に電話してください。もちろん110番されても結構です」
 この男性からのクレームは、そのあとピタリと止んだ。
(
永野恒雄:元東京都公立高校教師。東京都高等学校教育法研究会事務局長。日本教育法学会理事、ことわざ学会理事。明治大学兼任講師)

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教師の心が健康であるためには、ストレスにどう対処すればよいのでしょうか

 教師が心の健康を害してしまうと、その教師の挫折という個人的な問題ではすみません。ただちに、学校現場に混乱が生じ、子どもの学習に支障をきたします。
 教師の心が健康であるためには、学校現場はどのように対応していくべきなのでしょうか。
 教師一人ひとりがストレスを抱かえこまないように、同僚教師の相互支援が必要です。また、管理職主導で、教師の健康管理に留意することが重要です。
 なかでも、異動したばかりの教師に対して、こうした対応がとりわけ重要です。問題になるのが前任校と赴任校の違いです。子どもの指導の困難さや指導方針の相違に戸惑います。
 それに、職場内での新しい人間関係のありようがストレス要因になることが多い。
 異動したばかりで、管理職や同僚教師との人間関係も成立していないと、相談も十分にできず、孤立感を味わうことになります。
 とくにベテラン教師が異動すると、指導困難な学級の担任を依頼されることが少なくありません。
 教職経験が豊富であるがゆえに、うまくいかない状況になると挫折感は深刻で自信をなくしてしまうこともあります。
 教師自身が心の変調を防ぎ、ストレスをコントロールにはどうすればよいのでしょうか。
 ストレス状況になった場合、多くの人は、逃げようとします。困難から逃げると、かえて事態の悪化を招くことがあります。
 ストレスは達成感や満足感を得るために欠かせないものです。したがって、まずストレスに気づき、向きあってみることです。つまり、ストレスに「直面」することが大切なのです。
 たとえば、苦手な同僚教師がいたとしたら、どういう点が苦手なのか、どうして身構えてしまうのか、自問自答してみます。
 自分のおかれたストレスを自覚し、積極的に直面していくうちに、ストレスに耐える力は強化されていきます。打たれ強くなり、不安や変調を自分で癒す技術が備わってくるわけです。
 ストレスに向き合う試みをじっくり進めていけば、より困難なストレスに立ち向かえるようになります。
「自分は、こういうストレスに弱い。以前はこうやって乗り越えたから、今度もそうしてみよう」といった取り組みが自然にできるようになれば、もう安心です。
 教師一人ひとりが心の健康の重要性を認識し、日常的にストレスコントロールを実践していくことが重要なポイントといえるでしょう。
 それと、人間関係上のトラブルをつくりださないような、風通しのいい職場環境にしなければなりません。それを主導するのは管理職です。養護教諭は支援的な役割を果すことが期待されています。
 こうした体制のなかで、教師一人ひとりが気軽に相談し合える雰囲気づくりをしていくことが大切です。
 相手を思いやり、共感を大切にする姿勢をみんながもてるかどうかで、職場で教師が心の健康が保てるかどうかの成否が左右されるといっても過言ではありません。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師)

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モンスターペアレントの問題はどうすれば解決できると思いますか、その解決法とは

 モンスターペアレントの問題の解決策とはなんでしょうか。2008年に保育士にアンケート調査しました。解決法を自由に書いてもらった結果を次に示します。
(1)
保育園依存型の保護者
○園全体で話し合い、できること、できないことをはっきりとさせ、対応を統一する。
(2)
心に病を持つ保護者
○パーソナリティ障がいの疑いがあると思われる人には、話を聞くだけ聞いて保護者をスッキリさせ、話の内容は気にせず、受け流す。
○心理の専門職の職員に相談したり、直接、間に入ってもらったり、チームで保護者の心のケアをする。
○あきらめるしかないように思う。
(3)
保護者を受容し共感する
○結局、人間関係なので、前向きに取り組んでいく。
○寄り添って心を通わす努力をしてみる。しかし、限界もある。職場の支えがあるかが一番のキーポイントと思われる。わかってくれる仲間がいると心強い。
○今の親は、まず自分を見て欲しい、ほめてほしい、認めてほしいという親が多い。「この先生は、私のことを見てくれている」と感じれば、話を聞いてくれるのではないか。
○日頃から親とのコミュニケーションを密にし、傾聴、共感を心がけ、信頼関係を積みあげていく。 
○なんでも親の要望を受け入れるのではなく、子どもにとってどうなのか、子どもにとって最善の利益を共に考えていく。
○常識で考えられないようなことを言ってくる親の場合は。心の奥にある問題を解決しないと難しいと思います。ただし、相手の気持ちや思いを受けとめることが第一段階では必要なことだと思います。
(4)
保護者をケアする
○親自身の育ちに問題がある場合もあるので、子どもの成長を一緒に喜び、親を支援しながら、子育ての喜びが味わえるようにしていく。
○親のがんばっている姿を認めながら、親の気持ちを受け止め、言うべきこと、大切なことはキッパリと言って伝えていく。
○親もさまざまなストレスを抱かえ、発散しきれずにいる。親の会(飲み会も含む)を提案すると、親同士も急に生き生きと相談しはじめ、親の会も実現し、交流を持てたようだ。親の孤立感が減り、相談できる人間関係ができたのはよかったように思う。 
○親の話を聞き、子どもの成長過程をわかるように伝えていく。
 学校現場も、ぜひ、この保育の「育てる」感性と呼吸を学びたいものです。
(
尾木直樹:1947年生まれ、教育評論家。高校・中学校教師22年間を経て退職し臨床教育研究所「虹」を設立。早稲田大学客員教授、法政大学教授などを経て、法政大学特任教授)

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学級崩壊の危機を、子どもの力と子どもへの信頼を信じて乗り越えた

 荒れている六年生を担任しました。全校朝会に並らびません。校長先生の話に駆け回る子どもがいました。学校のきまりもあちこちで破りました。
 教師が注意すると「うるせぇんだよ」「死ね」「消えろ」と、多くの教師が子どもたちの言動に傷つき苦しみました。
 授業も大変でした。最初は専科の先生から「とにかく見に来てください」というので図工室に行きました。一人は床に寝ころび、二人が床に座り込みおしゃべりしていました。
 男子たちは作品を分解したり壊したりしていたのです。物を作るという楽しい作業にさえ子どもたちは反応しないのです。
 私は、危機をはらむクラスを、叱ることなく、子どもたちが楽しいという授業を続けていましたが、授業妨害や物を粗末にあつかう姿に注意せざるをえませんでした。
 二学期になってから中学受験する四人の子どもたちが、授業に集中できなくなりました。マンガを読み始めたり、消しゴムを削り続けたりしました。
 声をかけると「もう俺をほっといてくれ、これ以上近づくとキレるよ」と、心を閉ざし、近づいてくるものを寄せつけません。ストレスに耐えきれず人格が崩れてしまったかのような姿でした。
 しかし、私は彼らを無視せず声をかけ、常にクラスの仲間に位置づけながら、辛抱強く再生を待ちました。
 攻撃的でルールを無視する子どもたちを前に、私ができることは何だろうかと考えました。指導の基本をどこに置き、何ができるかと。
 私は、子どもたちが自分や仲間や人間への信頼を取り戻すことが何よりも大切だと考えました。
 そして、子ども自身の力を励まし、その力に依拠して実践を進めることが困難を切り開く力になるのではないかと。
 子どもたちは「教師の善意が、自分たちを傷つけ、不快感を与える」と、らえているところがある。そうであるなら、その不信を取り払ってあげたいと思いました。
 恫喝で子どもたちを羊の群れのように支配することが根本的な解決にはならないという思いが私にはありました。
 共感、対話、納得を中心として、子どもたちに対する要求を持ちつつ、ねばり強く、子どもたちと向い合おうと考えました。
 実際の日々は、揺れ、悩み、傷つき、立ち往生するばかりの毎日でした。
 しかし、困難の中ではありましたが、信頼や希望につながる流れを子どもたちの中に育て、励まし続けたので、学級崩壊の最悪の事態は避けることができました。
 子どもたちは、私の前で荒れる姿を見せる一方で、子どもたちの発言がクラスの中でいきいきと位置づく国語や社会などの授業は集中し「授業が楽しい」と言ってくれました。
 絵本や本の読み聞かせもしました。「さんまいのおふだ」の絵本を読んであげると、じっと耳を傾け、静かに話を聞いてくれました。
 ゲームや遊びも取り入れました。笑い声がはじけました。
 子どもたちの、やさしさと人間らしさ、子どもらしい輝きを信頼し続けることに「荒れた子どもたち」と共に生きる基盤をおきました。
 何度も裏切られるような「荒れ」は続きました。それでも私は、根本的なところで、彼らを受け入れ、子どもたちの変革を信じました。
 だれかが寄り添わずには、希望へと歩みだせないのです。しかし、人権を傷つける言動は否定しなければなりません。
 要求して「待つ」という私のやり方をクラスの女の子が支持してくれていました。
 しかし、スクールカウンセラーから
「女の子たちが相談にきました。担任は、男子を大切にするのに、女子の気持ちをわかってくれないと話していました」
という内容の電話がありました。
 私はクラスの女の子の声を聞きました。クラスでサッカーの試合をしたとき、終わった後で、女子の靴に石灰を男子に入れられて嫌だったし、解決されていないと話しました。担任の私にしっかりと受けとめてもらいたかったのです。
 学級会でこのことを話し合うことは、大きな危機をはらんでいました。男子が暴発する可能性がありました。キレて収拾がつかなくなることは明らかでした。
 しかし、私は腹を決めました。「状況を明らかにしよう。この問題を乗り越えない限り学級の前進はない」と。
 子どもたちの声を書いてもらうことから始めました。「学級が少しでもよくなるために、今、思っていること、解決してほしいことを率直に書いてほしい」と子どもたちに言いました。
 すると「これは俺たちをはめるものだ。こんなのやってられないよ」と三人の男子が叫び用紙を捨てました。
 翌日、子どもたちの書いたすべての声をプリントにして配りました。サッカー事件のことが書いてありました。
「なんだよ、こんなのいらねいよ」と、男子が叫び、教室が騒然としました。
 私は、混乱の状況の中にあっても恫喝せず、丁寧に彼らの声に耳を傾け、学級全体の問題として子どもたちに返し続けました。
 子どもたちは次第に落ち着きを取り戻し、問題の解決に向かって少しずつ話し合いを続けていきました。
 男子が靴に石灰を入れたのは、サッカーでの女子の行動を怒ってのことでした。
男子「おまえたちは逃げてばかりじゃないか」
女子「だって、勝手にキーパーにされ、ボールが怖かったの」
A子さんが
「私たちも、ちゃんとやらなかったこと謝ります。でも男子も靴に石灰を入れたことを謝ってほしいです」
と、スクッと立って言いました。その潔い姿にみんなは心をうたれました。
「ゴメンョ! おれ、謝ります」
と、それに応えるようにB男が立ち上がりキッパリと言いました。C男もD男も。
「拍手!」と私は言いました。
 みんな笑いながらパチパチと拍手しました。
 子どもたちの力を信じ、話し合ってよかったな、と深く思いました。
 学級はその後も、さまざまな危機に遭遇し、揺れながら卒業式へと向かっていきました。
 今を生きる教師は、子どもたちの危機や困難と向かい合うことなくして、本当の教育はできないのだと思います。
 今の子どもたちが心に抱く危機への教師の共感がとても大切であること。同時に、それにふさわしい、子ども観、教育観、指導観をもった新らたな教師としての出発が求められているのだと思います。
(
山﨑隆夫:1950年静岡県生まれ。元東京都公立小学校教師。学びをつくる会世話人、教育科学研究会常任委員、都留文科大学非常勤講師)

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学級を荒れないようにするために、子どもに合わせて授業スタイルを変える勇気を持とう

 私は、学級崩壊しているクラスに何度もサポートに入りました。学級崩壊しているクラスでは授業は成り立ちません。おしゃべり、立ち歩き、子どもたちはやりたい放題です。
 そんな中、力のあるベテラン教師が指導する音楽の授業にサポートに入ったことがあります。
 このベテランの教師は、子どもたちを低音と高音に分けて、合唱の指導を始めました。低音の子が練習をしている間、高音の子に5分間、聞くだけの時間を与えてしまったので、おしゃべりを始めました。
 このクラスの子どもたちに5分間、聞くだけの時間を与えてしまったら、それこそ「おしゃべりしなさい」「立ち歩きなさい」と言っているようなものです。
 5分を2分にして時間を短くする、高音の子にも何か課題を与える、などの工夫が必要だった。
 しかし、力のあるベテラン教師にとって、自分の築き上げてきた授業スタイルを変えるのは難しいことのようでした。
 教師には「私語」に対する対応に、次の2つのタイプがあると思います。
(1)
子どもたち全員が、教師の話を聞こうとしないと、気がすまない
(2)
子どもたちがおしゃべりをしても、あまり気にならないタイプ
 (1)のタイプの教師が多いと思いますが、神経を図太くして、少しくらい子どもがおしゃべりをしても気にならない教師に変身する必要があるでしょう。
 ある程度、許容していかないと、いまの子どもたちと付き合えない。子どもたちの変化に教師は対応していかざるを得ないのです。
 目の前の子どもたちの変化に合わせて、自分の授業スタイルを変える勇気が必要だと私は思います。
 自分の指導スタイルを変えるには勇気が必要です。しかし、このままでは授業が成り立たないと強い危機感を持つと、変えざるを得なくなります。
 私は、つまらない授業に、無理やり、授業に子どもたちを乗せてしまう方法を、野中伸行氏、上條晴夫氏から多くのことを学びました。
 たとえば、
(1)
授業の最初、教室を勉強する空気にすることが、教師の一番の仕事ということ。
(2)
子どもたちを授業に乗せる一番のコツは、テンポをあげること。テンポさえ良ければ、子どもたちは乗ってきます。
(3)
授業にクラス全員を参加させる。授業に参加しない傍観者を作っては絶対ダメです。
これらの方法をたくさん学びました。
 自分の指導スタイルを変えることは、本当に勇気のいることだと思います。しんどいことだと思います。
 しかし、これができなくては、いまの子どもたち相手に授業は成り立たないのだと思います。
 お互い、大変な時代に教師になってしまいましたね。
 でも、この職業を選んだ以上、がんばるしかありません。お互い、戦っていきましょう!
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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授業がうまくなると保護者からも信頼される、どうすれば授業がうまくなるのでしょうか

 教師の原点と言えば授業です。
 授業のうまい先生は「熱」もあるし「元気」だし「一生懸命」だし、子どもの「生活態度」にも、うるさいものです。
 そして、何よりこのような教師は「子ども理解」がしっかりしています。そうでないと「うまい授業」は決してできないからです。
 授業がうまくなるということは、教師としてあらゆる条件が成長するということです。
 
「いい授業」ができたとき、子どもの反応もいいし、「いい表情」になり、次への意欲もみなぎります。そして、保護者からも信頼されるようになります。
 授業の名人と言われる先生は、本当に多くの研究授業をされています。
 授業の力を伸ばすためには、人にみてもらう「研究授業」を行うことです。この経験が後々に大きく影響してきます。
 この経験をたくさんすればするほど、授業は必ずうまくなっていきます。
 若いときに、どれだけ研究授業をして、どれだけ批評してもらうかによって「授業のうまい先生」になれるかが決まってくると言っても過言ではありません。
 研究授業をする場合、教科が決まり、単元が決まったら、次にするのが授業の構想を立てることです。ここが研究授業で一番重要な点になります。
 まず、自分のクラスで一番気になっている子どもを思い浮かべます。そして、その子が「ああ、おもしろいなあ」と目を輝かせるようにするためにはどうしたらいいかを考えます。
「あの子はこの質問にどう反応するだろう?」「あの子はこの図を理解できるだろうか?」「あの子とこの子との関係はどうなるだろう?」
そんなふうに考えながら授業を組み立てていくことが大切です。
 ときには「この教材はこうだから、こう進めていくのがいい」と、教材研究ばかりに目がいってしまうことがあります。
 また、いろいろな先生がそれぞれの経験を話してくれますが、それをただ真似するだけでは駄目です。
 そのやり方であの子がどう反応するだろうかと考えてこそ、初めて「私のクラスの授業」となります。
 研究授業をする際、一番やっかいなことは、指導案を書くことです。大変な時間を費やされることになります。
 苦労して指導案を書き、研究授業をしても、指導案どおりにはいきません。
 でも、それは無駄ではありません。授業が失敗した理由がわかるからです。
「ここはこう考えていたが、子どもたちの思考はこっちだった。それなら次はこのやり方でやってみたらどうだ」
と、授業の進め方や子どもの気持ちがだんだんとわかるようになっていきます。
 指導案を書いたことによって、授業のイメージが自分のなかにしっかりできていた結果、そのズレに気づくことができるようになっていきます。
 ふだんの授業では見過ごしてしまう意見や行動も、指導案を書くことによって意識づけられていたからこそ、気づくことができるわけです。
 授業のことも、子どものことも、自分自身のことも、頭ではわかっているつもりでも、いざ書こうとしても書けないものです。
 しかし、苦労をしながら指導案を書くことによって、それらが少しずつ整理されていき、そこからいい授業が生み出されていくものです。
 指導案がうまく書けるようになったら、おのずと授業はうまくなっていくはずです。
 指導案の一番大切な部分は趣旨です。「この子どもたちに、こんな教材を使って、こんな指導をしたい」という教師の思いが、次のように、しっかり書かれていることです。
(1)
児童観
 クラスの子どもをどう理解しているかを書きます。注意を個に向けることによって、全体がみえてきます。気になる子の様子を書くことによって「この授業をどうしたいのか」がわかってきます。 
(2)
教材観
 その教材とクラスの子どもがどうかかわることができるのか、を書きます。
 この教材はこんな点で子どもを生かす。だからこの教材を使っている、というのが教材観です。
 クラスのあの子がこの教材を使うことによって、こんな心の揺れが起こるであろう、ということが書かれていることが大切です。
(3)
指導観
 この子どもたちを、この教材で「どう指導するか」を、具体的な手だてを含めて書いていきます。
「気になるあの子」の心をどういう手だてで揺らすのかをはっきり書くことが大切です。
 授業がうまくなるには、とにかくたくさんの授業をみること。授業の名人と言われる人の授業は、何があっても何度も見に行くとよい。
 授業を見に行ったときに何をみるか。どこで子どもの目が輝き、心が揺れたか。子どもの変化や変容に目を向けてください。
 記録しておくのは、指導のなかで子どもの心が揺れたところ。なぜ揺れたかを後で分析します。逆に揺れなかったところを記録し、分析します。
 子どもの心が揺れる授業をした教師に、そのコツを、しつこいぐらいに教えてもらいましょう。そのコツをひそかに盗むことです。
(仲島正教 1956年生まれ 小学校教師を兵庫県で21年間勤務。指導主事を5年間勤務。48歳で退職。2005年より教育サポーターとして、若手教師対象に「授業づくり」や「学級づくり」等のセミナーを開くかたわら、講演活動は全国各地にわたり年間150回を数える。2016年「西宮市教育功労者表彰」を受ける)

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保護者対応を最初に面倒くさがると、後で大変な思いをするようになる

 保護者対応を最初に面倒くさがると、後々、面倒くさい事態に発展してしまうことが多い。
 後で「ものすごく」大変な思いをするぐらいなら、先に「少しだけ」大変な思いをしておいた方が楽だ。私は、このことを経験上、知っている。
 最初の対応を面倒くさがって、後でもっと面倒くさい目にあう同僚教師をたくさん見てきたからである。
 たとえば、保護者から連絡帳で苦情をもらった時、あなたなら、どうするでしょうか。
 私は、連絡帳には書かず、保護者に電話をします。
 電話をすれば、相手の様子がよくわかる。連絡帳では相手の様子がわからない。
 電話をして、怒りを少しでも感じれば、私はすぐに家庭訪問する。その方が、相手に誠意が伝わるからだ。
 家庭訪問をした途端に「先生、わざわざ来てくださらなくても。ありがとうございます」と、怒りが収まるケースさえある。
 相手が思っているよりも、一段上の丁寧な対応をすることが大切なのだ。そうすれば、保護者の怒りも少しは収まる。
 また、顔と顔を見合わせると、相手はなかなか怒りを表現しにくい。電話では怒鳴る保護者も、面と向かっては怒鳴れない人も多い。
 教室で起こったことの責任は、全て担任にある。そう思って、まずは保護者に頭だけは下げておこう。
 保護者に協力を求めることもあるだろう。それならば、最初にすべきは謝罪である。
 学校で起こったことは、とにかく校長に報告しておく必要がある。校長に報告すれば、学校で起こったことは、校長の責任になる。
 私が一番言いたいのは「予防」の大切さである。
 学級崩壊してしまえば、為す術はない。いじめが起これば解決は非常に困難だ。やんちゃ君が反抗すれば指導が入らない。
 そうならないように「先行投資」して「予防」をしておこう。
 面倒くさいと思う気持ちを我慢して、時間と労力を「先に」使って、家庭訪問をしておこう。
 多少のコストはかかるが、後でもっと大きなコストを支払うようになるより、よっぽといい。
 どれだけ大きなコストをかけても、取り返しがつかないような事態になるより、よっぽどいい。
 保護者が教師を信頼していれば、少々のことは問題にならない。
 しかし、不信感を持っていれば、どんなことでも問題になる。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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教室内で器物の破損を見つけたとき、どうすればよいのでしょうか

 昼まで何でもなかった教室の照明のスイッチが、放課後、ひどくへこんでいるのを見つけた場合、どうすればよいのでしょうか。
 器物の破損は子どもがフラストレーションを発散するために行う場合が多い。
 何らかの葛藤を抱かえた子どもがいると考え、
(1)
子どもの理解を深めるきっかけと、とらえる。
(2)
自分と他人との関わりについて考えさせるチャンスである。
(3)
自分の行動に責任を持つことの大切さ。
を学ばせたい。
 次の日、朝の会で照明のスイッチを壊してしまった人は、名乗り出てほしいと呼びかけた。
 壊した本人は名乗りでなかったが、いろんな情報が集まり、スイッチを壊した子どもがわかった。
 休み時間に、その子に声をかけたところ、最初は自分ではないと否定したが、多数の子どもが見ていることを告げると、しぶしぶ認めた。
 二人で話をする場を設けて「どうして、壊してしまったんだい」と理由をたずねた。すると、友だちにバカにされてカッとなってやってしまったようだ。
「壊して、すっきりしたかい?」と、たずねると「別に」と答えた。
「壊れた箇所を修理してくださるのは、いつもきみたちを陰から支えてくださっている用務員さんだね。がっかりするだろうな」
と、話したところ、うなだれていた。
「用務員さんに謝りたい」と申し出たので「教室をあずかる先生からも、おわびをしたいな」と話し、一緒に謝罪に行く約束をした。
 器物破損の指導で、よくない方法は、誰がやったか執拗に調べ「物にあたるなんて最低だ。考えればどうなるかわかるはずだ」などと、一方的に叱ることです。
 壊れたスイッチを見て、多少、後ろめたさを感じている子どもにとって、追い打ちをかけられている気分になり、反省を引きだせない。名乗り出にくい雰囲気にもなる。
 腹いせに、器物破損をする、後先を考えない行動を改善することが重要なのであって、やった子どもを特定することが指導の最終の目的ではない。
(
荻原 啓:札幌市立中学校校長)

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職員室での同僚教師との豊かな人間関係は、心の支えになり、子どもの指導に生きる

 私がまだ20歳代だったころ「職場は仕事をするところ。同僚とおしゃべりをしたり、お茶を飲んでくつろいだりするのは、無駄なことだ」と考えていました。
 だから、放課後は自分の教室でテストのマル付けや環境整備をして過ごしました。
 職員室に帰っても、学級通信を書いたり事務仕事をしたりするなど、無駄な時間を過ごしたという記憶がほとんどありません。
 若い頃に勤務していた学校は、子どもたちが落ち着いていて保護者も学校に理解があったので、それで通用していたのだと思います。
 ところが、その後、転勤して勤めた学校は、子どもや保護者が様々な問題を抱かえている学校でした。
 子どもの指導は思うようにいかないので、自信を失うことも多々ありました。放課後になれば、保護者からのクレームが続きました。
 ある日、私がクレームで来校した保護者と夜遅くまで話し合いをして職員室に帰ってくると、同じ学年の先生方が残って私を待ってくれていたのです。
 先生方は、心配そうに「あの保護者は昔からこうなんだから・・・・・」「子どもは近所で、こんな様子らしいよ」などと、声をかけてくれました。
 私はその瞬間、張りつめていた気持ちがやわかぎ、心配して待っていてくれた同僚たちのあたたかさが心にしみました。
 それまで職場の同僚の先生との人間関係をないがしろにしていた自分の至らなさに涙が止まりませんでした。
 何か問題があった時、同僚の先生のサポートがどれだけ心強く、頼りになるかを思い知らされた一件でした。
 日頃の同僚の先生とのなにげない会話の中にも、子どもや保護者、地域を知る貴重な情報があることに気づくことができたのです。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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保護者から、子どもがいじめられていると相談を受けたとき、どうすればよいか

 保護者はわが子からいじめにあっていると打ち明けられると、とても動揺します。
 その根底には、わが子のダメージへの心配と不安、そして、教師の指導力に対する不信感があります。
 まず、保護者の心配や不安を軽減し、教師への信頼を回復させることが必要です。
 最初の段階で、きちんと時間をかけて、ていねいに対応しないと、保護者の不安感と不信感は、学校全体への強い非難につながってしまいます。
1 よくない対応
「保護者の切迫感にそった対応ができない」
 慎重になるあまり、状況の把握の必要性ばかりを強調し、保護者の切迫感への対応をおろそかにしがちです。たとえば
「承知しました。しかし、実態をきちんと確認しないことには、たしかなお答えできかねますので、当事者から話を聞いてみて、また報告させていただきます」
2 保護者の気持ちと反応
(1)
教師への不信感が高まる
 教師が十分に対応してくれないのは、教師が保護者の不安を理解していないからか、わが子へのいじめの事実を隠しているからだと感じ、教師に対する不信感が高まります。
(2)
教師や学校の説明や対応を疑い批判する
 教師の説明を疑うようになり、わが子はいじめの被害者に違いないと確信します。
 いじめの解決を教師や学校に任せておけないと感じ、どんな対応策にも批判的になります。
3 望ましい対応 
(1)
まずは、保護者の話を十分に聞いて、不安をやわらげる
 保護者の話を途中でさえぎらずに、最後までよく聞きます。
(2)
保護者の訴えを整理し、対応策を確認する
 保護者が動揺していて、話にまとまりがない場合があります。
 教師は話を聞きながら、事実と憶測を識別してメモし、保護者の訴えたいことを整理して確認します。
(3)
実態を調査し、確実に対応することを伝える
 確実に対応するためにも、まずは実態をしっかり調査します。
 その後、この問題にどのように取り組んでいくか、学校と保護者が一緒に考え、連携していく。
 今後の対応を共有した後は、具体的に連絡し合う時間や方法を確認します。
4 配慮すべきポイント
 いじめの問題の取り扱いには慎重さを要します。まずは保護者の不安や不信感を軽減させなければなりません。
 教師や学校が子どもを心配し、真剣に取り組もうとしていると保護者が感じられれば、保護者も冷静に話し合うことができ、問題解決の第一歩を踏み出すことができます。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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一筋縄ではいかない生徒とつきあうには、どうすればよいか

 中学生も大物になると教師を教師とも思わない生徒がすくなくない。
 しかし、これが自分のクラスの生徒となると、文句ばかり言っていられない。何よりも担任は彼らの味方という立場にならざるを得ない。
 さて、私は彼らとの付き合いの段階を三つの段階に分けてみている。
(1)
彼らが担任の私と全く会話が成立しない状態
 問題がある生徒は、はなから教師を疑っている。ほとんど信用していない。教師の話を聞かなければならないという前提がない。
 この状態では担任はお手上げである。まず会話が通じるようにするしかない。
 まずやることは、必ず声をかけるということだ。廊下をすれちがうときに、黙って通り過ぎてはいけない。必ず何らかのアクションをかける。
 少しぱかりでも耳を傾けてくれるというのであれば、これは脈がある。
 一ヶ月もアプローチしていると少しずつ関係ができてくるから不思議だ。問題がある生徒も生身の人間なのだと思う。
(2)
本人と担任の関係ができてくれば、時にはこちらのペースで話を進めることができる
 学校は、事務的なことなど、本人の確認や了解を取らねばならないことが少なくない。そのため一対一で話す必要があるのだ。
 彼らの本音を引き出す場合、学校では難しいことが多い。ドロップアウトしたい生徒は学校に対して身構えているのだ。
 私は、頃合いを見つけて放課後、学校の外で話をする。喫茶店やファミレスなどでジュースなどをご馳走する。
 そうすると、威圧的な態度をとっていた生徒が軟化し、対等のようになって本音を引き出せることが多い。
 私も本音をいう。誠意を示さなければならない。そこが一番重要だ。
 他の客がいる手前、彼らは暴れたり大声を出したりはまずしない。そういう場の設定も重要である。
 これは一対一という条件で一度だけ行う。
(3)
学校の秩序の中で行動できる状態
 指導するチャンスだ。時には強気に出ることも可能だ。
 くり返すが、重要なことは彼らとの関係作りである。一筋縄ではいかない生徒の多くは人間不信である。 
 親との不和や、教師や仲間との関係不全が原因となっている。彼らと付き合うときに殺し文句のようなものは役立たないと思う。一つの言葉や方法で解決するということはないのだ。
 むしろ大切なことは、時間はかかるが、彼らとの関係作りである。少しでも話を聞いてやろうと彼らが軟化したりするようにもっていくことが大切なのだと思う。
(
徳永忠雄:1952年生まれ、元千葉県公立中学校教師)

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相手の心を動かす叱り方とは

 「私、打たれ弱いんです」と言う人も多い。優しくしてもらいたいのは、みんな同じ。
 ただ「人間も鉄のように打たれることで強くなることがあるんじゃないか」と、私は、わが身をふり返ってみて思います。
 人と衝突して「自分と違う考えの人がいるのだ」ということを知ったり、逆に「お互いの距離が縮まったり」していくものでしょう。
 どうやら、今の若い人たちは「注意される」とか「叱られる」という経験が少ないようですね。
 親は子どもに嫌われたくないから叱らない。だから、子どもは叱られることへの耐性がなくて、ちょっと厳しいことを言われただけで、すぐにへこんでしまう。
 ほめられると、人は図に乗るというか「自分は絶対だ」と思ってしまうような気がします。自分に心地いいことしかやらなくなって、他人への配慮が欠けた人間になるかもしれない。
 叱ることと、ほめることのバランスが問題なのでしょうね。
 叱られ続けると自信を失ってしまうかもしれない。一方、叱られることによって、自分は正しいと思っていたことが「実はそうではないかも」と気づいたりする。
 叱られると「今に見返してやる!」と発奮するエネルギーが生まれるかもしれません。そう、叱られるのも悪くはないんです。
 昔から「叱られなくなったら、おしまい」とも言いますし、とくに若いうちは「私、打たれ弱いんです」なんて言っていないで、どんどん叱られたほうがいいんじゃないでしょうか。
 叱られたことを、のちのちの笑いのネタにするくらいのつもりで。
 叱られ下手が増えると、「叱り下手」も増えるようですね。
「叱り方がわからない」と頭を抱かえている人がいます。
 そうやって「どのタイミングで、どう言えばいいか。ああでもない、こうでもない・・・・・」と、ぐずくず考えていると結局、要点のはっきりしないことを言うことになって、相手には何も伝わりません。
 私の個人的経験から言うと、叱るときは「要点だけをバシッ」と言って「わかればいいのよ」というふうに、いさぎよく。そして叱った後は、ケロリとしているというのが、効くように思います。
 また、叱るときは、ヒステリックに聞こえないよう、声を低めに、お腹の中から落ち着いた声を出すようにするといいかもしれません。
 相手に「この人が怒るのだから、やはり自分が悪いんだ」「この人に叱られたら、怖い」と思わせる。
 いざとなったら、怖い存在になるということを、相手に知らしめなければ、効果はないでしょうね。
 私自身、叱られるのはやっぱり嫌いですし、人様を叱るなんてことも、うまくできません。
 ただ、こうして改めて考えてみると、叱るのも叱られるのも人生修業のうち。
 叱られるうちが花だし、人を叱ることも自分を成長させてくれるのだと思うのです。
 叱るときの心得としては
(1)
相手のことが大事だと思うなら、叱らなければならないときがある。
(2)
迷惑をこうむった人がいるなら、叱る責任がある。
(3)
今叱っておかないと、取り返しのつかないことになるかもしれないと、思おう。
(4)
感情的にならず、相手の言い分にも耳を傾ける余裕を持つ。
(5)
反感を抱かれては叱り損。相手が納得できる言い方を。
(6)
必要のないことは言わない。
(7)
割り切って「叱る役」に徹してみる。
(
阿川佐知子:1953年東京都生まれ、エッセイスト、小説家、タレント)

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保護者の理不尽なクレームで、指導力のない教師とみなされた

 理不尽なクレームの標的となった教師は実に非力です。自校の管理職に信じてもらえなければ、孤立感・無力感はいっそう高まります。
 保護者の中には「他人から批判されることに慣れておらず、自分の子どもが批判されると、あたかも自分が傷つけられたかのように思って逆ギレしてしまう」保護者がいます。
 つぎのような、心の問題を伴った理不尽なクレームの事例があります。
 教員採用試験に合格したJ教師は、初めて担任を持つことになった。
 毎日、教材研究に熱心に取り組み、学習指導も学級経営も無難にこなしていたので、子どもたちからの評判もよく、連絡帳に保護者から感謝の言葉が並びました。
 しかし、五月に起こった事件をきっかけに、すべての歯車が噛み合わなくなり始めました。
 当初から身勝手な言動が気になっていたK男が、休み時間に同じクラスの女の子に突然、暴力を振るったのです。
 J教師はすぐに制止し、K男を叱りつけました。すると、K男は教室を飛び出し、一目散に走って自宅に帰ってしまった。J教師は教頭に報告すると、K男のあとを追い家に到着しました。
 玄関で母親に事件の報告をすると、途中で話をさえぎり
「小学二年の子どもを怒鳴りつけ、恐怖心を与えたうえ、追いかけ回すなんて教師のすることですか!」「担任が替わるまで、学校にいかせません」
と、一方的にドアを閉めた。
 J教師は学校に戻り教頭に報告すると、教頭は苦り切った表情になり、J教師を校長室に招き入れた。校長は「もう一度、教頭と家庭訪問して謝罪しなさい」と告げました。
 二人で家庭訪問し「お話ししたいことがあります」と申し出ると、母親は「話なんてありません。これから、教育委員会と市の人権相談の窓口にいきます」と、ドア越しに答えました。
 教育委員会の指導主事の説得や校長の謝罪もあって、学校を休ませることはありませんでしたが、J教師は「指導力のない教師」ということで、管理職から指導を受けることになりました。
 母親が教育委員会に訴えたのは、J教師の叱責の仕方でしたが、すぐに指導力への苦情に変わっていきました。クレーム内容の入れ替わりはよくあることです。
 母親は、同じクラスの母親を誘い「授業点検」と称して頻繁に授業を参観するようになりました。参観した日の夜には母親の家に電話をかけさせ、指導批判を1時間もくり返しました。
 母親の次の手は、担任変更の要求でした。授業点検で仲良くなった5人の母親とともに、校長に申し入れ、教育委員会に要望書を提出しました。
 J教師の落ち込みは一段と激しくなりました。幸い、教職員の誰もが励ましの声をかけてくれましたが、母親のエスカレートする要求に管理職の態度は厳しく、授業観察と批評は続けられました。
 それでも、何とか7月を迎えることができました。J教師が一生懸命に努力する姿に、多くの保護者が理解を示すようになってきました。子どもたちの評判も上々でした。
 K男の母親と行動をともにしていた母親も徐々に離れていきました。
 それが、K男の母親に第3弾の攻撃を決意させました。今度は子どもの人権侵害問題です。
 基本的な生活習慣のしつけに対して「強圧的で、子どもの心を傷つけている」と、人権擁護委員会に訴えたのです。この件は、その後、K男の母親の「心の問題」が表面化しました。
 J教師は再び元気に教育活動に取り組むようになりました。しかし、一歩間違えば、J教師の教師としての人生を台無しにするところでした。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学客員教授)

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私たちが生きている意味、人生の目的はどこにあり、素晴らしい人生をおくるにはどうすればよいのでしょうか

 私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。
 私は「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると思います。
 欲に迷うのが人間のさがです。私たちは財産や地位を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
 しかし、そういうものは、いくらたくさん溜め込んだとしても、あの世へ持っていくことはできません。この世のことは、いったん清算しなくてはならないのです。
 だから「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は「生まれたときより、少しでもましな人間になる。わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。
 様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息耐絶えるその日まで、うまず、弛まず一生懸命に生きていく。
 その日々を磨き砂として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも、少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。
 私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。
 昨日より、ましな今日、今日より、よき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。そのたゆまぬ営みにこそ、私たちが生きる目的や価値が存在しているのではないでしょうか。
 生きていくということは、苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。
 しかし、そのような苦しき人生だからこそ、その苦は「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。
 人生における苦労とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
 試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人。さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人。
 そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。
 素晴らしい人生を送るためには「心に抱く思いによって人生が決まる」という真理に気づくことが大切です。
 心に善き思いを持ったとき、それは善き力となって出ていく。
 幸福で満ち足りた人生を望むならば、善き思いをベースとして生きなければならない。
 
「そんな思いやりに満ちた心などと言っていて、厳しいこの社会をわたっていけるのか」と、疑問に思われることもあるでしょう。
 そうではありません。善き心こそが、強大なパワーを持っているのです。純粋で気高い思いには、素晴らしいパワーが秘められています。
 
「与えよ、さらば与えられん」と、愛が持つ偉大な力が古今東西で説かれているように、あなたが差し出した愛は、必ずあなたに返ってきて、あなた自身を幸福にしてくれるのです。
 心に抱く「思い」が純粋で善き思いであるように努めて、誰にも負けない努力を重ねれば、人生は必ず豊かで実りの多い、素晴らしいものとなることが約束されているのです。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長)

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教師の職員室での人間関係は、どういった様子なのでしょうか

 教師は、お互いを「○○先生」と呼び合う関係上、一般企業ほど、露骨に関係がこじれたりしないのが普通ですが、それでもやはり職員室という小さな部屋の中での人間関係はさまざまです。
 職員室の人間関係もそれなりに複雑ですから、先生たちは同僚に対する不満をだれにでもぶちまけてしまうわけにはいきません。
 でも、本当はいろいろと言いたいことは山積みのようです。温厚に見える先生ほど溜まっているストレスは多いようです。
 子どもたちとの関係がよければいいのですが、子どもたちともうまくいかなかったら、悲劇。逃げ場がなくなり、へたをするとノイローゼになってしまうでしょう。
 中学校から小学校に異動して、保護者があまりにもうるさいことに閉口する教師がいるように、教師の最大の敵はストレスと言って過言ではない。
 教師と管理職との関係も、私立と公立では違ってくる。私立において、管理職は絶対。へたをすればクビを切られてしまうのですから、滅多なことはできません。
 一方で、学校に利益をもたらす能力があれば、学校側も少々のことには目をつぶるという能力重視の一面もあります。
 それに対して、公立の教師はあくまで公務員なので、管理職から嫌われてもクビの心配はありません。
 ですが、出世は別。出世するためには、校長の覚えがよくなければダメ。小学校では1校の教員数は少なく、比較的若くして管理職になるのも可能なので、出世競争も露骨に行われます。
 また、女性の教師が管理職になりやすいという面もあるので、女性の教師も率先して仕事を引き受けます。
 中学校でも、出世する、しないはシビアな問題。管理職になれば、かなり仕事も軽減され、威張れるということもあって、少しでも早く管理職になりたいと思うものだからです。
 ただし、女性の管理職は少なくなるため、女性の教師で出世競争に参加する人は少なくなります。
 最後に高校ですが、学校数が少ないため、管理職になれる人数に限りがあります。管理職になれなくても当たり前、みたいな開き直りがあります。
 教師の宴会はベテランになると、酒が入らないうちに、偉い先生のところには、一気に注ぎに行ってしまうのも常套手段。
 教師というのは、本質的に細かくいろいろなことを覚えているものなので、自分のところに誰が来たのかを、よく覚えているもの。
 そういうことを見越して、先手を打って行動にでるのです。
(
上田 浩:公立高校教師10年を経て、教育ライター)

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騒がしさを教室から追い出すのは至難の技です、どうすればよいか、その対応策とは

 教室が騒がしいと教師が「ダメなものはダメ」と叱るだけでは収まらない。もう少し別の対応策が必要になってきた。
 その一つが「毅然とした態度」です。それは規範を明示して叱る指導法です。この「叱る指導法」は効果があります。
 それは「最低限のルールについて、その善し悪しを明示し、断固として叱る」方法です。
 この方法は少しずつ広がり始めました。
 しかし、この方法には条件がつきます。教師の言葉に説得力があるという限定条件です。
 たとえば、ザワザワしている子どもたちに「静かにしなさい」と何度もくり返しますが「なぜ静かにする必要があるか」を子どもたちが納得できるように説明できる教師は案外少ないのです。
 そういう言葉の力の弱い教師が、いくら「毅然とした態度」で子どもたちを叱っても、逆効果になることが多いのです。
 二つ目は、子どものおしゃべりと対決せず、教室の空気を変えることで解決しようとします。
 たとえば、子どもたちが楽しくなるような「つかみネタ」をぶつけてみる、というようなことです。
 空気を変える方法は、ある種の発想の転換です。
 三つ目は、おしゃべりを利用して授業をしてしまう方法です。
 従来の授業は「おとなしく座って、黙って話を聞く」ことを前提にしていました。騒がしい教室ではこのルールが守れません。それで授業がやりにくくなっているのです。
 これを前提としない新しい授業もあります。
 たとえば「アクティブ・ラーニング」として話題になっている問題解決学習と呼ばれる、学習者の活動を中心とした授業です。
 この授業では、子どもたちの学習の流れを途切れさせないように、授業の冒頭で活動内容をあらかた伝えてしまいます。従来の授業のように教師の指導の言葉で、随時学習をコントロールすることが少ない。
 たとえば、学習遊びを中心にした授業、表現活動を中心とした授業、グループ討論を中心とした授業など、活動中心の授業がそうです。
 騒がしさを教室から追い出すのは至難の技です。少なくとも叱るだけでは、むずかしいのです。
 騒がしさとつき合っていくには、ザワザワしている教室の空気を変えたり、ザワザワしていても、授業ができる授業方法の工夫が必要です。いま、そういうことが必要になってきていると思います。
(上條晴夫:1957年山梨県生まれ、小学校教師(10年)、作家、教育ライターを経て東北福祉大学教授。学習ゲーム研究会代表、お笑い教師同盟代表、実践!作文研究会代表)

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反抗的な子どもの指導に日々悩んだが、クラス全体で指導する方法に切り替えると、よくなっていった

 私も、何度か反抗的な子どもを担任した経験があります。
 反抗的な子どもは、集団のきまりを守らず、友だちに迷惑をかけたり、周りの子どもたちを率いて悪さをしたりと、とにかく問題行動が目立ちました。
 そのつど、反抗的な子どもを指導するのですが、なかなか指導を聞き入れようとはしません。その場をはなれたり「うるさい」「だまれ」と、暴言をはいたりしました。
 指導すればするだけ、反抗的になるので、どのように指導してよいのか悩む日々が続いたものです。
 ところが、こういった子どもをよく観察していると、クラスの友だちが離れていくことに、とても敏感になっていることに気づきました。
 そこで、本人に直接注意するという方法をやめ、クラス全体に指導するという方法に切り替えることにしました。
 例えば、その子が数人の友だちと掃除をさぼっていれば、
「掃除の態度はどうあるべきか」
「なぜ大切なのか」
といったことを、クラス全体で考えさせ、意見を述べさせるといった具合です。
 クラスを正当な方向に導くことで、反抗的な子どもも、それに従わざるを得なくなります。
 また、直接、自分が指導されるわけではないので、素直に受け入れることができるのでしょう。
 徐々に、反抗的な子どもの問題行動は影を潜め、そのうち、私との関係も良好になっていきました。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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授業中、私語や内職が多くて授業が成立しないとき、どのようにすればよいか

 授業を始めても、子どもたちは教科書やノートを出していない。
 授業を進めていても、勝手な私語や、教師の話を無視して内職をしている子どもがいる。
 このように授業を始めても教科書やノートを出さず、私語や内職する子どもが多く、授業が成立しないとき、その責任を子どもだけに負わせるような注意をしても効果はない。
 子どもたちの気持ちの中に「注意をする前に、もっと授業をわかるように進めてほしい」という気持ちがあるからだ。
 授業が成立しない要因は、複数の要素がからみあっている。気長にとりくむ必要がある。
 子どもたちは、授業はへたでも、一生懸命に教えてくれる教師や、楽しい授業には目を輝かせて参加してくる。
 このようなとき、どう対応すればよいのでしょうか。たとえば
例1
「今日は、授業の前にウォーミングアップ学習をするよ。集中力がつく学習だ。いいかい」と言って、友だちと話をしている子どもに声をかけた。
 子どもは何が始まるのだろう、と興味を示した。
「今日、学習する範囲を先生が読んでいきます。先生はおっちょこちょいだから、ところどころ、読み間違えてしまいます」
「読み間違えたら『ブッブッー』と警告音を発してほしいんだ。いいかい」
と、簡単に説明して、学習する範囲を読み始める。
 わざと「彼」を「○○くん」にしたりして読んでいくと、子どもたちはその都度「ブッブッー」と反応した。
 読み終えて「みんな集中してたね。じゃあ、今日の勉強スタートだ」と授業に入った。
例2
「このごろ授業中のみんなの様子を見ていると、意欲的な感じがしないんだ」
「先生も、みんながわかるような授業をしていきたい」
「先生の授業をどのように変えたらいいのか、みんなのアドバイスがほしい。書いてくれないか」
と、記入用紙を配布した。
 子どもたちが記入した用紙を集めて、次の時間にどんな内容があったか紹介しながら
「『説明ばかりでつまらない』という意見が多かったので、こんなプリントを作ってみたんだ」
と話して、具体的に授業を変えていった。
 授業は教師と子どもが協力して創りあげるものだ。とにかく、子どもとの合意を大切にしたい。
(
井上秀喜:山梨県公立中学校教師)

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若い教師に塾の運営や私学中・高校長の経験から伝えたいこと

 私は20年以上塾の国語の先生と塾の運営に携わってきた後、私学の中・高等学校の学校長を任された。その経験から若い教師に伝えたいことは
 悪いニュースこそ、すぐに報告しなければならない。自分だけで解決しようとして、問題がさらに複雑化することを避けねばならない。
 仕事の上で自分の得手は何かということに早く気づき、それを伸ばすことが、人生で成功する近道だ。自分が興味関心のあるテーマの知識を深めていくことを実践しよう。
 気づいたことや思いついたことを、メモしよう。そして寝る前に必ずメモに目を通して、1日のふり返りを行う。
 大事な箇所にはマーカーを入れて、時々読み返す。理解が深まり、人間としての成功につながる。
 仕事を通じて学び、仕事を通じて魅力ある人になろう。自己成長のネタはすべて、仕事の中に隠れている。
(
江口宗茂:1959年兵庫県生まれ、学習塾を20数年、組織運営を経て、教育コンサルティング業務会社設立、2011年~2016年私学の中・高等学校の学校長歴任の後、教育コンサルティング業務再開)

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けんかで小さなケガをしたとき、保護者にどのように連絡すればよいか

 けんかは、ささいなことで日常的に起こります。教師の目が届きにくい場所では、けんかのはずみにケガをしてしまうこともあります。
 小さな傷であったとしても、わが子がケガをしたとなれば保護者にとっては一大事であり、心配する可能性があります。
 けんかの経緯やケガの状態などを正確に把握し、必ず、その日のうちに、先手を打って報告することが大切です。そのポイントは
1 よくない対応
 教師はほかにもやらなければならない多くの仕事を抱かえている。
 子どもたちは、お互いに納得しているし、ケガもかすり傷みたいだから、わざわざ保護者に連絡する必要はないだろうと判断し、連絡を怠ってしまう。
2 保護者の気持ち
(1)
学校から報告がないと、わが子のことを大切に扱ってくれていないと怒りを感じる
 子どもがけんかをしてケガをしたにもかかわらず、学校側から何も報告がないと、自分の子どもが軽く扱われていると感じ、担任や学校に対して怒りの感情が高まります。
(2)
わが子の話をうのみにする
 わが子の話をうのみにして、教師の説明が食い違うと、教師に対する不信感が高まる。
(3)
わが子の言い分を十分に聞き入れてくれていないと感じる
 教師の対応をわが子から聞いて、言い分を十分に聞き入れてくれていないと感じると、いら立ちがわいてきます。
(4)
けんかをした相手の保護者に対して、いら立ちを感じてしまう
 子どもがケガをしたのに、相手の保護者から何も連絡がないと、いったい何を考えているのか、相手の保護者に対していら立ちが沸いてきます。
3 担任が保護者にけんかの状態を説明する
(1)
子どもたちからけんかの状況を聞く
 対応に時間がない場合、同僚教師に協力を要請することが大切です。
 周囲にいた子どももふくめ、子どもたちから十分に話を聞き
・いつ、どこで、どんな状況でけんかが起こり、ケガをするにいたったのか
・教師はどんな対応をしたのか
・現在の子どもたちは、どんなようすでいるか
などの事実を調べ、けんかした双方に、調べた結果が納得できるか確認をする。
(2)
保護者にけんかの一部始終をできるかぎりくわしく説明して伝えます。
 教師は推測をふくめないで、確認した事実を正確に伝える。
 ケガの対応に追われて、双方から話を十分に聞かずに報告してしまうと、教師の説明と子どもの話に食い違いが生じ、保護者は教師に不信感を抱いてしまいます。
 
子どもが親にすでに話をしている場合には、どんな話を聞いたのか、尋ねてもよいでしょう。その内容に適宜、修正を加えながら状況を説明します。
4 管理不行き届きを保護者に率直に謝罪する
 
「私の目が行き届かず、○○くんのケガを未然に防ぐことができず、申し訳ありません」と率直に謝罪する。
5 今後の対策と子どもたちへの対応について保護者と確認する
 学級の子どもたちに、翌日の朝の会で、けんかやケガを防ぐ指導をする。けんかをした子どもたちのようすを注意深く見守り、個別の対応を行う。
 学校での配慮の仕方、家庭での接し方などについて、保護者の考えを聞きながら、一緒に考えます。   
(
藤原寿幸:東京都公立小学校主任教諭)

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保護者から苦情があれば、その時点で教師の負けである。苦情をもらわないようにするには、どうすればよいのでしょうか

 保護者から苦情の電話や連絡帳をもらった時点で教師の負けなのだ。
 本来なら、教師がその問題に先に気づき、先に対応すべきことである。苦情をもらう前に、教師の方から先に連絡するのがベストだからだ。
 保護者からの苦情で、教師がその問題にやっと気づき、対応するのでは遅すぎる。
 苦情は「こんなことも気づいてないの?」という意味合いも含まれていると理解した方がいい。
 そうならないためには「これ、電話がかかってくるかも」「これ、連絡帳で苦情が来るかも」と察知できたら、教師から先に連絡した方がいい。
 そうすれば「この先生は、よく見てくださっているな」と、信頼も上がるだろう。
 もちろん、気づいたこと全てを連絡する必要はない。
 保護者によっては、問題に気づいていない人も多い。その場合、わざわざ問題を顕在化させるのがベストだとは限らない。
 また、保護者のキャラクターにもよる。丁寧な電話連絡を喜ぶ保護者もいれば、面倒くさいがる人もいる。
 問題の大きさや保護者のキャラクター、その他いろいろなことを考えて、教師が連絡すべきかどうか判断するしかない。
 
「どうすれば、大きな問題にならないか」を最優先に、決断するしかないのである。
 もし、保護者から苦情の連絡があれば、教師は
 
「教師が先に連絡すべきことなのに、保護者が思い悩んだ末に、勇気を出して、わざわざ先に連絡をしてきてくださった」
「自分の連絡が遅かったことが原因だ」
と考えるべきである。
 しかも、教師の答えが
「様子を見てみましょう」
「管理職に相談してみます」
「学年で相談してみます」
では、保護者は納得がいかない。
 もちろん、そういう回答しかできない場合もあるだろう。その場合には、
「様子を見て、○日後に連絡します」
「相談して、明日の○時までには連絡します」
と、はっきりと期限を示して、約束することが必要だ。そして、約束の期限までに回答する。
 教師が先に連絡をせず、申し訳ないという気持ちを持って、できる限り誠実な対応をするしかない。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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自分の思いを、うまく相手に伝えるためには、どうすればよいのでしようか

 松岡修造といえば「情熱的に、言いたいことをすべて口にだして伝えている」というイメージを持たれているかもしれません。
 本当の僕は、人前で話すことが苦手です。いまでも伝えることに悩んでいます。
 しかし、相手に思いを伝え続けていると、その壁がだんだん低くなっていきます。
 僕は特に「これは絶対に伝えたい!」と、いうものがあるときは「一人リハーサル」をくり返し行います。
 まずは、自分の心とじっくり向き合い、伝えたいポイントを紙に書き出します。
 その内容をもとに原稿をつくり、伝える相手をイメージしながら、本番さながらの気持ちで何度も読み上げます。
 その姿をスマートフォンやビデオで録画してみると、ふだんは気づかない話し方のクセがよくわかります。
 僕の場合、練習を繰り返すうちに「語尾がはっきりしない、声が小さくなる、意味もなく同じ言葉を繰り返し使う」という悪いクセが見つかりました。
 この一人リハーサルで大切なのは「自分ツッコミ」です。
 文章を読み上げながら「何が言いたいの?」「悪いクセが出ているぞ!」などと、ツッコミを入れるわけです。
 また、間の空け方や言葉つかいのおかしい部分、話が回りくどいと感じる部分には。赤ペンで原稿にダメ出しを入れ、修正していきます。
 これでOKと思う原稿ができれば、紙を見ないですらすらと話せるようになるまで、さらに練習します。
 このようなステップを踏んでいくと、伝える内容がシンプルになっていきます。
 練習を通じて基礎を固めていくと、しだいに「自分らしい言葉」が見つかるようになります。
 言葉は、練習すればするほど、良い流れや表現が見つかるようになります。
 
「どうすれば、相手に伝わるのか」と、工夫を重ねるうちに、借りてきた言葉でなく、自分らしい言葉が選べるようになる。
 伝え方について悩むことは、あなたが相手のことを真剣に考えている証拠です。
 相手を思う気持ちが強いから、本気で考える。伝えたいメッセージがあるから、一生懸命に工夫するのだと思います。
 そうした真剣な気持ちは、あなたの情熱として、必ず相手にも伝わるはずです。
 伝える行為は手段であり、常に目的があります。
 思いを伝えることで、相手にどうなってほしいのか。伝え方で悩んだときは、自分の心が発している声に耳を傾けてみてください。
 そして、その声を自分なりの言葉に変えて、まつすぐ誠実に、相手に伝えることが大切です。
 最後に、常に相手を思いやる心だけは、忘れないでほしいと思います。
(
松岡修造:1967年東京都生まれ、プロテニスプレイヤー、スポーツキャスター。子どもたちの育成に力を尽くしている)

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苦情・クレーム処理のプロである私が、苦情・クレームの対応でとる基本姿勢とは

 私の苦情の対応でとる基本姿勢とは「相手を持ちあげる」ことです。
 相手を持ちあげるのは、気持ちよく話してもらうためです。もし、こちらが尊大な態度をとったら、相手は敵対心を持つでしょう。
 しかし、こちらが相手を持ちあげる姿勢をとっていても、感情的な態度で接してくる相手もいます。
 ひどい時には、怒号を浴びせたり「役立たず!」などと人格否定をする言葉を投げてきたりします。
 これに感情で応えてはいけません。常に冷静に相手の発言を受けとめ、話をさえぎらないようにします。
 なぜ話をさえぎらないかというと、話の中に相手の本音が見えてくるからです。
 とにかく、相手が納得するまで、しゃべらせます。そうすると、会話の中に何度も繰り返す言葉が出てきます。
 そこに本音が隠されているはずです。怒りの背景に何があるのかを理解するきっかけになります。
 これは、相手を持ちあげる姿勢を貫いていればこそです。
 ただし、大切なのは、持ちあげても、へりくだらないことです。すべて相手の言いなりになる必要はないのです。
 時には、毅然とした態度をとるべきです。
 なぜなら「できないことは、できない」と、はっきりと言うことは、相手に信頼感を与えることにもなるからです。
 低姿勢を維持しながら、譲れない部分ははっきりと、言葉づかいは、やんわりと伝えるのです。
 学校での保護者対応においても「相手を持ちあげながら、へりくだらない」という姿勢は基本だと思います。
 とにかく、教師は悩みを個人で秘めないこと。常に管理職に報告してしまうことで、精神的な疲れを半分にしておくことが肝心です。
 報告の際は、苦情の内容、対応をメモしておいた手帳を見ながら行いましょう。
 メモの書き方がよくないことが多い。たとえば、実際は「バカヤロー」と叫んだのに、メモには「大声をあげた」としてしまうことがあります。
 そうすることの何がいけないかと言うと、その場にいなかった人には、相手の怒りの度合いが伝わりにくくなるのです。
 その時の状況がわかるように、言われた言葉などは、できるだけそのままの表現で残します。
(
関根眞一:1950年埼玉県生まれ、苦情・クレーム対応アドバイザー。百貨店に34年間在職し、お客様相談室長を経て、メデュケーション()代表取締役。新新学校保護者関係研究会委員) 

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授業で優れた発問をするにはどのようにすればよいか、発問づくりの原則、王道とは

 発問は子どもたちの思考をうながす。教師の第一発問は重要である。
 私は最初の発問は「助走」のようなものだと思っている。子どもたち全員を、まずはゆっくりでいいから走らせて、次の段階に進ませるとよいと考えている。
 たとえば、社会科の絵や写真を示し「何が見えますか」と問う。これならば、子どもたちも見えるものを答えるだけだから、簡単である。
 
「大きな屋敷が見える」「武士がたくさんいる」「馬も多い」というようにどんどん言える。
 このような助走のための発問は、どの教科の授業でも用意しておくべきだ。どんどん子どもたちが発言した分、子どもたちに必要な情報が加わっていく。
 私は初任だった時代、教育雑誌に授業に直結した発問を多く特集していた。明日の授業にも困っていた私は、特集をむさぼり読んだ。
 その中で「なるほど、こうやって発問はつくるものなのか」というものに出会った。有田和正氏の「バスの運転手」(小学校二年生、社会科)にかかわる発問です。                        
 一般的には「バスの運転手さんはどんな仕事をしていますか」となるであろう。既有の知識を問う発問である。当然、運転手の仕事について知っている子しか反応できない。
 有田氏の発問は違っていた。「バスの運転手さんは、どこを見て運転していますか」というものである。
 
「見えるもの」という知覚語を使うことによって、子どもたちの豊かな反応が引き出される発問であった。
 私は、三年生の自分の学級で試してみた。
 最初は「前を見て運転している」という答えに続いて
「標識も見ている」「信号も見ている」「歩行者」「天気」「横の車」「バックミラー」「サイドミラーも見る」
と、いうように次々と反応があったのに驚いた。
 子どもたちの思考を活性化させる優れた発問のすばらしさを実感した。
 優れた発問のすばらしさを知ってからは、どのような優れた発問があるのか追究したくなる。
 教育雑誌や書籍、授業参観などを通して情報を収集していった。とくに自分の得意教科である社会科については熱心に行った。
 収集した発問の数も多くなると、それら発問の原則らしきものが見えてくる。たとえば、
1 わかりそうで正確にはわからないものを「いくつ」と理由をつけて予想させる
 例「学校にある水道の蛇口はいくつか」
2 その教材ならではの問い
例「消防署の人々は火事のときに、最初に何をするでしょうか」
 消防署に取材をしたとき、消化活動と同時に人命救助することを知った。教材研究のし過ぎはない。
2 社会科
(1)
人を問う
例「コメの値段は誰が決めるのか」
(2)
提案させる
例「交通安全のための施設を一つ増やします。あなただったら、どこに何を増やしますか」             
(3)
選ばせる
例「家庭から出すごみは有料がいいか、無料がいいか」
(4)
一見、矛盾に思われることを問う
例「交通事故を減らす工夫をしているのに、なぜ事故は減らないか」
3 算数
 算数の授業で、何人かの子が解き方を全員の前で発表する。そけぞれ解き方は異なっている。どのような発問が、子どもの思考をうながすか研究した。
(1)
共通性を問う
例「2つの考え方で似ているところはどこか」
(2)
よさを問う
例「Aさんの解き方のいい点は何か」
(3)
簡潔性を問う
例「これらの解き方のうち、簡単にできるのは何か
(4)
有効性を問う
例「いつでもこの考えは成り立つのか」
 発問の原則を見つけるにしろ、その教材独自の発問を見つけるにしろ、大事なのは自分なりの発問づくり研究の道を見つけ、歩くことである。
 今まで先達の教師たちが数多くの発問を残してきた。今はインターネット上でも多くの発問を検索できる。
 それらの先行実践を研究し、自分で発問を選んだり考えたりする。授業の反応から原則を見つけ実践を積み上げていく。それが王道なのである。
(
佐藤正寿:1962年秋田県生まれ。岩手県公立小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに教材開発に力を入れている)

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挫折した不良少年が、なぜ教師となり、ヤンキー先生と呼ばれるようになったのか、その生き方とは

 僕は立派な先生ではありません。少年時代、僕は哀しい不良少年でした。自分の弱さから目をそらし、誰にも心を開かない少年でした。
 僕が生まれてすぐに両親が離婚。すぐに父親が再婚するも、物心ついた時から孤独を感じ「反抗」という形でしか自らを表現することができなくなっていきました。
 中学生になると髪を染め、酒にタバコ、更にバイクを乗り回し喧嘩を売る毎日。強く見せたかった。高校進学後も孤独を紛らわせるために、暴れに暴れ、気づけば一年生で番長に。手のつけられない悪ガキでした。
 そして16歳の時、事件を起こし当然のように、高校から追放され、生まれ育った家からも追われ、里子にだされました。
 全てを一瞬に失った僕は、何もできない、何も知らない「子ども」だったんだということを心の底から思い知らされました。
 僕の何が間違っていたのか、これからどうやって生きていけばいいのか、里親さんに与えてもらった部屋に1年間、膝を抱かえながら、引きこもり、孤独の中で考え続けました。
 今までの生活から抜け出したい一心で、やり直そう、もう一度学校に行こう。本当の友だちを作ろう、大嫌いだった先生と、改めて心を開いて向き合おうと決心しました。
 
「やり直しを賭けようとする者の過去は問わない」という記事が新聞に掲載されているのを見て、高校中退生や不登校を受け入れる、北海道の北星学園余市高校の門を叩きました。
 先生たちは一生懸命だった。下宿の人も、あたたかく、地域の人たちもみな優しかった。
 僕が問題を起こしたとき、担任の安達先生は、満面の笑みで、あなたは「宝物だから」と指導された。初めて心から温もりを感じたのです。僕は変わり、先生や友と向き合うようになった。
 高校を卒業し、大学に進学して弁護士になろうとひたすら法律を勉強しました。しかし、司法試験を直前に控えて、バイク事故を起こしてしまった。内臓を激しく損傷し、意識不明の重体なった。
 事故の一報を聞いた安達先生は病院に駆けつけ、意識が朦朧としている僕に、涙しながら「死んではダメ、あなたは私の夢だから」と、何度も何度も伝えてくれた。
 あの瞬間、苦しんできた全てが肯定された気がした。この事実だけあれば俺は生きていけるって。何としてでもこの温もりに執着したいって思いました。
 救われた命だから、世の中に傷つき涙している子どもたちがたくさんいる。これからはその子どもたちに寄り添いながら生きていこうと。安達先生の歩いてきた教育の道を歩いていこう、教師になろうと思った。
 大学を卒業して北海道の大手進学塾に就職。塾の講師として、教育の場に飛び込みました。そして教師として母校に帰りました。
 多くの編入生を受け入れていた余市高校は心に大きな傷を負った生徒が多く、赴任早々から問題は山済みでした。かつての自分がそうだったように一筋縄ではいかない相手に対し、とにかく全力で向き合ったのです。
 昔の僕のような生徒たちに、大切なことを教えてあげるために、そして、なによりも、あの日、心に宿した「ありがとう」を思いだけでなく、行動で伝えたかったからです。
 いわゆる普通ではない教師としての歩みがテレビ局の方の目にとまり、2003年「ヤンキー母校に帰る」というドキュメント番組が全国放送され、連続ドラマ化や映画化されました。
 ヤンキー先生と呼ばれるようになり日本中から注目されました。たくさんの著書も出版し、講演もしました。横浜市の教育委員や、国の教育再生会議の室長も務め、国会議員にもなりました。
 でも、私はあの頃と何も変わっていません。変わってしまったなら、その瞬間、昔のようにさみしい人間に戻ってしまうことを誰よりも知っているからです。
 挫折を知らない大人が唱える「きれいごと」ではなく、本当に暗く、悲しい少年時代を乗り越えてきたからこそ伝えられる、祈りにも似た、子どもたちへの思い、
「『あなたは、僕の夢です』共に歩いていこう」
 この時代のど真ん中で、泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、後悔したりしながら、私はただ、あの日みた夢の続きを、子どもたちと一緒に、追いながら生きていこうと思っているだけです。
(
義家弘介: 1971年長野県生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、塾講師、母校の教師となり活躍し2005年に退職する。横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)

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掃除をサボらせないための私の工夫とは

 教師から見ると、生徒というのは掃除が本当に嫌いなようである。何とか理由をつけ、掃除を免れようとする。
 教室や廊下に限らず、学校というところは、いったん散らかり始めると、ゴミが増えて行く。だから、特に教室や廊下は、常にきれいにしておかなくてはならない。
 そのためには、有効な方法で生徒を掃除に駆り立て、掃除を徹底する必要がある。
 まずは、掃除をサボる生徒が一人も出ないような状態を維持していくことが重要である。掃除の責任は、多くの場合、担任が負わされることになる。
 私の経験をふまえ、担任がなしうる、掃除をサボらせない工夫は、
(1)
掃除の班をつくる
 基本中の基本である。人数は5~6人が適当だろう。私の場合は、教室の座席の列で班をつくることにしている。席替えのたびに班の編成が変わることになる。
 座席の列で班をつくるのは、帰りの会で指示が出しやすく、メンバーの把握も容易だからである。
(2)
掃除当番表をつくる
 これも基本である。
 各班のメンバーを書き出した模造紙、ローテーションを表示する回転式の掲示板との組み合わせが一般的である。
(3)
チェックカード
 これも、かなり普及しているはずである。厚紙に班名とメンバーを記入し、日付・掃除区域・参加不参加のチェック・監督者サインを記入する欄を設ける。
 こんなものをつくるだけで、サボリがある程度防げるから妙なものである。
(4)
担任も一緒に掃除する
 これも、ごく当たり前の光景になってきた。そうしないと、生徒が動かないし、いつまでたっても掃除が終わらないからである。
(5)
掃除をサボったら罰を与える
 私は、掃除をサボった生徒が出た場合、翌日の早い段階で、その生徒を呼び、つぎのような用紙を渡す。(チェック欄以外の空欄は担任が手書きで記入)
「私(    )は、( )月( )日の(    )掃除を理由なくサボリましたので、次にある制裁のうち一つを受けます。(   )年( )月( )日」
「□ ( )月( )日に一人で(    )を掃除します。ゴミも捨てに行きます」
「□ ( )月( )日は、早退したものとして扱われることを承諾します」
「□ 次回の席替えの際、座席位置希望の権利を放棄します」
 つまり、罰を選ばせるわけである。
(
永野恒雄:1949年生まれ、元東京都立高校教師)

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保護者が「いつも、うちの子だけが厳しく叱られる」と非難してきたとき、どう対応すればよいか

 「いつも、うちの子ばかり叱られる」と教師に訴えてくる保護者がいます。
 被害者意識が強く、過去に不当な扱いを受けた経験があり、常に強い不安感を持っている可能性があります。
 教師の話を十分に聞く姿勢になれないだけでなく、自分を侵害してきそうだと、感じた相手を、先手を打って非難し攻撃することで、不安感から自分自身を守っているのです。
 教師は保護者の言動に感情的にならないように注意し、子どもに対応すると同時に、保護者の不安を取り除くように努めます。
1 よくない対応
(1)
教師が弁明し、保護者の不安感を受け止めようとしない。
 保護者の思い違いさえ解決できれば、教師への非難が収まると考える。
 保護者の抗議に弁解したり、指導内容を説明したりしがちです。
 しかし、保護者の不安感が強い状態では、かえって不安感を高めてしまいます。
(2)
保護者の不安が高まる
 保護者は自分の訴えを教師に聞いてもらえないと感じると、これからもわが子によくないことが起き、話も聞いてもらえないという不安・不満の感情が高まっていきます。
(3)
保護者は教師に不信感を抱き、怒りとなり、教師や学校を非難する 
 保護者の不安が、教師や学校に対する不信感や怒りになり、非難する言動につながる。
 学校を飛び越え、教育委員会に直接訴えようとすることもある。
2 望ましい対応
(1)
保護者の話を十分に聞き、不安な気持ちを受け止める
 まずは、保護者の不安な気持ちを十分に聞き、受けとめる姿勢を示すことで、不安を軽減させるように努めます。
 例えば、保護者が
「今日も、うちの子が『先生に怒られた』と言って帰ってきました」
「先生、うちの子だけを特別厳しく叱ってるんじゃないでしょうか?」
と、学校に苦情の電話をしてきたとき、
「○○くんのことで、ご心配をおかけしています」
「お母さんの、お気持ちは大変よくわかります」
と、不安な気持ちを受け止め、話を十分に聞くようにします。
(2)
子どもへの指導内容を説明する
 保護者の不安を受け止めたうえで、教師の対応を説明します。
 釈明にならないように、事実のみを分析的に説明します。
 教師は、保護者の感情に巻き込まれることなく、冷静に話すようにします。
(3)
保護者との連絡手段を確立する
 一時的に保護者の不安が軽減できても、その後の不安が根強く残ることもあります。
 そこで、連絡帳や電話など、保護者との連絡手段を決め、学校での子どものようすを定期的・継続的に知らせて、保護者に安心感をもってもらいます。
 
「担任は味方である」と感じられるような関係を日常的に築いておくことが大切です。
 教師への非難や攻撃は悪意からきているのではなく、保護者自身が抱かえる不安からきているものだと考えます。
 教師が感情的に巻き込まれないように、冷静に対処することが大切です。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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荒れたクラスで起きた、深刻な「いじめ」を解決するのに、とった方法とは

 私は六年生の担任になりました。クラスの子どもたちは傷つきやすいがデリカシーがない。かまってほしいという感情が相手の怒りをかっています。冗談とイヤミの区別なく頭に浮かんだことが次々と言うことがあります。
 この子どもたちに、やさしさや思いやりはあるのか、と思ってしまう。そんなとき、一番心配していた「いじめ」が起こりました。
 Kくんは、体も大きく、勉強もできるほうでしたが、個性が強く、腕力があり、友だちを不快にさせることもある。
 Kくんは、自分の個性を指摘されたり、友だちからつらく当たられると、教室でよく暴れるようになりました。
 彼が暴れると一人では手に負えないので、数名で飛び掛っていくので、一人対多数の対立関係ができました。
 Jくんは、陰で仕掛けておいて、Kくんに暴れさせて楽しむたちの悪さでした。
 三人の男の子は、ちょっかいを出し続けていました。Kくんとケンカになっても、誰もKくんの側につかないと、わかっていたからでした。
 女の子たちは、Kくんが暴れて騒ぎになるのを気晴らし的に眺めていました。騒ぎをつくりだす男子たちは、まずいこととわかっていながら、やめられないようでした。
 Kくんに対する深刻な「いじめ」の構造ができあがっていました。
 五月になると、Kくんは掃除用の洗剤を持って「先生、これ飲んだら死ねるかなぁ」とつぶやきました。もう、予断の許されない所まで追い詰められていました。
 休み時間に、Kくんが暴れて教室中、大騒ぎになって、みんなで押さえているとの知らせを受けました。きっかけは、Kくんのランドセルをわざとロッカーから落としたということでした。
 教室に駆けつけた私は「今こそ、いじめ問題に切り込まなければ」と決心しました。
 女子に教室で自習を指示し、Kくんを放送室に入れ、教頭先生に見てもらいました。
 隣の教室が体育で空いていたので、男子全員をそこに入れて輪になって座りました。
 
「いじめ」をつぶす指導ができるのか、不安でいっぱいでしたが、私の気持ちを全力で男子たちにぶつけることにしました。
 私は
「君たちのやっていることは、深刻な『いじめ』である。Kくんの心の中は、もはや全く余裕のないところまで追い詰められている」
「君たちのKくんに対する行動は、癖のようになっていて、すごいイヤミになっている」
「このままでは、お互い、みんなの心がズタズタになるぞ。自分で自分をコントロールしろ!」
と、必死の思いで語りました。
 幸い何人かが私に同調する発言をしてくれて、しだいに真剣に、深刻に受けとめる雰囲気になりました。
 一人ひとりの表情を見て「ここで切り込める!」と思いました。
 私は「一人ずつがKくんとどんなふうに話し合って解決したいか、自分で考え、整理のついた人から放送室で待機しているKくんのもとへ、たずねに行く」ように指示しました。
 しばらく、沈黙が続きました。最初に謝ると決意したのは「いじめ」のリーダー的存在だったMくんでした。
 私は、Mくんと共に放送室に入りました。Mくんは心からわび、今後の行動の決意を語りました。そして、次々と男子たちがやってきて、自分の気持ちを語りました。
 Kくんの表情は、すっかりなごみ、みんなに
「オレみたいなつらい思いをするヤツを二度とつくらんといてほしい」と言いました。
 Kくんへの「いじめ」はなくなりましたが、自分の心や行動をコントロールできず、友だち同士傷つけあうことは、しばしば起こりました。
 子どもたちは、自分の言葉と行動の何が相手を傷つけているのか、わからないことが多かった。
 そこで、私は「もめごと」の話し合いの指導をつぎのようにしました。
 全員に聞き、もめごとの最初から順に、黒板に色チョークを使い図式にしていきました。図式で一人ひとりの行動を示しました。
 だれの発言が不適切であったか、だれが愉快犯的な行動をとったのか、だれがやじうま的に、けしかける行動に出たのか明らかにして、それぞれに反省を求めていきます。
「こんなこと言われたら、○○くんは腹が立つわな。当然や」
「でも、そうだからと相手をすぐ叩いたらあかんわ。せめて、『何でそんなこと言うねん』ぐらい言わないと」
 何回もこういった指導をする中で、自分の行動を見つめ直すことのできる子どもたちが増えてきたように思いました。
 暴力ざたはずいぶん減りましたが、小さな「もめごと」は、しょっちゅう起こりました。
「自分の心をコントロールせよ!」は、卒業までの私の口癖になってしまいました。
(
藤田武久:1962年生まれ、大阪府公立小学校教師)

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子どもをほめることは、叱るよりも難しい、どうすればよいのでしようか

 教師と子どもの人間関係の最終目標は、子どもと確かな信頼関係をつくり、子どもの個性や希望や目的を引き出し、実現させることです。
 ほめることは、信頼関係を築くためのひとつの手段です。信頼しあえる関係になるまでは、手間も時間もかかるものです。
 そのため、焦らずに、じっくりと腰をすえて「あなたの存在を感じていますよ」と、子どもを認知することから始めます。
 それによって、教師と子どもの人間関係にしっかりとした土台ができれば、ほめる効果は確実に積みあげられます。
 子どもを喜ばせることばかりを意識してほめると、わざとらしいほめ方、口先だけのほめ方になりがちです。
 これでは、ほめることで、子どもに不快感を与え、逆効果になってしまいます。
 子どもをほめることで、信頼を得るには順序があります。
 まず、子どもを十分に認知し、その上に、徐々に、関心、理解、承認、賞賛と順序をおっていきます。
 承認とは、ほめることだけではありません。叱ることも承認になります。自動車の運転にたとえると、ほめることは「アクセル」、叱ることは「ブレーキ」です。
 ほめることは、子どもが成長するための推進力になります。
 自動車で例えれば、ちょっとだけアクセル(ほめる)を踏んでも、自動車は前進し続けることはできません。常にアクセルを踏み続ける(ほめ続ける)ことが必要です。
 叱ることも必要です。アクセル(ほめる)だけでは、自動車を制御できず、道を外れ、事故を起こします。
 ブレーキ(叱る)だけでは、やる気をなくし、まったく前進しません。「ほめる・叱る」の両方が必要なのです。八割ほめて、二割叱るぐらいがよいのです。
 すべての子どもと分け隔てなく友好的に接することが理想です。
 しかし、教師も人間です。「どうしても気が合わない」という子どもがいたら「子どもの長所だけを見る訓練」をするとよい。
 長所は行動に表れますから、その行動をつぶさに観察し、記録しましょう。私は、一日に三つ、子どもの長所を記録しています。
 私は、気が合わない子どもをほめるときは、ほかの子どもに、気が合わない子のことをほめます。そのほめ言葉が、回りまわって、本人の耳に入り、人間関係の修復に役立つことだってあります。
 子どもが話をしているときの教師の「うなずき」や「相づち」は、ほめしぐさとなります。
 私は、首を縦に振ってうなずいたり、できるだけたくさんの「相づち」(ふんふん、なるほど、ほうー、いいね!など)をうつようにしています。
 そうすると、子どもは教師が話しを肯定してくれていると感じ、気分がいいものです。どんな子どもでも、高く評価してくれる人の話には熱心に耳を傾けます。
 ねぎらいの言葉でほめるようにします。
 
「ご苦労さん」は、実に気持ちが良い、すてきな感謝のほめ言葉です。心からのねぎらいをこめると、より思いが伝わります。
 一生懸命にやっているのに、望むような成果が上がらない子どもがいます。成果ばかりに向いている目を過程に向け、取り組み姿勢や過程に価値を見いだすように、ほめるのがポイントです。
 マイナス要因をほめることもできます。努力している中で起きたことなら、例えば「今回の計算ミスは、良い勉強になったね」と言ってあげましょう。
 目立たないことをほめましょう。視点を転換して、強い関心とていねいな観察をすると、目立たないことに気がつきやすくなります。例えば、真面目さや几帳面さなどに注目するとよいでしょう。
 ほめるときは、教師を主語にして、アイメッセージでほめましょう。例えば「掃除をよく頑張っているね。先生もやる気が出てくるなあ」と、ほめると、子どもは素直に受け入れやすくなります。
 子どもをほめることで、教師の能力を高め、新しい発想ができるようになります。
(
神谷和宏:1960年生まれ。愛知県公立中学校教師。コーチングの専門機関で学び,プロコーチとなり,現在は教育現場でコーチングを通して子どもの夢をはぐくむ活動を行っている)

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授業の指導方法を上達させるために、私が学び、試みた方法とは

 私は新任のとき校長から「この分野ならあの先生にと言われるようになりなさい」と言われた。それで得意な分野の社会科に決めた。
 社会科の指導方法を学ぶための学習環境をつぎのように設定した。
 社会科の教育研究会(県・市・組合)に参加する。研究会で授業参観、報告書の提出、研究授業を行った。
 後に研究会の事務局を引き受けたので、ネットワークが広がり、会員や役員と話す機会が増え多様な情報を得ることができ、教材開発にもつながった。
 社会科の専門書と雑誌を毎月2冊購入する。また民間教育団体の授業報告も入手する。
 授業の上達のために優れた授業を見ることは欠かせない。社会科は授業を参観する機会が少ないのでいろんな研究会の案内を必死に探して参観した。
 授業参観するとき、特につぎのような視点にこだわった。
(1)
指導案の形式
(2)
教材とその資料
(3)
興味をもたせるための導入の準備
(4)
子どもたちが変化した発問や指示
(5)
思考を深める授業の組み立て
(6)
子どもたちは何をノートするか
(7)
社会科用語をどれくらい子どもたちは使っているか
(8)
授業づくりに役立った本
 このように、多くの視点をもって参観するとメモも多くなり、自分の授業に生かせる部分も多くなってくる。
 私は教室の前方の教卓のそばから参観した。教卓には教師の資料が置かれているのでどのような準備がされているのか参考にできるし、子どもの表情やノートも見える。
 それと参観するとき、今日は10個を学びとるといった目標を持つとメモの量や質が違ってくる。
 授業参観後の研究会での発言は教師の力量が現れるので勇気がいるが、力量を上げるためにも発言するようにした。
 授業力を高めるためには、授業の記録をとるのがよい。
 教師の発問と子どもたちの発言を記録すると、反応がよかった発問は何か、なぜよかったのかと授業の振り返りができるからだ。
 また、発問の原則、資料の読み取らせ方、話し合いのさせ方といった指導の改善が図られる。
 授業直後に板書をデジカメで撮影すれば授業記録も時間がかからない。授業の流れや資料の掲示がわかる。
 同時に子ども数名分のノートも撮影し、子どもの感想を確認する。
 教材研究はつぎのようにする。
(1)
基本的な教材研究は単元が始まる前に終えておく。
(2)
教科書と学習指導要領と照らし合わせて、指導のポイントをつかむ。
(3)
教科書は何度も読む。
(4)
教科書の掲載資料の意図を考える。
(5)
各社の教科書を比較するとヒントになる。
(6)
関連情報をネット調べて必要な本を購入するか図書館で借りる。
(7)
教育雑誌で先行実践調べる。
(8)
単元構成や主発問を考える。
(9)
社会科の教材のヒントは、日常生活でおもしろいと思ったものを「種」として記録しておくとよい。
(
佐藤正寿:1962年秋田県生まれ。岩手県公立小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに教材開発に力を入れている)

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保護者の理不尽クレームに教師が精神的に追いつめられないためには、どうすればよいか

 すべての問題を学校に持ち込む現代社会。特に社会問題となっている「モンスターペアレント」。精神性疾患で休職した公立学校の教師はこの10年で3倍に上り、半数以上が保護者とのトラブルに起因するという。
 教師を追い詰める、保護者の無理難題クレームに教育界はどう対応すべきなのでしょうか。
 保護者と教師は対立する関係ではなく、ともに手をたずさえ子どもの成長を支援するパートナーであり、両者の信頼関係を構築しなければならない。
 私は10年ほど前(2000年頃から)から東京都の公立中学校の教頭・校長として保護者や近隣住民の苦情対応の窓口を務めていましたが、この問題に関心をもち事例を収集していくうちに、「これは放置できない」と強く思うようになりました。
 医療の世界では、医師や看護師の離職者の増加と、就業者の減少が話題になっていますが、教育の世界でも同様のことが起こっています。
 多くの現役教師が「壊れていく」一方で、教職に魅力を感じなくなった若者の「教師離れ」がいっそう加速されることが予想されています。
 幸い、この問題に多くの人々が関心を寄せ、真摯に取り組もうとしています。
 このわずか半年の間に、多くの方と意見交換をする機会に恵まれ、より広い視野からこの問題を考えられるようになりました。
 また、マスコミ関係の方の取材を受けるなか、クレーム問題の奥に日本の社会が抱える課題を見据えようとする、真剣な取材姿勢に何度となく心を打たれました。
 保護者の訴えがいかに理不尽に感じられても、教師に心にゆとりがあるとよい。
 保護者は「話したいのだろう。ともかく、しっかりと聴いてみよう」という、教師の心のゆとりがあれば「お母さんも、がんばって」という気持ちで話を聴くことができます。
 親の訴えを、教師が心にゆとりを持ち、きちんと受け止め、それを心のなかに蓄えることができる「心の保水力」が必要です。
 ところが、こうした「心の保水力」を持たない教師が増えたと言われています。教師の表現力や人間関係調整力の能力の充実、向上が必要とされています。
 それ以上に期待したいのは管理職としての「心の保水力」の上昇充実です。クレームを受けた教師の前に「壁として立つ」くらいの心意気がなければ、教職員の信頼感は薄れるばかりです。
 クレームを捕える学校体制があれば、一人の教師が追い詰められることを防ぐことができます。組織的対応の要として、管理職の組織マネジメント力が試されています。
 その一つが学校内における生徒指導・教育相談体制の再構築です。
 子どもや保護者からの相談に対して、迅速・適切に対応できる体制が整っていれば、苦情や要求にも迅速に対応できます。
 また、困難な事例に対しては、校内サポートチームを立ち上げ、組織的な取り組みを円滑に実施できます。
 スクールカウンセラーの積極的活用や地域人材の積極的登用も、管理職としての手腕が試されます。
 学校と保護者の「つなぎ役」となる人、両者の関係改善に努めてくださる人はきっといます。
 日ごろから、PTA、学校評議会、地域の健全育成団体などと連携・協働に努め、学校の心の保水力を高めることを期待します。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学教授)

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授業中、間違えた答えに、あざ笑う言動があったとき、どうすればよいのでしょうか

 このような嘲笑は、個人によるものであれ、集団的なものであれ、人間として大切にされていないことや、人間関係がすさんでいることの表れである。
 授業中、教師が質問し、挙手して答えた子どもが間違えたことを、あざ笑う言動があったとき、どうすればよいのでしょうか。
 あざ笑った子どもへのアプローチをまちがえると、いうことを聞かない、反抗的な態度をとる、自閉的になるなど、指導不成立を招くことが多い。
 むろん、子どもへの指導は、その教師とその子どもとの関係によって決まる。
 つまり、子どもが教師を信頼し、指導をすすんで受け入れようとする関係ができているかが前提である。
 このように、子どもへの対応には、一律のセオリーがあるものではないが、経験にもとずく成功例、失敗例をあげると、
例1
 すぐに授業を中止する。
「○○くん、きみは今、△△くんの発言を笑った。みんなも一緒に笑った」
「叱るのではないよ。みんなに、考えてほしいんだ」
と前おきし、
「先生が子どもの頃、答えを間違った子に『そんなものも、できねえのか』と、笑ったことがある」
「そしたら、そのとき、数学の先生は、とても難しい問題を板書して『解いてみろ』と言ったのだ」
「中学生だった、先生は解けなかった」
そしたら、その数学の先生は
「『人を笑う者は、人に笑われる』と諭してくれたんだ」
と説話をして、再び授業を続けた。
 放課後、○○くんを呼んで
「きみ、△△くんに対して、何かいやなことでもあったのかな」
と言うと、
「人をバカにする気はないのだが、つい言ってしまった。次からは気をつけます」
と言った。
例2
 その場で
「間違えた発言を笑ってはいけない」
「学級目標は、みんな安心してものが言えるクラスではなかったのか」
と、重い声で言い、授業を再開した。
 クラスは集団的に嘲笑が起こる状態であった。その日の放課後、学級委員や班長によるリーダー会を開き「間違えた発言を笑う状態をどう思う」と意見を聞いた。
 みんなは「これではいけない」と言った。
「ではリーダー会として『クラスのここを改めよう』と訴えたらどうかな」
と助言した。
例3
 
「今、笑ったのは誰だ」と、いきり立って怒ると、ひやかした子どもは、ますます反発を強める。雰囲気の重さに、良心的な子どもたちは声をあげにくくなり、絶望的な気持ちを強める。
 嘲笑の背景や集団の力関係をさぐり、教師からだけでなく、子どもたち同士の働きかけとあわせて、解決にあたりたい。
(
重水健介:1958年生まれ、長崎県公立中学校教師。日本群読教育の会事務局長)
(
酒泉湧人:岩手県公立中学校教師)

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3学期の学級づくりで課題となることは、なんでしょうか

 学級づくりの最終ステージの3学期は、日にちも少なく、感覚的にも早く日が経ちます。
 3学期は、新しい年の始めでもあります。「今年の抱負」などを書かせ「カルタ」にするなど、工夫を凝らして発表させ、1年のスタートの動機づけにするとよい。
 
「3学期はクラスの仕上げの時期だ」ということを、教師と子どもたちが共有し、3月の終業式(卒業式)時における学級づくりの到達点をイメージしながら、そこにいたる筋道を教師が子どもたちに示すことが必要です。
 まず、子どもたちが、2学期末までを「振り返り」、明らかになった課題一つひとつについて、3月までに学級で「やるべきこと」「やれること」を考えます。
 例えば「男女がまだ仲良くできていない」とするなら、男女仲よく遊べるようなイベントを考えます。「グループ学習がうまくいっていない」なら、グループ学習の強化をめざします。
 こうして、教師と子どもが共に「3月までの間に何をしたらいいのか」ハッキリさせ、確実なスタートをさせることが1月の学級づくりの課題です。
 2月に入れば、いよいよ終わりだという意識が子どもたちにも芽生えます。
 4月からの1年の終わりが近づいた2月のクラスの有り様の中に、この1年が凝縮されるかも知れません。
 4月当初に決めた学級目標に照らして、いまだ達成できていないことはないかを学級で話し合うとよい。
 まだ達成できていない課題が見つかれば、それを達成できるよう、班長会などで具体的な成果が見えるような取り組みを考え、学級に提示します。
 学級としての具体的な課題に加えて、一人ひとりの子どもに「終業式(卒業式)まで○○をがんばる」というような具体的な目標を考えさせ、それを「メッセージ・カレンダー」にして掲示するのもよい。
 その一方で、この時期は「残り少ない」ことから、緩みがちになる時期でもあります。これまでできていたことが、ときには急速に崩れるのもこの時期です。
 子どもたちに、4月当初に比べて「学習」や「生活」に対する意識や姿勢が崩れていないか、自己点検します。
 
「学習」に取り組む姿勢や「生活」の崩れている子どもには、家庭訪問を含めて、個別の話し込みなどで、自分を見つめ、その原因をさぐり、次の学年に向けて今一度、意識や姿勢を立直すよう働きかけることが必要です。
 朝学習、給食(昼食)、掃除、終わりの会、日()直、係り活動など、学級活動が学年当初に比べ崩れていないか点検し、緩みがみられる時は、今一度、立て直して学年を終えられるようにします。
 子どもたちの中には「4月からがんばるから」と「今」を避ける子も少なくありません。教師もまた、残り少ない中で「まあいいか」と思ってしまいがちなので、要注意です。
 4月からいいスタートを切ることができるためにも、最後まで緊張感をもって、学校生活を送れるようにすることが重要です。
(
磯野雅治:1947年京都市生まれ、大阪府公立中学校教師。2008年定年退職。学級づくり交流センターるるる塾を主宰) 

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子どもを大事にし、子どもから学ぼう

(1) 子どもはつまずきの天才 
・子どもはつまずきの天才である。
・3と3は5だとつまずく子は、その子なりの理屈、論理が必ずある。
・「子どもの論理」を知らないでは、私たちの仕事は実を結ばない。
・3と3は6だということを、感動をもって分からせる授業をしようと思ったら、3と3は5だとつまずく子を大切にすることだ。
・授業は「つまずいている子」の目玉が光ってくるようなものでないと、「つまずいていない子」にとってもたいくつなものだ。
(2)
子どものために学校がある
・川は岸のために流れているのではない。川のために岸ができているのである。子どもは学校のために来ているのではない。子どものために学校があるのである。
・子どものために「学校」があり、子どものために「教師」があり、子どものために「教育」がある。
・「いくらまわされても、針は天極をさす」、私の天極は子どもです。
・そういう中で信じることのできるものは、子どもだけだった。
・子どもは日本の未来である。
 
「民主々義」や「近代の精神」に子ども達を奉仕させるのではない。子ども達の幸せのために、すぐれた思想を奉仕させるのだ。
・「この子さえいてくれなければ……」と考えたこともある子どもを「この子がいてくれるおかげで……」と位置づけたときから教育は始まる。
・子どもの中に、ボス退治などと言って退治しなければならないような子どもはいません。
・学校の名前なんかちっともあがらなくてもいいんです。子どもが「あの学校に学んでよかった」と言ってくれるような学校をいっしょうけんめい築いていきましょう。
・国語研究の学校とかの看板をあげる必要はすこしもありません。強いてあげるなら、子どもを大事にしているという看板をあげましょう。
(3)
子どもから学ぼう、子どもの感動に学ぼう。
・子どもの胸の中の「ドキドキ」をキャッチする心を持とう。
・かわいい者たちのいじらしい程の善意を見てやろう。
・「子どもこそは、大人の父ぞ」(ワーズワース )
・幼い子どものことばに耳を傾けよう。そこには、私たちの心の帰着点である心のふるさとがある。 していることで子どもはものを言っている。
・私たちは「ことば」に頼り過ぎていないか。「体でものを言う」「生き方でものを言う」というのが、ほんとうの「ことば」であろう。
・Aちゃんは、ものは言わない。しかし、その動作の一つ一つは美しいことばだ。
・暴力も、あれは子どものことばだ。
・大人の目から見ると、困ったことばかりしている子どもでも、なぜそういうことをせずにおれないかという、そのわけを伝えたがっているのだ。
・「非行少年」というのは、ほんとうにわかってくれる人にめぐりあえないで迷っている「不幸少年」といえる。
(4)
子どもも生かされている
・私は教師になってからも、なかなか子どもという奴はかわいい奴だと思えませんでした。「かわいい」と「憎い」のどちらに近いかというと「憎い」方に近い、そういう私でした。
  
一番適切なことばは何だろうかと考えてみると「ずいぶんやっかいな奴だ」ということになるような気がしたものです。
・子どもが「やっかいだ」というのは、子どもが生きているからである。生きているからこちらの思うようにはなってくれないのであって、それはたいへん結構なことであるとわからせてもらったのはずっと後のことでした。
・生きているものは、みんな伸びたがっているし、花をつけたがっているし、実を結びたがっているとわからせてもらったのは、またその後のことでした。
・そして、生きているのではなくてどうやら生かされているようだぞ、と分からせてもらったのはさらに後のことでした。
 どす黒い、いやな荷物を、子どものくせにすでにいくつもいくつも背負っているけれども、それなりに光を求め、うるおいを求め、安らぎを求めずにはおれないように生かされているようだぞと分からせてもらったのです。
・生きているものは、光っている。
 どの子も子どもは星。みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいてまばたきしている。
・子どもといういのちの袋の中には、いろんな宝物が入っている。その宝物は、子ども自身さえ知らずにいる。
・意味というものは、こちらが読み取るものだ。ねうちというものは、こちらが発見するものだ。すばらしいものの中にいても、意味が読みとれず、ねうちが発見できないなら、瓦礫の中にいるようなものだ。
・人間にくずはない。人生にむだはない。
・子どもは抵抗をほしがっている 
 反抗してみて、子どもは大きさに目覚める。
・子どもの中でも、早く引き抜いてしまわなければいけない「雑草」の方が、私たちが育てようとしている「作物」よりも、相当力が旺盛だ。
・子どもを大切にするということは、子どものわがままや衝動をのさばらせることではありません。本来の生き生きしたものを客観性のあるものにしてやること。
・個の尊厳を守るということと、「エゴイズム」を許容することとは違う。
・志が確立して、体力も能力も光を放ちはじめる。
・志を立てるということは、生活現実に密着した決断である。それは、生き方、何を目ざしてどのように生きるかという「現実との取り組み方」が問題となる。
・志を立てるのに大きな教育力になるのは、親や教師の現実への取り組み方、生き方である。
・中学校などの成績は、頭のよしあしの違いや、体力の違いなどよりも「志」のあるなしが基本である。
・「ぼくの十年先を見ていてください。」ということにならないと、人間はほんとうの人間になれない。
・志が確立して、体力も能力もその本来の光を放ちはじめる。
・志があいまいなものである間は、その人間に転換を与えるものにはならない。
・甘い夢は、毎日の生活現実まで変えていく力にならない。
 そればかりか、ちやほやされるスターになるとか、みんなからさわがれる歌手になりたいとかの夢は、具体的な生活現実をよけいつまらないものとして見るようにさえなる。
・教育という仕事は、子どもを自分の脚で歩けるようにしてやることだ。
(
東井義雄:19121991年 兵庫県生まれ 小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)

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モンスターペアレント問題はどうすれば解決することができるでしょうか

 モンスターペアレントとは、学校や教師に対して、無理難題を突きつけてきたり、理不尽なクレームを訴えてきたりする非常識な親を指して用いられています。
 モンスターペアレントの実態は、一般の方の想像をはるかに超えています。たとえば、ある学校で、ガラスを割った子どもの家に弁償が必要になる旨の連絡をしたところ、
 翌朝、その母親が職員室に駆け込んでくるなり、つぎのようなことを言ったそうです。
「うちの子が悪いなんてとんでもない。子どもが手に取れるようなところに石を転がしておいた学校側の責任でしょう」
「今日、そのことを説明するために私はパートの仕事を休んで学校に来たのですから、その分の休業補償をお願いします」
 これは、あるテレビ局が実施したアンケートによって浮かび上がったきた実話です。
 耳を疑いたくなるほど身勝手な主張だと思われた人が多いことでしょう。しかし、これと似たような例は、ほかにいくらでも挙げられます。
 モンスターペアレントの中には、自分のストレス発散のためであったり、金銭目的である場合もあります。
 理解し合えるとは思えないような事態にまで発展することがありますが、根本的な部分を考えると、多くは、子どもの教育をめぐる考え方の違いなどからトラブルが発生しています。
 教師と保護者の関係がどれだけもつれようとも、根本の願いが「子どもへの愛情」にあって、同じであるとするならば、教師と保護者が理解し合えなかったり、結び合えないことはないはずだ、ということが一番のポイントになるわけです。
 教師と保護者は、わかり合える「子どもへの愛情」というベースを持っているのですから、いつまでも交じり合えない平行線の上を進んでいるわけではないのです。
 私は教師や保護者に「どうすればモンスターペアレントの問題を解決することができますか」とアンケート調査(2007)をしました。その調査結果(複数回答)
1 親と教師の相互理解が高まるよう努力・工夫する  51.6
2 親の子育てを孤立させない  34.4
 (地域にサポートセンターを作る)
 (教育的リーダーシップの発揮)
4 教師にゆとりを求める  23.9
5 学校問題解決支援チームを作る  23.3% 
 (医師・警察OB・臨床心理士・精神科医・弁護士など) 
6 教師の相談にのる教員OBの配置  6.8
となりました。
 保護者側の回答だけを見ても「親と教師の相互理解が高まるよう努力・工夫する」の割合がもっとも高く、55.8%となり、もっとも重要なのは「親と教師の相互理解」となっています。
(
尾木直樹:1947年生まれ、教育評論家。高校・中学校教師22年間を経て退職し臨床教育研究所「虹」を設立。早稲田大学客員教授、法政大学教授などを経て、法政大学特任教授)

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孤立感、孤独感を抱くなどで、子育てに問題が生じる保護者は、子どもにどのような影響を与えるのでしょうか 

 子育てに問題が起きる多くのケースを見ると、孤立感、孤独感を保護者が抱いている場合が少なくない。
 保護者が付き合う人々の中で、自分が認められ、他人から支えられている実感があればよい。
 しかし、例えば、夫婦関係が微妙にすれ違うようになるなど孤立感、孤独感などがあると、子育てに問題が生じることがある。
 子育てのやり方によって、子どもに問題が生じる保護者には、つぎのようなタイプが考えられる。子どもにどのような影響を与えるのでしょうか。
1 わが子が優れていることにこだわり、子どもを支配しようとする保護者
 世間からの評価を重視します。そのために、世間から「よい親」と認められることをめざします。他者の評価を気にするので不安感が高い。
 いわゆるお受験は、その代表である。「よい学歴がなかったら不幸な将来が待っている」という思いにとらわれ「よい子」に育てることに必死になる。
 不安を背景として「よい子」作りに保護者が躍起になると、そこで育つ子どもは、感情を抑制する傾向が強くなる。
 そして、保護者が高い不安を持つので、子どもも不安そのものは高い。
 したがって、感情が一定以上高まると、もはや自分ではどうにもコントロールできなくなる。
 さらに、常に保護者の「指示」にさらされているので、他者を「指示」して、コントロールしようとする傾向も強くなる。
 一見、よい子だが、つぎのようなタイプの子どもが育まれてくる。
(1)
学校でだけ問題を起こす外弁慶タイプ
(2)
一度感情を害すると、なかなか気持ちの修復が効かない
(3)
言葉によって仲間を傷つけて、それが当然であるかのように振る舞う
2 自分やわが子だけが尊重されることを第一と考える保護者
 保護者がわが身だけが尊重されること第一と考える。同じように、わが子も尊重したいと考える。
 子どもを受容し「子どもの感情を害しない」ように考える。
 子どもから「よい親」と思われることをめざす。他者の評価を気にするので不安が高い。
 このタイプの保護者は、子どもの感情を乱すことは嫌で、子どもに嫌われたくない。それゆえ、子どもを叱らず、子どものご機嫌を取ってしまう。子どもの意見を尊重する。
 しかし、本来、子育ては、子どもの、不快な感情や、願いがかなわないときに生ずる、怒りや哀しさを保護者がしっかりと受け止めてあげなければならない。
 子どもが感情を害しても、子どもに「ダメなものはダメ」と言い、保護者はニッコリと笑って、子どもに向き合うようにしなければならない。
 これが、保護者が子どもと向き合い、子どもを受け入れることの本来の意味なのだ。
 だが、子どもの不快感に保護者がうろたえると、子どもは不安を覚える。不安と不満がくすぶり続ける。
 しだいに、子どもの不快感を出すことで、大人を動かす道具になっていく。そこで、ますます大人は、子どもの要求に譲歩をし続ける。
 このようにして、ストレスに弱く、感情のコントロールが苦手な子どもが育っていく。
 いろんな場面で、不快感を出すことで、大人をコントロールしようとする癖を持つ子どもになっていくのである。
3 自分の生き方を優先する保護者
 子どもの世話そのものを疎ましく感じる保護者がいる。
 保護者が「生計を立てる」ことに精一杯で、子育てにエネルギーを振り向ける余裕をなくしていることもある。
 風呂に入っていない、学校に腹を空かせて登校するなど、保護者から基本的な生活上のケアをうけていない子どもがいる。
 このような保護者に育てられた場合、そもそも感情のコントロールの仕方を学ぶことができない。
 生活の基本そのものについても、子どもは学ばないまま捨て置かれているからである。保護者から敵意さえ持たれ、関わりを拒絶されているのだ。
 そこで、子どもは愛情に対する飢餓と、他者に対する不信、さらには強い不安と怒りを混在させるようになる。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教職大学院教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究)

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子どもが見えない教師が多い、子どもの感想文を読むと、ものを見る目は確かである

 林竹二氏は宮城教育大学の学長であった時から、全国の学校で授業を約300回してきた。
 ソクラテスの研究者として高名な林氏を授業におもむかせたものは
(1)
教員養成大学の学長に就任し、ただ理論だけを講義していては、学長はつとまらない。授業の実際を知らねばならない。そういう思いがつのってきたこと。
(2)
病気で療養中に斎藤喜博全集を読んで、斎藤氏が授業の中で子どもたちにしていることは、質問によって子どもの意見を引き出し、それを吟味にかける。それがソクラテスの教育の方法と一致していたこと。
 林氏は、つぎのように述べている。
「授業のなかでは、否定が決定的な重要性をもつ。ただし大切なのは、その否定の質です。おしつけられたものではだめです」
「子どもは、教師との格闘を通じて、自分自身で、低い通俗的な意見なり、解釈なりを否定する」
「子どもが、最初に立っていた低い地点から、抜け出すことによって、自分を高め、新たにし、変革してゆくことができるのです」
 林氏は、行った自身の授業の考察を、
(1)
授業中の子どもの表情
(2)
授業後に書かれた子どもの感想
(3)
撮影された授業中の子どもの写真
によって行った。
 小学校の子どもたちの、林氏の「人間について」の授業の感想は
「始め、ぼくは『はやく授業がおわらないか』と思っていましたが、でもすぐにおもしろくなって、はやく終わらない方がいいと思いました」
「わかりやすく説明してくれて、70分もかかったとは思わなかったし、70分なんかあっけないと思った」
「私は、一つのことをもっと、もっとと、深くなっていく考えかたが、こんなに楽しいものかと、びっくりした。勉強していて、どこで終わるのか心配になってきたほどだ」
 私は、子どものそれぞれの指摘に驚く。どの子どもも、深く学ぶことをこよなく求めている。
林氏は述べる。
「私は、子どもたちの、ものを見る目の確かさに一驚した」
「時間がはやくすぎるのは、授業への集中があるからである」
「重みのある問題に、打ち込んで取り組んだ経験を、子どもたちは楽しいと感じている」
「私が見た、おびただしい子どもたちの証言は、一致してそう語っている」
「私は、子どもはみんな手ごたえのある学習に飢えているのだと信ずるようになった」
 しかし、林氏の授業を見た教師たちに、冷ややかな反応をする人が多かった。
 それに対して、林氏は
「先生方は、後ろの方で授業を見ていて、子どもを見ていない。そして、子どもの発言と教師の発言のその量だけを問題とする。すくなくとも、それを軸として授業をとらえようとしている」
「子どもに、わずかしか発言の場を与えていない。一方的に教師がしゃべっていて、まるで講義のようだ。あれは授業ではない。小学校では無理だというのが先生方の結論です」
 このような授業の認識しかできない教師たちに、林氏は愛想をつかした。
 そして、晩年は、定時制高校や工業高校等で、生徒たちが隠しもつ「学ぶ力」を目ざめさせる授業をすることに、限っていくのであった。
 現代の教師の原罪は、子どもを見ない、見えない、見ようともしないことだという、林氏の告発を私は忘れることができない。
(
林竹二:19061985年 教育哲学者、元宮城教育大学学長。斎藤喜博の影響を受け、全国の学校を回って対話的な授業実践を試みた)

(
佐久間勝彦:1944年生まれ、神奈川県川崎市公立中学校教師、千葉経済短期大学教授、千葉経済附属高校長、千葉経済短期大学長を経て千葉経済大学学長)
 

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保護者からの苦情はチャンスだ、うまく対応できれば信頼され、味方になってくれる、その方法とは

 誰しも保護者から苦情を受けるのは嫌だろう。しかし、うまく対応できれば、信頼が上がる。苦情はチャンスだと思うべきだ。そうとでも思わなければ、やってられない。
 保護者から苦情の電話があれば、まず「はい、はい」と声に出して、うなずきながら聞く。
 そして、ときどき、保護者の言葉をくり返す。たまに「なるほど!」「そうですよね」などの言葉を入れるとよい。
 共感的に話を聞いて、保護者の気持ちを落ち着かせる。保護者が話し終わるまで、しっかり聞き続けるのがポイントだ。
 そして次に、保護者に対応策を説明し、相談して確認する。
 保護者の苦情に対して、教師がどう対応しようと思うのか説明して、保護者の意見を聞く。
 保護者の意見を取り入れて対応策を決めたら、くり返し言って確認する。
 そして「これでよろしいですか?」と保護者の許可を得る。許可を得れば「お墨付き」の対応策であるから、うまくいっても、いかなくても、自信を持って対応できる。
 最後に、最も大切なのが、実際に子どもたちに対応した後だ。必ず、保護者に報告の電話をする。
 
「昨日はお電話、ありがとうございました」と、昨日の電話のお礼を言ってから、報告の話を始める。
 子どもたちに対応した時の様子などを説明した後は、
 
「まだ子どもなので、また同じことをくり返すかも知れません。その時には、また、お電話いただけると私も助かります。ぜひ、よろしくお願いします」
と、言っておく。もちろん、もう二度と電話がかかってこないことを祈りながらである。
 電話を切る前に、
 
「今回は本当に申しわけありませんでした。お電話、本当にありがとうございました」
と、謝罪と感謝の言葉を言う。
 対応後の報告の電話に驚かれる保護者が多い。それだけ、報告の電話を省略してしまう教師が多いということだろう。
 対応後に、報告の電話をしよう。それが、保護者の信頼を勝ち得る一番のポイントである。
 苦情の電話を受けたら、ピンチはチャンスだと思い、策略を練って対応しよう。うまく対応ができれば、保護者は、きっとあなたの味方になってくださるはずだ。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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先生を見ていて、先生に向いているなと感じる人はどのような人でしょうか

 その先生がいると、指示されたわけではないのに、子どもが自然と黙って、すっと聞き入る。そういう先生はすごいなと思いますね。
 先生が前に出て行くと、ざわついていた子どもたちがスッと静かになるというのはすごい力ですよね。
 何かあったときに、聞くだけじゃなくて、聞き出す力のある先生はすごいなあと思います。
 私が子どもたちに聞いても言わなかったことも、そういう聞きだす力のある先生は、その先生が聞けば、子どもたちが言う、ということがけっこうあった。
 子どもに対して絶対に気をぬかないし、他の先生との人間関係なんかも、適度に声をかけて、やる気にさせる人。
 情熱がすごい。子どもたちを育てて、一人前の人間にしたいという情熱がひしひしと伝わってくる。
 教育に対する情熱。今の子どもたちをこうしなきゃいけない、みたいな責任感。それは情熱から生まれてくるのかなって気がします。
 何かあったときに、その現象の根っこが何なのかを見抜ける力がある人。気づく力、洞察力がある。
 子どもたちを生かす力のある人が先生に向いていると思います。
 協調性とか、人に対してしっかり挨拶ができるとか、ていねいだとか、報告・連絡・相談がしっかりできるとか、社会人として、立ちふるまいができるということも、教師に向いている人の大きな特徴だと思います。
 その人にしか出来ない授業ができる人。
 子どもと保護者、教職員とでコミュニケーションの仕方をかえる人。特に対保護者とのコミュニケーション能力。
 子どもの背後には保護者がいますから、子どもに何か言うことは、保護者に対して言うのと同じだなと、強く思います。
 話しが上手な人。どんなに頭で考えていることが素晴らしくても、熱い思いがあっても、話は上手じゃないとだめだな、と思います。 
 授業においても、上司とのコミュニケーションにおいても、誤解させずに、うまく伝わらなかったら意味がない。
(
学校の先生はじめました編集委員会編)

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保護者に不信感を持たれ、嫌われ、反発される、改めたい教師の態度とは

 自分のあり方を棚にあげて、子育てがうまくいかないのは、すべて学校や教師の責任だとする親、わが子を正しくとらえられない親、非常識な親、身勝手な親がふえてきた。
 教師にしてみれば、いろいろと親に言いぶんはあろう。しかし、親のあり方を声高に追究したところで、教師不信にわをかけるだけで、事態を変えることにはならない。
 まずは、教師の保護者に対する次のような態度を改めることから出発したい。
(1)
専門的態度
 教師は教育の専門家だから、しろうとの親はよけいな口だしをするな、教師にまかせておけといった態度である。
(2)
啓蒙的態度
 一段高いところから、教育の知識がとぼしく、教育の道理が理解出来ない親を、教えてやるのだといった態度である。
(3)
事務的態度
 冷ややかな対応、木で鼻をくくったような誠意や愛情のない態度である。
(4)
観力的態度
 いわゆる、いばった態度である。親を学校に呼びつけ、頭ごなしに叱りつけたり、親の責任を追及したりする態度である。  
(5)
独善的態度
 教師は、子どものためになる、正しいことをやろうとしているのだから、親は学校に協力するのはあたりまえだ、とする態度である。
 例えば、指導に手をやく生徒がいると「親の顔がみたい」などと、原因のすべては、親のせいだとする風潮もこうした態度から生まれるのだろう。
(6)
脅迫的態度
 学校の方針にしたがい、教師の言うとおりにしないと、成績や内申書にも影響して、生徒の進路指導に責任はもてない、どうなっても知らないぞ、といった態度である。
 以上について、教師は日頃の自分の保護者に対する態度をふり返り、問い直す必要がある。
 教育は、保護者とともにすすめる仕事である。教師と保護者が手をとりあって、仲よく教育しなければ、子どもの成長は保障されない。保護者と教師は「共育」のパートナーなのである。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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放課後、保護者からのクレームがこないようにするには、どうすればよいか

 子どもたちが下校して、ホッとする放課後、くつろいだ気分で、同僚と話をしていると、電話が鳴ります。
 すると、それまでの空気が一変して職員室にいる全員の顔が一瞬、キュッと引き締まることがあります。
 放課後、保護者からのクレームがないように先手をうつには、どのようにすればよいでしょうか。
(1)
子どもたちを笑顔で下校させる
 学級の帰りの会で楽しい話をしたり、ちょっとしたゲームをしたりして、子どもたちが気分よく下校できるような工夫をしましょう。
 子どもたちが集まる教室では、トラブルは起きて当たり前です。しかし、トラブルが起きたとき、瞬時にしっかり対処し
「いろいろあったけど、楽しい1日だった」
と、しめくくることができるよう、子どもたちを元気にさせるようなひと言をかけて下校させるようにしましょう。
 子どもたちが気持ちよく下校できれば、保護者からのクレームはほとんどないと思って間違いありません。
(2)
気になることは必ず保護者に連絡する
 友だちとのトラブルやケガ、教師が厳しく叱ることがあった場合は、必ず連絡帳や電話で保護者に報告しておきます。場合によっては、家庭訪問の手間を惜しんではいけません。
 教師から先に連絡することで、保護者の気持ちが随分違います。
 ほとんどの場合、好意的に考え、理解を示してくれます。「忙しいのに、わざわざすみません」と、恐縮してくれることも珍しくありません。
(3)
クレームの電話は、受け入れる姿勢で対応する
 もし、保護者からのクレームの電話がかかってきたら、保護者の話を受け入れる姿勢で対応します。
 解決を急いで、先にこちらの言い分を押しつけることのないように注意しましょう。
 相づちを打ちながら、じっくり話を聞けば、相手の気持ちもおさまってきます。こちらの説明を受け入れる余裕もできてきます。
 保護者の気持ちをいったん受け入れながら、理解を求めていくことが、苦情への対応の基本です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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もし学級崩壊が起きても、心や体を壊さず、辞めずに生き残るためには、教師や同僚はどのようにすればよいか

 教師は真面目な人が多い。真面目だから教師になったと言っても良い。
 だから、学級崩壊してしまったら、自分を責めてしまう。そんな人ばかりだ。そして、心を壊す。体を壊す。辞めてしまう人もいる。自殺してしまう人だっている。
 学級崩壊は運である。私だって十二分に学級崩壊を起こす可能性がある。
 人間は、誰しも相性というものがある。もし、私がものすごく相性の悪い子どもや保護者の担任になってしまい、その子どもや保護者がものすごく影響力を持っていれば、私のクラスだって、学級崩壊してしまうのだ。
 もちろん、教師の努力で学級崩壊に陥る確率は下げられると思っている。しかし、学級崩壊の確率を下げたところで確率がゼロにはならない。学級崩壊してしまう可能性は誰にだってあるのだ。
 運悪く学級崩壊してしまっても、自分を責めてはならない。人のせいにしてでも、生き残れ。教師として1年間、生き残りさえすれば、次の年は楽勝に感じられるはずだ。
 とにかく1年間をしのぎきり、生き残ることが大切なのだ。
 これは、将来、学級崩壊に当たってしまった時の私自身へのメッセージである。
 学級崩壊が起きても明るく、元気に働き続ける、つぎのような教師の例がある。
 毎年、学級崩壊を起こしている女教師と同じ職場になったことがある。彼女の様子から、かなり学級崩壊に慣れているのが感じられた。
 彼女は明るい。職員室での振る舞いを見ていると、学級崩壊しているクラスの担任だなんて、とても思えない。よくしゃべり、よく笑う。学校を休むこともない。彼女は、毎日元気に働き続けていた。
 なんでこんなに元気で明るいんだろうと、不思議に思っていたが、彼女の話を聞いていて、よく分かった。
 彼女は、自分が悪いとは全く思っていない。悪いのは全て、子どもであり、保護者であり、世の中なのだ。
 だから彼女は傷つくこともなく、明るく元気に働き続けられる。すごいことだ。
 私は、純粋に彼女に学ぶべきだと思っている。
 人のせいにすれば、病気にならなくて済むのだ。辞めなくて済むのだ。
 少しはそうやって、人のせいにしてみよう。そうすれば、少しは心が軽くなるのではないか。
 また、彼女がずっと元気でいられたのは、周りにいた同僚の力も大きい。
 同僚たちは、人のせいにばかりする彼女の発言をとがめなかった。
 それどころか「うん、うん」とうなずき「そうだよねえ」と共感的に聞いてあげた。
 誰か一人でも学級崩壊を彼女の力量のせいにしていたら、彼女だって、きっと心が折れていたはずだ。
 彼女が元気で居続けられたのは、職員室の力が大きいと思う。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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人生はいつだって、今が最高のときなのです

 人生は、あなたの思っているよりも、十倍も愉(たの)しいところです。あなたの人生観を不愉快から愉快と言う字に書き直してください。
 するとあなたは、気がつくことでしょう。人間というものは、愉快なこと、明るいことを好むものだということに、気がつくでしょう。
 私はふだんから、明るく生きていく習慣を持っていたいと思っています。それは、ちっとも難しいことではありせん。何でもものごとを明るく陽気に考えるようにすることなのです。
 私は、ものごとを否定的に考えるのが好きではない。私が「気分は最高です」と言えば明るい気分になる。部屋の中にも明るい空気が流れる。言葉には魔力があるのである。
 自分のことを「運のよい人間だ」と思うようになってください。きっと自分の思った通りになりますから。運というものは、自分で拓()くものです。
 出来ると確信さえすれば、どんな不可能と見えることでも可能なのです。人間の心というものが、そういう不思議な働きを持っているのです。
 私は割合、人を信じるほうです。「私が相手を信じた分量だけ、相手も私を信じる」というのが私の持論です。
 これは私が若いときに人を好きになったとき「私が相手を好きになった分量だけ、相手も私を好きになる」と信じた。はずれることはなかった。人間同士の張っているアンテナにも、正確に電流が通じるのです。
 陽気な人は人に好かれる。生きていくことが上手な人は、何よりも快活な人である。すぐそばの人にうつる大きな力を持っている。
 ありのままの人間をそのまま愛し、その人をまるごと受け入れることが真の愛である。
 自分が変わると、相手が変わって見える。私が、からを脱いだセミのように変わると、相手が変わって見えるのである。
 人と人との間は、悪意も善意もそのまま伝染する。それが善意であると、受け取った人も、相手に善意を感じる。
 言い争いになったときは、じっと辛抱して、ちょっと笑顔をして見せるとよい。相手の笑顔を見て、腹を立てることは誰にもできない。
 
「あなたは、とても偉い人です」と言われて、よい気持ちにならない人はありません。相手はよい気持ちになって喜ぶからです。この方法は、私がなが年の間に獲得した、人に元気を与える方法なのです。
「あなたはやさしいのね」「あなたの表情は美しいわ」「あなたの声はすてきね」、これらの言葉は魔法使いである。
 人間の考えることは、ものごとを否定することと肯定することの、二つしかありません。あの人はいい人だ、素敵な人だ、と思うことは肯定することです。肯定する習慣くらい人間にとって幸福なものはありません。
 人の顔つきも習慣である。笑顔が習慣になれば、しめたものである。
 私は辛いと思うことがあると、その辛いことの中に、体ごと飛び込んでいく。飛び込むと、辛いと思う気持ちに体が馴れてきて、それほど辛いとは思わなくなる。これが私の、生活の術なのである。
 悩みや心配ごとから解放されるコツはこだわらないこと、これ一つです。
 私は、自分に興味のあること、したいことを追い求めて忙しく生きてきた。過ぎたことをくよくよしているひまはなかった。
 思い出したくないことは、つぎつぎ忘れ去ってしまった。この忘れるという特技が自分自身を救う一種の精神的治療法になったような気がしている。
 実際、人間って、そこが雨降りだと、世界中どこへ行っても雨降りだと思う。
 世界中どこへ行っても雨降りみたいな気になりやすいものですけど、実際にはそんなことはありません。
 別の場所では、よいお天気なところもあるのです。ちょっと気を変えて、一刻も早く、別の新しい道を一歩踏み出してみる。
「おや、こんなところに出たわ」と自分でも信じられないほど、明るい場所に出るものです。
 何事をするにも「それをするのが好き」という振りをするとよい。ものまねでもいい。すると、嫌いな人もなくなる。自分自身を救う最上の方法である。
 物事は何事にもよらず、夢中になってそのことに熱中すると、必ず何かを生み出してくれます。
 何でも、面白さを見つける。その中に入っていく。私はどこでも自分流のたのしみ方を見つけて生きる名人です。
 
「忙しい」というのは、追いかけられることではない。追いかけられて暮らすのは禁物である。自分が追いかけるような気持ちでいることである。
 どんな仕事であっても、仕事を追っかけていると、とても気持ちがよい。ストレスを感じる暇がない、という状態になったら、しめたものである。
 私は、何か思いついて、新しいことをし始めると、生き生きと熱中して、夢中になってしまう癖があるのでした。
 私の生涯の中の不幸も幸福も、今になって考えると、この熱中癖から生まれたものが大部分なのではないかと思います。熱中しているうちに過去は消えます。
 人生はいつだって、今が最高のときなのです。
(
宇野千代:1897- 1996年、小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持っていた)

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教師が「子どもの心をとらえる」には、どうすればよいか

 教師の言葉が、子どもの心を元気づけます。教師の笑顔が、子どもの心に安心感を与えます。
 何が子どもの心をとらえるのか。その答えは、子どもを思う教師の心の中にあります。
 担任した瞬間から、自分のクラスを好きになる。その思いが、やがて子どもから返ってきます。
 教師が自分のクラスをほめ、子どもたちに自分のクラスへの肯定感をもたせる。
 教師が思っているだけでは、子どもたちには伝わりません。だから、思いを言葉にしてはっきり伝えます。
 教師がこのクラスでよかったと心から思えるようになるまでには、時間が必要かもしれません。そんなときは「このクラスもいいところがあるな」くらいの感覚でもいいのです。
 多少、無理してでも「いいクラスだね」「先生も、うれしいな」と、クラスを認め、ほめる言葉を、教師が意識して子どもたちに話すようにします。
 これを続けていくと、自分のクラスのいいところがたくさん見えてくるようになります。
 教師と子どもたちとの間のコミュニケーションが成立するきっかけは、子どもの素朴な質問や話を忙しくても、無視しないことです。
 思わず笑ってしまいそうな質問にも、ていねいに笑顔をそえて答えてあげましょう。世間話がきっかけで、子どもたちとの関係が深まっていきます。
 子どもが教師に安心感をいだくときは、手のぬくもりや、心のこもった言葉です。子どもの安心感はそこから生まれます。
 例えば、子どもは、どこか体の具合が悪いと「先生、気持ち悪いです」と言いにきます。
 こんなときは「先生のことが気持ち悪いの?」と、軽く冗談で返して、笑顔で額に手を当てます。
 熱がないようだったら「大丈夫みたいだよ」と話してあげます。これだけのことで、元気になる子が多いのです。
 もちろん、熱があるようだったら、すぐに保健室に連れて行って体温を測ります。そして保護者への連絡等を迅速に行います。
 軽いスキンシップを交えながら、共感的な対応をしてあげます。そうすることで、子どもは「先生は、自分を受け入れてくれている」という思いを持つようになります。
 不安な気持ちになっているときには、ほんの少しのスキンシップや、さりげない温かい言葉がうれしいのです。
 その結果、子どもは、自分を認めてくれる教師の存在を認め、自分の居場所を学級に感じるようになります。
 担任との関わりの中から、安心感を持たせていくことが大切なのです。
 私は、日記を宿題として毎日、子どもたちに書かせています。最初はいやな顔をする子もいます。
 けれども、書いていくうちに習慣となります。習慣は、ある心地よさや、満足感を与えてくれます。「楽しくなった」という子もあらわれて、子どもたちに変化が生まれます。
 私は毎日点検して一筆書いて、その日の内にノートを子どもたちに返します。その作業を私は給食の時間から昼休みにかけてやっています。慣れると快感になります。
 時間的に厳しいのであれば、一日おきに日記を書かせたり、班ごとに提出する曜日を分けたりするなど工夫すればよいでしょう。
 日記は教師と子どもの交換日記です。教師からの返事は、ほんの一、二文ですが、行き交うノートが教師と子どもの心を伝え合います。
 日記が、教師と子どもとの心をつないでくれるのです。
(
佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

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教師と子どもたちがつながるためのメッセージとは

 「教師の言うことは聞かなければならい」と思う子どもたちは、中学生では2割を切りました。教師の話は聞かなければと思う子どもたちは減っています。
 子どもたちのそのような見方がある中で、教師が「生徒がこうあるべきだ」という考えで高圧的に強く指導したとしても、うまくいかなかったりすることがあると思います。
 中学生にとって、教師よりも、友だちからどう見られているかを重視します。
 現代の学校の生徒指導には「この先生の話だったら、聞きたいな」という、教師と生徒の信頼関係が必要です。
 生徒は自分を理解してくれている教師の言うことを尊重します。教師は生徒理解を大切にし、信頼関係を結び、生徒と「つながる」ことが必要だと思うのです。
 次のようにことがありました。
 私が赴任した学校は、集会をするとき、整列するにも時間がかかり、私語が止まない。
 集会が終わるとお菓子のゴミが散乱し、空き教室では携帯電話から流れる音楽が爆音を響かせる。一般の生徒も、平気でお菓子を食べている姿がありました。
 私と同時に赴任して来たY先生が、私と同じ学年の学年主任をされました。
 学年集会でY先生が学年主任として、次のように話しました。
「つながってくれぇ!」という体育館に響きわたる大きな声を出し、驚いて多くの生徒がY先生の方を向きました。すると、
「ありがとう、つながってくれて」と、Y先生は言いました。 
 やんちゃな生徒が「何言ってんだ、うるせーぞ」と言うと
 Y先生は「ありがとう。反応してくれて」
 私語をせず話を聞いてくれている生徒に
「こっちを向いてくれるひと、ありがとうな」
「今、目が合ったひと。ありがとう、つながってくれて」
 Y先生は、話の中で何度も
怒鳴るような声で「つながってくれぇ!」
微笑みながら、優しく、ささやくような声で「ありがとう」
を繰り返しました。
 私は、あっけにとられました。おそらく、生徒もあっけにとられたでしょう。
 年度始めの学年集会でY先生の存在を生徒たちに大きく伝え、Y先生の価値観を伝えることになったと思います。
 集会で整列し、私語をせずに話を聞いている生徒たちを見逃さず、
「ありがとう」
「きちんとしている、あなたたちの姿を見ているよ」
というメッセージを伝えたのです。
 そして、反発する生徒にも
「反応してくれて、ありがとう」と言って
「反発することも反応のひとつ」であり、「つながる」という意味を広くとらえ、感謝する価値があるというメッセージを生徒と教職員に伝えることになったと思うのです。
 さらに、
「反発する生徒もふくめて、学年全員が大事な存在なのだ」
「教職員は、『お前たち生徒を一人も見放さないぞ!』」
という、Y先生の信念を生徒たちや、教職員に伝えることになったと思うのです。
(
山本宏幸:新潟県上越市立中学校教師)

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保護者のイチャモンは、教師が子どもと「ふれあう時間」が減少すればするほど増える

 私が2000ぐらいの事例を集めた結果からいえる大原則は
 
「子どもとふれあう時間が減少すればするほど、イチャモンが増える」
 当たり前のことですが、保護者はわが子がどのようにあつかわれているかに最大の関心を持っています。
 担任がわが子のことをじっくりと見ていてくれるという安心感があれば、多少のトラブルは、すぐに解決に結びつくことが多いと思います。
 しかし、合理性がどこまであるのか疑わしいような教育改革が、学校現場で渦巻いています。教師は職員室で書類に目を通しているか、パソコンに向き合っている状態です。
 私が学校現場を歩き回ってみて、教師が子どもと接する時間が大幅に減ってきている実態を実感しています。
 子どもと教師が接する時間が減れば減るほど、行きちがいが発生する可能性が高くなります。
 また、同じように忙しく立ちまわっている保護者と子どもの間にもズレが生じることでしょう。それは教師と保護者とのズレにもなります。
 もし、子どもと教師が接したり、話したりする時間があれば、かりにトラブルが生じたとしても、それが大きくこじれることはないと思います。
 しかし、その時間やゆとりが学校現場から急速になくなっていることが問題です。
 重ねていうと、だからこそ、子どもたちの前に教師を「戻す」ということがいま、緊急に求められていると思います。
 保護者のみなさん、学校というところに、ぜひ一日でも二日でもいいから、先生に小判ザメのように張りつくかたちで、いっしょに動いてみてください。
「そんなヒマないわ」と思われたら、一時間でも結構です。
 いま学校の教師が、どのようなサイクルで、どう行動しているか、見ていただくと、よくわかるはずだと思います。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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学級崩壊を回復する具体的な取り組みとは

 

 学級崩壊を回復するにはどうすればよいでしょうか。それには、
1 校内体制づくりをする
 まず、管理職が、崩壊学級を全教職員で援助することを伝え、協力を取りつけます。
 管理職は担任を責めてはいけません。
 問題解決のため、チームをつくり、支援体制を確立します。
2 緊急の保護者会を開く
 できるだけ早く、緊急の保護者会を開きます。学校が積極的に対応する姿勢を示し、協力を要請します。保護者会の内容は
(1)
学級の実態を伝える。
(2)
保護者の言い分を十分に聞く。
(3)
学校から、決意と具体策を示す。
(4)
保護者に協力を呼びかけます。
 子どもたちも「なんか先生がやるみたいだぞ」という雰囲気になってきます。
3 学級生活を総括し、再契約をする
1)
多くの子どもが傷ついていること、学習が遅れていることを説明します。
2)
学級生活をふり返り「このままでいいのか」「今、学級にどんなことを思っているか」を紙に書かせます。
3)
教師がそれをまとめ、学級の現実をみんなで確かめます。
4)
教師から今後の対策を提案します。
(1)
居心地のいいクラスにするために、ルールを見直す。
(2)
いったん学級を小グループに分割する。
 理想的には1グループ6人くらいです。私が介入に入った学級は3グループ(担任、教頭、教育相談担当)で各10人でした。
 座席はグループごとに座り、他のグループと距離を置き、グループ単位に進めます。
(3)
個人的な話や悩みの受付け窓口をつくる。
5)
クラスを分割して協力する教師の立ち会いで、再契約を宣言します。 
6)
授業
 プリントを使った個別学習から始めます。グループごとに教師がついて面倒をみます。
 プリントの内容は、教科書の大事なところだけに精選します。
 授業は担任が全体に指示を出し、各グループを担当する教師が子どもたちを指導します。
 早く終わった子には、発展教材をやらせたり、本を読ませたりします。
 全員が終わったグループは、おしやべりをするようにしてもいいです。
4 対応の留意点
 子どもたちは、徹底的に教師にくってかかります。
「自分たちは、先生から悪く思われている」と思っています。だから、絶対に叱ってはダメです。常に説得的に語ります。
 一つの作業に集中して取り組みません。一回の作業量を減らし、細かくチェックしながら進めます。
 始めは、子どもが自分で丸つけをするか、教師がチェックします。
5 指示と注意、話し方を変える
(1)
「これからどうするか」という視点をもつ

  過去のことを持ちださないで「こうしたほうが○○だよ」と言います。
(2)
グループ活動ができるようにする
 教師の指示に従わず、反抗する悪循環を断ち切っていきます。
 グループのように小さい集団だと、教師の指示が自分のこととして感じられるので、練習すると、グループ活動ができやすくなります。
(3)
教師全員が歩調を合わす
 教師全員が同じ方法で注意を与えるようにする。ポイントは、受け入れやすいように、子ども一人ずつ、叱らずに説得するように語りかけます。
(4)
担任が指導方法を練習する
 子どもたち「一人ひとりの存在を認めながら、子どものためを思って指導している」ことを、的確に伝える練習をします。
6 グループでゲームや遊びをする
 簡単なルールのゲームや遊びをして、人間関係の緊張を和らげる。
7 各グループを集めてゲームや遊び
 担任がリーダーシップをとって、人間関係づくりとルールを守る体験をする。
8 グループで共同活動をする
 各グループで調べ学習や詩集をつくり、まとめて発表会をする。
9 学級全体での生活を再開する
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者は苦手という教師が多い、保護者によい教師だと言われるようになるにはどうすればよいか

 保護者は苦手という教師が多い。そういった教師に共通する傾向は「どうつきあっていいのかわからない」からである。次のようにつきあってみたらどうだろうか。
(1)
保護者との会合をふやす
 保護者の本音は、教師と仲よくしたいのである。その願いにこたえるには、しばしば顔をあわせて、人間的な接触を深めることである。
 教師も保護者も、ともに交わりの能力が衰えてきているから、顔を合わせることを増やしていかなければ、相互理解は深まらない。
 学級通信だけ配布していれば、保護者との協力関係がすすむというものではない。
 しばしば顔をあわせていると、本音なとどがでて、両者の垣根も除かれていく。
(2)
ざっくばらんに率直に接する
 若い教師のなかには、保護者の前に出ると、
 
「バカにされないようにしよう」
 
「ケチをつけられないようにしよう」
 
「保護者が感心することを言おう」
 と、そんなことばかり気にしている例が多い。
 そうではなく、もっとざっくばらんに率直に接することである。
 わからないことは、わからないと正直に言えばよい。
(3)
教師くささを捨てる
 教師くささを捨て、一般的な社交儀礼にのっとって、交際すればいいのである。世間知らずの教師では、いまどきの保護者と楽しく談笑できないだろう。
(4)
子どもの悪口はいわず、子どものなかにある良い面を知らせる
 教師の接しかたひとつで、保護者の態度も変わってくる。それには、保護者に子どもの悪口を言わないことである。
 親は教師からの、わが子の非難の言葉にうんざりしているのである。
 保護者に子どもの話をするときは、子どものよい考えや行為を取り出して、知らせるようにする。
 そうした子どものとらえかた、人間観が保護者を変え、教師への信頼を回復させるのである。
(5)
保護者と一緒に考えていく
 教師が子どもの指導で困っていることは、実は、保護者も困っていることが多いのである。
 だから、保護者の責任を追及したってはじまらない。
 保護者といっしょに学習し、研究しながら「どうしたら、子どもがよくなるか」さぐることである。
 こうやってつきあっていくうち、お互いの気心も知れて、保護者の不信感、警戒心もうすらぎ「教師にだけは隠しておきたかったこと」も「先生にだけは話しておく」ようになる。
 親が「いい先生だ」といえば、子どもも「いい先生だ」となりやすい。子どもの指導が成立する条件が整うことになる。     
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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«私は教師として「プロならこの場面、どう指導するのだろうか」と考えるようにしている