私の12年間の教師としての歩みが学級通信の中にいっぱいつまっています

 私が大阪市立小学校に新任として赴任しとき、学級通信を発行しておられた先生が一人いました。30歳くらいの女の先生でした。その先生は「一枚文集」のような形や、ザラ紙四分の一ぐらいに学級のようすを少しのせたり、連絡を書いたりする内容でした。
 しかし、当時の私の目から見て、あまり学年の先生から「いい目」では見られていなかったように感じていました。保護者からは人気がある先生だったように思います。私は、その先生の実践は「すごいなぁ」と思っていましたが。
 
「学級通信をだしているから、学年の足なみがそろわない」といった、なんともいえない雰囲気を感じたのです。
 そして、二年目、四年生の担任になったとき「学級通信をだして非難されたら」と、私は非常に悩みました。
 おもいきって、年輩の先生に相談すると
「若いうちは、自分のやりたいこと、好きなことをやりなさい。あとは、私らがしりぬぐいしてあげるから」
「子どもたちは、いろいろな先生の特技や個性、専門から学びとっていくのだから。あなたの持っている力をだしなさい。学級通信はできたら管理職に見せなさいよ」
と言われました。この言葉に非常に勇気づけられ、目の前がパッと明るくなったようでした。
 学年としての足なみをそろえることは必要です。でも、学級はその担任のイメージなり、独自性もあるはずです。
 私は今でも、その女の先生のがんばりと、年輩の先生の言葉は、私を育ててくれたと思っています。こんな思いから、私の学級通信はスタートしていきました。
 私は、学校や学級は子どもが生き生きとできる場にしなくてはいけないと思っています。なんとか、楽しく、生き生きと生活できる場にして、わかる喜びを教えてあげよう。
「明日も来たい」「明日も何かあるぞ」そんな、ワクワクした夢や希望を持って帰らせたいと、私は思っています。
 ささいなことを認めてあげるひと言が必要だと思います。また、友だちのがんばりやよろこびや活躍に「拍手」を送れる子どもたちも必要です。
 二年間担任したAさんの作文は「毎日、学校へ来るのが楽しみでした」と次のように書いてくれました。
「前田先生は、怒ったらこわいけれど、やさしいところもいっぱいありました。けん玉やいろいろなコンクール、鉛筆削り大会、百人一首大会・・・・、いろいろなことをやったので、何か得をしたような気がします。二年間、とても楽しかったです。毎日、学校へ来るのが楽しみでした」
 私の12年間の教師としての歩みが学級通信「あせ・どろ」の中にいっぱいつまっています。
 子どもたちの学校生活の様子を保護者は切実に知りたがっています。私は、学級というのは、絶対に保護者からの支えがなくては豊かになっていかないという思いを持っています。
 学級通信「あせ・どろ」1000号を迎えましたが、新任以来、書き続けてきたのも学級を、教育を豊かにしていきたいという、私の願いからです。
 保護者がわが子だけでなく、学級の取り組みや学級のすべての子の生活に関心を持ち、時には意見や感想をいい合える関係って、すばらしいことです。子どもたちの成長にとっても大切なことです。
 学級通信が保護者同士の交流の場としても、共通の話題を提供するものとして必要なものになっています。
 学級通信は、私にとっては自分と学級づくりのバロメーターなのです。子どもの姿が見えなくては、子どもの願いが実感として伝わってこなくては、学級づくりはできません。
 学級通信は一人ひとりの子どもの姿や声が浮かんでこなくては書けません。
 学級が生き生きと活動しているとき、すばらしいこと、くやしいこと、ドラマが生まれたとき、発見・成功・失敗・感動があったとき、子どもの伸びる芽を確信したとき、もう書く内容は決まっているのです。
 教室の中には、書く素材なんていっぱいあるのだから、子ども一人ひとりの言動や願いを「とらえる目」を身につけることが何よりも大切だと思っています。
 初めて担任したとき、学級通信を仕上げるのに二時間以上かかっていました。今は一時間以内で書けるようになりました。
 でも、学級がうまくいっていないときや、子どもたちの生活が事実として浮かんでこないとき、やっぱり書けませんね。
 みんな、うまくいったことばかりではありません。私自身の失敗したことも多くありました。また、子どもたちとしっくりいってない時もありました。でも、どんな時でも、
「子どもたちを信じてやらないといけない」
「子どもの否定面だけを見て、判断したらいけない」
そう思い、とにかく12年間やってきました。
 これから先も、子どもたちの前で「愛やロマンを大きく膨らませ」子どもたちに語れる教師として、偉大な先輩たちに学び、子どもたちや保護者に学びながら、教室の中にとびこんでいきたいと思います。
(
前田睦夫:1954年大阪市生まれ、大阪市立小学校教師)

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教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのかを知り、自分を変えるとよい、また、まわりの教師の指導を見て学ぶことである

 教師は力量をつけるためにどのようにしてつければよいか。
(1)
教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのか、知り自分を変える
 教師の顔つき、からだつきから「怒るとこわい先生」とみられ、そのことが指導の武器になっている教師もいる。
 また、美人・美男子もそうで、逆の教師より指導の入りがよい。声の大きさ、明瞭さ、すてきな笑顔もそうだ。
 これは、嘘のような話だが、指導力不足に悩んでいた教師がいた。「太い縁取りのめがねをかけろ」と助言した人がいて、そのとおりにしたら指導が成立するようになったという。
 ということは、教師は、あらゆるものを用いて教育していることになる。
 とすると、自分のどこが子どもたちに受け入れられているのか、反対に、どこが拒否されているのか、知ることである。
 その結果、ユーモアに欠けるとすれば、その力をつけるように努めることだ。
 自分をらち外において「わたしの教育がうまくいかないのは、子どもの質が悪いからだ」と、子どものせいにしてはならない。
 自分を知り、自分を変えることである。
(2)
まわりの教師の指導を見て学ぶ
 一人ひとりの教師は、まさに個性的な存在で、それぞれが得意技をもっている。
 たとえば、率先して模範を示し、子どもを引っぱっていく教師もいれば、「泣かせの何とか先生」という説諭の名人がいて、この教師にこんこんと諭されると、どんな子どもも、泣きだしてしまうという芸の持ち主もいる。
 あるいは、討議、話し合いに長けていて、子どもたちと「ああだ」「こうだ」と激しく論争しながら、指導を貫いていく教師もいる。
 お母さんのようにやさしく包み込む教師もいる。
 それぞれの教師が、指導について、得意の型をもっている。あらゆる指導に精通し、使いこなせるようになればよいのだが、そんなことはできることではない。
 だから、とりあえず、得意な指導法を身につけることである。学校は教師が集団として教育しているわけだから、一人ひとりの得意技をだしあい、教師集団としての指導を確立すればよいわけである。
 といって、「これは苦手だから、だれかにやってもらおう」といつまでも逃げていてはいけない。それでは一生上達しない。授業や学級づくりなど、一人ひとりの教師に必要な指導力は、身につけなければならない。
 したがって、ほかの教師の指導法や得意技を盗み、まねしながら、自分の力量として身につけ、みがいていくようにしたい。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)


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子どもの学ぶ意欲を保護者と教師が共同して育てるにはどのようにすればよいのでしょうか

 わが子の学ぶ意欲に関心のない親は一人もないといってよいでしょう。どこの懇談会でも話題になります。
 懇談会で 「うちの子はできが悪くてね。親が親だからしかたがないのかねェ」と言う親に懇談の場面で私は何度も出会いました。間違った情報が流れているのです。
 そういう親は、能力の低い親からは能力の低い子どもしか生まれないと思っているのです。私はそうしたとき、懇談している親にきっぱりと「能力は遺伝ではありませんよ。学力は伸ばせますよ」と。
 そして懇談では、つぎのことを必ず話題にしなければならないと思ったのです。
 私が教師をしてきた50(小学校、中学校、高校、大学)の体験から、遺伝どころか親を越えて力を伸ばした子は数えきれないほどいます。
 決して遺伝がどうこういう問題ではありませんでした。親子であっても、それぞれ違う人格なのですから、ちがう可能性があるのは当然のことなのです。また塾へ行かず、自学自習で目的を遂げた子どももたくさんいます。
 では、何が大切だったかと考えてみると、二つありました。 
 一つは、子どものもっている取り柄に気づかせ、そのことを自信にして学習意欲に結びつけていくこと。
 もう一つは、学習するとき「質問とくり返し」を大事にすることを教え、支援してあげるということです。
 つまり、自信をどう育てるかに眼を向けることが何よりも必要です。そのためには
「勉強以外のことで自信をもたせ、それをバネにして学習意欲に結びつけていくといいのですよ」と。
 たとえば「友だちが多い」「持久走が得意」「後かたづけができる」というようなことです。これを子どもに意識化させ「できるぞ、やれそうだ」と自信になるように励ましていくのです。
 でも、これたけでは、すぐに学習の意欲には結びつきません。さらに示唆を与えるのです。
「友だちが多いんだから、わからないことは質問したり、教え合ったりするといいよ」 
「持久走が得意でねばり強いんだから、学んだことをくり返し覚えていくといいよ」
「後かたずけができるんだから、きちんとした計画を作って学習すると力が伸びるよ」
というようにです。
 すると、子どもは勉強以外のことが学習に結びつくことに気づき、しだいに「やる気」をだしていくようになるのです。
 また、このことは、ほんとうの学力を身につけるうえでも重要な意味があります。というのも、本当の学力は成績のことをいうのではありません。自分で疑問を持ちながら真理・真実を解き明かしていくことの力のことをいいます。
 また、他の人と学び合いながら、そこで体得する認識・行動・感性の総合的なものをいうのです。
 したがって、子どもが自分の生活と行動に自信を持って認識の獲得に挑むようになることは、ほんとうの学力に迫る土台となります。それは、子どもの将来にわたって、学ぶ意欲を持続させる土台ともなるのです。
 親に「学習の方法がわからないので、つまずいているみたいです。どうしたらよいでしょう」と、相談されることがあります。
 大人たちが少し考え合ってみれば、子ども自分でやれることが二つ見つかります。それは
(1)
わからない点を友だちや先生に質問すること
 質問は、わからないことを見つけだして他の人に聞くことです。ですから「わかるため」というだけでなく、その子の自発性を培うのに大きな意味をもっています。
 また、疑問が解けて知的要求が満たされれば、自分の努力の成果ですから感激も大きいのです。
 
そして、友だち同士でやれば友情も深まりますし、先生に教えてもらえば多面にわたって見識を身につけることができるでしょう。まさに一石二鳥いや四鳥にもなるわけです。
(2)
学んだことをくり返しながら身につけること
 人間は何もかも覚えている人などいないでしょう。ですから大事なことは、くり返して覚えなければどんどん忘れてしまいます。一度学んだだけですぐ身につくということはありません。
 そこで、くり返し覚えるのですが、その過程で新しい発見をしたり珍しいことに出会ったりすることもたくさんあります。たとえば「保険」という漢字をくり返し覚えているうちに「検査」「倹約」のけんという字は「へん」がちがうことに気づいたという子どもがたくさんいます。
 ですから「くり返し」は記憶を確かにするだけでなく、想像・創意を豊かにする役割ももっているということができるのです。
 今の子どもが「くり返し」ができないのは「速くて便利な方法」を追求してきた社会が「やればできるはず」の子どもの力を封じ込めてしまっているのです。大人たちこそ反省しなければならないことなのです。
 懇談で親たちは「言われてみれば、そのとおりですねェ」と、うなずいてくれました。私は「今からでも決して遅くはない」ということを強調したいのです。
 それには教師が授業で「質問」を大事に扱い、それを「子ども同士の学び合い」で解決できるように指導することが大事です。
 また、親は「質問とくり返し」の大切さをわが子に話してあげ、時間と手間をかけて実行できるように励まし援助してあげるとよいでしょう。
 親と教師が共同して、その努力をすれば、必ず子どもの力を呼び起こすことができます。それが実行できてくると、生きる力となる学力が子どものものになっていくと思います。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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他職を経て教師になり12年、経験したこととは

 私は教師になるまでの十年間を地方公務員として過ごしました。直接子どもを教える仕事ではありませんでしたが、この間の経験が、後の教職生活の基礎となったと思います。
 教育センターでの仕事が私の人生を変える二の大きな出来事に出会いました。
 一つ目は、教育の現場を外側から見るという経験をしたことです。教育センターのロビーは展示室を兼ねています。市内の学校の展覧会などが開催されます。子どもたちの資質にそれほど大きな差があるとは思えないのに、作品にはかなりの違いがみられます。子どもたちの力を伸ばし発揮させる教師の影響力の大きさに驚きました。
 二つ目は、教育センターに勤務されていたF元校長との出会いです。人間性に触れ、教育のすばらしさを味わい、私もまた現場に出てみたいという思いが強くわきあがってきました。
「教師になりたい」という私の願いは家族から猛反対されました。教師である夫からは、教師は決して甘いものではない、母からは五歳と二歳という幼ない子がいるのに、という母親の立場からでした。
 人生はたった一度しかなく「今」という時間は二度ともどってこないので、夢はあきらめることはできませんでした。
 昼は仕事、夜は家事や育児、みんなが寝静まってからの勉強。しかし無事合格し、教職について赴任したのは奥多摩の緑豊かな小学校でした。自宅から一時間半ほどかかりました。
 教職はやりがいのある仕事で、毎日が充実し、遅くまではりきって働いていました。でも、母とわが子には苦労を強いてしまいました。
 半年たつと、道徳主任になり、東京都小学校道徳教育研究会(都小道)に入会しました。これが私と道徳教育の出合いとなったのです。
 転勤して、二校目で自分を変えた三つの契機は
(1)
教師としての力を高めようと努力した
 良い教師になるには、まず何か一つ、専門とするものを持つことだと思います。人間の力には限りがあります。「一徳は万徳に通ず」です。私にとっては、道徳教育がそれに当たります。
 道徳は人間が人間としてより良く生きていく心を育む大切なものです。教師と子どもがともに語り合い、考え合い、感動し合う心のふれあいの時間でもあります。
 私がつたないなりにも教師としての技量を高めることができたのは、都小道で、すばらしい授業を数多く見せていただいたおかげだと思っています。授業を見ることほど勉強になることはありません。
 また、東京都の教育研究員として研究をしていたとき、同じ研究員の教師と語り合い、教育にかける情熱にふれさせていただきました。私がくじけそうになったとき「私もやらなくては」と思いを新たにして、元気になって帰ることができました。
(2)
待つことを学んだ
 五年生の担任になったとき、一人の女の子が転校してきました。その子がいじめられました。
 いじめた子はすぐわかり、いじめた子と保護者を交えて真剣に話し合い、またクラス全員にも指導しました。しかし、心から納得していないような何かいやな雰囲気が残りました。
 クラスがいったん嫌悪な状態になってしまうと、元にもどすことは大変です。そうなる前に、先手を打っていかなければなりません。
 この出来事をきっかけに、私は教育相談の大切さをひしひしと感じました。深い子ども理解と、先を見通して問題を解決していく力を身につけることは、教師にとって欠くことのできないものだと思いました。
 そこで、スクールカウンセラー講座を受講する決心をしました。一年間通い続けた結果、自分が大きく変わっていったことを発見しました。それは「待つことができるようになった」ということです。
 私は「俺についてこい!」タイプの教師であったように思います。それまでの私では考えられないほど、ゆったりと子どもを見られるようになりました。子どもの個性の違いにどう対応し、どう伸ばしていくかを考えるようになってきました。
(3)
学校全体に目を向けることを学んだ
 校長先生から、保健主任などの仕事を任され、常に細やかな指導を受けました。自分のクラスのことだけでなく、学校全体を見渡せる人間になるようにという配慮であったと思います。
 私の教師としての理想は、体全体で子どもとぶつかり合うことです。そのためには、教師としての専門的な力量を磨くと同時に、人間として魅力のある人になりたいと願っています。
 ふり返ってみれば、あっという間に過ぎてしまった12年の歳月でした。うまくいかないときの方が多いような気がします。もともと根は楽観的な方ですが、落ち込むこともあります。
 悪いことのくり返しになったら、きっぱりと悪循環をたち切らなければなりません。そんなとき、私は一度、立ち止まってみることにしています。そして、次の二点を点検します。
(1)
子どもへの要求が高すぎないか
(2)
子どもへの要求が多すぎないか
 目の前のこの子たちの現在の実態をしっかり把握し直して、少しずつ目標を高めてやることが大切です。
 先輩が教えてくれた言葉に「教師の力以上の子どもは育つが、教師の想い以上に子どもは育たない」というのがあります。
 教師の意識が低いときや、もうこのへんでいいやと思ったとき、そこで止まってしまうような気がします。何としても、こんな子に育ってほしいという夢は、大きくもっていたいと思います。
 ずっと高学年を担任していますが、毎回子どもたちは違います。同じことのくり返しではなく、子どもたちの変化に柔軟に対応していけるような「しなやかさ」をもっていきたいと思います。
(
平林和枝:東京都公立小学校教師。道徳教育の著作多数あり)

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子どもとコミュニケーションをとり、毎日無理なくつながるには、どうすればよいか

 「子どもたち一人ひとりを大切に」というスローガンは日本中の学校で掲げられているでしょう。大切な考え方と言えます。
 しかし、子どもたち一人ひとりを大切にするために、具体的にどうしていけば良いか、あまり語られていないのが実情です。具体的にどう取り組めばよいのでしょうか。
 子どもたち一人ひとりを大切にするために、まず一番に心がけなければならないことは、毎日1回はクラスの子どもたち全員と一対一のコミュニケーションをとるということです。一日に1回も関わらないで、その子を大切にしているとは言えません。
 では、どうやって子どもたち一人ひとりとコミュニケーションをとるのか。おすすめなのが授業中に「机間巡視をしながら子どもに声をかける」ということです。
 机間巡視しながら「おっ、いいね」「すごい」などと、ほめたり、「もう少しでできるね」と励ましたりします。「おもしろいデザインの鉛筆だね」など、たまには授業と関係のないことを話しかけるのも良いでしょう。
 とにかく、1時間の授業で1回は子どもたち一人ひとりに声をかけるのです。これを一日5時間の授業で行えば、5回も声をかけることができます。
 その際、子どもとアイコンタクトをとって、優しく微笑みかけることができれば、さらに言うことなしです。目をあわせたほうが、子どもは教師とコミュニケーションをとったという実感を持ちます。
 こうしたことを行うために、1時間の授業で子どもたちの個人作業の時間を最低でも10分は取るようにします。
 教師が話をしてばかりの授業ではこうした取り組みはできません。子どもたちがじっくりと考える時間を確保するようにしましょう。
 この時間を確保することは、学力の向上にもつながります。ぜひとも教師がクラス全体に向けて話す時間を削り、子どもたち一人ひとりに声をかけるように心がけるとよいと思います。
(
滝澤 真:1967年埼玉県生まれ、1992年より千葉県公立学校教諭、台北日本人学校派遣教員等を経て、袖ケ浦市立小学校教頭。木更津国語教育研究会代表)

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通知表の成績について保護者に抗議されたとき、どうすればよいのでしょうか

 わが子の成績が、なぜこのような評価になるのか、根拠を示してと保護者に激しくせまられたとき、どうすればよいのでしょうか。
 通知表の成績について抗議する保護者には、次のような傾向があります。
(1)
わが子の努力や成果が評価されていないことで不満
(2)
塾などではよい成績なのに、学校の成績が塾のように評価されていない不満
(3)
日頃の教師の指導が行き届いていないのではないかという不安
(4)
日頃のテストなどではよい点数を取っているのに、その成績が通知表に反映されていないのではないかという疑問
 保護者の心の奥には、通知表が悪いということだけでなく、日頃授業で、本当に子どもを見てもらっているのかという不安もあるわけですから、安心してもらうように時間をかけて話し合うようにしていくことが大切です。
 不満を訴える保護者は、教育に関心がある人が多いものです。日頃の指導法について関心があるわけですから、授業中のことや、子どものことについて話し合い理解を深める機会にするといいでしょう。
「このごろ少し大きい声で本を読めるようになってきました。家でも読む応援をしてくださるからだと思っています。底力があるのだと思います」
というように、子どもの様子、特に親の気づかないよさを話題にして、家での様子をたずねると、保護者も心を開いて話に乗ってきてくれます。
 通知表への不満を解きほぐし、よさや可能性について話題を広げていくようにします。
 通知表の評価について教師の自信のない反応は、保護者に不信と不安を与えることになります。逆に放漫な態度はかえって反発されます。
 子どもがよくなるためには、どうしたらよいかについて考え合うために留意することは
(1)
優れているところ、得意にしている所を伸ばし自信をもたせる
(2)
もう少し努力をすれば、力が発揮できるところを見つける
(3)
親に協力してもらうところ、教師が引き受けるところはどこかを理解し合う
 保護者の一面的な思い込みで誤解をされないようにするには、子どもにとって今何が大切か、学習という話題で話し合うと理解が得られるものです。
 保護者の抗議に、感情的に対応してはなりません。腹がたっても、それをおさえることができてこそ、教師なのだと思うことです。
 保護者の言い分をよく聞いて、その後に教師が発言するといった、慎重さも大事です。問答無用といった姿勢をみせれば、わかり合える話も、わかり合えぬまま終わってしまいます。保護者との信頼関係は、一歩一歩築いていくものでしょう。
(
吉永高司:元大津市立小学校管理職)

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小学生が学級崩壊を経験し、その学級崩壊から学んだこととは

 小学二年生のとき、父の転勤で東京から地方の学校に転校しました。無口な男の担任の先生がいないところで、僕を含め四人ぐらいがいじめられていました。
 僕は小学三年生のときに学級崩壊を経験しました。毎朝学校に着くと、すぐけんかが始まって、若い女の担任の先生が来ても止まりませんでした。
 その担任の先生は「けじめをつけましょう」と口では言うけれど、叱るときもぐちぐちと迫力がないし、授業にめりはりがなくて、みんな学校に来るだけでストレスがたまっていました。
 初めは、いじめの中心だった三人の男の子が授業中に関係のないことを大声でいったり、先生を無視したり、トイレに行って帰ってこなかったりしました。
 特に、ストレスのたまりやすいAくんが爆発して、休み時間にみんなに八つ当たりをすると、みんなもどんどん爆発していき、何も対応できない担任の先生の授業を無視し始めました。この状態が一年間続きました。
 四年生になり、学校内では厳しいと言われている男の先生にかわると、ぴたりと止まりました。
 その担任の先生は休み時間になると、みんなと遊んでくれました。授業もメリハリがあっておもしろくなりました。
 子どもたち一人ひとりの話もよく聞いてくれました。僕たちに心のゆとりと、本当の優しさを教えてくれました。
 それからは、授業の妨害も、いじめも、けんかも、なくなりました。
 いま僕は六年生です。四月に父の転勤でまた東京の学校に転校してきました。
 今思うと、担任の先生が子どもたちに、どう接していくかで決まると思います。先生と子どもたちとの距離です。先生と子どもの心のピントが大切だと思います。

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先生の意識を変えると生徒が変わり伸びる、先生や学校を変えるには、どうすればよいか

 学校を変えるためには先生の意識を根本から変えなければいけない。私はシンプルなことから始めました。それは挨拶です。
 先生は教室に入ったとき生徒に挨拶します。学校は思い出や感動を生み出す場所です。それには先生の根底に「元気」が必要てす。元気の素になる最初の行動が「挨拶」です。
 私はいろいろな学校に行くことがあります。その学校の雰囲気は挨拶に一番表れます。先生が挨拶できないと生徒に伝播します。
 挨拶は、それだけでお互いにいい気分になります。人間はいつもちゃんと挨拶してくれる人のほうが好きになってしまうところがあります。
 挨拶は習慣です。単純に勇気も必要です。人としての徳においても大切です。人間関係を築くための最初の一歩が挨拶です。
 私は「先生は経験ではなく、志で決まる」と考えています。「志が高く、先生としてのあり方」が身についた先生は視点をはずしません。年齢にかかわらず、「志が高い先生」がいい教師です。
 志の高い先生は、その生徒のためにしてあげられることを常に考えています。志の高さは意識が高さといってもいいでしょう。「こうしたほうが、もっとよくなるだろう」「ここを変えていったらいいだろう」とすぐ気づきます。そして行動します。
 生徒を注意するときも、生徒がよくなるための注意と、先生の怒りを発散させるだけの注意ではまったく違います。志の低い先生は、その場その場で自分の怒りを発散させるだけの注意になりがちです。
 志の高い先生は生徒のことを考えた結果であり、その子のために必要だから注意をします。そうやって「志の高さをずっと持って、真正面からじっくりと生徒に向き合う」のがいい先生なのです。
 先生の志の高さは、三学期が終わったクラスの状態を見ればわかります。クラスの生徒は担任を映している鏡です。終業式のクラスの状態がその担任の状態を表しているのです。
 そのときに人格が豊かな、志の高い、心の温かい子どもたちに満ちあふれていたら、それは担任がそういう人だからです。
 反対に表面だけを追うような、表層的な部分だけで行動したり、ものごとを考える担任がいたとします。そのクラスは三学期の終業式のときには、そのような表層的な部分でしか生きられない子どもばかりのクラスになってしまいます。
 それは長年の教員生活で見ていて、すぐにわかります。よく「何年かたたないと教育は結果が出ない」と言います。そんなことはありません。たまたま悪いクラスにあたった、ということも先生から聞きます。 クラスがよくなるのも悪くなるのも担任しだいです。
 その結果、担任の志の高さが終業式の生徒に表れるのです。そして、学校の志の高さは卒業式を見ればわかります。卒業式は生徒も先生も涙して、なかなか帰りたがらないとき、それを見て私は、すべての担任のクラスがうまくいっている、と思います。
 私たち先生の仕事は3Kに近いものです。きつくて、汚くて、危険です。教材研究、ふだんの業務、部活動を完璧にこなそうとすると、ほとんど休みはありません。教室がいつもきれいな状態であるためには、泥まみれになって掃除もします。
 しかし、こんなに崇高な仕事はないと思っています。仕事してきて「よかった」「うれしかった」と卒業式に生徒と一緒に泣けるような仕事は他にありません。自分の幸せにも直結します。そんな素敵な卒業式を迎えられるように、先生は生徒と日々向き合っています。
 私は生徒を大事にするとともに、先生を大事にしました。先生を大事にしたら、先生が生徒を大事にしてくれます。
 職員室で、校長が先生の良いところをみつけて「ほめ」スターのようにスポットライトを当てて光輝かせてあげる。先生たちが職員室で輝けば輝くほど、先生は教室で子どもたちをスターにするのです。
 人は認められるとうれしくなります。自分を知ってもらえると安心します。校長である私は、先生のことを全部わかってあげなければいけません。
 新しい学校に赴任したとき、先生と面談して「どんな学校にしたいか」とじっくりと話しを聞いた。「生徒と真剣に向き合い、生徒一人ひとりを伸ばしていくことのできる学校」と先生の答えは皆同じだった。
 そして、学校の進むべき道を明確に決め、「子どもが安心して通えて、私たち先生を信用して、信頼して頼れる学校」とした。
 いばっても人は絶対に動きません。いくらかっこいいことを言っても、実際に態度で大事にしているという気持ちが伝わらなければ動きません。全部わかってあげて、真剣に向き合っていきます。私の志が先生に投影されて、先生が変わっていきます。その先生がそれぞれのクラスを変えていくのです。
 私は先生を大事にしましたが、そのなかでも特に着目したのは学校が好きな先生です。情熱があり、学校が好きな先生というのは、生徒が好きで、そして自分を伸ばしたいという表れでもあります。学校が好きな先生たちを中心に変えていったほうが、すべてうまくいきます。
 では、どうやって学校を変えていったのか。まず、学校が好きな先生に「授業をするから見に来てください」と言いました。授業はこうやるんだということを全部話しました。授業のやり方を覚えてもらい、もう一度、本来の自分を取り戻してほしかったのです。
 その後、学校が好きな先生から一気に広がり、授業を見にくる先生は、ものすごい勢いで増えました。しだいに、先生たちも恥ずかしさを捨てて、もうがむしゃらに学ぶんだ、というふうになっていきました。
 情熱的でない先生も、わかりやすい教え方を知ったとき、目を輝かせていました。やはり、先生になる人はみんな心に熱いものを持っていました。
 先生という職人は、腕のたつ職人の言うことはよく聞くものです。そのためには、校長が圧倒的にうまい授業や生徒指導をして見せる必要があります。そうすれば、職人である先生は、頭領である私についてきます。
 学校を変える主役は先生です。
 先生をまず変えます。生徒を変えるよりもまずは先生を変えます。重要なことは先生にワクワクしてもらうこと。先生が自己改善をし続けること。先生が変われば授業が変わる。授業が変われば間違いなく生徒が変わります。
 先生が一致団結しないと学校は変わらない。学校としてみんなが同じ方向に向かって努力すると、先生が伸び、生徒が伸び、学校が伸び良い結果が生まれます。
 学校の進む方向や道は、幅広く設け、ここで先生に好きなようにやってもらう。
 先生はそれぞれでやり方が違う。進む道が狭いと個々の先生の個性を殺してしまうので許容範囲を広くとる。目指すところが同じなので、共通の目的・哲学を根本的な部分で共有するようにします。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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教師になって20年経ち、経験したこととは

 教師になって20年経ち、少しは広い視野で学校というところを見られるようになって初めて、小学生でも中学生でも、ましてや高校生に至っては、気持ちのほとんどが学校生活以外を向いているという子どもが結構多いということがわかってきました。
 私の教員生活の中で、何となく気分がすぐれず疲れていたように感じていたのは、そういう学校に目の向かない子どもや、その保護者たちとの対応だったのではないかと、今なら思い当たるのです。
 学校嫌いの子どもが学校に来て、学校の仕組みからはみ出したとき、その子を指導したり、相談にのったりすることは、私にとってそれはとても難しいことでした。
 二つ目の学校は東京都立高校の伝統校でした。生徒の気質も私に合っていて、自分はいきいきと毎日を送りました。教師になって十年目、30歳前半のことです。
 授業もいろいろ工夫ができました。同じ世代の数人の教師で、お互いの授業を見せ合いました。そんなことが出来たのは、国語科の教師同士、仲が良かったからです。
 二人の教師が東京都の高校の国語教育研究会の研究授業をすることになったとき、自然と予行演習をしようということになりました。
 まず同僚たちが生徒の役になって模擬授業をしました。そのときには、実際の授業よりずっと質の高い質問が飛び交い、研究授業する教師は冷や汗です。
 しかし、本当はそういう授業を皆やってみたいのです。時間の経つのを忘れ、本当に充実したいい時間でした。
 こういう楽しさはもう二度と味わえないかもしれませんが、このことは今でも私の授業を支える基礎になっています。
 国語科はあたたかく、常に磨き合うという雰囲気でした。授業も共通教材でやっていました。解釈の仕方、文学や言語にかかわる専門のことや、授業についての言葉が飛び交っていて、日々活気がありました。
 このような、人生を楽しんでいるような教師たちの空気は生徒たちに伝わります。こういう状況下では、生徒は何でも教師に話してくれます。生徒の情報が学年の教師に伝わってきます。
 ○○という生徒が△△先生の時間にどんなことを言ったか、また何をしたかみんなわかっていますから、教師と生徒との絆が強くなります。
 こういう良い関係があると職員室にいるだけで、生徒の抱かえている悩みや迷いがある程度わかるのです。そして、教師自身もまた、自分の知らない分野に対して妙な劣等感を抱いたりしなくても済むようになっていきます。
 しかし、20年間の教員生活は順風のときばかりではありませんでした。初めての出産後、半年の育児休業をとっている間に、入学してくる生徒の様子も変わり、教員の構成が異動で大きくかわりました。
 さまざまに変わったところに戻ったとき、私は自分の居場所がなくなってしまったように感じました。
 二年の担任をしている途中で産休に入ったのですが、代わりに入ってくださった教師に遠慮し、復帰したあとは、この学年の授業にでることも控えたのですが、それがかえって自分の居場所をなくす結果になりました。
 このときは、初めての育児、そして仕事の両立という個人的に初めてぶつかる困難も重なったのだと思うのですが、退職したいと校長に申し出るところまで自分を追い込んでしまいました。
 しかし、申し出たあとで、とてもとても淋しく感じました。もうこの仕事ができないと思ったとたん、自分が教師という仕事を本当に好きだったと気付きました。
 そう感じていたとき、校長と教頭が、それは丁寧に引き留めてくださいました。今しみじみありがたいと感謝しています。
 自分は国語の教師として生徒といい授業を展開したいのです。あの国語科の若々しい雰囲気をどこかで追い求めている気持ちがあるのかしれません。
(
原田あけみ:東京都立高校国語科教師)

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保護者とどのように接すれば、クレームを生まず、信頼関係が深まるのでしょうか

 いま、保護者への対応に苦慮する教師が増えています。時代が変わっても、保護者はわが子を心配し成長を願っています。教師は「自分がこの子の親だったら、どう思うだろう」とその親の気持ちをしっかり受けとめる必要があります。
 日ごろから、保護者とどのように接すれば、クレームを生まず、信頼関係が深まるのでしょうか。それには
(1)
すばやく対応する
 すばやい対応は、教師の情熱が保護者に伝わり、保護者の信頼を深めるきっかけになります。「先生は真剣に考え、動いてくれた」となるのです。
 教師は、問題を把握した瞬間から解決に向けて行動を始めなくてはなりません。機を逸してはすべて無になります。対応の遅れは、保護者の教師への不信を増長させる原因になります。
 教師は保護者から苦情や相談を受けた後は、対策を立ててすぐに行動に移ります。保護者に「このようにしました」と連絡することが大切です。
 その成果は、子どもの変化に現われます。例えば「あれから、友だちと仲良くしています」と伝えましょう。子どもの変容という事実こそが、保護者の信頼を得る最大の方法なのです。
(2)
気になる子どもは、すぐ連絡を
 友だち同士のトラブルや教師の指導については、必ず子どもに納得させて帰らすのが基本です。たとえ完全に納得しなくても、下校前には、その子に目をかけて丁寧に接してあげましょう。「先生に心配してもらった」と感じれば、保護者も悪い気がしないはずです。
 子どもがスッキリしない顔で下校し「これは納得していないな」と感じたら、必ず保護者に連絡を入れるようにします。そうすれば、事情を正確に保護者に伝えることができます。手間を惜しまず連絡することが大切です。
 保護者に事実を正確に伝えるためには、当人だけでなく、周りで見ていた子どもたちからも情報を集め、原因や経緯を正確に把握する必要があります。必ずメモを取りながら行います。
(3)
保護者が来校するときは、笑顔で迎える
 苦情などで保護者が来校することがあります。そんなとき、保護者は、不満そうな顔で何か言おうという雰囲気が漂っています。それを見て、教師が緊張して身構える姿勢を見せれば保護者をさらに興奮させます。
 保護者が来校するときは、笑顔で対応し冷静になってもらうことが必要です。不思議なもので、笑顔で対応されると、それまで苦情を言おうと燃え上がっていた気持ちも、調子がくるい、少しは冷静になるでしょう。
 子どものケガや病気など特別な場合を除いて、「忙しいのに、子どものために、ようこそ」と、笑顔で保護者を迎えましょう。
(2)
保護者の勝手な言い分も、余裕を持って、共感しながら聞きましょう
 保護者の話を否定的に聞くと「自分の気持ちがわかっていない」と、保護者ますます教師を責める危険があります。
 保護者は自分勝手でわがままなことを言ってくることもあります。しかし「その気持ちわかります」という教師のひと言が、保護者の気持ちを和らげ、保護者との距離を縮め、話し合いを円滑に進めることにつながります。そのためには、余裕を持って保護者に対応する必要があります。
(4)
保護者が感情的になっても、冷静さを保つ
 保護者が感情をあらわにし、威圧的な態度を取ると、教師は慌ててパニック状態になることもあります。
 感情をぶつけてきた保護者に対しては「相手のペースにのらない」ことを心がけて対応します。相手の言葉をまに受けてカッとなったり、慌ててパニックを起こしたりしないようにします。
 教師は、自分が保護者の話し相手ではなく「誰かに話をしている」と考えるようにします。保護者の感情が「おさまるまで待とう」というくらいの気持ちで、心を落ち着かせることを第一に考えましょう。
 感情的になっている保護者の気持ちを分析しながら相手にしていると、冷静さも保てますし、後の対応にとても役立ちます。こちらが、冷静に対応していると、相手も冷静さを取り戻すようになります。話し合いはそれからでも十分にできます。
(3)
一人だけで対応しない
 一人で対応すると、後で思い違いが生じたとき「言った、言わない」と水掛け論になり、さらに大きなトラブルになる恐れがあります。特に経験の少ない教師は、複数の教師で対応するようにしましょう。
 話し合いに参加してもらう教師は、記録を取ってもらい、話し合いが一通り終わったら、話し合った内容を「ということで間違いありませんね」「これからは、この方向で指導することになりますね」などと、再確認してもらいましょう。
(4)
記録を残す
 後日、話し合いの経過や結果の確認が必要になることがあります。記録を残すことで、正確な事実確認をすることが可能になります。
 保護者が気分を害さないよう、話し合いをする前に「大事なことを忘れないように、メモを取っておきます」と、ひと言ことわっておきます。
 ずっと下を向いてメモを取っていては失礼です。「これは大切だ」という言葉やポイントをサッとすばやくメモするように心がけましょう。電話での対応も記録をします。
(5)
保護者への返事は慎重に
 保護者からの相談や苦情についての対応は、必ず学年主任や管理職に報告します。
 話の内容によって、その場で即答できるものもあれば、学年主任や管理職の指示を仰がなくてはならないものがあります。慎重さを欠いた安請け合い的な返事は、後で大きなトラブルのもとになります。
 学校のきまりはどうなっているのか。学年全体として考えずに、一人の担任の立場で返事(約束)をして良いのか。その場の雰囲気に流されていないか。早くその場から逃れたい気持ちがないか。など、気になることが出てきます。
 迷ったら即答しないのが鉄則です。回答を待ってもらい。主任や管理職に相談したうえで、回答しなくてはなりません。
(6)
保護者と一緒に考える
 保護者から子育ての悩みを相談されることがあります。親と教師は共に子どもの成長を考える協力者として対応しなくてはなりません。
 保護者から相談があった場合、保護者と一緒に考える姿勢を示すことも大切です。「どうすれば良いか」を保護者と一緒に真剣に考えるのです。
 教師が大まかな方針を提案し、具体的な方法を一緒に考えるようにします。例えば、わが子が「勉強がわからないと言っている」というものであれば、
「集中力が身に付けば成績も上がると思うので、良い方法を考えましょう」といった具合です。
 ズバッと解決策を示すよりも、一緒に考えながら導いてあげるほうが、保護者には心強く感じられ、後々頼りにもされるようになります。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良市立公立小学校教頭。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」という主張のもと、「叱り方」研究会を立ち上げる。講演会や専門誌での発表活動を行っている)


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話しの通じにくい保護者には、どう対応すればよいのでしょうか

 話しの通じにくい保護者に、多くの教師が苦労していることを私は知っています。信じられないような話も、全国各地で聞きました。
 例えば、子どもが学校でケガをしたので家へ電話したところ、それほどのケガではないのに母親が救急車を呼び、教師たちが唖然としたという話があります。こうした事例は枚挙にいとまがありません。
 大人たちのモラルや良識の崩れは、子どもの荒れどころではないとさえ思います。もちろんこうした保護者とのつきあいは、容易なことではありません。
 電話などでは無理でしょう。つごうをやりくりして、家庭訪問して、直接話し合うのがよいと思います。若い教師は一人ではなく、ベテランの教師に同行してもらうのも必要なことです。
 子どもや保護者に信頼される学校づくりを強く意識して取り組まないと、保護者との深いつきあいをつくりあげることはむずかしいと思います。
 教師が保護者に気づかうべきことを具体的にあげると
1 話の通じにくい保護者には
(1)
話の通じにくい保護者ほど正確な情報がつかみにくい環境にあったり、保護者の生育過程が苦難の多かった場合が多い。したがって、時間をかけ、あきらめずに合意づくりを続けるようにする。
(2)
電話や家庭訪問がむずかしい場合は、手紙がよい。とりわけ厳しい生活状況下にある保護者には、励ます手紙が必要といえる。
 手紙で成果を生んだたくさんの実例があります。例えば、わが子に暴力をふるう父親が、女性教師の幾度となく出した手紙によって改心してくれたという話。
 ツッパリの子を放置していた両親が、教師の手紙によってわが子に目を向けるようになったという話など、明るい話があります。
(3)
教師だけで話が通じない場合は、他の人の仲介で合意づくりをするのもひとつの方法です。間接的に他の人がかかわってくれたことにより、教師の願いが実現した例もあるからです。
(4)
話の通じにくい保護者でも、わけへだてなく対応することが重要。「いつかわかってもらえる」ことを期待しながら。
(5)
子どもへの虐待のおそれがある場合や、保護能力に欠ける保護者には、当然のことながら児童相談所、人権擁護委員会などとの協議が必要です。児童福祉施設での保護も必要となってきます。
 自分だけで判断し対応するのは、決して好ましいことではありません。一刻も早くその子を苛酷な状況から救出するために、全教職員で話し合い、全校的な問題として考え合うことが大切です。
2 日常的な保護者とのつきあい
(1)
子どもに何か問題があったときだけ電話などで連絡するのではなく、進歩したこと、成長したことも伝えるとよい。
(2)
病気などで欠席した場合、すばやく電話してようすを聞くことが大切。保護者とのつきあいの大事なチャンスにもなる。
(3)
連絡帳・学級通信・学年便りなどは、事務的な連絡だけでなく、子どもの姿を記し、教師の思いや心が伝わる工夫をするとよい。
(4)
大事なことについては、電話でなく、必ず訪ねて対話する。
3 学級懇談
(1)
保護者が話しやすいように、日常の班・グループを活用した座席にすると効果的。
(2)
懇談のはじめは子どもたちの進歩してきた事実を伝え、家庭での進歩のようすも聞いてみる。そして、欠点や課題については、後半で話し合う方が充実する。
(3)
勉強について話題にするときは、具体的な資料を用意し、保護者に「よい点・悪い点」がよくわかるようにする。また保護者が何をすればよいかが理解できるように、具体的に提案する必要がある。
(4)
話すことに抵抗のある保護者が多い場合、小さな用紙を配布して「話したいこと・聞きたいこと」を書いてもらい、それにもとづいて懇談するもの工夫のひとつ。
(5)
学級の行事(お誕生会・レクレーション・体験学習など)には保護者の参加を求め、共同してすすめるよう工夫する。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)


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子どもと「楽しいやりとり」でつながると、指導効果が上がり教室が明るくなる、どうすればよいか

 教師の皆さんは、授業を楽しんでいますか。教師にとって、授業は最も難しいものであり、最も楽しいものでもあります。
 その授業の楽しさの一つに「子どもたちとのやりとり」があります。教師からの問いかけに、子どもの意外な発言に思わず大笑いしたことは誰しもあると思います。
 楽しい「子どもたちとのやりとり」で子どもたちとつながると、教師の指導の効果があがり、教室が明るい雰囲気になります。
 子どもたちと「やりとり」する際、次の2点に注意する必要があると思います。
(1)
教師が子どもとのやりとりを心の底から楽しむ
 人が他人から受けとる情報の7割は、非言語コミュニケーションといわれています。
 目を大きく開けて驚いたり、手をたたいて大きな声で笑ったりするなど、表情、身ぶり手ぶり、声の変化などをフル活用して、子どもたちとの「やりとり」を心から楽しむことが、子どもたちとつながろうとする意思を示すことになります。
(2)
子どもたちの反応をよく見る
 教師だけが楽しんで、子どもが楽しんでいないのでは、意味がありません。子どもたちをよく観察し、タイミングをよく考えて取り組むといいでしょう。
 なかには、乗ってこない子もいるということも承知で取り組むといいでしょう。「これをやったら絶対にうまくいく」というものはありません。子どもたちと共にペースを合わせながらやってみてください。
 授業に多少の無駄な部分を意識的に設けることで、授業にメリハリができ、楽しい雰囲気ができて、子どもたちのやる気を引き出すことができます。つぎのように、子どもたちとの「やりとり」を楽しんでみてみださい。
(1)
ダジャレでおもしろい雰囲気を                        
 ちょっとしたダジャレで、子どもたちとの「やりとり」をつくりやすくなります。例えば、図形の学習で「平行四辺形はこうやって書くんだよ。へえ、こう書くのか、ってか」
(2)
反応が悪かったときこそチャンス
 授業で発問したとき、反応がなかったり、挙手が少なかったりするとき
「ごめん、今のは英語だった。きみたちにわかりやすいように、日本語でもう一度言うね」
と、もう少しかみ砕いた言い方で問いなおします。
 また、ダジャレに反応がなかった場合、教師が「今のは笑うところなんだけど」と言って笑顔で強制したりします。
(3)
グッスは魔法の道具
 子どもたちと「つながる」ためには、グッズなど使うと便利です。
 厳しく指導したいとき雰囲気が悪くなる恐れがあります。そのとき、ハンドパペットを使って、そのキャラになって話すと、感情的にならずに指導することができます。
 節分のときに、鬼の面をして授業をしたりすると、子どもたちは大喜びして盛り上がります。
(4)
雑談でつながる
 授業中の雑談が子どもたちと教師が「つながる」ことがあります。授業の流れの中で、教師自身の体験談や失敗談を話すと、教師の人間味や生活背景を子どもたちに示すことになります。
 また、子どもたちに人気のアニメやテレビ番組などについて雑談をすると、親しみをもってくれるようになります。
 授業内容に関連する歴史上の人物の人柄やエピソード、理科の実験の豆知識を話したり、流行りのキャラクター、時事ネタを混ぜて話したりすることで、子どもの頭に残りやすくなります。
(5)
隠すとワクワク感が
 教材を紙袋に入れて教室に持ってきて、わざと子どもたちに見せないと、子どもたちは「何々~?」と興味を引かれます。
 板書で重要な所を四角囲みに白抜きすることで知識をあえて隠すと、子どもたちの知的欲求を引き出すことになります。
(6)
板書をわざと間違える
 わざと間違えると、子どもたちは必ずといっていいほど反応してきます。そこで「そう、実はここはよく間違えやすい所だから、あえて間違えたんだよ。よく気付いたね」と、趣意を説明して正しい書き方を指導します。
(7)
子どもたち一人ひとりとコミュニケーションする
 子どもたちのやる気を引き出すには、個別に声をかけることが最も効果的です。教師に声をかけられ、ほめられたいのです。
 子どもたちに活動させたり、ノートに書かせたりするときは、机間巡視をしながら個別に声をかける大きなチャンスです。 
 ちょっとした声かけを毎日積み重ねていくことが、子どもたちのやる気を引き出すことにつながります。
 私たち教師がずっと不機嫌な顔をしていたら、子どもたちは当然、嫌な気持ちになるでしょう。子どもたちが気持ちよく過ごせるように、教師は毎日、笑顔で上機嫌に過ごす必要があります。
 でも現実には、仕事の忙しさ、子どもたちのトラブルなどで、余裕が失われ、笑顔でいられないときは、たくさんあります。しかし、笑顔で居続けようと意識することはできるはずです。
 
「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」という言葉があります。笑顔でいれば、自然と楽しい気持ちになり、声のトーンも明るくなり、優しい口調で話せるようになります。
 そのためにも、ふだんから、鏡の前で笑顔の練習をしましょう。続けることで、自然と笑顔でいられるようになってきます。
(
堀内拓志:三重県四日市立小学校教師)

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初任者や若い教師が授業の腕をあげるには、どのようにすればよいか

 ある初任者指導研修会で、私は次のように初任者の先生に問いかけた。
「あなたがたは、これから授業をいっぱい積み重ねていけば、そのうち授業の腕が上がっていくと思っていませんか?」と。
 すると、ほとんどの初任者の先生はこっくりとうなずいている。
「ああっ、やっぱりそうだったんだ!」と私は思った。
 このことが幻想であることは、すぐわかってくる。いっぱい授業を積み重ねている中堅やベテランの先生たちが、たいして上手な授業をしていない現実に気づいていくはずである。
 授業の腕をあげるためには「意図的な授業づくり」を試みていかなくてはならない。  
 初任者の先生の一番の不安は、どのように授業をこなしていったらいいかということである。初任者の先生がどんなところで悩み、つまずくのでしょうか。
 授業の準備はどうすればよいか。どんなに忙しくても授業づくりで「はずしては、いけないこと」がある。それは「この1時間で、子どもにたちに何を学ばせていくか」。これが抜けてしまうと、焦点がぼけてしまうので、子どもたちは学んだことが身につかない。どうするか
1 まず、ノート一冊を準備しよう。 
2 1時間目からの授業メモを記入する。 
(1)
その授業の本時目標をメモする。
(2)
「始め-中-まとめ」での発問や活動などをメモする。
(3)
授業後の反省を簡単に書く。
例えば、国語(物語文「大造じいさんとガン」)の教材研究は
1 教科書を、最低2回は読み、場面分けすることが必要。
2 指導書で次のことを確認する
(1)
単元目標を確認する
  場面の移り変わりに気をつけて、中心人物の行動や心情の変化を読む。
(2)
指導したいこと(具体目標) 
 大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化を読み取る。
(3)
時数を確認-6時間
 指導書を調べることや、ネット検索が教材研究だと誤解しないことである。大切なことは、自分なりの教材研究ができるように力量を高めていくことである。
 初任者の授業を見ていると、共通しているのが、授業の8~9割を教師がおしゃべりをする。せめて教師のおしゃべりは5割に収めていく必要がある。残り5割は、子どもに次のような活動をさせる。
(1)
ノートに書かせる(書く活動)
(2)
どんどん発言させる(話す活動)
(3)
話し合いをさせる(話し合い活動)
(4)
作業や体を使う活動
 初任者の授業は、ほとんどが、一部の子どもが「挙手発言」する授業になっている。授業は、子どもの「全員参加」をどのように組み込んでいけるかにかかっている。全員参加すれば授業は安定していく。
それには、授業の基本的なかたちとして
(1)
学習課題を確認し、説明し、発問して子どもに考えさせる。
(2)
子ども一人ひとりが、自分が正しいと思う解答をノートに書く。
(3)
発表する。(教師がペア、グループ、座席の列などで、子どもを指名し発表させる。複数の発問で全員が発表できるようにする)
 授業をしていて、初任者が心配なのは「子どもたちに学力が身についているか」ということである。
 初任者は最初、初任者なりの授業しかできない。これは仕方がないこと。しかし打つ手はある。「基礎・基本」を毎日繰り返し練習させることである。
 どうするのか。例えば、国語は「漢字・音読」、算数では「計算、公式」をさせる。国語は新出漢字を毎日2,3字扱っていく。本時の音読を必ず5分取っていくようにする。
 算数は、授業の最初と終わりに5分間復習する。毎回することによって基礎的な学力が確保できるようになる。
 初心者が次のような状態で授業ができるようになったら、まずは合格である。
(1)
子どもたちの顔を見ながら授業をしている。
(2)
きちんとはっきりした声で子どもたちに話している。
(3)
子どもの間を机間指導できている。
 授業がまずいと、ざわざわし、落ち着かない子、つまらなさそうにしている子も目立つ。どうしたら子どもたちをひき付ける授業になるのだろうか。
 はっきりしているのは、すぐには授業技量を上げることはできないということである。指摘をうけても克服することは、なかなかできない。
 意識して積み重ねないと授業技量は向上しない。授業技術は、繰り返し行い、意識しなくていい程度の状態になって、初めて身につく。
 確実に授業技量を上げて行くには「一人研究授業」を私は提案したい。どうするのか?
 簡単に言えば、自分の授業を録音して、それを聞くことである。録画という方法もあるが、まず、肝心なのは自分の指導言「発問・指示・説明」である。そのことに集中したほうがいい。
 授業では、教材研究の成果は「指導言」に集約されるからである。それを向上させていくことが、授業技量を上げて行く大きなポイントになる。では「一人研究授業」は具体的にどのように行うのか。
1 自分の授業を録音する
(1)
研究授業ではなく、普通の授業がいい。
(2)
子どもたちには「先生が勉強するために録音するだけだから」と断ればいい。
2 がまんして聞く
(1)
はじめは最後まで聞き通すことは難しい。
(2)
自分の声、あいまいな発問や指示、説明に嫌気がさすためである。でも、その授業を、子どもたちは毎日聞いているのである。そう考えて、がまんして聞く。
3 自分の指導言「発問・指示・説明」の問題点(口癖、無駄な言葉など)をチェックし、きちんとメモをする。
 これを「月に一回」行う。でも、時間に余裕があれば、もう少し短時間に回数を繰り返しできればもっといい。
 例えば、1回目で次のような反省がメモされたとしよう。
(1)
話が一本調子で、暗い感じで話している。
(2)
だらだら話していて、指導言がめちゃくちゃだ。
(3)
フォローがほとんどない。
 2回目は、次のような視点を設けて、授業に取り組んでみよう。
(1)
指導言「発問・指示・説明」をきちんと区別できるようにしよう。
(2)
フォロー(いいね。すばらしい、その調子、ステキ)を入れるようにしてみよう。
 この研究法で技量が向上するのは「自分の授業を客観視することができる」からである。
 最初に録音した授業を聞くと、自分の声や話し方に嫌気がさす。あまりにも自分でイメージしているものと違っているからである。
「私は、こんな声や話し方をしているのか?」と、がく然としてしまう。
 でも、ここからである。この感想から、どのように立ち上がれるかが、これからの教師生活を決めてしまう。それくらい大きなできごとである。
(
野中信行:1947年生まれ、元横浜市立公立小学校教師、学級組織論を研究、実践を私家版で発行した。全国各地で教師向けの講座やセミナーを行っている)

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責任を他人のせいにする母親が増えてきています、よい父親になるにはどうすればよいか

 自分の子が具合の悪いことをしたとき、その責任を他人のせいにするのを他罰主義と言います。このところ他罰主義的傾向の母親が相当増えてきています。
 他罰主義的な傾向の強い母親は、たいていのことは自己中心的に物事を処理します。授業参観で授業中だというのに、顔見知りの親同士で、まったく授業とは無関係な話を平気で交わしています。
 他罰主義的な言動を親が示していると、子どもは自分の行いのよしあしをきめる指標を持たなくなっていきます。
 そのため、子どもは自己中心的な考えの子になってきています。自分が悪いのではなく、教師とか、友だちが悪いために、自分がその犠牲になっているのだというとらえ方は、子どもの心を貧しく、手前勝手な人柄にしてしまいます。
 他罰主義は、子ども心に「ぼくの言うとおりにしなかったから、殴ったり蹴とばしたのだ。悪いのはあいつだ」と、すべて自己中心的な見方や感じ方を助長することに手を貸すことになります。
 友だちをいじめたりしても、自分の不都合さは棚上げにして、すべて相手のせいにしたりします。成績が悪いのも、教師の教え方が拙いためだとし、自分が勉強を怠っていることに原因があると思わないようになります。
 そして、自分から努力していくことこそ、もっとも大切なことだということを知らないままで過ごすことになります。これでは、子どもの成長がひどく歪みます。
 よい父親になるにはどうすればよいのでしょうか。子どもにとって快いお父さんになるのは、かんたんです。
 ひとつは、わが子が大好きということです。もうひとつは、わが子のすてきな面や、すぐれたところを実感として知っていることです。
 そうすれば、わが子を尊敬するようになります。いつのまにか、ものの言い方も変わってきます。おのずとていねいな話し方をするようになります。
 そして、お父さんの得意技を伝授したり、幼少のころの遊びや風景や行事などを語って聞かせるようになります。
 悪い成績でも「いまは、あまり勉強していないからだよ。だから30点しか取れないのだよ。でも、これから百点まで伸びていく楽しみがあるじゃないか。こんどは50点ぐらいの点を取っておいでよ」と、プラス思考でわが子を認めていくようになります。子どもから見て、安心できることが、良きお父さんなのです。
 子どものよいところを知っているというお父さんは、愛情面だけでなく、理性面においても成熟した父親だといえます。
 大人の世界でもそうですが、相手のすぐれた点や、長所が分かるようになってくると、相手の人も自分を信頼してくれるようになってきます。そして、仕事もはかどり、職場の雰囲気ものびのびとしてきます。
 また、母親に対しても、
 
「しつけは、愛情と根気がいるよ。どなりつけたりしないことだ。微笑と優しさを通じてしつけるべきだ。うちで欠けているのは慈しみじゃないかな」と、少し機嫌のよい時を見計らかって、おだやかに妻に言うべきでしょう。
(
岸本裕史元:19302006年、神戸市生まれ、小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)結成し、代表委員)

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教育は子どもとの関係づくりから始まります、どのようにすればよいのでしょうか

 子どもと大人が、よい関係をつくるのは大人の役です。学校で教師と話の通じない子が一人でもいたら、それは教師の責任です。教育はまず、子どもとの関係づくりから始まります。
 私が山深い里の学校から秋田市の学校に転勤しました。初めての町の子どもたちが、担任の私をわざと無視して繰り返すいたずらに、その都度、神経質に注意し説教をしていたのです。
 新参者の私は、同僚たちに負けてなるものかと、精一杯に立派な説教、厳しい注意を心がけました。
 ところが不思議なことに、同僚たちの平凡な注意に、ガキ大将たちがよく言うことを聞くのです。どうしてなんでしょう。
 教師と子どもとの間柄には、わずかの言葉で注意しただけで素直に従うという関係もあるし、教師が立派なことを言えば言うほど軽蔑し、厳しく注意すればするほど反発する関係もあるということを、私は子どもたちから、しっかりと教えられました。
 教育は、教師の知識や技術、発言する言葉によってではなく、教師と子どもとの信頼関係によって成り立つものであったのです。教育は、教師と子どもの人格の出逢い、人間性の触れ合いとして行われるものであったのです。
 知ったかぶりをして、おしゃべりをする私は、授業もキザであったし、子どもを支援する心遣いも不十分で、考えてみれば、子どもに尊敬され、信頼される実績は何もなかったのです。
 ただ、説教と注意だけは同僚に負けないほど立派だったと思うのですが、一人ひとりの子どもに対する愛の実績の伴わない言葉は、子どもの心に少しも響かなかったのです。
 必死に説教する私の言葉を、子どもたちは「関係ない」とはねつけていたに違いないのです。私が毎日のように注意し説教する子どもとの間には、熱い血の通う人間関係など何もありはしなかったのです。
 では、教師と子どもとの人間関係づくりは、どうればよいのでしょうか。
 それは、その子の上に、教師が温かい心を雨のように降り注いであげることです。できる限りの善意と親切の手を差し伸べてやることです。千回裏切られても愛することをやめないことです。
 
「ああ、こういう大人もいるのか、大人も信頼できるものなのか、私の先生はいい先生だ」と、疑い、警戒しながらも、子どもの心がそんなふうに動いてくれば、その子は教師の話を少しは聞くようになります。少しは話すようにもなります。
 子どもと教師との間柄は、人間関係が出来ている分だけ話が通じるのだと私は思います。人間はお互いに助け合って生きていく生き物ですから、いちばん助けてほしいところに助けの手を伸べてくれる人と人間関係が出来るのだろうと思います。
 問題行動を繰り返す子どもの心の奥には、大人の理不尽な仕打ちに傷ついて、血を流して泣いている所があるのです。問題行動は、助けを求める信号に違いないのです。
 いちばん助けてほしいところに助けの手を伸べてくれる大人がいれば、子どもはその人に温かい人間を感じ、凍った心も溶け出して少しずつ話をするようになるのだと思います。
 長い間に形成された大人不信を抱いた子と、心のつながりを持つことは、並大抵のことではありません。いっときの親切や、気の向いたときの言葉かけなどでは、人間関係はできません。
 それに、教師と子どもとの間にも相性みたいなものがあるらしくて、人によって、心の通じ合うのに長い時間がかかることもあるのです。
 そういう時こそ教師仲間の出番です。教師みんなの結束や、学年の連帯で、お互いに、自分ではやれない所を助け合うことです。
 ほかの教師のよさを子どもに語るのには、何の遠慮もいりません。ほかの教師が子どもに「○○先生は、陰ではお前のことをほめていたぞ」など、本人が言えば鼻持ちならぬ言葉も、他人が言えば美しいのです。悩みぬいている同僚のために、これぐらいのことは言ってあげられます。
 こういう教師集団の中で、未熟な教師も次第に成長し、いままでは通じなかった説教や注意が、その子の心の中に染み込むようになるのです。話の通じる関係づくりには、教師仲間の力添えも欠かせません。
 学校におけるその子の親は担任です。周りの教師は、決して自分だけがいい子になることなく、多少は悪者になっても、その子と担任の絆が結ばれるように手助けしてあげるのが人の道です。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校長会長を務めた)

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授業中、不安を感じる子や、おしゃべり、立ち歩く子がいるとき、どうすればよいのでしょうか

 授業時間は学校生活の中で多くの時間を占めるため、授業で子どものやる気を引き出すチャンスはたくさんあります。うまくいかないときがあっても、別の時間に取り返すことができます。
 1時間、1日の授業だけで、子どもたちとの関係が築かれるわけではありません。毎日少しずつ積み重ねていくことで、子どもたちとつながっていくのだと思います。子どもたちに安心感を与えられるように、子どもたちと粘り強くしっかりと向き合っていきたいものです。そのためには
1 授業に不安を感じている子どもたちには
 たくさんの子どもたちが集まる教室では、楽しいと感じ授業に臨む子どももいれば、「できるかなあ」と不安を感じている子どももいるはずです。
 私は「できるかなあ」と不安を感じている子どもたちが「大丈夫。一人じゃない」という気持ちを持つことができるようにしたいと思っています。
 授業でわからない課題に出会ったとき、仲間に聞いてもいいし、教師に聞いてもいい学級にしたい。
 
「一人ではできないことも、みんなと一緒だったらできるかもしれない」と、思えば、難しいことでも挑戦できるかもしれません。
 仲間の力をちょっとずつ借りながら、無理だと思っていたことも達成できたら「自分にもできた! 次もやってみようかな」と、次の意欲へとつながります。このような成功体験の積み重ねが自信へとつながると考えています。
 教科によっては、ある知識について「○○博士」と言われるくらい、とても詳しい子どもがいます。そのような子どもが活躍できる場面を意図的につくります。
「歴史博士の○○くん。よかったらみんなに、織田信長のこと教えてほしいんだけど」とお願いします。そして発表後「教えてくれたありがとう」と、たくさん学べたことを伝えます。
 教師自ら子どもに「教えて」と聞く姿勢を見せることで、「聞くことは恥ずかしいことじゃない」と子どもたちに思わせることができます。それと、認められた子どもと教師がつながります。このような場面を、いろいろな教科で少しずつ繰り返していきます。
 ペアやグループ学習で、わからないところを「教えて」とたずね「これは・・・・」と伝えている姿がみられたときは「いいね、こういう場面がたくさん出てくるにしたいよね」とすぐに子どもたちに伝えます。
2 授業中におしゃべりする子どもがいるとき
 授業に参加せずにおしゃべりをしていたり、ノートに絵を描いていたりする子どもがいます。以前、私は「サボっている」と、腹を立てて、その子を叱っていました。
 しかし、子どもの視点に立って、どうしてやりたくないんだろうと考えました。そうすると「やらないのではなく、やれない理由があるのかも」と思いました。
 勉強の内容がわからない。しかし、教室にいなくてはいけない。「どうしたらいいの? つらいよ」という訴えが、おしゃべりなどの行動に出ているのではないかと考えるようになりました。
 だから、叱るのをやめました。できるだけ寄り添うように声をかけ、どこでつまずいているのかを理解して支援するようにしました。具体的には次のようにしています。
(1)
そばに行って「○○くん?」と名前を呼び、授業に意識を向けさせる。
 
「はっ」として取り組み始める子もいます。「あ、しまった」と自分で気付いてできるようになる子もいます。
(2)
「今ね、この問題やっているんだけど、どうかな、できそう」と、やることを確認する。
(3)
やろうとした努力の跡を見つけて「ここまで頑張ったんだね」「ここから、わからなくなっちゃった? 一緒にやろうか」と、やろうとした意欲やできているところを認め、最後まで取り組めるように支援する。
 教師は気付かないうちに、教師という色のついた「メガネ」をかけてしまっているのではないでしょうか。ありのままの子どもの姿をとらえ、支援していくことで、子どもは「先生、わかってくれた」と感じ、やる気を出すことができると思います。
3 集中力がなく、立ち歩く子どもがいるとき
 声をかけても、それだけでは難しい子どももいます。先生に注目されたと感じ、注意されても繰り返します。
 以前の私は「なんとかしなければ」と、つい手をかけすぎて、一人の子どもにつきっきりになってしまったことがあります。しかし、子どもの行動は全く変わらず、学級も落ち着きがなくなってしまいました。
(1)
授業中に立ち歩いたり、不適切な発言には対応しない。自分の気持ちが抑えきれずに怒り出した場合も対応しない。
(2)
その子が頑張ったことや適切な行動ができた場合は、小さなことでも認めて思いっきりほめる。
 集団の中で不適応を起こす子に対して、私は「どんなあなたでも、先生は大切に思っている」という気持ちをもつようにしています。そして、子どもが「先生は自分の味方」と思えるように粘り強く寄り添います。
 適切な行動ができたときには思いっきりほめることを繰り返していくうちに、少しずつ変化が見られるようになるでしょう。
 毎日少しずつ積み重ねていくことで、子どもたちとつながっていくのだと思います。そして、子どもと教師の間に信頼関係が築かれ、安心感が生まれます。安心感はやる気へとつながります。
(3)
学級の他の子どもたちを大切にする。
 授業に参加しない子につきっきりになってしまうと、学級の他の子どもたちは、一生懸命に授業を受けているのに待たされることになります。「先生は○○くんをひいきにしている」という気持ちが出てきて、教師との関係が崩れてしまいます。
 教師はそれ以上は対応せず、他の子どもたちと楽しく授業を進めていくことも必要だと思います。子どもたちは、この対応を見て「先生は私たちのことも大切にしてくれる」と感じることができるからです。学級の雰囲気も温かくなります。
(
白根奈巳:愛知県名古屋市立小学校教師)


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学力を身につけ勉強大好きという子どもに変えるには、どうすればよいのでしょうか

 計算練習をやっても、たいして頭を使うわけではないし、考えをつけるうえでほとんど役に立たない。だから文章題とか、もっと難しいことをやらないと頭がよくならないと思っている人はとても多い。
 おそらく9割以上の人はそう思っていることでしょう。そういう思いは、親だけでなく、多くの教師もそう思っています。私もそうでした。
 しかし、川島隆太教授()が、ごく単純な計算に取り組むと、計算をつかさどる左頭頂葉だけでなく、前頭葉・頭頂葉・後頭葉と、脳全体が活動していることが発見されたのです。
 脳神経細胞同士のつながりが強化され、太くなり情報が非常に流れ易くなっていく。計算練習は、まさにそういう働きをする勉強でと言えます。
 読み書き計算の力は、毎日毎日の短時間集中型の勉強を継続して取り組むなかで、子ども自身がびっくりしたり、感動したりするほど、目覚ましく伸びていくのです。
 学力を身につけるには、毎日、ほんの少しの時間でよいのです。そう、小学校一年生であれば、日に10分、三年生なら30分、六年生であれば60分、それだけの時間を、読み書き計算の練習に当てるのです。
 こつこつと続けてさえいけば、一学期間に驚くばかりの伸びを示します。この体験は、子どもを勉強大好きという子に変えていきます。取り組んだ子には、自信と誇りをもたらします。「やったらできる子なんだ」と、その子の人格の発達に好影響を及ぼします。友だちに親切で、学級の仕事もよくやり、信頼される子どもへ成長します。
 子どもたちの未来は、確かな読む力、書く力、計算力という学力の基礎をしっかりと身につけるかどうかにかかっています。
 読み書き計算という地味な勉強は、子どもが根気よく、粘り強く、勉強や仕事を続けていく心性を育てあげていく効果的な学習です。読書好きの子にすること、書き取りの練習を毎日続けていくこと、計算が正しく早くやれるように、こつこつ勉強を積みあげていくことは、学力と人格をつくりあげていきます。
 読書は、文字や文章を読むことによって、新しい知識や考え方を吸収していくことができます。内容そのものは、活字を読むことを通して理解していくのです。ということは、書かれている文章の中身を明確にイメージ化しないと理解できないということです。
 テレビといった映像文化は、読書という文字文化に比べると易しい文化です。目で見、耳で聞くことを通じて瞬間的にわかる文化です。
 文字文化は、読み書き計算といった学力の基礎を身につけなければ理解すらできません。その習得には月日がかかり、相当な習練を要します。その獲得の過程では、集中力・持続力・継続性といった力がしっかりと身についてきます。
 貧しい家庭の子どもでも、多少恵まれた家庭の子どもでも、学力や人格が発達するするためには、学力の基礎としての読み書き計算の力が確かであるということが土台になります。それなくしては、高い水準の学力や知性をわがものとすることができません。
 学力を身につけるには、毎日、ほんの少しの時間でよいのです。そう、小学校一年生であれば、日に10分、三年生なら30分、六年生であれば60分、それだけの時間を、読み書き計算の練習に当てるのです。
 漢字は新しく教わるとき、漫然と同じ字を百字帳に書き続ける練習は効果があがりません。できれば、その字の成り立ちや意味もいっしょに教わると、たいてい一生の間、その記憶は保持されます。
 漢字が読めるというだけでなく、書くことも、その意味も、そして文の中での使われ方も併習させていくことが適切なやり方です。
 実際の文章の中での使い方も一回きりではなく、日を置いて何回か練習させたり、別の使い方をすることによって、子どもの身についた力に体化していくのです。
 物語文学などの読み物は、子どもの心を豊かにします。優しさ、思いやり、美しさや正しさなどを教えてくれます。すぐれた感動的な物語を読むことで、他の本も読みたくなったりするものです。
 文学の授業では、子ども同士が自分の体験に照らしあわせての意見や感想を出しあうことで、教師も含めて、その作品を深く理解していくことができるのです。せかせかした授業では、決して読み物好きの子にすることはできません。
 日本語では概念的・抽象的思考をするとき、必ずといってよいほど熟語を使います。熟語の意味が分からないでは、読み通すことすら困難となります。
 計算の練習も、やはり広い意味での世界を認識するうえでの初歩的な勉強になっているのです。
 例えば、小数や分数を教わるとき、それまでの四則演算だ得た認識では、想像もできなかった数の世界がひらけてきます。小数で、1より小さくて、0より大きい数があるということを知ります。
 また、ある数に小数をかけると、答えが元の数より小さくなってしまいます。これは、子どもにとっては、全く新しい世界の発見であり、知的ショックそのものとなります。
 計算力も算数の学力を伸ばすうえで、分析と総合の能力をつけていく大切な勉強なのです。
 特に顕著なのは、わり算練習です。これは全体と部分をつかむ力、それに分析と総合の力なしでは、正しい答えを求めることはできません。例えば、61403÷768を計算するとき、正しい答えは8よりもちょっと少ないかなと見極めてから、実際の演算に移ります。暗算で概算して、見当をつけてからやると桁間違いしません。
 習熟してくると反射的にできるようになりますが、そこまでになるには、反復練習を続けて練習しないと、すらすらできるようにはなりません。
 わり算が自由自在にできる域に達した子は、算数のよくできる子になります。その反対に、わり算でつまずいた子は、勉強の嫌いな子になっていきます。
 計算力は、練習密度の濃さに比例して伸びていきます。だらだらとしたやり方では力はつきません。わきめもふらず少なくとも10分は集中して続けます。それを毎日やっていくことです。
 かけ算九九は、ゼロの段を含めると全部で100題あります。その100題を正しく書き切るには、小学2年で2分、3年なら100秒で完答します。この速さでやれるようになるには相当量の練習を積まなければなりません。10000題は必要です。多いように思われますが、10分で500題やれる子であれば20日でできます。
 家族の人よりも速くできれば、大喜びするようになります。勉強嫌いだった子も勉強大好きの子に蘇えってくれます。この100マス計算は、子どもに自信を持たせる最良の勉強法です。
 最も基本となる一けた同士のたし算や、くり下がりのある15ひく7といったひき算には、いろいろなやり方があります。他の友だちの知らないやり方を見つけたり、いろいろと工夫して発見した方法を発表すれば、先生も、友だちも心からほめてくれます。子どもの向学心を高めてくれます。
 計算の練習に時間を浪費すべきではないといった考えの教師や大人は意外に多いですが、実は漢字や計算の練習によって、能力や勉強への気力を格段に高めていくのです。
 学力の優劣は、学力の基礎である読む力・書く力・計算力にほぼ規定されます。学力の高低は、その土台である言語能力によってほぼ定まります。なかでも、書きことばにどれだけ習熟し、活用できるかが学力の指標になります。
 書きことばの習得は、教科書だけでなく、広汎な読書への取り組みによってなされます。
 小学校4年あたりからは、学校で教わる勉強も、日常的・体験的な世界から、非日常的・理論的・抽象的な勉強が多くなってきます。そのとき用いるのが、漢字の合成によってできている概念語・抽象語です。漢字は、論理的・抽象的思考の世界へ向けて、子どもたちを離陸させるうえで不可欠な力として機能します。
 計算も、いままでとちがった小数とか分数など日常的に使わない数などが出てきます。計算練習は、抽象度の高い考えや処理ができる能力がおのずと発達してきます。
 毎日こつこつと学級で10分ほど、また家庭でも10分ほど基礎基本の計算練習をしっかりやっていくと、やがて小学生なのに、大人を追い越すぐらい正しく速くできるようになります。
 計算練習を毎日の基本的な生活習慣として取り組ませるとよい。計算は練習の過程で、努力や集中力にほぼ比例して、正確性と敏速性が上伸します。その中で計算のやり方や意味も分かるようになってきます。
 計算練習は、打ちこみの度合い応じて、計算力がぐんぐん伸びていきます。当初の1か月ぐらいはあまり著しい進歩はありませんが、100日ほど、毎日10分ぐらい練習を続けていくことによって、子ども自身が自らの伸びを実感することができます。
 そして、ある日、親や兄姉をみごと追い越すまでになります。このときこそ、子どもが勉強大好きな子に変身します。子どもに誇りと自信をもたらします。
 自らの集中力×持続力×継続によって、こんなに計算がすらすらできるようになったのか、その喜びと感動は、自分を見直す契機となります。
 小学生時代の6年間は、子どもの発達を主導するのは、学力の獲得と習熟にあります。低学力のままでは、人格の発達もはかばかしくありません。
 教わることがよく分かり、読み書き計算の力を、毎日こつこつ続けてやっていくことにより、学力が身についていく-学力の体化がなされていくのです。
 学んだことが分かる、覚えたというだけでは、体化した学力にはなりません。反復的・再生的・応用的な練習を通じて学力は体化します。練習が少なくては、せっかく覚えたものも身にはつきません。
 読み書き計算という学力の基礎がしっかりと身についてくると、すべての知的活動にゆとりがもたらされる。読書速度も速くなります。知的好奇心が多様に広がり読書分野も広くなります。
(
岸本裕史元:19302006年、神戸市生まれ、小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)結成し、代表委員)
(
) 川島隆太:1959年千葉県生まれ、東北大学加齢医学研究所教授、医学博士。子どもたちが将来やりたいことができる大人になるには、(1)早寝早起きで、小学生であれば夜9時までに寝ましょう。(2)朝ごはんをおかずと一緒にモリモリたくさん食べること。(3)家にいるときは、家族と話をしたり、本を読んだりするように意識すること。(4)学校などでしている勉強も公文も、自分たちのさまざまな能力を上げる力を秘めている。

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若い教師は日常、学級づくりなど、どのように実践しているのでしょうか

 若い教師たちと話し合っていると、仕事の忙しさ、「授業の進度や掲示物を学年で合わせるように」と注意されるなど同僚の教師との関係づくりのむずかしさや、保護者が怖いという声も聞かれました。
 今日の学校がおかれている厳しい状況をそのまま反映したものですが、それにしても、若い教師が感じている窮屈さは尋常ではありません。
 その一方で、これほど厳しい状況のなかでも
「聞くことと、待つことを大切して子どもと関わっていきたい」とか
「子どもと通じ合えたと思える瞬間があるから、この仕事はやめられない」
といった、子どものそばに立ち続けたいという強い意志を、若い教師たちが持っていることに感動をおぼえました。
 おそらく、全国には、同じ思いを持つ若い教師たちが、泣き、笑い、そして少しずつ成長する日々を送っていることでしょう。
 どんなにすばらしい実践でも、その教師と子どもたちとの教室の文脈のなかで生まれたものです。同じやり方をしたからといって、自分の教室でうまくいくとはかぎりません。
 それよりも、悪戦苦闘しながらも、自分らしく生きようとしている「教師仲間たち」の思いにふれることが、困難な現実と格闘している若い教師たちをはげますことになるのだと思います。
 若い教師仲間たちがどんなとり組みをおこなっているのか集めてみました。そこには、若い教師の教育観や子ども観を垣間見ることができます。
1 座席の決め方
(1)
席替えはクラスの大事なイベントです。新しい人間関係がそこで生まれます。最初は名簿順、その後の席替えは「いろんな子と関係を作ることが大切」と伝えて、必ずくじ引きにします。
(2)
席替えは「くじ引き、先生の案、好きな人どうし」など、毎回どれにするか子どもたちと相談してから決めます。メリット・デメリットを話し合い、子どもたち自身で方法を決めるので、後から文句をいいっこナシになります。クラスの状況によって、けっこう変わります。
2 朝の会・帰りの会
(1)
1年生でも日直ができるよう、セリフの書いた紙を見えるところに貼っておきます。
 スピーチは朝、日直が必ずやる。原稿の型をつくっておき、前日の空いた時間や放課後に子どもを呼び、いっしょに考えるようにした。自分で考えられる子は原稿だけを持って帰った。
(2)
帰りの会で「今日、輝いていた人」「今日あった、いいこと」などを出させます。「今日、○○ちゃんが手伝ってくれた」とか、私が気づかなかったことを話してくれます。
(3)
今日、よかったことを言ったり、係からのお知らせを言います。帰りの会は短く。
(4)
帰りの会で「今日のステキ」というコーナーをつくった。
 友だちについて「やさしくしてもらったこと」「頑張っていたこと」「ステキなところ」を発表しあう。友だちからほめてもらえることで、自己肯定力が芽生える。「ステキな行動をしよう」とクラスのみんなに広まっていく。
3 給食
(1)
毎日、担任は一グループずつ回って子どもといっしょに食べる。お誕生日の子どもがいたら、係の子が前にでて、牛乳でカンパイ。
(2)
一班4人にして、一人一役リーダー制にすると、全員が責任もつことができてよかったです。給食リーダーが班員に声をかけて机を移動、マットを準備させ、静かに座ってるようにします。準備OKの班から日直が呼んで給食を取りに行くようにすると、静かでスムーズに早くできます。
(3)
デザートなどがあまったときには「おかわり券」方式にしました。一人一回使ったらもうそれ以降は使えない。このおかげで「今日は使わない」という子がいるので、じゃんけんで争奪戦という場面がありませんでした。
4 掃除
(1)
「キレイになったよ。ありがとう」と声をかけて回る。
(2)
一生懸命やっている子たちをとことんほめます。「このクラスは掃除が早くてうまい」とクラス全体をほめると、掃除のやる気もアップするし、みんなで協力するようになっていきます。
(3)
「天国と地獄」「剣の舞」など、テンポのよい曲を15分くらいかけます。毎回15分意識して掃除ができます。 
5 休み時間
(1)
外遊び(おにごっこ、ドッヂボール・・・・)します。
(2)
けん玉、ビー玉、おはじき等を教室に置いています。
(3)
外で遊ぶ時間にします。家に帰ったら外で遊ばない子が多い。体を動かすことはとても大事なことです。
(4)
とにかくいっしょに遊ぶ。子どものありのままの姿が見えるし、信頼関係ができる。先生が遊びに入ることでクラスのみんながいっしょに遊ぶようになる。男女仲よくなる。
6 教室掲示
(1)
子どもたちが集中しにくくならないよう、教室前面黒板の周辺は、あまりいろいろ貼らずスッキリさせる。
(2)
学習した内容は廊下側の壁に、各教科ごとに模造紙にまとめて掲示しています。子どもたちが前に学習したことを思い出すのに役立つようです。
 後ろの壁には、全員の「顔写真」と「めあて」がはってあります。
 そのそばに付箋紙がたくさん置いてあり、友だちのがんばっているところや、ありがとうを伝えたいことなど、自由に書いて、顔写真の下に貼っていけるようにしてあります。 書いてある内容は、帰りの会や学級通信でも紹介します。
7 係活動
(1)
面白かったのは「給食の時間を楽しくするお笑い係」で、曜日代わりでコントや「などなど」をやってくれました。
(2)
係があることでクラスが楽しく、明るくなる。みんなで必要な係を考え出し合って決めます。例えば、レク係、ギネス係、音楽係、お笑い係などです。できるかぎり自分がやりたい係になるようにします。
8 楽しい生活づくり
(1)
学級通信に子どもの作品をたくさん載せるようにした。高学年のとき、ユーモア詩を載せたことで、クラスの空気が変わった。
(2)
お誕生日会を2,3カ月に一回計画している。席替えしたときに、班対抗ジャンケン大会をする。
(3)
学期に1,2回お楽しみ会などの集会を開きます。司会進行、飾り付けなど、すべての仕事を子どもたちに任せ、教師はサポート役に回ります。やる前「みんなで楽しむ会にする!」と確認します。
9 叱る
(1)
頭ごなしに叱って、心が通じなくなってしまったことがよくあった。
「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたい?」と最後に問うと、子どもから「謝る」など出てくるので、お互い納得した解決ができたと思う。
 叱る言葉は一切言わず、聞くことに徹したことで、本心が出てきて解決の糸口が見つかった。
(2)
子どもに理由や願いを聞く。方法が間違っている場合は、間違っていると言い、願いは認める。納得するまで話は聞く。
(3)
ゆっくりていねいな言葉で話すように心がけています。感情的、一方的にならないよう努力して聞く姿勢を大切にしています。
(4)
先生が叱るときのポイントを子どもたちに提示しておく。
「命に関わる危険なことをしたとき」「人を傷つけた、いじめをしたとき」「うそをついたとき」
この3つがあったときは本気で叱る。
(
佐藤/隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

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保護者に信頼されるにはどのように接すればよいか、そのポイントとは

 学校と家庭の協力は、対等の関係で協力し手を結ぶものです。これまでは、学校や教師の言い分に保護者が従い、協力するものと思い込んできた傾向があります。
 今は、学校は教育サービスを提供する場だと考える必要があると思います。したがって指示的な話し方などは避けるようにします。
 教師は話し方や、話の聞き方など、保護者に対しては社会人として接し、それでいて気配りもできる。つまり、世間の常識を心得ている人になればよいと思います。
 教師は子どもを指導することが仕事ですから、その指導が確かなことが保護者から信頼される第一条件です。
 そして、保護者の意見に耳を傾けることのできる柔軟さも、教師には大事だと思います。保護者の意見の適否は後から考えればよいでしょう。
 保護者が発言すると、文句か批判としか受けとれないようなかたくなな教師の態度は、保護者との心の距離を広げてしまいます。教師は、人間関係づくりに巧みになってほしいし、それをおっくうがらないことです。
 ささいなことで、人間関係がつくられもするし、崩れもします。保護者の問い合わせに対する返事や連絡はすみやかに行うようにします。
 返事することを忘れたり、そのままにしたりすれば、誠実さが無いと思われます。大人同士のかかわりでは「忘れた」では済まされません。誠実さは、人間関係の土台です。
 言い訳、釈明、言い逃れはしない、爽やかさも必要なことです。詫びるときは詫び、主張することは、言葉を選びながらもきちんと話しましょう。
 大ふろしきを広げて「あれも、これも実践する」などと公言せず、できることから小出しに実践する慎重さも必要です。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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授業はテレビを見るように面白くないとチャンネルを替えられる、エンターテイメントとしての授業をものすごく要求されている

 全国有数の名門といわれる私立中学校の家庭科の女性教師。赴任して五年目。担任は受け持ったことはないが、女の子たちの話し相手になっている。「親しみやすい、上品なお姉さん」という印象だ。その教師にインタビューした。
 うちの学校は教師一人ひとりに専門性を強く求めていますから、授業も自由にできるんですよ。「わたしはこれについては誰にも負けません、だからこういう授業をやります」とアピールして、教務主任か校長がOK出せばできます。
 その一方で、教師どうし、お互いにアドバイスも何も言わない。「はい、今日からお願いね」という感じでしたから。「自由にやってみて」と、聞いても教えてくれない。 
 もうパニックでしたよ。他校の先生を訪ねて、資料を借りたり、テスト問題の作り方も指導してもらってました。
 今の学校に赴任するとき「他の学校の子よりも、礼儀正しくて、聞き分けがいいんじゃないか、大人みたいな感じなのかなあって」。だけど、そんなことなかったですね。
 いま、1,2年生のクラスの女子20人ぐらいを相手に授業をやってますけど、年々幼児化っていうんですか、進んできていますね。
 教室に行ったら、クラス全員がベランダの陰に隠れてたこともありましたよ。反抗しているわけじゃなくて、遊んでほしいんですね。無邪気ないたずらなんですよ。授業やりたくないから、五分でも10分でも、そうやって時間を短くしたいという気持ちがあるんでしょうけど。
 まあ、いちがいには言えませんけど、甘えてくる子の多くは、家が厳しいですね。「この学校に入れるには、受験準備をして、厳しくしつけておかないと」という親の思惑があるのか、家でのしつけが厳しい分、その反動が学校で出てきてる気がします。
 でも、中学校に入ってから、いわゆる落ちこぼれる子もいるんですよ。算数が数学に変わって、むずかしくなって、できなくなる場合もあるし、中学に入ったとたん、努力しなくなる子もいます。
 テストはできても、授業中に教師の話を聞かない子が年々増えているみたいです。そういう子は、塾に行ったり、家庭教師をつけてるんですよ。授業は聞かなくても、あとで教えてもらえばいいやという感じですね。
 いちばんしゃべりたい年頃ですから、授業中にしゃべるのは、しょうがないんでしょうけどね。でも、それを
「いつもあんたたち、騒いでる!」なんて言おうものなら、もう、大変。ふてくされちゃって、シラーッとしちゃいますからね。
 何で騒いでいるのか、把握してから注意しないといけない。
「前の授業が大変だったかもしれないけど、そろそろ気分を切り換えたら?」
45分、じっと話を聞いているのは、大変だと思うけど」
とか言ってあげると、「○○先生の授業は聞こう」となる。
 授業自体だって、テレビを見ているような感覚で聞いていますからね。おもしろくなければ「チャンネル替えちゃえ」みたいな、エンターテイメントとしての授業をものすごく要求されるわけですよ。
 たとえば、授業でビデオを見るとき「今日のは、ちょっとホラービデオになってるよ」と言うと「なんだろう、なんだろう」って、子どもは興味を示したけど、実際見たのは、食品添加物の安全性を考えるビデオ。
 教科書や参考書に書いてあることだけでなく、子どもたちが好きそうな言葉を使ってあげたり、最近話題のテレビの話を織りまぜないと、ついてこない。
 教材研究はもっぱらテレビでやっています。ドラマでも、クイズでも、お笑い番組でも、よく見るようになりました。
 いま、テレビではどういう情報が流れているのか。家庭ではどんなことが話題になっているのか。それを全部想像して、授業でしか教えられないことはいったい何だろうって考えるんです。
 たしかに時間も手間もかかるけど、わたし自身、そのほうがおもしろい。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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学級崩壊を起こさない注意の方法や、指導が難しい子はどうすればよいか

 注意や叱責で子どもたちを動かそうとする教師は意外と多くいます。最初は教師の注意が怖くて、子どもたちは注意されたことに従うことが多いでしょう。
 しかし、それは教師の怒りを収める対応にすぎないので、子どもは同じような行動を繰り返します。そして、子どもは教師の注意や叱責にだんだんなれてきます。
 したがって、注意や叱責で子どもを動かしている教師は、だんだんと自分の指示が通らなくなってくるのです。これは学級崩壊で苦しむ八割近くの教師が陥る盲点です。
 注意や叱責だけで子どもたちを動かそうとしないことが大切です。注意のあとの指導が大事なのです。 
「何を怒られたよく分からなかったけど、先生はとても怒っていた」と、教師の怒りだけに子どもたちの注意がいってしまうのは、注意の仕方としては失格です。
 そう考えると、注意や叱責で子どもを動かそうとするよりも、ほめて子どもを動かすほうが、次の指導に向かわせやすいすいことがわかるでしょう。
 学級集団に対して注意をするときは、子どもたち一人ひとりが自分の問題ととらえるようにするようにします。自分は関係ないという子どもがいると、学級全体に注意が浸透しないのです。
 その意味では、教師が行う注意が、学級全体になされるべきなのか、個別グループの子どもたちになされるべきなのか、個人になされるべきなのかという事前の吟味は必ず必要です。
1 学級全体に注意するとき
(1)
子どもの不安の強さに応じた注意をする
 教師の注意は、すべての子どもに同じように受け取られているわけではありません。平気な子どももいれば、注意に委縮する子どももいるわけです。強く注意し過ぎたなと思ったら、委縮した子どもをフォローしてあげることが必要です。
 従って、不安な子どももその内容を理解できるレベルがいいのです。
(2)
注意は短く簡潔にする
 人から注意されるのは嫌なものです。したがって、教師は注意する目的をしっかり定め、その方法を吟味し、簡潔に伝えることが効果的なのです。
(3)
気の緩みのミスは注意し、試行錯誤の失敗はその原因を分析させる
 怠慢やさぼりから起こってしまったミスは、なあなあで済ませると、ルールが崩れてきますから、小さなことでもキチンと指摘し、注意することが大切です。
 しかし、試行錯誤したうえの失敗は、意欲をほめ、次はどのようにすれば失敗しないかを分析させることが必要です。
(4)
子どもが気づかない問題は、注意するのではなく、質問や例え話をして考えさせる
(5)
教師の感情をつけ加える
 注意する内容を冷静に説明したあと「先生はとてもかなしかったな」と、自分の感情をサッと付け加えることで、子どもが反省する意欲を高めるのです。しかし、グチは逆効果になります。
(6)
注意したあとは、単純作業を
 注意したあとは、教師も子どもも気まずいものです。そこで、子どもが一人で作業ができるドリルなどを30分くらいやらせるのです。作業しながら教師の注意について考え心に定着させていくのです。 
 そしてその後は、その問題に言及しないで、次の授業に取り組むようにするわけです。
2 子ども個人に注意するとき
 教師の注意が子どもに受け入れられずに反発され、教師が特定の子どもと感情的にやりあってしまうことがあります。頻繁にあると、子どもたちの教師に対する信頼感が徐々に低下してしまいます。
 学級には、教師の感情を逆なでするような発言をしたりバカにしたような態度をする子どもがいます。このようなとき、事前に対応する言葉がけを身につけておけば、感情的になることを防ぐことができます。
(1)
注意するタイミングと場所、時間を考える
 他の子どもが見ている前で注意を受けた場合、子どもはプライドをひどく傷つけられたと感じます。
 注意する場合は、子どものプライドを傷つけない配慮が必要です。そのためには、注意するタイミングと場所、時間の長さを、その子に合わせることが必要なのです。
(2)
子どもの抵抗を軽減する
 まず、子どもが教師の言葉を素直に聞く姿勢をつくり、子どもの反発を少なくする関わりが大切です。例えば「きみも気づいていると思うが・・・・」という具合に前置きして、いきなり叱責しないような配慮が必要です。
(3)
注意する内容は現在の行動や態度だけにしぼって短く
(4)
フォローの仕方も計画に入れて注意する
 注意のあとのフォローは、子どもたちの感情の高まりを静め、冷静にどのように行動すべきかを考え、行動に移す意欲を喚起します。
(5)
責任のとり方、今後の対応の仕方を確認する
 例えば、掃除のさぼりを注意されたら、今日のさぼりをどのように責任をとるのか、明日からどのように取り組むのかを考えさせ、確認することが必要なのです。
3 指導の難しい子どもの対応
(1)
教師に感情をぶつけてくる子ども
 教師が感情的に対応したら指導ではなくなります。まず、教師が感情的になってしまう自分の問題は何かを考えることです。
 次に、感情的にならないよう、いったん断ち切る言葉がけや対策を事前に決めておくことです。例えば「これ以上話していたら、先生もキレちゃうから、あとはお昼休みに相談室でじっくり話しましょう」と、その場をいったん収めてしまうのです。
(2)
反抗的な子どもへの対応
 反抗的な子どもには、教師が途中でその言動を否定しないで、最初にどんどんしゃべらせるのです。その後、具体的な事実を提示し、そのことについて認めさせます。
 そして、対応策を教師がいくつか示して、そのなかから選ぶようにさせます。最後に、その内容を復唱させて、終わりにします。
(3)
注意すると言い訳ばかりする子どもへの対応
 注意しても言い訳ばかりして、徹底的に自分の責任を回避し、教師の言葉じりをつかまえて、逆に攻撃してくるような子どもです。
 こういう子どもには、少し淡々と接し、言いたいことを言わせた後に、「ではどうすれば いいの」と逆に質問します。
 答えられなかったり、「別に」とごまかしてきたら、「案がなければ先生が言ったようにやってみて。あとで違うやり方を思いついたら、伝えに来てください」と終わりにするのです。
(4)
聞く耳を持たない子どもへの対応
 このような子どもへの対応は、必ず一対一になれる場所と時間を確保してからする必要があります。教師はその子どものそばに寄り、感情面を中心にトーンを落として淡々と語ってあげます。
 最後に「きみはどう思う」と質問します。返事がなかったら、「先生の言ったことを考えておいてね」と伝えて帰します。
 反応がないからといって、その子どもに必要な注意を怠ってしまうと、それは他の子どもたちに転移します。教師が他の子どもを注意したとき「A男は同じことをしても、何も言われないじゃないか」と反発され、新たな問題行動を起こした子どもにも、注意しづらくなるのです。
(5)
自分は悪くないと言いはる子どもへの対応
 友だちをなぐって泣かしてしまったのに、自分は悪くないと言いはるタイプの子どもです。このような子どもは、まず心を十分に受け入れることが必要です。
 
「きみがA男をぶってしまった気持ちは、先生もわかるような気がするよ。もし先生が君の立場だったら、絶対にぶたなかったとは言い切れないものな。そのとき君はどういう気持ちだったんだい」
という具合に子どもの感情や思いを引き出し、受け入れてあげるのです。
 その後、今度同じようなことがあったら、どうすればよいのか二人で話し合い、暴力に訴えない他の行動の仕方を二人で確認するのである。
(6)
「別に」と言って心を閉ざす子どもへの対応
 このような子どもは教師に対して強い抵抗を持っています。子どもは、自分が説明したところで、教師にはわかってもらえないだろうというあきらめや、自分は教師に嫌われているのだという強い思いです。
 したがって、教師の質問に無理やり答えさせようとする必要はありません。しばらく待って「何か言いたくなったら、いつでも言いにおいで。きみが心に嫌なことがなく生活できるほうが、先生もうれしいからね」と伝えて帰します。
(7)
うぬぼれの強い子どもへの対応
 勉強やスポーツができる、家が金持ちであるなどという理由で、うぬぼれの強い子どもがいます。こういう子どもは、教師を軽んじ、注意してもたかをくくって、受け答えする場合があります。
 こういう子どもには、うぬぼれることへのいましめを一般論として、そして教師の感情も合わせて伝え、子どもの考えを語らせるのです。
 例えば「少し勉強ができるからといって、成績の悪い子どもをバカにするのは情けないと先生は思うんだけど、君はどう思う」という具合です。
(8)
あまのじゃくな子どもへの対応
 教師の注意に反抗して、反対なことをするタイプの子どもです。
 このような子どもには「こういうと君は怒るかもしれないけどね・・・・・」と言って、機先を制した前置きをゆっくりし、怒らないで話を聞こうとする姿勢を促すことも有効です。
(9)
プライドの高い子どもへの対応
 このような子どもは、最初にプライドを傷つけられると、注意をまったく聞かない状態になります。
 したがって、事前にプライドを満たす言葉がけをしておき「あとA、Bができるともっといいね」とより高いレベルになるためのアドバイスのような形で注意するのが有効です。
(10)
ものごとを投げやりにする子どもへの対応
 
「面倒臭い、もうこれでいいよ」と取り組みに対して投げやりで、その結果もおもわしくない子どもがいます。
 その投げやりな態度をいくら指導しても、なかなか変わらないと思います。逆にふてくされて、取り組むこと自体を放棄してしまうことも少なくありません。
 こういう子どもは、自分がいくら頑張ってもたいした結果は残せないんだとあきらめている子どもです。したがって、できる範囲で頑張ったらいい結果に結びついたとか、教師や周りの子どもから認められたという体験を積み重ねることが大事なのです。
 そのため、取り組む際に個人指導で「この辺を工夫するととてもおもしろいよ」という具合にビジョンを与え、意欲を喚起してあげることが必要です。
 そして、こまめに取り組んでいる態度をほめてあげたり、質問したりして取り組んでいることに教師が興味を持っていることを伝えてあげることが大事です。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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どのように叱れば子どもは変わるのでしょうか、そのポイントとは

 僕の怒りは本物です。でもこの怒りは、僕にとっても子どもたちにとっても必要な感情だと思っています。
 子どもたちに成長してもらいたい。子どもたちに自分の可能性を信じてほしい。だからこそ、子ども自身があきらめようとする時に、僕は悔しさと共に怒りを感じる。それは愛情の裏返しなのです。
 でも僕は、その怒りをそのまま子どもにぶつけることはしません。本来の目的は、子どもたちの可能性を引き出すことだからです。怒りを冷静にコントロールして、子どもたちの成長のために使うこと。これが、僕にとって「叱る」ということです。
 叱った後には必ず、子どもたちにフォローを入れています。フォローとはつまり、なぜ叱ったのか、理由を明確にして、本人が納得できるまで話し合うということです。
 そして、叱られた子どもが大切なことに気づき、少しでも成長が見えたら、必ずその子をほめます。「叱る」は「ほめる」と、セットになって初めて意味を持つものだからです。
 子どもたちがルールを守らない、やるべきことをやっていない時に叱らなかったら、子どもは本当に大切なことに気づけない。成長するチャンスを失ってしまうと思うからです。
 子どもたちを叱ろうとする時、僕にはすでに、叱った後で子どもたちが自信にあふれ、笑顔で動き出すシーンのイメージができ上がっています。
 ポイントは、子ども自身に考えさせることです。「きみのやったことに対して、きみ自身はどう思うんだ」と、まずは問いかけてみる。
 叱る側の愛情に裏付けられた怒りが伝われば、子どもは必ず誤りに気づいてくれます。そして、間違いを正すにはどうするべきかを、自力で考え始めるのです。
 考え始めたら、自分で答えを出すまで根気強く待ってあげること。一緒に考えてあげるという姿勢が重要です。
 根底にあるのは、もちろん子どもへの愛情です。子どもの可能性を信じ、成長を願う心です。
 叱るのにはとても大きなエネルギーが必要ですが、子どもの成長はきっと、その何倍もの希望を僕たちに与えてくれます。それは、叱ることで得られる、僕たちにとっての最大のご褒美なのだと思います。
 子どもは一人ひとり個性を持っています。ですから、こういう叱り方がいいとはいちがいには言えません。
 まず、子どもをまっすぐに見て、その子にとって今一番必要な「叱り方」がどういう形かを見きわめることが大切です。
 では、どうやって子ども一人ひとりの性格を見きわめるかといえば、それは「感じる」ということです。見た瞬間パッとわかる子もいれば、コミュニケーションを重ねて、なるほど、そういう性格なのかとわかる子もいます。
 大切なのは、こちらが愛情と関心をもって見ること。そうすれば、その子の性格が自ずと見えてきます。
 また、叱り方は、その子の性格だけでなく、僕との信頼関係の深さによっても変えます。
 たとえば、その子が自分に自信を持っていて、かつ僕を信頼してくれているという関係であれば、あえて「テニスをやめろ!」というような叱り方をすることもあります。叱咤激励することで、発奮してくれるからです。 
 中には、叱るべきでない子もいます。たとえば、その子が何をすればよいか自分で判断できる場合です。叱ることで何かに気づかせる必要がない子です。
 もうひとつは、いじめなどがある場合です。精神的に想像以上のダメージを与えてしまうこともあります。
 こうした背景を含めて、まずは子どもをしっかりと見つめ、今、何を一番必要としているのかを見きわめてあげてください。
 子育ては、とかくストレスがたまるものです。一度はわからせたつもりでも、子どもはつい同じ間違いを繰り返してしまう。すると、つい感情的に叱ってしまいます。
 感情的に叱らないために、自分自身を「客観視」してみることです。第三者的に自分を見ると、気持ちは落ち着いてきます。
 実際に叱る前に、心の中で叱る言葉を言ってみる。すると、もう一人の自分が教えてくれます。「それは、自分が感情的に怒っているだけじゃないのか」と。
 冷静さが自然に戻ってくる。すると、子どもを成長させたいという本来の思いにも気づくことができます。
 ひと呼吸おくというクセをつけておくのもよいでしょう。自分を心理的に落ち着いかせてから、子どもと向き合うと、意外と冷静に叱ることができます。
 どんな状況であれ、絶対に使ってはいけない禁句があります。
(1)
子どもの可能性を否定する言葉
 「お前には無理だ」「あなたにはできない」こんな言葉を言ってしまったら、子どもの可能性を伸ばすために指導しているのに、可能性は消えてしまいます。
(2)
身体的なことを否定する言葉
 身体的なことは、自分の意志では変えられません。身長が高い低い、太っている痩せている、といったことは個性です。身体的なことを否定するべきではありません。コンプレックスとして心に植えつけられてしまいます。
(3)
兄弟や友だちと比べる言葉
 子どもに劣等感を抱かせる言葉です。子どもは自信とやる気を失ってしまいます。
(
松岡修造:1967年東京都生まれ、元男子プロテニス選手、スポーツキャスター、スポーツ解説者。日本テニス協会理事強化本部副部長)

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授業中に立ち歩く子どもがいると他の子に影響がある、どうすればよいのでしょうか

 授業中に歩き回ったり、教師の指示を聞いていないなどの問題行動の多い子どもは、一昔前までは、落ち着きのない子どもなどとも思われていた。
 現在、このような子どもの中には、発達障害と診断される場合もあり、その原因は「心の持ちよう」や「しつけ」とは関係のない脳機能の障害であることが一般にも知られつつある。
 その症状の度合いや内容は様々であり、子どもの反抗や自己中心的な態度との区別が難しく、教師の判断も困難である。
 勉強についていけないことや、他の子と衝突を繰り返すことで、自信を失ったり、学校生活を楽しめない状況に陥ることも考えられる。
 授業中に歩き回る、教師の話を聞いていない、理解していない、などの問題がみられた場合、どのような理由に基づくものであるのかを観察し、保護者や養護教諭、スクールカウンセラーなどと、共によく検討する必要がある。
 学習に困難を伴う学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(AD/HD)では、視覚や聴覚からの刺激に影響を受けやすいことや、集中できる時間が短いことがある。
 教師による観察では、どのような教科や活動で立ち歩きが目立つのか、など記録しながら把握するのが有効である。そのうえで
(1)
視覚から入る情報を減らすために、
 黒板と教師に近い座席に配置する。カーテンを閉め、外の景色を見えなくするなどの方法をとる。
(2)
学級全体の指示のあとに個別の指示を出す、などの方法で注意を促すとよいとされる。
また、
(4)
休み時間に体を動かす。
(5)
立ち歩きしそうになったら、プリント配布を手伝ってもらう。
など、体を動かしエネルギーを発散させることも有効とされる。
 立ち歩きなどの多動行動は、年齢が進むにつれて目立たなくなる傾向があるとされる。そこで、保護者は悲観的にならず、発達障害の子どもを専門に教育する学習機会の場と連携することで、子どもの能力を伸ばしていくことが必要と考えられる。
 多動行動は、一人で校庭や屋上への飛び出しや衝動的な行動もあることから、本人および周囲の子どもの安全を守るための注意が必要となろう。
 授業中に立ち歩く行動は、他の子に影響を及ぼす。他の子もふざけて立ち歩いたり、教師の注意に反抗的な態度をとるなど、授業や学級運営に支障がでる。
 多動行動のある子も含め、教室内のルール(チャイムがなったら席につく。授業中に立ち歩きしない。必要な場合には教師の許可をとる。など)を確認する必要がある。
 同調する子どもの中にも、授業の内容が理解できていない、興味を持っていない場合もある。授業内容の工夫や、学校組織によるサポート体制など検討する必要がある。
(
畑中綾子:東京大学高齢社会総合研究機構客員研究員、東京大学公共政策連携研究部特別研究員、香港大学上席客員研究員)

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やる気がない子を前向きにするにはどうすればよいか

「最近の子は、どこか冷めていて、やる気が感じられない」という声をよく聞きます。これまでの指導のやり方が通じず、なにを言っても驚かず、受け流されてしまう。そう悩む人が多いようです。
 しかし、本当になにを言ってもやる気を出さないのでしょうか。「決してそんなことはない」と、私は思っています。やる気を出すことはできるのです。やる気を引き出すためのコツがあるのです。そのコツは
(1)
「何度言ったらわかるんだ」と叱るのではなく「分からないんだな」と受け止める
 たとえば、高校野球で「なんだ、その投げ方は」と選手の悪いところを指摘して、より良い方向にもっていこうとするのは悪いことではありません。
 しかし、悪いところばかりを指摘していると、人は自分の欠点ばかりに意識が向いて、どんどん自信を失っていきます。積極的な心をなくして、人は成長できないのです。
 
「叱るのではなく、ほめて伸ばせ」と、よく語られています。しかし、ほめるには、何らかの良い結果を出していないと、ほめることはできません。無理にほめようと形だけのほめ言葉は、相手に見抜かれて効果は少ない。
 その代わり「認めてあげてください」。事実をそのまま受け止めてあげるということです。何度説明しても理解していない状態だったら「そうか、わからないのか」と言ってあげてください。
 そのうえで「どんなところが分からないんだ?」と聞けば、質問や相談をするようになります。認めてあげれば、安心感を感じて、積極的な気持ちになります。
(2)
「なぜ、できないんだ」と聞くのではなく「なにが理由だ?」と聞き「うまくいっているイメージ」をつくるようにする
 「なぜ、できないんだ」と聞くのは、言葉の裏に相手を責める意味合いが含まれています。
「なぜ」を「なに」に置き換えてみましょう。「なにが理由だ?」と質問されると、言われた方も理由を答えることに意識がいきますから、冷静に自分の行動をふり返りやすくなります。答えやすい雰囲気ができます。
 
人が行動するときには、どんな場合でもイメージが先行しています。脳はイメージ通りに実現しようとします。
 
「できなかった自分」をイメージしてしまうと、どうしてもそのイメージに引っ張られて失敗してしまうことになります。
 それよりも、うまくできたときの達成した状態をイメージできて、そのときの喜び状態を感じることができるようにサポートしてあげてください。イメージトレーニングの原則は
①すでに実現した状態、あるいは実現しつつある状態をイメージする
②細部までリアルにイメージする
③そのイメージに自分の感情を加える
(3)
「やりなさい」ではなく「やったらどうなるか」を伝える
 やらなければならないことはわかっているのに、なぜかやる気が起きないという人はよくいると思います。
 そのような場合は「やったらどうなるか」をイメージさせて、ワクワク感を与えれば、想像以上に頑張り出します。「頑張れば、その先に楽しいことが待っている」とイメージさせる必要があるわけです。
 目指す姿が明確になると、やるべきことは自然と浮かびあがります。
 
「楽しいこと」をやっていると脳の中にドーパミンという物質が分泌され、やる気や行動力が高まるようになります。
 人間の脳はワクワク感がないと「やるべき」という義務感だけでは集中できない仕組みになっています。
 なにか一つをやりきらせてみるとよい。いったん「なにかをやりきる」経験をさせると、自信がつき、あとは放っておいてもどんどん加速して成長していくものです。その最初の一歩を踏み出すサポートをしてあげることをこころがけましょう。
(4)
「夢がかなうかも」という気持ちにさせれば、どんどんやる気が高まる
 本当に何も夢を持ってない人はいません。ただ、叶うと思えないから、夢を持たないようにしているだけです。
 
「夢を考えてみよう。あくまで夢だから『これならできそう』というものでなくてもいい。『こうなったらいいな』ということを、自由に考えてみて」と私は言います。
 次に「夢だと思っていたけど、実現できるかもしれない」というイメージを持ってもらうための質問をします。具体的に細かく段階を区切って、夢を描いてもらうのです。
 最終的な夢が叶うまでの途中経過をイメージさせることで「夢が叶っていく過程」を頭の中で疑似体験してもらうのです。このワークをやると、単なる夢だったものが、どんどんリアリティを増していきます。
 夢を聞いても、漠然とした言葉しか出てこない子もいます。そういう子には「憧れの人」を聞くことで「こうありたい」とイメージを具体的に描くサポートをしてあげましょう。
「あの人のようになりたい」という気持ちが人を成長させます。
「あなたが尊敬する○○さんだったら、どんなふうに解決すると思う」「○○さんからどんなアドバイスがあると思う?」と問いかけて解決策をサポートすることができます。
 
「このように行動すれば、憧れている人のようになれる」というワクワク感は、自分の殻を破って成長するために大きな力になるのです。
 どうしてもワクワクする目標が見つからない子には、得たい感情を聞いてみるのも効果的です。たとえば「気持ちがいい」「うれしい気分」「やったぞという感じ」など。
 得たい感情が明確になれば「どうすればその感情が得られるようになるのか」を考えられるようになり、自然と目標が生まれ、モチベーションが上がってきます。
(
飯山晄朗:メンタルコーチ、経営コンサルタント。中小企業診断士、SBT1級コーチ、金沢大学非常勤講師、人財開発フォーラム 理事長、銀座コーチングスクール金沢校・福井校代表。家電業界でトップセールスマン、商工団体の経営指導員(11年間)を経て起業後は講演・研修講師)

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子どもたちとうまく対応している教師の共通点とはなにか

 教師の感覚と、今の時代に育った子どもたちの感覚がずれていても、それはごく自然なことです。子どもたちの心情を察することが難しくなったのもうなずけることです。
 大事なことは、かかわろうとする教師のほうで、自分たちの感覚とはずれているという事実をまず受け入れることです。
 今の子どもの特徴を前提とするのです。前提と考えておけば、必要以上に腹を立てることも、少なくなります。そして、そういう状態の子どもに見合った対応を、そのレベルからしていこうとするのです。
 私の調査したなかで、子どもたちとうまく対応している教師たちがいます。その先生方に面接した結果、大きな共通点があったのです。それは、
ささいなかかわりの中でも
「小さな言葉がけのレベルで、最近の子どもたちの実態をとりあえずそのまま受け入れ」
そのうえで
「それに対する対応を具体的に実施していた」
ということです。
 特に印象に残った中学校の男性教師がいました。一見厳しそうな先生でしたが、通りかかった生徒たちが、気さくに先生に声をかけていました。彼は
「叱れば、子どもたちがよくなろうと努力するなら、しつこく叱る」
「でも、今の子どもたちは頭から叱ると、へそを曲げて、叱った内容について努力しないばかりか、余計やらなくなる」
「子どもをよくしてあげたいと思ったら、子どもが自分から努力する方向に心を向けてあげないといけない」
「その方法を工夫しないといけないと思う。自分はそのことを、十年前に痛感した」
と言っていた。
 ただし、強調しておきたい点が一つあります。それは、子どもたちとの対応がうまい教師と、そうでない教師とには、能力的に大きな違いはない、という点です。
 子どもたちの実態を受け入れ、それに応じて、一つ一つ具体的な対策を取り入れているかどうかの差なのです。
 事前にそういう心構えをし、具体的な対策を立てておけば、子どもを叱りたくなる場面が少なくなり、自然とほめることが多くなります。
 このようななかで、教師と子どもたちとの人間関係が、だんだんと良好になっていくのでしょう。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者と連絡をとっていても、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか

 子どものことで、保護者と連絡をとり合っているのですが、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか。
 
「保護者とのやりとりを記録する」ことと「保護者の言動の冷静な分析」が対応のポイントになります。
(1)
保護者との毎回のやりとりを記録する
 毎回、態度や反応が異なる保護者と連携を図るためには「記録を残す」ことが必須です。
 
「言った」「言わない」という争いや、「何も対応してくれない」というようなクレームに備えて、保護者とのやりとりはその都度記録しておくべきでしょう。
 やりとりするごとに、必ず記録をとるようにしてください。詳細でなくても構いません。日時、対応方法(連絡帳、電話、来校、家庭訪問)、内容などをメモに残します。記録を重ねていくことで、反応のパターンなどがつかめてくるはずです。
(2)
態度や反応が異なる原因が分かるだけでも楽になります
 保護者に精神疾患などがあれば、薬など処方されているはずですので、保護者が「落ち着かない」ことの原因の一つとして考えてみるとよいでしょう。
 その他にも、家庭内や仕事のことでうまくいっていないなど、一見不可解な態度にも、必ず原因があるものです。
 原因が分かったからといって、すぐに事態が改善されないかもしれませんが、こちら側の気持ちとしては楽になることも多いはずです。
(3)
保護者の言動を冷静に分析することで、必要な対応を把握するようにします
 連絡するたびに保護者の言動が異なり、精神疾患が原因であることが予想される場合でも、さまざまな手段で、積極的に情報を引き出すようにしてください。
 保護者が比較的落ち着いている状況の言動がどこにあるのか。また、情報を把握する中で、子どもへの対応の様子も見えてきますし、保護者の言動を一時的なものとして受け止めることもできるようになるでしょう。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)

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授業や学級経営がうまくいくために、教師はどのような力が必要なのでしょうか

 子どもに多くの知識を与え説明し、さまざまなものごとを覚えこませるのが授業であると思われがちです。
 教師の人格は、授業において言葉や態度から、まなざし、後ろ姿といった、しぐさにおけるすべてを通して子どもに伝わります。授業を通して子どもに伝わるものは、私たち教師の人格そのものです。授業の内容と、その授業を行う教師の人格とは表裏一体です。
 たとえば、同じような授業をしても、A教師の授業はわかるけど、B教師の授業はよくわからない、ということがあります。
 それは、子どもがB教師を拒否しているからです。A教師の授業がよくわかる、というのはA教師が好きだからです。教材を通して、A教師の豊かな人格が伝わったからです。
 授業のあるべき姿は、徹底した教材研究に基づく授業内容を追及する。人間性の豊かな教師が、子どもの可能性を引き出す授業を展開することです。豊かな人格を持った教師が、どうすれば子どもに伝わるか、いつも真剣に考えていれば、必ず子どもにわかる授業になります。
 その典型的な例が寺小屋です。人格者である指導者が読み書き算盤を教えるのが寺小屋方式です。松下村塾がいい例です。吉田松陰というすぐれた人格者が教えたからこそ、時代を変えていった数々の人材を輩出したのです。
 本当の意味での寺小屋方式のように、子どもに「どう生きていけば幸せになれるのか?」という問いと真剣に向き合う力を与えるのがすぐれた授業です。教師は人格を磨き、幅広い知識と豊かな人間性を身につけなければ、子どもを磨くことはできません。
 教師に必要な力とは、どういう力なのでしょうか。授業や学級経営がうまくいっていないと思ったら、つぎのことを確認してください。うまくいってないときは、そこに自分の弱さがあるのだと思います。
(1)
子どもの心を動かす力を持っている
 ただ「勉強しろよ!」と言っただけで子どもに伝わるでしょうか。子どもに自分から動いてもらうためには、教師には、子どもの心を動かす話術が必要になります。
 そのためには、どれだけ感動する話を持っているかが重要です。感動する話は、実際の人物の例を挙げていくのが一番いいと思います。新聞、雑誌、本などからもたくさんネタがあります。心が動くと、やる気を出します。やる気が出ると、自ら勉強するようになるのです。
(2)
子どもの心をつかむ力がある
 授業は、出だしの5分間がすべてを決めると言っても、言い過ぎではありません。動機づけがとても大切です。子どもの心をつかむかどうかで、授業のよし悪しが変わってきます。
 教室に入るときは「おはよう」と明るく、大きな声で入ります。笑顔と気合いの入った顔で入ります。やる気のない顔で、暗い感じで入ったら、それだけで授業はダメになってしまいます。
 うまく導入するために、私は絶対に話をしてから授業に入ります。授業が始まっていきなり「はい、36ページを開いて、今日はここからやります」と言う教師には「そんな授業だったら、やっていただかなくて結構」と私は言っています。
 導入は教師の人格が一番表れます。その人格によって、どのような題材を選ぶかです。
「今日、学校に来る途中、電車のホームを見たら、みんな朝からメールをやっていたんだよ。会話しなくていいのかなあ? みんなどう思う」
「そうだよねえ。メールだけじゃなく会話も必要だよね。英語も一緒でね。話したほうがお互いの意思の疎通がよくできるんだよ。じゃ、ちょっと今日は会話をしっかりやろうか」
というふうに日常と授業をつなげていきます。子どもの心をつかまなければ、どんなにいい授業をしても意味がありません。
(3)
子どもを認める力がある
 子どもにはそれぞれ生き方があります。人は自ら伸びていこうとするものです。それを認めてあげなければいけません。教師は子どもが自分なりの生き方を見つけられるためにサポートをしてあげるのです。
 カウンセリングのコツは、子どもの言うことを承認して、オウム返ししてあげることです。自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 子どもも、まだまだ未熟な面がたくさんあります。どうしても守らなければいけないルールを教えるようなときは、強く引っ張っていく必要もあります。
 そのようなときも、子どもの自分のなかで育っていこう、という気持ちをサポートすることを忘れてはいけません。完全に支配下において、一方通行にならないようにする。子どもが自ら考え、自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 根底には常に子どもを認めていなければいけません。子どもも自分が認めてもらえると安心して、初めて教師という人間を認めるのです。
(4)
子どもをほめる力がある
 子どもに「わかる喜び」があると勉強しようとします。その「わかる喜び」は、ほめ方しだいで倍増します。
 例えば、子どもが正解して「はい、正解です」と言われるよりも「すごい、この問題は相当難しいんだよ!」と言われたほうがうれしくなるでしょう。私はそれを必ずやります。
 これは子どもにはうれしいものです。子どもの気持ちが乗ってきます。
(5)
子どもをフォローする力を持つ
 子どもが答えを間違えたら必ずフォローが必要です。子どもは自分の存在を認めてもらえるとうれしいのです。例えば、
教師「Aさん、この問題はどうですか?」
Aさん「わかりません」
教師「Bさん、この問題はどうですか?」
Bさん「○○です」と正解
教師「Bさん、よくやりましたねえ!」「Aさん、わかった?」
とAさんに戻ってフォローしてあげなければいけません。「Aさん、わかった?」があるだけで、自分のことを構ってくれていると思えるのです。
(6)
子どもを励ます力がある
 教師は子どもを「怒って動かす」のではなく、子どもが「自ら心を動かせられる」言葉、「子どもを信じ切る」言葉を、私たち教師は持っていなければいけません。
(7)
あきらめない情熱 前進する力がある
 教師に必要なことは、たっぷりと子どもに愛情を注いで、しっかりと向き合って、ひるまないことです。
 以前「とても怖くて、あの子には話ができません」と言ってきた新任の教師がいました。それを聞いて、厳しいと思われるかもしれませんが、私は
「じゃあ辞めてくれ。子どもと向き合えなかったらダメだ。ひるんであきらめるようだったらダメだろう」と言いました。
 子どもと向き合えなかったら何も始まりません。ひるんだり、見て見ぬふりというのは、教師として最もやってはいけないことです。
 絶対にひるまない、絶対に向き合っていく、そのためには私たち教師が決してあきらめないことです。いったん逃げると逃げくせがつきます。人を教え、育てるのに平たんな道などありません。いくつもの険しい山がそびえたっています。
 しかし、目の前にある山を登りきると、そこにはそれまでに見たことのない景色が広がっています。山を越えた分だけ、いろんなことがわかってきて、いろんなことが見えてくるので、進んでいく道を切り拓いていけるのです。
 子どもが伸びていくには「やればできる」と信じて、あきらめさせないことが大切です。そのためには、教師自身も、子どもに対してあきらめてはいけません。子どもが逃げたくなるときにサポートしてあげるのが私たち教師です。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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始業ベルがなっても教室に入らない子どもや、私語をなくすには、どうすればよいでしょうか

 教師が少しも変わらずに、子どもだけが変わることを願うのは無理です。教師が変わった分だけ、子どもが変わるのです。
 あなたの授業がその子にとって心躍る授業に変わり、あなたがその子から「先生大好き」と慕われる教師に変わることが、始業ベルが鳴っても教室に入らない子どもをなくし、私語をなくす道だと私は思います。
 始業ベルが鳴っても教室に入らない子は「先生、私にもわかるように面白い授業をして!」と言っているのです。
 あなたが、その子にとって心躍る、楽しい授業をするようになれば、その子は始業のベルを待ちかねて席につきます。
 私の信条は 「面白くも、おかしくもない授業など授業でない」です。
 筋の通った格調の高い、面白くない授業よりは、筋はそんなに通らなくても、多少格調に欠けるところがあっても「面白い授業が子どもを育てる」のです。
 この信条は、教師であるあなたと同じ悩みを何度も繰り返したあげくの私の信条です。
 
「出来」の異なるすべての子どもに行き届くように授業をすることは正直に言って不可能です。だから、授業は、子どもを「ひとり学びに突き放す過程」と考えるのがいいのです。
 自分の足で歩けるようになった子には余計な口出しをせずに、行く先(目あて)だけをしっかり教えて、道順さえも自分で考えさせて、ひとりで歩かせてやるのがいいのです。 
 授業に心躍る思いもなく、面白さもおかしさも知らぬ子は、まだひとり歩きのできない子どもです。
 子ども40人に教師が一人であるならば、教師はまず、そのひとり歩きのできない子に寄り添うのが人の道であろうと私は思います。
 同じ授業でも、面白いと思う子もいれば、面白いと思わぬ子もいる。肝心なのは誰のために面白い授業を工夫するかだ。
 頼みとするたった一人の教師が、もし、授業がわかって面白いと思う子だけを連れてどんどん歩いていってしまったら、残された子はどう思うでしょう。
 授業に取り残された子は、しかたなしに仲間と私語をし、退屈しのぎに漫画を読み、オレたちも居るぞと、少し大きな声を出して、出来る子をやじったりする。すると教師は叱責する。
 そういう毎日を繰り返していたら、学習の意欲を失って、学校を嫌い、教師を憎むようになるでしょう。そんな教室には入りたくないと思う子が出るのは当然です。
 面白くておかしい、心躍る授業は、その子のために工夫すべきだと私は思います。「キミのため、工夫した面白い授業が始まるゾ」と、始業ベルは鳴るべきものだと思います。
 ところが教師はどうか。授業がわからない子も仲間に入れ、励ましを与えているか。
「わかった人」を連発して、わかる子、出来る子と教師だけで授業を進めていないか。もしそんなことをするならば、それは「弱い者いじめ」「えこひき」です。
 教室でわかる授業を受けられなかった子は、きっと「弱い者いじめ」を始めます。やがて自分よりも弱い教師や親をもいじめるようになります。始業ベルは、教室に入りたくない子には何と無情に響くことか。
 始業ベルは、まだ、自分でひとり歩きして勉強することが出来ない子のために鳴るのです。どの子どもにも生きる喜びと勇気を与えるために鳴るのです。
 廊下に座り込んでいる子には「さぁ、今日もキミのために面白い授業を始めるぞ、きっとキミに声をかけてやるぞ」と鳴るのです。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校会長を務めた)



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担任に不満を持つ保護者との出会いが私の教員人生に大きな影響を与えた

 初めて学校に赴任したとき「自分こそ世界で一番優秀な教師だ」と、私は思っていた。
 新任で五年生を担任し、初めの頃こそ、若い教師ということで、多くの保護者から笑顔で歓迎を受けた。
 しかし、時が経つにつれて「学習の進度が遅い」とか「教室が汚い」とか「子どもの言葉づかいが悪くなった」といった不満が保護者の間から出てくるようになり、それとともに保護者の顔から笑顔が徐々に消えていった。
 私自身も保護者に会うのがおっくうになり、保護者会の日は私が不登校になりそうであった。
 そのような状況を感じて私なりに、子どもと休み時間、一緒に遊ぶとか、子どもが提案してきた早朝のマラソン練習に付き合うなど、少しずつ努力をしていたが、保護者にはならなか理解してもらえず、苦情はいっこうになくなることはなかった。
 五年生も終わりに近づき、学年末の保護者会が行われた。学年末ということもあり、保護者の私への批判は、ますます拍車がかかった。
 次々に出される私の実践への不満、保護者会の雰囲気は重苦しいものになっていった。そして、いつも私に一番厳しい苦情をいう学級代表のお母さんがスッと立ち上がって発言を始めた。
 私は、路整然と完膚なきまでに私の批判が語られると想像した。重っ苦しい気持ちを通り越して「どうにでもなれ」と、開き直ってしまった。
 しかし、その母さんから語られた言葉は
「皆さん、いろいろとご意見があると思いますが、先生が担任されて、私たちの子どもがたくましくなったのは、どなたも感じることではないでしょうか」
「私は、先生のこの面を大切に見守っていきたいと思います」
ということだった。
 今までの重っ苦しい教室内の空気がこの発言でガラッと変わった。発言の最中に何人かの保護者のうなずく姿も見えた。
 私はこのお母さんのひと言を聞いて
「ああー、私はこのひと言で生きて行ける。これからの教員生活、死にもの狂いで努力していきたい」
と、思った。
 教師は誰でもみんないい教師でありたいと願っている。ただ、一生懸命努力しても人間関係のゆがみや、相互理解の不足などによって、自分の持ち味が発揮できない場合がある。
 そのようなとき、保護者のひと言でやる気を起こしたり、反対に意欲を失ったりする。私の場合、あの厳しい学級代表のお母さんがいたおかげで、やる気が出て努力する教師になれたと思う。
 このお母さんが厳しかったのは「本音で私の実践を見つめてくれていたからだ」と、思うようになった。
 
「子どもや保護者と、ともに本気で、人生を一緒に生きることの大切さ」を、私はこの母親との出会いで学んだ。
 その後、六年生の担任として、自分の実践を保護者にしっかり伝えようと、学級通信を毎日出した。その結果、子どもに毎日、日記を書かせることになった。
 また、学級通信が授業の資料にもなった。さらに、学級通信に後押しされて、実践を最後まで頑張りぬいた。
 初めのうちこそ、苦手だった保護者会が、私の学級経営の重要な柱の一つになった。
 一人の母親との出会いが私のその後の教員人生に大きな影響を与えたのである。
(
西島興蔵:元東京都公立小学校管理職)

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担任に対し悪口を連絡帳に延々と書いてくる保護者にどのように対応すればよいか

 学校教育の具体的な内容については、法律的にも社会的にも、原則として学校に裁量権があり、個々の保護者は学校に対して意見を具申、あるいは苦情を申し入れる以外に、学校教育に反映させる方法はほとんどない。
 逆に、保護者の意向を完全に無視して学校教育が成り立つかはやや疑問のあるところであり、学校の活動に肯定的な理解を得るためにも保護者の意見を求めることが有益な場合もある。
 また、学校教育として不十分な点についても、学校外から苦情が寄せられる形で学校が状況を把握することが通常であるから、苦情により学校教育をより適切なものとするための契機として位置づけることは、一般論として建設的である。
 以上のことから、保護者からの苦情については
(1)
その内容が的確であり、かつ、改善等を要求する内容が学校教育にとって建設的なものである限り、十分に尊重すべきものである。
(2)
保護者がわが子に対する評価や処遇などの優遇措置を求めたり、保護者個人の悪感情を学校に攻撃的に向けてきた場合や、学校の適切な教育内容に対して誤った観点から修正を求める場合は、教師の受ける悪影響に対して十分な配慮が必要である。
 保護者からの苦情に対して学校は、速やかに事実を確認し、対応を検討していることを伝え、
(1)
特定の子どもを優遇することを求める場合
 
「子どもの健全な成長のためにそのようなことをすべきでない」と考える旨を伝えたうえで、少なくとも実施しないことが合理的である。
(2)
担任などに対する不合理な個人攻撃の場合
 担任に対し悪口を連絡帳に延々と書いてくるような、不合理な個人攻撃に対しては、学校として直ちに止めるよう強く申し入れることが必要であり、申し入れにもかかわらず、なお攻撃が続く場合は、法的対処を辞さない態度を明確に示すべきである。
 不合理な攻撃に対しては、標的となっている教師が学校内で孤立することのないよう学校として配慮し、組織として一体となって対応すべきであり、教師が個人として法的対応をとらざるを得ない状況に陥ることは、極力避けることが重要である。
(
星野 豊:1968年東京都生まれ、筑波大学准教授。研究分野は民事法学 、新領域法学)
(
「先生のための学校トラブル相談所-59の事例で学ぶ危機管理 」)

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若い教師が子どもとよい関係になり、魅力のある教師になるにはどうればよいか

 私は若いころ、毎日昼休みに子どもたちとバスケットボールに興じていました。サッカーをすることもありました。年齢を重ね、子どもたちとバスケットボールに興じながら築いた子どもたちとのつながりは、もう経験できません。若いからこそ、できる教育というのが確かにあるのです。
 フットワークが軽いということは教師に必要な資質です。何か生徒指導する場面が起こったら、すぐに現場に直行する。そして、とにかく子どもの横に寄り添う。その姿勢が必要なのです。
 常に現場にいると、先輩教師がどういう対応をするのか、自分の目で見ることができます。その空気を肌で感じることができます。この肌で感じるということが大切なのです。あとで話を聞いたとしても、その空気までは決してわからないものです。
 子どもたちと接する感覚を肌感覚で身につけられるか否かは、先輩教師の指導場面にいかに立ち会ったかで決まります。
 現場に立ち会っていれば、年齢が近いからこそできるフォローがあります。とにもかくにも、その子とじっくり話をしてみる。その姿勢が大切です。
 現場に直行するときは、どこからでも応援を呼べるよう携帯電話を持つ。筆記用具とメモ用紙は必ず携帯する。靴はかかとのあるもの。怪我用ハンカチやティッシュを持つ。子どもと格闘することもあるので尖ったものを身につけないようにする。
 子どもたちと人間関係を築くには、まずは一緒に大笑いする機会を日常的にもつことが大切です。人は一緒に笑い合った分だけ、仲よくなるものです。
 常に子どもたちと一緒にいて、バカ話をしたり、ゲームに興じたり、運動したり、遊び型コミュニケーションをとり続けることが大切です。
 子どもたちが悩みなど相談しやすいのは、やはり若い教師です。自分たちと感覚の近い人じゃないとわかってもらえないと感じるからです。相談に乗っても、教師が解決してあげようなどと思ってはなりません。
 子どもたちから相談をもちかけられたとき、大人として振る舞ったり、子どもに迎合したりするのではなく、教師自身が「中学生くらいのときに、感じていたことが感じるようになってきた」「まだ結論が出ていない」といったスタンスの話し方が最も子どもたちの心に響きます。
 相談に乗り始めたら、最後まで見捨てないという覚悟が必要です。途中でやめると、相手を傷つけることがあります。まれに、相談依存症の子どもがいます。距離をおいて一線をこえさせないことが大切で、常に周りの教師と情報交換しておくことが重要です。
 子どもたちから聞いた話は決して他の子に漏らしてはいけません。子どもとの人間関係が決定的に破綻します。
 教師も人間です。合う子、合わない子がいるのは当然です。「やんちゃな子を指導できなければ教師じゃない」といった思い込みは捨てましょう。
 自分にできる生徒指導、自分が得意な生徒指導の領域を増やしていく、そういう意識を持つのです。やんちゃな子の指導につきっきりになって、他の子どもたちが放っておかれると、普通の子どもたちがおかしくなってきます。普通の子どもたちを対象に目配り、気配りをすることも大切です。
 ウマが合う子であろうとなかろうと、楽しませることが大切なのです。あなたと接していて楽しさが説教を上回っていれば、子どもとの関係が壊れることはまずありません。
 若いうちは失敗して当たり前です。それを糧にして成長すれば良いのです。同じ失敗をくり返さないことに意識をむけましょう。失敗を経験すると周りの人たちの優しさが見えてきます。そんな経験も必要なのです。
 失敗をしたとき、隠すのが一番いけません。管理職や周りの教師の信頼を徹底的に失います。落ち込んでいる暇などありません。まずは解決に全力投球です。反省はあとでもできるのです。
 若い教師は可愛がられる人間になろう。
 若い頃に先輩教師に可愛がられた教師は、間違いなく、後輩を可愛がる教師になっていきます。子どもたちを可愛がる教師になっていきます。保護者ともコミュニケーションをとれる教師になっていきます。可愛がられることは教師にとって必要な能力なのです。
 将来、仕事ができると言われる教師は「なんでも楽しめる」という資質をもっています。壁をつくらず、まずは何にでも挑戦し、その楽しさを味わってみることです。
 人間的魅力とは「いろんなことを楽しめること」「それを独占せずにみんなで楽しもうとすること」のかけ算で測られます。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)


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いい授業を見て、具体的な目標を創り、工夫しながら勉強する教師は必ず伸びる

 私が新採の頃は、まばゆいばかりの教師が身の回りに何人もいた。この教師たちはどんな勉強のしかたをしているか観察した。
 その結果の一つは「アンテナを高く広く張りめぐらしていた」ということである。
 その教師の机の上には、いつも見たことのない本が置かれていた。時には哲学書であり、教養書であった。小説もよく見かけた。その教師は子どもに
 
「勉強しない人は伸びない。先生も本を読んだりして一生懸命勉強しているんだよ。きみたちも先生に負けないように勉強して、立派な人になって下さいね。勉強ほど楽しいものはないからね」
と話していた。
 これに比べ私の机の上は、辞書と子どものノートだけであった。どんな本を読めばよいかわからなかったのである。私が多少、本を読むようになったのは若い頃、身の回りにいた教師の影響である。教育雑誌をいくつか購入し、広告で本をさがした。
 とにかく「情報入手のアンテナを張りめぐらせる」という感じであった。これが長年続いていた。
 では何のために本をさがし求め、情報を入手するのか。それは教材研究をするためであり、指導方法の研究をするためであり、カリキュラムを作成するためであった。
 教育大学附属小学校に入ったとき「これがプロだ」という集団に出会った。
 ある算数の専門の教師は、新刊が書店に出れば購入するという徹底ぶりであった。徹底的に読んで自分のものにし、新しい教材解釈に取り入れていた。
 研究授業のときは、いつもユニークな教材解釈を披露して見せてくれた。指導法も、新しい方法を取り入れ、自分の工夫を加味していた。しかも、その人らしさをなくすことなく。
 私は、その教師によくゆさぶられた。その教師のいわんとすることは「常識を疑ってみよ」ということであった。「あまりに常識的な解釈、ものの見方・考え方では、子どもが面白いと思わない」といいたかったようだ。
 理科の専門の教師は「毎日の授業そのものが研究だよ」と言っていた。
 あるとき、その教師のノートを見たら、左ページに授業の計画が書かれていた。右ページは白紙のままであった。「無駄なノートの使い方するな」と、その時思った。
 これは、浅はかなことであることが間もなくわかった。右ページは授業の経過や結果がぎっしりと書かれているのを見たとき、びっくりしてしまった。
 なるほど、これが「毎日の授業が研究だよ」といった意味だったのだと悟った。これは、早速まねしてやり出した。忘れないうちに休み時間に右ページを書いた。これは忙しくて大変だった。
 その理科の教師は放課後や時間のある昼休みなどに書いていた。「時間がたったら忘れてしまうのでは?」とたずねたら「忘れてしまうような授業なら、大したことはない証拠だよ。いい授業はいつまでも覚えているものだよ」と言った。私は脳天をぶんなぐられたようなショックを受けたことを、つい昨日のように思いだす。
 たくさんの授業を見て感動することも多いが「こんな授業をしてみたい」ということも結構ある。
 教師になって五年、マンネリになっていることに気づき、県外の研究会に参加した。奈良女子大学附属小学校で長岡文雄先生の授業を見た。そこには人があふれていた。教室には手づくりのポストがあった。
 授業が始まって五分もたたないうちに「これは面白い。まねをしてみたい」と思った。うわさのとおり「これぞ授業だ」という、すごい授業であった。
 その授業の指導案を見ると、学習活動は次の通りであった。
(1)
グループで作ったポストの模型について発表し、くらべ合う。
(2)
ポストで、うまく作ってあると思うところをみつけて、そのわけを話し合う。
(3)
ポストをあける郵便屋さんのまねをする。
 簡単すぎて、何をどうするのかわからなかった。ユニークな授業が展開されることなど、全く読みとれなかった。やはり、授業も、指導案も、見る人の実力ほどにしか見えないものだと後で思った。
 授業は、欠陥のあるポスト(例えば、屋根がない、投かん口の上のひさしがない、取集時刻がない、など)を使って「欠陥があると、どのように困るのか」考え合うのである。
 一般的なことを言う子どもは一人もいない。みんな体験にもとづいたものばかりで、実にユニークな発言である。
 長岡先生は「屋根なんかなくていいよ!」と、とても教師とは思えないことを言うのである。正しいことを教えるのが授業だと考えていたので、驚くばかりであった。
 教師がゆさぶるたびに、子どもがものすごい反論をする。教師の言うことに従うのが子どもだと考えていたので、これにも驚いた。
 それまで、教材は完全なものでなければと考えていた。ところが、欠陥ポストを使っての授業を見ているうちに、意味がわかってきた。
 欠陥のあるものは目につきやすい。それを発見させて、どうすれば完全なものになるか、考えさせることが、子どもの思考のすじ道からしても自然なことに気がついたのである。
 翌日、続きの授業を見た。多く子どもたちが郵便屋さんをつかまえて聞いたり、観察してきたりしていた。その観察のしかたの鋭さに舌をまいた。
 「これが本物の授業」だと思った。私に授業を求める心があったからこそ、この出会いがあったのだと思う。
 つまり、私が目ざしていたものが「具体的な形で見えた」ので「よし、こんな授業をしてみたい」ということになった。
 どんな子どもを育てればよいかも見えてきたのである。こうして、長岡文雄という一人の先人を追い続けることにしたのである。
 教師は子ども対象であるため、お山の大将になりやすい。お山の大将に共通していることは
第一に「視野が狭い」ということである。狭い世界で「自分が一番だ」と思いあがっている。
第二に「目あてのレベルが低い」ことである。大したことないのに、すごいことをやっていると勘違いしている。
第三に、周りの人々が嫌っているのに、全く気づいていないことである。
 教師は「いい授業を見る」「いい授業の話を聞く」などして情報を入手し「自分なりの、やってみたい授業のイメージを創る」とよい。目あてに近づけば、目あてのレベルを上げればよい。
 これができるかどうかが、お山の大将にならずに伸びるかどうかの分かれ目である。
 幸か不幸か、私には今も目ざしたい授業があり、それを追っている。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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子どもを育てるときの「ほめ方」「叱り方」の鉄則とは何でしょうか

 私は長い警察官生活の中で、道を踏み外した子ども、そしてその子を育てた親と接し、たくさんの話を聞きました。
 話を聞くと、一緒に住んでいるのに気持ちはすれ違い、かみ合ってないことや、お母さんが子どものために良かれと思っていたことが、子どものためになっていないことなど、家庭でさまざまな問題を抱かえていたことが分かってきます。
 子どもたちに不幸を生まないためには、子どもの頃からしっかりと、しつけを行うことが必要なのです。
 子育てにおいて愛情が基本なのは当然のことです。しかし、愛情に溺れず、どこかで冷静に距離をおいて子どもに接するのが親の役目なのです。
 叱るときも、本気で叱りながらも、怒りをぶつけてはいけません。あくまで親という役割の必要性からそうしているのです。
 子育ては、時代が変わっても押さえるべき「子育ての鉄則」は変わりません。私の長年の経験から確信をもって言えることです。やろうと思えば誰にでもできることです。
 子どもを育てるとき、子どもの「ほめ方」「叱り方」の鉄則とは
(1)
かわいがることと溺愛は大違い
 かわいがられたことのない子は、よい子に育ちません。しかし、溺愛ほど有害なものはありません。溺愛だけで「しつけ」のない親があまりにも多い。
 今の親は甘やかす傾向が強く、必要以上に子どもに迎合する親や「友だち親子」になっていて、叱らなければならない時に、それができず、むやみにかわいがってばかりいる親が多いのが懸念されます。
 子どもに甘く、子どもの要求をやたらに受け入れる親は、理解のある親だと思われたいのでしょうが、とんでもないことです。
 子どもが転んだら手を貸して起こしてやるといった子育ては避けるべきです。親が先回りしてやってしまうと、何かに耐えたり、我慢したりする、生きていく上で大切な力が子どもの身につかないのです。
 自分で立つことを学ばせることはとても大事なことです。それが「しつけ」であり教育なのです。
 子どもがキレて、わめくと「ああ、分かった、やってあげるからね」と助けてしまう。すると、子どもは駄々をこねれば何でも通るということを覚えてしまうのです。
 そんな子に育っていくのが最も恐ろしい。やがて親にとっていちばん苦労する子になってしまうのです。
(2)
叱ることを恐れない
 まるで腫れ物にさわるかのように子どもに接している親がいます。これが一番よくないと私は言っています。必要以上に子どもの機嫌をとってはいけないのです。
 叱るということを、あまり恐れてはいけません。叱り方さえ間違えなければ、子どもは親から離れることはありません。
 親は子どもに「間違ったことをしたら叱られる」のだということを教えるべきです。子どもは世の中のことを知りません。間違ったことをやって当たり前です。
 叱るべき時は厳しく叱る。そのかわりよいことをしたら、とことんほめる。抱きしめてほめてあげてください。その時に、親と子の結びつきができるのです。「叱る」「ほめる」という行為は、そういう意味でも大事なことなのです。
 気をつけることは、叱るときに感情的になると「怒る」ことになります。その分だけ愛情が抜けてしまうのです。子育てにおいて、感情と愛情はなかなか同居しにくいものなのです。そのことを忘れないでください。
 叱る時には、絶対に人の前で叱ってはいけません。子どものプライドを軽視してはいけません。ほかの子と比較はしない。自尊心を傷つけます。
 叱るときは肌を接して叱ってほしい。特に厳しく叱る時は、必ず子どものどこか(手を握るとか、頭に手を乗せるとか、肩を組むなど)に触っていてください。親が考えている以上に、子どもは孤独感と恐怖感を覚えるのです。
 叱ったあと、後味の悪さを引きずったままでは、親子の関係が離れ、やがて結べない距離になってしまいます。「きつく叱ったな」と思ったら、必ず「なり直し」(フォロー)をやってあげる。
「ね、分かった? お母さんの言うこと」「うん」などと、気持ちを寄せ合って、子どもが不安を引きずらないようにしましょう。
 毎日の子どもとの触れ合いの中で「叱る」より「小言」が多すぎると、子どもも「またか」と、うんざりするだけで、言うことを聞こうという気持ちにはなりません。
 これは、子どもに近づきすぎていることが原因です。子どもとの距離を少しとって口を出したいと思っても、子どもを信じて黙って見守ってみてください。
 自分で問題を解決することにより、子どもはものごとの処理能力を身につけた大人へと成長していけるのです。
(3)
子育ての責任者は親である
 何のために子どもをしつけるのでしょう。子育ての目的は、社会生活をするために必要なルール、作法や物事の善悪を判断する力を身につけさせること。
 そして、この子育ての責任は親にあることをよく自覚していただきたいのです。このことが分からず、他人や学校に文句ばかり言う親がいますが、子育ての責任はあくまで親だということを忘れないでほしい。
(4)
まずは、さきに「ほめる」
 
「ほめて」よいところを伸ばしていけば、やがて黙っていても悪いところは立ち枯れるものです。「よくがんばったね」と、よくできたところをほめた方が効果的です。
 ほめて自信をつけさせて「やればできるのだ」と暗示をかけて育てる方が大事ではないかと思うのです。やがて、この暗示が本物になるのです。
 
「あなたのいけないところはこれ、早く直しなさい」と、先に悪い点を言う親が非常に多い。そうではなく「今日はよいこと一杯できたね。明日はここをがんばろうね」と、よいところを指摘しながら励ますようにします。
(
星 幸広:1944年生まれ、千葉県警察官、千葉県鉄道警察隊長、警察庁警備局、千葉県少年課長、 千葉県警察署長、地域部参事官等を歴任し、千葉大学ジェネラル・サポーター。「子育て、しつけ」や「学校危機管理」に関する講演を全国的に展開 している)

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保護者との駆け引きがうまくできるようになれば、教師として一人前

 中部地方の公立小学校に勤務する40歳代半ばの教師。子どもや親からの相談にも気軽に乗る「頼りがいのある先生」でもある。その教師にインタビューした。
 教師側からすると、全般的に昔に比べて、保護者がうるさくなってきている。
 管理職から「親とのトラブルだけは避けてください」って言われます。それはどういうことかといえば、やっぱり「親に合わせろ」ってことなんです。
 でも、親に合わせろといっても、いろんな親がいるわけでね。だから具体的には「こまめに親と話をしなさい」というわけです。「とにかく連絡を取りあいなさい。親の要望を聞きなさい」と。
 つまり、子どもが具合悪くなったら連絡しなさい。ケガしたらすぐに連絡して病院に連れていきなさい。そういったことです。
 だから、私はとにかく親にはこまめに連絡を取るようにしている。何かあれば電話をかける。例えば、
「ちょっと今日は、気分が悪くて給食あんまり食べられんかったから、お家でもよく見てあげてください」とか。昔だと感謝されたんですけどね。今はもう何もないですわ。
 親は、やっぱり不安なんですね。子どもを毎日学校に預けるわけですから。それに今の学校はいじめやらいろんな問題があることを親だって知っている。
 だからこそ教師に期待するわけです。いろいろな問題に対処してほしいと期待するから注文も多くなる。
 でも期待の中身の半分は、じつは「しつけ」なんですね。親自身が子どもの「しつけ」に自信がないんです。いわゆるいい子のイメージは親の頭にあるんだけど、それにわが子がついてこない。
 私なんか小学校一年生ぐらいで、おとなしく教室で座っているほうが不思議だと思うんだけど、お母さんたちは、それが許せないんですね。
 それで、最初の授業参観なんかで、子どもたちがウワーって騒いでいるのを見ると
「これは先生に力がないんだ」
と思うわけです。きちんと座ってないのがすごく不安なのですよ。
 私が親とつきあううえで原則にしていることが三つあるんです。
 一つめは「何か問題が起きたときには、親と一緒に考える」ということです。
 ぶっちゃけた話、学校でのことだから私も頑張るけど、お母さんが、もし教師の私の立場だったらどうしますか。同じような事態になったとき家でどう対応していますか。と一緒に親に考えてもらう。
 つまり、こっちも覚悟を見せたうえで、親も巻きこんじゃうわけです。まあ、それでたいていのトラブルは解決しますね。
 二つめは「問題をひとりで抱かえない」ことです。
 親からクレームなどがあれば、できるだけ同僚や管理職に声をかけ、同僚も巻きこんで学校全体で取り組むということ。
 授業の空いている教師がいたら、集まってもらって話し合う。すると、結構いいアイデアが出てきたりするんです。
 だから私は日頃から口をすっぱくして言っているのは、どうしようもなくなってから人を呼ぶなよと。
 学級崩壊なんかになったら、もう対症療法しかないんだから「ちょっとやばいな」と思ったら早く言えよと言っているんです。
 三つめは「仲のいい親からは情報をどんどんもらいます」ということ。
 親たちとパイプをつくっておいて、ちょっとへんだなと思ったら、裏を取ってすぐに対応します。そうすれば大きな問題にはなりませんね。
 まあ、社会が変化して学校や教師に対する親の見方も変わってきたし、同時に親もすごく変わった。親だって子育てがうまくいかないとか、いろいろ悩みはあるでしょう。
 たとえば、手のかかる子がいて、その親が「いつもお世話になっています」と、ひと言いえるかどうかの差はすごく大きいと思うんですよ。
 やっぱり教師だって人間だから「お世話になって」って言われれば、じゃ、もうちょっと頑張ろうかなって思うわけですよ。そのへんがうまくないというか、自覚していない親が多いんですよね。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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子どもを叱っても言うこと聞いてくれないとき、どうすればよいのでしょうか、その発想のポイントとは

 子どもをどう「しつけ」たらいいか分からない。いくら叱っても、子どもが言うことを聞いてくれない。言いたくないのに、いつも子どもに小言を言ってしまう。子どもと楽しく過ごしたいのに、気がつくと子どもを叱っている。
 私は、23年間の教師生活の中で、このような親たちの相談を何回も受けてきました。多くの親たちがこのような悩みを抱かえながら、毎日を手さぐり状態で生活しています。
 これらは、教師である私自身の悩みでもありました。私も教師になったときから、ずっと同じようなことで悩んできたのです。
 叱りすぎて。子どもの心が離れてしまったこともありました。毎日子どもと顔を合わせるのが、嫌でたまらなかったこともありました。
 そのような悩みと苦しみの中で、だんだん分かってきたことがありました。分かってくるようになってからは、毎日の子どもとの生活が楽しくなってきました。
 そして、子どもたちもグングン伸びていくようになりました。
 以前、わからなかった「子育てやしつけ」のポイントが少しわかるようになったのです。ほんの少し発想を変えるだけでいいのです。この「発想を変える」ことがとても大切だと思います。発想を変えて、初めの一歩を正しい方向に向けることがとても大切なのです。
 「子育てやしつけ」の発想のポイントとはどのようなことなのでしょうか。
(1)
「しつけ」より愛情
 
「しつけ」は愛情の後に来るものです。まず、子どもの心を親の愛情でいっぱいに満たしてやることが一番大切です。
 自分が愛されているということを実感させてやってください。子どもが親の愛情を実感し、心が満たされているとき、初めて、しつけも可能になるのです。
 子どもが愛されているという実感がないと、いくら子どもをしつけようとしても、何一つ身につきません。私はそういった例をたくさん見てきました。
 親たちも、みなそれぞれに愛情を持っているのですが、子どもが実感として親の愛情を感じることができていない場合があります。
 実際にコミュニケーションやスキンシップなどの触れ合いを通して、心と体で愛情を実感することができないと満たされないのです。
 自分が本当に親から愛されているのだということを、子どもはいつも実感していたいのです。それは、一度にまとめて受け取り、蓄えておけるようなものではないのです。
 親に愛されていると日々実感している子は、心が満たされます。心が満たされている子は、素直になれます。ですから、親の言うことを受け入れることができるのです。
 生活のしつけや決まりも、素直に受け入れることができるのです。
(2)
叱ることで「しつけ」ようとしない
 親がコミュニケーションやスキンシップなどの触れ合いを心がけているにも関わらず、親の愛情を子どもが実感できないでいるという場合があります。
 多くの親は、叱ることで「しつけ」ようとしています。でも、子どもはその度に嫌な気持ちになっています。その度に、少しずつ親の愛情への疑いが育っていくのです。
 子どもが人間として許されないようなことをしてしまったとすれば、「叱る」ことも必要でしょう。例えば、誰かを傷つけたり、卑怯なことをしてしまったとか、弱い者をいじめてしまったなどという場合です。
 でも、大人が感情的になって、声をあらだててとがめる必要が毎日あるでしょうか。
 私は、以前は、声をあらだてて子どもを叱ることがよくありました。私も、その度にいやな気持ちになるのが常でした。
 叱られる子どもは、うなだれて、しょんぼりしています。私を見る目も微妙に違ってきます。つまり、子どもの中で教師としての私の価値が低くなっているのです。
 感情的に叱ったり怒ったりするたびに、子どもたちが言うことを聞かなくなっていきます。指示や指導は効き目がなくなっていきます。なぜなら、指示や指導には、その人自身の人間性の裏付けが必要だからです。
 生活の中に「叱ってしまう流れ」から「叱らなくてすむシステム」を作ることに力を注ぐようにします。 
 例えば、私は叱らなくてすむように、小黒板を利用していました。小黒板に朝の流れを書いて、毎日帰り際に、係の子どもが教室の前の黒板に張りつけます。
 
「朝、八時までに、提出物を出しましょう」「係の仕事をがんばりましょう」「外で元気に遊びましょう」
 こうしておけば、朝、学校に来たときに、誰もが目にし、朝の八時までに提出することが出来るわけです。もうひと工夫して、教室にいる子どもたち全員で読むようにします。これはとても効き目があります。誰の耳にも聞こえるからです。
 たいていの場合、これで、どの子も朝の仕事がきちんとできるようになります。それぞれの問題に応じた方法を工夫すればいいのです。私は「改善」と言いながら工夫してきました。
(3)
子どもの短所に目をつぶり、長所を伸ばす決意をする
 
「しつけ」ようとしても、どうしてもできない子どもには、どうすればよいのでしょうか。目をつぶればいいのです。短所に目をつぶる代わりに、長所を伸ばす決意をするのです。実はこの短所に目をつぶるということが、大人にはなかなかできないのです。
 成長するためには人間は、どこを持って持ち上げてもいいんです。得意なこと、好きなこと、長所を持って上げてやればいいんです。
 人間全体が上がれば、苦手だったことや短所も、いつの間にか上に上がるんです。その子は幸せになるのです。
(4)
肯定的な言い方で、子どもをやる気にさせる
 ちょっと言い方を変えると、聴いている人は気持ちよくなります。
「脱いだ靴が揃えられていると気持ちがいいね」
という言い方は、肯定的な言葉を使っているので、聞いている人は気持ちがよくなるのです。それで、聞いている人は前向きにやってみようかなという気になるのです。
(5)
子どもをほめる
 人は誰でもほめられるとうれしいものです。心が温かくなって、やる気が出てきます。私は担任として、子どもを意識的にほめるようにしていました。
 子どもをほめられない人は、日頃の考え方がマイナス思考の人が多い。子どもをほめられるようになるためには、自分自身をプラス思考の性格に変えることです。生活や仕事を楽しんでいる人は、みんなプラス思考だということです。
 物事の肯定的な面を見つけ出して「いいね、いいね」「あなたのいいところはここね」と、それを話題にするようにします。
(
杉山桂一:1958年生まれ、公立小学校で23年間教師を務め2006年に退職。教育評論家として講演、執筆活動、無料メールマガジン(メルマガ大賞の教育・研究部門で5年連続第1位)の発行を続けている)

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教師が教育のプロとなるための条件とは何でしょうか

 指導力不足の教師がいる。子どもが大きく変化しているのに、教師の方が変化できないでいるのだ。わたしは、ほんのひとにぎりの教師が指導力不足に陥っているのであって、多くの教師は、そうでないと考えている。プロをめざしてがんばっている教師がたくさんいる。
 教育のプロとは、何だろうか。教師の場合、真のプロとはどんなところをみればよいのだろうか。幅が広くて、これとこれというようにはいかない。でも、何といっても
プロ教師の第一条件は
「子どもを引きつける授業ができる」 
ことであることは間違いない。
 授業ができないのに、理屈ばかりいって専門家ぶっているのは、本物ではない。
 わたしの夢は、子どもの前に立っただけで、子どもが集中し、語りかけてくるようなプロ教師になることである。
 子どもを引きつけるには、一つは、人間性である。子どもが「面白そうだ、何か話しかけてみたい」と、思うような存在感のある人間性でありたい。これをみがかなくてはならない。
 
「先生の笑顔をみただけで、勉強が面白そうに思える」
といった雰囲気をもった人間性である。こういう雰囲気をつくり出さなければならない。
プロ教師の第二条件は
「新しい角度からの『発問』ができる」  
ことである。例えば、
 
「どうして海の中を列車が走っているのでしょうね」
といった発問は、さり気ない発問のようにみえるが、実は深く広い教材研究の中から、にじみで出たような発問である。
 日本最初の新橋から横浜間の鉄道は、その三分の一は海の中に盛り土をして、その上を走らせたのである。
 明治のはじめの、しかも家も沢山ないような海岸を走らせるのに、どうして反対したのか。たぶん反対があってこのようになったのだ、といったことに気づかせるための発問である。
 発問のしかたで、授業は一変する。
「この紙で郵便ポストを作りたいのだが、どうだろう」
「バスの運転手は、どこをみて運転しているのでしょう?」
「東京23区に、牧場はあるでしょうか」
こういった発問は、子どもをゆさぶり、授業のあり方を変えてきた。
プロ教師の第三条件は
「明確な指示ができる」
ことである。
 明確な指示ができていれば、子どもはきちんと対応する。
 よくみかける指示は、何を指示しているのか、わからないものが多い。プロ教師の指示は明確である。
プロ教師の第四条件は
「オリジナルな教材をどれだけ持っているか」
である。
 教師は教え方のプロではあるが、教える内容のプロではなくなってしまっている。教科書ばかりに頼っている間に、自分らしい教材開発を忘れてしまったのではないかと、わたしは心配している。
 輪郭のはっきりした、その人らしい教材をもつことだ。これなくしてプロとはいえない。
 わたしが訪問する学校の教師たちは、毎年、新しい教材で授業をしてみせてくれる。ほんの少し努力しただけで、教材開発ができるのである。あとはやる気の問題だけである。
 面白いことに、一つの面白い教材を開発すると、次々に面白い教材がみつかる。教材を開発するには、関係的な見方・考え方をすることが得策である。
 例えば、いちじくを教材化すると、みかんや柿、りんご、梨、ぶどうなどが自然に教材化されるのである。
 つまり、一つみえるようになると、他のものがみえるようになるのである。
プロ教師の第五条件は
「対応の技術を持っているか」
ということである。
 子どもが発言する。それに対して教師がどれだけプロらしい対応の技術をみせるか、である。
「間」が大切である。
間ぬけになったり、間のびした対応ではどうしようもない。適度な「間」で、適切な対応をすれば、子どもはやる気を出して追及する。
 バスガイドの中には「対応の技術」にたけた人が多い。客を喜ばせるコツを心得た対応をする。
 ふだんから、子どもとのやりとりのしかたを工夫することだ。工夫しているうちに、あるときコツを会得することができる。
プロ教師の第六条件は
「板書の技能」
をあげたい。
 しっかりした板書ができなければ、とてもプロ教師とはいえない。
 わたしは、常に「芸術的な板書」をしたいと願って努力している。子どもを引きつけて離さない板書技能をみがきたいものだ。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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保護者に「この先生でよかった」と思われるための保護者会・懇談会のポイント

 保護者会・懇談会で信頼を得るためには、笑顔で対応し、具体的にほめることが信頼につながる。ここで大切なポイントは
(1)
笑顔
 何といっても笑顔だ。人間の印象はほとんど会った瞬間で決まるといわれる。それも、話す内容ではなく「表情」や「声」によって左右されるらしい。
 保護者もはじめは緊張している人が大半だ。笑顔はそうした保護者の緊張をほぐす役目も果たす。
 忙しい中、時間を割いてくれた保護者に感謝の言葉を述べ、常に笑顔で対応することが信頼につながる。
(2)
エピソードを語る
 学級で起こったさまざまな出来事、その中で特に子どもが活躍した場面や子どもの優しさが表れた場面などを具体的に語り、ほめていくのである。
 
「この先生、クラスのことをよく見てくれている」と保護者が思ってくれれば成功である。
 どうしても語るのが苦手だ、というのであれば、録画を用意するという手がある。休み時間や給食、掃除時間などに撮った録画を流すのは、保護者にとても喜ばれる。
(3)
時間を守る
 ほとんどの保護者は忙しい中、時間を作って出席している。そこで「保護者会は○時○分まで行います」と最初に告げた上で、その時間にぴったり終わるようにする。
(4)
学期末の懇談会で大切なのは、子どもの成長をほめること
 できるだけ具体的にほめなければならない。「朝の会」「授業中の発表」「ノート」「行事などでの活躍」など、場面を切り取り、具体的な描写を入れてほめるようにする。
 そのために日々、その場その場で少しずつ子どもたちの記録をつけていくようにする。
 
「もっと頑張ってほしいこと」や「保護者へのお願い」は、ほめた後、ほんの少し言うだけに留める。信頼関係があればこそ、担任の「お願い」も聞く気になるのだ。
(5)
日々のクラス運営が大切
 このような子どもの事実を作るには、やはり日々のクラス運営が大切だ。
 当然のことだが、保護者は「保護者会の教師」だけを見て信頼できるかどうか判断するわけではない。
 それまでに「今年の先生はどんな先生か」ということは、子どもを通して保護者の耳に入っているのだ。
 
「笑顔で対応し、具体的にほめる」ということは、保護者会や懇談会だけでなく、クラス運営にとっても大切なことだ。
 子どもに対しても、笑顔でほめ続ける。まずは、子どもから信頼されることが、保護者の信頼を得ることにつながるのだ。
(
岡倉光悦:大阪市立小学校教師。:TOSS大阪てんじん代表)

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若い教師は、どうすれば「子どもたちが必要とする」教師になることができるのか

 私が新任だったとき、教え子との決定的な出会いがあった。A子という強烈に個性的な子を、中学一年で担任した。彼女との出会いが、私の教師人生を決定づけたといってもいい。
 教師になる半年ほど前から、地域の子ども会の指導員のアルバイトをしていた。当時小学六年生だったA子は「いやだ」と言ったら「てこ」でも動かない。キレたらすべてを投げ飛ばす。
 口は誰にも負けないほど達者で、ちょっとした教師の弱みや隙をねらって、突いてくる。嫌いな教師は徹底して嫌い、こびようとする教師は鼻先で笑う。
 大きな体を揺らし、肩で風を切って学校中をかっぽしていた。でも、憎めないお人好しで、親分肌で、寂しがりや。勉強がからっきしダメ。読み書きもろくにしようとしない。鉛筆を持たせるだけで1時間かかることもあった。
 授業中はいろんな教師とぶつかった。教室を混乱の渦に巻き込み、挙句の果ては教室を飛び出した。これほどのスケールの子はそうそうお目にかかるものではない。
 先輩教師から「教育とは『今日行く』ということ。家庭訪問して足で稼ぐのが同和教育や」と言われ、子ども会指導員時代にすでにA子の家にも、頻繁に家庭訪問した。
 家庭訪問した翌日、A子はがんばってくれるだろうと、甘い期待を持って教室に入っても何も変わっていない。あいかわらずのわがまま勝手。
 
「お母さんの気持ちが分からんのか」と説教すると「うるさいんじゃ、おまえに何が分かるねん」とはね返された。
 一学期も終わる頃、A子の授業拒否、授業妨害はピークに達していた。授業妨害をめぐって、他の教科教師から苦言が来るし、学年会でも話題になった。
 私なりに、A子が「勉強を分かりたいけど、どうしようもなく分からない」と、苛立ち、押しつぶされそうになっているのが痛いほど分かっていた。
 放課後、残って勉強を教えることもあったけれど、長続きしない。クラスの子がかかわろうとするが「うるさいんじゃ、ほっとけ」の一点張り。ついにA子に匹敵するくらいのパワーの持ち主であるB子と正面衝突して、修羅場となった。
 仲裁に入った私がB子側に立っていると思ったらしい。裏切られたと感じたA子が「お前なんか、うっとおしいんじゃ、もう学校に来るな」と吐き捨てられた。
 わたしは悔しくて悔しくて、体を震わせた。「こんなに一生懸命、この子のことで昼も夜も考えている私が、どうしてこんな暴言を吐かれるのだ」と、私は教室を飛び出した。
 職員トイレに駆け込み、ドアを閉めて思いっきり号泣した。どれだけトイレに籠っていたのだろう。やっと気持ちが落ち着いて「今日はもう、帰ろう」と、トイレのドアを開けた。
 すると、そこにヌッとA子が立っていた。私の号泣を1時間以上聞き、ずーっと声もかけられずに立ちつくしていたA子がいた。でも、私は未熟だった。顔を背けて無言で出て行ってしまった。どうして「心配してくれてたんやね」と言えなかったのだろう。
 そして、次の日も、まるで何ごともなかったように、A子とのバトルは続いた。でも間違いなく、A子との友情は深まっていったと思う。
 私がA子を愛し、A子も私を必要としてくれていると感じられることがあれば、少々乱暴でもいいんじゃないかなあと考えている。
 新任まもなく結婚した私の結婚式にも、A子はクラス代表として数人の子らと参加してくれた。長男が誕生したときも、ベビー服を持って訪ねてきてくれた。
 間違いなくA子は、私の教師人生のスタートを方向づけてくれた教え子だと思う。
 日々、子どもたちとバトルをくり返しているあなたへ。「もう、教師を辞める」と思っては、気を取り直して頑張っているあなたへ。すっかり自信を失っているあなたへ。
 おめでとう。「大物」の子どもと出会えたあなたは、とてもラッキーな教師生活のスタートを切ることができたということ。格闘の日々の中で、これからの教師人生で宝物になるものを、きっと見つけられるはずです。
 若い教師がはじめから、子どもに「自分を開く」なんて、怖くてできないし、そんなにうまくいくはずもない。教師らしく説教しようとか、教師としての格好をつけても滑ってしまうこともしょっちゅう。
 
「どうして分かってくれないのか」なんて、恨みがましく思うより、真っ正面から直球勝負を挑んで、そして子どもにスカーンとホームランを打ち返されたらいいと思う。
 大事なことは、あなたがその子の存在を放っておけないということ。それは、その子のいいところも悪いところも、ひっくるめて、いとおしいと思えたら、もうこっちのもの。
 
「この日を迎えるために、自分は格闘してきたんだなあ」と、思える日がきっと来る。自分を信じて、子どもを信じて、進むしかない。
 私は「子どもとぶつかって泣くのは、プライドが許さない」「私はこんなに一生懸命なのに、どうしてあの子は分かってくれないのか」なんて、傲慢で薄っぺらな気持ちは、いつの間にか跡形もなく消えて、子どもの前で大泣きする教師になっていた。
 
「教師は、子どもたちによって教師にしてもらう」のだと、私は思う。
(
新保真紀子:徳島県生まれ、大阪府公立中学校教師(11)、大阪府人権教育研究協議会(7)等を経て神戸親和女子大学教授)

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いじめを早期発見するための具体的な方法とは

 「わが子がいじめられているのではと相談したけれど、担任の先生は具体的に何もしてくれなかった」などいう親のコメントをいじめ報道で目にすることがあります。
 教師が親の相談に対して何も行動を起こさなかったとすれば論外ですが、大抵の場合、デリケートな問題であるため事実関係をつかむのに時間がかかり、その結果、親との温度差が生じてしまい、教師不信となるケースが少なくありません。
 学校は「あってはならないいじめを早期に発見する」という視点で緊迫感のある対応をすることが望まれます。
 ですから、相談を受けた段階では、いじめは深刻な状態に進展していると考えるべきです。決して対症療法的な後手、後手の対応をしてはならないということです。
 それには、意図的、計画的に早期発見するため、つぎのような具体的な手だてに取り組むとよいと思います。
(1)
「帰りの会」で、自由に発言できる雰囲気をつくろう
 帰りの会で学級の諸問題を自由に発言しあえる雰囲気を醸し出したいものです。担任の一つの眼でなく、学級に担任以外の眼が育てば、いじめを早期に発見することもできるでしょう。
(2)
学級に「心のポスト」を設置しよう
 子どもたちの悩みや心配事を自由に投函できる「心のポスト」を設置すると、人前では発言できない子どもたちが担任に知らせることができます。毎日確認し、どんな些細なことでも即座に対応することが大切です。
(3)
週に一度、簡単なアンケートをとろう
 週に一度、曜日を決めてアンケートをとり、チェックをすれば、子どもたちの変化をつかむことができます。
 例えば、表題 「心のかがみ」
 つぎの項目に、はい、いいえのどちらかに○をつけましょう
 このアンケートは心の中にある悩みや不安をうつしだすかがみです。_ _組 名前_
「体調は良いですか」(はい)(いいえ)
「よく眠れますか」(はい)(いいえ)
「食欲はありますか」(はい)(いいえ)
「友だちとの仲は良いですか」(はい)(いいえ)
「いじめられていますか」(はい)(いいえ)
「いじめられている子がいますか」(はい)(いいえ)
「悩んでいることがありますか」(はい)(いいえ)
 など。子どもに、○だけを記入させるだけなので、用紙の配布から回収まで二分程度でできます。
 実施する曜日は、子どもたちの悩みや不安が蓄積される週の後半が望ましいと思われます。木曜日の下校前などが適当でしょう。回収は二つ折にして直接担任に手渡すようにします。
 問題があれば、その日のうちに電話をかけて、詳しく話を聞いてみることです。状況によっては、翌日に個別に話を聞ける機会をつくり、何気なく面談をすることが必要です。深刻な場合は家庭訪問して親を交えて話し合う必要があるでしょう。  
(4)
月に一度、個人面談をしてみよう
 月末の三日間くらいは、子どもたちと個人面談してみましょう。休み時間に空き教室などを利用して、一人一分程度、直接話し合います。質問は
「最近悩んでいることや心配なことはありませんか」のただ一つ。「ある」と応えた子には、その場ではなく、その日のうちに自宅に電話をかけてじっくりと悩みを聞きましょう。
(
小谷川元一:1959年千葉県生まれ、千葉県松戸市公立小学校教師、松戸市指導主事等を経て東京福祉大学准教授。子育て・教育支援スペース「こたにがわ学園」理事長)

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保護者に「若い先生だから」と信頼されていないと感じるとき、信頼されるにはどうすればよいのでしょうか

 若い教師は、経験が少ない、若いということで保護者は不安に思います。まず「ちゃんと教えてくれるか」という不安でしょう。教師に期待するのは、学習面や生活面の指導力です。
 それと同時に、子どもが先生が好きか、学校が楽しいかどうか、ということもあります。学校が楽しく、先生のことが好きで、一生懸命勉強している子どもの姿が見られることが、保護者からの信頼を得るポイントであると言えます。
 そこで、子どもががんばっている様子を家庭に伝えるようにします。そのことが、学校への理解や協力を得るための近道にもなります。
 
「今、何を学習しているか」「子どもたちがどんな点でつまずいているか」といったことを学級通信などで保護者に知らせていきます。
 一週間に一度でも学級通信を発行し、継続していくことでも「うちの担任は、学校の様子をよく知らせてくれ、子どもの様子もよくわかる。若くてやる気があるな」と、若さを評価してもらえることもあります。
 学級通信で大事なことは、子どものがんばりを多面的にとらえて伝えていくことです。そのもとになるのは、日頃の授業への取り組みや子どもとの関わりです。
 楽しい授業、わかりやすい授業を工夫していると、子どもを通じてそれが保護者に伝わるものです。「今日、先生とくじら雲に乗ったんだ」などと、子どもが家庭で楽しそうなに学校の話をすることで、担任の取り組みが保護者にも伝わっていきます。
 また「先生がわかるまで丁寧に教えてくれた」「できなかったけど、手伝ってくれたんだよ」など、一人ひとりの子どもに合わせた対応ができていれば、子どもの満足感にもつながります。
 このように、若くても、一人ひとりの子どもを大切にして、授業をおろそかにしなければ、保護者からの信頼は得ることができます。
 さらに気をつけたいことは、子ども同士の人間関係です。集団生活ではトラブルはつきものです。いじめや学級崩壊など、保護者は子どもの学校生活に敏感になっています。
 トラブルになったときのポイントは、子どもや保護者の言い分を十分に聞くことです。トラブルになる一番の原因は「先生は何もしてくれない」と思われてしまうことです。
 保護者や子どもから訴えがあったときには、時間を取って十分に話を聞きます。そして、相手が訴えたいことを、まずは受けとめることが重要です。その上で、具体的で目に見える対応をしていきます。
 その後、子どもと保護者が納得してくれたか確認することも必要です。個別のトラブルにどう対応してくれたか、ということが教師への信頼感につながってきます。
 子どもの人間関係のもとになっているのは学級です。子どもたち一人ひとりが楽しいと感じられるような学級集団づくりを意図的に行っていくように努力していく必要があります。
 学級集団づくりのもとになるのは、ルールとリレーションです。
 
「友だちの嫌がることをしない」「友だちの話は最後まで聞く」「掃除はきちんとやる」など学級にしっかりとしたルールが定着していると、子どもたちは傷つけあうことなく安心して生活することができます。
 したがって、いじめなども起こりにくく、授業もスムーズに進み、お互いを高めあうことができるのです。
 また、子どもたち同士の人間関係が希薄だと、温かみのあるふれあいは生まれません。ゲームや遊びを通して子ども同士がふれ合えるような取り組みをどんどん入れて、子どもたちがクラスのいろいろな友だちと接する機会をつくることが必要です。
 今の子どもたちは自分たちで人間関係を作っていく力が弱いように思います。子どもの実態に合わせて、教師のほうで人数や場所、やり方を決めて、子どもたちが安心して関われる場を作ってあげればよいのです。
 以上のような指導や援助を心がけていけば、子どもの姿を通して保護者からの信頼を得ることができるでしょう。
 子どもからの信頼を得やすいのも若いうちだからこそ、教師は自分の持っている資源を十分に生かし、保護者がわが子のことを思う気持ちを十分受けとめ、子どもに真剣に向かい合う姿を大切に、勉強を続けていってほしいと思います。
(
浅川早苗:山梨県公立小学校教頭。上級教育カウンセラー。日本カウンセリング学会認定カウンセラー。学校心理士。河村茂雄教授に師事し、Q‐Uを活用した学級経営について、校内研究会や各種研修会で講師を務めている)

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荒れている学級を担任して、どのようにして立て直していったか

 五年生は荒れている学級だった。ティームティーチングでなんとか学年末まで持たせてきた子どもたちだ。
 子どもたちの気持ちは担任から離れるばかりであった。二学期末から三学期にかけて臨時保護者会が何度か開かれ、保護者も二月頃は毎日授業参観に来ていた。
 問題は、担任が子どもたちの心をつかみきれず、体を張ってでも、とことんかかわってくれなかったことへの不満が出ていたようだ。
 その荒れていた学級の子どもたちが六年生になり、私が担任することになった。新しい学年になり、担任が代わったときは、学級を立て直すよい機会である。
 私は、つぎのような取り組みをした。
(1)
始業式の一日で子どもたちの名前を覚え、出席簿を見ないで呼名をして一声かける。
(2)
子どもの不満に耳を傾けながらも、YESとNOをはっきりさせる。
(3)
子どもが登校する前に教室で仕事をするようにして、子どもたち一人ひとりと挨拶をかわして迎える。
(4)
チャイムが鳴る前に教室に行き、チャイムと同時に授業が終わるようにする。
(5)
休み時間は子どもたちと一緒に遊ぶ。
(6)
掃除は一緒にする。雑巾がけなどいやがる仕事は、担任が先に立ってやり、範を示し、声をかけ一緒にやる。
(7)
できることは何でも一緒にする。
 ボスのKを取り巻く四人はなんとか理由をつけて手を抜こうとする。そんな時、命令だけでなく共に作業をする。
(8)
専科の時間も専科教師に了解を得て、ティームティーチングをさせてもらう。
(9)
やる気のない子には個別指導を続け励ましながら完成させる。
 諦めずかかわっていると「わかったよ。やるよ、先生もういいよ」と、どの子どももわかるときがくる。
 指圧や針の世界では、体の部位にツボがある。ツボをはずしていくら治療をしてもききめがない。荒れた子どもの心をつかむのも同じである。その子によってツボが違う。
 ボスのKは意外と情にもろいところがあり、話をしていて反抗的な態度のときと、涙もろく素直なときがある。
 あるとき子どもたちに、私が小学生のとき、母親に反抗したときの体験話をした。「母が悲しんで一人涙している姿を見て、私はとてもショックを受けた」と子どもに話した。「母の涙を今も忘れられない」と。
 その話を聞いて、ボスのKの目から大粒の涙がこぼれ落ちたのだ。母思いのKの一面を見た。Kの母親と連絡をとり、何度か家庭訪問をして、Kと母親と私の三者面談をして、自分を見つめさせる話し合いを持った。
 母親を悲しませたくないと思いながらも、級友の前ではワルを演じているのである。母親の思いに気づかせたことは、K自身をみつめさせ、自分に気づかせるのに役立った。
 教師は個々の子どもにかかわり、その子の心のツボをつかむことが大切だ。
 口や指示や命令だけしていて、教師が動かないのでは子どもはついてこない。子どもが見えていないだけ、子どもの心は教師から離れていくのである。
 一つできるようになったらよしとして、あれもこれもと望まない。たとえば
「着席して授業ができるようになったからよし」
「ノートや教科書が出ているからよし」
「人が話をしているとき、おしゃべりがなくなったからよし」
 小さな達成できそうな目当てを、子どもたちと話し合いながら決める。
 みんなで約束したことが、できるようになったかを確かめて、次のステップに移る。
 学び合い、支え合う雰囲気づくりの実践には、教師のおおらかさとねばりが基本である。
(
塚田 亮:元東京都公立小学校長)

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授業中に暴言を浴びせられたときどう対応すればよいか、予防するにはどうすればよいでしょうか

 かなり言葉づかいの荒い子どもがいます。教師を挑発することに快感を覚える子もいます。「クソジジィ」「クソババァ」といった罵声を浴びせられたことがある教師もいると思います。
 あまりにひどいので大声で叱ることがあります。大声で叱っても本人は平気なので、何度も叱っていると、その度に授業が中断し、学級が荒れてしまうおそれがあります。どうすればいいのでしょうか。
 教師も人間です。子どもの暴言にカーッとなることもあるでしょう。しかし、そこが勝負どころ。感情のままにまくしたてるのはやめて、ゆっくり深呼吸しましょう。   
 子どもの挑発に乗ってはいけません。相手のペースにはまって、ケンカを買わないことが重要です。
 なぜなら、教師がカーッとなって子どもと売り言葉に買い言葉のようになってしまうと、学級が一気に荒れてくるからです。
 学級を荒れさせる原因のひとつに「授業の中断」があります。子どもの挑発に教師が乗ってしまうと、授業が中断してしまいます。
 荒れる学級は、ヒートアップしやすく、熱気を帯びやすい。どうやってクールダウンさせるかがポイントです。
 まず、教師自身が子どもの挑発に乗らず、カーッとしないようにすること、自分自身をクールダウンさせることが大切です。
 子どもの挑発に乗らずに、一瞬、間をあけて、一呼吸置くことです。心の中で「1,,,・・・・・」と数えて、頭にのぼった血が下がっていくのを確認しましょう。
 そして、少し低めの穏やかな声で話かけます。例えば「○○さん、私はクソババァではありませんよぉ」と穏やかにたしかめるのもよいと思います。ヒートアップしている学級の雰囲気をスローダウンさせていきます。
 子どもを注意する時も、できる限り、授業を中断させない工夫が必要です。一斉授業の形をとらず、グループ学習や個別学習の時間を多くとるようにするのも一案です。
 荒れない学級をつくるには、ふだんから学級をクールダウンさせておくことが大切です。
 そのためには、たとえば、子どもの言葉づかいが荒くても、教師は一貫して、子どもを「○○さん」と「さん」をつけます。
 教師は子どもに「です、ます」調で話すようにするなど、ていねいな言葉づかいを保つことで、穏やかな雰囲気づくりを心がけたいものです。
 言葉づかいの荒い子どもが、どんな気持ちでそのような行動に出ているか、その背景にある「気持ち」を確かめてみるのもよいと思います。
 気持ちを確かめてもらうと、その子は「先生は自分を信じてくれているんだな」と感じて、教師の言葉を素直に受け取りやすくなります。「ああ、悪いことしたな、オレ」と思うかもしれません。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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保護者との個人面談でよい関係をつくるにはどのようにすればよいでしょうか

 保護者に笑顔がない場合でも、教師は笑顔で迎えたいものです。いきなり本題に入らず、子どもについてのさりげない話題から入ると、保護者の緊張感も和らぎ、話し合いもスムーズに進みます。
 学校生活の中で、子どもたちがふとつぶやいた一言や、ふと見せた意外な一面などを、さりげない話題として、日ごろから記録することを心がけておくとよいと思います。
 さりげない話題がきっかけとなって、家庭での子どもの様子を保護者が話してくれることもあります。
 面談中は努めて明るく話すようにします。子どもの失敗や直してほしいところなども、明るく話した方が保護者に安心してもらえ、好感度が上がります。
 個人面談は、教師が保護者に学習面や生活面で子どもの顕著な様子を伝えるのが目的ですが、保護者の中には話したいこと、聞きたいことがある人もいます。
「お子さんのことでご心配なことが、何かありますか」
「お聞きになりたいことや、ご要望が、何かありますか」
 と聞いて、必ず保護者の話を聞く時間を設けます。
 保護者の話を聞くとき最も大事なことは、共感的に聞くということです。話の内容や話している人の気持ちを受け入れながら聞くようにします。そうすれば、保護者は安心し信頼感を高めます。
 共感的に聞くには、うなずきながら聞く。時々、言っていることを確認し復唱する。保護者の気持ちを復唱するようにするとよいでしょう。
 保護者が聞いてあまりうれしくないことは言葉でさらりと伝え、よいことは具体的なエピソードにしたり、写真で見せたりします。こうすると保護者は子どものよい面が記憶に残ります。
 あまりよくないことを伝える際には、どうすればよくなるのか、その方法を伝え「ここを改めれば、こう伸びていきます」というように、よくなった未来の姿をイメージして伝えるようにします。こうすれば、よくないことも、よいイメージで伝えることができます。
 理想的には、よいことを伝えてから、よくないことを伝え、最後にさらによいことを伝えて終わるとよい。
 保護者に親しみを覚えてもらうには、くだけたところ、だめなところ、などを見せることが必要です。時には、保護者と世間話をしたり、趣味の話をしたり、ざっくばらんなところもあるとよいでしょう。ただし、肝心な話をさしおいてというのはいただけません。
 それは、保護者との距離感を縮め、関係をつくるための必要なコミュニケーションとも言えます。世間話や趣味の話ができるくらいに親しくなれば、学級経営もやりやすくなります。
(山中伸之:1958年生まれ。栃木県公立小・中学校教師。実感道徳研究会会長 日本群読教育の会常任委員)

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子どものよさを毎日黒板に書くことや、まちがいを大切にした学び合う授業が、子どもたちを変えた

 私(吉澤良紀)は、小学校六年生の担任になりました。六年生は始業式の前日に登校し、入学式の準備をすることになっていました。
 私はクラス全員の名前と顔を一致させ、まだ担任が誰になるか知らない子どもたちの働く姿を見て、よいところを見つけていきました。
 そんな子どもたちの素敵な姿を黒板いっぱいに書き、始業式を迎えたのです。それを見て、子どもたちは、この先生は何かちがう。もしかしたら、わたしたちは変われるかもしれないと、前向きになっていったのだと思います。
 どんなに反抗的な態度をとる子でも、どんな荒れた学級でも「自分を認めてほしい。愛してほしい」という人間としての欲求をもっています。
 子どもたちの内面にある成長したいという願いを読みとることができるのか、教師の心構えが問われているのだと思います。
 子どもたちの、その欲求にこたえ、実現する学級をつくっていくことが教師の役目なのだと思います。
 日々、子どもたちのよいところを見つけて黒板に書くという「黒板メッセージ」は一年間、ほぼ毎日続けていきました。
 新しく見つけ出した自分たちのよいところを学級のなかで学び合い、学級のよい文化となっていきます。
 学級づくりの柱になるものは、やはり授業です。
 授業で、まちがいや失敗が大切にされることで、新しいものを創り出し、自分の新しい可能性を見つけ、自分を変えていくことができるのです。
 発言を苦手としている子は、まちがえて何か言われることがはずかしく、発言することに強い抵抗感を持っています。この心の壁を取り払わなくてはいけません。
 そのために、私は授業で事実と体験をつくっていきました。
 
「自分の意見を聴いてもらい、うれしくなった体験」
 
「まちがった意見が授業の中で生かされていく体験」
 こんな体験が「まちがい」の大切さを気づかせ、子どもたちの心の壁をとっていくのです。
 ちがう意見がなくては、新しいイメージや発見が生まれないことを子どもたちは体験から知っていくのです。正解だけがよい意見ではないのです。
 本質的な内容の学習は「ちがう意見=多様な意見」を必要として、それらがつながりあっていかなくては解けないものが隠れているように思います。
 だからこそ、学級という集団が必要であり、多様な考えをもつ子どもたちが必要になります。そこでは、まちがいもまた一つの新しい視点として生かされて、授業を深める貴重な宝物になっていくのです。
(
吉澤良紀:1978年東京生まれ、東京都公立小学校主任教諭)

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若い教師は保護者からのクレームにどのように対処すればよいのでしょうか、その鉄則とは

 保護者からのクレームはつきものだ。必ずくるものだと覚悟しておかなくてはならない。若い教師がクレームにあたふたとしている場面によく出会う。
 問題が大きくなり、管理職を交えて延々トラブルが続いていく場合がある。最初の対処法がまちがっていたのである。
 クレーム対応で一番失敗するのは、保護者の怒りがピークにある時に、教師が主張してしまうことである。これではいけない。だから、十分に保護者の言い分を聞いた後に、
 
「おっしゃることは、よく分かりました」
 
「お気持ちは、十分に理解いたしました」と謝罪するようにする。
 保護者が、わが子の言うことを鵜呑みにしていて間違っていたら、
 
「私は、こういう事実がありましたので、このように指導いたしました」
 
「ちょっと行き違いがあったかもしれません。私も、もう一度よく話を聞いてきちんと指導いたします」
 学校の現場は、苦情にあふれている。苦情への対応策を持たないとパニックになっていく。
 クレームは、全て否定的にとらえる必要はない。ある面、チャンスになる場合も多々ある。クレームの対応しだいで、保護者が教師の支援者になってくれることはよくあることである。
 保護者からの苦情に対して、どのように対処していけばいいか。その鉄則を知っておかなくてはならない。それは
(1)
初期対応が最も大切だと心得よ
 苦情への対処法で最も大切なのが、素早く対処する初期対応である。ずるずる先延ばしにしてはならない。
(2)
保護者からの苦情には、電話で絶対対応しない。面と向かって話し合う
 学校への苦情は、ほとんどが電話である。しかし、これに乗ってはいけない。
 
「申し訳ありません。学校へ来ていただける時間がありませんか」と、連絡をして、面と向かって話し合うことである。
(3)
とりあえずあやまること
 保護者が学校に来られたら、保護者より先に教師の言い分を言ってはいけない。最初は謝ることである。
 
「今回のことは、指導が行き届かないで申し訳ありませんでした」と謝るのである。
 教師の方が正しいと思っていても、まず謝ることら始まる。保護者は、今回のトラブルのことで息巻いている。
 だから、ちょっとした言葉にも、保護者は過剰反応する。一呼吸おいて話に入る必要がある。
(4)
保護者の話をよく聞くこと
 そして、保護者の話をよく聞くことだ。
 
「私の指導したことが、行き違いになっているかもしれません。○○さんが、どのようにお母さんにお話したのか」と聞くことである。だいたい、子どもは自分に都合よく親に伝えているものである。
(5)
保護者の苦情に対して、心から同情を示すこと
 つぎに必要なことは、すぐに教師の言い分を述べないことだ。保護者はわが子を信じているのである。すぐに、苦情に対して「あなたの子は、自分の都合のいいことばかりを言っています」と否定したら、保護者は逆上する。
 保護者の話を聞いたら、教師は「おっしゃることはよく分かりました」と心から同情を示すことである。
 
「だいたい4分30秒」が保護者の怒りのピークだと言われている。それが過ぎると、怒りはだんだんおさまっていく。
 怒りがおさまってきてから、はじめて教師が指導したことを話す。
 
「私は、こういう事実があったので、このように指導しました」と話せばよい。
(6)
感謝の気持ちを表すこと
 大切なことは、最後である。この決め言葉が大切である。
 
「ご連絡していただいて、本当にありがとうございました」
 
「今後とも、どうぞよろしくお願いいたします」
(
野中信行:1947年生まれ、元横浜市立公立小学校教師、学級組織論を研究、実践を私家版で発行した。全国各地で教師向けの講座やセミナーを行っている)

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素直な心で懸命に仕事に取り組み反省を重ねると経営のコツが得られる

 素直な心で懸命に仕事に取り組み反省を重ねると経営のコツが得られるでしょう。
 いかに学問、知識にすぐれ、人格的に非のうちどころのない人であっても、経営者として成功するかといいますと、必ずしもそうとはかぎりません。
 成功するためには、それに加うるに経営のコツというものをつかんでいなければならないと思います。
 ある繁華街に、レストランが二軒あるとします。同じ料理のレストランをやっているのですから、同じように繁盛していいはずなのが、一方はいつも満員、もう一方は客がはいらないというようなことがよくあります。
 それも結局は、一方の店の経営者が経営のコツをつかんでいるが、もう一方はそうでない、というところから生じてくる、ちがいといえましょう。
 そのように経営者が経営のコツをつかんでいるかどうかによって、商売にしても企業経営にしても、発展に天地のちがいが出てくることになると思うのです。
 それでは、経営のコツとはどういうところにあるのか、どうすればつかめるのか、ということになりますが、これがまさにいわくいいがたし、教えるに教えられないものだと思います。
 経営学は学べますが、生きた経営のコツは、教えてもらって「わかった」というものではない。いわば一種の悟りともいえるのではないかと思います。
 お釈迦さまは、山にこもって修業されましたが、それでも悟れなかった。山を下って菩提樹の木のもとで乙女の差し出す山羊の乳を飲んで、ホッと悟られたといいます。フッと気がつかれたわけです。
 私は経営のコツをつかむのも、そんなものではないかと思うのです。つまり、日々、経営者としての生活の中で、一つ一つの仕事に一生懸命とり組みつつ、その都度、これは成功であったな、とか、ここのところは完全ではなかったな、という具合に反省を重ねていく。
 そしてそれが、やがて意識しないでも考えられるというか、反省できるようになることが必要だと思います。
 そういうことを刻々にくりかえしていると、だんだんまちがいをしないようになる。ということは、経営のコツがわかってきた、ということになるのではないかと思うのです。
 そして、さらにいえば、一つの心がまえとして、やはり素直な心にならなければいけないと思います。自分の利害や感情、欲望といったものにとらわれない素直な心にいつもなるということです。そうすれば、人から意見を聞いたような場合でも「そうですか。じゃあ一つやってみましょう」ということが、ごく自然にいえます。
 ところが、なまじ学問をして知識や技術を知っていますと、それにとらわれて、人のいうことでもなかなか素直に聞けない。そのために経営のコツを悟るのにも時間がかかる。そういった姿が少なくないのではないでしょうか。
 つねに素直な心になることができれば、人間というものは、物事のほんとうの姿、実相を見ることができるようになって、あたかも神のようにといってよいほど、強く正しく聡明になることができると思います。
 そうなれば、商売や経営において何が大切かといったことも的確につかむことができましょうし、人を生かしていくにはどうすればよいかというようなことも、その時どきに応じて正しく判断できるようになるでしょう。それは経営のコツを会得した姿にほかならないと思います。
 その意味では、素直な心になるところにこそ経営のコツを得るコツがあるといっても決して過言ではない気がしています。
(
松下幸之助:18941989年 パナソニック創業者、経営の神様と呼ばれ、日本を代表する経営者)

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健康診断では異常ないのに疲れやすいとき、どうすればよいのでしょうか

 疲労感や倦怠感は、過労、身体的不調、精神的ストレスなどとの関連が強い自覚症状です。不安や緊張が強い時にも感じます。
 倦怠感や疲労感がなかなかとれない場合は、まず体の病気を考慮しなければなりません。一般的には、身体疾患では疲労感が仕事の後、午後から夕方にかけて強くなりますが、うつ病などの精神疾患では朝からのだるさを訴えることが多くみられます。
 うつ病のような明らかなこころの病気でなく、体の症状に現われやすいストレス病の場合も疲労感はみられやすいものです。
 性格的に疲労を感じやすく職場になじめず休みがちになってしまう場合が多く、性格要因と職場の環境要因が大きい問題といえそうです。
 精神的ストレスによる疲労では、ストレス状態への「気づき」を図り、その上で気分転換することがもっとも大切です。ふだんから自分なりの気分転換、リラックスの手段をもつことをお勧めします。
1 ストレスを回避する
 ストレスを解消するために正面からぶつかることは、大きなエネギーと苦痛を伴います。むしろ、ストレスを予測して、回避する方が楽です。そのポイントは
(1)
予測する
 ストレスになりやすい場面や状況を予測し、そうならないように対処法を前もって考えておくことが大切です。無用なストレス状況に巻き込まれないためには必要なことなのです。
(2)
自分のクセを知る
 自分の苦手な場面はどういう場面なのかを知っておくことも大切です。ストレスとしないためには、現実的な状況判断と自分なりの目標をもつようにします。
 ストレスをためやすい自分のクセを知り、それを修正するような努力も大切です。ロールプレイングや自己主張訓練等の研修に参加し、対人関係の練習や上手な自己主張の方法などを学ぶことにより、ストレスに対処する力を身につけたい。
(3)
相手のクセを知る
 人には、攻撃的な人など、いろいろなクセがあります。相手がどういう人か特徴やクセを知っていると、無用なストレスを背負うことも減るでしょう。
 子どもとの関わりでは、その子がどういう気性で、どういう行動をとりやすいかを知っていること。
 ともかく、自分の思いだけで事を進めようとすると、とかくトラブルのものになるものです。こじれてから不満をいうのではなく、事前に対処することがストレス回避には重要なことです。
2 ストレス解消
 ストレスを回避できればそれにこしたことはないのですが、やむなく巻きこまれる場合も多々あります。解消する方法は
(1)
休養する
 ストレスをためこみ、気分が落ち込んだ場合は、まずは休養をとることが有効です。
 休息や睡眠をとる、仕事量の軽減などの身体的な休養と、くよくよ考えない、発想の転換をするなどの精神的な休養とがあります。
 たとえば、今必要でないことは後回しにする。おいしいものを食べ、いつもより早く寝る。休日は仕事のことを忘れ。ゆったり過ごす、マッサージなどで体を癒す。
 ただし、几帳面でまじめなタイプの人はむずかしいことかもしれません。そうした考え方を思いきって変えてみるようにしなければ、事態を一層深刻にしてしまうことがあります。
(2)
発散する
 休養だけではストレスが解消しないことがあります。そういう時は、体を動かすストレッチのようなものなら取り組みやすいかもしれません。
 もう少し元気があれば、水泳やジョグングなど動きのあるものが体を通してストレスを発散させてくれます。
 おしゃべりやグチを聴いてもらうだけでずいぶん楽になるものです。カラオケやアルコールを飲むことも気分を明るくさせてくれ、よい発散になります。
(3)
吸収する
 健康を保つエネルギーが体に貯まっていないと、今ひとつ元気が出ないことがあります。そういう場合、エネルギーを得るには、食べること、寝ること、体を動かすなどをして体内のエネルギーを賦活させます。
 スポーツや旅行、音楽、絵画、本など好きなものならば、楽しさや充実感や刺激を得ることができます。自分の得意な分野に挑戦して自信を得ることも大切です。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師)

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親になって教師の幅が広がり、荒れた学級を立て直すことができるようになった

 教師になって18年目の女性小学校教師。子どもが安心しそうな優しげな容貌に似ず、かなりタフな精神の持ち主のようで、これまで学級崩壊した学級を受け持ち、みごとに立て直した経験もある。
 二児の母親として子育てと教師の仕事とのはざまで苦しんだが、親となって得ることができたことについて次のように語ってくれた。
 子どもが生まれてたいへんな反面、親になったことで教師としての幅が広がったかな、と思えることがあります。家庭訪問や親子面談のときなんか、親の心理が手にとるようにわかるのも強みです。
 何年か前、非常に問題の多い一年生の学級を受け持ったことがあった。その時の学級にも暴力的な子とか、いじわるする子がいた。
 その中のボス格の男の子が「俺のランドセル持ってけよ。持っていかないとぶっ殺すぜ」と、他の子を脅してたのね。家に帰って親に「○ちゃんに、ぶっ殺すって言われた」と言うと、親はびっくりしてすぐ学校に電話をかけてくる。
 そこで「ランドセルは自分で持つこと。それから、ぶっ殺すなんて言ってはいけません」と指導すると「おまえ、先生に言いつけただろ」とまたいじめる。しまいには学級の大半の子が情緒不安定になっちゃって、手に負えなくなってきた。
 そこで私、思い切って学級全員の親を学校に呼んで個別面談したの。一人30分ずつで三週間かかったけど、それなりの成果はあった。
 状況を、順を追って説明することで親の不安が解消されるし、親とよく相談のうえ、親と教師の連携プレーで根気よく指導すれば、子どもはちゃんと言うことを聞く。
 ただ、ボス格のいじめっ子のお母さんはかなり手ごわくて、納得させるのに一時間半かかった。最初の30分は私に対しての反感。「上の子はおとなしいから、この子は腕白なくらいでいいんです!」って、すごい剣幕。
 話を一通り聞いた後、私は
「こういう子は、四年生か五年生になったあたりで、いじめられっ子になりますよ」
「今は体格も力も優っているけど、みんなが成長して横並びになったとき、恨みつらみが噴出して、いじめっ子が、いじめられっ子に転ずる」
「私は、そういう例を過去に何度も見ているから。これ、脅しでもなんでもなくて真実なんですよ」
と、強調して言った。
 面白いのは、このへんから、お母さんの心理状態が「反感」から「戸惑い」に変わっていくのね。で、たたみかけるように
「そうなっては困るので、お母さんもどうぞ、家でお子さんの言動に気をつけてあげてください」
「まだ、間に合うんです。二年生以降の記憶は消えないけれど、今、お子さんが変われば、一年生のときのことは同級生の記憶に残らないと思います」
 面談の最後の30分は、もう「深い共感」ね。そうなればしめたもの。そのお母さんは
「これからは、うちの子が何かしたら、なるべく早く私に教えてください」って、態度が軟化した。
 論理的な説得力をもって最後は親心に訴える。ここで、他ならぬ「親」としての私が生きることになります。
 でも、こうした親との駆け引きがうまくできるようになったのは、じつは私の上の子が小学校に入学してから。一年生の時の担任が連絡帳を本当によく読んでくれて、どんな些細なことでも、学校で何かあると逐一連絡してくれる先生だった。
 まさにかゆいところに手が届くという感じで、親が先生にこうしてほしいと思うことを全部してくれた。それを見てすごーく勉強になったのよ。
 以来「親として先生にしてもらいたいと思うことをしてあげたい」というのが、私の座右の銘になった。逆にコレはしてほしくないなと思うことは決してするまい、と心がけている。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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私はなぜ政治を志し、学校を創立して成果を出すことができたのか

 私(田野瀬良太郎)は、政治や教育とは縁もゆかりもない環境に育ちました。私の母親は、今で言うシングルマザーです。私が政治家になろうと決めたのは旅の途中です。学校づくりのきっかけは政治家になってからです。
 私の母は、4人の子どもを食べさせていくだけで精一杯でした。私は自分で稼いだお金で大学へ行きました。必死にアルバイトし30万円を貯めると大学に休学届を出し、海外放浪の旅へと飛び出したのです。
 
「足りなければ現地で稼げばいい、旅の移動はヒッチハイクにしよう」と無謀でしたが、外国を見て体験する期待感のほうが、大きかったのです。
 当時の学生は社会主義のソ連に憧れを抱いている人が多かった。モスクワは見ると聞くとでは大違いでした。「働いても、働かなくても給料が一緒だから」と、みんな無気力でした。人間は頑張ったなりに報われなければ、意欲や生きる気力を失ってしまうのだと痛感しました。 
 当時、日本の成長が著しく、旅のあいだ先々で「日本はどんな国か」と聞かれました。出発のときは「世界を見てやろう」と思っていましたが、フタを開けたら日本のことばかりを考える毎日となりました。
 タイにたどり着いたとき、ほぼ1年が終わろうとしていました。私は旅の総括をしました。「たしかに、日本には良いところも悪いところもあるが、やれば報われる今の自由な社会を守っていかなければならない」と。
 その考えをみんなに伝え、日本をもっとよい国にしていける仕事ってなんだろう。思いついた答えは政治家でした。大学を卒業して薬品会社に就職した後、30歳で市会議員になりました。
 39歳で奈良県の県会議員になった私は、学校不足に悩む奈良県の窮状を知り、議会で議論していくうちに、机上の空論ではなく、学校現場に飛び込んで実践をしてみたいと強く思い、学校づくりにチャレンジしました。
 奈良県に西大和学園を開校(1986)した当初は中堅公立高校のすべり止め、教師もまた公立学校教員採用試験の不合格者だった。
 開校2期生の教員採用試験で、私は特に面接を重視しました。ポイントに置いたのは「ところできみ、お酒は飲めるの?」といった雑談です。
 もちろん、お酒が飲めない人はダメというわけではありません。重要なのは、コミュニケーション能力があるか、ないかです。
 私は「自分の教科を教えるだけではあかんと思う。一つの教科を10年も教えたら、誰だってスペシャリストにもなれるし、東大の問題だって教えられる」
 
「でも、人間力というのは、必死に勉強して身につくもんやない。人間的に魅力のある教師でなければ、生徒を引っ張れない」と考えていました。
 そんな中で日本一の進学校を目指した。そこから、わずかな年月で東大、京大、国公立大学へ多数の合格者を出す進学校になった。
 実は開校した年は、私の長男が高校へ進学した年でもありました。私も高校生の親。だから保護者の声はどれもうなずけるものばかりで、可能な限りその要望に応えてきました。
 
「保護者の声をかなえる学校」というランキングがあったら、開校から現在までの30年間、西大和学園はトップの座をキープし続けていたのは間違いありません。
 
「熟や予備校で勉強するぶんまで学校がカバーする」という、他の進学校では珍しいやり方も、もともとは保護者の要望から始まりました。
 子どもを一番愛しているのは、なんといっても親です。その親が出す意見に理があるのは当然です。ならば、耳を傾け、かなえることが私たちの仕事ではないでしょうか。
 西大和学園が進学校として急激に伸びたのは、この保護者の声をかなえる仕事をやり続けてきたからだと私は自負しています。
 私は高校を手始めに中学、食堂、寮、武道場などの施設を充実させていきました。そのほとんどは借金です。
 親の大切なお金は、親や子どもたちが満足するように生かしていく。それも、学校に限らず経営の基本だと思うのです。
(
田野瀬良太郎:1943年奈良県生まれ、大学時代に1年間アルバイトをしながらヨーロッパや中近東、アジアなど33か国を歴訪。政治を志し、市会・県会・国会議員になった。教育が重要と痛感し、保育園・中学・高校・大学を創立した)

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保護者対応で困ったとき、法律などを根拠に保護者に切り返すにはどうすればよいか

 保護者からのクレームや困った要求を受けたとき、法律や判例を根拠にどう切り返せばよいのでしょうか。例えば
(1)
教育委員会に連絡すると脅されたとき
 保護者が要求を通すため教育委員会へ連絡すると言う場合があります。
 教育委員会に苦情を言うことが不当な要求となるものではないため、
 
「教育委員会への連絡を行っていただく必要もないかと思いますが、連絡をとられるということであれば、当方としてこれをお止する権限もございません」
といったフレーズになります。
 保護者のこのような発言により、学校に責任がないにもかかわらず、学校の対応を変えることのないように注意する必要があります。
(2)
子どもの持ち物が紛失したとき
 子どもの持ち物が紛失したとき、教師や学校に過失がなかった場合は、事実関係の調査の結果を保護者に報告し、
「学校側に過失がない以上、紛失した物の弁済には応じかねます」
と、責任についての見解を伝えます。
(3)
連日2時間を超えるような面会や長電話をしてきたとき
 事案により緊急に一定の対応をするべき場面もあるかと思いますが、そのような対応をとる必要がない場合は、学校側の施設管理権を行使して、
「時間も遅いため、対応については□時までと限定させていただきます」
と、これを拒む意思表示をすることが重要です。
(4)
「土下座をしろ」と保護者から謝罪要求されたとき
 謝罪の方法として土下座などを要求されても応える義務はなく、通常の方法で謝罪することで十分です。
 学校側に非があった場合も、相応の対応を超えての要求に応える必要はないため、
 
「執拗な要求は強要罪にあたる可能性があるため、お控えください」
といったフレーズを使用します。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)
(
大西隆司:1976年奈良県生まれ、弁護士)

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«授業が楽しいと子どもに感じさせれば、学級崩壊など起こるはずがない