学級が荒れないように、やんちゃな子に教師はどう対応すればよいか

 「やんちゃな子に振り回されて大変だ」と感じている若手教師は少なくありません。毎日のように、その子がトラブルを起こすからです。どう対応すればよいのでしょうか。
 まずは、4月初期に、教師と子どもとの上下関係をはっきりさせる必要があります。
 やんちゃな子は「教師が自分より上なのか下なのか」をよく見ています。特に「少しのことをごまかせるかどうか」を見ています。
 最初は、ちょっとだけルール違反をして、教師を試してくるのです。そして、教師の対応をよく見ています。例えば
「学校に持ってきてはいけないシャーペンを、間違って持ってきちゃった」
 この最初のルール違反を認めたり、甘い対応を見せたりすると、次はもう少しルールを破ってきます。そしてエスカレートしていき、最後はルール違反が当たり前になるのです。
 ルール違反が当たり前になってから教師が叱っても効果は半減します。元に戻すのは大変なのです。
 最初のルール違反に対して、ピシャリと「だめです」と言えるかどうかが重要です。
 4月最初の時点で、教師を試す行動には、ぴしゃりと「だめです」と言います。これを1週間も続けると、教師を試す行動は激減します。
 やんちゃが集まった学級でも、1か月も続ければ「この先生はごまかせないな」と子どもたちは感じます。
 では、叱り方はどうすればよいでしょうか。
 やんちゃな行動を全部叱ると、その子のよさまで失われることがあります。そこで、4月に上下関係をはっきりさせたなら、その後は、叱るにしても軽重をつけていきます。
 教師から見て許せない行動は、きちんと叱ります。それ以外は軽く言葉をかけるだけでも、上下関係がはっきりしていますから、子どもは素直に言うことを聞くはずです。
 やんちゃな子は、叱られてばかりだと、やる気も失ってしまいます。少々のことは「お目こぼし」をしてあげればよいのです。
 そして、頑張ったところに注目し、ほめることで、望ましい行動が少しずつ増えてきます。
 そして、やる気が出てきたところで、やんちゃのよさを生かす場面を用意します。司会に抜擢してもいいし、イベントを考えさせてもいいでしょう。その子が生かせる場を用意するのです。
 そして、その子の個性を認め、励まし、感謝を伝えます。「○くんは、元気のいい司会をしてくれたから、お楽しみ会がとっても盛り上がりました。ありがとう」
 やんちゃな子の悪い面が出てくると、学級は荒れていきます。やんちゃな子を、よい方向へ導けるかどうかは、学級経営が成功するかどうかのきわめて大きな要因と言えるのです。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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教師が保護者とつきあうとき、重要なことが三つあります

 教師が保護者とつきあうとき、どんなことに気づかったらよいのでしょうか。重要なことが三つあります。
(1)
保護者と同じ生活者としてつきあう。
 人間として対等につきあうということです。母親に会ったら「子育てってたいへんでしょう。いつもご苦労様です」と、庶民感覚や自然体で話し合える教師であること。
 子どもの成績や生活をすぐ話題にするのではなく、いろいろな生活にかかわる話題の話をするといいのです。
 生活の中の喜怒哀楽を共有し合えることが、人間として心を寄せあう一番のきっかけになるからです。
(2)
親にとって子どもは宝なのだという認識をもって、子どもにも保護者にも謙虚であること。
 親にとって、わが子は宝です。その親心を忘れて「できる子」だけを偏重するようなことをしたら、保護者が怒り、不信感をもつのも当然です。
 教師は「親の大事な宝を預かっているんだ」ということを、どんな場合でも忘れてはならないのです。保護者の願いを受けて、子どもを育てることが教師の仕事です。
(3)
新年度のスタートから、保護者とのつきあいにも、子どもへの対応と同じ重点をおいて取り組む。
 保護者との取り組みは、新年度の当初からスタートダッシュした方がよいということです。
 教師の傾向として「学級づくりや授業が軌道にのってから保護者との結びつきを考えよう」という人が少なくありません。
 子どもたちに力を注ぐだけでなく、保護者との取り組みにも同時に力を注ぐのです。
 
「これは話し合っておいた方がよさそうだ」と感じたら、始業式のその日でも家庭訪問してよいでしょう。
 また「このことはていねいに聞いておきたい」と思ったら、入学式の後の夜にでも、すぐ電話してよいでしょう。
 そのことが、以後の子どもの指導に、はかり知れないほどの効力をもたらすことを忘れてはなりません。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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学級の崩れのサインには何があるのか、学級の崩れにはどのように対応すればよいか

 学級の崩れには、子どものサイン(予兆)があり「サインを見逃すな」と言われています。では、どのようなことがサインなのでしょうか。例えば
1 生活習慣・規律
 忘れ物や遅刻の増加。給食や清掃時間の規律の低下。教室・机・ロッカー等が乱雑。学級通信が家に届かない。友だちの学用品・靴などをかくす。盗難。
2 授業
 授業の始めに着席しない。私語の増加。発表する子を冷笑する。漫画をかいている。やたらと便所に行く。
3 生活態度
 話し言葉の変化。髪型や服装の変化。やたらとはしゃぐ子がいる。おどおどした表情でいる子がいる。女子が小グループに分かれる。暴言を口にする。指導妨害の同調者の増加。指導や指示の無視。
 教師には、このような事態の変化を察知する力が求められます。
 学級の崩れのサインに気づいたら、担任はただちに教頭や校長に報告します。対処は、担任にだけ任せるのではなく、学校として組織的に行うことが大事です。
 学級の崩れの対処は初動が大事です。時間の経過とともに厄介な事態となることが多いからです。担任が一人で対応に苦慮していても、学級の安定は困難と考えた方がいいのです。
 まず、教頭(校長)が学級の現状を把握します。学級の様子を何回も視察しないと、崩れの程度も把握できません。
 一般に低学年の学級の崩れは、基本的生活習慣の未完成な子どもたちが群れていて、学級が成立しないために起きやすい。
 また、高学年の崩れは、教師の指導や学級経営の不満など、学校生活に起因することを無視することはできません。教師の指導を妨害する子や、無規律な行動に多くの子どもが同調して、騒ぎ出すことがあるからです。
 学級の崩れの対処の仕方としては、一部の教科の教科担任制を実施し、複数の教師が入る。学年で授業を展開する。ティーム・ティーチングなどが考えられます。
 また、保護者会を開いて、事態を率直に報告して、現状打開のための協力を要請します。学校はこうした事態を隠してはいけないのです。
 いくつもの手を打っても、事態が改善されないなら、担任の交代を考えます。冷たい言い方かと思われますが、担任をかばうより、子どもの学びの場を保障することの方が学校として大事です。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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授業を始めるときに教室にごみが落ちているとき、どう指導すればよいか

 授業を始めようとして教室を見渡すと、ごみが目立ち始めてきた。誰かごみを拾ってくれるといいな、と思って期待を込めた目で子どもを見つめても、誰も拾う気配がありません。
 どのように子どもたちを指導すればよいのでしょうか。教師のタイプ別に考えると、
(1)
厳しいタイプの教師-ごみを拾ってから授業開始する
 教室はきれいであるべきである、ということをきっちり示したい教師は、まず授業を始める前にこう言います。
「教室が汚れています。汚れた教室で授業はできません。ごみを拾って、捨てた人から座りなさい」
これで、教室はきれいになります。
 ポイントは「ときどきやる」ことです。ときどきだから効果があります。毎日や毎時間は、絶対にやってはいけません。授業時間が削られると思わせてはだめです。本当に汚いと、子どもに気づいてもらいたいときにやります。
 きれいなときには「今日は、きれいだね。うれしいです」と、きれいな状態を認めることもお忘れなく。
(2)
優しいタイプの教師-教師が自分で拾う
 ごみを子どもが拾ってくれることを期待するから、イライラしたり悲しい気持ちになったりします。だから、ごみは教師が拾う。
 しかし「教室が汚れています。気づいた人は、ごみを拾うようにしてもらえませんか」くらいのことは言っておきます。
 そして、教師の呼びかけに応えてくれ、ごみを拾っている子どもを見かけたら「ありがとう」と感謝の気持ちを示しましょう。
 その後も、教師自らごみを拾いながら、ごみを拾う子どもを見つけては、丁寧に感謝の気持ちを伝えます。ごみを拾う子どもの輪が広がることを地道に支援します。教師があきらめなければ、ごみを拾う子どもは確実に増えます。教室は、きれいになります。
(3)
しっとりタイプの教師-整理整頓の時間を設ける
 子どもに整理整頓の時間を確保することで、穏やかにことを進めたい教師にお勧め。
 汚し屋の子どもがいると、教室やロッカーにごみがあふれます。こういう子どもがいると、通常の清掃だけでは不十分です。定期的な机やロッカーの整理整頓が必要です。定期の整理整頓の時間を設けます。
 整理直後の彼らの机の中やロッカーをときどき見せてもらい「おお、きれいだね!」と明るく声をかけてください。きれいになったところに声をかけられればうれしいはずです。
(4)
元気なタイプの教師-「ごみゼロ」プロジェクト
 ごみ拾いで楽しく盛り上がりましょう。教師が「一分間で、できるだけ紙くずを拾ってもってきてください。用意始め」と指示をします。
 ごみの多いクラスでは、時間をかければいくらでもごみが出てくるので、時間を限定します。終わったら、集めたごみを数えます。そして、数を黒板に記録します。
 紙くずですから、ゼロになることはほとんどありません。でも、確実に紙くずは減ります。紙くずは目立つので、教室がきれいになったという印象がもてます。
 また、子どもたちはごみの数を減らしたいので、ごみを拾っておいてくれるようになります。時折、本当にゼロのことがあります。そのときは、みんなで拍手をして喜びあいましょう。実際にやると、かなり盛り上がります。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。アドラー心理学アプローチの学級経営を研究。現場の教師を勇気づけたいと願い、研究会の助言や講演を実施して全国行脚している)

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どの学校の調査でも笑顔の明るい教師がいい、教師が笑顔になるためのポイントとはなにか

 全国のどこの学校での調査でも「笑顔の明るい先生がいい」との回答が上位を占めています。やはり、子どもの指導に教師の笑顔は欠かせないものといえるでしょう。
 学校現場は忙しく、神経を疲れさせ余裕がもてない事情があると思います。そのせいか最近は「暗い先生が多い」「学校が冷たい」という子どもや保護者の声を聞くことが多くなりました。
 しかし、これは重大事です。見過ごしていたら、子どもや保護者との絆が断たれてしまいます。
 ある研究会で「子どものために笑えといっても、生まれつきの性格だから変えられないと思いますが」と、まじめそうな男性教師が私に質問した。私は
 
「いや、そうとは言えませんよ。指導のポイントがつかめれば、実践で笑顔がつくれますよ」と答えた。
 暗いといわれている人でも、子どもに対する指導を充実させることができれば笑顔が浮かびます。  
 鏡の前で笑顔の演技練習をしなくても、指導のポイントをつかみ、実践で子どもを躍動させれば、自然に自分も笑顔がつくり出されるということです。
 では、どのようにすればよいのでしょうか。その大切なポイントは二つあります。
1 子どもを活動させて長所をほめる
 私は全国各地で校内研究会に招かれたとき小・中学生と授業をすることがあります。私はまず子どもたちと遊ぶのです。授業前に15分くらい遊びます。
 そうすれば、遊びを通じて、子どもたちの長所を見つけ出すことができます。長所をほめたり励ましたりすれば、授業にはずみをつけることができるからなのです。
 例えば「五で叩く」という遊び。多くの子どもたちは活気をみせます。その遊び方は
 
「はい、三人ずつのグループになりましょう。それぞれ右手を机の上に出し、その手を重ねてください。重ねたら、一番上の人だけ手を30センチ上げてください。」 
 
「これから先生が数を言うので『五』と言ったら、上の人は、下の人の手を叩いてよい。下の人は逃げてよいのです。さあ、やりますよ。準備はいいですか?」
と、これだけで楽しく遊べるのです。
 もちろん何人かは、手を出さなかったり、出ししぶったりする子がいます。その場合は
「こわくないよ。競争じゃないから。まわりの人が誘ってあげなさい」
 この遊びのおもしろさは叩く方が有利に見えますが、ちがうのです。30センチ離れているため、たいがい下の子に逃げられてしまい、机の上を叩いてしまう場合が多いのです。
 数を言う私も、スリリングに言います。「一、三、六、八・・・・・」と、数を言い、緊張させておいてから「五!」と言います。
 そのとき、逃げる子は「わあっ」と、いっせいにわめく声をあげる。手が上だった子はバチンと机の上を叩いてしまい「いたいっ!」と悲鳴の声をあげたりする。
 これをローテーションでやって全員が叩く・逃げるの経験をしますが、私の着眼は子どもの長所を見つけ出すことにあります。
 
「きみの声は大きかったね」「あなたの逃げ方は、す早かったよ」「きみたちのグループは笑顔がいっぱいだった」というように長所をほめるのです。
「活動させ長所を見つける」と、子どもたちの気持ちもひろがり、やる気も動き出すところにねらいがあるのです。
 ほめるとき「何を長所として見つけ出すか」という観点が重要になります。ほめるときの具体的な着眼点は、
(1)
表情(表情がないと、相手の人と心が通い合えません)
 よく、うなずく、喜怒哀楽を豊かに表現する、暗い表情が明るい表情に変化する
(2)
活力
 大きな声をだしている、他の子に呼びかけ・誘う、必要なことに体を動かしている
(3)
友だちと共同
 他の子に役立つことをする、いっしょにするのが楽しそう、遊びにすぐ加わる
(4)
物の扱い
 誰の物でも大事に扱う、かたずけをめんどうがらずにする、物を貸すのをいやがらない
(5)
創造・発見
 疑問を持つとすぐ質問する、「こうしよう」と気がつく、珍しいことに気づくのが早い
2 学び合いをつくり育てる
 授業のなかで「教師も笑顔、子どもたちも笑顔である」ためには、どうすればよいのでしょうか。私は「子ども同士の、学び合いをつくる」ことではないかと思います。
 そのためには、教師の指導技術をみがきあげることです。説明はわかりやすく、指示は的確に、発問は思考や意欲を誘い出し、ふくらますように指導技術をみがかなければならないということです。
 学び合いは、子どもたちが相互に意見を交わしながら、子どもたちの思考を出し合って、真理・真実を追及していくことです。
 できない子のちょっとした質問がみんなの思考を発展させることもあるし、誰かの思いがけない失敗やまちがいが、全員を深い思考に誘いこんでいくこともあります。そのなかで個性も感性も豊かに伸びていくのです。
 こうした学び合いはあるからこそ、楽しい授業ともなり、本当の学力も身についていくのだと思います。
 質問が学び合いのキーポイントになります。質問は、子どもの学ぶ意義や意欲を引き出す契機になります。授業で誰かが質問すると、他の子がそれによって啓発され、思考を高めていくことができるのです。
 質問が大事だといっても、子どもたちがなかなか質問しないという現実があります。教師がもっとわかりやすく教える努力をしなければならない。
 質問する力を培うために、グループによる話し合い・討論を多用するとよい。グループは3人が適当だと思います。4人だと一人が浮き、それ以上だと集中できない。
 子どもたちの関心をそそるように、私はキャッチフレーズをつくってグループで話し合い・討論をしました。例えば
(1)
よいとこ探し討論(作文や朗読、意見発表について長所を見つけ出すグループの話し合い)
(2)
はてな討論(質問、疑問、対立点、発問の解明などのグループの話し合い)
(3)
アイディア討論(提案、問題提起、訴え、発見などのグループの話し合い)
というようにです。これをあらゆる機会に多用します。
 そして、子どもたちの長所を見つけてほめる。とくに黙りがちな子、質問しない子に注目し、少しでも変化があったら、すかさずほめるのです。このような取り組みを重ねると、よく質問も意見が出るようになります。
 ですから「質問」をキーポイントにしたグループ討論を重ねながら、大きな討論へ広げていく。そうした学び合いを追及することが大切だと思います。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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学級で子どもの持ち物が紛失したり、盗難にあったりしたとき、どう指導すれば保護者に信頼してもらえるか

 筆記用具や衣類、靴など、子どもの持ち物が紛失して、見つからないことがあります。ゴミ箱やトイレなど、考えられない場所で見つかることもあります。
 まずは、本人の心当たりを探して見つからなければ、クラス全員で協力して探しましょう。徹底的に探すという教師の姿勢は、保護者に安心感をあたえ、信頼を得ることにつながります。
 見つからなければ、子どもの勘違いも考えられますから、家で保護者と一緒に探すよう指示します。子どもの勘違いと分かったときは「心配かけてごめん」「協力してくれてありがとう」などの謝罪や感謝の気持ちを、他の子に伝えるようにしましょう。
 子どもの持ち物が頻繁になくなる場合は要注意です。故意に行われている可能性が高いので、それなりの対応が必要です。精神的な問題を抱えて物を盗る子がいる可能性もあります。
 特定の子の持ち物がなくなる場合、いじめや友だち関係のトラブルが疑われますから、すぐに他の教師と相談したうえで、保護者に連絡し、対応を伝えて見守ってもらいます。
 最初から「犯人ありき」の対応をしてはいけません。学校が警察のような犯人さがしをするわけにはいきません。
 ある程度「あの子がやったのではないか」との確証をつかんでいても、子どもが認めなければ、子どもの指導も、保護者への協力要請もできません。
 学校はあくまでも子どもを教育する場です。大切なのは、犯人捜しではなく、指導であることを忘れてはいけません。
 もし、事実があやふやになったとしても、子どもが反省し、行動を改め、盗難がなくなれば「よし」という対応をせざるを得ません。
 教師の子どもへの疑念は、子どもはもちろん保護者の教師に対する不信にもつながります。
 いずれにしても、クラスで話し合ったり、学級経営を見直したりして、クラスの雰囲気を変える必要があります。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方研究会」を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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学級で子どもたちを仲よくするために、班を活用するとよい

 学級の子ども同士「仲よくしましょう、協力し合いましょう」と言うだけでは、子どもはどうしてよいかわかりません。その手がかりとして班を活用するのです。
 私は小・中・高校の教師のときから、この班を手がかりに実践してきました。「班が子どもたちの関係を意識させる」と思います。親しくなくても、きらいな相手と思っても、ともかく関係を意識させること。ここに班を手がかりとする意味があると思います。
 しかし、ここで、考えねばならないことがあります。班の目的や意味を考えないと、班ぎらいをつくります。よくない例としては
(1)
忘れもの・掃除のさぼりなどがあると「班の責任だ」として、班の全員にバツをあたえる。
(2)
何でも班で競争させる。
 教師の必要性にもとづいて、こうしたことに教師が執心していると班はいやだという子どもをたくさん作り出すことになってしまうのです。
 重視すべきは、子どもの要求です。「子ども一人ひとりが主人公として活躍できる学級」「力を合わせて自分たちで生活をつくる学級」をめざす。そのために、班を手がかりにしていくということです。
班を活用して
(1)
いっぱい話をしたい。友だちをつくりたい。仲よくしていきたい。
(2)
自分でできることを身につけ、自信をもてるようになりたい。
(3)
みんなに認めてもらえるようになりたい。
(4)
楽しいことをたくさんやりたい。
(5)
心の満足が得られる生活がしたい。
という子どもたちの要求を応えていくのです。
 文化的・自治的なことを学級に積極的に取り入れるとよいと思います。例えば、遊び・スポーツ・新聞発行・お誕生日会・文集づくり・歌声・読書・飼育栽培・行事など。
 とはいっても、楽しいことをやる際には、約束ごと・ルールをしっかり決めて取り組むこと。それが不十分だと、事後に乱れを招くことになりかねません。
 班をつくるとき、いわゆる手のかかる子(なじめない子・障害があり援助を必要とする子)に配慮しなければならない。これには三つの対応が考えられます。
(1)
教師がその班の副班長的な役割を負い、指導・援助する。
(2)
協力的な子(複数)に依頼し、相互協力して活動への参加をうながす。
(3)
手のかかる子に「どうしたい」「どうすればいい」と問いかけ、当面は出された要求にそって活動の参加を誘う。
 子どもの要求のトップは遊びです。最大限に取り入れるとよいと思います。私が考えたのは
(1)
3~5分で遊べるものを見つけ出し、1日のどこかでやる。
 
「かみなりドン、集団ジャンケン、五でパッシッシング」などは教室ですぐできる。
(2)
遊びの係・レク実行委員をつくり、毎週2~3回みんなで遊ぶことを具体化する。
(3)
お誕生日会は年間をとおしての取り組みとし、そのつど実行委員カリキュラムをつくって行う。充実させる秘訣は「次回に祝ってもらう人が実行委員になる」とよいのです。
 班の活動を教師がほめたり、叱ったりすることをとおして、子どもたちは何が大事で何がいけないことかを気づきます。価値観・人生観がつくられていくのです。
 教師が個人だけをほめると、ねたみを誘発しやすい。ですから「班長はケンカをやめさせようとしていたね」「やめた班員もすばらしいよ」というように、子ども同士を関係づけながら言葉をかけるようにします。
 つぎは、子どもたちに話し合いのできる力を育てることです。話し合うことがなければ、子ども同士の関係性はつくれません。この力を育てることが重要です。
 子どもがおおぜいで生活する場に、トラブルはつきものです。トラブルを自分たちで解決できるように話し合う力を育てること。それこそが教育というものでしょう。
 例えば、班員同士のもめごとをどう解決すればよいのでしょうか。
 子ども同士の関係性が薄く自分たちで解決できる力を持ち合わせていません。自分たちで解決できる力を育てることが発展のキーポイントになるのです。
 やり方ですが、教師が先頭に立たなければなりません。「班会議をやろう」と子どもを集め、教師もその中に入っていっしょに考えるのです。つぎのように進めるとよい。
(1)
緊急に集まったわけを話す
(2)
事情をかいつまんで話す
(3)
何があったのか当事者から様子や思いを聞く
(4)
「みんなはどう思う」と、関係していない子からの意見を聞く
(5)
いろいろと意見(思ったこと、考えたこと)を聞く
(6)
どの意見ややり方がいいか、問いかける
(7)
「では、そうしようと」と、一つの方向を決める
(8)
気をつけることは何か、心がけること、取り組みの手順などを確かめる
もちろん、この方法は学級会でも、取り入れよいと思います。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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保護者からのクレームを「しなやかに受け止める」には、どうすればよいか

 新学期が始まって間もないころ、ある教育委員会に電話がかかってきた。「担任が頼りない」「仲の悪い子がいて、同じクラスにしないでと言っておいたのに、同じ組になって子どもが苦しんでいる」から始まる。
 「あーあ、またか」と思いながら「それで」と指導主事が促すと「クラス編成をやり直してほしい」と主張する。
 それが何回もかかってくるので「教育委員会のほうまで来られませんか」と誘った。母親が来て、学校がいかにひどいかを、とうとうと説明する。
 だが、話を聞くうちに、どうやらわが子が担任とうまくいってないことではなく、学校で暴れたり、家でも子どもが親の言うことを聞かないことに困り果てていることが背景にあることが分かり始めた。
 すかさず「お子さんのことで困っておられることはありませんか?」と穏やかに聞くと、母親の語調が変わり始めた。「いつでもお聞きしますから、またどうぞ」と言うと、涙をぬぐいながら、母親はお礼を言って帰って行った。
 小学校でテストを子どもに返却し、保護者の確認のための印鑑をもらってくるように指示したが、たまたま採点に小さなミスがあった。
 保護者からの抗議の電話が学校に入り「それでは私が後で直しますから、取りあえず保護者の方の確認印をお願いします」と言ったところ「お前の方が間違っているのに、後で直すから印鑑だけ押せとはどういうことや!」と大変なけんまくで、ばりぞうごんの嵐。
 電話口で平謝りに謝ったが、これは家庭訪問した方がいいかなと思って、家庭訪問したところ「わざわざ来ていただいて恐縮です」と手のひらを返したような態度になったという。
 聞けば、最近になって子どもが親の言うことを聞き入れないことが続き、親子でのトラブルが絶えず、たまたまその日もテストの成績のことで口論し、その勢いで怒りの電話をかけてきたとのこと。
 
「学校でも、気をつけながら、お子さんに声がけしてみます」と言ったところ、逆にお礼を言われたという。
 保護者のクレームで、最初の切り口が、実は「見せかけ」「きっかけ」にすぎないことは多くある。
 保護者が学校や教育委員会などにモノ申すときには、不満や不信があることは当然であるが、相手との関係で「優位に立つ」ためには、まずは「学校や教師に非がある」ことを伝えることが常套手段である。
 苦情や文句を言われることが好きな人間はいない。言われ始めた途端「またか、苦手なんだ」と思いながら聞くと、つい「それは違います」とか「ちょっと待ってください」と、自分たちの落ち度をいかに少なくするかという気持ちが高まってくる。
 保護者も、かたくなに身構える学校や教師に、腹が立ち「悪いと思っているんですか!」と、話し合いは平行線のまま。こうなると出口は見つかりにくい。そのような保護者に「ホンネは何ですか」とは、おいそれとは聞き返せない。
 それでは、どうすればよいのでしょうか。
 すぐに反応するのではなく、ひと呼吸置いてから、自分たちの落ち度の部分がどこにあるかを見定め、相手の怒りはそこにあるのか、別のモノが重なって激しくなってくるのかを、腹をすえて向き合いながら推測することが大事である。
 私は、この当たり前のことでもある「表面に見える訴えではなく、相手の主訴が何かを見定めること」や「主張の背景に何があるかなと思って話を聞き始めること」の大切さを各地の講演で伝えている。
 私の講演を聴いた、ある教頭は「おかげでクレーム対応が苦に感じなくなりました」とうれしそうに言った。「次に何か起きへんやろかと、ワクワクしとるで」とまで言うので「それはアカン」とクギを刺しておいた。
 自信は過信につながると、慢心してしまう危うさになるが「解決の出口を見つけた」喜びと実績は、トラブルを受け止めるしなやかさを人に与える効果はあるのだろう。解決が極めて難しいケースは、また別であるが。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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教育で大切なことは、子どもの実態を知ること、笑いのある面白い授業である、どうすればできるか

 教育の原点は「子どもを見る」ことです。常に子どもの実態をつかみ、その実態を良い方向に変えることこそが教育です。その前提として、教師が子どもに興味や好奇心を持ち、大好きになる。そのうえで、減点主義で見ず、育てる目で見ることです。
 私は特別な用事がないかぎり教室にいて、子どもたちと過ごしてきました。毎朝20分間は必ず子どもと汗まみれになって遊んできました。子どもがいちばん本音を出すのは遊びのときだからです。
 いじめられていたり、何か不満があると途端に笑顔が消えてしまいます。ふだんは元気な子がひとり教室にぽつんと残っている。みんなでドッジボールしていてもその子にだけボールが回ってこない。こうしたことはすべて異常なのです。こうしたサインを見落とさないことが大切です。
 より深く子どもを知るには、その考えを積極的に引き出さねばなりません。日頃の発言から考えを知ることはできますが、それだけでは弱い。
 そこで「書かせる」ことが重要になります。書かせるために、私は子どもたちに「はてな?帳」を活用していました。「はてな?帳」には、子どもたちが疑問に思ったことを何でも自由に書き込みます。身の回りの疑問のほかに、自分自身や家族のこともよく書いてきます。
 この「はてな?」の目のつけどころや掘り下げ方で、子どもたちの学習の意欲やレベル、心の状態までもがわかるようになります。提出されたら、私は良かったところにアンダーラインを引いたり「すばらしい」と一言だけ書く程度にし、子どもの発想力を奪わないようにしました。
 もう一つ、有田学級で大事なツールが、学級通信です。私が保護者に伝えたいことや、明日の予定、時事問題や季節の変化などを板書し、それを子どもたちが書き写します。飽きないよう語尾を「ございます」や「でR」にするなど工夫をしていました。
 効果は、書く力がすごく身に付くこと。また、保護者との信頼関係を築き、共通認識を持つのにも役立ちます。私は、子どものことでわからないことがあれば、保護者に「教えてください」と素直に言えるくらいでないといけないと考えています。保護者との信頼関係なくして子どもを評価し指導することはできません。
 子どもたちを笑いの多い子どもに育てなければいけません。笑いはゆとりです。ゆとりがあれば少々のことは笑い飛ばせるもの。ですから私は「1時間に一度も笑いのない授業をした教師は直ちに逮捕する」と言っているのです。笑いの多い授業を心掛けてください。
 今の子どもたちを相手にするには「ボケとツッコミ」の技術が役立ちます。子どもがまともにきたときには、少しボケてかわしてみたり「えっ、そうかなぁ?」と、とぼけてみたり。そして、ここぞというときに突っこむのです。子どもたちは乗ってきますし、授業が盛り上がりますよ。
 笑いは雰囲気をつくらないと、いきなりは出ません。そこで、私は新しいクラスを持つと、いちばん大切なのは笑うことだと説いて、初日から笑う練習をさせていました。
 もちろん、叱ることも必要です。八つほめて、二つ注意する。まずはほめて、最後に叱ります。
 子どもの考えを引き出すためには、面白い教材を使った面白い授業をすることも大切です。子どもが身を乗り出してくるようなネタを用意して、その考えを引き出し、討論したり、ほめたりしながら鍛えていく。
 教材とともに大切なのは、教師が「教えすぎないこと」だと、私は考えています。子どもが自分でなしとげることが大事です。教師に子どもたちを「見守る忍耐力」が必要です。待つことが子どもを大きく成長させるのだと思います。
 授業の最後には、板書の大事なところを消しながら、毎時間その場で復習するようにしていました。その時間にあまり集中していなかった子を指名し、消した部分を答えさせるのです。この子がわかっていれば、クラス全員がわかっているだろうと評価できるからです。
 このように、授業は一瞬一瞬が評価であり、指導です。休み時間や掃除、給食など、子どもたちが学校で過ごすすべてが評価と指導に結びつきます。評価と指導は常に一体なのです。
 評価とはテストすることだと思わないでほしい。今まで発言が少なかったのが、少し増えた。笑いが少なかったのが、みんなと同じように笑えるようになった。こうしたちょっとした成長を、教師が小きざみな目当てを設定しつつ評価する。その評価を教師が頭の中に記憶するようにします。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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教師が原因で起きる学級崩壊とは、崩壊したとき保護者ができることはなにか

 学級崩壊は、多くの場合、教師と子どもとの関係づくりの失敗が原因です。
 その原因の一つは、教師が子どもをひきつける魅力を持っていないことです。なんでもいいから、子どもたちが尊敬できるものがあると、子どもたちは教師に一目置いて見ます。
 私は、サッカーの得意な教師には「子どもたちとサッカーして、技を見せつけてやりなさい」と言います。そういうものなしで、教師が子どもたちの前に立って、指示を出しても、子どもたちには響いてきません。「なめられ」軽く見られます。なめられたら、子どもは言うことを聞かなくなります。
 また、子どもとのコミュニケーションがとれない教師も、学級を崩壊させてしまいやすいですね。授業中や日常のありとあらゆる機会に、きちんと子どもたちと言葉を交わせないのです。
 それができないと、子どもたちのために行っているすべてのことが「先生が勝手にやっていること」になってしまうのです。
 学級崩壊が起きたら、保護者はとても心配です。授業が成立しないのですから、当然です。だから「担任を代えてください」という要求が出てきます。
 しかし、担任が交代したらどうなるかを考えてみましょう。まず、一度崩壊したクラスは、誰が入ってもいい状態に戻すことは不可能に近いものです。交代するとしたら、誰がいるのかということも考えましょう。
 学校の中に担任を持たないで自由にしている優秀な教師なんて絶対にないですよね。それで、非常勤講師を探すことになります。優秀な人は引く手あまたで、フリーでいることは、まずないのです。要するに、担任を代えてくれと言っても、代えるための人手がないということです。
 たとえ、一度崩壊した学級に新しく教師が入っても、再び崩壊して休職してしまうということは当たり前のようにあることです。担任の代行をしながらがんばった教頭が倒れた例を私はいくつか知っています。交代してもうまくいく可能性はかなり低いと言っていいでしょう。
 がんがん担任を責めるより、どうしたら担任に協力できるのか、どういう補い方ができるのかを考えたほうか、現実的だと思いませんか。
 間違えてはいけません。学級崩壊のときに学級を荒らしているのは、担任ではなくて、子どもたちなのですよ。だったら、教師と相談して少しでも協力できる道を探すことが良いではありませんか。
 学級崩壊しているとき、保護者はどうすればよいのでしょうか。教師と一緒に話し合って少しでもわが子へのダメージが少ないように考えていくしかありません。頼りなく感じても、学級でわが子を見てくれているのは担任なのです。
 ともかく、親子が学級の現状についてじっくりと話しましょう。学級崩壊をわが子がどう感じているのか。困っていることはないのか。教師のことをどう思っているのか。そういうことについて話をするべきです。
 学級が崩壊しているとき、子どもたちは「イヤだ、楽しくない」と感じています。そういうマイナスの感情を吐き出させましょう。
 学校での精神的なダメージを「お疲れさま。今日はどんな感じだった」と、家に帰ったら癒してあげることを考えましょう。学校のことを会話できるようになると、子どもも楽だし、親にもいろいろなことが伝わってきます。
 直接、学校の様子を見に行ったうえで、管理職や担任とも話をしましょう。
 学習面でのフォローは、しっかり考えましょう。教師の力を借りましょう。教師を糾弾したり攻撃したりせずに協力していく姿勢でいたら、教師は出来る限りのことをしてくれます。
 学級が崩壊していても、教師と個別のやりとりはできます。個別に力を借りればいいのです。学校の教師って善良な人なのですからね。
(
多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演)

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子どもに信頼され安心感を与えるには、教師は子どもとどのように接すればよいか

 教師は時代が変わったことに気づかなければならない。子どもとの接し方を変えるしかない。
 これまでの日本の学校では、教師と子どもとの間に一定の距離を置くことが常識的な方法となっていた。あまり近づきすぎると、教師の畏怖感を維持させることができないからだ。畏怖感を持たせることで子どもをコントロールしてきた。しかし、今はそういうわけにはいかない。
 畏怖感を与えるために子どもと距離を置くのではなく、子どもを理解するために「子どもが見える距離」まで近づくべきだ。子どもとの距離を縮めるには、なるべく多くの時間を子どもと過ごさなければ子どものことは見えないし、話しをすることもできない。
 教育の原点とは何だろうか。あえてひと言で言うなら、それは「子どもたちを理解する」ということだ。
 子どもの考え方や行動を認めるにせよ、それではダメだと否定するにせよ、子どもたちを正しく導くためには、子どものことを理解していなければならない。それが教育の大前提だと言えるだろう。
 問題ない子どもなんて一人もいない。どの子どもも、それぞれ人とは違う悩みや問題を抱かえている。そこを見ようとしなければ、その子の成長を助けることはできない。
 教師は、子どもとの距離をできるだけ縮めるよう努力し、彼らの心のドアをノックし続けなければならない。近寄れば近寄るほど、子どものちょっとした変化が見えてくるようになるだろう。
 たとえば昨日元気だった子どもがため息でもついていたら、「何かあった?」と声をかけてやればいい。声をかけても、その大半は取り越し苦労だ。
 でも、仮に取り越し苦労だったとしても、100回に一回は重大な問題に気づくことができる。「そんな効率の悪いことはやっていられない」と思うような人間は、教育に携わるべきではないと思う。
 担任を持っているとき、子どもの様子を見るうえで、私がもっとも大切にしていたのが、休み時間や朝の会と帰りの会だった。授業以外で子どもとふれ合う時間こそ、学校の存在意義があると言える。
 とくに登校後の朝の会は、子どものすべてが見える。前日に何かあった子どもは、そこで必ず何らかのサインを発している。机に伏せて寝ている子どももいる。窓の外をボーッと眺めている子どもいる。
 それはどれも、無意識のうちに発している「自分を見てほしい」「ノックしてほしい」というサインだ。そんなときは、休みの時間にすかさずノックだ。
 だから、ホームルームを大切にしない教師は子どもたちの問題を解決することができない。ホームルームは子どもが発している情報を読み取る場所、つまり子どもたちの日常を「見る」ための場所なのだ。
 現場の教師がホームルームに対する意識を改めるたけで、学校教育は今よりずいぶん良くなるのではないだろうか。
 だからといって、私は授業時間をおろそかにしていいと言っているわけではない。教師にとって教科指導と生活指導は別の仕事だと思っているかもしれないが、決してそんなことはない。
 どちらも、子どもたちの気持ちを引きつけて信頼を得ないとうまくいかない点では同じことだ。したがって「授業がへたでつまらないけど、生活指導はうまい」という教師はまずいない。
 授業中に子どもを引きつけられない人間にどうして生活指導ができるだろうか。日常生活で子どもに言うことを聞かせられるはずがない。
 だから教師は、子どもに信頼される生活指導を行うためにも、子どもの興味をかきたて、勉強の楽しさを味わえるような授業ができるよう、自らの能力を高めないといけない。
 いやいや学校に来ている子どもでも、自分の腕で授業を面白いと感じさせるのが、プロの教師としての仕事だろう。
 私は塾でナンバーワン講師になるぐらいでなければ母校の教師になる資格はないと思っていたので、必死になって授業のやり方を研究したものだ。
 きれいな字で板書できるよう練習をし、人気の高い講師たちの授業を聞きに行った。授業が面白く、子どもたちを引きつける魅力があった。
 他人の良いところはどんどん盗んだほうがいい。人気のある講師はみんな導入がうまい。無駄話から入るのだが、気がつくとそれが授業の本筋とつながっている。間を取り、息抜き時間も用意している。
 授業の技術ばかりに走らず、私が心から授業を楽しむようになってから、評価がどんどん上がっていった。
 教師が授業を楽しんでいると「先生がこんなに楽しそうに教えているんだから、きっと何か面白いことがあるに違いない」と、子どもたちが感じて意欲が上がるはずだ。
 今の教師が子どもに与えるのは、「畏怖感」ではなく「安心感」だと思う。そのためには、まず教師が子どもに近づいて「注目」してやることだ。
 まじめに勉強して良い会社に入れば幸せな未来が待っているという「神話」が生きていた時代なら、子どもたちもそれを信じることで当面は安心感を得ることができた。しかし、今は、そういう将来への安心感が持てない。だからこそ、大人たちが彼らに安心感を保証してやることが大事なのだ。
 誰にも注目されていない状態ほど、人間を不安にさせるものはない。だから子どもたちは、いつも誰かに自分のことを見てほしがっている。
 子どもというのは、将来の定まっていない存在だ。したがって、多かれ少なかれ不安を持って日々の生活を送っている。そんな子どもと距離を置き、なおかつ大人に対する畏怖感を与えてはいけない。
 教師は、子どもと一人の人間として本気で関わらなければ仕事にならない。全身から情熱を発して子どもたちに接するのが、教師の仕事だと思う。自分の持ち味を生かしながらやっていけばいいと思う。
 要は、子どもたちを心底「かわいい」と思えるかどうかだ。子どもがかわいいから「ダメなものはダメ」と熱くなって怒ることができるし、かわいいからこそ熱を持って抱きしめてやることもできる。一緒に遊んで、心から楽しむこともできる。それが教育本来の営みのはずだ。
(
義家弘介: 1971年生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、母校の教師となり活躍する。後に横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)

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保護者からのクレームを減らすために、教師の話し方をどのようにすればよいか

 苦情がよせられた際は、保護者の申し入れを頭ごなしに否定せず、まずは冷静にすべてを聞きだし確認しましょう。
 怒っている相手の気持ちを察しながら丁寧に話をすすめることが求められ、随所に「子どものために」というフレーズを盛り込む。こうしていくうちにヒートアップしている相手も、トーンが少しずつ下がっていくはずです。
 教師は話すことが仕事の一つであるし、うまいはずですが、すべての教師がうまいとは言えません。教師の仕事が子ども相手であり、特に保護者との会話はうまくいかないようです。
 私の感覚では、民間企業人と比べて、教師は不用意な一言を発してしまう人の割合が多いように感じます。日頃から保護者に対する言葉遣いや語法に気を配る意識を持つことがクレームを減らす第一歩となります。
 とにかく苦情対応の基本姿勢は「相手の気持ちをくむ」ことです。そうすることで、はじめて相手の痛み、悔しさがわかります。
 また、保護者と数多く話すことがとても重要です。コミュニケーションを増やすことを心がけておくとよいと思います。ふだんから顔を合わせている保護者との間であれば、何かが起きても、割と簡単に収まることが大半でしょう。
 教師が対応に行き詰まるのは、誰にも相談せず抱え込み、誤った判断をしてしまうことです。トラブルを恥と感じ、隠ぺいしようとする姿勢で保護者と接したなら失敗します。
 そして、行き詰まる原因の二つ目は「初期対応のミス」です。苦情対応では、その第一印象が結果を大きく左右してしまいます。そこでは、表情と声、言葉遣いが重要です。
 保護者が話をしている最中に「そうはおっしゃいますが」「それはですね」と話の腰を折ることは、わかりやすい失敗例です。
 最もひどいのは、最初から相手の間違いであると決めつけて、聞く耳を持たずに対応してしまうこと。そのような態度で接したなら、相手を怒らせることになるのは容易に想像できます。
 苦情対応するのであれば、ともかく相手の申し入れに、じっくりと耳を傾けることが重要です。大人の話術では、こちらの印象をよくすることがその役割として求められ、終始相手と共感することが求められます。
 人は興奮すると早口になります。つられてこちらも早口になると火に油を注ぐことになりかねません。話が途切れたころ合いを見計らって、今まで話された内容の要約を落ち着いてゆっくり話すことが有効となります。
 解決策も先を急がず、即答はさけ、要望された事項についてオウム返しで確認するにとどめましょう。きちんと確認しつつ、対話を続けていれば、次第に相手もこちらの話を聞かざるをえなくなります。
 相手が口を挟んできたのなら、こちらは瞬時に黙ります。そうすることで、常に相手が主役であることを印象付けましょう。相手が口を閉ざしたなら、何事もなかったように先ほどの続きの会話を始める。これが苦情対応として、基本となる話術です。
 保護者が無理難題なクレームを言ってくることがあります。例えば、運動会の日程変更を要求するような無茶な苦情は、学校と保護者がどれだけ話し合っても平行線をたどることは明白です。
 このような場合、ポイントとなるのは、会話に「間」(目安は五~七秒)を取ることです。黙って考えこんだ様子を見せることで無理な注文であることを、間接的に知らしめる効果が生まれます。
 強い調子で頭ごなしに突っぱねると、関係がこじれます。そこで「無言」を最大限に生かし、保護者に自分の主張を振り返らせる。無言といえど、「言」の字が意味を持った会話なのです。ぜひ無言の効果を実感してください。
 
「切り返しの話法」も効果があります。「○○さんの希望で日程を変更しましたと説明したら、反発を受けるのはあなたと学校です。要望された本人の名前を出すのは、仕方のないことです」と。
(
関根眞一:1950年埼玉県生まれ、苦情・クレーム対応アドバイザー。百貨店に34年間在職し、お客様相談室長を経て、メデュケーション()代表取締役。新学校保護者関係研究会委員) 

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学級づくりの「決めて、はずしてはならないポイント」とはなにか

 私は、数多くの教室を訪問する機会があります。教室に入った瞬間にワクワクするような空気を感じることがあります。そのような教室では、決まってレベルの高い授業を見ることができ、子どもがしっかりと育っているのです。
 教師を悩ませている多くの学級は、学級内の人間と人間の関係がうまくいってなかったり、小さなトラブルが頻繁にしていたりする場合があります。
 そこで、大切なのが、「子どもと子どもの心をつなぐ」「教師が子どもたちと心を通わせる」「教師が保護者と信頼関係をつくる」ということです。
 このような関係づくりができるかが学級づくりの決めてとも言えます。一人ひとりの子どもの内面をとらえ、寄り添いながら指導することが大切です。
 学級づくりではずしてはならないポイントは
(1)
学級づくりのストーリーを描く
 学級づくりを「その日暮らし」にしないために、自分が担任する期間の大まかなストーリーを描きます。
 教師が子どもにこうなってほしいというイメージを描かなかったら、指導はできません。例えば、教師が「自立して自分たちの行動に責任をもつ」という子ども像を描いたら、子どもたちがそこに近づく可能性がグンと高まります。
 おおざっぱな子ども像ではダメです。「あいさつは相手を見て」「掃除はだまって、集中して」などと、場面ごとに具体的に設定します。具体的であればあるほど、指導の正確さが高まります。
 活動させるとき「さあ、やってみよう!」では、動かないことが多々あります。その活動にどういう意味があるのか、熱を込めて語ります。例えば
「クラスみんながシーンとして掃除すると、周りのクラスはみんなのことをどう見ると思う?」
「そう、スゲー! って思うだろう。どうだい、そんなクラスをめざしてみないか」
「きみたちだったら、絶対できると思うよ」
と、本気で語ります。教師の本気が子どもの本気を引出します。
(2)
見守る
 子どもが動き始めたら、あれこれ口を出さないことです。口を出せばうまくいくかもしれないでしょう。しかし、子どもに何が残るでしょうか。「先生がいないとダメなんだ」と自信を失わせるかもしれません。
 それより、多少時間がかかっても、子どもに乗り越えさせたほうが「できる」と子どもに自信をもたせることができるのではないか。
 失敗したら「大丈夫、きっと君たちならやれる」「ここが良くなったよ。あと少しだよ」と励ます。筋道をはずそうになっていたら軌道修正してやる。うまくやり遂げたら「さすがだね」とその努力を認めるのです。
 転ばぬ先に杖をついて、自力でやり遂げる力を奪うより、転ぶのを見守り、起きるのを励ます方がよほど子どもに力がつきます。
 関わり方で大事なのは、方法まで示してしまわないことです。方法まで示すと、子どもは考えなくなります。
 目的を示し、方法は「考えてごらん」と時間を与えます。この思考の過程が子どもたちを鍛えます。そして、自分たちで決めたら、そこを認めます。「やっぱりね。自分たちで解決すると思った」と。
 思春期の子どもたちはプライドをとても大事にします。だから、叱るときも、ほめるときもプライドを尊重します。
 
「こうやってごらん」という指示は、考える力を奪っているかもしれません。「AとB、どっちならやれる?」と選択させることも、プライドを尊重することになります。
(3)
さらけ出す
 子どもは「人間としての教師」を見ています。教師が自分の弱いところも、さらけ出すことで、子どもたちとの距離も縮まります。
 立派な教師であろうとすればするほど、子どもとの関係にすき間ができます。
 人間としてのつながりのうえに、優れた実践が生まれるのです。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、上越教育大学教授。学校心理士。「現場の教師を元気にしたい」と願い、研修や講演を実施して全国行脚。19年間の小学校勤務では、アドラー心理学的アプローチの学級経営に取り組み、子どものやる気と自信を高める学級づくりについて実証的な研究を進めてきた)

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プロの教師となるために,身につけるべき知識や技能にはどのようなものがあるでしょうか

 教師は「教育のプロフェッショナルな職人」です。高度の専門的な知識と技能がなくては務まらない専門職です。現実はともかく,少なくとも,そうあるべきだと私は思います。
 
「プロ教師」などという言葉がありますが,教師は本来「プロフェッショナルな知識と技能,人格を持ち合わせた教育の職人」であるはずです。
 そして実際,自分の仕事に自信と誇りを抱いてきた教師たちは,誰から強いられることもなく「プロフェッショナルな教育の職人」として恥ずかしくないだけの知識と技能を身につけようと,日々努めてきたはずです。
 私のまわりには,つぎのようなすばらしい教師の方々がたくさんいます。
「子どもからも保護者からも厚い信頼を寄せられる教師」
「感動的な授業をつくることのできる教師」
「学級をうまく育てていくことのできる教師」
「問題児からの攻撃も,保護者からのクレームも,自分のエネルギーに変えていくかのように,日々成長し続けていく教師」
といった教師たちがいます。私には,とても真似のできないことです。
 そして,このような教師たちは人知れず,日々,教師としてのスキルアップのための努力を重ねています。休日を返上し,自費で高額な研修会に参加し,自分の技を磨き続けている方もけっして少なくありません。
 そんな教師を支えているのは「プロフェッショナルとして胸を張ることのできる技術を磨いておきたい」というプライドです。「クラスの子どもたちに,少しでも役に立ちたい」という気持ちからかもしれません。
 そんな先生方は「教師としての技(スキル)を極めよう」と日々努力を重ねておられるのです。このような動きも「教師はプロフェッショナルな教育の職人」たるべきだという考えにもとづいてのものでしょう。
 では,あなたが「プロフェッショナルな教育の職人」となるために,身につけるべき知識や技能には,どのようなものがあるでしょうか。
 私がおすすめしたいのが,カウンセリングテクニックです。
 カウンセリングの分野には,さまざまな心の問題や人間関係,集団や組織の問題に対処するために蓄積されてきた,たくさんの有益な知識や技能,具体的な方法論があります。
 これを学ぶことが,あなたが教師としての技を極め「教育の達人」になるために不可欠のものだと私は思うのです。なぜでしょうか。
 昨今,教育現場で生じているさまざまな問題は,その大半が何らかの人間関係やそれに起因する心理的な側面にかかわったものだからです。
 例えば、指導のむずかしい子どもとの関係。次々とクレームをつけてきてあたかも教師が困惑するのを見て楽しんでいるかのような保護者との関係。 
 そんな保護者に刺激されたかのようにしてますます混乱の度を増してくる子ども集団との関係。自分の考えを一方的に押しつけてくるばかりの同僚や管理職との関係。
 こうした,さまざまな次元の「関係のねじれ」が,教師という仕事をむずかしくしているのです。したがって,私はこう思います。
 この時代,教師は特定教科を教えるプロである以前に「人間関係のプロ」でなくてはならない。人間関係をうまく処理できる技能なくしては,プロフェッショナルな教師は務まらない,と。
 カウンセリングの技をいかすと,授業で子どもたちがイキイキとしてきます。
 カウンセリングの技を使うと,クレームをつけてくる保護者ともうまくつきあえるようになります。
 カウンセリングの技を学ぶと,学級がうまく育っていきます。
 カウンセリングの技を体得すると,同僚や管理職ともうまくつながり,協力的な関係が築けるようになってきます。
 そして何より,カウンセリングを学んだ教師は,幸福感と生きがい感,仕事のやりがい感が増して,心がポカポカと暖かくなります。そしてそのポカポカ感がクラスの子どもたちに伝わって,子どもたちの心をもポカポカと暖かくしていくのです。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学教授。カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリング、教師のサポート、日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会常任理事、悩める教師を支える会代表)


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授業中によくしゃべる子どもを静かにするには、どう指導したらよいのでしょうか

 よくしゃべる子どもにどう対応したらよいかを考える前に、自分自身の授業の進め方を客観的に見て、授業のやり方を考えなおすことも必要です。
 テレビカメラのように、よくしゃべる子どもをアップで見るだけでなく、ヒキで教師もふくめて授業中の学級全体を見るようにします。
 そのときの視点として、つぎの7つがあげられるでしょう。
(1)
手作業などをともなった操作活動、学習遊びやゲームなどを取り入れているかどうか。
(2)
しゃべる子どもに授業の本流にそって活躍できる機会を与えているかどうか。
(3)
教師の話術や、指示、発問のしかたは適切かどうか。
(4)
後ろ向きになっての板書や説明調の時間が長すぎはしないか。
(5)
授業中、子どもへの励ましのことばかけより、注意や叱ったりすることのほうが多くなってはいないか。
(6)
しゃべる子どもや同調者をふくむ座席の位置に問題はないか。
(7)
子どもがおしゃべりやふざけの原因になっているかもしれない、子どもが熱中している遊びなどをとらえているかどうか。
 たいせつなことは、気持ちの上でいらだったり、なんとかしようとあせったりしないで悠然とかまえることです。
 子どもの性格やくせはすぐには変えられないものですし、その子のためによかれと思ってやることが、逆に反発をまねくといった事態につながることがあるのです。
 では、どうすればよいのでしょうか。
1 学級指導
 全員の子どもが具体的に活躍できる場面を、授業中に豊富に取り入れることです。
 授業で大切なことは、導入からまとめまでの流れの中に「静」と「動」を適切に組み入れることです。
 静かに話を聞くだけでなく、子ども自身を生き生きと動かすことが必要なのです。体ごと学習に取り組めるような授業を組織することが重要です。
 子どもは、低学年だけでなく、高学年でも、やりたがりやなのです。自分の手でやってみたい、自分の頭で考えてみたいと思っているのです。
 この「やりたい」という要求やエネルギーを生かすことです。ですから、授業を準備するとき「子どもに何をやらせようか」と考えるのです。
 子どもが活動して、熱中していたり、忙しくしているときは学習量が当然多くなり、おしゃべりしたり、席を離れたりするひまは出てきません。
 そのような授業はどのような方法があるのでしょうか。
(1)
チームで子ども同士の力を活かす
 例えば、わり算指導で、四人一チームが黒板で、チョークをバトンにして一つの問題を共同作業でやります。一度に五チームぐらいやることができます。たす、ひく、かけるも四つの部分に分けてやればできます。また、漢字の書き順や音読も可能です。
(2)
作る
 画用紙で分数カードを作る。厚紙でかけ算カルタを作る。折り紙を折る、漢字カードを作る、社会で調べたことを絵にするなどの作業です。
(3)
グループで学習ゲームや学習遊びをする
 参考文献が多く出されています。
(4)
書取り
 書き取りを多く取り入れることです。板書したものをノートに書き写すのではなく、教師が口頭でゆっくり、くり返し発言することを、全員の子どもたちがしずかに聴き取りながらノートに書いていくことです。
 授業の始めに、この時間に学ぶ中身を子どものことばで書かせるとか、学習のまとめ、家庭学習の中身、明日の学習の準備、また、家庭への連絡事項などいくらでもあります。
 書き取りは、耳と頭と手を連動させる高度の精神活動ですから、根気よく続けると、集中力もつき、落ち着いた人間の形成に役立ちます。
2 個別指導
 よくしゃべる子どもは、いくらことばで注意しても効果がないものです。授業中に活躍させる場面をできだけ多く与えることです。例えば、板書させる、教具を操作させる、配る、作るなどです。
 授業がおもしろくて、自分が活躍する場、認められる場があれば、子ども自身が余分なおしゃべりをしなくなります。
 つまり、おしゃべりな子どもの積極的なエネルギー、行動力の発揮する場を、授業中にたっぷり与えることです。
 もちろん、おしゃべりな子どもだけというわけにはいきませんから、ほかの子と上手に組み合わせてのことです。
 そして、やったことについては評価してあげることです。よい意味のリーダーに育てることが個別指導の決めてではないでしょうか。
(
相原 昭:元東京都公立小学校教師)

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子どもたちや保護者が好感を持つ教師の話し方とは

 教師の話は長い、くどい、繰り返しが多いと言われます。正しい日本語で、にこやかな表情で、簡潔な表現と発音で、歯切れよく短文で話すことができたら、子どもも保護者も好感を持つに違いありません。
 「・・・でぇー」「・・・みたいな感じ」などと中学生のような話し方は、即、改めましょう。話す前に構想を立てるようにすると、分かりやすく話せるようになります。
 
「話し上手」は、教師に最も要求されるスキルです。基本におきたいのは「生きた言葉を使う」ということです。
 マンネリ化した言葉や、抽象的な言葉、場当たり的で浮ついた言葉ではなく、新鮮みがあり、自分自身の「今、ここで」の気持ちがこもった言葉を使うことです。
 言葉には、その人の生きざまや日常生活が強く反映し、特に、体験することにより体の中に自分の言葉が生まれます。「話し上手」になるための前提として、日ごろから新鮮さを保ち、人と交わり、自分の体験を豊かにふくらませたいものです。
 また、なによりも大切なのは、「話が長くならないようにする」ということです。相手に話を聞いてもらうということは、予想以上に相手のエネルギーを消耗させています。そのため、大事なことだけを整理して言うなどして、配慮深い話し方を心がける必要があります。
 話し方で重要なことは、結論から先に述べることです。結論を簡潔に述べ、その後、状況の許す範囲で、具体的に説明をしたらいいのです。
 話す前に、メモや原稿をかならず準備するということが考えられます。その場合、少なくとも、どんなことを言いたいのか、伝えたいのかを整理し、箇条書きにしたり、絶対に伝えたいという内容はキーワード化し、色を変えて書いておくといいように思います。
 さらに、話を興味深くするためには、いわゆる「起承転結」を意識したり、体験談や会話文などを挿入したり、話す内容の順番や関連を工夫したりして、十分に吟味し、準備しておきたいものです。
 そうして、ゆっくりと、相手に伝わっているかを視線や顔の表情、ボディアクションで確認しながら、話していくほうがいいようです。
 わかりやすい話し方を身につけるには、次のことを心がけ、何をどのような順序でどう話すか準備をする。
(1)
話す目的と内容を確認し、何をどのような順序でどう話すか準備をする。
(2)
難しい言葉は避け、区切りながら、短文で話すようにする。
(3)
資料を用意したり、具体例を示したりして、目で確かめながら聞けるように配慮する。
(4)
自分がこの話し方は良いと思った人や先輩の話し方のコツを観察し、無理のないように真似たり、取り入れたりする。
(5)
話し方が上手でも中身がなければ意味がありません。本を読み、体験を重ねて、内容のある話ができるようにする。
有村久春:1948年鹿児島県生まれ、東京都公立学校教師・指導主事・小学校校長、昭和女子大学教授、岐阜大学教授、帝京科学大学教授を経て、東京聖栄大学教授。専門は教育学、生徒指導研究、特別活動研究、学校カウンセリング研究)


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新学期、教師は学級の子どもとたちと関係性をつくるために、どのように出あうようにすればよいか

 学級のスタートでまず大切なのは、教師が子どもたちに「安心」をあたえるということです。「安心」とは、ホッとした気分になれること、心配なく任せられる気持ちがもてるようになることです。
 その「安心」でつつみながら、子ども同士のなかに「一人ひとりが主人公」「力を合わせて自分たちでやれる関係性」をつくっていくのです。
 子どもはこの「安心」がなければ、教師を信頼しません。指示しても言うことを聞かないでしょう。その理由は、二つです。
(1)
学級の子どもたちを指導するのですから、生活まるごとを対象にした取り組みになります。子どもと教師との人間対人間の取り組みで、いわば全人格にかかわる取り組みです。
 それゆえ、「安心」から「信頼」へ、という基盤がつくられなければ、そもそも出発が成りたちません。
(2)
すべての子どもがどうにもならないほどの、ストレスを溜めています。したがって、教師が子どもに安心を与えてあげなければ、子どもは暗い淵に沈んでしまうことになるでしょう。
 では、具体的に何をすればよいか。まず、教師の投げかける言葉や行動が大事です。
1 ひいきをしない
 教師の「先生は子どもが大好きなの。だから誰もひいきにしないで大事にするからね」という言葉。これが一番歓迎されます。子どもたちをホッとさせます。
2 人間にクズはない
 教師が子どもたちに「人間にクズはないという言葉を知ってるかい。誰だってよい点をもっている。だからお互いのよい点をみつけ合い、暴力やいじめでなく、話し合いで解決できる学級をつくっていこう」と話す。
3 子どもたちといっしょに楽しむ
 安心をあたえるには行動が大事です。言葉だけでは、子どもは安心しません。教師の行動をみつめ、その事実で安心をつかんでいくのです。キーポイントは
(1)
遊んだり、楽しませてくれる
 教師が子どもたちといっしょに楽しむことです。手あそび、歌あそび、集団ゲーム、長縄とびなど、ふれ合いの実感が伝わるものがよいでしょう。
 子ども同士の関係性を深めるのに役立ちます。教師にも理屈抜きで安心感をいだくようになるのです。
(2)
話をよく聞いてくれる
 話を聞くときは、顔や眼を見ながら聞くこと。また共感・納得できることには、うなずきながら聞いてあげることが大切です。
 よく聞いてあげれば、子どもは安心(信頼)してたくさん話すようになります。そうなれば教師の方も、効果的な話ができるようになるわけです。
(3)
できない子、へたな子にもやさしい
 年を追うごとに問題性の深い子どもが増えているため、ともすると叱責や注意が多くなりがちです。しかし、誰だって怒鳴られたり叱られたりするのは、好きではありません。「やさしくしてほしい」という子どもの声は、当然のことと言ってよいでしょう。
(4)
気がかりな子どもへの対応
 気がかりな子どもが増えました。いわゆる手のかかる子、問題性をふくむ子どもたちです。そうした子の生育歴をみると、ほとんどが淋しさをかかえています。温かく対応してあげることが必要です。対応の観点は
1
ざわつき動きまわる子
 教師の用事を頼んだり役割をもたせたりして活躍させ、長所をみつけて励ます。
2
乱暴する子、すぐムカツキ、キレル子
 パニック状態のときは、危害防止に努め、落ち着くまで待って説諭する。
 平静な時に、手・足・体にふれてやさしさを伝え、対話の相手になる。
3
黙っている子
 意見を言うことを急がず「どうしたの」「何をしたいの」と、じっくり聞いてあげることに努める。自分の気持ちを書いて、それをもとに対話するのもよい。
4
成績にこだわり、落ちこみやすい子
 係の仕事や役割をもたせ活躍することで、長所をみつけて励ます。勉強以外で頑張ったことを大きくほめてあげる。
5
不登校の子
 登校させることを主目的とせず、生活の力をつけるよう「自分にできること」を増やす。また「友だち」ができるよう支援してあげることが大切。
 いずれの子の場合も、保護者との共通理解と共同の努力が欠かせない。保護者に問題点の指摘だけではいけない。「どうしたらよいか」を具体的に提言し「いっしょに努力しましょう」と励ましあうことが大切。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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保護者を味方につける三つのポイントとはなにか

 保護者の信頼を得るには、よい授業をすることが第一だ。
 子どもが学校から帰って「今日の勉強楽しかった」との声で、保護者は「今年の先生はよい」と感じてくれる。
 授業参観は、保護者がわが子を見に来るので、必ず子どもたち全員が活躍できる場を設け、知的な内容にする。
 今までで、一番良かったのは、点字・アイマスクの授業だった。点字の仕組みや読み方、目の不自由な人の介助の仕方を学んだ後、実際に子どもと保護者がペアになり、アイマスクの体験をした。
 三階の教室から一階まで、行と帰りで保護者と子どもが交代して行った。その後、一緒に点字ペンを使って名前を書くこともした。この授業は、子どもにも保護者にもとても喜ばれた。
 学校生活のほとんどを授業が占める。保護者は常にわが子は勉強がわかっているか気になっている。ふだんの授業をきちんとしていると、保護者から苦情の入ることはまずない。子どもが変わった事実は、保護者の信頼を深める。
 保護者の信頼を得る第二は家庭訪問で成功することだ。
 家庭訪問の日まで、担任として子どもにどう接してきたか、どう見てきたかが試される。家庭訪問では、子どもをうんとほめるにつきる。
 ほめられると保護者もうれしいものだ。教師への好感度が、とても増す。家庭訪問で、一気に保護者を味方につけてしまうことが大事だ。
 学校で悪いこと、目につくことを保護者に伝えることは、ひかえる。これから、いくらでも話す機会があるし、指導することで直っていくからだ。
 保護者の信頼を得る第三は、学級通信で信頼度アップをはかる。
 学級通信をできうるかぎり、出し続ける。私は年間100号を目標に取り組んだ。授業や学校生活の様子、日記が主な内容だ。
 子どもの発言は、授業中にメモを取り、ノートにひかえた。また、子どもの名前をできるだけ多く入れ、具体的に書くよう心がけた。そして、載せる子どもに偏りがないか気を配った。授業参観の後、保護者に感想を書いてくださるようお願いし、それを学級通信に載せた。
(
勇 和代:1965年大阪府生まれ、大阪府泉佐野市立小学校教師)

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朝の会で、どんな話をし、どんなことをさせたらよいか

 教室に出向くなり、連絡事項や今日の予定を告げるだけで、すぐ授業を始める教師。「おはよう」のあいさつもそこそこに、長々とお説教めいた話をして学級指導を終わる教師。こんな担任には、子どもたちは取りつくしまもない。
 子どもの前向きの気持ちをいっぱい受けとめてやりたい。そのためには、子どもとの朝の出会いを大切にとらえたい。
 子どもが教室に入ってくる様子を見ながら声をかける。座っている子どもの一人ひとりを覗いて歩き、笑いかけたり、うなずき合ったり、頭をなでてやったりしながら、それとなく健康観察をする。
 子どもたちが日記を登校順に提出するのであれば、素早く目を通し、何か変わったニュースがあれば、みんなに読んであげる。
 こういった教師が担任であれば、子どもたちは朝のこの一瞬のために喜び勇んで家を後にするだろう。
 朝の会をどうすればよいかではなくて「子どもたちのために、私はこれこれをする」「そうすることで、子どもと私とがしっかりつながる」と考えて、できること、やりたいことを実行していくことなのではあるまいか。
 私ならば朝の会でやってみたいことは
(1)
朝会(全校集会や学年集会)で話された校長や学年主任の話を思い返し、いくつかの話にまとめる。
(2)
昨日のことを三分間スピーチ
 毎日順番で。折をみて話集にする。
(3)
教師の読み聞かせ
 長編童話や文学作品を読み聞かせる。できるだけ長編ものを長期間。教師の最高の朗読で聞かせる。
(4)
校舎周辺の清掃活動
 掃除割り当て区域に踏み込みすぎてトラブルを起こさぬよう気をつけながら行う。花壇の手入れ、美化活動も。
(5)
詩の暗唱
 自分の好きな詩を見つけさせ、それを朗読し合う。時には、学級全員で「雨ニモ負ケズ」に取り組み群読する。
(6)
体力づくり
 スタート練習。20メートルダッシュ、縄とび。短時間で授業に差しさわりのない程度にとどめて。
(7)
教師の語り
 その時その時の思い、考えを語ってあげる。
(
佐藤信彦:元宮城教育大学附属小学校教頭・宮城県公立中学校長・仙台市立中学校校長)

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教師にとって本物に出会い、実践の根底に流れる原理を持つことが重要である

 教師は本物の優れた教師に出会うことが大切である。
 宮城まり子()は「人間は生まれたときから、本物に出会いつづけないと、将来もののよさが分からない人間になってしまう」と言っている。
 このことは教師をめざす学生にもあてはまる。彼らがほんものの教師に出会うことが、大切で重要な意味を持っている。私はそういう認識のもと、学生たちに斎藤喜博と深く出あわせるよう努めてきた。
 私は授業でビデオ「教える-斎藤喜博の教育行脚」を学生に見せる。学生はつぎのように書いている。
「教育とは、教師と子どもが手をつないで旅をすることと同じことだと思います。教師が子どもたちに声をかけながら手をさしのべることによって、子どもは困難を乗り越えられるのだと思うのです」
 充実感を授業の中で子どもたちに味わわせ、子どもと一緒に教材の世界を旅していくのが教師の仕事なのだ。
 その教材を通して、子どもたちが今いる世界から、もっとすばらしい世界、心のゆたかになる世界へと、困難をともにしながら旅をしていくことであろう。
 教育は「教師対子ども」で行われるものではなく、「人間と人間」でするものなのだ。そうしたことが一番難しく、それでいて一番価値があるのではないか。
 ふつうの教室でよく見られる「先生と子ども」という上下関係を斎藤の教室では見いだすことができなかった。
 その代わりに、一人の教師が子どもたちと人間として対峙し、追求をしている姿を学生たちは発見していった。
 
「先生と子ども」の関係でなくて「人間と人間」の関係で教育を行うことが一番難しいが、一番価値があるのではないかと思う。
 ユニークな実践者であった小松田克彦(元埼玉県公立小学校教師)は、斎藤喜博が生前、自宅で開いていた第三日曜会という研究会の常連であった。
 小松田学級の生活の原理は、単純明快である。それは第一に「ていねいにものごとを行う」こと。第二に「周りの人たちと心をかよわせること」である。
 この二つの原理は、国語をはじめすべての授業の中や学級生活のあらゆる場面で貫かれる。子どもは自分をそして仲間を高めていく。子どもの言動がこの原理からはずれると、厳しい叱責の言葉が飛ぶ。
 学級が「学びの共同体」として心地よく存在するために、この二つの原理は、ことあるたびに、子どもたち全員で確認をされていた。
 大きく息を吸い込み、一語一語の言葉が暗示する世界を心にえがきながら朗読する子ども。教室には、あたたかい空気が広がり、心の中にやわらかく朗読がしみいってくる。
 
「跳び箱とお話ししてから、飛ぶんだよ」との指示に示されるように、子どもたちは、ともだちだけでなく、まわりのすべてのモノとも心をかよわせ、自分を高める努力をしている。
 
「子どもの心をしっかりと育てれば、自然と子どもの行動はよくなる」(斎藤喜博著作集第1巻:教室愛,教室記)と斎藤喜博が述べているように、教師が子どもに育てるべきことは、人やものごとと向き合う心である。
 小松田がしていることは、一人ひとりの子どもに、人間として行うべき道を示すこと。その原理が「周りの人と心をかよわせ、ていねいにものごとを行う」ということであった。
 すぐれた教師は、その実践の根底に流れる原理を明確にもっている。生活の原理が確認できない時、子どもの成長は崩れる。
 子どもに示される原理が普遍性を持ち、教師自身の生き方の中に生きているとき、子どもはその学級の一員として、教師とともに生きていく。 
(
佐久間勝彦:1944年生まれ、神奈川県川崎市公立中学校教師、千葉経済短期大学教授、千葉経済附属高校長、千葉経済短期大学長を経て千葉経済大学学長)
(
)宮城まり子:1927年 東京生まれ、歌手、女優、映画監督として活躍、1968年日本最初の肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」設立。総理大臣表彰、広島大学「ペスタロッチ教育賞」、「東京都文化賞」、尾崎行雄咢堂賞、「石井十次賞」等受賞。ねむの木学園で理事長として教育の現場に立ち、生涯学習を基にした「ねむの木村」を運営する)


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学級崩壊しないよう、学級をふれあいとルールで集団として成立させるにはどのようにすればよいか

学級を集団として成立させるための骨子は、
(1)
集団内にふれあいのある人間関係を確立する
 一番のモデルは教師です。ふれあいのある人間関係を望んでいる姿勢を見せることが大切です。
 まず、教師と子どもの間に親しみのある関係を形成することが必要です。希薄な人間関係は、相手の心を察する力を弱めます。
 例えば、教師のほうから気さくに「おはよう」「ありがとう」という言葉をかけるのが第一歩です。「Aくん、昨日のケガしたところはどうだい」と、名前を入れながら教師のほうから投げかけていくことが必要なのです。
 つぎに、子どもに対して、問題に「気づかせる」「整理させる」「意味づけさせる」「励ます」という言葉がけの技術が有効です。
 例えば、その子が気づかずに他の子どもたちに迷惑をかけているとき「○○すると、いい面と悪い面もあると思うだけど、どう思う」と質問を投げかけることで、問題に気づかせたりします。
 教師は意識しないと、どうしても自分の指導を素直に受け入れる子どもに肩入れをしてしまうのです。すべての子どもを尊重しなければなりません。
 教師が一人の人間として、自分のことや考え、思ったことを率直に語ることです。子どもたちは親近感を覚えます。ただし、お説教や自慢話にならないように気をつけます。
 教師は自分の経験したこと、考えや日々の思いを、必要なとき、子どもたちに語れるようにしておくことが必要です。
 いつも子どもを評価するような教師面ばかりをしていると、学級内によそよそしい雰囲気が生まれてきます。
(2)
子どもたちの行動の基盤となる共通のルールを確立する
 子どもが学級で不安なく生活できるようなルール、子ども同士が傷つけ合わないようなルールを確立することが必要です。
 やはり、話の仕方や聞き方が重要です。これを最初にしっかりと説明し、子ども同士で練習させるのです。自分も相手も気分のよくなる伝え方を工夫させるようにするのです。
 例えば、人の話は最後まで聞く。考え方が異なる場合は、その人を否定しないで「自分は○○と思う」と自分のことを述べるなどです。
 このようなルールに守られて、子どもたちは自分の本音を表現し、対人関係を形成しようとし始めるのです。
 子どもたちに、対人関係の形成や学習に取り組もうという意欲を高めるようにするには、指導の意味や内容を初めにしっかりと子どもたちに説明します。おもしろそうだ、やってみようと、イメージ化できるくらいに具体的に説明します。
 以上の、(1)集団内にふれあいのある人間関係を確立する、(2)子どもたちの行動の基盤となる共通のルールを確立するという、二点が互いに矛盾することなく成立することが大切です。
 指導重視型の教師は、学習指導と生徒指導にルールを定め、子どもたちの行動を統制しようとします。そのようにして作られたルールは、子どもたちへの援助とうまく溶け合わず、子どもたちに不満が蓄積され、学級内にふれあいのある人間関係が形成されないのです。
 自己確立重視型(子ども同士がつながること、その過程で学級がまとまるのを援助する)の教師は、子どもの自己の確立が促進される形でルールを形成しようとします。
 例えば、話の聞き方や話し方、互いの人権を尊重することなど、人が社会生活を送るうえで必要な基本的なマナーです。
 このマナーがあって初めて、子どもたちは自分の話を聞いてもらえる、人からバカにされないと感じ、自ら他の子どもたちと関わろうとするようになるのです。
 つまり、学級のルールが学級内のふれあいのある人間関係の形成を支えているわけです。そして、このルールも子どもたちの考え方が取り入れられて成立していることが多いのです。
 このルールをもとに学習指導と生徒指導も行っていくわけですから、指導と援助のバランスがよいのです。子どもたちも教師にやらされているという感じがなく、主体的に学級生活をおくるようになるのです。
 集団の形成も、始めは親しい二人組の形成をめざし、学級内に孤立する子どもがでないように努めます。
 それが達成されたとき、二人組の相手をいろいろと変えていき、学級が子どもたちの人間関係で網の目のように結ばれているようにしていくのです。
 そのうえで、小集団での活動を実施し、それがうまくいくようになったら、中集団、そして学級全体集団へと徐々に拡大していくわけです。
 傷つくことを恐れる子どもたちの心情に無理のない展開です。学級集団は子どもたちの個々のつながりを通して、一つにまとまっていくのです。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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優れた教師たちは、新年度の学級づくりをどのようにスタートさせているのでしょうか

 優れた実践家たちの多くは新年度が始まる最初のスタートが勝負であると言います。
 最初の一週間内で学級の生活ルールや学習ルールを指導し、一か月内に定着するよう繰り返し指導します。
 向山洋一は最初の三日間の「学級のしくみ」づくりに全力をあげるべきだと言います。
 大前暁政もスタートの三日間に教師の基本的な姿勢を示し、学級の仕組みをつくっています。さらに、最初の一週間は、一年間の授業の成否がかかってくると、学習規律を教え、授業への意欲がわき出るようにしなくてはならないと言います。
 戸田正敏も「子どもたちが話が聞けるようになると学級は落ち着いていく」と、二週間で話を聞く雰囲気をつくることを主張しています。学習習慣をつけるために毎日指導することが最低一か月必要だと言います。
 野中信行は「3・7・30の法則」による学級作りを唱えています。三日目までに「今度の先生は一緒にやれそうだ」というイメージを子どもたちに与え、学級の仕組みの第一歩を作ります。
 そして、一週間までに学級の仕組みを作り、一か月でその仕組みを完成させます。一か月後からの取り組みは、三か月間で子どもの自由度を徐々に増加させるとともに自治的活動の下地をつくります。四か月間で自治的活動を軌道にのせます。
 学級づくりの目的は子どもたちを群れから集団、つまりチームに育てることだと私(赤坂真二)は思います。子どもたちは、一日に5人くらいの子どもとしか会話していなことが調査でわかっています。今、学級は放っておくとバラバラで学級がその体を為さなくなってしまいます。
 学級のチームづくりは、4月の最初の7日以内に学級の生活や学習ルールを一通り指導し、30日間で定着するよう繰り返し指導するようにします。
 30日間で一斉指導の体制を定着させたら、そこから、徐々に子どもの自由度を増やしていきます。2か月くらいかかります。
 自分たちで考え行動できるように教え育てる例として体育館の整列指導を私は次のようにします。
「みなさんは、先生が前に立って指示をしないと『並べないクラス』と『並べるクラス』、どちらになりたいですか?」と問いかけます。普通のクラスは後者を選びます。
「今日は、残念ながら並ぶことができませんでした。次回、自分たちの力で並べるようになりたい人?」と問いかけます。おそらく子どもたちは賛成します。
「では、作戦をたてましょう。どうやったら自分たちだけで並びますか?」と考えさせます。子どもは様々な作戦を発案するでしょう。
 例えば「先頭の人が声をかける」「全員で声をかける」など、結論はどれもいいと思います。達成したら大いに認めます。失敗したら、どうしたらいいか考えさせます。大切なことは、自分たちで考え行動できるようにすることです。
 荒れて授業が成立しない学級の場合は、日常的に突発的なことが起こりますから、トラブル対応に時間が取られます。私の経験では、最初の1か月は事件の連続で自分がやりたいと思っていたことはできませんでした。
 それでも、夏休みまでに学級の問題を自分たちで解決する活動を数回経験しておくと、2学期がスムーズに迎えられると思います。
 これは教師の力量の判断基準ではありません。私は力がないと思う必要はまったくありません。大切なことは、学級づくりのストーリーを描くことであり、見通しを持って取り組むことです。そして、その取り組みを楽しむことです。
 学級がチームになるためには、学級全員が力をあわせる課題が必要です。人間関係の課題を解決しながら育てていきます。
 学級づくりが難しくなってきた今、学級のチームとしての機能に注目し、強化しましょう。学校行事で、一人ではできない課題を、みんなの力で合わせる経験をくり返すと、成長します。課題解決の過程で、間違いなくチームとして機能していきます。
 学級がチームになるためには、質の良いチーム体験が必要です。それまで学級の雰囲気がよくなかったけど、学校の行事でよい結果がでると、みんな仲がよくなって学級の雰囲気がよくなったという経験を持つ教師もあるでしょう。
 学級づくりは新年度の最初が勝負といっても、自分の学級の状態を分析し、それに適した手だてを持って腰を据えて取り組みましょう。
 学級状態の状況をみて変更してもよいが、学級づくりの見通しを持ってストーリーを描いて取り組みを楽しんでください。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、上越教育大学教授。学校心理士。「現場の教師を元気にしたい」と願い、研修や講演を実施して全国行脚。19年間の小学校勤務では、アドラー心理学的アプローチの学級経営に取り組み、子どものやる気と自信を高める学級づくりについて実証的な研究を進めてきた)

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教育の善し悪しは、子どもと教師の人間関係の善し悪しではないか

 私が新採教師の時、初めて担任したのは小学校二年生でした。子どもたちと仲良くなり、自分なりには大体満足していたのですが、やることなすこと私に反対をして、てこずらす子が一人いました。
 一年後、その子と別れたときは心底ほっとしました。三年生になり新担任がいつその子に、ねをあげるか心配していました。
 ところが、その子はいい子になっていたのです。不思議に思って、物静かな女性の担任に聞くと、
「最初は、何も言うことを聞かず暴れていたわよ。ある時『あなたが私の言うこと聞かないなら、私もあなたの言うこと聞く必要ないね』と言ってあげたのよ」
「それから、その子の言うことは全く聞かなかったのよ。そしたら、いつの間にかそばに来てね、言うことを聞くようになったのよ」
と言うのです。
 情熱を込めて、怒ったり叱ったりすることがよいことだと考えていた自分の単純さを深く反省しました。その子の内面を見ないで、ただ怒っていては、子どもはかんしゃくを爆発させますよね。「人を見て法を説け」ということですね。
 
「言うは易く行うは難し」です。じっと見守って、内面まで考え、その子に合った方法を見つけていかなくてはいけませんね。
 この担任に教えてもらった「あなたが私の言うこと聞かないなら、私もあなたの言うこと聞く必要ないね」という言葉は、わがままな子には効果的に作用しました。そのつど、言われた子どもは、みな一様にはっとして、話を聞くようになりました。
 ある先輩の教師から聞いた話です。自分の気分が悪いときやむしゃくしゃしているときは、家から出がけに指に絆創膏をしていったそうです。子どもをすぐ叱ったり、怒ったり、当たったりしないように、その絆創膏を見て戒めたそうです。
 私は、家庭での嫌なことを学校に持ち込んでしまったこともたくさんありました。子どものために怒っているはずが、実は自分のむしゃくしゃを発散していることも、たくさんあったように思います。
 かっとなりやすい人は特に、自分の心に問いかけ、自分を落ち着かせる方法を自分で編み出して実行していくようにしたらよいと思います。
 子どもたちは何といっても、おだやかな教師が好きです。理不尽に叱られたりするような教師は嫌います。当たり前のことですね。
 教育の善し悪しは、つまるところ、子どもと教師の人間関係の善し悪しです。よい関係を築くには、まず教師がおだやかになることです。
 それから、叱るべきところは叱る。ほめるときはほめる。教師という仕事は、人間修養になりますね。でも、難しいですね。
 ある新採教師に、保護者が「あの先生は目配り、気配り、手配りが足りないのよ」と陰口を言ったそうです。この言葉は重いです。私たち教師に求められていることだと思います。
 問題が起きたときに、その子をじっと見守って、そのつどよかれと思うことをしていくことが、目配り、気配り、手配りをしていくことだと思うのです。
 全身全霊をかけて、誠意を持って明るく対応していくと、おのずから道は開けてくるのではないかと思っています。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)

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ストレスを受けやすい教師の性格とは、どうすれば心の健康を保つことができるか

 教師の心の健康が深刻な度合いを強めているなかで、最も多いのが燃え尽き症候群(バーンアウト)である。
 バーンアウトは、教師などの対人援助の職業に特有のストレスをさし、長期間にわたり人を援助する過程で、解決困難な課題に常にさらされた結果、極度の心身の疲労と情緒のこかつをきたし、自己卑下、仕事嫌悪などを伴う状態です。
 対人専門職業のなかでも、教師は集団への持続的な対応を迫られ困難度が高いと思われます。学級全体の対応と一人ひとりの子どもの対応が迫られる難しさがあるからです。
 絶えず、個人と集団のバランスを取りながら、子どもの変化や保護者の要求を敏感にキャッチすることが求められます。
 また、担任と子ども、保護者の関係は一年間継続されます。お互いに相手を変えることができないため、人間関係がこじれると身動きがとれなくなってしまいます。
 サービス化社会の進展により、保護者からの過大な要求が増え、教師が自信を失って委縮したり、強い心労から心身の不調をきたしたりする教師も急増しています。
 さらに、教職の特徴として
(1)
教育の責任や評価が、子どもおよび保護者から絶えず直接的に返ってきます。
(2)
教える相手が変われば、同じ技術や態度で対応しても同じ成果が得られるとは限らない
 他校へ異動し、環境変化からバーンアウトに陥るケースが少なくないことがそれを物語っています。文部科学省の調査(2015)においても、精神疾患による休職者のうち、異動後二年未満で休職になったものが48%にものぼっています。
(3)
仕事が日常生活まで入り込みやすい
 教師の仕事は、ここまでやれば完成というゴールが見えないために、仕事が職場外の日常生活まで入り込みやすい。
 文部科学省の調査(2006)では、一か月あたりの残業時間と持ち帰り時間の合計が、中学校教師で74時間、全日本教職員組合の調査では114時間という数字が示されています。
 いずれにしても、厚生労働省が「時間外労働時間が100時間を越えたら過労死ライン」と言っていることを考えると、極めて深刻な事態ととらえることができます。したがって、多くの教師がストレスのるつぼのなかに置かれているといっても過言ではありません。
 家に帰っても、気になる子どものことが頭から離れなくなったり、突然、保護者から苦情の電話がかかってきたりして、素の自分に返ってほっとする時間がもてなくなってしまうこともあります。
バーンアウトに陥りやすい教師の性格として
(1)
ひたむきで、多くの仕事を熱心に達成しようとし、できないと悩む。
(2)
妥協や中途半端を嫌う、完ぺき主義的傾向が強い。
(3)
理想主義的情熱に駆り立てられる。
という、真面目な特徴があげられます。
 バーンアウトに陥らないためにも、「心の柔らかさ」をたもつために、つぎのような心構えが大切であると思われます。
(1)
物事を楽しめる、しなやかな心をもつこと。
(2)
いろいろなタイプの教師仲間の存在を相互に認め、尊重すること。
(3)
人を支え、人に支えられることを、いとわないおおらかさをもつこと。
 悩みを抱かえたときに、弱音を吐いたり、相談することは恥ずかしいことではない。
 また、違う個性の教師が助け合わなければ一人では何もできないことを教師同士が認め合うことが、職場の同僚性を高め、教師のメンタルヘルスの向上にもつながっていくのではないかと思われます。
(
新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)

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心の悩みや苦しみをなくすには、どのようにすればよいのでしょうか

 実に多くの人々が苦しんでいます。生きがいが見出せないと悩んでいます。何をしても楽しくないと思っています。どうすればよいのでしょうか。
 心に苦しみを抱かえていては、地位も、財産も名声も意味を持ちません。「一番大事なのは心であり、心が苦しまない」ことほど大事なことはないのです。
 これこそ釈尊が一生をかけて伝えようとしたことなのです。私は心を楽にする方法として、禅の考え方が非常に大事だと思うようになりました。
 禅とは、私たちが「本来の心」に気づく方法です。人間の心は不思議なものです。心を覆う暗雲に気づくだけで、サーッと晴れ、ものすごく楽になれるのです。
 私たちを苦しめる最大の悩みは「過去を思い出す」ことです。失敗、つらい体験、受けた侮辱などを思い出し、人を憎み自分を責めます。
 恨みを晴らそうとしても何も得るところはないのです。その結果「自分はだめだ」と自己否定の気持ちがつのってきます。
 釈尊の「諸行無常」(すべてのものは一瞬として同じ状態になく、別の状態に変化する)の考え方が、この苦しみから私たちを救います。
 
「過去」の私や他人と「今」の私や他人は「別人で関係ない」ことがわかります。今のこの瞬間にしか存在しないということです。
 釈尊は、私たちが苦しむのは、不必要なことを考え、思い出すからだと言っています。考えても意味がないことは考えない、それが最も大事だというのです。
 過去を考えなければ地獄は生じません。心を気楽に保つためには「過去を思い出さない」のひとことに尽きるのです。
 将来は「思わず」が非常に大切です。考えることで将来への不安が生まれ、心配が強められるからです。将来への不安は、他人との比較が原因である場合が多いので「比べず」が重要なのだとわかってきます。
 何にもならない心配をして心を労するのは、ばかげています。そんな心配をしないよう、私は「思わず、思い出さず、比べず」と、毎朝、自分に言い聞かせています。
 思いだしても考え続けないことが、心を楽にする最も大事なことだと、私は思うようになりました。そこで、何かが思い出されたときは「五秒待てば必ず消える」を実践するようにしています。
 五秒の間は、思い出したことに取り合わないのです。すると、本当に嫌な思いが消えるのです。「五秒、妄想に手をつけないようにしよう」というのが、今の私の生き方です。
 釈尊は、私たちは無限の能力のある仏と同じ心を持っていると悟りました。能力を発揮できないのは、妄想、煩悩、欲望の雲が心を覆っているからです。この雲をできるだけ少なくするのが禅の修行です。
 
「禅は考えない修業だ」と言った人がいますが、まさにそうです。心を苦しめるさまざまな思いに満たされています。それを「考えない」「思いださない」のが禅の修行です。
 道元禅師は、座禅すると「宝蔵自開」するといいました。私たちの持っている無限の能力の蔵がおのずから開かれ、力を使うことができるというのです。何とすばらしいことではないでしょうか。
 私は毎朝、座禅しています。「心を正したい」「心を乱すことを考えない」ためです。
 私たちが「考えまい」「思い出すまい」とするのを邪魔するものがあります。いうまでもなく人間関係です。
 人間関係で大切な、他人への対し方は、他人の自分への対し方と合わせ鏡であるということです。
 人間は、自分を嫌う人を必ず嫌います。不思議なくらいそうなのです。ですから、人に好かれようと思ったら、こちらが好きになる以外にないのです。
 相手に親切にし、やさしくします。相手が反応しなくても、やめてしまってはいけないのです。こちらが思うように相手は変わらないからです。続けることです。続けているうちに相手の心は必ず開けます。
 あせるのはいけません。「なるようにしかならない」「時節がくればわかってくれる」と気楽に構えて努力すればいいのです。やがて事情が変わったり、理解してくれたりして、関係はよくなるでしょう。
 人間はどんなよい意見でも嫌いな人の言うことは信じません。つまり自分を信じてもらうには、まず好かれることが大切で、好かれるにはお世辞も大事だということです。
 人をほめることは非常に大事なのです。欠点は取り上げず、よいところだけほめると、人間関係をよくします。人は欠点を批判されると非常に傷つき耐えることはできません。
 私たちは意識せずとも、人の笑顔を見ると自分の顔もやさしくほころび笑顔になるのです。人は楽しい思いをしたいのです。明るい笑いがあることを望んでいるのです。
 ぜひ他人に笑顔で接しましょう。あなたが笑いかければ、それを見た相手は必ず楽しくなり、笑みを返すのです。
 私は、自分が欠点だらけだと思っていた頃は、自分自身が嫌いでした。同時に自分を批判しそうな人を嫌いました。その当時は、多くの人間関係がうまくいかなかったものです。
 ところが自分を好きになるように努力すると、他人の批判にもそれほど過敏でなくなり、嫌うことも少なくなって、人間関係が万事うまくいくようになったのです。
(
高田明和:1935年静岡県生れ、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て浜松医科大学名誉教授。専門は大脳生理学、血液生理学。医学博士。テレビやラジオ、全国での講演を通じて、心の健康に関する幅広い啓蒙活動に勤しむ)

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新学期の最初の学級づくりは、どのようにすればよいか

 学級づくりは、新学期のできれば三日間で組織してしまうとよい。これは、どれほど強調しても強調しすぎることはない。
 初めて出会った子どもたちは緊張して静かである。新しい担任、新しい学年に期待もしている。この時なら、担任のいうことを素直に聞く。この間に組織してしまうのだ。
 組織するとクラスの動きはスムーズになる。動き方、ルールが決まっているので、誰でもできる。ルールがないとクラスの動きがギクシャクして、いつの間にかクラスは荒れていく。学級を組織していく順序は
(1)
クラス目標の決定
 どのようなクラスにしていくか話し合い決める。クラスの合意を得る。むろん担任の考えを反映させてよい。
 教師がどのようなクラスにしたいのか、はっきりと心に描き、クラス全員のものにしなくてはならない。映像としてとらえられるまでに、具体化しなければならない。
(2)
目標をやりぬくためのしくみ、当番活動・係り活動を決める
 当番活動は給食当番とか、掃除当番とかで、毎日くり返される仕事であ。週ごとに順序が決められればよい。仕事の内容を明確にし、責任(班長、毎日交代でもよい)の所在をはっきりさせないと、だらしなくなる。 
 係り活動は、黒板係とか配り係とかいわれているものがある。仕事内容は当番に近い。このような係りは班ごとでも、一人一役割でもよい。
 クラス全体にかかわる本来の係り活動は、ゲーム係り、掲示係り、集会係りなど、文化・スポーツ・レクレーションが主たる内容となる。子どもの創意工夫・やる気・企画実行力などを育て、楽しい学級生活を実現することを目的としている。若い教師の腕の見せどころなのである。
 例えば「楽しいクラス」を目標とするクラスでは「集会係」「イベント係」などが大活躍することになるだろう。授業も、もちろん楽しいものにする必要がある。チェックし達成度を喜びあうシステムも必要だろう。
 目標を達成するには、子どもを動かすことが必要になる。教師はガキ大将のように、子どもを動かす能力が必要なのである。子どもを動かす原則はいくつかあるが、最も大切なことは「ほめる」ことである。
 どれほど小さな努力でも見のがさずに、ほめることである。ほめて、ほめて、ほめまくるのである。「努力」を認められ、ほめられる時は、心地よいものだから、人が動くのである。
(3)
責任の所在を明らかにする
 係り毎の長でもよいし、その日のできごとは日直が責任をもつということでもよい。当然ながら責任をもつ人は権限を持つ。その権限を保障するのは教師である。
(4)
活動をいつ行うかを明らかにする
 時間を保障しなければ、ことはすすまない。私の朝の会は三分、帰りの会は30秒である。
(5)
生活するうえでさまざまなルールを決めておく
 思いつくままでよい。新しく出たら、その時追加すればよい。クラス全員に伝える。
 この中で、最も大切なのは、担任としての挨拶と話です。
 学級経営の急所は、人間である教師が人間である子どもと、どのような絆をつくっていくかということなのである。人間と人間との絆をつくるのだから、相手を人間として認めることが出発点となる。
 教師は自分のクラスをすばらしいクラスにしたいと思う。一番いいのは、自分の得意な分野をまずやっていくことである。「良いもの」をとりあげると「良い結果」が出るようになる。
 私の趣味で取り入れた百人一首、これが実に好評だった。保護者にも感謝された。「五色百人一首」は一試合が三分でできる。すき間、時間にできる。「読み方」を録音しておけば、子どもだけでも熱中できる。
 教師に、絶対必要な心構えがある。それは、子どもを丸ごと受け入れるということである。包み込めるということであり、暖かく接することができるということである。
 
「ぼく先生なんか大嫌いだ」と憎らしく言う子どもも、受け入れ包み込まなければならない。これが教師の宿命なのである。子どもたちのすべてを受け入れ包み込み、そして更に「子どもの可能性を伸ばそうという努力」が重なったとき、子どもは別の表情を見せる。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる)

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いねむりをする生徒には、教師はどのように指導すればよいか

 いねむりの原因は十人十色です。教師はそれに合わせたいろいろな指導をする必要があります。いねむりの原因に合わせた対策と指導をつぎのように行います。
(1)
体調不良、寝不足、疲労が蓄積しているとき
 身体的原因です。教師は養護教諭の代わりに「少し休ませる」ゆとりを持ちます。五分ほど見守り「もしもし、授業中です。気分が悪いのですか」という簡単な注意と確認を行います。
(2)
どの教科でも、すぐにいねむりする習慣がついているとき
 他の教科の教師と連携するだけでなく、学級担任を通して保護者の協力を要請します。脳疾患を調べるように勧めたり、特別支援学級へ移すことも考えます。
(3)
授業や教師がつまらない、おもしろくない、わからないとき
 教師が反省し、授業を改善します。本当におもしろい授業なら、すべての生徒が集中します。
 最後に、すべてに有効な方法を紹介すると、教師が魅力ある授業を毎時間行うことです。教材研究に励みましょう。
 私の授業でいねむりをする生徒はまれです。机に伏せる生徒は決まっているので、その生徒を寝かせないピンポイント指導をするからです。個人的な悪行は、友だちに気づかれないように叱ります。
(
福地孝宏:1962年名古屋市生まれ、名古屋市立中学校教師。教育に関するHP開設し、実践で得た技術を紹介している。教師の悩み相談にも応じている)

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保護者との信頼関係を築くために、教師は保護者の期待にどうすれば叶えられるか

 保護者は、わが子のことを教師が目にかけてくれていると思うと、安心し満足します。子どもが話したい時に、教師がしっかりと傾聴すれば、子どもは満足します。
 
「先生は話しをよく聞いてくれるんだよ」という子どもの話を親が聞けたら「先生はわが子に真剣に目を向けてくれている」と満足します。
 保護者はわが子の心をわかって、うまく指導してくれることを望んでいます。子どもの心を理解するには、冷静に子どもの心を推測し、それを言葉にするようにします。
 いじめは何よりも予防が大事です。小さなトラブルを見逃さず、話を聞き、出来事を把握し、当事者が傷つかずに解決するようにします。先手、先手で保護者に上手に状況を知らせていくようにしましょう。
 教師はどの子に対しても平等に接していると思っていても、子どものほうはそう受け止めていません。保護者はクラスの中で「ひいき」があると子どもよりも敏感に反応します。
 解決策は、全ての子どもを特別扱いし「ひいき」にすることです。得意なことを認め、望んでいることを全員にしてあげます。
 そのためには、まず子どもの名前を何回も呼びましょう。「○○くん」と名前を呼んで話しかけます。何回も呼べば「ひいき」されているという思いが積み重なります。
 子どもの名前を呼んで、共に喜び、悲しみ、がんばりを励ます、そんなつながりを大切にします。「ひいき」をしたら名簿にチェックし内容をメモします。
 保護者は学校で子どもにルールやマナーを教えてほしいと思っています。いつまでもできないと「先生がしっかりしていないからだ」と思われます。教師はそのワザが必要になります。
 とくに挨拶をきちんとできるように指導することが大切です。動作をしっかり分けさせましょう。「挨拶の言葉」「しっかり頭を下げる」「頭を上げる」を、発声と動作の一つひとつを分けることできちんとした挨拶に見えるようになります。
 子どもは自分の言動を自分で見ることはできません。映像や写真に取り、子どもに見せます。こうして、見えることで自分の様子がわかります。
 ふだんは優しい教師が叱ると子どもは「ビクッ」として襟を正します。優しさと厳しさのギャップがあるからこそ、子どもの心に響くのです。
 叱る際には「きみはわかってくれるよね」と教師が期待していることを伝えます。自分のために叱ってくれる教師の言葉を受け入れようとします。
 
「ほめる」「叱る」「ほめる」で指導すると、期待されているから次はもうやらないという気になれます。
 子どもたちは学校でどのような学習をしているのか家庭で話題にしてくれません。しかし、保護者は関心を持っています。
 そこで、私は「学級通信」を毎日書いて、保護者に届けています。その日の授業中の様子、トピックを書いているので、私がどんな授業をしているか、保護者はよくわかってくれています。
(
城ケ﨑滋雄:1957年鹿児島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会、不登校対策教員として不登校児童と関わる。荒れた学級の立て直し、小学校教師として教育情報雑誌「OF」等で情報発信している)

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ゴミを平気で捨てたり、掃除をサボる生徒をどう指導すればよいか

 私は仕事上、荒れている学級をずいぶんと見聞してきた。荒れていると、教室内はもちろん廊下もトイレも例外なく汚い。だから、私は自分のクラスはきれいにすることを心がけている。
 ゴミを散らかすのは特定の生徒で叱っても「オレのゴミじゃない」と言いはり、らちがあかない。そこで私は次の年から、新しいクラスが始まったら「ゴミは必ず拾おう」などと言いながら二週間、黙々と拾い続けた。
 今度は、近くの生徒に「手伝って」と言って、一週間いっしょにやる。このこのろから「先生って掃除すきなのね」と言われる。そして、最後の仕上げとして「ハイ、○○くん、そこのゴミ拾って」などと生徒にさせる。
 やがて、机上から落としたゴミを拾ってゴミ箱にきちんと捨てに行く生徒も出てくる。 そこで、オーバーにほめる。「えらい! 落としてそのままにしないとは」
 約一ヶ月もすると、少なくとも自分が出したゴミは、自分で始末するという当たりまえのことが定着してくる。ゴミらしいゴミは落ちなくなったら、掃除は五分ですむ。
 ただし、掃除の目的を「生徒の活動」として位置づけるならば、このやり方は適切ではない。私の学級では「学級の約束7ヶ条」に掃除が入っている。掃除サボリは見逃さない。4月いっぱいはうるさいくらいに言う。
 
「掃除は地味な仕事です。この地味な15分程度の仕事ができない人が、もっと地味な勉強なんてやれますか。先生は、30年間で数千人の生徒を教えて、掃除をサボってばかりいるが、勉強はよくできたという生徒は、たったの3人しかいなかった」
 
「こつこつと掃除をやれる生徒は、やはり勉強もこつこつと取り組める人間になれるようだ」なかば、脅し文句のようだが事実だ。
 掃除のサボリの理由は「早く帰って、遊びたかった」「部活に早く行きたかった」がほとんどだ。単なるわがままに過ぎない。
 実際に掃除をやっているか確かめなければならない。ぶらぶらしたり、おしゃべりしてやっていない者、途中でいなくなり終わるころにやって来る者など、サボっているのと同じ子がいる。それぞれに応じて叱って見逃さない。
 したがって、サボリの翌日には、念のために理由を聞いて緊急事態以外は、罰の掃除を一週間させる。
 この指示に従わなかった生徒は、家庭訪問で親にも協力を仰ぎ、指示には従ってもらうことになる。もちろん、親には懇談会などでもその旨を伝え、合意を得ておく。
 教室はゴミだらけだが、掃除はサボっても叱られることもない。こんな学級ではまじめに取り組むのが、ばかばかしくなってしまうだろう。うるさい担任だなと思われても、見逃してはいけない。
 まずは、サボったりする生徒に好かれ支持されようと思ってはいけない。まず最初は、かなりいるはずのまじめな生徒たちに支持されるのが、一番大切なことだ。
 生徒指導も学級指導も、まずまじめな生徒に支持され、次にその周辺の集団に広げる。そのためには、サボる生徒を見逃さないようにしなければ、まじめな生徒たちは誰も教師を支持しないだろう。
 以上を揺るがさずに基本にしていれば、学級全体が荒れることはない。
(吉田 順:1950年北海道生まれ、元横浜市公立小中学校教師(37年間)。生徒指導部長、学年主任を歴任。「生徒指導ネットワーク」を主宰。生徒指導コンサルタントとして全国の「荒れる学校」を訪問し指導方針づくりに参画。講演、著述、相談などの活動をしている)

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4月の新学期の一番最初に子どもに語るとよいこととはなにか

 4月の新学期のはじめに学級の子どもたち全員と「よいクラスにしよう」と誓い合います。しかし、1年間でさまざまなトラブルが生じるでしょう。その時にこの誓いを思いださせるのです。自分たちの行為について振り返るきっかけになります。
 例えば、担任が
「今日から、このクラスがスタートします。さて、はじめにみなさんに確認しておきたいことがあります」
「それは、あなたたちは、どんなクラスにしたいか、ということです」
「誰か考えはありませんか?」
子どもたちから、例えば「いじめがない」「男女の仲がいい」「明るい」、いったことが出されると、担任が板書していく。
担任が
「全員起立」
「では、今、黒板に出そろったような『いいクラス』にしよう!」
「そのために力を貸してくれるという人は座ってください」(子どもたち全員が座るはずです)
「さあ、みなさん、教室を見渡してください。全員が『いいクラス』にするために力を貸してくれるとのことです」
「先生は、そんなすばらしい皆さんと出会ってとっても嬉しいです」
「1年間、頑張っていきましょう」
 この指導は年度はじめに、やっておくことをおすすめします。実はこの「いいクラスにしよう!」と誓い合ったことが、この先、子どもたち自身を「追いつめていく」ことになるのです。
 例えば、しばらくして誰かが悪口を言った場合に
「きみは、年度はじめに何と誓ったのですか?」
「今回のきみの行為は、いいクラスをつくるために役立つと思いますか?」 
「思わないのなら、どう責任を取るのですか?」
「口先のきれいごとなど聞きたくはありません」
と厳しい指導を入れることができます。
 子どもたちにとって「自分たちで価値観を確認」しておきながら、それを破ることは「うそつき」になります。
 子どもが自分のよくない行為を振り返って反省できるようになります。
(
土作 彰:1965年大阪府生まれ、奈良県公立小学校教師。授業のネタを収集、何かが足りないと気づき、深澤久氏の学級を参観し衝撃を受け教師に必要な哲学を研究。学級経営を成功させるには「知的権威の確立」「リレーション」「社会的手抜きの駆逐」の3要素が必要という「学級づくりの3D理論」を提唱し実践している。日本教育ミニネタ研究会代表、学級づくり改革セミナー主催)

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わが子の言い分だけをうのみにする保護者には、どう対応すればよいでしょうか

 子どもの言い分だけを一方的に聞き、教師の話は聞かず「学校を信用していません」と言って学校を批判する。
 これまでに、学校や担任の問題処理の対応について気にさわることがあったのだろう。また、過去に苦い体験に根ざしていることが多い。不信感は容易には消し去れない。
 学校での情報は、子どもを通してのみ伝え聞くことになるので、学校に対する不信感を抱かれることはよくある。学校の事は子どもを通じて知るわけだから、子どもが「学校は楽しいよ」「先生が好きだよ」などと家で話してくれればしめたもの。
 まずは、担任がこの子と仲よくなることからはじめる。よく観察すれば、きっとよさを持ち合わせている。当番の仕事ぶり、係活動でのアイデアや特技など。ほめることがなければ仕事を与え、成功させて「よくできたね」とほめる手もある。
 連絡帳に「今日はこんないいことがありました。話を聞いてあげてください」と書いて持たせる。わが子をほめられて文句を言う親はいないはず。
 回数を重ねると、きっとよい反応が返ってくるから、そのとき、ゆっくりと親と子育てについて話し合うようにする。
 批判を受けとめるのは苦しいが、反論するのは控えて、保護者の不満を聞く。相手の要求がなんなのかをしっかり見極める。
 
「わが子かわいさのあまり周囲が見えなくなっているだけ」と考え、その愛情を肯定的に受けとめた言動を心がけたい。保護者も認められることで、かたくなな態度も少しは柔らかくなっていくはずである。
 保護者の不信感が薄れてきたら、今度はよい広い視野で子どものことが考えられるよう、学級の保護者会に参加をうながす。
 テーマを決めて話し合い、子育ての情報交換ができれば、保護者同士の視野も広がり、教師にとっても勉強の場になるので、一挙両得であろう。
(
小川 悟:1963年神奈川県生まれ、神奈川県公立中学校教師。「日本群読教育の会」常任委員)
(
福島宣秋:岐阜県公立小学校教師)

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授業や学級経営がうまくいっていないとき、どうすれば改善できるのでしょうか

 ともすれば、子どもに多くの知識を与え説明し、さまざまなものごとを覚えこませるのが授業であると思われがちです。
 教師の人格は授業において言葉や態度から、まなざし、後ろ姿といった、しぐさにおけるすべてを通して子どもに伝わります。授業を通して子どもに伝わるものは、私たち教師の人格そのものです。
 授業の内容と、その授業を行う教師の人格とは表裏一体です。どうすれば子どもに伝わるかということを、真剣に考えている教師の豊かな人格が伝われば、必ず子どももわかる授業になります。
 教師は人格を磨き、幅広い知識と豊かな人間性を身につけなければ、子どもたちを磨くことはできません。
 教師に必要な力とは、どういう力なのでしょうか。授業や学級経営がうまくいっていないと思ったら、つぎのことを確認してください。うまくいってないときは、そこに自分の弱さがあるのだと思います。
(1)
子どもの心を動かす力がある
 子どもに自分から動いてもらうためには、教師は子どもの心を動かす話術が必要になります。そのためには、どれだけ感動する話を持っているかが重要です。感動する話は、実際の人物の例を挙げていくのが一番いいと思います。新聞、雑誌、本などからもたくさんネタがあります。
(2)
子どもの心をつかむ力がある
 授業は、出だしの5分間がすべてを決めると言っても、言い過ぎではありません。動機づけがとても大切です。子どもの心をつかむかどうかで、授業のよし悪しが変わってきます。
 教室に入るときは「おはよう」と明るく、大きな声で入ります。笑顔と気合いの入った顔で入ります。やる気のない顔で、暗い感じで入ったら、それだけで授業はダメになってしまいます。
 私は絶対に話をしてから授業に入ります。導入は教師の人格が一番表れます。
(3)
子どもを認める力がある
 教師は常に子どもを認めていなければいけません。子どもも自分が認めてもらえると安心して、初めて教師という人間を認めるのです。
 人は自ら伸びていこうとするものです。それを認めてあげなければいけません。教師は子どもが自分なりの生き方を見つけられるためにサポートをしてあげるのです。
 カウンセリングのコツは、子どもの言うことを承認して、オウム返ししてあげることです。子どもが自ら考え、自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
(4)
子どもをほめる力がある
 子どもに「わかる喜び」があると勉強しようとします。その「わかる喜び」は、ほめ方しだいで倍増します。
 例えば、子どもが正解して「はい、正解です」と言われるよりも「すごい、この問題は相当難しいんだよ!」と言われたほうがうれしくなるでしょう。私はそれを必ずやります。
(5)
子どもをフォローする力を持つ
 子どもが答えを間違えたら必ずフォローが必要です。子どもは自分の存在を認めてもらえるとうれしいのです。例えば、
教師「Aさん、この問題はどうですか?」
Aさん「わかりません」
教師「Bさん、この問題はどうですか?」
Bさん「○○です」と正解
教師「Bさん、よくやりましたねえ!」「Aさん、わかった?」
とAさんに戻ってフォローしてあげなければいけません。「Aさん、わかった?」があるだけで、自分のことを構ってくれていると思えるのです。
(6)
子どもを励ます力がある
 教師は子どもを「怒って動かす」のではなく、子どもが「自ら心を動かせられる」言葉、「子どもを信じ切る」言葉を、私たち教師は持っていなければいけません。
(7)
あきらめない情熱 前進する力がある
 教師に必要なことは、たっぷりと子どもに愛情を注いで、しっかりと向き合って、ひるまないことです。
 以前「とても怖くて、あの子には話ができません」と言ってきた新任の教師がいました。それを聞いて、厳しいと思われるかもしれませんが、私は
「じゃあ辞めてくれ。子どもと向き合えなかったらダメだ。ひるんであきらめるようだったらダメだろう」と言いました。
 子どもと向き合えなかったら何も始まりません。ひるんだり、見て見ぬふりというのは、教師として最もやってはいけないことです。
 絶対にひるまない、絶対に向き合っていく、そのためには私たち教師が決してあきらめないことです。いったん逃げると逃げくせがつきます。人を教え、育てるのに平たんな道などありません。いくつもの険しい山がそびえたっています。
 しかし、目の前にある山を登りきると、そこにはそれまでに見たことのない景色が広がっています。山を越えた分だけ、いろんなことがわかってきて、いろんなことが見えてくるので、進んでいく道を切り拓いていけるのです。
 子どもが伸びていくには「やればできる」と信じて、あきらめさせないことが大切です。そのためには、教師自身も、子どもに対してあきらめてはいけません。子どもが逃げたくなるときにサポートしてあげるのが私たち教師です。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)

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笑いが出る楽しい授業をするには、どうすればよいでしょうか

 有田正和は講演会の冒頭でよく「1時間の授業で、一度も笑いのない授業をした教師は、授業終了後、ただちに逮捕する」と、よく言っていた。
 有田は、ユーモアというのは「対応の技術」だと考えている。「子どもが何かいったとき、かんはつを入れず面白い対応ができること、これが本当のユーモアではないだろうか」と述べている。
 有田自体、ユーモア小話だけで本を何冊も書けるほど面白いネタをいくつも持っている楽しい人なのだが、決して自分が主役になろうとはしない。授業における「笑い」の主役は、あくまでも子どもである。
 有田の有名な実践であるバスの運転手の授業記録の一部を紹介する。
教師「バスにはタイヤが何個ついていますか」という発問の後の授業の様子である。(「社会科発問の定石化」明治図書・8182ページ)
子どもA:「前に1個に、うしろに2個」
教師(有田):「Bくん、起立。これはどちらが正しいですか?」
子どもB:「8個」
子どもC:「それじゃスピードが遅くなるんだよ」
子どもB:「6個だ、6個。えーっ、待って。だって、後ろに4つに、前に2個だもん」
教師(有田):「うそばっかり」
 授業の核となるBくんに話をふり、さらに「うそばっかり」と挑発する。この一言でBくんはヒートアップ、他の子どもたちからは笑い声、参観者は大爆笑となったであろう。
 この場面、シンプルにまとめると「ある子にネタをふって、その発言につっこむ」ということになる。
 まず、話を誰にふるかがポイントになる。有田氏は、ここで、話を盛り上げてくれそうな発言をするBくんを指名している。
 しかも、このBくんは、けっこう打たれ強い。だからこそ「うそばっかり」というようなツッコミができる。
 これは、クラスの子どもたち一人ひとりのことをしっかり把握しているからこそ、できることである。
 
「対応力」を磨くことは、一朝一夕で身につくものではないが「あの子は発想が面白い」とか「打たれ強い」など、クラスの子どもたちのことを理解することは、やる気さえあれば、ある程度はクリアできる。
 そして、その上で 「教師は笑顔で授業を行う」
 気の利いたツッコミはできなくても、笑顔で子どもたちの言動に対応することは、意識さえすれば誰にでもできるはずである。
 教師の笑顔は、子どもたちも笑顔にする。「授業は楽しいものだよ」ということを教師は表情でしめさなくてはならない。スマイルは教師の義務だと有田は考えている。
 これは技というより、人間性といった方がよいだろう。ネクラからネアカな人間になる。これも教師の義務であると考えている。せめて子どもの前だけでも教師はスマイルを絶やさないようにしたいものである。
 有田が見た名人や有能な教師はみんな笑顔がすてきである。スマイルのある教師の授業は、やわらかく、暖かく、子どもたちものびのびと学習している。
 授業は子どもがわからない状態から、わかるようにすることです。私は授業をするとき「今日、子どもと何で勝負しようか」と考える。おもしろい授業をするには、「何で勝負するか」ということを、第一に考えよう。
 有田の場合は、一人か二人の子どもをターゲットにして、その子をこの一時間で
「学習意欲を引き出す。学び方を教える。見えない(わからない)ものを見える(わかる)ようにする」
ことを、どうやって引き出していくかを考える。
 ですから、授業を考える時に、まず、子どものイメージをつかんで、見えないものを見えるようにする。そのプロセスで学び方をつけ、学習意欲を引き出していくわけです。やっぱり子どもたちをベースにして、教材はあくまでも手段です。目的ではありません。
 楽しい授業の一番大事なのは、厳選された教材で学び方を育てる。しかも、子どもたちがとことん追求するような、意欲を引き出す。
 そうするには、やっぱり子どもたちが追及する材料を、子どもたちを予想して、これなら追究するだろうというような面白い材料を準備するということが必要ではないかと思います。
 「笑いを持ち込むと教室の空気がゆるんでしまう」「笑わせたら子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。ユーモラスな話をすれば、子どもは身を乗り出して聞くはずです。子どもたちに集中力や注意力、学ぼうというエネルギーがうまれるのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメでで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要があります
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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若い教師が保護者に信頼されるには、どのようにすればよいでしょうか

 子どもをよりよく伸ばすために、家庭訪問は重要な仕事です。私の学校では五月に行います。各家庭には十分間くらいしかいられないのですが、計り知れないほどの収穫があります。
 その家庭の雰囲気と、保護者の考え方や性格などが感じられます。こういう人だからこういう子なんだと妙に納得するところがあります。子どもの家庭環境を知ることで、生活指導がとてもやりやすく感じられます。
 親の顔を覚えることはとても大切なことです。何かのおりに「○○さん」と名前を言って話をすると、もう覚えてくれたのかと、うれしそうな顔になります。教師に対する好感度が増すようです。
 親と仲良くなり、教師に親しみや信頼関係を持っていると、何かにつけて意思の疎通がよくなります。問題行動が起きたときでも、そんなにこじれないで解決することができます。
 参観授業はふだんの授業よりも力を入れます。安心して私に任せられるというような信頼感を持ってもらえないと困るからです。
 親たちに、自分の指導状況を認めてもらわなければ、信頼関係がくずれてきます。「あの先生は教え方がうまい」「やさしく教えている」「きちんとしつけている」「授業がしっかりしている」「あのくらい厳しくてちょうどよい」などという、プラスの評価を得なくてはいけません。
 参観授業は、全員の子が発表でき、どこかしら、その子のいいところがアピールできるような授業にします。毎回違う教科を見せるように計画していきます。その方が教科によっても得意、不得意のある子どもたちの姿を、違う面から見せることができるからです。
 授業参観後の懇談会では、生活、学習内容について話します。私は話すことが好きなので、いろいろな話題を提供します。
 おもしろくなくては、話を聞いてもらえないと思っているので、笑いの中に事実を入れて話していきます。私の子育ての失敗談などを交えておもしろおかしく話をします。
 子育ては楽しいという話にもっていきます。毎日親がきちんとやることが、子どもによい影響をもたらす。早く寝させて早く起こし、朝食をきちんと食べさせ、学校に送り出すことが大事な役目だと話します。
 成績だけで右往左往するのではなく、きちんとした家庭生活から、落ち着いた子どもが育ってくる。親が疲れた態度を見せたり、気分屋であったりしては、よい子にならないと話します。
 懇談会で話をすることに自信がなく心配なら、話す内容を話ことばで台本を書くといいですよ。
 私なら参観のお礼を言って「今日の学習のねらいは○○でした。それを達成するためにこういう手だてをしました。行き届かなくて申し訳ないのですが、これからも精一杯、指導していきますので、よろしくお願いします」と。
 次に、教室での子どもの様子を楽しそうに話しましょう。いいことをたくさん話し、直してくれたらもっとよくなると思うことを少なめに話すとよいと思います。
 懇談会に参加した親には、その子のいいところを必ず見つけて話します。懇談会に参加してもらった親への私なりの感謝の気持ちです。
 そのとき、教師へのクレームがでることもあります。そんなとき、あわてずに謙虚に意見を聞きましょう。けんか腰にならず、卑屈にならず、誠実に対応しましょう。その話している様子を見ながら、保護者は品定めをしているのです。
 口には出しませんが、たいていの親は新任教師を危ぶんで見ているのが普通です。だからこそ誠実に受け答えするのです。
 内容が手に余るものでしたら「今ここでは詳しくお答えできませんので、校長と相談して返事申し上げます」と言って、懇談会後に事後処理をした方がかえって信頼感を増します。
 親は、毎日子どもから、教師の言動を聞いています。子どもが教師とうまくいっているなら何も言いません。そんなものです。子どもとの日々の学習や生活を充実させているならば、ちっとも保護者は怖くありません。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)

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学級が荒れたり崩壊しないように、注意や叱責するにはどうすればよいか

 教師は子どもの行動が著しく集団の規範を逸脱したとき、他の子どもを傷つけているときは、毅然と注意や叱責をすることが必要不可欠です。
 注意や叱責をした結果、子どもが自分の考え方や行動の問題に気づき、自らそれを改めようとしたかということが大事なのです。
 したがって、注意や叱るときの前提は、
(1)
子どもや学級集団のプライドを傷つけない
(2)
注意する場面や時期、時間を工夫する
(3)
問題となる点を十分に説明し理解させる
(4)
結果ではなく、その問題がおこった過程に注目させる
(5)
自ら変えることができる行動や態度を具体的に確認する
(6)
この失敗を次にどう生かすのかという問題解決型にする
 そして、教師の注意や叱責が大きな効果をあげるためには、教師と子どもとの信頼関係が必要です。信頼関係があれば、自分たちのために先生は注意してくれているんだと感じ、教師の注意から新たな行動や考え方を学んでいくのです。
1 学級集団全体に対して注意する・叱る
 子どもたち一人ひとりが自分の問題ととらえられるようにすることが大事です。 
(1)
注意や叱責で子どもを動かそうとしない
 注意や叱責で子どもを動かそうとしている教師は意外と多くいます。
 最初は教師の注意が怖くて、注意されたことに従うことが多いでしょう。しかし、それは新たな行動や考え方を獲得したのではなくて、教師の怒りを収める対応にすぎないので、子どもは同じような行動を繰り返します。
 そして、子どもは教師の注意や叱責にだんだんとなれてきます。したがって、注意で子どもを動かしている教師は、だんだんと自分の指示が通らなくなってくるのです。これは学級崩壊で苦しむ8割近くの教師が陥る盲点です。
(2)
子どもの不安の強さに応じた注意をする
 注意はすべての子どもに同じように受け取られるわけではありません。平気に子どももいれば、委縮する子どももいるわけです。したがって、不安な子どもがその内容を理解できるレベルがいいのです。
(3)
あらたまった態度や場合を設定して注意する
 子どもは教師の注意や叱責には徐々になれてきます。子どもたちは教師の注意を聞かなくなります。あらたまった場面設定や注意の仕方が必要です。
(4)
注意や叱責は短く簡潔にする
 注意されるのは嫌なものです。したがって、教師は注意する目的をしっかり定め、その方法を吟味し、簡潔に伝えることが効果的です。
(5)
気の緩みのミスは注意し、自主的な試行錯誤の失敗はその原因を分析させる
 怠慢やさぼりから起こったミスは、なあなあで済ませると、学級のルールが崩れてきますから、小さなことでもキチンと指摘し、注意することが大切です。
(6)
子どもたちが気づかない問題は、質問や例え話をして考えさせる
 学級内で、子どもたちが意識せずに行っていることがあります。例えば、特定の子を見下したような対応をほとんどの子がとっている雰囲気が学級のなかにできてしまっていることがあります。
 これをみんなの前で注意すると、その子が惨めになります。したがって、例え話や一般論としてみんなに考えさせるようにすることが大切です。
(7)
叱責の内容に教師の感情をつけ加える
 教師が冷静に叱責したあと「先生はとてもかなしかったな」と、自分の感情をサッとつけ加えることで、その内容が子どもたちの心に強く刻みつけられるのです。
(8)
いじめは、厳しく、長々と説教し、最後にポイントをまとめ復唱させる 
 弱い子をいじめているような現場を見たときは、教師はその場で強く注意し、一人の人間としての怒りを前面にだすことも時として必要です。厳しく長々と説教します。
 子どもたちは、最初は教師の剣幕に驚きますが、そのうちあきてしまう子もでてきます。このような場合は、教師が言いたかったこと、次の指導につながることを三つくらいにまとめ、子どもたちに復唱させて終わります。
 例えば「A組をいじめのないクラスにする」「いじめの場面をみたら必ず注意する」という具合です。これをしないと「先生がキレた」だけで終わってしまいます。
(9)
注意したあとは、単純作業をはさみ、作業後は気持ちを切り替えて対応する
 注意や叱責をしたあとは、教師も子どもも気まずいものです。このような場合は、お互いの気持ちを変に伺おうとすると、余計ぎくしゃくします。
 そこで、子どもが一人で作業ができるドリルなどを30分くらいやらせるのです。作業しながら、子どもは先ほどの教師の注意について考え、心に定着させていくのです。教師も落ち着きを取り戻すことができます。
 その後は、その問題に言及しないで、授業に取り組むようにするわけです。
2 個人の子どもに注意する
 教師の感情を逆なでするような発言をしたり、教師をバカにしたような態度とるような子どもが学級に何人かいます。このようなときは、事前に対応する言葉がけを身につけておけば、感情的になることを防ぎ、子どもに教師がまきこまれるのを防ぐことができます。
 こういった子どもには、少しずつ時間をかけ、関係の修復につとめることが必要です。その子が落ち着いているときに、日頃の不満を聞いてあげるなどの対応が求められるのです。
(1)
注意するタイミングと場所、時間を考える
 自分の行為を棚に上げ、教師に反発してしまうかもしれません。注意するときは、タイミングと場所、長さをその子どもに合わせることが必要なのです。
(2)
注意するときの子どもの抵抗を軽減する
 子どもが教師の言葉を素直に聞くよう、最初に子どもの反発を少なくする関わりが大切です。例えば「きみも気づいていると思うが・・・・」という具合に前置きし、いきなり叱責しない配慮が必要なのです。
(3)
注意する内容のは現在の行動や態度だけにする
 掃除をサボっているのを見つけて注意したとき、以前の問題をひっぱだして、追い打ちをかけるように叱ってしまう。これでは子どもは逃げ場のない状態に追い込み、人間性を否定された感情を子どもに持たせてしまう。
(4)
フォローの仕方も計画に入れて注意する
 注意のあとのフォローは、子どもたちの感情の高まりを静め、どう行動すべきか考え行動に移す意欲を喚起します。その子のプライドを高めるような言葉も効果があります。
(5)
注意するのは、あやまらせるためではなく、今後どうすればよいかを確認する
 注意して、あやまらせても、子どもは同じことを繰り返してしまいます。どのように取り組めばよいのかを考えさせ、確認することが必要なのです。
(6)
教師に反発する子どもへの対応方法を持つ
 教師に反発し感情をぶつけてくる子どもに対して、事前に対応する言葉がけを身につけておけば、教師が感情的になることを防ぎ、子どもに教師がまきこまれるのを防ぐことができます。
 まきこまれそうになったら、それを一旦切る言葉がけや対策を事前に決めておくことです。例えば「これ以上話していたら、先生も本気でキレちゃうから、あとは昼休みに相談室でじっくり話しましょう」という具合に、その場を一旦収めてしまうのです。
 間をおくことによって、お互いの感情の高まりを静めるわけです。時間をおいて、じっくり話すのです。こうすれば、教師も子どもも感情的になるのをおさえられます。
 相談室では、子どもに最初にどんどんしゃべらせます。その後、具体的な事実を提示し、そのことについて認めさせます。そして、対応策を教師がいくつか示して、そのなかから選ぶようにさせます。最後にその内容を復唱させて、終わりにします。
(7)
聞く耳を持たない子
 聞く耳を持たない子は、教師がそばに寄り、感情面を中心にトーンを落として淡々と語ってあげます。最後に「きみはどう思う」と質問します。返事がなかったら「先生の言ったことを考えてね」と伝えます。
 反応がないからといって、注意を怠ってしまうと「Aくんは、何も言われないじゃないか」と、問題を起こした子どもに注意しずらくなります。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者からのイチャモンには、どのようにすれば打開できるか

 「よく問題のある教師のところでイチャモンは起きやすい」という人がいます。しかし、それは完全なまちがいです。
 じつは、数多くの事例を集めてきて言えることですが、ある日、突然のように降りかかります。しかも、経験豊かで教師としての力量も高い人にも起きることもあります。
 したがって重要なことは、だれにでも起きうる問題であるとの自覚を、すべての教職員が持つということです。そして学校全体でコトに当たるという姿勢を貫くということです。
 なぜ、あの保護者はそうまでしてこの教師を追いつめるのか、という本質を見抜くためにも共同性は不可欠です。
 イチャモンを教師一人で背負い込む状況は、私が調べたなかでも相当数あります。ほとんどの場合は自信喪失と孤立無援のなかで消耗して、やがてはツブれていくことになります。
 私はやはり「一人で背負い込まないで、徹底的な情報の共有と、事実の確認、そして共同でコトにあたるという姿勢しかない」と残念ながら言わざるを得ません。
 保護者対応の難しさに追い込まれると、そのことにかまけて子どもの教育が二の次になっている場合が少なくありません。
 極端なことを言えば、子どもたちから確実な信頼を勝ち得ていれば、保護者対応の勝負は勝ちなのです。
 教師の値打ちは、何をおいても子ども対応(教えること、学ぶこと)で発揮されるのです。教育の顧客は親ではなく子どもであるという、ごく当たり前の基本につねに立ち返れるかどうかです。それを見失った場合に起きるとも言えます。
 当たり前のことですが、保護者はわが子がどのようにあつかわれているかに最大の関心を持っています。担任がわが子のことをじっくり見てくれているという安心感があれば、多少のトラブルは、すぐに解決に結びつくことが多いと思います。
 子どもと教師が接する時間が減れば減るほど行きちがいが発生する可能性が高くなります。また同じように忙しい保護者と子どもの間にもズレが生じるでしょう。それは教師と保護者のズレにもなります。
 教師が子どもと触れ合う時間が減少すればするほど、イチャモンは反比例してふえる。これは、私が2000ぐらいの事例を集めた結果いえる大原則です。
 もし、子どもと教師が接したり話したりする時間があれば、かりにトラブルが生じたとしても、それが大きくごじれることはないと思います。
 多くの事例を集めるなかで、ほぼ見えてきた一つの重要な原則があります。それは「ホンネや願いは、多くの場合にはイチャモンという形態で現われることが多い」ということです。 
 一見すれば、学校側にとってはイチャモンと感じられる苦情であっても、じつは親としての「思い」や「願い」が背後に透けて見えることも多くあります。そのツボをおさえて対応すると、かなり異なった反応となっていくことが多いように思います。
 校内研修会で、よくある質問が「保護者からの罵声や、一方的な主張に対して、どのような姿勢で聞いたらいいのですか?」という質問です。
 私は「そうですね」という肯定に近い相づちではなく「そうですか」と返答することが大切ですと答えています。
 
「そうですか」「そうなんですか」は、相手の主張を否定せずに聞く言葉です。その親の子どもを思う気持ちを受け止める共感の言葉ですが、すべてを認めたものではありません。
 いったん引き取って、何が事実で、何が感情的な思いなのかを区別して整理するためにも、必要な応答の仕方だと思います。
 私はいろんな事例を全国各地から集めていますが、だいたい事例の95%は当事者の努力んとかなるケースと思います。
 しかし、当事者だけではどうにもならないケースがあるのもたしかです。初めから対決姿勢で言ってくるものもあります。バックに指南役がいるのではないか、と思うケースもあります。
 背後にプロの存在が感じられたときには、絶対に手を出さないで下さい。そこは徹底的にプロの市町村の顧問弁護士に任せるしかありません。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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子どもが問題行動を起こしたとき、保護者にどう連絡すれば協力が得られるか

 授業中、立ち歩いて他の子どもの勉強のじゃまをする。友だちに暴力をふるってケガをさせる。暴れて窓ガラスを割ったりするなど、問題行動を起こす子が増えています。
 何か起これば、すぐに「家に連絡する」などと脅すような指導は避けましょう。子どもとの信頼関係が崩れ、状況が悪化する危険があります。
 子どもとの信頼関係が悪化すれば、当然、保護者との信頼関係も崩れていきます。
 問題行動を起こした子どもに対して、教師は「どうしょうもない子」「困った子」とレッテルをはりがちです。そんな教師の気持ちは保護者に自然に伝わるものです。
 問題行動を起こす子どもを非難したり迷惑に思ったりするのではなく、なぜそんなことをしたのか、どうすれば改善されるのかという思いで対応することが大切です。
 学校で指導するのはもちろんですが、周囲に迷惑をかける行動には、保護者に連絡して協力して対応する必要があります。
 保護者に伝えるとき「こんなことをしました」とだけ伝えるのでなく、子どもにちゃんと理由を聞き、その理由を保護者にも伝え、学校側の対応が必要なら、それも考えていくようにしましょう。そのひと言によって、保護者は教師に協力しようと思うものです。 
 子どものことを真剣に考えているという気持ちが伝われば、保護者も教師を信頼し、教師の指導を受け入れて協力してくれるはずです。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる) 

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一流の教師と二流、三流の教師とは、なにが違うのか

 最近の教師は、保護者からもやられるので、横着な人は少ないと聞いている。でも、校長にたずねると「いますよ」と必ずいう。
 若い教師の勉強会に招かれ、授業をし講演をした。子どもたちも楽しく授業にのってくれた。すべてが終わり、主催者のA先生の挨拶を聞いて驚いた。私は発言を求めてつぎのように言った。
 
「今、A先生は『学ぶべきものは何もありませんでした』と言いました。私の勉強不足は認めます。だから学ぶべきものはなかったのかもしれません」
 
「しかし、授業は『見る人の実力ほどにしか見えない』のです。実力があれば、新採の先生の授業からでも学べます。見る人、聞く人の実力によって、見え方・聞こえ方が違うものです。このことを考えてほしいのです」
 
「私の授業のよくなかったことのいいわけではありません。本当のことをいっているのです。今日は、大変申し訳ありませんでした」
 A先生の年齢は3639歳の間であった。この年齢の教師は、どうしてこんなに不遜になるのだろうか。3639歳以外にも、不遜な教師はいくらでもいる。ただ割合からいって多いので、すぐに年齢がわかるのである。
 思いだすのは大村はま先生が書いていた「おしゃか様の指」(『教えるということ』共文社)という話である。おしゃか様が天から人間の世界を見ていると、一人の男が荷車を引いて歩いていて、ぬかるみにはまってしまったのが見えた。困った男は一生懸命、引いたり、押したりするが荷車はびくともしない。
 誰か人が通りかかるのを待つことにしたが、いくら待っても誰一人通らない。おしゃか様は、男が人にたよらず、自分の力で何とかぬかるみから荷車を引き出そうと決心したのを知ると、見えない指で、荷車をちょっと押してあげた。
 もし、おしゃか様が「わたしが押してあげたのですよ」といえば、男は、次にこういう困ったことが起きたとき「おしゃか様が助けてくれるのではないか」と、他人にたよる心が起きるだろう。だからこそ、おしゃか様はだまって、見えない指で押してあげたのである。
 私たちは「見えない指」で押されて生きているのである。それに気づくかどうかである。
 一流の教師は、子どもに「自分一人の力で育ったのだ」と思わせることのできる教師である。二流、三流の教師は「先生が教えてあげたから合格できたのだ、成長できたのだ」と恩をきせる教師である。「学ぶべきものはなにもない」という教師も、一流とは言えないだろう。
 子どもが困っているとき、ぐっとがまんして、手を出さないことが本当に子どものためになるのである。野球の選手でも「さよならホームラン」を打ったのに「チームのみんなが打たせてくれたのです」とか、○○賞をもらったとき「ぼく一人がもらったのではなく、チームがもらったのです」などという人がいる。
 これを聞いて「これが一流選手なのだなあ」と思う。二流、三流選手は「ぼくが打ったから勝ちました」「ぼくが投げたから勝ちました」などという。
 一流のお母さんは、子どもに「自分一人で育ったのだ」と自信を持たせることのできる人である。「私がいう通りにしたから成長したのだ」などとはいわない。
 教師でも、お母さんでも、一流になると、すべてわかっているのに「どうしたらよいだろうね」と、子どもに考えさせたり、気づかれないように目に見えない手で支援しているのである。
 
「そんなこともわからないの」と、教えてしまうのは、二流か三流である。
 私たちは、子どもが困っていると、すぐ手を出して助けたくなる。そこをぐっとがまんして、子どもに困難を乗り越えさせることが大切なのだ。
 あるお母さんから「うちの子は、先生に出会ったから今があるのです。ありがたいことです」といわれたことがある。
 
「それは、私の方がいいたいことです。子どもは、このようにして困難を乗り越えるのだ、ということを教えてくれたのはお宅のお子さんですよ」
 
「お宅のお子さんと出会って本当に幸せだったと感謝しています」と申し上げたことがある。今も全く同じ気持ちである。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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授業を楽しく安心できる場にするには、どうすればよいでしょうか

 推測し想像しながら、みんなで発見していくような授業は、子どもたちも大好きです。いっけん、学習意欲に欠けているかのように感じられる子どもたちが、目を輝かせて学習する事実に、私たちは着目していかねばなりません。人間はそもそも深く考えることを好む動物なんだ、とあらためて思います。
 子どもたちは、学習を拒否しているのではないのです。知的好奇心が高まり、未知の世界との出会いがあるような学習には、むしろ飢えているのです。
 学ぶ意味や価値がわからないような、機械的な練習や、苦役だけが要求されるような学習を拒否しているのにすぎません。
 学級の友だちと対話・討論し共同で学ぶことで、一時間前には想像もできなかった世界と出会うことができる。自分も賢く人間として豊かになってきている。この実感の積み重ねこそが「何のために学校に通って学ぶのか」という問いにこたえる、道ではないかと思っています。
 共同の学びを豊かにしていくには、教室になんでも言える自由な雰囲気が不可欠です。そのためには「失敗」や「間違い」に対する教師や子どもたちの態度が問われることになります。教師だけでなく、子どもたちが豊かな「間違い観」を育てていくことは、学習にとって不可欠です。
 
「間違い」が、物事の本質をとらえていく上で、どんなに重要かを体験する必要があります。なぜなら、多くの子どもたちは「間違い」は恥ずかしいことであり、無意味なものだと考えているからです。
 
「間違い」が事実の断片であるならば、それをつなぎ合わせ関連づけていけば、物事の全体像が浮かび上がってくる。例えば、縄文土器のかけらをつなぎ合わせていくと、ほぼどんな土器だったかは推定できるようになるのと似ています。
 そういう意味では「間違い」は、物事の本質にたどりつくための「入口」であり、認識を深めていくうえでなくてはならないものです。共同の学習の中での「間違い」は、物事の本質をとらえていくうえで重要な役割を担うものです。こう考えてくると、子どものどんな発言も貴重なものになります。無駄なものはひとつもないのです。
 教師が一人ひとりの子どもの発言に心底耳を傾け「間違い」を大事にすることで、学習はプロセスのあるものに転換していきます。
 何でも自由に発言できるようになれば、自分の思いや考えを率直に語ることができるようになります。すると、当然のことながら、対立・討論も起こります。学習はいっそう深まっていきます。
 
「正答主義」の学習では、正しいかどうかを判断するのは教師です。共同の学びでは、そうはいきません。子どもたちが集団で思考し、共感や批判、納得を通して本質や真実に迫っていきます。
 教室に自由な雰囲気をつくるためには「間違い観」とともに、子どもたちがリラックスすることが重要です。過度の緊張を強いることなく、子どもたちが安心して学習できるようにするということです。授業中、教師が思っている以上に、子どもたちは不安をもって学習しているのです。
 
「急に当てられたらどうしよう」ということも授業中の心配の一つです。私自身も高校の頃、化学や数学の教師がよく急に当てるので嫌でした。当てられそうなときは、当てられないように、先生と目をあわせないようにしていたものでした。
 そんな体験もあり、私は子どもが自分で手をあげない限り、当てないようにしています。子どもたちは、突如当てられるというような不安もなくなり、安心して学習に励むことができます。
 教師が子どもの思いを無視してどんどん当てていた場合と比べて、個性的な発言が確実に増えてきます。子どもたちはじっくり考え、自分が発言したくなったときに発言できるからです。
 発言を強要しない、発言するかしないかは本人が決めることにしただけでも、学習における子どもたちの安心は広がっていきます。
 そういう自由が保障されたときに、子どもたちは自分の力を発揮して学習するようになるものです。「待つ」ということが、子どもたちに真の自由を保障することになるのだと思います。
 授業において「安心」と「人間的な自由」をどう拡大していくかが、重要な課題だと思っています。
(
今泉 博:1949年生まれ、元東京都公立小学校教師、前北海道教育大学副学長、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行った)

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子どもに「よりそう」教師が崩壊し始めている、どうすればよいか

 今日の荒れは、荒れる現象そのものが「白い闇」につつまれたままであることも少なくありません。
 なぜ、あの子が突然荒れはじめたのか、なかなか見当がつかない。荒れる背景にある「くらやみ」が見えにくい。
 
「よくがんばったね」「よくわかったね」「やればできるじゃないか」などの指導的評価が、荒れた子や、まわりの子どもたちの心にかからない。しらじらとした雰囲気のなかで、子どもたちのもとにとどかない。
 子どもが些細な出来事を契機にパニックになることがあります。教師は、その子どもの思いを受けとめ、一生懸命に理解しようとします。
 すると、それを見ていた他の子どもが「あの子ばかり大事にされてずるい。自分もあんなふうにしてほしい」とばかりにパニックになります。
 こうしたパニックの連鎖が、学級の秩序を崩壊させ、ついには、授業をも崩壊させてしまうこともあります。
 荒れる子ども一人ひとりの思いによりそい、荒れる行動の裏側に隠された人間的な願いに共感することが必要です。理由もなく荒れ、バニックになる子どもは一人もいないからです。
 しかし、いま「授業崩壊」に苦悩している教師の多くは、この「よりそい」を柱に実践している心優しい教師たちである場合も多いのです。
 これは、つらい現実です。子どもに「よりそう」感覚を持った教師の実践が崩壊しはじめている。この矛盾に満ちた現実をどう理解したらよいのでしょうか。
 前進を励ます評価が空転し、一人ひとりによりそえば、教室にパニックの連鎖がはじまってしまう。こうした「白い闇」のなかで授業が崩壊していく。
 子どもの成長を励ましたいと願ったから教師になったのだ。子どもの抱かえる悲しみや苦しみによりそい、共感できる人間になりたいと願って教師になったのだ。
 それなのに、子どものためにと願えば願うほど、子どもとすれ違い、子どもが突然パニックを起こしてしまう。
 ここに、今日の荒れと向かいあう教師の深い「悲しみ」があるように思えてなりません。
 いま「白い闇」のなかで授業崩壊の危機にひんしている子どもたちのためにできることは何なのでしょうか。
 それは、何よりもまず、わからない自分、できない自分、まちがえる自分は見捨てられるかもしれない、という強迫観念から、子どもたちを解放してやることではないでしょうか。
 いま、授業の「日常」が問われているのだと思います。わからないことがほめられ、できないことがほめられ、まちがえることがほめられるような授業。
 そこで、おずおずとも、ごもごもと自分を語る身体と仲間の身体とが響きあうことができるような授業。
 そのような授業への挑戦こそが、子どものすなおな感情のうねりを解放し、子どもの表情にうるおいと彩りをとりもどしてくれる。
 授業崩壊への挑戦はそこからはじまるのではないでしょうか。
(
庄井良信:1960年北海道生まれ、北海道教育大学大学院教授。専門は臨床教育学)

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教師が 保護者とトラブルをおこしたとき、どうすれば解決できるか

 保護者の要求や非難や暴言には「きちんと向き合い、反論せずに話を聞く」ことが大切である。結果的にも好ましい。それは「話を聞いてもらえた」ことで、保護者の気分が安定するからだ。安定すれば、解決の道も開けてくる。
 あいまいにしてごまかしたり、逃げたり、だれかのせいにしたりせず、真摯に応対することだ。保護者もそういう誠実な教師を望んでいる。
 とはいえ、保護者のなかに、じつに不見識な言動をする人がいる。そういうときは、冷静に対応する。ときに、おだやかにたしなめてもいいだろう。たとえば、電話口へ担任を呼び出した保護者がいきなり
「なにもたもたしてんだ。こっちは忙しいんだ。いいか、よくきけ。子どもによ・・・・・」と怒鳴る。
「そちらもお忙しいのでしょうが、今、授業中で、私も急いてかけつけてきました。そのような言い方は失礼ですね」とたしなめる。あるいは、にこやかに「すいません。もう一度、おっしゃってください」と、相手に言い直しの機会を与える。
 相手が保護者なら、教師はがまんしなくてはならないということはない。非は非として伝えなくてはならない。そのほうが好ましい結果をもたらすこともある。
 というのは、市民としてのモラルや礼儀、人間としての誇りを厳として保とうとする教師は、最初は誤解されるが、やがて尊敬されるようになるからだ。逆に、威厳を失った教師は、保護者から、さらに疎んじられ、軽んじられることになる。
 もし、教師が自分で言えないようなら、管理職に「こういう無礼を受けました。校長先生から保護者に抗議してください」と申し出れば、それくらいのことはしてくれるだろう。
 教師がもっとも傷つくのは「私より年下のくせして、生意気なこと言うな」「先生は子どももいないのに、子どもの気持ちがわかるわけがない」と言われることだ。こういう例は、若い教師へ、やりこめるためにわざと言って、やりこめて溜飲を下げているのであろう。
 では、どうするか
(1)
寅さん流に「それを言っちゃ、おしまいですよ」と軽くいなす。
(2)
偉そうな口をきく教師がいて「何様のつもりだ」と思うことがある。保護者の感情的な反発を買うことになる。その意味では、保護者への話し方には、謙虚さが求められる。
(3)
保護者がいやがりそうなことを伝える場合、話の前に「子どもを育てたことのない私が言うのも、言い辛いのですが・・・・」と、前置きをすると、素直に教師の話が入っていく。
(4)
学年主任や管理職などが、保護者にたいして「こんなことを言うのはやめてほしい」と伝える。また、PTAの役員から「先生に向かって、そう言うことは失礼だと思う」と、会員に話をしてもらったこともある。バックアップの体制をつくるということである。
 保護者と教師がトラブルをおこしても、その保護者の子どもに悪感情をもって接してはならない。教師を批判し攻撃する保護者に対して、好感情は抱きにくいが、子どもは子どもととらえ、保護者とその子どもを同一視してはならない。むしろ、その子どもの対教師感情を好転させ、信頼されるようにすることだ。
 保護者が教師に悪感情をもつようになるのは、子どもの対教師感情を反映しているのである。子どもが教師に不信を抱くようになると、保護者も教師不信に染まっていく。
 だから、子どもが教師を好きになり、信頼するようになると、保護者の対教師観もしだいに和らぎ、好転するようになる。
 保護者とトラブルをおこしたら、まず子どもとの関係を見直し、子どもとの関係を改善することだ。子どもが変われば、保護者も変わるのである。
(
家本芳郎編:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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叱るときの大切なポイントとはなにか

 小学校段階では、大人が「いい・悪い」をはっきりと教えなければなりません。何がよくて何が悪いのか、端的に指摘して教えてあげるのです。そのためにも、短い言葉でズバッと叱ってあげることです。遠慮することはありません。
 時代のせいでしょうか、ひどく気持ちの悪いくらい、子どもに迎合し、遠慮してやさしい言葉をかける教師がいますが、どうかと思います。
 誤解を恐れずに言えば、やさしすぎるだけの教師は子どもをだめにする危険性があります。叱ることを恐れずに、だめなものはだめだと叱りましょう。
 絶対やってはいけないのは、信頼関係もできていないのに高圧的な感じで叱ることです。しかも正論たっぷりと。教師と子どもの心理的な距離が遠くなるだけです。
 学級開きの時に、子どもに「この先生の言うことなら聞こう」と思わせ、子どもとの信頼関係を築くべきです。信頼関係の構築を日頃から心がけておく必要があります。
 強い口調で叱ると、雰囲気は重くなります。だから、叱った後、すぐにケロッとして、何事もなかったかのように進めることが大切です。
 そのためには、叱った時に、次の一手を瞬時に考えます。すぐに切り換えて笑顔になることもいいでしょう。時には、ユーモアを使って切り返すことも。
 たった一言を入れるだけでも違います。極端な例だと、ドスの効いた声で叱ると、子どもは直立不動になります。そこへ「なんちゃって!」とテンションを変えると、全く空気が変わります。
 もちろん、その後に「って冗談だけど、掃除はしっかりやろうな」と、最後にしめなければなりません。大切なのは、叱った時の重苦しい雰囲気を振り払うことです。
 
「お前はどうしてできないんだ!」「なにやってるんだ!」など、子どもを主語にして叱ると、子どもは自分そのものを否定された気持ちになってしまいます。
 相手を主語にするのではなく、叱る時に主語を自分にする「Iメッセージ」を使用します。教師である自分がどう思っているか、どう感じているかを子どもに伝えるのです。
 
「先生は残念だと思うな」「先生は、どうしても○○くんが、そういうことをする子には思えない」など、自分を主語にして話をすると、相手もそのメッセージを受け止めやすくなります。
「Iメッセージ」は、コミュニケーションの重要な技能のひとつです。大切なのは、技能と感じさせないくらいまで、訓練を重ねることです。
 教師は、どうしても正論を言いがちです。特に、相手の年齢が低ければ低いほど。しかし、これには十分気をつけねばなりません。なぜか、嘘っぽく相手に伝わってしまうことがあります。
 
「ああ、また始まったよ。先生のお話が・・・・・・」と、心の声をつぶやいている子どもも少なくないのではないでしょうか。
 時に、正論を言わなければならないこともあるでしょう。だからこそ、正論くささをなくす工夫が必要になってくるのです。
 
「まあ、そうは言ってもね・・・・」「先生もさあ、小学生の頃・・・・・」など、正論で終わらない話を続けてあげるだけで、全く聞こえ方が違ってきます。
 そして、何より、自分はその正論を子どもに言う資格があるのか、それを常に問うような教師でなければなりません。
(
渡邉尚久:1969年千葉県生まれ。千葉県公立小学校教師を経て千葉市教育委員会に勤務。成功哲学を授業化、実践するだけでなく、子どもたちが誇りと自信の持てる授業づくりを進めている)

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変わったのは子どもではなく指導者のほうだ、子どもを変え成長させるにはどうすればよいか

 よく「いまの子どもは……」って言われるだろう。でも、ぼくは違うと思うね。子どもは変わっていないと思う。むしろ変わったのは大人、指導者のほうだ。
 
「子どもが変わった」とか、「最近の子どもはしんどいことをいやがる」というのは、みんな指導者の言い訳。ぼくはそう思う。
 
「ここで、こういうことに耐えておけば、こんな素晴らしい自分が待っているんだ」というような、子どもがドキドキするようなイメージを与えてやれば、絶対に反応は返ってくるんだよ。
 子どもの反応が返ってこないというのは、教師の伝える力が弱いからだ。それを知るのは簡単なんだ。「子どもたちに何をしてやったんだろう」と、自分に矢印を向ければもう、いっぺんでわかる。
 子どもの結果から学ぶことは、われわれ指導者にとっては非常に大きいんだよ。結果から学ぶというスタンスを、指導者やリーダーはしっかり持たないといけないと思うんだ。
 われわれ教師は前年と同じことをやっているわけにはいかないのだよ。つねに結果をフィードバックさせて、反省し、次に活かす。子どもを見て「ああ、いまの子たちにはこんなことが必要だ」ということを経験的にわからないといけないんだ。
 そういう気持ちでいれば、どんな子が入ってきても、つねに子どもの状況に対応できるはずなんだよ。「こうすべき」とか「こうあるべし」っていうことを押しつけてはいけない。それがわからないから、ついつい子どものせいにしてしまうんだ。
 だから、高校ラグビーの試合で伏見が花園に大敗したときにぼくが気づいたように「言ってわからん子はあかん」と言って、それで切ってしまうのではなくて、「どうしたらわかるようになるのだろうか」とか「どうやったら勉強するようになるのだろう」と矢印を自分に向けて、「じゃあ言い方を変えてみよう」というふうに考えてみる。
 いいか悪いか、できるかできないかで選別してしまうんじゃなくて「どうしたらできるようになるんだろう」ということにウェイトを置かなければいけないんだ。
 ちょっとしたきっかけを与えるだけで、子どもは本当に変わるんだよ。そんな指導者や教師を子どもたちは求めているんだ。そのためには、矢印を子どもに向けてしまってはダメ。
 
「おれは子どもたちに何をしてやったんだろう」といつも自分に問いかけて「どうしたらいいんだろう」と考える。そういう気持ちがいちばん大切だし、そうしないかぎりは、子どもを変えてやることはできないと思うね。
 何もわからない子どもには、強制を必要とする時期は絶対にある。なんでもかんでも好き勝手にするというのが自由ではないだろう。
 自由や個性というものには、自己責任が伴わなければいけないんだ。いま、それが実に少ない。そういうことに気づかせるためには、教育において強制される時期があって当然だし、それなくして自由にさせて、本当に社会に必要な人間になれるのかなっていう気はするね。
 何をしていいかわからない子にはきちんと目的を与えてやらせる。目的がはっきりしていれば「これさえやれば、こうなるんだ」とう意識につながっていくんだ。
 逆に、自分の目的に向かって自主的に取り組んでいけるような子は、そのまま見守ってやればいい。そういう子は、何かのときにちょっと手をさしのべてやるだけでグーンと伸びるからね、後からポンと押してやるだけで。
 その意味でも、イメージを与えてやることが大切なんだ。「おまえ、こうなったらいいな」とか「がんばったら絶対日本代表になれるぞ」というように、夢を語ってやったり、目標を語ってやる。
 そういうイメージをその子のなかにぼやっとわからせてやるわけ。それも、一人ひとりの子どもに全然違うイメージをね。そう言いつづけていくと、本人もだんだんそう思っていくんだよ。
 そのなかで、徐々にイメージが鮮明になっていく。そうなれば、どんどん自分からそのイメージに近づこうとするようになるんだ。何が必要か自分で考えるようになるんだよ。
 「やらされてる」のか、それとも「自分でやっている」のか、子どもにどう思わせるのかは、非常に大事なことなんだ。
 教育に限らず、どんなことでもそうだけど、やっぱり「こういう人になってほしい」とか「こういうチームをつくりたい」というイメージやビジョンを描けない指導者やリーダーは、人を育てることができないんじゃないかなと思うけどね。
 学習能力がない子は絶対に一流にはなれない。同じ失敗を平気で繰り返すからだ。努力をしない天才はいない。努力なしに素晴らしい勝利や感動は絶対に得られない。
 そういうことに気づかせてやれるかどうかが指導者は非常に大事なんだけど、言葉で言って、それがそのまま子どもの力になるのなら苦労しない。
 そこで大切なのがイメージなんだ。「どうしてやったらその本人にとってベストなのか、同時に周りの人間にも喜んでもらえる存在になれるのか」という青写真を指導者がきちっと自分のなかに焼き付けないと、現実からかけはなれた指導をしてしまうことになる。
 本当に「この子にこうなってほしい」というイメージがあれば、おのずとわかるはずなんだ。わからないのは指導者の愛情が足りないんだよ。
 何でも子どもにやってやるのが愛情なのではない。子どもを信じて、任せる。自分で気づくことができるまで、追い込んでやる。そういう気持ちが、本当の愛だと思うよ
 
「気づかせてやる」ことが一番重要だ。人から言われて気づくかということじゃなくて、「自分から気づく」ようにしてやらなければならないんだ。そういう場面や出会いをどれだけ用意してやれるかということが、指導者には大切だと思うね。
 もうひとつ大切なのが、それぞれの段階段階で「よし、いいぞ」って、きちんとほめてやること。評価してやることだ。そういう達成感の喜びがなかったら絶対ダメだね。もちろん、怒ったあとには、ちゃんとアフターケアーをしてやることは言うまでもない。
(
山口良治:1943年福井県生まれ、ラグビー指導者で元日本代表。高校教師として京都の無名の公立高校をラグビーで全国制覇させた。ラグビー部生徒への体当たりの指導が多くの反響を呼び、TVドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公のモデルとなった)

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教師にとって最も必要な資質とは何か、また授業の実力を高めるにはどうすればよいか

 教師としての楽しみは「教師になってからの努力」によってこそ、もたらされます。初心を忘れ、現状に安住して過ごすようになると、教師人生の楽しみは半減してしまうでしょう。「進みつつある教師のみ人を教える権利あり」という言葉を心に刻んで進むべきだと思います。
 人生において、自分自身の資質や力量を高めていくことほど、すばらしいことはありません。自分の上達を実感できることは最高の喜びです。
 上達していくためには、他の人からの意見や批判によって、それまでの自分の考え方や感じ方を省みることが必要です。常に「自分の現状の否定と破壊」を自らに課する必要があると言えるでしょう。
 つらいこと、聞きにくいことにも、耳を傾けなければなりません。自分を変えて、変えて、変え続けることによって、徐々に望ましい自分になっていくのです。
 私はこれまで、たくさんのすばらしい先生がたにお会いしてきました。共通するのは、謙虚で素直だということでした。
 教師にとって何よりも大切なのは、自分が人間として教師としても、まだまだ未熟である、という自覚を常に持つことです。そうすれば、より向上したいという意欲がわいてくるものです。
 自分が未熟であることを自覚し、謙虚であり続ければ、正直になります。自分をよく見せようとする必要などありません。
 すると、教師自身が楽になるだけでなく、勇気を持って子どもたちと向き合えることになります。自分が間違っていたとわかったら、素直に改めていけばよいのです。
 自分を省みつつ、向上させていく教師には、子どもたちも心を開き、その姿勢を見て学び、成長していくのです。
 この「謙虚さ」と「向上心」の二つは、すべての教師にとって最も重要な資質と言えるでしょう。
 自分をより高く伸ばそうと思うなら、優れた人に直接会うことが最も近道です。いろいろと問いかけ話の糸口をつくることが望ましい。そして素直に聞くことです。
 上達の一番の条件は素直さです。まずは素直に教えを受け入れ
(1)
その指摘は、私の授業のどこにあてはまるだろうか。
(2)
その指摘を取り入れると、私の授業のどこが変わってくるのだろうか。
(3)
そのように実践したら、私の授業はどういうことになるのだろうか。
(4)
この指導は、私の授業のどこをどう改めよということになるのだろうか。
というように、自分の実践をまな板にのせて、受け入れることが大切です。そうすることによって、より良い実践が生まれてくるはずです。
 授業のレベルを上げるには、優れた授業者の授業を参観することが、最も効果的です。その場合も、発問法を見るとか、受けの技術を見るとか、学習形態の組織の仕方を見るとか、はっきりとした問題意識を持ち、具体的な目的を持って見ることが大切です。
 さらに、自分のふだんの授業を他の人に見てもらうことは、いっそうよい勉強になります。研究授業の回数は多ければ多いほどよいのです。それは教材研究や授業の腕を磨いていくことに役立つのです。
 授業では、子どもたちの反応を見ながら、常に工夫を加えていきましょう。授業を行った後に、指導案に授業の気付きをメモ書きし、反省を記入することをくり返すとよいでしょう。日頃の積み重ねが実力を高めます。
 授業の実践を記録するには、学級通信を利用するのもよい。授業の様子や学級のできごと、教師の思いや意見を記すと、特別に時間をかけなくても、教育実践の記録を積み重ねることができます。
 経験はぼんやりと繰り返しながら積んでも力にはならない。「こうしてみよう」「あれを加えてみよう」「あそこを削ってみよう」と、常に意図的に積むことが肝要なのです。
 私は本当に優れた先達との出会いに恵まれてきました。多くのことを教えてくださる。それが自分の成長の糧となるのです。すばらしい喜びとなるのです。
 一つひとつの出会いに意味を見い出せるかどうか、ということこそが、実は人間の成長の分かれ目のような気がします。
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

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「子どもが納得していないな」と教師が感じたらすぐに保護者へ連絡を

 気になることがあったら、すぐに保護者に連絡するようにしましょう。ちっとした手間を惜しむことがトラブルのタネになります。
 ケンカなど子ども同士のトラブルや、厳しく叱って指導した後など、子どもが「納得していないな」と「ピン」と教師が感じたら、すぐに保護者に連絡するとよい。
 納得していない子が、自分の思いを家で保護者に伝えた場合、誤解が生じて思わぬトラブルに発展することがあります。
 子ども同士のトラブルや教師の指導は、必ず納得させて帰らすのが基本です。下校するまでに、その子に目をかけ丁寧に接してあげましょう。笑顔で楽しく下校させることを忘れないようにしましょう。
 たとえ完全に納得しなくても「先生に心配してもらった」と感じれば、保護者も悪い気はしないはずです。
 子どもがスッキリしない顔で「これは納得していないな」と感じたら、必ず保護者にできるだけ早く連絡を入れ、事情を伝えることが大切です。
 
保護者から「心配して下さってありがとうございます」と感謝されることがほとんどです。担任からの連絡で初めて事実を知ることも多く、事情を正確に伝えることができます。
 子どもが帰った後も、教師の仕事は多いもの。でも、何をさておいても、まず連絡を入れておくことです。
 
「後で連絡を入れよう」と他の仕事をしていると、思わず連絡を忘れてしまいます。せっかくの対応も後手に回っては意味がありません。手間を惜しまず、すぐに連絡することが大切です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる) 

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教師は被害者意識を持つと、身構え、実践意欲への意欲も湧きにくくなる

 「教師は何をしているのか」「教師がもっとしっかりしないと」などと、教師批判はこれでもか、これでもかと続きます。
 こうした批判を聞くと、不満、反発の声が教師間で交わされます。「どうして教師だけ責められるのか」「保護者の責任はどうなっているの」と、日頃の思いがどっと吐き出されます。この時ばかりは、校長から若い教師まで思いが一致するのです。
 教師ばかりが責められるのは、健全な時代といえないでしょう。保護者が子育てについてもっと考えなければならないし、世の中の在り方だって改めていく必要はあるでしょう。
 教師は仕事に、もっと誇りをもたなければならないし、広い視野から学校や教師の仕事考えなければならないでしょう。できること、手がけられることから、実践や子どもへの接し方を、改めたり工夫したりするとよい。
 教師は、被害者意識の虜(とりこ)になってしまわないことです。そうなってしまえば、実践への意欲も湧きにくくなるし、心意気も高まらないでしょう。そして、防具に身を固めて、外部に対して、身構える姿勢ばかりが強くなってしまいます。
 教師が誠実に日々の仕事を果していれば、だれに何を言われようと卑屈になることなどありません。被害者意識など、もたなくてもいいのです。
 それと、どのような職業であれ、どれほど誠実に仕事をしていても、批判や注文はあるものだと承知しておくことも必要だと思います。
 外部の人の声に耳を傾ける、謙虚さもとても大切です。両者のバランスをとれる教師が、これからの教職の世界に必要だと思われます。
 教師が被害者意識を持つと、ついつい感情的になって「そんなことはできません」「教師を何だと思っているのですか」などと口にしてしまえば、保護者との関係修復は困難でしょう。
 教師の仕事は、相手が子どもであれ、保護者であれ、長期戦の構えが必要なことがしばしばです。もちろん、短期決戦ですぐに手をうたなければならないこともあります。教師には、それを判断する力が重要です。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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子どもたちに「わかりやすい説明」をするためのポイントとはなにか

 NHKの子どもニュースを担当して、子どもたちに「わかりやすい説明」をするには、いくつかのポイントがあると考えるようになりました。
 
「こんな言い方をして、子どもたちにわかってもらえるのか?」「ひょっとすると、子どもたちは知らないのではないか」と、常に自問自答して、子どもたちへの想像力を持っていないと「わかりやすい説明ができないのだ」ということを思い知ったのです。
 出演者の子どもたちが「わからない」と言ってくれるとき「そんなことも、わからないのか」と言ってはなりません。「何がわからないか」がわかると、そのニュースの説明は八割方はできたようなものです。
 その点について「では、どう言えばわかってもらえるだろうか」と一生懸命に研究すればいいからです。
「うーん、これだったら、わかるかな?」「それでもわからない?」「では、これで、どうだ」「えっ、わかる? ありがという」「わからないと言ってくれたおかげで、こんなにわかりやすくなった、ありがとう」と、常に言うように心がけました。
「きみが、わからないと言ってくれたおかけで、わかりやすくなった」という言い方を繰り返すことで、子どもたちにも番組つくりに参加している実感がわきます。
 こうした経験の結果、私なりに「わかりやすい説明」の方法を編み出していきました。そのポイントを五つにまとめると、
(1)
むずかしい言葉をわかりやすく、かみ砕く
 ニュースにはむずかしい言葉が数多く登場します。意味のわからない言葉が出ると、そこから先は理解が進まなくなります。わかりやすく説明することができれば、見ている子どもたちは「ああ、そういうことなんだ」と腑に落ちることでしょう。
 むずかしい言葉の多くは、漢字の熟語です。その漢字の意味をおさらいするだけで、むずかしい用語の説明ができ、ニュースのポイントも理解できることが多いのです。
(2)
身近な「たとえ」に置き換える
 想像しにくかったりして理解しにくいテーマのとき、わかりやすい「たとえ」を使うと効果的です。
 例えば、H2ロケットの大きさの説明です。高さは50mです。私が思いついたのが「奈良の大仏」でした。高さが16mです。でも、私たちは大仏さまを足元から見上げるので高いというイメージを持っています。
 こうして、H2ロケットの横に大仏さまの模型を並べ「ほら、H2ロケットは、奈良の大仏さまの三倍もの高さがあるんだ」という説明になりました。
(3)
抽象的な概念を図式化する
 抽象的な概念のニュースは映像がなく「見てわかる」ことはできない。図や模型にすれば「見てわかる」ということになります。
 ある概念を子どもたちに伝えようとするとき「絵」として伝えることができないか、と考えます。ある出来事を自分の頭の中でそしゃくして、図解してみます。
 図解しようと努力すると、ものごとの枝葉の部分がそぎ落とされ、本質だけが見えてくることがあるものです。
 自分の頭の中に、その「絵」を描くことができれば、次は、その「絵」を言葉にして子どもたちに届け、子どもたちの頭の中に、その「絵」を再現してもらうのです。
(4)
「分ける」ことは「分かる」ことに
 わかりやすく伝えるためには、伝える内容をきちんと分けてみることです。雑多な情報の中から必要な要素を取り出し、その要素を的確に分け、適切な順番に並べて伝えることが「分かる」ことになります。
 必要な要素を分けて再構成して見せることで、子どもたちの頭の中が整理でき、理解しやすくなるのです。
(5)
バラバラの知識をつなぎ合わせる
 バラバラの知識に「関係性」があることを示すことです。
 ある出来事について、ひとつひとつの言葉や数字を説明するだけでは、本当にわかったとは言えないこともあるのです。
 自分が持っている断片的な知識をつなぎ合わせ、ジグソーパズルのようにはめ込みながら、全体像が作りあげられたとき「わかる」ということになるのです。
 
「わかった!」というのは、知識を得たのではなく、自分の持っている知識によって、ある状況が解釈できたという場合である。頭の中でひとつの「絵」にまとまったときです。
 それと、ただ、ひたすら淡々と説明するのではなく「間」やリズムを大切にして、子どもたちとの会話のキャッチボールができるように留意すると、会話ははずむのです。
(
池上 彰:1950年長野県生まれ、ジャーナリスト。NHKに記者、キャスター、東京工業大学、信州大学、名城大学などの教授歴任した)


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小学校高学年を初めて担任し、いじめなどの対応で体調を崩したが、通院で立て直すことができた

 今の公立小学校に赴任して二年目のとき、初めて五年生の担任になった。その男性教師は物腰が柔らかで性格も温厚、子どもや保護者から教育熱心で優しい教師との評価を受けていた。
 二学期になり学級の雰囲気が少し違うことに気づいた。九月の下旬におとなしく、めだたない男子から相談を受けた。ある女子グループが、やや発達遅れのある男子を「いじめ」ていると話してくれた。からかったり、持ち物を隠しているという。担任は「いじめ」られている男子に事実関係を確認した。本人は何とかしてほしいと言った。
 そこで、翌日、当事者と思われる子ども一人ひとりと面接し、事実を確かめ、言い分を聞いた。始めは否認していたが素直に話すようになり、全員がからからっていた事実を認めた。
 そこで、この事実を自分から親へ報告すること、担任が事実関係を親に伝えると説明して帰宅させた。当日、それぞれの子ども宅へ電話で保護者に説明した。
 翌日、クラス全員に一人の子に複数の子がいじめを行っていたことを説明し、指導を行った。その後は、勤務時間中できるだけ、子どもといっしょにいる時間をつくり、一人ひとりの様子を見守った。
 そのころから担任は、それまで意識もしなかった疲労感を感じるようになった。夜になっても意識が高ぶり睡眠不足が重なっていった。肩こり、頭痛、手足がしびれ、朝の出勤時間になると動機がひどくなっていった。
 不安になり校長に相談し、校長の紹介で私の病院を本人の意志で受診した。原因は心労である。薬物療法で眠る前に一錠を服用し睡眠を確保した。必ず回復するので仕事を続けるよう説明し、二週間に一度面談することにした。
 担任は今まで以上に一人ひとりの子の言動に注意を払い、保護者との連携を密にして二学期を乗り切った。
 二学期の最後の保護者会は、できるだけ父親の参加も呼びかけた。その際には、教師としての今までの体験を振り返り、今「苦悩していること」「目標としていること」「努力していること」などを具体的に話すよう努めた。
 途中からは、保護者から本音に近い悩みも語られ、予定をオーバーして二時間近い話し合いとなったが、充実した保護者会であった。
 クラス全体が安定していくにつれ、担任の体調も回復し、三学期に入ってからは薬を使用しなくても睡眠がとれるようになった。通院で治療は終了した。
 子どもにとって家庭と学校で体験する生活内容は異質のものである。家庭は身内の人間関係で成り立ち、学校は他人との人間関係を通して社会を知る場となる。
 子どもとっての教師は、社会への入り口であり、社会のお手本としての存在である。子どもの行動を一人の大人として教師が受け止め、子どもの行動を吟味し、その内容を子どもたちが理解するまで対応する。
 教師が工夫し、努力し続ける姿勢が子どもの意識を変え、子どもたちとのコミュニケーションが成り立つ。その不断の取り組みが教育の本質である。
 今回の担任はその都度、事実の確認を取り、自分の考え、方針を説明し、行動し、考察し、自分の教育観や限界などを正直に保護者に開示した姿勢がことをこじらせず、学級の状況を好転させた力になったと思われる。
(
岡田 謙:医師(精神保健医)。教師と児童の精神疾患治療で有名な関東中央病院の部長を務め、東京都医師会学校精神保健検討委員会委員。平成18年から「くじらホスピタル」の初代院長に就任)

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授業のチャイムが鳴っても席につかないし、静かにしないとき、どうすればよいか

 授業の始まりのチャイムが鳴っても、なかなか教室にもどってこない子もいる。授業の開始時間を子どもたちに守らせることが大切である。
 そこで、つぎのように指導する。全員の子どもたちが教室にもどってきたところで、教師が「全員立ちなさい」指示する。
 つぎに「チャイムが鳴ったとき席につけた人は座りなさい」と指示する。そして「座れた人は、りっぱです」とほめる。
 この指示と評価を毎時間続ける。やがて、チャイムが鳴ると全員の子どもが教室にもどってこられるようになる。
 しばらくすると、この約束がまた守れない場面が出てくる。そのときは、班で取り組ませてみる。
 「全員立ちなさい」「チャイムが鳴ったとき席につけた人は座りなさい」と指示する。そして「○班と△班は、全員座れました。りっぱです」とほめる。班で声をかけ合って席につくことに取り組ませるのである。
 授業を始めようとするとき、子どもたちが静かにしないので「静かにしなさい」と教師が指示するのはよくない。では、どうすればよいのでしょうか。
 まず、はじめに音で集中させる。
 
「みんな、手を3回打ちなさい。さん、ハイ」と指示する。半数以上の子が手を打つ。おしゃべりをしていた子も、何が始まったのだろうかと集中しはじめる。
 さらに続けて「今度は、手を4回打ちなさい。さん、ハイ」と指示する。ほとんどの子が手を打つ。
 次は目で集中させるようにする。「指の数だけ手を打ちなさい」と指示し、指を5本見せる。子どもたち全員が手を5回打つようになれば、完全に子どもたちは教師に集中している。
 最後に「手を上げたら、パチパチと拍手をしなさい。手を下げたら、ぴたっとやめなさい」と指示して、手を上げる。子どもたち全員が拍手する。しばらくして、手を下げる。全員が拍手をひたっとやめる。教室が静かで楽しい雰囲気になる。
 子どもたちに作業をさせているときや、グループ学習をしている場合、教師が「やめて、こちらを見なさい」と指示しても、なかなか指示どおりにならない。
 こんなときには、まず「手をひざの上に置きなさい」と指示する。手に何か持っていると集中できないからである。
 次に「先生のほうに、おへそを向けなさい」と指示する。これで自然と教師の方に体が向き、集中する姿勢がとれる。
 それでも、少しざわついている場合は「静かにしなさい」「口を閉じなさい」と指示するよりも「歯を見せないようにしなさい」と指示するほうがよい。
 このような言葉を使うと、子どもたちは、どのように行動すればよいかがイメージでき、すぐに行動に移ることができる。
(
加藤辰雄:1951年愛知県生まれ、元名古屋市立小学校教師。愛知教育大学非常勤講師)

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楽しくなければ学校じゃない、学級を楽しくするにはどうすればよいか

 本来、学校は楽しいはずなのに、子どもも教師も「おもしろくない」といじけている。このごろ「学校がつまらない」という子どもが増えてきた。
 子どもたちの顔から笑いが消え、シラけた顔、無気力な顔が増えてきた。学校が楽しくなくなってきたからだ。しかも教師までが「今の学校はおもしろくない、学級担任はつらい」という。
 ほっておいたのでは、いつまでたっても、学校は楽しくならない。楽しくなければ学校じゃない。楽しい笑いを取り戻さなければ、活気に満ちた学校生活はやってこない。
 それには、なんといっても、教師のやる気と創意にかかっている。楽しさの扉は、教師がまず開くのである。教師はおもしろさの仕掛け人であり、楽しい世界をつくる演出家だからである。
 では、どうしたら子どもたちにとって、魅力ある楽しい学校生活をつくりだすことができるのだろうか。
(1)
教師にとって楽しいことをやってみる
 子どもは教師の鏡だから、教師が楽しければ、子どもも楽しくなるのである。教師が笑顔でいれば、子どもも笑顔になる。教師が怒ってばかりしていれば、子どももイライラして、もめごとのたえない学級になる。まず、教師が自分にとって楽しいことをやってみるのである。
(2)
子どものレベルに下りる
 ところが、教師が楽しいことをやろうとしても、子どもたちにとって楽しくなく、のってこないことがある。いったん子どものレベルまで下りて、子どもとチャンネルをあわせ、共感を示さなくてはならないだろう。
 そのレベルから、徐々に、おもしろさの質を高めていけばよいのである。
(3)
子どもの個性を引き出し広げる
 子どもたちは、その個性の中にたくさんのおもしろ世界を抱かえている。それを引き出すことも重要である。
 よく子どもを見ていると、ものの見方のユニークな子、掃除のじょうずな子など、面白い個性がいっぱいである。そうした子どものおもしろさを引きだし、学級の中に広げていくのである。
(4)
たくさんの輪をつくる
 なぞなぞの好きなグループ、ゲームの好きな仲間といった輪が多ければ多いほど、楽しい学級が作れる。人と交われない子どもには、その子ができそうなことを見つけて、なにかの輪に入るように、教師が手助けしてやるのである。
(5)
あそびから始める
 あそぶことは楽しい。教師が先頭に立って、子どもたちとあそぶのである。休み時間、朝や帰りの会、学活、道徳、ときには授業時間を使って集団あそびをする。教師があそびの先頭に立つと、子どもたちは「今度の先生はおもしろそうだ」となる。                              
(6)
あそびたい子からはじめる
 教師が先頭に立っておもしろいことを始めても「くだらない」と、シラける子どもが出てくる。しかし、おもしろいことは押しつけることではない。誘うものである。
 だから、やりたくない子どもはほっておいて、まず「やりたい」子どもたちで、始めればよいのである。そして「おもしろかった」という口コミで、参加者をふやしていくのである。
 つまり、たのしい活動やおもしろい活動は、輪を広げていきながら、そのなかに、シラけや反対する子どもを巻きこんでいくのである。
(7)
子どもたちで、おもしろい活動ができるようにする
 学級に、レク係、あそび係、音楽係、集会係などをつくって、その子どもたちの提案をもとに、学級全体で、自主的におもしろい活動にとりくむ。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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«まじめで誠実な教師の心が壊れていく時代になった