新採教師はなぜおいつめられるのか、どうすればよいのでしょうか

 どんな職業でも新人として勤めることは、右も左もわからない、とまどうことばかりである。
 まして教師が初年度から小学校の学級担任になると、他の教師と何ら変わらない仕事を4月から取り組むことになる。初めての人には、ほとんど暗中模索、試行錯誤である。
 何が問題で、どうすればよいのでしょうか。
1 学級の子どもたちとの関係
 中でも一番重要でかつ大変なのが、学級の子どもたちとの関係づくりだ。
 自分が生徒だった時代の学校体験では考えられないような難しい子どもや学級の状況に慣れない教師は、誰でも当初はとまどうのが当たり前になりつつある。
2 保護者との関係
 今の保護者は、学校はサービス機関、教師はサービス労働者、親は消費者という学校観を身につけている。
 学校(教師)にどのような苦情の言い方をしようと、言う自分の側は安全だという思い込みがある。
 また、親が子育てや生活でのストレスで、ついつい言い方に性急さや攻撃性が伴ってしまうこともある。
 保護者からの厳しいクレームは、子どもとの関係に比べると、若い教師にはきついものになっている。
 その攻撃性がエスカレートしたり、不安の声が親の間に広まったりすれば、いっそうきつい。
 教師は自分の中に「教師としての誇り」が保持できなければ難しい仕事である。他者からの何らかの肯定的評価があって確保されるものである。
 保護者から「あなたの力量が足りないからではないか」と指弾されるきつさは「教師としての誇り」を突き崩されるほどのきつさであろう。
 このような保護者との関係の難しさが、多くの新採教師を悩ましており、自己否定感にまで追い込まれる例がみられる。
 そこでは、子どもや保護者とのトラブルへの対応が長時間の労働になることと、自己否定や自責による「教師としての誇り」の喪失とが重なっている。
3 管理職・同僚教師との関係
 管理職の対応のあり方が大きい。
 自殺まで追い込まれるケースでは、校長や副校長などが「あなたが悪いからだ、あなたの責任だ、謝りなさい」と、ここぞとでもいうように責める側に回っているのである。
 管理職も含めた同僚教師の職場での関係が、教員評価制度の浸透もあって、子どもの学級集団がいじめの温床になっているのと同様、学校職場の教師関係が悪質化へ誘う力も強く働いている。
 職場の管理職や同僚が、同じ教師でありながら、新採教師をサポートするとは限らず、むしろ責める側に回って追い詰めて行くケースがある。
「指導」に名を借りたある種の「組織的パワー・ハラスメント」であり、じつに恐ろしい事態である。
4 新採教師の支えは職場の同僚か、学校外の仲間か
 職場の同僚教師が、クレームを言う保護者には、担任を一人にしない教師間の連携を確保することは、大事な知恵だと思う。
 学校外のサークルや組合、大学時代からの友人などが新採教師の支えとなる場合が多い。
 そこで、新採教師などがつまずいた状況を率直に出し合い「苦しいのは自分だけじゃない」と救われたり、自分の苦闘と悩みとを受け止めてもらったりする。
 職場で受けた「管理職や先輩教師からの叱責」が実は不合理なものと気がついて自責感から解放させられたり、他の人の経験に学んだり、対処への適切なアドバイスをもらったりする。
 そういう過程で「子どもに対する見方や対処」についても新たに広がった視野を持ったりする。
 あるいは、クレームを言う保護者について新しい理解も開けたりする。
5 教師をめぐる世論と政策の転換期
 これまで、教師に対する不信・不満がマスコミの基本になり、国民の不信・不満を追い風に「いいかげんな教師たちを、仕事の成果できちんと評価し、鍛え直す」というのが教師政策・改革の指向となってきた。
 しかし、こうした教師への改革は、教師を追い詰めるばかりで、教師の精神疾患を急増させ、過労死や自殺などの悲惨な状況を生んでいる。
 成果主義の教員評価制度の導入が、教師たちを苦しめ、学校職場を悪質化している。
 教師たちが精神的にも健康で、伸び伸びと力量を発揮し、成長することは、学校を子どもの成長を助け、見守る場になる大事な条件である。
 教師に対するマスコミの論調も、政策・改革の方向も
「ここまで苦しみ追い込まれている教師たちの状況を、何とか真っ当なものにしなければ」という指向へと転換する、まさにその時期だと思う。
(
久富善之:1946年生まれ、一橋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校文化・教員文化論)


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女児を蹴る男児を注意すると暴言し唾を吐いたので、胸ぐらをつかみ壁に押しつけ叱ったら、母親から体罰だと抗議があった、これは体罰でしょうか

 廊下を通りかかる女児を蹴ったりしていた男児を教師が注意したところ
「てめえの言うことなんかきくもんか」
と言って唾を吐いたので、胸ぐらを掴んで壁に押し当て
「そういう口の聞き方をしてはダメだ」
と叱ったところ、その夜、母親から「体罰だ」と抗議の電話をうけました。これは体罰でしょうか。
 この設問は、平成21年最高裁判例を脚色したものです。
 1,2審では「胸元をつかむ行為は不穏当」、「男児の恐怖心は相当なものだったと推認される」として
「社会通念上、教育指導の範囲を逸脱するもので体罰に該当する」としました。
 これに対し、最高裁の判決は、体罰に該当するものではないとしました。
 教師の行為は「有形力の行使」に当たるとしながらも「罰として肉体的苦痛を与えるために行われたものではない」と認定。
「目的、態様、継続時間などから判断して、教員が児童に行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱したものではなく、体罰に該当するものではない」と結論付けました。
 この判決の背景には、児童生徒による対教師暴力の増加や、授業規律の揺らぎ等の教育現場の実態、およびそれに対する世論の変化が考えられます。
 女児に暴力を振るう男児への注意は教師として当然のことです。
 誰もが安心・安全に過ごせる学校づくりを推進するには「非は非」として毅然とした指導を行う必要があります。
 単に教師の私憤による報復的行為とは思えません。
「体罰か否か」のグレーゾーンはしばしば保護者のクレームの対象になります。
「とりあえず謝っておけ」というクレーム対応は、決して「子どもの最善の利益」につながりません。
「体罰だと騒げば、学校(教師)は平身低頭、ひたすら謝る」という体験を積んだ子どもは、
「言ったもん勝ち」、「ごね得」、「自らの非は認めず、相手を責めるに限る」
といった、誤った価値判断をするようになってしまいます。
 今回の事例のような場合は、
(1)
母親と直接会う機会を設ける。
(2)
母親が子どもの訴えを聞いて、わが子を不憫に思った気持ち、教師を憎く感じた気持ち、すなわち心理的事実を受容する。
「〇〇くんをかわいそうと思う、そんな気持ちにさせて申しわけありませんでした」
と、心理的事実は受け入れ、謝罪します。
(3)
事実関係をはっきりと説明し、男児の行動の非(客観的事実)には厳正な姿勢を貫きます。
(4)
体罰との抗議には毅然とした態度で臨む。
ことが求められます。 
 なお、最高裁の判決は「体罰容認」ではなく「極めて限定的に力の行使を認めた」ものである点に留意し「胸ぐらを掴んで何が悪い」というような姿勢は厳禁です。
「うまく指導できなかった」との謙虚な気持ちは持ち続けたいものです。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師、教育研究所指導主事、中学校長、日本学校教育相談学会会長等を経て神田外語大学教授
)

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「お勉強」と「学び」は明確に違う、学びの本質は没頭にある

 自分で行先を決る生き方のためには「学び」が不可欠だ。
 僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。
 わき目もふらず没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが「学び」だと僕は思っている。
 だから、没頭する対象は数学や英語、料理やダンスだろうと何でもあり得る。その人が心から没頭できていれば、僕はそれを「学び」ととらえている。
「お勉強」と「学び」とを、僕は明確に違うものとしてとらえている。
「お勉強」は、あくまで受動的な行為である。与えられたものをこなす作業である。
 いくら「お勉強」をしても、自分で行き先を決める生き方にはたどり着けない。
「お勉強」で身につくのは、敷かれたレールに乗る習慣だけだ。
 その習慣が身についてしまった人は、テストや問題集がなければ、自ら何かを学ぶことはないだろう。
 なぜなら、彼らが目的としているのは「与えられた課題をこなし、大人に認められたいこと」だけだからである。
「学び」は常に能動的だ。未知の領域に足を踏み入れ、新しい体験や考え方を味わうことのすべてがこれにあたる。
 だから、正解もいらない。すべては「自分で切り拓いていく」営みなのである。
 自ら動かなければ取り組む課題が見つからないことも、没頭する対象がある限りは「楽しい」ことだ。
 だから、彼らは好んで暗中模索を、試行錯誤を繰り返す。
 没頭は、人を立ち止まらせないのだ。常に人を前へ前へと押し出し、新しい体験をつかませようとする。
 だから、当然のことだが、イノベーションを生み出すのは「お勉強」ではなく「学び」だ。
 夢中になっているからこそ、人は一日中それについて思考を巡らし、新機軸を思いつくことができる。
 失敗を恐れずに試行錯誤を重ね、努力や苦労の過程も含めてすべてを楽しむことができるのだ。
 学問の領域も「それに没頭してしまった誰かの」姿である。
 例えば、現代物理学の父アインシュタインが自分の抱いた疑問の検証に寝食を忘れるほど没頭し、そこでの発見を後世に残したからこそ、学問の体系は成熟した。
 実際、歴史に名を残すような人たちは皆、並外れた没頭力をもっていたことで有名である。
 彼らは、心の赴くままに学び続け、道なき道を突き進んでいった。
 学びとは、知の地平線を拡大する。つまりイノベーションを起こしていく過程そのものなのだ。
 それは当然「自分の進むべきルートを自分で作り出す」こととも重なる。
 今、僕たちが目にする教科書も計算ドリルも、誰かの没頭の副産物にすぎない。
 それをただ漫然となぞるお行儀のいい「お勉強」の中に、学びの本質は存在しない。
 新しい知を切りひらき、新しい仕事を生み出し、あなたを未来へと突き動かす本当の学びは、没頭の中にこそあるのだ。
(
堀江貴文:1972年生まれ、実業家、著作家、投資家、タレント。元ライブドア代表取締役社長CEO、証券取引法違反容疑で逮捕され、ライブドアの役職を退いた
)

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生徒の問題行動が起きたとき、体験の中でつかみとった考え方や指導の方法とは

 私は前に勤務した学校で、生徒の問題行動によって多くのことを学んだ。
 生徒の問題行動に対する指導の原則は、生徒を人間として扱うことにつきる。
 生徒が教師である自分と同じ人間であることを、どのくらい深く考えて行動するか、ということで決まるのである。
 私が体験の中でつかみとったことをまとめてみる。
 生徒はさまざまな問題をひき起こす。
 タバコ、酒、カツアゲ、集団暴行、万引き、不純異性交遊、授業中に騒ぐ、器物破損、ツッパリグループの結成、など出るべきものはほとんど出た。
 では、このような問題を起こした生徒に、どのように対応すべきなのだろうか。
1 生徒を道徳的に断罪するな
 大切なことは、生徒を傷つけないこと。道徳的に断罪しないことである。
 生徒が問題を起こすと、教師は「悪いことをやった」と考え、ほとんどの場合、生徒に「すみません。もう二度とやりません」と、反省させることを目標とする。
 しかし、教師は神様ではない。道徳的に断罪できる位置にない。
 だから、こういう方向で生徒を追及したとしても、生徒を傷つけ問題をこじらせるだけである。
2 生徒を呼ぶときの教師の顔つき・態度
 まず、生徒を呼ぶときの教師の顔つき・態度が大切である。
 なれなれしく、優しく対応するのは論外で、ピリピリした厳しい顔で臨むのもまずい。
 生徒に対して、教師である自分を無化するような、落ち着いた、冷静な態度がとれるといい。
生徒にやったことをしゃべらせる
 生徒を緊張させつつ、リラックスしてしゃべらせる、といい。次のように始める。
(1)
「何をやったか順を追って言ってごらん」と切り出し、生徒がしゃべり始めるのをゆっくりと待つ。
(2)
話し出したら「いつ」「どこで」「誰と」「何をした」と、教師が口をはさんでやり、生徒が具体的に、自分がやったことを整理できるようにする。 
 これがきちんとできれば、教師の仕事はほとんど終わったも同然である。
 言いにくいことを無理にしゃべらせる必要はまったくない。
 生徒自身が、しゃべっていく中で、自分が何をやったのかを対象化できればいいのである。
 もっとも大切なことは、具体的に何をやったのかということを、生徒自身にハッキリさせることなのである。
 生徒は、ほとんどの場合、自分がやったことがどういうことなのか、何もつかんでいない。
4 生徒にやった理由は聞かない
 生徒はその時の気分で行動するのだから「べつに理由なんかない」のである。
「どうしてそんなことをしたんだ!」と詰問調に迫ることは、絶対に避けなくてはいけない。
「別に」という返事がはね返ってきて、教師がカーッとして「別に、とは何だ!」とケンカ腰になっていくのがオチである。
 たとえ理由があったとしても、それは生徒の心の領域に属することだから、聞いたってどうにかなるわけではない。
5 生徒を説得しようと思うな
 問題を起こした生徒を呼んだとき、ほとんどの教師は、やったことがどうして悪いのかを説明し、納得させようとする。
 くどくどと理由をつけて「だから、やっちゃいけないのよ」と言うわけである。
 ほとんどの生徒は、自分のやったことの整理がつけば、まずいことをしてしまった、ということが分かる。
 生徒にしゃべらせたあとで説得を始めるから、ウヤムヤになってしまうのである。
 仮に教師がつけ加えるとしても「まずかったな」の一言でいい。
6 生徒にやったことをしゃべらせた後
 生徒がしゃべり終わったら、教師が順を追って確認し「まずかったな。で、どうするの?」と、次に進む。
 やったことの責任のとり方を次のように教えることになる。
(1)
他人に迷惑をかけた場合は、謝罪し、具体的に償えるものは償う。
(2)
自分に何かを強制することによって、今後頑張っていくことを示す。
 処置の実行には、教師は最後まで立ち合い、手助けをし、やりとげさせねばならない。
 そのことによって、生徒が一区切りをつけ、次の生活に入っていけるようにしなくてはならないのである。
7 校内で事件を処置できなければ警察へつき出せ
 前述のような処置は、教師の指導力が確立していなければ不可能である。
 校内で処置できず、問題を放置することがもっとも悪い。
 処置できなければ警察にまかせ、きちんとした法的な処置を受けさせる方がずっといい。
 法律に違反すればこういうことになると、身をもって体験させることである。
「教師が生徒を警察につき出すのはよくない」などというおしゃべりにつき合う必要はない。
 教師が校内でケリをつけられるかどうかが問われているのであり、できないなら警察にまかせるしかないのではないか。
 それをいい加減にするから、問題が大きくなるのである。
 社会で生きていくための、公の人間として生きていくためのルールを、しっかり教えていくことが大切なのである。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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私はいかにしてプロ教師になったか、その方法とは

 30歳を過ぎた頃から、プロ教師としての自分をつくりあげるために、意識的に修業を始めた。
 体の動き、教師としての服装、言葉づかい、教師と生徒との関係・クラスのつくり方、行事の組み立て方にいたるまで、約10年の修業で何とか人並みにやっていけるようになった。
 学校で何年か生活していれば、自然に教師になれるというわけではない。プロの教師として生き抜いていこうと決意した時から、すべてが始まる。教師は自らの力でつくりあげていくものなのだ。
 生身の自分を教師にするということは、肉体的・精神的苦痛をともなう苦しい修業と考えていい。この修業をやり抜いてこそ、プロの教師としての道が開けるのである。
 私の修業時代の要点を簡単に紹介すると
1 学校は戦場である
 ボーッとした頭、だるい体で戦える場ではない。体調を万全に整えて臨むことが基本である。
 私の場合は、睡眠を充分にとること、毎朝15分体操することぐらいであるが、階段を1段おきに駆け上がるかどうかで体調をはかり、調整している。
2 教師を演じるには服装から
 服装は、相手をひとつの型に引きずり込む力を持っている。例えば、役者が舞台で劇を演ずるとき、衣装は力を持っている。教師も同じである。
 私の場合「スーツにネクタイ」である。真冬の寒い中、スーツでさっそうと生徒の前に登場するのは、さわやかなものである。それだけで、ずいぶんと得をするはずである。
 主役の教師が貧相な服装では劇は盛り上がらない、スーツはできるだけいいものがいい。
 以前は、ラフな服装をし、生身をさらして生徒の前に立っていた。しかし、生身の自分をさらし、生徒とわたりあっていくには、私は人間としての力量は小さすぎることに気づき、教師としての自分をつくらねばならない、と考えたのである。
3 役者のような動作を身につけろ
(1)
顔つき
 服装だけで戦えるわけがない。そこでまず、顔つきに注意しよう。自分が今、どんな顔つきをしているか、いつも意識し続けなければならない。
 生徒は教師の顔つきの変化で大きく変わるものである。顔つきを意識してつくろう。
(2)
身のこなし
 廊下を歩くとき、私は胸を張って前方を真っすぐ見て、サッサッと歩くように心がけている。
 生徒に見られているわけだから、下を向いてダラッと歩いていては、権威も何もあったものではない。 
 生徒の前に立つときは、胸を張って背筋をピンと伸ばす必要がある。
 そして、動作は大きいほうがいい。メリハリのある動作がいい。芝居のように大げさな動作がいいのだ。
(3)
メモ魔になろう
 自分の動作・言葉を対象化するため、そして他人の教師や生徒をしっかりつかむために、メモ魔になろう。
 自分の動き、しゃべった内容、他の教師や生徒の動きを徹底してメモし、これからの自分をつくる材料にしたい。
 中学校では3年が1サイクルである。3年間、ノートを片時も離さずメモし続けよう。
4 話し方
(1)
しゃべり方・言葉づかい
 しゃべり方、言葉づかいはもっとも難しい。
 原則は、教師と生徒の距離をおくこと。生徒を教師から離すことは、なかなかもって難しい。
 教師と生徒とは立場が違うのだということを、自分にも生徒にもハッキリさせることが目的である。
 服装、顔つき、動作、すべてそのためである。
 教師は一般的におしゃべりである。ペラペラしゃべることをやめることから始めよう。できもしないことは絶対に言わない。愚痴は言わない。黙って行動する努力をしよう。
 生徒のなれなれしい言葉づかいを拒否することから始めたい。教師もなれなれしい言葉づかいをやめる。
 言葉づかいは他人行儀なものがいい。
(2)
声の大きさ
 大勢の生徒の前でしゃべる場合、声が通らないというのは致命傷である。
 少しくらいうるさくとも、自分の声が教室の後ろまで通るように訓練する必要がある。演劇の発声訓練に学ばねばならない。
 できれば、体育館で千人の生徒を前にして、マイクなしで後ろまで充分に届く声をつくり出す必要がある。
(3)
しゃべる内容
 何をしゃべるか、短くまとめ、しゃべる練習をする必要がある。
 たいして考えもせずにしゃべり出し、中身がないからダラダラと枝葉をくっつけて話を長びかせる教師が多いが、そんなことをするくらいなら、しゃべらない方がよっぽどいい。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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暴力的な子どもやその保護者に、暴力行為をなくすには、どう考え対応すればよいのでしょうか

 学校で暴力的な行為があっても、保護者のなかには
「学校であったことは学校で責任を持って処理してほしい」
「家では、そのような行為がないので、暴力的な子というレッテルを貼られるのは不服です」
「自宅では暴力的な行為はありません。先生方の指導が足りないのではないですか」
「うちの子に聞きましたが、お互い様のようですよ。こんなことで電話をかけないでください」
等、いろいろな保護者の声があることを認識しておきたい。
 保護者は、自分の家庭でのわが子の様子を優先して、その姿と重ねて判断することがある。
 そして、わが子が暴力的な行為を起こすはずがないという考え方で受け答えする。
 どう考え、保護者に対応すればよいのでしょうか。
1 事実を的確に伝える
 手順よく次のように説明していく必要がある。
(1)
どのような経緯で暴力的な行為になったのか
(2)
その行為を受けて、担任が取った対応
(3)
今後の課題は何か
 その際、担任は「暴力的な行為をしないですごすための考え方を身につけさせる」ことが、目的となることを明確にしておきたい。そのために、
(1)
暴力的な行為だけを取り上げて説明するのではなく、学級で、どのように解決しようとしたかその方向性。
(2)
家庭と協力し連携していくこと
2「暴力的な行為に訴えなくてもよい」という考え方を徹底する
 つぎの考え方を子どもとその保護者に理解してもらうのである。
(1)
子どもの暴力的な行為が問題の解決につながるのではなく「自分の言葉で問題の解決が得られる」ことを十分に意識させることが大切である。
(2)
子どもにとって、暴力に訴えざるを得なかった状況も理解しつつ「暴力では物事が解決できない」という認識をもたせなければならない。
 保護者への連絡によって、学校の指導方針がどのようになっているのか、明らかにするのである。
3 担任が保護者に伝えなければならないこと
 暴力的な行為は学校でも家庭でも許される行為ではない。
 たとえ、その場で暴力で解決したとしても、形だけの解決になってしまい、お互い理解を深めたことにならないということである。
「暴力では物事が解決できない」という認識は、学校と家庭との連携があってはじめて浸透するものである。
 暴力的な行為を受けて気持ちよいと思う子どもはいないはずである。
 どんな小さなことでも、手を出したり、蹴飛ばしたりする行為はいけない。
 自分の言葉で言うことができるようにしなければならない。
 保護者との接点は、この一点でよいのである。
(
釼持 勉:東京都公立高校・小学校教師、教育庁、小学校長を経て、帝京大学教育学部教授、東京学芸大学特任教授)

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冬の寒い日、教室内で、外で着る服や手袋、帽子をつけたままの子どもがいます、どう指導すればよいのでしょうか

 明らかに誰が見ても外で着る服や手袋、帽子といった物を室内で着ている子どもの姿を見かけたら、すぐ脱ぐように指導します。
 そのつど「外で着る服だよ」と、やさしく脱ぐように促します。
 ほとんどの子は、それで気をつけるようになります。
 それでも、脱がなかったり、わざと着て反抗的な態度をとったりする子は、指導が必要となります。
 また、どのような衣服が屋外用の物なのかは、判断が分かれるところなので、学年や学校である程度、統一しておくことも必要です。
 寒い日は、下着を多めに着てくるとか、室内で羽織れる服を着ておく、などの工夫ができることを教えて、室内にふさわしい服装をするように指導しましょう。
 屋外では屋外で、室内では室内で過ごすのにふさわしい服装をするのが一般常識です。
 ましてや、教室という学ぶ場所であれば、なおさらのこと。
 このような常識を学ばせることも、教師の大切な仕事です。
 服装については、人によって考え方も様々なので、学級通信や保護者会などで、室内の服装についての担任の考え方を伝えながら、保護者の理解と協力を得ることも必要です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方研究会」を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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保護者から信頼を得るには、教師の実践による子どもの変容を親が感じとることが基本になる

 掃除のとき、転校してきたばかりの子どもが、ほうきをもって大暴れをしました。
 そこで、私は掃除を中断させて、子どもたちに
「掃除は何のために行うか」
「掃除をするための方法として大切なことは何か」
ということを、時間をかけて一人ひとりに考えさせ、話し合いをさせました。
 私は、この機会を利用して、受け身で行動してきた子どもたちを、能動的な活動のできる子どもに切りかえさせたいと考えたからです。
 次のことについて、一人ひとりが掃除の必要感をもつまで話し合ったのです。
(1)
学校は自分達の学習するところ
(2)
学校は友だちと学ぶところ
(3)
先生から指導をしていただくところ
(4)
そのために、自分たちの生活の場は、自分たちがいつもきれいにしておくことが大事。そこで、教室の環境を整えるための掃除の果たす役割は大きい
(5)
小学校高学年の掃除の仕方は、低学年とどこを違えたらよいか
(6)
責任ある行動とは
と、いったことです。
 これらのことについて、十分話し合ったあと、子どもたちの中から出てきた合言葉は
「ごみの0運動・ピカピカの5年生」
でした。
 次の日から、子どもたちは時間内に順序よく友だち同士が声をかけあいながら掃除をするようになりました。
 そして、数日後のことです。保護者から担任あてに連絡帳に次のようなことが書かれてくるようになったのです。
「最近、A男が家の庭をはいているんです。何か先生が言ってくださったんでしょうか」
「先生、子どもが家で自分の周りを綺麗にしているんです」
「B子が台所を、きれいに掃除してくれるんです。かわりましたね」
と、いったようなことが書かれてあったのです。
 保護者と連絡帳を通して話が楽しくできるようになりました。
 今回の掃除の問題が結果として、何人かの子どもにとっては、家庭の生活まで波紋を広げたようです。
 子どもは、一つひとつの行動について、必要性を感じ理解すれば、積極的に物事を行うようになるということです。
 そして、今まで、細かく世話をしすぎていた親も、自律していく子どもの行動に驚き、教師の指導性を高く評価して、教師に対する信頼を絶対的なものとしていくのです。
 教師と保護者が信頼を結び、子どもの教育のため、なかよしになるためには、このように実践による子どもの変容を親が感じとることが、基本になると考えてよいと思います。
(
帆足文宏:元東京都公立小学校校長)

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子育ては年齢別にわけて考えると、どのように育てればよいのでしょうか 

1 「0~2歳」-「信頼感」の獲得
 新生児から2歳までは、しっかりと親が抱きしめ、安心感で満たしてやることで、親子の間に「基本的な信頼感」が芽生える。
 子どもにとって、母を信頼するという安心感が、これからの人生のうえで支えになり、すべての力の基本になる。母に愛され、必要としているという実感は、人間らしさを形成する。
 本能的・感情的な部分はもちろん、人間の根幹をなすあらゆる能力が0歳から2歳の間に形成される。
2 「2~4歳」-「我慢する心」を身につける
 親子の間に基本的な信頼感があれば、幼児期の4歳ころまでには「自律心」が身についてくる。
 つまり、我慢する心である。自分を抑える力というのは、基本的信頼感が基盤となって身につくものなのである。
 子どもにしてみれば、自分を理解し愛してくれている人が言っていることだから、辛くても我慢しようとするのである。
 お母さんがわが子に、「今、ママは忙しいけれど、もう少ししたら○○ちゃんと遊んであげられるから、もうちょっと待っていてね」と語りかけると待ってくれるのである。
 この時期は何をやっても、かわいいかわいいで育ってしまいがちであるが、我慢をすることも覚えさせておかないと、あとからしつけるのは難しい。
 我慢=苦しみという発想を親がしないこと。「この状況の中では我慢することがいちばん求められること」というシグナルを親が発信する。
 親子の信頼関係が本物であれば、子どもは喜んで我慢するものなのだ。
3 「4~7歳」-「自発心・積極性」を培なう
 この時期は、靴をはくのも服のボタンをかけるのも「自分でする」「イヤ」「ダメ」を連発する。
 何でも自分でやりたいという自我の芽生えは、ときとして親の目には「わがまま」に映りがちだが、ここをしっかり見守れるかどうかが、親も子どもも頑張りどころと言える。
 信頼関係があれば、親は待つことができる。
 子どもの気がすむようにじっと待ち、子どもがたとえ左右反対でも時間をかけてでも、とにかく靴を履くことができたことをほめてやるのだ。
「自分でできたね。やったね!」と喜びを共有できる親になろう。
 どうしても忙しくて子ども任せにできなかったときでも、「ママ、時間がないから今日は一緒に履く練習したけど、次は一人でやってみようか。もしもできなかったら、ママが手伝ってあげるからね」とフォローできるだけの心の余裕がほしい。
 子どもにきちんと納得できるように言い聞かせれば、何でも理解できるほどの頭脳を子どもは備えているのだ。
 自己を肯定する基盤ができていれば、自発心や積極性につながるのはもちろん、他者を肯定する心の寛容さも備えることもできる。
4 「小学校 前期」-「学び努力する勤勉性」を獲得する
 7歳までに、基本的信頼感、自律心、自発心を獲得できた子は、社会に適応する免疫力を持ち、自信と自立心が培われていく。その力が、「学び、努力する」という「勤勉性」につながるのだ。
 この時期に勤勉性をきちんと獲得することがいかに大事かは、知識をより多く身につけた子を観察してみれば一目瞭然である。
 多くの知識があれば、困難にぶつかったときに対処しやすい。また、本をたくさん読んでいれば、問題解決能力が高くなる。
 そして、一つでも熱中できる得意分野があれば、それを究めることで、ほかの知識や能力も引っぱり上げることができる。
 小学校時代は、ともかく一生懸命学ぶ姿勢を身につけさせることである。知識がつけば、自分に自信が持てる。自信がつけばどんどん学ぶことがおもしろくなる。
 問題を解決するための考える力を養い、知的創造性を育む重要な時期である小学校時代に、ぜひ学ぶことのおもしろさに気づかせ、自信をつけさせてやりたいものである。
5 「小学校 後期(10歳くらい~)」-「父性が必要となってくる」
 多くのカウンセリング体験から言えることは、子どもは小学校4年生ぐらいから確実に変わり始めるということだ。
 大人との距離を取り始める重要な時期が10歳である。
 ものごとを推論、分析をしたり想像力を発揮し始めたりする時期だ。
 だから、この時期の子どもの扱いには注意が必要である。
 それまでは母性の中に守られていた子どもは、10歳以降は父性を必要としてくるのだ。
「ここから先はやめておいたほうがいい」「これはこういうものだよ」「世の中とは、社会とは、こういうきまりがあるんだよ」という限界や社会常識、物事のバランスや優先順位を、父親から教えるべきだ。
 10歳までどっぷりと母親の世界に守られてきた子どもは、これまでの受容から一転、制限されることに欲求不満を抱き、「何だよ」という反抗心が頭をもたげる。
 そんな葛藤の中で、「父親の言うことももっともらしいけれど、僕の意見のほうが正しいんじゃないか」とか「父親にしたがうべきだろうか」などと煩悶がでてくる。
 こういった自問自答を繰り返し、父親の言動を反すうして、自分自身の心の自我を完成させてゆく。
 この段階は、大人へのステップとして非常に重要である。
 これが生きる力のフレームを形成し、子どもの人格に規律や常識を組み込んで、社会人として生きるたくましさを培うことができるのだ。
 父親の愛は、競争原理を客観的・相対的に示す教育愛である。
 ライオンの父親は、子ライオンを谷底へ突き落とすことで生きることの厳しさと勇気を教えると言われているが、これは父親の役目を象徴していると言えるだろう。
 人間も、スキンシップの裏には、突き放したり、厳しさを教えなければならない面も備えている。
 人生観や価値観、道徳観、社会観といった広い視野に立った見解を、父親がしっかりと話せるかどうかは、子どもの精神的成熟に大いに関わるところである。
 その際には、子ども自身に考察させることが大事である。父親は自分の価値観を押しつけるのではなく、子ども自身に選択させ、悩ませ、道をきりひらく手ごたえを感じさせてやってほしい。
 その手助けとして、必要とされたときだけ応援し、陰ながら見守ってゆくのが、父親の役目なのである。
6 「青年期」-自己の再認識(アイデンティティー)
 自己存在のあり方に疑問を抱いて、「いったい自分は何だろう、何をすべきなんだろう。目的は、手段は、どうすればいいんだろう」という気持ちも、思春期特有のものだ。
 同時に、他者との関わりの中で自己のあり方を見つめ直し、生きることや将来について深く考えるようになる。
 自己を再認識するというアイデンティティー(自我同一性、主体性、本質)を、迷いながらも突きつめて考え続けていくことで、少しずつ納得したり、ぶつかったりしながら、だんだん心身ともに安定してゆくのが常である。
(
(なみ)川栄太:19432009年、20年間の小学校教師を経て、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者、40年間つとめた教育相談では、悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

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担任が保護者に「大丈夫ですよ」と言うと「親の不安がわかっているのか」と校長に苦情があった、どうすればよかったのでしょうか

 小学3年生を担任していたときのことです。家庭訪問で、ある保護者から
「隣のクラスの鈴木くんは、とても乱暴で、去年、とがったものを持ってまわりの子にちょっかいを出しているのを見た」
「去年の担任は若かったせいか、他のことに気をとられていたのか、何も注意しなかった」
「どう考えても、あの鈴木くんはあぶなっかしい。うちの子がけがでもさせられたら大変だ」
「今年の担任はどうなんだろう。そこのところをしっかり見てほしい」
 それを聞いた私は
「大丈夫ですよ。隣のクラスの武田先生はベテランですから。子どもをよく見ていますよ。心配しないでください」
と、安心してもらえるように言いました。
 ところが、学校に戻ってみると、もう校長にその保護者から苦情の電話が入っていたのです。
 校長から、保護者からの苦情の内容を聞きました。
「こちらが『しっかり見てほしい』と、担任の先生に言っているのに『大丈夫ですよ』だなんて、軽く受けとめている」
「こちらの不安がわかっているのか。私の気持ちが学校に伝わったのか」
というものです。
 私の話し方が悪かったのではないかと、校長は私を責めてきました。
 私としては、保護者の話に同調して不安を増幅させてもいけないし、同僚の武田先生の悪口を言ってもいけないと思い、保護者を安心させたいという気持ちから言ったのです。
 しかし、保護者には、私がその保護者の不安な思いをきちんと受けとめていないという印象を与えてしまったようです。
 どのように対応すればよかったのでしょうか。
 保護者は「昨年伝えたことが、どうも実行されていない」と思っていたのに、教師が「大丈夫ですよ。ベテランですから」と応じたことで、不満が怒りに転じたようです。
 乱暴な子を放っておいた学校側の対応への不満が根底にありますので、その子への対応について各教師の心構えと役割分担を説明することが必要でしょう。
 具体的には、校内で教職員への伝達を行うと共に、その乱暴な子どもへの基本的な対応についての打ち合わせ会議を開き、結果を担当者が保護者に説明すると効果的です。
 一般的に、他者のことで不満を述べる保護者には、対策委員会を構築し、対策を立てると、納得が得やすいものです。実践してみてください。
(
諏訪耕一編集:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの相談室」を開設した
)

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秋田県が全国学力トップクラスである要因は「探求型授業」と「共同研究システム」にある、どのようなものか

 秋田県は2007年以来、全国学力調査で全国トップクラスの成績を残してきた。
 その要因として「子どもたちの授業姿勢のよさ」「家庭学習が充実」「学校・家庭・地域の連携」などがある。
 なかでも重要なのが「探求型授業」と「共同研究システム」である。
1 探求型授業
 探求型授業は、子どもたちの、話し合い、意見交換を重視した授業である。
 例えば、次のような授業スタイルである。
(
)導入(学習課題の設定)
 教師と子どもたちで学習課題を決める。
(
)展開
1.
自力思考
 子どもたち一人ひとりが思考を展開する。
 自力思考がむずかしい子どもには教師が援助を行う。
2.
グループで対話
 すべての子どもが考えを持てた段階で、4人程度のグループで、考えを出し合いながら対話をしていく。
3.
グループの発表
 ある程度グループでの対話が煮詰まったら、各グループの状況を学級全体に発表する。
4.
学級全体で学び合う
 各グループの発表を、教師と子どもで整理し、共通点、相違点、論争点を明確にする。
 そのうえで、学級全体で学び合う。再度グループの検討に戻す場合もある。
 グループの対話や学級全体の学び合いの過程で、教師は必要に応じて
 ・助言をし、発問をする。
 ・「ゆさぶり発問」をする。
 ・重要な点を取り出して、再度全体の課題として返す。 
(
)授業の終末
 授業の終末で、構造的な板書を振り返りつつ、それまでの探求を振り返る。
 そのうえで、子どもたちは自分の学びを振り返り、文章にし、発表し合う。
 そういった探求によって、より高次の試行錯誤、判断・批判、推理・検証、発見・創造が展開される。
2 共同研究システム
 探求型授業は、深く豊かな教材研究、具体的な目標・ねらい・切れ味のある学習課題や指導言、グルーピングなど、通常の授業以上に高度な指導を求められる。
 そのため、教師一人ひとりの準備が必要となる。
 しかし、一人の努力だけでは限界がある。教師同士が共同して探求型授業をつくり出していく必要がある。
 秋田県では優れた共同での授業研究システムがある。
 そのシステムのなかで、若手教師も質の高い探求型授業を展開する力をつけていく。
 共同研究システムは、校内研究会、小中連携研究会等で研究授業を行う場合、
「事前研究」→「研究授業」→「ワークショップ型検討会」→「事後研究」
が基本となる。
 はじめは学年、教科で研究チームをつくる場合が多い。少しずつ学年や教科を越えた合同研究チームをつくっていくと効果的である。
 教科の専門性は重要である。しかし、専門外だからこそコメントできるというよさもある。
(
)事前研究
 研究会前までの事前研究が重要である。これが授業研究の成否を決める。
 事前研究の弱い授業研究では限られた成果しか得られない。秋田県ではていねいに行う。
 そのために研究チームをつくり、次のような項目について、ていねいで厳しい検討を行う。
1.
教材選択
 単元の系統性を意識しながら、教科書等から選ぶ
2.
教材研究
 深く豊かな教材研究が探求型を実質化する。
3.
目標・ねらいの決定
 この具体性が授業設計を緻密にする。
4.
指導計画の作成
 単元全体の指導過程と到達点・各授業の到達点。
5.
本時案の作成
 はじめは本時の大きな流れから始め、次の細案に進む。
6.
本時案を具体化した細案の作成
 学習課題、指導言、板書を含む
7.
細案に基づくプレ研究授業
 研究チームで授業を行う。教師が子ども役になり実際の流れで授業をしてみて検討し合う。
(
)研究授業
 教師全員が参加する。授業を撮影し映像記録をとる。
(
)研究授業後のワークショップ型授業検討会
 もちろん教師全員が参加する。教科や学年が違う教師が授業検討にかかわることが鍵になる。そのために「ワークショップ型」検討会が有効である。
 まず、教師全員が付箋紙に授業についてのコメントを記入する。
 例えば、授業で評価できる点について水色の付箋紙、課題・改善すべき点はピンクの付箋紙を使う。その2種類の付箋を持ってグループごとに集まる。
 グループ編成は、学年や教科、研究メンバーは分散させる。
 各グループには司会役のリーダーを置く。授業の優れた点と課題・改善点を鋭く抽出する役割を担う。
 模造紙に付箋を内容別に分類しながら貼り付けていく。それらをマジックインキ等で囲み、グループで検討を深めていく。
 全体会で各グループが発表する。
 多くのグループから出された課題・改善点が見えてくる。とくに重要な点については、再度グループで検討する時間を取ることが効果的である。かなり多様な代案が出てくる。
(
)事後研究
 授業を撮影した映像記録を使って、授業研究会の少し後に事後研究をすると、授業の成果と課題・改善点が具体的により鮮やかに見えてくる。
 研究チームで映像を再生しながらリフレクションを行う。
 授業のポイントとなる部分で再生をストップし、検討会で指摘された点を再度確認しつつ、新たな優れた点と課題・改善点を発見していく。
 以上のような共同研究によって若手教師を含め多くの教師が高い授業力を獲得していく。
 主体的、対話的で深い学びを有効に授業に生かせるかどうかは、共同研究を実質化できるかどうかにかかっている。
(
阿部 昇:1954年生まれ。秋田大学教授、附属小学校校長も勤める。専門は国語科教育学。全国大学国語教育学会理事。日本NIE学会理事。秋田県内の小中学校を数多く訪れ、全国学力テストの好成績について分析。私学中高校での教師経験もある)

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子どものけんかの仲裁で気をつけることは何んでしょうか

 ある教師が「最近の子どもは、けんかの仕方を知らない、だから本当にけんかになった時には、加減がわからず大変な結果を招いてしまう」と言っていました。ほんとに一理あると思います。
 子どもはけんかをしながら成長していくものだと思います。
 自分の意見だけを通そうとしても無理なことは、けんかをしてみて、よくわかることです。
 仲よく協力するすばらしさも、けんかをしてみてわかることです。
 学級の子どもたちのけんかの仲裁ではつぎのことに気をつけたいものです。
1 すぐに、けんかを仲裁するのはどうだろうか
「先生、〇〇くんと、△△くんがけんかをしています」「はやくとめてください」と、連絡を受けることがあります。
 危険な場合には、すかさずやめさせなければならないことは言うまでもありません。
 子どものけんかにも、それなりの理由があります。
 時には、けんかも必要といった立場に立って見守ってみることも必要です。そして、タイミングをとらえてやめさせるのです。中途半端ではしこりを残します。
2 言い分をよく聞いてあげる
 けんかは双方の言い分があるものです。
 よく聞いてあげることです。
 2人一緒に聞く場合には、弱い方、不利な方から聞いてあげるのがコツです。
 また、話の途中で教師の体験を話したり、お互いの立場を認めてあげることも大切です。
 また、よいこと、悪いことの判断やけじめはしっかりと教えます。
 2人の納得のもとに今後の約束を誓わせるのもよいでしょう。
3 必要に応じて保護者への連絡も考える
 その場で解決する場合が多いですが、後に持ち越すようなもの、例えば、けがをしたとき、持ち物を壊した時、子どもの心の痛手が大きいような場合は、必ず家庭へ連絡することです。
4 けんかをした子どもは、特に注意して見守る
 うまく仲裁したつもりでも、十分納得していなかった、ということがあるものです。
 けんかをした子どもは特に注意してそれとなく見守ってあげるようにします。
 元気がなかったら、何かあるのです。
 2人の間がうまくいってないとか、仲間はずれにされているとかが意外に多いものです。
 また、仲裁のときの約束を一方的に破っているような場合もありますので、注意が必要です。
(
石川正夫:元埼玉県公立小学校教師・大宮市教育長・埼玉県教育委員会委員長。凡事徹底」の教育を推進した
)

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授業はわからせようとする気迫が大事、「下手でも教えられる」という自信を持つことも上手な授業をする条件

 授業は上手であることに越したことはありません。
 けれども、はじめから、そうそう上手にできるわけでもありませんし、いつもいつも上手にできるものでもありません。
「下手でも教えられる」という自信を持つことも、上手な授業をする一つの大事な条件ではないかと思います。
「なんとしてでも。わからせるぞ」という自信が授業には大切です。
 授業に必要な自信は「なんとしてでも、わからせる、わからせることができる」という自信です。
 上手そうに見えた授業なのに、案外、子どもに力をつけていないことがあります。
 逆に、下手としか言いようのない授業が、意外に子どもに力をつけていることがあります。
 それは「本気で子どもにわからせようとしたか」どうかの違いだと思います。
 授業はうやむやにしてはなりません。
 そのためには、下手でも自分の納得にいくまで教え込もうという構えが必要です。
「うん、わかったッ」と子どもが思わず目を輝かせるのを見届けるまでは、決して後ろに引き退がらないぞ、という構えが必要なのです。
 教え方というものは、いろいろあるにちがいありません。
 一つの文章を読み取らせるにも、さまざまな方法があるでしょう。ことばの意味一つわからせるのさえ、その方法は三通りや四通りではないでしょう。
 それも教材により、子どもにより、ということになれば、さらにさまざまになるでしょう。
 そういうものを、早く知り、自分の中に取り込んでいきたいと思います。
 そのために、本を読んだり、話を聞いたり、授業を見たり、研究会に出たりして勉強を続けるのです。
 そうして取り込んだものが、自分の中にうまく位置づくと、それは授業への糧になります。
 ところが、自分ではうまく取り込んだつもりでいても、なかなか位置づかないことがあります。
 私の長い教師生活でも、何回かそういう時期が何年目かするとめぐってきて、苦しんだり悩んだりすることがありました。
 それを乗り越えるのに「下手でも教えられる」ということが、いつも私の支えになっていてくれたように思います。
 とっさにいい方法が出てこないかもしれません。まずい方法しか出てこないかもしれません。
 いずれにしろ「なんとしてでもわからせたいと思う」と、きっと何かを見つけ出すことができるでしょう。
「下手でも教えられる」という自信は、それをやり通してみた時に、自分のものになってきます。
 そこは、誰の助けもない場です。今の自分の持っている力を、精いっぱいぶつけるより、しようのない場です。迷ったり、わからないなどと言っておれない場です。
 そこで出てきた方法は、まずかろうと、まずくなかろうと、ともかく自分でつかみ出すよりしようのなかった方法です。
 それは、自分の創案でないかもしれません。
 いつか読んだ本の中にあったことかもしれません。
 いつか、だれかに聞いた話の中に出ていたかもしれません。
 いつかどこかで見た授業の中で感じ取っていたことかもしれません。
 それらを組み合わせたり、こねたりしたところで浮かんできたことであったかもしれません。
 もし、そうであっても、そうして出てきた時には、それらの勉強が自分の中に生きてきているのです。
 自信のない授業を続けていては、そういうことにはなってきません。
 いろいろな勉強が生きてくるのも「わからせることができる」という自信のある授業が土台になっている時です。
 繰り返します。授業に必要な自信は、下手だから持てないという自信ではありません。「下手でも教えられる」という自信なのです。
(
戸田唯巳:1919- 2009年、元兵庫県西宮市立小学校校長、小砂丘忠義賞受賞)


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教えにくい難しい子どもが今は増えてきています、子どもが変わるハッピー・コミュニケーションとは

 コミュニケーションにつまずきがある子どもに個別指導するだけでは、指導の効果は上がりません。
 その子とかかわりあっている、まわりの子どもたちへの働きかけも必要になってきます。
 担任の先生から「どう対応したらいいのか」という質問を受けることがあります。私は次のような話をします。
 コミュニケーションのつまずきは、やりとりやかかわり合いの最中に起きるため、立ち止まって、整理して、子どもたちに返してあげることができません。
 そこで、エピソードとして集めておきます。
 集めたエピソードの中から「どんな場面でよくつまずいているのか」「どんな言葉かけにうまく対応できていないのか」といった事柄を見つけていくのです。
 つまずきの傾向と対策をいっしょに考えていくようにします。
 つまずきの原因を子ども側に求めがちですが、ちょっとした大人側の配慮で、その場面を乗り越えることができるのです。
 担任の先生にとっては、その子のためと思ってとった行動が、逆効果になったりすることもあります。
 例えば、元気づけようとかけた声の大きさに驚かれたり、スキンシップを図ろうとしたらかえって嫌がられたりすることもあります。
 今は、先生から見ると「教えにくい子ども」、保護者から見ると「育てにくい子ども」が、けっこういる時代です。
 そんな子どもたちに共感し、教師と保護者が手を組んで支援していくことができたら、どんなによいでしょう。
 私がこれまで担任の先生方と考えてきた傾向と対策のいくつかを紹介します。
1 口調を変えて、子どもたちに呼びかける
 相手の耳に届きやすい声、心地よく聞こえる声があります。
 ゆっくり、高いトーンの声は、相手の警戒心を解き「聞こうかな」という気持ちにさせます。
 子どもの反応が薄い、指示を出してもバラバラという場合は、教師の語気が強く、早口になっているためかもしれません。
 また、小学校高学年に通じる言葉づかいが低学年には難しい場合があります。
 例えば「集合、整列」より「ここに集まって、並んでください」のほうが低学年には通じます。
 それから「名前は歌うように呼ぶといい」とも言われます。「鈴木くーん」と抑揚をつけて呼ぶと、子どもの耳に入りやすいでしょう。
 口角を上げれば、一瞬で笑顔をつくれます。
 明るい声は、明るい表情から。このように口調を変え、笑顔をつくるトレーニングをするもの一考です。
2 子どもたちに指示を出しても、その通りにならない
 どうして言われた通りにしないんだろう、と思う場面が学校で繰り広げられています。
 子どもには、具体的に言わないと伝わらないのです。
 例えば「体育は校庭に集合!」と言っても、子どもたちは「朝礼台の前で整列して待つ」ことまで考えて行動していません。
 指示を出すなら具体的に「誰が、どこで、いつ、何をする」を、簡潔で明確な言葉にしていく。すると、期待した状況に近づきます。
3 人の話を最後まで、静かに聞いていられない
「話は長い」とかんじさせてしまう話し方があります。
「だけれど」「なので」のような接続助詞でつないでしまうと、話に切れ目がなくなり、肝心なことが伝わりにくくなります。
 文を短くして、接続詞で話をつなぐといいのです。要点を黒板に書くと、さらに伝わりやすくなります。
4 あいさつを無視する、慰めると反発をかう
 先生が校門に立ち「楽しい学校は朝のあいさつから」と、子どもたちに声をかけることが行われています。
 その時、気になるのは、あいさつを返してくれない子、目を合わさない子です。
「朝から機嫌が悪いなんて、家で何かあったかな」と心配になり、つい「元気ないぞ」と励ましたりすると、子どももますますかたくなにする場合があります。
 声をかけても返事がないときは、目が合っただけでもよしとする。
 目をそらす子には、いろいろな子どもに声をかけながら、一瞬でも目が合ったとき、ニコッとしてあげる。
「目をそらすのは、それだけこちらを意識している証拠だ」と思えばいいのです。
 低学年、中学年の子どもには、スキンシップもお勧めです。
 肩をポンとたたいて「おはよう!」、頭をなでて「今日も学校に来てえらいね」、子どもの目線までしゃがみながら、肩に手を置いて「どうしたの?」とか。
 ただ、これが高学年になると難しい。下手に肩をたたこうものなら「セクハラ」なんて言われかねません。
 また、泣いている女の子を慰めるつもりで男の先生が「何かあったの?」と声をかけたら、それっきり口をきいてくれなくなったという話も聞きます。
 高学年の子には、声をかけていいものかどうか、まわりの子どもたちに聞いたり、養護の先生に連絡する、友だちに声をかけてもらうといいようです。
 そういうちょっと難しい子どもが、今は増えてきています。
 気づかって「ここが難しいの?」と声をかけると、それっきり何もしなくなったりする子がいます。
「先生は教室を回っているから、困ったときは声をかけてね」
と、授業スタイルを巡回型にし、歩き回りながら、それぞれの様子を見て声をかける必要性やタイミングを計るのも一案です。
 そうしていると、やがて子どものほうから声をかけてくるようになります。
5 言葉づかいが乱暴で、いじめにつながりそう
 子どもは流行語や短絡的な表現、「死ね、バカ、うざい」など攻撃的な言葉を使いたがります。
 そういう言葉はひとことですむし、武器になるからです。
 放っておくと、言葉の暴力はどんどんエスカレートしていきます。
「このクラスでは、こういう言葉は使わないし、私のクラスでは許しません」
という宣言を先生がしてくれると、子どもたちは意識するようになります。
 また、保護者会でも、このような言葉は家庭や学校でも使わせないようにお願いします。
「口にしたら、そのとき、すぐに注意しましょう」と、大人たちが毅然とした態度をとらなければ、なかなか改まりません。
(
阿部厚仁:東京都公立小学校教師、特別支援教育コーディネーター
)

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教師が技を磨くことによって、よい授業ができ、子どもや保護者に信頼されるには、どのようにすればよいか

1 本物の技を身につけるには
 本物の技というものは、生半可な努力で身につくものではない。
 何の世界でもプロといわれる人は、普通の人には見えないものがプロには見える。
 技を体得するには工夫しながら経験を積み重ねることである。
「予想をもって仕事をし、仕事をした後は記録し、反省を加え、次の予想をたてる」といった工夫の積み重ねが大切だ。
 その日ぐらしでは、何年たっても技は向上しない。
「何とかしなくてはならない」という、切羽詰まった場に自分の身を置き、挑戦することが大事だ。
 新しいものを追い求めるだけでなく、ふと立ち止まって、斎藤喜博や東井義雄などの技をあらいなおしてみることも必要かもしれない。
 成長のもとは、いい技を身につけたいという意欲の強さである。
 新しいものに挑戦しなければ技を磨くことはできない。
 努力と挑戦を継続できるかが問題である。
 技を磨くには、「この発問が有効かどうか確かめてみよう」といった、「めあて」を持って授業を行ってみるとよい。
2 授業の技を磨くには
 研究的な授業を実際にやってみるに限る。
 何かを工夫してみるとか、試すために研究的な授業を行ってみなければ腕は上がらない。わたしは年30回くらい行っている。
 ただ授業をやるのではなく、小さなことでよいから、何か一つ研究的にやってみることだ。
 例えば、今日は「この発問が有効かどうか、確かめてみよう」と考え、その発問を慎重にやってみる。うまく反応すれば自分の理論や技になる。
 逆に、子どもが反応せず、授業にならないこともある。こんなとき「どこが、どのように悪いのか」よく反省し、記録をとっておく。
 自分の授業の記録をとらない人が多い。これでは反省もできないし、前向きに考えることもできない。授業がうまいなあと思う人は記録もうまい。
3 子どもや保護者との信頼関係を築く
 教師は子どもや保護者から心服される知識・技術・人間性をそなえなければならない。
 授業の技というのは、究極的には、その人の人間性であり人間力である。
 単なるテクニックではない。小手先で子どもを動かすものでもない。心眼ともいえるものをそなえた人でなくては、技を持っているとはいえない。
 信頼関係をとりもどすには「やさしさと厳しさの使い分け」をすることだ。
 ふだんはやさしさが必要だし、子どもをかわいがらなければならない。
 しかし、時には、厳しく叱り正さなければならない。
 最も大切なことは、教師が身をもってことばや態度で示さなければならない。
 軽いことばをちゃらちゃら使わないことだ。
 教師のしていることを見て、まねて子どもが育ってくると、保護者が教師を信頼するようになる。
 これが一番早い信頼関係のつくり方である。
 子どもが心から教師を信頼するようになったとき、保護者も教師を信頼するようになるのである。
 人間性を磨き、子どもや保護者との信頼関係を持とうではないか。
4 教材に強くなり、内容に精通した教師になること
 多くの教師は、教科書の内容をきっちりつかんでいない。
 教科書を最低20回くらい読む。すると、そこで教えなければならない内容が鮮明になる。
 これを単元単位でやることだ。単元の中心になることや、最も面白いことが見えてくる。
 教科書の順序にとらわれることはない。「最も面白いところから切り込む」ことだ。これが導入の技である。
 子どもの学習意欲も高まりやすいので効果的である。
 面白いところから切り込めば、子どもが次は「何が食べたいか」教えてくれる。教えてくれた内容へ進めば、子どもの意欲も下がることはない。
 教科書の中に書き込んだり、紙に書いてはりつけて折りこんだりする。これは付け加えたい内容である。ごれで、教科書は教師のものになるのである。
5 私が常に心がけていること
 具体的にほめること。子どもはほめられた方向へ育つ。ほめ言葉は植物にとっての太陽のようなものである。
6 今の教師に足りないもの
 教師の仕事の中心は、授業を通して子どもに学力をつけ、モラルを育て、学級づくりをしていくことである。
(1)
知性:教材が決定的に弱い
 調べる時間がないという。時間は自分で工夫してつくるのである。今できることは今やること。これにつきる。始めからきちんと方針を決めて仕事をする。
(2)
モラル
 大半の校長は「何しろ、挨拶一つできない、教師としての最低限のモラルさえ身につけていない教師が多い」となげく。
 ある若い教師が、突然連絡もなしに学校を訪ねてきた。「授業を見せてくれ」という。
 四時間参観して、お礼もいわずに帰っていった。礼状もなかった。
 常識を疑うような人に時々出会う。教師の人間教育をやり直さなければならないのかと思う。
(3)
スマイル
 私は、スマイルのある表情をするように努力している。
 だから子どもたちの前に立つと自然にスマイルができるようになったと思っている。
 しかし、飛行機の客室乗務員にはかなわない。教師はサービス業である。客室乗務員に負けないスマイルを身につけたいものだ。
 ある客室乗務員は疲れたりすると笑顔が少なくなるので香水をハンカチにしみこませておいて、においをかぐことで元気になり笑顔もつくれるようです。
 教師に足りないのはスマイルである。話をしても、授業をしてもニコリともしない。まるで能面のようである。
「ニコニコしていたら、子どもにバカにされる」と、ある中学校の教師がいいかえしてきた。
 それで、私は「ニコニコしなくても、すでにバカにされていますよ。今日見た授業でもそう見えましたよ」といったら、ムッとした顔をしていた。
「授業は楽しいものだよ」ということを教師は表情でしめさなくてはならない。
 スマイルは教師の義務だと私は考えている。これは技というより、人間性といった方がよいだろう。ネクラからネアカに。これも教師の義務であると考えている。
 せめて子どもの前だけでもスマイルを絶やさないようにしたいものである。わたしが見た名人や有能な教師はみんな笑顔がすてきである。
 スマイルのある教師の授業は、やわらかく、暖かく、子どもたちものびのびと学習している。
 表情は練習で変わる。わたしがやっている方法は、机の上に常に鏡を置いて、時々表情を見る。電話するときどんな表情で話しているか、メモすると同時に見ている。
 スマイルのないときは、言葉もきつくなっている。これではいけないと反省し、急に笑顔をつくってみると、何と言葉が変わってくる。
 鏡の大きさは10cmで足がついている。毎日、何度となく自分の表情を見ているうちに、自分の表情のクセがわかる。そして、ふだんどんな顔で話しているかわかるので、反省の材料になる。
7 見ることも技しだい
 授業を見るのも「その人の実力のほど」にしか見えないのである。ある人には見えて、ある人には見えない。そのことに気づいていない人が多い。
8 言葉づかい
 名人といわれる人たちは、声は適度の大きさで話し、適度の大きさで笑う。どことなく品がある。
 教師に大切なのは品のよさである。教師がいつも笑顔で、大きな元気な声で、やさしく話しかければ、子どもたちはちゃんと応えるものだ。
9 教材のよしあしが授業の死命を制する
 つぎの教材を使えば、よい授業である。
 教材の面白さである。間口は狭く奥行きの深い教材である。今も昔も、教材がよいと子どもが熱中する。
(1)
固定観念をひっくり返す教材
 例:「大井川に橋をかけなかったのは、幕府の政策であった」(子どもたちの考え)に対して、「橋ができたら生活に困る人たちが橋をかけさせなかったのだ」という考えを提示した。
(2)
意表をつく教材
(3)
新鮮な出会いをさせる教材
(4)
思考のあいまいさをつく教材
(5)
事実を確かに見させる教材
10
よい授業には技術も必要
 教材がよいだけでよい授業ができるかというと、技術も必要である。
 技術の中でも大切なのは「発問・指示」である。
 発問のしかたによって授業は全くかわったものになる。
「発問・指示が鮮明である」ということがよい授業の大切な条件である。
 よい授業には、「わかりやすくて、問題をはらんだ資料が提示されている」ということである。
 資料収集、作成、提示がものをいう。「見せたいものは、なるべく見せるな」といわれている。授業の上手な人は、さり気なく、周到に準備して提示している。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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生徒を叱る目的は、集団の秩序を守ることです、その手段として叱る・説教があります、どう区別すればよいか

 教師が生徒を叱る時は、生徒が自分の悪行を自覚している時だけです。
 生徒が自覚していない時は説教して教えます。
1 生徒を叱る
 生徒を叱るのは、生徒が自分の悪行を自覚している時だけです。
 叱るときは、単純明快に「やめなさい!」「やめろ!」「やめ!」と叱ります。
 制止を命じるだけです。これが叱る行為のすべてです。
 必要なものは先生の勇気と気迫です。
 なぜなら、叱る対象は生徒の悪行で、しかも、生徒は自分が悪いことを自覚しているからです。
 多少の言い回しは違っても、本質は同じです。
 叱るときは理由はいらない。
 叱る時に、その理由をつけ加えると失敗します。
 わかりきったことを言うと、生徒はついつい反論したくなります。
 先生のくどい話を聞いているうちに、屁理屈を考え始めます。
2 生徒を説教する
 生徒が悪行を自覚していない時は、叱りません。説教し、やさしく教え説きます。
 善悪の区別がつかない生徒には「それは悪いことです。なぜなら・・・・・」と、わかるように教えます。
 生徒は子どもだから、知らないことがあれば、ていねいに教えます。
 当たり前だろうと思う常識でも、知らなければ教えるのが教師の仕事です。
 授業ができる教師は、説教がうまい。
 説教は、決まりきったことを教え説くことです。
 授業がうまい教師は、相手に合わせて説教するための方法を数多く知っています。
(
福地孝宏:1962年名古屋市生まれ、名古屋市立中学校教師。教育に関するHP開設し、実践で得た技術を紹介している。教師の悩み相談にも応じている)

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子どものケガなど、学校での緊急時の事故対応はどうすればよいか

 学校で子どもがケガをしたり、学校での事故で救急車を呼ぶことがある。
 学校で事故が起きれば、その学校の速やかな対応と保護者との連携がどのように機能していたかが問われることになる。
 学級担任の判断が信頼をなくすことも考えられる。
 どの手順ですればよいか、学校の中の風通しを十分にしておかないと、緊急時の対応ができなきなってしまう。
 自分の学校の緊急時の体制を確認し、いつでも起こり得ると、状況を見据えて対応をしていかなければならない。知らないでは通用しない。
 ケガや事故が起きた時の対応が学校マニュアルとして設定されているので、その状況に合わせて、報告・連絡・相談をする。
 事故が起きれば、必ず管理職に報告して状況の確認と養護教諭の判断で、生命を最優先に、確実に次の対応をしなければならない。
(1)
養護教諭、管理職に速やかに報告する。
(2)
ケガの状況により救急の要請をする。
(3)
保護者に報告し連携する。保護者に希望病院等の確認し、速やかな搬送をする。
(4)
その日のうちに子どもの状況の把握をする。
(5)
ケガの状況を把握し、その日からの指導に生かす。
(6)
状況を教育委員会に報告する。
(7)
保護者からの連絡を受ける。
(8)
子どもへの対応策を明確にする。
(9)
事故防止の対策をまとめる。
(10)
事故防止策を教育委員会に報告する。
(釼持 勉:東京都公立高校・小学校教師、教育庁、小学校長を経て、帝京大学教育学部教授、東京学芸大学特任教授)

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子どもが教師の問いかけに無反応で、私語が多く集中しないとき、どうすれば教師力をつけることができるか

「先生、授業うまいなぁ」「先生に教えてもらったら、ようわかるわ」と、子どもに言われるのは教師冥利である。
 教師から一目置かれる先生に共通しているのは「授業が上手で、子どもに好かれ、保護者からも信頼され、職場で人望が厚い」教師だ。
 では、そうした「教師力」の根元になる授業づくり・学級経営の基本は何か。
 授業とは「何ごとかを、わからせようとする教師の活動と、何ごとかをわかろうとする子どもの活動との統一」といえる。
 子どもが、教師の説明や問いかけに、何の興味や関心を示すことなく、無反応であったり、私語が多く態度が横柄で、集中しなかったりすれば「授業が成立していない」ことになる。学級も「荒れ」てくる。
 成立していない授業の特徴は、教師と子どもの信頼関係が崩れている時である。
例えば
(1)
教師の一方的な話に終始する
(2)
よく手を挙げる子どもや「できる子」だけを相手に進める
(3)
わからない子を無視する
(4)
子どもの失敗や間違いに無関心である
(5)
威圧的な叱責だけの対応をする
教師の存在である。
 ひと言でいえば、子どもたちの「安心感」や「居場所」がなく、何か「ギスギス感」が支配的な学級である。笑いもなくなる。
 どうすればよいのでしょうか。
 改善策は、そんなに難しいことではない。
 要は学級の子どもたちが「居心地よく感じる」環境を整えればいいのだ。
 この学級は「安心していいところ」と子どもが感じた時「学習意欲」も湧き上がる。
そのポイントは、
(1)
子どもの気持ちを受けとめること
(2)
話をよく聞くこと
(3)
教師と子ども、子どもと子どもを「つなぐ」視点をもつ
ことだ。
 学習内容が理解できない子どもが
(1)
どこで誰が「不満」をもっているのか
(2)
どこで誰が学習の「つまずき感」をもっているのか
と、原因や背景を真剣に吟味し、そのことをきっかけにそのことをきっかけに、他の子どもの認識も子どもの認識も発展させるような学習内容を構成・展開することである。
 すると、教師は、それまでの学習としての子どもが「生活者」として見えてくる。
 一人ひとりの子どもの生活背景が見えた時に、授業に深みが出る。
 学級集団が一つにまとまるのもそういう時だ。
 教科指導と生活指導の統一が「授業づくりの基本」である。
 学級経営も授業づくりも一日ではできないが、一日一日の積み重ねが大事だ。
 あなたは、子どもが好きですか?
(明石一郎:1955年大阪府生まれ、貝塚市立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長、大阪府教育委員会首席指導主事、貝塚市立小学校校長を経て関西外国語大学教授)


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子どもは気質によって受け取り方が違う、気質によってどのような言葉かけをするとよいでしょうか

 人間はそれぞれ違った気質を持って生まれます。同じ言葉をかけても、ある子は喜び、別の子は傷つくことがあるように、気質によって受け取り方が違います。
 ですから、子どもの気質を知ってそれに合った言葉かけをするとよいでしょう。
 また親と相性が合う子、合わない子がいます。親は自分の気質を知るとともに子どもの気質にも目を向けてみると、子育ての大きな助けになるでしょう。
 気質は胆汁質・多血質・粘液質・憂鬱質に分けることができ、シュタイナー()はそれぞれの気質をよく知って教育を行うことが大切だと述べています。
(1)
胆汁質の子ども
 自己主張がはっきりしていて、意志が強く、言葉もはっきりしています。口答えする生意気な子どもに見えてしまいます。
 意志がはっきりしているので反抗もしますし、生意気な行動を取って怒られたりします。
 叱られやすいので、納得できないと荒れてしまいます。子どもの話を「そうだったんだ」と同調して聞いてあげることが大切です。
 「子どもだから仕方がない」ではなく、どこかで「これはすべきではない」という止める規準をつくり、ブレーキをかけます。
 頭ごなしに叱るのではなく、子どもが落ち着いてきたら、話をしたり、手で示したりして実際にやってみせてあげて、なぜいけないのか納得させるとよいでしょう。
 小学三年生くらいから考える力がついてくると自己分析もでき抑制力がついてくると努力をするようになります。
 正義感が強く論理性があり弁も立つので優れたリーダーシップを発揮できるようになります。
(2)
多血質の子ども
 いろいろなことに興味を持つために、落ち着きがなく、一つのことに集中するのが苦手です。
 遊びが定まらず、今ここにいたかと思ったらすぐ次の遊びに行きます。
 何にでもすぐ反応してしまいますから「落ち着きなさい」と言いたくなりますが、そうすると余計に落ち着かなくなってしまいます。
 おおざっぱな生活リズムをつくることが大切です。
 朝は散歩をする。時間になったら昼寝をする。起きたらおやつにする。寝る時間になったら寝かせる。といった大きな生活リズムにだけ神経を使い、それ以外は使わないようにしましょう。
 次々関心が移る子どもにいちいち対応していると親の方が疲れてしまいます。淡々と生活しましょう。
 子どもが目移りしないように、たくさんの物があふれないよう、余計なものはしまっておいた方がいいでしょう。狭い閉じられたところで自由に遊ばせるのがよいと思います。
 話言葉は「やった」「だから」と言うように、脈絡がわからないので何を言っているのかわからないことも多いです。
 人と接するのが好きで、どんな人ともつきあうことができ、まわりの人を明るくさせ、大人からは可愛らしく見え好まれます。人と人を結びつける潤滑油的なところがあります。
(3)
粘液質の子ども
 ゆっくりしすぎるほどゆっくりしています。一つのことをすぐに止めて、次のことに移ることが難しい傾向があります。
 言葉を発しにくく何を言っているのか分からない場合があります。
 遊びを邪魔されても、ぼーっとしていて抵抗があまりありません。言葉をあまり発しません。
 目立たないけれど、存在感がある。任されたら仕事はきちっと仕上げるので、まわりから信頼を得られる人です。
 こつこつ仕事をこなしますから、同じことを緻密にやらなければならないような仕事に能力を発揮します。
 間違いをして叱られてもそうひどく落ち込まないのも特徴です。
 ゆっくり話ますので、聞くのに時間がかかります。やさしく、できるだけゆっくりと話を聞いてあげることです。
 基本的に豊かなファンタジーの力を持っていますのが、身体が重いような感じで、動くことが少なくなりがちです。
 そこで意識的に少しでも動きやすい、まわりでみんなが遊んでいるような場所に連れて行った方がいいでしょう。
 大きくなってから動かそうとしても無理ですから、小さいときから動く喜びを体験させてあげてください。
(4)
憂鬱質の子ども
 孤独感がただよい、社交性がなく、何かを極めていく人という感じがします。
 特定の人以外は自分を閉ざし、顔つきもあまり明るくはなく、いつもちょっと悲しそうな表情をしているように見えます。
 言葉ははっきり出てくる方ですが、砂遊びのようなことはあまり好みません。
 自分のことが話題になるのを好まないので、ほめられたとしても傷つくときもあります。
 叱られたりすると「自分はダメだ」とひどく落ち込みます。傷つきやすいのが特徴です。
 基本的に脚光を浴びることを好まない。仕事にじっくり取り組むことが好きで正確さを重んじます。
 緊張度が高いので親には本心が話せても、教師には話したがらないことがあります。その意味では、親が話を聞いてあげることが必要な子どもだと言えます。
 育てやすいと感じる子どもは自分の気質によく似た子どもでしょう。
 しかし、可愛くない、憎らしいと思ってしまう子どもも自分の気質に似ていることがあります。
 親が自分の嫌なところをわが子に見てしまうと、その子が嫌いになり、自分にないものを持っている子どもが可愛く感じるということもあるのです。
 つまり、親が自分の中の何を見ているかが、子どもの好き嫌いを左右しているわけです。
 気質はあくまで子どもを見るときの視点の助けです。気質を裏付けにして子どもを観察するのです。
 それなのに「だれだれは、どういう気質である」という決めつけをして、それだけで子どもを見ようとすることは、子どもを見る目をさまたげることになります。
 どうかこのことを忘れずに、上手に気質を利用してください。
(
)ルドルフ・シュタイナー:1861- 1925年、 オーストリア出身の神秘思想家、哲学博士。シュタイナーの人間観に基づき、独自の教育を行うヴァルドルフ学校は600校。
(
堀内節子:小学校教師を経て1975年に愛知県豊橋市に「にじの森」幼稚園を開園し前園長。シュタイナー教育を取り入れた幼児教育を実践)


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親に反抗的な態度をとって、親の言うことを全く聞かないと悩む保護者に、どのように言えばよいのでしょうか

 わが子が何かと親に反抗的な態度をとって、親の言うことを全く聞かないと深刻になっている保護者がいます。どう助言すればよいのでしょうか。
「甘やかしすぎたのでは」と、保護者のせいにするような助言は、ますます保護者を悩ませます。
 よく保護者が教師に「先生から、きつく言ってください」と、頼むことがあります。
 それを真に受けて厳しく子どもを叱っては、子どもはさらに親にも教師にも反抗的になり、信頼関係にも悪影響が出てしまいます。
「お母さん、心配してたよ」と、子どもを優しく諭すことです。
 小学校の高学年になると、親の言うことを聞かなくなり、注意すると「ウルセー」と反抗的な態度をとる子が増えます。
「素直な子だったのに」と、わが子の態度にいらだつ保護者も少なくありません。
 保護者会や個人面談で、わが子の反抗的な態度に悩む保護者をよく見かけます。
 子どもは成長するにつれて、大人の行動を客観的に見るようになります。最も身近な大人は親です。
「お母さんも、できてないじゃん」「口ばかり」と、理想的なことばかり望む親に反抗的な態度をとることもしばしばです。
 それが、子どもの自立の準備であり、成長とも言えます。
 子どもは自立するものです。
 親は頭では、わかっているのですが、わが子となると、つい感情的になってしまうのです。
 客観的な立場から、子どもの成長を保護者に伝えるのも教師の役目です。
 子どもは、注意すればするほど反発するものです。
「誰もが通る道」「反抗期があるほうが、健全なおうちですよ」と、子どもの成長を喜ぶことで、保護者が対応を考えるきっかけにしたい。 
 決して頭ごなしに叱るのではなく、例えば「いつ勉強を始めるの?」と、子どもが自分で決めて行動できるような方法で導くことが大切だと、保護者に助言しましょう。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる) 

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教師が最初の3年間をどのように生きるかは決定的な意義をもつ

 教育という仕事は、子どもたちの生命に火を点じて、これを目ざめさす点にある。
 それはまた、真に主体的に自己を確立させることだといえましょう。
 それには、何よりも先ず、教師自らが生命に火を点じなくてはならぬからです。
 かくして、真の教育は、教師自身が自ら主体的に生きることによってのみ、行われると言えましょう。
 教師として、ひとかどの生き方をしようとするためには、最初の3年間をどのように生きるかは、その人にとって決定的な意義をもつ。
 これは不動の真理といってよいと思います。
 では、その3年間の基礎時代に、われわれ教師はいったいどのような生き方をすればよいでしょうか。
 大別すると。
(1)
教材に関する問題
 子どもの実力に大きなひらきができるということは、教師の教材に対する研究というか、そのこなし方が不十分ということが、何といっても一番大きな原因といってよい。
 教科書の研究は、少なくとも3種類以上の、他の教科書会社の教科書の研究を全学年にわたりする必要があると思う。
 次に、教授法の研究です。学校現場のすぐれた実践人の実践記録につねに最大の関心を寄せる必要があると思います。
 こうした研究は、自分ひとりでやるよりも、グループでやる方が、比較的やり易いと思います。有志が集って、そうしたグループを作るようにするのがよい。
(2)
授業の仕方に関する問題
 学習指導で一番大事なことは、基礎学力です。
 どうすれば子どもたちの基礎学力をつけることができるでしょうか。
 要するに、まず国語の本をスラスラ読めるようにすること、算数の四則をしっかり身につけさせることは、不動の鉄則といってよいでしょう。
 教師は1時間に少なくとも3回は机間を巡視して、1回に3人から5人くらいの子どもに、たとえホンの一言でもよいから言葉をかけて、その子どもの学習状態に一つのクサビを打ち込めるようでありたいと思います。
 板書は、芦田恵之助先生に教わったことですが、一字一字を清書のつもりで、ていねいに書くように努力してください。
(3)
学級経営
 学級経営の一番大事なことは、いうまでもなく、子どもたちの心をつかむことであるといえましょう。
 それには、教師も子どもも等しく一人の人間であるという自覚に立って、子どもたちが考えていることを、自由に話させるようにさせることだといえましょう。
 たとえ教師が、子どもを思い心から愛していたとしても、それが保護者の心に通じる具体的な通路がひらかれていなかったとしたら、保護者は心を開いてはくれないでしょう。
 教師の子どもたちへの愛情が、親たちに分かるようになるには、持続的な努力以外にその途を知りません。
 例えば、ノートや作文など子どもたちの提出物を、丹念に心をこめてみてあげることも、保護者の立場からは、その教師の愛情を最も端的に伺い知る事柄といってよいでしょう。
 家庭訪問で大事なことの一つは、必ず長所を聞き出すことを忘れてはならない。
 そうすると、その後親たちにも、わが子の教育方針に、方向転換を与えるキッカケともなります。
 教師の実践の研究は、到達した結論のみでなく、プロセスの記録の方がより大切であり、意義が深いと考える。
(4)
生活指導
 非行の問題は、その原因が家庭における愛情の欠乏にあるわけですから、根本対策としては、保護者を説得して目覚めさせるしかない。
 しかし、それが不可能な場合は、教師自身が、親代わりになって、どこまで愛情を注いでやれるかの問題だといってよいでしょう。
 そして、クラスの子たちが「あんな子にしたのはわれわれの共同責任だ」と考えるようになり、クラス全体の空気を高めることが出来たら最高です。
(
森 信三:1896年-1992年、愛知県生まれ、哲学者・教育者。全国を教育行脚した。神戸大学教育学部教授、神戸海星女子学院大学教授。1975年「実践人の家」建設)

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教師が身につけておくとよい「生き方や考え方」とは何か

 教師はプロフェッショナルであると私は考えている。
 しかし、人並みのあいさつもできず、時間も厳守できず、人とも談笑もできないプロフェッショナルになってはならない。
 教師は人間味があって世間の常識もわきまえ、人生を肯定的に生きている人である。
 教師がそうなるためには、何を心がけるとよいでしょうか。そのためには
1 生き生きとした教師
 生き生きとした教師とは、若年寄でない教師のことである。
 若年寄の教師は、よくいえば素直であるが、わるくいえば覇気がない。
 若年寄りの教師は、いかにも重厚で人生のことは何もかも承知している雰囲気の人である。
 若年寄の教師は、子どもとの心のふれあいがもちにくい。
 こういう人は、本当の自分を抑えて外界にあわせて生きている。
 人に気に入れられるための人生であったことにやがて気づき、ある年齢になってから猛烈に自分を取り戻したくなる。
 しかし、今さら人の期待にそむくわけもいかず悩むことになる。
 人生は人に好かれるために生きているのではない。何かをなすために生きているのである。
 教師は無軌道になるくらいの自由な精神の持ち主になる方がよい。
 仕事も楽しくなるし、私生活も豊かになるからである。  
2 創造性のある教師
 創造性は感情と知的レベルのものがある。
(1)
感情レベルの創造性
 感情レベルのものとは、うれしいときにはうれしい顔ができ、泣きたいときには泣けることである。
 つまり感情表出の豊かな教師が創造性の高い教師ということになる。
 これをタイミングよく行っている教師が「自己開示」の上手な教師である。
 教師が自己開示するから、子どもたちも自己開示しやすくなり、そこに心のふれあう人間関係が生まれるのである。
(2)
既存のものに「新しい関係」を発見する能力
 これは知的で思考を要する作業である。じっとしているだけでは出てこない。
 つぶさに知りつくそうとしているうちに、新しいアイデアが生まれるのである。
(3)
既存のものを「発想の転換、柔軟思考」で、新しい意味を発見する能力
 創造性の乏しい人は、それまで教わった意味づけしか知らないので、それ以外の受け取り方が思いつかない。それゆえ、世も末だと思い込んでしまったりする。
 創造性が育つためには、行動の自由と特定の「ねばならぬ」思考から解放されることである。
 創造性の育成がなぜ大事なのかを考えると。今の世の中は昔のように行動様式や教育の指導法が一定していないからである。
 それゆえ、そのつど頭を働かす必要がある。
3 生きがいをもつ
 教師は子どもの模倣になる立場である。
 それゆえ自分の実感から生きがいのある人生観をもつ必要性がある。
 生きがいとは、人生に生きる意味があり、虚無感や無気力、自暴自棄にならず、人生を楽しんでいる状態である。
 生きがいが生じるためには、
(1)
時間の流れの中で今を見つめること
 悩む人、落ち込む人、絶望する人は、今が人生のすべてであると、今しか目には入らないからである。
 行動科学の理論を知っていれば先を推論できる。またイマジネーションを利用し、自分が子どもや親に感謝されている状況をイメージして生きがいを作り出すのである。
 もう一つあげると、自己暗示で「人生に八方ふさがりはない」「朝の来ない夜はない」等を信じるのである。
 私は苦境のとき、こういった教えを心に秘めて人生の希望を見出したことが何回もあった。
(2)
自分の役割をもつ
 自分の居場所があるということである。
 それゆえ、教師が学校、家庭、サークル、仲間づきあいで自分の役割をもつ体験はきわめて大事である。
 役割には必ず権限と責任が伴うのでグループ体験をすることが自分の「生きがい」を育てることになるのである。
 学校行事を教師が協力してこなす体験は、他の関係の中で自分を自覚する生きがいの源泉であるといえよう。
(3)
人と感情交流をもつ
 人は孤立感が強いとき生きる意欲は出てこない。
 他とのつながりがあるときには人生のフラストレーションに耐えることができる。
 これまで親・配偶者・上司・同僚に今まで「してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を思い出す。
 これによって感謝の念が湧きおこってくるのである。
4 人生哲学
 哲学というのは私たちの言動の前提になるものである。
 哲学(思想)があるから感情も生じるのである。
 生活を通じて哲学を吟味することである。
 この前提が定まらないと、子育ても教育も一貫性が出てこない。
日常生活の前提(哲学)を提言すると
(1)
自分が人生の主人公である
 自分が自分の主人公であるという勇往邁進(目的に向かって,わきめもふらず勇ましく進んで行くこと)の気概をもつことは好ましいものである。
(2)
「べき」からの解放
 「人は○○すべきである」等の「べき」がある限り、自己嫌悪、人を嫌悪、人生をうらむという結果になるのが常である。
5 余暇と教養
 教師の仕事はストレスの多い仕事である。
 良心的な教師ほど「燃え尽き症候群」になりやすい。
 燃え尽き症候群にならないためにも、人生を楽しむためにも余暇の使い方と教養を豊かにすることは大事である。
 人生とは時間をいかに費やすかである。
 時間の費やし方にバランスのある人が生き方のモデルになる。
 人生は仕事のほかに、余暇活動、つきあいなど時間の費やし方がいくらでもある。
 それぞれを上手にバランスをとって生活に組み込んでいる人が人生の達人である。
 完全癖から脱却することである。
 時間がいくらあっても足りない。そこで重要度にランキングをつけて、低位のものは切り捨てることである。
 教師にとって教養は、人生を自分の専門である教職以外の目で見るという意味がある。
 プロは時々刻々と変動する状況の中でそのつど、自分で判断して行動を選ぶところにある。
 自分の専門だけを拠りどころにしては判断を誤ることがある。
 子どもの人生に関わる教師としては、幅広い教養にふれて、できるだけ複数の観点になじんでおく方がよい。
 例やたとえ話に不自由しないし、子どもたちに共感的に理解を示すことができる。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長なども歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)
 

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俺流の生徒の叱り方と学級崩壊に陥らないようにする方法とは

 学校の教師というのは勉強を教えるだけが仕事じゃないはずです。その子と向き合って心を揺さぶることも仕事ですから。
 俺は生徒たちと対立しても、気持ちでは絶対に引かない。自分が引いた線からは絶対に引かない。
 俺は生徒たちに情熱と正論で突っ張る。生徒たちは彼らなりの理屈で突っ張ってくる。
 その二つがガチンコになると、最後には絶対に、情熱と正論が勝つんです。教育の場では、絶対にそうなるんです。
 おまえの人生のためにおかしいだろうっていうのが教育の場では正論なわけです。
 今やっていることは正しいのか、正しくないのかは、生徒たちの心の中では、みんなわかっていますからね。
 しっかりと叱って、その子が涙を流した後に、黙ってギュッと抱きしめてあげれば、それでその子が変わってくる。
 問題児として、くくってしまったら、どんどんひねくれた方向に行ってしまう。
 俺なりに気をつけていることは、叱りっぱなしではなく、叱った理由とか、俺の本気の思いなどを、後からしっかり伝えてあげるということです。
 ほんとうに思いがあるなら、それはできるんです。
 もちろん、俺が叱ったら、生徒たちはみんな泣きます。俺は本気で叱りますから。
 でも、その後に「ちょっと来い」と。
 それで「叱った理由はわかるか?」って話をする。延々と説明します。
 そうなると方法論じゃないんですね。
 ほんとうにこの子のことが大事だと思ったら、ダメなことはダメと言わなきゃいけない。
 なのに、今の大人は、子どもたちを叱らなきゃいけないときも「いいよ、いいよ」と言って、優しさと甘さの線引きをぼやかしてしまう。
 そうすると、必ず子どもは、ぼやかされた線のところを行ったり来たりする。
 思いっきりそのままの気持ちを伝えることのほうが大切だというのに。
 俺は、教育にとって肝心なことは、今、自分の気持ちが子どもたちに届くときに、何をするかということに尽きると思うんです。
 先生が迷っていたら教育の答えは絶対に出ない。精一杯、動くほうが大切なんだと思います。
 知らない街を旅しているのが子どもで、教師はガイドだと思うんです。
 教師は「大丈夫だよ、この道だ」と言って、子どもと一緒に歩いていく。信念をもって共に道を探すガイドが、今の子どもたちに必要なんです。
 教育困難校などで、普通の教科書どおりの授業をしたら、間違いなく学級崩壊します。
 そうなると、ポイントになるのは、授業をする人、つまり教師の在り方になってきます。
 教師がどういう教材をつくって、どういう授業をするかになるんです。
 俺なんかは、教科書を参考にしながら、生徒たちの興味を喚起するような身近な事例を織り交ぜたプリントを作成して、授業をすすめています。
「一年間、このプリントをしっかり学び、一冊のファイルが完成したら、それがおまえらの教科書になる」
「俺の授業では、教科書がはじめからあるのではなく、みんなで1年かけて、教科書をつくっていくんだ」
と。
 日々の激務のなかで行う教材作成は、正直しんどいです。でも、学級崩壊が続くよりは、よっぽどいいですから。
 それに、本気で準備して、本気で授業をやれば、生徒たちに絶対に伝わるんです。
 やっぱり、授業こそが生徒たちの生活指導の中心です。その授業を適当にやっておいて、問題があったときだけ叱るなんていうのはダメで、不断の努力が必要になります。
(
義家弘介: 1971年長野県生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、塾講師、母校の教師となり活躍し2005年に退職する。横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる
)

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教師を中傷し、あらぬ噂を流す保護者がいて困るとき、どうすればよいか

 学校のある地域を素通りする通勤が大多数を占めていることもあって、先生の姿が町では見えにくくなっている。
 それだけに、先生についての話が保護者の間で一人歩きしたり、曲げて伝えられたりすることがある。
 ほんの少しだけ垣間見た先生の言動、子どもの口から知った先生の学校での様子、そんなところから「話」が始まるのは怖いことである。
 それだけに、ふだんの子どもへの接し方には十分に気をつけた方がよい。
 もちろん、私生活についてもである。
 中傷のねたになりそうなもの
 例えば、中傷のねたになりそうなもの、注意することを挙げてみると
(1)
子どもの指導について
 ひいきの子をつくる。公平な目で見ない。乱暴な言葉遣い。怒るときの言葉が汚い。授業がへた。間違ったことを教える。誤字脱字が多い。話が脱線する。
(2)
ふだんの生活について
 整理整頓が悪く、だらしない。服装が派手、汚い。金銭にルーズ。遊びが好きで教材研究はどうなっていると疑われる。男女の関係。飲酒のトラブル。
 これらのことが、例え本当のことでなくても、尾びれがついて、広がっていく。用心、用心。
 教師を中傷し、あらぬ噂を流す保護者
 何といっても被害者は教師である。「火の無い所に煙は立たぬ」とは言うものの、本当に気分が悪くなるものである。
 教師を中傷し、あらぬ噂を流すような保護者とは、例えば、
(1)
井戸端会議のネタにして面白がる保護者
 笑い話として教師をこきおろすことに楽しさを求める。
(2)
わが子の担任を取り替えてほしいと考えている保護者
 たまにあることだ。校長や教育委員会に乗り込む場合もあり、本気で事にあたる。
(3)
わが子がかわいがられていない、差別されているなどと思い込んでいる保護者
 不満やうらみをはらすことと、賛同する仲間を増やし、教師にプレッシャーをかける。
 教師を中傷し、あらぬ噂を流された場合、多少なりとも身に覚えのある点については、直すようにする。
「人の噂も75日」と構えて、いつもの通りに生活する心を持つことも大切である。
 教師の本分である「子どもの教育に誠心誠意ことに当たる」ことをしていれば、あらぬ話は消えていくと信じてがんばっていくしかないだろう。
(
佐藤信彦:元宮城教育大学附属小学校教頭・宮城県公立中学校長・仙台市立中学校校長
)

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有田正和先生の有名な「郵便ポスト」の授業(小学校2年生)を参観し、これが本当の宿題の出し方だと感銘を受けた

 もう20年以上も前のことになるが、筑波大学付属小学校の公開研究会で有田正和先生の有名な「郵便ポスト」の授業(小学校2年生)を参観した。これが本当の宿題の出し方だと感銘を受けた。
 1日目の授業で有田先生が大きなボール紙を教室に持ち込んで
「これで郵便ポストを作ろうじゃないか」
と子どもたちに呼びかけるところからスタートした。
 途端に、子どもたちは
「そんな紙じゃポストは作れないよ!」
と口々に言い始めた。
 その後は、いかに子どもたちがポストについてあやふやな知識しか持っていないかを自覚させることに有田先生は全力を挙げる。
 ポストの色は「赤」という子に対して「オレンジだ」と言い張る子。
「いや青いポストを見たことがある」と言う子。
「色は決まっていない」と言う子。
 言い合っているうちに
「じゃあ、調べて来ようよ」
と、誰からともなく、そういう声が挙がる。
「じゃあ、形は?」
「差し出し口はいくつ?」
「ポストの回収の時間は決まっている?」「それが書いてある?」
「ポストにポストと書いてある?」
「いや、POSTと書いてある?」
 授業は、ふだん見慣れているはずのポストを「自分たちはよく見ていなかった」と、子どもに自覚させるだけで終わった。
 その間、
 有田先生は何も教えなかった。
 有田先生は何も次の活動の予告をしなかった。
 有田先生は何もまとめをしなかった。
 と、当時の私はただ、茫然とするだけだった。
 帰りの会が終わると、待ちかねたように子どもたちは校外へ飛び出して行った。
 有田先生はひと言も「宿題です。調べてきましょう」とは言わなかったのにである。
 次の日「いったい今日はどのように授業が展開するのだろう」とわくわくする気持ちで、また朝から参観に出かけた。
 子どもたちは、昨日、ランドセルを背負ったまま下校途中に授業で話題になったことについてポストを調べてきたらしい。
 昨日には、あやふやだったことが、子ども同士の情報交換によって、どんどん確認されていく。
 そして、その過程で新たな課題が生まれ、この日も子どもたちは調べる意欲満々で帰っていった。
 1時間目の授業では気がつかなかったが、2時間目の白熱した話し合いの中で、自然と調べる視点について、子どもの理解が深まっていくことが私にもわかった。
 授業の名人と言われる人の力量はすごい。
「宿題です」なんて言わなくても、子どもが自分で課題意識を持って学校から飛び出して行きたくなるような、あんな授業をしてみたいと強く願ったものである。
(
宮津大蔵:石川県金沢市生まれ、桐蔭横浜大学教授)
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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一斉授業で、一人ひとりの子どもを生かしていく方法がわからない、どうすれば意欲を高め、生かせるのか

 一人ひとりの子どもをよく知って、その能力を授業で最大限に伸ばすことが教師の責務である。
 実際には、一斉授業で教師が子どもたちに課題を投げかけたとたん、一人ひとりが、個性的に、理解程度に応じて自らの考えを働かせる。
 教師が、子どもたち一人ひとりの思考を、教師が確実に把握して、授業でどう生かすか、その方法を見通しておくことが大切である。
 一人ひとりを生かすポイント(視点)は、一人ひとりの子どもが
1 個性を生かして授業に参加する
 算数や理科の学習は、答えを一つに導き出す過程で、子どもたち一人ひとりのさまざまな見方や考え方を大切にする。
 お互いの考えを交換し合う場を設定すると、それぞれの考えが生かされて多様な解決の方法が発見できる。
 一つの見方にとらわれることなく、どの子どもの考えも大切にして、いろいろな角度からの考え方を授業で取り上げることが個性を生かすことになる。
(1)
一人ひとりの子どもが、自分の考えを素直に出し合える学習活動の場をもうける
(2)
子どもの考えを出させる場合、教師の意見に流されないように、まず、子どもから考えを出させる
2 子どもの能力を生かす
 それぞれの能力にあった学習の成果を上げるようにする。
(1)
子どもの把握
 子どもたち一人ひとりの
「理解・解決するまでの時間」
「既習の知識・経験」
「興味・関心の度合い」
の違いを把握していると、一斉授業の中で適切な機会をとらえて援助できる。
(2)
コース別による学習形態の工夫
 理解を主とした学習では「早く分かる」「まだ分からない」など、理解状態に応じた学習コースを構成しておく方法もある。
(3)
小集団活動の利用、能力別編成
 技術的な面では、能力別のグループ学習が有効である。
 学習内容に応じて柔軟に編成し、固定化しないように配慮する。
 子どもの意欲を高める授業をするには、
1 興味・関心を呼び起こし行動してみたくなる好奇心をそそる課題を与える
(1)
自分の能力で解決できる能力にあった課題
(2)
好奇心をかき立てる新しい課題
(3)
学習する手順、過程が見通せると自分でやれる自信が生まれる
(4)
直ちに努力の結果が知らされる喜び、成功感・成就感が味わえる
2 学習意欲を高める学級経営
 学習意欲は、学級の雰囲気によって左右されやすい。学級意欲を高める学級経営のポイントは、
(1)
認め合う学級
 全ての子どもを教師が認め、子ども同士が一人ひとりの活躍を喜び合えるようにする。
(2)
分かる授業をする学級
「分かった!」という満足感や成就感を与えられる授業をする。
(3)
安心感のある学級
 学習上の不安、友だち関係の不安、先生との問答への不安などのない学習活動にする。
3 学習指導の工夫
 学習意欲とかかわる欲求には例えば「好奇心」「活動」「探索」「達成」「承認」「自己実現」などがある。
 子どもの活動の様子をとらえて、あの子は、どのような欲求を刺激すると学習意欲が高まるのか判断するとよい。
(1)
適切な目標を与える
(2)
疑問や矛盾を感じさせる
(3)
「やった!」「できた!」の経験をさせる
(4)
子ども自身に資料を集めさせる
(
関口 寛:1931年生まれ、宮城県教育研修センター指導主事を経て元仙台市立小学校長)

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学級が荒れ・崩壊したときの経験は必ず生きる、自分なりの実践を創造していくうえで貴重な経験となる

 学級が荒れたときの精神的な苦痛は、他の仕事と比較にならないほど大変なものです。
 子どもたちから「うるせー」「ボケ」「死ね」などという暴言を浴びせられることだって少なくはなく、ときには小学校においてさえ、子どもから暴力を受けることだってあります。
 その屈辱たるや、おそらく想像しがたいほどだと思います。
 授業中立ち歩いたり、四六時中おしゃべりがあり、授業妨害などがあれば、教師としての自信が急速に失われていきます。
 疲れきって、退職を余儀なくされる教師も見られるのは、そのためです。
 それでは、荒れ、崩壊した学級を担任したとき「教師にとってプラスになることはないか」と言えば、けっしてそんなことはありません。
 大変な学級をもつことで、見えてくることも少なくないからです。
 むしろ荒れた子どもたちと接することが、指導力をアップしていくきっかけになることも事実です。
 自分の実践の問題点も浮き彫りになることもしばしばあり、教育観や子ども観を深める機会になることも多いものです。
 そういう意味では荒れた子どもたちと出会うということは、教師が従来の指導の枠や固定観念を崩し、新たな成長を遂げていく時期でもあるのです。
 それは、教師が子どもと教育を再発見する旅立ちでもあります。
 自分の感覚、感性をもとにつかんだものは、本を読んで学んだことと違い、自分なりの実践を創造していくうえで貴重なものです。
 ひとつの発見が実践を豊かにしていく場合が少なくありません。
 私がこれまで、何度か荒れた子どもたちを担任する機会がありましたが、その中で得たことの一つは、度胸がついたということです。日常の実践では重要な意味をもつものです。
 私の場合、荒れた学級を担任した経験によって度胸がつきました。
 度胸がつくと、教師が子どもたちに同じことを言ったとしても、教師のまなざしや顔の表情などの微妙な違いが生じ、子どもたちの受け取り方はかなり違ってくる。
 度胸は実践が困難なときであっても「なんとかなるさ」という思いにさせてくれます。余裕を生むのです。
 ああ、どうしようという焦りを緩和する役割を果たします。必要以上のストレスを防いでもくれます。
 冷静に判断することが可能になり、管理主義的な対応を避けることができるのです。
 このような教師の姿勢は、子どもとの信頼関係をつくっていくうえで不可欠です。
 学級が荒れた場合には「なんとかなるさ」という思いになれるかどうかは、かなり重要なことです。
 荒れをくぐり抜けることで、度胸はつくられていきます。
 一回や二回クラスが荒れてどうしようもなくなったとしても、長い教師生活からみれば、決して無駄なことではないのです。
 人間の心理は複雑です。子どもの心理も複雑です。教育という仕事が毎回毎回うまくいくなどと考えること自体が、そもそも無理なことです。うまくいかないからと言って、落胆ばかり必要はないように思います。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師、北海道教育大教授を経て松本大学教育学部教授。「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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保護者と担任が信頼関係を築くためには、たくさんの連絡方法があるとよい、どのような方法があるか

 保護者が一番知りたいことは、学校でのわが子の様子です。
 もし、わが子に心配なことが起こったとき、状況がわからなければ悪い想像が膨らみ、不安がどんどん増して「一体どうなっているんだ!」となります。
 しかし、学校でのわが子の様子が少しでも見えていれば、状況がつかみやすくなり、落ち着いて「学校での様子を詳しく聞いてみよう」となります。
 人は隠されていると悪い方向に考え、見えていれば安心できるものです。
「学校での様子がよくわかる」と、保護者が安心できるようにすることが、学校と保護者との信頼関係を築く基礎となるのです。
 最初の保護者懇談会で、担任から「保護者への連絡方法」について話します。
「連絡ノート」「学校の電話」「携帯電話」「一筆箋」「学級ブログ」「学級通信」
を準備していることを伝えます。
 保護者から「子どもが、お便りを見せてくれなくて」という声を聞くことがあります。
 保護者と直接つながるチャンネルがいくつもあるというのは、教師も保護者も心強いものです。
 その中から「一筆箋」「学級ブログ」「学級通信」について次に述べます。
 まず「一筆箋」です。用意しておいた一筆箋に、子どもたちのよさを文章にし、本人に渡し保護者に伝えるものです。
 誰でも自分の子どもがほめられれば、うれしいものです。そして、担任は一人ひとりをよく見てくれて、いるんだなあと感じるはずです。
 短い文章で気軽に書け、ちょっと特別な感じが出せるので、私は一筆箋を愛用しています。
 次に「学級ブログ」です。4月に管理職や保護者に実際に見てもらいながらルールを説明し、理解を得るようにします。例えば、
(1)
メリットやデメリット
(2)
「パスワード」を知っている人しか見られないこと
(3)
名前や地名などの固有名詞は載せないこと
(4)
掲載されては困る場合は、写真を載せないこと
(5)
クラスが変わった場合はプログを削除すること
などの運用ルールを説明します。
 内容は、翌日の時間割と持ち物、宿題などの連絡事項と、その日の子どもたちの様子です。子どもたちの様子は、写真に短いコメントをつけるだけという簡単なものです。
 基本的に毎日更新しています。更新に要する時間は5分程度です。
 写真と短い文章だからこそ「この写真は何をしているの?」と、わが子との会話のきっかけになっているそうです。
 最後に「学級通信」です。学級通信は担任と子ども、保護者の交流の場です。
 子どもたちの声を中心に、楽しかったこと、悩んでいること、自分が学んだことや成長したことなど様々です。
 保護者にわが子だけでなく、クラスの子どもたちの考えが見えるように意識して子どもたちの声を選んでいます。
 子どもたちの声にコメントする形で担任の思いや保護者からの感想も載せていきます。
 保護者には、行事や学習発表会などの感想をカードに書いてもらうようお願いしています。届いたカードを学級通信に匿名で紹介します。
 担任からの思いを一方的に伝えるよりも、保護者がどう見ているか、分かる場を用意することが大切だと考えています。
 子どもの成長を願って、学校と保護者が「いつでも」「多チャンネル」「双方向」の情報公開を心がけ、共に手を取り合って進むパートナーとして協力していきたいと思っています。
(
白井 敬:長野県公立小学校を経て信州大学教育学部附属長野小学校教師)

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「私は教師に向いていない、辞めるか」とばかり考えていた新任教師が、どのようにして教師の仕事を続けたいと思うようになったか

 A先生は、新任の小学校女性教師で、地方の小規模校(全学年が単学級)の4年生の担任になりました。
 幼いころから先生になることをめざしていたA先生は、理想に燃えて一人ひとりの子どもの個性を伸ばすことを目標に積極的に関わっていこうとしました。
 しかし、授業中に立ち歩いたり、突然大きな声で話し始めたりする多動傾向の子どもへの指導に手を焼いているうちに、周囲の子どものなかにもそれに同調して騒ぐ子も出てきました。
 多動傾向の子の保護者に協力を求めると「去年はそんなことはなかった。うちの子ばかりを問題視するのはおかしい」と批判された。
 昨年度は厳しい指導をするベテランの男性教師が担任をしていましたが、転勤し、十分な引き継ぎを受けることができなかったようです。
 他の保護者からは「きちんと授業を成立させてほしい」と強く要求されるようになってしまいました。
 A先生は真面目で責任感が強く、自分一人で問題を抱え込みがちなところがある。
 子どもたちにも「こうあるべきだ」と固定的な期待感を抱きがちで、どちらかというと柔軟な対応が苦手なタイプです。
 また、他人に頼まれると嫌とはいえない性格で、後で後悔することもよくあると言います。
 A先生からの次のような相談メールがありました。
「朝は気合い入れて出勤しますが、時間が経つにつれ、だんだん無気力になり、逃げたいという気持ちになってしまいます」
「他の先生に助けてもらっても、私一人になれば元通り。『私は教師に向いていない、辞めるか』と、気づいたらそればっかり考えています。すぐに涙が出てしまいます」
 私は、次のような返信をしました。
「多くの新任教師があたる壁ではないでしょうか。思うように子どもたちが動かないもどかしさや焦りなどから、理想と現実の落差でショックをうけているのでは」
「他の先生が入ると子どもたちが落ち着いているのは、A先生の前だから、自分たちの素顔を出しているとも考えられます」
「子どもたちはA先生に安心感を抱いて、ありのままを出しているとも言えます。子どもの成長には安心感が何よりも必要です」
「子どもの気持ちで学び合おう、一緒に遊ぼうという感じで接したら、少し変化が出るかもしれません」
「難しい子どもばかりでなく、しっかり頑張っている子、楽しそうにしている子にも目を向けてみたらどうでしょうか」
「いいとこ見つけの名人先生をめざしてみたら」
「すごくいい先生になろうとするのではなく、一緒にいて楽しい先生をめざしてみるのも一つの方法です」
「それと、周りの先生も忙しいでしょうが、相談されたり、頼られたりするのは嫌なものではない。信頼できる先輩や管理職にかたひじ張らずに相談してみてください」
「人と話すと、少し気持ちが楽になります。相談することは恥ずかしいことではないし、自分のためというよりも、子どもたちのためと思って相談してみてください」
「うまくいかなくて当たり前。そんな気持ちでやってみたらどうでしょう」
 A先生は「一人で無理にやってもどうにもならない」と開き直ってから、気持ちが少しずつ和らいでいったようです。
 A先生は同じような悩みを抱かえた新任の仲間や職場の先輩と、子どもへの対応について相談し合うようになりました。
 話を通じて自己理解が進み、自分が身にまといがちな固い殻にも気づき、もののとらえ方も少しずつ変わっていきました。
 反抗的な子どもも「心のどこかで変わりたいと願っている」と思えるようになり、以前に比べ、授業に行くのが苦痛でなくなったと言います。
 自信が100%回復したわけではありませんが「教師の仕事を続けたい」と思いはじめるようになっていきました。
(
新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)

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教育の原点とは何でしょうか、原点を踏まえて何をすることが教育なのでしょうか

 教育の原点は「子どもを見る」ことです。子どもの実態をつかみ、その実態を良い方向に変えることこそが教育です。
 では、子どもをどう見ればよいのでしょうか?
 大前提として、教師は子どもに興味や好奇心を持ち、大好きになること。
 そのうえで、減点主義で子どもを見ず、育てる目で見ることです。
 私はよく、この子は何のプロになれるだろうということを考えていました。
 私は特別な用事がない限り、教室にいて子どもたちと過ごしてきましたし、毎朝20分間は必ず子どもと汗まみれになって遊んでいました。
 というのも、子どもがいちばん本音を出すのは遊びのときだからです。
 普段は元気な子が一人教室にぽつんと残っている。みんなでドッジボールをしていても、その子にだけボールが回ってこない。こうしたことはすべて異常なのです。
 子どもは笑顔が普通なのに、いじめられていたり、何か不満があると途端に笑顔が消えてしまいます。こうしたサインを見落とさないことが大切です。
 より深く子どもを知るには、子どもの考えを積極的に引き出さねばなりません。
 そこで、子どもに「書かせる」ことが重要になります。
 私が子どもに書かせるために活用していたのは「はてな?帳」です。
「はてな?帳」には、子どもたちが疑問に思ったことを何でも自由に書き込みます。身の回りの疑問や、自分自身や家族のこともよく書いてきます。
 提出されたものに、私は良かったところにアンダーラインを引いてたり、すばらしいと一言だけ書く程度に留めていました。
 教師が書き込むのはよくありません。子どもの発想力を奪って書けなくなってしまいます。
 子どもをどう育てれはよいのでしょうか。
 笑いの多い子どもにそだてなければいけません。
 笑いは「ゆとり」です。ゆとりがあれば、少々のことは笑い飛ばせるもの。
 ですから、私は「1時間に一度も笑いのない授業をした教師は直ちに逮捕する」と言っているのです。笑いの多い授業を心がけてください。
 今の子どもたちを相手にするには「ボケ」と「ツッコミ」の技術が役立ちます。
 子どもがまともにきたときには、少しボケて、かわしてみたり「えっ、そうかなあ」とわざと知らないふりをして、とぼけてみたり。そして、ここぞというときに突っ込むのです。
 子どもたちは乗ってきますし、授業が盛り上がります。
 笑いは雰囲気をつくらないと、いきなりは出ません。私は新しいクラスを持つと、一番大切なことは笑うことだと説いて、初日から笑う練習をさせました。
 笑いの絶えない学校づくりこそが、いじめ等の問題発見にもつながるのです。
 もちろん、時には子どもたちを叱ることも必要です。
 私は注意するときは「8:2の原則」に従っていました。8つほめて、2つ注意する。それも、まずほめて、最後に叱ります。
 子どもの考えを引き出すには、面白い教材を使った、面白い授業をすることも大切です。
 子どもが身を乗り出してくるようなネタを用意して、その考えを引き出し、討論したり、ほめたりしながら鍛えていく。
 教材とともに大切なのは、教師が「教えすぎないこと」だと、私は考えています。
 例えば、包丁を使ってリンゴの皮むきをさせるとしましょう。危なっかしい手つきに、思わず手を貸したい衝動に駆られますが、じっと耐えて待つ。子どもが自分で工夫をしてなしとげることが大事です。
 時には、待つことが子どもを大きく成長させるのだと思います。
 私は授業の最後に、黒板に板書した大事なところを消しながら、毎時間その場で復習するようにしていました。
 その時間にあまり集中していなかった子を指名して、消した部分を答えさせるのです。
 その子がわかっていれば、クラス全員がわかっているだろうと評価できるからです。
 評価とはテストすることだと思わないほしい。点数だけが評価ではありません。
 今まで発言が少なかったが、少し増えた。笑いが少なかったのが、みんなと同じように笑えるようになった。動作が少し俊敏になった。こうしたちょっとした成長を教師の頭のカルテに収めるようにします。
 子どもはそれぞれ成長のタイプが違うので、一人ひとりにあった指導、評価をすることが大切です。
 もう一つ、有田学級にとってなくてはならないものが、学級通信「おたよりノート」です。
 私が保護者に伝えたいことや明日の予定、時事問題や季節の変化などを板書し、それを子どもたちが書き写します。
 ただ書き写すのでは、飽きるので飽きがこないよう語尾を「ございます」や「でR」にするなど工夫をしていました。 
 効果は、書く力が圧倒的に身につくこと。私が黒板に書き終わるのとほぼ同時に、子どもたちも写し終わるほどに成長します。
 また、保護者との信頼関係を築き、共通認識を持つのにも役立ちます。
 私は、子どものことや家庭のことでわからないことがあれば、保護者に「教えてください」と素直に言えるくらいでないといけないと考えています。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)
 

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自分らしさを発揮でき、一人では考えつかなかった答えにたどり着く、対話のある授業は、どうすればできるか

 私の授業の最大の特徴は「対話・話し合いのある授業」だということです。
 授業の初めに「今日は、話し合いをします」と言うと、子どもたちは「ヤッター」と一斉に歓声を上げます。
 ある子が話し合いについて、つぎのように作文に書いています。
「話し合いが好きになりました。自分らしさを発揮できるからです。教室の中で、そんなことができるとは思っていませんでした」
「クラスのみんなで考え、考え合う。そして、一人では考えつかなかった答えにたどり着く。その瞬間が特に好きです」
 それに、じっと座って先生の話を聞くのではなく、お互いが、自分らしさを発揮し合える学び、が楽しいのでしょう。
 話し合いでは、答えが分裂するようなテーマを用意します。大きくわけて、次の2種類があります。
(1)
正解のないテーマ
 例えば「奈良の大仏は、もっと小さくてもよかった」といった、正解のない、話し合ってお互いが納得しあうテーマです。
(2)
正解のあるテーマ
「筆者のいちばん言いたい段落はどこか」といった、正解のあるテーマです。
 白熱した話し合いを生み出すために、次のような流れで話し合いをさせます。
(1)
テーマを理解させる
(2)
立場を決めさせる
(3)
理由を箇条書きで書かせる
(4)
同じ立場の者同士で話し合いをさせる
(5)
違う立場の者同士で話し合いをさせる
(6)
振り返りを行う
 話し合いの授業のスタイルは、次の4つがあります。
(1)
ペア学習
「よりよい話し方」や「聞き方」という対話の基本を指導し、実際に対話を体験させます。
 繰り返すことで、友だちとの人間関係もより良いものになっていきます。
(2)
グループ学習
 グループで協力することの良さを体験します。
 協力することの良さを実感した子どもたちは、話し合いにきちんと参加し、すすんで自分の考えを表現しようとします。
(3)
ディベート学習
 言い始めた人が立証する責任をもち、質問と反論をして判定します。各持ち時間は1分程度である。
 不満だけを言っていればよかった子どもの日常の生活から、一線を画した話し合いの世界が展開される。
 競い合いのある話し合いの中で、教えてもらったり、気付かせてもらったりします。
(4)
自由対話
 考え続ける楽しさやすばらしさを実感できるようにします。友だちの様々な考えに触れることにより、より良いものを考え続ける力が育っていきます。
 話し合うためには技術的なことももちろん必要ですが、友だちとの関係性が良くなっていくことが何よりも大切です。
 様々な機会で「ほめ合っている」「心が通じている」「相手の気持ちが想像できるようになっている」という土台があってこそ、安心して自分の意見を人前で堂々と言うことができるのです。
 何のために話し合うのか、どのような話し合いが望ましいのかということを、体験をとおして日常的に学んでいくのです。
 ただ意見を言えば良いのではありません。学級全員が一人残らず参加者となり、お互いの良さを引き出し合い、新しい考えや納得した意見を導き出し合うような話し合いができることが目標です。
(
菊池省三:1959年生まれ、 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞
)

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子どもが集中して教師の話をきくように、伝える力を磨くには、どのようにすればよいのでしょうか

 わかりやすい授業は、教師が端的なことばで子どもたちに伝えることから始まります。
 授業を録音し聞いていると、余計なことばが多く、わかりにくいことに気づきます。
「えーっと」「あのー」「前にも言いましたが」と、いちいち前置きが入ることもあり、余計なことばが多々あります。話に集中できない子どももいます。
 授業は短く、端的なことばで、発問・指示・説明をしていきます。端的なことばだからこそ、子どもにもわかりやすい授業になります。
 教師は人前で話す機会が多くあります。そのような時に、短く端的に話す練習をしてみるとよいでしょう。
 例えば、全校朝会で「今週のめあて」を話すことになったとしましょう。
 このとき、30秒ぐらいで端的に話す練習をしてみます。
 最初は、話す内容を紙に書き出してみるとよいでしょう。
 いらないことばも見えてきます。余計なことばは1文字2文字でも削っていきます。すると、わかりやすい話にすることができます。
 端的に伝える力は、一朝一夕では身につきません。意識して練習・実践をしてきた人だけに磨かれる能力です。
 教師は人に見られる職業ですから、姿勢や態度も望ましいものにしていく必要があります。次の3つが自然とできるように意識して練習しましょう。
(1)
声をはっきり出す
 教室の一番遠くの子どもにも、聞きやすい、ちょうどよい大きさで話す必要があります。
 話の最後の方が聞きとりにくいときは、語尾までしっかりと発声すれば、聞き取りやすくなります。
(2)
笑顔で子どもに視線を送る
 自然なやわらかい、微笑んでいる表情をつくるようにします。
 口を少しだけ「い」の形にすると、自然な笑顔がつくれます。
 教師はキョロキョロとせず、子どもにしばらく視線を置き、子どもたちの表情を確認してから、別の方へ視線を動かします。
(3)
腰骨を立てて、自然に立つ
 下肝に力を入れ「りん」とした姿で、腰骨を立て、背骨をまっすぐにして立ちます。
 できているかどうかは、教室の一番後ろの端にカメラを置き、自分の授業を録画するとよくわかります。
 確認するとき、自分が子どもになったつもりで見るとよいでしょう。
 できていないところを1つ、また一つと減らしていくと、1年後には劇的によくなります。
 学校には、すばらしい教師がいるはずです。その教師をよく観察し手本にすることをおすすめします。
 例えば「手の位置」「視線」「どんな表情」か、一つひとつ細かな動作に注目してください。
 また、授業をする前に、鏡の前で練習するのもおすすめです。
 教師は、子どもたちに長い話をすることもあります。
「語り」の技術がある人とない人では、子どもの集中力が違ってきます。
「語り」では説明をダラダラとすることはしません。「エピソード」を語るようにします。 
 エピソードを話すときのコツは「聞き手の頭に映像が浮かぶように話す」ことです。
 つまり「描写しながら語る」「周りの様子がわかるように話す」ことです。
 エピソードを伴った語りで、具体的な状況をイメージさせながら、大切なことを理解させていくことが重要なのです。
 描写の語りは、練習するとうまくなります。子どもを相手に時々、描写を意識して話をするようにしてみるとよいでしょう。
 語りの上手な教師が話すと、長い話になっても、子どもたちは食い入るように耳を傾けます。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」入賞)

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若手教師がぐんぐん育つ秋田県と福井県は、どのようにしているのか

 どの県でも、優秀な校長の学校では、教師が育っている。
 特に、秋田県と福井県は、若手教師を育てる校長・学校が多い。校長のリーダーシップが高く、目的意識が一致して授業研究に取り組んでいる。
 秋田県と福井県は、学校経営がすぐれていること、教師間のコミュニケーションが活性化し、目的意識が共有され、若手教師が育っている。
 秋田教育は、つぎのような3大要素がある
(1)
授業の開始時における「めあて」の明示
(2)
授業中の協議時間の確保
(3)
授業の終了時における「まとめ」と「振り返り」
 全国学力・学習状況調査では
(1)
授業の冒頭で目標(めあて・ねらい)を示す活動を計画的に取り入れましたか
(2)
学級やグループで話し合う活動を授業などで行いましたか
(3)
授業の最後に、学習したことを振り返る活動を計画的に取り入れましたか
などの項目が学力と有意な相関を示していて、しかも「よく行った」と回答する学校の割合が秋田県がトップクラスとなっている。
 それに対して、福井教育はわかりにくい。「福井らしさを探る会」の探求で明らかになった福井教育の強みは、教え方よりも校内体制にある。
(1)
単元ごとに教えるべきことがらが教科会や学年会で共有されているため、教師みんなが同じ教え方で子どもに接する。
(2)
授業の進度に合わせて宿題が出される。年間計画の元に出される宿題もある。
(3)
宿題のチェック体制が緻密だ
 毎日のチェックと宿題を忘れた子どものフォローが教師たちのチーム体制のなかで実施されている。
(4)
学年会や教科会を機能させるための校長の配慮が深い
(5)
市町の教育長は校長たちの学級担任のような存在である
 校長の資質を引き上げるために、教育長は校長一人ひとりのことをよく理解し、足繁く学校に通っている。 
 秋田県も福井県も教師集団の結びつきが強い。秋田県は校内研修を通じて、福井県は教科会や学年会を通じた結びつきが強い。
 秋田県は授業研究や学力調査を学校全体のPDCAサイクルに組込んでいる。
 年度当初に研究テーマを策定するが、それを具体化するのに年度当初に実施される全国学力調査を活用している。
 調査実施後は、すぐに自校採点し、学校の課題を明らかにして研究構想を具体化する。
 研究構想に従い各教師が研究授業を準備するが、学校全体の研究テーマを深める観点で授業の準備、公開、事後検討のサイクルを流していく。
 教師たちは研究授業の指導案検討と事後協議を通じて学んだものを日々の授業に反映させている。
 福井県の授業研究も秋田県と同様に流れているが、それに加えて学年会や教科会の結びつきも強い。
 学年会や教科会のなかで、教師たちは年間計画の策定、進度の調整だけでなく、指導方法の情報交換も行っている。
 このようにして若手教師は鍛えられ、育っていく。
 秋田県総合教育センターの初任者研修の資料を見ると、板書や授業の進め方に関するマニュアル的なものはなく
「なぜ、ねらいを設定する必要があるのか」「探求型授業とはどのようなものか」などの本質的な内容の解説がある。
 板書はどうやって鍛えているのかと尋ねると「学校で指導されているからセンターでは不要」とのことだった。
(
千々布敏弥:文部省、私立大学教員を経て、国立教育政策研究所総括研究官、調査研究協力者会議など多数の文部科学省関係委員を歴任
)

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子どもが先生の言うことを聞かないのはなぜでしょうか 

 子どもが先生の言うことを聞かないのはなぜでしょうか。
 私たちは、誰しも学校の先生に習って育ちます。しかし、習う割には、子どもの頃は先生の言うことを聞きません。
 先生は、必ず立派なことを言わなければいけないと決まっています。しかし、その「立派そうなこと」を自分自身がやっていない先生が多いのです。
 人に優しくしましょうと言うけれど、あの先生は優しくない。
 あの先生は「みんなのためを思って自分は言っているのである」という態度をとっているけれど、子どもが騒いでいるときに、丁寧に言い聞かせず、自分の思い通りにならないことに腹を立てて、威圧的に怒鳴っている。
 そういう矛盾が、子どもの目についてしまうのです。子どもが先生の言うことに反抗し、うんざりするのは、そこで言われていることに嘘があるから。
 もし本当に、子どもが騒いでいるとき、怒りを混ぜることなく、自信を持って毅然と注意ができるとか、頼れるリーダーシップがあると感じられたら、子どもも先生の言うことを聞こうとするでしょう。
 優しくすることが実践できていない大人が「人に優しくしましょう」と言ったら、その子が人に優しく穏やかになったら、周囲の大人が楽になる。
 大人は自分の利益のために、子どもを洗脳しようとしている、と敏感な子どもは心のどこかで気づいています。
 人間は本心から相手に優しくすると、心は真から満足して幸せであることを認識するものです。
「人に優しくすることは、自分にとって得くなのだなあ」と、わかっている人は、人に優しくできるわけです。
 そういう人が確信をもって「人に優しくすることは、自分にとって良いことなのですよ」と言うと、説得力があります。
 実際に人に優しくできている人は、その人自身が幸せそうなので、周囲の人も「この通りに真似してみよう」と思えるのです。
 もともと「学ぶ」は「まねぶ」から来ていると言われますけれども、真似したくなるような大人なら、人はそのようにしてみようという感じになります。
 実際にやっていて、気持ちが充実しているという事実に基づいていますので、言葉があいまいになったり、表情が嘘っぽくなることがありません。
(
小池龍之介:1978年生まれ、僧侶。2003年ウェブサイト「家出空間」を立ち上げる。住職をしている「正現寺」(山口県)と「月読寺」(神奈川県)を往復しながら、自身の修行と一般向けの瞑想を指導)

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子ども同士のトラブルがあったとき、どう保護者に対応すればよいか

 保護者対応でたいへんなのが、子ども同士のトラブル対応である。子どもも保護者も納得できるような解決になるよう綿密に検討してから対応する必要がある。
 まず、保護者から相談を受けたら、すぐに動くことだ。24時間以内に回答できるようにすることが大事である。
 すぐに対応してくれることに、保護者が教師に対して信頼感を持つからである。たとえ、解決にいたらなくても、経過を報告するようにしたい。
 一番重要なのが事実確認である。
 まずは、加害者に気づかれないように、被害を受けている子どもから話を聞く。
 次に、加害者の子どもの話を聞く。複数いる場合は、口裏を合わさせないように一人ずつ聞く。
 必要に応じて目撃している子どもがいれば話を聞いておく。
 加害者の子どもが認めない場合、その言い分を聞く。食い違いは、どちらかのうそか、感じ方の違い、勘違いであることが多い。
 いずれにしても、被害を受けている子どもがそう感じているので、そう誤解するような言動はなかったかを聞く。
 加害者の子どもが認めれば、対面させて、被害者子どもがどう思っていたのか、ひどいことをしていたかを分からせ、謝罪させ、もうやらないことを約束させる。
 管理職や生徒指導主任、学年主任に報告し、どのように対応したかを伝え、保護者にどう連絡したらよいかを相談する。
 程度が軽ければ電話でもいいが、できれば、すぐにそれぞれの子どもの家庭訪問をするとよい。顔を見て話すことで、保護者は落ち着くし、何よりも信頼感が増す。
 程度が深刻であれば、保護者と子どもに学校に集まってもらい、一連の出来事のてんまつを知らせる必要がある。
 その際には、教頭にも入ってもらうとよい。集まる人数が多い場合、生徒指導主任、学年主任にも入ってもらうと、なおいいだろう。
 管理職が出てくることで、きちんと対応してもらっているという印象を与えるからだ。
話す内容は、
(1)
出来事の顛末を知らせる。一応の解決を見たことを伝える。
(2)
被害者の子どもには、これからも気をつけて様子を見ていくことを伝える。
(3)
加害者の子どもには、何かしらのストレスや問題を抱かえているのだろうから、ただ単に叱るだけでなく、生活の様子をよく観察していってほしいことを伝える。
 もちろん、学校でも叱るだけでなく、その子の感情を尊重しながら対応していくことを話しておく。
(4)
きちんとした形で被害者とその保護者に謝罪をしてもらい、そのことが加害者側の子どもにとって大切なことだ、ということをその保護者に伝える。
 加害者の子どもが親の頭を下げる姿を見て、事の重大さを認識させるためである。
 保護者へは、学校がどのように対応してきたかということと、保護者お互いの言い分をそのまま伝えてよい。へたに隠すとあとで面倒なことになる。
 被害者、加害者のメンツをつぶさないようにするためには、これ以上言い合っても仕方がいなことや、保護者がまず歩み寄る姿勢を、子どもたちの見本として見せてほしいことを伝える。
 保護者同士が言い争うような事態は、子どもたちの今後にとって最も悪い結末であることも話すとよい。
 また、継続して話を聞いて解決に向かわせることを学校側からの今後の対策して伝えることも重要である。
 対応後も日頃の子どもの表情や行動をよく観察し、定期的に両方の子どもから話を聞くようにする。
 また、何もなくても保護者に定期的に連絡した方がよい。保護者はその後の経過を心配しているので、今の様子を話すことで安心するものである。
(佐々木 潤:1962年、宮城県生まれ、宮城県石巻市立公立小学校教師。授業づくりネットワーク・東北青年塾スタッフ。お笑い教師同盟・東北支部長。笑えて,知的な社会科授業を目指して実践研究、講演などを精力的に行っている。「一番受けたい授業」(朝日新聞社編)で全国76人の「はなまる先生」の一人に選ばれる
)

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すばらしい学級をつくる責任は教師にある、自覚した教師だけが、すばらしい学級をつくりあげられる

 すばらしい学級をつくりあげる責任は教師にある。教師だけが、すばらしい学級をつくりあげられる
 一人の教師と数十名の子どもたちが、1年間教室で生活すれば、それなりのドラマは生じる。
 自然なままの教室からは、自然なままの子どもたちの集団が形成される。
「勉強ができる子」が上位にして「勉強できない子、嫌われる子」が下位にいる構造である。
 この構造は1年間崩れない。子どもは子どもなりに、宿命的な社会構造を学ぶ。
 ここから「あきらめ」も生じる。ここから「いじめ」も生じてくる。
「あきらめ」「いじめ」は、子ども社会の奥深いところで生き続ける。
 これを破壊できるのは、教師だけなのである。それも、自覚した教師だけなのである。
 思いつくままの教室経営、赤本通りの授業をするだけで、子どもたちが変わることはない。教育とは、それほどお手軽なものではない。
 子どもの心の奥深くへ働きかけ、訴えていかなければならない。
 では、何をしたらいいのか。では、どのようにしたらいいのか。
 クラスには、いろいろなドラマがあり、さまざまな事件がある。一つひとつは別の出来事である。同じことは何もない。学級が織りなすドラマは一つひとつ異なる。
 しかし、教えているのは同じ教師である私である。年ごとに少しは成長しているとはいえ、どうということのない人間が教師をしているのである。
 だから、子どもが入れ変わってもクラスの出来事には、ある種の共通性が見られる。知らず知らずのうちに、同じような事件・出来事が生じている。
 担任である私が意図的に仕掛けるからである。およそ次のような6種類ある。学級集団形成の向山法則と呼んでもいい。
1 子どもの中にある、差別の構造を破壊する
 もちろん、平等な学級は、つくるのは不可能であろう。能力も違えば個性も異なる。しかし、目にあまるような差別の構造は破壊しなければならない。
 まず、私は教室の中に典型的な現象をとりあげる。クラスの中で、最も嫌われ、最もいやがられている子に私が味方をする。
 クラスで最も嫌われている子がひざの上に来るような教師なら「子どもを大切にしている」と私は判断する。
 口先だけ、うまいことを言う教師ではだめだ。子どもは敏感なのである。内心「嫌だ」と思っていることは相手にも伝わるのである。鏡の原理が働くのである。
「最も嫌われている子どもがひざの上にのる」ことは簡単ではない。どうしても通過しなければならない心の革命を必要とする。
 これは、変にやるとこわいことでもある。クラスのほとんどの子を敵にまわすということになりかねないからだ。
2 授業で「多数決が正しいとは限らない」という場面をつくりだす
 子どもたちにカルチャーショクを与えるのである。
 これは、かなり衝撃的なことである。特に「勉強ができる」と思い込んでいた子どもたちに与える衝撃は大きい。
 今まで、勉強の時はまるでバカにしていた子が正しかったという、考えもしなかったことが生じたからである。
 今まで「自分はダメだ」「特に勉強はダメだ」と思い込んでいた子にとってもショックである。「自分だけが正しいなんて、こんなことがあろうか」と半信半疑なのである。
 この授業の場面から、子どもたちの心の奥で、何かが変わり始める。地殻変動が生じるのである。子どもを内面から動かすのである。
 子どもを変革するのは教師の腕力ではない。管理技能ではない。知的権威である。
 教師の知的権威にふれてこそ、子どもは変わり始めるのである。
3 子どもたちの組織をつくる
「やらねばならぬこと」「やりたいこと」の2つの組織化が必要である。
「やりたいこと」は、係りが中心になる。
 係りとは、文化・スポーツ・レクレーションが中心になる。楽しいこと、面白いこと、やりたいことを、次から次へと企画させる。
 楽しいことを企画し、実行するから、子どもたちは規律をつくり出していくのである。
「忘れものをなくすための班競争」など、子どもにとってつまらないことをいくら仕組んでも、子どもの内面は育っていかない。
 まず、以上のことをやってから、後は徐々にやっていく。
4 授業を知性的にする
 知性的な中でこそ、子どもたちは育っていく。知性的とは何か。
(1)
今まであたり前と思っていたことが、見方によって異なるということである。視野が広げられたということである。
(2)
ささやかと思える言葉の指示範囲が、厳密で正確であるということである。
 教師の言葉づかいは、あいまいなことが多い。「理解させる」「分からせる」「知らせる」「気づかせる」という指導案の用語さえ、まともに使いこなせる人は少ない。
(3)
多くの意見の存在が認められることである。
 ただし、それぞれの意見には根拠がなければならない。好き勝手に、思いつきのままを言わせるだけの授業は非知性的である。
5 イベントを仕掛ける
 学級全体が、燃えるように何かに取り組むこと。その非日常的な生活の中で、子どもたちはきたえられる。
 一度、イベントの楽しさを味わうと、子どもたちは自分の手でそれを再びつくりあげようとする。
 教師が何もしなくても、さっさと企画・実行してしまうようになる。
6 教師が許せないことは、学級全体を相手に対決する
 これには注意が必要だ。
 学級全体を相手にしなくてはいけない。小数の人間を相手に対決してはいけない。それも「やんちゃの集団」を相手に、けんかのアマの新卒の女教師が対決したりなどすると、まず教師は負けるだろう。
「やんちゃ集団」は。けんかのセミプロである。けんかのセミプロにアマが勝てるわけがない。もしやるなら、十分に戦略・戦術を考えなくてはいけない。
 学級全体だと別である。学級全体だと「解決しよう」という意志が必ず存在する。そういう子どもがいるものである。
 解決しようとする子どもたちがいれば、必ず解決できる。子どもたちは自分で解決する。その中で成長するのである。
 だから、1学期のうちに全面対決をしてはいけない。まだ早い。学級がしっかりしていないからだ。ある程度、集団として成長してから仕掛けることである。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる
)

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多種多様な問題を持つ大変な学級を担任したが、学級崩壊に陥る危機をやり方、見方を見直して回避した 

 私は教師生活30年目に小学校3年生の担任を受け持った。
 積極的な明るい子どもが少ないと感じつつも、5月末の運動会までは、クラスもまとまっていました。
 ところが、運動会が終わった次の週から、活躍したAくんのわがままが急に目立ち始め、担任の制止も聞かず騒いだり、友だちに嫌がらせをするのです。
 私が「そんな事してはいけない」と、Aくんの体に手を出して止めようとすると、わざとひっくり返って「ていっ」と叫んだのです。
 私は驚いてしまい
「先生はたたいていないのに、自分から倒れたの」
「注意しても聞かないし、わざとこんなことするなんて絶対にいけないわ」
と、その場は終わらせましたが、これ以降、彼はことあるごとに挑戦的な態度をとるようになりました。
 Aくんは、気に入らなかったり、わからないと自分のところだけに来て、教えてくれないと騒ぎました。
 私にとって理解しがたかったのは、学級の他の子どもたちの態度です。
 Aくんの自分勝手な態度に、他の子どもたちは、落ち着いて学習できないと感じているはずなのに、時には痛快とさえ感じていたり「Aくんもいいところがあるよ」と弁護したりするのです。
 私は子どもたちと心が通わないような気がして「このままでは学級崩壊にすぐなるのでは」と、ため息の出る毎日でした。
 そこで、今までのやり方、見方を見直して、別の方法がないか努力してみようと考えました。
 まず、どんな時も、授業の成立の努力をすること。
「今日は、こんなことを学んだね」と、帰りの会で確認して帰すこと。
 このことにより、学習が遅れてしまうのではないかと思う子どもたちの不安をある程度おさえることができました。
 活気がなさそうに見えていた学級の子どもたちも、明るい方がすきなのがわかったので、私が怒っている時間は、学級にはマイナスだと気がつきました。
 できるだけ、子どもたち一人ひとりのよさをみつけ、私自身が楽しく生活していることを示すようにしました。 
 わざと担任を怒らせるために、教卓にふざけた絵を描いたり、悪口を書いたメモを置いたりした時、その場で叱るのは、できるだけやめました。
 自分に振り向いてほしいという、子どもの行為の一つととらえ、時間が少したってから、
(1)
必ず気づいていること。
(2)
あのようなことをされた相手は、気分を害していること。
(3)
心が傷つけられていること。
(4)
友だち同士のこういう行為が「いじめ」といわれている。
ということを伝えました。
 不思議なもので、1日ぐらい経ってからだと「自分はやっていない」と言い張るより、素直に「ごめんなさい」というケースが多いのです。
 やがて私は、子どもたちを自分の思うようにすることなど無理だし、そのように考えるのは傲慢だと思うようになりました。
 子どもたちには、つぎのような話をしました。
「先生たちは、みんなで話し合いながら、決めているのよ。騒がれて授業ができないようになって、困ったら、いつでも校長先生が見てくださるわよ」
と話しました。
 実際いくら注意しても聞き入れない時は「校長先生と話していらっしゃい」と言うと、その子が自分から校長室に行って、話してくることもありました。
 私の学校では、職員会議に学級の様子を伝える時間があるので、報告しておき、校長、教頭先生に連絡できるように下地をつくっておきました。
 だから、私の言うことを聞かない子が、校長先生と話せたことがうれしくて「ちゃんとやる」と場面が好転しました。
 3学期は、簡単な復習の宿題を毎日出して、翌朝、登校すると全員、黒板に書かれている問題に答えるようにしました。
 1日も欠かさず続けると、ランドセルを置く前に、黒板に自分の名前を見つけて答えを書いてから席に着く子もでてきました。
 国語のお話作りも、全員が大喜びで本の制作に取り組みました。他の子の作品を読んで互いにシールを貼り合うという活動にも楽しんでいました。
 磁石を利用してゲームを作り、お楽しみ会を開いたり、国語の教材をパネルシアターにして、音読発表会をしたりしました。
 その結果、卒業の時に開けようとタイムカプセルが提案されるくらい、かなり落ち着いてきて、3学期を終えることができました。
 ただ、このクラスには、ADHDの子、喘息発作で遅刻・欠席の多い子、友だちとコミュニケーションを取るのがへたな子、女の子同士の勢力争い、仲間はずしなど、抱かえた問題が多種多様で、大変な学級でした。
 苦労したと思う反面、今までになかった「子どもとのつき合い方」「解決への道」を示してくれた、学ぶべき点の多い学級でもありました。
(
東京都公立小学校教師)
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表
)

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子どもはほめて育てるのが一番よく成長します、私は子どもを見る目を変えることを、子どもに教えられた

 「どの子にも、どの先生にも、必ずいいところがある」という先入観をもって子どもや人を見ることで、人を見る目を変えることができる。
 ある子どもが、偶然、友だちのよいところを見つけて、私に知らせにきた。よほど知らせたかったのであろう。
 私は、驚きながらも
「えらいね。Aさんのいいところを見つけて、先生に知らせるなんて。すごいことだよ」
「きみを見直したよ。他人のいいところなんて、知らせたくないのにね」
と、この子をほめた。
 そのことをクラスのみんなの前で話した。そして、
「このクラスは、とてもいいクラスだよ。友だちのいいところを見つけて、先生に知らせるなんて」
「日本一のクラスだよ。先生はうれしくてたまりません。だから、クラスみんなをほめます」
と言って、パチパチと拍手をした。
 これが契機となって、子どもたちの「告げ口」の内容が一変した。
 それとともに、私の目も変わってきた。子どもに教えられた。子どもに教育されたのだ。
 子どもを見るとき
「何かいいところはないか」
「今までにない、新しい、いいところはないか」
という目で見るようになった。
 自分のクラスだけでなく、隣近所のクラスの子どものいいところを見つけては、担任に
「Bくん、見かけによらず、やさしいね。女の子に手を貸していたよ。いい子が育っているね。先生の指導の賜物でしょう」
などと話した。
 その先生も喜んでくれ
「先生は、いつも子どものいいところばかり見ているのですね。まねをしなくては」
と言った。
 このことは、徐々に子どもたちにも広がり、教師の間にも広がっていった。保護者にも広がっていった。
 子どもはほめて育てるのが一番よく成長します。もちろん、ときには叱らなくてはなりません。叱ることで、ほめる効果が出るのです。
 私は「自分で、自分をほめる」ということを身につけて、自分を成長させました。
 ほめるということは。ほめられた人も気持ちがいいが、ほめた人も気分がよくなるのです。
 たくさんほめ、自分もほめて、楽しい人生をおくってください。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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3学期、学級崩壊したクラスの担任が休職し、代理担任になり、どのように脱出する糸口を見つけたか

 2学期半ばに、5年生のあるクラスが学級崩壊になりました。表面化してきたのは11月に入った頃からです。
 担任への嫌がらせや授業妨害が激しくなりました。複数教員の体制で担任を支えてきましたが、3学期に入ると担任が身体の不調から病気休職になりました。
 そこで、生徒指導主事のJ教師が、かけ持ちで担任代理となりました。
 学年を中心に、管理職、スクールカウンセラー等とケース会議を何度ももちましたが、いったん崩れた学級集団を立て直すことは、困難を極めました。
 J教師は「先生なら何とかなるから」「子どもたちと話ができるから」と周囲から期待されました。
 生徒指導主事もこなすのが当然という雰囲気のなかで、精神的なプレッシャーがJ教師に重くのしかかりました。
 保護者から「早く立て直しを」という要求も強まり、焦燥感にも襲われました。
 現状を知ってもらおうと保護者会を開きましたが、十分な協力を得ることはできず、「生徒指導主事でも、あの程度か」と見られているのではないかという思いも、焦る気持ちに拍車をかけました。
 J教師は、もともと責任感が強いため、うまくいかないことで自分を責めたり、自分の非力さを思い知らされたようで落ち込んだりしました。
 また、思うように動いてくれない子どもたちへの怒りの感情もわいてきました。
 耳鳴りや頭痛、持病の腰痛もひどくなり、朝起きるのが辛くなっていきました。
 J教師は「ここで踏んばらないと」という気持ちと「もう投げ出したい」という気持ちの間で揺れ動いていました。
 しばらくは渦のなかに巻き込まれているようで、どうしたらよいのかわかりませんでした。
 しかし、一度、立ち止まって自分を翻弄している渦がどのようなものか、あらためて見てみようと思うようになりました。
 一人の保護者から
「先生、本当に大変な学級を担任してくれて、ありがとうございます。担任してもらっているだけで感謝しています。頑張りすぎて、つぶれないでくださいね」
と、心配そうに言われたことが
「クラスが落ち着かないのは、私の力が足りないからではない」
と、少し肩の力が抜けるきっかけになりました。
 J教師は、自分の優先すべきことは、何かを考え、周囲に自分の考えをはっきりと伝え、できないことは断るようにしていきました。
 また、思いつきで動かず、必ず他の教師に相談するように心がけました。
 学級の問題をケース会議だけでなく、職員会議でも取り上げて、全体で考えてもらうようにしました。
 そうすることで、J教師の学級や校務分掌の動きに関心を持つ教師が増えていきました。
 ねぎらわれたり、励まされたりすることもあり、そのおかげで
「もう少し頑張ろうという気持ちにになった」
とJ教師は言います。
 子どもたちに対しては、逃げずに話をすることにしました。
「クラスを良くするには、どうしたらよいのか」と問いかけ、一人ひとりに考えさせるようにした結果、少しずつ子どもたちにも変化が見えてきました。
 あきらめずに、子どもたちと向き合うことができるようになると、逆に、
「先生、学校に来るの、楽しくなったよ」
と、子どもたちから励まされることもあり、それがJ教師の心の支えになったようです。
(
新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)

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保健室に頻繁に行く生徒がいるとき、担任はどのようにすればよいのでしょうか

 その生徒がどのような状況なのかを把握するため、学級に足をよく運ぶことです。
 休み時間、昼食時間、清掃時間に生徒の動きを見届けたりすることによって、どの生徒がどのような動きをしているかを知ることができます。
 また、見逃さずに指導すると、生徒も担任が見てくれているという安心感が生まれます。
 家庭での問題や性に関する悩み等、担任に相談しにくいことは、養護教諭からの情報が生徒理解に大きく役立ちます。養護教諭の連絡でわかったという例があります。
 必要に応じて担任が保健室に足を運び、保健室がどんな様子なのか常に知ることが必要です。
 養護教諭は、保健室での課題を抱え込まず、ふだから、保健室と職員室を行き来したり、学年会で担任に連絡し、生徒指導部会と連携していくことが望ましいと思います。
 保健室に頻繁に行く生徒は
(1)
対人関係、いじめなどが原因で教室などに居場所がなかったりする生徒
(2)
学校生活や家庭に悩みや相談があって担任や教科の先生には相談しづらいことを養護の先生に相談する。
(3)
生徒同士のもめごとをさけるために、保健室が逃げ場になっている。
(4)
体調が悪いわけではないのに、怠惰な生活態度から、授業中も休み時間も問わず保健室に行く。
(5)
保健室を遊び場として、意図的にたまり場的にする。
 保健室は、生徒理解を進めるうえで、情報を得たり、教育相談やカウンセリングのきっかけとなる場でもあります。
 当然、その中心となる養護教諭の指導姿勢が大切になります。
 担任と養護教諭との連携や学校全体での養護教諭の支援が重要です。
(
緑川哲夫:1948年東京都生まれ、元東京都教育庁主任指導主事、東京都公立中学校長、東京農業大学教授
)

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若いとき多くの挫折を経験したが、うまくいく人といかない人がなぜいるのだろうか 

 稲盛和夫は、若いときに大学受験失敗、就職試験も失敗と、ことごとくうまくいかず、多くの挫折や苦労を経験しました。
 大学を卒業後、松風工業というつぶれかけた会社にようやく入社することができた。
 セラミックの研究に寝食を忘れて打ち込み、新しい材料の開発に成功することによって、挫折続きの人生に終止符を打ち、新しい人生の扉を開いてくれたのです。
 独立して京セラという会社をつくり、燃えるような情熱を持ち、先頭に立って身を粉にして働きました。
 同時に、私心を無くし自らの人格を高め、社員から信頼されるように努力しました。
 社員たちも、苦労を苦労とも思わず、夢中になって働き通しました。そんな仕事への打ち込みが素晴らしい人格を育んでくれました。
 前向きに必死に働いたことで、今日の自分があることに気づき、世のため人のために一生懸命に働くことの大切さを痛感した。
 このようなことから、私のような平凡な人間が、人生を生きていくには何が必要なのかと考えた。
 また、人間には人生や仕事でうまくいく人といかない人がなぜいるのだろうといった疑問があった。
 考えだした結論は「考え方」「熱意」「能力」の要素が影響するということであった。
 頭脳が優秀であっても、才能を過信して努力を怠り熱意が少ないとすばらしい結果は得られません。
 稲森は三つの要素の中で「考え方」がもっとも大切であると思っています。
 苦労をいやがらず、みんなのために一生懸命に生きていく考え方は人生や仕事によい結果をもたらす。
 人をねたみ世の中をすねるマイナスの考え方はお金をもっていても、みじめな結果になってしまうと。
 ささやかなことに喜びや感動を感じる心を持ち、その感動から懸命に生きるエネルギーをもらう。
 悪いことをしたら素直に反省し、明日からやり直そうという反省のある日々を送れば人生において心を高めていくことができるのです。
 稲森の、人生や仕事に実りをもたらしてくれる考えかたは、つぎのように、つねに前向きである。
(1)
協調性がある。
(2)
肯定的で明るい。
(3)
善意に満ちている。
(4)
優しく思いやりがある。
 他人の悲しみを自分のことにように嘆き、励ましてあげる。さらには他人への憎しみや怒りを抑え、優しい思いやりの心で接する
(5)
素直で謙虚で努力家である。
 成功を収めても、謙虚さを忘れず、足ることを知り、すべてのことに感謝し続けること。一方、不運にであっても、それを素直に受け入れ、前向きな生き方を続けること。
(6)
利己的でなく、利他的である。
 こころのなかに利己的な自分だけがよければいいという気持ちを抱けば、その抱いたようなことが周囲にあらわれるし、逆に美しい思いやりに満ちた心、利他の心を抱けば、やはり周囲にそういうものがあらわれると思っています。
 善きことを思い、善きことを行えば人生はいい方向へ変わるし、悪いことを思い、悪いことを行えば、悪い結果が生じる。人生とはそういうものだと考えています。
(7)
感謝の心をもっている。
といった考え方である。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長)


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現場教師の大きな悩みは「困った親」とのつきあい方、どうすればよいか

 私は学校を訪問し教師の悩みの相談に乗っています。
「ああ、学校現場はこれほど厳しいのか」と改めて教師の大変さを実感します。
「私には現場教師は務まらない」それが正直な気持ちです。
 現場教師の大きな悩みが「困った親」とのつきあい方です。
 先日訪れたある学校の研究主任の教師がタメ息まじりに
「子どもはいいんです。問題を起こしても指導できますので」
「ただ、親の扱いが難しい」
「こちらの言うことを聞いてくれない。親には指導ができないですからね」
と漏らした。
 なぜ、教師にとって「困った親」がこんなに多いのでしょうか。アプローチとして、親のタイプに注目してみたいと思います。
(1)
 個人主義で自己中心的
 個人主義で自己中心的で、人間関係が苦手です。
 傷つきやすく、耐性が低い親なので、自分の子どもが批判されると、自分が傷つけられたかのように思って逆ギレしてしまうのです。
 つねに自分と子どもが中心に置かれているのです。
(2)
 我慢することを学んでいない
 我慢することを学んでいない親です。
 生まれて初めて、我慢を強いられる「子育て」をしている親です。
 思うようにいかず児童虐待が起こっているのもこの親です。
 親からのクレームを受け続けた教師はどんどんやる気を失っていくだけです。そして教師は次第に親とその子どもに距離を置こうとするでしょう。
 親と教師の相互不信が、子どもと学校をダメにしてしまうのです。
 親と教師の歩み寄り、信頼と協力の関係が、いまほど求められている時はないでしょう。そのためにも教師は、カウンセリングの研修を受けるなどして人間関係の勉強をし、もっと親とのつき合い方を学ぶべきです。
 理不尽なことを言ってくる親に「正論」での説得は通用しません。「急がば回れ」の精神で、まずは親との関係づくりからじっくりと取り組んでいきましょう。
 そのためのポイントは
(1)
とにかく親の話をよく「聞く」こと。教師はやたらとしゃべり過ぎる。
(2)
親を尊重する。その気持ちをかたちで伝える。一人ではなく管理職と一緒に会う。お茶をお出しするなど。
(3)
まず、子どもをほめる。問題をもつ子どもはいつも批判ばかりされてきています。ほめると親との関係が良くなります。
 このように、まず「関係づくり」に徹したうえで、最後に具体的なお願いをしましょう。
 教師は自ら積極的に親との信頼関係づくりに打って出てほしいと思います。
 たとえば授業参観後の保護者懇談会。
 これに出席する親は、教育に熱心な人が多い。教師にとって親との関係をつくる絶好のチャンス。
 そのためのベストな方法のひとつが、構成的(グループ)エンカウンターです。これは、心と心の触れ合いを促すことによって、人間関係を育てる心理学技法です。
 まず教師が自分について(趣味・家族のこと・子どもの頃のこと、好きな食べ物など)を親たちに語ります。これを自己開示といいます。
 教師の人柄が分かると、親は教師に親しみを感じます。親たちも、そのような教師には心を開き、説得にも耳を傾けてくれるようになるでしょう。
 親と教師のさまざまな問題は、お互いのコミュニケーションギャップが大きな原因。まずは親しみのもてる関係づくりが大切です。
 親同士も自分のことを語り合うので親しくなりやすい。これにより「みんなでクラスの子どもを育てよう」という意識が育まれやすいのです。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)


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課題のある子が気になる、明日の授業は大丈夫だろうかと考えて、夜なかなか眠れません、どうすればよいのでしょうか

 眠れないことが、病気の症状なのか、そうでないのかは、自分で判断することが難しい場合もあります。
 日中、気分の面も身体の面でも特に問題がなければ、病気とはいえません。
 ところが、日中も気分や体調に問題がある場合や、心配事が解決したり、身体的な病気が治癒したのに不眠が続く場合には、心の病気を疑うべきでしょう。
 ただし、実際の学校現場では、次々と心配事が起きるでしょうし、多忙も続いて一息つくことさえ困難かもしれません。
 常にストレス状態が慢性的に続いているわけですから、いつ心の病気になっても、おかしくない状態です。
 不眠症にはさまざまなタイプがあること、長引けば病気のサインであることを知っておくのがよいでしょう。
 次に不眠症の具体的な解決法について述べます。
 眠りやすくする方法
(1)
寝る前に熱すぎない風呂にゆったりつかり、血液の循環を良くして、身体をほどよく温めれば眠りやすくなります。
(2)
午前中に日光浴をする
 午前中に日を浴びると、脳内の睡眠物質の量が調整され、夜眠りやすくなります。
(3)
短時間の仮眠を取る
 短時間、軽く仮眠を取ると、その後、集中して活動できるため、夜、すっきりと眠れるでしょう。
(4)
楽観的な気持ちを持つ
「眠らなければ」と、強く考えれば考えるほど、意識がはっきりして、かえって眠りにくくなるのです。
 基本的に、不眠そのもののために死ぬことはありません。
「2,3日眠らなければ、その後は疲れ果てて眠れる」というような、眠りに対する楽観的な気持ちを持つことが眠るコツといえるでしょう。
 過労だけが原因であれば、いずれ夜も眠れるようになるものです。
(5)
気分転換を図る
 楽しい出来事を思い出すことで、気持ちがリラックスでき、眠りやすくなるということもあります。
 寝酒の量が増えることは好ましくありません。
 夜、眠れないという理由で、お酒を飲む人が少なくありません。
 確かに酔ってくれば寝つきは良くなるのですが、酔いが覚めてくれば脳も覚めて浅い眠りになり、目ざめやすくなります。
 ですから、寝酒の量が増えることは好ましくありません。アルコール依存症になる人もいます。
 睡眠薬は専門医の処方で
 不眠がある程度続き、昼間に眠気が強くなったり、集中力が低下してミスが増えるといった、日常生活や仕事上でも支障が出てきた場合には、治療的な対処が必要です。
 安全で副作用の少ない睡眠を助ける睡眠薬があります。
 睡眠薬に対する悪いイメージもありますが、一時的に合理的に使うのであれば、まず問題はありません。
 日常的に使うぶんには、効かなくなることがないため、中毒を起こすことはほとんどありません。
 ただし、睡眠薬を使うのであれば、専門の医師に相談して、自分の不眠のタイプに合った薬を処方してもらうことが、一番効率的です。
 そのうえで、決められた量をきちんと守るなど、正しい使い方をしてほしいと思います。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師)

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担任の対応を保護者が納得し、連携してもらうにはどうすればよいか

 まず、担任が保護者の気持ちを受け止めることができれば、保護者は冷静になり、担任の言葉に耳を傾ける余裕が出てきます。
 担任が、主観や推測はおりまぜず、保護者に子どもの行動と担任の対応をそのまま伝えます。事実を行動レベルで分析的に伝えます。
 そうすれば、保護者も教師も感情を高ぶらせることなく、冷静に話すことができます。
 ポイントは、担任の説明が言い訳や釈明になってしまわないことです。
 保護者が、わが子の問題点と向き合うと、感情が揺れるのも仕方がないことです。
 保護者の不安な気持ちに寄り添いつつ、状況を一つひとつ順番に、具体的に伝え、担任が勝手な判断に基づいて、過剰な指導をしたと受け取られないようにすることが大切です。
 担任が対応を説明したとき、保護者が、わが子の問題点を認めたくないあまり、わが子が悪いのか、正しいのか、はっきりさせることにこだわる保護者もいます。
 保護者が自分の望む結論を出さない担任に不信感が高まり、何を言ってもむだだと感じ、その後の話し合いや対応に非協力的になる恐れもあります。
 話し合いの視点を原因追及から、保護者と担任との連携に変えます。
 保護者に、学校にどのような対応を期待されているのか尋ねます。
 保護者の要望が少々、自分勝手であっても、途中で遮らずによく聞き、保護者の思いを理解します。
 保護者の要望の内容が受け入れられない場合には、その対応を取ることによって予想される周囲の反発などを伝え、保護者に考えてもらい、意見を求めます。
 大切なのは、子どものために何ができるのかを、保護者と一緒に考えることです。
 担任の対応によって、起こる子どもたちの反応を予想しながら、保護者が自分の気持ちに折り合いをつけ、子どもたちのために、保護者と担任とが協力できる関係性を構築することがポイントです。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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小学校の母親が求める「よい担任の先生」とは、どのような担任か

 小学校の母親が求めるよい担任の先生とは、どのような担任なのでしょうか。
 小学校は一人の先生が一つのクラスを、授業から生活まですべて見守るシステム。だからこそ親の願いはただ一つ「よい先生に受け持ってほしい」です。
 でも「よい先生」の条件ってどのようなものでしょうか。
 そこで、小学校ママ100人委員会の母親に、過去にわが子を受け持ってもらった小学校の担任の先生についてアンケート調査をしてみました。
その結果は
(1)
奇跡と思うほど、よい先生:23人(9.2%)
(2)
よい先生:111人(44.5%)
(3)
そこそこの先生:77人(30.9%)
(4)
まったくダメ先生:38人(15.4%)
でした。
 アンケートを見ても、母親たちが求める「よい先生像」はいろいろですが、代表的な「よい先生」の条件は
(1)
わかりやすい授業(先生の本分はこれでしょう)
 生活科で育てたにんじんでクッキーを作って、にんじん嫌いな子にも食べられる工夫をしたり、ほかの先生にはない工夫が魅力的でした。
(2)
「ほめ」じょうず(子どもたちのやる気をアップ)
 親が気づかなかった子どもの様子を本当によく見てくれ、しかもじょうずにほめてくれます。
 それで子どもは張り切り、ますますがんばり、目に見えて成長しました。
(3)
魅力的な人柄(子どもにだって伝わる!)
 去年の担任は子どもたちに大人気。
 個人面談で私ともさまざまな話題に花が咲きました。
(4)
豊かな学級通信(心の交流を形にしてくれる)
 私の娘は手のかかる子で、先生はかなり苦労し、努力を重ね信頼を得ました。
 そんなエピソードを含めた「もうひとつの学級便り」が最後の懇談会のときに配られました。読むと感激で涙。すばらしい先生です。
(5)
トラブルへの対応(フットワークの軽さが必要)
 子ども同士でもめたことは、必ず親にも状況を報告してくれます。
 何かトラブルがあったとき、先生は必ず、子ども自身にじっくり話し合いをさせます。しかも解決するところまで見守ってくれる。
 そのほかにも、「えこひきしない先生」「冷静な先生」「ちゃんとしかれる先生」などの声がありました。
(
小学校ママ100人委員会:女性雑誌「Como(コモ)(ファション、美容から料理、子育てまで幅広い記事を掲載)のアンケート部隊)

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教師になって30年、教師人生の中で唯一誇れることは、教師を辞めたいと思ったことは一度なかったこと

 私は教師になって30年になります。
 そんな教師人生の中で唯一誇れることは、教師を辞めたいと思ったことは一度もなかったということです。
 今、教師は難しい状況の中におかれています。
 教師は日々、多忙を極めています。
 子どもたちと、うまく関係を築けず学級運営に困っている教師。
 授業がうまくいかず四苦八苦している教師。
 多忙さから辞めたいと思っている教師。
 このような教師が、どの学校にも多くいます。
 私が辞めたいと思わなかった理由は、つぎのような「人との出会い」があったからです。
(1)
子どもたちとの出会い
 子どもたちの言葉、子どもたちのサインから教師としてどのように立ち振る舞うべきなのかということを突き付けられました。
 たくさんのことを子どもたちから、どうすればよいか学んだように思います。
(2)
研究会で出会った仲間
 研究会で出会った仲間です。困ったとき、行き詰まったとき、多くの仲間からアドバイスをもらいました。
 同じ志を持つ仲間を持つことは、教師として成長するには欠かせないことだと思います。
(3)
アーティストとの出会い
 そして、三つ目は、アーティストとの出会いです。この出会いが、もう一度、自分の実践を見直すことになりました。
 また「どう生きるべきか」ということについても、考え直させてくれたのです。
 例えば、世界的に名声のある穐吉(あきよし)敏子(米国在住ジャズピアニスト)にお願いして学校鑑賞で演奏してもらいました。
 そのとき、穐吉さんから「レベルの高い音楽をめざしたかったのでアメリカに行った。迷いはなかった」という話をお聞きしました。
「道を決めたら迷わない」という、大事なことを私は教わった。
 いろんな出会いが、私の教師人生を豊かなものにしてくれたのだと思います。
(
糸井 登:1959年生まれ、京都府公立小学校教師を経て、私立立命館小学校教師)

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自分にしかない武器となる魅力的な話し方をするにはどうすればよいか

 人間、誰でも自分にしかないものを持っています。自分にしかない顔、自分にしかない声、自分にしかない人柄、自分にしかない興味や体験から得た知識・・・・・。
 そんなものが素直に発揮されているのが、私が考える、いちばん魅力的な話し方です。
 そういう自分の武器となるものに気づけるかでしょう。
 気づくには、やっぱり場数が必要です。
 人とたくさん話をしているうちに、自分のこういう話は受けるんだというのが分かると思います。
 それを意識して利用しようとすると、鼻持ちならなくなることがありますが、それは一時的なこと。さらに場数を踏んでいくと、また自然になっていくものです。
 芸人というのは怖いもので、場の「空気」を目で見るというより、肌で感じて対応しているようなところがあるんです。
「今日のお客さまはこうだな」「空気がこう変わったな」ということが、頭で考えなくても分かる。
 その直観を育てたものが何かといったら、やっぱり一つには場数でしょう。
 いろいろなお客さまの前でお話をして、いろいろな状況を経験してきた。その蓄積が瞬発的な対応力、引き出しの多さになっているんじゃないかと思います。
 しかし、ただ場数を踏めばいいというものでもありません。分かりやすく、面白く伝えようという意識が必要ですし、その根底には、人に対する思いやりがなきゃいけません。
 場の「空気」が読めるか読めないかは、一つには思いやりの差です。ふだんから、相手の身になって物事を考えているかどうか。
 思いやりのたりない人が人前で話をすると、自分勝手な話し方をするものです。話というのは、自分が何を言ったかではなく、相手にどう伝わったかが大事です。
 ところが、それが分かっていない人は、自分の言いたいことを言いたいようにしゃべって満足する。
 そういう人がいくら場数を踏んでも、場の「空気」がよめるようにはなりません。
 ふだんから相手の身になって考えられるかということが、人前で話すときの、場の「空気」を読めるかということに関わってくるんです。
 もっとも、どんなに思いやりがあって、ふだんから相手の身になって考えている人でも、経験が少なければ、場の「空気」を読みながら話すことは、できるようになりません。
 と同時に、もっとも大事なのは、毎回、必ず反省することだと思います。
 上手くいかなかったときは、なぜ上手くいかなかったのか、上手くいったときには、どこが良かったのか、どうすればもっと上手くできたのかということを必ず反省する。
 失敗してもいいんです。その失敗をどう活かすかということが本当に大事です。これもふだんからの心がけで「失敗はかならずするもの。その経験を活かそう」とする姿勢が大事です。
(一龍斎貞水:1939年東京都生まれ、 講談師、人間国宝。「講談は守るべきものと開拓すべきものがある」が座右の銘)

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教師は人間関係のプロであれ               諸富祥彦

 教師という仕事は、絶えず人間関係の中で行う仕事である。
 教師の悩みは、子どもや保護者との対応にかかわる悩みと、教師同士の人間関係にかかわる悩みである。いずれも人間関係にかかわる悩みである。教師は人間関係のスキルを磨くほかはないのである。
 教師が身につけるべき人間関係の定石は、たとえば、次のようにである。
(1)自分がカーッとなったとき、すぐに言動に移さず、一呼吸置くべし。
(2)自分の考えが正しいか、間違っているか以上に、それを言うことが、相手にどんな影響を 与えるかを考えよ。
(3)同じ内容でも、どんな言葉、どんな言い方であれば相手が抵抗なく聴くことができるか、相手によく伝わるか、考えてから言葉にせよ。
(4)相手が興奮しているとき、さらに追いつめるひと言を放ってはならない。火に油を注ぐだけである。しばらく”間”を置き、クールダウンすること。
(5)相手を理解したら、理解していることを言葉や態度、表情で伝えよ。
(6)相手を落ちつかせたら、まず自分が落ちつくこと。ゆったりしたペースでやわらかい口調で語りかけれこと。
(7)相手に何か伝えたいことがあるときは、まず、相手の話を聞いたうえで、相手の自尊心を損なわない仕方で、わかりやすく伝えること。
 そして、こうした人間関係の定石を、ハウツーの形で具現化したものが、カウンセリング・テクニックなのである。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学)

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教師の指示に従わない子どもがいるクラスを、指示が通るクラスにするにはどうすればよいか

 担任が大きな声で必死に言っているのに、指示に従わない子どもがたくさんいます。
 聞いているのは側にいる子だけで、少し離れている子には、全く指示が通りません。
 どう指導すればよいのでしょうか。
 例えば、集会で整列するように指示を出したとします。すると、指示を聞いていない子どもがいます。
 指示通りに行動できていない子がいた場合、重要なことは、
「クラス全員に向けて指導する」
ことです。
「先生は、何と指示しましたか?」
「ちゃんとできてませんね」
などと、あくまで、クラス全体として指示通りに出来ていないことに対して、指導することが重要です。
 教師がクラス全体を意識して指導することで、一人ひとりの子に指示が浸透するようになります。
 指示を聞いていない子に対しての個別指導は、基本的には、休み時間などにじっくりと行うようにします。
 指示を聞いていない子に、全体の場で個別指導に時間をかけると、指示通りにしていた子の集中力が切れてしまい、「自分には関係ないや」と、全体がざわつき始めます。
 そのようなことが続けば、徐々に教師の指示に従う意識が低くなり、最悪の場合、クラスが騒乱状態に陥る恐れがあります。
 教師1人で、クラス全員の指導を完璧に行うことは不可能に近いことです。
 教師の目が行き届かないところで、指示を守れていない子が必ずいると考えなければなりません。
 教師の指示をクラス全体に行き渡らせるためには、子どもの力を借りることが必要です。例えば、
「できていない友だちがいたら、注意してあげてね」
「ちゃんと、教えてあげて、すごいね。自分たちで注意し合えるんだね」
と、互いに注意し合うことのできる関係づくりを進めることが必要です。
 指示通りにできた後には、必ずほめることが必要です。
 このとき、気をつけたいのが、叱られた後に、行動を改めた子だけを、ほめるやり方にならないようにしましょう。
 クラス全体をしっかり認めてあげるような、ほめ方を心がけなくては、最初からちゃんとできていた子はやっていられません。例えば
「さすが、〇年△組のみんなは、すごいよ」
など、クラスとして向上したことをほめる言葉を準備しておきましょう。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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授業中に私語が多く、周囲の生徒の学習に迷惑をかけている生徒に、どう指導すればよいか

 授業不参加型の私語が、授業妨害になるレベルに至れば、まず教師として私語を止めさせることが重要です。
 具体的な方策は、
1 私語があったときは、直地に止めるように注意し、毅然と対処する。
2 私語があったときは、授業を一時中断し、私語をしている生徒を凝視し、その生徒が授業妨害していることをわからせ、静かになるまで待つ。
 しかし、これには限度がある。長時間授業を中断することはできない。
3 私語をしている生徒に、教師が質問をする。
 今、教師が説明している内容、板書した内容等について質問し答えさせる。
4 授業の規律や授業のリズムを確立する
5 私語が少なくなるよう授業を改善する
 一斉授業で、教師の説明や解説が中心の授業は、私語が起きやすいものです。そこでつぎのような工夫をします。
(1)
授業中に生徒に質問、発問をしながら授業を進めていく。
 生徒はいつ質問がくるかと、気が抜けない。私語がしづらくなる。
(2)
生徒の活動の場を多く取り入れたり、ノートをとらせる、生徒間で協議させる、発表させる、板書させる、調べさる、視聴覚資料を活用する。
 なお、授業中の私語の原因として、
(1)
学業不振のため、授業についていくことができないため。
(2)
性格上の問題
(3)
情緒障害(LD<ADHD等)
(4)
さまざまな原因が複合的に起きる
(
緑川哲夫:1948年東京都生まれ、元東京都教育庁主任指導主事、東京都公立中学校長、東京農業大学教授
)

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«クラスに反抗的な子どもがいるとき、クラス運営に悪影響を及ぼさないよう、どのように指導すればよいのでしょうか