子どもの「やる気を引き出す」にはどのようにすればよいか  新牧賢三郎

 子どものやる気を引き出すにはどのようにすればよいか新牧賢三郎はつぎのように述べています。
 子どもは楽しかったり、満足したりするとやる気がでます。
 つまり、「わかるようにする」「できるようになる」ことがやる気を起こさせます。
 子どものやる気を引き出す教師の授業はとても楽しくなります。
 子どものやる気を引き出す原則は
1 ほめる
 ほめることは教育の鉄則である。
 悪い面もほめて直すことができる。
 例えば姿勢を直したいとき、
「あれ、○○さんの姿勢はいいね。背中が真っ直ぐになっています」
 と、
ほめる方法で姿勢を正された子どもの表情は笑顔になる。
 教師の顔を見て「私だって姿勢がいいでしょ」とクラスの子どもたちは訴える。
 笑顔が絶えないクラスにしたいのだったらほめること。
 子どもの成長を信じて疑わないのが教師である。
 信じて、ほめ続けることが教師の役目である。
 ほめるにはコツがある。
 笑顔で子どもの目を見て全身でほめよう。
 邪心があれば子どもに見透かされる。心からほめよう。
 子どもの変化をほめるようにします。
 ちょっとした良い変化を見逃さないでほめます。
 やってはいけないのは、
「よくやったな。今度は100点を取ろうな」とつけたすこと。
 つけたすことで、子どもは天国から地獄に突き落とされます。
2 目標を達成する
 子どもはできないからやる気が起きない。
 できるようになればやる気が起きるのだ。
 クラスの中には跳び箱ができない子がいます。
 私は四月の一週間以内に跳び箱の指導をします。
「やればできる」と子どもたち全員に示すためです。
 目標を達成するための秘訣は、子どもの能力に応じたスモールステップと飽きないよう少しずつ変化のある繰り返しです。
3 選択の自由
 自由という言葉は解放感があり、やる気を起こさせる魅力がある。
 たとえば、理科室での実験で「理科室にある物ならば、何でも自由に使ってもいいです」と言うと「やったあ」と子どもたちは大喜びする。やる気を起こさせる魔力だ。
4 子どもに共感する
 人間は共感されないとつらい。
 話をしているとき、顔を見てうなずいて聞いてくれると安心する。
 教師は子どもの話をうなずきながら聞き、子どもの気持ちに共感しよう。
(新牧賢三郎:1953年生まれ、元東京都公立小学校教師・月刊「教育トークライン」編集長)

 

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子どもは育てたように育つ

 学級崩壊、いじめ、不登校など子どもたちが崩れています。
 その根本的な原因は親の育て方、つまり親自身の心のあり方や、暮らしぶりが子どもに反映されているといっていいでしょう。
 私の生まれは四国で小さいころから、お遍路さんのお世話をしていました。
 蒸した芋をあげると「まあ、ありがとう」と言って感謝されるのが、本当にうれしかった。
 与えて奉仕する喜びは、何ものにも替えがたいものです。
 友だちからは貧乏人の子どもとして仲間はずれにされることもありました。
 しかし「ありがとう」の一言は、挫折しかかった私の心に蘇生する力が与えられ、生きる勇気を与えてくれました。
 急にキレたりあばれだす子どもが増えています。
 子どもが生まれた時は純白な心を持っています。
 しかし、親の生活のクセや親との関わり方によって、子どもの心の中に満たされない心をいろいろな形で訴えているのです。
 子どもたちが崩れるのは、家庭の中にしかその根はないのです。
 親が自分の心の中にあるクセを認めない限り、子どもはキレルのです。
 だから、カウンセリングを受けても、親が自分を認めない限りまず解決しないでしょう。
 例えばつぎのような例があります。
 朝、子どもがグズグズすると母親がイライラして「早くしなさい! お母さんが会社に遅れるでしょう。どうして朝からイライラさせるの!」と、お母さんは全部子どものせいにします。
 親が朝早く起きれば解決することです。
 子どもを幸せにしたいと思えば気づくことです。
 我が強い人は、心の中で分かっていても、自分をごまかすために正当化しようとします。
 ちょっとしたことで、子どもは変わります。
 親が自分の生活のクセを認めるか、認めないかです。 
 親が素直に認め、心のスイッチが入れば、子どもは落ち着くのです。
 子どもは親の表現者です。
 たとえばこのような例があります。
 親が遊びに行きたいがために、子どもを園に連れてくることがありました。
 今日、親が休みなのに園に預けられたことが子どもには分かるのです。
 いつもニコニコしてよく遊ぶ子が、その日は一日中泣いていました。
 母親が子どもを産み、育てていくわけですから、家の中での関わり方によって、それぞれの性格が形作られていくことになります。
 気の弱い子、ヒステリックな子、わがままで自分の意志だけを押し通す子、自分の意見をはっきり言えない子など、子どもは親の育てた通りに育っているのです。
 要は育て方なのです。
 子どもは「しっかり、愛してよ」と気づかせようとします。
 このときに気づかなければ、思春期になって親の心の程度に合わせて、いろいろな問題行動となって戻ってきます。
 人生はブーメランのようです。
(
内田玲子:1936年生まれ、家庭教育カウンセラー。地方からはたらきに来ている若者のために「働く青少年の家」として自宅を開放した。
全国の教育委員会、PTA等で講演活動を行う。著書は世界179ヶ国で読まれている)

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大変な学級を受け持つときは、目に見える形で、短期間で子どもたちを変えていかなければ認められない  中野やす子

 前任校の経験から、大変な学級を受け持つときは、目に見える形で、短期間で子どもたちを変えていかなければ認められないのだということを自分の胸にしっかりと刻みつけていた。
 転勤した学校で担任した二年生の学級は、一人ひとりがばらばらな状態だった。
 まず問題を起こしている一部の子どもたちを変えなければ、他の子どもの成長もありえないと私は思った。
 そのために、次のことを考えた。
(1)全ての子どもが安心して過ごせる学級をつくること
(2)担任が一人ひとりとしっかりつながること
(3)勉強やその他の活動で「やればできる」という自信をつけてやること
(4)学級全体で楽しくすごす時間を毎日少しでもつくり、子どもたちがお互いを認め合える関係にしていくこと
 そのために、毎日いろいろな取り組みをした。
 いいと思うことは何でもやってみようという気持ちだった。たとえば、
「きのう遊んだこと」などを題材に一言スピーチ。
 月末にお誕生日会。
 遊びは、班遊び(4人)での遊びが楽しめるようになると全員遊びもできるようになった。
 学習の中では、短期間でも自分で成果がわかり、自信につながる国語の音読、視写、漢字、算数の計算などを継続していった。
 列や班で発表する発表リレーや音読リレー、鍵盤リレー、歌リレー、子どもどうしをつないでいく学習も多く取り入れた。
 また、落ち着かない月曜日の朝には必ず絵本の読み聞かせをした。みんなで笑って楽しめるような昔話を選んだ。
 子どもたちが動き始めたと感じたのは、生活科で全員がザリガニを飼い、廊下にケースを並べて世話をするようになってからです。
 一人で責任をもって生き物を飼う経験にとまどいなからも一生懸命だった。
 ザリガニ観察に向けクイズをつくり、七月の授業参観日に発表を行った。
 私も親と一緒に喜び合うことができた。
 授業はもちろん、授業以外の取り組みも含めた日常的な土台づくりの重要さを軽視してはならない。
 それにもまして大事なことは、
(1)授業の中で、一人ひとりの思考や表現を尊重し、交流し合う
(2)課題に向かって子どもたちが共に追求し学び合う満足感
 こそが、一人ひとりを、そして学級全体を高めていくのだということを私は実感として、子どもたちからあらためて教えられたのだった。
(中野やす子:小学校教師)

 

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理科ならではの強みを使って楽しい授業を  八嶋真理子

 理科ならではの強みを使って楽しい授業をと八嶋真理子はつぎのように述べています。  学校では、子どもは教師の話を聞くのは当たり前だと思っていては、授業はできないと思ったほうがよい。  子どもの日常は、面白いものが溢れているし、我慢することは、大人も含めてできない時代になってきている。  では、面白い人にしか教師はできないのだろうか。  子どもにとっての面白いことは、一つではない。  しゃべりがじょうずな教師もいれば、パフォーマンスがじょうずな教師もいる。  教師が人間として面白ければ、それだけでも強力なアイテムだが、それについて自信のある教師はそうないだろう。  その点については、徐々に力をつけることとして、理科の場合は、強い味方がある。  本物の事象があり、見るだけでなく観察・実験を通して実物に触れるといった体験ができるという理科ならではの強みがある。  授業のつかみの部分で、理科ならではの勝負ネタを使う。  どのように魅力的に事象を提示できるかは、教師の工夫しだいである。  自分には、面白いことを言って人を笑わす才能がないから教師には向かないと悩む必要はない。  理科で扱う内容は、実際どれも面白いのだから、その内容の面白さを前面に出して子どもに見せていくのである。  そのためには、教師自身が教材の面白さを理解していなければならない。  教材研究によって子どもと教材の魅力的な出会いの演出を工夫することが、理解にとって、最高のつかみとなるだろう。  教師が「これは、すごい」「面白い」と思うもので授業を行うと、教師の表情や声に現れて、子どもに伝わるものも大きい。  指導内容だけをおさえて、それだけを伝えようとする授業は魅力に欠けることが多い。  しかし、教師の一人よがりになり空回りしないよう、子どもの興味の距離感を把握して、それをつなぐ出会いを用意することが必要である。  教師が子どもに見てもらいたいと思うものがあるとき、教師はその物や現象のもつ、不思議さや美しい規則性を感じている。  子どもにもこの感動を共有してもらいたいと思う。  「すごいね」「不思議だね「」どうして?」と問題解決への筋道をどのように編んでいくのか。  これこそ教師の力の見せ所であり、醍醐味といえるだろう。 (八嶋真理子:元神奈川県横浜市立小学校校長・理科教育学会・理科の教育編集委員)

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理科好きな子どもを育てる授業とは  山口晃弘

 理科好きな子どもを育てる授業について山口晃弘はつぎのように述べている。
 中学校1年の生徒に理科の授業に望んでいることを書いてもらうと
(1) 観察や実験をもっとやりたい
(2) 実験が終わるまで時間をとってほしい
(3) 実験には器具をたくさん用意して、一人ひとりが自由にできるようにしてほしい
(4) 先生の説明だけの授業は少なくしてほしい
(5) 驚くような実験が見たい
(6) 意味がわかるように解説してほしい
 ということであった。
 これらのことから、生徒が望む授業は、講義は少なくして、実験器具が十分にある状態で実験の機会を多くして、教師がわかりやすい説明をしてくれることである。
 理科の授業は、生徒が自然の事物・現象について理解を深め、科学的な見方や考え方が獲得できて、生徒はわかったとなる。
 わかる授業を展開するには、生徒に観察や実験などの活動をさせることである。
 そして、生徒のその活動を認め、ほめることである。
 日々の授業で、小さなことがらを「できましたね」「よく気づきました」「わかりましたね」と、一つひとつの活動を認め、ほめていく。
 活動させてできたことを認め、ほめる授業にするようにする。
 日常の授業で生徒が興味・関心をなくさないよう、1時間の授業のねらいを明確にする。
 1時間の授業で生徒にどんな活動をさせたいかという視点で教える内容を考える。
 (1)導入で行わせる活動は何か。
 (2)展開の実験は個別かグループか。
 (3)まとめはどのような結果を考察させるのか。
 (4)ノートやワークシートに記入させるのはどのような内容か。
 (5)発表はどのような形態で行うのか
 など、すべて生徒の活動をイメージする。
 グループは男女2人ずつの班にすると落ち着いた雰囲気になる。3~4人にすると話し合いが進みやすいという利点がある。
 理科室では、体ごと教師の方を向いて座らせる。
 教師の話を聞くときは手に何も持たせない。
 観察・実験は役割分担させ、人まかせにさせない。
 終了すれば教師を呼ばせ、結果を確認し、その後の授業で何をすべきか指示をする。
(山口晃弘:1961年福岡県生まれ、東京都内の公立学校理科教師、都立教育研究所教員研究生、中央教育審議会理科専門部会の専門委員、東京都中学校理科教育研究会事務局長等を経て東京都公立品川区立学校校長)

 

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教師は困った時には、すぐ援助を求める習慣が極めて重要

 教師は何か困っているときにはすぐに周囲に援助を求める習慣をつけていただきたいと諸富祥彦はつぎのようにのべています。
 困ったときに助けを求めるのは「ダメ教師と思われてしまう」と考えて相談しないようにしている教師も少なくありません。
 そんな心配は杞憂です。
 困ったときに助けを求めるのは、決して恥ずかしいことではありません。
 たとえば、保護者からクレームがきたとき、自分だけでなんとかしなくてはと、抱え込んでしまいがちです。
 クレームがきたということが周囲の先生に知られたら、自分の評価が下がってしまうと危惧する人がいます。
 でも、実態はどうでしょう。ひとりで抱かえ込んで問題が大きくなってから、管理職に連絡がいくと、事態はすでに深刻になっています。
「なぜもっと早く言ってくれなかったのですか」となり、実は評価が下がるのはこの時点です。
 評価はクレームがきたことではなく、クレームを抱かえ込んで対応が遅れたことに対して評価が下がるのです。
 クレームがきた時点ですぐに周囲に伝え、助けを求めるのは、できる教師の「能力」のひとつなのです。
 必要なときに、援助を求めることができる相手を探しておきましょう。
 具体的には、まず同じ学年担当の教師の中で親身に相談に乗ってくれる人を探しましょう。
 同じ学年の教師の中に支えてくれる人がいると働きやすさがまるで違ってきます。
 次に、管理職や教務主任、スクールカウンセラーや養護教諭にも力になってくれる人を見つけておきのしょう。
 さらに、勤務校以外にも広く目を向けて、力になってくれる人や組織を見つけましょう。
 たとえば、かつての同僚、初任者研修のときの仲間や研究会の仲間、私が主宰する「教師を支える会」などのサポートグループです。
 教師の抱かえる悩みが、最初は子どもとの関係、保護者との関係などから生まれるものであったとしても、それだけで退職や休職に追い込まれるケースは多くありません。
 退職や休職の直接のきっかけとなるのは、同僚お管理職との関係の悪化と、それによる教師集団での孤立なのです。
(諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。「教師を支える会」代表)

 

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学校でソーシャルスキル教育を行い、子どもの社会性向上を   藤枝静暁

 学校でソーシャルスキル教育を行い、子どもの社会性向上をと藤枝静暁はつぎのように述べています。
 多くの先生が子どもの社会性が低下していることを指摘し、危惧している。
 たとえば、遊びに入れてもらいたいが、入れてと言えない子ども。
 けんかしても、仲直りができない子ども。
 こうした子どもは小学校では見られなかったという。
 幼児期において必要な基本的生活技能を獲得していないために児童期、思春期において不適応を起こしやすいのである。
 私は大学でソーシャルスキル教育と出会った。
 ソーシャルスキルには「あいさつの仕方」「相手を思いやる」「謝り方」「仲間の誘い方」などが紹介されていた。
 たとえば「あいさつ」はソーシャルスキルでは、
 「相手を見て、様子を把握する」
 「相手に聞こえるような声を出す」
 「笑顔で話しかける」
 から構成されていると考える。
 わが国はこれまでソーシャルスキル教育は、学校でわざわざ教えるようなものではないとして取りあげてこなかった。
 ソーシャルスキル教育の素晴らしい点は、たとえば「思いやりのある子ども」を言葉で教えるだけでなく、教師がモデルとしてやってみせ、その後リハーサルとして子ども同士にやらせるところにある。
 教師は子どもがリハーサルしている様子を見て、どこがよかったか、どこを直したらより良くなるのかを具体的に指導する。
 ここまで具体的かつ実践的に教えてこそ「思いやりのある子ども」として成長できるといえる。
 ソーシャルスキル教育は欧米では、クラス、学校全体で実施している。
 わが国は、障害のある幼児に対して個別にソーシャルスキルを教えることは行われているものの、学校教育への普及はほとんど進んでいない状況である。
(藤枝静暁:1972年生まれ、東京都スクールカウンセラーなどを経て、川口短期大学こども学科准教授を経て埼玉学園大学教授。臨床心理士、学校心理士)

 

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生徒指導のマニュアルはなく力量は教師自らの人間性をもとに培うもの   近藤昭一

 生徒指導のマニュアルはないと近藤昭一はつぎのように述べています。
 教師や学校が未熟な子どもに対して「授けてやる」「与えてやる」という教師を高所に置いて子どもを指導するのではない。
 教師の人間性をもとに子どもとかかわり、子どもと人としての関係性の質を高めることによって、子どもを変容に導いていくというのが、人間性育成の基盤です。
 つまり、教師が向き合う子どもがどんな状況にあったとしても、教師の指導や支援に子どもが心から心服して、子どもが自らよりよく変容しようとする。
 そのような相互関係を築くことが教師としての要件なのです。
 こうした働きかけができなければ、教師としての存在意義が低減してしまいます。
 本来、生徒指導にはハウ・ツーやマニュアルは成立しません。
 生徒指導の力量は、教師自らの現場体験と研鑽のなかで確信やひらめきを得て、教師自らの人間性をもとに培うものなのです。
(近藤昭一:1951年生まれ、横浜市立中学校教師、校長、教育委員会、教育センター所長、玉川大学教授を経て神奈川大学特任教授)

 

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学校の職場や同僚、子どもたちとの関わり方に悩む教師はどうすればよいか   土井一博

 学校の職場や同僚、子どもたちとの関わり方に悩む教師はどうすればよいか土井一博はつぎのように述べています。
 学校の同僚や子どもたちとの関係づくりがじょうずな教師を観察すると、授業中や休み時間に、意識して自分からアクションを起こし、周囲の人間と積極的に関わろうとしています。
 その関わり方は、
1 印象
 例「顔色が悪いけど、具合がよくないのか」
2 伝聞
 例「先生の授業のことを誉めてたよ」
3 依頼
 例「悪いけど私の手伝いをしてくれないか?」
4 賞賛
 例「最近、漢字学習、頑張っているなぁ」
 などです。
 このように日頃から話しかけていると、いざというときに、自分の思いが伝わるようになるからです。
 実は人とかかわる力というのは、相手のことを思いやる、共感する力のことです。
 自分に共感してもらうところから始まるのです。
 相手にものごとを依頼するとき、留意することがあります。
1 思い込みと願望を混同しない
 相手に対して「やるのが当然だ」ではなく「やってくれればいいなあ」というレベルで接触するようにします。
 もし、相手とうまく関われなかった場合でも「しょうがない」と思うことができ、病的なレベルまで落ち込むことはありません。
2 お互いに利益を受け取れる関係(ウインウインの関係)をつくっておく
 ふだんから同僚や職場に貢献するようにして、
「自分も誰かの役に立っている」
「職場に貢献している」
 という実感があると、気がねなく周りの同僚にも依頼することができます。
 その実感がないと、相手に負担をかけたくないと気にしすぎて、自分が困ったときに助けてほしいと言いだせないのです。
(土井一博:公立中学校教師を経て退職後、筑波大学大学院で健康教育学を学び、関東各地でスクールカウンセラーやアドバイザーを歴任し、順天堂大学客員教授。専門は教職員のメンタルヘルス予防、現職教育、教師教育)

 

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学級担任と子どもの信頼関係づくりはどのようにすればよいか

 担任と子どもとの信頼関係をつくるとは、担任に対する安心感づくりと言いかえてもいいでしょう。
 人間はニーズが満たされているときに快を感じ、肯定的感情がわくと考えられます。
 子どもの教師に対するニーズとはなんでしょうか。
 神奈川県の教育委員会(平成17年、小中高5000人)の「教わりたい先生」の調査からわかることは、
「わかりやすい授業をし、子どもをよく理解して、ほめたり、叱ったりしながら、やる気を出させてくれる教師」
 です。
 子どもにどのようにかかわったら信頼関係ができるのでしょうか。
 子どもは自分のことを理解してくれる教師を望んでいます。
 そのため、できれば子どもと毎日話すようにします。
 おしゃべりは人間関係の始まりであり、土台である。
 最初は数人を相手に話すことから始め、一対一で日常会話をします。
 大事なことは、子どもをかけがえのない、尊敬する人という感覚で話しかけます。
 コミュニケーションでは非言語的要素がより影響力があり、
「自分から近づく。笑顔で、穏やかに、楽しんで話す。アイコンタクトをする」
 といったことを意識して子どもと話をします。
 これらをコントロールするには訓練が必要でしょう。
 全員と一対一でおしゃべりのレベルまで話をするとなると難しい。
 確実に全員と話す方法があります。子どもと個別懇談会を行うとよい。
 実施方法は、昼休みや放課後に一人5分程度で一日5人程度、学期に最低一回実施するようにします。
 子どもの話が主で、教師の話は子どもの話を引き出すきっかけくらいに考えておいた方がいいでしょう。
 実際にやってみると、子どもとの距離がぐっと近づき、教室の雰囲気が変わります。
 子どもとの一対一の関係ができると、子どもとしっくりいくことが実感できると思います。
(赤坂真二:1965年生まれ、新潟県公立小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。日本学級経営学会共同代表理事)

 

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学級づくりの目的は、子どもたちが群れからチームになること   赤坂真二

 学級づくりの目的は群れからチームになることと赤坂真二はつぎのように述べています。
 子どもたちは、一日に5人くらいの子どもとしか会話していなことが調査でわかっています。
 学級は放っておくとバラバラで学級がその体を為さなくなっています。
 学級づくりの目的は子どもたちを群れから集団つまりチームに育てることです。
 チームになるためには、課題が必要です。
 学級全員で力を合わせて課題を解決する集団がチームです。
 学級がチームになるためには、質の良いチーム体験が必要です。
 それまで学級の雰囲気がよくなかったけど、合唱コンクールで金賞をとったことで、みんな仲がよくなって学級の雰囲気がよくなったという経験を持つ教師もあるでしょう。
 学級のチームづくりは、4月の最初の7日以内に学級の生活や学習ルールを一通り指導し、30日間で定着するよう繰り返し指導するようにします。
 30日間で一斉指導の体制を定着させたら、そこから、徐々に子どもの自由度を増やしていきます。2か月くらいかかります。
 自分たちで考え行動できるように教え育てる例として体育館の整列指導を私は次のようにします。
「みなさんは、先生が前に立って指示をしないと並べないクラスと並べるクラス、どちらになりたいですか?」
 と問いかけます。
 普通のクラスは後者を選びます。
「今日は、残念ながら並ぶことができませんでした。次回、自分たちの力で並べるようになりたい人?」
 と問いかけます。
 おそらく子どもたちは賛成します。
「では、作戦をたてましょう。どうやったら自分たちだけで並びますか?」と考えさせます。
 子どもは様々な作戦を発案するでしょう。
 例えば「先頭の人が声をかける」「全員で声をかける」など、結論はどれもいいと思います。
 達成したら大いに認めます。
 失敗したら、どうしたらいいか考えさせます。
 大切なことは、自分たちで考え行動できるようにすることです。
 荒れて授業が成立しない学級の場合は、日常的に突発的なことが起こりますから、トラブル対応に時間が取られます。
 私の経験では、最初の1か月は事件の連続で自分がやりたいと思っていたことはできませんでした。
 それでも、夏休みまでに学級の問題を自分たちで解決する活動を数回経験しておくと、2学期がスムーズに迎えられると思います。
 これは教師の力量の判断基準ではありません。
 私は力がないと思う必要はまったくありません。
 大切なことは、学級づくりのストーリーを描くことであり、見通しを持って取り組むことです。
 そして、その取り組みを楽しむことです。
(赤坂真二:1965年生まれ、新潟県公立小学校教師(19年間)を経て、上越教育大学教授。学校や自治体の教育改善のアドバイザーとして活動中。日本学級経営学会共同代表理事)

 

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いつもは優しいが怒るとこわい先生が子どもにとって頼もしい存在である  池野正晴

「怒るときは、怒れ」それが教師であると池野正晴はつぎのように述べています。
 あるクラスで一人の子に対する嫌がらせがありました。
 ごみ箱の中に上履きが隠されていました。
 その子の机の引き出しが床に落とされ、ノートが破かれていました。
 このような嫌がらせが何回か続きました。
 そこで、深刻ないじめにならないために、緊急の学年集会を開きました。
 集会で、これは学年全体で解決していかなければならない問題であることを確認し、これまで起きた事実を子どもたちに伝えました。
 そして、私はつぎのような話をしました。
「人の持ち物を隠すこと、人の持ち物を壊すことは犯罪です」
「人の持ち物を隠すのは、人の物を黙って持ち出すのだから、盗みと同じです。大人の世界では窃盗といいます」
「人の持ち物を壊すのは、器物破損といいます」
「どちらも犯罪ですから、見つかれば逮捕され、罰せられます。これは、子どもだからといって許されることではありません」
「今度また、こういうことがあったら、先生は絶対に許しません。これは犯罪なので、警察の力を借りることもあるかもしれません」
「いま、ものすごくつらくて悲しい思いをしている人がいるのです」
「そして、その嫌がらせをしている人が、残念ながらこの中にいるのです」
「その人は反省しなさい。心から反省しなさい」
「そして、二度とこんな情けないことをしないと自分の心に誓いなさい」
 子どもたちは、真剣に話を聞いていました。
 そして、この学年集会を機に、嫌がらせはピタッとなくなったのでした。
 子どもは、ほめて育てる。これが基本です。
 けれども、許してはならないときがあります。
 教師が怒るべきときがあります。
 先生はいつもは優しい。でも怒るとこわい。
 いざとなったらこわい先生が、子どもにとって頼もしい存在なのです。
(池野正晴:国公立学校の13年の教師経験を経て,高崎経済大学名誉教授、和光大学教授。専門は教育人間学、授業論、算数科教育学等)

 

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学級づくりの基本は「ルールが守られ、あたたかい触れ合いのある学級」、どうすればよいか

 学級づくりの基本原理は「ルールとふれあい」の二つです。
 ルールが守られていて落ち着きがある上に、あたたかい触れ合いがあり、子どもたち一人ひとりが力を発揮できる学級です。
 これだけは守ってほしい学級の基本的なルールは、次のようなルールです。
1 人を傷つけることを言わない、しない
 このルールが守られているだけでも、だいぶ落ち着きのある学級ができるはずです。
「きもい、うざい、死ね、殺す」などの暴力的な言葉を放置していると、どんどん増殖していきます。
 もし、こうした言動があれば即座にその場で介入すべきです。
「その言葉を使うべきでない」と、その都度、いちいちこまめに指導していくべきです。
2 人が話している間は、その人の話を最後まで聞く
 荒れていく学級では、誰かが自分の考えを話している最中にそれにかぶせるように話し始める子どもたちが少なくありません。
 そうなる子どもたちの間に「私の話はちゃんと聞いてもらえない」という不満がくすぶります。
 いつも誰かが私語をしているという状況が当たり前になってしまうと危険です。
 いつもザワザワと騒然としたクラスになっていきかねません。
 この2つの要素「ルールとふれあい」があって、初めていい学級であるといいえるのです。
 どの子どもも安心でき、なおかつ、一人ひとりの子どもが能力を伸ばしていくことができるのはたいへんなことです。
 子どもを厳しく管理しようとする指導では、学級の秩序は保たれるかもしれませんが、
「自分は抑えられている」「気持ちを認めてもらえない」という不満が募りがちになります。
 逆に、和気あいあいとしているけれど、なれあっている学級では、子どもたちにビシッとルールを守らせることができなかったりします。
 教師に求められるのは、瞬時に相手と心と心のふれあいをつくっていくことができる「関係づくり」の能力が最も大切な基本スキルです。
 一人ひとりの子どもが「先生は私のことをわかってくれている」と感じているからこそ、教師からの期待に応えようとするのです。
(諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。「教師を支える会」代表)

 

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子どもを勇気づける、とっておきの言葉    佐藤幸司

 子どもを勇気づける、とっておきの言葉について佐藤幸司はつぎのように述べています。
 子どもを勇気づける、とっておきの言葉があります。
 それは「あなたなら、大丈夫」という言葉です。
 悩みごとを抱えている子どもがいたら、
 「○○さんなら、大丈夫。必ず乗り越えられるよ」
 と、静かに真剣に話してください。
 教師の心からの言葉であれば、子どもの心に届きます。
 逆にお世辞や誇張であっては、子どもの心には響きません。
 心のこもっていない言葉は、すぐに見透かされてします。
 「あなたなら、大丈夫」という言葉の中には、自分を全面的に肯定してくれるメッセージがこめられています。
 子どもはこの言葉を聞いて「この先生は、自分のことを信じてくれている」と感じます。
 そして、この言葉に勇気づけられて、つぎの目標に向かって前に進んでいけるようになります。
(
佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

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退屈な授業からの脱出方法   佐藤幸司

 退屈な授業からの脱出方法について佐藤幸司はつぎのように述べています。
 子どもが退屈だなと感じるのは、教師の説明を聞いているだけの授業です。
 残念なことに、説明ばかりしている教師の授業は、わかりにくく退屈である場合がほとんどなのです。
 わかりにくい説明を毎時間聞かされ続けると、しだいに子どもたちはいらいらしてきます。
 そのストレスを、おしゃべりなどの望ましくない行動によって発散しようとします。
 すぐにでもできる、退屈な授業からの脱出法があります。
 それは、子どもにたくさん語らせることです。
 例えば、
「教科書の30ページを開きましょう」と教師が言うかわりに、子どもに
「今日、勉強するのは、教科書の何ページですか」とたずねます。
 そして、子どもが答えた後には、
「前時間の授業のことをちゃんと覚えていたね」と、さらりとほめてあげます。
 これだけでも、授業にめりはりができます。
 さらに、ほんの短い会話ですが、発言した子と教師の間にコミュニケーションが成り立ちます。
 授業の展開は、教師からの説明は最小限にして、できるだけ子どもの口から説明させます。
 また、授業中、子どもたちに小さな問いかけをたくさん行い、教師の声よりも、子どもたちの声が響く授業をめざします。
 教師の発言が減ることに反比例して、子どもの発言が増えてきます。
 すると、授業が活気を帯びてきます。
 子どもの顔にも輝きがもどることでしょう。
(佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

 

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一人ひとりの子どもと心つなぐために、その子のがんばりを書いたはがきを家に届ける  佐藤幸司

 一人ひとりの子どもと心つなぐ方法について佐藤幸司はつぎのように述べています。
 その子のよさを見つけたときや、その子の努力をほめてあげたいときに、一筆はがきに書いてポストに投函します。
 担任からクラスの子ども全員に送られます。
 郵便受けに、自分宛てのはがきが届く。
 それが担任からのメッセージだと、子どもはうれしいものです。
 はがきが配達されると、家族も読んでみんな喜んでくれます。
 夕食に明るい話題が広がります。
 はがきはクラスの子どもの人数分を購入します。
 郵便局に行くとイラスト入りのはがきが手に入ることがあります。
 クラス名簿のデータをもとに、はがき作成ソフトを活用して住所と宛名を印刷します。
 時期は5月から11月末をめどにします。
 最初に全員分を印刷しておけば、出し忘れがなく安心です。
 はがきに書く内容は、シンプルで構いません。
 行事で活躍したこと、授業中の発言、漢字や計算テストでの努力など、その子のがんばりを具体的にほめてあげます。
 情報化が進む時代だからこそ、はがきに味があります。
 文字にこめられた担任の思いが子どもに届きます。
(佐藤幸司: 1962年生まれ、山形県公立小学校教師、教育サークル「道徳のチカラ」代表。道徳授業の教材を開発し提案している)

 

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子どもの表現をいかに読み取るか   アルフレッド・アドラー

 子どもの表現についてアルフレッド・アドラーはつぎのように述べている。
 人々は個人的な見解に従って自分をつくりあげる。
 この見解は健全なものもあるが、そうでない場合もある。
 そこで、成長するさい、幼い頃になされた誤りや解釈に対しても対処しなければならない。
 なぜなら、誤った解釈がその後の人生を支配することになるからである。
 たとえば、具体的につぎのようなケースがある。
 52歳の女性は、いつも自分より年上の女性のことをけなしていた。
 この女性は小さな子どもだったときに、注目されていた姉のために、いつも恥をかかされ、過小評価されていると感じていた。
 大人になった現在でも、過小評価されることを怖れ、他の人が自分よりも好まれているのを見ると、怒り、いらだつのである。
 どの子どもも生まれついての劣等感を持っている。
 状況を改善することによって、劣等感は減少する。
 劣等感を解消しようとして誤りを犯す可能性がある。
 例えば、真っ直ぐに立つことができず、何かに寄りかかる子どもがいる。
 そのとき、大人は「いつも何かに寄りかかることはやめなさい」と言う。
 しかし、ここで問題なのは、子どもが寄りかかることではなく、いつも支えていなければならないと子どもが感じているということである。
 何かに寄りかかることが必要だと思い込んでいる子どもの場合は、不安や依存という性格であることがわかる。
 叱ることによって、この弱さの表現を断念させることはできる。
 しかし、子ども気持ちは満たされない。
 優れた教育者だけが、子どもの表現を読み取り、共感と理解をもって、根底にある病気を除去することができるのである。
(アルフレッド・アドラー:1870-1937年、オーストリア出身の精神科医、心理学者。個人心理学(アドラー心理学)を創始した)

 

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保護者からの苦情をこじらせないようにするにはどのようにすればよいか

 大阪大学(小野田正利教授)の調査(2005)によれば、保護者対応のむずかしさを日頃から感じると答えた教師は全体の九割に達した。
 「担任を替えろ」といった保護者の申し入れに「聞くことすら嫌だ」と思う教師は多い。
 事なかれ主義の教師など、申し入れへの対応力が乏しい教師は、
 保護者の言っていることが嫌だ、
 どう対応すればよいか判断ができない、
 他の教師や管理職に相談するのは恥ずかしい、
 などと考え、保護者を態度や言葉による圧力で一方的に押し返そうとしてしまう。
 こうした教師の初期対応は、保護者に対する思いやりがなく、保護者の逆鱗に触れ、自ら問題をこじらせてしまう。
 保護者からの苦情によるトラブルを未然に防ぐためには、まず教師の姿勢を変えなければならない。
 それによって多くの問題の解決が図れる。
 トラブルを引き起こす原因のひとつに教師の高いプライドがある。
 そのプライドのため、保護者から強い口調や強硬な態度に出られると、教師は形勢をばん回しようと、日ごろ子どもを相手にしている癖で、無意識のうちに保護者に教えたり叱ったりする立場に立ってしまい、それが態度と言葉に出てしまうのだ。
 その結果、保護者は教師にバカにされたように感じ、さらに怒ってしまうことも多い。
 せめて、保護者の申し入れを聴くときぐらいは、プライドという重い鎧を脱いだらいかがだろうか。対等の立場で話を聴いても窮地に陥ることはない。
 保護者の申し入れがイチャモンなのかその判断がむつかしいこともある。
 しかし、ひとまずすべて「苦情」として受けとめることができれば、対応の失敗は最小限となる。
 保護者の申し入れは、その多くは簡単に採用できる内容ではないだろう。
 その場での対応としては、即決せず「学校の検討課題としてご意見をいただく」と伝えるだけでよい。
 ただ、その時に「きっとこの提案は実現できないだろう」とわかっていると、どうしても困惑が顔や会話に出てしまうだろう。
 しかし、申し入れを「苦情」として対応すれば、そうはならない。
 なぜなら、提案を採用するか、しないかよりも、言わずにいられない保護者の気持ちの「落としどころ」が見つかるかどうかがポイントになるからである。
 管理職としては、保護者からの申し入れを最初に受ける担任に、対応の仕方を教えておくべきだ。
 つまり、保護者の話が無理な相談だとわかっていても黙って聴くこと。
 自分で判断せず「ご提案はお預かりして、校長や副校長に相談してみます」と、その場で伝えるようにする。
 もちろん、実現は困難だとわかっているのだから、軽い予防線を張らせることも忘れてはならない。
 たとえば、
「たいへん貴重なご提案をいただきありがとうございます」
「さっそく会議に諮れるよう提案してみます。少しお時間をください」
「しかし、その会議で検討しても実現できるかどうかという問題もあります。その点だけはご承知ください」
「でも貴重なご意見です。ありがとうございました」
 というふうに。
 一方、保護者の申し入れ内容が学校に非がある場合は学校が謝罪することになる。
 謝罪しているのに許さないと、我を張る保護者がいる。
 そのときは我を張らせない話術が必要となる。
 謝罪しながらも、保護者に「仕方がない」と思わせる会話力が大事である。
 会話で保護者の心を和ませようとするのだから、保護者の心理を読む冷静さと会話の間のよさが求められる。
 苦情対応の世界では、一度提案してもお客から拒否されることはいくらでもある。
 当然、つぎの手を考えて準備をしておく。
 それが拒否されたとしても、さらに次の手まで考えておけばよいだけのことだ。
(
関根眞一:1950年埼玉県生まれ、苦情・クレーム対応アドバイザー。百貨店に34年間在職し、お客様相談室長を経て、メデュケーション()代表取締役) 

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親にとってよい先生とはどのような先生か   小野田正利

 親にとってよい先生とはどのような先生か小野田正利はつぎのように述べています。
 親にとって「よい先生」というのは、「子どものことをちゃんと見てくれている先生」のことである。
 ただし、この場合「本当に見てくれているかどうか」の問題ではなく、親にとって「見てくれていると感じられるかどうか」という、要するに印象の問題に帰着すると捉えることが可能だ。
 「いい先生」「よくない先生」の親の評価は多様にあるが、その教師の実像よりも、うわさ話でも一定の印象が形作られる。
 親の関心は「わが子のことをちゃんと見てくれているかどうか」であり、分かりやすく言えば、日常での細かいことの積み重ねがモノを言うことが多い。
 例えば、連絡帳のちょっとしたひとこと、クラスのささいな決め事(例:席替え、係の決定)とその理由、授業のために家から持って行かなければいけない教材などで、安心したり不安になったりする。
 日常の学校生活は、要するに「細かいこと」の積み重ねであり、だからこそ同一の発言や行動が、時には正反対に解釈される余地が生まれる。
 ここに子どもからの一方的な話や、親同士のネットワークがマイナスに作用すると、そのイメージがレッテル貼りされてしまうことも多い。
 悪いイメージを持たれると、教室での実践や親との関係がうまくいかなくなり自信を失ってしまう。
 教室の実践を人に言いたくなくなり秘密主義なる。
 ふだんなら気にならないようなことに過剰に反応し、攻撃的にふるまうと最悪で、支持する親や同僚は激減する。
 そうならないためには、子どもの顔が見える形で親とコミュニケーションを積み重ねることによって、情報不足による疑心暗鬼(ぎしんあんき)を防ぐことができるだろう。
 例:連絡帳の一言や学級通信、保護者面談、家庭訪問など。
 それでも悪循環から抜け出ることができないときは転勤して、いったん悪循環を断ち切り恢復を待つようにする。
(小野田正利:1955年生まれ、大阪大学名誉教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

 

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クラスづくりで、子どもどうしの関係をここちよいものに  菊次哲也

 クラスづくりについて菊次哲也はつぎのように述べています。
 クラスを人間関係としてとらえ、人間関係を育てていくという視点は担任として欠かせないものである。
 どのような人間関係かというと、教師と子どもの関係を縦糸とし、子どもと子どもの関係を横糸として編み上げる織物のような関係である。
 縦糸と横糸があってクラスという織物ができあがるのです。
 学級崩壊は、クラスの人間関係という織物が編み込まれることなくばらばらの状態になってしまった状態のことだ。
 また、いじめは、クラスの集団としての不健全な人間関係のひずみがいじめという現象としてあらわれていると、とらえたほうがよい。
 いじめられた子が転校しても、第二のいじめられる子が集団のなかでつくりあげられていくことが多い。
 新しいクラスの始業式の日、私は必ず子どもたちに話し、一緒に考えてもらうことがある。
 クラスとは何だろうということだ。
 まず、子どもたちに「クラスって何だろう」という質問をぶつけてみる。

 最後に、クラスの子どもたちにこう話す。
「教室はあるけれど、クラスというのはまだできあがっていない」
「今日からみんなで織あげていくんだよ」
「友だちどうしのつながりの糸と、先生とみんなの信頼の糸をたて糸と横糸にして織りあげていく」
「素敵なクラスを織りあげよう。一年間をかけてね」
「今日はその第一日です」
 子どもの関係づくりでまず意識するのは子どもたちの言葉づかいである。
 四月の最初に指導しなければ、それ以降は入っていかない。
 たとえば、六年生の子どもたちには「呼びつけ」をやめるように話し、おたがい気持ちよく呼び合える名前や愛称を決めた。
 朝の健康観察をその愛称で私は子どもたちを呼び、子どもたちどうしもリレー式で同様に健康観察をしたりしている。
 ときには、全員立ってもらって友だちに呼ばれたら次の子を愛称で呼んで座るということをゲーム的に行ったりする。
「ムカツク」という言葉についても、クラスでは使わないようにした。
 自分にとって不快だという、他者を意識しない自己中心的な言葉であるからだ。
(菊次哲也:埼玉県公立小学校教師)

 

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子どもは笑顔で下校させよ   安次嶺隆幸

 子どもは笑顔で下校させよと安次嶺隆幸はつぎのように述べています。
 小学校低学年でつまらなさそうに、学校から帰っていく子が一人でもいたら、もう担任の負けです。
 その日、叱られてばかりいた子でも、必ずばん回の場面をその日のうちに設定してやり、ほめて笑顔で帰してあげたいといつも思っています。
 帰りの時間、教室の出口で一人ひとりと握手し、ひと言声をかけて笑顔で帰す。
 このときこそ、担任に対する子どもたちの見えない通知表なのです。
 「今日の学校、楽しかったな」
 「先生、明日もお話の続き聞かせてね」
 そう言って、子どもたちが下校していく姿を見送るときが教師としての幸せな一瞬です。
(安次嶺隆幸:1962年生まれ、東京都私立小学校教師、日本将棋連盟学校教育アドバイザー)

 

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いい授業の秘訣は空気を感じること   安次嶺隆幸

 いい授業の秘訣は空気を感じることであると安次嶺隆幸はつぎのように述べています。
 いい授業は、子どもたちが活発に活動をしていること。授業の終わりに子どもたちの変容がある。
 教師の教材研究がしっかりとなされ、子どもたちがそれにそっている。
 など様々な見方があるでしょう。
 私は、それに加えて、空気を感じることが教師の資質としてとても大切に思うのです。
 授業は子どもたちに任せて見守るのではなく、教師が教室の空気を感じ、ひとつの方向へ導いていくことです。とても大変なことですが。
 たとえば、音読指導のとき、子どもをどの観点でみるかが大切です。
 ただ読ませるのと、目的をもって読ませるのでは雲泥の差があります。
 テーマを持って読ませることで子どもが自らテーマを考えて読むようになれば、さらにそのクラスのレベルは上がります。
 少しずつ頂上へ上がっていくような感じです。
 また、音読をさせた後の教師の位置でその教師の力量がよくわかります。
 音読をさせているとき、子どもの背後にまわるのが基本です。
 どの子どもがどのページを開いているのか一目でわかるからです。
 そんな、ちょっとしたことでクラス全体が変わるのです。
 小さなことを大切にする本物の教師に早く私もなりたいと思います。
(安次嶺隆幸:1962年生まれ、東京都私立小学校教師、日本将棋連盟学校教育アドバイザー)

 

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国語科:作文でクラスを育てる  大原雅樹

 作文でクラスを育てる実践を大原雅樹はつぎのように述べています。
 私は、長年、綴り方教育に取り組んできた。
 子どもたちに大変つらいとか、そんなことばかりを書かせているうち、「これでいいのか」と悩んだ。
「いまの子どもはつらいことが多い」
「だから、私は明るい綴り方をします」
「明るく書いて、子どもたちを育てる」
 これが、私の授業です。
 クラスの子どもが書いた詩を授業で紹介し、みんなでその詩を音読した後、「これ、どう?」と大原は子どもたちにたずねた。
 そのあとみんなで意見をだしあった。
 大原は、どの子も肯定的にみることを、作文や詩で教えています。
 また、書いていないことや削っていい言葉を探す。
 そして、その子らしさを見つめるのが大原のやり方です。
 表現方法をいろいろ変えつつ、人間関係を育てます。
 作文や日記、詩でクラスを作りあげる実践を続けています。
(大原雅樹:札幌市立小学校教師、綴り方教育に力をいれ「札幌作文の会」で研究を続けている)

 

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ワークシートは、どのような特徴があるか    岩﨑 淳

 ワークシートの特徴について岩﨑 淳はつぎのように述べています。
 ワークシートを授業に常に使うのは有効ではないし、まったく使わないのも得策ではない。教材や学習内容に応じて適宜取り入れればよい。
 口頭で説明していると前に説明したことを子どもが忘れるおそれがある。
 板書は子どもたちが書くことだけで精いっぱいとなるおそれがある。
 また、多くの内容を口頭で説明したり、板書したりするには時間がかかる。
 ワークシートを利用すれば、教師も子どもたちも授業時の負担が少ない。
 そのほかにワークシートのよい点は
(1)効率的に理解や知識の共有化を図りやすい。
(2)方向性が明確になり、学習しやすい。
(3)授業内容が明確となり、復習しやすい。
(4)点検もノート点検よりも容易である。
 しかし、マイナス面は
(1)自由度が少なく、教師の発想の枠にはめることになりやすい。
(2)子どもが自分でまとめる力や最初から考える習慣が育たない。
(3) ワークシートが中心になると、教師の話を聞かなくなる。
 ワークシートはつぎのようにいくつかに分類できる。同じシートに複数の要素を入れて作成してもよい。
(1)マニュアル型
 解説や学習活動の手順を説明する。
 発展的な学習やグループ別の課題などの説明に適している。
(2)理解型
 指示にしたがって、子どもたちが記入し、学習内容を理解したり確認したりしていく。
 学習内容の整理に適している。
(3)ドリル型
 設問があり、それに対する解答を記入する。基礎的な知識の定着や、既習事項の確認に適している。
 ワークシートを作成するとき、授業で説明の時間が十分とれるときは、大要だけを記し、時間があまりとれないときは細かいところまで記しておくなどを念頭におくとよい。
(岩崎 淳:1961年生まれ、学習院中等科教師。学習院大学・学習院女子大学・早稲田大学で講師として国語教育及び言語表現に関する科目を担当。小学校・中学校国語教科書編集委員(教育出版))

 

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教師が子どもたちと仲良くなるためにはどうすればよいか

 子どもと教師がよい関係を築くには、まず教師がおだやかになることです。
 それと、叱るべきところは叱り、ほめるときはほめる。
 子どもは天使でも悪魔でもありません。教師は子どもの善なるものを導き出し、悪い心を浄化してあげなければなりません。
 難しいことですが、教師は愛の精神を持って、やっていかねばなりません。
 人間修養になりますね。少しずつ教師が変わらなければ、子どもは変わりません。
 子どもたちと仲良くなるポイントは、
1 にこやかに挨拶してから始めよう
 挨拶は人間関係をよくする魔法の言葉です。「おはようございます」「さようなら」など明るく、さりげなく言いましょう。
 子どもに強要してはいけません。間違っていたら「ごめんなさい」と謝りましょう。
2 一緒に遊ぼう
 子どもたちは一緒に遊んでくれる先生が大好きです。
3 子ども一人ひとりに、一日三回くらいは声をかけよう
 子どもは先生と話したいのです。
 いつも問題を起こしがちな子にかまけてばかりではいけません。
 よい学級の雰囲気を作りたいのなら、おとなしい子ほど、気軽に明るく声をかけていきましょう。
 先生を拒否している子どもにも顔をひきつらせないで、挨拶くらいは明るくしましょう。
 誰かが何かよいことをしたら、すぐ「ありがとう」と言いましょう。
 子ども一人ひとりをよく見ていれば、子どもから「えこひきしている」なんていう言葉は全く言われなくなりますよ。
4 気分で子どもを叱らないようにしよう
 嫌な思いを教室に持ち込まないようにしましょう。
 私は家庭で嫌なことがあったとき、学校で子どもたちと遊んだり、勉強していると忘れることがたくさんありました。
 家庭と学校の生活を切り替えていきましょう。
5 子どもと話すときは、その子の目を見ましょう
 教室で、子どもたちが先生の周りに集まって話し出すときがありますが、そういうときは一人ずつ、顔を見て聞きましょう。
 話すときもその子の目をやさしく見て、その子だけと話している瞬間を作りましょう。
 「先生はわたしを大事にしてくれた」という思いが、先生への信頼感を生むのです。
 信頼感は毎日の地道な誠実な対応から生まれるのです。
6 おだやかな言葉つかいで丁寧に話そう。なるべく呼び捨てにしないようにしよう
 高学年の子には特に、親しくなろうと思ってタメ口のような話し方をしてはいけません。
 教師なのですから、一線を崩さないようにしましょう。
7 子ども理解はゆっくりと。断定しないで別の面からもみよう
 「あの子は乱暴ばかりしてしょうがない」とか「この子はいい子だから大丈夫」なんて、一方的に思い込むほど怖いことはありません。
 人間は一筋縄で理解できると思わない方がいいですよ。
 教師の見る目と友だちの見る目が全く違うなんてことはたくさんあります。
 思い込まないでいろいろな面から見ていきましょう。
8 その日の行動や子どもの様子は、メモにつけておこう
 私は放課後のちょっとした時間に、何をどのように教えて、どんな反応があったとか、目立った子どもの様子とかなど、メモ書きしておきます。
 そうすると、後で読み返すと不思議なくらいその時の光景が浮かんできます。
9 子どもを楽しませよう
 ある男の先生は手品を見せていました。子どもは大喜び。ある女の先生は本の読み聞かせを毎日していました。
 自分の得意なこと、できることで子どもを楽しませましょう。
 楽しいことは幸せなことです。子どもが幸せと感じていると親に伝わります。
 いい先生に受け持たれてよかったと思われますよ。
 子どもが騒がしいときも、静かにさせるにはちょっとしたゲームやいい話をするといいですよ。
 「うるさい、静かにしろ」と怒鳴るよりよっぽどいい効果があります。
 短時間だと集中してきますよ。
 「続きはまた明日。静かになったらね」などと言っておけば、子どもはまたやりたくて静かになることを覚えていきます。 
10
掃除は子どもといっしょにテキパキとやろう。教室はいつもきれいに
 教室が汚い学級は、荒れていると考えて間違いありません。
 いつも整理整頓を心がけましょう。子どもの掃除は行き届かないところがたくさんあります。
 先生もいっしょにしてみましょう。きれいになり、子どもは喜んでくれます。
11
給食はなごやかな雰囲気で食べよう
 子どもの誕生日とか、ちょっとしたいいことを見つけて、牛乳で乾杯して食事をすると、不思議なことに和やかなよい雰囲気になります。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)




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人は互いに応援しあって生きている     松岡修造

 人は互いに応援しあって生きていると松岡修造はつぎのように述べています。
 一つの目標に向かって進んでいる人、つまずいて落ち込んでいる人。
 そういう人たちに向かって僕は「大丈夫だ、きみならできる!」と叫んだりして鼓舞したりしています。
 そんな僕の姿を見て「面白い人だな。いつも元気で熱い人だな」と感じることでしょう。
 冷静に語ってしまえば、単なる説教になる恐れがあります。
 特に若い人たちは説教が大嫌いです。
 元気づけるためには、面白さから入るほうが入りやすい。
 僕のオーバーなアクションは応援のメッセージを伝えるための手段だと考えているのです。
 ジュニア時代の僕は、才能があると言われたことはなかった。
 それでも試合に勝ち進みました。
 おそらく、人の気持ちを読む力と、練習をひたすら続けることができる才能があったからだと思います。
 僕は指導する選手たちに対して、得意・不得意や性格を書くように言います。
 そうすることで、自分というものがよく見えてきます。
 プラス面をしっかりみすえることで、それをいかに伸ばせばいいかが分かってくる。
 マイナス面を客観視することで、具体的な克服方法が見えてくる。
 本気で努力すれば、必ず成功の確率は上がっていきます。
 思いを強く持てば、必ず道はひらけてくる。
 ただし、その確率が100%になることなどあり得ません。
 それもまた人生なのです。自分自身の限界まで本気でやってほしいと思う。
 これはテニスだけのことではありません。生きていくうえでさまざまなことに応用できることだと考えています。
 自分はダメな人間だと、何事もすぐあきらめてしまう人がいます。
 努力するのがしんどいから、ダメな自分を認めて楽になりたいだけなのです。
 しかし、そのような人でも応援してくれる人がいます。
 ただ目の前のやるべきことを一生懸命にやることが応援に応えるということなのです。
 人は互いに応援しあって生きている。
 だからこそ私はいつも誰かを応援しながら生きていたいと思うのです。
(松岡修造:1967年生まれ、元プロテニスプレーヤー。スポーツキャスター・タレント。ウィンブルドン選手権で62年ぶりにベスト8入りを果した)

 

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理科:理科授業の五本の柱   鷲見辰美

 理科授業について鷲見辰美はつぎのように述べている。
 いま、表面的ではない、知識の豊富さだけではない、意欲に基づいた自らを創造的に成長させる確かな学力が求められている。
 理科の授業は、実に奥深い。
 同じ教材を使い、同じ発問をしても、子どもたちによって大きく反応が変わる。
 また、同じ自然に触れても、そこから生まれる問題意識は子どもによって多種多様であたりもする。
 それゆえに、マニュアル的な考えで理科授業を構成することは限界があるのではないだろうか。
 したがって、つぎの理科授業の柱を五本の軸にして確かな学力をめざした授業を創造していただきたい。
1 不思議さや感動に出会う授業
 子どもたちは自然と友だちと対話しながら、自然特有の質感を感じ、新しい世界に出会い、考えが揺れ動き、新しい自分を創っていく。
 子どものわかり方の様相を理解して、子どもの思いや願いを育てていきたい。
2 問題意識を高める導入
 問題をそのままにしておけない、解決してみたいという、子どもたちの知的好奇心が高まることが重要になる。
 そのとき、子どもたちが見通しをもてるようにすることが大切になってくる。
 そのためには、子どもたちの疑問を意味づけ・関連づけし、常に事象に立ち返り、見直し、考え直しを繰り返しおこない、現象に対する認識を深めるようにしていくようにしたい。
3 実験・観察とまとめ活動
 あいまいな言葉による表現ではなく、科学的な用語によって科学的な理論を事実に当てはめ、現象を説明しようとする活動がある授業にしたい。
 そのためには、自分の考えの過程を大事にする。ノートに書いて、間違っても消しゴムで消さないようにする。
 現象を読み解く力を高めるために、科学的思考に基づく科学的な表現を大切にしたい。
4 理解を深め科学的な読解力を深める説明活動
 理科の学習では、実験結果をたんに記憶するのではなく、実験で生じた現象の意味を説明することが必要である。
 説明活動をすることによって、科学的な読解ができているか吟味でき、読解力の育成にもつながる。
5 発展的な活動
 それまでの学習を生かした発展的な活動を構成するようにする。
 学習が理解できている子どもは、問題を解決できる楽しさや、自分の成長を実感することができる。
 理解不十分な子どもは、これまでの学びを振り返ることになりメリットがある。
 もうひとつは、子どもの自主性を伸ばす活動である。意欲を高め、授業後にも関心をもつようになる期待がふくらむ活動である。
(鷲見辰美:1964年生まれ、NTT、岡崎市立小学校などを経て、筑波大学附属小学校教師。日本初等理科教育研究会副理事長、文部科学省教育映像等の審査学識経験者委員)

 

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教師の研修はどうあるべきか  佐藤 隆

 教師の研修はついて佐藤 隆はつぎのように述べている。
 教師自身の自主性・主体性が研修には大切である。
 しかし、学級崩壊が社会的に問題になって世論は「学校はどうなっている」「教師の力量不足のせいだ」と、学校や教師が批判された。
 この批判から、教育改革は行政による研修の強化と、学校で教師が仕事をしていることを内外に示し、夏期休業中の民間教育研究団体の研修も認めない事例が各地で生じている。
 初任者研修は、教師の主体的な意思で参加するものではない。
 マニュアルや対処法を覚え込ませることに重きが置かれた研修が多く、実際に教室で起きているできごととは切り離されていて、求めているものになっていないのが現実である。
 しかし、この研修がきっかけで同期の教師との交流が生まれ、サークルに発展する場合もある。
 また、大学時代の友人や、人間的魅力のあるベテラン教師のもとに集まるなど、若い教師たちのサークルが、いま全国各地で広がっている。
 こういったサークルは、まるごと自分を受けとめてもらえる安心感が得られる。
 参加者のニーズにあった研修となっていて主体的に参加しようとする意欲を引き出すことに成功している。
 これらのサークルの多くは、参加者が自ら実践上の苦悩をもち寄って語り、聴き取るというスタイルを重視している。
 他の教師の実践が自分自身の心の中に刻まれ、学びの質の高まりを実感することができる。
 癒しと学び直しの機会をサークルは提供しているといえる。

 ただ、これらのサークルの組織は脆弱で、活動内容が系統性をもたず一定していないので、系統的に蓄積がある民間教育研究団体の水準からいえば十分なものとはいえない。
(佐藤 隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

 

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グループ学習の代表的な手法   町田守弘

 グループ学習のいろいろな手法について町田守弘はつぎのように紹介している。
1 アイスブレーキング
 班のメンバーのコミュニケーションを図り、活発な討議の雰囲気を作りだすために行う。
 グループ全員が参加できる課題を与える。年度初めに有効である。
2 バズセッション
 6名程度のグループに分けて、6分程度、自由に討議させる。結論を出す必要はない。
 そこで語られた内容を代表者が発表し、クラス全体で討議を進める。
 新しい課題に取り組む事前作業や、新メンバーで話し合うときに有効である。
3 ブレインストーミング
 与えられた課題に対して思いつくままに自由にアイディアを出す。
 他者の考えを否定したりせず、数多くのアイディアを出すようにする。
 アイディアは簡潔にし、グループ内で順番に出し、カードに書くのもよいが、あらかじめ各自に書かせてから出し合ってもよい。
4 KJ法
 ブレインストーミングで思いついたアイディアをカードに書いて、それを模造紙に貼る。
 アイディアの似たものをグルーピングして島をつくる。
 これで整理したり、問題の構造を把握したりできる。
 持ち運びもでき、他のグループと共有しやすい。
5 ジグソー学習
 学習課題をいくつかに分ける。
 学習グループから1・2名ずつ、ジグソーグループへとメンバーを送る。そこに与えられた学習課題に取り組ませる。
 課題が終わったら、メンバーは学習グループに戻って、それぞれのジグソーグループで学んできたことを報告し合い、学習課題全体の解決を図る。
 メリットは、学習グループの代表となることで責任感と解決する意識を強く持てること。
6 ディベート
 「賛成・反対・判定」グループ(G)に分かれ、与えられたテーマについて議論を展開する。
手順は、
(1) 賛成G主張 
(2) 反対G主張 
(3) 作戦タイム 
(4) 賛成G質問 
(5) 反対G質問 
(6) 作戦タイム 
(7) 賛成G最終弁論 
(8) 反対G最終弁論 
(9) 判定
 論理的に思考する能力や、相手の話を聞き、根拠に基づく説得力を持つ表現力が身につく。
7 カルタ
 紙の真ん中に考えるテーマを○でくくって、その周囲に「それは何?」「それは何をするの?」「それはどんなもの?」という観点で発想したものを、枝葉を伸ばすように放射状に書いていく。
 フィンランドの教育に用いられている。グループ学習にも使用できる。
(町田守弘:1951年生まれ、早稲田実業学校中・高等部教諭・教頭を経て、早稲田大学教授。専門は国語教育)

 

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私のプロ野球人生

 歩んできたプロ野球人生について野村克己はつぎのように述べている。
 私の少年時代は、戦争で食糧難だった。三歳のとき父を病気で失い、病気がちな母の手ひとつで育てられた。小学校三年生の頃から家計を助けるために新聞配達をした。
 無口な母に言われたひと言を私は、生涯忘れない。「男は黙って、文句を言わず仕事をするものんだ」という言葉である。
 プロ野球新人時代の解雇通告にも、体験した者にしかわからないテスト入団生の辛酸と苦悩、その後の幾多の試練にも耐えられたのは、私の体の中に懸命に働く母の姿と、この言葉が宿っているからである。
 プロの世界は厳しい。Aという選手が故障で使えなければB、BがダメならCというような激しい競争社会である。それゆえに、プロは自立心・自主性が非常に大事だ。誰もうまくなるまで待っていてはくれない。監督・コーチが見てくれるだろうという依頼心は敵である。この世界は自分で己の道をきりひらいていくしかない。
 私はなんとかプロ野球の入団テストに合格したが、二軍には悪い先輩がいて「今までテスト生で一軍に上がったヤツは一人もいないんだ。三年たったらお前らもクビだ」と言われた。
 そこで考えた。入団すればあとは実力の世界だ。チャンスはゼロということは絶対にない。人の三倍も四倍も努力しようと覚悟を決めた。
 グラウンドではみんな平等に練習するから、差をつけるとしたらそのあとの合宿所だ。手がマメだらけになってもマメを削ってバットを振り続けた。手首と腕力を鍛えるために砂を一升瓶に入れて振り回した。遠投は全身を使うから強くて正確な送球ができると聞き、練習を重ねると距離が伸びた。スター選手の練習を食い入るように見て取り入れたり、自分なりに工夫した練習を重ねて試合に出ることができるようになった。
 私はプロ野球の監督として選手を育ててきた。監督は時代の流れを読み、指導者として自分自身を革新していかなければ時代から取り残されてしまう。
 私は監督として選手を育てるとき「無視」「賞賛」「非難」という段階を踏むようにしてきた。
 見どころがありそうな選手でも、最初から手をさし伸べるようなことはしない。自分で目立つように努力した選手は、つぎの段階としてほめるようにしている。ここで満足してしまえば、そこまでの選手だ。
 しかし、中にはほめられても満足せず、さらに高いレベルをめざそうとする選手もいる。そういう選手にはあえてきびしい言葉を投げかける。真に一流といえるような選手はそうした非難を受けとめて、反省し、また向上しようとするからだ。王や長嶋、イチローがそうだ。
 監督は「気づかせ屋」である。つまり、監督とは原理原則を説き、選手自身が無駄な努力をしていないか、本人が気づいていない点を具体的に指摘してやるのがたいせつな役目なのだ。
 しかし、それは、たんなる技術的指導を意味しているのではない。しょせん、技術力には限界がある。技術力を補うのが知恵である。
 大きな試合で負けることで得られるものがある。人間、負けた方が真剣に反省する。たりないものを選手自身が痛感し、選手たちの人間的、技術的成長の場にこれ以上の舞台はない。
 最終的に選手たちに人間的成長を促すことが最も重要な監督の使命である。格言・名言とともに、私の人生観・野球哲学を選手たちに注入し続けた。
 「人間的成長なくして技術的進歩なし」24年間におよぶプロ野球監督生活のなかで、私は選手たちにそのことを問い続けた。
(
野村克己:1935-2020年。元プロ野球選手(本塁打王9回、三冠王等)・監督(日本一3回)・野球解説者・野球評論家)




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教師も授業にコーチングを取り入れ成長しよう

 私のまわりを見ても、コーチング(注)という言葉は知っているけれど、実際にコーチングを意識して授業をしている教師にほとんど出会ったことがありません。
 私は、これまで学校の仕事が大変だったとき、先輩や同僚の励ましが一番役立ちました。コーチングを学ぶきっかけになったのも同僚の教師からの励ましがあったからです。
 コーチングはコーチが相手に尽くして、受けた人だけが伸びていくのではなく、コーチ自身も人間的な成長を遂げていくことができます。
 自分の授業を改善したいと、英語教育セミナーに参加した教師でも、学んだことを早速、行ってみたという人は案外少ないのです。
 授業を変えるということは、自分の癖と直面するので、嫌なものなのです。
 習慣を変えるという嫌な行為をするには、それなりの仕組み、つまり
コーチングフローとは
(1)
現状の明確化
(2)
なりたい状態
(3)
到達するために必要なこと
(4)
計画立案
(5)
フォローと振り返り
が必要です。
 コーチングノートをつけ、自分の授業を録音して聞いてみて、成果を確認することが必要になってくると思います。
 私の授業はひどいものでした。
 私も自分の声を録音したものを聞きたくないですし、恥ずかしくて、本当は嫌なのですが、録音を聞くことで「あ、この私の発言が生徒の力を伸ばしたな」などといったことがよく見えてきます。
 私が使っているihoneは良質な音で簡単に録音できます。
 プロのコーチと呼ばれる人は必ず自分にコーチをつけています。
 教師であれば、学校内にいる自分の尊敬する教師にコーチしてもらう、というのも一つの方法かもしれません。
 しかし、私個人の意見としては、考え方が同じ人の意見を聞くより、突拍子もないような話をしてくれる人をコーチにしたほうが、自分に見えなかった答えを引き出してくれる気がします。
 私はコーチングを勉強するのに、英語を話す外国の人をつけました。英語教師として英語力も上がり、一挙両得でした。
 あなたには、コーチがいますか?
 コーチングをするためには、Yes…,butをYesにしてくれるコーチが必要です。それは他人でなくても、自分でもよいのです。
 自分自身で、いま、Yes,butになってないか考えてみてください。自分の生き方によい示唆を与えてくれるコーチをつけることで、可能性がグーンと広がっていきます。
(
日野奈津子:横浜市立中学校教師、英語授業にコーチングを用いた実践発表をおこなっている)
(
コーチング:目標の達成やパフォーマンスの向上をめざして、勇気付け、やる気を引き出し、自発的な行動を促そうとするコミュニケーションのスキルです)

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理科:見えない磁力を意識する授業展開     白岩 等

 磁石の極をとらえる学習を白岩 等はつぎのように展開した。
 磁石で大切にしたいことは「目に見えない磁石の力」をイメージし実感することである。
(1)
子どもがやってみたい状況をつくる
 3年生くらいの子どもには、授業の導入で「あれっ」「どうしてかな」と思わせることも大切であるが「自分もやってみたい」と思わせることがもっとも大切である。
 授業の導入で2本の磁力の強い長方形の磁石を使い、磁石倒しをおこなった。1本の磁石を机の上に立てる。残りの磁石を教師の指で隠して持つ。
教師「先生の指をこの磁石に近づけていきます」
 と言って立てた磁石に近づけていく。
 すると、次の瞬間、パタッと磁石が倒れる。子どもたちから歓声があがる。しばらくして、
子ども「先生の手の中、見せて」
 という声があがれば、
教師「そうです。実は先生の手の中に磁石が隠れていたのです」
 子どもたち「ぼくもやってみたい」「先生、はやく磁石ちょうだいよ」
 この時点で、子どもたちは自分もやってみたいという気持ちが最高潮に達する。
 子どもたちに磁石を二本ずつ配る。
 そのとき、磁石の倒れ方について、気づいたことを記録するように助言する。
(2)
対象とかかわる中でいろいろな不思議を見つける
 子どもたちは、しばらくすると、磁石の近づけかたを工夫し始めた。
 初めは同極を近づけていたのを、極を反対にして近づけたり、長方形の磁石の上の方、真ん中、下の方に近づけたりしながら磁石の倒れる様子を調べていた。
(3)
磁石の倒れ方から、極の性質を考える(問題意識の高まり)
 一通りの活動を終えたところで、磁石の倒れ方で気づいたことを発表させた。
 話し合いの結果、子どもたちは極というものを強く意識していった。
(4)
磁石の極の性質調べ(問題意識から問題解決へ)
 そこで、今度は、二本の磁石を手に持ってまっすぐに近づけていった。
 そうして、反発する感じや引きつけられる感じを体感としてとらえ「同極は反発し、異極は引き合う」ということをとらえていった。
 3年生の子どもたちにとっては、自分がやってみたいという場を設定することが、問題意識を引き出し、高めていくことにつながっていくということを改めて感じた。
(
白岩 等:1960年生まれ、1995年より筑波大学附属小学校教師)





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国語科:読みの力をつける教材研究はどのようにすればよいか    渡邉 徹

 読みの力をつける教材研究について渡邉 徹はつぎのように述べている。
 教材をどう読むか。
 ここに、子ども一人ひとりに読みの力をつけるか否かのポイントがある。
 教材に書かれている事実から、いかに書いていない書き手の思いにせまっていくことができるか。
 言葉に内包されているものをいかに読み取っていくかの力量が求められるのである。
 その方法として、教材文を書き写して言葉一語一語に寄り添ってみることである。
 そうして、自分なりに思いついたこと、感じたこと、調べてみたことなどを書き込んでみる。
 関係がありそうな言葉と言葉を線で結んでみる。
 すると、思わぬことを発見する。
 主人公の行動を追っていくと、心の屈折が見えてくることもある。
 はじめは、指導書を参考にすることもよい。
 少しずつ、書き手の息遣いが聞こえてくるだろう。
 書き手は、この言葉にこんな思いを託しているに違いないと推察できてくる。
 また、書き写さないまでも、コピーしてそれに書き込んで考えてみるとおもしろい。
 この繰り返しで、教師に教材研究の力がついてくるのである。
 こうして、分析したのちに、どの言葉を通して、どんな力を一人ひとりの子どもにつけてやるのかを明確にしていくことがどうしても必要なことである。
 読みの力をつけるには、より精密な教材研究が欠かせない。
 同じ作者の作品を読むこともいい。
 パソコンから資料を引き出すこともいい。
 それよりも教材文に寄り添って読む、書くことを勧めたい。
 すると、そこにその言葉がおかれている意味がわかってくる。
 書いてあるものから、書いてないものが見えてくるのである。
(渡邉 徹:静岡市立小学校長、幼稚園長を歴任。「日本国語教師の会」に所属)

 

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国語科:「丸ごと読み」と「おもしろ見つけ」の指導   田中智生

 「おもしろ見つけ」は、「丸ごと読み」と対になる指導である。
 「丸ごと読み」は、すでに子どもたち一人ひとりが持っている反応の仕方を教師の仲立ちで、子どもたちの間で交流し、作品の内容を中心にした読みを深めるものである。
 「おもしろ見つけ」は、子どもたちの反応の仕方を意識的に取り上げていく指導法である。
 冒頭部分で反応の仕方を意識化させ、それを使って読みを進めていく。
 作品全体を繰り返し読むことになる「丸ごと読み」では、作品の構成や仕掛けに目が向きやすいのに対して、場面ごとに反応していくことが多い。
「おもしろ見つけ」は、描写などの表現に目が向きやすいという違いがある。
 年間指導で考えると、「丸ごと読み」の授業を基本に、発達段階として新たに獲得させたい反応を「おもしろ見つけ」で取り上げていくという組み合わせが考えられる。
(田中智生:1956 年生まれ。岡山大学大学院教授、専門は国語教育学、教育現場の教師研究会を開催)

 

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子どもが言うことを聴いてくれる対話の方法とは

 子どものふさいだ気持ちをただ認めてやるだけで、その子を慰めることができます。
 気持ちを受け入れられ、尊重された子どもは、自分の感情と問題を十分に処理することができるのです。
 例えば「どうして泣いているの? 泣くほどのことではないでしょう」などと言うかわりに、「涙が出るほど、ひどく悲しい気持ちなのね」と、子どもの気持ちを認めればいいのです。
 ただし「きみの気持ちはわかるよ」と言うのは問題点があり、その言葉を信じない子は、「いいや、わかってないよ」と答えるでしょう。
 そのときは、子どもの悩みを具体的に言ってやれば、あなたが本当にわかっているのだということが、子どもにもわかるはずです。
 たとえ、それが間違っていても、子どもの気持ちを理解しようとする努力は子どもに評価してもらえるものです。
 子どもの気持ちを受け入れてやると、子どもは自分の行動を制限することができるようなります。
 それが、自己鍛錬の第一歩です。
 子どもが問題を抱えているときに、すぐにアドバイスしてはいけません。
 安易に教えてやったりすると、自分で問題と格闘するという経験を奪ってしまうことになります。
 すぐにアドバイスを与えてしまうと、子どもは「どうして思いつかなかったんだろう?」と自分が愚かだと感じるか、「私のことなんだから、指図しないでよ!」と怒るか、「私だってそんなことぐらいわかってるわよ」といらいらするかのどれかでしょう。
 どうしたいのかを自分で考えだしたとき、子どもは確実に成長します。
 また、自分の決断に責任を持とうとするのです。
 問題を抱えている子どもに、考えや気持ちが混乱している点を、はっきりさせるのを助けてあげることや、問題を質問の形で言い表してあげること、また、情報源を教えてあげることもできます。
 子どもが自分の考えや気持ちについて時間をかけて探り、つかめた後でなら、あなたの考えを冷静に聴くことができるでしょう。
 そのようなときは「・・・・・というのはどう思う?」といった表現を使って提案するといいでしょう。
 ただし「それはあなたの問題でしょう。自分でなんとかしなさい」と、問題を親に無視されると、傷つき、見捨てられたような気持になります。
(
アデル・フェイバ&エレイン・マズリッシュ:大人と子どものコミュニケーションに関するラジオ及びテレビの出演や全米で公演を行う人気作家でそれぞれ3児の母)




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子どもに話をするときのコツ 大村はま

1 魅力的に話す練習をする
 子どもに話す話し方を、もう少し魅力的にじょうずに話す練習をやってほしい。
 録音して自分の話を聞くといいんですよ。
 録音して、自分で聞いてみれば、悪いところがよくわかります。力がないのがすぐわかります。自分でびしびしと鍛えます。
 私は退職するまでこっそりと練習していた。
 話しをすることは特に難しいものですから、短い話しでも、教材の話でも、子どもに聞かせる話は事前の練習が必要です。
 子どもに二分とか三分、話をするのはむずかしいから練習しました。そういうとみんな呆れたような顔をしますけどね。
 先生方は「そんな時間はかけられない。忙しくて」とおっしゃるけれど、忙しくてもそれが本職ならしかたないでしょう。
 録音したものを少しでも聞いてみれば、なおすべきところがわかる。
 自分ほどきびしい先生はいないと思うくらい自分で自分を批評しても大丈夫。
 ほかの人に聞くからめんどうくさくなる。
 聞いてみて、あっと思うことを直してみたり、ほかのことばに言いかえてみたり。
 ここはこう言い方もあったとか。そうやってことばを増やすことを考える。
 やろうと思っても時間がないなんて言わず、それをやらなくては。本職だから。
2 豊かな話を多く持っている
 教師の運命を決するのは豊かな話を多く持っていることではないでしょうか。
 先生のそばへ行くと、お小言とか、ためになる話とか、そういうのは聞けるかもしれませんが、何か心のそうっとあたたまるような話はあまり聞けないというような状態が多いのではないでしょうか。
 いわゆる「ためになる話」というと、だいだい子どもの嫌いな話が多いですね。そうじゃない豊かな話を子どもに何気なく話していく。
 そういうことをもう少し考えないと・・・。学級が崩壊するとか言われていますけれども、そういう場がないからではないでしょうか。
 幸せな家庭にいるのと同じようなふんわりした暖かなものが、子どもには必要だと思うんです。
 でも、そんな話をたくさん胸に持っていない教師がいるということに、私は最近、気がつきました。
 どのような話ですか、と改まって聞かれると困るけれども、子どもが何気なく気楽に聞き流しながら、何かを受け取っていくというような、つまり話の力ですね。
 話にはそういう、何がためになるかならないか、上手か下手か、そんなことに関係のない、話し言葉の作る雰囲気というものがあるんです。
 30人なり40人なりの子どもを並べて「これからお話をしますから、よく聞いているんですよ」なんていうのは、教師として本当につまらないことです。
 「よく聞いてください」と言わなければ聞けないような話しかできないんでしょうか。
 教師の話し言葉は、じかに意志を伝えていくものです。
 ですから、これを豊かに持っているか持っていないか、持つことを志したか志さないか、それが教師の運命を決すると私は思います。
 私はそういうふうに思って、たくさんのお話を胸に持っている先生を尊敬しています。
 子どもの数だけいつでも胸に話があったら、どんなにいいかなと思います。
3 教師が「子どもが興味を持つように」と願う方向に向けていく
 子どものなかに教師が身をおくことが、教える技術の一つだと思います。子どもの中には入って、子どものことばで話すわけです。
 そういう言葉が、どんなに子どもの心を柔らかにし、開いてくるか、わからないと思うのです。子どもの興味のうえに立って、子どもの関心の深い点で、本気で子どもの生活のなかで考えさせます。
 それは、教師がただ子どもの興味と関心に従っていくことではないと思います。それは教育にならない。
 教師は「この方向に子どもが興味を持つように」と願うところに、静かにゆっくりと向けていく、工夫と努力をしなければならない。興味や関心を育てることは、先生の仕事なのです。
 話し合いが堂々巡りのとき、一つの転機を画すように、ぱっと目が覚めて、抜けだしていい話しができるように、曲がり角を作る人でなければならない。先生自身が目の覚めるような発言をして、みんなを感動させることです。
4 子どもの腰を見る
 子どもが教師の話を聞いているかどうかは、目をみるのもいいけれど腰を見なさい、と芦田恵之助先生から教えられました。
 腰がピンと立っていないときはあなたの話を聞いていない。お義理にこっちを向いているだけ、心は眠っているのだと、よく聞かされました。
5 話の長さは3分がよい
 話しはできるだけ短くしたほうがよいと思われます。
 いい話しでも長すぎるといい話しではなくなります。
 話は5分以上話すべきでないと思います。
 3分がいいのですけれども、それ以上は涙をのんでとにかく、いったんやめるべきだと思います。
 一年間教えておりますので、話す機会はいくらでもあります。ですから、惜しくてもやめないと、何の感動を与えないものになってしまいます。
6 子どもへの話は「題材」、「話しだし」「組み立て」「結び」にかかっている
(1)「題材」
 話の材料というのは、ほんとうに一生懸命に捜しています。
 先生の体験談など生きた話しがいちばん効果的です。
 話しの内容は、自分の生活のなかから拾った話しが一番です。
 自分の生活のなかで自分でとらえて、自分で感激していて、みんなに話したい話が一番生きていると思います。
 そのような話しをすると、話しやすい雰囲気、ふんわかとした、あたたかい空気ができるのです。
 先生自身の生活の幅が狭くて、話したいことなんかないということは、子どもの話しを聞けない、引き出せないと考えてもよいと思います。
 読書の幅を広くして読んで心に残った話しとか、いろいろの話題で自分の胸にいつも感動のネタがいっぱいあるようにしていかないといけません。
 私自身が、心から話したいと思わない話は、どうもだめです。新しい発見がない話、受け売りだけの話は、だれもあまり興味が乗りません。
 教師の話し方は、一度でわかるような話をするということが、教えるときの教材準備のいちばん大事なところだと思います。
(2)「組み立て」
 言葉をいかにやさしくしても、「組み立て」の悪い話というのは、子どもにはわかりません。
 ですから「話し出しのくふう」と、「組み立て」「おしまい」、そういうことは気をつけて、案を立てて練習して話をします。
 「話しだし」が同じ形をくり返していますと、マンネリになってきますから、だめなのですね。
 「組み立て」はよくよく考えてから。それをガラッとひっくり返したほうが大体はいいようです。
 「結び」はほとんどないにするのがコツのようです。パッとやめる。ていねいに結びますと、大体だめになるようです。
7 本心が心から声になって出る
 西尾実先生に、二人で対話するというのが大事で、本心がすらすらと出てこなければならないんだと教えてくださった。
 だいたい日本の先生は問答のことを対話だと思っている。
 本心が声になって出る習慣というか力というのを持たないと、話しことばというのは成立しないとおっしゃっていたんです。
8 話しのテンポ
 テンポはマンガのテンポがいいです。
 ていねいでなくて、ちょっとおそまつなぐらいのテンポです。
 有名なマンガ家の場面の移し方にテンポを学べると思うのです。
9 上手に話ができる教師は、相手の心をよく受け取れる教師
 上手に話ができる人は、相手の心をよく受け取れる人だけです。
 相手の心を受け取れない人がしている話は、子どもの心にはしみ込んでいかない。
 とにかく、子どもの心をとらえる以外に上手に話をすることはできない。
 子どもの心を本当にとらえているということが、教師にとって大切なことです。
 それがつかめていない間柄では、どういう工夫をしても話はうまくいかないと思います。
(大村はま:1906-2005年 長野県で高等女学校、東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力と課題に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)

 

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子どもを注意できない教師が、注意できるようにするにはどうすればよいか

 子どもを注意することが難しくなり、できない教師も増えている。
 その場で注意できない教師、注意しても徹底できない教師、注意しても生徒に反抗される教師は、教師としての自らの適格性に疑問を抱いて苦しみ、悩み、心身症におちいる例も増えている。
 だが「できません」と言っているだけでは、けじめはつけられない。
 それぞれの教師が「その場で注意」できる教師に成長することが必要だ。
 そのためには、職場の教師が組織的に援助するようにする。それぞれの教師が個性に応じた指導法を発見できるように研修するとよい。
 生徒に怖がられている教師とそうでない教師とが、同じ言葉と態度で注意することはできない。
 それでは、どのようにすれば注意できるようになるのでしょうか。
1「その場で注意」できない教師は
(1)後で子どもを呼んで注意する。なるべく人目のないところに呼んで注意する。
(2)職員室へ戻ってきて、関係教師に通報する。
(3)一般的注意や掲示などによる注意など工夫する。
2 注意することについて学習会を開く
(1)「注意」について学習する。
(2)「その場での注意」の仕方を学習する。
(3)「注意の指導方法を出し合い」自分に適した指導方法を発見する
 ワークショップで「私ならこう注意する」といった指導方法を出し合い、実演しあって学習する。
 他の教師の指導を見ながら、それぞれの教師が自分に適した指導法を発見する。
 具体的に例をあげると、例えば、
 教師が、私語をする子どもに「何しゃべっているんですか。おしゃべりやめなさい」と注意したら、その子どもに「うっせーな」と反抗された。
 この場合、どう指導すればよかったのでしょうか。
 教師がそれぞれ自分の考えた方法をつぎのように演じて見せ合った。
1 新卒の教師は「すみません。おしゃべり、やめてくれますか」
2 ベテランの家庭科の教師は「楽しそうだね、その話、あとで先生に教えてね」
3 社会科の教師は「仲良くていいね。さて、話の続きは休み時間にしたら」
4 国語の教師は「そこ」と注目させ、ニコッと笑って唇に指を立て「しーっ」という静粛の合図を送った。
5 怖そうな体育の教師は「うるさい。おしゃべりやめろ」と怒鳴った。
6 理科の教師は「なに話し合っている。大事なことらしいな。みんなにレポートしてもらおうかな」
7 音楽の教師は、近づいて行って「どうしたの。緊急事態発生したのかな」と聞いた。
8 保健の教師は「何か先生の授業がおもしろくないのかな。おもしろくなかったら要求してください。どうぞ発表して。ここでいやなら、あとで教えてね。保健室で待っているからね」
 と、いろいろな指導方法のあることがわかる。どれも正しいと家本芳郎はいう。
 こういう指導の研究で大切なことは、一つの方法に統一しないことだ。
 みんながみんな体育の教師のように、みるからに怖そうな教師でないからだ。
 指導方法は「各自の自由」である。
 このように、それぞれの指導方法をだしあって、つぎの順序で自分流の指導方法を編みだせばよい。
1 いろいろな教師のいろんな指導方法を学ぶ。
2 そのなかから、自分にもっともふさわしい指導方法をさぐり、発見する。
3 発見した指導方法をそっくり真似してみる。
4 真似した指導方法を自分に適するように修正してみる。
5 さらに、発展させ、自分流の指導方法を編みだす。
 指導方法は自分流を編みだせれば、いうことはない。そこにいたるまでは、先人に学ぶことである。
 もう一つ例をあげる。
 教師の「やめろ」のひと声で子どもたちをやめさせるにはどうすればよいでしょうか。
 教師である以上、注意することからは逃げられない。教師は「やめろ」と注意したとき、その一声で制止できたら言うことはない。
 やめないのは、教師が子どもになめられていて、こわくないからだという説がある。そう思っている教師が多い。
 だが、そんなことはない。もし、それが事実なら、教師全員がこわい教師になる必要がある。
 おっかない教師が見ているところではやらないが、見ていないところではやるかもしれない。
 どうせ「やめろ」と言うなら「それから後もずっとやめる」ようにしたいものである。
 子どもが教師の「やめろ」の一声で、その行為をやめるには、つぎの条件を満たせば、こわくない教師も、やめさせることができる。
1 子どもを追い詰めて、逃げ場を失ったネズミにしない
 どんな場面で叱られるかが子どもにとっては大問題である。
 子どもにもメンツがある。みんなの前、好きな女の子前で「やめろ」と言われたりすると、すなおにやめない。
 したがって、やめさせる場合、その子どもの立場も考えながら注意し、その後で、きっちり指導する。
2 教師の言葉の力
 教師の「やめろ」と言う声に、すぐにその行為をやめさせる強い響きがあることだ。
「これはよくないことなんだ。すぐにやめなくては」と思わせる響きがある場合、子どもはハッとわれに返ってやめる。
 教師は「やめなさい」を13通りに表現できなくてはならないという人がいる。
 いろんなニュアンスで「やめなさい」が言えなくてはならないという意味だろう。
 ところが、教師はそういう訓練をほとんどしていないから、「断固として叱りなさい」と言うと、威嚇的な大声でしか発声できない。
 昔はそれでよかったが、今日では、その中にやさしい響きと、怒りや悲しみや、嘆きや痛ましさの表情をともなわなくては、強い抑止力を発揮できなくなった。
 制止や禁止の言語能力を高めることが求められている。
3 モラルに反する行為
 やめさせる行為がモラルに反している場合である。
 例えば「人を殺傷する」「人のものを盗む」「人の権利をふみにじる」「弱い者をいじめる」といったことなどである。
 「きまり」は日頃から取り上げ、子どもたちにもよく理解させておかなければならない。
 教師の「やめろ」に呼応するモラルを子どもの内部に育てておくためでもある。
 この「きまり」に反する行為にたいしては、即座の有無を言わせぬ禁止を求める。
 ところが「髪の毛を染めてはいけない」という校則は「規則」であって、人類普遍のモラルではないから「有無を言わせぬ禁止」項目にはならない。
 ここをよく間違えるので区別をしなければならない。
 これを同じレベルで指導しようとするから、無理がおこり、破綻する。
4 教師が好かれている
 「やめろ」と言った教師が好かれている場合である。
 好かれている教師が言うと子どもはやめる。嫌いな教師はなかなかやめない。
 教師は子どもに好かれ、信頼され、尊敬されるようにつとめなくてはならない。
5 納得できる指導を受けた経験がある
 今までに子どもが納得できる指導を受けた経験があるということである。
 「先生が『やめろ』と言ったので、自分はやめた。その後、先生は自分の気持ちも聞いてくれるし、慰めてくれて、納得のいくように説明してくれた」という信頼感である。
 そういう姿勢をもった教師であれば、子どもはやめる。
 学校現場では、指導に苦手な教師のレベルからものごとを発想していくべきである。
 注意できない教師の発言を大切にとりあげることで、そこから教育の思想や技術を深めていくことができる。
 たてまえで動く職場はかならず破綻するものである。
(家本芳郎、1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

 

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教師として必要な資質(1)

 実力ある教師は、授業をすれば子どもを魅了し、話をすれば多くの人を引きつける。子どもの力は伸び、保護者の信頼も厚い。
 生まれつきなのだろうか? そんなはずはない。実力ある教師は、どこがちがうのか。
1 実力ある教師になりたいと思うその願いの強さにある
 実力ある教師になりたいと願わなければ実力ある教師にはなれない。
 焦がれるほど熱く願わなければ、達成はできない。
 高校野球で一度甲子園の土をふみたいと願うチームしか、甲子園へはいけない。
 願望や実力は、それを強く願わなくては手にすることはできない。
 教師は、自分も学び続けてこそ人に教えるということが許される仕事なのである。
 平凡な教師でいいと思っている教師に教えられる子どもがかわいそうである。
2 子どもを組織力し構成力する力
 教師の仕事は、学級の子どもたちを授業という事実によって組織し構成し、相互に交流し影響させ合わせることによって成立する。
 したがって教師に組織力・構成力があるかないかによって、授業や行事の質は一変したものになってしまう。
 組織力があり構成力のある教師は、すべての子どもを生かしながら授業や行事を発展させ、そのなかで一人ひとりの子どもが育つのを見守り助けていく。
 教師の仕事は、さまざまな異質のものを持ち、そのときどきに変化していく何十人かの子どもを対象にして、子どもの相互の関連をもみながら対処していかなければならない複雑な仕事である。
 同時に何十人かを対象にし、組織し構成し、そのなかで一人ひとりに対処していかなければならない。
 組織力や構成力を持ち、知識や感覚や表現力を持ったうえに、直接に働きかけ手入れをするための、指導の技術や技能を持っていなければできない仕事である。
 組織力・構成力のない教師は、授業や行事が平板になり、むしろ逆に、子どもの成長を抑えつけたり、押しつぶしてしまったりすることが多い。
3 すぐれた働きかけや手入れをする力
 授業や行事は、教師の働きかけや手入れによって出発し成立していくものである。
 教師のすぐれた働きかけや手入れがないかぎり、子どもたちは、どの子どもも、それまでの日常的な世界にとどまっているのであり、それまでの自分を捨てて、別の世界へと入り込み、自分を別の人間にしていくことなどできないのである。
 教師の働きや手入れとかは、ほとんど教師の言語や身体での表現によってされていくものである。
 そういう教師の表現によって、触発されたり、深く考えたり、自分を変えていったりすることができるのである。
 教師の表現活動の背後にあり、また表現活動の内容となり力となっているものは、教師の豊かな知識とか経験とかであり、また教師の持っているすぐれた感覚である。
 教師が豊かな知識とか経験とかを持っているとき、教師の表現は豊かで明確になり、子どもを豊かに楽しくしたり、子どもの内部にあるものを触発し、生き生きと表に出させるような力となる。
 また、教師がすぐれた感覚を持っていることによって、子どもの表現のなかにあるものを見わけたり、他とつなげたり、さらに子どもの内部にあるものまで掘り出したりすることができるようになる。
4 教師の技術や技能に人間的なものを持つ
 教師の技術や技能は、背後に教師の人間性とか教育観とか、子ども観とか、教材に対する考え方とかがあり、それを内容としての技術や技能である。
 教師の技術や技能がそういう人間的なものを持ち、内容を持ったとき、教師の技術や技能は生きて働くものとなり、子どものなかに豊かにはいっていくものとなる。
 そういう技術や技能がないことには、事実が豊かに確実に動くなどということはない。
5 子どもに対する誠実さ、子どもをいとおしいと思う心、自分を省みる謙虚さ
 これは疑いもなく、すぐれた教師に共通する資質である。
6 3つの指導力を使い分ける
 指導力は、
(1)悪いことは悪いと子どもにしっかりと伝える「父性型」
(2)悩んでいる子どもを包み込む「母性型」
(3)子どもと一緒に楽しむことができる「友人型」
 に分けられます。
 この型を時と場合によって使い分ける能力が必要です。
 批判の多くも、この部分に集中している感じがします。

 

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国語科:「銀の匙(さじ)の授業」   橋本 武

 「銀の匙(さじ)の授業」について橋本 武はつぎのように述べています。
 「銀の匙」は作者である中勘助の自伝的小説で、たくましく成長していくさまを描いています。中学で三年かけて読み解きます。
 「銀の匙」の授業では、学習の手引「銀の匙研究ノート」を使います。
 このノートは楽しみながら学べるよう、読み込みのポイントが書かれた、書き込み式の副教材です。
 ここに語句の意味や、内容の要約を書き込んでいきます。
 ノートには、各章の終わりに参考として、本文で触れられていた風俗・習慣や、特別な言葉の解説をしいます。
 この解説を参考に寄り道をします。中学では国語を好きになってほしかったので、寄り道を大切にしました。
 寄り道で興味と好奇心を持って見聞したことは一生忘れることがありません。
 「銀の匙」前篇二の章を取り上げます。全文をつぎに掲げます。
「私の生まれる時には母は殊のほかの難産で、そのころ名うてのとりあげ婆さんにもみはなされて東桂さんという漢方の先生にきてもらったが、私は東桂さんの煎薬ぐらいではいっかな生まれるけしきがなかったのみか気の短い父が癇癪をおこして噛みつくようにいうもので、東桂さんはほとほと当惑して漢方の本をあっちこっち読んできかせては調剤のまちがいのないことを弁じながらひたすら潮時をまっていた。」
 本文中の難しそうな語句には一重傍線がついています。意味がわからなかった人は、語句の説明を読みます。(例:名うて=高名であること。評判がよいこと。癇癪=少しのことで怒りだすこと。潮時=ちょうどよい時期)
 「銀の匙」では、各章の冒頭には、四などと数字がふってあるだけです。
 まず、私は各章のタイトルを生徒たちに考えさせます。
 それを授業の中で発表していって、クラスでひとつの題を決めるのです。
 クラスで決めた題が正解というわけではありません。大事なのは自分で考えることです。
 本文中の二重傍線がついた言葉に関連する寄り道をしていきます。
(1)
「難産」の寄り道
 自分が生まれたときの様子を、聞いて文章にまとめてみましょう。母のこと。父のこと。できるだけ詳しく聞いてください。
(2)
「漢方」の寄り道
 漢方医学の歴史と、特徴の説明。大阪市の薬問屋街にある「神農さん」(少彦名神社)の「張り子の虎」由来やお祭り、それにともなう「コレラ」の話など。
 章の授業を終えると、その章の内容を正確に200字に要約します。文字数を限定することによって語彙力が向上します。
 この「銀の匙の授業」を通して身につけられる力は
(1)
語彙が増える(一つの言葉に注目して、似た言葉を集める「寄り道」で語彙が増える)
(2)
自分で考える力がつく(各章に題をつけるなど、随所に考える課題がある)
(3)
文章力が向上する(各章の内容を200字に要約することで、文章を綴る能力が高まる)
(4)
記憶力がアップする(知的な遊びを取り入れ、脳を活性化させる)
(5)
調べる力がつく(寿司屋の湯飲みなどを収集して魚偏の漢字を調べるなど)
(6)
言葉に敏感になる(思いがけない言葉から寄り道することで、言葉の意味に敏感になる)
(7)
読み解く力が強くなる(主人公の行動を追体験することで、物語の世界に没入できる)
(8)
好奇心が刺激され、学ぶことが楽しくなる(寄り道や追体験を通して学ぶことの楽しさを知るのが「銀の匙」授業のもっとも大きな効果だろう)
(
橋本 武:1912年-2013年、元灘高等学校教頭。旧制灘中学校に国語教師として赴任後同校で50年間教えた。伝説の灘校国語教師として2009NHKで放送され、本が2010年にベストセラーとなる)

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子どもは成長していくことに喜びを感じ、成長できない状態におかれたときに不満を持つ、斎藤喜博はどような教育を行ったのか

 人間は無限の可能性を持っているものであり、自分をより豊かに成長させ拡大し変革していきたいという願いをもっている。
 教育とは、子どもの持っている可能性を引き出し、拡大していくことである。
 人間の美しさ、人間の連帯の美しさを知り、それぞれの人間の持っている無限の可能性を引き出し拡大することこそ教育の仕事である。
 どの子どもも、成長していくことに喜びを感じる。
 しかし子どもたちは、自分一人の力で成長していくことはできない。
 大人なり教師なりの助けを受け、力を借りることによって、はじめて自分の内部にあるものを、よりよく引き出すことができ、心をひらいて成長していくことができるのである。
 これは幼児や小学校の子どもばかりでなく、中学校や高等学校の生徒においても同じである。
 自分を成長させたいと強くねがっている子どもたちが、自分が成長させることができないような不幸な状態におかれたとき、子どもたちは、不満を持ち、反抗的になったり乱暴になったりする。また劣等感を持ち、無気力になったり怠惰になったりする。
 大人や教師はそう考えなければならないことである。
 もともと無気力な子どもとか反抗的な子どもとか、怠惰な子どもとかが固定的にあるものではない。
 学校の授業についていけない子どもとか、「おちこぼれ」などという子どもがあるものではない。
 そうなることをねがっている子どもなども一人もいるはずがない。
 そういう子どもをつくっている大人とか社会とか学校とか教師とかに問題があると考えなくてはならないことである。
 学校は子どもたちが成長していくのを、子どもの学習をとおして手助けするところである。
 学習の主体者は子どもたちであるが、学習の主体者である子どもたちは、教師の適切な助けを借りることによって、確かに創造的に学ぶことができ、自分を生き生きと成長させ変化させていくことができるのである。
 教師は固定した物を固定的に教えていてはだめである。教科を正確に獲得し、拡大し、深化し、再創造させていかなければならない。
 教育という仕事は、子どもたちの具体に応じて、こまかい手入れをしていかなければならないものである。
 子どもたちに、言葉や、身体で表現させたら、その事実のなかにあるよいものとか、悪いものとかをとらえ、その場ですぐに具体的に指摘していかなければならない。
 その事実のなかにあるよいものは拡大し、悪いものは否定して他のものをつくり出させることによって、子どもたちの持っている可能性は、はじめて引き出され形となっていくものである。
 一時間の授業で、子どもや教師が対決し、火花を散らし、つぎつぎと真理を追及し、子どもたちがへとへとになって、満足しきる。
 このような授業をしていれば、子どもたちは自分を出しきり、つかみとった満足がそこにはある。
 専門家である教師がやる授業は、子どもたちが自分の力を出しきり、正確な知識を獲得し、新しい認識とか創造とかをし、それを翌日の授業に持ち込むようなものでなければならない。
 そうなるような必然性とか法則とかを、授業はもったものでなければならない。
 例えば、合唱の指導もそのようにしていったとき、どの子どももが自分を出し、歌をうたうことによって、自分を豊かにふくらませ、自分を新しくし、自分を成長させていくことができるようになる。
 そういう指導をするためには教師は、子どもの事実をみぬく力を持ち、表現の方法を指導する教師としての技術を持っていなければならない。
 またそれらのもとになる、教材への解釈とかイメージとかを持っていなければならない。
 指導を終わって子どもたちが帰ったあと、どのように解釈し、どのような方法で指導したらよいかを教師たちと考える。
 教育という仕事においては、子どもの事実にふれるごとに、問題が生まれ、新しい解釈とかイメージとか、それに即した新しい指導の方法とか技術とかが生まれる。
 子どもの事実にふれるごとに新しい指導の方法や技術が生まれるのである。
 私の方法や技術は教師としての仕事をしながら何百種類を持つようになった。
 まず、自分の方法では子どもができない事実にぶつかる。
 そこで、考え工夫しながら、新しい方法を考えだし試してみる。子どもができるようになって子どもの事実を動かしたことで、新たに自分の方法や技術を獲得したことになる。
 だから教育という仕事は面白いのである。
 子どもの事実を動かすような仕事をしていったとき、子どもたちは無限に教えてくれるのである。
 教師は、絶えず追究し、創造し、新しいものを子どもたちのなかにつくり出していかなければならない仕事である。
 一つのものをつくり出したときには、つぎのより高いものをめざして、追究をはじめ、新しい創造をしていかなければならないものである。そういう仕事を休みなく続けていかなければならないものである。
 対象である子どもたちの事実によって、そのとき必要な形式をつくり出し、形式によって内容をつくり、そこに生まれた内容によって、またつぎの必要な形式をつくり出していかなければならないものである。
 形式は内容をつくるためにあるのであり、内容によって形式はつくり出されていくものである。
 そのときどきに全力をつくして典型をつくり出すが、それは決して目的ではなく、固定した既成のものがあり、それにあてはめていくものではない。
 つねに目の前にある事実と対決しながら、事実のなかから、つぎつぎと新しいものをつくり出していく仕事である。
 そのようにしてつくり出された典型に数多くふれることによって、子どもたちはいよいよ新鮮になり自分を新しくしていくのである。
 教師もまたそういう典型に数多くふれることによって新鮮な人間になっていくのである。
 そういう作業のすじみちのなかで、子どもたちは自分の可能性を引き出し、自分を成長させていくのである。
 そういうところに、教育の仕事の意味があり、特長がある。
 そう決意し、そういう仕事をしつづけようとしないかぎり、典型としての子どもの姿は生まれないし、教育という創造的な仕事をしつづけていくことなどもできない。
 子どもたちは、学校でのそういう授業や行事のなかで、教師や他の人間の力を借りながら、自分のなかに新しいものをつくり出していくのである。
 そのために学校を組織体としての機能を持ったものにし、授業の質を高めることを中心としたのである。
 また、すぐれた教材を集めたり、つくり出したりすることに努力し、専門家としての教師の技術とか技能とかを高いものにしようとする努力をしたのである。
 そうすることによって、子どもたちは自分一人だけでは到達できないような高みにまで、自分の全心身をつかって、喜び勇んでよじのぼっていくようになるのである。
 他の創造的な仕事においてもそうなのであうが、教育の実践はいつでも連山を越えていくようなものである。
 見えている一つの山を越えてほっとしたときは、つぎのより厳しい高い山が見えてくる。
 創造的な仕事であるということが、教育という厳しい、しかもいやな仕事に、堪えることができたし、やり甲斐のある仕事だとも思ったのである。
 実践者である教師は、そういう仕事のなかで人間を変革していくのである。
 また、人間を変革することによって、そのときどきの子どもと対決する実践も創り出せるわけである。
 教育の実践は、現実のなかでの、絶えざる追究と創造のある仕事であるから、またそれをしないかぎり、教師をも子どもをも変革することなどできない仕事である。
(斎藤喜博:1911年-1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者)

 

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全員が熱心に掃除をして、あっという間に掃除が終わる方法とは

 教室の掃除を効率よくおこなう方法について福井 慎はつぎのように述べている。
 小学校で掃除のやり方は指導済だとして、中学校では掃除の指導をほとんどしていない。
 しかし、箒の使い方も知らない生徒もいるので、教室の掃除をするやり方を教えていく必要がある。
 全員が熱心に掃除にとりくむために重要なことは、
1 生徒一人ひとりの役割を明確にする。
2「床を掃く・雑巾がけをする・机を運ぶ」を同時進行でおこなう。
3 教師も生徒と一緒に掃除をして、ふだん目立たない生徒などをほめる機会にする。
 ことである。一人ひとりの役割を明確にすることで遊ぶ生徒がなくなる。
 自分の仕事が終わったらどうするか決めておくことも大切である。
 私のクラスでは、机の整理整頓をする。配り物をすることになっている。
 教室の掃除はつぎの順序で行うとすばやく終わることができる。
1 まず、机を全部、教室の前方に運び、教室の後ろを空け、後ろ半分を掃除する。
2 教室の後ろ半分の掃除
(1) 縦一列の机の後ろのスペースごとに縦方向に掃除をおこなう。
(2) 教室の後ろの壁から机のところまでを、箒で掃き、雑巾がけをする。
(3) 少し横にずらして机のところから教室の後ろの壁までを掃き、雑巾がけをする。
 ポイントは箒と雑巾が同じ道順をたどるようにすること。雑巾がけは3cmほど重なるように教室の縦方向に拭くと時間がかからない。
(4) 掃除が済んだスペースに、教室前方にある縦一列の机を教室の後ろ半分へ運ぶ。
(5) (1)~(4)を繰り返す。
3 教室の前半分の掃除
 2と同じ要領でおこなう。
4 机を元の配置にもどす。
5 黒板やロッカーなどの掃除をする。
 このやり方だと、全員が同時に一生懸命掃除をし、あっという間終わる。だから生徒に評判がよい。教育実習に来た学生も、この方法に驚く。
 この方法はTOSS三重の先生から教えていただいたものです。
(福井 慎:1978年生まれ 三重大学教育学部附属中学校教師 TOSS会員)

 

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気づかなかった自分に出会い発見することが何よりも面白い

 演劇についての思いを世界的に有名な演出家である蜷川幸雄はつぎのように述べています。
 いまの若い世代は、テレビや映像の感覚で育っているため、ものごとを論理的な構造に置き換えてみるということをしません。
 セリフも、平板な言い方でなく、言葉の頭の部分と語尾が明確に相手に届き、人間として自己主張するような表現をしてほしい。
 俳優の仕事は、人間を表現するから面白いのです。
 若い俳優が、うれしいことや悲しい出来事について人生でいろいろな体験を積み、老いたり体が衰えたりすれば、深い喜びや悲しみの経験と認識が体に宿り、俳優の演技に反映されます。
 その俳優の人生の軌跡が、演技に表われる演劇を組織するのが、僕の演出でありたい。
 何か新しいことをするときは自分を追い込んでいきます。
 家で何日か寝ないで本を読んだり、遊んだり、うろうろしていると、新しい感覚が生まれイメージが湧いて出てくる。
 また、稽古中に胃腸薬をポリポリ噛みながら、稽古をしていると目の前を虫が飛ぶんです。
 幻覚ですが、そういうふうに自分を追いつめていくと、確かに頭やイメージが動き出しますが、体を痛め続けているから、胃潰瘍とか、体はズタズタになります。
 総合芸術である演劇では、人間関係が大事で、コミュニケーションが難しいんです。
 演出家という仕事は、嫌なことも人に言わなければならない。
 演出家は観客の目を代表しています。俳優に対して演技をジャッジして、指図したり、否定したりする立場です。
 僕も昔のようにがむしゃらでなく、声高に主張しなくても、みんなに対して説得力を持つ人であたい。
 もっと多義的な解釈ができるようになりたいと思う。
 自意識過剰な僕は、そういうことが苦手だった。
 だけど、納得さえできれば、相手を受け入れて付き合うことが、素直にできるようになってきた気がする。
 演劇は、人と人との出会いに尽きると思うんです。
 演出のイメージも必ずしも絶対的なものではない。
 失敗したり、やり直したいと思ったり、もっと違う選択があり得たとか、自分が見落としていたものがあるなとか。
 人生でも演劇でも、気づかなかった自分に出会い発見することが、何よりも面白いんです。
 そしてチームワークこそ、演劇で最も大事なものなんですね。
 僕は、日本的なものわかりのいい、物静かな老人にはなりたくないですね。
 自己主張が強くて、自分の仕事を容認しないで否定しながら、最後まで、創造的な仕事に対して冒険家でありたい。
 そう、僕はあのピカソのような人になりたい。
(蜷川幸雄:1935-2016年、世界的に有名な演出家。元桐朋学園大学短期大学部学長。「王女メディア」「NINAGAWAマクベス」などの斬新な演出が話題となる。ベルリンでオペラ演出をおこなうなど国際的に活躍。歌舞伎座公演「NINAGAWA十二夜」の演出で菊池寛賞。朝日舞台芸術賞特別大賞,読売演劇大賞・最優秀演出家賞。22年文化勲章)

 

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新任教師や若い教師に知っておいてもらいたいこと

 新任教師は、教室の中ではもっとも年上で、目の前にいる子どもたちは、全員、自分よりも物を知らないと感じてしまう。
 つまり学校というところは、新任教師でも王様になれてしまう職場である。
 そのため、何の実績もない若い教師でも、自分が一人前の社会人だと錯覚しやすい。これから頑張って成長しなければという謙虚さを失いがちな世界です。
 新任教師は教える側として経験する教室の風景に戸惑います。
 さまざまな学びの要求が渦巻く教室で、すべての学び手に配慮し、各々の学びを高めていくということは、決してたやすいことではありません。
 若い教師の多くは実際に一生懸命に働くが、不幸なことに、一生懸命に働いたからといって、必ずしも有能な教師になるとは限らない。
 ざっくばらんな言い方をするなら、よい教師になるためには、かなり賢くなければならない。
 小学校のレベルでは、よい教師は文学や算数を知っているだけでなく、基礎科学、歴史、芸術にも精通し、さらにソーシャルワーカー(注)や心理学者にもなれる準備をしていなければならない。しかし、若い教師の多くは、そのようなレベルに達していない。
 初めて働く新任教師にとって、同僚や管理職をもつという経験はこれまでになかったことです。
 うまくやっていくためには、同僚の教師や管理職と適切な関係を築くすべが必要となります。
 職場での人と人とのつながりを大切にしてほしいのです。
 あいさつをして、同僚教師や管理職と話し合えるようになること。
 ちょっとした手伝いは快くやってあげることなど、ちっとも損にはならないことです。
 失敗がある程度許される若いうちは、何でも引き受けてやってみることも大切です。
 担当者があいまいな仕事がまわってきても、たくさんの仕事にかかわるおかげで、しだいに自分にできることと、できないことの区別が分かります。
 自分が自信を持ってできることが分かってくると、反対にできないことは迷惑をかけることもあり、いさぎよく断ることができるようになります。
 そのかわり、自分にできることにできる限りの時間と手間をかけ、最高に質のよい仕事をするようにするとよいでしょう。
 人ととけ合う能力を培っていくことが、やがて職場全体のまとまりを築き上げていく力量の土台ともなっていきます。
 学校を組織として見ることが重要になってきます。
 上から決めつけられることが嫌いな人や、民主的な決定過程を忍耐強く持つことができない人は、問題を抱かえることになります。
 管理職は、教師がよい学校をつくるための条件と環境を整備してくれています。
 教師は、管理職が物事を決めるという事態を容認しなければなりませんし、管理職はいつも誰からも好かれるわけではないという事態に耐えなければならないのです。
 学校での仕事がはじまったら、あなたは教育の議論と、日常の問題との間を行き来しなければならないと感じるでしょう。これは当然のことです。
 学校の日常は、実際、葛藤がおきます。管理職はあなたを助ける役割を担っているのです。
 管理職に質問することをおそれないでください。新任教師から、よい質問やするどい質問が出るのはうれしいものです。
 あなたのもっているかぎりの知識と熱意を示しましょう。管理職の仕事というのは、あなたのために仕事の環境と条件整備をすることなのですから。
 学校というところは、新しい考え方や創造力、そしてアイデアを歓迎するところであると同時に、伝統やルールに対して敬意を表すことも要求されるところです。
 あなたは、新しい考え方と伝統の狭間でバランスを見つけていかなければなりません。
 しかも、その葛藤のなかでやる気や喜びを失ってはなりません。忍耐力と勇気が必要となります。
 教師という職業はエキサイティングで挑戦しがいのある職業です。
 よいサポートがあればたくさんのことができます。そして、成功するために一番大切なのは、十分な訓練と心の準備です。
 これからの人生には二つの状況があると考えてください。
 一つは、あなたから力を吸い取っていく事態、そしてもう一つは、あなたにエネギーを与えてくれるという事態です。
 あなたが向かい風のなかにいるときは、楽しくない人や足を引っ張る人といっしょにいるのではなく、あなたが前に進んでいけるようサポートしてくれる人を見つけましょう。
 幸いにも、教師という仕事はさまざまなことを自分で決められます。あなたに、仕事への意欲と喜びを生み出してくれるような教材や活動を見つけてください。
(注)ソーシャルワーカー:社会の中で生活する上で実際に困っている人々や生活に不安を抱えている人々、社会的に疎外されている人々と関係を構築して様々な課題にともに取り組む援助を提供する対人援助専門職)

 

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子どもや保護者が満足する、プロの教師をめざすにはどのようにすればよいか

 子どもを学校に通わせている親のいちばんの関心事は何でしょうか? 
 成績を別にすれば、「子どもが教わる先生はどんな人か」という、教師の人格と実力に一番の興味と関心を持っています。
 子どもを、易しく伸びやかで、公平に扱ってくれるような教師を求めています。親から見れば、授業の実力もさることながら、わが子を大事に扱ってくれるかどうかが重大な関心事となります。したがって、教師はこの親の気持ちを理解することから、始めなければいけません。
 どのように、やるべきことをやるかという方法に教師の個性と実力が表れ、そこにプロとしての力量が問われるのです。
 自分なりのやり方が確立していない試行錯誤の状態であれば、同僚や先輩の教師の技を盗むことも必要です。他の教師の教室内の指導の実態はわかりにくいので、盗めなければ教わるより仕方がないのです。
 私の経験からいうと、生徒指導はやり方の問題です。子どもと保護者を大切にするという気持ちを根底におき、生徒指導の具体的なやり方にどのように反映するかです。
 おかれた状況により違うので、画一的に「このようにするというノウハウ」は必要ありません。むしろ、有害無益です。
 ただ、どのような場合でも、保護者にしっかりと説明する必要があります。明確な説明をしてくれないと保護者は不安になり、教師に文句を言うのは当然です。
 しかし、小学校も高学年になるにつれ、教師の「人柄」だけではダメです。教師としての「指導力」と「学力」が問題となってきます。
 教師が指導力を発揮して、子どもたちが安全で安心して過ごすことができるかを親は気にしています。
 さらに、学校は学ぶための場所です。教師が教える内容と技術について豊富な知識と経験があるかどうかが大切です。
 特に小学校では算数と国語が主要教科であるから、この二教科とりわけ算数は教え方によって上達度が違います。好き嫌いにも影響します。
 教師には親ではできないことをやる使命と役割が与えられているのです。愛情があればあるほど親子間では距離が取りにくい。
 アカの他人であればこそ、ある種の冷淡さが子どもたちから甘えを取り去り、自立心や独立心を育む作用をするのです。つまり教師は他人としての適度の冷たさが必要だということです。
 学校で一番大事な授業は情熱だけではできません。必要なのは知性と教養です。問題解決の方法を考え出す経験や専門的な知識に支えられた知性のほうが、役立つことは言うまでもないことです。
 学校教育は、言うことと行うことを、なるべく一致させることが望ましい。異なると不信感を保護者が持ちます。
 教師に「忙しい」が口癖みたいな人がいます。しかし、プロといわれる教師は、子どもが担任ところへ行っても「今、忙しいから後で」とは言いません。教師にとって最大の仕事は子どもとその親を相手にすることだということがわかっているからです。
 教師はプロとしてやるべきことを粛々とやり、何ごとについても言い分けせずに結果を見てくれという姿勢を持って臨んで欲しいものです。
 学校の教師は自分流でいける職業です。しかし、プロ意識が欠如していると、問題が生じるのです。教師は教育のプロです。プロとは自分の知識や技能を売って給料をもらっているのです。
 学校教育のプロとしての基本の仕事である「授業」と「生徒指導」がきちんとできないのなら、給料ドロボーと言われても仕方がありません。大事なことは問題解決から逃げないことです。
 授業が成立しない、学級経営がうまくいかない、そういう場合は、本人が同僚に相談するにしろ、最後は自分で解決するしか方法はないから、何がなんでも解決のすじ道を見つけなければなりません。
 一番のカギは授業です。良い授業をしている教師に「学級崩壊」などということはあり得ません。ダメな教師の授業は子どもが相手にしないから、授業が成り立たないで「学級崩壊」するのは、昔も今も変わりがないことがよくわかります。
 よい授業とは、子どもたちに「素晴らしい授業」と評価される授業が「よい授業」なのです。
 授業を改善するには、子どもたちから率直な意見をきく、同僚の授業を見せてもらい参考にするなど、あらゆる方法で、日々、授業の改善工夫を凝らす以外に道はないのです。これが教師の仕事のキーポイントです。
 学級経営では子どもが安心して勉強に専念できる雰囲気をつくることが肝要です。学級をワルのボスに仕切られたのでは、子どもは学校へ行くのが嫌になります。いじめを防止することも最重要課題です。
 それでは子どもに理解され、受け入れられる「よい授業」と何でしょうか。
 まずは、子どもの「興味を引く」、「おもしろい」という要素が大事です。さらに、子どもにとって「役に立つ」「ためになる」という要素も大事です。
 教える内容をいかにわかりやすく、興味深く教えるためには、教師自身にかなりの学識がないとできません。
 日々、自分自身に投資して、せめて最低、年間100冊を超える本を読まなければ、子どもたちを満足させる授業を行うことは難しいのではないかと思います。
 また、塾が子どもたちに評価されているのだから、教師もその技を盗むような努力をしてもらいたい。
 塾は子どものニーズに即して、授業内容をどんどん改変します。飽きさせないように、さまざまな工夫を凝らします。
 塾は授業者自身のキャラクターも商品なので、おもしろ系、ハッタリ系、アカデミー系のキャラを作り、子どもの方に顔を向け、必死に自分の授業をアピールします。根本に成果主義があるから、結果を出すためのパフォーマンスが必要なのです。
 教師が、いつまでも「先生」という権威に安住していると、自分の能力は劣化してしまいます。だからこそ、塾の切実感を学校の教師も学んでほしいのです。
(
戸田忠雄:1937年生まれ、長野県の私立、公立学校の教師、公立高校長、信学会長野予備学校長などを歴任し、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。XYサタデースクールネットワーク代表。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた)

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学級崩壊を防ぐには何が大切か?

 「小中学校の学級崩壊を防ぐには何が大切か」という秦政春(大阪大学)のアンケート調査があります。
 小学校5,6年と中学生の合計722名が回答しています。
 「授業が楽しかったら学級崩壊は起こらない」について「とてもそう思う」「ややそう思う」の合計が約73%も占めている。
 子どもたちが面白くて引きつけられるような授業をすることが学級崩壊を防ぐ決め手であることが、授業の受け手である子どものアンケートからもよくかる。
 他方、教師サイドの回答の第一位は「教師と子どもたちとの関係がよければ崩壊は起こらない」であり、これが合計して約88%をしめているという。
 子どもの側は授業の内容が問題であると言い、教師側は子どもに問題があると言わんとしている。
 授業を聞かないのは聞かない子ども側が悪いというのは、たいてい教師の言い分です。
 子どもは集中力が持続しない、根気がない、席にじっと座っていることができない。
 ある教師が書いた本(「学校崩壊」河上亮一著)によれば、子どもが変わった、家庭のしつけがなってない、地域の教育力が低下した、この三点を学校崩壊の主な原因としてあげています。
(戸田忠雄 1937年生まれ、政策研究大学院大学政策研究科客員教授。専門は教育政策・学校論など。政府の審議会専門委員も務めた。私立,公立学校の教師,公立高校長,予備校・塾統括校長などを歴任)

 

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京都の舞妓さんから学ぶ、「人に教えてもらえる能力を伸ばす」方法とは

 いつの時代も若者は、未経験で未熟で自信もない。でも、ひたむきさを持って取り組んでいることを認めてほしいと願っています。
 350年続く京都花街が10歳代半ばの少女たちを舞妓さんというプロに育成できる秘密は、伝統文化や人材育成の仕組みとともに、自分の経験や周囲の関係性を大切にしながら自律的なキャリア形成をうながす「言葉の力」にもあるのではないかと思います。
 若い人たちは、自主性を尊重され、個性を伸ばし、主体的に行動できることを良しとする教育を受けています。
 人にものごとを尋ねることが少なくなっています。
 京都には舞妓さんがいます。西尾久美子は舞妓さんたちの育成について、経営学の視点から調査研究を重ねてきました。
 彼女たちは、自らの意思で舞妓さんになろうと花街の扉をたたきます。
 そんな彼女たちが厳しい伝統文化の中でどのように育成されて「おもてなし」のプロとして成長するのでしょうか。
 何も知らない京都花街に入ってきて、若い彼女たちが未熟な自分を高めていくためには、人から教えを請わなければなりません。
 若い彼女らは、人に尋ねて、助力をいただくことの大切さはわかっていないし、身についていません。
 自分勝手な解釈で動くことがあるので置屋のお母さんが驚かされることがあるという。
 だから、教えてもらう大切さを彼女たちに置屋のお母さんたちが教えるのだという。
 彼女たちは出会った人に「おたのもうします」とあいさつしなさいと、置屋のお母さんから教えられる。
 私のことをどうぞよろしくお願いいたしますという意味である。
 きちんと頭を下げて挨拶する。愛想のいい子やなあと思ってもらう。
 自分の将来を作っていくための地固めでもある。
 教えてもらうには、教えられる者がそれを受け取る用意や感受性があってはじめて成り立つものです。
 周囲の人々からいろいろ教えてもらったことを素直に吸収できる「乾いた真っ白なスポンジ」のような気持ちを自分の中に育てなければならない。
 置屋のお母さんたちから、自分勝手なことをしたら厳しく叱られ、相手を気遣うことができればほめられる、という経験を重ねることで「教えてもらう用意」はつちかわれていく。
 必要なことは、仕事を通じて先輩や上司やお客さまから、いろいろなことを「教えてもらえる」能力、つまり受け取ることができる能力である「教えてもらう用意」を伸ばすことが大切でしょう。
 周囲の人々のアドバイスに耳を傾け、自分のできることを必死に努力する。
 身についた成果を発表し、人々から示唆されたことを反省し、落ち込みながも、明日を信じて、またやってみようと思う。
 折れることなく自分を勇気づけ、舞い上がることなく冷静に自分を見つめ、自分の周りの人々にも配慮し、良い関係性を作る。
 プロとなるには「自分を根本から変えていかないとあかんと思うことが、必要なんどす」と、ある芸妓さんが話してくれた。
 できないことを、恥ずかしくても、さらけ出して教えてもらわないと、自分が伸びない。
 それができないとプロとしては通じないという覚悟が、次へと伸びていくための大事なステップになります。
(西尾久美子:京都女子大学教授、経営学者。現代の京都花街研究の第一人者として知られている)

 

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秋田県が全国学力トップクラスである要因は「探求型授業」と「共同研究システム」にある、どのようなものか

 秋田県は2007年以来、全国学力調査で全国トップクラスの成績を残してきた。
 その要因として「子どもたちの授業姿勢のよさ」「家庭学習が充実」「学校・家庭・地域の連携」などがある。
 なかでも重要なのが「探求型授業」と「共同研究システム」である。
1 探求型授業
 探求型授業は、子どもたちの、話し合い、意見交換を重視した授業である。
 例えば、次のような授業スタイルである。
(
)導入(学習課題の設定)
 教師と子どもたちで学習課題を決める。
(
)展開
1.
自力思考
 子どもたち一人ひとりが思考を展開する。
 自力思考がむずかしい子どもには教師が援助を行う。
2.
グループで対話
 すべての子どもが考えを持てた段階で、4人程度のグループで、考えを出し合いながら対話をしていく。
3.
グループの発表
 ある程度グループでの対話が煮詰まったら、各グループの状況を学級全体に発表する。
4.
学級全体で学び合う
 各グループの発表を、教師と子どもで整理し、共通点、相違点、論争点を明確にする。
 そのうえで、学級全体で学び合う。再度グループの検討に戻す場合もある。
 グループの対話や学級全体の学び合いの過程で、教師は必要に応じて
 ・助言をし、発問をする。
 ・「ゆさぶり発問」をする。
 ・重要な点を取り出して、再度全体の課題として返す。 
(
)授業の終末
 授業の終末で、構造的な板書を振り返りつつ、それまでの探求を振り返る。
 そのうえで、子どもたちは自分の学びを振り返り、文章にし、発表し合う。
 そういった探求によって、より高次の試行錯誤、判断・批判、推理・検証、発見・創造が展開される。
2 共同研究システム
 探求型授業は、深く豊かな教材研究、具体的な目標・ねらい・切れ味のある学習課題や指導言、グルーピングなど、通常の授業以上に高度な指導を求められる。
 そのため、教師一人ひとりの準備が必要となる。
 しかし、一人の努力だけでは限界がある。教師同士が共同して探求型授業をつくり出していく必要がある。
 秋田県では優れた共同での授業研究システムがある。
 そのシステムのなかで、若手教師も質の高い探求型授業を展開する力をつけていく。
 共同研究システムは、校内研究会、小中連携研究会等で研究授業を行う場合、
「事前研究」→「研究授業」→「ワークショップ型検討会」→「事後研究」
が基本となる。
 はじめは学年、教科で研究チームをつくる場合が多い。少しずつ学年や教科を越えた合同研究チームをつくっていくと効果的である。
 教科の専門性は重要である。しかし、専門外だからこそコメントできるというよさもある。
(
)事前研究
 研究会前までの事前研究が重要である。これが授業研究の成否を決める。
 事前研究の弱い授業研究では限られた成果しか得られない。秋田県ではていねいに行う。
 そのために研究チームをつくり、次のような項目について、ていねいで厳しい検討を行う。
1.
教材選択
 単元の系統性を意識しながら、教科書等から選ぶ
2.
教材研究
 深く豊かな教材研究が探求型を実質化する。
3.
目標・ねらいの決定
 この具体性が授業設計を緻密にする。
4.
指導計画の作成
 単元全体の指導過程と到達点・各授業の到達点。
5.
本時案の作成
 はじめは本時の大きな流れから始め、次の細案に進む。
6.
本時案を具体化した細案の作成
 学習課題、指導言、板書を含む
7.
細案に基づくプレ研究授業
 研究チームで授業を行う。教師が子ども役になり実際の流れで授業をしてみて検討し合う。
(
)研究授業
 教師全員が参加する。授業を撮影し映像記録をとる。
(
)研究授業後のワークショップ型授業検討会
 もちろん教師全員が参加する。教科や学年が違う教師が授業検討にかかわることが鍵になる。そのために「ワークショップ型」検討会が有効である。
 まず、教師全員が付箋紙に授業についてのコメントを記入する。
 例えば、授業で評価できる点について水色の付箋紙、課題・改善すべき点はピンクの付箋紙を使う。その2種類の付箋を持ってグループごとに集まる。
 グループ編成は、学年や教科、研究メンバーは分散させる。
 各グループには司会役のリーダーを置く。授業の優れた点と課題・改善点を鋭く抽出する役割を担う。
 模造紙に付箋を内容別に分類しながら貼り付けていく。それらをマジックインキ等で囲み、グループで検討を深めていく。
 全体会で各グループが発表する。
 多くのグループから出された課題・改善点が見えてくる。とくに重要な点については、再度グループで検討する時間を取ることが効果的である。かなり多様な代案が出てくる。
(
)事後研究
 授業を撮影した映像記録を使って、授業研究会の少し後に事後研究をすると、授業の成果と課題・改善点が具体的により鮮やかに見えてくる。
 研究チームで映像を再生しながらリフレクションを行う。
 授業のポイントとなる部分で再生をストップし、検討会で指摘された点を再度確認しつつ、新たな優れた点と課題・改善点を発見していく。
 以上のような共同研究によって若手教師を含め多くの教師が高い授業力を獲得していく。
 主体的、対話的で深い学びを有効に授業に生かせるかどうかは、共同研究を実質化できるかどうかにかかっている。
(
阿部 昇:1954年生まれ。秋田大学教授、附属小学校校長も勤める。専門は国語科教育学。全国大学国語教育学会理事。日本NIE学会理事。秋田県内の小中学校を数多く訪れ、全国学力テストの好成績について分析。私学中高校での教師経験もある)

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子どもを成長させるためには、絶えず追究し創造し、新しいものを子どもたちのなかにつくり出さなければならない

 教師の仕事は、追究者・創造者として絶えず追究し創造し、新しいものを子どもたちのなかに、つくり出していかなければならない仕事である。
 子どもたちに一つのものをつくり出したときには、つぎのより高いものを目ざして、追究をはじめ、新しい創造をしていかなければならないものである。
 それは、山にへばりつくようにして、大きな石を頂上まで石を押し上げていったときに、そこで新たに見える高い山に向かって、また石を押し上げていくようなものである。
 そこには創造する喜びがあり、追究者・創造者としてのかけがえのない体験をすることもできるからである。
 課題を突破した結果、生まれた子どもたちの新鮮な典型にふれる喜びがあり、それによって自分を新鮮にしたり、子どもから豊かに学びとることができるからである。
 教師の仕事にはそういう喜びがある。
 また、教師がそういう喜びを持ち、子どもから学ぶことができるようになったとき、教育の仕事は成立したと云えるのであり、子どもの成長を助けることができたとも云えるのである。
 教師はそういう仕事を休みなく続けていかなければならないものである。
 一時間の授業からつぎの一時間の授業へと、また一学期から二学期へと、さらに今年の一年間からつぎの一年間へと、新しい課題をつくり出してはそれを突破し、そこに生まれた新しい事実から、またつぎのより新しい事実へと追究し創造していかなければならないものである。
 教師は、授業とか行事とかのなかで、そういう創造をつづけないかぎり、子どもたちの成長を助け、子どもたちの可能性を引き出すことなどできない。
(斎藤喜博:1911年~1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者)

 

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国語科:「大造じいさんとガン」

 「大造じいさんとガン」の授業について、阿部 昇は編者としてつぎのようにまとめています。
 子どもたちは、この作品を大造じいさんと残雪の戦いの物語だと考えがちです。
 しかし、この物語は大造じいさんが残雪をどう見ているかという大造じいさんの内面のドラマが核になっています。
 大造じいさんの残雪に対する見方の変化が主要な筋を作りだしています。
 大造じいさんのなかで残雪が鳥として見下ろす対象から、尊敬すべき対象へと変化します。
 その内面の変化が作品の魅力です。
 そういった物語の筋の展開のしかけ、そのおもしろさを子どもたちに気づかせたいと思います。
 また、クライマックスである「大造じいさんは、強く心を打たれて、ただの鳥に対しているような気がしませんでした」に向かってさまざまな設定や展開のしかけが用意されています。
 特に物語後半には、細やかで感動的な描写がちりばめられています。
 残雪は、ただ群れを守るために頭領として生きているのです。
 大造じいさんから見れば、残雪は大きな敵となりますが、残雪にとって大造じいさんは、ガンの群れの脅威の一つにすぎません。
 自然のなかで生きぬくことのたいへんさ、群れを守り続けることの難しさ、それを背負って生きている残雪の生きざまに大造じいさんは強く感動します。
 単なる勝ち負けの物語ではなく、自然に生きる生き物たちの厳しさを大造じいさんの目をとおして描いた物語であることに気づかせたいと思います。
 学習指導計画(8H)
(1)読みの準備段階(3H)
 範読を聞く。感想を書く。味調べ。漢字練習。音読練習。
(2)構成・構造の読み取り(1H)
 導入・展開・山場・終結を把握する。クライマックスを決め、筋の流れを把握する。
(3)人物設定の読み取り(1H)
 大造じいさん・残雪という名前から人物設定を読む。導入に書かれている二者の関係を明らかにする。
(4)大造じいさんと残雪の関係の読み取り(1H)
 「ううむ」と「ううん」のちがいから、関係を読む
(5)大造じいさんの残雪への見方の変化の読み取り(1H)
 銃をおろした大造じいさんの思いを読む。関係の変化を明らかにする。
(6)終結の読み取り(1H)
 大造じいさんが、傷ついた残雪をどう扱ったかを読む。
(阿部 昇:1954年東京都生まれ、茗溪学園中学校・高等学校教諭を経て秋田大学教授。専門は国語科教育学。秋田県内の小中学校を多数訪問し、教育現場とその地域の事情に精通し、全国学力テストの好成績について分析を行う)

 

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親はどのように子どもを育てればよいでしょうか

 子どもが2~3歳になると、友だちを意識し自己主張し出します。
 親は手がかかりますが、手抜きや無視はやめましょう。
 手をつくせばつくすほど子どもへの愛は深まるものです。
 手遊びをさせるようにして前頭葉の発達をうながし、友だちと遊び、社会体験をさせましょう。
 小学校に入学しても困らないように、身の回りのことは自分でできるようにします。
 また、集団の中で話ができ、生活できるようにします。
 子どもの前で先生や友だちの悪口は言わないようにしましょう。
 勉強は強制せず、とにかく、やる気にさせることです。
 子どもを家ではお客様扱いはしないこと。
 生活に必要なことは、手伝いをしっかりやってもらいます。
 一人で生活できる人間に育てることを目的としているためです。
 小学生のころから新聞を読ませましょう。
 ニュースは親といっしょに見て話し合いましょう。
 友だちとキャンプやボランティア、ホームスティ、旅などをできればさせましょう。
 中学1年くらいまでは、ギャング時代です。
 もう仕方がない、家をこわされてもがまんです。
 友だちと身体が疲れるほど遊ばせましょう。多少のケガも気にしないことです。
 自分の家の周り30軒くらいをよく見るようにします。
 それぞれの家に何かをかかえています。
 病気や失敗・成功、思わぬできごと、欲、人間関係などその気になれば何からでも学べます。
 思春期はすべてに活動的な時期です。
 親に反抗したりして、自分のイライラの処置に困っているのです。
 しかし、良い悪いはしっかり教えることは必要です。
 多少の悪さ、遊びは目をつむることが必要な時もあります。
 それまでの育て方の良し悪しがこの時期に表面化します。
 親はわが子をよく観察し、子どもが自分で乗り切る土台をつければよいと願うようにします。
 静かに争うことなく、ようすをみる度量をつけましょう。
 家庭の一体感がなくならないよう、食事は全員でする工夫をしましょう。
 親は世の中のさまざまな体験から学び、人生を生きる価値観を身につけるようになります。
 そして、自分なりの人生観が確かな子育て観や信念にもなって、ほめ方やしかり方にも反映します。
(渡部平吾:1945年生まれ 埼玉県公立小学校、群馬県内県立高校に20年間勤務。保育園・子供館の創立に関り、園長・館長)

 

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担任とクラスの子どもたちとの人間関係のつくり方

 子どもたちは、担任との相性で、成長や学力、性格まで変わってしまうことがあります。
 細心の注意を払いながら接する必要があります。
 担任にすり寄ってくる子どものなかには、友だちがいない場合があります。
 むげに「ほかの友だちのところに行きなさい」と言ってはいけません。
 ほかの子どもたちも巻き込んで会話の輪をつくり、その輪が自然なものとなったころ合いを見計らい、その輪から自然と抜けるようにしましょう。
 何かの理由で担任に気にいってもらおうとすり寄ってくる子どもには、生活場面などでしかる場合はきっちりしかるなどして、担任のとりまきになることにメリットがないことを理解させる場面を意図的につくることが重要です。
 いつも担任の周りにいる子どもは、クラス内に相対するグループが存在し、自分のグループの地位を確たるものとするために担任の周りを囲むことが多いようです。
 この場合は、意図的にほかのグループの子どもを輪のなかに入れたり、一人きりの子どもを輪のなかに加えたりするようにしましょう。
 いわば、グループ同士のつながり役に担任がなるのです。連帯感のあるクラスが少しずつできあがってきます。
 遠巻きで見ている子どもは、物事を斜めに見る状態にまでなってしまうことがあります。
 挨拶の声をかけてみたりして「先生の視野や心のなかに自分がいて、見てくれているんだ」という安心感を与えることから始めましょう。
 そのうち、担任ににじり寄ろうとする雰囲気が感じられたら、そのチャンスを見逃さないことです。
 もし気づかず見逃してしまうと、もう心を開いてくれないかもしれません。
 担任は、カリスマ性をもっていなければなりません。
 何か子どもたちが「さすが」と思えるものをもちましょう。
 スポーツや音楽、絵でも手品でもかまいません。
 子どもたちが家に帰って家族に話したり、ほかのクラスの子どもに自慢できるようなものをもちましょう。
(滝井 章:東京都公立小学校教師、全国算数授業研究会理事、日本数学教育学会常任幹事、NHK教育テレビ「教育フォーカス(わくわく授業)」出演。NHK教育テレビ「わかる算数4年生」出演を経て國學院大学教授、都留文科大学特任教授)

 

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いじめが起きてしまったとき、担任はどのように対処すればよいのでしょうか

 いじめが起きてしまったとき担任はどうすればよいか滝井 章はつぎのように述べています。
 いじめで多いのは、冷やかし、からかい、仲間はずれ(無視)、脅しです。
 いじめが起きたらつぎのような対応をしていきます。
1 情報収集は迅速に
(1)いじめられた子どもから話を聞きます。
 いじめられた子どもを絶対に守る姿勢で親身になって話を聞きます。
 そして、いっしょにいじめを解決していくことを伝え、安心させることが大切です。
(2)いじめにかかわった子どもから話を聞きます。
 いじめにかかわった子どもたちが情報交換をして話す内容を変えたりしてしまわないよう、他の教師にも協力してもらい、迅速に正確に聞き出せるよう場所や時間の設定をすることが大切です。
「○日のことを先生に話してくれない?」というかたちで一人ひとりに詳しく聞いていきます。
2 管理職に相談し、学校全体にオープンにする
 いじめは大きな問題になりやすいので、すぐに管理職に報告します。
 担任の目の届かないところでいじめが行われるので、学校全体の教職員で子どもたちを見守れるようにします。
 子どもや保護者への対応は、その都度、管理職に示唆を仰いで慎重に対応することが大切です。
 保護者との話し合いや子どもの指導についても管理職に協力してもらうとよいでしょう。
3 いじめの中心になった子どもに対する指導
 いじめの中心になった子どもに、いじめの原因や時期、相手についてどう思うか尋ねます。どうしてそうなったか考えさせます。
 やった行為とそこまでに至った原因をはっきり分け、善悪を判断していくことが大切です。
 自分が嫌だと思うことを人にやってはいけない人間として恥ずべき行為であること。
 いじめは保護者も巻き込む大問題に発展することを伝えること。
4 いじめを取り巻く子どもたちに対する指導
 いじめを見ていた子どもたちは、
「いじめはやってないよ。ただ見ていただけ」
 と、悪びれた様子もなく言います。
 取り巻く子どもたちの言葉や態度が、いじめをつくるということをわからせます。
 「なぜ、一人にしてしまったのか」
「だれにでも同じ態度や言動ができるのか」
 を尋ね、だれにでも平等な態度と言動をとるよう厳しく指導します。
5 事実を保護者に知らせる
 いじめられた子どもと、いじめた子どもの保護者には、誠意をもってきちんと事実を報告する必要があります。
 紙面にはのこさず、電話か直接会って話すとよいでしょう。
 注意が必要なのは、自分の子どもがいじめられたことを知った保護者が、直接いじめた子どもの保護者に連絡を取り、もめてしまうことです。
 担任がきちんといじめにかかわった子どもや保護者に対応していることを話し、解決を任せてもらうようにしましょう。
(滝井 章:東京都公立小学校教師を経て國學院大学教授、都留文科大学特任教授)

 

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実践家を育てる特徴は「なすことによって学び」、それを「コーチする」こと

 実践家を育てる特徴は、「なすことによって学ぶ」こと、そしてそれを「コーチする」ことを重視する。
 なぜなら、反省的実践家(注)としてもつわざは、
「創造的な技法」
「問題を設定する」
「即興的に対応する技能」
「状況と対話し」
「探究し、省察する」
 技法を含むからである。
 専門家教育においては、「実習」という形で日常の世界と実践の世界のはざまに、実践を学ぶために準備されている。
 「実践する-コーチする」という学び手の実践に応える関係性の中で教育が行われる。
 専門家教育において教えることは、「状況との反省的対話」として成立するのである。
 では、「状況との反省的対話」は実際にどのようになされるのだろうか。
 コーチが実践する学生の鏡になってあげることが、実践における行為の理論を学ぶための重要な方法として位置づけられる。
 学び手は、コーチという鏡や協働の会話を通して問題と自己自身への省察をおこない、実践を味わい鑑賞し、そのなかで発見を行う。
 専門家のコミュニティは、それぞれの実践を味わい評価する鑑賞システムを持っている。
 それは、実践状況の理解と行為のための目標や方向性を定式化し、専門的行為を構成する価値観および選好、規範のセットなどから構成されている。
 学び手は何に注意し、どのようにその事物を名づけ、意味を構成していくのか。
 また、境界を設定したり、行為を統制していくのか。
 こうした専門知識を実践状況の世界づくりに連続的に携わり、専門家と共に省察する中で学んでいくと考えられている。
 内的なコミットメントを学び手とコーチが共有し、協働で省察する実践コミュニティへと開かれた環をもった学習なのである。
(注:反省的実践とは、行為がおこなわれている最中にも意識はそれらの出来事をモニターするという反省的洞察をおこなっており、そのことが行為その ものの効果を支えている:ドナルド・ショーン)
(秋田喜代美:1957年大阪府生まれ、銀行員・専業主婦を経て東京大学教授。教師の成長や授業の学習を研究)

 

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いじめが起きないクラスづくりをするにはどうすればよいか

 いじめが起きないクラスづくりについて滝井 章はつぎのように述べています。
 子どもが送る小さなサインを見逃さないようにしましょう。
 子どもたちの水面下で何が起こっているのかをしっかりと把握することが重要です。
 新学期初めの指導方針を話すときや道徳、学級活動の時間に、「人とのつながり」や「人としてのルール」、「いじめに対する担任の考え」をきちんと子どもに伝えていくことが大切です。つまり、
1 一人ひとり違っているから素敵であること
 人は声や顔など一人ひとりが違うように、話し方も考え方も違うことに気づけるようにします。
 友だちのよいところを見つける活動を通して、友だちのすばらしさに気づかせていくことが大切です。
 担任が子どもたちを大切にする姿を見せること。
2 好き嫌いで行動することはよくないこと
 日ごろから、一人でしっかり行動できたことをほめ、友だちの目を気にせず行動できる自立した子どもを育てていくことが大切です。
3 言葉が人を大きく傷つけること
 心に負った傷は残るものです。
 言葉に気をつけて話すようにすること。
 人を幸せにできる言葉でありたい。
4 一人対多人数になったときいじめになること
 一対一のときはけんかで済んだものが、一人対多人数になったときは屈辱感を感じます。
 加勢したり、見て見ぬふりをすることがいじめである。
5 いじめは絶対に許せないことだという担任の姿勢を明確に
 いじめは人として断固として許せないことだということを真剣に話すことが大切です。
(滝井 章:東京都公立小学校教師を経て國學院大学教授、都留文科大学特任教授)

 

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笑顔になれば、たくさんの力を与えてくれます

「いつも笑ってばかりだね」と言われる三好礼子だが、人は苦手だった。
 18歳のときバイクで日本一周の旅であらゆる立場の人々と語り合っているうちに、
「人って捨てたもんじゃない。なんだかおもしろそう」
 と、素直に笑って受け入れられるようになりました。
 笑顔は筋肉がゆるみ、無駄な力が入らないので、スポーツ界では強さの源です。
 笑うと、相手の動きが見えてきて、冷静に対処できます。
 また、木がしなるように失望も失敗も、笑えば折れることなく、方策が見つかり解決できました。
 三好の家で行われた健康講座で、
「どうしても笑えないのであれば、カタチから入ればいいんですよ」
「親指と人差し指で口の端を引き上げてみてください」
 と、マッサージ師の講師の言葉は人々に衝撃を与えました。
 笑うと心がばっと広くなります。
 身体が柔軟になり、見方が広がり、道が見えてきます。
 笑う人は、
 焦らない。
 こだわらない。
 決めつけない。
 批判しない。
 ひげしない。
 見失わない。
 だから笑う人は、運も呼び込んでしまうのでしょう。
(三好礼子:1957年生まれ、エッセイスト、農民。元国際ラリースト。「ペレファ農場」代表)

 

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朝一番に遊ぶ時間を設けると朝ごはんを食べるようになり、学習の反応がよくなった

 高坂節三が東京都教育委員として品川区にある源氏前小学校を訪問したときのようすをつぎのように述べています。
 源氏前小学校は、朝ごはんを食べることの大事さを教える意味もかねて、朝の一時限の前に、先生が一緒になって校庭で遊ぶ時間を設けていました。
 「朝読」という朝の読書時間を設けている学校は多いのですが、「いきいきタイム」と呼ばれる「朝遊」の時間を設けている学校を初めて知りました。
 運動不足になりがちなビルの谷間の学校の子どもたちには、朝一番に思い切り身体を動かすのも一案である。
 こうすることによって、子どもと先生のふれ合いの時間ができる。
 それに、お腹がすくので朝ごはんを食べてくる子どもの数が増えているという効果も上がっているようです。
 この実践を推進されている吉田一郎(日本体育大学名誉教授)はつぎのような成果を得られたと示されています。
(1)1,2時間目の学習の反応がよくなった。あくびをする子どもが激減した。
(2)不定愁訴で保健室にくる子どもが減少した。
(3)運動量が増加したことによって給食を残す量が減った。
(4)朝食ぬきの子どもが徐々に減少し、七月にはゼロになった。
(高坂節三:1936年生まれ、伊藤忠商事役員を経て東京都教育委員、日本漢字能力検定協会理事長)

 

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どのような子どもでも取り組めるワーク作りとは

 だれでも取り組めるワーク作りについて松野孝雄はつぎのように述べている。
 基本は授業で子どもが行うような学習がワークの中で展開されればよい。
 ワークは授業以上に指示のことばが明確であること。
 ことばが不明確であれば学習ができなくなってしまう。
 ワーク作りの原則は
(1)見た目がシンプルで、何を学習するのかひとめでわかること。
(2)はじめは易しく、次第に難しい問題になるようにする。
(3)どの子どもにも満足感を与えることができること。
(4)必要のない説明やことばを削る。
(5)教えるべきことは授業できちっと教える。
(6)変化のある繰り返しをいれる。
(7)問題の配列は一年前の学習くらいから始める。
 これは、授業の進め方の原則と同じである。ワークを作る力は授業力と関係する。
 だから、ワーク作りによって授業力は鍛えられる。
 できない子どもができるようになるような教材を作ることにより教師の授業力が高められる。
 そのようなことができる教師は高い授業力をもっているといえる。
(松野孝雄:1960年生まれ、新潟県公立小学校教頭。子どもの考える力を伸ばす授業づくりに取り組む)

 

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新任教師時代は、その後の教師としての成長に大きな影響がある、子どもの心に火をつけるにはどうすればよいか

 これまで教師が子ども時代に学び手として経験している教室の風景と、教える側として経験する教室の風景は全く違っていることに新任教師は戸惑います。
 子どもたちのさまざまな学びの要求が渦巻く教室で、すべての学び手に配慮し、各々の学びを高めていくということは、決してたやすいことではありません。
 さらに、新任教師がこれまで育ってきた文化と子どもたちが今生きている文化の間には、世代的にも、ギャップがあります。
 それをすり合わせながら、学びの空間をつくっていくことが教師には求められます。
 教師は異文化の子どもたちからショックを受け、教師は自らの世界を広げることが必要なのです。
 このことは、ひとつの危機であるとともに、教師になるための必要な最初のイニシエーション(通過儀礼)であるともいえます。
 このショックを乗り越える方法は、2通りあるように思われます。
 1つの道は、新任特有の親しみやすさを大切にして、たとえ拙くても、目の前の子どもたちと格闘しながら、ともに歩む道です。
 そして、先達の教師たちの励ましの中で、これまでの子どもについての見方、教師の役割についてのとらえ方を見直しながら、自らを育てていくあり方です。
 そして、もう1つの道は、子どもたちにナメられないようにと、主観的に教師らしくふるまい、自分の子どもについての見方、教師の役割のとらえ方に固執するあり方です。
 自分に固執し、子どもたちや年輩の教師たちから学ぶ回路を閉ざしてしまうと、成長の機会を自ら失うことにもなりかねません。
 つまり、主観的に教師らしくふるまうことが、子どもたちからの信頼を得られる本当の教師らしさを育てることを妨げるというパラドックスが生まれるのです。
 教師が自分の授業を確立し、常識より一段深い子どもの見方を身につけるには、多くの場合、15年から20年の歳月が必要です。
 その間、量的な積み重ねだけでなく、質的なものの見方が変わることもまた求められます。
 自分の授業を確立して、教育実践記録を綴っている教師たちの多くは、新任期から数多くの試行錯誤と格闘の経験をもっています。
 新任期は、ショックという危機への対応をめぐって教職生活のひとつのターニング・ポイントを形成しています。
 新任期における、教師の仕事、教師の役割のとらえ方の深さが、この後の教師としての成長の可能性を大きく規定しているように思われます。
 教育心理学の視点でいえば、学びや教育に大切なのは、意欲や動機づけです。
 子どもたちが「学ぶ」とは、自分にとってこれまで見えなかった新しい世界が開けてくることであり、頭に知識を詰め込むことではありません。
 その意味で、意欲や動機づけは「心に火をつけること」とも言われます。
 火をつけるには、親や先生は「指導する」のではなく、子どもの声に耳を傾け、聞き合う関係をつくること。
 それにより、子どもは「自分は受け入れられている」と感じ、安心感を得て、もてる能力を発揮していきます。
 人は夢中になったときに伸びますから、安心感のある場をつくり、夢中になれる教材を用意して、新しい世界と出会える時間を長く保証してあげることが大事です。
 子どもに関わる人なら、子どもが夢中になっているのを見ると、理屈抜きにうれしくなるはずです。親でも先生でも、そういう時間をたくさんもてば、子どもといい関係が築けると思います。
 もうひとつ心がけたいのは、“子どもが大きく見える瞬間”をとらえることです。
 叱られているときは、子どもは小さく見えますが、生き生きしているときは有能で大きく見えます。
「子どものなかに可能性がある」と感じる瞬間を、親や先生が見つけることが、子どもの育ちにはものすごく大切です。
 それが子どもを元気にし、ひいては日本の未来も元気にしていくことにつながっていくのだと思います。
(秋田喜代美:1957年大阪府生まれ、銀行員・専業主婦を経て東京大学教授。教師の成長や授業の学習を研究)

 

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ほほえみや笑顔は、相手の心を癒し、不思議と問題が解決することがある

 渡辺和子はシスターといっても、いつも心が平穏であるはずがありません。心ない人の言葉や態度に傷つきます。
 思うようにいかない物事に心をさわがせ、身体の不調で笑顔がむつかしいことがあります。
 渡辺は管理職という立場にいることもあって、人前では明るくふるまい、笑顔でいるように心がけています。
 暗い顔をして、他の人まで暗くする権利はないと自分に言いきかせています。
 渡辺にとって、笑顔で生きることに意味を与えられたのは、「ほほえみ」という詩との出会いでした。

詩「ほほえみ」
「もしあなたが、誰かに期待したほほえみが得られなかったなら」
「不愉快になる代わりに」
「あなたの方から ほほえみかけてごらんなさい」
「ほほえみを忘れた人ほど」
「それを必要とする人は いないのだから」

 それは、ほほえむことのできない人への愛の笑顔である。
 と同時に、相手の出方に左右されることなく、渡辺の人生を笑顔で生きるという、主体性の表れとしての笑顔へと変わってゆきました。
 この転換は、渡辺に二つの発見をもたらしてくれました。
(1)物事がうまくいかないときに、笑顔でいると、不思議に問題が解決することがあるということです。
(2)自分自身との戦いの末に身についたほほえみには、他人の心を癒す力があるということです。
 とってつけたような笑顔でなく、職業的スマイルでもなく、苦しみという土壌に咲いたほほえみは、ほほえまれた相手にとっては、心が豊かになるのです。
(渡辺和子: 1927年-2016年、北海道生まれ、ノートルダム清心学園理事長、キリスト教カトリック修道女)

 

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子どもたちが友だちをサポートするピア・サポート活動とは何か

 ピア・サポートとは,同年代の子どもたちが友だちをサポートするということです。
 子どもたちが困ったときに相談する相手の多くは同年代の仲間です。
 ピア・サポートはそういった子どもたちの特徴を生かして、友だちをサポートしようとする子どもたちを積極的に育成し,「クラスや学校に思いやりの風土を形成していく活動」です。
 吉田益美は教職員の共通理解をはかったうえで、小学校でピア・サポートをつぎのように実施しています。
1 活動を希望する子どもを募集する。
 まずピア・サポートを希望する子どもたちを募集します。
2 希望した子どもたちにトレーニングをする。
「自己理解、他者理解、コミュニケーションスキル、対決解消スキル、守秘義務」のトレーニングをします。
(1) 自己理解、他者理解
 ロールプレーなどの体験で、自分や他者の考えを感じたり理解したりしてスキルが身につくようにします。
(2) コミュニケーションスキル
 話し手が気持ちよくなるような聴き方などのコミュニケーションの練習をします。
(3) 問題解決のスキル
 相談されたときには、どんな問題で、相談者がどうなるといいと思っているのか、シナリオを見ながら演じ、スキルが身につくようにします。
(4) 対決解消スキル
 対立が起こることは悪いことばかりではないことや、両者の考えを聴くことの必要性について体験を通して理解するようにします。
(5) 守秘義務
 相談された内容の秘密を守ることは原則ですが、ひどいいじめなどの場合は大人に相談することを学びます。
3 支援活動を立案します
 個人やグループでどんな活動ができるか、ブレーン・ストーミングし、みんなで考えます。
4 支援活動をPRする
 児童集会でピア・サポートの活動目的や支援内容について説明します。
5 みんなへの支援活動を始める
 支援活動は、
(1)一人でいる子に声かけして遊ぶ
(2)けんかの仲裁をする
(3)相談ポストの相談にのる
(4)保健室に来た子をやさしく迎える
(4)あいさつをする
(5)新聞を作る
 などです。
6 活動時間
 毎朝、週1回休憩時間、保健当番や相談当番の日などです。
7 活動期間
 1ヵ月から1年間です。
8 ピア・サポート活動を実施した結果
(1)学校に思いやりの雰囲気が広まり、学年間のつながりができた。
(2)何かあったときに相談相手がいることへの子どもたちの安心感がえられた。
 数年の実践経験から、サポーターの子どもたちが「無理なく自分でできる範囲で何ができるか」をもとに活動を展開しています。
(吉田益美:群馬県公立小学教師を経て校長)

 

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荒れた学級に正義を取り戻し、クラスに誇りを持たせるためにはどうすればよいか

 教師に反抗してくる子どもを押さえられなければ、学級は正義を失います。
 正義が失われると、子ども同士注意しなくなり、自分勝手な振る舞いを続けていくことになります。
 教師の目は、どうしても荒れている子だけに向いてしまいがちです。
 荒れている子のために壊されていると思うと、イライラします。
 しかし、学級をよく見ると、荒れの外側にいる子どもたちはけっこう楽しんでいるということがあると思うんです。
 私はクラスの子どもたちの関係を見るためにクラス地図を描くんです。
 荒れたクラスには、
(1)Aグループ(荒れる子どもたち)
(2)Bグループ(荒れの外側にいて黙っている子どもたち)
(3)Cグループ(クラスを引っ張って行けるリーダー)
 のグループが考えられます。
 このうち、黙っているBグループが声をあげられないと学級に正義は取り戻せないと思います。
「嫌なことはいや」と言えたり、「つらいよ」って言えたり。
 そこを教師がどう援助していけるのかというのがカギかなと思います。
 私も何度か荒れたクラスを持って苦しんだことがあって、そのとき、つぎのようにした。
(1)「ケンカ止め隊」(Cグループ):ケンカになったら止める。
(2)「ピーポー隊」(Cグループ):ケンカになったら、ピーポーピーポーと走って、職員室から誰かをつれてくる。
 声をかけられた先生は、いやがらず、クラスに行く約束を取り付けておく。
(3)「いやし隊」(Bグループ):担任も入って秘密につくった。
 殴られたりした子をそっと気遣ってあげる。
(4)「並ばせ隊」(Aグループ):出来ると得することを用意する。
 みんなを四回並ばせることができると、校長先生の許可を得たうえで、好きな場所に行って五分間だけ遊べる。
 荒れたクラスが誇りを持つようにするには、誰からか評価されることが大切だと思う。
 何か誰かの役にたつ活動を組み、そのクラスのいいところを発信し、目に見える肯定感を意図的に組んでいくようにする。例えば、
(1)給食の時間に下級生のクラスにいって、教えてあげる
(2)学校の中の掲示板に、毎週子どもたちの絵を貼る。
 「上手だね」と、見て言ってくれる。
(3)保育園に行って、紙芝居をやる、ダンスクラブがダンスを披露する。
 自分を表現する場所をつくってあげる。
「荒れているけど、やさしいところがあるじゃん」という評価が、心を育てていくのではないか。
 私は、クラスで話し合いをするときには、できるだけ時間をとって班会議や班長会議を開きます。
 子どもたちは自由に言い合えるし、誰か一人くらい賛成してくれるかなという安心感があると、ものが言える。
 それにどんな考えがあるのか知ることができる。
 どんな結論に落ち着くのを望んでいるのかなとか、こんな言い方をするとわかってもらえそうという練習になったりもします。
(篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 全国生活指導研究協議会常任委員)

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担任を受け持ったとき、学級が荒れ、崩壊しないようにするにはどうすればよいか

 新しいクラスを受け持った最初の一週間は、担任と子どもの見合いの時期なんです。
「どこまで許してくれるのか」
「何を大切にしているのか」
 子どもが担任を試すんです。
 子どもたちは、管理的な担任に対しては黙って従いながら、反抗の時期をうかがっているのです。
 荒れる要因のひとつは担任の言葉が多くなることです。
 子どもたちができないから、担任が繰り返し注意して、言葉で子どもを支配しようとするため言葉が多くなるのです。
 そうするのではなく、最初の一週間で「楽しい担任なんだよ」ということを子どもたちにメッセージしていく。
 担任の遊び心が試されていると思うんです。
 子どもたちが反抗したとき、担任が怖がり一歩引いてしまうと、子どもたちの甘えと反抗が担任にぶっつけられるようになります。
 子どもたちは、安心できる、優しい、受けとめてくれる担任に反抗する。
 つまりいじめと同じところがあります。
 トラブルには必ずわけがある。
 わかってもらいたいことがあるということです。
 わかってあげないとトラブルを繰り返す。
 そういう時に「なぜ」こだわること。
 管理的に押さえつける指導を続けるとエスカレートし、やがて爆発します。
 もちろん、例えば、きちんと並ばせる指導をしなければならないような管理的な指導もある。
 そこは腹をくくるしかない。子どものためには。
 そして、子どもの世界に入ってみる。
 そこで子どもたちとつながる何かが見つかるかもしれない。
 生意気な言い方や暴言をどう教師が切り返していくか。例えば、
「うるせえ」と言ったら、「あなたはいま反抗期ですか?」
「つまんねぇ」と言ったら、「ごめんね、つまんなくて」
「くそばば」と言ったら、「よかったあ、くそじじいじゃなくて」
 とか、そんなことでは傷つかないよというメッセージを送り、子どもの挑発にのらないように言葉を返してあげる。
 おもしろく、冗談で突っ込んだりしながら、子どもとの関係をつくっていけたらいいんですが。
 「おめえなんか、死んじまえ!」
 と、言われれば、私に「死ね」って言っているんではなくて、背景に何かがあって、それに向かって叫んでいる。
 そう思うと気が楽になるし、背景のわけがわかるまで、まあ何を言われてもいいっかと思うようになった。
 教師が子どもを抑えられなければ、学級は正義を失うわけです。
 教師の抑える力がないと、子どもたちは安心してクラスの中で過ごせなくなる。
 そうなれば子ども同志が注意しなくなるし、荒れる子どもは自分を客観視できないので勝手なふるまいを続けていくことになります。
 子どもとの関係がこわれてしまっているとき、関係を取り戻すのは決めてむつかしいが、ほめ続けることです。
 ほめることは、見捨てないよ、大事にするよというメッセージです。
 いろんなケースを想定して、多様なほめ言葉を用意しておく。
 例えば、ものを運んだりする仕事をいっぱい用意してほめる材料をつくる。
 子どもが活動すると、ほめることが出てくる。
 特にトラブルを起こす子どもに作業をさせて成功すると、保護者に電話してほめる。
 そうして、子どもや保護者とつながりをつくっていく。
 もうひとつは子どもと遊ぶことです。遊べば、ほめることがいっぱいできます。
 教師の遊び心が子どもとの距離を縮める。
 例えば、教師が一週間、教室に入る入り方を全部変えたりして、子どもたちの遊び心につき合ってあげます。
 掃除が早く終わったら「五分で読める怖い話」を読んであげる。
 そんなふうに、ありとあらゆる方法を打って打ちまくる。
 何かが出てくる。
 子どもたちも傷ついたりしている。
 楽しい遊びをすると、教師にも余裕が出てくるし、子どもとの距離を縮めてくれる。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)
(篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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教師の話し方のわざを磨くにはどうすればよいか

 子どもたちに話をするときは、結論から述べることが原則です。例えば、
「今日はすばらしいことが三つありました。一つ目は・・・・・、二つ目は・・・・」
 と、数を明確にすることで、聞く側にとって話が集約され、聞きやすくなるのです。
 話の中に「○○○」の会話文や音、数を多く取り入れて話すことで、聞く人をぐっと引きつけることができます。
 子どもたちに指示を出したり、発問するときには語尾は弱めるように話したいものです。例えば、
「書きなさい」の「なさい」
 は、弱めます。
 語尾を強めると命令的になり、子どもへの支配性を強めていきます。
 特に主になる発問を言うときには、間を取って、子どもたちの顔を見渡しながら、ゆっくりと語尾を弱めながら話していきます。
 その他、「表情のつけ方」、「簡潔で明瞭な話し方」など教師であり続ける限り、そのわざを磨き続けていくことが必要です。
 日頃から気になっていることは、教師のしゃべりすぎです。
 学級が崩れてくると、教師の注意が増え、教師の話が長くなっていきます。
 言葉によって子どもたちを支配しようとすると、服従させるか、反抗を生み出していき、教師と子どもたちの関係を断ち切っていきます。
 授業でも教師と子どもの話す割合は、理想的には三対七にできるのが望ましい形と思います。
 目につくのは、例えば、
 教師が子どもの発言「2たす3は5」を、教師の発言「あ、2たす3は5」と復唱することです。
 教師が復唱するために、子どもが子どもの話を聞こうとしなくなります。
 私の場合、子どもが発言したら接続詞を入れて、
「なるほど、ほかには」
「他の言い方では」
 と言うと、子どもたちがどんどんつないでいってくれます。
 子どもたちが話をつないでいくため、友だちの話を聞く必要があります。
 子どもが子どもに説明することで、相互関係をつくっていくのです。
 そうすることで教師の言葉は削られていきます。
 また、子どもがおしゃべりしているとき、私は「ストップ」と書いたカードをサッと出す。
 子どもは耳で聞くより、目で見る方がずっと効果があります。
「やかましい」「静かに」
 と、口をすっぱくして言う言葉が削られます。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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叱るとき、子どもを「怒らない」で指導する方法とは

 斎藤 修は、子どもは失敗から学んでいくものだと考えています。
 子どもは、友だちの失敗からどう学ぶかということがすごく大事だと思っています。
 ですから斎藤は、子どもが失敗したとき、子どもたちに問い返します。
「○○くんのやったことをどう思いますか?」
 そうすると「そういうやり方は間違っている」とか、いろんな意見が出てきます。
 教師が直接その子を注意するのではなく、子どもの話し合いに返していく。
 そうすることで、学級の他の子どもたちも学ぶことができます。
 問題を子どもたちに返していくというこのスタイルを身につけると、子どもたちを怒らなくてよくなります。
「どう思う?」
 と、子どもたちに返すことで、子どもたちが正しい答えを出してくれるのです。
 子どもを直接怒ると、どうしても反抗や対立を生み出すことになります。
 そこで、どうしても子どもを呼んで注意しなければならないときは、間に必ずもう一人子どもを入れます。
 そうするのは、子どもと教師の対立関係をつくらないためです。
 叱るときに念頭においてほしいのは「注意は、ほめて終わる」という原則です。
 例えば、
「○○くん、姿勢が悪いよ、ちゃんとしよう」
 と、注意したとします。
 そうしたら次は、
「直ったね、よくなったね」
 と、ほめることで、その指導が初めて終わる。
 そんなふうに、最後に子どもはほめられて終わる。
 それが叱るときの基本的なあり方であろうと思うのです。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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担任と保護者が良好な関係をもつには、どのようにすればよいか

 教師は子どもから投げつけられる暴言や保護者からの苦情で非常にストレスのたまる仕事です。
 教師は自分の感情を上手にコントロールできる力をつけていかないと、子どもや保護者とつながることや、トラブルを乗り越えていくことはできません。
 斎藤 修は保護者と関わるとき、最初の懇談会で次のようなお願いをします。
1 この時期の子どもというのは自己中心的に物事を考えます。
 ケンカをしたときにも自分のしたことは忘れて、されたことだけを家で話すことが多い。
 わが子の話は信じてもいいと鵜呑みにしないでください。
2 トラブルを通して子どもは自分を理解し、相手を理解していきます。
 トラブルは子どもの成長にとって必要なことです。
 トラブルがあっても、見守るという姿勢が大切です。
3 教師と子どもは信頼関係で成り立っています。
 子どもはいい先生だと思うと指導を受け入れます。
 わが子の前では、子どもと教師の信頼関係を崩すような言動は避けてほしい。
 私も保護者の悪口は絶対に言いません。これはお互いの約束です。
4 子どもの不安なことや心配なことがあったら連絡帳を使って早めに連絡してください。
 家でがんばったことなども知らせてください。
 私も子どもを励ますことができます。
 家庭と学校が連絡し合い、事実を共有し合うことが子どもの成長に必ず役だつと思います。
5 連絡帳は、いきなり感情的な言葉を書かないで「いつもお世話になっています」といった枕ことばをつけてください。
「どうなんですか?」とかという書き方をしてもらえると、教師も冷静に対応できます。
6 保護者回覧ノート
 クラスを二つに分けて保護者の間に回覧ノートを回します。
 一人何ページ書いてもいい、手元に置いていいのは三日間、書けないときはパスができる。
 書かれた文章はコピーして全員が目を通すことができます。
 保護者たちはぎっしりと書いてくれます。
7 懇談会
 保護者同士が仲良くなるよう、最初によくゲームをします。雰囲気はすぐに明るくなります。
 お互いのことを理解し合うために、趣味や最近がんばっていること、うれしかったことなどについて交流し合います。
 グループ懇談で子育て交流をすると、保護者たちはよく話します。
 同じ悩みを持っていることを知って安心したり、子育てのヒントをもらったり、話し合いは盛り上がります。
 また、三月の最後の懇談会では、保護者一人ひとりに「子育てがんばり賞」のミニ賞状を渡すことにしています。
 保護者たちに好評です。保護者会でも遊び心をおおいに発揮したいものです。
(斎藤 修:1953年福島県生まれ、元千葉県公立小学校教師、全国生活指導研究協議会常任委員)

 

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新聞の「子どもの詩」をクイズ形式で読み聞かせると、朝の会が活気のあるものになった

 朝の会は子どもたちが一日を楽しくスタートさせるための大切な時間です。
 しかし、太田康彦はどんな話をしたらよいかわからなかったのです。
 子どもたちへの連絡しかしていませんでした。
「できるだけ、子どもたちに楽しいと思ってもらえる朝の会にしよう」と太田が考えているとき、読売新聞の「くらし・家庭」欄の「子どもの詩」コーナーが目に飛び込んできました。
 読んでみるとおもしろいのです。
 子どもが自分の視線で考えているせいか、すっと心に染みてくるのです。
 震災後の心情が綴られた詩、年中行事にまつわる詩などタイムリーな内容が掲載されています。
 朝の会では、作者・学校名・学年を紹介した後に詩を読み聞かせて、題名を当ててもらうクイズ形式にしました。
 気分が乗らない子どもたちまで目を輝かせて当てようとします。
 朝から活気のある朝の会になります。
 ただ、当日の朝刊の詩は子どもたちが家で見てきて題名を知っているので、当日の詩は読まないようにしています。
 切り抜いた詩がたまると、紙に貼り付けて日めくりカレンダーのようなもの作って教室に掲示しておきます。
 すると休み時間にその前に集まり今までの詩を読んでいる子どもたちの姿が見られるようになりました。
(太田康彦:埼玉県公立小学校教師)

 

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かならず成功する「本の読みきかせ」の方法とは

 子どもに読み聞かせをするときには、子どもの喜ぶ本を選んであげてほしいと思います。
 逆にいえば、読み手が「必要な本」「良い本」と感じる本は選ばないようにすることです。
 なぜなら、子どもに本を読んであげる一番大きな目的は、子どもを幸福にすること。
 そして、もうひとつの目的は、子どもに本を好きになってもらうこと。
 だから、楽しくないけど必要な本を読むのは、もっと子どもが大きくなって本を好きになってからでもじゅうぶん間に合います。
 子どもに本を選ぶときには、「この本を読んでもらいたい」ではなく「これを見せたらあの子がどんなに喜ぶか」を基準にしてください。
 子どもたちに本を読んであげるのは「子どもたちに幸福な気持ちになってもらいたい」からです。
 おもしろい本を読んでもらって、笑ったり、興奮したり、わくわくしたりすると、子どもたちは幸福な気持ちになります。
 子どもたちに幸福な時間をすごしてもらうために本を読むのです。
 また、子どもたちの光り輝いた顔を見ると自分も幸福になるから子どもに本を読むのです。
 小学校の教室で本を読む場合を考えます。
 魅力的なお話を選ぶことが絶対に必要な条件になります。
 どのような本を選べばよいかは、赤木かん子著作本を参考にしてください。
 大切なことは、自分が読んでやりたい本を選ばないこと。
 声に合わせて本を選びます。
「シンデレラ」を声の低い男性に朗読されると怖いホラーになってしまいます。
 声の質が合わないと別のお話になってしまいます。
 人の声には「ナレーター・タイプ」(淡々とした話に向く)と「キャラクター・タイプ」(跳んだりはねたりする話に向く)の2つのタイプがあります。
 その本が要求するように表現しなければなりません。
 たいてい人はどちらかが不得意です。得意でないことはやらないでください。
 教室で本を読むときは、教室の後ろまで声が届かないので、机をかたづけて子どもたちは前に座ってもらいます。
 そのとき可能ならば子どもたちはじゅうたんが大好きなので「お話のじゅうたんです」と言うと、子どもたちは大喜びで乗ってきます。
 最初に、指人形をさっと出して「はじまるよ!」と人形に叫んでもらうと子どもたちは静かになります。
 話す姿勢は、おなかを立てて、肩とあご、舌の力を抜きます。
 おなかがへこむまで息を吐き、力を抜くとたくさんの息が入ります。
 そうすると長く息が続いて長い文章を読むことができます。
 声は、一番後ろに座っている子どもの頭を越すように低めに、そおっと出します。
 声は放物線を描いて落ちていきます。
 そのためには、声の出し始めは小さく、だんだんと大きくしていくようにするとできるようになります。
 声は「よく透る声」を使います。
 大きく声を張りあげてはいけません。
 割れた声はなにを言っているのかわかりません。
 本を朗読するためには、先ずは内容を理解する。
 それが、子どもたちに伝わるように表現することです。
 どちらか欠けると伝わりません。
 どうやったら伝わるか、考えて演出をします。
 ただ、登場人物になりきって読む場合、子どもたちが夢中になって楽しんでいるのならよいのですが、楽しんでいるのは読み手だけになって、聴き手は迷惑している場合が多いので気をつけましょう。
 途中でみんなが飽きてしまったら、「ごめんね」といってやめて、別の本にしてください。
 もう今日はだめだと思ったときは「なが~い、おはなのぶたさん」は爆笑ものなので用意しておくのもよいでしょう。
(赤木かん子:長野県生まれ、児童文学評論家。1984年に「本の探偵」としてデビュー、児童文学の世界に入る。児童文学に関する評論、子供の文化の研究など幅広く活躍している。図書館を中心に日本各地での講演活動。本への深い愛情から図書館の改善運動にも積極的で、特に小中学校の図書館の活性化に努めている)

 

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トラブルメーカーの子どもとどう関係をむすべばよいか

 いまの子どもたちとつきあうのは、本当に疲れる。
 いいかげんにしてくれよと言いたくなる。
 とにかく子どもたちは我慢ができない。
 トラブルは日替わりメニューのように起きる。
 教室にはトラブルメーカーの子どももいる。
 こうした子どもたちを相手に教師はどうすればいいのだろうか。
 佐藤 博はつぎのように述べている。
 クラスに荒れが広がり始めると、佐藤は子どもの言動を許せず苛立った。
 教室にザラついた空気が流れ、不信は不信を呼び、子どもたちは佐藤の言うことを聞かなくなった。
 佐藤は教師に向かないと悩み、自己嫌悪に陥った。
 子どもの現実を変えることができないと佐藤が悟ったとき、子どもへのまなざしを変えなければと考えた。
 大人でも否定的な視線に包まれて自分を変えることは難しい。
 腹立たしい子どもらを嫌わないためには子どもの見方を変えるほかない。
 子どもは大人の満足のために存在しているわけではない。
 子どもだった自分を思い出してみればわかる。
 思春期はもともと多感で扱いにくい存在なのだ。
 しかし、子どもとうまくいかないとき教師は苦しい。
 佐藤は荒れる子どもを担任して苦しむ自分に焦点を当てていた。
 しかし、焦点を当てなければならないのは生きづらい社会のなかで悶えている子どものほうではないかと思い至った。
 純粋に生まれてきた子どもが、先に悪くなる社会などあるわけがない。
 そう思えば子どもたちも可愛く見えてきた。
 一人ひとりの子どもを丁寧に見れば、どんな子どもにも健気な気持ちや成長したいという願いや小さながんばりがある。
 肯定的な子どもの発見が教師と子どもとの関係を変える。
 教育は恋愛に似ていると佐藤は思い始めた。
 人は恋するとき、好意を寄せてくれて、善きものを見いだしてくれる相手に、自分を向上させようとするエネルギーが生まれる。
 教師が苦手な子どもに対して、関心や期待を寄せることはできる。
 どんな子どもにも誇りがあり、愛されたい、成長させたいと願っている。
 いつまでも悪い子はめったにいない。
 大人になる過程でいつか変わり成長する。
 目の前の悪いことをする子どもを嫌わず、
「悪いことをしても信頼してくれた先生がいた」
 という思いを子どもに残すことが教師の仕事だと考えるようになった。
(佐藤 博:1948年生まれ、元東京都公立中学校教師・教育科学研究会常任委員・学びをつくる会世話人)

 

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子どもたちの素直な心の声をしっかり受けとめる、これを教師修業の一番と考え、続けています

 私が教師になった年の五月に教師人生を大きく変える子どもの言葉にであいました。
「先生、勉強やめよー。面白くない。遊ぼー」
 と、授業の山場をむかえていたときに、いきなりその言葉が耳に飛び込んできました。
 その時、心底
「もっと授業がうまくなりたい」
「子どもたちが待ち遠しいと言う授業をしたい」
「もっと授業中に子どもたちの笑顔の花を咲かせたい」
 と思いました。
 その日から「エスカルゴ」という勉強会に入り、私の教師修業の一歩がスタートしたのです。
 子どもたちの素直な心の声に出会った、しっかり受けとめる。
 これを教師修業の一番と考え30数年続けています。
 子どもたちの心の声を聞くために、心がけていることは、
1 毎日、クラスの子どもたち全員へ声かけをすることです
 これを意識すると、日々出会う子どもたちに、どんな声かけをしようかと考えるようになります。
 例えば、テレビ好きな子にはテレビの話題を、ゲーム好きな子には流行のゲームの話題を声かけします。
 そうすると、テレビやゲームに目がいくようになりました。
 もちろん笑顔で、いつも見ているよという思いで、
「おはよう」「元気かい?」「やっ!」
 というような簡単な声かけのときもあります。
2 毎日、ノートを集めることです
 授業の終わりには、授業の感想を書いてもらうことがあります。それを集めます。
 毎日、最低一冊のノートは集めるようにしています。
 子どもたちの心の声を知るためです。
 時には、テーマを決めて日記を書かせて集めることもします。
「社会の授業で学んだこと」
「国語の授業でもっとやりたかったこと」
 などです。
 この二つは、子どもたちの素直な声を得る場を意識してつくる。
 これが教師修業なのだと思っています。
(福山憲市:1960年山口県生まれ、山口県下関市立小学校教師。特別支援学級担任、教務主任・算数専科・初任研指導教諭など多くの立場を経験。学力向上推進教員・教育力向上教員として、授業力・学級経営力の向上指導にあたる。サークル「ミスを活かす子ども達を育てる研究会」「教師の勉強の場・ふくの会」を組織し、全国の仲間と実践の交流をし続けている)

 

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授業を妨害する子どもにどう対応すればよいか

 テンポの良い授業は子どもの妨害が入り込む余地がきわめて少ない。
 リズムとテンポの良い授業にするというのも一つのポイントである。
 福山憲市は授業を妨害する子どもに、つぎのように対応している。
1 おしゃべりで授業妨害する子ども
(1)直接的に注意する
 はっきり「今はしゃべるときではありません」などと、言うことだ。
 はっきり言うことを恐れてはいけない。
 うるさく騒いで授業ができない状態になる前であれば、優しく言うことができる。
 もちろん、誉めることを忘れてはいけない。「さすがですね。一度言われて、すっと止める人は、すごい人です。ありがとう」
(2)話をはぐらかし、かわす
 しゃべっている子は、しゃべりたいのだ。
 そこで、授業に生かすように子どもにしゃべらせるのである。
 こちらの路線に乗せればいいのだ。そして、うんと誉める。
「○○くん、いいおしゃべりしているなあ。それじゃ、もっとつっこんで聞くよ」と子どもに質問する。
 子どもが答えると「やっぱり、いいこと言うなあ。またいい考えが浮かんだら頼むよ」
 しゃべることで誉めてもられる。これが続くことで態度が少しずつ変わっていくのである。
2 妨害行動する子ども
 勝手に席を離れたり、机にある物を触って遊ぶような子どもにどう対応するか。
(1)他の子どもを巻き込みながら、はっきり注意する
教師「みんな、いま立っていい時かなあ?」
子ども「いけませーん」
教師「いまは、何をする時ですか?」
子ども「メモする時です」
教師「いま、立っていなかった人? えらいなあ。それじゃあ、立っていた人?」
 子どもが数名立つ。ここで、はっきり言う。
教師「つぎ、絶対に気をつけるという人だけ、座りなさい」子どもが座る。
 それを教師が気合いをいれて誉めるのである。
 その後、子どもが立たずに頑張っている姿を見たら、うんと誉める。ほとんどの子どもはこれで変わる。
(2)妨害行動を記録しておき、他の教職員に相談する
 あまりにも乱暴な子どもがいたら、様子を細かく記録しておく。
 ADHDの可能性もあるので技術があっても対応できないことがある。
 他の教職員の目を通して、対応策を考えることも大切だ。
(福山憲市:1960年山口県生まれ、山口県下関市立小学校教師。特別支援学級担任、教務主任・算数専科・初任研指導教諭など多くの立場を経験。学力向上推進教員・教育力向上教員として、授業力・学級経営力の向上指導にあたる。サークル「ミスを活かす子ども達を育てる研究会」「教師の勉強の場・ふくの会」を組織し、全国の仲間と実践の交流をし続けている)

 

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学校に適応している教師・困った教師とは、どのような教師なのでしょうか

1 学校現場に適応している教師
 共通して元気で、個性的で、よく食べ、体力もあって、子どもと一緒によく笑い、子どもに交じってよく遊びます。
 教師が元気で笑顔でいること、教師自身が声を出して笑うこと、これは資質能力としてとても大事なことのようです。
2 困った教師
 教師本人は意識していないのですが、子どもや周りの教師・管理職・保護者からみると困った教師がいます。例えば、
(1) 教師としてのスキルを向上させることに抵抗を示す教師
「私はそんなことしたことがないから教えられない」と、つぶやく教師もいます。
 昔の指導スキルだけで何年も安穏としている教師です。
 常に向上心を持ち、新しいことにチャレンジすることが必要ではないでしょうか。
(2) 子どもたちの変化を受けとめられない教師
 自分の過去の経験から見通せる子どもには対応できるが、その枠からはずれる子どもに対しては、排除したり、レッテルをはったりする教師を見かけます。
「成績がよくて、教師の言うことをよく聞く子どもがよい子ども」と、子どもの評価する教師があいかわらず多い。
 子どもの変化を受けとめ、目の前にいる子どもに愛情を注ぐ教師であってほしい。
(3) 教師として常識を欠く
 携帯電話しか使ったことがない教師が増え、学校の電話の使い方や受け答えに戸惑いを感じている。
 教師自身が親から叱られたことがないので、子どもの叱り方がわかりません。
 小学生の頃に挨拶したことがないので、「とくに困らなかったので挨拶する必要がないのではないか」と考える教師もいます。
 さらに「なんで、ありがとうという必要があるのですか」と真顔で答える教師もいます。
 管理職が「教室に入るときは、ニコッとしたほうがよいよ」とアドバイスをされると「そんなにいつも笑顔でいられません」と言った教師がいたそうです。
(4) 失敗や困っていることを誰にも話せない教師
 自分の評価を気にしすぎる教師がいます。
 誰かに相談すれば失敗したことが知られてしまい評価が下がるのではないかと気にして何も話せないようです。
 問題にぶつかったときに、すぐにくじけて折れやすい傾向もあります。
 思いきりやって失敗してみて、それによって成長しようといった前向きの意識が低いようです。
(5) 他の教師が急に休んだため、自分のその日の予定を急に変えさせられると過度に負担やストレスになると感じてしまう教師
(6) 教師の世代間の乖離が深刻になっている
 世代間の教育技術の伝達が難しくなってきている。
「先輩の教師は、何も教えてくれない」
「後輩の教師は何を考えているのかわからず、教える気持ちにもならない。ことばも通じないし、礼儀もない」
(富永直也:京都府公立小学校教頭、指導主事、京都教育大学准教授を経て立命館大学教職教育推進機構 嘱託講師)

 

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子どもたちのトラブルを予防するために、子どもたちにどのように学習させればよいか

 学校教育では、これまで子どもたちに「トラブル」に対応する力をどのようにつけていくか、といった学習領域はなかった。
 子どもたちがトラブルを解決する力は、自然に身につくものとされてきた。
 教師の目に触れるトラブルが発生したときだけに対応してきた。
 日本より早くから深刻な状況に陥っていた米国では、対症療法ではない、予防教育(情動・社会性学習)が推進されてきています。
 笹口浩子は不快なことが偶然起きたとき、どのようにすればよいかを小学校低学年の子どもたちに、つぎのように学習させている。
1 子どもたちに、偶然の出来事の具体的な例を見せる
(1) 偶然の出来事を実際に行って見せる
(2) DVDで観察する
 相手の様子、顔の表情、事前事後の行動、周りの様子などさまざまな観点からくり返し観察する。
(3) 判断基準を養う視点を育てる
 さまざまな事例を知ることにより、「わざと」か「たまたま」かの判断基準を高める。
2 対応について練習をする
(1) 偶然の出来事を起こす
 ロール・プレイングで偶然、相手に不快な思いをさせるようなことをする。
(ロール・プレイングとは、実際の場面を想定し、複数の人がそれぞれ役を演じ、適切に対応できるようにする学習方法)
(2) 気持ちを発表させる
 双方の子どもたちの気持ちを話させる。
 双方の子どもたちの気持ちが高まってトラブルが起こりうることも理解させる。
3 対応のやり方を練習する
(1)どのような言葉や態度がよいのか具体的に行って見せる。
(2)感情が高ぶっているときは、気持ちを落ち着かせる方法を学習する。
(3)双方の役を入れ替わって練習を重ねる。
 いろいろな立場の気持ちを理解することができる。
(笹口浩子:福岡県公立小学校教師)

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教師はチームとしての取り組みのなかでこそ育つ

 チームのなかで教師は育つと宮田雅己はつぎのように述べている。
 教師になって二校目は指導困難校だった。
 自分の生活常識を越えた子どもたちの行動に出会った。
 次々に起きる問題行動に加え、学校の対応に理解のない保護者に驚いた。
 問題行動が起きると、指導のための会議を開く。
 特別指導で管理職、生活指導や学年の教師たちが相談しながら、かわるがわる生徒とかかわり、家庭訪問もする。
 問題行動を機会に教師集団が生徒に徹底的にかかわると、知らずと生徒は教師集団を信用し大人を信用するようになる。
 教師も生徒と向き合うたびに、さまざまな生徒の感じ方・悩み方・かわり方などを教師自身の心の回路を通すことで追体験し、その教師の複眼をつくりだすのだ。
 このなかで、教師たちは社会の問題に気づかされ、心理学、医学的な知見にも触れる。
 生徒の問題行動を一件、一件、解決していくなかで、教師が集団的に達成感を味わい、ポジション取りや連携プレーもスムーズになり、教師のチーム性が高まり同僚性が高まった。
 この学校で私は、人間の強さと弱さ、教師の連帯・支え合い、一人では生きられないさがを学んだ。自分がやっと真人間になれた気がした。
 このような経験から、教師集団のチームとしての取り組みのなかでこそ教師は育つということを学んだ。
(宮田雅己:神奈川県公立高校教師)

 

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音楽を聴きに来る人は、指揮者や楽員の幅や高さや深みなどの人間性を見にきている

 小澤征爾は音楽、指揮について、つぎのように述べています。
 音楽を聴きに来るお客さんにとって大事なのは、楽員が弾いているバイオリンの曲や書いた作曲家をどう解釈して弾いているのか。解釈した人間性が出てこなきゃいけない。
 弟子を教育していて考えるのだけれど、一番悪い弟子はね、僕の真似やカラヤンの真似をしたりする人。
 カラヤンはカラヤンの育ちがある。ピアノがうまく才能もすごい。
 そうじゃない人が真似をしたってダメだろうと思う。
 表面的なことは真似ができても、人間の中身は真似ができませんから。
 指揮者は楽員の7割ぐらいが納得してくれれば相当うまくいく。
 指揮者の考えに3割の楽員が賛成じゃなくても、
「まあ、しょうがない小澤征爾だから」
 と、信頼して弾いてくれる。
 信頼してついてくるようになるためには、こうやれというのではなくて、
「あなたはどう演奏したいの?」と。
 で、ちょっとその楽員の向きや方向を指揮者がつくってあげて、それにその楽員を乗っけてあげる。
 そうするとその楽員も自然にやりたいように演奏する。
 ほかの人たちも指揮者をみて、
「なるほど、ああいうふうにいくんだな」
 と、なるわけね。
 楽員は指揮者にコントロールされているかはわからないが、
「演奏したいように演奏しているようになっていくのが一番いい流れ」
 だと思うんです。
 悲しみや喜びは人から教われないから、自分が見たり、悲しんだりした経験が大事です。
 特に、ずっとまじめに音楽の技術を勉強してきた人ほどわかっていないことがある。
 音楽での悲しみや喜びの表現は奥深いんです。
 一人ひとりの経験の中からじわじわっと出てくる。
 結局、お客さんは音楽を聴きに来て、幅や高さや深みがあったりすることで満足してくれるわけです。
 楽譜に書いてある通り几帳面にやって、
「はい、これで終わり」
 の演奏をされたら、みんなバカバカしくなって音楽を聴きにこなくなっちゃいますよ。
 音楽を聴きに来るお客さんは楽員や指揮者の人間性を見にきているんだと思うんです。
(小澤征爾:1935年生まれ、指揮者。2002~2010年までウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。日本人音楽家として最も世界的に成功した音楽家)

 

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教師の力に依存しない漢字指導「マッキーノ」とは

 漢字マッキーノは、漢字を使ったビンゴですが、創作者の教師牧野氏の名前にちなんで、こう呼ばれています。
 ゲームなのに、漢字小テストよりも効果があるという優れものです。もちろん漢字小テストよりもずっと子どもたちに喜ばれます。
 このマッキーノという方法の面白さは、「ビンゴゲーム」を繰り返し遊ぶうちに、何度も何度も漢字を書いて、その結果として、気がついたら漢字を覚えてしまったというところにあります。
 このビンゴゲームを遊ぶには漢字を書く必要性があるということです。
 また、その面白さを倍増させるために、普通のビンゴゲームでの「勝利」である「早上がり賞」の他に「最多列賞」「ゼロ列賞」というような「賞」を設定した点が凄いです。
 特に、「ゼロ列賞」は秀逸です。ビンゴゲームの本来からすれば「ビンゴ」が完成しなかったわけですから「負け」になるところを、逆転の発想で「賞」にしてしまっています。
 この逆転の発想の背景にはきっと「詰め込み式」とは異なる教育観があります。
1 用意するもの
 漢字を書くカード(八つ切り画用紙を四分の一にしたもの)22枚(低学年は15枚)。
 たて4マス・横4マスの計16マス(低学年はたて3マス・横3マス)を印刷した紙を人数分
2 やり方
(1)カードに学習した漢字を書きます。(高学年22文字・低学年15文字)
(2)カードを黒板に貼ります。
(3)マッキーノの用紙を配り、22文字の中から16文字(低学年の場合は15文字の中から9文字)選ばせてマスの中に書かせます。
(4)全員書けたら漢字カードを黒板からはずし、カードをよくきってから、1枚ずつ読み上げます。
(5)読まれた漢字があったらマッキーノ用紙に印を付けていきます。
(6)たて・横・ななめどこでも3つ(低学年は2つ)そろったら、「リーチ」といって手を上げさせます。
(7)たて・横・ななめどこでも1列そろったら、「マッキーノ」または「ビンゴ」と声と手を上げさせます。
(8)16枚(低学年は9枚)読み上げたところで終了です。
3 各賞
(1)早いで賞・・・一番早くビンゴした人にあげます。
(2)多いで賞・・・一番たくさんの列がそろった人にあげます。
(3)0で賞・・・・一列もできなかった人にあげます。
賞ではないですが
○究極リーチ・・・3枚目でリーチになることです。結構出ます。
○究極ビンゴ・・・4枚目で早いで賞を取ることです。たまに出ます。
○パーフェクト・・・10列そろうことです。毎日やっても、1年に1回出るか出ないかです。
 これを応用したものとして、
 ひらがなマッキーノ・カタカナマッキーノ・ローマ字マッキーノ・都道府県マッキーノ・地名マッキーノなどがあります。いろいろ工夫してやってみましょう!
(牧野英一 愛知県の中学教諭)
(上條晴夫:小学校教師(10年)の後、jrノンフィクション作家、教育ライターを経て、東北福祉大学准教授。NPO法人「授業づくりネットワーク」理事長。お笑い教師同盟代表。専門は教育方法学・表現教育)

 

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教師は笑顔になると成長できる

 教師が笑えない状況に陥ったとき、笑顔でいることのむずかしさを痛感することがあります。
 教師が笑顔にできる状況にするには、教師自身や環境を肯定的に変容させることです。
 イライラし、笑顔になれない生活を笑顔あふれる生活に変えることが、教師としてステップアップになります。
 そのために、笑顔でいることができるように、自分の生活を見直してみることはとても大切なことであり、それが教師としての成長につながっていくと考えます。
 新任教師のころ、本当に仕事がつらく、辞めようかと思ったことが少なくありませんでした。
 そこで、何がつらいか考えてみました。一つひとつ生活を見直していくと、通勤時間が長いことに気づきました。
 そこで、椅子に座ることのできるバスに変えました。
 バスで読書をするようにしました。読書を通して、私は様々な人に出会い、教室での子どもたちと私の表情は笑顔になり、今の私につながりました。
 笑顔になるために毎日の生活を見直し、それを続けていくだけで実は大きな変化があります。
 教師は笑顔を続けるべきだと思います。
 少し笑ってみてください。
 子どもたちも笑顔の教師が好きです。
 子どもたちが自然と集まってくるはずです。
 笑顔がある生活にすることは、実は教師を変え、子どもを変える第一歩になるのです。
(長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、 横浜市公立小学校教師を経て岐阜県公立中学校教師。授業づくりネットワーク理事、教育サークル「未来の扉」代表代行、クラス・マネジメント研究会代表)

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子どもとともにつくる授業をするために必要なこととその例

 よく聴き合いながら、みんなで追求していけば大丈夫といった安心感のもてる学級づくりを基盤として、東京学芸大学附属小学校は子どもとともにつぎのような授業をつくろうとしている。
 子どもたちのもつ疑問や問いを大切にして学習課題として取りあげる。
 そして子どもたちみんなで課題を追求し、発言やつぶやきをつないで連続性のある学びにして課題を解決していく。
 そうすることによって、クラスの仲間との関係の中で学びが進化し深まり、子どもたち自身が成長することを実感しながら学ぶようになる。
 例えば、東京学芸大学附属小学校が授業の終わりに書かせている学習感想文を見てみると、
「Aさんの言っていることを聞いて自分の考え方が変わってきた」
「Bさんの考えと自分はここまで同じだが、ここからは違う」
「Cさんの意見で自分の考えが固まった」
 と書いているように、授業で仲間から影響を受けて、子どもたちの学びが深まり成長していることを示している。
 今の若者たちは「数人の仲間以外はみな風景」といった他者意識が希薄な社会である。
 そのような風潮があるため、クラスの仲間は自分の学びを深めていくために大切な存在であることを子どもたちに気付かせ、聴き合い学び合える集団に育てていくことが大切である。
 子どもとともにつくる授業は、学びの連続性をもたせるため、子どもたちをよく見つめなければならない。
 子どもたちは何を考え、どんな思いをもっているのかといった子ども解釈力や、子どもにゆさぶりをかけたり、子どもの発言や思いをつないだり、授業の進行を子どもたちに委ねたりする授業の構成力が教師に求められる。
 そのためのツールとして、東京学芸大学附属小学校では「座席表型指導案」を作成している。その座席表に書き込む内容は、
・学びの姿(前時までの姿・教師が期待する姿・予想される姿)
・授業の中での対立・葛藤する場面、合意形成の過程を予想する
・子どもたちが持っている意見の相互関係を矢印で示す
・どのような子どもを指名するか(例として挙手しない子ども)
・どのようなときに子どもに委ねて待つか
(東京学芸大学附属小学校)

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一流の教師とは、どのような教師か

 一流教師の仕事だなあと感じるのは、気配りのこまやかさや、あらゆる観点から検討を加えた働きかけであったりするからだと思います。
 一流教師について福原 忠はつぎのように述べています。一流教師は、
1 空気のような存在であることを旨としますから、子どもを主人公にして自由に活動をさせます。
2 子どもたちは学習に集中して、学び合いの楽しさの中で学力を向上させていきます。
3 物事の微妙な機微を感じ取るセンスのよさを持っています。
 子どもとコミュニケーションをよくとり信頼関係を常に大事にしています。
 子どもとともにいつも行動していますから、子ども一人ひとりの気持ちや考え方をよく知っています。
4 人間的に魅力があり、共感や受容が自然にできる豊かな人間性を身につけています。
 本気になって子どもや親の心の中を思い描く、優しさを持っています。
5 学ぶ喜びを味わわせてくれる授業実践力があります。
「○○さんの意見はすばらしいですね」など、子どもの成長の芽を発見し、心から喜ぶ姿を見せます。
 子どもは教師に認められ自信をもつことができ、教師に親しみと信頼を醸成していきます。
 子ども一人ひとりのつまずきを発見し、どの学年の単元で生じたか把握し、指導資料を豊かにもち補充学習を実施できます。
6 常に学級の人間関係を理解しようと細かな動きを見つめ、全体を掌握し学級が規律正しく行動できるよう、お手本を見せ指示、誘導ができます。
7 常に学び続けようとする強い意志を持っています。
8 ものごとの処理はできだけ早く、誠実に処理しようと考えています。
9 子どもの問題行動の背景についていろんな観点から考える力を持ち、立ち直りのための具体的な筋道を、子どもにも親にも示し、指導することができます。
10 社会の動きに興味関心を持ち情報を収集し、社会的な常識があり、子どもや親からの質問に正確な知識で答えることができます。
(福原 忠:1949年千葉県生まれ、元埼玉県公立小学校校長・一流教師を目指す会代表)

 

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マンネリにならないよう授業のやり方を定期的に変える

 何年も授業をしていると、授業の型ができる。
 現状に安住しているとマンネリになり授業の魅力が失われていく。
 新鮮で楽しい授業を子どもたちとつくるにはこれまでの授業の型を壊し、新たな型を創造する取り組みが必要になってくる。
 これまで行ってきた授業の型を壊すのは教師にとって苦しく勇気がいる。
 しかし、植西浩一は惰性で授業を行っていると、現状に合わない取り組みに陥ると考え、授業を基本から見直す授業改革を6年ごとに行う。
 そして、大きくは変えないが、部分的な授業の見直しを毎年行っている。
 授業の型を変えるために、植西は子どもの現状と声、子どもたちにいま求められている力をふまえ、見直しを図っている。
 植西はつぎのような点を見直し改善を図っている。
 年間指導目標は、子ども一人ひとりの目標を配慮して、学級の到達目標を決める。
 重点的な指導項目は、子どもの実態を考慮するが、いまの子どもたちが最も必要としている力は何かを考えて決定する。
 これは新たな授業の型の鍵となるものである。
 たとえば、聴き合うことの大切さを身につけるために、子どもたちの授業中の発言を授業ノートに記録させるようにする。
 発言の仕方など学習のルールは子どもたちとの話し合いで決める。
 子どもたちの座席配置は学習形態とかかわり、教師の話を聴く・討論する・グループ学習・個別学習にそれぞれ適したものにする。
 教材や学習用具の見直しも改善をはかるうえで大切である。
 その他、年間指導と評価計画・自主学習課題・学習係の活動も対象としている。
(植西浩一:1955年大阪府生まれ、奈良県生駒市立中学校を経て、奈良教育大学附属中学校教師)

 

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教師の話を聞く子どもにするよう、ふだんの授業でこころがけていることとは

 長瀬拓也は「おもしろい授業を」と考え、教師になったが、うまくいかなかった。子どもたちは大きな声で叱っても話を聞いてくれなかった。
 教師が話せば子どもは話を聞くだろうと思うのは甘い。話しを聞く子どもに育てなければなりません。
 そのためには、しっかり相手の目を見る子ども、見る姿勢がよい子どもや、じっくりと耳をすませて話をきく子どもを、どんどんほめていくようにします。
 話を聞いている子どもをほめることで、子どもたちに聞くことは大切であるという意識を高め、子どもたちの体を聞くことができる体に育てていきます。
 ふだんの授業がスムーズにできるようにするために、長瀬はつぎのように実践しています。
 授業は子どもたちが聞いてくれないと進めることができません。聞いてくれるために、「しっかり相手の目を見ている子ども」
「姿勢がよい子ども」
「耳をすませて静かに話を聴いている子ども」
 をほめます。
 つぎに、みんなで協力することを徹底させます。
 自分だけでなく、班やクラス全体のことを思って助け合って学習する意識をもたせようとします。
 また、教科書の読み方、ノートの書き方、話し合いの時の言葉使いなど具体的なルールを徹底します。
 細かな学習のルールを守ることが、自分や仲間の学習にプラスとなるということをしっかりと意識させます。
 このような指導をするときに大切なことは、怖い顔でなく、守るまで笑顔で言い続けることです。
 そしてこれを継続していくことが重要です。継続して守らせる厳しい教師になろうと長瀬は努力しています。
 さらに、子どもたちに授業の見通しをもたせるようにします。次に何をするのか分かれば子どもは安心して授業に入りやすくなります。
 長瀬は教室に授業の流れを掲示します。
 学習課題に取り組むときは、活動ごとに番号をつけ、視覚的に分かるようにします。
 指示・発問・説明は分かりやすくはっきり伝えるようにこころがけています。
 立ち歩いてもよい時間をつくり、あと何分座っていれば立ってよい時間になるかをクッキングタイマーで知らせます。
 立ってよい時間帯には自分が調べたことを仲間と交流したり、ノートを写してもよいことにしています。
 また、子どもと人間関係をつくることが大切です。
 まず、笑顔です。
 毎日、にこやかな表情で子どもを迎え入れるようにします。
 笑いがあれば楽しい授業になり、好意や信頼感を子どもたちからえられます。
 また、ちょっとした声かけを意識して行います。
 叱るときは、どんなことをしたら叱られるか、基準を明確にしておくようにしています。
(長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立小学校、岐阜県公立中学校・小学校を経て同志社小学校教師。専門は、学級組織論、教育方法学、社会科教育。授業づくりネットワーク理事)

 

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子どもが言うことを聞かないときは、どうすればよいのでしょうか

 どうして私の言うことを聞いてくれないのだろう、と思うことはありませんか。
 そんなときは、あなたが頼んだことについてどう思うか子どもに聞いてみましょう。
 というのは、自分が子どもだったときのことを忘れ、大人は子どもに無理な要求をしてしまうからです。
 そして、何をすればいいのか、どのようにやればいいのか、頼んだことを子どもがきちんと理解しているかどうかを確かめてください。
 子どもと話せば、心がつながるだけでなく、どうすればよいかヒントをさずけることにもなります。
 穏やかに話しかけてください。大声や駄目と子どもを非難することはやめてください。
 子どもに命令や説教するよりも、子どもと話しあうときが一番うまくいくのです。
 子どもと話すことは、学校や遊び仲間、友だちなどの間で何が起きているかを知って、いっしょになって考えることです。
 よい聞き手になって、子どもの本当の気持ちに気づいてあげてください。
 言葉の裏に潜む本当の思いをしっかりと受けとめてあげてください。
(ドロシー・ロー・ノルト:1924~2005年、米国ロサンゼルス出身。親子の問題をあたたかく見つめるまなざしや長年の経験に裏打ちされた子育てに対するあたたかい言葉は国境を越え、世界中で愛されている)

 

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子どもたちに漢字をどのように指導して、定着させればよいか

 漢字をどう定着させればよいか福嶋隆史はつぎのように述べています。
 漢字は極力、授業で定着させるようにする。
 授業中に定着させるには、漢字学習に様々なルールをつくり、システム化することが大切である。
 ルールの定着が、漢字の定着に結びつく。
 教師が筆順を唱えながら黒板に大きくゆっくり漢字を書く。
 次に、教師は再度、同じ動作を見せる。
 同時に子どもは黒板を見ながら、机の上に筆順を唱えながら指書きをする。
 その後は、子どもたち一人ひとりで、同様に指書きをさせる。
 各自が覚えたと自信を持てるまで続けさせた後、鉛筆を持たせ、ドリルの漢字を、なぞり書き、写し書きさせる。
 慣れれば短時間で終えられる。
 漢字は文字単独で使われることは少ないので、漢字の練習は、文字単位ではなく、単語単位で書かせる。
 また、練習の際は、同じ単語の漢字ばかりを繰り返し書かせず、縦向きに複数の単語を書かせると思い出す作業が入り定着率が高まる。
 思い出す練習は、漢字を隠して、漢字の読みだけを見みながら思い出せるかどうかを試させる。
 漢字は日常で使ってこそ定着する。様々な場で、ひらがなで済まそうとする怠け心を戒める必要がある。
(福嶋隆史:1972年横浜市生まれ、公立小学校教師を経て、ふくしま国語塾を創設した。小学校教師時代は、「異動しないでこの学校に残ってほしい」と願う保護者たちが書名を集めて校長に提出しにいくほどの人気。また、県規模の小学校教師向けの教師向けセミナーでは、国語・算数・体育の指導法の講師を務め、好評を得た)

 

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子どもたちの意欲を高める理科の授業とは

 子どもが望むのは、説明だけの理科の授業は少なくし、観察や実験などの活動の機会を多くして、意味がわかりやすい解説をすることだ。
 また理科意欲を高める子どもを育てるための理科の授業の工夫をつぎのように述べている。
 教師の話しを聞き、ノートをとるだけの授業では、理科に対する子どもの興味・関心は薄れていく。
 理科の授業を通して、自然の事物・現象について理解を深め、科学的な見方や考え方を獲得するため、日々の授業の活動で小さなことがらでも「よく気がつきましたね」「できましたね」とできたことを認め、ほめていくようにする。
 学習の意欲や、わかる授業につながるのである。
 学習意欲を高めるには、たとえば理科室でガスバーナーの操作を指導するとき、やりたい子どもにみんなの前で操作をさせ、実技が少々できなくてもほめる。
 次に一人ずつガスバーナーの操作の練習をさせながら、グループごとに互いに評価(ワークシートで評価する観点を明確にしておく)をさせる。
 そのとき火の調整にとまどった子どもがいると自然発生的な教え合いがうまれ、学び合う学習集団ができる。
 相互評価と自己評価と組み合わせると学習意欲が高まる。
 習熟度の高い子どもと低い子どもを組み合わせてグループを編成すると学び合うようになる。
(山口晃弘:1961年福岡県生まれ、東京都内の公立学校理科教師、都立教育研究所教員研究生、中央教育審議会理科専門部会の専門委員、東京都中学校理科教育研究会事務局長等を経て東京都公立品川区立学校校長)

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子どもたちが自分を探し確かめるのが芸術表現である

 芸術教育は表現教育である。絵画も歌も表現する。
 だからよりよく表現させることが芸術教育なのだと教師たちは考える。
 その表現の評価は外に現れたものだけで良否を決めてしまっていいものだろうか。
 教育の観点からみれば「なぜ」が大事なのではないか。
 絵画では絵を描きたいという心が形に現れる。この心への洞察こそ教育の原点だ。
 表現教育の視点は、まず表現を生みだす子どもたちに向けなければならない。
 子どもたちの日常は本人すら気づかない事件や物語がひしめくように起きている。
 一人ひとりの子どもの心の内外でそれらはつながり、にじみ合っている。
 その水脈のなかから、授業で歌いたい理由や歌いたくない理由が紡ぎ出されるのだろう。
 そこにその子どもの表現への重要な手掛かりがある。
 しり込みし、ためらい、いやいやながら授業につきあう子どもたち。ときには、反抗することもあろう。そのどれもが、それぞれの「なぜ」を潜在させている。
 音楽コンクールは、今やただ達者であるだけの演奏はだれも評価しない。
 なぜその演奏者がその音楽をそのように演奏するのか、音が語ってくれない演奏は表現とはいえない。
 芸術表現は負や悪をふくめた生命との緊張関係から多くの芸術作品が生み出されている。
 むしろ苦境に立った絶望や屈折のなかから、最後に紡ぎ出された希求や祈りや愛であったりする。
 表現とは自己表現である。だが、自己とは明白なものではない。
 どこにどのようにして在るのかわからないからこそ、人はなにかの手掛かりを求め、それを探し、確かめようとするのではないか。
 その「探す」ことと「確かめる」ことこそが、なにかを創り出す営みにつながるのではないか。
 しかも、そうしてやっと探し出されたものは、絶えず変貌する。変動しわからなくなってしまう。
 だから、私たちは今日歌っても、明日は別な「わけ」で歌を探すことになるだろうし、歌えない自分に出会うかもしれない。それが生きるということではないか。
 芸術とは、わからないことから、わからないことへと架けられた「生きようとする力の現れ」の軌跡であると言えるかもしれない。
 それは鑑賞にもかかわることだろう。
 芸術を理解するとは、作品の背景や成り立ちを知り意味を学ぶことである。
 だが芸術とは本来、他者の言葉だ。
 わが身を語り手に移して根ざしている考えを、語り手の実在を通して感得できなければ芸術はわかったとはいえない。
 しかしそれは、感動することとは違う。感動とは、芸術に接して自分が変化することだ。
 その意味では「鑑賞も表現」であり、主体的な営みだと言える。
 芸術に触れ、ドキドキして、そして「わからない」自分に戻ってくる。それが芸術との出会いというものではないか。
 わからない自分もまた、絶えず変動し続ける自己のありのままの姿であり、人間を常に行動へと向ける無意識の衝動のかたちである。
(三善 晃:1933年生まれ、作曲家。パリ国立高等音楽院に留学、桐朋学園大学の学長を務めた。国内・海外を問わず受賞多数)

 

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理科教育で大切なことは何か

 理科教育は、自然界のなかにある真理を一つひとつ発見し、自然についての理解の様式や、そのよって立つ根拠や、それに基づく理解と解釈の方法を教え込むことにあります。
 それとともに、その規範を疑い、それとは異なった規範・価値観・理解や解釈があり得ることを子どもたちに悟ってもらう側面もあるはずです。
 科学の知識が核兵器の開発などに利用され、DNAの研究が社会的に問題となる可能性が生まれています。
 そうした状況のなかでは、理科教育が理科の自然の真理を善として教えるだけでなく、科学と社会との関係を十分に考慮に入れるだけの知識と感性を身につけることが、非常に大切になってきています。
(村上陽一郎1936年生まれ、科学史家・科学哲学者、東京大学・国際基督教大学名誉教授、豊田工業大学次世代文明センター長)

 

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優れた国語教育の実践例に共通していることとは

 小学校は子どもの発言を多様な方法で組織したり、教材を理解する過程についての工夫がいろいろと開発されていますから、面白いのです。
 しかし、中学校以降になりますと、段落分けと主題・構成・叙述の把握が要求されるワンパターンの授業になっていくのです。
 生きいきとした国語の授業を創り出しているすぐれた実践例に共通しているのは、言葉そのものについて教師と子どもが学び合うことです。
 日本語とはどういう言葉か、その特質をあらためて問う必要があります。
 そのためには、日本語と英語をはじめとする他言語の差異を明らかにしていく必要があります。
 たとえば翻訳文がなぜそのような日本語になるのかを示しうるようにならなければならない。
(小森陽一1953年東京都生まれ、日本文学者。東京大学名誉教授。全国「九条の会」事務局長。専攻は、近代日本文学)

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教育は出来事を踏まえ、何度でも出直すもの

 教育を研究するといえば、何を教えるか、どう教えるかが柱になってきた。
 しかし、子どもが、どうとらえているか、どう生きようとしているかの視点は心理学におまかせで、配慮の外に置かれてきた。
 学びながら教え、教えながら学ぶという人間のいとなみをうかびあがらせることが教育ということである。
 教師と子どもがたがいに学び、教え合う。
 そこで多様な出来事が生まれ、予想もしていなかった発見や事態に陥る。
 教育はキレイごとではなく、汗と涙と手あかのどろどろしたものにまみれる。
 教育は、
「うーん、なるほど、これは私の思い通りではなかった、これで一つ教えられた」
 といって、何度でも出直すものである。
(佐伯 胖 1939年岐阜県生まれ、認知心理学者、東京大学・青山学院大学名誉教授。認知心理学の知見に基づく「学び」の過程の分析は画期的)

 

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教師が力をつけるには、どうすればよいか

 教師は変化する子どもや職場、社会に対応しながら、直面した課題を克服し、力量を獲得していくものである。
 教師が力をつけるために最も効果があるのは子どもとの交流である。
 教師が一人の人間として子どもと正面から向き合い、ぶつかりあい、つながりの中で成長していくものである。
 教科の指導では、わかる楽しい授業や、子どもが主体的に。
 教師の仕事は「もうこれでよし」ということがなく指導に限りがない。
 それゆえに、教師は限りなく多忙になり、うまくいかない場合は、力のない教師だと思ってしまう。
 まじめで誠実な教師ほどそのようになりがちである。
(山崎準二:1953年山梨県生まれ、静岡大学教授、東京学芸大学教授、東洋大学教授を経て学習院大学教授。専門は教育方法論・教師教育論)

 

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叱ることで、子どもに安心感を与えることができる

 教職二年目の学級づくりがスタートした。
 私は小学校三年生の担任になった。
 その始業式で私は面食らった。
 ほかのクラスはピシッと体育座りをしているのに、自分が受け持つクラスは寝そべっている子、ずっと隣としゃべっている子、なかには隣の子とケンカをして泣き出す子もいた。
 私は「こりゃ、すごいクラスだな」と思った。
 四月、五月は殴り合いのけんかは起きる、物はなくなる、授業を始めても数人が教室に帰ってきていない、毎日だれか一人は泣く、そうした状態であった。
 一つ問題が起きるたびに、子どもたちの話をよく聞き、そして、ときには大声でしかることもあった。
 学年主任からは「今年は、よく怒鳴り声が聞こえるね」と、言われた。
 だが、私は決してやたらと怒鳴っていたわけではない。
 私自身、去年より怒鳴ることが多いのは気になっていた。
 だから、子どもの表情や行動を見て、怒鳴るようにしていたのである。
 あまり怒鳴りすぎると、子どもたちは私の顔色ばかりをうかがうようになる。
 また、怒鳴られることに慣れてしまい、怒鳴っても言うことを聞かなくなる。
 そうなるのが一番怖かったので、怒鳴っても後には決して引きずらない、怒鳴る回数よりもほめることを増やすなど、クラスの雰囲気が悪くならないように努めていた。
 そうして学級経営をしている中で、子どもたちからは「先生は、悪いことしたとき怒鳴ってくれるから好き」という声も出てきた。
 そのことについて考えてみると、クラスでの集団生活の中で、何か悪いことをしたとき、それを毅然とした態度で指導してくれないと安心して生活できないのだと思う。
 怒鳴ることが必ずしもいいこととは思わないが、怒鳴ることが必要なときもあることを感じている。
 今では、ほとんど問題は起こらないようになったし、それでいて、元気に授業中に発言したり、外で走り回ったりしている。
 四月、五月の状態を思い返すと「この子たちも、すごく成長したなあ。私もがんばろう」という思いがこみ上げてきて、私もやる気が出てくる。
 こうしたとき、子どもからエネルギーをもらっていると感じる。
(山崎準二編:1953年山梨県生まれ、静岡大学教授、東京学芸大学教授、東洋大学教授を経て学習院大学教授。専門は教育方法論・教師教育論)

 

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教師になって感じ、悩むこととは何か

 山崎準二教授は20年間にわたり静岡大学教育学部の卒業生を対象に追跡調査に取り組みました。
 その調査により若い教師が感じ悩んでいることはつぎのようだと述べています。
 実際に教師になってみると、想像以上に多忙でさまざまな仕事をしなければいけない。
 教師は子どもと触れ合い、いっしょに活動することに何よりの喜びを感じるものです。
 ところが、現実には書類作成や校務分掌といった雑務が多く、そちらに取られる時間が増えています。若い教師は特にそのことを強く感じています。
 もう一つ感じることは、子どもの能力差、学力差が想像以上に大きいこと。
 きちんと教えればどの子どもも分かるし、伸びると思って教師になる。
 ところが現実には、小学校中学年くらいから学力格差が開き出し、中学生になるとかなり大きくなる。どう対応したらよいのか、戸惑っています。
 授業一つにしても、どの子どもに焦点を合わせてよいのか分からないし、きちんと教えていけばどの子どもも分かるというような甘い状況ではありません。
 軽度の障害のある子どもへの対処の仕方も含めて、生徒指導の面でも子どもの扱い方が多様化して難しい。
 子どもというのは想像していたほど単純な存在ではないというショックが新任教師にとっては大きくなってきているのです。
 そうした中でも懸命に子どもに向き合おうとエネルギーを注ぐのですが、さらに追い撃ちをかけるのは、保護者から厳しい批判にさらされることです。
 一生懸命にやっている自分を保護者は応援してくれるに違いない、という意識が粉々に打ち砕かれてしまうようなことがおきます。
 教師になって、こうした現状に対応するためには、授業方法や子どもとの接し方といった教育技術だけではないことに気付きます。
 それよりもむしろ、幅広い人生体験や教養から培われる人間性や人間力の方が問われていると感じます。
 それはすぐには身につかないことは十分承知していながらも、原点はそこにあると気付いているのです。
 教師が専門的な力を付けていく最大の要因は何かというと、子どもとの日常的な関わりの中での試行錯誤からの学びと、先輩教師からの助言、指導です。学校現場で鍛えられ、成長していくのです。
 相談相手は初任者研修で知り合った同期の教師や、女性教師の場合は友人や家族が多い。相談して助言を得るというよりも、悩みを打ち明けて聞いてもらえる相手なのです。
 職員室には、空き時間や放課後などでもなかなか気軽に話しかけられない雰囲気があります。
 みんなパソコンに向かって作業をしているからです。学校の中で日常的な教師同士の交流が薄れていく中、校内研修でしか相談できない状況は大きな問題です。
 しかも、研修では子どもの目線に立った指導をしましょう、などときれいにまとめられてしまう。
 研修で学びたいのは、現実に今悩んでいるこの子に対してはどうすればよいのかといったことなのに。それはやはり先輩教師に相談するしかありません。
 現実に実践するには、それなりの経験と力量がいるものなのです。
(山崎準二:1953年山梨県生まれ、静岡大学教授、東京学芸大学教授、東洋大学教授を経て学習院大学教授。専門は教育方法論・教師教育論)

 

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教育はよりよき変化を模索する中にしか存在しえない

 学校という世界に入ること、それは子どもの目からみれば「勉強」が中心の場に入ることを意味する。
「教え-教えられ」の力関係、「教師-子ども」の関係、「子ども同士」の関係に変容される。
 社会の子どもたちへの期待に適応していくことが求められている。
 こうした変容を長年にわたりもたらしていきた学校制度に対して、子どもたちの叫びやあえぎの声が現われてきている。
 それが、さまざまな出来事を通して問題として認識される。
 そして、その問題への解決としての対応と制度改革をつくり出している。
 その改革を推し進めるべく、教師が対処するのに、すぐに役だつノウハウとそのマニュアルが数多く流通してきている。
 こうした改革の動きの根底で常に問いつづけなければならないのは、私たち自身が自明のうちに志向する、知や学習観と学びのあり方、そしてそれを支えるものとして具体的な学習活動や学習環境のあり方の見直しである。
 制度的文化が暗黙に形作ってきた学校知の枠組みに問いをむけてみる必要があるのではないだろうか。
 その問いへの答えは、新たな知のあり方を模索する教師一人ひとりが独自の形で、実践の場でつねに現在進行形で動き変化する「小さな物語り」の中に見いだすことができるだろう。
 一つの理想モデルへの転換をめざすものとしての教育の「いま」をとらえるのではなく、教育は、よりよき変化を模索する中にしか本来存在しえない。
 変化しつづける中に可能性をみとっていく営みなのであるという認識が求められる。
 よりよい育みを教師各自が模索しつづける中にこそ、新たな学校作りへの方向性があると考える。
 往々にして現代社会の問題や病理を映し出す鏡として学校の問題が語られる。
 しかし映された像をみて単に学校批判をするにとどまるのではなく、今、あらためて「学校ならではの学び」の模索を始めなければならない。
 地域の中で公教育の中核としての学校が担うことを期待される役割やあり方を考えることともいえる。
(秋田喜代美:1957年大阪府生まれ、東京大学教授。教育学者、心理学者。世界授業研究学会副会長。内閣府子ども子育て会議会長。専門は、発達心理学、教育心理学、保育学、学校教育学)

 

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教師の力はどのようにして高めればよいか

 求められている教師像は教え方がうまいという教育技術者としての教師だけでない。
 子ども一人ひとりとのつながりをきずき、子どもを育み、自分の授業を内省しながら創りだし、学びあえる教師である。
 多くの教師の授業を数多くみることを勧めたい。
 教室の出来事の生の姿にふれ、そこで自分が感じた驚きや感動、ナイーブな感覚を大事にする。
 同じ教材でも、教師によって子どもの教材へのかかわり方や理解がまったく異なってくる。
 同じ教師でも担当する教室によって授業が変わってくることをぜひ自分の目で確かめてもらいたい。
 その際、教師の教え方の上手、下手といった見方で授業を見るのではなく、教室で起きているさまざまな出来事に目を向け、その意味を読みとってもらいたい。
 発言する子どもと教師のみでなく、聴いている子どもたちのからだの動きやつぶやきに耳を傾けると、授業のおもしろさ複雑さ、奥深さがみえてくる。
 そして時には、授業を録画して文字記録化するのもよい。
 あるいは、授業をみせてもらった教師や他の参観者と話してみる。
 すると、その場では自分で気づかなかったものが見えてくる。
 それから、最新の教育関係の本を読み、新たな教育研究の流れの息吹を感じること。
 また、古典と呼ばれる本を読むこと。そこでは、古くて新しい問題が提起されているはずである。
 教えるといういとなみに多くの教師や研究者がどのように格闘してきたかをみることによって、そのおもしろさが伝わるはずである。
 安易な技術のノウハウものに走らず、じっくり向き合って教育の本質を考えてもらいたい。
(秋田喜代美:1957年大阪府生まれ、東京大学教授。教育学者、心理学者。世界授業研究学会副会長。内閣府子ども子育て会議会長。専門は、発達心理学、教育心理学、保育学、学校教育学)

 

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子どもの潜在能力を引き出すモンテッソーリ教育で学ぶ楽しさを知る

 人間は生まれたときから、生得的に学ぼうとする働きがあります。
 子どもは興味・関心を持ったものに集中し何度もくり返します。
 集中すると充実感、生きる喜びが生まれます。
 モンテッソーリ教育は子どもが興味・関心をもつことから活動を始め、学ぶ楽しさを体験し、なおかつ子どもに心の傷がある場合は癒え、最後にはきちんと力がつくような教育方法です。
 日本でもモンテッソーリ教育を取り入れている幼児教育施設では、興味・関心のあることを毎日同じことをくり返す姿が見られます。
 ある程度の能力がつくと別の興味に引き継がれていきます。
 日本ではモンテッソーリ教育を自由に小学校に導入できませんが、欧米では小学校から大学まであります。
 モンテッソーリ学級では、発達段階に合った幅広い教具や教材が準備され、教師によってその使い方を子どもに示し、子ども一人ひとりの興味・関心に応じて子どもが教具を選び、子どもが納得のいくまで活動し学んでいきます。
 そのとき達成感や満足感が子どもに生まれます。
 教師が子どもの行動をよく観察して、興味・関心を瞬間的に察知して、援助をすることがモンテッソーリ教育をおこなう教師にとってはとても重要な役割となります。
 人間の能力がよく育つ時期があり、6歳までがその時期です。
 その時期が過ぎると、よい成果は得られません。
 たとえば3歳までは話し言葉に敏感になり日本語を話す能力を獲得します。
 幼児は親の家庭生活のまねをします。
 まねをすることによって幼児の身体の動きが発達し全身をコントロールする力がついてきます。
 注ぐ・つまむ・はるなどの家庭生活のまねができるよう、モンテッソーリ教育では子どもの身体のサイズにあった教具を準備します。
 幼児期に学ぶことの楽しさを知り成長した子どもは、小学校に入学すると、わくわくした気持ちで意欲を持って授業に取り組むようになります。
「○〇しなさい」と押し付けるのではなく、子どもの興味・関心により主体的に選ぶ。
 好きなことを気が済むまで繰り返すと、満足感・達成感(生の躍動感)が得られる。
 結果的に様々な能力が見につく。
 主体性・意欲・自己選択力・自信・自己肯定感・挑戦力などが育まれる。
 これらの基本となるものは「愛着」(最も基本的な非認知能力)である。
 愛着は生得的な力である。まず、これを育てることが重要。
 育て方は、愛着の敏感期である1歳半くらいまでは、出来るだけ抱いてあげる。ありのままを受け止める。一貫性を持つ。
 そして、親から離れたりくっついたりし、応答的に接していると、愛着が発達し、3歳になると、内在化され、もう母親が側にいなくても「心の安全基地」が出来上がる。
 ここで気を付けなければいけないことは「自由」が絶対に必要だという事です。
 選択の自由を与え、その子の興味・関心をくみ取ること(待つこと)。
 子どもに教具・教材の提示をし、やり方を伝える事。
 もしこれがうまくいかない場合、子どもは反抗したりする。又、いい子になり、自分を捨てる場合がある。
 子どもが必要としていることは、教えることが必要。その後、子どもの中で熟成するのを待つこと。
 また選択・時間・場所・質問の自由など。自由の保障がないと自由の裏の「規律」は育たない。
 他人を怒らせたり、傷つけたりする行動を全て止める。無作法で粗野な行動も止める。
 その積み重ねで「受動的規律」が育つ。
 次に、自由の中で、自分の考えや行動を選択する。それに対しての責任を持つ、ことで「能動的規律」が育つ。
 国によって自由のとらえ方が異なるので、子どもと向き合って考えなさい。
(佐々木 信一郎 :1958年福島県生まれ、ドイツでモンテッソーリ教育の免状を取得。こじか「子どもの家」発達支援センター園長)

 

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キレやすい子どもは、脳からみてどのようなのでしょうか

 衝動性が高く、我慢や切替えが難しい子どものことをいいます。
 私たちが何かを我慢する時、こめかみの4センチくらい上にある前頭葉背外側部という場所からGABA(ギャバ)という化学物質が分泌され、動きや考えを止めることができるのですが、キレやすい人はここの動きが悪いんです。
 さらに、突然暴れだしたり、過剰におびえたりする人は、「怒り」「おびえ」をもたらすノルアドレナリンの分泌が高く、「幸せ」「癒し」のセロトニンの分泌が低いことがいろいろな実験で証明されています。
 セロトニンはノルアドレナリンやドーパミンを調整する役割を持っていますから、この分泌が少ないとなるとキレたりするのは当然の結果といえるでしょう。
 どうして、そのような脳構造になってしまうのかというと、原因としては、遺伝子、育ち方、環境ホルモンの3つが考えられます。
1 遺伝子が原因
 「キレやすい」ものだけではありません。
 例えば、「内向的」「はまりやすい」「優柔不断」「やたらと元気」…といった特性がありますが、これはいってみれば『脳の癖』です。
 私たちの脳には、もともとこうした癖を持った遺伝子が存在しているんです。
 もちろん、人によって持っている遺伝子は違いますけれども。
 このいくつかの遺伝子群が環境や周囲の人、さらには自分自身との関係に刺激されながら互いに作用し合って、はまりやすい脳やキレやすい脳を作り上げていくのです。
 脳の癖の何割が遺伝子によるものかとういと、約6割です。
 ですから、脳の問題は、まずは遺伝子の問題として捉えて、その後で人間関係や社会に原因を探っていくべきものなのです。
 もっとも、脳は刺激に対して非常に敏感ですから、環境によってある癖が強まったり、癖の性質そのものが変化したりということはあります。
2 育ち方が原因
 セロトニンは「幸せ」や「癒し」の物質といいましたが、子どもの頃に十分な愛情をもらえずに育つと、このセロトニンの分泌機能が発達しないといわれています。
 特に赤ちゃんは、母親と一緒に過ごし、愛情を注いでもらうことによってセロトニン系を育んでいきます。
 しかし、日本は核家族化や地域社会の崩壊が進み、時間をかけて子育てをすることが困難になっています。
 結果、セロトニン分泌機能が充分でない子どもが増えたのではないかと考えられます。
 それに、子どもの遊び方の変化も、要因の1つです。
 少子化やテレビやゲームなどの普及によって、「内遊び」「1人遊び」の傾向は加速される一方です。
 しかし、体を動かすことは「集中」のノルアドレナリンや「やる気」のドーパミンの分泌を増し、脳の発達には非常に重要なことなんです。
 また、大勢で遊ぶことは、コミュニケーション能力や人間関係から生じるストレスの対処法などを学ぶことにもなり、セロトニン系を育てることになるんです。
 親はできるだけ子どもと接し、さらに外で友達と遊ばせることが、健全な脳の発達に欠かせないということです。
3 環境ホルモンの影響
 環境ホルモンとは、人間が本来持つホルモンによく似た化学物質のことです。これが体内に入ると、脳に深刻な影響をもたらします。
 知能指数の低下、注意力・集中力の低下、衝動性・暴力性の高まり…。特に胎児にとってはごく少量でもかなりの影響力があります。
 注意力が散漫で、やたらと動き回ったりする症状を、ADHD(注意欠陥・多動性症候群)といいますが、このADHDの原因の一つに環境ホルモンがあると指摘している学者もいます。
 実際に、アメリカの子どもの約5%がこのADHDで、今も数は増えているという調査結果が出ており、日本でもキレる子どもや学級崩壊には、これが影響しているのではないかといわれています。
 子どもというのは落ち着きがないのが当り前で、よく動き回っている時は「やる気」のドーパミンが過剰に出ている状態でもあるので、うまく作用すれば、自発的でやる気のある「大物」ということになります。
 けれども、バランスの悪い出方が続くと、反社会的人格障害に発展する可能性もあります
(篠原菊紀:1960年長野県生まれ、脳科学者。公立諏訪東京理科大学教授。専門は脳神経科学、応用健康科学。「学習しているとき」「運動しているとき」「遊んでいるとき」など日常的な場面での脳活動を調べている)

 

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子どもの脳を成長させるには、どのようにすればよいか

 脳を鍛える基本は「ワーキングメモリー(脳へのメモ)を使う」ことです。そのためには子どものワーキングメモリーを鍛えることだ。
 たとえば、「28+36」の繰り上がりのある計算は、一桁目の8+6=14の繰り上がりされた数字1を脳にメモ(ワーキングメモリーを使う)して二桁目の2+3+1=6を計算して、64となります。
 この計算は教師が教えたからできるのではなく、子どものワーキングメモリーが発達したからできるのです。
 このような計算は反復練習をしないとワーキングメモリーは伸びません。
 国語でも同じことが言えます。
 読みの授業では、少なくともその前に書いてあったことが脳にメモ(ワーキングメモリー)されていないと、文章を深く読み取れるはずはありません。
「これ、それ」が何を指しているのかという問題も脳にメモされていないと答えることができません。
 漢字を書けるようにするのもワーキングメモリーのトレーニングです。
 子どもたちが学習しているときには、さかんに脳のメモを使っています。
 そのメモ帳をある程度のあいだ頭の中に置けるようにしておくことが大切です。
 躾けができるかどうかも関係してきます。
 また、ワーキングメモリーが弱いと、人とコミュニケーションしているときに、
「この人、今どう思っているのだろう」
 といった人の気持ちを考えにくくなります。
 わがままで自己中心的になってしまうおそれがあります。
 脳のトレーニングは、できないことができるようになることです。
 できるようになると、脳を育てる物質の分泌が増加します。
 できるようになったら次に進むという学校のシステムはよくできていると思います。
 脳を育てるための学習以外の習慣は、まず運動することです。
 手を使った作業も前頭葉を活性化します。
 人と関わることも脳を鍛えることにつながります。
 笑いも前頭葉を活性化します。
 バランスのよい食事も脳にとって大切です。
 脳の半分は脂肪なので肉・魚の脂肪は重要です。
 同時に緑黄色野菜を食べて酸化を防ぐようにします。
 ぶどう糖(炭水化物)は脳の唯一のエネルギー源で、蓄えはできません。だから朝昼晩と規則正しく食べる必要があります。
 タンパク質は神経細胞の材料になります。
(篠原菊紀:1960年長野県生まれ、脳科学者。公立諏訪東京理科大学教授。専門は脳神経科学、応用健康科学。「学習しているとき」「運動しているとき」「遊んでいるとき」など日常的な場面での脳活動を調べている)

 

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子どもが「きまりを守らないとき」「同じ失敗をくりかえすとき」の叱り方とは

 きまりは学校生活を楽しく円滑に送ることができるように決められている。
 子どもに「何でこれをしてはいけないのですか」と聞かれたときに「こうだからです」と明確に答えられるようにしておく必要がある。
1 子どもが「きまりを守らない」とき
(1)気づいたときにすぐ対応する
(2)本人だけでなく、学級全員の子どもに考えさせ確認する
(3)自分のしたことを自分の口で言わせる
(4)きまりがあることがわかっているのに、守らなかったことを認めさせる
(5)今後の行動について考えさせる
(6)つぎに同じ過ちをしたときの責任の取り方を言わせる
2 子どもが「同じ失敗をくりかえす」とき
「またか、いいかげんにしなさい。反省してるのか」
 といような叱り方をしていると、子どもは自信をなくす。
「どうせ私なんか」と思うようになり、失敗しないでおこうという気持ちをなくしてしまう恐れがある。
注意したあと、
「この次は忘れないように。きみならだいじょうぶ。期待している」
 と信じて、見放さないように叱る。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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教師に反発し挑発する子どもは、どのように指導すればよいか

 叱れば叱るほど挑発してくる子どもがいる。
 ほうっておくと仲間を増やし、教師と子どもが対立し学級が崩壊するおそれがでてくる。
 挑発してきたら、教師は挑発に乗らずあくまで冷静に笑みをうかべるぐらいの余裕を見せて話をする。
 挑発する子どもに興奮して、教師が同じレベルにおちいらないようにする。
 挑発する子を叱るときは、その子一人だけを特別に叱るのではなく、他の子どもと一緒に叱るようにする。
 周りの子どもへの注意は、その子どもへの注意である。
 周りの子どもが反省すれば反抗しにくくなる。
 教師に敵対心を抱く子どもは学級から浮くことをとても恐れるからである。
 教師と敵対的な子どもがいる学級は、学級の子どもたちと教師との関係をとくに親密に保って信頼関係を築くようにすることが大切である。
 そして、学級の子どもたちが叱られたときに反省して向上しようとする学級集団に育てるように工夫をかさねるようにする。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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乱暴な子ども、キレる子どもは、どのように叱ればよいか

 子どもの直観はするどい。教師のことばや表情から教師の心を感じ取る。
 子どもが好きで成長を願うから叱るという思いがないと教師が叱っても子どもには伝わらない。
 子どもを信用し、子どもの人間性ではなく子どもの行いを叱るようにする。
 叱ったあと、教師は笑顔になり、なにごともなかったように子どもに接するようにする。
 叱ったあとのフォローも大切である。
 叱ったあとも子どもに声をかけ、子どもを見守るようにする。叱ったあとにほめられたりすると子どもは成長したと感じる。
 子どもを叱るとき不公平を感じさせないように、日ごろから全ての子どものよさを見つめるように心がける。
 なぜ叱るのか、その理由を子どもに説明し理解させて、子どもとの信頼関係をつくることが必要である。
 どのようなときに叱るかを子どもに伝えておき、叱る基準を設けて叱る指導に一貫性をもたせる。
 人間は失敗したときに叱られ、反省することによって、よりよき人間に成長していくものだということを子どもに説明しておくことが大切である。
 叱るときは、毅然として、感情的にならず、真剣に、ゆとりをもって冷静に叱る。くどくどと長い説教は、子どもをうんざりとさせ、やる気をなくさせる。
 叱ったあと、どのようなおこないをしたか確認する。
 今後どのようにすればよいか、また同じことをしたとき、どう責任を取るかを考えさせるようにする。
1 乱暴な子ども
 すぐに暴力をふるう子どもは、言葉で言い表すことができないから、手がでてしまうことが多い。
 言葉で言い表すことができるよう、なぜ腹をたてたか子どもから気持ちをきくことが大切である。
 そして、どうすれば暴力をふるわずにすんだかを考えさせる。
 乱暴な子どもを見るときは、ふだんから良いところを見つけることが大切である。
2 キレる子ども
 キレて暴れている子どもにとってはまわりの人間はすべて敵として暴力をふるう。
 暴れ感情が高まっている状態を落ち着かせるため、名前を呼び、体をそっとなでてあける。
 少し落ち着いたら椅子に座らしてさすってあげる。
 気分が落ち着くまで、しばらく一人にしておく。
 落ち着いたあと、どのようことをしていたか教え、自分を振り返らせる必要がある。
 キレやすい子どもをふだんからよく観察し、けんかや言い合いのときに、そろそろあぶないなと感じたら声をかけ、その場を離れさせるように訓練しておく。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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小学生は学年によって、どのように叱り方を変えればよいか

 小学生は学年によって、中嶋郁雄先生は叱り方をどのように変えているのか。
(1)1~2年生
「ならぬものはならぬ」と、簡単な言葉で理由を教え、形を作る。
(2)3~4年生
 教えたことができているか見守る。
 できなかったら「今はどうすべきだったかな」と正しい方向に戻す。
(3)5~6年生
 頭では理解しているので、間違った時には「先生が言いたいことはわかるか」とだけ述べて考えさせる。
 外を固めた上で、徐々に精神を鍛え、自律の精神を養っていく。
 子どもたちが生活への意欲を高められるように指導するのがプロの教師だ。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教師を経て、奈良市立小学校校長。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」と「叱り方研究会」を立ち上げ、講演会、セミナーを行う)

 

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«叱ることで、子どもに「自律の精神」を養う