教師に反抗的な態度をとる子に、どう対応すればよいのでしょうか

 教師の揚げ足をとったり、指示をわざと聞き流したりするような子がいる場合、他の子どもたちもその雰囲気にのまれないよう、教師は毅然とした態度をとることが必要です。
 教師に反抗的な態度をとる子は、教師がイライラするような言動をあえてとります。
 教師が感情的に対処すると、その子との関係が悪くなり、周囲の子どもたちも「振り回されている教師のせいで、学級の雰囲気が悪くなる」と感じています。
 どう対応すればよいのでしょうか。
(1)
学級のルールを明確にする
 反抗的な子どもに対しては「なんだ、その態度は!」と言うのではなく
 
「みんなでこのルールを守ろうと決めました。だから、これは認められません」
と言えるように、おりに触れ、ルールを学級全体で確認したり、教師の考えを学級全員に伝えたりする時間を設けます。
 それと、子どもが教師に反抗的な態度をとったとき、教師とその子との一対一の対立構造にせず「これは正しいことですか?」と、みんなでルールを確かめるようにします。
 多くの子どもたちが同じように判断する中では、教師に対して無茶なことを言いづらくなります。
(2)
教師は子どもたちに対する言葉づかいに気をつける 
 教師が子どもたちに言った言葉に
 
「さっきは、こう言ったくせに」
 
「あの子にはこう言ったのに」
 などと、反抗のきっかけにします。
 教師は、ていねいな言葉づかいを心がけます。話す速さもゆっくりと
「○○さん、それはこういうことですね」
と、落ち着いた口調で、その都度違うことを言わないように気をつけながら話します。
(3)
ながながと説教しない
 その場で、態度を改めさせ「ごめんなさい」と言わせようとすると、話が長くなり、雰囲気も悪くなります。待たされている子どもたちもうんざりします。
 それが反抗的な態度を助長します。さらに、周囲の子どもたちまで同調してしまうと、指示が通らなくなってしまいます。
 深追いをせず、いけないことを「いけない」と伝えたら、すっと切り替えて授業を進めます。時には反抗的な言動をあえて取り上げないようにします。
 周囲の子どもたちを意識することが、実は、反抗的な態度を取る子どもへのアプローチになるのです。
(4)
一対一でゆっくり話せる場を設ける
 まずはその場で「どうしてそう思うの?」などと、子どもの話を聞く姿勢を見せます。時間をとり、一対一でゆっくり話せる場を設けます。
 その子が安心して自分の思いを話せるようにします。マイナスの感情を言っても、一度は「わかるなぁ」と共感的に受けとめます。内容によっては「悪かった」と謝ることも必要です。
 教師とその子との関係だけでなく、いろいろな面から原因を考えていきます。
 たとえば、教師の言動に不満を持っている、強く見せたいと思っている、どこまで許されるのか探っている、自分を認めてもらえなかった経験が多い、もっと注目して欲しいと思っている、ことなどが考えられます。
(5)
その子が認められる場を作る
 その子のよさが認められる場面を意識的に作ります。また、休み時間に、その子の興味あることを、他愛なくおしゃべりすることもその子にとって嬉しいことです。受けとめてもらえ安心感にもつながります。
(6)
周囲の子どもたちの受けとめる力を育てる
 「みんなもイライラすることってない?」と問い、本音を子ども同士で聞き合う場をつくると、行動の背景を想像しようとする子が育ち、共感的な温かい声かけを子ども同士でもできるようになります。
(
横田陽子:北海道公立小学校教師)

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授業中に問題を起こす子どもにかかわりすぎるな

 一番こわいのは問題を起こす子どもではなく、問題を起こす子どもに教師がかまいすぎることによって、その他大勢の子どもたちから、反感を持たれることです。これが学級崩壊の始まりにもなります。
 ですから、子どもたちが集団のとき、特定の子どもに関わり過ぎてはいけないのです。「問題を起こす子どもにかかわりすぎるな」が基本原則です。
 古いタイプの指導というのは「まじめな子どもたちが、教師が他の子を指導しているのを待ってくれる」という前提でやっていたのです。この子たちに、いわば甘えて指導していたのです。
 でも、今の子どもたちは、すぐ我慢できなくなっています。これが小学校低学年から中学年の学級崩壊の基本パターンです。
 ですから、教師は問題を起こす子どもに振り回されてはいけません。
 問題を起こす子どもにも一応指導はします。いったん指導を入れたら、集団場面では、できるだけかまい過ぎないことが大切です。
 なぜならば、問題を起こす子どもたちは刺激が欲しくて問題を起こしているからです。かまってあげるとエサをもらったようなものです。
 では、どうすればいいかというと、できるだけ、まじめな子ども、頑張っている子どもにかかわることです。
 一斉授業というのは、基本的に全員の子どもたちが静かに聞いてくれるということを前提にして成立しています。
 ですから、問題を起こす場面では、一斉授業はできるだけやめにします。個別学習や班学習の時間を多くします。
 教師は机間巡視を多くし、まじめに頑張っている子どもと心の結びつきを深めていきます。
「まじめに頑張っている子どもがかまってもらえる学級づくり」が何といっても一番大切です。
 でも、この当たり前のことが、学校であまりやられていない。教師は問題を起こした子どもに一生懸命にかかわります。それで、まじめな子どもが放っておかれることになります。
 そうすると、まじめに頑張る気がしなくなります。これが学級崩壊のきっかけとなるのです。
 問題を起こしたりする目立つ行動をした子どもに指導を入れるとしたら、個別場面で入れてください。
 個別場面での指導をていねいにやりましょう。こういった子どもは愛情不足だったりするのです。しっかり個別場面でかかわってあげましょう。愛情不足の心にエネルギーを補充してあげましょう。
 個別場面でやるべきことを、集団の場面でやってしまうと学級全体がおかしくなります。このことを押さえておいてください。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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教師が新たな自分に出会う喜びを得るには、どのようにすればよいか

 教育がむずかしくなったと言われます。「子どもが変わった」「親が変わった」「学級崩壊」と思い当たることは、いくつもあります。
 確かに状況の深刻さは予想以上であると、私も危機感を強めています。しかし、私はこんなときだからこそ教育はやりがいのある仕事だと思いたいのです。
 私は悪戦苦闘という言葉が好きです。子どもは教師にとって、思うようにならない存在です。生きて動いています。泣いたり笑ったり、喜んだり悩んだりしています。日々その連続です。
 そんな中で子どもを人間として自立させていく営みは、まさに悪戦苦闘の日々です。「どんなことが子どもにとってよいのか」と問い続ける教師の姿です。
 それは教師自身が自らの在り方を問い直し「自分を変えようとする営み」を抜きにして語れません。
 そうした実践の中で私たちは、あるときフッと、またあるときは徐々に「教師としての新たな自分にめざめていく」のではないでしょうか。
 それが「教師としてのやりがい」につながっていったときは、教師冥利に尽きます。
 私も校長として三校の小学校に勤務してきました。まさに悪戦苦闘であり、試行錯誤の連続でありました。具体的に取り組んできたことは
(1)
教職員と、学校経営や授業実践、学級経営などを雑談的に語り合っている。
(2)
教室訪問を気軽に行き合ったりして、教師同士が互いにひらかれた実践活動を心がけることのできる職場づくりをする。
(3)
職員室だより「あじさい」を発行し、職員の真摯な実践活動に私自身が学んだことを掲載し、互いに「学び合う教師」として精進する。 
ということです。
 
「明るく元気に実践し、学び合う教師」は、私の憧れです。私はこれまで、そんな教師たちとたくさん出会ってきました。
 厳しさの中で挑戦し、困難から逃げることなく、楽しむかのごとく実践する多くの教師との出会いでした。
 子どもを主人公にした学校づくりに汗を流し、実践してきた何人もの教師の姿を思い浮かべることができます。
 また、自らを変えようと、ひたむきに実践して、教師としての新たな自分に出会い、めざめていった教師もいます。
 学校は零細企業だと私は思います。事務職員を含めた教師一人ひとりが、その学校の子どもたちを育てる当事者なのだという意識こそ大切です。いまこそ、学び合う教師たちでなくてはならいと私は思います。
 教師は、まず同じ学校現場にいる仲間の教師に学びたいものです。仲間と学び合ってこそ、その学校を活性化させ、教師の資質を磨き、めざめさせていくのだと確信するからです。
 しかし、それはキリキリと胃が痛む思いで、実践することではありません。むしろ、明るく元気に「まっ、いいか」と肩の力を抜き、取り組む中で「新たな自分に出会った喜び」「熱中して燃える、やりがい」を得ることができるのだと思うのです。
 私が校長として教師を見ていると苦しく、つらい思いを持った教師が多かった。そんな中で「学び合う教師集団」としての本領が発揮されていたと思う。
 
「信頼される教師になるために」「教師として情熱を燃やすことのできる自分になるために」と、先生方の努力はひたむきであったなと思います。
 そして、徐々に、またはある日突然「新たな自分」に出会い、みずみずしい感性、しなやかな姿勢、ひらかれた大きな度量を感じ取っていく教師たちであったな、と思うのです。
 学校は一枚岩の実践を大切にします。しかし、それ以上に大切なことは、一人ひとりの教師の願い、持ち味が、学校の連帯の中で生かされているかどうかだと、私は思います。 
 学校は校長のリーダーシップによって変わると言われます。
 そのリーダーシップも校長がぐいぐい引っ張っていくような経営ではなく、教職員の知恵や願い、夢やロマンを引き出し、それを学校づくり(子どもを育てる営み)に生かし実現していくものでありたいと私は念じています。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)

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手のかかる子どもと出会うことで、あなたを真の意味で教師にしてくれる

 ある年、ADHD(注意欠陥/多動性障害)の障がいをもつ子を担任した。医師は「薬の服用なしでは、教育は極めて困難」と診断した。にも関わらず薬の服用はしていなかった。こだわりがあり、嫌なことや苦手なことは絶対やろうとしない子だった。
 体育の授業を無理やりやらせるとパニックになると聞いていた私は見学することを認めた。しかし、周りの子が納得しないから、用具を倉庫から出すなど、できる範囲で手伝いを頼んだ。手伝いができたときはしっかりとほめた。
 私は高跳びの授業の基礎としてゴム跳びをやっていた。ゴム跳びなら自分にもできそうだと、やりたいと言い始めた。できたことをほめると、少し自信が出てきたようであった。
 二学期の運動会の練習のため、私は体育の時間に一学期から倒立を少しずつ行った。次々と学級の子どもたちは倒立ができるようになっていく。それを見ていて自分も頑張りたいという気持ちがでてきたのだ。
 やがて倒立ができるようになった。その小さいとも思える成功体験があったからこそ、これまで欠席していた運動会に参加する意欲が生まれた。これまで嫌なことから逃げていた子が、運動会の練習を休むことなく頑張り、運動会に参加し組体操を成功させたのである。
 強引な指導が一切通用しないという、この子を担任したとき、私の教育観はかなり変化した。
 
「教育とは、成功体験をもとにして、子どもの内なるやる気を引き出し、そして弱い自分に打ち克つように激励してやることが大切だ」ということを腹の底から学んだのである。
 問題を抱かえていた子を担任したときに、初めて教師は今までの指導法をふり返り、反省し、そして成長していくのだということを学んだのもこのときである。
 小学校高学年で低学年の計算ができない。そんな子を担任したこともある。今日できるようになったと思ったら、次の日には計算の仕方を忘れている。漢字も同じ。様々なやり方を試行錯誤しても進歩が見られない。
 そんなとき、カタカナ一つ、文字の発音一つ習得させるのに、数か月も一年かけてやる実践があるのを知った。糸賀一雄さんの障がい児の教育記録である。
 教えても教えても、また忘れてしまう子どもを前にして
 
「いかなる深渕も、一個また一個と、絶ゆる間もなく小石を投じていれば、やがては淵も平地と化すであろう」
 という言葉が印象に残った。
 ここまでの覚悟をもって教育する気概があるのかと、自分に問わざるを得なかった。
 問題を抱かえた子を目の前にして、指導を続けていく中で、今までの教育観がゆさぶられ、教師としてのあり方を根本から問い直さざるを得ないことがある。
 わずか一ミリの成長に全力を費やせるかどうか。
 手のかかる子があなたを、真の意味で教師にしてくれるのである。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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生徒指導が得意になるためには、どのような秘訣があるでしょうか

 生徒の指導に迷いはつきものです。叱るのかほめるのか、突き放すべきか寄り添うべきか、厳しく接するのか優しく接するか、断固として貫くべきか自主性を尊重すべきか、などと迷います。
 考え方が明確でないから迷うのです。
 生徒の指導というものにはマニュアルが存在しません。10人の生徒には10人の物語があり、10種類の指導が必要です。
 10種類の処方箋を身につけるのではなく、処方箋のつくり方を知るほうが早道なのです。だからこそ考え方が大切なのです。
 生徒指導にマニュアルが存在しないので、先輩の実践から学ぶことです。ただ真似をしても、生徒が違えばうまくいきません。
 マニュアルはなくても「考え方」はあります。この考え方を身につけると大きな失敗を減らすことができます。これから起きるだろうという問題も予測し、早めに的確な対応ができます。
 教師の経験だけでは指導できません。
 先輩の実践から「ここだ!」という秘訣やコツを会得するのです。ここが自分とは違う優れたところを見つけるのです。それをメモすれば、指導力は磨かれます。 
 教育書を読まずに経験だけに頼っていては、考え方はいつまでも増えません。
 教育書で学んだ考え方は、自分流に修正します。新たな考え方で実践し、また修正します。別の考え方があれば、つき合わせてさらに修正して実践します。教育という仕事はこのくり返しです。
 生徒を指導するには、原因となるものを見つけて方針を立てます。それには、困った場面や困った生徒をよく観察することです。
 教師が生徒の話を聞き、それを読み解くことに意味があるのです。読み解くには時間と根気が必要です。
 表面的な原因ではなく、根っこを見つけるのです。根っこだと思う根っこを指導すればよいのです。
 生徒の指導に行き詰ったときの打開策をあげると、
 先輩教師に相談する、実践家の本を読む、保護者に相談する、生徒の友だちに知恵を借りる、学級でアイディアを募集する、学級通信を使って世論を喚起する、などが考えられます。
 あの先生が言うと指導が入るのに、自分が言っても生徒は従わないことがあります。ここには簡単な原理が働いています。
 好きな人から何か言われても「そうかも」と思ってしまうのに、嫌いな人から同じことを言われてもムッときて反論したくなります。
 ましてや尊敬している人から言われると、反省してしっかりやろう、という気になってしまうものです。
 仮に、いろいろな技術に熟達していても、生徒に好かれ尊敬されていないと、生徒は納得してくれません。
 特に、生徒指導の場面では、どうしても「好かれて尊敬されている」ということが大切になるのです。
(吉田 順:1950年生まれ 37年間横浜市立小・中学校に勤務した。担任32年、生徒指導部長16年、学年主任13年などを兼任した。生徒指導ネットワークを主宰。生徒指導コンサルタントとして全国の学校と関わる)

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さまざまな失敗や保護者とのトラブルから学んだことは何か、どうして教師を続けてこられたか

 私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。教師になって失敗と自信喪失の連続であったと、六年間をふり返って表現できるかもしれない。
 教師生活二年目に小学校三年を担任した。A子が教室の後ろの席でおしゃべりしていたので「おしゃべりしたいなら、家に帰ってすればいい。教室にはいらない」と注意したら、かばんを持って教室を飛び出した。
 あわてて呼びもどしたとき、私に対する不満が爆発し「先生なんかきらい!」と言われた。A子は泣きながらも胸の内を話してくれた。
 家では母親に姉と比べられ自分はダメだと思うようになっていた。学校でも家でも怒られてばかりだと。
 この件で保護者と話し合う必要性を感じ、職員室でA子の母親と話し合った。
 私は今回の出来事の詳細を説明し、今後の支援のあり方を相談するつもりであった。しかし、私への不満が矢継ぎ早に飛び出してきた。
 母親は「家では先生の悪口しか言いません」「先生のことは最初からあきらめていました」と言われた。
 胸につきささる言葉で、ぼう然自失で母親の目を見ることもできなかった。教師として言ってはいけない言葉を発したことを、わびることで精一杯であった。
 4月からA子や母親から発せられていた私への不満の信号を、その場その場できちんと受け止め、解決しようとしていたら、こんな事態にはならなかったかもしれない。思い返せば、心当たりはいくつもあった。
 自分の発する一つ一つの言葉の重み、それが子どもや親にどれほど大きな影響を与えるか、ということを痛感させられる貴重な機会であったと今は思う。
 教師になって四年目、自分に欠ける「一人ひとりの子どもをじっくりみる」ということを支援学校で勉強してみたいと考えるようになった。
 支援学校に赴任して、C男というADHD(注意欠陥多動性障害)の子の担任になった。登下校で乗るスクールバスの中で暴れ、けがを負わせるという事件が起きた。
 その後も学校や家で自傷、他害行為を繰り返し「もう、どうしたらいいのかわかりません」と母親が言ったが、まさに私も同じ気持ちであった。
 なぜC男が暴れるのか、ストレス源となっているのは何なのか、どうすれば落ち着いて過ごせるのか、母親と何度も話す機会をもった。
 母親からは、家で暴れる原因は学校でのストレスではないかとか、私のC男へのかかわり方のまずさを責められたこともあった。
 落ち込んでいる暇はない。とにかく考えられるありとあらゆる手だてを一緒に考えていった。「約束カードを作って、守れたらシールをはろう」「C男の好きな歌を一緒に歌ってみよう」など、そのたびに一喜一憂した。
 ここまで一人の子どものことを考えたのは初めての経験であった。格闘を繰り返す中で、C男のよだれを汚いと思わない自分がいた。
 親になったことのない自分が、親と同じ気持ちで子どもに「こうなってほしい」と願った。C男の行為がおさまってきたとき、母親と一緒にC男の成長を喜ぶことができた。
 C男との出会いによって、私は教師としてはじめて本気で一人の子どものことを考えることができたのだと思う。
 言い換えれば、一人ひとりの子どもに「こうなってほしい」という、強い願いをもっていなかったということである。
 こんなふうに、私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。そのときは、私は教師に向いていないと自信を失い、もうやめてしまいたいと思った。
 何度も泣いたし、辞表の書き方を考えたこともある。そんな私がなぜ、今も教師をやめずに続けてこられたのか。
 それは「教師をやっていてよかった」と、思える瞬間があるからだ。
 まず、子どもの笑顔を見たとき。落ち込んだ状態で教室に行ったときも、子どもの笑顔を見ると「がんばらなきゃ!」と気合いを入れ直すことができる。
 「できた!」というときの子どもの顔も私の心の支えである。
 私は学級通信に保護者の意見や感想を無記名でアンケートをつけています。手厳しい意見もありますが「うちの子が明るくなりました。先生が担任でよかった」といった、励まし、認めてもらえる声を見つけたときは元気がでます。
 このような言葉は、今でも落ち込んだとき、やめたくなったときに、思い出しては自分を励ましています。
 こうして振り返ると、私は失敗をしてこなければ、何も学べなかっただろうということである。まさに「失敗の中から学ぶ」教師生活であった。
 教師という職業はつらいことや嫌なことが百あれば、うれしいことは一つかもしれない。 
 でも「教師をやっていてよかった」と思えることが一つでもあるのは確かである。その一つを求め、私はこれからも教師を続けていくつもりです。
(
山崎準二編著。B女性教師、小学校、支援学校、教職歴6年)

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叱ると怒るの違いがよくわかっていない子どもや教師が多い、どうすれば理解できるようになるか

 叱ると怒るの違いをよく分かっていない子どもや教師が多い。
 怒るとは「自分中心の感情で相手に接すること」
 叱るとは「相手の存在を認め、成長を願って強く意見をすること」
 です。
 教師が子どもに怒ってしまうから、教師と子どもの関係がマイナスになってしまう。
 叱った内容がどれだけ浸透するかは、どれだけほめたかによるものなのです。
 よく、子どもが教室で「先生に怒られた!」と口にします。
 私は、その度に
 
「あなたたちは、先生が叱っているのに『怒られた』という言い方をする。違いますよ」
 
「怒ったんじゃなくて、叱ったんだ」
 と、正します。
 もし「怒ると叱る」の区別を子どもたちがわかっていないときは
 
「ごめんね、先生が正しい叱られ方を教えていなかったからだ」
 と、言います。
 子どもたちは「怒ると叱る」の違いは理解すべきことなのです。
 崩壊した学級の子どもたちは、教師に強く注意されると舌打ちして、反抗したりします。教師の陰口を言ったりします。
 だから私は、クラス全員の前で「正しい叱られ方」は何かを聞きます。
 正しい叱られ方は五段階あります。
(1)
受容
(2)
反省
(3)
謝罪:悪かったと思って、おわびする
(4)
改善:良くするために改善する
(5)
感謝:ありがとうございましたと思う気持ち
です。
 子どもたちに「五段階ある正しい叱られ方は何だと思う?」と尋ねます。
 
「一つ目は受容、二つ目は反省。三つ目は何だと思う」と聞きます。
 子どもたちはいろいろ言うけど、分からないときは「それは、謝罪だ」と。「これが言えることは、とてもすばらしいことだ」と教える。
 
「四つ目は何だろう」と尋ねます。
 子どもたちは分からない。「それは、改善だ」と。「悪かったと思って、お詫びするんだったら、良くするために改善しないとね」と。
 
「最後の五つ目は何だと思う?」
 ここだけは時間をかけます。で「感謝だ」と、言います。「ありがとうございましたと思う気持ち」
 これが正しい叱られ方だと。
さらに、こう付け加えます。
「ほめることと、叱ることは同じことをめざしているんだ。だから叱られても、ありがとうと言えれば、あなたたちはぐんぐん伸びていける」
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

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若手教師は授業を時間通り始められないことに悩んでいます、どのようなアドバイスをすればよいのでしょうか

 多くの若手教師は、授業を時間通り始められないことに悩みを抱かえています。しかし、現実的には、それができない状況にあります。
 まず、若手教師が、始まりの時刻を守って始める努力をしているか見きわめます。教師の心構えが子どもたちに映るからです。
 授業の始まりの時間になっても。座席についていない子どもが多いと、授業を始め、授業に集中させるのに時間がかかります。時間通り授業を始め、授業に集中させることはとても大切なことです。
 私は、どのような指導をすれば、授業が時間通りに始まり、子どもたちが集中するのだろうか、と考えて、工夫しながら取り組んでいます。
 ここで注目したいことは、若手教師の意識が「授業の始まりのみに焦点が集まっていないか」ということです。
 子どもたちが、学習に対して受け身になっていると、仲間としゃべっていたり、他の事をしたりしています。
 このような子どもたちの姿があると、授業の始業がそろっても、授業をすぐに始めることはできません。
 授業をすぐに始められない原因が、子どもたちの授業に向かう姿勢だと認識する必要があります。
 物事を始める前には、私たちは必ず「3つの準備」をしています。授業ならば
(1)
物の準備
 教科書、筆記用具、その他学習用具をそろえる。
(2)
身体の準備
 座席につき、姿勢を整える。
(3)
心の準備
 学習のめあてや願いをもつ。
 事前に授業の学習内容を明確にし、子どもたちに見通しをもたせておけば、必要な準備をし、座席に着いて、意欲をもって学習に取り組むことができます。
 重要なこととは、必ず「3つの準備」をしているということです。
 若手教師の場合、みんなそろって授業を始めることにばかりに焦点があたり、子どもたちが座席につき、姿勢を整えることしか意識していないことがあります。
 そのため、「身体の準備」がそろえば、
「必要な物はそろっているか確認しよう」
「勉強を始める気持ちになっていますか」
と、子どもたちに働きかけ「3つの準備」がそろってから、授業を始めます。
 このことを確認するために、若手教師に「授業を始める前に必要な準備は何か」と、尋ねるようにします。
 
「3つの準備」を答えられなければ、運動会や遠足などへの取り組み準備など具体的な例を示すとイメージしやすくなります。
 その後、若手教師が「3つの準備」を意識して、子どもたちへ指導を行うことになります。
 どのように指導したらよいか、わからない場合は、
「座席について姿勢を正していたことは、身体の準備ができているということ」
「机の上に○○があれば、物の準備ができたということ」
「ノートに日にちを書くことは、心の準備ができているということ」
というように、子どもの行動と「3つの準備」を結び付けるように支援します。
 「身体」「物」「心」の「3つの準備」を意識させ、子どもの行動と「3つの準備」をつないだ支援をしましょう。
(
須田敏男:1954年岐阜県生まれ、元岐阜県公立小学校教頭・全国教頭会副会長)

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力のあるたくさんのプロ教師と接してきたが、プロ教師の共通点と、素人教師との違いとはなんでしょうか

 私は全国の研究会をまわり、力のあるたくさんのプロ教師と接してきた。プロ教師にはつぎのような共通点があることに気づいた。
1 仕事が早い
 メールを送ったら、すぐ返信されてくる。手書きの手紙を送ったら、即返事が返ってくる。誰に対しても返事が早いというところがすごいのである。
2 常に向上し続けるための手だてをとっている
 学ぶのを止めたら、力は下がっていくと考えている。
 必ず何かを自分に課している。若いうちから、実力を磨こうと人一倍努力している。 
 本を読む。セミナーに参加する。文科省の答申を隅々まで読む。教育論文をチェックする。
 自分の授業を録音や録画して、自分をチェックしたり、自主的に研究授業を定期的に行い100回達成することをめざしている教師もいる。
 ある教師は研究授業を一度見ただけで、検討会で授業者の言葉を全て再現してみせた。プロ教師は素人にはできないことができるものだと、ほれぼれしたのを覚えている。
3 人間的に甘えがない
 信念をもとに行動しているから、自然と芯の強さが表れる。
 何ごとも自分が主体となって、独立心を持って自分で何とかしようとし、できない言いわけをしない。
 プロ教師の考え方で、私が印象に残った言葉は
「実力は、上がるか下がるで、現状維持はない。つまり、プロとして生きるか、アマとして生きるか、二つに一つしかない」
 学び続ける教師の実力は向上し続ける。やがて、子ども、保護者、同僚から信頼を集めるようになる。
 すると、次々と重要な仕事を任されるようになる。こうして、ますます実力が上がって行くサイクルができあがる。
 反対に、学ばない教師の実力は、現状維持にはならず、下がり続けるのである。プロとの差が開きすぎると、困ったことに自分とプロの差が見えなくなり「自分はまんざらでもない」と思えるようになる。
 教師の世界は、実力の世界である。どんなに経験を積もうが、どんなに年をとろうが、最終的に「子どもを伸ばしたかどうか」で判断されてしまう。
 だからこそ、教師の実力を高めることが大切だと、プロ教師は考えている。そして、高い理想を追い求めている。子どもたち全員を伸ばしたいと本気で考えている。
 子どもは誰でも可能性をもっており、それを伸ばせないのは教師の力量不足の問題だととらえている。
 高い理想を追い求めているからこそ、プロ教師の行動は、他の教師と変わってくるのだろう。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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子どもと関わるときに、してはいけないこと、すべきこととはなんでしょうか

 昔から言われている子育ての知恵をごぞんじですか。
 乳児は肌を離すな。幼児は肌を離して手を離すな。少年になったら、手を離して目を離すな。青年期に入ったら、目を離して心を離さないようにと。
 思春期の子どもと向き合うときに、してはいけないことがあります。
1
 子どもと対等になって衝突しない
 子どもが罵詈雑言をぶつけてきたときカチンとくるのは、子どもと同じ精神年齢になっているからです。子どもと同じレベルになると、衝突が起きるので、同じレベルにならないことが大事です。
2 子どもを傷つける言葉を使わない
 今の多くの子どもたちは荒い言葉を使います。子育てで「荒い言葉しか、かけられてこなかったのだろう」と私は思います。大事にされなかった子どもは、相手を大事にすることができません。
 子どもに優しい言葉をかけるようにしてください。
3 ガミガミ言わない
 過去にさかのぼって怒らない。話が長引くと、いやになってしまいます。目の前のことだけを短く(3分以内)さとすこと。
4 子どもを追いつめたり、つきはなしたりしない
 やりすぎは禁物です。「勝手にしなさい」といった言葉は子どもの心を深く傷つける。
 子どもが思春期になれば、安心して生活できる環境を整えましょう。「待ってやること」が大事です。
 だから、距離をとって「いつも見守っているよ」というメッセージは伝えてください。
 大人が子どもに話を聞いてもらいたいのであれば、大人が子どもの思いを聴いてやることです。そのうえで話すと、最低ひとつは、子どもの心に入っていきます。
 子どもの問題行動に大人の問題が隠れていることはよくあります。
 大人がそれに気づくと、子どもへの対応が違ってきます。大人が自分をふり返り、ありようを考えることで、再生のきっかけになることはたくさんあると思います。
 子どもを変えようと考えないで、大人がちょっとした工夫や努力をしてみてください。子どもの態度にも変化が生まれてきます。
 気持ちが揺れる思春期だからこそ「ほめる、認める」が必要なのです。そのためには
 まず、子どもにまなざしを注ぎ続ける。つぎに子どもの言葉にじっと耳を傾ける。
 そうすれば、必ずといってよいほど、ほめるべき言葉が出てきます。子どもをほめていくうちに、大人の喜びも増えるはずです。
 「どうせ自分なんて」と口ぐせの自己肯定感の低い子どもには、できてあたりまえのことでもほめるようにします。
 そういう子どもたちは、反抗的な態度をとって強がっていても、精神的には弱りきっています。
 成長するには水やりが欠かせません。ほめることは愛情という水やりです。
 Iメッセージで「がんばりを見ていて、私も励まされたわ」と、子どもの行動をどう感じたか伝えるとよい。
 できるだけ肯定語で「さとす」ことも大事です。「○○するな」ではなく「○○しようね」とか「○○をしてみるといいよ」という言い方を心がけましょう。
 何よりも大事なのは、叱った後には、その何倍も「その子の良いところ」をほめてあげることです。大人が「心から心配しているんだ」というメッセージが伝わってこそ、子どもは素直に謝ることができます。
 子どもと向き合うとき私が心がけていることは、声を荒げないこと。目を見て話すこと。
 声を荒げると、子どもも声を荒げます。強い言葉を出しても、子どもの心に入っていくわけではありません。
 目を見て穏やかに話すことは、子どもと向き合う出発点です。「私はこれをあなたに伝えたいのよ」という思いを込めてていねいに話してください。
 そして、必ずほめて終わること。「最後までよく聞けたね」「がんばったね。ご苦労さん」と声をかけて終わります。
 子どもの自尊感情を高め、お互いの絆を確かめる言葉かけは、とても大事です。
(
土井高徳:1954年福岡県生まれ、里親。心に傷を抱かえた子どもを養育する「土井ホーム」代表)

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保護者が学校に来てすごい剣幕で不満をぶちまけるとき、どう対応すればよいのでしょうか

 ともかく聴くことです。すぐに弁解しようとせず、説得しようとせず、逃げずにひたすら聴くことです。
 保護者が自分の思いをぶちまけないうちは、教師が保護者に何を言っても反発されるでしょうから。
 教師が保護者の話をひたすら聴けば、そうやって教師が正面から聴いてくれたことに感謝されることもあると思います。
 保護者に誤解がある場合もあるでしょうが、誤解をとくのは保護者の話の最後の方でもできます。
 また、やり場のない怒りや不安を保護者がぶつけに来ておられるのだと思えば、聴く方にも余裕が生まれます。
 ただし、学校に反省すべきところがある場合は、むろん素直に認めてください。
 聴く教師は大変でしょうけれど、保護者と学校とのあいだに信頼関係をつくるチャンスでもあるのです。
(竹内健児:1962年生まれ、徳島大学准教授、立命館大学心理・教育相談センターカウンセラー、法政大学学生相談室主任心理カウンセラーを経て、奈良大学臨床心理クリニック専属実習指導教員。臨床心理士)

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子どもが思うように変わらないとき、子どもを変えるには、どのようにすればよいのでしょうか

 子どもが思うように変わらない。学力を伸ばすことができない。問題行動が減らない。
 こういう時に、教師の人間性というものがあらわになります。
 ある教師は、それをどこまでも子どものせいにします。職員室で子どもの悪口を言い、自分がどれほど一生懸命にしているのかを声高に言ったりもします。
 しかし、残念ですが、そうした教師が子どもを変容させるということは少ないようです。
 逆に、それとはまったく正反対の教師がいます。そういう教師は、まず周りの教師に質問しに行きます。
「物語の指導がどうしてもうまくいかないんです」
「子どもの忘れ物が減らない時はどうすればいいんですか」
「絵の具の塗り方は、何をどう指導すればいいのですか」
というように、同僚の教師にたずねてまわっているのです。
 そして、教えてもらったことは、とにかくすべて実際におこなって確かめていきます。
 つまりは、まず自分の方法を疑い、改善しようとしているわけです。
 自分の現在持っているやり方だけにこだわって、うまくいかなければ、子どものせいにしている教師は、盲腸の手術の技術しか持たない医師が、胃潰瘍の患者に対して「あんたはどうして盲腸じゃないんだ。盲腸なら治せたのに」と言っているように滑稽です。
 子どもを変えるために、自分を変える覚悟を持ちたいものです。
 うまくいかない時は、まず、自分の教育方法を疑って、やり方を変えてみるのもよいのではないかと思います。
(山田洋一:1969年北海道札幌生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。「北の教育文化フェスティバル」代表、「お笑い教師同盟」副代表、「実感道徳研究会」副代表)

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荒れる学級から学び、新任教師を成長させたものは何でしょうか

 四月、中村先生が新任教師として私の学校に赴任してきました。緊張感の中にも笑顔の素敵な女性で、すがすがしい雰囲気を漂わせていました。
 小学校三年の担任になり「教師になることが夢だったんです。子どもの可能性を生かしてやりたい」と嬉しそうに語ってくれました。
 しかし、そんな抱負もつかの間、顔が引きつってくるのに時間はかかりませんでした。教師としての技量はまだまだ未熟でした。子どもたちはまったく言うことを聞かなくなってしまったのです。
 授業が始まっても席に着こうとしない、人の話を聞かない、あっちこっちでケンカ騒ぎが起こってしまう。教室は混乱し、中村先生はパニック状態になってしまいました。
 中村先生は連日のように起きるトラブルで、毎晩寝る前、ふとんの中で涙を流していました。
 荒れる学級をなんとかしようと、次第に管理する姿勢に変わっていったようです。言葉づかいも荒くなり、行き詰った状態になってしまったのです。とうとう体調不良でダウンしたまま夏休みを迎えたのです。
 夏休み明けの彼女は、それまでのロングヘアーをばっさりカットしてきました。同時に大変身しました。知ったかぶりしていたのをやめ、わからないことは子どもたちに教えてもらおうと努力よるようになった。
 肩の力が抜けてきて、とってもリラックスして子どもたちに向かうことができるようになりました。
 四月から「いいクラスにしたい。他のクラスに負けないでやりたい」と、頑張る中村先生に子どもたちは反発するようになりました。
 中村先生は「子どもたちにバカにされているようで、自分の弱さをさらすと、子どもになめられてしまう」と思った。
 それが、子どもたちと悪戦苦闘する中で、子どもたちのやる気を引き出すコツを見つけたと言えるでしょう。
 四月当初、中村先生は固く硬直した教師でした。子どもたちにとって魅力的な教師になれないと私は思っていたのですが、柔軟な思考やユーモアがでるようになってきました。
「私、教師になってよかったと思う」と中村先生は回想しながら言います。
「一学期のころの私は、バカにされてはいけないと見栄を張って子どもに向かっていました。そんな私を子どもたちはちゃんと見抜いていたのです」
「いつも、これ以上、学級が目茶苦茶になったらどうしよう、子どもに嫌われたらどうしよう、バカにされたらどうしようと思う日々でした」
「怒ってばかりで、それでいて叱るべきときには、叱れずにいたような気がします」
「子どもたちと心から笑ったり楽しんだりすることができなかったように思います」
「学年主任の先生に『子どもと一緒に悩んでやったり、遊んでやったり、いっしょに掃除をしたりできる先生に』と、諭されたことが、いまようやくわかってきました」
「三学期は、子どもと一緒に長なわとびをして毎放課後、遊んでいました。それは『遊んでやっている』という気持ちではなく、みんなと一緒に遊んで楽しんでいるという気持ちに変わってきたような気がします」
「子どもと自然に関わり、いろいろ話をすることができました」
「自分が心から笑わなけりゃあ、子どもも心から笑みは見せないのです。わからないことを『わからない』と子どもに言うことは、ちっとも恥ずかしいことではないのですね」
 教師の仕事は情熱に技術が伴って本物です。どこか肩の力の抜けた彼女の振る舞いに、私たちもほっと安堵の胸をなぜ下ろしたのでした。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)


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学級崩壊を最後に食い止めるものはなにか、どこで食い止め、どう対応すればよいのでしょうか

 小学校六年のある学級で子どもたちが反抗し、授業や、学級で行う活動がいっさい成立しなくなりました。
 管理職が協力し、卒業式までにはなんとか普通のクラスにもどし、整然と卒業式に参加できるようにという目標を立て、教頭と学年の教師、生徒指導主任から二人が常時はりつきました。
 授業をする担任のそばでにらみをきかせ、子どもたちの行動や態度を厳しく指導し続けました。二か月の集中的な対応で、学級はひとまず整然となり、なんとか格好がつくようになりました。
 しかし、子どもたちが担任にぶつける不満が強まりました。張り付きの教師がいなくなる給食の時間など、反抗がエスカレートしました。
 結局、子どもたちが学校にいる間は、二人の教師が必ず担任に張り付くという形で卒業式を迎えました。
 私の友人の教師も学級が荒れ、担任して始めての経験だと言って苦しんでいました。私が見聞したところ、学級の崩壊の程度は「なれあい型の中期」くらいでした。
 学級のルールが崩れ、教師の指示がいきわたらず、教師に反抗したりして教師に対する信頼が低下していました。
 友人の教師が子どもたちとの絆の種を必死にまき、育てていたので、完全な学級崩壊にはならないと私は確信しました。
 担任と子どもたちの関係がうまくいかないと、とかく担任は子どもたちと距離をとりたくなるものです。
 しかし、友人の教師は、こんがらがった子どもたちとの関係の中で、自らかかわり一つ一つ対応していました。
 私が学級を見学していた時、廊下に出ていた男の子に「担任の先生はどうですか?」と聞くと
「細かいところまでいちいち注意したり、考えさせられたりと面倒くさいけど、俺たちのことを心配してくれているんだよな」
とポツリと言いました。
 管理職も同僚教師も、教師のそういう姿勢に打たれ、できるかぎり援助したいと言っていました。
 教師と子どもたちとの心のつながりを、つらいからといって教師が切らないこと、それが完全な学級崩壊を食い止める最後の砦だと私は思います。
 学級崩壊の当事者の教師はとてもつらい。周りの教職員は話を聞いてあげたり、がんばりを認めてあげることで、教師と子どもたちとの間の心の絆を育てる意欲を失わないように支えたいものです。
 学級崩壊にいたったら、教師は子どもたちが起こす事件と被害を食い止めるだけで精一杯です。
 崩壊した学級の子どもが言いました。
「勉強が遅れていることはわかっているよ。でもあのクラスにみんなでいると、自然とああいうふうになっちゃうんだ」と。
 学級集団のマイナス回転を止め、プラス方向に回転させるためには、よほど効果的な対応を持続させなければなりません。
 だからこそ、学級が「少し変だな」と感じたら、すぐに具体的な対応を施し、子どもたちとの絆を保ち、子どもたちの学習権と人権を保障すことが必要なのです。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者からのクレーム対応「さしすせそ」とは何か、クレーム対応のポイントとは

 保護者からのクレーム対応の「さしすせそ」とは
「さ」最初が肝心:ボタンのかけ違いからトラブルに発展することがある。
「し」しっかり傾聴:十分に時間をとって、要求を聴き、背後の真意を読む。
「す」すばやく対応:ズルズルと対応と回答を遅らせない。
「せ」正確な記録:「言った」「言わない」の事実誤認から問題がこじれる。
「そ」組織で対応:一人で抱え込み、悩み、職場で孤立しないようにする。
 保護者からの理不尽なクレームは今後も増え続け、病気休職する教師も増加すると9割の教師が考えている。
 保護者の理不尽な言動は、学校全体として受けとめて、管理体制を組む必要がある。管理職や生徒指導の教師が一緒になって理不尽な要求を言う保護者に、どのように対応していくのか適切か考えなければいけない。
 保護者と面談するときは、管理職を含む複数の教職員で対応する。場所は会議室などにし、教室で担任が一人で面談しないこと。
 教室は密室空間になり、精神的安易さから後で「言った」「言わない」のトラブルのもとになり、問題解決がこじれる原因になる。
 保護者と気持ちよく面談するためのコツは
(1)
部屋の入口まで迎えに出る
 保護者は子どもをサポートする教師のパートナーになってほしい相手である。だから、来校されたことをねぎらい、歓迎の気持ちを示したい。
(2)
保護者と教師は机の角をはさんで90度の位置に座る
 90度は親しみを感じさせる位置である。多くの人にとって、利き手側に教師がいると、落ち着きやすい。
(3)
話の最初は、子どもの最近の肯定的なエピソードから
 子どものがんばっている姿や成長の様子などを具体的に話すと、子どもをちゃんと見てサポートしている学校の姿勢を伝えることになる。
 保護者対応のポイントは
(1)
初期対応
 保護者の話は感情を抑えて素直に聞く。相づちはやや低めの声で、語尾を下げて「はい」などと発音する。
 あわてずに、クレームの真意を読み、冷静に説明する。弁解がましく説明しない。
 学校側に非があれば、素直に謝罪する。誤解があれば、説明不足でみなさまにご迷惑をおかけして申し訳ございませんと。
(2)
事実の確認
 こみいった内容は、連絡ノートでやりとりせず、直接面談し、笑顔で話し合う。
 事前に打ち合わせ、聞き役、調整役などを分担し、周到な準備をする。
 教師然とした態度や上から目線的な話し方、ため口は避けること。言葉尻で保護者は怒り出す。
 面談内容は正確に記録(5W1H)する。可能なら録音もとる。
 最後に「このたびは貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございました」
(3)
組織的に早期対応する
 学年の同僚教師、管理職へ速やかな報告をし相談する。
 管理職、学年の同僚教師、生徒指導、養護教諭、カウンセラー等の複数の教職員で早期対応する。
 関係教職員による「ケース会議」を立ちあげる。
(4)
教育委員会・専門機関と相談・連携する
 保護者が教育委員会へ通告しそうな場合、あらかじめ事前連絡し、助言・支援をもらう。
 保護者が裁判所に訴えることがあるので、教育委員会の顧問弁護士、警察へ相談する。
(
古川 治:1948年生まれ、大阪府公立小学校教師・指導主事・校長、東大阪大学教授を経て、甲南大学特任教授)

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教師は子どもや保護者との対人関係能力が重要となっている、どのようにすればよいか

 教師の仕事は子どもとの関係はもちろん、保護者との関係を抜きにして考えることはできない。
 最近は、子どもや保護者との信頼関係の構築が課題となっている。そうした点からすれば、人間関係の視点を正面にすえて教師の仕事をとらえ直す必要がある。
 全国の学校で目立ってきているのが保護者による教師へのクレームである。なかには無理難題を要求するようなケースがある。
 保護者のクレームには担任だけでなく校長が対応することが多い。ある小学校の校長が語った、ごく日常的なクレームの事例を次に示します。
 若い親はわが子のことに必死ですから、たとえば担任に次のような注文をつけることがしばしばあるのです。
「先日、運動会の短距離走を保護者席から見ていると、うちの子が一等のはずなのに、どういうわけか二等にさせられた。うちの子を一等にすべきだ!」
と言う激しい物言いにつられて担任がつい
「そんなことを今さら言われてもゴール到達結果はすでに判定されたわけですから、変更はできません」
などと返答してしまうと、水かけ論になってしまいます。
 確かに混戦だったので、眺める場所によって結果が違って見えたのかもしれません。しかし、問題は判定結果がどうかということよりも、その対応次第では保護者との関係がこじれてしまう点にあります。
 このクレームへの対処法について、校長は次のように語っています。
 このクレームに対しては、担任はとっさに次のような判断を下せるかどうかがポイントだと思います。
 注文の内容とその口調から、その親のわが子かわいさの気持ちの表れだと受け止め、親としての気持ちにそうことが第一だと判断する。
 そこで、その気持ちにまず耳を傾けるという態度を取る。同時に、短距離走の判定は係りが厳正に見て下していると明確に伝え、結果をいじれば当の本人も周囲もどう感じるだろうか、問いかける。
 そして、一等に近かったその子のがんばりを評価し、次の機会にまた挑戦しましょう、と励ます。
 こうした話し合いの手順を丁寧に踏んでいけば深刻なもめごとにはならず、おそらく保護者も最終的には納得してくれるはずです。
 この語りから、基本的な対処法を導き出すことができよう。
 まず、クレームに対しては、少しでも距離を置きながら冷静に接すること。クレームの背後に潜む本音は何であるかを探ること。
 保護者の欲求に共感しつつ、同時に学校の基本方針や判断も明確に伝えること、などである。
 こうした対処は、とりもなおさず保護者との信頼関係を、教師自身が最初から創り出していく手立てにほかならない。
 子どもや保護者に寄り添いながら、さまざなニーズに応え、抱かえる問題を解明し、問題解決に向けた手だてを講じて、子どもや保護者の生活を充実させ、喜ばれ満足するような関係を築きあげなければならない。
 そこで、この対人関係という視点に絞って求められる教師の資質・能力は
(1)
誠実な人柄で、個々の状況に応じて適切に対処できること
 その上で、個々の状況に応じて適切に対応できる対人関係能力を欠くことははできない。
 日常的なことばのやりとりなどを見直しながら信頼関係を図り、相手の潜在能力を引き出す、コーチング手法も参考となる。
(2)
対人関係能力は教職についてから、学校現場の経験によって磨くことができる
 人間性の資質に弱点があったとしても、経験を通じて習得される対人関係能力はある程度カバーできるだろう。
(3)
対人関係能力に決定的に問題があって、学校現場の経験をいくら積んでも対人関係能力を磨くことがきわめて難しい場合には、教職には不向きである。他の職種を選択したほうが当人にとっても幸せであると判断される。
 教師は常に研究し探求していく態度が求められていると思います。
 探究心がないと、授業の教材研究であれ、生徒指導、学級経営、保護者との人間関係であれ、教師の職務すべての領域で発揮される実践の原動力が弱くなり、実践すべてが振るわなくなるだろう。
(
今津孝次郎:1946年生まれ、名古屋大学教授・附属中高校長を経て名古屋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校臨床社会学、発達社会学)

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いじめが疑われているとき、いじめが発覚したとき、どうすればよいのでしょうか

 いじめが疑われている場合、調査がいじめ把握に有効な手法の一つであることは間違いありません。
 よく話題になるのが記名か無記名か、どちらにするかです。
 私は新聞社の方に質問されたときは「記名か無記名かの問題ではありません。教室で答えさせるとしたら、その集団がありのままに答えられるか否かの雰囲気によります」と。
 いじめアンケートの項目例(小学校)をあげると
(1)
学校に行きたくないとおもうことがありますか( )
(2)
学校で、じぶんのものがなくなったことがありますか( ) 
(3)
友だちから、いやなことを言われたことがありますか( ) 
(4)
友だちに、じぶんのものをかくされたことがありますか( ) 
(5)
今、心配していることがありますか( ) 
(6)
学校に、いじめる人がいますか( ) 
(7)
先生にはなしたいことがあったら、なんでもいいから書いてください
 いじめの実態把握は
(1)
いじめの対象(1名だけか、別の被害者はいないか)
(2)
いじめの構造(加害者の中心、加害行為を行う者、集団の力の構造)
(3)
いじめの態様(いじめの方法、人数、頻度、程度等)
(4)
被害者及び加害者の保護者の認知(いじめの実態把握、感情等)
 聴き取り調査での配慮事項は
(1)
口裏あわせを防ぐため、複数の教師が一斉に実施する
(2)
加害者と決めつけることなく、和やかな雰囲気づくりに努める
(3)
知っていることを教えて欲しいという姿勢を貫く
(4)
虚偽の疑いがあっても、まずは聴く
(5)
矛盾点や疑問点は「もう少し詳しくきかせてくれる?」と再質問する
(6)
「そういう気持ちだったのか」などと、心理的事実に焦点をあてる
(7)
「つらい思いをしている子を助けてあげて欲しい」と伝える
(8)
聴き取りが不十分であっても、誠意を伝え次の面接を約束する
 いじめが発覚したときは、被害生徒に事情聴取し、保護します。保護には、被害者の生徒と信頼関係が確立している教職員が当たります。生徒が話したいときに耳を傾けることが最も効果的です。
 いじめ対応の大原則は被害者保護です。全校指導体制を構築して被害を受けることのないよう、全員で「守る」必要があります。
 被害生徒が支えられているという安心感を実感できるよう目に見える具体策を実行します。
(1)
校内巡視
(2)
授業引き継ぎし、いじめられている生徒から教師が目を離す時間帯をつくらない
(3)
必要に応じて、被害生徒または加害生徒を別室で指導する
(4)
保護者及び地域等との連携による登下校時の監視
(5)
被害生徒への担任等による個別面接の継続
(6)
被害生徒との信頼関係のある教職員との電話・メール等のやりとり
(7)
被害生徒と関係の深い生徒等による支持的かかわりの依頼
(8)
ピアサポート活動による被害生徒への支援
(9)
PTAと一体となった取り組み
(10)
いじめ相談カードの配布等、相談機関の周知
(11)
犯罪行為として取り扱ういじめの警察等へ通報
(12)
加害生徒への指導状況を被害生徒・保護者へ報告
 いじめが起こった場合、被害生徒の二次被害で最も憂慮されることは、絶望感からの自死問題と、攻撃に転じた復讐です。被害生徒との間に誰かが絆を切らないように繋がることが求められます。
 加害生徒からの事情聴取と指導を行います。生徒指導主事が加害の中心となっている生徒から事情を聴きます。いじめは絶対に許されないという毅然とした態度を持ちつつ、自らの非に気づけるようにすることが目標となります。
 被害生徒の保護者に報告をします。
 直接会って話します。来校の労をねぎらい、保護者の気持ちを受容します。判明している事実を系統的に説明します。保護者の心情を理解し、訴えに十分耳を傾けます。
 被害生徒を守り抜く具体的な実行策を説明し、決意を理解してもらう。教育相談による「心のケア」、家庭との定期連絡などの提案を行います。
 加害生徒への指導、加害生徒の保護者への協力要請、学級指導等について、保護者の意向を確かめながら、今後の指導を確認していきます。
 加害生徒の保護者への基本的な対応
 加害者の保護者に来校を求め「今できることを一緒に考えましょう」という姿勢で臨みます。判明した事実を伝えます。保護者の言い分には耳を傾けます。
 話し合いは「いじめの非」に対しては一歩も譲ることなく、保護者と共に加害生徒の立ち直りをめざした支援について知恵を出し合うようにします。
 被害者への謝罪は、事前に被害者の保護者の意向を聴いておきます。
 いじめたことを真に反省し、被害生徒の受けた不利益を取り戻すために何ができるかを話し合います。
 被害生徒とその保護者への謝罪方法、手順等を決めます。
 被害生徒が暴力で傷害を負った場合は、治療費等、恐喝では金品の弁済が問題になります。さらに刑法に触れる違法行為があった場合には、警察への告訴が予想されます。
 このような問題については、過去の事例を挙げるなどして保護者に心の準備をしてもらう必要があります。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学客員教授)

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生徒指導の「カキクケコ」とは、なんでしょうか

 生徒指導は、生徒の理解に始まり、生徒理解に終わるとも言われます。
 私が大切にしている、生徒指導の言葉が「カキクケコ」です。
「カ」:いろいろな場面における子どもの様子を観察(かんさつのカ)する。
「キ」:観察した結果を記録(きろくのキ)する。
「ク」:接し方を工夫(くふうのク)する。
「ケ」:少なくとも一年間は、継続(けいぞくのケ)する。
「コ」:一人ひとりのよさの発見を主眼とし、子どもたちの心(こころのコ)をとらえる。
 子どもたちの行動が、どのような背景によってもたらされているかは、日々の検証・省察なしには理解できません。
 問題をすぐに解決しようと思っている時ほど、生徒指導はうまくいきません。
 生徒指導の記録を時系列で取っておくとよい。
 私は、表計算ソフトに、子どもたちの行動、指導の内容、家庭への連絡内容、その時の教師の考えや気持ちを時系列で記録しています。
 記録を取っておけば、どの部分で指導がうまくいったのか、また、逆にうまくいかなかったのか、複数の教師で検証・省察することが可能になります。
 子どもたちを見取る自分自身の目や子どもたちへの日々の関わりに自信をもつことは大切です。
 しかし、生徒指導がうまく立ちゆかなくにったとき、そこで手詰まりになることを避けねばなりません。
 記録をもとに検証・省察することができるようになれば、次の一手が見えてくることもしばしばです。
 その記録から、子どもたちの強みや学校生活に生かしたい点、課題や支援を要する点、また、どの教師が関わった時に指導が通ったのかなどを検証・省察していくのです。
 生徒指導は、人と人との関わりが根底にありますから、このようにすればこうなるという定石のようなものはありません。
 教師は自分自身がどのような姿で子どもたちに見えているか、客観的に見る必要があります。鏡に向かって、怒った顔をしたり、思い切り悲しい顔をしたりするとよいと思います。
 教師は日頃の生徒指導で、自分自身のキャラクターと生徒指導が合致しているか、考えなければなりません。
 生徒指導をしていると、同じ指導をしていても、指導効果が違うという場面を何度も見ます。
 教師のキャラクターと生徒指導のねらいがうまく合ったとき、相応の教育効果が得られるのだと思います。
 生徒指導は日々、検証・省察する根気のいる仕事です。
 記録による検証・省察を繰り返すことで、子どもたちのよさを発見し、学校生活に生かすことができるようになるでしょう。
(
小川拓海:1986年名古屋市生まれ、名古屋市立中学校教師。「明日の教室」名古屋分校代表、授業づくりネットワーク理事)

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教師という職業柄、もっとも必須とされるスキルとは何か、保護者に信頼されるにはどうすればよいか

 教師は話すことを商売としていると言ってよい職業ですから、もっとも重要なのは「話し方スキル」ということになるでしょう。
 授業における発問や指示は「話し方スキル」が前提となります。子どもたちを指導したり、説得したりするのも「話し方スキル」が必要です。保護者会で学級の様子を報告したりするもの同様です。
 つまり、教師にとって「話し方スキル」を身につけることは必須の課題なのだということです。
 
「話し方スキル」というと、なめらかな話は、ときには嫌味に聞こえる場合がありますし、ウケをねらった話は誠実さを欠いた印象を与えることもしばしばです。
 教師が話すとき、わかりやすい、明快な、おもしろい話術は必要なのですが、ただ、うまい話が子どもたちや保護者に伝わる話し方ではない、ということは意識したほうがよいでしょう。
 営業成績のトップに立つような営業マンは、決してただなめらかに宣伝ができる人ではなく、実感のこもった世間話のできる人であったり、たどたどしい口調ながらも誠実に語る人であったりすることが多いそうです。
 教師の「話し方スキル」も同じことが言えます。子どもも保護者も、ただなめらかにうまく話すことを教師に求めているわけではありません。少々たどたどしくても構わないので、その教師の独自の「語り」こそを聴きたいと思っているのです。
 学級の最初の学級懇談会では、保護者は担任がどんな先生なのか、評価されるのはあくまで人間性です。人間性のイメージです。
 なめらかに話をする教師は有能な印象を与えるかもしれませんが、どこか冷たい、信頼できないというイメージを与えがちです。なんとなく裏があるのではないか、という印象を抱いてしまうわけです。
 保護者たちは、その先生がどれだけ誠実で一生懸命にやってくれそうな先生かということを見ています。
 そして、教師がしゃべった話の内容よりは、その教師の表情や仕草や迷いやものの見方や考え方などの総合的な印象、つまり「その教師独自の語り方」によって判断されているのです。
 例えば、一つ一つの質問に対して質問者の方を向いて語ったとか、質問者に目線を合わせながらも他の保護者への気づかいがあったとか、保護者の話を早合点したり勝手に解釈したりして話さなかったとか、自分の言いたいことだけを言って保護者の話を聞かないという態度に見えたとか「声にならざる声」とでもいうべきものを聞いているのです。
 要するに、ちゃんと一人ひとりの保護者との対話を成立させていたか、ということを見ているわけですね。
 保護者会で一人ひとりの保護者と対話を成立させられる教師は、間違いなく子ども相手でも同じことをしてくれるはずです。
 わが子をあずけるにたる信頼を寄せられるか否かは、そうした印象によって判断されるわけです。
 教師はまず何より、子どもたちや保護者を前に「対話」を成立させられるような自分独自の語りを身につけなくてはならないのです。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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教育の演出はどのようにすればよいか

 教育の演出は、子どものなかにある可能性が、豊かに引き出され拡大していくように演出していかなければならない。
○教材や子どもを固定的に見ない。
 教材は子どもの変化に伴い、その価値、必要度が絶えず変化し流動していくものである。
 教材とか子どもに対する解釈は、固定化したものではなく、対象の側に立って、そのなかにある真実とか方向とかをみきわめ、それをさらに高い正しいものへと引き出していくものでなければならない。
○「子ども、学級、学校」の状況を的確に把握しなければならない。
 
「子ども、学級、学校」が、今どういうものをもっているか、どういうものを必要としているかを、はっきりと見定め、それを明確に把握します。
○子どもたちや学級の可能性を引き出す創造的な脚本・演出をする。
 それにふさわしい材料を与え、ふさわしい演出をしていかなければならない。どのように演出すれば子どもの持っている力が最高にでるか配慮していかなければならない。
○教材の解釈は、隅から隅まで詳細にわかっていること。
 教材のあらゆる部分について、いく通りもの解釈や考えや発見や疑問を持っていなければならない。
 どの子どもは、教材のどの部分をどのように解釈しているか、どういう疑問を持っているか、どういうような誤りをしているかということを知っていなければならない。
 一人ひとりの子どもがどのように変化したり発展したりしているか絶えず詳細に的確に記憶していなければならない。
○教師は、豊かな感覚を持ち、すぐれた解釈力とか洞察とかを持ち、とっさに対象に対応したり変化させたりすることのできる力を豊かに持った人間になっていなければならない。
 例えば、子どものかすかなつぶやき、なにげない発言、目にみえないような表情の動きとかのなかにある、可能性の芽とか真実とかを見落とさず、敏感にとらえ、みんなのものとしてとりあげたり、生かしたり、創造的に発展させたりするような仕事ができなければならない。
○子どもに押しつけない。
 一方的に教師のもっているものを押しつけていくというものであってはならない。子どもが可能性を出していけるという、意識とか信頼感とか喜びが全体にあることが前提になる。
 教師の演出により、子どもや学級が組織され、相互交流が起き、それぞれの子どもが持っている力が二倍にも三倍にもなってでてくる。
○目的や意図をも持った演出をする。
 一人ひとりの子どもの可能性を引き出し拡大するという目的や意図を持った演出でなければならない。
○演出は直観的である。
 教育の演出は、時々刻々に展開し変化していく対象の瞬間をとらえてとっさの処置をとらなければならないので、きわめて直観的なものであり、条件反射的にやらなければならない場合が多い。
○緊張関係をつくり出す。
 緊張関係がないと、教育も教師も子どもも一歩も前進しないし新鮮な創造的なものは生まれてこない。
 問題を投げかけることによって大きく波紋を起こし、それによってみんなが激しく衝突し、葛藤を起こしそのなかから新しい考えや疑問や問題をみんなのなかにつくり出す。
 演出は、子どもと子どもの交流・衝突・葛藤のなかでひびき合いを集団のなかにつくり出すことによって、子どもの可能性が引き出され、拡大・深化し再創造されていく。
 このことにより、子どもは明るくなったり、自信を持ったり、人を大事にしたり親しんだりすることのできる人間になっていく。
○教師が創造的な人間にならなければならない。
 教師が創造的な人間になるためには、自分の実践に身を打ちこみ、実践により自分を変え、自分の可能性を出し、自分を創造的にしていくことである。
(
斎藤喜博:1911年-1981年、元小学校校長。島小学校などに優れた実践を残した昭和の代表的な実践者)

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モンスターペアレントのタイプによって無理難題にどのように対応していけばよいのでしょうか

 モンスターペアレントが学校や教師に突きつけてくる無理難題は想像を絶するものがあり、どんな場面で何を言いだすか、まったく予想もつきません。
 現実の事例を分析していくと、次の5つのタイプに分類できます。
(1)
わが子中心型
 なんでも自分の子どもを中心に考えてしまう過保護・過干渉タイプの親たちです。たとえば「自分の子どもに学芸会の主役をやらせよ」といった、勝手な主張をしてきます。
 問題は偏った愛情にあるわけです。ただ断るのではなく、親の主張をよく聞いてみるべきです。
 そのうえで「どうすることが子どものために正しいのか」を、しっかりと話し合い、教師はその子を軽んじているわけでなく「親と同様に大切に思っている」と、しっかりと伝えていかなければなりません。
 子どもへの愛情に共通の基盤が作れたら摩擦は小さくなり、互いを理解できるようになっていきます。
(2)
育児放棄型
 子どものことに関心がなくて、子育てを放任状態にしている親たちです。大人として未熟で自己中心的な考えが根本にあります。たとえば「学校からの呼び出しにはいっさい応じない」など、親の責務を果そうとしないので、教師にとって非常に厄介な存在です。
 親が精神的・生活的に自立できていないことが多いので、教師から威圧的に要求してはいけません。不信感をつのらせるだけです。
 相手を大人として尊重しながら、ていねいさや親切心をもって接していくことが大切です。
 そうしているうちに「今度の先生は違う。私にも子どもにも親身になってくれる」と、受けとめてもらえたならば、学校に協力する姿勢もめばえてきます。
(3)
常識がない型
 常識と非常識の区別がついてない親たちです。サービス過剰の社会の影響によるのか、急速に増えてきたタイプです。たとえば「深夜や早朝でも、かまわずに教師に電話をかけてくる」など、教師の私生活を無視してくる。
 過剰サービスに慣れきっている人たちです。どんな要求をしても通るものと、とらえています。
 
「非常識すぎる」とはねつけたくなる教師も多いでしょう。
 しかし、教師も外から見れば、非常識なところをもっていると自認できていれば、もっと心を広くして親の話を聞けるようになってくるはずです。
(4)
学校依存型
 本来、家庭でやるべきことまで、平気で学校に頼んでくるタイプです。駄々っ子のような甘えがあります。たとえば「毎朝、家まで子どもを起こしに来てほしい」と、その要求はあまりに身勝手です。
 世間の常識に反しています。しかし、根本的な心理はわが子中心型と似ているところもあり、根っこの部分では悪い人ではない場合がほとんどです。
 親が「朝、起きられなくて」と口にしたら「お母さんも大変ですよね」と教師があいづちを打ちながら、親の話を聞いてあげる姿勢が大切です。
 こうした親は、人にぐちを言ったり、甘えたいという気持ちが強いだけです。そのように要求したくなる背景をよく理解して、うちとけていくことです。
(5)
権利主張型
 給食費は義務教育だから払う必要がない、など自分の要求を通すために法律や権利を振りかざしてくる親たちです。
 このタイプの親たちは、ささいなことでも、すぐに教育委員会などに訴えがちです。
 学校と張り合い、言い負かす知的快感を覚えるタイプが多いと考えられます。 
 このタイプの親に対しては、理論で言い負かそうとするのではなく、親の主張にじっくりと耳を傾けてあげることが大切です。ただ、同意をしないように心してください。
 権利論ではなく、わが子が給食のたびに肩身の狭い、辛い思いをしていることを伝え「本質論と分けて考えていきませんか」と提案すれば、素直に聞く耳を持ってくれることでしょう。
 とにかく現在は、親も教師もストレスをためている時代です。親からムチャな要求を突きつけられれば、ストレートに反応しすぎて、事態をこじらせるケースが多いようです。
 まず、親の話に耳を傾ける姿勢がとにかく重要です。それまで敵意をむき出しにしていたような人ほど、転換しやすいともいえるでしょう。
「今度の先生は違う」と親近感を持ってもらえたならば、教師への接し方は変わってくるものです。それほど、親の話によく耳を傾けることが大事なのです。
 また、常日頃から親とのあいだに親密な信頼関係が築けていたならば、モンスターペアレント問題などは、ほとんど発生することもなくなります。
 仮に、ちょっとしたことで誤解が生じて、親が学校にかけつけてきたとしても、日頃からの良好な関係があれば、短時間でその誤解が解けるようなケースも珍しいことではなくなるはずです。
 私は「学級便り」を毎日、保護者向けに発行して、保護者との関係は良好に保てていたと自負しています。
 学級便りでなく、毎日ひとりずつ順番に保護者に電話するだけでもいいのです。「今日、○○くんは、こんないいことをしましたよ」と連絡するだけでいいのです。
 「いちいち連絡してこなくてもいい」と返してくる親に「お母さん、そんなこと言わないで聞いてください。本当に○○くんは立派だったんですから」と続けると、電話を切られることはまずないはずです。
 自分の子どもをほめられてうれしく思わない親などいないからです。
 私は、毎日3人の子どもの、いい部分を発見してノートにメモしていました。あの子のメモが少ないと気がつくと「よし、あの子のよいところを見つけよう」と集中すれば必ず新たな発見があります。
 よいことを電話や家庭訪問の際に伝えるようにしていると、保護者によっては「そんなこと言われたのははじめて」と喜んでくれ、信頼関係が深まっていきました。
 今の教師が多忙で苦しんでいるのはよくわかります。しかし、こうした地道な積み重ねが何より大切だということは昔から少しも変わりません。
 注意してほしいのは、保護者の話をよく聞くことと、要求をなんでもかなえるのとは、まったく別の問題だということです。
 トラブル時にこそ、教師の専門職としてのリーダーシップを発揮してほしい。教師がリーダーシップを放棄していれば、一時しのぎはできても、本質的な解決は遠ざかります。
 自分の子どもを主役にしてほしいという親の要望が多かったために、16人の桃太郎が登場する劇を上演した幼稚園があります。こうしたときほど、イヌなどの役の大切な役割を理解してもらえる教育的なチャンスなのです。
 無理な要求を突きつけられたときにこそ、その話を受けとめて聞いてあげた後に、どうして叶えることができないのかを説明して、納得してもらうことが大切です。
 それは、教育というものが、どういうものであるかを理解してもらうためのチャンスです。こうしたときに教師に何よりも求められるのは「毅然とした対応」です。
 毅然というのは、教師がプライドと自信を持って、教育とは何かということをはっきりと伝えていく姿勢の強さです。
(
尾木直樹:1947年生まれ、教育評論家。高校・中学校教師22年間を経て退職し臨床教育研究所「虹」を設立。早稲田大学客員教授、法政大学教授などを経て、法政大学特任教授)

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教育困難な学校の共通した特徴とは、どうすれば困難を克服することができるのでしょうか

 今年も困難な小学校、中学校、高校へ、毎月5校以上訪問してきた。
 これら困難な学校の共通した特徴が貧困である。そして、家庭と地域の崩壊である。その底には子ども、保護者、学校の間の信頼の崩壊がある。より根本的には一人ひとりの孤立がある。
 荒れる子どもたちの底には、無力とあきらめを身体の芯まで染み込まされた、日陰でしか生きられない子どもたちが存在する。
 困難を克服した学校も多く訪問することができた。A小学校は貧困率が7割以上で低学力の状態にあったが、学びの共同体の継続的な実践によって、全国水準を上回る学力水準になった。
 学びの共同体の学校は、ほぼすべての学校で著しい学力向上を達成している。
 訪問をとおして、教育における数々の困難を克服するカギが見え始めてきた。
 A小学校の教室を訪問して感嘆するのは、どの瞬間も一人の子ども一人になっていないことである。1,2年生はペア学習の仲間同士がつながって学び合っている。3年生以上の子どもたちは、どの瞬間もグループの仲間同士でつながり合い、支え合って学び合っている。
 この小学校とほぼ同じ姿が、荒れや不登校や低学力などの困難を克服した中学校、高校にも見られる。そこに共通しているのは、一人の子どもも一人にしない教室の姿である。
 荒れる子ども、低学力の子ども、つまずく子どもは、すべて一人になった子どもたちである。
 教師から見捨てられ、仲間からも見放され、地域の人々からも見捨てられた子どもたちである。
 その子どもたちが教師から疎まれ、仲間から排除されていると感じたとき、授業の妨害や暴力行為へと向かう。教師との衝突を繰り返す。それ以外に、自らの存在を証明する手立てを失っているからである。
 したがって、教育困難校において何よりも大切なことは、一人ひとりが抱かえている困難や危機を学校全体で引き受けることである。
 一人も一人にしない教室、一人も一人にしない学校づくりこそが「教育困難校」の取り組むべき中心課題と言ってよいだろう。
 一人も一人にしない教室と学校を実現すれば、子どもと教師と学校が抱かえるほとんどすべての困難と危機が克服され、絶望の学校を希望の学校へと再生することができる。
 学びの共同体の学校は、このポリシーによって多くの教育困難校を希望の学校へと改革してきた。
 大阪府にある東大阪市の金岡中学校を訪問した。教室で奇声をあげる子、机を離れる子、机に突っ伏してしまう子もいるが、学校全体が温かい空気に包まれ、教師と子どもの関係は深い信頼で結ばれ、子ども同士の関係も優しい支え合いが基調となっている。
 同校は、学びの共同体の実践を9年間持続してきた。その結果、大阪府の中でも困難校として知られていた同校は、今では問題行動と不登校は激減し、学力水準も数学B問題では全国平均を上回って、府内外から高く評価されている。
 金岡中学校の素晴らしさは、どの教師も子どもの危機や困難をまるごと引き受けているところにある。教師の細やかな配慮と忍耐強い精神力と温かな包容力と知性的な教育実践を支えているのが、同校の教師たちの同僚性である。
 若い教師が多いのに、この学校では一人の生徒も一人になっていないし、一人の教師も一人になっていない。
(
佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授。学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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いじめなどで学校が保護者から信頼されるようになるには、どのようにすればよいでしょうか

 いじめがあれば、教師の責任追及につながる恐れがあるという不安で、教師がいじめかもしれないと気づいても、すぐに相談しようとしないことがある。
 子ども社会では、いじめは何の原因もなく起こるものであり、教師一人の責任ではない。この認識を教職員全体に伝えておく必要がある。
 大切なことは、即座に解決に向けて動けるかどうかである。いじめかもしれないと気づいたら、報告しあう会をつくるとよい。予防にもつながる。
 いじめかもしれないという「気づき」を学校全体で共有したら、すぐに保護者全員に周知する。保護者には「家庭で見ていて気になることがあったら知らせてほしい」とお願いする。この学校はいじめを隠ぺいしないという信頼感につながる。
 保護者に周知した後は、保護者との定期的な話し合いが必要である。その場は保護者の問い合わせに答える場にもなる。気づいたことを知らせてもらい、どうしたらいじめをなくすことができるか意見を募る。
 子どもたちへは、保護者から伝えてもらう。自分の親がいじめをなくす取り組みをしているという事実は子どもにとっては重要だ。「やばい」と思う子もいるだろう。
 保護者会はできるだけ頻繁に行うこと。保護者には悪い情報をできるだけ早い段階で伝える。この学校は悪い情報も隠ぺいしない、とやはり信頼につながる。そのうえで、学校の取り組みを伝える。
 保護者に家庭で気をつけて欲しいことを伝える。そして、保護者がお互いの情報を照らし合わせる。その時どきの課題、何をすればよいかも見えてくる。そうすることで、子どもに対する大人の態度に一貫性が生まれ、子どもの不満も消える。
 この話し合いは、批判や非難の場とならないように、最後は必ずお互いの良い所を見つけあって、ほめあう場にもしてほしい。子どもにもよい影響を与える。
 もう一つ重要なのが、教師と保護者が一対一の関係を育むことだ。そうなれば、ちょっとしたことでも安心して話題にできる。保護者が教師を信頼するようになれば、子どもも教師を信頼する。
 アンケートをとってもよいが、いじめの事実がでてこなくても、いじめの取り組みはやめないことが大切である。
 学校公開し、日常の子どもが外から見えることは重要である。保護者にとって安心にもつながる。
 いじめが「恐喝」「脅迫」「傷害」などの犯罪におよんでいる場合、警察への相談はためらわないでほしい、と私は学校にお願いしている。学校のペナルティを与えただけでは、子どもたちに社会のルールを教えたことにはならない。
(
山脇由貴子:1969年東京生まれ。東京都児童相談所児童心理司。年間100家族以上の相談や治療を受け持つ臨床家。臨床現場の生の声を発信し続ける)

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有名な実践家、東井義雄が考え実践していた授業とはどのようなものか

1 授業に既製品はない
 授業の創造ということは、テクニックの追求ではない。教師が古い自分を切り捨て、新しい自分を生み出していく、創造的な仕事である。
2 教師が子どものころ受けた授業の形だとか、どこかで見た模範授業だとかが頭を縛ってしまって、それが授業を、個性も生気もないものにしている。
3 教科書に出てくるから教えるという安易さが、授業を空回りさせ、人間を駄目にする授業をはびこらせている。
4 教科書にあることを、にぎやかに話し合わせても、教師の願いもなく、人間そのものを根本からゆさぶるものでなければ、授業にはならない。
5 教師の願い
(1)
教科書にあるのは素材である。それが生きたものになるかどうかは、教師に願いがあるかどうかにかかっている。願いがぼやけていては授業にならない。
(2)
願いに、まずわが身を燃え上がらせる。
(3)
願いが技術を生み出す。
(4)
話術をまねしても駄目、板書を写し取ってまねしてもだめ。技術というものは、それを使う教師のやむにやまれぬ願いが具体化されたものだから。その教師の願いを学ばないで形骸だけをまねても駄目になるのは当然である。
6 教師の力
 教師の願いや心だけでも駄目。教師の技術だけでも駄目。この二つが一つにとけて教師の力になる。
7 教師と子どもの信頼関係
 三センチの道幅だけあっても、自転車は走れない。授業とは直接関係ないように見える「教師と子どもの信頼関係」これなくして授業は成り立たない。
8 遺産相続
 ひらがな一字だって、私たちの先祖が何代も何代もかかって生み出した遺産。心をこめて遺産相続させてやりましょう。
9 授業は何でもない当り前のことを、心をこめて工夫し、大切にしていかなければならない。
10
授業で子どもをどう変えていくか
(1)
子どもという「人間」と少しも関わりのないような授業を授業だと考えていないか。
(2)
今日、私たちが授業で追求し研究しなければならないことは「授業で子どもをどう変えていくか」ということである。
(3)
授業に熱心というだけでは、子どもに本当の力をつけてやることはできない。熱心であればある程、うっかりしていると詰め込みになりやすいものを私たちは持っている。
11
授業の中で、ひとりひとりの生まれがいと、日本人の幸せを切り開いていくような愛と創造のエネルギーをどう育てていくかが、授業研究の関心にならなければならぬ。
12
「勉強の主人公を育てる授業」「育ちあい、磨きあえる授業」をめざそう。
13
いくらうまい授業をやったところで、うまい発表会をやったところで、りっぱに見える運動会をやったところで、それが「ひとり」「ひとり」の子どもの確立につながらないのでは「教育」とは言えない。
14
磨きあいとは、AとBとCが寄れば、Aの中にも、Bの中にも、Cの中にもなかったすばらしいものが生まれてくること。
15
私たちは、子どもたちの勉強意欲の底に、いつも村や町や国や人類に対する愛を念じるべきである。それがないと意欲が本当の意欲になりにくい。
16
生活の論理と教科の論理のかみあわせで
(1)
子ども、一人ひとりは、その子どもの感じ方、思い方、行ない方を持っている。その底には、その子どもをして、そう感じ、そう思い、そう行なわせるような論理的なものがはたらいている。
(2)
その論理的な必然をさらに、堀り進んでいくと、父母の感じ方、思い方、教師の感じ方、思い方にも続いていく。
(3)
それから、家風だとか、家の財産だとか、地域の人たちの生活様式だとか、風習だとか、伝統だとか、文化だとかも重要な関連を持っている。
 これらのものに支えられながら展開している子どもの感じ方、思い方、行ない方の筋道を「生活の論理」とよびたい。
(4)
子どもに教えようとすることがらは、客観化された「論理性」「法則性」を持っている。
 そして、それは、そのことがらの中だけでなく、他の教えたいことがらの「論理性」「法則性」ともつながっている。算数には算数の、国語には国語の、学問の筋道がある。それが「教科の論理」である。
(5)
授業は「生活の論理」と「教科の論理」の効果的な、かみあわせがないとだめである。
17
子どもはつまずきの天才 
(1)
子どもはつまずきの天才である。
(2)
「3+3は5だ」と、つまずく子は、その子なりの理屈、論理が必ずある。
(3)
「子どもの論理」を知らないでは、私たちの仕事は実を結ばない。
(4)
「3+3は6だ」ということを、感動をもって分からせる授業をしようと思ったら「3+3は5だ」と、つまずく子を大切にすることだ。
(5)
授業は「つまずいてる子」の目玉が光ってくるようなものでないと、「つまずいていない子」にとってもたいくつなものだ。
(
東井義雄:19121991年 兵庫県生まれ 小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)

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こんな教師と親が子どもをだめにする

 こんな教師と親が子どもをだめにする10箇条を私なりにまとめてみました。
 大人としての自覚がない
 大人が子どものお手本となる自覚がない。教師は子どもの親でも友だちでもありません。たとえ子どもに嫌われても、しなければならないことがあるのです。
 教師が子どもに教えつつ、子どもたちとの関係を築いていくために大切なのは「言葉づかいの切り替え」だと思います。子どもの前に立って指導するときに、言葉づかいを変えます。
 もし、子どもが問題行動をしたら、責任を感じて、大人が自分を責める。その姿を見て子どもが反省する。そんな厳しさも必要です。
 子どもの年齢に応じた教育をしていない
 小学校で、幼稚園から上がったばかりの1年生にも、6年生にも、同じ言い方で教えて、うまくいくはずがありません。
 子どもの発達段階に応じて、教育の仕方を変えていく必要があります。それができていない大人がたくさんいるように感じています。
 子どもと一緒にいる時間をつくらない
 若い教師にお願いするのは、いつも子どもと一緒に遊んでくださいということです。たくさんのことを子どもが教えてくれます。
 子どもは一緒に遊ぶ仲間の言うことには、耳を傾けてくれるものです。
 遊んだり、教室で会話するなどして、子どもと一緒にいるようにしましょう。一緒にお絵かきしたり、折り紙を教えたり、読書しても、子どもと時間を共有することになります。
 子どもと一緒に遊ばない教師は学級崩壊を起こしやすいのではないかと私は思っています。
 子どもの表情の変化に気がつかない
 子どもはいつもサインを出しています。表情・態度など、さまざまです。毎日きちんと見ていれば、トラブルが起きる前に、その微候が見えてくるものです。
 毎日見ていると、変化がつかめます。ふだんの表情と、比べて今日はどうだろうと、考えることができるのです。
 また、学級集団の中で、個々の子どもを見ることが大切です。表情の悪い子どもが一人いるとすぐにわかります。そんなとき見逃さず、笑顔で話しかけます。少しだけ、心が温まり、心をすくいとることにつながるような気がします。
5 子どもの人格を否定するような叱り方をする
 
「こんなこともできないの」「だからお前はみんなに嫌われるんや」「あなたが悪いんでしょ」「あなたは、いつもこうなんだから」「あなたのせいで、こんなことになったのよ」という叱り方です。
 自分の言動が、どういう意味を持つのか、相手がどういう感情を持つことになるのか、などを考えさせることのほうが重要です。子どもに自分の行為を見直すようにします。
 また、子どもには「納得」が必要です。納得させるために説明する必要があります。納得させられるような叱り方ができる大人になりましょう。
6 子どもの言葉に真剣に耳を傾けない
 大人は、子どもにちゃんと話を聞けというわりには、子どもの言うことをちゃんと聞かないことが多い。
 子どもの話を聞けるチャンスは一度だけです。「後でね」なんて言うと、二度と聞かせてもらえないことがある。
7 子どもを本気で叱れない
 子どもの悪い言動は、ちゃんと本気で叱らないと、よいのか悪いのか、子どもには判断できないことも多いのです。
 ちくっと叱るのではなくて、全力で叱ってあげることは必要です。
「そんなことしてたら、だめだよ」「気をつけましょうね」
これは注意であって、叱っているのではありません。この程度の言葉で子どもが変わったり、いじめがなくなったりすることは、決してないのです。中途半端な叱り方は、子どもには通じません。
「いけないことは絶対にいけない」と叱ってあげないと、子どもは何が正しいのか分からなくなります。大人に叱られて成長するのが子どもだと私は思っています。 
 親から「子どもが傷ついた」と反発を受けることもありますが、それでも断固として強く叱るという気概がなければと私は信じているのです。全力で叱ればいいのです。ただし、めったにしないほうがいい。へとへとになりますから。
8 子どもの小さな成長を自分の喜びにできない
 子どもは、少しずつ成長していきます。劇的に変わることは、めったにありません。その小さな変化を認めてくれる教師や親のもとで、子どもは育つのです。子どもの成果を認めて、一緒に喜ぶということです。
9 子どもをからかったり、やゆしたりする
 子どもをからかうことをユーモアだと勘違いしている教師がいます。そんなものはユーモアではありません。
 子どもの容姿に関することを、決してからかってはいけません。子どもの心に深い傷となって残るのですから。
 子どもをからかうことで、子どもとの関係はつくれません。
10
子どもを恫喝したり、恐怖で支配したりする
 もっともレベルの低い教師や親が、自分の感情の発散のために使う方法を体罰と呼ぶのです。教育ではありません。子どもをどこか見下して、子どもが一人の人間だという、とらえ方ができないのでしょう。
(
多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演)

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親が「万引きの原因は学校にある、信じてやれるのは親たけだと言い張る」とき、どうすればよいのでしょうか

 被害を受けた店が、警察に被害届を出しました。その店に行って事情をお聞きしますと「今回だけでなく、以前から商品がとられるたびに、Aくんの他、三人の生徒をマークしていた。今回は防犯カメラに犯行が記録されている」とのことでした。
 
「息子が恥ずかしいことをしてしまった。すぐにでも店に謝罪にいきたい」と、言って子どもに反省を促す親の横で、Aくんの父親は「息子は、学校生活に満足できないと、いつも家で言っていた。万引きはいけないことだが、息子がそれをした原因は学校にある」
「学校の先生は、一方的に私の息子を疑っている。息子が主犯格だと決めつけているが、家で本人に聞いたら『友だちに声をかけられたから』と言っている」
「この子を信じてやれるのは、私たち親だけだ。誰が何と言おうと、息子を最後まで信じてやりたい」
 これに対して、学校側は「まずは事実の確認が大事なこと、被害にあった店への謝罪が必要ではないか」と、伝えたのですが、納得していただけませんでした。
 他の親のみなさんも、同じ歩調をとるようにとAくんの父親に言葉をかけたのですが、結局、別々に対応することになり、店の人も不信感を持たれたようでした。
 このような場合、どう対応すればよいのでしょうか。
「最後は私たちだけ」という言葉を裏返せば「学校を信用していない」ということです。
 Aの父親は様々な体験から、一種の人間不信の状態になっていると考えられます。
 
「こうすべきだ」との説得はひとまず控えて、父親の言い分をよく聞き、親が冷静に考えられる状態になってから
「今後のAくんにとって、どのような方法がいいのか、一緒に考えてみましょう」と話しかけるとよいでしょう。
(
諏訪耕一編集:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの相談室」を開設した)

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子どもが夢中になって学び、問題行動が減る「学びの共同体」の実践で大切なポイントとはなんでしょうか

 学びは「他者の声を聴く」ことを出発点としている。学びは対話的なコミュニケーションを基礎としている。その対話的なコミュニケーションを成立させるものは「聴き合う関係」である。
 学校ほど対話の重要性が叫ばれている場所はない。いくら協同学習(グループ学習)を導入したとしても、そのコミュニケーションが「話し合う関係」に終始しているならば、そこに学びは成立していない。
 子どもたちが学び合う関係は「活発な話し合い」ではなく、ぼそぼそとつぶやきのある「聴き合う関係」を基礎としている。
 話し合いが活発になるのは、すでに知っていることを発表しているからであって、自分のわからないことを探究しているからではない。
 自分のわからないことを探究するときは、子どもたちはぼそぼそとつぶやいたりする。学びで「聴き合う関係」とは「自分のわからないことを明確にしていく関係」でもある。
 一般の学校の授業は、学びの課題のレベルが低すぎる。教科書以上の学び(ジャンプのある学び)が必要である。
 学校の授業における「学びの共同体」の実践は、教科書以上の学び(ジャンプのある学び)を重視してきた。
 授業で、教科書レベルの「共有の学び」と、教科書以上の「ジャンプのある学び」の二つを協同学習で学ぶのである。
「学びの共同体」の実践の重要ポイントは
1 学びの場づくり
(1)
教室の机の配置
 聴き合う関係や学び合う関係をつくるために、コの字型の机の配列(小学校1,2年生では密着したコの字型)にする。
(2)
教師のテンションをさげた声と選ばれた言葉
(3)
教師の息づかいと子どもの息づかいが一つになっていること。
2 授業の課題づくり
 学びを中心とする授業づくりにおいては、子どもたちが夢中になって取り組む学びを組織するために、
(1)
どの子も一定の理解を形成する、教科書レベルの「共有の学び」の課題
(2)
その知識を活用して発展的な探求に挑戦する「ジャンプの学び」の課題
の二つが授業のデザインとして具体化されていなければならならい。
 一般のほとんどの授業は課題が一つであり、内容レベルが低すぎる。基礎的な理解と創意的で発展的な学びの両者を可能にする授業の課題づくりが、授業改革の要件となる。
3 ペア学習と協同学習(グループ学習)の導入
 小学校の1,2年生ではペア学習、小学校3年生以上(中学校・高校)は男女4人グループによる協同的な学びを「共有の学び」「ジャンプの学び」に導入する。
4 校内研修の改革
 すべての教師が最低年に1回は授業を公開し検討し合う同僚性を築くことなしには、授業の改革も学校の改革も実現しない。
 また、授業協議会で、子どもたち一人ひとりの学びの事実を中心に話し合い、授業者への助言ではなく教室の事実から学び合う話し合いを実現させなければ、校内に専門家として育ち合う同僚性を形成することはできない。
 教師としての成長は、教師相互の援助と学び合いにもある。経験の相互交流と見識の伝承により育ち合う関係を築き上げて、教師は成長していくのである。
5「学びの共同体」の協同的な学び(グループ学習)
 協同的な学びは学び合う関係によって成立する。教え合う関係ではない。協同的な学びは、「子どもたち一人ひとりの学び」と「一人ひとりの学びをより高いレベル」に導くためである。
 授業で一人残らず学ぶためにはどうすればよいだろうか。最も低いレベルの子どもの問いを授業の中に取り組む。そして、学ぶ内容を高いレベルに設定し、上層の子どもが学ぶようにする。
 学びを中心とする授業は、通常の授業よりも高く設定された内容と、最もわからない子どもの問いとの間の大きなギャップを、教師と子どもたちとで協同で埋めていく授業である。この困難な課題を達成するのが小グループによる協同的な学びなのである。
 ポイントは、子どもたちの間に聴き合う関係が生まれていることである。聴き合う関係がないと成果が期待できない。
 教室に聴き合い学びあう関わりが成立するためには、子どもたち一人ひとりの個性的な学びと多様な読みを尊重することであり、教科書の言葉を大切にして学びの発展性を尊重することである。
 それと、グループ活動の中で、わからない子どもが「ねぇ、ここどうするの?」と仲間に問いかける指導の徹底である。
 仲間に問いかけることが十分に定着していれば、教師も子どもも安心して高いレベルの学びに挑戦することができる。グループは男女混合の4人のほうが学びが生まれやすい。
 協同的な学びは、学びの主体は個人である。リーダーは不要である。一人ひとりの多様な学びのすり合わせであり、どの子も対等な立場で参加する必要がある。
 グループ内の一人ひとりの考えや意見の多様性を追求する。決してグループ内の考えや意見の一致や、まとまりを求めてはいけない。班学習のように班を代表して意見を言わせてはならない。
 協同的な学びを導入すると、子どもがおしゃべりをしてしまうことを嫌う教師がいる。それらの教師の授業を観察すると、教師がおしゃべりであることがほとんどである。
 そうでなければ、教師の言葉が子どもに届いておらず、子どもとは無関係に一方的に授業を進めているケースも多い。
 協同的な学びを導入してもおしゃべりしてしまう教室は、もともと授業が学びのない授業になっている場合がほとんどである。そうでない場合は課題がやさしすぎるからである。
 協同的な学びの意義は、一人では到達できないレベルに仲間との協同によってできることにある。まずは1時間の授業の中に数分でも協同的な学びを導入することが重要である。
6「学びの共同体」の実践の成果
 学びの共同体の学校は、子どもたちが学び育ち合う学校であり、教師たちも教育の専門家として学び育ち合う学校である。
 どの子どもも最初から最後まで夢中になって学び、しかも奇跡的と思われる学力の向上を達成してきた。教科書以上の学び(ジャンプのある学び)が、もっとも「質の高い学び」を創造してきたのである。
 「学びの共同体」づくりを推進した学校は奇跡と呼べる成果を達成している。
 
「浜之郷スタイル」(小学校)「岳陽スタイル」(中学校)を導入し、「学びの共同体」づくりを推進した学校では、どんなに荒れた学校でも、約1年後には教師と生徒の間トラブルや生徒間の暴力は皆無に近い状態になり、生徒たちが一人残らず積極的に学びに参加する状態へと変わっている。
 そして改革を始めて2年後には、不登校の生徒の数は改革前の3割から1割程度に激減する。成績の低い生徒の学力が大幅に向上し、3年後には成績上位者の学力も向上して市内でトップクラスの学校へと再生する。
(
佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授。学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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学校で事件が起きたとき、どのように対処すればよいのでしょうか

 誰かがケンカを始めたなど、何かと事件は起こるものです。事件の場合は、目撃者の証言が大切になってきます。
 見ていたと思われる子どもたちにその場で聴き取りをしておきます。記憶があいまいになったり、変な圧力で口を閉ざすこともありません。
 トラブルの対処を教師一人でしてしまうと、指導に漏れが出て指導が後手になりかねません。事実の確認に8割の労力をかけるべきです。初期対応は素早く、大勢の教師でしましょう。
 複数の子どもたちが関わっていたりする場合、事実を曖昧なまま指導すると、子どもたちや保護者に不信感を与え、クレームにつながることがあります。
 次のような方法で事実を確認します。
(1)
どの順序で話を聞くか、方針を決定する。
(2)
複数の教師で対応する。話をする教師、メモを取る教師など役割を明確にする。
(3)
事実が合わない場合は、徹底的にその部分を調べて合わせるようにする。
(4)
事実が出そろうまでは指導に入らない。
(5)
事実を教師全員で確認する。
 常に冷静に事実を淡々と確認する姿勢が必要です。指導しなければならないという思いを一旦置いて、じっくりと子どもたちの話を聴くようにします。
 子どもが心を閉ざしてしまうと、話ができる関係に修復するには大変な労力が必要です。教師は生徒指導の場面において聴くということをもっと重視しなければなりません。
 事実を徹底的に合わせるという教師の姿勢を見せることで、子どもたちは事件に向き合おうという気になれる可能性が高くなります。
どのようことをポイントにして聴けばよいのでしょうか。
(1)
じっくりと待つ
 会話が途絶えても、教師から話を無理に続けようとせずに、子どもたちの方から言葉が出されるように、待つことを大切にして聴くとよいでしょう。
(2)
子どもたちの話を反復する
 子どもたちの話の要点を反復します。
(3)
表情から読み取れる気持ちを聴く
 子どもたちが語り始めたら、その瞬間の表情(目や体の動き、姿勢、声の調子や抑揚など)を総合的に読み取り、子どもたちの話を聴いていく。
 目に見えない思いや気持ちに寄り添うことも重視すべきです。
 子どもたちの話を聴くということは、子どもたちに迎合しろという意味ではありません。話を聴いたうえで、指導すべきことは毅然として行うべきです。
 たとえば、ケンカの対応でまずしなければならないのは、話を聴いて状況把握を行うことです。ケンカには理由があります。双方から話をじっくりと聴く必要があります。
 善悪の判断がついておらず、何が悪いのか分からない場合は、なぜ今回のケンカがいけなかったかを丁寧に教える、ということが必要になってきます。
「手を出したことがいけない」「相手に傷つくことを言ったらいけない」など、教えないと知らないことが、子どもたちにはたくさんあります。
 教師が介入しないという対応があってもいいのではないでしょうか。子どもたちに「どうすればよかったか」、子どもたち自身で解決方法を探らせます。
 そうすることで、問題を自力で解決する力を手に入れ、より大きな成長を得られるようになることもあります。
 常に、目の前の子どもに適した柔軟な対応を意識して臨みたいものです。
(
杉本直樹:1980年大阪市生まれ、大阪市公立中学校教師。生活指導部長。教育サークル「未来」)
(
小川拓海:1986年名古屋市生まれ、名古屋市立中学校教師。「明日の教室」名古屋分校代表、授業づくりネットワーク理事)
(
成田翔哉:1988年愛知県生まれ、愛知県公立小学校教師。教育サークル「ほっとタイム」代表)

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保護者に信頼されるにはどのように話せばよいか

 教師にとってはモンスターペアレントという言葉は聞きたくないかもしれません。でも、必要以上に恐れることはありません。
 というのも、根っこからのモンスターペアレントなんて、ほとんどいないからです。大多数は普通の保護者です。
 ただ、その普通の保護者がモンスターペアレントになってしまうのは、教師の対応のまずさが原因です。
 教師は第一印象が大切です。「あの先生は冷たい感じがする」など、ネガティブな悪い印象が一度ついてしまうと、いくら子どものためにいい話をしても、スッと入っていきません。
 何よりも大切なことは「笑顔で話す」ということです。
 笑顔で話されるだけで、なんかいい気分になります。話を聞こうという気持ちになるのです。それは、笑顔には、相手の心を安心させ和ませる力があるからです。
 まずは、笑顔で保護者に話しかける。教師が笑顔で話しかけると、保護者も笑顔で返してくれます。
 ふだんのなにげない一コマから、保護者との信頼のパイプをつないでいくのです。
 次に気をつけることは、ていねいな言葉づかいです。ただ、ていねい過ぎるのも問題です。お世辞笑いや太鼓持ちのようなわざとらしいおべっかは、すぐ見破られ、悪い印象を与えてしまいます。
 また、逆に保護者に「なめられてはいけない」と、専門用語を使ったり、上から目線で話す若い教師をたまに見かけることがあります。「先生」と呼ばれて、いい気になってはいけません。
 クラスの子全員をしっかり見ているつもりでも、意外と見落としている部分もあります。
 個人懇談で、一人ひとりの子どもの様子をしっかりと話すのはかなり難しいことです。 
 そこで、私は子どもに聞いてみようと、毎月、子どもたちに「振り返り」を書かせることにしました。子どもたちの変化もよく分かります。
「がんばっている友だちを教えてください」
「休み時間、一緒にいる友だちを教えてください」
という項目を入れると保護者にも好評です。
 個人懇談で 「△△をがんばっているんですよ。○○くんが教えてくれました。友だちも認めるほどのがんばりなんです」
という話が懇談でできるようになりました。
友だちからも認められているという話を保護者が聞いて喜んでくれます。
(
俵原正仁:1963年生まれ、兵庫県公立小学校教頭、笑顔の教師が笑顔の子どもを育てる実践はマスコミにもとりあげられた)

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学級崩壊を体験して学んだこととは何か

 小学校の20歳代の女性教師です。以前、小学校4年を担任した学級が学級崩壊だったかもしれません。
 3年生からの持ちあがりで、泣いても暴れても我を通していたAちゃんが、3年生の終わりごろに、ようやく少し授業に集中できるようになっていました。
 4年生になり、Bちゃんにいろいろ配慮が必要となり、Bちゃんを気にしながら学級経営していると「先生はBちゃんばかり」と、再びAちゃんが大荒れになった。
 それを見て、今度は、正義感の強い子どもたちが「授業に集中できない」と、不安定になった。
 私自身が、通勤拒否になったり、体をこわしたりしなかったことが、救いですが、事態は好転しないままにクラス替えになってしまいました。
 家庭が不安定で荒れやすい子、学習に遅れのある子、不登校の子など、手のかかる子はいろいろいます。
 学級崩壊して、そのとき得た教訓のひとつが、
「先生は問題のある子もない子も、みんな同じように大切にしているんだ」と、子どもたちに伝わるように学級経営することです。
 不登校の子など、どうしても家庭訪問の回数も増え、手をかけることになるのですが、気持ちは常にクラスの子どもたち全員に平等であること。
 そして、「いいこと」はいい、「悪いこと」がはびこらない、「温かい」など、子どもたちのまともな民意を形成していけば、担任がしゃかりきにならなくても、学級は前向きに進んで行くことがわかりました。
 もちろん、これが、かなりの努力と機転と忍耐を要しますが。
 それ以降、受け持った学級は、学級崩壊はしていないのですが、だからと言ってこれからも大丈夫とはいえないと思います。
 子ども同士の人間関係が何年にもわたってこじれている場合もあるし、極端に暴力的な子と極端に傷つきやすい子がいて、バランスが難しいなど、担任一人では対応できない場合がたくさんあるからです。
 教師は、自分の学級の子どもたちはかわいいが、その気持ちを忘れてしまうほど問題行動の対応に追われているときは要注意です。
 教師間のフレキシブルな連携や、教師の体面よりも子どもを大切に考えた連携がとても大切だと思います。
(
島根県 小学校 女性教師)

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発達障がいの子どもをどう理解し支援すればよいか

 子どもの困っている状況を把握するには、発達障がいについての理解が欠かせない。
(1)
LD(学習障がい)
 LDの子どもたちは、さまざまな感覚器官をとおして入ってくる情報を受け止め、整理し、関係づけ、表出するという脳の情報処理に、十分機能しないところがあると考えられている。
 そのため、特定の学習活動に困難があり、教科や単元に対する取り組みにばらつきが見られる。
 支援の方法としては、得意なところの能力を使って、苦手なところを補う方法を見つけることだと言われている。
 たとえば「書く」ことに困難がある場合は、漢字を読めることを優先する、書く分量を減らす、書きやすいマス目のノートを用意する、作文はパソコンの使用を認めるなどの支援が有効である。
 また、板書事項をプリントで渡したり、大事なところだけを示して、書く量を減らしてノートに写させたりすることも支援になる。
(2)
ADHD(注意欠陥多動性障害)
 不注意、多動性、衝動性などを中心的な特徴としている。
 ADHDの子どもたちには、環境を調整することが有効だと言われている。
 たとえば、教室では前面の掲示物を減らす、座席を前にする、などして視覚的な刺激を減らすことで落ち着いて学習できることが増えてくる。
 個別指導や少人数指導の時間を取り入れることで、行動を調整し、教室で過ごせる子どももいる。
 また、衝動的な行動や多動が、問題行動として捉えられ、叱られることが多くなりがちなので、叱ることを減らし、ほめることを増やすと、子どもを安定させることにつながる。
 ごく当たり前のことでも、できたことをほめることで、子どもの意欲を高めることができる。
 症状を抑えるための投薬を行っている場合があるので、配慮すべきことについては保護者と相談する必要がある。
(3)
自閉症
 自閉症とは、他人との社会的関係の形成の困難さ、言葉の発達の遅れ、興味や関心が狭く特定のものにこだわることを特徴とする行動障害がある。
 子ども一人ひとりには多様な特性がある。得意なことと不得意なことの差が一般の子どもたちより大きいのが特徴でもある。
 得意なことをいかして活動できるよう配慮すると学習活動に参加しやすくなる。
 決まった場所で決まった活動を行う、はじめと終わりを明確にしたり、次にやるべきことを提示したり、学習や作業工程を写真などの視覚的手がかりで明示し見通しをもって行動できるようにすることなど考えられる。
 行動を観察し、本人と相談して、どういう状況であると学習がしやすいのか、どういう状況で問題を起こしやすいのか、などを踏まえて、指導の手だてを工夫する必要がある。
(4)
高機能自閉症、アスペルガー症候群 
 どちらも知的発達の遅れは伴わないとされているが、コミュニケーションや社会性について自閉症の子どもたちと同様に課題がある。
 相手の気持ちや周囲の状況、雰囲気を読みとることが苦手なため、対人関係をうまく結ぶことができず、集団への不適応を示すことが多い。
 その日の予定や授業の予定など、見通しが持てると安心して取り組める。遠足など日常生活と違う場面では、見通しが持ちにくく、不安が高くなる場合があるので、事前に子どもや保護者と話し合い、不安を軽減することが大切である。
 また、聴覚、味覚、触覚などの過敏さのある子どももいる。
 たとえば、小さな音が気になって集中できない、特定の音が苦手、味や食感でどうしても食べられないものがある。決まった服しか着られないことがある。
 そういった子どもたちには、特性を理解しながら、少しずつ経験を広げたり、刺激を調整したりするなど適切な支援を行うことが必要である。
(
浜崎美保:神奈川県総合教育センター 教育相談課長)

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多忙感の克服には、上手にスローダウンするコツを覚えることが大切

 つぶれていった教師の多くは、「私はブレーキがきかないほうですから」と言っています。一生懸命やることはいいことです。ただし、悪いほうに事態が進展するとつらさが倍増します。
 常に全速力で走り続けるのは事故のもと。途中でガソリン切れにならないよう、心のエネルギーのメーターを見ながら、少しゆっくり走ることを覚えましょう。
 それと、助けられ上手になって、燃え尽きるのを防止しましょう。
 仕事を抱かえ込む教師の多くは、思いこみをもっています。「主任であれば、これだけの仕事はこなせて当然だ」と。
 こんな教師は「他人に助けを求めるのは、ダメ人間のすることだ」という非合理的な思いこみを抱いています。
 いまの時代、教師を続けるために重要となるのが、助けられ上手になること。「助けを求める力を身につける」ことなのです。
 この能力が、バーンアウトを予防し、メンタルヘルスを保つために、最も重要な教師の能力の一つなのです。
 校長か教頭、親しい同僚に話しをするという手もあります。自分がいま抱えている仕事を前もって紙に書いておき、リストにして説明するといいと思います。
 
「確かにやりすぎだ。仕事を減らさせよう」と管理職が考えてくれたら、とても楽になります。
 休日も家で仕事という教師も多いと思います。そんな教師にぜひおすすめなのは、遊びのノルマ化です。
 週に一回はDVDを観る。月に一回は寄席やお笑いライブに行って思いきり笑う。年に一回は海外旅行をするなど、遊びと休息のスケジュールを立て、それをノルマ化するのです。
 睡眠不足は教師の大敵です。自分が気力・体力ともに回復できる睡眠時間を決めておきましょう。
 まじめな教師ほど、睡眠時間を削って仕事をしてしまうものです。ストレス対策の第一は何と言っても睡眠をしっかりととること。ゆとりある教師の顔が、子どもたちの笑顔をつくります。
 あるいは、同じ思いを共有している同僚の気の合う教師と「やってられないよ」などとグチをこぼしあうことです。
 
「紙を破く」方法は、子どもたちのストレス解消にも役立ちますが、新聞紙などを「ウワァーッー」と大きな声を出しながら、手でビリビリ破く方法です。声を出すことで気持ちがスーッとします。
 その他に、短時間のストレス解消法として「30分間一人カラオケ」をおすすめします。または、30秒間でスッキリするのが、ミント系のアロマオイルの香りを吸うだけでスッキリし気分転換にもってこいです。
 自分の命が長持ちするように、大切に生きることが教師としての使命です。突っ走るだけがいい教師ではないのです。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表)

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集会で前に立つと子どもたちが静かになるような威厳を教師が身につけるには、どうすればよいのでしょうか

 集会で、子どもたちの前に立つと、子どもたちがすぐに静かになるような威厳を身にまとっている教師がいる。
 集会で、前に立って話をするとき、若い教師がよく優れたベテラン教師の指導を真似て、子どもたちが静かになるまで待つことがあります。
 しかし、ざわついた子どもたちはなかなか静まってくれません。業をにやした若い教師がざわつきの中心の子をにらみつけ、指したりします。
 優れたベテラン教師は笑顔で子どもたちの前に立ったとしても、子どもたちが自然に静かになるのです。若い教師のやり方は威圧であって、まったく質が異なっています。
 威厳もなく畏敬を感じさせることもない力量の低い教師が、優れたベテラン教師の真似をすることは滑稽でさえあります。
 子どもたちに、その余裕のなさを見抜かれているということも少なくありません。長い目で見ると、そうした行いは子どもたち軽視されていく大きな要因にもなります。
 実は、教師が子どもたちにどう評価されているのか、その「教師の在り方」が子どもたちに、どう受けとめられているのか、それが一番よくわかるのが、集会で前に立ったときなのです。
 集会で全校生徒の前に立つということは、日常的に深いかかわりをもっていない子どもたちにも、こちらを向かせることを意味します。
 要するに、心が通い合っていない子どもたちに、どれだけの影響力を与えられるか、それも一瞬で与えられるか、ということなのです。自分の学級の子どもたちに、こちらを向かせるのとはわけが違います。
 その意味で、自分の学級にさえ静かに話を聞かせることができない教師というのは、ほんとうに力量がないのだと自覚すべきなのです。
 こうした「分」を知ることは、若い時期、教師の力量形成にとってとても大切なことです。それを測ることができるのが集会なのです。
 優れたベテラン教師は、間違いなく威厳を身にまとい、話を聞く人に畏敬を抱かせます。その威厳は、だれもが真似できないような独自の芸にあることは、話を生で聴いたことのある人なら、だれでもが理解できるはずです。
 私は、若いうちに一芸を身につけることが、威厳をまとい畏敬を抱かせるような「立ち姿」や「所作」を身につける基盤となっていくと思います。
 
「芸は身を助く」と言いますが、一芸を身につけたならば、どのような学校に転勤しても、職員室で軽く見られることは決してなくなります。それなりの地位をもって仕事に取り組むことができるわけです。
 それは、実は教師にとって仕事がしやすくなることを意味するのです。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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「朝の会・帰りの会」の5分間はクラスを変える力となる

 朝の会は「子どもが公的な存在になる」、帰りの会は「公的な存在から子どもに戻る」特別な時間です。
 子どもたちは毎朝、多様な背景のある家庭を出て、教室に入り「公的な存在」になります。
 学校生活は多くの子どもたちの感情の中に身を置きます。結構な疲労感をもって帰りの会を向かえる子もいることでしょう。
 朝の会は子どもたちの学校への適応を握る重要な時間です。子どもたちの適応を促進するような活動を実施することは意味のあることです。
 毎日、朝の会・帰りの会において、5分間で学級によりよい雰囲気をつくるための活動をするのです。
 朝、ちょっと子どもたちをあたためて、やる気にさせて授業を始めたり、1日の終わりに、少しほっとさせて家に帰すことができたら、子どもたちの1日はずいぶん軟らかなものになるでしょう。
 学級にどのような雰囲気を育てればよいのでしょうか。
 学級は、子どもたちの自己実現を支援するところです。自己実現は挑戦の繰り返しによって起こり得るものです。
 挑戦の原動力はやる気です。学級は子どもたちのやる気を高めるところです。
 子どもたちのやる気は
「できないことが、できるようになった」「わからないことが、わかるようになった」
という達成感にかかわる実感と
「誰かと、つながった」「誰かの役に立った」
という関係にかかわる実感が持てたとき、自分への肯定感が高まり、やる気が高まります。
 学級生活で、子どもたちのやる気を高めるには
「つながりの中で課題を達成すること」
が求められます。
 子どもたちの挑戦の意欲を高めるにはどうすればよいのでしょうか。
 最初の一歩を踏み出すには、教師との関係性における安心感が必要です。
「この教師は、安心できる人だ」と実感ができれば、子どもたちは教師のうながしによって仲間とかかわろうとし始めます。
 クラスの子どもたちと関わるためには、傷つけられないという実感が必要です。みんなでクラスのルールや対人関係におけるマナーを守ろうとする雰囲気が必要です。
 温かな結びつきができてくると、子どもたちは、互いに助け合ったり、学級の問題を自分たちで話し合って解決したりすることが可能になってきます。
 温かな結びつきは、子どもたち一人ひとりに学級内で居場所をつくります。居場所ができると子どもたちは学級を好きになります。
 クラスの子どもたちとの信頼関係に基づいて、課題を解決する「できた、わかった、つながった」という実感は、子どもたちのさらなる挑戦の意欲を引き出していくことになります。
 私が小学校の教師だった頃、こだわっていた実践があります。それは子どもたちの誕生日を祝うことです。
 ホームセンターで発泡スチロールの板を買ってきて、直径40センチくらいの円を切りぬいて積み重ね、30センチくらいの高さのバースデーケーキを作りました。真ん中には太めのパーティーキャンドルを立てました。
 4月に最初の誕生日を迎える子に黒板の前に立ってもらい、
「みんなには一人ひとり誕生日があるよね。先生はその日が嬉しくって仕方がないんだ」
「だから、今日からみんなのお誕生日を祝わせてね。ケーキを用意したから」
 風呂敷で包んだバースデーケーキを教卓に乗せました。その風呂敷を取ったときのあの歓声を今も忘れることができません。
「おおー」「先生、ホンモノ?」「作ったの?」「すごーい」 
そして、ギターを弾いて、子どもたちと共にハッピーバースディを歌い、その子の誕生日を祝いました。
 そのときの子どもたちの嬉しくてたまらない顔が、自分の仕事の原動力になったと思います。
 前年度、学級崩壊し、問題が頻発していた子どもたちが、この小さなお誕生日会をすると、笑顔になっていました。
 その日の帰りの会は、間違いなく温かな時間でした。そして、気づいたとき、その5分間の雰囲気が教室の日常の雰囲気になっていました。
 どんな状況にあろうとも、教室の雰囲気をつくるのは、ほかならぬ教師であるあなたなのです。
 どんな1日であろうと、子どもたちの学校生活を朝の会・帰りの会の良好な雰囲気で包み込み、1日を「いろいろあったけどよかったな」と締めくくるようにすることができたら、それはとてもステキな学級生活とは言えないでしょうか。
(
赤坂真二:1965年新潟県生まれ、上越教育大学教授。学校心理士。「現場の教師を元気にしたい」と願い、研修や講演を実施して全国行脚。19年間の小学校勤務では、アドラー心理学的アプローチの学級経営に取り組み、子どものやる気と自信を高める学級づくりについて実証的な研究を進めてきた)

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授業中の子どもの間違い発言はどのように取り扱えばよいのでしょうか

 「教師は授業で勝負する」と言われています。
 授業中の子どもたちの発言は「わかっている子がするもの」という固定観念をもってはいないでしょうか。
 間違いを許さないという考えをもった教師の授業では、子どもたちは発言することに対して苦手意識を強くもち、劣等感を抱くことになってしまいます。
 子どもが間違った発言をしたときや、いつも間違える子どもに対して、冷ややかな目で見ていることはないでしょうか。
 授業中の子どもの間違い発言に対して「また間違えた」といった対応をしていないでしょうか。言われた子どもは委縮し、発言しなくなってしまうかもしれません。人間関係もくずれます。 
 これが原因で、授業がうまくいかなくなることがあることに気づかなければなりません。
 授業中、教師は
「間違えてもよいから、自分の考えを言ってください」
「誰でも間違いがあるよ。気にしないように」
「間違えたら正していくようにすればよい」
などと言って子どもの発言を引き出すようにします。
 間違った発言に対しては、まずは、その子の意見として受け入れ、それから別の考えがないか、意見を出してもらうようにします。
 間違いを恐れずに、自分の意見を言える雰囲気が教室にあれば、子どもたちは積極的に授業に参加することができ、学習への意欲も向上するのです。
 間違い発言をもとに、授業をデザインしていくこともできます。子どもが勇気を出して発言したいと思うような授業づくりが欠かせません。
 授業中、一度でも自分の考えや意見を言ったり、表示したりする機会があると、子どもは授業に参加しているという実感が持てます。
(
釼持 勉:東京都公立高校・小学校教師、教育庁、小学校長を経て、帝京大学教育学部教授、東京学芸大学特任教授)

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殴られたほうの生徒の親が「殴った生徒を呼んで土下座させよ」と言い張るとき、どうすればよいでしょうか

 中学二年生のA男は、以前から問題行動のある生徒でした。
 学校生活でも、教師に暴言を吐いたり、ささいなことから同級生に暴力をふるったり、学校の器物を壊したりして、指導を受けたこともありました。
 ある日の夕方、そのA男の母親から学校に電話がかかってきました。
「うちの子が殴られた。今から学校に行きます」という内容でした。
 母親も中学時代から問題行動を繰り返して警察の世話になったことがあると教頭が教えてくれました。
 まもなく、母親とA男が学校に来たので、私は生徒指導担当と一緒に相談室で詳しい話を聴くことにしました。
 それによると、上級生がA男は「生意気だ」ということで、A男は上級生に胸ぐらをつかまれ、腹を三発ほど殴られたということでした。
 殴ったのは三年生の三人で、すぐに名前を特定できました。その中には、A男が以前暴力をふるった生徒の兄も含まれていました。
 話をしているうちに、母親が「今すぐ、その三人を呼んで、土下座させて謝らせてほしい」と言い始めました。そこで
「その三人に連絡をとって話を聞いてみます。まず事実を確認させてください」
「その上で、きちんと対応をとります。しかし、土下座ということについては、いかがなものでしょうか」
と、少しなだめるように答えました。
 それでも、母親はがんとして「今すぐ、その三人を呼んで、土下座させて謝らせてほしい」と言い張りました。
 さらに母親は
「私がその子たちの家に行ってもかまわないが、そうなると親同士のけんかになってもっと大事になるかもしれませんよ。それでもいいんですか」
と、脅すような感じで言いました。
 土下座についても
「この子が前に殴ったときは一対一だったから、それはけんかでしょう。それでもこの子は謝らされました」
「今度のことは集団の暴力でしょう。だから土下座くらいさせるのが当たり前」
「そうでないと相手の子は反省しないし、またやらないという保証にならないでしょう」
と、強い口調で言ってきました。どうすればよいのでしょうか。
 この母親のような言動は「子どものけんかに親が出る」と言って、昔からよくないこととされてきました。
「今すぐ呼んで土下座させよ」「その子の家に私が行ってもいいが・・・・」
と、まさに脅迫まがいです。
 すぐに、この場に関係者を呼んで謝罪させることは、しない方がよいでしょう。
 当事者、双方に、よく事情を聞き、日頃の思いを吐き出させてから、謝罪をさせるべきです。それにしても、子どもに土下座はさせるべきではありません。
(
諏訪耕一編集:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの相談室」を開設した)

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生徒指導のうまい教師から、指導方法を学ぶにはどのようにすればよいのでしょうか

 私が今まで関わってきた教師の中で、子どもたちとの関わりが素晴らしく、常に慕われている人がいました。
 その教師の話す言葉に、子どもたちは納得し、すっと心に入っていく様子を何度も見てきました。
 私は、なぜその教師は指導がうまいのかをよく見て、真似をするようになりました。
「いつも笑顔だな」「メリハリがあるな」
など、気づいたことを自分でも実践してみました。
 もちろん、私がその教師になることはできません。しかし、指導がうまい教師のよさをたくさん見つけようとすることで、少しずつですが、自分なりに生徒指導の仕方が身についてくると思います。
 若い教師は、ぜひ、指導がうまいと感じる教師の姿を見て、よさをたくさん見つけて、実践するとよいでしょう。それが上達への一歩になると思います。
 まずは恥ずかしがらずに、真似してやってみることです。声のかけ方や取り組みなど、やってみると子どもの反応が劇的に変わることがあります。
 やってみると、うまくいったり、いかなかったりして、やってみたからこその発見があります。
 おそらく、真似るだけでは、子どもに迫ることは難しいと思います。やがて、真似だけではいけないと分かった時が、もう一段、階段をのぼる瞬間だと思います。
 あんなにヤンチャな子が素直に話を聴いている。落ち着きのない子が、教師の「あかんよ」というひと言でピタリとおとなしくなった、という場面を見たことがあると思います。
 その教師の経験や人柄、ふだんの口ぶりなどから、独自の指導の方法があります。その教師のキャラを生かした、個々の教師にしかできない指導があるのです。
 その教師の指導を見せてもらいましょう。場合によっては協力してもらって指導をします。
「先生、指導にご一緒させてもらっていいですか」
「まだまだ自分の指導に自信がないので、参考にさせてください」
と、お願いするとよいでしょう。
 その時は、ただしっと横にいるだけになるかもしれませんが、経験を積めば、いずれ若い教師に教える時がくるはずです。
(
長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立・岐阜県公立小学校教師を経て岐阜県公立中学校教師。2004年に「第40回わたしの教育記録」で新採・新人賞を受賞。NPO法人「授業づくりネットワーク」理事、教育サークル「未来の扉」代表代行、『教師になるには』編集代表、クラス・マネジメント研究会代表)
(
杉本直樹:1980年大阪市生まれ、大阪市公立小学校教師。生活指導部長)


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教師に反抗する子どもを保護者と協力関係を築き、協働して指導していくようにする

 教師の言うことを聞かなかったり、無視するかのような態度をとる子どもがいます。ときには、暴言をはいたり威嚇したりして反抗するような子もいます。
 いくら注意しても「何を言ってるんだ」と反抗的な態度をとって、敵意をあらわにすることもあります。
 このような子どもは、教師は敵だとさえ考えています。ですから、教師が子どもの「上に立つ」ような態度をとるようにします。
 教師が子どもの「上に立つ」ような態度とは、教師が権力を振りかざして、子どもを威圧することではありません。教師は余裕を持って子どもを見るようにすることです。
 
「何で悪いの?」「勝手に怒れば?」といった子どもの挑発にのらないことです。あくまで冷静に、教師としての余裕を持って、反抗する子どもに対峙します。
 反抗する子ども本人にも、まわりで見ている子どもにも「先生にはかなわない」と思わせるような態度で臨みましょう。
 どんな子どもでも、必ずよさを持っているものです。余裕をもって、その子の良さは何かを探し出し、認めるようにします。
 子どもが反抗することを保護者に伝え、家で注意するようにお願いするだけでは、保護者は教師を敬遠します。
 保護者に「こんないいところがある」と子どもを認める姿勢を伝えることで、保護者は「先生は良いところも認めてくれている」と、教師を信頼し協力する気持ちを持つようになります。
 保護者を味方につけることです。教師が子どもの良い面を見て、認め、心配している気持ちを、できるかぎり機会をつくって保護者に伝え続けましょう。
 たとえば「先生には反抗的ですが、友だちには優しいし、よく人の世話をすることができます」などと。
 わが子を認め案じてくれる教師を、保護者は信頼し、協力してくれるはずです。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良市立公立小学校教頭。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」という主張のもと、「叱り方」研究会を立ち上げる。講演会や専門誌での発表活動を行っている)



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担任が子どもたちを伸ばしていくためには、2つの目で子どもたちを見る必要がある

 学級で子どもたちと過ごす中で、担任が子どもたちを伸ばしていくためには、2つの目で子どもたちを見ることが必要だと私は思っています。
(1)
未来からの目
 未来からの目というのは、子どもをどのように伸ばしていきたいのかという目標から現状を見る目です。
 そうすることで、子どもに足りないことが明確になり、指導することができます。
 教師は自分なりの子ども像や学級像の目標がなければ、一つひとつの実践や指導に思いが乗らず、子どもにもなぜ必要なのかを明確に指示できなくなります。
 私は教室の中で、教えるべきことと、子どもたちで考えさせるべきことがあると考えています。
 年度初めの4月には教えるべきことの割合は多く、年度末の3月には考えさせるべきことの割合が多くなります。
 各教科での学び方や表現の仕方、掃除の仕方、けんかの解決の仕方など、最初は子どもも自分達ではできません。
 最初は教師が中心となり、一つ一つていねいに指導していく必要があります。そうして、だんだんと子どもの裁量を増やしていくことが大切だと思います。
(2)
過去の目
 子どもと出会った当初、どのような状態だったのかという目です。
 目標から現状ばかりを見ていると、足りないことに目が行き、不満や不安でいっぱいになります。そうした時、過去から現状を見ることで、子どもたちのがんばりに目が向くようになります。
 4月から子どもたちは変化をします。その変化をしっかり伝えてあげることが、目標に向かうためのエネルギーにもなります。
 私は子どもたちのがんばりや成長を、みんなの前で一人ひとり紹介する時間を月に一回はとるようにしています。子どものがんばりを認めていくことが大切だと感じています。
 子ども自身のためでもあり、教師自身が、今やっている実践に自信を持って取り組むための力にもなります。
 反省や改善も大切ですが、子どもや教師自身のがんばりを認めていくことも大切だと思います。
(
金 大竜:1980年生まれ、大阪市立小学校教師。教育サークル「教育会」代表。日本一ハッピーな学校をつくることを夢見て、学級づくりの取り組みがメディアに取りあげられている) 

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実は能力がないと「子どもが好き」な教師にはなれない

 いい先生についてアンケート調査すれば、どの調査の回答もほぼ似通っている。
 小中高生は「授業が分かりやすい」「親しみやすい」「公平性」などを。
 保護者は「教育への熱意がある」「子どもに愛情を持つ」「授業が分かりやすい」
 などをいつも上位にあげている。
 教師に望まれる資質として「子どもが好きなこと」がよく言われます。ところがよく見ていると、気の合う子どもは好きでも、そうでない子はそれほど好きではないのです。
 肌が合わず、手がかかりすぎる子どもが苦手という、深くて固定的な資質が教師にはあります。
 クラスのなかの数人は聞き分けのない子、肌の合わない子がいるはずです。そうした子どものことは、つい除外して、残りの大部分の子どもを念頭に置いて「子どもが好きだ」と言ってしまいがちです。
 問題は無意識に除外されがちな子どもたちに、担任はどう接するかということです。教師の資質の真価が問われるのは、実にその点にこそあるのではないでしょうか。
「たとえ肌が合わないと感じる子でも、意思疎通をはかって、その子を理解しようとする」ためには、子ども理解のための知識と技術を必要とする。
 たとえば、その子どもの発達段階の特徴は何か、その子の背景にどのような家庭や地域があるか、などは子ども理解の基本的知識であり、そうした知識を得ながら指導に生かすことのできる技術である。
 子どもと向き合うときの、そうした知識や技術は教師の能力に属する。 
「子どもを好きになりなさい」と言っても、子ども理解の知識や技術を能力として身につけることは可能である。
 その能力は毎日の経験や日頃の研修を通じて磨かれていくだろう。
 つまり「子どもが好き」であることは、教師の人間性としての資質だけに根ざすのではなく、能力がないと実は「子どもが好き」な教師にはなれないのだ。
 逆に言えば、能力を高めることによって、肌が合わずに手がかかり過ぎると感じる子どもも、徐々に好きになっていくのである。
(
今津孝次郎:1946年生まれ、名古屋大学教授・附属中高校長を経て名古屋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校臨床社会学、発達社会学)

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子どもが反抗するとき、大人はどのように対応すればよいのでしょうか

 子どもに反抗されると、腹が立ちます。けれども反抗は子どもの自立には欠かせないことなのです。
 親がわが子をいつまでも、子ども扱いしていると、次第に「うるさい」「ほっといて」となっていきます。この親に反発する時期を反抗期といっているわけです。
 子どもは、反抗しているわりには、親に甘えたい気持ちものこっています。自分では反抗と甘えが矛盾した行為であると、客観的に見るだけの心のゆとりがないのです。
 反抗すると言っても、それは親の言うことや社会のルールを「どうして?」と、考え直している過程なのです。
 それを積み重ねて行って「自分で考えて、自分で納得して、自分で行動できる自立した人間」になるのです。だから、反抗は子どもの「精神の自立」には欠かせないのです。
 それをわかっていると「うるさい、くそババア」と、子どもに反抗されても、親は余裕を持って受け止めることができるはずです。
 わが家でも、中学生だった息子と口論になり「あんたみたいな古いヤツは・・・・」と言われたときは「親に向かってあんたとはなんだ!」と、頭にきて怒りましたけれど、あとで「初めて言えたな、成長したな」と思いました。
 この時期に親と子どもは葛藤しないといけないのです。だから、親は本気で怒って親子ゲンカしていいのです。
 その一方で「やっと親に反抗し始めたな」と思って、それまでより少し距離をとるようにしてほしい。
 そして「自分で決めろ。その代わり、失敗しても自分の責任だぞ」という世界を広げてやってほしい。子どもが自分自身で決めるように、親は少し態度を変えるのです。
 子どもの屁理屈も自分を説明しようとして一生懸命に考え、考える力を伸ばすので、大事にしてあげてほしい。
 失敗しても、それは間違いなく成長の糧になりますから、結局は失敗でなくなります。何とかするはずと子どもを信頼するのです。
 
「自分のことは自分で決める」ことのほかに、家のお手伝いは、子どもの自立には欠かせません。
 意識的に家族みんなで家事を分担して、子どもに家事をやらせてみるとよいと思います。
 掃除や料理は身辺自立、お手伝いしてお小遣いをかせぐのは経済的自立、買い物や親せきへの届もの、家族旅行の切符の手配などのお手伝いは、子どもが社会で自立するための練習になります。
 わが子が格差社会でも、しっかり生きていけるように子育てするには、どうすればよいのでしょうか。
 ぜひとも「自分への信頼感」をしっかりと育ててやってほしい。
 遊びでも習い事でも、お手伝いでも勉強でも、部活でも何でもいいのですが、小さいころからいろんなものにチャレンジして「達成できた!」という達成感が大切です。
 
「私はできる」「がんばればできる」という自分に対する信頼感、そして自分にはいいところがあるという自己認識を育ててやることが、とても大事なことだと思います。
 
「子どもに自分で決めさせて、どんどんチャレンジさせる」「親は子どもを後ろから応援する」この子育ての基本を忘れないでください。待つということも大事なことだと思います。
(
汐見稔幸:1947年生まれ、東京大学附属中等学校長、白梅学園大学・同短期大学学長、東京大学名誉教授。専門は教育学、教育人間学、育児学)

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学級崩壊を起こす教師は、子どもたちと共鳴する力が不足しているのではないか

 私は若い教師をたくさん見てきました。その結果「遊べない教師はだめだ」「遊ぶときには、とことん遊べる教師が良い教師になる」と言えます。
 遊べるということは、ものごとの楽しみ方を知っているということです。
 遊べるということは、どんなメンバーとも、おもしろさを発見して心から楽しむことができるということです。
 子どもはおもしろいことが大好きです。子どもは遊びのなかに、人間関係の機微を学びます。
 教師が日常生活のなかに楽しみを見出せないタイプの人では、子どもたちがかわいそうです。
 子どもと一緒に笑ってくれる教師、子どものいたずらを叱りながらも共感してくれる教師、必要なときにボケてくれツッコミを入れてくれる教師、そういう教師が子どもたちを育てていくのだろうと思います。
 私は、この「子どもと共鳴する力」は教師力の一つだと、とらえています。
 学級崩壊を起こす教師、子どもに反発される教師を見ていると、このことが実感されます。
 そのような教師は、子どもの発している電波とは異なった電波で受信しようとしている。
 子どもの電波とは合わない、自分のたった一つの電波しかもっていない。そういう教師が子どもたちとのコミュニケーションを断絶しています。
 子どもたちが発している電波に、即座に合わせられる、そんな共鳴力がなによりも必要なのではないでしょうか。 教師が子どもと接するときは、その判断の連続です。
 学級崩壊を頻繁に起こす教師、子どもたちとのコミュニケーションがへたな教師というのは、実はこれができないのです。
 どうすれば、共鳴力を鍛えることができるのでしょうか。
 気の合わない人、知らない人とも遊んでみる、そこに楽しみを見つけてみる、というのが近道であるように思います。
 教師が遊べるということは、実は他者への共鳴力が高いことを意味しています。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)

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問題行動に対して毅然とした指導するにはどのようにすればよいか

 生徒の問題行動に対して「ダメなことはどんな理由があってもダメ」とする指導をしなければ子どもは健全な発達ができようはずがない。
 私が校長として着任した学校で、問題行動に対して毅然として指導する生徒指導の徹底を次のように図った。
(1)
どんな小さなことでも授業規律を乱すような行為に対しては、見逃さないでその場ですぐに指導を行う。
(2)
教師の指導に従わない暴言・暴力等の行為に対しては、一歩も引かないで毅然とした態度で臨む。
 そして、一人での対応が厳しいと判断した場合は、職員室や隣の教室と連絡を取り、必ず複数の教職員で指導にあたることを徹底する。
(3)
教師は自分の周りには他の全教職員がいるんだという気持ちでいると、勇気と自信をもって生徒指導にあたる気迫が出てくる。
(4)
厳しい指導とは、全教職員が同じ指導方法であたるということではない。ある教師は厳しく、またある教師は受容的で生徒の気持ちを理解することも大事である。
 ようは、真剣に本気で生徒とかかわれるかどうかということが大事である。
 これらの指導方針は、保護者会等を通じて、全保護者にも伝え、それを実践していった。
 本気の指導こそが生徒の意識を変えることにつながる。
 成果が出てくれば、教職員は毅然とした指導態度をとることについて自信がついてくる。
(
山本修司編著:1950年生まれ、東京都公立中学校教師、指導主事、指導室長、校長を歴任し、荒れた学校を立て直した。2005年度読売教育児童生徒指導部門最優秀賞受賞、編著書『実践に基づく毅然とした指導』は、生徒指導に悩む教師たちのバイブルといえる)

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気になる子どもやその保護者と、じょうずに付き合うには、どうすればよいのでしょうか

 問題行動の多い気になる子どもと、その保護者のことで頭を悩ませている先生も多いのではないでしょうか。
 教師はどのように関係を築いていくか、ということが重要になってきます。
 教師には、様々な能力が求められます。その中でも、授業力と保護者対応能力、この二つは重要な能力です。
 管理職にとっては、良い授業をする教師が望ましいが、保護者対応能力が高い教師の方が安心できる教師です。
 教師が保護者の信頼を勝ち取るには、家庭訪問や個別懇談会、日頃のやりとりの能力が強く求められます。
 今の教師は高い保護者対応能力が要求されるのです。気になる子どもやその保護者と、じょうずに付き合うには、どうすればよいのでしょうか。
1 初めて親に連絡するのは、良いことから
 私は、気になる子を担任した時、じっとその子を観察します。その子が良いことをしたら
 
「きみは、いいところがあるなぁ」
 
「今日、家に帰ったら、必ずうちの人に、先生にほめてもらったことを言うんだよ」 
と言います。そして、その日の夜、保護者に電話します。
「今日、○○くんは学校で、こんないいことをしました。ちょっとうれしくて、思わず電話をしてしまいました」
「えっ! まだ言ってないのですか? 今日、うちに帰ったら話をするように言ったのですけど」
すると、ほとんどの保護者は「え~、本当ですか? そんないいことをしたのですか?」と、うれしそうに答えてくれます。
 いわゆる問題行動の多い子の保護者は学校からの電話は悪い話と身構えます。
 しかし、今度の担任は「うちの子のいいところを、見ていてくれる」という思いを持つことになります。大きな効果があるのです。
2 その子だけが、ほめられる行為をしたときは、おもいっきりほめる
 問題行動の多い子が、一人だけで、よいことをしたとき、みんなの前で、おもいっきりほめます。
 すぐに行動が変わるわけではありませんが、少しずつ変わっていきます。それまで荒れていた子が、落ち着いていくのです。
 私の気持ちが子どもたちの心に届いているような気がするのです。
 よいことをした時にはほめ、悪いことをしたきは叱る、という基本的な態度は絶対に変えません。ひいきをしない、色めがねで見ない教師として、信用してくれるのだろうと思います。
3 子どもが問題行動を起こした時、子どもの口から親に報告させる
 私は、まず、その子の口から親に報告させるようにしています。なぜか?
 親がわが子から直接話を聞くことによって「自分の子どもが悪い」という覚悟ができるからです。
 しかし、ほとんどの教師は、子どもに問題行動があった時は、直接、親に説明します。
 すると「うちの子が、本当に悪いのか?」と、親は子ども呼んで真偽を聞きます。
 子どもは親の迫力にたじろいで「いや、ぼくだけじゃない」「そんなことしてない」と否定する子どもいます。
 親はわが子がかわいいですから「悪いのはうちの子じゃない」とわが子の擁護に回り、教師に不満を言ってくる親もいます。
 こうなると、関係者を集めて、責任を明確にしなければならない。解決に時間がかかってしまうのです。それを避けるためです。
4 問題を早く解決するために、すぐに家庭訪問する
 問題行動を起こしたとき、子どもは親が怖いですから、自分の都合の悪いことは話しません。そんな時は、親は教師に不満を向けてくるものです。
 私は保護者から電話がかかってきた時、どうも私が聞いていたことと違う、自分の都合の悪いことは話していないな、と判断したら「お母さん、電話で言っていても何ですから、今から行きます」と、すぐに家庭訪問します。
 そこでじっくりと話を聞くのです。家庭訪問する利点は
(1)
電話では教師に言えることでも、面と向かうと言いにくくなる。
(2)
子どもに面と向かって「今日、先生が聞いていた話と違うな」と言うと正直に答える。
(3)
次の日に延ばすと、記憶があいまいになり、事実が不明確になる。
(4)
家族が一緒だと、わりと冷静な判断をしてもらえる。
(5)
家庭訪問されることが嫌な親は、教師にすぐにこられると困るので、少しのことでは電話してこなくなる。
5 問題行動の多い子に「いつも、おればっかり叱られる」と思わせない
 教師が子どもと接するときは、成績のよい、おとなしい子には評価が甘くなりがちで、問題行動の多い子には、同じことをしても厳しくなりがちです。
 例えば、問題行動の多いAくんが授業中に隣の子と話をしていたら「こら! A、また話をして、授業を聞いていないな」といった叱り方になりがちです。
 そうすると、Aくんは、自分だけ注意されたことに不満をもち、不信感にもつながりかねません。
 私は、このような場合、話をしている子どもたち全員を注意します。「いつも、おればっかり叱られる」と思わせないことが大切なのです。
(
楠木 宏:1956年生まれ、三重県公立小学校教頭。教育研究三重県集会理科部会助言者)

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暴力を振るう子がクラスに出てきて、他の教師の力を借りないとやっていけないようになった

 学級崩壊の話題がでると、私が小学校二年生を担任して学級が荒れたことを思い出します。
 私は、それまでは大きな団地にある学校ばかり20年以上勤務していたのですが、はじめて田舎の小規模校に転勤しました。
 いままでの学級づくりの方法が、けっしてベストではなかったけれど、まあまあだったので、いままでのやり方でクラスをまとめていこうとしました。
 ところが、十月をすぎるころから、クラスの一人の男の子がいうことをきかなくなりました。自分の思い通りにならなかったら、平気で友だちを殴ったり、けったりしました。
 その子があまりにもわがままを押し通そうとするので、その子から、はずれた価値観で学級をつくっていこうとしました。それが彼の心をキレさせたのでしょう。
 私が、授業中も、彼のいうことをきかなかったり、彼をあててやらなかったりすると、むくれたり「先生はおれのこと嫌いなんや」と言っていました。
 自分の思いが通らなくなると、いきなり担任の私にむかって暴力をふるってきたのです。自分がいたらなかったのだと考え、軌道修正をしてみましたが、駄目でした。
 一月になると、授業が終わったとたん、いきなり私に向かって殴る、けるなどの行為が出てきました。
 毎日、学校に向かうたびに「今日こそは彼にやさしくしてやらなければ」と思って学校に行くのですが、暴力を受けるともう駄目でした。
 校長は「けっして、やりかえしは、しないように」と私に言いました。
 まだ二年生だったから、二回~三回の通院ですんだのだと思います。でも殴られた耳の聴力は悪いままです。
 暴力は毎日だったので、まわりの教師がたまりかねて、当番を決めて教室に入ってくれることになってからは、すこし授業は、ゆとりをもってできるようになりました。
 彼が暴力をふるってきたら、当番の教師が彼を別室につれて行き「さとした」からです。
 他の教師の力を借りないとやっていけないなんて、私にとっては屈辱でした。
 でも、学級崩壊はあちこちで起きていることであり、私だけの問題ではありません。
 このようなことが起きたのは、私が自分の経験をもとに「やり方を固定してしまった」ことが「子どもたちの実情にあっていなかった」のではないかと思えてきました。
 彼らは愛を求めていることは、わかっているのですが、私の「言葉かけ、一緒に遊ぶ、だきしめる」といった言動に、愛が不足していたのでしょう。
 私は当時、家庭の問題をかかえていて、ゆとりなんてありませんでした。
 その後、仲間の教師がさそってくれた生活指導研究会に、週一度参加させてもらいました。そこで、私は自分のやり方の「かたさ」がわかってきました。
 転勤して二年目、やっと心の傷もじょじょに回復にむかいました。
 子どもたちに、とにかく「あなたのことが大好きなんだよ」というメッセージを、いつも心から発してあげることが、一番のクラスづくりの基本だということが、いまさらながら、わかってきました。
 また、「子どもたちを笑わせてあげること」も大事なクラスづくりの一つのようです。
 子どもたちに、楽しければいいという意識があるような気がします。子どもたちは、よく笑わせてくれる先生を心待ちにしているのではないかと思います。
(
元大阪府公立小学校女性教師)

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絶対に言ってはいけない、だめな教師の話し方とは

 教師の話し方にも、それぞれ癖があります。たいていの場合、本人は気づいていません。「これでいいのだ」と思っているのです。
 本人が無自覚のままイライラさせてしまう話し方をしている人をたまに見かけます。
 教師という仕事柄、このような癖がある人は早急に直さないといけません。クラスの子どもたちは、一日中、聞いているので、ストレスがたまっているはずです。
 自分の話し方の癖には気づかないことが多いものです。いくつか絶対ダメな話し方を紹介すると、
(1)
「でも」「だけど」など否定する言葉
 「でも」「だけど」などの言葉の後には必ず否定語が続きます。
 言われた人は、決していい印象を持ちません。「この人に話しても無駄だな」と感じ、距離をとられることになります。
(2)
「忙しい」「しんどい」などの、マイナスの言葉
 教師の仕事は忙しく、しんどいこともありますが、周りの人をハッピーにする教師は、このような言葉を使いません。プラスの言葉を意識して使うようにするとよいと思います。
(3)
「あのぉ」「ええっと」などの、ムダの多い、だらだらした言葉
 話すことがまとまってない時、不自然な間をあけたくない、という気持ちから出る言葉でしょうが、聞く人に不安感を与えてしまいます。
 口癖になっている教師は要注意です。授業の様子を録画や録音して、後で聞いてみてください。このような言葉が多いのにがく然とするはずです。
(4)
話が長い
 話が長いと、それだけで疲れ、聞き手にストレスを与えます。どんなにいい話をしていても、話が長ければ、そのよさも半減するのです。
 どうすれば話を短くできるでしょうか。ムダなだらだらした言葉をなくし、言いたいことのポイントを一つだけ決めて話すとよいでしょう。
(5)
上から目線で話す
 人に対して見下し、仕方がないから、教えてあげますよという態度をとること。
 
「なめられてはいけない」と、上から目線で話をする教師がいますが、逆に「心が小さい人間だ」と見透かされ、なめられるだけです。
(6)
言葉に心がこもっていない
 ほめても、ほめ言葉に心がこもっていない。「はい、はい、すごい。すごい」なんて言われたら、むしろ腹が立ちます。ほめ言葉に嘘を混ぜてはいけません。
 ほめ上手な教師は、まず自分自身が何よりもうれしそうにしています。だから自然とうれしいという感情が声に乗っているのです。
 自分の感情やイメージがちゃんと表現できる声がでるよう練習するとよいでしょう。
(7)
叱るとき、以前のことも言う
 叱るとき、ついつい感情的になって、以前の行いのことまで引っ張り出して叱ってしまう。話も長くなるし、いいことは一つもありません。
 
「それ、今、関係ないし」と、子どもは嫌な思いが残り、反発する気持ちが生まれるだけです。
(
俵原正仁:1963年生まれ、兵庫県公立小学校教頭、笑顔の教師が笑顔の子どもを育てる実践はマスコミにもとりあげられた)

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学級経営で大切なことは「どの友だちとでも、活動できること」、どうすればできるでしょうか

 学級経営で大切なことは「どの友だちとでも、活動することのできる関係を築かせる」ことです。
 子どもは、そのままにしておけば、仲のよい友だちとは積極的に関わろうとしますが、他の友だちとの関わりには消極的です。
 ですから、教師が意図的に子ども同士を関わらせることが必要になります。
 気分が乗らない朝は、友だちの些細な言葉や行動に、つい感情的になってしまいがちです。友だちと関わることがおっくうになっている子もいます。
 朝一番で、意図的に楽しく子ども同士を関わらせることが必要です。そのために「気持ちのリレー」を行います。その方法は
 今の気持ちを、ひと言で、子ども全員に発表させていきます。この時、座席順に次々と発表させます。
 まず、教師が、最前列の子に
「今、どんな気持ち?」
と、声をかけます。その子から、座席順に気持ちを発表していきます。
「ちょっと眠いです」→「元気です」→「気分いいです」・・・・・
というように、次々とリレーしていきます。
 ネガティブな言葉ではなく、元気の出るような言葉でリレーしていくと、気持ちが明るくなっていきます。しかし、あまり強制しないようにしましょう。
 
「気持ちのリレー」は、そのままにしておいては、あまり関わることのない友だちとふれ合う機会になります。
 目を合わせて、たったひと言「元気です」などと伝えるだけですが、毎日、多くの子と関わりをもつことに、大きな意味があります。
 ひと月もすれば、どの友だちにも話しかけることに、おっくうさを感じないように変化しています。
 友だちとあまり関わらずに一人でいると、子どもはどんどん不安になってしまいます。「どう思われているのだろう」などと、不要なことを考えるようにさえなります。
 授業でも同じですが、子ども同士を関わらせることで、互いに相手が自分と同じように友だちと関わることに喜びを感じていることに気づかせることが必要です。
 実際に友だちと関わることで、不要な心配をもつこともなく、安心して学習することができるようになります。
 教室での子どもの交流関係を広げるのは教師です。 
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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保護者との対応に悩む教師へのアドバイス

 保護者との関係に悩んでいる小学校の先生に私が、まず最初にアドバイスすることは「親は簡単に変わりません。あきらめましょう」ということです。
 親はもう長年生きているんだし、すべての子どもの親が教育に熱心であるという教師の思い込みのほうが間違っている。まずは「あきらめましょう」という前提で対応するのです。
 そうしないと、熱心な先生であればあるほど、親を何とか変えようとする。でも、変わってくれない。「なぜ私がこんなにカリカリしているんだろう」と感じてしまう。
 そうすると、無力感や徒労感を感じてイヤになってしまう。その子に関わるのもイヤになる。そうすると、その子に関わることを放棄してしまうことがある。
だから
「親のことはあきらめて、まず目の前の子どもが勝負ですよ」
「子どもたちに何ができるかに視点を変えていきましょう」
と、申し上げるんです。
 二番目は、多くの先生がやってしまうことなんですけど、クレームをつけてくる親に[正論で対応しようとする]ことです。
 親はキレてしまいます。親がキレると教師もキレる。そうすると悪循環のまま。
 つまり、正しいことを言うかどうかは親との間でそんなに大切じゃないんです。まず「関係づくり」に徹しましょう。よく話を聞きましょうと。
 うなずいて、この先生は私の味方なんだなあ、というふうに感じてもらうことが先決です。
 三つめは、デパートの苦情処理を参考にするとよい。デパートては、苦情を言ってきたお客さんは最高のお得意様になる可能性がある人だと。だから「もてなせ」と言っているそうなんです。
 確かにクレームを言ってくる親は、まだ子どもや学校に関心があるわけで、話を聞いたうえで
「ありがとうございます」と感謝して
「本当にお子さんのことを一生懸命考えてくださっているのがよくわかりました」
「私たちは、そのために何ができますか」
というふうにもっていくと、もしかしたら、学校のための戦力になってくれるかもしれない。
 だから、私はよくこう言います。正論で勝負しようとするやり方は空手である。力対力で勝負する空手である。
 カウンセリングマインドというのは相手が責めてきたら、その相手の力を積極的に利用する合気道の精神なんですよと。
 そういう精神は親との対応でも必要なのかな、と思うことがあります。
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表)

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教師が「子どもたちを立派な人間に育てる」という高い意識を持ち続けることが難しくなった

 教師が高い意識を持ち続けられるかどうかは、外的要因が大きく影響する。
 外的要因が何かといえば、それは子どもたちや保護者からの「信頼」である。信頼され、尊敬されていれば、教師も高い意識を持ち続けられる。
 しかし、あまり高くないのが現実であるようだ。
 英国の教育慈善団体「バーキーGEMS財団」が小中学校教師に対する信頼度などを数値化した「世界教員地位指数」が世界21カ国中、日本は17位だった、と朝日新聞(電子版)2013年に報じている。
 かつて、教職は「聖職」と呼ばれたりしていた。そこには信頼と尊敬の気持ちが込められていた。ところが、最近は、教師を特別な存在として認めるような人はめずらしい。
 それどころか、ますます「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者が増加している。子どもをちょっときつい言葉で叱ったりしようものなら「オレの子を虐待している」と怒鳴り込んでくる。
 教師が土下座して謝るまで許さない保護者もいると、小学校の教師に聞いたことがある。それくらい「モンスターペアレント」はめずらしい存在ではなくなった。
 そういう親はわが子に教師の悪口をいいたい放題だから、子どもも教師を軽んじることになり、教師は信頼や尊敬など、ほど遠い存在でしかない。
 現在は、教師が威張ったりすれば「モンスターペアレント」のターゲットにされかねないし、子どもに無視されるに決まっている。
 こういう関係では、教師に高い意識を持ち続けろ、というほうが無理というものである。
 若い教師であれば、もともと高い意識で教師になったのだから、情熱を持って現実に立ち向かえるかもしれない。
 それが、勤続年数が長くなり、このような現実を長く経験してくると、情熱もしぼんでくる。
 
「子どもたちを立派な人間に育てる重要な役割を担っている」といった高い意識を維持できなくなるのも当然だ。
 信頼もされない、尊敬もされない環境が、教師たちの意識を低下させて、教師を続けていく意欲も減退させる一因となっている。
(
前屋 毅:1954年鹿児島県生まれ。「週刊ポスト」の経済ライターを経て、フリージャーナリストに。教育、経済、政治、社会問題などをテーマに執筆を展開している)

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はめをはずす子を大目にみて学級崩壊したが、叱る基準を決めるとともに、保護者たちの協力で立ち直った

 私が住んでいた学区にあった小学校の事例です。
 一学期の半ば頃のことでした。当時、近所の小学校二年生の子どもの母親が、今度の日曜日にある授業参観日に「こっそり、うちのクラスを見に来てくれ」と言うのです。あんな、めちゃくちゃなクラスで大丈夫だろうかという心配があったからです。
 当日、授業を見に行っておどろきました。子どもたちのほとんどが、勝手なことをしているのです。
 きゃっきゃ言いながら机の上を走り回っている男の子が何人か。それを見ておもしろがっている女の子たち。四、五人の子どもたちが輪になってじゃんけんをしているかと思うと、床をはいずり回っている子どもたちがいます。
 動物園のサルのおりの中でも、これほど騒がしくはありません。若い女教師の「もう、やめてっ」というかん高い声が哀れでした。
 一年生の時の担任はベテランの教師で、厳しく、しつけもよく行き届いていたようです。そのクラスを新任の教師が担任したのです。
 子どもたちはみんな行儀がいいし、決まりを守るよい子ばかりだったので、少しぐらいははめをはずす子がいても、おおめにみてきました。
 すると、子どもたちは、どんどんタブーを破っていきました。その結果、学級崩壊を招いたようです。
 ここまできてしまうと、修復はなかなか困難です。
 このようになる前に「ほめるべきことは、ほめ」「叱るべきことは、叱る」という姿勢が教師に必要だったと思います。
 幸いなことに、そのクラスの親たちが大変よかったのです。担任をなじる親は少なく、理由はともあれ「ああいう態度をとる子どもたちも悪い」と、わが子をいさめました。
 担任には、厳しさも愛情であることを知ってもらいました。
 
「どの親にも、目に余ることがあったら、すぐに知らせてほしい」と、担任に頼み、そのことを子どもたちにも伝えました。
 若い担任は、素直に親の言い分を受け入れ、叱るべき時には、叱るよう心がけました。叱るべき時とは「自分や他人の心身に傷を負わせる心配のある時」と決めました。
 それ以外は、これまでどおり大目にみたのですが、一学期の終わりには、まともな授業ができるようになっていました。
 二学期には、担任と子どもたちは友だち同士のように仲良くなりました。それでいて、担任を信頼し、聞き分けのよい子どもたちばかりで、本当に理想的なクラスになりました。
(
福井 明:元岐阜県公立小学校教師)



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