家本芳郎(いえもと よしろう)(小・中学校) 「きみは授業がへた」
1930~2006年、東京都生まれ、神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、生活指導の研究会活動に参加し、全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した。
「生徒が悪いので、テストのできがよくない」という話を、小学校に勤務していたときの先輩教師にしたら「テスト結果が悪いのは、きみの授業がへただからだ。おれたちは、どんな子どもにもわかるように教えるプロじゃないのか」といわれ、がくぜんとした。
「へたな授業」からどう抜けだすのか、いったいどんな授業をやればいいのか。だれに教えてもらったらいいのか見当もつかなかった。
主任が「人の授業を見たり、また、自分の授業を見てもらうのが、一番、授業改善に役立つんだが」といった。
はじめて他人の国語の授業を見た。教師によってずいぶんちがいがあることがわかった。死んだようなクラス、生き生きしたクラス、騒がしいクラスなどいろいろあったが、それらは教師の授業のすすめかたに比例していた。
学校は忙しいから「学ぶ」といっても、親切に学ぶ場などつくってくれない。となると、自力で身につけるしかない。
わたしは、若いころ、ほかの学級の教室をのぞいてみて学んだ。盗み見するのである。これはすぐにできる。放課後、校舎をまわって、よその学級の教室へ入って、掲示物などを見るのである。わからないことがあれば、その担任の先生に聞くことにした。どの教師も親切に教えてくれた。
「どうやるのですか」「これはどういう意味ですか」「なぜ、そうするんですか」「先生のクラスではどうしているんですか」そんなことを聞いた。
そういう話のなかから、どういう指導が子どもに受け入れられ、どういう指導をしてはならないのか、など学ぶことができた。わたしの教育技術の大半は、このとき身につけたものである。
私の授業の批評会でこんなことがあった。
「子どもがよく活躍していた」とほめられたが、「悪いくせがある」と指摘された。「左手をポケットに突っ込んで話すのはよくない。不謹慎だ。気をつけろよ。そういうことが評価されるんだから」といわれた。
指導主事が参加する研究授業で、いつの間にかポケットに手を突っ込んで授業をしていたのである。自分でも信じられない失態だった。家へ帰っても「あれだけ気をつけていたのに、なぜ、なぜ」とくやし涙があふれてとまらなかった。
人間とは気をつけようとすればするほど緊張し、へまをやるものなのである。だが、このことは、すぐに問題生徒の理解に役立った。問題をおこした生徒を指導すると「あしたからまじめにやります」と誓う。その顔をみていると、ほんとうにあしたが信じられる顔である。ところが、翌日には、もう別のことで問題を起こした。しかし、ポケット事件から、その涙の意味がわかった。わたしの涙と同じだったのである。人間はまじめにやろうとすればするほど、へまをやるものなのである。
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