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小幡 肇(おばた はじめ)(小学校)「子どもによる授業」

 話し合いを授業の中心的活動とする授業実践は、今日ではさして珍しいものではない。小幡の実践が強いインパクトをもって見る者を魅了するのは、教師が授業をするのではなく、授業を担当する子どもと聴き手の子どもとが協力して学習を進めていく「子どもによる授業」であるということである。
 毎回一人の子どもが独自学習の成果を土台に授業を担当し、授業を進行する。
 授業を担当する子は、一人調べを通してとらえた「気になること」を、それに関する自分の現在の考え(子どもは「たぶん」【正の説】の話と、それを考え直す「でも」【反の説】の話)とともに聴き手の子どもたちに投げかける。一方、聴き手の子どもたちは、「おたずね」【質問】を重ねて自分の知りたい情報を引き出しながら、さらには、それぞれが独自学習で調べたことや経験したことをより所に、新たな事実を出し合い、意見を関連づけながら、「たぶん」【正の説】の話を拡げ、探究を深めていく。
 子どもたちが対話を重ねていく間、小幡はほとんど介入しない。子どもたちの話し合いには互いに返答に窮し言いよどむ場面もあれば、思わぬ方向へと進むこともあるが、そのような場合でも、小幡はけっしてあわてて口をはさむということはしない。聴き役に徹し、じっと子どもたちの話を聴き止め、それぞれの出した事実や考えとそのつながり、また、そこでの論点や対立点がわかるように、子どもたちの対話を構造的に板書していく。
 対話が進み、黒板が対話の記録でいっぱいになったら、授業は終盤に入る。今度は一人ひとりが「気になる木の葉っぱ」(葉っぱの形をした緑色の画用紙)に自分の考えを書いて、それを披露しあう。そして、友だちの考えを取り入れた学習作文を書いて、学習は終わる。しかし、子どもたちにとっての最大の喜びは、授業の最後に自分が書いた「葉っぱ」を教室の天井を覆う緑のシートに貼り付けることであろう。学級の全員がその時間の学習のあかしを「葉っぱ」に茂らせて「『気になる木』に『葉っぱ』をふやそう」の授業は終わる。
 小幡の実践は「ほんとうに子どもを育てるということは、子どもの力を信じ、温かくも厳しく、自分ならではの学習を創る場、自分の力で問題を乗り越える場を与えることで、子どもたち一人ひとりを自律的学習者に育てるということ。また、たくましい個が互いにつながり合い、磨き合いながら、深く真実に迫る探究の場を創ることで、子どもたちを、問い続け、学び続ける存在に育てることである」ということを小幡は伝えている。「総合的な学習」の真価が問われている今、小幡の実践に学ぶことは多い。

「時代を拓いた教師たちⅡ 教育実践から教育を問い直す」田中耕治編著日本標準 2009年」

(小幡 肇:1954年生まれ、北九州市公立小学校教師を12年間、北九州市教育センター研究員、奈良女子大学附属小学校教師)



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