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芦田恵之助(あしだ えのすけ)(小学校) 「教育の真の精神とは何か」

 教育の真の精神とは何か芦田恵之助(1)はつぎのように述べています。
 私が小学校の教師になろうとしたのは、家が没落して自分の力で生きねばならなくなったこと。学業の出来がわるかったこと。物に恵まれなくとも心だけは恵まれるようにと考えたからです。始めは教師として何の信念もなく、どう研修してよいのか全くわからなかった。
 私が24歳のとき、夏期講習会で、樋口勘治郎先生の教育体験のお話をうかがって目がさめた感じがしました。自発的に活動する力が子どもに内在するものだと知って、本格的に教育を研究しようと考えるようになりました。友人の紹介で樋口先生の門下生となり、東京高等師範学校附属小学校で教えることになりました。しかし、授業は教師の活動が主で、私は本当の教育はこうしたものではあるまいと感じましたが、いかに改善すべきかその案は持っていませんでした。
 そのころ、岡田式静座法に入門して、育つ力が子どもにも内在することを知り、この力を育て率いるのが我が道であると思うようになりました。子どもの優劣を差別の目で見ることを慎むようになり、私の教育実践はどれほど丸みを生じ、温かみを加えたかしれません。
 その頃から、私は「教育というのは、教師と子どもが共に育つものだ」と強く考えるようになりました。私が板書に深き注意を払う、子どもの読みにいっしんに聴き入るようになったのも、このときからです。教育は子どものためにあるものではなくて、自分のための修業の場だと思うようになりました。
 私の内省が深まると、子どもたちも学業を真剣に全力を尽くして、そこに安んずべき天地を見い出すかのようになりました。こうした考えが、教師と子どもの間によく会得できたら、学校生活はきわめて楽しいものとなるでしょう。
 以上は、私の思い出ですが、教職について最初は形を整えることに急で、子どもの心にいかなる影響を与えるか深く省みませんでした。もし、この方法を続けていたら、指導のてぎわがいかに巧みになったとしても、子どもの心には深く響かないものだったと思います。
 ところが静座に志してより、おのれの心を内省し、その育つ姿を見るようになって、子どもも私と等しいものであると悟りました。同時に、教育の重要問題が見えるようになりました。教師と子どもが共に一つ融けて、真面目に日々を生活するのが教育の真の精神であると思うようになりました。
(
1)
 芦田恵之助:1873(明治6)年~1951(昭和26)年、東京高師附属小学校教師を経て全国各地で授業をして授業の名人と呼ばれた。国語教授法や随意選題の綴り方教授法を考え実践した。
(
2)
 樋口勘治郎:18721917年、東京高等師範学校附属小学校の訓導。子どもの自発活動を尊重する「活動主義」を提唱。大正自由教育運動の先駆的役割を果たす。約3年間欧州に留学。帝国教育会理事などを歴任。

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