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子どもが「みえる」とか「わかる」とは

 子どもが「みえる」とか「わかる」というのは、子どもたちのからだが語っていることを、教師は自分の目で見て自分のからだに共振して、感じる体験なのです。
 子どもが「みえる」とか「わかる」ようになるには、教師はからだの力を抜き、ときほぐすことが出発点になります。からだをときほぐすとは、肉体の緊張だけでなく、内なる身がまえをとき、からだの深いレベルまで入っていくことです。
 からだをときほぐした中で感じるままに動く、という訓練はとくに教師たちには全く経験がないことに驚かされます。
 もし教師が「からだをときほぐし、感じるままに動く」ことを試みるとすれば、自分を否定し、こわし、狂い、おちこぼれることを覚悟して、その先にある内的な調和を得ることを求めるしか方法はないでしょう。
 私の行っているレッスンの内容は次のとおりです。
・人に触れられないからだに気づく
・自分のからだのこわばりに気づく
・からだをときほぐす
・からだの内に動くものを感じる
・感じるままに動く
・ものにふれる
・他者に向かって働きかける
・声で働きかける
・ことばで働きかける
・からだ全体が深くいきいきと動く
 レッスンで、からだがほどけて来て、ホッとして体調もよくなり、仲よくやっていける。そこまではいい。だが、その先、日常生活によって枠づけられた範囲をからだが越えはじめ、抑圧されていた見知らぬ自分が顔を出し始めると、人は怖くなる。
 教養として、健康法としてレッスンを受けているときは、まだからだがおびやかされない。それが根底から変わらなければならぬと感じ始めたとき、逃げ出す人たちの中に教師が多くいるのです。自分を追いつめることがなく、深い集中に身を投げる勇気が教師にはない人が多いようだ。
 深く集中した状態でからだが動き、思いがけずに自分がいきいきと動き、それを仲間と共有しあう、という怖れと喜びに満ちた自由な状態を教師は味わったことがない。しかし、生徒たちはその状態を常に求め、無意識に体験している。
 子どもたちのからだが語っていることをわかろうと、教師は子どもたちのからだと魂に教師自らをなげ入れる。そして、からだ全体で深くいきいきと動く。
 その激しいエネルギーの消耗から教師のいのちが蘇ってくるものは、子どもたちのひたむきな眼であり、湧き上がるような笑顔であり、魂をのぞかせることばである。
竹内俊晴:1925年~2009年、元演出家(竹内演劇研究所主宰)・元宮城教育大学教授。独自のからだとことばのレッスンを展開しレッスンを行った)

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