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教材をどのように解釈すればよいか

 教材の解釈とは、一般的にわかるとか説明できるということではありません。教材にはかならず授業展開の核とか中心とかになるものがあります。
 教師がその教材と全人間的に対面し衝突して、教材を分析し、自分に問いかけたり、疑問を持ったり、発見・創造したりして、そのなかから新しい疑問、思考、論理とかを積み重ねます。
 教材の隅から隅まで詳細にわかっていて、教材のあらゆる部分について、いくとおりもの解釈や考えや発見や疑問を持っていなければなりません。その教材に対して専門家にちかい読みと解釈をします。
 血の出るような思いでつかみとった教材は、生きた知識となり、生き生きと子どもにぶっつけることができます。
 そういう解釈をするためには、専門的な力とともに、すぐれた人生経験を持ち、人間としての実りを持っていなければなりません。
 また教材は子どもの変化に伴い、その価値、必要度は絶えず変化し流動していくものです。
 教材に対する解釈は、固定化したものではなく、子どもの側に立って、そのなかにある真実とか方向とかをみきわめ、子どもたちをさらに高いものへと引き出していくものでなければなりません。
(
斎藤喜博:島小学校などに優れた実践を残した昭和の代表的な実践者。元小学校校長)

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