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授業を公開しない教師がいれば学校を変えることは困難

 学校を変える第一歩は、校内のすべての教師が一年に一回は同僚に対して授業を公開する体制を築くことである。
 どんな改革も、学校のなかに一人でも授業を公開しない教師がいる場合には成功させることは困難である。教師たちが教室を開き合い、たがいに専門家として育ち合う「同僚性」の関係を築くことなしには、学校を変えることは不可能である。
 教室を閉ざした教師は、公教育の教師と呼ぶことはできない。自らの教室を私物化し子どもたちを私物化し教師の仕事を私物化しているにすぎないからである。
 しかし、この基本的なことがらがほとんどの学校において実現していない。授業を公開して校内研修を行っている学校は多いが、そういう学校でも何年も授業を公開したことのない教師が多数いる。たいてい、若い教師が授業者として選ばれている。
 教室を開き合っていない学校では教師相互の連帯は希薄であり、教育観や人生観の違いによって、いくつものグループに分裂している。目に見える対立はなくとも陰口がささやかれ、相互の不信感がよどんでいる場合も少なくない。お互いの仕事に「口は出さない」という不文律が支配しており、一人ひとりの教師は、孤立したなかで仕事を遂行している。
 現在の学校を窒息させているのは、学校内部の同僚間の教室や教科の壁である。すべての教師が教室を開き壁をなくしていくことなしに、学校を改革することは不可能である。
(
佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授 学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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