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教育はサービスではなく、教師と親との関係は子どもの教育に対する責任によって結ばれなくてはならない

 新自由主義(学校を市場原理の競争によって統制しようとすること)は、マスメディアをとおして「学力低下」等を利用し「創作された危機」によって学校批判と教師パッシングを繰り返してきた。教師たちはスケープゴートであった。
 新自由主義の最も深刻な問題の一つは、教師の仕事を責任からサービスへと転換したことである。教師と親との関係はサービスの提供者とサービスの受け手の関係へと転じている。その結果、教師の仕事は終わりのない献身の仕事となって、徒労感をつのらせ、親は教師のサービスに対する不満をつのらせている。今、教師が実践するにあたって最も障碍となっているのは、親の教師に対する不信と不満である。
 しかし、教師と親の関係は、サービスの提供者と享受者との関係だろうか。そうではないだろう。教育はサービスではなく、子どもに対する大人の責任である。教師と親との関係は子どもの教育に対する責任によって結ばれなくてはならない。子どもの教育を中心において教師と親とが責任を共有することなしには、教師と親との間の信頼と連携は形成しようがないのである。
 教育が責任からサービスへと転換することによって、教師の仕事は「誰にでもつとまる仕事」と見なされ、教師に対する信頼も尊敬も崩壊しつつある。ほんの一部の教師の非常識な言動がワイドショーによって大々的に報じられることによって、教師の尊厳が傷つけられていることは深刻な問題である。
 新自由主義は、教師の責任は「説明責任」へと転換していった。「数値目標による経営と評価」をすべての学校に導入してきた。その結果、教師の仕事は「進学実績の向上」など、単純で目に見えるものに限定され、しかも、その達成の証明と評価の資料作成に多大な労力を注ぐ状況へと陥っている。評価を受ける組織の目標が学校のように多元的で複雑な場合は否定的な効果しかもたらさない。
 こうして、今日の教師は、一方で親や納税者に対する「サービス」とその「説明責任」に追い立てられ、もう一方では教育委員会の要求する「数値目標」とその官僚的評価にいっそう組み込まれ、この二つの要請によって引き裂かれた状態に追い込まれている。
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佐藤 学:1951年生まれ 東京大学教授を経て学習院大学教授 学校を訪問(国内外2800)し、学校現場と共に学び合う学びの改革を進めている)

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