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社会的自立のための教育が後退していく

 学校は「子どもの自由・人権を第一に考えろ」と、学校のあらゆる活動がたたかれ、「押しつけ・強制はまずい、自由にさせておけば子どもは自然に育つ」という考え方が強まった。学校は自由・放任の方向に動いている。その結果、生徒の自主・自立を生み出すのが難しくなっている。
 社会も家庭も、社会的自立を子育ての目標にしていない。子どもも、自主・自立という困難な道を行くより、大人に面倒みてもらったほうがずっと楽だと思って、自分から一歩踏み出そうとはしない。
 混乱は生徒同士の人間関係を壊し、弱肉強食の世界をつくり出している。いじめをはじめさまざまなトラブルが増大している。そこで教師が尻ぬぐいすることになるのだ。自由・放任の結果、教師が保護、管理せざるをえないという皮肉な状況になっているのである。
 例えば、生徒が学校内で自由に振る舞ってケガをしたとき、あるいは、いじめがひどくなって暴行や恐喝に発展してしまったとき、どうして教師がしっかり見ていなかったのか、という攻撃も強くなっている。自由は本人の責任をともなうものだと思うのだが、自由にさせろ、と言いながら、管理していないと攻撃されても、教師としてはどうしたらいいのかわからないのではないか。
 学校たたきをしてきた人たちは、ただそのときどきに学校をたたくことだけを考え、一貫性などこれっぽっちも考えていないようだ。これでは、まじめに対抗しようとしてきた教師は、いい面の皮である。
 教師も、自由・放任で自治の訓練を受けてこなかった生徒を相手にしては、一つひとつ力をつけていくよりも、保護してしまったほうが楽だと思いがちだ。訓練は生徒の自我を傷つけトラブルを起こすもとでもある。
 親や社会の支持のないところで、学校だけでおこなおうとしても無理というものだ。こうして学校でも社会的自立のための教育が後退していくことになる。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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