「言葉で説得できない教師は失格だ」と言う評論家がいるが生徒は話せばわかるか
「言葉で説得できない教師は失格だ」などと偉そうに言う評論家がいるが、彼は本当に「人間は話せばわかる」と思っているのだろうか。そうだとすれば彼は世間を知らない能天気な人間だと言わざるをえない。
私の教師生活三十年をふりかえってみても、いつだって話してもわからない生徒はいたし、言葉で説得できないことも多かったのである。
大多数の普通の教師に、神さまのようなことを要求するのは無理というものだ。だからそのような理念を前提にすれば、現場を混乱させるだけだ。生徒は話したってわからないことがある、という現実からスタートしなければならないのだ。
話して聞かせてわからなかった場合、道は二つしかない。一つは教師のほうが一歩ひくこと、つまりそれ以上は放っておくことである。そうすれば、授業はうるさいまま、教室はゴミだらけ、弱い者いじめもなくならないということになる。現在大多数の教師たちはこちらの道をとらざるをえなくなっている。
しかし教師のなかには、使命感に燃え、一歩前に出ようという教師だって少数ながらいるのである。私はこのような教師がいるから、日本の学校はまだもっているのだと思っている。
しかし、一歩前に出れば、今は生徒との全面戦争になることは必至である。きつく注意すれば「ウルセー、バカヤロー」という状況に一挙に突入することになるだろう。生徒の口から教師の個人的なプライドをひどく傷つける「クソジジイ、クソババア、ハゲ、デブ、ブス、ヘンタイ、オカマ・・・」といった言葉が発せられるのも自然のなりゆきである。
教師、生徒の関係ではなく、人間と人間がもろにぶつかるケンカの状態に突入するわけである。
こうして、教師としての使命感を出発として生徒に迫ったとしても、教師の個人的なアイデンティティが傷つけられる。
そういった状況をまず、親や地域の人たちに、学校の状況をありのままの姿で見てもらうことである。
学校を外部に開放し、どんどん来てもらうのがいい。教師のできることと、できないことを率直に外に向かって発言することが大切だ。
もう個人のプライドなどにしがみついている時ではない。学校が崩れている時に、そんなことにこだわっているのはまちがいだ。そのなかで、現在の子どもの姿が明らかになり、子どもをどう育てるのか、そのためには何が必要なのかを社会全体で議論していくことが必要なのである。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)
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