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崩壊した学校は倒産企業のように改善の手を打たず労働条件の文句ばかり言っていた

 私が教育委員として学校崩壊した学校現場を訪れると、教師から出てくる言葉は、自分たちが「ラクになる」ために訴える恨みつらみばかりのように感じた。
 これはつくづく腐っているな、と呆れたものだ。どの学校を訪れても、自分たちの労働条件に関する文句しか出てこない。荒れた学校を立て直すためにどうするかを話し合いに行っているのに、勤務条件に関する文句しか出てこないのだ。
 要は、彼らの言い分は次のひとことに尽きる。「とにかく我々は忙しいのだ。ヒト・モノ・カネをよこせ」
 忙しいというわりには、主張だけ立派な教師は午後4時45分に自宅に引き上げてしまう。そして、必死に仕事をしている教師がそのとばっちりを一手に背負う。
 まったくらちが明かない。彼らと話をしながら「ここはまるで倒産企業のようだな」と思った。問題が目の前に明らかになっているのに、ちっとも改善の手だてを打てない。労働条件に関する文句ばかり言っている。
 一般企業であればとっくに倒産しているだろう。だが、公立学校が倒産することはない。公務員の地位に甘んじて、教師たちはやるべき仕事を怠っているとしか思えなかった。学校崩壊は必然だったのだ。
 「仕事が忙しすぎて、生徒と向き合う時間がない」こういう文句を口にする教師に対し、私は非常に懐疑的だ。
 1時間目から6時間目までの授業を通し、生徒と向き合う。その努力すら、最初から放棄しているのではないかと疑ってしまう。どのみち放課後になれば、生徒は塾や部活があるため、すぐに教室の外へ行ってしまう。だったら、生徒が学校にいる6時間目までの間に目いっぱい生徒と接するほかないではないか。
 生徒と向き合う時間がないというわりには、パソコンに向かって何やら忙しそうに雑務をこなしている教師が多い。パソコンと向き合う時間があるのに、生徒と向き合う時間がない。これでは本末転倒だろう。
 教育のプロなのだから、家に仕事をもち帰ってでも仕事をするのは当たり前だと思う。いい教材を作るためには、何時間もかかるのは当然だし、教材を作るのが嫌だというくらいなら、教師など辞めたほうがいい。最良の教材を生徒たちのためにつくる。その仕事は、本来であれば教師にとって最大の喜びであるはずだ。
(義家弘介:1971年生まれ 中学生で不良と呼ばれ高校中退し家から絶縁される 里親の元で大学を卒業し、塾講師、高校教師になり、ドラマ化され評判となる横浜市教育委員を経て国会議員)

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