教師してどのように考え、生きるか
人を教育するということはむずかしいが、自分を教育し、自分を変革するということもむずかしいものである。自分の体を流れている「血」や、「血」にまで浸透していってしまっている「育ち」というものが、どこまでも人間について廻って離れないということを、私は私自身を眺めて痛感する。
他人の欠点は誰にでも見える。しかし、自分の欠点が見える人は少ない。自分の欠点が見えるだけでなく、それに挑み改める人となると、さらに少ない。
うすぎたない自分をのさばらせる方向ではなく、それを超克し、みんなのしあわせのためにいのちを燃やす方向に生きる道を求める生き方をめざしたいものだ。
かぼちゃも茄子も、それぞれの最高の味をひっさげてわたしのために。せめてわたしも、きゅうりの漬物のひときれにでもなって、どなたかの胸によろこびのともし火をともしたい。
人間にくずはない、人生にむだはない。
悲しいこと苦しいことがやってきたとき、それを泣きごとのタネにして自分をよけいに不幸にしてしまう人がある。そういうことにであったおかけで、こんな大切なことに気づいた、こんなすばらしい世界があることに目覚めた、と自分を太らせ深め広げていくタネにする人がある。
火事の火もおそろしいが、怒りや憎しみもそれに負けんくらいおそろしい。相手も自分も共に焼き滅ぼしてしまうからだ。この恐ろしいこの炎を消す水、それが「がまん」。
年をとってくると、経験でものを言ったり、経験でことを処理したりしようとしがちです。そこには、ぜったいに前進はありません。経験は、その経験を全否定して省みる程の若さ、いのちの感動などに貫かれてこそ威力を持つんだと思います。
子どもが、生きている、呼吸している、まばたいている、それぞれが、それぞれの「心」をもっている。伸びる、太る、成長する。このすばらしさへの驚き、いのちのすばらしさへの信なしに教育は可能であろうか。このすばらしさへの驚き、信は、また、教師自身が生きているということの喜びや、悲しみ、怖れ、自省、生きざまへの凝視につながる。
(東井義雄:1912~1991年 兵庫県生まれ 小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)
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