教師は人間の本性にたち帰るように努めねばならない
人間を育てる教育は、名画家や名俳優以上に、日々行う授業に、入神の技が必要だ。
これを求めるには知識のみではだめである。方法のみでも得られない。人間の本性(本来もっている性質)に帰ることに努めねばならない。
修養の本性は人間が本来もっている性質にたち帰るという意味である。
私は、人間の本性を定義することはできない。ただ明鏡(曇りのない鏡)の如き止水(なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態)、七色の配合した太陽の光線、七情(喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲)の調和した人間の本性、これらを思いあわせて、万物一如(あらゆるものが一体であること)の真理を認めないわけにはいかない。
人間の本性を悟ったものは、利害得失の思いを超越してしまう。この本性を得るには修養しかない。
人間の本性に帰る最も早い道は、端座瞑目(姿勢を正して座り目を閉じる)して自己の内観(自分の考えや行動などを深くかえりみて精神状態を観察する)につとめるのがよいと思う。
私の内観の方法は、自然にまかせて、意識にあらわれるものを静かにながめて、去るものは追わず、来るものはとがめないのである。お金もあらわれる、美人もあらわれる、名声・利達・嫉妬・怨恨、あらゆる悪徳の行列が通る。あさましいが、それが七情の仮装であるからしかたがない。過ぎ行くままにまかせておく。
これら百鬼(種々の妖怪)は次第に影を潜める。かつて夜も眠らぬほど苦悶したことも、児戯(幼稚なこと)に等しいように感じて来る。こうなると一面には広々とした世界が、次第に展開して来るようになって、本性の閃きかと思われるものが見える。
内観により、お金よりも、美人よりも、名声・利達よりも、嫉妬・怨恨よりも、世相を超越した心の安住の場所が感じられる。人間の「性」とか「道」とかいうものはこれだろうかと思うようになる。物があるのではない、規範があるのでもない。
世の中の百事を内観してこれに映して、即断即決してもあやまりではないように思われる。これは私一人の経験である。
私は読書をしたり、他人の説を聞いたりして、人間の「性」とか「道」を会得しようとつとめた。いつのまにか自己に「性」が宿り、「道」が行われていることに気づかなかった。
瞑目(目を閉じること)は内観を行うために最良に工夫されたものである。端座(姿勢を正して座ること)は身心を平静させる唯一の方法である。心身の気分に注意をすると、百鬼の往来する間は、形は端座していても、心は平静ではない。百鬼が次第にその影を潜めてくると、自ら心がひろく体がゆたかになる。
端座瞑目して内観につとめ実行することを、一日でも怠ってはならない。ひたすら心がひろく、体がゆたかなる気分を得ようと端座瞑目するがよい。これが即ち修養である。
内観によって得たものは、強い信念が伴っている。信念の伴うものは、事に当たっては融通自在である。茶道の達人は茶を点てる技から悟入(一切のものの真実のすがたをさとること)して、天地を開拓している。およそ一道に名を得たる人の動作には、いずことなく典雅(上品なさま)の趣がある。
修養に志す者の身体的工夫の一つとして、丹田(へそより少し下のあたりをいう。ここに力を入れると健康と勇気を得るといわれる)に力をこめることを説かないものはない。忙しいときや事件に遭遇しても、丹田に力が抜けないように修養すれば、非常時でも普通の事となり、忙中に閑を発見することができるだろう。
私は、修養の方法として、内観につとめ継続すること、丹田に力をこめること、読書することを勧める。常に丹田に力をこめて、自ら内観につとめ、本性のひらめきを認めてここに心を安住し、七情の調和をたのしめば、心はおのづからひろく体はゆたかになる。これを何十年も実行すれば、そのうち人生の真意義が、釈然として氷解するときがくるであろう。
修養の道場として、教室と運動場を特にあげたいと思う。子どもが事件をおこしたとき、丹田の力が抜け、七情の調和がやぶれ、教師はとかく腹をたててしまう。後で心が平静になったとき、なぜこの事に腹をたてたのか、即ち怒る要のないときに怒ったということが多い。
教師は太陽が年中その光を閉ざさないように、雲が光を覆うことがあっても、雲が去ると共に輝きだす態度が望ましい。万物は太陽の光により成長し、子どもはこれがために育つのである。
(芦田恵之助:1873~1951年、東京高師付小教師、全国各地で授業をする。国語教授法や自由作文の教授法を考え実践した)
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