指導案に頼らない
私は教案はほとんどなしでいいと思う。こと細かに授業の筋を考えることはできない。
何が必要かというと、この教材はこういう深いものを持っているという本質そのものを理解する。何のためにこの授業をするかということ。それだけでよい。
なぜなら、最初に発言した子どもがどういう意見を述べるかによって、その後の展開が違ってくるからだ。
細案のような問いと答えを全部考えておき、それにそってやろうとすれば、教師をそこに閉じこめてしまい、子どもとかみ合わない授業になってしまう。
研究授業をたくさん見ていくなかで、なぜあの子どもの発言を取り上げないのかと思うことがしばしばあった。それはその教師の考えてきた指導案からすると、ずれているからなのだ。しかし、子どものその発言から展開すれば本質的なものが見えてくるし、先になればその日の授業の課題とかみ合うはずだ。
私も初めのころは、問いと答えみたいな展開をやっていた時期がある。それでは子どもの意見を本当に大事にするような授業はできなくなる。
教師の発想を超えた子どもの意見こそが授業を深めていく。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う。)
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