学級文集「山びこ学校」がベストセラーに
無着成恭が担任した山形県の山元中学校二年生の文集が著名な国分一太郎の目にとまり、「山びこ学校」として1951年に出版されて、すぐにベストセラーとなり、映画化もされた。
この綴り方が生まれた動機は無着成恭がほんものの教育がしたいという願いからです。生活を勉強するための、ほんものの社会科を勉強するために、綴り方を書くようになったのです。ほんものの生活態度を生徒に発見させる一つの手がかりを綴り方に求めたということです。
無着成恭はそれまでのただ漫然と目的のない綴り方指導から、現実の生活について討議し、考え、行動までへと押し進めるための綴り方指導へと移っていったのです。
無着成恭はあとがきで次のように書いている。
敗戦で日本人は生き方がわからなくなり虚脱状態にあった。その中で私は、「今からは自分の生き方は自分で考える時代になったのだ。学力とは、自分を生かすための選択力であり、判断力なのだ。その力を子どもにつけてやるのが教育なのだ。テストの点数ではないのだ」と、そんなふうに気がついたのです。よし、私は教育にいのちをかけてみよう。そんな気負いがありました。その結果としての「山びこ学校」です。
この本は無着成恭が担任した山元中学校二年生全員が書いた作文がのっている。生徒が見聞きしたこと、したこと、感じたこと、考えたことをごく素直に書きつけている。こまごまと書くだけでなく、考えも書いている。事実にもとづいた論理的な思考と感性がまじりあった文章になっている。
無着成恭の指導により、一人ひとりの生徒が持ち出してくる具体的な暮らしの問題を、生徒自身もふくめた学級集団の問題としてとらえ、一緒に考え、解決しようと努力している。
無着成恭の指導態度はひかえ目で、ズバリと言うのではなく、「わたしたちは、今後、どんなことを勉強したらよいか」ということを考えさせた。子どもたち個人をすこやかに育てるとともに、「普遍」にめざめる方向へと生徒を導くことができたのである。
それまで日本の教師にとって、ふなれであった現実の観察と研究、分析から出発して、普遍に向かわせる方法が、村の社会的現実や子どもたちの生活経験と結びつけて、統一した形で実践されている。
「山びこ学校」は、戦後日本の教育が生んだりっぱな古典であり財産であると、国分一太郎は解説で称賛している。
(無着成恭:1927年山形県生まれ、元中学校教師・私学教頭、禅宗僧侶。生活綴り方の代表的な文集「山びこ学校」編著と「全国こども電話相談室」の回答者などを務めた)
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