国語科:授業で文学を味わう
子どもが文学作品に出会うのは、作品を「味わう」ことであり、そして友だちの読みを「味わう」ことだ。
「ことばに出会う、触れる、味わう」という言葉が石井の文章に多く表れる。身体感覚を伴った言葉である。視覚だけで読むのではなく、作品の言葉に含まれている「出来事」に子どもたちが心で触れること、身体感覚を呼び覚まして読むことをめざす文学作品の読みであると言える。
そして、多様な子どもから生まれる多様な読みを交流し合うのが授業である。もちろん、その背景には、子どもの言葉を聴きとり見分ける教師の力量があることは言うまでもない。
作品を読むとは主題を読むことだという文学観に対して、石井は音読や書き込みなどを通して子どもたちが言葉に出会い、その言葉を交流しあいながら作品世界を作り愉しむことであるという文学観が提示される。
文学作品の授業は教師が準備した読みに正確に到達し理解したかという知的世界へ連れて行く営みなのではなく、芸術作品としての文学を言葉に出会って味わい愉しみあってその世界に没入していったかである、という審美的視点が重視されている。
これは芸術としての作品鑑賞、文学批評のできる読み手を育てていると言えるだろう。文学批評とはその作品についての新たな見方を提出する営みであり、子どもたち同士と教師が共に作り出していくという学び方を文学の授業として提示していと言えるだろう。
そこで発せられた言葉という氷山の一角にある子どもの内面的な心の働きを聴くこと、そしてそれらの読みをつなぐと同時にテキストへともどして確かめることを教師の重要な仕事としているのである。
子どもが読む授業とは子どもだけで読み進めているのではなく、専門家としての教師の教材の作品選択、子どもがテキストと出会えるためのさまざまな学習活動の組織化、そしてそれを語らうときのつなぎやもどしの仕事というものがある。
今、子どもの言葉が貧弱になり、言葉の力の育成は大きな課題となっている。作品を愉しみあい味わう経験の連続性の中でこそ、言葉と絆は育まれることを石井が示している。
(石井順治 1943年生まれ 「国語教育を学ぶ会」の事務局長、会長を歴任 三重県の小中学校の校長を努め、退職後は、各地の学校を訪問し佐藤学氏と授業の共同研究を行う)
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