教員評価制度は学校をすさんだものにする
教員評価制度は一般企業で「成果主義、業績主義」といった評価制度の学校版なのだ。
簡単に言うと、校長に「教師としてちょっと問題だな」と言われたら「昇級なし」になったり「問題」を起こしたら教師として「不適格」と判断されて特別の研修をうけさせられたりして、改善の兆しが見えなかったら「免職」になる制度である。
この制度はおそらく学校をすさんだものにするのは間違いないと私は思っている。評価されれば教師もちゃんとやるだろうし、教師の質も向上するだろうというのは、まことに安易である。
「問題を抱かえている子どもを担任して失敗したら、校長先生はその担任をどう評価するのですか? もし悪い評価しか下さないのなら、誰もそういうクラスはごめんだといって引き受けなくなりますよ。それを命令で受け持たせたとすると、それはうまくいきますか?」と校長にたずねたことがある。しかし、校長はそれには「難しい問題です」で逃げた。
そもそも良い学校というものが、同じようなもので同質だと考えるのは間違っている。結局そこには、みんなで知恵を出し合って子どもを育てるという発想がない。
ボクは、みんなで育てるという発想がないと、子どもたちの教育はますます行き詰まると思っている。子どもをとりまく大人に責任があるとならば、教員一人ひとりを分断して値札を貼るような教員評価制度などではない。この教員評価制度は、問題が起きたときの「責任回避の制度」だと確信している。
(岡崎 勝:1952年名古屋生まれ、元名古屋市立小学校教師)
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