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国語科:読む指導「夕鶴」  

 「読む」指導における重要な目的の一つは、美しい、優れた日本語表現に気づかせ、生徒たちの言語表現に生かせるようにすることである。
 「言語そのものの韻律的な美」「人物描写や情景描写等の優れた表現」などに気づかせるのである。
 国語の授業における読みにおいては、感動はスタートとなる。そもそも文学的な文章で読み手に感動が生じないものは、教材として失格であるが、それは、読みにおいて生じた感動の原因を明らかにするために文章表現を精査することを、読みの授業の重要な柱の一つと考えているからである。
 例を紹介しよう。木下順二の「夕鶴」という作品がある。村の男の中でも狡猾な物欲をもつ二人(運ず・惣ど)に対して対極的に描かれている純粋で清らかな「つう」の生き方にも感動させられるが、この作品に仕掛けられている決定的な要素は「雪」、「時」と「鶴」である。
 仮に情景を構成する要素を、「雪」をはずして季節を夏に変え、「夕暮れ~夜の時間帯」を昼に変え、鳥を「鶴」から他のものに変えたら、この作品は随分と異質なものになるだろう。そうなって果たして読み手の心に感動は生成されるだろうか。
 読みにおいて何気なく通過してしまっている仕掛けの中にこそ、実は民話的・日本的な美の象徴としての感動生成要因が隠されているのである。
(松野洋人:1946年生まれ 公立中学校教師,指導主事、中学校長を経て山梨学院短期大学特任教授。国語教育実践改革会議副代表)

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