かつての行政は教師を守ろうとしてくれたが、最近の行政は教師を攻めたてる
いろんな保護者がいる。わたしは、教師不信の「暴力団」の保護者とも家庭訪問して意気投合したことがある。だが、すぐにはうまくいかなかった。暴力団の保護者とは、簡単には話し合えない。話し合えるようになるには時間がかかった。
人とつきあうことは、教師にとって避けては通れない仕事である。教育は人とのかかわりの仕事だからだ。それゆえ、人との交わり能力が教師には強く求められる。
教育というのは、教育とはかかわりのない、一見、むだと思えることを、機会に応じて、いろいろとやってみて、やっと成果が得られるものだ。さまざまな経験をしていくしかない。
最近は、保護者や市民の教育への関心が深まり、あれこれと、その思いを教育委員会や校長にぶつけてくるようになったことは好ましい傾向である。
だが、そのなかには、理不尽な要求もある。わたしは、だれかわからないが、教育委員会に「夜、暴力団の家に出入りしていた」と密告されたことがある。
行政や管理職の仕事の一つに、教師の仕事や生活を守るという一項がある。かつての行政は「学校の子どもには、暴力団の子どももいるんです」と、教師の仕事の特殊性を話し、理解を求めてくれた。
とこが、最近の行政は、教師を守ろうともせず、理不尽な声といっしょになって、教師を攻めたてるというのは、天に唾する行為というべきだろう。とくに、自分は、はるかに後景に退き、鉄砲玉の飛んでこないところに逃げてから、教師を前方に押しだし、教師を犠牲にして、自らの安泰をはかるとは世も末である。
もう一度、教師の仕事のなんたるかを問いなおしたいものである。近年、行政や管理職は世間にたいして、あまりにも腰が引けている。
教師はますますいじけ、やせ細ってしまうだろう。教師がやせ細れば、教育が、指導がやせ細り、結局、子どもたちがやせ細ってしまうのである。
(家本芳郎:1930~2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)
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