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生徒が暴言を吐いたり暴力をふるうわけ

 いまの生徒たちが固い狭い自我しか持っておらず、他人の働きかけを柔軟に受け入れることができない。
 小さいときから、それはだめだとか、おまえの思っていることは世間では通用しないよ、というように、親や兄弟や周囲の人が少しずつたたいていれば、中学生になってこんなふうにはならないはずである。
 生徒たちは傷つけられたとき、自分がどういうふうに動いてしまうか、自分でも予測できず、よくわからなくなっている。
 傷つけられたとき、相手が強ければ自分の殻にこもるが、相手が弱いと激しく反撃するようになった。生徒にしてみれば、自分が傷つけられたのだから反撃は正当防衛なのだ。
 対教師暴力がまた増えている。教師の権威がなくなり、体罰が禁止され、弱い存在になってしまった。
 なにしろ、生徒にしてみれば、教師は基本的に自分たちを傷つける存在なのだ。学校でやっていることは生徒の意に沿わないことが多いわけで、教師の働きかけの一つひとつが彼らを傷つけると考えなくてはならない。
 「うるせえな、教師は」ということになるのは自然のなりゆきなのだ。以前の生徒は自分を抑えて我慢していたのだが、最近はそれができなくなったため、生徒が教師に食ってかかったり、暴言を吐いたり、あるいは暴力をふるったりということが日常的に起こるようになったのである。
 最近の生徒たちは、自分はあくまで正しく、どこまでも自分を主張していいと思うようになっている。たとえば、授業がつまらなければしゃっべっていいんだと思っている。
 だから、授業中に「うるさい、静かにしなさい」と言ってもなかなかおさまらないし、個別に注意でもすれば「なんだよ!」ということになるわけである。
 評論家をふくめ世の人は、そこのところをまったくわからず、わかる授業をしないからだとか、授業が面白くないからだと教師を攻撃している。しかし、授業そのものを成り立たせる基盤が崩れてきているのが根本的な原因なのである。
 学校に行ったら教師の言うことを聞けよ、学校へ行ったらおまえは学習するのだよ、修業の場なんだから自分を抑えるんだよというサインがどこからも出なくなれば、こういう状況になるのもいたしかたないだろう。こうなったら、教師の力だけではいかんともしがたいのである。
(河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)

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