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誰にでも当てはまる学級づくりはあるのか

 37年間の教師生活をふり返ると、私は教師という仕事の2本柱は「授業づくり」と「学級づくり」だと考えてきました。
 新任で中学2年生の学級担任になりました。当時の私には「・・・・・なクラスになったらいいなあ」という思いはあっても「学級づくり」という考え方はありませんでした。
 先輩の先生に言われるがままに、班を作り、班長会でクラスのようすを話し合う。でも何を問題にし、何を指示していいのかもわからない。行事もこなしていくのが精いっぱい。そんな日々が続きました。でも、子どもが大好きだった私は、休み時間も子どもと遊び、休日には子どもたちとハイキングなどにでかける、フットワークのよい教師ではありました。
 当時の私は、「めあて」や「てだて」も持たず、日々の子どもとの交わりに埋もれてしまっていました。当然のことながら、私のクラスでは、2学期末頃から教室の空気が変わり始めました。一部の子どもの「後ろ向き」な発言にクラスが引っ張られるようになり、多くの子どもが「こんなクラスはイヤだ」と言い出す始末。でも、有効な手を打てないままに学年末を迎えたのでした。
 そんな失敗をくり返しながら、ようやく私の中に「学級は創るもの」、また「成るもの」という考え方が生まれ「学級づくり」をめざして「めあて」や「てだて」を考えるようになったのは、2回目の3年生を担任した時で、新任以来5年が経過していました。
 そこから30数年、私は「学級づくりとは何か」ということを考え続けてきました。毎年新学期を迎えるにあたっては「今年は去年より1つ新しいことを取り入れてみよう」と考えてきました。常に「自分はまだ発展途上にある」とも考えてきました。
 しかし、こうして考え続けた学級づくりですが、いわば教科書のようなものはありませんでした。
 それは、学級づくりが個々の担任と子どもたちの集団という「個性」と「個性」の関わりを通してなされるものであり、ある教師の実践がそのまま他の教師の実践モデルとはなりがたい性質のものであるからだと思います。言いかえれば一般化しにくいものであると言えます。
(
磯野雅治:1947年生まれ 大阪府公立中学校に勤務し2008年定年退職。学級づくり交流センターるるる塾を主宰、関西大学非常勤講師(教育実践論))

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