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教えることをないがしろにしている教師がたくさんいる

 教えるということをないがしろにしている教師がたくさんいて困る。何年か前、研究授業で見た光景ですが、子どもが作文を書いたあと、クラスで互いに作品を交換して、こんなことをもっと書き足したらどうかということを手紙に書いて作者に渡すという活動をしていた。もらった人はその助言が納得できたら書き足す。そういう授業だったの。
 そのとき、私の目の前の席にいた男の子が友だちから手紙を見て納得がいったようで、もう少しなにか足したほうがよいと気づいたのね。それを書き足したんです。そしてちょうどそばに回ってこられた先生に「書けました、これはどこへ入れたらいいでしょう」って聞いたんです。そうしたらその先生が、その子の頭をくりくりとなでて「それはこのいい頭が考えるのよ」と言ったの。
 そのあとの研究会でも暖かな先生の姿としていいってほめる声がありました。でも私は一人むっとしていた。それじゃなにも教えていないでしょう。私がやるのだったら、まず「そうねぇ」ってその文章をよく読んでみる。それから「段落は五段ね。それでは二段目のあと、ここならいいかもね、いや、最後の段落の前でもいいかもしれないわね」とか、せめて考える焦点を三つぐらい出して、「それはこのいい頭が考えるのよ」とやると思う。ヒントもなにも出さないでは教育にはならない。
 今、そういう先生が多いでしょう。子どもに考えさせるのがいいことは決まっています。でも、ヒントも出さないでいきなり、それはこの頭が考えるのよって言ってもねぇ。いい頭と言われたのがうれしいから、子どもはにこにことするし、優しい先生ということになる。形の上では子どもに考えさせたということになるかもしれない。でもほんとうには何も教えていない。
 戦後の教育で一番の失敗は、先生方が教えることをやめたことにあります。教えることは押しつけることで、本人の個性を失わせると。戦後の教育の大失敗ですよ。先生とは教える人でしょう。
 教えることを手控えてしまって、子どもの好きなこと、興味のあることをやってみましょうと、夢中になってしまった。先生が「てびき」をしないのだもの。自由にやってごらんと言って、先生はただみているだけ。たとえば、これがいいのではないのかとか、こんなことを考えてみたらどうかとか、はっと気づくようなことを言えるのが教師ではないの。どうして子どもに「てびき」することができなかったのだろう。悲しいですよ。教師が教えることをしないでなにをするのですかって言ったことがあります。
大村はま:19062005年、長野県で高等女学校、戦後は東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力と課題に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)

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