子どもをただ受容するだけでは幸せにできない
愛情を持って子どもをホールディング(抱えること)してあげる大切さには何の疑いもない。
「君たちの気持ちはわかるよ」「大人たちが悪い」「頑張っているから、頑張れなんて言わないよ」という風に子どもと向き合う大人たちがたくさんいる。
しかし、受容するだけで、未熟な子どもたちを幸せな未来へと導くことはできない。
不良少年と呼ばれていた私は、そんな大人たちが心底嫌いだった。「甘いことを言えば俺たちが心を開くとでも思っているの? 俺たちは知っているんだよ。そんなことを言うあなたたちこそが、本当に困ったときには、実は何もしてくれない人たちだって。無責任な人たちだって」
私は講演で何度も訴えているが、親に「お子さんはどんな風に成長してほしいですか」と問うたとき、「健康で、あとは本人の自由を尊重します」と答える親がいる。
未熟である子どもに漫然と自由を保障すれば、やりたいことをやりたいだけ楽しむ自由に身を委ね、昔の私のように身を破滅し一人ぼっちになる恐れがあるだろう。
現代社会は、子どもたちが考えるような勝手きままな自由など社会に存在するはずもない。
大人たちは、子どもたちに対して責任を持ってリミットセッティング(限界設定:様々な要求に対して、ここまではできるけれどもここからはできないということをはっきりさせる)をし、その上で愛情を持ってホールディング(抱えること)する。これこそが教育の原点であったはずだ。
「今、本当に辛いよな。でも、お前は一人じゃない。苦しくなったらいつも俺がいる。一緒に歩いていこう。その先にあるかけがえのない人生を選んでいくという最高の自由を手にすることをめざして」と。
現代は、ホールディング(抱えること)のみに偏ってしまっている現状が歯がゆくてしかたがない。「ダメなものはダメ!」と言うことを社会が見失ってしまうときこそ、教育は崩壊してしまうのではないだろうか。
子どもに対して、真剣だからこそ厳しくなれるし、真剣だからこそ熱くなれるのだと思う。
私は自分の全てを賭けて、子どもに対してリミットセッティング(限界設定)をする存在であり続ける決意をしている。
(義家弘介:1971年生まれ、高校で退学処分となった不良が、北星学園余市高校の教師となり活躍する。後に横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)
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