相手のあやまちを非難しても、お互いにいがみあうことにもなって、このましくない姿にも陥りかねない
お互い人間というものは、人の罪は許すことができにくい、というような傾向があるようです。だから人がわるいことをすれば、すぐ非難したり責めたりする。なかなか寛容な態度をとることができないというわけです。
しかし、だからといって、お互いに相手の非を数えたてて非難しあっても、それによってよりよい姿が生まれてくるとはかぎりません。むしろお互いにいがみあい、争いあうというようなことにもなって、かえってこのましくない姿にも陥りかねないのではないでしょうか。
そういうことを考えますと、やはりお互いに相手をゆるしいれるという寛容の心を養っていくことが大切ではないかと思います。
お互いが広い寛容の心をもちあうならば、たとえ相手に少しくらいの非があっても、それをあたたかくゆるし、また自分の非もゆるされるということにもなって、ともども安らかに暮らしていくこともできやすくなるでしょう。
そしてそういう姿からは、お互いが安心して伸び伸びと交わり、それぞれの持ち味を十二分に発揮して活動し、生活を営んでいくこともスムーズにできるようになるのではないかと思われます。
そういった好ましい寛容の心はやはり素直な心から生まれてくるものだと思います。
(松下幸之助:1894~1989年、パナソニック創業者、経営の神様と呼ばれ、日本を代表する経営者)
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