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お手本になる優れた授業を見る機会が少なくなった

 なんとなく職場の中で、ベテランは、若い先生に教えることをためらっています。若い先生は、ベテランにあまり聞きたがらない。私の見ている範囲のことですが、どうもコミュニケーションがうまくいっていないんですね。
 もっと致命的なことなんですが、いい授業をみる機会が少なくなった。たとえば、「算数だったら、あの先生の授業を見ておいで」「国語は、あの先生の授業を見とかな、あかん」「英語なら、あの先生の授業見ておいで」というお手本になる授業を見てきていないんですよね。
 だから、練り上げの場面なんか下手くそですよ。練り上げるというとこ、見たことない。
 あるいは、一人ひとりを大切にするなんて話はみんな言いますけど、どう一人ひとりを大切にするかというのは、授業の中でしか見れないですよ。
「あそこで、あの子がなかなか答えられないときに、ああいうふうに手を差し伸べられましたね。あれが、先生のおっしゃる一人ひとりを大切にすることなんですか」参考になりました。
「あそこで、あの子が間違えたときにああ返されましたね。あれが先生のおっしゃる一人ひとりを大切にすることなんですか」と、授業の中の、具体的なやりとりの姿でしか出ないわけですね。
 そういったことも含めて、練り上げや、優れた授業をみる機会は少なくなりました。これが私、一番心配だなあと思っています。
(
加藤 明:1950年生まれ、大阪府公立小学校教師、大阪教育大学附属小学校教師、京都ノートルダム女子大学教授、兵庫教育大学大学院教授等を経て、京都光華女子大学副学長。文部科学省中央教育審議会専門委員)

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