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教師は自分への気づきを変えない限り子どもを見る目も変わってこない

 先生自らが、まず自分への気づきを変えない限り、子どもを見る目も変わってこないでしょう。
 若い教師たちが、いかに「自分探し」ができていないかということが、研修会を行ってみるとよくわかります。
 私は、新任教師の研修会で「私が先生になったとき」という詩を紹介することにしています。
 私が先生になったとき
 自分の未来から目をそむけて 子どもたちにあすのことが語れるか
 私が先生になったとき
 自分が理想を持たないで 子どもたちに一体どんな夢が語れるか
 私が先生になったとき
 自分に誇りを持たないで 子どもたちに胸を張れと言えるか
 私が先生になったとき
 自分がスクラムの外にいて 子どもたちに仲良くしろと言えるか
 私が先生になったとき
 ひとり手を汚さず 自分の腕を組んで 子どもたちに頑張れ頑張れと言えるか
 私が先生になったとき
 自分の戦いから目をそむけて 子どもたちに勇気をだせと言えるか

 これは、いわば先生たちの信念の詩と言えるでしょう。
 先生というのは、一人の教師である前に、一人の人間であるわけですから、自分を好きになることが求められます。自分を好きになれないで、いろいろな子どもを好きにはなれませんし、子どものよさなど分かろうはずがありません。先生自らが、まず自分への気づきを変えない限り、子どもを見る目も変わってこないでしょう。
(
高橋史朗:1950年生まれ、臨時教育審議会専門委員、埼玉県教育委員長などを歴任し明星大学教授。親学推進協会理事長、師範塾理事長、感性教育研究会会長)

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