恐ろしいのは教師が授業に飽きること、直すには他人の目で見てもらうことが最も有効である
教師を志す人は、誰しも「よき授業者」をめざしているはずであり、いたはずである。だから若い時には、夢中になって授業もし、授業をすることに意欲を燃やすのだが、教師になって、十年もするころから少しずつなかだるみが始まる。
最も恐ろしいのは教師が「授業に飽きる」ことである。授業に工夫がなければ、その授業には新鮮みがなく、面白味も生まれない。そういう授業では子どもも面白くないので何となくとろんとしていて生気がない。そうなると悪循環が始まる。つまらぬ授業をするから子どもは動かず、子どもの無表情がまた教師のやる気を阻害する。
人は誰でもとかく易きに流れやすい。人に見られているよりは、見られていない方がずっと気楽である。教室は密室で大人は教師しかいない。教師は王様にもたとえられる。この特殊な環境に甘えていると教師は堕落する。自分の欠点が見えなくなる。反省を欠き、精進を忘れる。いい気になり、不遜になる。
そのような傾向を直すには、他人の目で見てもらうことが最も有効である。他人の目があるといいかげんにはやれなくなる。私は、附属小学校での教員生活が二十年にも及んだので、いつでも他校からの参観者の目の前で授業をせざるを得なかった。
そういう中に常に身をおくことは、結果的には教材研究や授業の腕を上げていくことになる。私は念を入れた一回の研究授業よりも、普通の授業を他人に多く見てもらうほうが、はるかに力になると考えている。
私は、今でも授業が面白い。新しい試みを胸に抱いて授業に臨む。うまくいく場合もあるし、予想が裏切られて失敗することもある。そういう未知で不確実な要素がいつも含まれているからこそ授業がドラマになりうるのである。この年になってもまだ私は会心の授業を続けることができずにいる。授業はそれほどに奥が深く、興味に満ちている。
よい授業を求めて常に子どもに新鮮に対する教師は若い。初志を忘れず、初心に返り、常に自らを磨き、高めようとしている教師に老化はない。逆に若くても、授業への情熱を失いかけた教師には、早くも老化が訪れ始める。
尽きせぬ魅力ある存在、それが、私にとって授業である。
(野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)
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