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子どもの事実にふれるごとに新しい指導の方法が生まれる

 子どもの事実にふれるごとに、問題が生まれ、新しい解釈とかイメージとか、それに即した新しい指導の方法とか技術とかが生まれる。
 音楽会とか卒業式とかの前になると、全校の各クラスを音楽室に順々に入れて指導する。子どもたちの合唱を一回きき、問題点をとらえてから、それを修正するために指揮に入る。
 合唱の指揮によって子どもに曲の解釈や表現の方法を教えていくわけである。したがって教師は、指揮をしながら、つぎつぎと説明したり注文を出したり、よくなったところをほめたり、悪いところを指摘したりしていく。単に手でリズムをとっているだけでなく、身体全体と言葉を使って表現し指導していくわけである。
 子どもたちは立ったまま歌いつづけている。したがって音楽室には机腰掛けはおかない。子どもたちも身体が自由に動けるし、指揮者もまた前後左右に動けるような空間をとっている。
 気持ちを内部に向けて歌うように指示したり、声を遠くへとどかせる指導や、子どものそばへ寄っていって、口のあき方、声の出し方を指導する。手でも形をつくってやっている。こんなときには声も出して子どもといっしょに歌っている。
 一人の子どものところへ行って、手拍子でリズムをつくってやる。手拍子を早くしたり遅くしたりするときもある。子どもたちのリズムができてくると、手拍子をやめて、普通の指揮になる。
 このように、子どもたちの合唱の事実に即して、指揮したり、説明したり、手拍子を打ってやったり、身体の使い方を指導したり、さまざまの方法をとる。きまったものをきまった順序に教えるのではなく、子どもたちの表現している事実をもとにして、ふくらませたり、つぶしたりしていくわけである。
 教育という仕事は、合唱の指導ばかりでなく、子どもたちの具体に応じて、こまかい手入れをしていかなければならないものである。子どもたちに、言葉でなり、声でなり、身体でなり表現させたら、その事実のなかにあるよいものとか、悪いものとかをとらえ、その場ですぐに具体的に指摘していかなければならない。その事実のなかにあるよいものは拡大し、悪いものは否定して他のものをつくり出させることによって、子どもたちの持っている可能性は、はじめて引き出され形となっていくものである。
 合唱の指導もまたそのようにしていったとき、どの子どももが自分を出し、歌曲をうたうことによって、自分を豊かにふくらませ、自分を新しくし、自分を成長させていくことができるようになる。そういう指導をするためには教師は、子どもの事実をみぬく力を持ち、表現の方法を指導する教師としての技術を持っていなければならない。またそれらのもとになる、教材への解釈とかイメージとかを持っていなければならない。
 指導を終わって子どもたちが帰ったあと、どのように解釈し、どのような方法で指導したらよいかを若い教師たちと考える。教育という仕事においては、子どもの事実にふれるごとに、問題が生まれ、新しい解釈とかイメージとか、それに即した新しい指導の方法とか技術とかが生まれる。だから教育という仕事は面白いのである。
 事実を動かすような仕事をしていったとき、子どもたちは無限に教えてくれるのである。
(
斎藤 喜博:1911年-1981年、島小学校校長として11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した 昭和を代表する教育実践者)


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