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実践者として対決をしないでいるから、成長もなく、主張や実践を持った教師が生まれてこない

 学校の職場が、感情論だけが横行すると、おたがいを発展させることはできない。それどころか、萎縮させたり、生意気にしたり、感情的な分裂が職場のなかに起こったりするだけである。
 こういうことが多いということは、教師の一人ひとりが、自分の実践を持っていないからである。自分の実践から出た主張を持っていないからである。実践から出た主張と主張をぶっつけ合わせ、自分が否定されたり、他を否定したりすることをふだんしていないからである。否定されれば捨て去り、よりよい新しいものを創りだせばよい。
 そういう実践者としての対立、対決をしないでいるから、成長もなく、強力な主張や実践を持った教師も生まれてこないことになる。
 他の教師のやったことで、少しでもよい面があるのなら、それを取りいれれば、実践が高まるので取りいれてもよい。ただ、他のものを取りいれるからには、どこまでが他のもので、どこまでが自分のものだということをはっきりさせて実践すべきだ。
 そういうことを明確にしないと、自分の実践も深まらないし、他人のものも、ほんとうに自分のものとならない。単なる模倣であり、どこかにあまえやごまかしがあり、正確なものになっていないからである。
 たとい少しでも自分のものを創り出し、それを大事にしてこうとする態度がないと、新しい、きびしい実践は一人ひとりの教師のなかに生まれてこない。
 そして、もっと自分のものは自分のものとして、みんなの場所にはっきりと出すべきだ。そのために、他の理論や実践をたたきつぶすことがあってもよい。また、他の理論や実践によって、自分のものが、こなごなにたたきつぶされることがあってもよい。たたきつぶされるようなものは、惜しげもなく捨て去って、何回でも新しく飛びたったらよい。
 そういうことができて、はじめて実践家といえる。自分のものをつくり出す実践家といえる。
(斎藤喜博:1911年-1981年、1952年に島小学校校長となり11年間島小教育を実践し、全国から一万人近い人々が参観した。子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践した。昭和を代表する教育実践者)

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