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教師であることの困難さはどこからきているのか

 いま、教師であることの困難の一つは、専門家としての成長を容易に展望できないことにある。眼前にある閉塞感にみちた教育環境の中で、長い目で将来像を思い描くことが難しいのだ。
 グーロバル化の渦のなかで市場原理、競争原理にさらされた日本では、政治経済や人々の意識も急激な変化を続けている。
 社会そのものの構造変化とそれに伴うさまざまなきしみ、先行きの不透明さ、経済格差の広がりと公共性のゆらぎ、社会的結びつきの喪失、こうした事態がすぐさま教育課題に置き換えられ政策化される現状がある。
 教師側からすれば、時間も労力も内面も管理されるなかで、課題ばかりが次々に降りかかってくるような状態である。
 日々の対応に追われれば追われるほど、授業にじっくり取り組む余裕は失われていく。
 状況をさらに困難にしているのは、十分な検証がないまま、施策がめまぐるしく変化することである。
 教師受難の時代といわれる。しかしどんな困難ではあっても、未来世代を育てる教師には、大勢順応し、主体的に教育の未来を模索する作業が求められている。
 「教師はかくあるべし」という従来のビジョンが揺らぎつつある現状だからこそ、足元から冷静に教育という営みを分析することが意味をもつといえるだろう。
(
渡部 淳:1951年秋田県生まれ、国際基督教大学(ICU)高校教師を経て日本大学教授。専門は教育内容・方法論、国際理解教育論)

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