学校教育とは何か
子どもたちは、どの子どもも自分をよりよく成長させたいと強くねがっている。また成長していくことに喜びを感じている。
しかし子どもたちは、自分一人の力で成長していくことはできない。大人なり教師なりの助けを受け、力を借りることによって、はじめて自分の内部にあるものを、よりよく引き出すことができ、心をひらいて成長していくことができるのである。
これは幼児や小学校の生徒ばかりでなく、中学校や高等学校の生徒においても同じである。
自分を成長させたいと強くねがっている子どもたちが、自分が成長させることができないような不幸な状態におかれたとき、子どもたちは、不満を持ち、反抗的になったり乱暴になったりする。また劣等感を持ち、無気力になったり怠惰になったりする。
大人や社会や教師はそう考えなければならないことである。もともと無気力な子どもとか反抗的な子どもとか、怠惰な子どもとかが固定的にあるものではない。学校の授業についていけない子どもとか、音楽や体育のできない子どもとか、「おちこぼれ」などという子どもがあるものではない。そうなることをねがっている子どもなども一人もいるはずがない。そういう子どもをつくっている大人とか社会とか学校とか教師とかに問題があると考えなくてはならないことである。
学校は子どもたちが成長していくのを、子どもの学習をとおして手助けするところである。学習の主体者は子どもたちであるが、学習の主体者である子どもたちは、教師の適切な助けを借りることによって、確かに創造的に学ぶことができ、自分を生き生きと成長させ変化させていくことができるのである。学校においては、そういう仕事を授業とか行事とかのなかでしていくわけである。
子どもたちは、学校でのそういう授業や行事のなかで、教師や他の人間の力を借りながら、自分のなかに新しいものをつくり出していくのである。自分一人だけでは到達できないような高みにまで、自分の全心身をつかって、喜び勇んでよじのぼっていくようになるのである。
(斎藤喜博:1911年-1981年、元小学校校長、元宮城教育大学教授、アララギ派の歌人。島小学校などに優れた実践を残した昭和の代表的な実践者。斎藤喜博全集は毎日出版文化賞を受賞。授業は創造的な仕事であると 実践的授業本で示し多くの教師に影響を与えた)
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