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ふだんの生活でも自分をいかに盛り上げるかをいつも考えています  藤子不二雄⒜

 漫画家の藤子不二雄⒜は人生を振り返ってつぎのように述べています。
 ぼくは、小学校のときに転校して漫画好きの藤本弘くんと知り合いました。ぼくも彼も出会わなければ絶対に漫画家になっていなかった。そういう運命的なものを今でも感じています。
 二人は本屋で手塚治虫先生の「新宝島」を見て、これは紙に描かれた映画だと衝撃を受けました。この漫画はぼくたちの宝物になり、ぼくたちは模写することにしました。今思えばそれはとても有意義なことだったと思います。
 ぼくたちは、高校生のときたった一冊の漫画雑誌を作りました。この経験は、ひ弱だった二人に「漫画だけは誰にも負けないぞ」という大きな自信を与えてくれました。人は何かひとつの自信を持つことが、将来大きな力になります。ぼくもその時に得た自信が、現在まで漫画家を続けてこられた原動力になっているのではないかと思うのです。
 ぼくたちは、上京して漫画家になりました。当時の漫画雑誌には読者アンケートがあって、つまらなかった漫画に3回選ばれると打ち切りにされてしまうのです。
 読者の人気というのは予想が出来ません。読者の人気さえ取れればと考えて描いた漫画が当たるかというと、そんな簡単なものでもない。ぼくらは、まず、自分が読みたいもの、読みたいけれども誰も描いていないものを描こうとしました。その考え方が漫画家としての独創性、個性につながったのではないかと思うのです。
 ぼくは作品を作るとき、一生懸命に苦心して描くと、それが作品に出てしまい「苦心して描いたな」と読者に伝わり楽しめないと思っています。それで、ぼくは主人公の動きをあらかじめ決めないで、楽しんで描くようにしています。読者も先が分からないから、ワクワクして面白いわけです。
 ぼくは、どんな人間でも嫌いになることはない。みんな好きになります。漫画を描くとき、どうしたら面白がってもらえるかと、楽しい部分をどんどん盛り上げていくことが大事なのです。「これじゃダメだ」とネガティヴにならないことですよね、だからぼくは、ふだんの生活でも自分をいかに盛り上げるかをいつも考えています。だれもほめてくれないときは、自分で自分を盛り上げることも大切だと思います。
 現代は道がいきづまり、将来に明るい希望が持ちにくい時代になっています。それだけに「夢を持って生きる」という言葉は何か空虚に聞こえるかもしれません。ですが、そういううす暗い時代だからこそ、明日に明るい夢を持って生きなければならない、と思います。何かひとつでもいい、自分のやりたいこと、自分の好きなことを実現するために、一日一日をがんばって前に進んでほしい、と思います。
 日本の漫画はアニメになり世界一だと思います。世界中に展開しているのは、とてもうれしいことです。ぼくはこの年齢になっても「漫画を描きたい」という情熱に今も燃えています。
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藤子不二雄⒜(本名 安孫子素雄)1934年まれ、転校した小学校で知り合った藤本弘(藤子・F・不二雄)とともに漫画の合作を始める。高校在学中に「毎日小学生新聞」漫画家としてデビュー、藤子不二雄を二人のペンネームとして、「オバケのQ太郎」ほか多数の作品を発表。1987年にコンビを解消し、藤子不二雄⒜として「怪物くん」「プロゴルファー猿」「忍者ハットリくん」「笑ゥせぇるすまん」ほか多数がある。映画「少年時代」をプロデュースし、日本アカデミー賞受賞。日本漫画協会理事)

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