まるごと、その子と向き合えるか
子どもたちは、至らないところがいっぱいある。当たり前のことである。それを当然のこととして受けとめ、ずるさやいいかげんさも含めた、まるごと子ども全部を心から大切に思えるようになるには、時間がかかることだろう。
教師はおしなべて、良い子がすきである。私も若いころ良い子が好きだった。良い子には私なりの基準があって、成績や運動能力や外見とは無縁のものではあったが、私なりのおメガネにかなった子どものほうが愛おしかった。
しかし、遅刻が続く子どもたちの背景に何があるのかを知り、校則違反という不器用な自己アピールに隠された子どもたちの思いを知る機会を積み重ねていくうちに、私なりのおメガネがどんどん変容してきた。
子どもたちをちゃんと知りたいと願い、ちゃんと知ろうとしてあがくなかで、子どもたちの抱える暮らしや、せつなさや寂しさや、怒りやおびえ、夢や願いに出会い、圧倒され、自分の物差しや価値観で子どもを決めつけることを慎むようになってきた。
「ちゃんとしなさい!」は、今のあなたではいけないという断罪型の上から目線メッセージである。「どうしたの? 何かあったの?」は、今のあなたの状況を心配し、あなたのことをもっとよく知りたいと願う共感型のメッセージ。
子どもたちは、矯正の対象として自分と向き合っているのか、共感の対象として向き合っているのか、瞬時にして区別してのける。
気にかけられているという思いは、必要とされている思いとなり、自分はここにいてもいいのだという安心感に結びついている。
まるごとその子を受けとめる。そのうえで「これはアカンやろ」という話が始まっていくのだ。難しい理屈はいらない。まずは「どうしたの?」から始めようではありませんか。
(土田光子:1952年生まれ、35年間中学校教師。各地で講演をしている)
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