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指導のチャンス「教育的瞬間」をとらえるセンスを鍛えよう

 指導のチャンス「教育的瞬間」をとらえるセンスを鍛えよう。
 子どもの帰った放課後の教室で、「あぁ、あの時、子どもに指導を入れるチャンスだったなぁ。そのチャンスを見過ごしてしまったなぁ」と、今日の自分の指導を振り返ることがあります。
 子どもたちはとても敏感で、学校生活の様々な場面で、教師に「ここ、叱るところでしょ」「ほめてほしいのになぁ」と思っているのかもしれません。そして「あの時、あの言葉を、あのタイミングで先生に言われたからこそ、分かったんだよなぁ」と子どもは感じるでしょう。
 指導しなければならない瞬間をとらえた時に、教師がまずやらなければいけないことは、この時の「状況の本質」を瞬時に的確に見極めることです。
 例えば、音楽の授業で、ある子が歌いました。その時、クラスの中から笑い声が起きました。先生は何をしたらいいでしょうか?
 (1)クラスのみんなを叱る
 (2)歌った子を励ます
 (3)一緒に笑う
 (4)その他
 (1)(3)は全て×です。まず第一にすることは、行為ではなく、その時の状況を見極めることなのです。「笑いの質」を見極めることです。つまり「これは温かい笑いか? 冷たい笑か?」「ノリのいい笑いか? バカにした笑いか?」というような見極めです。
 当然、冷たい笑いやバカにした笑なら注意を与える必要がありますが、温かい笑いやノリのいい笑いなら教師も一緒に笑っていていいでしょう。
 温かい笑いやノリのいい笑いまでをも教室から奪うと、冷え切ったしらけた空気が漂います。こうなると、子どもの自由な言葉もなくなり、心通い合う授業どころではなくなります。
 有名な実践家である斎藤喜博氏は
「教育とか授業とかにおいて『見える』ということは、ある意味では『すべてだ』といってもよいくらいである」
と述べています。
 私は、先ほどの例で言うと「笑い=悪いこと」のような短絡的な指導パターンをする先生をたくさん見てきました。瞬間的に状況を鑑識するセンスに乏しいのです。
 それでは、教師はふだんから何を準備していけばよいのでしょうか。それは次の三つのことだと考えています。
(1)
子どもに関する情報を徹底的に収集しておく
(2)
子どもと向き合う心がまえ(覚悟)を高めておく
(3)
指導法の開発・工夫をする
 指導法の開発・工夫して、たくさんの持ち駒を持っておかないと、いざという時に打つ手がないという状態に陥ります。ふだんから指導の持ち駒を多くしていく努力をしておかねばなりません。
(
高見仁志:兵庫県公立小学校教師(18年間)、湊川短期大学、畿央大学を経て、佛教大学教育学部准教授)

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