大西忠治(おおにし ちゅうじ)(中学校) 「班・核・討議つくりによる学級集団づくり」
大西忠治は、1930年香川県に生まれ、香川大学在学時に生活綴方を実践した無着成恭の「山びこ学校」を読んで感銘を受け、教師になる決意をして香川県の中学校教師として24年間働いた。
大西は一時期、生活綴方実践に傾倒し、それをまねた集団づくりを試みて悪戦苦闘したあげく、集団の力を「集団自身に教え、集団自身に自覚させる」という独自の道筋を開拓していった。
荒れた教室を目の前にしたとき、教師はどう学級を立て直していけばよいのだろうか。大西はこの問題に、子どもたちの集団がもつ力に着目して立ち向かった。
大西の手法は「班・核・討議づくり」と呼ばれ、1960年代から1980年代、集団づくりを論じる生活指導論に大きな影響を与えた。民主的な集団をつくることを教えるのではなく、生徒たちに行動を通して学ばせるものとして注目を集め、急速に全国の学校に「班つくり」が普及した。
ただこの手法については、当初より、集団の意志決定と行動を優先するので、個々の子どもが抑圧される危険性はないか。一人ひとりの子どもに自分を表現させ、学校での学習と実生活と結合させるという生活綴方の視点に注目すべきだ。また班や討議よりも自発的サークルを重視すべきだ、という指摘もあった。さらに教科教育の学力形成と子どもたちの自治の発達とをどう関連づけていくのかについて、今なお課題である。
1980年代に入ると、校内暴力、いじめ、不登校といった問題が噴出する。大西自身も中学生の変化を感じ、自由で柔軟な自治的集団へと転換していく「ゆるやかな集団つくり」を提唱した。
人間は、好むと好まざるとにかかわらず、常に集団のなかで生きている。大西は、子どもたちに集団の良いところも悪いところもともに実感させ、子どもたちが自らの手で集団づくりを進めるための方策を教えた。その実践は、子どもたちに集団のなかで生きることを伝えたものとして、現在でもその光を放ちつづけている。
(大西忠治:1930-1992年、香川県の中学校教師。茨城県茗渓学園中学校長をへて、昭和60年都留文科大教授。生活綴方運動、生徒の学級集団「班・核・討議」づくりの実践にとりくんだ)
(「時代を拓いた教師たち戦後教育実践からのメッセージ」田中耕治編著 日本標準 2005年 執筆者:西岡加名恵(京都大学准教授))
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