教える教育の限界を破るものは教師がほんものになること
わたしははじめ、教育ということは、子どもたちに、ああしろ、こうしろ、そんなことをしてはいけない。それはこうするんだ。・・・・・と、子どもを指図し、叱り、教えることだと、と思っていた。
「先生」と呼ばれるようになって25年、それはほんとうの教育ではなかったんだと、気づかせられはじめた。
それなら「教える教育」の限界をつき破るものは何か。それは「ほんもの」になることだけだ。人を「ほんもの」にしようとして「教える」のではない。こちらが「ほんもの」になるのだ。ほんものでないものが、人に「ほんものになれ」と指図したところで、ききめのあるはずがない。
ほんものでないものが、ほんものでない自分に対して言わなければならないことを、わたしたち教師は、教師顔して、他人に言いつづけてきた。そこに、私たちの長い間の誤謬があったのではないか。
(東井 義雄:1912-1991年、兵庫県生れ、小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)
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