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非行にいたる道と、非行から立ち直らせるにはどうすればよいか

 大人は子どもが坂道を転がり始めてきづき、「どうしたんだ」と慌てて止めようとするが、なかなか止まらない。
 実は、非行に走る子どもたちは、みな、坂道を転がり始める前に、階段を上がっている段階がある。みな、その階段を上がって、あるとき突然転がりだしている。非行を本当に止めようとするならば、それ以前の段階にさかのぼってみる必要がある。
 背景は、それぞれである。
 家では、こうでなければダメとがんじがらめの価値観の中で窮屈になっていた子ども。両親の不仲や離婚などに胸を痛めていた子ども。きょうだいと比べられ自分はダメだと思っていた子ども。
 学校で冷やかしや仲間外れなどにあい、つらい思いをしていた子ども。
 など、どの子どもにも、それなりの耐え忍んできた背景がある。
 幼さゆえに、そのつらさを言葉にできず、ただ現状を我慢して、心の傷が積み重なりながら階段を上がってく。そして我慢が抱かえきれないほどになってきたある日、何かをきっかけにぷつりと我慢の糸が切れ、転がりだす。
 そのときの言葉は共通している。それは「もう、どうなってもいい」だ。この言葉には、ものすごいエネルギーがある。周りが必死で止めようとしても止まらないのはそのためである。
 転がる階段は、人とのつながりが切れていく孤独の階段だ。孤独が長く、深いほど激しい行動になっていく。少年院に来るほどの子どもは、人や自分、社会とのつながりも切れている。本当にどうでもいい。何をやってもいい。だから、人も自分も傷つけられる。社会性、価値観の崩壊に至っている。
 それには、落ちていくだけの、孤独な世界があった。求めていたものに裏切られ、人間不信、復讐心、怒りなど負のエネルギーが無軌道な行動に向かわせいる。孤独というのは、それほど深い意味を持っている。人間性を内側から失調させるのだ。
 ある意味、非行からの立ち直りとは、人間性を回復し、常識の世界に連れ戻す過程である。育ち直しをしていく作業だ。そのためには、とてつもない密度で人との関わり、つながりが必要になってくる。
 人とのつながりが切れているということは、安心できる居場所がないということである。非行少年の場合は、例外なく家庭や学校に居場所がない。社会からはみ出したところに居場所を求めていく。
 そのことは、程度や内容こそ違え、学校で行き詰まっていく子どもにも当てはまることである。
(
魚住絹代:1964年生まれ、大阪府教育委員会スクールソーシャルワーカー。1982年法務教官となり、以後、福岡、東京、京都の少年院に12年間勤務。非行少女の立ち直りに携わる。2000年に退官後は京都医療少年院で音楽療法の講師となるかたわら、2002年から、大阪府の公立小・中学校に、スクールサポーター、家庭教育サポーターとして勤務。子ども、家庭、教師の相談支援をしている)

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