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私たちがふだん心に感じている、自分の勝手な思いをなくすにはどうすればよいか

 私は禅宗(臨済宗)の僧侶だ。ふつう宗教には必ず根幹となる教えがある。キリスト教であれば聖書である。しかし、禅宗には経典がない。では、いったい何をもって根幹となすのか。それは座禅である。
 座禅とは何か。「禅とは心の名なり」という言葉がある。心そのものが禅なのだ。私たちは、好き、嫌い、美しい、醜い、という心を持っている。それも確かに心なのだが、さらにその「奥にある心」に向き合うのが禅だ。
 日本の哲学者の西田幾多郎は「わが心 深き底あり 喜びも 憂いの波も とどかじと思う」と、よまれたが、まさにその「深き底」である。
 私たちの心は喜び、悲しみでいつも何かしら常に波立っている。その心にほんろうされている。しかし、その奥には、まったく動じない心がある。そのことを、自分でしっかりと体得するのが座禅だ。
 どうすればできるのであろう。それにはまず、心を落ち着けることだ。コップの泥水も時間がたてば、きれいに水と泥に分かれる。静かな所に座っていれば、自然に落ち着いてくるものだ。姿勢・呼吸・心を調える。
 こうして心を調えていくと、私たちがふだん心に思っていることは、自分勝手な思いということだ。姿勢・呼吸を調える。そうしていくと、心がすっと軽くなる。こうしなければならないと頭の中で固まっていた心が融けていく。
 この固まったものを融かす方法が座禅だ。そうすると本当のことがわかってくる。
(平井正修:1967年生まれ、全生庵住職)

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