からだの感覚を通して学ぶ
鳥山の実践は、「からだ」の役割に目を向けさせるものであった。物語の登場人物や動物、花などに「なってみる」活動、音読の声を聞き合って模索していく活動などは、まさに「からだ」の感覚に根ざした学習である。
鳥山は、こうした感覚が発揮されてこそ、本当に「わかる」という営みが成り立つこと。そして、そうした分かり方を経験した子どもたちは教科書の内容をはるかにこえて、深く広く学びはじめるということを知っていた。
「からだ」の感覚を通して学んでいくためには、それぞれの「からだ」が自らの感覚に忠実でいられるものになっていなければならない。そうした「からだ」を鳥山は「生き生きとしたからだ」と呼ぶ。これは、元気いっぱいにふるまう姿をいうのではない。むしろ、苦しいときには苦しいままでいられるような「からだ」のことである。
ところが、実際には、学校にはさまざまな約束事にしたがわされて「からだ」麻痺している。「生き生きとしたからだ」とりもどすために鳥山は数々の試みを行ってきた。
たとえば、朝の会の「おはようございます」というあいさつ。そのとき、あいさつをかわすという人間的なやりとりが存在しない状況があれば、鳥山は敏感に反応して「ちょっとわたしに、おはようって、いってみて」と、まず自分とあいさつをかわさせる。
さらに、みんなのほうに向かって、相手を見つけて「おはよう」を言わせる。自分にあいさつされたと思った子どもは、あいさつを返す。聞いている方も集中が深まってくる。
そうしてあらためてみんなにあいさつする。子どもたちは、最初のあいさつとの違いに気づき、こちらのほうが「自然」であることを発見していく。
鳥山はこうして、約束事に馴らされ麻痺している「からだ」を変えていく試みを繰り返してきた。「なってみる」活動や音読の聞き合いなどもまた、自らの「からだ」の感覚に忠実でいられる「からだ」を取り戻していく過程であったといえる。
鳥山は言う「教えなければならないから教えることをやっていると、からだは死んでくる」と。
(鳥山敏子:1941-2013年、30年にわたって東京都公立小学校で教え、子どものからだと心に生き生きと働きかける革新的な授業を展開、1994年「賢治の学校」を創立し自分自身を生ききるからだの創造を目指した)
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