教師は子どもとトラブルになるのがいや?
私は2005年に日教組の組織率が8割を越えている横浜市の教育委員として赴任した。横浜市はこれまでの「しがらみ」から脱却した教育を、新たに立ち上げていく、教育正常化、教育再生の渦中にあった。
肩書きだけの教育委員など、最初からやるつもりはなかった。どんどん現場を視察して訪れた学校は、優に50校を越え、特別授業も持たせてもらった。
学校の現場を訪れると、信じられない光景に遭遇した。授業中だというのに、廊下に座っていたり、フラフラしている生徒があちこちにいた。しかし、そういう生徒を、先生が厳しく指導することはない。「お前ら、いい加減にしろよ」などと言いながら、ニコニコ顔で接している始末だ。
生徒たちが好き勝手やっていようが関係ないようだ。ならぬものはならぬ、と言えない学校とは、いったい何を目的とした場所なのだろう。私は、見て見ぬフリはできなかった。「早く教室に入れ」そう一喝すると、生徒たちは散り散りに自分の教室に入っていった。
当たり前の注意さえ、先生たちはしようとしないのだ。これが「子どもの個性尊重」なのか「児童中心主義」なのか。ただ単に、生徒とトラブルになるのが嫌なだけではないのかとがく然とした。
校内の喫煙が常態化している学校もあった。私は臨時全校集会を開いてもらい「自分の母校を燃やしてどうするんだ!」と激怒したことがある。タバコのすいがらが日常的に転がっているトイレに入るのを、なぜ先生が避けているのか。生徒指導が厄介だからだろうか。もしそうならバカげた話だ。
彼らは反抗期真っ盛りだから、厳しく指導すれば反抗もしてくる。恨みを買って報復されることもあるかもしれない。だが、思春期、反抗期の彼らと厳しく向き合うことこそが、教師の仕事だ。報復や反発を恐れていたら、教師の仕事などおよそ務まらない。
そんな教育現場で育てられた子どもたちが、どう育っていくのか。火を見るより明らかだ。「ならぬことはならぬ」と叱ってもらえず、笑顔で「いいよいいよ」と好き勝ってを認めてもらえるような生徒が、社会に出てから通用しないのは当然だろう。
喫煙を見て見ぬフリをする先生を前に「彼らは子どものことなど何も考えていない。きっと自分のことしか考えていないのだ」とがくぜんとした。
子どもたちは、忙しいと親から放置され、学校からもまともな教育を受けられない。インターネットを通じ、ヤミ情報がどんどん流れてくる。教育を根本的に立て直さない限り、何も始まらないのである。
(義家弘介:1971年生まれ、中学生で不良と呼ばれ高校中退し家から絶縁される。里親の元で大学を卒業し、塾講師、北星学園余市高校の教師になりドラマ化され評判となる。横浜市教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員)
| 固定リンク
「先生の実態」カテゴリの記事
- 本当にいい教師とは 諸富祥彦(2022.01.09)
- 新任教師が感じている困難や負担と校長からみた初任者教員の評価 窪田眞二(2021.09.11)
- 社会人を経験して教師になった人は話題も豊富で、人間性も豊かで魅力的な人が多いように思う 岡部芳明(2021.07.16)
- 新任教師や若い教師に知っておいてもらいたいこと(2021.03.02)
- 学校に適応している教師・困った教師とは、どのような教師なのでしょうか(2021.02.03)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント