素直な心こそ、あなたを強く正しく聡明にし、人間として最も好ましい生き方をもたらします
素直な心というものこそ、人間として最も好ましい生き方をもたらすものではないでしょうか。
お互い人間は、みなそれぞれに身も心も豊かに、なかよく幸せに暮らしたいと願っていると思います。
ところが、現実にそういう姿が実現されているかというと、必ずしもそうとはいえないように思われます。その原因はいろいろあろうかと思いますが、基本的には、人間の生き方自体に問題があるのではないでしょうか。
つまり、自らの願いというものを実現させるにふさわしい物の考え方なり心のもち方、態度、行動をあらわしていないことに大きな原因がありはしないか、という気がするのです。
素直な心にならず、往々にして自己の欲望、利害にとらわれ、また自分の立場や主義主張にとらわれ、ものごとの実相(真実の姿)を見あやまり、他とのいらざる対立や争いをおこして互いに不幸な姿に陥る、といった姿がきわめて多かったと思うのです。
したがって、お互い人間が自らの願いを実現するためには、それを実現するにふさわしい考え方、態度、行動をあらわしてゆくことが肝要だと思いますが、その根底をなすものが、この素直な心ではないかと思うのです。
それでは素直な心とはどういう心であるのかといいますと、それは単に人にさからわず、従順であるというようなことだけではありません。むしろ本当の意味の素直さというものは、力強く、積極的な内容をもつものだと思います。
つまり、素直な心とは、私心(自分ひとりの利益をはかろうとする気持ち)なく、くもりのない心というか、一つのことにとらわれずに、ものごとをあるがままに見ようとする心といえるでしょう。
そういう心からは、ものごとの実相(真実の姿)をつかむ力も生まれてくるのではないかと思うのです。だから、素直な心というものは、真理をつかむ働きのある心だと思います。ものごとの真実を見きわめて、それに適応していく心だと思うのです。
したがって、お互いが素直な心になれば、していいこと、してはならないことの区別も明らかとなり、また正邪(正しいことと不正なこと)の判別もあやまることなく、なにをなすべきかも、おのずとわかってくるというように、あらゆるものごとに関して適時適切な判断のもとに力強い歩みができるようになってくるのではないかと思います。
つまりお互いが素直な心になったならば、「強く正しく聡明になる」と思います。そこからは、つねに判断をあやまたず、強く正しく行動できるようにもなってくると思うのです。
素直な心を根底にもってお互いが生きてゆくところから、人それぞれに願い求めている真のよりよき共同生活も逐次実現し、お互い一人ひとりの幸せもしだいに高められていくのではないでしょうか。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)
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