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「あとかくしの雪」の介入授業から斉藤喜博の個人学習・組織学習・一斉学習を考える

 子ども(小学校四年生)が「あとかくしの雪」(あるところに、なんともかとも貧乏な百姓が~この日に雪がふれば、おこわをたくもんもある)を朗読する。
教師「「なんともかとも貧乏ってどんなこと?」「どんなお百姓?」
子ども「何もない」「貧乏」
斎藤「今のような問題は、個人学習とか組織学習のなかで、問題にし、整理しておかないと」
斎藤「こういうものは一斉学習の問題にはならないですね」
斎藤「昨日の組織学習で、一斉授業はこれとこれを勉強するんだとう課題が子どもの学習の中から出たでしょう。それを黒板に書いてみてください」
教師「どうして大根を一本盗んできたのか」「どうして足あとが消えたのか」と黒板に板書する
斎藤「組織学習でどれが重要で、どの問題からやっていけばよいか、考えておくべきだったのですね」
教師や参観の先生たちと話し合いながら板書をつぎのように書き直す
1
なんともかとも貧乏な百姓
2
どうして旅人は大きな家にとまらなかったのだろうか
3
どうして大根を一本ぬすんできたのか
4
どうして「おら、なんにもいらんぞ」と言ったのか
5
どうして旅人は、うまいうまいとしんからうまそうに食べたのか
6
どうして足あとが消えたのか
斎藤「先生や子どもたちから、もっと問題が出れば、それを書き足したり、同じような問題は一つに集めたりするわけですね」
斎藤「問題というものは、個人学習や組織学習の中から出てくるものであり、教師が意識的に子どもに働きかけ、子どもの中につくり出していくものです。それにも軽重があるわけですね」
斎藤「軽いものから対象にしていき、その課題を突破することによって、つぎの課題が求められるようにしていくわけです」
斎藤「子どもから出た問題を、捨てたり、一つに集めたりしながら、残された問題に二重丸や三重丸をつけたりする。そういう作業をすることによって、一斉学習では、こういう問題を、こういうふうに攻めていくのだということが確認されるわけです。ここまでいかなければ組織学習は終わらないわけですね」
斎藤「この問題の中で、どれを一番重くみているんですか」
教師「どうして足あとが消えたのか」「どうして旅人を何もないのにとめたのか」
斎藤「それでは、それに二重丸をつけてください」
斎藤「こうするのが問題の整理ですね。個人学習なり組織学習のときに、子どもたちがいろいろな問題をノートに書いていく。変更されたりする。教師はそれを見ていて、その中から必要なものを学級の前に出し、ときに説明してしまったり、課題(問題)として重要であることを指摘したりします」
斎藤「一斉学習への整理をするとき、重要なもの、つぶしてしまわなければならないもの、これらを黒板に書いて、これとこれは似ているから一つの問題にするとか、関係があるからそばに並べて書くとか、これは○印、これには◎印をつけようか、子どもたちと話し合いながらやっていきます」
斎藤「そういう整理をしていく中で、だんだんと問題が明確になっていくわけです」
斎藤「そういう作業をするなかで、教えるものは教えてしまうわけです。『なんともかとも』は非常にむずかしいわけです。これは先生が教えてしまってもいいんです」
斎藤「『どうして旅人は大きな家にとまらなかったのだろうか』も組織学習でつぶしておくとよかったですね。非常に通俗的なものが出てきますから」
教師「どうして大根を一本ぬすんできたのだろう?」
子ども「旅人に何もしてやれるものがないから」
斎藤「10本でなく、どうして一本だけ盗んできたの?」
子ども「旅人だけに食べられるだけあればいい」
斎藤「どうして旅人だけ。自分もいっしょに食べればいいじゃない」
子ども「『しかたがない』と書いてあるから。どろぼうをすると悪い」
教師「しかたがないって何を? 何がしかたがないの」
斎藤(教師に)「それはもう、わかってやるほうがいいのですよ。大変いいことを言っているんです。『しかたがない』って書いてあることを根拠にしている。『どろぼうをすると悪い』と言っているんだから、これ以上確かなことはない。そういうことには感動してやるとよい。その発言のなかにあるものをみんなに伝えてやるといいですね。この子はいまこういう大事なことを言ってるんだと、課題をここでつくって考えさせていくといい」
Y先生「○○さんは、『しかたがない』と言ってるね。大根をほんとうは十本も盗んでね、それを食べてもいいんだけれどね、それを食べてもいいんだけれどね、でもこの百姓、そんなことしなかったね。だから旅人に食べさせるだけでいい・・・・」
斎藤「それでは、この子の発言をもとにしての課題をちっとも出してない。この子の言ったことを、その通りくどくど言っているだけですね。この子は核心をぴしゃっと言ってるわけです。それをもとにして、みんなで考える対象になる新しい課題をつくって、子どもの前に提示しなければ」
Y先生「そしたらね、あの百姓はね、大根やきをいっしょに食べたのか」
子ども「いいえ」
Y先生「一本盗んできたね」
子ども「旅人に食わしてやった」
斎藤「これでは授業は前進しませんよ。子どもはこれだけいいことを言ったのに、ここまでしかひろがらない。これだと教師としての作業は何もできないから、授業が平板になってしまう。子どもは言い放しになり、授業が発展していかないですね。もうすこしふくらませてみてください」
Y先生「『一本ぬすんできて』とあるけれども、百姓の気持ちはどうだったろう」
斎藤「そうじゃなくて、この子は『しかたがない』ということを証拠として出しているんです。その証拠を明らかにしてやり、ふくらませてやらないと」
斎藤「この『しかたがない』の背景はどういうことなのか、はっきりさせないと。『しかたがない』というときは、大変な思いなんだよ。大へん重い言葉ですね『しかたがない』」
斎藤「『しかたがない』の前はどうなっています」
子ども「何ひとつ旅びとにもてなしてやるもんがない」
斎藤「そうですね。そのあと、『それで、しかたがない』となっている」
(
井上光洋:19422000年、元大阪大学大学院教授、東京学芸大学名誉教授。斎藤喜博の授業論を研究)
(
北川金秀:1944年生まれ、元神戸大学附属住吉小学校教師)

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