優れた教師は、多様な子どもを受け入れようとする喜劇型の教師が多い
日本ですぐれた教師といわれる人に会ってみると、ほとんどが喜劇型であるように思える。なかにはそのまま高座にあがっても、ひとかどの話し家になれるかと思うほど喜劇味のあふれた人もいる。
悲劇は一元的な価値が支配する世界である。しかし、喜劇は多元的である。喜劇は異なった価値の基準をもった人物が共存して、そのあいだにいろいろの葛藤が生まれはするが、けっして一つの価値が勝利をしめることはない。
異なった性格をもった子どもを大勢あつかう教師にとっては、子どもたちを一元的な価値のモノサシで、はかることは困難なことであろう。いいかげんな一元的なモノサシではかられたのでは、子どもたちはたまらない。
人間というものは複雑で多次元的であり、一元的な価値基準ではとうてい、はかりきれないということがわかったとき、喜劇の味がわかるようになり、笑いが生まれる。
「人間は笑う動物である」といわれる。笑いは多元的な価値がぶつかりあい、しかも、無勝負のまま終わることから笑いが生まれる。
笑いは多元性に耐えることのできる精神である。教師に望ましいものは、そういう精神ではなかろうか。
(遠山 啓(ひらく):1909年-1979年、数学者。元東京工業大学教授。1951年数学教育協議会を結成、数学教育の「水道方式」による計算体系を樹立、学校現場に大きな影響を与えた)
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