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新任教師のころから、誰よりも一生懸命に生徒のために働いた、クラス運営に必要なお金も自腹で工面した

 教師になりたてのころから、私は小学校で誰よりも一生懸命に生徒のために働いていた。また、クラス運営に必要なお金を工面した。もちろん今だに、ほぼ誰よりも一生懸命働いている。
新任から4年間、私は次のように働いていた
40人の5年生のクラスを午前8時から午後3時まで教えていた。
90分の算数の補習を求める子どもたちのために、朝6時半から授業を始めていた。
20人の子どもたちにギターを教えるために、休憩もとらず、昼食も食べないでいた。
50人の子どもたちとシェークスピア劇をつくるために、放課後、午後5時まで居残っていた。
・週に3晩、午後5時半から真夜中まで働いていた。
・すべての週末、午前11時から深夜2時まで働いていた。
・休暇中は毎日登校し、朝6時から夕方の5時まで、無報酬で生徒たちに教えていた。
・毎年1週間、クラスの子どもたちをワシントンDCに連れていった。
・クラスの子どもたちをオレゴン等で行われるシェークスピア祭りに連れて行った。
 私はたえず子どもたちを食事に連れて行った。子どもたち全員に誕生日プレゼントを贈った。クリスマスの日には、子どもたち家に行き、玄関口にプレゼントを置いてきた。
 美術品やスポーツ用品を買うのに何千ドルも費やした。私はギターや文学作品の本を買うお金を用意し、シェークスピア劇の制作資金(5000ドル以上)を工面した。
 必要なお金を工面するため、私はアルバイトを始めた。放課後は車で小包を街じゅうに送り届けた。週末には食料品の宅配をした。1年間、週末にアイスクリーム会社でも働いた。深夜勤務で一晩中新聞配達もした。しかし、身を粉にして働いても、お金は足りなかった。子どもたちを旅行に連れて行ったり、備品を買ったりするのにお金が足りなくなるたびにクリジットカードを使った。
 私の場合は極端な例だったが、熱心な教師の誰もがかなり自腹を切っているのは確かである。
(レイフ・エスキス:米国の教育を根本から変える力を秘めた小学校教師として注目されている。ロサンゼルスの貧しい移民家庭の子どもたちが多く通う小学校のクラスを22年間受け持ち、学力を飛躍的に伸ばし、品格のある子どもを育て、教師として初めて、アメリカ国民芸術勲章を受章)

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