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不幸な子どもに学級で居場所を与えよう

 新しく担任を持ったとき、半数が担任の先生のことを好きになってくれそうな子どもで、残り半数の子どもは反応が鈍く、その内の10人くらいが、反感を持ち、身構えており、牙をむくような子どもでしょう。
 最初の半数の子どもは、これまでの幼い人生のなかで、接した大人たちみんなは、自分に対してよいことをしてくれる、喜ばしてくれる人であるという、幸せな人生を送ってきた子どものはずです。それで「この先生はどんなすてきなことを教えてくれるのだろう」と、先生に期待を持てるわけです。
 それから、後の半数の子どもたちは、いままでの自分の人生の中で何かにぶつかっていて、すぐには心がほぐれてはこない、先生とのかかわりあいどころではないという、悩みを持ち壁にぶつかっていると考えていい状態にあるのです。
 最後の10人は、これまでめぐり合ってきた先生とか、親とか、大人たちから傷つけられてきた子どもたちです。先生に疑いや敵意を持たざるをえない、そうした大人とのかかわりで傷ついてきた子どもであるというふうにわかるものです。
 そうだとすれば、最初の半数の子どもを大切にすることも大事ですが、後の半数の子どもやその中の取りつきにくい子どものほうに、どうやって個別的によく注意を払いながら接近していくかということのほうがより大事になります。
 とりわけ、なかなか接近しにくい最後の10人に、生い立ちとか環境とかにも目配りしながら、どうやって自分との関係で安心感を与え、こころを開かせながら、接近していけるかということをこころがけなければ、その子たちに対する教師の責任は果たせないだろうと思います。
 極端にいえば最後の10人に、クラスのなかで本当に生き生きとできる居場所を与えてあげるということを最終的な目標にして、学級経営をしていってほしいと思うのです。
(浅川道雄:1931年生まれ、東京家庭裁判所に少年調査官として勤務。日本子どもを守る会副会長、「非行」と向き合う親たちの会世話人)

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