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集団でのあそびは、緊張し拒否する体を解放し、学ぶ身体をつくることになる

 子どものからだが硬く、緊張した状態が、学びを硬直した、自分のものでないものにしている。必要なことは、人がつくった価値観、評価からいったんからだをひきはなし、内から涌いてくるエネルギーに身にまかせて生きるしかない。
 近年、身体ごと交わることから実践を開始する事例が増加しているといわれる。それは「閉じこもった身体」をもった子どもが多くなっているからである。
 そのような子どもの身体が必要としているのは、応答を楽しむ場である。学ぶ身体をつくるには、学級や授業が応答を楽しむ場であることを十分に知らせ、応答を楽しむ身体へと育てることが必要になってくる。
 そのためには、たとえば小学校低学年の場合には、子ども同士の応答・掛け合いによって成立するあそびを経験させることが有効だと考えられる。
 誘い合ってあそべない子どもなので、先生が一緒にあそんで楽しむことを一学期のモットーとし、「鬼ごっこ」「氷おに」「花いちもんめ」「かごめかごめ」などを宮平恵子(小学校教師)は行っている。
 中野譲(小学校教師)も「めだまやき」をしながら抑圧されたエネルギーの発散を図り、週一回のレクリエーションで、「指まわし、お互いの背中さすり、たたく、もむ」などをしている。
 集団でのあそびは、やりとり自体を楽しむものであるといってよいであろう。こうしたやりとりの心地よさを経験し、それが許され、つくられていく場所が学級であるということを、子どもたちにまさに身体で実感させていくことが求められているのである。
 このことは、緊張し、拒否するからだを解放し、学ぶことや他者を拒否しない身体をつくることでもある。
 応答を楽しむことの重要性は、他者との感情の共有、一体感をつくり出すだけでなく、やりとりという共同活動によって変わるという授業の本質にかかわることだからである。
 飯塚麻子(中学校教師)は、中学校一年生の国語の授業で、群読から始めている。生徒たちは、声を出すこと、他者の声と溶け合うことで心地よい経験をし、これから始まる国語の授業に向けて身体がほぐされ、開かれているのである。
 身体の問題にこだわった実践を展開しているのは、学級に間違っていいよというベースがないという意識がある。そのため、授業方針として
(1)
授業のどこかに多様な表現活動を取り入れる
 例として、身体表現、劇化・発表、テレビ番組つくり
(2)
子どもにどんな授業がよいか問う
 子どもたちの「手作業の伴う学習がしたい、身体を動かす学習がしたい、わかりたい」という要求をうけて、図工で木工、社会でリサーチ、算数でつくる・折るといいった活動をする。
 これは、子どもが求めている授業、すなわち現在の授業が抱える問題点や課題を明確化した上での授業構想だといえる。
(長瀬美子:1963年生まれ、大阪大谷大学教授。あそびを通して人間関係の形成を研究)

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