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子どもを叱るときは「子どもから悪かったなあ」という気持ちを引き出すこと

 私の学校の子どもたちは非行少年とか不良少年とかよばれて、社会からはじきだされてきた子どもたちです。他人の迷惑を意に介さないようなところがあります。
 学校では四月の始業式のときに、校長の私が前学期の評価と今学期はこうしてほしいということを、75人の子どもの前で、一人ひとりいうことになっています。二時間くらいかかるのですが、これは、みんな、ほんとうに真剣にきいています。校長からどういわれるか、というわけです。
 いい加減なことを言うと、校長はいったい何を見てるんだ、ということになりかねない。私として命がけの作業です。なるほど校長は見てるな、しかも、ぼくらより深いところを見ている、というところがなければならない。こういうことが、子どもには非常に大事ですね。
 だれかが見ているというか、だれかがわかってくれている、ということが、子どもには非常に励ましになるのです。だれも自分のことをかまってくれない、理解してくれない、と孤独感をもっている子どもが案外いるものです。
 子どもに何か言うときは、いきなり呼びつけて頭からこうだと決めつけず、「あのときはどうしたんだい」というふうに、まず、子どもにものを言わせたい。
 それをよく聞いてやった上で「そこまで考えるお前なんだから、この間のお前自身をふり返ってみて、やっぱり、バカなことをしたと思うだろう」というふうに、前へ前へとひき出してゆくような言い方をしたい。
 子どもを叱るときは、子どもから悪かったなあ、という気持ちを引き出すことが先決です。ひじょうに凝縮した何かで子どもとふれあうことが大切で、あまり、くどくど説教するのは、かえってマイナスですね。私の場合は五分、長くて15分までです。
 また、教師もそうですけど、親があせればあせるほどダメです。親が興奮して怒れば怒るほど、わからせようという工夫もないから、一人相撲におわることが多いんですね。
 子ども自身が、悪かったなあと、しみじみ思う、そういう気持ちを引き出すことが大切なのに、逆にひっこめてしまう結果になるのです。
 グチ話も、子どもがきらう最たるものの一つです。また、うっせきしていたものを、つぎからつぎへ出す叱り方もダメですね。日ごろのうっぷんをはらしているのかわからないようになり、子どもが混乱してしまうし、親もばかにされるだけです。
 家庭学校の子どもの作文を見ていると、男の子は、父親にきちっとした厳しさを要求しているようです。ふにゃふにゃした父親というのはダメですね。
 ただ、この厳しさというのは、ガミガミということとはちがう。怒ったときは非常にこわい、そういう接し方であってほしい。うちの教師でも、ふだんはおとなしいが怒るときはめっぽうこわい、という教師が尊敬をもってみられていますね。
 子どもがなにか本当に悪いことをしたときは、子どもにはこういうことがあるんだな、などと思ってはダメです。そういうときは、ほんとうに雷を落とすように怒ることです。
(
谷 昌恒:1922年東京府に生まれ、堀川愛生園(養護施設)を創設し戦災孤児たちと生活。1965年堀川愛生園を辞し、社会保障研究所主任研究員。1969年北海道家庭学校校長となり非行少年の教育、指導にあたる。1993年ペスタロッチー教育賞を受賞。1997年北海道家庭学校理事長となった)


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