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医師として死と向き合ってきた五十年

 私は五十年にわたって、大学病院の医師として仕事をしてきました。専門は循環器病学と血液学。どちらも死に直結する難しい分野です。加えて大学病院というところは、一般病院では治療が不可能な患者が運ばれてきます。言うなれば、常に私は死と向き合ってきたのです。毎朝、自宅を出て、病院に着いた瞬間からそこに死があった。そのストレスは相当なものでした。
 特に辛かったのは、若い人たちの死を見送るときでした。二十歳代は人生でもっとも輝くべき時期です。せつなさが溢れたような悲しそうな眼。その眼を私は忘れることができません。
 医師として治療方法はありません。ただ彼の手を握り締め「さいごまで、私は君と一緒にいるから」と。これは、人間同士として向き合った言葉です。私の言葉を聞き、少しだけほっとしたような表情をみせてくれました。
 どうして医者なんかになってしまったのか。別の仕事についていれば、もっと明るく日々を過ごせたのに、と何度そう思ったかわかりません。
 どうすれば幸せな生き方ができるのか。その答えに私は行きつきました。それは、物事を暗く考えないで生きるということです。
 例えば、歳を取って、耳が聞こえにくくなったとしましょう。しかし、目は悪くなっていない。このときどんな言葉がでてくるか。
「目はよく見えるんだけど、どうも耳が聞こえにくい。テレビの音が聞こえにくいので、もう参ってしまう」と愚痴をこぼす人がいます。その一方で
「最近は耳がきこえにくくなってきたけど、目はよく見えるのよ。大好きな本も読めるからうれしいわ」と喜ぶ人もいます。
 物事を悪いほうに暗く考えてしまう。これは一種の癖だと私は思っています。生まれつきではなく、単純にその人がもっている癖みたいなものです。癖であれば、自分の心がけ次第で十分に直すことができるはずです。自分で自分の人生を暗くしてはいけない。物事を良い方向に考える癖をつけることです。
 死ほど辛く怖いものはありません。無になってしまう恐怖。人と二度と会えない寂しさ。時に病の苦しさから、早く死んでしまいたいともらす患者さんもいます。という言葉の裏には生きたいという願いがある。それが人間の本能だと私は信じています。医師であるかぎりその本能に寄り添わなくてはいけない。最期のときまで温かなまなざしを向けなくてはいけない。
 医師の役割とはそういうものだと思いながら私は五十年医師として生きてきた。一日でも長く生きたいという、たくさんの患者さんの願いに寄り添っていたからだと思います。
(
石川恭三:1936年東京生まれ、医者。杏林大学名誉教授で臨床循環器病学の権威。執筆活動も盛んで著書多数)


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