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子どもの力をつける授業こそが学級づくりの生命線である

 子どもの力をつける授業こそが学級づくりの生命線である。
 学級づくりは、学級集団づくりだけで成立するものではなく、「楽しく、ためになる授業」「子どもたちに力をつけることができる授業」があって、初めて成り立つものである。
 授業で子どもたちの学力をつけることによって、子どもたちとの信頼関係が生まれる。同時に、保護者との信頼関係も生まれる。
 授業は、常に子どもたちの「ウケ」を意識するようにする。子どもたちの表情や反応をしっかり観察して次の問いを考えたり、子どもたちがのってくる教材や課題を用意して授業に臨んだりするということである。
 子どもたちの「ウケ」を考えるということは、「教科書の内容をいかにアレンジし、子どもたちがのってくるものにするか」ということである。
 同時に、一時間の授業の中に必ずひとつの活動を仕組むという意識をもつことである。それによって授業に「動き」が生まれ「どんな活動にしようか」と考えることで、知らず知らずのうちに教材研究が深まっていくのである。
 子どもたちを活動させることにより、思考力が向上していく。しかし、ただ活動させるだけでは意味がない。「活動があって指導もある授業」をめざすのである。
 授業を活性化するには「はてな」をみつけさせることにより、子どもたちの知的好奇心は向上する。「はてな」を調べさせることにより、子どもたちの知識は広がり、思考力がアップする。
 子どもたちに「はてな」をみつけさせようとするならば、教師こそが「はてな」をみつけられるようにするべきである。それができない教師は「はてな」の見つけ方を指導できないし、子どもたちがみつけた「はてな」のすばらしさに気付くことはできない。
 「はてな」をみつけるためには、具体的事実が必要である。
 「違い」や「変化」に注目すると「はてな」になる。「なぜ、このようになったのか」という「はてな」になる。
 「目的」を考えると「はてな」になる。「何をしているのか」という「はてな」になる。
 既習事項が身についていると「はてな」がみつかる。「あれ? 変だな」という「はてな」になる。「前に勉強したことと違うぞ」という意識になる。
 教材研究の差が教師としての力量の差となる。自分なりの教材研究法をもつということは、授業の腕をあげる第一歩である。
 教材研究で、単元目標を分析し、短く区切ることにより、「ここで何を教えるか」という指導事項がはっきりしてくる。
 つぎに、「どんな問題(資料)でいくか」「どんな発問にするか(どう、問うか)」「どんな活動を入れるか」等の骨格となる授業展開を考える。
 さらに、授業展開の中で、どんな活動を仕組むかを考える。教材や学習グッズはいつ、どんなタイミングで出すのか。どこで思考時間をとるか。思考は個人にするのか、グループ討議にするのか。発表はどんな形にするのか。早く終わった子どもへの課題はどうするのか。等々、活動内容とそれに関わる様々な付帯することを吟味する。
 これに「子どもはこんなところにつまずくだろうな」という誤答分析や「ここでは、こんな力をつけさせる」という教師の思いを加味して、自分なりの授業展開を構築する。
 このような教材研究を繰り返しながら、自分なりの教材研究法を確立していく。
 しかし、いったん授業が始まったら、その時の子どもたちの様子や実態に応じて、自分が考えた授業展開をすべて捨てる感覚で授業に臨む。そうしないと、教師の攻めの論理で授業が進むことになり、子どもたちは話を聞いてるだけになったり、教師の自己満足で授業が終わってしまったりすることになる。
(
戸田正敏:1957年生まれ、千葉県公立小学校教師。全国学級づくり研究会・学級づくり中央研究所代表。子どもたちの集団自治力を高め、生き生きと活動する「学級づくり」を目指して実践を重ねています)

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